◆物件探し回った時代

コロナの影響は政府から要請された自粛で各ジムは閑散とした日々。家賃と光熱費は嵩むばかり。優遇されるジムもあるかと思うが、練習生は減り、経営が難しなるばかりだ。

ニシカワジム、オープニングパーティーでは藤原敏男さんスパーリングで御登場(1983年)

元々、コロナとは関係なく、キックボクシングジムの開設は簡単なものではなかった。それは加盟団体に認可を受けなければならないといったものだけでなく、不動産物件が少ないことにもある。その上、リングやサンドバッグなどの設備費用も必要となる。

現在のキングジムの前身、ニシカワジムは1981年(昭和56年)開設当初、他のジムでの間借りや路上(路地)練習、夜の市場の空きスペースを借りるなどを経て、1982年12月、当時国鉄小岩駅近くの雑居ビルの一室を借り、リングもある設備揃ったジムを構えた。昭和の時代、キックボクシングジムに貸す条件は厳しく、西川純会長の苦労が伺えたものだった。

設備整ったニシカワジム、ここからデビューした赤土公彦は大きく飛躍した(1983年)

平成に入り、所属の向山鉄也氏が引退後、会長となってキングジムへ移行も、当初は都営新宿線一之江駅からやや離れたところに借りられたのは、トイレも無いバラック小屋。2007年2月には江東区の都営新宿線大島駅近くのビル2階に開設され、設立披露パーティーで公開されたジムは、今迄より遥かにグレードアップしたジム設備であった。

キングジムの新装開店は賑やかなオープニングだった(2007年)

OGUNIジムが板橋区中台にあった頃のジム、当時の選手は想い出深いだろう(1992年)

現在のOGUNIジムは現・会長の斎藤京二氏が現役時代の1983年(昭和58年)に開設し、路地や公園、他のジムでの間借り練習を経て、1986年10月、後援会会長(当時小国ジム会長)が探し回ってくれた末に建てられた、板橋区中台の狭い道の分かれ目、三角地帯の二階建てバラック小屋でスタート。

都営三田線志村三丁目駅から15分ほど歩き、初めて行くには分かり難い道だった。リングは無く、それでも「雨露凌げて遠慮なく動ける環境が整って有難い」と当時の選手が語っていたほど、揶揄されることなく居場所があることは有難いことだっただろう。1995年(平成7年)に現在の池袋本町のビルに移ってからはリングも整い、JR池袋駅からは商店街を通り、やや歩くが山手線主要駅周辺となれば練習生は大幅に増えたという、やはり立地条件は重要なことが伺える。

◆キックボクシングという競技は肩身が狭い!

ある、某ジム会長は、「木造の狭い古い自宅の1階を改良してジムとしてきましたが、老朽化で床に穴が開いたり、シャワーのお湯が出なくなったり、住宅密集地で夜8時頃に終了しなければならないという条件があり、かなり不便でした。次には小学校や区の体育館を借りるも、子供たちの空手指導をするという条件で借りた手前、プロ選手が練習に専念したくてもキックボクシング練習だと使用不可になるので、子供達の空手の練習時間と同時にキックの練習をしました。空手は社会的に認知された競技で低年齢層の裾野まで広く、キックボクシングは危険、野蛮的イメージが強く、認知されない昭和の時代でした。」と語り、またある某ジム会長は、「ジム探しは苦労しましたね。 物件はあっても当時、ガチンコファイトクラブが流行っていて、こいつらもガラが悪いと思われたんではないでしょうか。家主さんからOKもらったのに、契約前に急に断られたり。ボクシングとか格闘技する人間は不良みたいな感じと思われていたでしょう。」と語ってくれた。

キックボクシングは世間との認識のズレがあるなあと思ったものだった。私(堀田)がこの業界にすんなり馴染めたのも、選手やジム会長、トレーナーさん達が皆、一般の人と変わらぬ穏やかな人達だったからであるのだが。

市原ジム、男の汗がムンムンする昭和のキックらしさがあった(1983年)

市原ジムは草木が室内に伸びてくる自然さが良かった(1983年)

◆物件探しは楽になったか

現在、練馬区大泉学園駅前にあるクロスポイント大泉ジムは雑居ビルの2階にあるが、1階は賃貸物件を仲介する不動産屋さん。以前、店員さんが「2階の音や響きは伝わってくることがあるが、もう慣れました」と笑っていた。階下に店舗を構えるお店としては、業務に影響するような事態は無いが、これが生活空間となると騒音や響きは気になることだろう。

昭和の時代から練馬区に住んでいた私は、当初一番近いキックボクシングのジムと言えば所沢の士道館、次はかなり遠いが目黒ジムだった。主に千葉方面にキックボクシングジムが多いと思ったことがあるが、地元の選手に「土地が安いからだよ!」と簡単な理屈であった。

現在も昔も、物件はどの鉄道沿線でも駅近は家賃が高い、僻地は練習生が集まり難いといった現象は当然だろう。飲食店や美容室、雑貨屋など、どの業種も物件探しは苦労するところだが、不動産業者は良い物件はなるべくイメージの良い業種に貸したいと見られ、物件が空いていても、キックボクシングは激しい運動による振動や壁や床の傷み、叫び音が煩い、汗臭くなるとか、「ヤクザ者の類が出入りするのでは?」などのイメージがあり、なかなか借りることが難しい場合も多いが、昔のような扉を開けただけでカビ臭い風通しの悪いジムや、鬼のスパルタ指導となるジムも極めて少なく(厳しいことは確かだが)、冷暖房完備、女性専用シャワールーム更衣室などの環境が整い、女性が気軽に練習出来る等、イメージが良くなって来た分、土地柄にもよるが、借り難さは少なくなってきているかもしれない。

一般クラスのボクシング教室、地道な活動がジムを支え、会員との絆も深る(2007年)

◆苦しい経営

ジム設備は揃っても経営が苦しい場合は多い。あるボクシングジムトレーナーさんは、知り合いのジムオープンのお手伝いに始まり、そのジムが事情あって閉鎖が決まると、そこの会員さんから「新たにジムをオープンして欲しい」と頼まれ、その会員さんが探してくれた物件でジムオープンするも、何年も赤字経営が続いたが、3年掛けて地道にボクシングのフィットネスクラブ的コーチを続け、ようやく会員さんが増えて安定し始めた。

そんな頃に東日本大震災で外出を控える会員が増え、電力削減等でのジム練習時間短縮で会員が著しく減って収入が大幅に減少の経験もあるが、会員さんの協力でジム運営をいろいろな策を練って続け、なんとか徐々に回復してきたところで、今年はコロナウイルス蔓延影響で再び経営危機を迎えた。今は東日本大震災の経験を活かし、禍を転じて福と為す状態という。

コロナによる自粛の影響でジム閉鎖したという話は今のところ聞かれないが、今後もそんな事態に至らないよう、各ジム会長やトレーナーさんとまた後楽園ホールで再会したいものである。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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