通勤しているビルの1階ホールに、スタインウェイのグランドピアノが置いてある。ピアニストであれば誰もが憧れる最高級品のピアノで、安く見ても1千万円はする。このビルは特別コンサートホールになっているわけでもなく、ただのビジネスビルだ。年に数回、イベントなどでピアニストを呼んで演奏されることがあるようだが、毎日通勤している私は今まで観たことが無い。

大型ビルや高級ホテルのロビーなどに、ピアノが置いてある光景はよく観る。ピアノ=上流階級という図式が必ずしも成り立つわけではない。が、今でもピアノやバイオリンを嗜んでいる、と聞くと上流の匂いを感じるほどに、イメージが作られている。スタインウェイでなくてもグランドピアノ自体高級品であり、ビルのフロアに置いている企業やホテルは景気がいい様に見える。上品さと業績の良さのイメージを作るにはもってこいのアイテムというわけだ。

哀れなのは飾られるだけのピアノだ。どんなにすばらしい音色のスタインウェイでも、年に数回しか弾かれないのでは宝の持ち腐れだ。楽器とは当然音楽を奏でるための器材なのだから、演奏されなければ意味が無い。若い頃から語学を勉強して、留学もしてTOEICで900点台を出せるような人が、全く語学を使わない職場で働かされたらどうだろう。「私はこんな仕事をするために語学に励んだんじゃない」と言うに決まっている。音楽スタジオで毎日誰かに使われている安いステージピアノの方が、よほど楽器としての本分を全うしている。

バイオリンもそうだ。テレビでバイオリンの話になると、必ずと言って良いほどストラディバリウスが引き合いに出され、値段がいくらだのと紹介されて出演者が驚く。しかしバイオリンは値段を競う道具ではない。演奏した時に出せる音にその価値がある。元来バイオリンは高級品というわけでもない。カントリーやアイリッシュではフィドルと呼ばれ、もっと身近に使われる楽器だ。アメリカやアイルラアンドでは安い飲み屋などでも、ステージがあれば、そこでカントリーやアイリッシュを演るミュージシャンがフィドルを使い演奏する。演奏が終わるとそこらに置きっぱなしにして酒を飲んだりするので、よく酒を被ったり煙草の煙に巻かれたりで見た目も臭いも酷いものだ。それでも毎日ステージで使われるだけ、楽器としての本分を全うしている。

ホテルのロビーで見かけるピアノは「触らないでください」と書いてあったり、バリケードを張っていたりする。一般の客は弾くことができない。そんなピアノを見る度、悲しくなる。弾くことができない、お飾りとなっているピアノに一体何の価値があるのだろう。音が聴けなければ、スタインウェイもおもちゃのピアノも一緒だ。やはりピアノは、演奏者が椅子に座って弾き、周囲の聴衆が楽しそうに聴いている構図が一番いい。

(戸次義継)