ワープロソフトを買い換えた、一太郎の最新バージョンである。
筆者のパソコンは今まで、だいたい3~4年で壊れて、買い換えてきた。だからOSは、Windows7だ。
毎日使っているから当然と思っていたが、知り合いのITソフト製作の会社では、いまだにWindowsXPを使っているという。
筆者の場合、音楽やビデオを再生するのもパソコンで、こき使いすぎているんだろうか。

XPサポート終了で多くの人が体験したかと思うが、Windows7になると、XPで使っていたソフトが対応していないということが、かなり多い。
これまで使っていた一太郎は、2004年版。文章を書くだけなので、レイアウトの機能など使うこともなく、それで十分だと思っていた。
だが、Windows7には対応しておらず、一太郎を起動しようとする度に、「不明なソフトがパソコンを改変しようとしています」というメッセージが出る。
起動するのにも、時間がかかるようになった。

ワープロを使い始めたのは、1980年代の後半だった。
成田空港に反対する三里塚闘争に、戦旗・共産主義者同盟の一員として参加。空港近くの畑の一角に立つ、団結小屋と呼ばれる掘っ立て小屋に住んでいたときのことだった。
それまでビラはガリ版で刷っていたので、中央から来た政治局員がもってきた、ワープロ作成の文書には目を見張った。
組織が買ってくれるということはないので、同志が自腹を切って買った。文章の表示が一行分しかないワープロ専用機だ。パソコンは、金銭的にも意識の上でも、まるで蚊帳の外だった。
ワープロでビラを作って、コンビニでコピーする。空港の近くにセブンイレブンができたのもこの頃だった。
大量にコピーするので、よく紙を詰まらせて、若い女性店員に注意を受けた。

1988年に、革命運動をやめて組織を離れると、最初にしたのがワープロを覚えることだった。ピアノのハノンのようなワープロ教本で練習する。10代の頃、バンドでキーボードをやっていたので、すぐにブラインドタッチを覚えて、ワープロ検定2級を取った。
「あなたがワープロ検定持ってたって、誰も雇わないわよ」
中学の時に同級生だった女友達に言われたが、彼女の言うとおりだった。

ワープロに思い出は尽きないが、一太郎最新バージョンには驚いた。
書き上げた原稿を、女性の声で読み上げてくれるのだ。
原稿を見直すときに、一番いいのは読み上げてみることだが、それをワープロがやってくれるのだ。読みを間違えたり機械的な部分もあるが、想像していたよりはずっと滑らかで、それで原稿の間違いも発見できる。

筆者はしばしば、セックスシーンのある原稿も書く。
それを女性の声で読み上げてもらうのも、如実に原稿の善し悪しが分かる。
仕事の中の、ささやかな楽しみである。

隔世の感のある、ワープロの進歩である。

(深笛義也)