◆移籍の経緯

キックボクシングの対戦カードを見ていると、たまに所属ジム名が替わっている選手を見かけることがあります。ジム名称変更の場合がありますが、移籍している場合も多いでしょう。そこでは多くの単体プロモーション興行が増えたことにより、移籍やフリーとなる決断は、より安易な選択に変わって来たと感じることがあります。

移籍トラブルの場合は選手の我儘であったり、ジム会長側の傲慢であったり、ジム側と選手間でファイトマネーや待遇に関するもの、目指す方向性に関わるもの、練習環境の問題などがあり、選手の止むを得ない事情では、転勤で遠地に行くことになり引退、または止むを得ず所属していたジムを辞め、現地のジムに移籍したケースがあります。

目黒藤本ジムや東京町田金子ジムのように閉鎖される場合は止むを得ず、移籍しか道が無いケースもありました。

裏事情では破門の場合あり、稀に引き抜きの場合あり。多くは書けない事情も存在します。

黒崎道場から小国ジム、更にキングジムへ移籍した青山隆

◆移籍の壁

最近では、女子の藤原乃愛が3月19日に撫子(GRABS)に敗れる初黒星でミネルヴァ・ピン級王座を失い、そのわずか4日後に所属するROCKONジムから実父が運営する空手の藤原道場に移籍する情報が流れました。4月から大学生になったことも心機一転となったことでしょう。しかし、急な移籍にそれまでの加盟団体、ジャパンキックボクシング協会では驚きの声も聞かれ、看板選手が一人でも抜けることは協会の損失でもあり、「簡単に移籍を許してはならない」という厳しい意見も聞かれました。

移籍した藤原乃愛、この先の飛躍を願う

伊原ジム移籍後も恩ある藤本ジムの看板を背負って戦う勝次

キックボクシングにおいては選手とジム間の契約内容がどのようになっているか、団体によって異なる部分があったり、過去においては細かい制約は無い不明瞭な部分もあったでしょう。

日本のプロボクシングでは確立した競技として当然ながらJBCルール内に契約項目があり、選手のマネージメント契約に関わる明確な基本原則が細かく記載されています。

契約期間に関しては3年を超えないこと(異議なければ自動更新)。契約更新しない意思表示は期間満了の2ヶ月前より可能となります。

キックボクシング系での古き時代で、選手がジム会長とトラブルになり所属していたジムを辞めるも、会長側はこの選手との絶縁状を各ジムに配布し、「入門して来たとしても受け入れないこと」という注意喚起が届いていた例がありました。

2000年以降に起きた例では、ジムを辞めることで加盟団体にも承認を得なければならず、「5年間は他団体興行に出場できない」という選手活動を縛ってしまう規約もありました。

この場合においては該当選手が所属していたジムや加盟団体に何度も穏便に交渉して、移籍が認められたケースでしたが、この辺りの時代までは団体(協会や連盟)によっては厳しい条件が起こる移籍の壁でした。

転勤で活殺龍ジムから大阪の北心ジムへ移籍した不破達雄(左)、佐藤正男(右)も黒崎道場から渡邉ジムへ、いずれも円満移籍

◆会長の想い、育てる意義

移籍というより、近年は個人としてフリーになるのも可能なキックボクシング業界であり、現在では団体やジムの規則に縛られず、ファイトマネーからマネージメント料(通常33.3%以内)が引かれないので、この方が得と考える選手も居るようです。

一般的にジムに入門して選手登録し、団体やジムの規則を遵守する必要があるのは、ジム側と選手が円滑に活動が出来るように定められたシステムです。

しかしフリーではよほど恵まれた人脈・支援者が居ない限り、ジム設備の無い状態から練習場を探しても、出稽古的に受け入れてくれるジムや周囲の協力が無ければ練習も充実せず、マッチメイクも決まらないことに繋がっていきます。ミット蹴り等で癖を見抜いた指導を受けたり、スパーリングパートナーになって貰ったり、試合でも控室でマッサージや準備、試合中のセコンドに着いて貰うなどのチームワークも、相当仲間意識を持って馴染んでなければ、すべて自分で交渉を行なわなければならないフリーのままでは活動し難いことでしょう。

ジム会長は、マッチメイクをする際に、我がジムの選手が勝てるように、不利でも成長に繋がるように、早くチャンピオンの座に届くように、極力怪我の無いように守り育てていく努力をするでしょう。それがビジネスであっても、ジムにヒョロっと現れた少年を、一から育てていくのは大変な苦労が伴います。会長やトレーナーがどんな想いで育てているか、その恩を忘れてはいけません。

安定した所属先は必要な環境、旧・目黒ジムの光景

高谷秀幸も異端児、やや険しい移籍の経験あり

◆団体分裂による脱退と加盟

過去、ジム単位でも団体を脱退や加盟が沢山ありました。多くの分裂による新団体設立が起こり、その分裂や各々のジムの移籍では、古き仙台青葉ジムが団体を行き渡ること一番多かったでしょう。創生期の日本系から全日本系に移り、後々のNJKFまで気まぐれ瀬戸幸一会長は異端児でした。

ジム単位では選手は逆らえず着いていくだけですが、その方向性には着いて行かなかった選手も幾らか存在します。

以前、格闘群雄伝で紹介した少白竜さんは後に一回目の引退をして、元・日本バンタム級チャンピオン(MA日本)、三島真一さんは分裂に着いて行かない意向でした。

現在は弱体化し過ぎて団体分裂は起こり難くても、選手自身が理想とする移籍は続くことでしょう。移籍は何度も経験することは無いでしょうが、トラブルが元で移籍した場合、その先で何らかの影響を引き摺るのか、前途洋々と言えることは少なく、円満移籍ではその先でも後押ししてくれる支援者が居て充実出来ることが多いようで、そんな環境で飛躍して欲しいものです。また移籍に纏わるいずれかの選手を格闘群雄伝でも拾いたいと思います。

リングに上がるまでは多くの苦労と支援があってのもの

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」