2019年秋より鹿砦社『紙の爆弾』で始まった新シリーズ「日本の冤罪」に、私が取材・執筆していた記事が、続報含め計18本となり、このたび一冊の本にまとめていただきました。まずは鹿砦社の代表・松岡利康氏はじめ編集部、関係者の皆さまに御礼と感謝を申し上げます。ありがとうございました。なお、「あの事件は入っていないか?」などと言われますが、鹿砦社『紙の爆弾』ではほかの著名なライターの皆さまが、狭山事件、袴田事件はじめ多くの冤罪事件を執筆され、現在43本の事件が掲載されています。そちらも併せてお読みください。

本書に収められた原稿は『紙の爆弾』に掲載された原稿に修正、加筆を加えた内容となっております。その作業が終わり、「はじめに」を書いていた時、とつぜん桜井昌司さんの訃報が入りました。本当に突然でした。「獄友」青木恵子さん、西山美香さんは、岡山刑務所に服役中の男性に面会に行った帰りに、メールで知ったそうです。

写真右から袴田秀子さん(袴田巌さんの姉)、青木惠子さん(東住吉事件の冤罪犠牲者)、西山美香さん(湖東記念病院事件の冤罪犠牲者)。青木さんと西山さんは和歌山刑務所で一緒の工場で働いていた。2019年3月2日、東京都内の甲南大学東京キャンパスで結成された「冤罪犠牲者の会」総会後の交流会にて。(筆者撮影)

私が桜井さんと最後にお会いしたのが、この本に掲載された「対談」をおこなった2月28日でした。本書を出版するにあたり、「尾﨑さん、誰かと対談したら?」と言われ、一番に考えたのが桜井さんでした。私は冤罪事件を知る以前に、なぜか凶悪事件に強い関心がありました。今でもそうです。なぜかというと、人間生まれながらに「ワル」や「凶悪犯」はいないと思うので、おぎゃあと普通に生まれた赤ちゃんがその後、社会や政治にもまれるなかで、「犯罪」を犯すに至ったのではないかと考えたからです。もちろん本人の資質、環境もあるでしょうが。様々な凶悪事件をみていくと意外に「冤罪」が多いことを知り、えん罪事件にも関心を持つようになりました。しかし、2016年、桜井さんという実際の冤罪被害者にお会いして以降、さらに冤罪事件に関心を強めたのです。そう考えると、桜井さんがこの本を作るきっかけを作ってくださったのです。

 

布川事件冤罪犠牲者桜井晶司さん(本年8月23日にご逝去)。本書収録の対談が桜井さんによる生前最後の意見表明となった

その桜井さん、すでに体調が良くないと知っていたので、「会えますかな」とメールすると「28日の午前中ならいいよ」と返事をいただきました。場所は、いつも私たちが講演会や上映会などでお世話になっている大国町の社会福祉法人「ピースクラブ」です。9時の待ち合わせ時間前に「もう着いているよ」とメールが入り、私は急いで一階の喫茶店「キジムナー」に向かいました。モーニングサービスのお客様が何人かおられましたので、4階のホールに移動することことになりました。4階に向かうエレベーターを待っていると、桜井さんが「痛てて」と前かがみになりました。私が「大丈夫ですか?」と声をかけると「オレのことは気にするな」と少し怒った口調でいわれました。2月末、幸い、ぽかぽか日和り、窓際の丸テーブルに並んで座り対談が始まりました。実は私ははこれまで桜井さんへのインタビューは何回も行っています。記事は「デジタル鹿砦社通信」に掲載されています。ぜひ、検索してお読みください。
 
「桜井さん、今日はインタビューじゃなくて対談ですよ」と私は確認し、「これ、途中で聞いてくださいね」と「①尾﨑さんはなぜ冤罪に興味持ったの?」「②冤罪を取材して何を考えましたか?」などと書いたメモをお見せしました。「わかってるよ。そんなこといわなくても」とまたちょっと怒ったような口調。まずは前日の日野町事件の裁判について2人で話し、その後話が止まったので、「桜井さん、この質問①聞いてくれますか?」と言ったところ「いや、ここもう少し膨らましたほうがいいよ」と話を続けてくれたりしました。

本当に体調はよくなかったのでしょう。途中、椅子を並べて、それをソファ代わりにして横になりながら、しかし、読んでもらえばわかりますが、非常に貴重、そして楽しい対談ができました。

対談中、「日本人が愚民だよ、愚民」。そんな言葉が桜井さんの口から何度もでてきました。それを言いすぎたと思ったのか、「いいんだよ。おれはもうすぐ死ぬんだから」と、投げ捨てるように言いました。そういわれ、ドキッとしてしまったことを今でも鮮明に覚えています。しかし、今考えるとそれは、「愚民のみんな、もっとがんばれよ」と私たちを叱咤激励する言葉だったのではないでしょうか。

対談中、袴田巌さんの再審については「200%勝つよ」と宣言していた桜井さん。そして袴田さんは元ボクサーだったから、常に対戦相手の目をまっすぐに見る。だから警察、検察、そして死刑判決(死)ともまともに向き合ってしまい、結果、精神を壊されてしまったのだと話されました。そして「自分は逃げていたから」とも……。

桜井さんと筆者

以前のインタビューで私が「桜井さんは無期懲役ですが、いつか出れると考えていましたか?」と質問したことがありました。その時も「ばかなこというな!一生でれないと覚悟を決めてたよ」とまたまた怒られることがありました。だからおかれた場所(刑務所)で1日1日を精一杯生きようと考えたそうです。その後、同じ千葉刑務所に服役していた石川一雄さんが仮釈放されたので、「自分たちももしかして」と思うようになったそうです。

桜井さんが「200%勝つよ」と言っていた袴田巌さんへの再審(裁判のやり直し)が10月27日始まりました。なんと、検察は未だに「犯人は袴田」と主張し、有罪立証するために、審理はまだまだ続き、判決が出るのは来年だそうです。しかも、これほど重大な事件の再審であるにも関わらず、狭い法廷で傍聴できた一般の方はごくわずか、午前11時から始まった裁判で、心身喪失で出廷できない巌さんに代わって、姉の秀子さんが「巌は無罪です」と主張したそうです。しかし、これだけの裁判なのに、午後2時台の情報番組は全く報じることはありませんでした。


◎[参考動画]「弟は無実」闘い続けて50余年 姉の思い 袴田巌さんのやり直し裁判10月27日から(テレビ静岡ニュース 2023/10/24)

傍聴できなかった鴨志田由美弁護士が、法廷の外で姉の秀子さんとハグしたら、とても痩せておられたとFacebookで報告していました。いつもにこやかな秀子さんの表情からは、そんなにお痩せになっていたとは、とても想像できませんでした。桜井さんが生きていたら、法廷から出てきた秀子さんに「もう少しだよ」と声をかけハグし、鴨志田弁護士と同じよう心配されたことでしょう。「秀子さん、ちゃんと食べないとダメだよ」なんて言ったかもしれません。ああ、そんなことを考えたら、桜井さん逝去の知らせを受けて初めて涙がこぼれてきました。

全国を飛び回っていた桜井さんですが、金聖雄大監督の「オレの記念日」に何度も出てくる大国町ピースクラブでの思い出は大きかったようです。なぜなら講演会、上映会のあと必ず懇親会、親睦会、交流会と称した飲み会があったからです。2021年桜井昌司著「俺の上には空がある 広い空が」の出版記念パーティーの翌日、桜井さんから「大阪の人たちに会えて良かったよ。ありがとう、尾﨑さん」というメールが届きました。京都、奈良、神戸、そして大阪……桜井さんにとっては楽しく飲み、語り、ハグしあう皆さんすべてが「大阪の人」なのです。もう飲んで冗談言ってハグすることができない……「大阪の私たち」は本当に残念でなりません。それでもさようならはいいません。

桜井さんが「尾﨑さん、あの人も取材してよ」と言われた冤罪事件のほか、日本には冤罪事件で犠牲になり、声もあげれずにいる人たちがやまほどいるからです。「日本の冤罪」を読み、ぜひその実情に目を向けてください。よろしくお願いいたします。

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子『日本の冤罪』(鹿砦社)

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733