キックボクサーは何歳まで戦えるか

堀田春樹

「俺らの時代は試合終わると身体のあっちこっち痛くて足引き摺りながら帰ったけど、今時の選手は怪我しないよね!」とは1989年1月にタイで、当時のニシカワジム西川純会長が、試合を終えた愛弟子・赤土公彦がさっさと歩いている姿を見て言っていた話。怪我が治らないうちに次に試合がある。西川さんはそんなキックボクシング創生期に活躍した選手でした。

そして、「キックボクシングなんて長くやるもんじゃないよ!」とも言われ、大怪我したり、ダメージ蓄積すれば、その後の人生に影響が出るという、そんな風潮があった昭和の時代。30歳以上のキックボクサーは居るには居たが、その数は少なかった。

特に世界の頂点極めた者がその地位を維持出来なくなったら引退が濃厚。そこからデビュー当時のゼロ地点に落ちるまで戦い続ける者はほぼ居ない。

他のスポーツと比べて身体を酷使する打撃格闘技は動体視力やスピードと反射神経が重要で、全盛を維持出来なくなると、もう引退というのも一般認識だろう。

◆現役に拘った選手達

しかし、キックボクシングは第一線級を退いても、存在価値があれば続けられる、メインイベンターは無理でも、使って貰える環境が有る。それはチケット売れるなら使ってやろうという主催者都合もあるだろう。

元・全日本フェザー級チャンピオン、立嶋篤史は1971年12月28日生まれで、1987年に15歳でタイで初試合。国内では翌1988年4月デビュー。1991年4月に王座獲得後、防衛は成らなかったが、二度奪還した功績は大きかった。身体のメンテナンスを怠らず、負けが込んで、その下降線を辿っても、新たな目標持って戦う立嶋篤史は今年4月27日に53歳で101戦目を戦い敗れたが、ストイックに凄いキャリアを残した。

ストイックな立嶋篤史。フェザー級に拘った37年。変わらぬ体形(2025.4.27)

近年、48歳まで戦った笹谷淳(現・レフェリー)は、1975年3月17日生まれで、2002年11月に27歳でデビュー。2010年10月10日にJ-NETWORKウェルター級王座獲得。2023年2月18日のNKBウェルター級王座決定戦でカズ・ジャンジラに敗れて引退を決意。怪我を克服しながら諦めずチャンピオンへ再チャレンジを続けた。

笹谷淳は最終試合の翌興行で引退式。更にレフェリーになるのも早かった(2022.2.19)

笹谷淳と同時期デビューした竹村哲(現・マッチメイカー)は、1971年8月18日生まれで2002年に31歳でデビュー、2014年10月11日、NKBウェルター級王座獲得したが翌年12月に引退。44歳まで戦った。

竹村哲は遅咲きの43歳で王座獲得。引退は44歳。当時はもう少し頑張れたかも(2015.12.12)

目黒系藤本ジム所属だった勝次(=高橋勝治)は1987年3月1日生まれで、2006年5月21日デビュー。2015年3月15日に日本ライト級王座獲得し、2019年10月20日にWKBA世界スーパーライト級王座獲得。その後は鳴かず飛ばずの状態が続くも、先月の9月28日にWBCムエタイ日本王座への挑戦が実現。HIRO YAMATO(25歳)に初回早々ノックダウン奪いながら巻き返されての僅差判定負けとなった。もう一度花を咲かせるか、引き際を考えるかの去就が注目される現在だが、まだ40歳手前で、衰えより若い世代の台頭に圧された感じである。

勝次は連敗脱出成るか。更なる王座奪取成るか。現在においてはまだ引退は早い(2025.9.28)

10月18日の日本キックボクシング連盟興行に出場した小磯哲史は、1973年8月8日生まれで1999年にデビュー。元・J-NETWORKライト級チャンピオンで、最近は負けが込む中、元・新日本キックで日本ライト級ランカーだった大月慎也(39歳)に初回早々から攻勢を掛け、主導権支配してレフェリーストップに追い込む圧倒のTKO勝利。スピードは落ちたが52歳の小礒哲史は、この中堅域ならまだまだイケそうな雰囲気である。

52歳で圧倒のTKO勝利を飾った小礒哲史。現役はまだ続けられそうである(2025.10.18)

思い付く代表的選手を抜粋しましたが、他にも息の長い選手は多いところです。

◆ルール的には

プロボクシングならば日本ボクシングコミッションによる厳格な規定があり、ボクサーライセンス取得資格は16歳(試合は17歳から)以上37歳未満まで。37歳以上はチャンピオンであることやランキングに入っていて王座挑戦の見込みがあることなど幾つかの条件が付く。条件に満たなければライセンス失効となる。それは健康で将来を重要視した規定でしょう。

キックボクシングはコミッションといった管轄組織は無く、有っても名前だけで厳格な機能はしていない。年齢制限は団体によっては制定されているだろうが、任意団体の御都合主義で大方が明確ではない。だから50歳過ぎても現役を続けられたり、60歳プロデビューも起こる業界である。

◆50歳が境界線

因みにプロボクシングでは世界第一線級に立つ中で、ジョージ・フォアマンが48歳9ヶ月まで戦い、バーナード・ホプキンスが51歳11ヶ月まで戦ったという驚異的記録があります。

国内のキックボクシングでは、立嶋篤史が「先はそんなに長くない」と言う中、今後の動向が注目されます。

私ども“完全燃焼”という言葉を使うこと増えていますが、その時戦える自分に合った最強の相手と戦って、結果に関係無く全力を尽くして悔いなく引退するのが最近の風潮かもしれません。もし大きな怪我無くとことん戦い続けたら、体力の限界は50歳が一つの境界線でしょうか。何歳まで戦えるかは二十代でも、三十代で引退も選手各々の人生次第でしょう。

大金を稼ぐ夢を持った時代から、逆に赤字でもやる者も多いのが今の時代。長くやるもんじゃなかった時代からずいぶんと様変わりした競技となったものです。

最後にこのテーマから論点ズレしますが、6月に立嶋篤史氏と他数名で会って久々に食事しました。打たれ脆くなった、反射神経が著しく落ちたと言われても、彼の身体そのものはなかなか丈夫である。試合でKO負けしても後楽園から船橋まで走って帰る逞しさ。昔のことはしっかり覚えている。議論すればしっかり自論で言い返して来る。32年前、タイで会っていた頃と同じだった。立嶋篤史氏についてはまだ時期未定ながら、格闘群雄伝に登場予定です。

憧れの後楽園ホールのリング。ここを目指して来た選手は多い(2025.5.11)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」