矢島祥子さんがいた頃の釜ヶ崎と貧困ビジネス

尾﨑美代子

11月16日(日)、大国町ピースクラブで、16年前に殺害された釜ヶ崎の女医・矢島祥子さんを偲ぶ会があった。例年以上に大勢の人が集まった。初めての方も多かった。私が冤罪問題で何かやるとき必ず遠方から来て下さる方が、名古屋と和歌山からきてくださった。広島から駆け付けた方もいたとか。

初めての方が参加されることは事前に知っていたので、ぜひパワポを使って「あの日、矢島祥子さんに何がおこったか」の解説をしたかった。とりあえずやったのだが、考えたら会場を暗くするので、手元が見えない。近くにいた方が携帯で照らしてくれたが、字が小さくて読みにくい。頭に入っている範囲でお話したが言い忘れたこともあった。ぜひレジュメを読みなおしてね。

当日の様子はほかの方の投稿で確認してください。私が一つ気になったこの、こういう会で必ず「犯人はわかってますからね」と発言される方がおられることだ。そのたび私は「知りませんけど」と言いたくなる。遺族だってそう思っていると思う。私たちの活動は犯人逮捕のために捜査機関に動いてもらうこと、そのためメディアを動かすこと、そのため支援の輪を広げることだ。憶測で「あの人が犯人に違いない」と決めつけ、新たな冤罪を作ったら元も子もないではないか。

ただ、私は事件の背景には当時から今まで延々と続く貧困ビジネスの問題があると思う。先日、釜ヶ崎で火災が発生し、共同住宅に住む3人の方が犠牲になった。非常階段のドアが開かずに部屋に閉じ込められた住民もさぞかし恐ろしかったろう。火災の原因は未だに明らかにされてないが、寝煙草の人が多かったともいわれるから、それが原因かもしれない。にしても、車いすや寝たきりの人も多い50人ほどの住宅で、深夜常駐のヘルパーさんが1人だったとか、施設側の問題も大いにあるようだ(しかもそのヘルパーさんも犠牲になった)。

就労支援事業などを手広く展開するこの業社は、近年この界隈で多くのビルを建てている。お洒落な白いビルの壁面には業社の頭文字のCが書かれ、火災が起きたビルはC5、その近くで1階に地ビール工場が入るビルはC6だ。

火災が発生、5階に住む3人が死亡したコレクティブハウス

私は以前このCとちょっとした出会いがあった。「あれは甘く切ない思い出」ではなく、ちょっと恐怖を感じたものだ。客のNさんが腰痛なので週1回ほどヘルパーに入って貰おうとした。三角公園で連れに紹介されたのがCだった。CはNさんに役所が来たら、万年床にして入口に杖を置いてと指示したそうだ。布団も上げれない、杖なしで歩けない大変な身体だから、ヘルパーを毎日付ける必要ありとしたいのだろう。しかし、元ヤクザだが超真面目なNさん「俺はそんな嘘はつけない」ときっぱり断わり、週1回入ってもらうことになった。

私はこのいきさつを当時のTwitterに投稿した。もちろんNさん、C、三角公園などの名称はださずに。ところがだ、数日後Nさんに入った若い女性ヘルパーがNさんに「Nさん、はなままという人を知ってますか?」と聞いてきたそうだ。Nさんは「最後に逮捕されたとき、世話になった」と言ったそうだ。ヘルパーはまた「Nさんは元ヤクザなのですか」と聞いたという。小指欠損状態をみればわかるだろうと言いたいが、私の投稿で知ったのだろう。若いヘルパーが見たのではない。Cがエゴサーチしたのだろう。しかし、前述したが、三角公園もNもCも書いていない。しかもTwitterはたかが400文字だ。凄いエゴサーチ力だ。ていうか、どんなエゴサーチをするのだろう。「杖」「万年床」あたりか? ヘルパーが私のことをしつこく聞くと、後にNさんが私に話してくれて、ちょっと怖くなったものだ。

[左]萩ノ茶屋駅近くの無料炊き出し/[右]そこにできた長い行列(共に11月19日撮影)

話を戻すと、祥子さんがいた2008~2009年当時の貧困ビジネスは今とちょっと違っていた。2008年リーマンショック後、釜ヶ崎に流れてきた困窮者を狙う業者がどっと増えた。が、彼らはまだ雑だった。店の近くの相談所には、開く9時前には長蛇の列ができ、相談後に彼らを狙う連中が、私の店の前で勧誘をはじめ、その光景はまるでミナミのひっかけ橋で黒服が客をキャッチするような状態だった。ヤクザ、反グレが慣れない手つきで炊き出しを行い、集まった困窮者を自社ビルに入れる。生活保護制度自体を理解してないのか「今なら部屋も食事もついてて、おまけにお小遣いまでもらえるよ」などと通帳、カード取り上げ、囲い込む気満々の業者も多かった。

奈良の山本病院事件で院長らが摘発されたのは2009年だ。しかし、山本病院が大阪市内から野宿者や生活保護者を病院に入院させ、不適切、不必要な手術を行い死亡させはじめたのは、10年前からだった。山本病院に患者を送り込んでた福祉病院は釜ヶ崎周辺でも多かったはずだ。祥子医師は自身が診た患者の入院先に見舞いに行きながら、治療方法や処方された薬を確認し、おかしいと思ったら、病院側に忠告していたという。そんな祥子医師が疎んじられたのか、事件の少し前、ある福祉病院の事務局長から名刺を渡され、「もう来ないでくれ」と言われていたらしい。生活保護者を囲い込んで儲けようとする連中にとって、祥子さんはじゃまだったのかもしれない。

『病院ビジネスの闇』(宝島新書)。NHK奈良支局取材班によるこの本は釜ヶ崎周辺で当時展開されていた貧困ビジネスを刑事のように追跡している。「コトリバス」(コジキをとるバス)や、福祉マンションから福祉病院に利用者を送るタクシーを追跡する様子などはまさにヒヤヒヤしながら読んだものだ。

あの当時は、役所の窓口には刺青見せた大男が「はよ、保護出してやらんかい」と怒鳴りこみ、逮捕されるようなことも続出した。本当にやることが雑だった。もちろん今でもそのような業者はいる。しかし、Cのようにメディアで取り上げられるような、ある意味洗練された業者も増えた。噂だが、Cには次々と元役人が天下るという。何かあったら責任をとらされる代表者も次々と変わるという。噂がどこまで事実かわからんが、事実だったのは、あの小綺麗な白いビルの中では、かつてと変わらないエグい貧困ビジネスが続いていたということだ。

ちなみに知り合いがCのホームページを見たら、火災についての「お詫び」あるいは「ご報告」が全くなかったという。

被ばく労働者同様、単身者の釜のおっちゃんが亡くなっても、誰も抗議しないと考えているのだろうか。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

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