西谷文和(紙の爆弾2026年4月号掲載)

2026年1月、私はイスラエルに入国し、まず最大都市テルアビブに向かった。17日(土)の午後7時、下町の中心に「ハビーマ・シアター」という劇場があって毎土曜日の日没後、この劇場前の広場が「反ネタニヤフ大集会」の会場になる。
この国では金曜の日没から土曜の日没まではシャバット(安息日)で街は静まりかえる。そして夕暮れとともに人々が弾ける。街にネオンがともり、どこからともなく通行人が現れ、大通りは路線バスや自家用車で渋滞する。堰を切ったように「休む」が「動く」に変化するのだ。
広場の正面には「WELCOME BACK HOME」(おかえりなさい)の電光掲示板。ハマスに囚われた人質がユダヤ社会に帰還できたことを祝うメッセージである。
集会参加者が続々と広場に集まってくる。湾岸諸国の一つ、カタールの民族衣装を着た女性がドルの札束を持ってハンドマイクで叫んでいる。
「ネタニヤフはこの金でカタールと一緒にハマスを養っていたのよ!」
女性の隣に「ネタニヤフおじさん」がいる。ウソをつきすぎて鼻が伸びたネタニヤフ、右手に破れかけたイスラエル国旗、左手にはガザの虐殺を象徴する血塗られた赤ちゃんの人形、そしてパンツはカタール国旗だ。
日本でも昨年に公開された映画「ネタニヤフ調書」はイスラエルでは上映禁止。しかし人々は密かにSNSのテレグラムでこの映画を見て、さらにネット経由で「カタール疑惑」に気がつき始めている。
ではカタール疑惑とは何か?
結論から言うと「ネタニヤフ政権はカタールを経由してハマスに資金を送り、テロリストを育ててきた」というとんでもない疑惑である。
歴史的な背景を振り返ってみよう。
1993年9月、ノルウェーの仲介で「オスロ合意」が締結される。アメリカのビル・クリントン大統領を中央に、握手するイスラエルのラビン首相とPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長の姿を思い出す人も多いかと思われる。
合意内容は①PLOはイスラエルを国家として承認し、イスラエルはPLOをパレスチナ自治政府の代表と認める②イスラエルは占領地から撤退し、5年の間に和平に関する詳細を決める、というもの。これは世界中の人々を大いに喜ばせ、ラビン首相とアラファト議長は翌年のノーベル平和賞に輝いた。
しかし現実は厳しかった。イスラエルとパレスチナ双方に「和平反対勢力」がいた。その代表格がネタニヤフとハマスだった。
「イスラエル全土はすべてユダヤ人のものだ。アラブ人に領土を渡してはならない」。
エルサレムのシオン広場でネタニヤフがこう演説した直後の1995年11月、ユダヤの過激派青年によってラビン首相が暗殺される。
一方、パレスチナ側も自治が進まず、相変わらずイスラエル占領軍に民間人が殺害されていく中、怒った民衆が石投げ、つまり第一次インティファーダという抵抗運動が始まり、広がっていく。
やがてガザでハマスが台頭。「西岸のファタハ=アラファトは生ぬるい、自爆テロで対抗せよ」。この頃からハマスの自爆テロでユダヤ人が殺されていくようになる。

◆「ハマスと裏取引」その目的
イスラエルでは「左派の労働党(ラビンとその後継者)ではダメ、ここは強硬右派のリクード党に治安を任せよう」という機運が広がって、1996年5月にネタニヤフが首相に就任する。
この時、ネタニヤフは何を考えていたのか?
地図を見てわかるようにパレスチナの土地は分割されている。
ヨルダン川西岸はPLOの主勢力、アラファトのファタハが抑えている。ガザでは台頭するハマスとファタハが主導権を争っている。このままガザもファタハが主導権を握ればパレスチナは団結を維持し、イスラエルにとって手強い相手になる。
ここはハマスに資金を投入し、ハマスを育ててパレスチナを分断すればイスラエルにとって好都合だ……。極右リクード党は典型的な分断統治を行なっていたのだ。
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