1988年7月、芸能事務所インターフェイス・プロジェクトの社長、竹内健晋は世田谷区駒沢にある喜多呂という焼き鳥屋に入った。すると、アルバイトをしていた抜群にハンサムな少年に目が止まった。

竹内はその少年と目が合うなり、上半身がガタガタと震えだした。芸能界生活25年の間に70人ものタレントを育てた経験から竹内に、「これはモノになる」という直感が降りてきたのだった。

少年は都立多摩川高校の3年生で、教材会社に就職が決まっていたが、翌月から竹内の事務所に所属し、目指すことになった。コンタクトレンズ会社の営業部長をしているという父親は、「仕事がら新製品を売り出すことのむずかしさはわかっています。社長さんのご恩は一生忘れません」と言った。

少年は名前を川本伸博といったが、竹内は芸名として「加勢大周」と名付けた。

◆デビュー当初の月給は9万円──工事現場で働き、身体を鍛える

加勢大周写真集『ライバル』 (1990年ワニブックス)

最初の1年間に入ってきた仕事はCMモデルの仕事がたったの2件しかなく、加勢の稼ぎはたったの6万円だった。身体を鍛えることも兼ねてよるの工事現場でアルバイトをした。その間、竹内は毎月9万円の給料を払ったが、事務所の経営は苦しく、加勢が「給料のうちから5万円を使ってください」と申し出たこともあった。

ところが、90年に入ると、桑田佳祐監督の映画『稲村ジェーン』で主役として抜擢され、コカコーラのCMが決まり、次々とドラマから出演オファーが舞い込んできた。たちまち人気に火が付いた加勢は、吉田栄作、織田裕二とともに「トレンディ御三家」と呼ばれ、売れっ子俳優になった。

◆母親が立ち上げた事務所に移籍したとたん始まった竹内社長との法廷闘争

だが、ほどなくして、加勢は事務所から独立し、竹内と対立した。

まず、加勢は4月4日付でインターフェイスに対し、契約解除の通告書を送付した。そして、6月1日、母親を社長とする新事務所、フラッププロモーションを設立し、数人のスタッフとともに移籍した。

これに対し、インターフェイス側は、「契約上、契約解除の意思表示は契約が満了する5月末の3ヶ月前までにしなければならないのに、加勢はそれを怠った。従って契約は自動延長されるので、契約解除は無効」と反発し、91年8月1日、加勢と新事務所との契約は無効だとして、加勢にテレビなどへの出演禁止、芸名の使用禁止、5億円の損害賠償などを求める訴訟を東京地裁に提起した。

竹内は、提訴した翌日、記者会見を開いた。記者からギャラについての質問が出ると、竹内は加勢への支払明細書を見せた。それによれば、90年6~12月の給与は税込で17万5000円、91年1~6月は25万円で、1年間の合計は247万5000円。ただし、歩合給与として、年間2107万6576円を支払っていた。トータルで2355万1576円だった。そして、次のように言った。

「(給料は)新人時代の小泉今日子、工藤静香は、3年間は11万円以下ですよ。まわりの業界人からは、そんなに払うとナメられるからといわれたぐらいです。加勢本人は、仕事や金のことをとやかくいわない好青年でしたよ」

「(芸名は)姓名判断、血液型、人相から調べて、勝海舟が好きだった私が、力、勇気、アイディアをもってもらいたくてつけた名前です。当初、本人は外国人みたいな名前でイヤだといってましたが……。もし、話し合いがつかない場合、彼には使わせたくない。第2の加勢大周を探したい。彼には、本名でステップしてくれといいたい」

「(5億円の損害賠償については)取ろうとは思いませんが、もしほかでやっていくというなら、それ以上も……」

「おまえも早く……男らしく、一発ひっぱたかれてもという気持ちをもって会いにきてほしい……。裸になってサウナで語りあいたいですね」

一方、加勢サイドは、訴訟代理人を務める弘中惇一郎弁護士が記者会見を開き、「相手の主張は80%がウソです。いい加減で、違法性の高い契約書を根拠に、加勢クンを拘束しようとしているだけ。こちらが提出した異議文書も無視されています。それに加えて、加勢クンの妹役募集と称して応募者4000人から総額240万円を集めたり、21歳の女性をムリヤリにアダルト・ビデオに出演させたり……」などと反論した。

加勢側の主張によれば、2000万円とされた歩合給にしても、加勢の取り分は10%に過ぎず、また、実際に支払われたのは、竹内が公表した金額より1000万円低い、という。

加勢の独立は、まさに骨肉の紛争へと発展していった。(つづく)

▼星野陽平(ほしの ようへい)

フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

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