「カウンター大学院生リンチ事件」被害者支援と真相究明の闘い、この3年間に思ってきたこと[1](全3回) 鹿砦社代表 松岡利康

 俗に「しばき隊リンチ事件」とか「十三ベース事件」などともいわれてきた「カウンター大学院生リンチ事件」に私たちが関わるようになって3年が経った──私なりに思うところもあり、時あたかも対李信恵第1訴訟が一審判決で鹿砦社勝訴‐李信恵敗訴となり、双方控訴し、また第2訴訟の審理が進捗しつつある中で、“準備書面の準備”も兼ねて、この3年の経過や想いなどを整理してみた。

 なお、対李信恵訴訟は2件あり、便宜上、鹿砦社が原告となり李信恵を被告として訴えたものを「第1訴訟」、これに李信恵が反訴し、反訴とならず別個の訴訟となったものを「第2訴訟」(原告李信恵、被告鹿砦社)とする。

 また、俗に「しばき隊リンチ事件」「十三ベース事件」の呼称は、おそらく東京の反しばき隊の人たちが作り広まった言葉で、関西にいて見ていると、「カウンター」と「しばき隊」も実態的に同じであろうが、当地では「しばき隊」よりも「カウンター」という表現が一般的のようで、「カウンター大学院生リンチ事件」と表現するほうが、より的確だと思われるので、本稿ではこう表現する。

 以下、本稿では全て敬称は省かせていただいた。

《1》私が「カウンター大学院生リンチ事件」に関わる契機

 
リンチ直後の被害者大学院生M君

 対李信恵第1訴訟は、李信恵による鹿砦社、あるいは同社代表の私への誹謗中傷、悪口雑言に対するものであり、一方第2訴訟は、李信恵が現場に同座し加担したとされる「カウンター大学院生リンチ事件」について記述した書籍に対するもので第1訴訟から枝分かれしたものである。

 もう3年にもなるのか──2016年2月28日、リンチ事件の被害者でK大学大学院博士課程に在学するMの知人Yが鹿砦社本社を訪問し、Mが李信恵ら5人による集団リンチに遭い重傷を負った事実の説明を受け、資料を受け取り、リンチ直後の顔写真に衝撃を受けた。また、リンチの際の)、マスメディアの報道の印象から、むしろ私は李信恵を“ネトウヨ・極右勢力と戦う勇気ある女性”と尊敬さえしていた。おそらく一般の人たちも、詳しく事情を知らない限りそうだろう。

 しかし、その本人が裏で(私たちが知らないところで)、このような集団リンチに同座し関与したことにも大きなショックを受け、さらに被害者Mが、一部の者らによって支えられていたこと以外に、集団リンチ被害者として正当な償いを受けず、いわば村八分状態にされていること、李信恵に連なる、著名人含め多くの者らによる隠蔽活動により、それも事件後1年以上も放置されていることにもショックを受けた。

 私のショックは、そうしたリンチ事件の実相をなぜかマスメディアが報じないこと、さらにその隠蔽活動に、私が経営する会社・鹿砦社に勤務していた藤井正美が、李信恵らの仲間として関わっていたことも判明するに至りショックは強まるばかりだった(藤井については、第2弾本『反差別と暴力の正体』、第4弾本『カウンターと暴力の病理』にて記載し、あまりの悪質さに給与返還、損害賠償を求め大阪地裁第16民事部に提訴している)。

 日頃、「反差別」や「人権」を声高に叫ぶ者が、リンチ被害者を村八分にし、被害者の人権を蔑ろにしている……私たちは、一致してリンチ被害者Mを支援し、事件の真相究明を行うことにした。これは、僭越ながら、私の長い出版人としての矜持による営為である。私も長い出版人生の中で、散々いろいろな方たちに迷惑をかけたり顰蹙を買ったりしたが、まだ人間としての良心の一片は残っている。

 私は、李信恵に対して一切の付き合いもなく直接顔を見たこともなかった(初めて顔を見たのは2017年12月11日、Mが李信恵らリンチの場に同座した5人を訴えた訴訟の本人尋問の法廷であり、それ以前も以後も会ったことはない)ので何らの私怨・私恨は一切なかったし今もない。このリンチ事件が、社会運動、とりわけ、いわゆる「反差別」運動の内部で、その運動の過程で起きたこと、また、李信恵がその運動の旗手のように頻繁にマスメディアに採り上げられることなどを鑑みると、李信恵は公人に近い存在、準公人であり、社会運動、とりわけ「反差別」運動の内部で起きたことで公共性、そしてこれを追及することに公益目的があることは論を俟たない。

《2》創業50年を迎えた鹿砦社は、その過程で独自の取材のノウ・ハウを身に付けた

 鹿砦社は1969年(昭和44年)に創業、本年で創業50周年を迎える。また、同社現代表の松岡も途中から加わり、代表に就いて30年余りになる。

 50年に至る過程で、当初は人文・社会科学関係を中心に出版し、ノーベル賞受賞作家、ボリース・パステルナークの『わが妹人生 1917年夏』(1972年)など、いわば硬派の出版社として名を成した。また、松岡が代表に就くや、出版の巾を芸能関係にまで拡げ、小さいながらも左右硬軟広範に渡り出版する、いわば総合出版社として現在に至り、今では年間100点前後の新刊書籍・雑誌を発行し、コンスタントに年間売上3~4億円を挙げ、ピーク時にはヒット作が続き売上10億円を超えたこともある。

 李信恵はじめ一部には、鹿砦社が、きのうきょう出てきた、“ぽっと出”のいかがわしい新参出版社の如く誤解する向きもあるようだが、半世紀も続く歴史と伝統のある出版社であり、手前味噌ながら、本社のある兵庫県では、信用情報機関の調査でも1位とされるし、関西でもおそらく10位前後にランキングされると思われる。

 鹿砦社は、創業50年の間に、独自の取材のノウ・ハウを身に付け、出版業界内外に一定の評価を受けている。

 今般、このリンチ事件についても、会社の規模からして、たびたびはないが、私たちは、これまでの出版人生で培った取材のノウ・ハウをかけて真相究明にあたることにしたのである。これには、リンチ被害者の人権を尊重し、これを支援するという、人間として当たり前の行為であると共に、被害者の人権が蔑ろにされたり村八分にされたりしたことに対する同情と義憤があった。

 想起すれば、人生の中で、このような場面に遭遇したことはたびたびあった。例えば、50年近く前の学生時代の学費値上げ問題、母子家庭に育った私にとっては他人事ではなかった。このことが李信恵代理人・神原元弁護士が「極左」呼ばわりするファクターになっているようだが、私にとっては、後先顧みず闘うしかなかった。ことは単純だ。50年近く前の学費値上げ問題にしろ最近のリンチ事件にしろ、実態を前にして放っておけるわけがない。どこかの誰かとは言わないけれど、殊更「正義」を振りかざすわけではないが、許せないことは許せないとハッキリ言うしかないという単純なことだ。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

《3》私たちがリンチ事件に対して調査・取材に着手した経緯

 私たちは、社内外の有志と東京編集室に出入りする者らによって取材班を結成し、次のように取材の手順を考え、早速着手した。この際、李信恵ら加害者側、Mら被害者側問わず、できるだけ広く多数の者に取材し、情報の真偽を見極めることに最大限努力した。

①M関係者からもたらされた資料の読解と解析。

②リンチ被害者M本人への面談と聴取。

③Mをサポートしてきた者らへの取材。多くの人物が応じてくれた。

④原告と同じ在日の人たちへの取材。在日同士で李信恵支持者が多いと思ったが、意外にも、多くの人たちが、このリンチ事件を知っていて、李信恵に批判的で被害者に同情的だった。また、情報提供などにも協力的だった。

⑤李信恵本人への取材。李信恵拒。逆に、このことにより、リンチ事件の存在と李信恵の関与の情報の信憑性が強まった。

⑥日本人、在日問わず李信恵周囲、李信恵に連繋する者らへの取材。これは、直接面談、電話取材など多岐に渡り、かなりの時間と労力と費用が掛かった。少なからず心ある人物が、身分が判らないようにすることを条件に応じてくれた。それは、李信恵の仲間らからの報復を怖れてのことであるが、Mの支援者らに対するバッシングはじめ他のケースでも、筆舌に尽くし難く酷いものだったからである。

 このようにかなりの時間と労力と費用をかけたことにより、私たちは事件の実態に迫ることができた。リンチ事件が実際に起き、李信恵はリンチの現場に同座し、これに関わっていることに私たちは確信を持ったのである。なお、取材の際には、必ず録音を録るように努め、これは膨大な量になるが保存し、一部は下記書籍に掲載している。

 そうしたことを現在まで行い、鹿砦社は次の5冊の出版物にまとめ発行、世に送り出し一般書店での販売を行っている。

(1)『ヘイトと暴力の連鎖──反原連・SEALDs・しばき隊・カウンター』(2016年7月14日発行。本文104ページ)。以下「第1弾本」とする

(2)『反差別と暴力の正体──暴力カルト化したカウンター‐しばき隊の実態』(2016年11月17日発行。本文187ページ、カラーグラビア4ページ)。以下「第2弾本」とする。

(3)『人権と暴力の深層──カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(2017年5月26日発行。本文132ページ、カラーグラビア4ページ)。以下「第3弾本」とする。

(4)『カウンターと暴力の病理──反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』(2017年12月11日発行。本文195ページ、カラーグラビア4ページ。音声データCD付き)。以下「第4弾本」とする。

(5)『真実と暴力の隠蔽──カウンター大学院生リンチ事件の闇を解明する!』(2018年5月28日発行。本文179ページ、カラーグラビア4ページ)。以下「第5弾本」とする。

 この間に鹿砦社は「デマ本」「クソ鹿砦社」「鹿砦社潰れろ」「ネトウヨ御用出版社」とか李信恵、及び彼女の周囲の者らから散々罵詈雑言、誹謗中傷を浴びてきたが、鹿砦社はこれまで、1つの案件や事件で、このように5冊もの本にして出版したことはない。李信恵がリンチの現場に同座して関わったとされる「カウンター大学院生リンチ事件」に対する綿密な取材や調査を、時間と人と金を費やして行った証左である。5冊の本で、実に本文合計797ページ、カラーグラビア16ページ、総計813ページにもなる。さらにリンチの際に被害者Mが必死に録音した音声データのCDまで付けている。鹿砦社50年の歴史の中でもなかったことである。


◎[参考音声]M君リンチ事件の音声記録(『カウンターと暴力の病理』特別付録CDより)

 総計813ページにも及ぶ取材・調査の堂々たる内容は、じかに現物を紐解いてもらえれば歴然だが、遺憾ながら、李信恵が対在特会らを訴えた訴訟で李信恵勝訴の判決を出し“李信恵リンパ”と言っても過言ではない当初の増森珠美前裁判長は、対李信恵第2訴訟において原本提出を拒絶している。繰り返すが、李信恵が「不法行為」とか「名誉毀損」とする一部箇所のみならず、これに至る前後の文脈から読解すべきと思慮するので、裁判所は上記5冊の本の現本を受理すべきだし、判断の材料とすべきである。そうでなければ、公平・公正な判断もできないだろうし、「木を見て森を見ない」偏頗な判断しかできないと懸念する。その後、増森裁判長は突如異動になり新たな裁判長により原本提出は認められた。当然だ。[つづく]

◎「カウンター大学院生リンチ事件」被害者支援と真相究明の闘い、この3年間に思ってきたこと(全3回) 鹿砦社代表 松岡利康
[1]2019年3月4日公開
[2]2019年3月5日公開
[3]2019年3月6日公開

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

金子文子と加納穂子 ── 先駆的な「生きざま」でわたしを魅了する2人の女性

魅力的な女性、といえば、どのような人物を思い浮かべるだろうか。個人的には、自らの価値観にしたがい、誰より自由で、大事なことを見失わない、そんな女性に惹かれる。

最近、試写で観た2人の女性に魅了されたので、今回はあわせて紹介したい。そして、2人をとおし、社会変革を導く人物像について考えることとする。

◆『金子文子と朴烈』──人間は恋と革命のために生れて来た

 
『金子文子と朴烈』(C)2017, CINEWORLD & MEGABOX JOONGANG PLUS M , ALL RIGHTS RESERVED

わたしは月刊誌『紙の爆弾』 2017年11月号の特集「小池百合子で本当にいいのか」で、関東大震災の朝鮮人虐殺について寄稿。その際、10冊弱ではあるが文献をあたり、真実に近いと思われることについてまとめた。そこに、「三・一運動後の朝鮮総督府では、水野錬太郎が行政・立法・司法の実務を統括する政務総監を務め、赤池濃が内務局長や警察局長を務め、独立運動を弾圧していた。そして八月二十六日に加藤友三郎首相が死去した直後に震災が起こったため、水野は内閣に引き続き内務大臣として陣頭指揮をとり、赤池も当時は警視総監として対応」などと書いた。この水野らが近代史を超越して暗躍するのが、劇映画『金子文子と朴烈』だ。

そして今回、魅力的な女性として1人目に挙げたいのは、大正時代のアナキスト・金子文子。複雑な生い立ちを経て朝鮮へ渡る。彼女も、のちの連れ合いである朴烈(パクヨル)も、1919年の三・一朝鮮独立運動後、日本に渡り、社会主義の運動にかかわるようになった。2人はアナキストの同志として出会い、恋仲となってともに暮らし、「不逞社(「不逞鮮人」を逆手に取ったグループ名)」を設立。だが、1923年の関東大震災後、2人は皇室の人間の殺害を計画した、これは大逆罪にあたる、と起訴される。26年に死刑判決、その後、無期懲役に減刑されるが、金子文子は獄死。経緯はいまだ不明のままだ。

このような史実をもとにした『金子文子と朴烈』では、金子文子が朴烈や仲間とともに生き、獄中でも闘いを貫くさまが描かれる。作品は、戒厳令下の朝鮮人大虐殺を隠蔽すべく、2人は標的とされたというストーリーになっている。金子文子が魅惑的で、日本人ながら帝国主義・植民地主義に抗し、朴烈との間に結ぶ約束も心地いい。「一、同志として同棲すること。 一、わたしが女性であるという観念を取り除くこと。 一、いっぽうが思想的に堕落して権力と手を結んだ場合、直ちに共同生活を解消すること。」。チェ・ヒソの演技がまた、表情、言葉の発し方、仕草など気っ風がよく、チャーミングだ。

革命を志す仲間たちが「インターナショナル」を高らかに歌うシーンも印象的。だが実は、生き延びた朴烈のその後の人生は複雑なものだった。それは本作には描かれない。だからこそ余計に、金子文子の魅力が強く印象づけられ、2人が心を1つにした時間が尊く思われるのだろう。

自らの命やちっぽけなプライドよりも、信念を貫く。太宰治の「人間は恋と革命のために生れて来たのだ」をまさに体現した、その姿がまぶしい。2人の「あの」写真に関する象徴的なエピソードも登場するので、楽しみに作品をご覧いただきたい。
ちなみに、配給・宣伝の太秦の社長は、ネトウヨさんたちによってインターネット上に名前や顔写真をさらされているのだとか。わたしは「おめでとうございます」とお伝えしておいた。これはヒットの予感、前触れ!? と考えていたら、実際にヒットしているらしい。


◎[参考動画]映画『金子文子と朴烈』本予告編(太秦宣伝部 2018/12/25公開)

◆『沈没家族 劇場版』──穂子ちゃんに教えられること多すぎ

 
『沈没家族 劇場版』(C) 2019 おじゃりやれフィルム

もう1人の魅力的な女性は、「沈没家族」の加納穂子さんだ。「沈没家族」とは、1995年、シングルマザーの穂子さんがビラ配りから始めた共同保育。ドキュメンタリー映画『沈没家族 劇場版』は、ここで育てられた穂子さんの息子である土くんが監督・撮影・編集を手がけた作品だ。

「沈没家族」にかかわった知人が多くいるわたしも、その先駆性に惹かれていた。「男女共同参画が進むと日本が沈没する」という政治家の言葉を逆手にとった命名からも、朴烈と金子文子たちの「不逞社」同様のレジスタンスの精神とセンスを感じる。また、移転先のアパートも「沈没ハウス」と名づけられ、複数のシングルマザーと子ども、そして子どもたちを共同保育するメンバーによって成り立つ。

作品中、「変なオトナとばっかり絡めて申し訳ないなってのは思わなかったの?」という土くんの問いに、穂子さんは「それはまったくないね。だって変なオトナって……わたしはそれぞれの人に魅力を感じてたし、そういう関係じゃなかったからね」と応える。また、「手放すことで出てくるものがあるんじゃないかな」と語る。さらに、当時の穂子さんへのインタビューで、彼女は「土も、割と自分なりに保育者との関係を作ってるじゃない。あとは土とその人に任せるっていうか」と話していた。言葉を抜き取るだけで穂子さんの魅力を伝えるのは難しいが、金子文子同様、信念があり、達観している部分もあって、言葉が一般論や揶揄にゆるがないようなところがある。

プレスシートに目を通せば、加納土監督の言葉も魅力を発する。「沈没家族」はシングルマザーの母子と若者とがサバイブするためのものであり、「母が沈没家族を始めたのは、大人一人子一人という状況で閉ざされた環境になったら自分が楽しくないし、自分が楽しくない状況で子どもと過ごしていたら、それは子どもにとってもよくないからという思いが強いと思います」「彼女の場合、懐の深さというのはすべてを受け入れるってことではなく、いやなことに対して、はっきりいやだと言える強さがあるところなんですけど。だから、ずっとカメラを向けていて僕がおぼえた感情というのは劣等感でしたね。僕はここまでできねえな……という悔しさ」「誰にも強制していないというか、ただそこに在るっていうことで全然いいんだっていう。『一致団結』してないんです」「沈没家族は『排除しようとする社会』からのシェルター」と語っていた。ちなみに、「沈没家族」に参加していた高橋ライチ(しのぶ)さんは、「支援・被支援の関係でなくもっと相互的に、ただともに生きる、ということは可能なのだ」と記している。

ちなみに試写当日のメモにわたしは、「旧来の共同幻想は共有される範囲にしか通用しないからこそ、常にマイノリティはちからをもたぬまま模索する。そのいっぽうで、従来の家族についても考えさせられ、そのうえで人間についても考えさせられる展開であり、想定以上に深い作品だった。あと現代において、『悪くない』というのは最上級の肯定ではないか、などとも。そしてもちろん、穂子ちゃんに教えられること多すぎ。同世代。MONO NO AWAREとそのメンバー玉置くんの音楽もよかった。そうか、八丈出身なんか」と書いていた。


◎[参考動画]映画『沈没家族 劇場版』本予告編(ノンデライコ製作・配給 2019/02/14公開)

自らの価値観にしたがい、誰より自由で、大事なことを見失わない、そんな女性を描く映画2作品。ぜひ、ご覧ください。

※『金子文子と朴烈』は東京シアター・イメージフォーラム、大阪シネマート心斎橋、京都シネマにて上映中。ほか全国順次公開予定。詳細は下記公式サイトでご確認ください。
公式サイト:http://www.fumiko-yeol.com/

※『沈没家族 劇場版』は2019年4月より東京ポレポレ東中野にて公開、ほか全国順次公開予定。ほか全国順次公開予定。詳細は下記公式サイトでご確認ください。
公式サイト:http://chinbotsu.com/

▼小林 蓮実(こばやし はすみ)
1972年生まれ。労働運動等アクティビスト兼フリーライター。映画評、監督インタビュー、イベント司会なども手がける。韓流ドラマ&K-POPファンでもあり、ソウルを1回、平壌を3回訪れたことがある。『紙の爆弾』『NO NUKES voice』『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『情況』『救援』『週刊読書人ウェブ』『現代の理論』『教育と文化』『neoneo』ほかに寄稿・執筆。
●『紙の爆弾』4月号「薔薇マークキャンペーン 新自由主義に対抗する『反緊縮』という世界の潮流」
●『NO NUKES voice』Vol. 19「インタビュー:淵上太郎さん(「経産省前テントひろば」共同代表)民主主義的観念を現実のものにする」
●『流砂』16号「憲法が奏でる『甘いコンチェルト』──『ソロもあるのが協奏曲』または『同意』」(入手のご希望あれば、Facebookのメッセンジャーなどで、小林蓮実に連絡ください)

衝撃満載『紙の爆弾』3月号絶賛発売中!

新体制のNJKFで二つの王座交代劇!

ニュージャパンキックボクシング連盟(NJKF)は、本年より連盟役員が新体制となり、リング上で斉藤京二前理事長と坂上顕二新理事長の交代の御挨拶がありました。

1996年8月のNJKF設立時から10年務められた藤田真理事長の後を継ぎ、2007年から斉藤京二氏が12年間務められました。ここで斉藤氏は「若い力のある会長達に後を託し、更なるキック界の発展に力を注いで頂きたい」と、坂上顕二氏に第3代理事長として受け継がれています。

坂上顕二新理事長の御挨拶、左後方は斉藤京二前理事長

「NJKFの伝統を汚さぬ様、頑張って参ります」と応えられた坂上顕二理事長は、当初の就任発表でも「新しい時代の流れに取り残されないよう私を筆頭に、新執行部において頑張っていく所存です。新執行部においては、他団体のトーナメントをはじめ、タイトルマッチ等、連盟にプラスになる事はどんどん取り入れて、選手達の選択肢を連盟の規定に照らし合わせながら増やしていきたいと思っています。

また、藤田真理事長勇退以来実現していない連盟興行での賞金マッチなどの趣向を、新体制の執行部で考え、選手や連盟の試合を楽しみにして下さっているキックファンの皆様の為に実現していきたいと思っています。」と述べられています。

NJKFは他団体興行出場に寛大な団体で、選手にとって多様なイベント出場の機会が増えていました。今後も団体枠を越えた好カードが実現していくことでしょう。

プレゼンターとして葵拳士郎選手に勝利者トロフィーを授与したのはケニー・ベイレス(米国)さん。この日の立会人ではなく、26日に後楽園ホールで開催されるWBO世界ミニマム級タイトルマッチのレフェリーとして来日されていました。ラスベガスでのビッグマッチを裁く名レフェリーの一人です。

◎NJKF 2019. 1st / 2月24日(日)後楽園ホール 17:00~21:25
主催:NJKF / 認定:WBCムエタイ日本実行委員会、NJKF

◆第12試合 WBCムエタイ日本スーパーウェルター級タイトルマッチ 5回戦

ローキックの後、右ストレートをヒットさせたT-98
前へ出る圧力が凄かったT-98のローキック

チャンピオン.YETI達朗(キング/69.7kg)
   VS
挑戦者.T-98(=今村卓也/元・ラジャダムナン系同級C/クロスポイント吉祥寺/69.75kg)
勝者:T-98が第5代チャンピオン / 判定0-3 / 主審:多賀谷敏朗
副審:神谷48-50. 中山47-50. 和田47-50

YETI達朗は2018年2月25日、白神武央から判定2-0で王座奪取、同年12月2日、匡志YAMATOを1ラウンドTKOで下し初防衛。

2度目の防衛は成らずも、3ヶ月足らずでのT-98との防衛戦を迎えたと今回は興味深い戦いとなりました。

T-98が攻勢を続けた中の右ハイキック
WBCムエタイ実行委員の山根千抄氏と斉藤京二氏から認定されたT-98

YETI達朗の右ストレートやT-98のローキックが勝負の決め手となりそうな主導権争いの打ち合いは見られるも、KOに結びつく強烈なヒットは無く試合が進む。T-98は相手の持ち味を殺してしまう距離を詰めて出る圧力があり、徐々に勢い付いたT-98が第4ラウンドにはローキックから右ストレートをヒット、連打続けて攻勢を維持する。

終盤に首相撲になるとより苦しい表情を見せるYETI達朗。時折の右ストレートやヒジ打ちのヒットを見せるが、T-98は怯まず、リズムを崩さない安定した展開を見せた。

日本のトップクラスとの戦いが多く、ラジャダムナン王座にも就いた経験を持つT-98との経験値の差を見せ付けられたYETI達朗は「完敗です」と漏らした。T-98はWBCムエタイ日本タイトルに於いて2階級制覇。更なる上位、世界王座と二大殿堂制覇へ、ルンピニースタジアム王座も目指す。

「下がれ」と言っても圧力あるT-98を押さえるのは大変だった多賀谷レフェリー

◆第11試合 WBCムエタイ日本スーパーフェザー級タイトルマッチ 5回戦

ケニー・ベイレス氏、と宮川拳吾会長に囲まれて

チャンピオン.琢磨(東京町田金子/58.65kg)
   VS
挑戦者JKI同級C.葵拳士郎(マイウェイ/58.55kg)
勝者:葵拳士郎が第7代チャンピオン / 判定0-3 / 主審:中山宏美
副審:神谷47-49. 多賀谷48-50. 和田48-50

琢磨は2017年11月26日、王座決定戦で浅川大立(東京町田金子)と対戦し獲得。
パンチとローキック主体のテンポの速い攻防が続く。中盤からやや前進気味の葵がヒットを増やしていく印象。大技となったバックハンドブローや飛び後ろ蹴りはブロックされるも、勢いある葵が判定勝利。

昨年、膝の靭帯と半月板を負傷した琢磨はその影響があるのか、攻め続ける圧力が足りなかった。

後ろ蹴りを見せた葵拳士郎、ブロックする琢磨
最終ラウンド終了間際に見せた葵拳士郎の飛び技
高橋亮もローキックを強く返す

◆第10試合 57.0㎏契約3回戦

NKBバンタム級チャンピオン.高橋亮(真門/56.95kg)
   VS
NJKFバンタム1位.大田拓真(新興ムエタイ/56.8kg)
勝者:大田拓真 / 判定0-3 / 主審:竹村光一
副審:中山28-30. 多賀谷29-30. 和田29-30

パンチ主体に出て行く高橋亮。大田はミドルキックで返し、ハイキックでもブロックする亮の腕を殺していく。

高橋の蹴り返し、ボディーブローも効果的ながら、大田は首相撲からヒザ蹴りでも連打で調子を上げ、技の柔軟さで多彩に攻め主導権を握った大田が判定勝利。

速い展開の中、大田拓真のローキックがヒット
戦い終えた直後、勝った確信でホッとした表情を見せる大田拓真

◆第9試合 56.0kg契約3回戦

WBCムエタイ日本スーパーバンタム級チャンピオン.波賀宙也(立川KBA/56.0kg)
     VS
ラット・ウォー・ウィッシェン(元・ラジャダムナン系バンタム級3位/タイ/57.4→57.2kg) 
勝者:波賀宙也 / KO 2R 1:06 / カウント中のタオル投入 / 主審:神谷友和
ラットが1.2kg超過により減点1

第1ラウンドの蹴り中心の攻防は互角ながら、落ち着いた表情で応戦した波賀宙也。第2ラウンドには早々に勝負に出てパンチで追い詰めラットからダウンを奪い、再開後もすぐ攻めに出て、ヒジ打ちをアゴにヒットさせて倒すと、ラットは足下をふらつかせながら立つも、カウント中にタオルが投げられセコンドが介入し、波賀のKO勝利となった。

◆第8試合 56.0kg契約3回戦

大田原友亮(B-FAMILY NEO/56.0kg)
   VS
ペットワット・ヤバチョウベース(タイ/55.95kg)
引分け1-0 / 主審:和田良覚 / 副審:中山30-29. 神谷29-29. 竹村29-29

◆第7試合 バンタム級3回戦

NJKFフライ級2位.一航(新興ムエタイ/53.1kg)VS 松岡宏宜(闘神塾/53.35kg)
勝者:一航 / 判定3-0 / 主審:多賀谷敏朗
副審:和田30-28. 神谷30-28. 竹村30-28

◆第6試合 63.5kg契約3回戦

NJKFスーパーライト級2位.真吾YAMATO(大和/63.35kg)
   VS
NJKFライト級6位.野津良太(E.S.G/63.7→62.7kg)
勝者:真吾YAMATO / 判定3-0 / 主審:中山宏美
副審:和田30-27. 神谷30-28. 多賀谷30-27

◆第5試合 バンタム級3回戦

NJKFバンタム級3位.日下滉大(OGUNI/53.5kg)
   VS
同級4位.清志(新興ムエタイ/53.45kg)
勝者:日下滉大 / 判定3-0 / 主審:竹村光一
副審:和田30-28. 中山30-29. 多賀谷30-29

◆第4試合 58.5kg契約3回戦

NJKFスーパーフェザー級9位.吉田凛汰朗(VERTEX/58.33kg)VS 獠太朗(DTS/58.35kg) 
勝者:獠太朗 / 判定0-2 / 主審:神谷友和
副審:竹村29-29. 中山29-30. 多賀谷29-30

◆第3試合 フライ級3回戦

NJKFフライ級10位.誓(ZERO/50.6kg)VS EIJI (E.S.G/50.5kg) 
勝者:誓 / KO 1R 2:56 / 3ノックダウン / 主審:和田良覚

◆第2試合 60.0kg契約3回戦

優希YAMATO(大和/59.97kg)VS 羅向(ZERO)/59.85kg)
勝者:羅向 / 判定0-3 (28-29. 28-30. 28-30)

第1試合 女子アトム級3回戦(2分制

祥子(JSK/45.6kg)VS 須藤可純(笹羅/45.3kg)
勝者:祥子 / 判定3-0 (30-28. 29-28. 30-28)

ケニー・ベイレス氏に振り返って貰って頂いた一枚

《取材戦記》

坂上顕二氏は1968年生まれで、今年51歳。若いと言っても、これまでのNJKF若武者会は40歳代の会長が中心。昭和のキックボクシングで最初の分裂騒動が起きた1981年頃は現役引退した30歳代の会長達が多く、当時の私からみれば皆、偉大さとかなりの年輩者に見え、ジムを興したその中には、渡辺ジム・渡辺信久会長、西川ジム・西川純会長、市原ジム・玉村哲勇会長、習志野ジム・樫村謙次会長、当時目黒ジムトレーナーの藤本勲(現会長)氏も含まれ、あの頃はまだキックの歴史が20年足らずだったことが思い起こされます。

そして現在40歳代の会長達が若く見えても、その昭和時代の会長達より歳を超えていることに、時代の流れを錯覚してしまいます。

坂上顕二新体制のNJKFは、就任発表で延べられているとおり、あらゆる企画に挑戦されることでしょう。順風満帆とはいかないのがキックボクシング界。何が起こるか、どう乗り越えるか、応援していきたいものです。

NJKF次回興行は4月21日(日)に若武者会のVERTEXジム、ZEROジムによる「DUEL.17」をニューサンピア栃木にて開催。5月19日(日)は坂上氏の新興ムエタイジム主催の「DUEL.18」が神奈川県レンブラントホテル厚木にて開催。
連盟本興行「NJKF 2019.2nd」は6月2日(日)後楽園ホール開催となります。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

安倍政権が瓦解しないのは、この国の間接民主主義が瓦解しているからである

◆琉球の民意が幾度も示されている事実こそが凝視されるべきだ

2月24日に行われた沖縄県名護市辺野古における米軍の基地建設に対する沖縄県による「住民投票」では、「建設反対」が40万票(得票率70%)以上を得て圧勝した。この県民投票を待つまでもなく、任期途中で逝去されてた翁長知事の後任である玉城知事も、選挙戦以前から「辺野古基地建設反対」と旗幟を鮮明にし、知事選では圧勝した。


◎[参考動画]【報ステ】沖縄県民投票 賛成・反対の若者は……(ANNnewsCH 2019/02/25)

琉球(沖縄県)での「米軍基地問題」への世論は、すでに何度も何度も、確認されている。「米軍基地不要論」は結果、県民を騙した仲井真元知事だって選挙戦では訴えていたのだから。これほど明らかに、民意は幾度も示されている。くだらない解説は要らないから、まずはこの事実こそが冷厳に凝視されるべきだ。

そうであっても(県民投票の結果が圧倒的に「辺野古基地建設反対」との結果が出ても)、安倍や菅はその結果に、一瞥も触れず、建設工事を強行するであろうことも多くの人は予想していただろう。「嫌だ! やめてくれ! もうこりごりだ!」との民意をどのような方法で、何度示めそうが日本政府は、琉球(沖縄県民)に思いをいたすことはない。絶対といってよいほどないことは返還以降の歴史が証明している。

◆トランプは確かに「ノーベル平和賞」に相応しい

佐藤栄作のノーベル平和賞を受賞は、画期的だった。「核抜き本土並みの返還」との「真っ赤な嘘」を外務省の秘密文章で暴露された佐藤。沖縄返還の政治的欺瞞と、佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞したことによって、聡明な方々は「ノーベル賞」の持つ政治性、恣意性に気が付かれたことであろう。そして、安倍はノーベル平和賞にトランプを推薦しているという。ご同慶の至りである。わたしはトランプが「ノーベル平和賞」を受賞することを、冗談ではなく本心から希望する。そうすればバラク・オバマが何の実績もなく「ノーベル平和賞」を受賞したのと同様に、「ノーベル平和賞」の欺瞞がより多くの人々に明らかになるであろうからだ。


◎[参考動画]トランプをノーベル平和賞推薦の件について(2019年2月18日衆院・予算委)

自己の総括を告白すれば、わたしも否定的な部分はあるものの、東ティモール独立や、ビルマ軍政打倒のために、あるいは中華帝国の少数民族問題への、関心を喚起するために「ノーベル平和賞」を「利用」したことがある。わたしのような市井の人間にとって、なにか事を起こすには、それなりの力や団体、あるいは権威が必要だと感じていた。

だから敢えて負の側面を知りながらも「ノーベル平和賞」受賞者を称揚し、(もっと直接的表現を用いれば「利用」となろう)国際問題を訴えかけた。その行為の一部は現在わたし自身に「どう責任を取るのか」と、極めて厳しい問いかけとなり返答から逃げられなくなっている。

最大の問題はビルマでアウンサンスーチー氏が、実質最高権力者に就任して以来の、少数民族問題への彼女の対応である。一言でいえば「酷い」。わたしはアウンサンスーチー氏が、自宅軟禁されていた1988年、元の職場の業務として、先輩職員とビルマでお会いした(あの年外国人で彼女に接触できた初対面の人間はわれわれだけだっただろう)。その時彼女が冒してくれた危険性、及びわれわれに語ってくれたメッセージと現在の彼女の執権による「横暴」に、わたしはどう考えても整合性や、つながりを見つけることはできない。

ビルマでは依然として憲法により、軍人が国会の一定議席を占め、アウンサンスーチー氏のように外国人の伴侶がいる(いた)人物は最高権力者にはなれない、との取り決めがある。しかしそんなものは実質「瓦解」しているじゃないか。アウンサンスーチー氏が軍政との和解後、初めて来日したのは「日本財団」の招きによってであった。わたしはその時点で「もうこの人と私には接点はない」と痛感した。もっと乱暴に言えば「あなたはその程度の人だったんですか?」と詰め寄りたい気分もなかったわけではない。

◆この国の間接民主主義は、すでに機能不全に陥り破綻した

冒頭の話題から大幅にそれてしまった。

間接民主主義は機能しうるのか? 小選挙区制という、ペテン装置によって民意は反映し得るのか? 立憲民主党や国民何とか党、かれらはどのように極右自民・維新との違いを持っているのだ? 枝野は正月早々伊勢神宮に参拝したという。弁護士資格を持っていても、神話の世界でフラフラしている枝野に、「反自公」の庶民は期待が持てるか? しかもわたしから見れば「考えられない」ような御仁を公認するという。

琉球の基地問題も、数えきれないほどの安倍のスキャンダル(森友学園・加計学園・厚労省調査偽造)は、まともな野党とマスコミがあれば、「何度でも政権が吹き飛んでいるはずの大事件」(わたし個人の感想ではない。全国紙記者や政治学者の見解だ)だ。それでも安倍は平然としている。

「この国の間接民主主義は、すでに機能不全に陥り破綻した。そして国民はそのことに対して深刻な問題意識を持たない」(持つ感覚を失わされている)。残念ながらこれが今日の惨状を直視した人の感想である。間接民主府議が機能しないのであれば、直接民主主義という代案がある。問題は、それを担える人物がいるかどうかだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

衝撃満載『紙の爆弾』3月号絶賛発売中!
田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

日本とイスラームの同盟 文明間の国際秩序再編の中で 〈全3話-3〉

◆前回のあらすじ

日本はそれ一国で「日本文明」という、中華文明や西欧文明など大きな文明に匹敵する文明を形成している。しかし、今の日本はアメリカの「下僕」であり、「思いやり予算」、東京上空規制、辺野古移設など全く主体性は見られない。また、イスラームに友好的だった戦前とは異なり日本当局はアメリカの意向に従い日本国内のムスリムを敵視している。イスラームの祝祭会場への私服警官の派遣や在日ムスリムの尾行、モスクの監視、ムスリム家庭の調査、イスラーム学者のハサン・中田考氏の監視などを続けている。そんな中、トルコやインドネシア、インドではイスラームの復興が顕著であり、エルドアンへの支持が高まっている。エルドアンを支持するfacebookグループがあり、また過去にはジャカルタで大きなスタジアムで国際カリフ会議が開催されたこともあった。

◆日本の真の独立のために

このようなイスラーム諸国の動向を注意深く読み解く必要がある。決して軽視すべきではない。ムスリム圏の行動原理はイスラームという宗教であり、それは国家の枠組みに縛られることがない。イスラームの原理はイスラーム教徒である限り、ニューヨーク(アメリカ)にいようがチェチェン(ロシア)にいようがウルムチ(中国)にいようが適用されるのである。その効力は、影響が一国あるいは一民族に限定される西欧的なナショナリズムよりもはるかに強力である。

さて最近は、中国の超大国化が著しくまたいわゆる「北方領土」問題で日本と対立するロシアがこれに続こうとしている。しかし、中国はウイグル人との問題で、またロシアはチェチェン独立勢力との問題でムスリムと対立している。インターネットの発達で、これらの情報は瞬時にムスリム世界にも伝わり、一つの地域や一つの民族の問題ではなく、イスラーム世界全体の問題として認識されている。日本はイスラーム諸国とのつながりを強化し、相互扶助すべきである。

日本は戦前では、イスラームに対して国を挙げて支援していた。イスラームとの連携によって、超大化を目指す中国とロシアという二大ファシズム国家を、その背後からあるいはその足元から牽制することも可能になってくる。

アメリカに関しても、ムスリムの存在は大きい。アメリカでのムスリム人口は2000年時点で2.6%に過ぎない。しかし、その40%以上はアフリカ系アメリカ人の改宗者だという。プロボクサーだったモハメド・アリやマルコムXなどアメリカ社会に不満を持つアフリカ系アメリカ人の改宗者が多く、そのアメリカ社会への影響力は決して小さくない。ムスリムとの関係強化は、日本が対米従属状態にあるアメリカの内部にも影響を及ぼすことを視野に入れることができるのである。

また日本はイスラームに対して歴史的なしがらみがほとんどないため、スンニ派とシーア派の対話の場を提供することも可能である。さらに日本は仏教国でもあるので、ミャンマーやタイなどでの仏教徒とイスラーム教徒間の問題で、対話を取り持つことも可能になる。

西欧文明の衰退に伴う中で、中国やイスラーム諸国をはじめとする非西欧諸国が次々とその文明の独自性を主張している。既存の主権国家体制は崩れ始め、第二次大戦の戦勝国による「傀儡」組織だった国連も有効な手を打てずにいる。

人間の移動はICT技術や交通手段の発達でこれまで以上に流動的になり、それを防ごうとする領域国民国家との間で小競合いが頻発している。日本でも同様に排外主義的な運動が起こっている。日本も4月から入国管理法が改正される。それによって労働者や難民として今まで以上に外国人が入国すると予想されるが、それよって発生するトラブルや事件に対して心構えが必要であろう。

日本もこれまで通り何も変えずに、馬鹿の一つ覚えのように「日米同盟はゆるぎない」と繰り返しているようでは「時代の敗者」になってもしかたがない。日本は経済産業面で「デファクトスタンダード(国際標準化)が苦手」と言われるが、それは今の対米従属姿勢に見られるような、「長い物には巻かれろ」的志向が強くからとも言える。既存のスタンダード(アメリカ・西欧の覇権)に乗っかることは得意なのかもしれないが、ただそれに追従するのみでそこから自発的に「降りる」ということができない。今後はイスラーム諸国との関係強化、さらには「周辺的存在」であるラテンアメリカやサハラ以南のアフリカ諸国、南太平洋をも「重要なプレーヤー」として視野に入れる必要が出てこよう。

たとえ、国のトップが安倍という救いようがない馬鹿であっても、一般市民による「市民外交」は可能である。今や政治のプレーヤーは国家や政治家だけではなく、企業やNGO、個人も含まれる。市民の力で日本全体の外交関係を変えることは可能である。現代は本当に変化が早い。明日になって突然全てがひっくり返る、と言ったようなことがあっても不思議ではないのだ。(完)

◎日本とイスラームの同盟 文明間の国際秩序再編の中で〈1〉
◎日本とイスラームの同盟 文明間の国際秩序再編の中で〈2〉
◎日本とイスラームの同盟 文明間の国際秩序再編の中で〈3〉

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

衝撃満載『紙の爆弾』3月号絶賛発売中!

《殺人現場探訪19》宮崎家族3人殺害事件 幸せのために借りた一軒家は今は無く

福岡拘置所に収容されている奥本章寛死刑囚(30)は、22歳だった2010年の3月1日の明け方、宮崎市の自宅で寝ていた妻(当時24)と長男(同生後5カ月)、同居していた義母(同50)を相次いで殺害した。

その殺害方法は、妻と義母はハンマーで撲殺、長男は水を張った浴槽に入れ、溺死させるという惨たらしいものだった。さらに奥本死刑囚は犯行後、当時勤務していた土木関係の会社の資材置き場まで長男の遺体を運び、土中に埋めていた。

と、このように犯行の概略だけを書くと、冷酷きわまりない殺人犯だったようだが、奥本死刑囚の裁判の過程では、多数の支援者が「死刑の回避」を求め、助命活動を繰り広げる異例の展開になっていた。私の知る限り、冤罪のケースを除けば、今も奥本死刑囚は最も支援者が多い死刑囚である。

というのも、被害者のネガティブな情報を書くのは気が引けるが、奥本死刑囚の義母は厳しい性格の人で、普段から奥本死刑囚に対し、何かときつい言動をとっていたという。奥本死刑囚はそのために精神的に疲弊し、視野狭窄、意識狭窄の状態に陥った。ひいては、冷静な思考ができなくなり、今の生活を逃れるため、妻や長男と共に義母を殺害するという、とんでもない行動に出てしまったのである。

奥本死刑囚の家があった場所。事件後、取り壊され、更地に。

◆長男を土中に埋めた資材置き場は自宅のすぐ近くに・・・

私がこの奥本死刑囚の家を訪ねたのは、2014年の秋のこと。宮崎市郊外の花ケ島という町の閑静な一角に、その平屋建ての一軒家はあったはずなのだが・・・。

奥本死刑囚たちが長男の誕生を機に移り住んだというその家は、建物が無くなっており、跡地は更地になっていた。3人の生命が奪われる事件現場になったため、大家が取り壊してしまったのだろう。

殺人事件の現場は、アパートやマンションなら「事故物件」として残り、格安で借りられるようになるが、借家の一軒家の場合、取り壊されることが少なくない。とはいえ、家族で幸せになるために借りた家が、このような結末をたどるとはあまりにも悲劇的である。

一方、奥本死刑囚が長男の遺体を土中に埋めた会社の資材置き場は、家があった場所から、歩いてものの数分だった。冷静に考えれば、こんな近場に長男の遺体を埋め、証拠隠滅に成功するはずはない。それは裏返せば、犯行時の奥本死刑囚は正常な思考ができない状態だったということだろう。

私は現場を訪ね歩き、切ない思いにとらわれて宮崎をあとにした。

奥本死刑囚が長男の遺体を埋めた資材置き場

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。新刊『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)が発売中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
衝撃満載『紙の爆弾』3月号絶賛発売中!

沖縄県民は辺野古移設反対多数 これでも政府はまだ移設を進めるつもりなのか? 次の県民投票は〈沖縄独立〉を掲げるべきだ

沖縄の辺野古基地建設(普天間基地移設)の賛否を問う県民投票は、移設反対が圧倒的多数を占める結果となった。有権者の4分の1を超える3割越えの得票数であることから、日米両政府へ公式に通知されることとなる。この結果はしかし、あまりにも当然と言うべきであろう。

幾多の国政選挙、賛否を問う首長選挙で沖縄県民は、これまでにも米軍基地に「NO!」を突き付けてきたにもかかわらず、辺野古埋め立ては「粛々と」(菅官房長官)進められてきたのである。だが、赤土の流入や海底の軟弱基盤により、計画の変更も沖縄県から拒否されているのが現状だ。県民の怒りの投票を、政府は正面から受け止めて、ただちに埋め立て工事を中止するべきだ。

 
ローラさんのインスタグラムより

◆安倍総理の姑息な妨害

ある意味で当然の結果が出たわけだが、おそらくそれを想定していた安倍政権の姑息な妨害活動を明らかにしておく必要があるだろう。沖縄の米軍基地問題は、本土の日本国民の無関心にもかかわらず、国際的には大きな関心を持たれている。

これは翁長前県知事いらいの国際ロビー活動とともに、心あるジャーナリストやミュージシャンの力に負うところが大きい。たとえばローラりゅうちぇるらの米軍基地移転反対の署名への呼びかけ、ブライアン・メイらの情報拡散によって、基地移設反対は国際的な声となっているのだ。

そのような動きの中で、ホワイトハウスに対する基地建設一時停止の署名の呼びかけ人が関西国際空港で拘束されるという事態が起きていたのだ。その呼びかけ人は映像作家のロバート・カジワラ(母方が沖縄出身の日系4世)である。

今回、カジワラ氏は辺野古移設反対のイベントに出席するために来日したわけだが、すでに21万筆という米政府あての署名を集めた運動の中心人物を、安倍政権を忖度する入管当局は1時間以上にわたって足止めし、「辺野古へ行くのか」「デモをするのか」などと、恫喝的な取り調べに近い対応をしたのだ。カジワラさんは知人に連絡をし、そこから社民党の照屋寛徳代議士に連絡が行き、照屋代議士がカジワラ氏の身元を保証することで、入国が許可されたのである。

いつから日本は、政治的な意見によって入国審査を行なうほどの独裁国家になっていたのか。いまや朝鮮民主主義人民共和国や中華人民共和国の人権問題を云々する前に、日本も同様の独裁国家になっていることに、批判の矛先を向けなければならなくなっているのだ。


◎[参考動画]RBC「ロバートカジワラさん 日本入国で足止め」(【琉球放送】2019/02/20)

 
琉球新報【電子号外】2019年2月24日 20:25

◆今度は「琉球独立」の住民投票をやるべきだ

沖縄の米軍基地問題および地位協定見直し、北方領土問題、拉致被害者問題など、日本にとって政治的に困難な課題はいくつかあるが、沖縄の米軍基地問題以外は、そもそも相手が「困難」なものだ。沖縄の米軍基地問題は、相手が「唯一の同盟国」「最も大切な友邦」にもかかわらず、困難をきわめているのだ。武器を大量に買い取り、思いやり予算などという支援を行ない、その果てに世界で最も危険な基地を押し付けられているのだ。それも、日本のわずか0.6%にすぎない沖縄に、70%以上の米軍基地を押し付けるという犠牲を強いているのである。もはや沖縄は日本政府とケンカをしてでも、基地撤去の実質をとるべきであろう。

その方法について、ある人物が「沖縄独立」を突き付けて、日本政府とケンカすべきだと主張している。その人物とは、独断専行的な政治手法を「ハシズム」などと呼ばれたこともある、橋下徹その人だ。橋下氏は近著『沖縄問題、解決策はこれだ!』のなかで、本来の政治手法である人脈を駆使した政治ができないなら、ケンカをすることで譲歩を引き出すべきだと、みずからの大阪市長・知事時代の経験を語っている。

橋下氏といえば、オスプレイの訓練地を当時赤字だった関西国際空港に引き受けてもいいと、当時の鳩山総理にメッセージを発したこともある。あるいは、松井府知事とともに八尾空港にオスプレイを誘致することを、官邸に申し出てもいる(八尾市長の反対で凍結)。同書では「米軍基地の設置手続法」を施行することで、沖縄と本土の自治体が平等に「米軍基地」の設置地になりうること。したがって、すべての自治体が拒否すれば、米軍基地は「違法」となる。そこで、本当の政治が動き始めるというものだ。詳細については、タケナカシゲル氏が『紙の爆弾』4月号(3月7日発売)で紹介するという。橋下氏の政界復帰、暴露本出版停止の裏舞台など、注目に値する。

それにしても、沖縄の究極の選択は一国二制度の自治州化、あるいは独立国家として日本、台湾、あるいは中国と緊密な関係を保った「平和緩衝地帯」になることではないだろうか。今回、1996年の県民投票(地位協定の見直し)につづいて、5割以上の投票率での圧倒的多数の県民が米軍基地移設に「NO!」を突き付けた。三回目の県民投票は上記の目的のための、独立の可否をめぐるものとなるべきであろう。ただちに法的な強制力がなくても、日本政府および本土の日本人にたいする、強烈なメッセージになるのは間違いない。


◎[参考動画]ANN世論調査 6割強が「県民投票結果を尊重すべき」(ANN 19/02/25)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

衝撃満載『紙の爆弾』3月号絶賛発売中!

【裁判報告】〈蟻の一穴〉がダムを崩壊させる! 勝って兜の緒を締めて、〈蟻の一穴〉で〈一点突破・全面展開〉し、対カウンター/しばき隊訴訟を勝ち取ろう! 鹿砦社代表・松岡利康

いわゆる「反差別」運動の中心メンバー・李信恵氏、藤井正美氏に対する民事訴訟に新たな展開がありましたので、以下ご報告いたします。あらためて皆様方のご注目とご支援をお願い申し上げます。

◆鹿砦社勝訴の対李信恵氏第1訴訟(大阪地裁第13民事部)、李信恵氏控訴! 鹿砦社も控訴し迎撃! 控訴審(大阪高裁)は双方控訴で第二幕!

先に鹿砦社特別取材班が報告したように、対李信恵氏第1訴訟は原告鹿砦社の勝訴でした。金額は小さくとも、被告李信恵氏、代理人の神原元・上瀧浩子両弁護士、そして彼らに連繋する者らにとってはショックだったようで、いつもはツイッターなどで「正義は勝つ!」だのキャンキャン騒いでいるのに、この間はダンマリを決め込んでいます。

被告李信恵氏は、1度も法廷に顔を出さず、証人尋問も(いったんは出廷するかのような素振りを見せながらも)拒否、陳述書も提出せず、裁判(所)をナメてかかっていたように感じられます。

さすがに「クソ鹿砦社」に敗訴したことが、よほど悔しかったとみえて控訴してきました。大騒ぎして控訴した対在特会らとの訴訟と違いコッソリと控訴しました。李信恵氏らも、またマスコミも報じないので、本当に控訴したのか、この「通信」で知る前に知っていた人はほとんどいないでしょう。正直なところ鹿砦社は、李信恵氏が控訴せず自戒と反省の意を表明し終結するのであれば、潔く矛を収めてもよいと思っていました。

ところが李信恵氏が控訴するというニュースを耳にし、「上等! 迎撃し完膚なきまでに粉砕する!」との決意を固め、鹿砦社も控訴の手続きを執りました。

本件訴訟は、鹿砦社に対して李信恵氏による誹謗中傷に火が点き始めたところで、“会社を守る”という経営者としての当然の判断に基づき提訴しました。李信恵氏や、彼女に付和雷同する者らによる誹謗中傷も出て来ていました。呉光現なる、あるキリスト教関係団体の「聖職者」からは「鹿砦社、潰れたらええな」「文句あったら言って来いやあ」と発信されるなど日に日に過熱化していました。最近では「聖職者」でも、こんな暴言を吐くようになったようです。世も末です。

個人だったら、自分が我慢すればいいのでしょうが、小さくとも従業員とその家族らの生活を保障すべき会社では、放置しておくわけにはいきません。あなたが経営者だったら、どうしますか?

判決の詳細についての分析は、リンチ被害者M君が李信恵氏らリンチ(この判決では「リンチ」という言葉が所与のものとして用いられています。裁判官もリンチ関連書籍に目を通し、これはまさにリンチだと感じたのだと察します)の現場に同座した加害者側5人を訴えた訴訟の最高裁判決が出たら早急に出版に取り掛かる書籍にて発表する予定です。ここでは、概要だけを申し述べます。

私たちが裁判所へ具体的に提訴したのは、李信恵氏が行った鹿砦社に対する名誉毀損、誹謗中傷のツイート8本です(この8本は紙幅の都合もあり本稿では省きますが、第4弾本『カウンターと暴力の病理』P111~113に記載していますのでご覧ください)。このうち5本(tw投稿3,4,6,7,8)は不法行為と認定されました。これについては文句はありません。あと3本(tw投稿1,2,5)についても、「原告(鹿砦社)の社会的評価を低下させるものというべきである」(判決文)とし、同様の文言を繰り返しています。普通なら、これで不法行為を認定するものと考えるところ、裁判所(官)のものの見方はちょっと(いや、ずいぶんと)違うということでしょうか、判決文では随所に、「一般の閲読者の普通の注意と読み方を基準としてみれば…」という趣旨の文言を記載していますが、裁判官の「注意と読み方」は「一般」人や私のような中小企業経営者の感覚や「注意と読み方」とは乖離しています。みなさん、そう思いませんか?

いわく、「いずれも『クソ』という品性を欠く不穏当な表現を用いて原告(鹿砦社)を非難しているものの」「不穏当で過激な表現がしばしば見られるインターネット上のツイートであることを考慮すれば、人身攻撃に匹敵するものではなく」「違法性を欠き、不法行為は成立しないというべきである」との判示です。

いくら「インターネット上のツイート」が、「不穏当で過激な表現がしばしば見られる」からといって、被告李信恵氏の「『クソ』という品性を欠く不穏当な表現を用いて原告(鹿砦社)を非難している」ことが許されるはずはなく、これを叱責するのが裁判所の仕事ではないでしょうか!? それに、その「品性を欠く不穏当な表現」に、名誉毀損の免責条件である、公共性、公益目的、真実(相当)性があるのでしょうか!? 控訴審での反論事項です。

突っ込み所はいくつもありますが、それにしても、5本のツイートの名誉毀損が認定されて10万円、つまり1本2万円の賠償金とは異常に少ないという意見も多数寄せられています。ご指摘の通りでしょう。

李信恵氏の暴言の数々

もう一言だけ言わせてください。私たちは、M君リンチ事件について被害者救済と真相究明を求め、「反差別」「人権」を声高に叫ぶ李信恵氏らと闘っているわけですが、だからといって私たちが差別問題や人権問題を蔑ろにしているわけではありません。真に差別と闘い人権を守るということは、崇高な営為です。李信恵氏らがこれまでやってきたことは、差別に反対し人権を守るということからかけ離れていると思います。いや、李信恵氏らの、時に蛮行とさえ言ってもいいような言動を、私たちはこの3年間つぶさに見てきましたが、差別に反対し人権を大事にするという、多くの人たち(「一般人」!)の気持ちを逆行させるものだと言えないでしょうか? 彼らの言動を見ていると、崇高さなど見られませんし、このかんカウンター/しばき隊のバッシングを一身に受けている作家・森奈津子さんの言葉を借りれば「反差別チンピラ」と思えるケースにたびたび遭遇します。果たしてこれでいいのでしょうか? 大いに疑問です。

かつての部落解放同盟の行き過ぎた糾弾闘争で「同和は怖い」という意識を一般の人たちに植え付けたという負の面を残しましたが、李信恵氏らの言動、とりわけリンチ事件を反省せず、このままきちん解決しないのならば、「同和は怖い」ならぬ「在日は怖い」という残念かつ遺憾な感情を人々に植え付け反差別運動の負の遺産となるように懸念します。私の言っていることは間違っているでしょうか?

付和雷同した暴言の数々

◆対李信恵氏第2訴訟(大阪地裁第24民事部)、裁判所がリンチ関連本5冊の原本を証拠として正式に受理! 裁判所は果たして、5冊=総ページ800余ページに結実した鹿砦社の綿密な取材・調査をどう判断するのか

第1訴訟から分離した第2訴訟は、第1訴訟の勝訴判決の熱気が残る、去る2月21日午後1時30分から開かれました。今回も書記官室での準備手続きの予定でしたが、急遽小さな法廷で開かれることになりました。一応公開ですが、いつも傍聴される方々には非公開の準備手続きと知らせていましたので、傍聴は少人数でした。

 
増森珠美前裁判長

今回の最大の成果は、当初の増森珠美前裁判長による頑ななまでの原本受理拒否に遭っていましたが、私たちの正当かつ強い要請により原本5冊が証拠として受理されたことでしょうか。原本受理を頑なに拒絶した増森珠美前裁判長は、李信恵氏が在特会らを訴えた裁判で李信恵氏勝訴の判決を下した裁判官で、“李信恵氏シンパ”といっても過言ではありません。私たちがそれを知ったのは、増森裁判長の「忌避」申立ての直前でした(私たちはそこまで危機感を募らせていたのです)が、原本拒否もむべなるかなと思いました。公平・公正であるべき裁判所も、こんな人事配置をしてはいけません。本件訴訟で李信恵氏は、550万円という高額賠償金と4冊(5冊目は提訴後の出版なので訴外)の販売差し止め等を求めてきていますが、出版社にとっては大問題です。考えてもみてください。みずからの都合のいい箇所だけを切り取りコピーして摘示、それで書籍全体、つまり私たちの取材や調査全体の公正な判断ができるでしょうか!? 「木を見て森を見ない」判断になる懸念はないのでしょうか!? この点では、今回の原本受理は正しい判断だと思います。

加えて、公共性、公益目的、真実(相当)性について、今回期日を目指し代理人の大川伸郎弁護士と共に苦労してまとめた第5,6準備書面を提出しましたが、鹿砦社がリンチ事件に関わる契機、取材の手順などから展開しました。いわば「反差別」の旗手としてマスコミから持て囃される李信恵氏がリンチの場に同座し、リンチを止めもせず、悠然とワインをたしなめ(それまでに李信恵氏本人の言では「日本酒に換算して1升」を飲み泥酔し)、救急車も呼ばす、挙句師走の寒空の下に被害者M君を放置して立ち去り、後に「謝罪文」を出したり覆したり開き直っている様に強いショックを受けた経緯などを申し述べ、これまでになく力の入った準備書面になりました。これに対して、李信恵氏や自称「正義」の弁護士・神原弁護士らがどう三百代言を駆使し反論してくるのか楽しみではあります。次回はGW明けの5月9日午後1時30分から。

◆カウンター/しばき隊の中心メンバー・藤井正美氏(鹿砦社元社員)に対する総額3千万円の給与返還・損害賠償請求訴訟も2月21日に弁論が始まりました!

藤井氏は3年間、鹿砦社に勤務しましたが、この間、会社のパソコンを使い、就業規則に違反し勤務時間の大半を本来の業務とは無関係のカウンター活動関係のツイッターに勤しみ雇用主の私や会社を再三侮辱していたことが判明し、2015年12月3日に弁護士ら立会いで藤井氏のツイッターの一部を元に問い質し、それを認め自己都合での退職を納得しましたが、雇用保険の関係で本人の希望を汲み温情で一般解雇処分としました(ご存知かと思いますが、自己都合退職であれば、雇用保険の適用が半年先になり、一般解雇であれば翌月から適用されます)。藤井氏のツイッター書き込みだけでも膨大な量になることは第4弾書籍『カウンターと暴力の病理』にてかなりのページを割いて記載されていることからも明らかです。1日に30も40もツイートしていました。この時点で判明したのはツイッターだけでしたので、物入りの師走でもありましたし、月の途中でしたが給料もまるまる1カ月分を支払い、支給期日(12月10日)前の賞与も退職金も、いわば“手切れ金”としてそのまま支払いました。せいせいした気分で正月を迎えたいという気持ちもありました。しかし、のちに出てくるメールを見て仰天し、認識が甘かったことを思い知りました。私は人を見る目がないとよく言われますが、まったくのお人好しだということを改めて痛感しました。

藤井氏は、荷物をまとめて退室する際に会社が藤井氏に貸与していたパソコンのデータの削除を行いましたが、その後、パソコンを整備していく中で、ツイッター以上に悪質な、業務と無関係の私的メールが膨大に残っていました。これが退職前に判明していたら、間違いなく懲戒解雇にしていたでしょう。第2弾本『反差別と暴力の正体』に掲載されて衝撃を与えた「説明テンプレ」「ITOKENリスト」も彼女が発信源でした。

これらを集めCDに収め裁判所に提出しましたが、同時に提出する予定だったプリントアウトを開始したところ、あまりに膨大に渡り先日の弁論期日には間に合いませんでした。予想以上に時間が掛かり、次回に提出することになりました。

21日には鹿砦社社員の1人が陳述書を書き、在職中の藤井氏の勤務態度や行状などを申し述べてくれました。

藤井正美氏のツイートの一部

人がどのような思想・信条を持とうが自由ですし、よほどの違法行為でない限りオフタイムや休日に社会活動や市民運動に関わるのも自由です。しかし、会社は就業規則を定め、これに従って勤務時間(拘束時間)に会社の業務に勤しみ、この労働の対価として雇用主は給料を支払うというのが社会の決まりであり常識です。これを大胆に破っているわけですから、それ相当の償いはしてもらわなければなりません。他の社員は一所懸命に働いてくれているのに、藤井氏だけは“わが道を行く”で、私たちに気づかれないようにカウンター/しばき隊の活動に勤しんでいました。社会的に到底許されないことです。特に、企業恐喝を鹿砦社の名を騙り行ってもいました。

それでも真摯に反省の姿勢を示せば、私も血の通った人間、それなりの配慮も考えていないわけでもありませんでしたが、藤井氏代理人・神原弁護士の言動を見る限り、そうではないようです。私はこれまで、問題を起こして解雇せざるをえない人間でも、真摯に詫び、それ相当の弁償をしたら“事件”にもせずに赦してきましたが、今回はどうでしょうか。わざわざ遠隔地に事務所を構える、好戦的な神原弁護士を選任することで、争いが過熱化することは免れず、藤井氏の判断が正しかったのでしょうか。本件訴訟では、大川弁護士が対李信恵氏訴訟などでタイトのため、元大阪高裁裁判官の森野俊彦弁護士を選任しました。次回期日は5月9日午後2時からです。私たちも神原弁護士も“ダブルヘッダー”です。

べつに自慢するわけではありませんが、かつて鹿砦社は、マスコミ・タブーとなり芸能界を支配していたジャニーズ事務所との仁義なき3件の出版差し止め訴訟を徹底的に闘うことで内外に名を知らしめて来ました。今、久しぶりに気合が入り、「棺桶に片足突っ込んだ爺さん」(藤井氏のツイッター)にとってM君訴訟と併せこれら一連の対カウンター/しばき隊訴訟が、いろいろあった出版人生で“最後の闘い”になるでしょうが、「棺桶に片足突っ込んだ爺さん」にも意地があります。気持ちとしては「血の一滴、涙の一滴が涸れ果てるまで闘う」しかありません。

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

老いの風景〈13〉グループホーム探し

平均寿命が延び、高齢の親御さんやご親戚家族の健康について、悩みを抱える方が多いのではないでしょうか。私自身、予期もせず元気で健康、快活だった母の言動に異変を感じたのは数年前のことでした。そして以降だんだんと認知症の症状が見受けられるようになりました。今も独り暮らしを続ける89歳の母、民江さん。母にまつわる様々な出来事と娘の思いを一人語りでお伝えしてゆきます。同じような困難を抱えている方々に伝わりますように。

母は週に5日デイサービスに通い、デイサービスに行かない日には私が身の回りの手助けをするために通っていますが、衛生面や安全面において危険を感じることがあります。先々のことを考えなくてはならない時期がきたようです。

私はケアマネージャーYさんへ相談に行きました。小さな調剤薬局の薬剤師さんで、民江さんとのお付き合いは20年以上、性格から日々の習慣、現在の状態までよく把握してくださっている方です。まず私が、一緒に住むことは難しいと打ち明けると、「夏さんのご自宅に引き取るよりも、お世話は専門の方々にお任せして、ご家族はいつも笑顔で接してあげる方がいいんじゃないでしょうか」と。気持ちが軽くなったというか、安心したというか、罪悪感が減ったというか、そんな感じでした。

そして、グループホームというものを勧められました。「この近くにいくつかありますから、見学に行ってみるといいですよ」と。グループホーム? 確かに最近住宅街で見かけるようになったけれど、どんなもの? 自分で探して問い合わせるの? 私はインターネットで介護サービスについて調べました。

いろいろな種類のサービスや施設がある中、グループホームとは、重い病気のない認知症の人に特化した施設であることがわかりました。スタッフの介助を受けながら、9人が1ユニットで、各々ができる範囲で役割を持ち、共同生活をするようです。費用は介護度が高くなるほど上がりますが、入れないほど高額ではなさそうです。民江さんは内科的疾患はありませんので、これはなかなかよさそうです。

役所の福祉窓口へも相談に行ってみました。そこではいくつか提案をされましたが、私が興味を持ったのは「小規模多機能型居宅介護」というものでした。それは、通いのデイサービスと、宿泊するショートステイと、自宅へ来てもらう訪問サービスを一カ所が請け負っているために、組み合わせて利用することが容易で、しかもグループホームを併設している所もあります。『通い』『泊まり』『訪問』のスタッフが同じというのが魅力的です。『通い』で慣れてきたら『訪問』や『宿泊』を挟み込み、『宿泊』の延長で『グループホーム』へ移行できれば、精神的な負担が少ないかもしれません。

場所を、民江さんの家のなるべく近くで私の家の方向に絞り、グループホームとグループホームを併設している小規模多機能へ下見に行くことにしました。もちろん姉妹も誘って。

全部で7カ所、共通していたのは、グループホームは「お風呂は毎日入らない」ということでした。デイサービスは入浴がメインと言っていいかもしれません。毎回介助していただいて安全に入浴し、昼食を頂き、全員で日替わりのリクリエーションゲームをし、ぬり絵や漢字ドリルをして、おやつを食べて帰ってきます。

一方、どこのグループホームも、お風呂は週に2回か3回だそうです。洗濯物を干したりたたんだり、ごはんの準備を一緒にすることもあれば、お散歩でお買い物に行くこともあり、そういう日常生活の場がグループホームのようです。と言っても、実際に洗濯物をたたんだり、掃除をしている姿などを見たわけではないので、実態はわかりません。

何より、施設によって随分と特徴がありましたので、実際に見に行ってよかったと思っています。しんと静まり返ったきれいな施設もあれば、地域密着型でカフェ(認知症カフェと言い、食堂のような所にご近所さんがお茶を飲みに来る)を併設し、人の出入りが多い賑やかな施設もありました。物が多くて雑然としている施設、重度な方が多く目につく施設、介護度によって居住階を区別している施設もありました。看取りまでを謳う施設と、自立歩行ができなくなったら退所しなければいけないというルールを設けている施設もありました。

さあ、民江さんにとって、何処が一番いいでしょう。重度な方に囲まれるのは辛いかも。室内犬は嫌いかも。静かすぎるのは寂しいかも。スタッフさんとボランティアさんと遊びに来るご近所さんと、大勢いたら混乱してしまうかも。

現在どこも満員で、複数の施設に申し込む方が多いと聞きましたが、幸い民江さんは急いでいません。一番きれいで、ゆったりしていて、自立歩行ができなくなったら隣接の特別養護老人ホームに移動ができて、費用も中程度、介護福祉事業で30年以上実績のあるTグループホームだけに入所申し込みをしました。待機の方が数名いらっしゃるそうなので、順番が回ってくるのは1年後か、2年後か。それまでにタイミングを見計らって民江さんに話をすればいいわけです。キープをしつつ難しいことは先送りし、私にとっては都合のいい形で、とりあえず一段落しました。ケアマネージャーYさんに相談してから8カ月が過ぎた夏のことでした。

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)[文とイラスト]
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

衝撃の『紙の爆弾』3月号絶賛発売中!
大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

私の内なるタイとムエタイ〈55〉タイで三日坊主! Part.47 優しい仲間!

◆持って帰って来た黄衣

汗染みで臭くなってはいけないから洗っておきたい。しかし、アナンさん宅でこの黄衣をドーンと干していいものか。そんなの一般家庭で見たこと無い。黄衣は広げれば横幅250センチ、縦170センチある大風呂敷のようなもの。シャツやパンツを干すのとは違い毛布を干すほどの場所を奪う。上衣、下衣でかなりの場所を使ったが、かなり目立つ。

「まあ仕方無い、今日だけだ」と思うが、こんな黄衣をアナンさんが見つけると「何だ、持って帰って来てたのか?」と語気強く言われた。

私は「自分が使ったものは欲しかったから、また出家する人が居たら纏い方を教えてやろうと思ったんだ!」と素直に応えたが、何とも不可解な表情を浮かべたアナンさんだった。実はこれが後々の大問題だった。

疎い私は、なかなか気付かなかったことだが、その後もアナンさん宅に居て、どうも奥さんの様子がおかしいことに薄々気付いていく。

御飯時に声掛けられない、笑顔が無い、これは常ではなく冗談も言ってくれるから深刻には受け止めなかった。

敬虔な仏教徒のアナンさん。寺との繋がりは長い。1995年1月撮影

◆アナンさんの本音

そんなある日、どうも異様な空気が続くことが気掛かりで、アナンさんに尋ねてみた。

「俺、ここに居て何か間違ったことしているかな?しているならハッキリ言って欲しい!」と言うと、堰を切ったように「ハルキ、何でチーウォン(黄衣)とバーツ(お鉢)を持って帰って来たんだ? これは寺に置いて来るものなんだ。出家の記念品じゃないぞ! これが一般家庭にあるのはバープ(罰当たりなこと)なんだ! それから“もう一度出家したい”なんて言ってるが、出家は何度もやるもんじゃない。皆、社会人として一人前の男になる為に一度は出家するが、それで務めは果たし終えるんだ。二度目をやる者は、一時出家と違って藤川さんみたいに生涯を仏門で過ごす決意がいるんだ!!」

ハンマーで頭を打ちぬかれたようなショックだった。

アナンさんの言葉は正論だろう。黄衣やバーツを堂々と持って帰るなんて、俺は何と愚かなことをやってしまったのか。知らないことは大胆なことを平気でやってしまうものだなあ。記念に欲しいから分かっていても持って来たと思うが、見つからないよう隠して持って来ただろう。

それにしても誰も「それはダメだよ!」とは言ってくれなかった。こういうところはタイ人って他人に無関心なのである。人のやることを詮索しない。「チョークディーナ!」と言った挨拶の裏返しは、「黄衣、持って行っちゃったけど、日本人だからしょうがねえな!」だったかもしれない。

「藤川さん、こういうことを教えておいてくれよ」とまた人のせいにして嘆く。
更にアナンさんは「こういう物があるから、不吉な想いをしているのがオクサン(妻)なんだ。家族が事故にあったり選手が試合で怪我したり、何か悪いことが起きると悩んで元気を無くしている。」

そんなこと気が付かなかった。不機嫌そうに見えたのはそういうことだったのか。奥さんはアナンさんと友人関係にある私には直接言えなかったのだろう。日本人からみれば些細な問題も、生まれた時から敬虔な仏教徒の下で育てばそういう心が育つもの。逆にほぼ無宗教で育った私の方が常識知らずで異常なのかもしれない。
「とりあえず、このチーウォンとバーツは近くの寺に預けに行く!」と言うアナンさん。

それはもう返って来ないと悟った私は、「分かった、これを日本人の友達に預けに行くけどいいか?」と問うと、「この家から無くなればそれでいい」と応えられた。つまり、優しく柔軟に対処してくれたのだ。何が何でも「これは仏門の物、寺に返す」と言った意味ではない。私に逃げ道を作ってくれたのだ。

そしてまず、奥さんに謝った。
「ゴメンね奥さん、俺、何も知らなかったから、とんでもないことをしていた」と言うなり、「マイペンライ!」と笑顔で応える奥さん。大問題だったのに解決すればマイペンライ。こういうところは大らかなタイ人気質。こちらの家庭は上品な家柄だが、一般的なタイ人は時間にルーズだったり、約束守らなかったり、人の物勝手に使っても言い訳したり、イライラすること多いタイ人との付き合いに対し、こちらが間違ったことした際も“マイペンライ”にはずいぶん救われて来たものだ。

◆古き仲間

早速、私は思い当たる友人関係を思い浮かべる。出家前に春原さんと一緒に飯食った、青島さん、薬師寺さん、しかし急には連絡も取れない。いきなり持って現れても迷惑だろう。

次に、10年程前、私が初めてタイに来た頃の、かつてお世話になった空港近くのチャイバダンジム所属の選手が頭を過ぎる。立嶋篤史がタイデビューしたジムだ。比丘として列車に乗って、ノンカイとの行き帰りに空港近くを通った際も思い出した、駄菓子屋の可愛い子がいる集落にある。悩んでいる暇は無い。預かってくれるかどうかも分からないまま、とりあえず黄衣類を持ってアナンさん宅を出た。

日本のリングにも何度か上がったチャンリットさん。1990年5月撮影

チャイバダンジムはすでに閉鎖されているが、このジムに居たチャンリットという選手はほんの20メートル程先に住む女学生と結婚し、その家に住んでいる。何度か試合兼トレーナーで来日経験があり、習志野ジムとチャイバダンジムでは立嶋篤史の兄貴分トレーナーの一人だった。私とも長い付き合いで、お願いするのはこのチャンリットさんしかいなかったのである。

早速訪問すると、ほぼ家に居ること多いはずのチャンリットさんは、やっぱり娘さんと遊んで居た。娘さんは4歳で可愛い盛りだ。ほのぼのした親子の戯れに水を指すように早速、これまでの経緯を話した。

「分かった預かるよ!」。チャンリットさんは悩むことなくそう言ってくれてホッとした。

「確かに持って帰ってはいけない物だけどな!」と付け加えられたことはちょっと心が痛い。このチャンリットさんも敬虔な仏教徒だ。なぜこんな罰当たりな頼みを聞いてくれたかは、長い付き合いの中、持ちつ持たれつ助け合えた仲だったから。私がまだタイに慣れない頃、タクシーに乗る際、日本人と見るなり高値を吹っ掛けて来る運ちゃんに相場の値に抑える値段交渉や、取材の為、遠いジムまで連れて行ってくれたこともあった。また日本では私らが結構お世話をしてあげたから恩を返そうと思ったのだろう。しみじみと感じた恩だった。そして奥さんには内緒にするようお願いした。アナンさん宅にしても奥さんを悩ますことになってはいけなかったのである。そして、還俗直後に買ったカバンに黄衣とバーツを入れてガムテープで雁字搦めに封印し、“ハルキの日本へ持って帰る機材とフィルム”ということにして預かって貰った。

4歳の娘さんと戯れるチャンリットさん、優しいお父さんになった。1995年2月撮影

◆絶たれた一時再出家の今後

藤川さんに「再出家はもう一回やったら、足洗えんようなるぞ」と言われた意味もようやく分かった。鈍感だったなあ。また一時的再出家は絶たれたようなものだが仕方無い。

後日、日本に帰る前にもう一度、ノンカイに行ってみよう。今の私ではなく、将来、藤川さんと同じように、生涯を仏門で過ごす出家を目指すかもしれない。それと新たに日本人出家志願者が現れたら、そこで修行させて貰えるか交流を深めておこう。今後の展開は分からないが、修行ではない今、暫く旅を楽しんでみようと思う。

黄衣を干せるのはお寺の中だけ。一般家庭では見られぬ光景。1994年12月撮影

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

衝撃の『紙の爆弾』3月号絶賛発売中!
上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』