SMAP解散で実現するか? 「世界にひとつだけ」の香取慎吾ブランド

今回の「SMAP解散騒動」でメンバーと事務所の間で決めた「活動休止」をひっくり返して「活動休止よりも解散したい」と最初に言った香取慎吾が〝解散の戦犯〟のような言われかたをしている。 ただでさえ育ての親の元女性マネージャーがいなくなってことの半年はメンタル的に参っているのに拍車をかけてネットニュースなどで叩かれている現状にへこんでいるようだ。

「新選組!」(2004年NHK)のように香取慎吾は「誠」を貫くか?

「だが、8月13日に放映された『SmaSTATION!!」(テレビ朝日系)を見るかぎり、ふっきれた印象だ。収録もリハーサルから通して明るかった」(テレビ朝日関係者)

それもそのはずで、もはや解散した後、来年からのプランで「ファッション、とりわけ服が大好きなのでアパレルブランドを手がけてみたい」というかねてのからの夢が一歩前進したからだという。

「実は、まだ名前は明かせませんが、大手アパレルメーカーの社長が前から香取が作るTシャツや、彼の膨大な私服を公開した本『服バカ至福本』(2014年)に注目しており、〝タレントをやりながら少しずつ(ブランド展開の)準備しないか〟と香取に声をかけたと伝えられています」(芸能関係者)

香取は、元女性マネージャーが独立を画策した昨年、ひとりだけジャニーズ事務所に残留を決めた木村拓哉との確執にうんざりしておりお互い、収録では目も合わせない状況が続き、さらに解散の戦犯扱いで「芸能界をいつやめてもいい」という精神状態に。

「そこにきて、まだ煙のような状態ながら趣味が仕事に活かせるファッションの仕事の話が舞い込んできた。これは、もう、来年の春あたりに芸能界を引退、そしてアパレルブランドの社長として活躍する〝神田うの〟コースが確立される可能性が大」(同)という話になってきた。

とはいうものの、ジャニーズ事務所との契約は来年の8月いっぱいまで続くわけで、芸能界の仕事もむげにはできない。

「香取は、小学生のときから常に一緒にいる草なぎ剛がひとりだちできるように見守る役割も自覚しているから、そうは簡単に芸能界をやめないんじゃないかな」(放送作家)という声もある。

が、香取は旧知のスタッフによれば「番組の収録のときは、1分でも早く家に帰りたいというのが顔に出ているほど、仕事に疲弊している。ラジオ番組で『眠れない』と吐露していたが、このままいったん芸能界から離れ、リフレッシュしないと本当に体がもたない」(同)という心配の声も。

ブランド名は仮で「SIN5(しんご)」や「香取屋」などがあがっているが、SMAPの曲を一部使う「Shake SHINGO」などはすぐに却下したようだ。

「よほど早くSMAPのことを忘れたいのだろう(笑)。まだ表に出せないことが多いが、裏原宿あたりはけっこうテナントがあいている。香取のショップを拝める日は案外、早いかもね」(同)

走りだしたら香取の集中力はすさまじいのは周知が認めるところ。
「ファンとしては、もういまのしょげた慎吾は見たくない」(OL)という声は強い。あたらしい夢を応援するファンは多い。

まさに「世界にひとつだけの」個性的なブランドが立ち上がろうとしている…のかもしれない。

(伊東北斗)

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「Mr.都市伝説6」もしAIが暴走を始めたらどうするのか?

待望の著が出た。仲がいい古巣の編集者がかかわっているので紹介する。「Mr.都市伝説・関暁夫の都市伝説6」(竹書房)は、AI知能が暴走したら、いったいどうなるかをつぶさに教えてくれる。

この著は、というか都市伝説はじつは会話のネタに詰まったときによく使える。 僕自身は、「怖い噂」というミリオン出版の季刊雑誌でさんざんぱら書かせていただいた。 なので、この手の原稿はネタが豊富だから、ぜひ版元のみなさん、発注してください(と宣伝)。

いちばん最近、耳にする都市伝説は、「自民党系代議士が反原発ライターの住所や電話番号を集めている」というものだ。なんのために? といえば、「テレビやラジオなどのメディアに出さないでおくために」だという。

すでに、反原発のジャーナリストや記者は、確かにテレビの舞台から下ろされつつある。心ある名前のあるライターは言う。「だから反原発の原稿を書くときは匿名にしたほうがいい」と。そして実名に書くとする。すると徐々に干されるというわけだ。

実際、小泉純一郎は反原発を言い始めてからメディアに黙殺された。反原発がライフワークとなった感のある元首相、菅直人はテレビの討論番組ではまっさきに 「外される」リストにあるという。さらに青木理氏も「広告代理店サイドでは、報道番組だとしても難色を示している」とも言われている。いったい、これらの「情報操作」ならびに「権力操作」をしているのは誰か、というのが疑問だ。僕の中でこの答えはとっくに出ている。ここではあえて書かないでおこう。

話をもとに戻せば、この「Mr.都市伝説・関暁夫の都市伝説」が企画として立ち上がったときに、竹書房に僕はいて、最初のプレゼンを編集者が行っている場面を見た。

このとき、数千部が刷られたと思うが、後に何十万部も売る大ヒット作となる。しかししょせん、初刷りは数千部だ。 今度、アマゾンがキンドルを使って書籍、コミック、雑誌を含む和書12万冊、洋書120万冊以上が月980円で読み放題のサービスを始めるという。

こうした「システム」に、ヒット作が埋もれるかと思うと心配だ。 今後、電子書籍がマーケットをリードする時代に入ると、このようなオバケコンテンツは埋もれていくだろう。

無人の車がAIで走行している実験を繰り返している。実際、雪道などでの無人タクシーは便利だろう。だが、無人車が暴走したらどうするのか。もちろん シャブ中かもしれないドライバーがわんさかといる日本で横断歩道を渡るのもごめんだが、いったいぜんたい、AIの運転を信じていいのか。その答え を関氏が明かす。うむ。

さて、私自身の都市伝説のネタは、東南アジアにおけるヤクザのしのぎで、「売れないAV女優が整形して稼いでいる」というものや「裏輸入ルート、金正恩 専用のカンボジア大麻」などが取材してある。くれぐれもオファーを待つ。だがその前に、「実話雑誌」という文化がもうなくなりそうで悲しいが。

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして松岡イズム最後の後継者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

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《冤死の淵で》富山常喜氏(波崎事件) 自ら書いた控訴趣意書で裁判官を批判

外部との交流を厳しく制限され、獄中生活の実相が世間にほとんど知られていない死刑囚たち。その中には、実際には無実の者も少なくない。冤罪死刑囚8人が冤死の淵で書き綴った貴重な文書を紹介する。5人目は、波崎事件の富山常喜氏(享年86)。

◆自ら裁判官を直接批判

1963年8月に茨城県波崎町で農業を営んでいた36歳の男性が自宅で急死した。この一件をめぐり、男性の知人だった当時46歳の富山常喜氏は死亡保険金目当てに男性を青酸化合物で毒殺したとの容疑で検挙され、一貫して無実を訴えながら1976年に最高裁で死刑判決が確定した。しかし、犯行を直接裏づける証拠が何もないばかりか、富山氏が青酸化合物を所持したと示す証拠すら何もなく、長年冤罪の疑いが指摘されてきた。

富山氏は逮捕から40年、死刑確定から数えると27年に及ぶ獄中生活を強いられ、2度の再審請求も実らず、2003年に86歳で無念の獄死を遂げた。そんな富山氏が生前、いかに激しく裁判所と戦っていたのかがわかる文書がある。一審で死刑判決をうけたのち、自ら獄中で書き綴った8万字に及ぶ控訴趣意書である。

富山氏が自ら書いた8万字に及ぶ控訴趣意書。支援者が活字化した

たとえば、富山氏はこの控訴趣意書の中で、第一審・水戸地裁土浦支部の田上輝彦裁判長の事実認定をこう批判している。

〈“被告人は、人間が悪賢く“(中略)“気性も凶暴であると悪く評価されるようになり云々”と極め付けているが、田上裁判長は右に極め付けているような事実を、果たして、誰の口から伝聞し得たと言うのであろうか〉

水戸地裁土浦支部の判決は、証拠は何もないのに、単なる思い込みで富山氏を悪人物だと決めつけたような記述が散見された。それを富山氏は見逃さず、このように指摘したのだ。

そして、富山氏が田上裁判長ら水戸地裁土浦支部の裁判官たちに対し、何より強く訴えたかったのがおそらく次の部分だ。

〈最後にもう一言、田上裁判長はなおもここにおいて、「しかして被告人は、現在においても尚、寸点も改悛の情を現わして居らず」としているものであるが、被告人としては、現在まで指摘してきた数々の卑劣な虚構に満ちた判決文の内容もさることながら、その中においても、特にこの部分における非難の言葉ほど被告人のプライドを傷つけられたものはありません。
田上裁判長は、冤の人間に対して、一体、何を、どのように改悛せよというのであろうか。改悛とは何か、それは冤である被告人にとっては全くの無縁のものであり、それの必要なのはむしろ、ここに至ってまで愧知らずな無稽の諸非難を羅列している田上裁判長の方こそ、真摯に、裁判官としての自己の良心に目覚めて悔い改めるべきではあるまいかと思料するものである〉

判決で「反省していない」などと批判され、激怒するというのは冤罪被害者の多くに共通することだ。その思いを自ら文章にまとめ、裁判所に直接訴えたのが富山常喜という人だったのだ。

◆死刑執行への恐怖

裁判所に対し、かくも攻撃的な態度を示していた富山氏だが、親しい人に対しては、別の顔を見せていた。以下は、長年に渡って富山氏を支援していた「波崎事件対策連絡会議」の代表・篠原道夫氏に対し、富山氏が出した手紙の一節だ。

富山氏が生前、篠原氏に出した手紙

〈土、日曜、祝祭日の外は来る日来る日の毎日が、ガチャガチャと扉を開けられる度びに、心臓が破裂するのではないかと思へるほどの恐怖心を味わわされる地獄の連続であり、若しも寿命を計る機械がありましたなら、恐らくは確実に毎日毎日相当の寿命を擦り減らされているのではないかと思います。
建て前ではいくら悟り切ったように取り繕ろおうとも、所詮は弱い人間である以上、今申上げたようなところが嘘偽りのない本音の本音と云えそうです〉(1987年12月29日消印)

日本では、死刑は死刑囚本人に予告することなく執行される。富山氏は気持ちの強い人だったが、死刑と背中合わせで過ごした日々の恐怖感はやはり尋常ではなかったようだ。

富山氏が満足な医療も受けられずに獄死した東京拘置所

◆晩年は病気に苦しでいた

晩年の富山氏は常に病気に苦しんでいた。篠原氏に届けた手紙でも、体調の悪さを訴えることが次第に増えていく。

〈二月は上旬から風邪を引き込んでしまい、とうとう最後まで殆んど寝たきりの状態で終わってしまいました。今年はタチが悪かったのか、私の体調がそれ程衰えてしまっているのか分りませんが、最初のうちは下痢が続き、その次は今まで出たことのない鼻汁が出たり、その間、咳は止まらないわけで、すっかり悩まされてしまいました〉(2001年3月5日消印)

〈毎日のように襲って来る吐き気に鬱陶しい思いをしております。出来るだけ長生きすることが皆様の御尽力に対する私の至上命題ですので、この度びお差入れの中から取り敢えず八月と九月分の牛乳を購入させて頂きました〉(2001年9月1日消印)

〈毎日の呼吸不全状態、胃部の異状な膨満感など尋常ではありませんので、何かもっと精密な器械での検査が欲しいところです〉(2002年7月8日消印)

この頃になると、富山氏は人工透析治療を受けるようになっており、手紙を拘置所職員に代筆してもらうこともあった。そして次の235通目のはがきは、富山氏が生前、篠原氏に送った最後の書簡となった。

〈いつも心づかいありがとうございます。面会、差入と感謝しております。弁護士さんについては、後日元に戻ったときに連絡等する予定です。〉(2002年8月27日消印)

この文章は拘置所職員に代筆してもらったようだが、はがきの表面を見ると、文字が激しく波打っている。富山氏が震える手で、まさに命を削りながら書いたものであることが察せられる。

これ以来、富山氏の体調は急速に悪化した。そして、医療体制が不十分な拘置所内で苦しみ続け、2003年9月3日午前1時48分、86歳で永眠したのである。

◆支援者らは今も雪冤のために活動

病気に苦しみながら、雪冤を目指して戦い抜いた富山氏だが、ついに存命中に雪冤は実現できなかった。しかし、富山氏本人が亡くなって10余年になる今も篠原氏ら支援者たちは再審無罪を目指し、活動を続けている。富山氏の最期は悲劇的だったが、心ある人が望みをつないでいる。

※書籍「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)では、ここで紹介し切れなかった富山氏の様々な遺筆を紹介している。

【冤死】
1 動詞 ぬれぎぬを着せられて死ぬ。不当な仕打ちを受けて死ぬ。
2 動詞+結果補語 ひどいぬれぎぬを着せる、ひどい仕打ちをする。
(白水社中国語辞典より)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

 「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
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インド料理店の激増劣化から見えてくるこの国の労働環境問題

街を歩くと、やたらインドカレーの店を見かけることが増えたと感じるのではないだろうか? 事実、インド料理店の名目でタウンページに登録されている飲食店は’07年の302件から‘14年の1773件と7年間で約6倍に増加(出典:タウンページデータベース)。

◆平野和之氏が指摘するインド料理店乱立と「悪徳ブローカー」の暗躍

その原因として「在日インド人が増えたこと」「日本人のエスニック料理への関心が高まったこと」など、さまざまな言説が語られるが、そもそも根本的な理由は「出店コストの安さ」と指摘するのは経済評論家の平野和之氏だ。

「ラーメン店などは2000万円~3000万円程度かかることもざらですが、インドカレー店は1000万円程度で、居抜きで安くあげれば数百万円程度でも出店できる。その理由は立地です。ラーメン店など、薄利で客の回転が重要な飲食店の場合は1階であることが必須条件ですが、インドカレー店ならば賃料の安い雑居ビルの2階以上や路地裏などでも十分に成立する。また、特殊な調理器具が少なく済むのも大きい。やろうと思えば家庭用の機材でも事足りるため、改装費用も抑えることができるのです」(2016年8月14日付ハーバービジネスオンライン)

どこか怪しいな、と感じていたが、やはりそうだったかと上記の記事で納得させられた。

都会は言うに及ばず、地方都市でも形態の似たインド料理店を目にすることが多くなった。夕食に利用したことはないが、ランチタイムだと日替わりや、各種カレーセットを1000円以下で食すことができ、しかも「ナン」食べ放題が私の入ったことのある、この形態のインド料理店での共通点だ。そして私的経験に限れば、どの店も値段の割には味が良く、ハズレが無かった。よって昼飯時にちょっと刺激が欲しいなという時には、気軽に足が向くようになった。

但し、冒頭記事にもあるように出店時のコストを抑えているのは、店内を見回せば容易に気が付くだろう。テーブル、椅子は高価なものではないし、不思議な内装の店にもしばしば行き当たる。ゾウの置物はわかるとして、インドチックではない東南アジア風の仏画が飾られている横に、ラーマヤナの絵画が並んでいたりする。給仕はたいがい肌の浅黒い女性だ。混雑していない時間に「インドの方ですか」と聞いたら、半数以上はネパール出身者だった。

コンビニチェーン並の増殖力で展開するインド料理店の裏には「コンサルタント」のような業者がいて、店舗展開の指南をしているのだろうと目星はつけていたが、やはり「悪徳ブローカー」が背後で暗躍していると、紹介した記事は指摘している。

そもそも一部のインド人は、華僑に匹敵するほど、国外での事業展開に長けた実績と経験を持っている。労働者として職を探しに外国に出るのではなく、自己資本でそれぞれの地の利を活かしたに商いを展開するインド商人の存在は確固たる地位を得ている。

他方、人口13億人を抱える大国だから、単純労働者として来日を希望する人たちも増加し、東京では江戸川区西葛西周辺に集中してインド人が居住している。東南アジア諸国からの来日者数には及ばないが、在留インド人の数は今後も増加傾向をたどるだろう。

◆根源にあるのはこの国の労働環境問題

さて、問題は激増する「インド料理店」に象徴される、外国人労働者への対応だ。

ついに非正規雇用が4割を超えてしまった日本。4000万人労働者の半数近くは年収300万円以下で生活を強いられながら、「労働三権」(団結権・団体交渉権・団体行動権)という言葉すら知らない「労働者」達が圧倒的多数を占める今日の労働現場。労組はあっても機能しないし、歴史的資産として保持している労働者の基本権が実質的に忘却、無きものにされた「労働市場」に外国人労働者が本格的に来日すればどうなるだろうか。

確実なことは、外国人労働者が日本人より好待遇で働く機会などはあり得ない、ということだ。しかしそれ以前の問題として、日本人労働者の現況が「ボロボロ」である。実はすでに海外からは多数の労働者が「研修生」名義で来日し、その中で予想しうるあらゆる種類の困難が既に発生している。困難を押し付けられるのが弱者である構造は普遍だ。

比較的安価で美味しいインド料理店に入り、「ナン」のおかわりをしながら感じていた、ちょっとした居心地の悪さの遠因は、大袈裟なようだけれども、来日外国人労働者問題(それ以前に日本人の労働環境問題)だったのだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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映画「64」に見る理想の警察広報と現実の差

「クライマーズ・ハイ」などで知られる横山秀夫の原作は、「正義と悪」が必ずしも軸にはならない。立場により「悪が正」となり、また逆もしかり。 ヒットした横山氏の原作を基に、『感染列島』などの瀬々敬久監督と『ザ・マジックアワー』などの佐藤浩市主演で映画化した犯罪ドラマが作られた。

前半と後半で2連作となっているのだが、新聞記者が警察の広報官とことごとく対立する。その内容は、『被疑者を匿名』としたり「誘拐犯人を匿名」としたりする警察側と記者クラブとの攻防を縦軸として、昭和時代の最後の1週間にあたる昭和64年に起きた未解決誘拐事件をオーバーラップさせていく。新たに発生した類似の事件の謎に迫る。県警の広報官を演じる佐藤のほか、綾野剛、榮倉奈々、永瀬正敏、三浦友和ら豪華キャストが集結。

僕は、「記者クラブ」というものが不思議でならない。警察に事件について問うと禅問答のようなやりとりになる。

警察 「あなたは加盟社の記者ですか」
筆者 「いえ、ちがいます。所属はエスエル出版会といいます」
警察 「原則として電話では教えていません」
筆者 「電話では教えないということは、FAXでは事件の概要を教えているということですか」
警察 「いいえ、そうは言い切れません。一般のかたに公開できない情報もあるからです。あなたがどの社に所属しているか、身分を特定しないとわけがわかりませんし」
筆者 「それでは、名刺や書いた記事など一式と社長に身分保障を書いてもらって郵送すれば事件の概要について教えていただけるということでしょうか」
警察 「いいえ、そうとは言っていません。こちらであなたの身分を特定して、公益性があると判断すれば教えるケースがあります。ただし、その結果を 担保しません。われわれとしては」
筆者 「何を言っているかよくわかりません、それでは書類を一式、FAXしますが、ご検討いただきたい」
警察 「送っていただくのはかまいませんが、それで教えるケースが生まれると保証できかねます」

いったい、何を渋っているのだろうか。ここで僕は取材依頼書と名刺、住民票までも送る。そして警察の広報に連絡を入れる。

筆者 「FAXは届きましたか」
警察 「届きましたが、検討はまだしておりません」
筆者 「どういうことでしょうか? FAXを送らせておいて検討しないというというのは、どうすれば教えていただけるのですか」
警察 「ですから、こちらに来ていただいて、事情を説明していただければお教えする可能性はありません」

ここで頭に来て電話を切った。
行かないと話にならないなら、はじめから交渉などしない。
知り合いの新聞記者にとっくに頼んでいる。
ちなみにこのバカ警察は大津警察署だ。
バカも休み休み言えとは警察のためにある言葉だ。

話をもとに戻せば、こうして「現実」を無視して理想の警察の広報官をこの映画では佐藤浩行が演じている。この誘拐事件の行く末はもちろん、警察と 記者クラブとの摩擦や警察内の対立、主人公の娘の行方など怒とうの展開に目がくぎ付けとなるだろう。

だが諸君、誤解することなかれ。こと警察の広報は、バカばかりで話にならぬ。このほか、バカ警察の広報のふざけた対応は山ほどあるが、機会があれば紹介しよう。ただし僕が仲がいい警視庁のエリートの刑事はきちんとしている。一応、フォローしておこう。

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして松岡イズム最後の後継者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

  『NO NUKES voice』最新第9号! 特集〈いのちの闘い〉再稼働・裁判・被曝の最前線
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荒木ゴング──“世界でひとつだけの音色”を奏で続けたリングサイドの鐘

脇役ながらキックボクシング興行の要となる存在のタイムキーパーとその相棒のゴング(鐘)にもドラマがありました。その存在に、ファンや興行関係者はどれだけ関心があるでしょうか。

荒木栄氏。カウントをレフェリーに繋ぐことも重要な役割。こんな姿がリングサイドにありました(1991.11.15)

◆ゴングを鳴らし続けた男・荒木栄さん

キックボクシング創生期から長くタイムキーパーを務められた荒木栄(あらきさかえ)というおじさんがいました。いつから始められたか、年齢も古くを詳しく知る方はいないので分かりませんが、関係者によると1969(昭和44)年6月、日本キックボクシング協会が日本武道館で東洋チャンピオンカーニバルを開催した時にはすでにタイムキーパーを務めて居られたようで、多くの試合をゴングとストップウォッチで管理してきたことは確かな存在です。

現在も多くの団体や興行が会場常備のゴングを使用していますが、新日本キックボクシング協会では独自に所有するゴングを毎度の興行で打ち鳴らされていることを、ファンの方で御存知の方はどれぐらい居らっしゃるでしょうか。「言われてみれば新日本は他団体と違う音色だな」と気が付く人は、物事の微々たる変化でも気が付く感性豊かな人かもしれません。

世界でひとつだけの鐘

◆継承されるゴングの音色

今、新日本キックで使われているゴングは2代目で、初代ゴングを複製したものです。甲高い音色で余韻が10秒ほど続く、響きの綺麗なゴングですが、初代と形と素材は全く一緒で、初代よりやや音色が変わったものの、甲高さと余韻は変わらずです。

初代ゴングは「寄贈 アローンジム S 50.12.6」という刻印が入っており、1975年(昭和50年)当時、経緯はわかりませんが、日本キックボクシング協会に加盟していたアローンジムが寄贈したものと思います。毎週TBSで全国放送されていた時代で確認できることは、翌年1月からゴングの音色が変わり、この時から使用されているのではと思います。

その当時もこのゴングを操っていたのは、荒木氏でした。沢村忠氏も現役最後の年にこのゴングの音色を聴いている訳です。その後のキックボクシング低迷期は興行数も減り、ゴングもこだわりなく別物を使われた時期もありましたが、1984年11月、業界復興を目指す統合団体の日本キックボクシング連盟が設立された初回興行から、このゴングも復活しました。おそらく荒木氏が準備したものでしょう。後々このゴングは荒木氏とともにMA日本キックボクシング連盟で活かされました。

左側の赤いスタッフスーツが荒木栄氏。勤続10年以上のスタッフへ感謝状が贈られた日。右側は日豊企画代表でMA日本キック連盟代表だった石川勝将氏(1985.11.22)

◆好戦を称えるかのように強めに10回以上打ち鳴らすことも

荒木氏を知る人はこのゴングを“荒木ゴング”と名付け、荒木氏のタイムキーパーに打ち込む熱心さは、レフェリーに繋ぐダウンカウントやラウンド終了の打ち鳴らし連打にも感情がこもり、ゴングと一体化した存在となっていました。決して派手にアクションを起こす訳ではなく、凡戦であってもラウンド終了では淡々と6回ほど打ち鳴らし、盛り上がったラウンドは好戦を称えるかのように強めに10回以上打ち鳴らすこともありました。

荒木氏と比較的親しかったのは日本バンタム級チャンピオンになる前からの鴇稔之(目黒)氏でしたが、「鴇くん、重いからゴング預かってよ」歳を重ね体に堪える荒木氏が鴇氏にお願いしたことがある言葉でした。

その荒木氏もまだ若い昭和40年代の頃、試合に没頭して3分経過、後ろから小声で“叫んだ”のは野口修協会会長の奥様、「荒木さん、荒木さん、時間時間、ゴングよ!!」と和子さんが語るエピソードもありました。

その荒木氏も1992年の1月興行を最後に体調を崩され永眠。その後、荒木ゴングを受け継ぐ者は居らず、そのゴングも行方不明状態。でも当時はそんなゴングにこだわりを持つ者は居らず、その後は何の躊躇いもなく後楽園ホールなど、会場常備のゴングを使っていました。

荒木氏の教えを受け継いだ岩上哲明氏(1997.3.9)

◆荒木氏の魂を受け継いだ岩上哲明氏

その後、1995年11月5日、市原臨海体育館での興行で突然復活した荒木ゴング。見つけ出してきたのがやっぱり頼りになる鴇稔之氏。私らは「よくぞ復活してくれた」と思ったものの、その後のタイムキーパーは荒木氏のこだわりを知らない、単に短く淡々と打つ者ばかり。

時代は受け継がれずも、しかし翌年3月、再び団体分裂が起こり、老舗の日本キックボクシング協会が復興。荒木ゴングも古巣へ帰ってきました。タイムキーパーを務めたのは岩上哲明氏で、MA日本キック連盟初期(1984.11~1989.1)の興行会社の日豊企画スタッフだった頃、荒木氏のアシスタントとして指導を受けた人でした。

その当時の岩上氏が就いた頃はまだ16歳で荒木氏の孫のような存在。若く素直な吸収力でその荒木氏の魂を受け継いだかのような見事なタイムキーパーを日本系復興後を務めました。ゴング連打も見事なもので、これこそ日本系の音色。荒木氏の魂が乗り移ったかのような進行でしたが、それも長くは続きませんでした。岩上氏も本業の都合で転勤の為、1999年7月に止むを得ぬ引退。

◆2代目荒木ゴング

更にゴングというものは寿命があるということを当たり前ながら思い知らされたのは、過去何度か支柱が折れての修理はあったものの、亀裂(ヒビ)が強く入り、それも修理で克服しつつ、2007年頃、2度目のヒビ割れで修理しても響きが弱まってしまうほどの重症に陥り、荒木ゴングの引退を迎えるに至りました。それ以前に複製を作っておいたのは、やがてやって来る交代に備えてのものでした。2代目荒木ゴングを最初に使ったのは2004年12月のTITANS.1stからでしたが、この時は臨時で、毎度の興行で登場したのは交代した2007年頃でした。

その2代目荒木ゴングも2013年12月の藤本ジム興行で亀裂が強く入り、響かなくなる重症。修理の結果、亀裂は修復されたものの、業者さんからは「全体に無数の細かいヒビが入っているので、あまり強く叩かないで」という御指導。いずれ2代目ゴングも引退が近いことを覚悟する現状です。ゴングは真鍮で出来ていますが、叩き続ければそういつまでも使えるものではなく、やがて寿命はやってくるものでした。荒木ゴングは“世界でひとつだけの鐘”と言えるほど他では真似できない音色でした。

ルンピニースタジアムで使われる釣鐘式ゴング。これもムエタイの値打ち物

◆「ゴングに触るな!」

「ラウンド終了間際は自軍のコーナー近くで戦った方がいいよ、ゴング鳴ってすぐ休めるから」こんなジョークともとれるアドバイスを鴇氏にしたこともある荒木氏。
「テンカウントゴングはあれぐらいのペース(4秒で1打ぐらい)が余韻と感情がマッチして良いんだよ」ある選手の引退式の後、周囲に語っていた荒木氏。

平成に入ったMA日本キック連盟第二期時代(1989.7~1996.2)、初期の興行会社が撤退した後のアシスタントの梅沢勝氏は「安易にゴングに触ると荒木氏に怒られた」という厳しい面もありました。

時間を見過ごす失態は荒木氏御自身の若手の頃以降は無く、タイムキーパーといえども時間を追うだけではない、ルールを把握し、レフェリーの裁きに対する機転を利かす処置も多くあり、岩上氏にも厳しい指導に移っていったことでしょう。

こんな脇役ながら音で奏でるゴングで、ファンの潜在意識に残る演出を残したのは荒木栄氏だけでしょう。1985年11月22日、初期のMA日本キック連盟で、団体問わず勤続10年以上のスタッフを称える表彰式では、レフェリーの李昌坤(リ・チャンゴン)氏、リングアナウンサーの衣笠真寿男氏とともに感謝状が贈られ、リングでの観衆に注目される緊張の瞬間でした。

生涯では計20年以上になるタイムキーパー歴。ゴングとともに白手袋の荒木氏の姿があったタイムキーパー席に、キックボクシングの歴史に残る功労者がいたことを記しておきたいと思います。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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京大バリストと「無期限停学」処分を考える《4》

 

Kさんの緻密な分析に、私はほぼ全面的に賛同する。唯一大学入学者の経済的背景は、かつての「日本育英会」が「日本学生支援機構」という名の学生ローン(サラ金並のえげつなさ)会社になったことから、第二種であれば誰でも「貸与」という名の借金を受けることが可能となり、国立大学だけでなく、学費がさらに高い私立大学へも保護者の年収が200万円代の学生も通うことが珍しくなくなった。

非正規雇用の爆発的増大や、家族構成の変化といった社会的要因と、大学側の変化(学費高騰)が歪な形で結びついてしまい、結果として卒業後間もなく「借金の返済」に追いまくられる若者は急増している。気が付いたら400万~500万の借金を背負って大学を卒業していた、という悲劇は、30歳を待たずに自己破産をするという結末を既に産んでいる。

このように学生が大学で「普通に」学べない、「学ばさない」状態に陥れた理由の根源はKさんがご指摘の通り、「教育社会秩序の帝国主義的再編」が進んだことに他ならない。その咎人は枚挙にいとまがないが、とりわけ「小人閑居して不善をなす」を職務規定としているかの如き「文科省」の罪は重い。この連中が大学に押し付けて来る法律、通達、指導は根源に国家による高等教育機関の完全掌握という目的があることは明白ながら、他省庁と比較して「旨み」の少ない「文科省」(旧文部省)官僚の歴史的悪癖と言える。

従前、一応健全な私立大学経営者や国立大学の教員は、文科省のその様な性質を熟知しており、それなりの葛藤や、場合によっては一触即発という事件すら時には起きていた。しかし「一般教育の大綱化」に端を発する、一見大学に「カリキュラム編成上の自由を与える」ように見せかけて、他方では「自己評価自己点検」という全くの愚策を強要し始めた頃から、文科省の「不善」振りは際限が無くなった。国立大学を「法人化」=半民営化し、独自の資金調達を強いたことが、今日の年額54万円という学費の高騰に繋がっている。大学は、とうに「自主」や「自治」の精神など忘却の彼方といった有様であるから、文科省への抵抗など今日は皆無と言って過言ではないだろう。

それだけではない。昨年は東大が事実上の「軍事研究解禁」を宣言し、日本学術会議も「軍事研究」取り扱いの見直し(おそらく詭弁を弄して、「結果解禁」の結論を出すだろう)に着手。既に防衛省は各大学に研究資金をばら撒き始めた。

「科学技術の進歩は不可逆だが、人類の歴史は可逆である」と述べた先人が居た。
現在私たちは、まさに「逆行する歴史」を目の当たりにし、そのただ中に置かれている。その事を顕著に示すのが大学の現状だ。京大の持つ「自由」な学風を一瞬で吹き飛ばす猛烈な台風、中心気圧800ヘクトパスカル、最大風速90m級の化け物台風が接近している。気象庁の発表する天気図には表れないが、文科省が連発する「不善」の集合体がファシストたちの立ち上げる気炎と相まって勢いを増す悪質のエルニーニョとなり、文科省外部秘の「教育行政天気図」は、はっきりと巨大台風接近を示している。

 

巨大台風の接近は京大においては、熊野寮、吉田寮と西部講堂を吹き飛ばし、サークルボックスも跡形もなく消滅する。囲碁や歌舞伎、吹奏楽といった非政治的なサークル以外は台風通過後も再生することはない。勿論IPS研究所は巨大台風にびくともしなかっただけでなく、熊野寮跡地に「遺伝子・万能細胞研究所」を新たに増設することになる。この施設の資金提供には世界中の名のある企業が手を上げたが、結局内閣調査室と防衛省の直系という極めて例外的な研究所が誕生する。

その図は私の錯視だろうか。「バリスト」の肉感と響きが反響に次ぐ反響をもたらす日は可能だろうか。(了)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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《冤死の淵で》荒井政男氏(三崎事件) 病魔に苦しめられながら訴え続えた無実

外部との交流を厳しく制限され、獄中生活の実相が世間にほとんど知られていない死刑囚たち。その中には、実際には無実の者も少なくない。冤罪死刑囚8人が冤死の淵で書き綴った貴重な文書を紹介する。4人目は、三崎事件の荒井政男氏(享年82)。

◆手記に滲み出る人柄

荒井政男氏は、1971年12月に神奈川県三崎市で食料品店の一家3人が刺殺された事件が起きた際、現場近くに居合わせたために疑われ、逮捕された。当時44歳で、横浜市や藤沢市で鮮魚店や寿司屋を営んでいたが、この時を境に運命が暗転したのである。

荒井氏は取調べで一度自白したが、裁判では無実を訴えた。実際、荒井氏の衣服に犯人なら浴びているはずの返り血が付着していないことや、現場に残された犯人の靴跡は荒井が履いている靴のサイズと異なることなど、荒井氏を犯人と認めるには矛盾が多かった。しかし荒井氏は1990年に最高裁で死刑確定し、再審請求中の2009年に82歳で獄死した――。

荒井氏は最高裁に上告していた頃、自ら上告趣意書補充書も執筆した

この間、荒井氏が獄中でどのように生きたかが記録された貴重な資料がある。支援団体「荒井政男さん救援会」が発行していた「潮風」という小冊子だ。これには、荒井氏が近況をしたためた手記が毎号掲載されていた。

荒井氏の手記は、いつも様々な人へのお礼や気遣い、ねぎらいが率直な言葉で綴られていた。

〈いつもパンフレットありがとう。救援、冤罪通信、やってないおれを目撃できるか、死刑と人権、ばじとうふうなどありがとう。甲山通信の山田悦子さんの無実勝利の闘いに獄中から熱い応援を送っていますよ。ごましお通信、利明さんの生きざまがわかります。よろしく伝えてね。フォーラム90のパンフは、死刑執行した後藤田正晴への抗議行動報告がびっしり埋まっていますね。とても力強く思いました。もう一人も殺させないようガンバリましょう〉(1993年5月15日記 潮風第12号より)

◆獄窓の鳥が支えだった

荒井氏の手記はこのようにいつも明るく、前向きな内容だった。とはいえ、死刑囚は外部との交流を遮断され、一日の大半を狭い独房で過ごす。その生活がいつ果てるともなく何十年も続く。そんな日々で荒井氏が心の支えにしていたのが、獄窓から見える鳥たちだった。

〈四月二十日ヒヨドリのピーコが、窓辺のしだれ桜の枝に止まって、四〇分近く唄っているのでいつものさえずりと少しちがうなーと思っていたところ、それがピーコのお別れの唄だと分かりました。翌日からヒヨドリ全員(十二羽位の一族)の姿が見られなくなった。どこかの寒い地方へ移動していったのでしょう〉(1994年4月27日記 潮風第16号より)

〈あのヒヨドリのピーコが今年も来てくれました。獄庭の木にとまってピーピーと高い澄んだ唄声を聴かせてくれます。とても心なぐさめられます〉
(1995年11月14日記 潮風第22号)

〈今日もスズメの親子が父さんの窓下に来て、ピイピイと子スズメを鳴かして父さんにエサのパンをくれというのです。けど、父さんはパンを持っていないのです(笑)〉
(1994年5月23日記 潮風第16号より)

〈父さんの窓庭のビワの木の実が鈴なりで黄色く熟して太陽の光に輝いています。何とムクドリの群れがきて半分ほど食べ散らかしていきました。そのおいしそうなうれしそうな姿にニコニコと見とれてしまいました〉(1995年6月17日記 潮風第20号より)

荒井氏は鳥たちと会話でもしているようなことを明るい筆致で綴っている。一見微笑ましい文章だが、鳥たちを心の支えにして途方もない孤独感と闘っていたことが窺える。

荒井氏が獄窓の鳥を心の支えに拘禁生活を送っていた東京拘置所

◆糖尿病で目も不自由に

獄中生活の後半、荒井氏は糖尿病に苦しめられた。しかし、闘病生活のことすらも明るく綴るのが荒井氏流だった。

〈血糖値が一一七でした。こんな数字になったことは近年にないことですから、父さんもやったーと、うれしく思いました。この告知をしてくれた看守氏もびっくりして共に喜んでくれました〉(1994年11月17日記 潮風第18号より)

しかし、併発した網膜症により視力が次第に衰えていくと、手記では、目の状態を嘆く記述が目立つようになる。

〈文庫本文字がすごく見づらくなりました。右目だけで読むのも疲れて視力が落ちたのではないかと思います。医務に診察を申し込みます〉(1994年12月1日記 潮風第18号より)

このように病魔に苦しむ中、荒井氏は強い憤りをあらわにすることもあった。それは、他の死刑囚が刑を執行された時だ。

〈十二月七日に妻と長男が面会にかけつけてくれた意味が一二月一日に(筆者注:他の死刑囚2人が)虐殺されたことについての緊急面会だったことがわかりました。二人も殺されたことは今日のパンフやビラを見て初めてわかった訳です。だからショックが大きいので、眠れませんのでこれを急いで書いています。もう夜中です。紙数も終りです。なんとしても三崎事件の再審を開始したいものです。無実なのに殺されてたまるか〉(1994年12月15日記 潮風第18号より)

無実なのに殺されてたまるか――。この最後の一文に、何物にも代え難い真実の響きを感じるのは、私だけではないはずだ。

◆遺族が受け継いだ雪冤への思い

荒井氏は結局、生きているうちに再審無罪の願いは叶わなかった。2009年9月3日、病気を悪化させ、東京拘置所で82年の生涯を終えたのだ。

しかし、荒井氏が亡くなってわずか25日後の2009年9月28日、今度は娘さんが請求人となり、第2次再審請求を行った。現在も雪冤を目指す戦いは続いている。(了)

※書籍「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)では、ここでは紹介し切れなかった荒井氏の様々な遺筆が紹介されている。

【冤死】
1 動詞 ぬれぎぬを着せられて死ぬ。不当な仕打ちを受けて死ぬ。
2 動詞+結果補語 ひどいぬれぎぬを着せる、ひどい仕打ちをする。
(白水社中国語辞典より)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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京大バリストと「無期限停学」処分を考える《3》 Kさんの書簡より

 

(前回に引き続きKさんの書簡より)

ここで問題となった。バリストの実態をみてみよう。
まずこのバリストだが、同学会のほぼ実態である京大の中核派が全国の拠点から活動家を集めて京大吉田南、かつての第三高等学校の跡地に或る教育用の一棟を入り口を立て看板やテーブル椅子などでバリケードをつくり入場できないようにしたものです。時間的にはせいぜい2コマ程度なのでしょうか。別段器物損傷、暴力行為、暴言などがあったわけではありません。大学の告発内容も授業妨害、業務妨害となっています。

経験的にはこの程度のことで刑事責任を問うのか京大よ!と言う感じです。70年当時の状況をこの基準でいけば毎年何百人という退学処分を出すことになりますね。バリストの理由は反戦ですが、其の本当の原因は、当局がこの数年間、同学会を含めて学生との対話を一方的に形骸化させてついには廃止し始めた事にあります。勿論このことは学生自治を最終的に葬り去ろうとする文部科学省の指示による事は間違いないでしょう。

2012年に中核派とノンセクトが休眠状態だった同学会を手続に則り再建したにもかかわらず当局は、既に実態が消滅した同学会が存在すると強弁して同学会を学生の団体と認めず同学会との話し合いを拒否してきました。またその数年後に社会思想系のサークルの非公認化を画策してきた。この策動は学生たちの力で阻止されました。

詳細:https://sites.google.com/site/protectclubact/home/zong-ren-jia-cheng-ren-qu-xiao-wen-tino-ji-lu

そもそも学生運動は戦後に占領軍により復活されて、憲法23条でその意義自体は認められが、その後の展開で学生自治は個別の法的根拠を得られなかった。このため学生は何事も実力と交渉で勝取るスタイルが歴史的にとられてきた。勢力が盛んなうちは良いが、一度衰退に向かえば時間的に余裕の或る当局が学生を追い詰めていくことになる。1980年代以降同学会の形骸化、背景にある社会主義勢力の国内外での凋落がこの動きの拍車をかけました。今回はまずは社会的に評判の悪いセクト,次は赤いサークル,最後は自主管理寮と手をつけてくるのが政府の作戦なのだろう。

◇教育学園闘争の社会的意味

少し変な表現だが、学生時代に言っていた「教育社会秩序の帝国主義的再編阻止!」がいかに重大な主張であったかを、最近実感するようになりました。大学をいくつか散策してもまるで砂漠の中を歩いているようです。タテ看もビラもなく、ガードマンが黙々と交通整理をしているだけです。学生さんたちも授業に縛られて生気に乏しいようにみえます。69年から70年のキャンパスが祭りだったと言う人もいます。全共闘運動が崩壊して支配層がまず手をつけたのは、学園からの批判的勢力の一掃でした。72年の学費値上げから大管法で、少しは残っていた学生運動は全国的に 窒息させられた。京大の学生運動も77年の学内派の懐柔と竹本処分断行により衰え始めた。

これらの文部省支配の攻勢はやがて教授会自治そのものにおよび、学園内でのリベラル派は次第に追い詰められて今日に至っています(2004年には国立大学法が施行され、2014年8月には学校教育法および大学法人法の改定に関する通知が出ました。通知は完全に教授会が無力化されて、学長に権限が一極集中していて、実質は官僚が全権を掌握する内容だった)。

さらに重大なことはこの変化自体が社会に重大な変化を起こしてきて今日に至ったということだ。当時私は基本的には社会改革への手段としてこのスローガンを理念的にしかとらえていなかった。繰り返しになるが学費は我々の頃、国立大学は月に千円だったのだからその後最終的には物価と比較して10倍になるとんでもない値上げが行われた。結果として大学では国立も私立も 豊かな家庭の子弟が多くなり、学園の多様性は減少していくことになった。学生も大きく変わっただけでなく、社会全体での流動性も失われていくことになった。このことの意味は大きくほとんどすべての社会的政治的事項に関係すると言っても誇張ではないでしょう。権力に批判的などの勢力も次第に抑えられてしまった。大学はボデーブローで追い詰められた。この動きは今も継続している。いずれにせよこの後どのようなものであれ社会改革には若く、創造的な人材が十分に必要だ。学園の自治と自由が復活することが必須の課題だ。学生の多様性が失われてきていることは 長い目で見れば、国民の力が大きく損なわれていくことになる。このままではその傾向がますます著しくなる。大事業をなすには多彩な人材が必要だ。「京大」をつぶしてはならない。

 

本件(バリストによる「無期停学処分」)は別段京大または学校関係者だけの問題ではありません。
とりあえず ともし火を守りましょう。どこででも良いですから 創意工夫を凝らし 処分反対の声をあげよう。
定形、不定形を問わず 決議や討論を全学、全国民に公開しましょう。
また教育的配慮として非公式に運動からの離脱と、学費の処分中の継続的支払いを条件に、処分の解除を検討する可能性を示唆した。これに対して同学会は反対声明をだし、反撃を宣言した。(以上Kさんからの書簡より)

(つづく)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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「非経済的」で「非人道的」な原発に真っ当な憤激を!『NO NUKES voice』第9号

◆「もんじゅ」も福島も国民負担──いつまでもなにを眠たいこと言うとんねん!

福井県小浜市明通寺の中嶌哲演住職。滲む憤りや悲しみの情感に、胸が痛む(2016年7月伊方にて大宮浩平撮影)

「管理上の相次ぐミスで停止中の高速増殖原型炉『もんじゅ』(福井県敦賀市)について、現行計画に基づいて今後10年間運転する場合、国費約6000億円の追加支出が必要になると政府が試算していることが8月28日、分かった。既に約1兆2000億円をつぎ込みながら稼働実績がほとんどなく、政府は菅義偉官房長官の下のチームで、廃炉も選択肢に含めて今後のあり方を慎重に検討している」そうだ。

また、「東京電力福島第1原発事故で掛かる除染や廃炉、損害賠償などの費用のうち、国民の負担額が2015年度末までに4兆2660億円を超えたことが8月28日、分かった。日本の人口で割ると、1人3万3000円余り。東電は政府にさらなる支援を求めており、今後も拡大する見通しだ」らしい。

ちょっときつめの関西弁で表現すれば、「いつまでもなにを眠たいこと言うとんねん!」とでも唾棄されるだろうこのようなニュースを前に、私たち『NO NUKES voice』編集部は改めて、原発が避けがたく有する「非経済性」のみならず「非人道性」に憤激を抑えることができない。

“原発いらない福島の女たち”の黒田節子さん(2016年7月伊方にて大宮浩平撮影)

◆正邪、善悪、犯人と被害者がひっくり返った現状が許せるか?

福島の事故現地に住む、あるいは避難した人びとが、相応に救済されるのであれば「1人3万3000円余り」の税金投入に異議を唱える気はない。でも全くそのようにはならず、被害者は切り捨て、復旧作業に携わる労働者からは多重請負による苛烈な搾取。

そしてあろうことか、事故を起こした東京電力が「黒字」を計上し、社員には高額なボーナスまで支給されている。どういうことなんだ。正邪、善悪、犯人と被害者がまるっきりひっくり返ったこの状態をあたかも、当然の図を見るように眺める為政者や東京電力の眼差しが、奇異でならない、許せないのだ。

座り込みを続ける斉間淳子さん。亡夫・斉間満さんは“原発の来た町”の著者として知られる(2016年7月伊方にて大宮浩平撮影)

◆権利や命は闘い取るもの、「果報は寝て待て」では勝てはしない

事故が起きて原発の危険性が認識されたと思ったら「世界一厳しい規制基準」で「福島原発の汚染水は完全に湾内でコントロールされており、健康被害は、過去も、現在も、未来も起こらない」と言い放った、あの安倍首相の歴史的とも言える仰天演説は歴史によって裁かれることになるのだろうか。

いや、そんな時代を黙して待っている訳にはいかない。権利や命は闘い取るものであり、「果報は寝て待て」では勝てはしない。

◆「被曝を無視する(反)脱原発運動は、認識が不十分である」

『NO NUKES voice』第9号の特集は「いのちの闘い 再稼働・裁判・被曝の最前線」だ。私は多くの識者を取材する中で学んだことがある。それは「被曝を無視する(反)脱原発運動は、認識が不十分である」ということだ。本号でも小野俊一医師や井戸謙一弁護士、アイリーン・美緒子・スミスさんや全国の運動報告で指摘されている通りだ。

そこで冒頭の報道である。東電は4兆2660億円の国から(つまり我々の税金から)援助を得ておいて、「まだ足らない、もっとよこせ」と言っている。一民間企業である東電がなぜ倒産しないのか。健康被害の調査や対応にしっかり体制を整えているか。民間の例外的な診療所を覗いては皆無じゃないか。140人を超える若者が甲状腺癌手術を受けても「放射能との関係はありません」と。これが政府であり福島県の正式な声明だ。

日本で唯一稼働中の原発に運転差し止め判決を出した裁判官だった井戸謙一弁護士

◆多数の人々を殺し、追い込み、住む場を奪った東電が存続できる社会は公正か?

たとえば鹿砦社が資金繰りに困ったら国は無担保で金を「援助」してくれるだろうか。そんなことはありえないじゃないか。だから中小企業の経営者は月末、年度末に資金繰りに奔走するのだ。なぜ東電だけ特別扱いなのだ。多数の人を殺し、生活苦に追い込み、住む場所を奪った東電がどうして「特別扱い」を享受できるのだろう。私にはさっぱり理屈が解らない。

が、そのからくりを理解する鍵は『NO NUKES voice』第9号に織り込まれている。結構なページ数なので全てをお読みいただくのは少々骨が折れるかもしれないが、読者の皆さんには「ああなるほど」と首肯して頂けるに違いない。

まず知らなければ判断のしようもないし、自分の意見を持つことも出来ない。その一助になればと本誌を世に送り出した。私たちは何度も何度も同じことを伝え続けなければならないだろう。それほど簡単に世が激変するものではないことを知っている。先人たちも後ろ指をさされながら、多くの人びとに無視されながらも論を曲げず、数え切れないほど同じ話を繰り返してきた。その精神に真摯に学ぼうと思う。是非お手に取ってお読み頂きたい。

マイクを握る“伊方の家”の八木健彦さん。伊方反原発の中心的人物だ(2016年7月伊方にて大宮浩平撮影)

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◎『NO NUKES voice』第9号・主な内容◎
《グラビア》
〈緊急報告〉最高裁が上告棄却! 経産省前「脱原発」テントひろばを守れ!
福島のすがた──双葉町・2016年夏の景色 飛田晋秀さん(福島在住写真家)
原発のある町と抗いの声たち 現場至上視点(3)大宮浩平さん(写真家)

《報告》持久戦を闘うテントから
三上治さん(経産省前テントひろばスタッフ)
《インタビュー》毎日の「分岐点」が勝負──脱原発への長年の歩み
アイリーン・美緒子・スミスさん(グリーン・アクション代表)
《インタビュー》脱原発の戦いに負けはない せめぎ合いに勝てる市民の力の結集を!
菅直人さん(衆議院議員、元内閣総理大臣)
《インタビュー》復活する原子力推進勢力 この国のかたち
吉岡斉さん(九州大学教授、原子力市民委員会座長)

特集:いのちの闘い―再稼働・裁判・被曝の最前線

《インタビュー》稼働中原発に停止命令を出した唯一の裁判官 弁護士に転身しても大活躍
井戸謙一さん(弁護士)
《インタビュー》帰れない福島──帰還の無理、被曝の有理
飛田晋秀さん(福島在住写真家)
《インタビュー》ウソがどれほどばらまかれても被曝の事実は変わらない
小野俊一さん(医師、元東電社員)
《報告》原発作業とヤクザたち──手配師たちに聞く山口組分裂後の福島
渋谷三七十さん(ライター)
《報告》「原発の来た町」伊方で再稼働に抗する人たち──現場至上視点撮影後記
大宮浩平さん(写真家)
《報告》三宅洋平に〝感じた〟──参院選断想
板坂剛さん(作家・舞踊家)
《報告》みたび反原連に問う!
松岡利康(本誌発行人)
《報告》私たちそれぞれが考え抜いた選択を尊重し、認めてほしいと訴えます
武石和美さん(原発避難者)
《報告》原発プロパガンダとは何か?(第7回) プロパガンダ発展期としての八〇年代と福島民報
本間龍さん(元博報堂社員、作家)
《報告》反原発に向けた想いを次世代に継いでいきたい(8)
どう考えても、今のこの国はおかしいでしょう?
納谷正基さん(『高校生進路情報番組ラジオ・キャンパス』パーソナリティ)
《報告》原発映画のマスターピース 『一〇〇〇〇〇年後の安全』と『希望の国』
小林俊之さん(ジャーナリスト)
《提案》うたの広場 「ヘイ! 九条」
佐藤雅彦さん(翻訳家)
《提案》デモ楽――デモを楽しくするプロジェクト
佐藤雅彦さん(ジャーナリスト)
《報告》再稼働阻止全国ネットワーク 
原発再稼働を遅らせてきた世論と原発反対運動五年余 
熊本大地震の脅威+中央構造線が動いた+南海トラフ地震も心配

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