【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の豹変(=コペルニクス的転換)に苦言を呈する! 鹿砦社代表 松岡利康

◆リンチ事件に対して的確に論評した前田朗教授

著名な法学者の前田朗東京造形大学教授は、ミニコミながら創刊50年を迎えた『救援』(月刊。救援連絡センター発行)紙に、2度にわたり「カウンター大学院生リンチ事件」(いわゆる「しばき隊リンチ事件」「十三ベース事件」)に対して、研究者としての良心から(と思ったのは私たちの勘違いか?)怒りをもって言及されています。

「反差別運動における暴力」(『救援』580号。2017年8月10日発行)の公表は衝撃的でした。おそらく、そこで厳しく叱責されている李信恵氏や上瀧浩子弁護士らにとっても、別の意味で衝撃的だったと思われます。前田教授は、李信恵氏らの、いわゆる「反ヘイト裁判」で意見書も提出されているといいますから。

前田教授には、リンチ関連本3冊(この時点では4弾目、5弾目は未刊)を送り意見を仰いだところでの論評の公表でした。

ここで前田教授は、私たちの営為とこの事件について、次のように評価されていました。いささか長くなりますが引用しておきます。

「本書(引用者注:前田教授は3冊をまとめて「本書」と表現している)のモチーフは単純明快である。反差別運動内部において暴力事件が発生した。反省と謝罪が必要であるにもかかわらず実行犯は反省していない。周辺の人物が事件の容認・隠蔽に加担している。被害者Mは孤独な闘いを強いられてきた。このような不正義を許してはならない」

「本書の問題提起は正当である。ヘイトスピーチは、差別、暴力、差別の煽動である。反差別と反ヘイトの思想と運動は差別にも暴力にも反対しなければならない。市民による実力行使が許されるのは、正当防衛や緊急避難などの正当化事由のある場合に限られる」

「C(引用者注:李信恵氏)が重要な反ヘイト裁判の闘いを懸命に続けていることは高く評価すべきだし、支援するべきだが、同時に本件においてはCも非難に値する」

「反差別・反ヘイトの闘いと本件においてCを擁護することはできない」

「しかし、仲間だからと言って暴力を容認することは、反差別・反ヘイト運動の自壊につながりかねない。本書が指摘するように、今からでも遅くない。背筋を正して事実と責任に向きあうべきである」

まさに至言です。「リンチはなかった」という戯言は論外として、リンチ現場にいた5人は連帯責任として真摯に反省し被害者に謝罪すべきということは言うまでもありません。

『救援』(580号。2017年8月10日発行)

さらに続いて同論考の「2」(589号。2018年5月10日発行)においても厳しく述べられています。――

「被告C」の人格については、
「長時間に及ぶ一方的な暴力の現場に居ながら、暴力を止めることも幸去ることもせず、それどころか『顔面は、赤く腫れ上がり、出血していた』原告(引用者注:M君のこと)に対して『まあ、殺されるなら入ったらいいんちゃう』と恫喝したのがCである。唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なうものである」

と断罪し、さらには、

「被告らの弁護人には知り合いが多い。かねてより敬愛してきた弁護士たちであるが、彼らはいったい何のために何をやってきたのか。(中略)あまりに情けないという自覚を有しているだろうか。差別と暴力に反対し、人権侵害を許さない職業倫理をどう考えるのか」

と怒りが溢れる物言いです。全文は別途画像をお読みください。 

『救援』(589号。2018年5月10日発行)

◆私たちはなぜ前田教授に失望したのか?

ところが……
前田教授は先頃『ヘイト・スピーチ法研究原論』(三一書房刊)を上梓され、私のもとにも送っていただきました。A5判、上製、450ページ余りにもなる分厚い本で、本体価格も4600円という高価です。

『救援』紙に上記のような論評をされたので期待を持って紐解くと、期待に反し、リンチ事件については1行も記述されていませんでした。残念です。

なぜなら、このリンチ事件についての反省と教訓こそが反ヘイト・スピーチ運動を止揚する要だからです。いくら立派なことを述べても、身近に起きたリンチ事件という恥ずべき行為に対して真正面から取り組まない限り、虚妄であり空論でしかないでしょう。

また、前田教授が『救援』紙で強く叱責された方々に「感謝」を述べるに至っては、『救援』で述べられたことは一体何だったのか、と遺憾に思いました。

『ヘイト・スピーチ法研究原論』あとがき

さらに、6月7日の集会の案内(別紙参照)が出回っています。私のところにも回ってきました。一瞥して驚きました。すでにお送りしているリンチ関連本5冊を読まれたのならば、前田教授が豹変(コペルニクス的転換とさえ申し上げます)されたのか、と感じざるをえません。リンチ関連本5冊をつぶさに読まれたならば、リンチ関連本でも断罪した人物が中心的に関わっている集会にホイホイと出るということは常人にはできないことです。そうではないでしょうか?

6・7集会案内

実はこの文章、この集会が終わってから明らかにするつもりでしたが、瞬間湯沸かし器のように怒りが込み上げ、悠長に時が過ぎ去るまで待っておれず、本日公開に踏み切った次第です。

趙博氏は、一時はリンチ被害者のM君を庇うかのような振る舞いをしながら突然掌を返しM君や私らを大いに失望させました。M君は趙博氏を信用し貴重な多くの資料を渡しています。これらの資料を入手するためにM君に近づいたのかと思うとスパイ行為と断じます。私に言わせればリンチ事件隠蔽と二次加害のA級戦犯です。(趙博氏の裏切りについてはリンチ本第1弾『ヘイトと暴力の連鎖』P74~79、第4弾『カウンターと暴力の病理』P100~106をご覧ください)

仲岡しゅん弁護士も、一時はM君と昵懇でありながら、彼が当時務めていた法律事務所(この所長のK弁護士は私もかねてより知己があり、数件弁護を依頼したこともありました)にM君が弁護を相談するや独断で断り、これを批判されるや各所でM君や私たちへの誹謗中傷を述べています。(仲岡弁護士については第3弾『人権と暴力の深層』P105~110をご覧ください)

さらに元大阪門真市議の戸田ひさよし氏は、ブログ「凪論」を主宰していたN氏の職場(児童相談所)を突然訪れN氏の業務を妨害しています。N氏は一般市民で下級公務員、こうした業務妨害行為でN氏が職場にいずらくなることが判っているのに平気で行い、これを意気揚々とネットで流しています。

これを受け拡散した「ぱよぱよちーん」こと久保田直己氏はN氏に訴えられ敗訴しています(静岡地裁2019年3月29日判決言渡。久保田代理人は神原元弁護士)。久保田氏は悪名高い「はすみリスト」の作成者として有名ですが、戸田氏や久保田氏の行為は、とても賛同できません。社会には、仮に相手が逆の意見でも、常識的なルールというものがあり、これを踏みにじってはいけません。そう思いませんか?

戸田氏とはかつて(10年余り前)交流がありましたが、こうしたことを平気でやったり、有田芳生参議院議員はじめ「カウンター」/「しばき隊」のメンバーと親密にしていることなどから最近は距離を置いています。

こうした人物が3人も中心的に関わる集会に前田教授が出られるということについては、前田教授にもなんらかの“意図”があるものと察しますが、ご説明いただきたく望みます。

また、前田教授は、リンチ事件隠蔽活動の拠点と化したともいえる「のりこえねっと」の共同代表ですので、ここを改革するとか、他の共同代表の方々にリンチ事件の内容を知らせ議論を惹起するように努めることに、まずは手をつけるべきではないでしょうか。なんのための「共同代表」でしょうか。

前田教授の最新著と、前田教授が講師として参加される6月7日の集会について、私見を申し述べさせていただきました。あまりに失望しましたので、いきおい表現が直截的になりました。

上記のような内容で資料を付け、去る5月21日に前田教授に手紙を出しました。真摯な説明を待ちたいと思います。

手紙の返信を待たずに、あえて公開しました。読者の皆様方は、今後の前田教授が、私の物言いをどう受け止め、どう説明されるのか――留意して待っていただきたいと思います。私たちの「勘違い」であればいいのですが……。

この3年余り、リンチ事件の真相究明と被害者支援の活動で見えた問題の一つとして「知識人」の存在があります。リンチ事件という凄惨な事件が身近で起きたのに、有名無名問わず多くの人たちが、隠蔽に加担したり沈黙したり、うまく逃げたりしたことなどを見ました。

「知識人」とは、こういう時にこそ存在理由があり真価の是非がわかろうというものです。「みんなずるい!」というのが私の率直な感想です。1980年代前半から長年付き合いがあった鈴木邦男氏とは義絶せざるをえませんでした。鈴木氏は、ああ見えても結構計算高い人で、私など小物よりも、辛淑玉、香山リカ、金明秀、安田浩一氏ら「のりこえねっと」に蝟集する著名人を選択したのだと思います。

この「反差別」運動において起きた問題について、常に私は「私の言っていることは間違っているか?」と自らにもみなさん方にも問いかけています。今回は中途半端に済ませることはできません。将来ある一人の大学院生が村八分(これは差別ではないのでしょうか?)にされ正当な謝罪や補償もなされず、マスコミも報じず、事件そのものが隠蔽され、極端に言えば闇に葬られようとしてます。ですから、取材も、私の長い出版人生の中で一番徹底して行いました。それは5冊の本に結実しています。

私は愚鈍・愚直な田舎者ですから、許せないことは許せません。齢を重ねて、少しは丸くなりましたが、それでもやはり生来染み付いた体質は変わりません。

これまでの人生を、人間として出版人として私なりに精一杯闘ってきたという自負ぐらいあります。「反差別チンピラ」(作家・森奈津子氏のしばき隊/カウンター評価)如きには負けません!

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

「領土を戦争で取りもどす」政治家丸山穂高のせこい現実

あえて「戦争で失われた領土は、戦争でしか取りもどせない」という暴論にも、政治の真理があると評価しておこう。元維新の会、衆議院議員の松山穂高の発言である。「戦争で」という発言も、ある意味では正しい。領土交渉で相手国に遅れをとる政治家を、国民はけっして許さない。外交的な方法でおこなう領土交渉では、絶対に何も解決しないからだ。

例外的にあるならば、ヒトラー執政下のドイツがチェコのボヘミア地方をスデーテンとして割譲した、いわばドイツ系住民の民族自決権行使がある。それ以前にも、オーストリア併合がある。現在のロシアによるクリミア併合問題に見られるように、大陸は多民族が混住するがゆえに、民族問題と領土問題が不可分なのである。


◎[参考動画]「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか反対ですか」維新・丸山議員の音声データ(朝日新聞社 2019/5/13公開)

 
丸山穂高議員のHPより

◆平和憲法の否定

しかし、日本の領土問題は島嶼である。領土それ自体が意志を持っているわけではなく、住民の意志であれば北方領土はロシア人のものだ。そこで、ロシアの混乱につけ込んで四島を取りもどしてしまえ、戦争でしかどうにもならないですよね。ということになったわけだ。そしてその言動が、平和憲法にそむく。したがって、国会議員にふさわしくないものであるのは自明だ。

丸山穂高は稚拙なその意図はともかく、戦争という外交手段を扇動することで平和裏にすすめられてきた日露交渉、積み重ねられてきた経済交流を破壊しようとしたのだ。維新の会が即座に除名処分としたのは、至極当然の話である。もしも過去の砲艦外交や領土問題の困難で戦争に言及するのなら、紛争島嶼の共同統治論(過去に本欄で筆者が提言した)を考えてみるべきであった。

除名された丸山議員はしかし、野党の辞職勧告決議案を批判し、徹底抗戦のかまえを見せている。それはそれで、政治家の出処進退はみずから決すると、ある意味では思想信条は譲らない見識というものかもしれない。しかしながら、その丸山議員に不正蓄財の噂があるのだ。

◆通信交通費を政治団体に還流か?

政治家がなかなか議員辞職をしないのは、辞職が失職を意味するからだ。失職するのは、ひとり議員だけではない。3人いる公設秘書、すくなくとも数人はいる私設秘書も、同時に失職するのだ。歳費は年棒だが、支給は月単位である。丸山議員およびそのスタッフは、辞表した翌月から給与がなくなるわけだ。

 
日刊ゲンダイ(2019年5月18日付)より

そしてそれ以上に、丸山議員を執着させているものがあるようだ。日刊ゲンダイが報じるところを紹介しよう。

問題ではないかとされているのは、月額100万円支給される「文書通信交通滞在費」である。日刊ゲンダイ(2019年5月18日付)によれば「丸山議員は15年10月から毎月74万~90万円の幅の文通費を『資金管理団体の繰入(寄付)』として計上。主な内訳は『事務所賃料』『駐車場代・複合機リース費・等』と記載している。ところが、丸山議員の資金管理団体『穂高会』の政治資金収支報告書のうち、現在閲覧可能な15~17年分をどれだけめくっても、『複合機リース費』なる支出は一切、出てこない」というのだ。日刊ゲンダイの云うところをつづけよう。

「報告書に計上されている月々5万円の『事務所賃料』と月々1万6,000円の『駐車場代』を差し引くと、15年10月~17年12月の27カ月間で総額2,016万9,676円の税金の使途が『宙に浮いている』状況である」という。2年3カ月で2,017万円、つまり月額約75万円をプールしているのだ。これを不正蓄財と呼ばずして何であろう。

日刊ゲンダイの調査によると、資金プールには穂高会が利用されているようだ。上記の架空の「複合機のリース料」などとして蓄財されるにつれて、穂高会の繰越金が多くなっている。

「穂高会の収支報告書をチェックすると、新たに不可解な点が浮かび上がった。穂高会の収入が14年末からの3年間で急増しているのだ。15年分の収支報告書を見ると、『前年からの繰越額』には約374万円と記され『翌年への繰越額』には、約1,709万円と記載があった。それが16年末には約2,989万円となり、17年末は約3,701万円に。3年間で10倍近くに膨れ上がっている」というのだ。

◆ツィート(つぶやき)だけではなく、記者会見を

辞職勧告が「この国の言論の自由が危ぶまれる」「言論府が自らの首を絞める行為に等しい」(丸山議員のツィート)というのなら、テレビでもラジオでも、あるいはネットメディアでも「北方領土問題についての意見」を堂々と論じればよい。じっさいに「議員辞職勧告」に対しても「言われたまま黙り込むことはしない」と言うのだから、記者会見を開くべきであろう。そのさいに、歳費の政治資金への流用、および使途不明金についての質問がおよぶのは間違いないと指摘しておこう。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

司法が画期的判断! 滋賀医大附属病院を相手取り「治療妨害の禁止」を求めた岡本医師と患者7名の仮処分申立て、大津地裁が請求を認める決定下す!

決定を前に勝利を確信して語る宮内さん

5月20日、滋賀医大小線源講座で岡本圭生医師の治療を希望しながら、病院側の一方的な通告により岡本医師の手術を受けることができない、ハイリスク前立腺がん7名の患者さんと岡本医師が「治療妨害の禁止」を求め、大津地裁に仮処分を申し立てていた事件について、大津地裁(西岡繁泰靖裁判長)は、岡本医師の申立てを全面的に認める決定を下した。

患者さんと岡本医師には、代理人を通じて「(5月)20日に決定を出す」と5月17日に連絡が入っていたそうだ。

決定の発表を控えて申立人の宮内さんは、既に勝利を前提とした心境を明かしていた。

裁判所に入る宮内さんと鳥居さん

「たぶん常識的な判断を裁判所はしてくれると思います。でもこれで終わりじゃないんですよね。文字通り『同病相憐れむ』ではないですが、我々の後に患者になられる方が、ほとんど確実に治る治療を受けたくなるのが当たり前です。そのためには岡本先生に大学に残って頂いて後進を育てていただきたいです。これはまだ一里塚で本当のゴールは『岡本メソッド』が全国どこでも不安なく享受できる姿になるべきだと思います」

これまで滋賀医大問題では行政への申し入れや、街頭活動も当初は朝日新聞を除き大手メディアは一切無視。黒藪哲哉さんが参戦していただいたころからようやくマスコミの注目が集まり始めた。

あの頃を思い返すとわたし自身、妥当な決定を確信していたが、宮内さんよりも内心、最悪のケースへの懸念が抜けなかったのが正直な心境だ。

軽快な足取りで駆け出してくる宮内さんと鳥居さん

13時30分、弁護団と申し立て患者、鳥居さんと宮内さんが大津地裁に入った。

13時36分頃、裁判所内で決定書を受け取った鳥居さんと宮内さんが、裁判所玄関から正門へ向かい駆け出してきた。

二人は朗らかな表情で「待機患者の救済認められる!」のメッセージを裁判所の外で待つ患者会メンバーと、マスコミに掲げた。

「おめでとう!」の声と拍手が沸き起こった。鳥居さんは、決定内容への質問に対して「われわれ7人だけではなく、現在岡本先生の治療を受けて手術を希望している患者の11月までの手術も認められました!」と満面の笑顔で語った。

文字通りの完全勝利であった。

笑顔で勝利のメッセージを掲げる
「裁判所は病院に強い警告を発した」と解説する小原弁護士

16時30分から教育会館で岡本医師も参加し記者会見が開かれた。弁護団の石川賢治弁護士と小原弁護士が決定内容とその意義を解説した。

小原弁護士は、決定について、「岡本医師の申立てははほぼすべて認められた一方で患者側の訴えは却下ですが、内容を拝見しますと、患者も治療を受けられる結果に変わりはありません。したがって我々から見ると、『病院が医師の治療を制限した』措置に対して『そのような制限は許されない』と裁判所が、強い警告を導いたと理解しています。前例のないケースについて画期的な判断をしていただいたと理解しております。今回大津地裁の決定に対して深い敬意を表したいと思います。特に待機患者の方々は高リスクの前立腺がんを抱えた方々です。こうした人々の治療が放置されることに対して、裁判所としても強い警告を発したといっていいのかと思います。患者に寄り添った判断をしていただいたと思います。個人的な感想ですが最近の裁判所は、ともすると大きな組織に対してはその措置を覆すことに、ためらいがちだという印象を持っておりましたが、今回の大津地裁は果敢な判断をしていただき、きちっとした患者の立場に立った判断が行われたと考えております。大学あるいは病院に、是非要請したいことは、裁判所がメッセージとして発した『患者を第一に考える』を強く受け止めていただいて、是非この決定に対しては、異議の申し立て等をせず、すぐさま7月以降治療にとりかかれるよう強く要望したいと思います」と評価した。

決定への感想を述べる岡本医師

続いて岡本医師がコメントを求められた。

「今回私の治療を頼って、全国から来られている患者さんに対して、私の治療を認めるという判断が司法からなされたことで、前立腺癌で私を受診し治療を待望し、今や遅しと待って頂いている方にとって、大変ありがたい判断をしていただいたと思っております。担当医として裁判所の適正な判断に、心から敬意と感謝を表したいと思います。今回の仮処分においてわれわれが提起した問題はなにかということは、そもそも『医療とは誰のものなのか』。『医療とは誰のために行われるものか』という、根本的な問いであります。いうまでもなく医療は患者さんのために存在し、患者さんを救うために行われるべきです。医療を守っていく立場の人間の一人として、今回、医療の秩序を守るべき決定がなされたこと今後社会的にも大変重要な意義を持つのではないかと考えます。やはり医師の使命は『患者ファースト』であり『患者さんの命を救う』ことです。それが阻害される医療環境、あるいは教育機関であっては医療は立ち行かないと思います。これを機に医療の在り方を、メディアの方・社会もしっかり考えていただいて、あるべき姿に戻していただきたい、と強く望む次第です」と岡本医師は断言した。

喜びと覚悟を語る鳥居さん

続いて待機患者の鳥居さんが感想を述べた。

「今回こういう結果になって本当に喜んでおります。弁護士の先生方には深くお礼を申し上げたいです。それ以上に患者会の皆様。『待機患者のために』と本当にいろいろなことをしていただいたことに、頭が下がる思いでございます。ありがとうございました。皆様のおかげでこういう結果を勝ち取れたと思っています。ただ個人としては喜んでいますが、11月26日ということはそれ以降のことは、まだ未定なのでその点では心配しています。というのも非常に多くの方が岡本先生の治療を受けたいという声が上がっているからです。たくさん待っておられる方のことを考えると、これからが勝負のしどころ、と肝に銘じています。治療が終わって完治しましたら、今度は患者会の方々がわたしたちにしていただいた、それ以上の行動をして、前立腺がんで苦しんでいる患者のためにできることをしてゆきたいと思います」と将来への展望も含め感想を語った。

ついで宮内さんも「患者に寄り添った命令を出していただいた裁判所に感謝申し上げます。弁護団の先生方、マスコミの方々にもお力添えを頂き、同僚といったらおかしいですが、患者会の皆さんにも、自らの治療が終わっているにもかかわらず我々患者のために動いていただいたことを心から感謝申し上げます」と感謝の念を述べた。宮内さんは続いて、決定が出る前に伺ったの同様の内容とコメントした。

このニュースは関西地方で同日の夕刻、MBS、ABC、関西テレビ、琵琶湖テレビで放送された。ところがNHKテレビカメラの姿は、裁判所前にも、記者会見の席にもなかった。また、記者会見で京都滋賀に大きな力を持つ新聞の記者は、決定の意味を意図的に薄めようとしているかのような質問を発していた。

滋賀医大がこの決定を不服と判断すれば、法的には「仮処分異議」をおこなうことができる。しかし、その行為はすなはち「司法の判断を受けても、患者に治療をさせない=命の大切さを度外視する」ものであることは理解されよう。この決定が確定し、ごく当たり前に手術を受ける権利を持つ患者さんたちが、安心した健康を取り戻す日を切望せずにはいられない。弁護団、マスメディアの誰もが口にしていたが、歴史的な決定が出た一日であった。

◎患者会のURL https://siga-kanjakai.syousengen.net/
◎ネット署名へもご協力を! http://ur0.link/OngR

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

君には「狼」の咆哮が聞こえるか ──『赤軍と白軍の狭間に』『反日革命宣言』など、革命のオルタナティヴを問う鹿砦社の歴史的名著を風塵社が続々復刊!

「反日」──。この言葉だけで、理屈も史実もへったくれもなく、「叩く対象」と決めてかかっている「ネトウヨ」が日本には約59万1,301人ほどいるらしい。

「約」としながらも、細かい数字までわかったのは最近、公安調査庁が開発した「ネトウヨセンサー」によって、割り出された数字がもたらされたからだ。

風が吹けば塵が飛ぶ──。そんな名前の出版社がある。大方赤字の出版社がひしめき合う、東京・文京区の一角。湯島にも本郷にも近い好立地に、「風塵社」はひっそりと居を構えている。

資本金、年間売上高、社員数などは知らない。ただし最近(といっても数か月前だが)、『反日革命宣言 東アジア反日武装戦線戦の戦闘史』が復刊されたニュースは読者にお伝えせねばならない。

そもそも鹿砦社は、創立時代に硬派左翼書籍を多数出版していた。その世界では知る人ぞ知る出版社でもあった。

現在の社員は社長を除いて誰も左翼経験はないが、「鹿砦社を知らなければ左翼ではない」なあぁんて言われた時代もあったのだ。

「反日」攻撃が約59万1,301人を中心に荒れ狂う時代に、風塵社は、「火中の栗」を拾う覚悟を決め、鹿砦社に「古く硬い書籍の版権を○○万円で譲ってくれないか」との話を持ち掛けてきたという(版権の額については諸説あり、明らかではない)。

この申し出は、鹿砦社社内で慎重に検討された結果、無償で風塵社の要請に応じることが決定された。

鹿砦社から版権を譲り受けた風塵社は、2017年7月に『赤軍と白軍の狭間に』(トロツキー著、楠木俊訳)、同年8月に『赤軍 草創から粛清まで』(ヴォレンベルグ著、島谷逸夫・大木貞一訳)、同年9月に『赤軍の形成』(レーニン、トロツキー、フルンゼほか著、革命軍事論研究会訳)、同年11月に『マフノ叛乱軍史』(アルシーノフ著、奥野路介訳)、12月に『クロンシュタット叛乱』(イダ・メット、トロツキ―著、湯浅赳男訳)、『ブハーリン裁判』(ソ連邦司法人民委員部編、鈴木英夫訳)を矢継ぎ早に復刊。まさに白軍に迫る赤軍の勢いさながら、毎月復刊を続けていた。

書影左から『赤軍と白軍の狭間に』(トロツキー著)、『赤軍―草創から粛清まで』(エーリヒ ヴォレンベルク著)、『赤軍の形成』(レーニン、トロツキー、ベルクマン、スミルガ、ソコリニコフその他著)
書影左から『マフノ叛乱軍史―ロシア革命と農民戦争』(アルシーノフ著)、『クロンシュタット叛乱』(イダ・メット、レオン・トロツキー著)、『ブハーリン裁判』(ソ連邦司法人民委員部/トロツキー著 )

上記に紹介した書籍は、いずれもロシア革命関連の、いわば「史料」であるが、レーニンの登場はあるものの、ロシア革命の真実をスターリンではなくトロツキーなどの視点から検証し、記録するという意志が貫かれており、「ロシア革命100周年」を迎えた出版界においても、異色のラインアップということができよう。

 
『反日革命宣言』東アジア反日武装戦線KF部隊(準)(著)/風塵社(編集)、講演 太田昌国 (その他)

そして本年1月、ついに『反日革命宣言 東アジア反日武装戦線戦の戦闘史』が復刊された。ロシア革命の側面史を記したシリーズとは異なり、『反日革命宣言』は、日本における現代史であり現代詩である。

そしてまぎれなく、『反日革命宣言』は2019年5月中盤の日本人に「あなたはどうなのだ?」と胸ぐらをつかむような問いかけを重ねる。

“いま、日本に生きることの意味は、歴史的文脈によっても解析されねばならない”

『反日革命宣言』のどこを探しても、そのような記述はない。が、本書を読了された諸氏は、必ず上記の設問に胸を絞めつけられるはずだ。なぜならば、繰り返すが『反日革命宣言』は、歴史書ではなくわれわれが、日頃目を背けるか、あるいは無知にして知らないだけの近現代史を、実に忠実に掘り起こし、その主体に対する「オトシマエ」までつけた「行動の報告」でもあるからだ。

詳細は実際に『反日革命宣言』を手に取って確認されたい。紹介するにあたり最後に断言しよう。これほど真摯に歴史と世襲的罪に向き合った日本人が、かつていたであろうか。将来現れるであろうか。あなたは、真に誇らしい「歴史処理(オトシマエ)人」の存在に打ちひしがれるであろう。

またこの先、風塵社は、鹿砦社から過去に刊行された左翼社会革命党関連の復刊を予定しているらしい。

▼小松右京(こまつ うきょう)
ライター兼日雇い労働者。初老にさしかかり体のあちこちにガタがきて、仕事にあぶれる日が多いのが心配事。ネットカフェ愛好者。

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代‐京都 学生運動解体期の物語と記憶』
 
板坂剛と日大芸術学部OBの会『思い出そう! 一九六八年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』

老いの風景〈14〉自分から行きたいと言い出したデイサービス

平均寿命が延び、高齢の親御さんやご親戚家族の健康について、悩みを抱える方が多いのではないでしょうか。私自身、予期もせず元気で健康、快活だった母の言動に異変を感じたのは数年前のことでした。そして以降だんだんと認知症の症状が見受けられるようになりました。今も独り暮らしを続ける89歳の母、民江さん。母にまつわる様々な出来事と娘の思いを一人語りでお伝えしてゆきます。同じような困難を抱えている方々に伝わりますように。

朝の住宅街、デイサービスの名前が書かれた車を当たり前のように目にするこの頃です。年寄り扱いをされるのが大嫌いだった民江さんが、自分からデイサービスへ行きたいと言い出したのは、2年前87歳の時でした。他の人と交流することで少しでも認知症の進行を抑えられるのではないかという思いで、週に3日お世話になることにしました。とても気に入ったとのことで徐々に増やし、現在は週に5日ほど通っています。デイサービスは、ご高齢の方にとっても、お世話をしているご家族の方にとっても、大変有り難いものです。今日はそのデイサービス(通所介護施設)のお話をします。

◆デイサービスでの民江さんの一日

朝9時頃、スタッフが玄関までお迎えに来てくれます。何人かをピックアップして施設に到着すると、看護師さんによる体温や血圧測定などの健康チェックがあります。朝の挨拶と日課の説明が済むと、毎日まずお風呂です。スタッフはたった2人か3人で利用者は10人以上。歩行や自立が難しい方のための機械浴、感染防止のための個浴、その他の一般浴、それぞれの状態に合わせて安全にお風呂に入れていただきます。

お風呂から上がると、テーブルの上に名前の付いたコップが置かれ、スポーツドリンクが準備してあるそうです。これを飲みながら周りの方と談笑しているのかなと思います。毎日ぬり絵や漢字クイズなどを持ち帰ってくるので、これらもそんな時間にやっているのかもしれません。

運動器具を使った軽いトレーニングや指先を使う折り紙や貼り絵、日替わりのレクリエーション(ペットボトルや風船を使って体を動かす簡単なゲーム)、カラオケや映画鑑賞などのお楽しみ、移動スーパーが来てお買い物、お習字や手芸、おやつを手作りすることもあります。

昼食は月に一度はバイキング形式ですし、ちょっと豪華な日もあります。そうそう、3時にはおやつタイムがあり、食後はかならず歯を磨くようです。園児やコーラスグループなどの慰問を受けたり、車で近所の公園へ出かけたり、お誕生日会や季節のイベントなどなど……たくさんの行事が組み込まれていることが、毎月の予定表からわかります。

スタッフの方々はサンタクロースになったり、鬼になったり、法被を着たり、浴衣を着たり……これらも毎月の写真入りのお便りから見て取れます。そして夕方5時頃、玄関まで送っていただき、別途注文(希望者のみ)した夕食用のお弁当を受け取って終了です。連絡帳には、必ずその日の体温と血圧、入浴の有無とその日の様子が記されています。

平均的かどうかはわかりませんが、民江さんが利用している全国展開のデイサービスはこんな感じです。行き始めたころに感想を聞くと「幼稚園みたいだわ」とのことでした。確かにそうですね。

◆費用について

デイサービスに係る費用はいろいろな条件(介護度、地域、利用時間、収入、施設)によって変わってきます。介護サービスというのは、その内容によって単位で表され、単位数に地域ごとの人件費を調整する係数(単価)をかけたものが料金となります。介護度が高くなると手がかかるので単位が上がります。が、支給限度額が上がるので利用できる回数は増えます。

施設によって入浴や機能訓練のサービス加算が異なります。それらを合算し、利用者が支払う金額はその1割(一定以上の収入があると2割)です。支給限度額を超えた分は実費となりますが、高額になると払い戻し制度があるので、ある程度返ってきます。

さて、年金暮らしで要介護1の民江さんの場合、一日約2300円です。先にご説明した介護費用(本人負担1割)が約800円、そして食事代(昼食・おやつ・夕食)が実費1500円です。週に4回、朝から夕方までお世話になって、2食いただいて、4万円でお釣りがくるぐらいでしょうか。デイサービス以外に介護保険を利用していないので、週に4日は十分限度内で通所可能です。大変有難いです。

以上が民江さんの通うデイサービスです。

一般的なデイサービスは男女比が2:8ぐらいと言われています。中には移動や食事や排泄に必ず介助が必要な介護度の高い方もいらっしゃいます。わがままを言う人もいるでしょうし、喧嘩も起きるでしょう。現に民江さんも喧嘩をしてきています。そんな中で皆が安全に心地よく過ごすことができるのは、スタッフの方々のお陰です。

残念なことに民江さんは認知症なので、デイサービスで何をしてきたか、家に着いた頃には忘れています。帰宅すると電話がかかってきますが、いつも「お弁当食べたから寝るね」と言うだけ。せっかく公園へお花見に行っても、ゆず湯に入っても、テラスでバーベキューをしても、民江さんの口から「今日はね……」と聞いたことはありません。でも、毎日楽しみにしていることが、心地よく過ごしていることの証です。施設長のお人柄とスタッフの心配りには頭が下がるばかりです。

地域によっては施設の数が少なくて満足のいくサービスが受けられないこともあるようですが、もし利用してみようと思われた方は、まずケアマネージャーさんに相談をして、個々の希望に合った施設を探してもらってください。まだケアマネージャーさんとお付き合いのない方は、役所の福祉課や地域包括支援センターへ行き、要介護認定の申請をすることから始めることになります。

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)[文とイラスト]
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

最新月刊『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
大学関係者必読の書 田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

私の内なるタイとムエタイ〈58〉タイで三日坊主!Part.50 ブンカーンで思い出す藤川さんの言葉

ブンカーンののどかな風景
ブンカーンで見たお寺のひとつ、ワット・シーソーポン

◆ブンカーンに到着

ブンカーンへの寄り道は仏門とは関係ないが、過去に藤川さんが語った話題の中には、やや関連してくる人間模様があった。

ノンカイの都市部から昼頃出発した暑くて窮屈なバスは、だんだん人里寂しくなるような田舎道を通って、2時間近く掛かってブンカーンに着いた。今、横浜で出稼ぎ労働しているプット(仮称)という友達に5年前に連れられて来たバスターミナル広場に到着すると、見覚えある小さな時計台があって間違い無く着いたことが認識できた。

すると、地元民とは見えないのであろう私に近づくトゥクトゥクの運ちゃん。私が先に「この辺にホテルはあるか?」と聞くと「ある!」と応えられた。ならば泊まるところの心配は無さそうだ。ホテルに行くと思ってトゥクトゥクを出そうとした運ちゃんに「この辺に郵便局はあるか?」と尋ねた。「あるがどうした?」と言う運ちゃんに「そこに行ってくれ!」と指示。

プットのお姉さんが勤めるのがその郵便局であるはずだった。郵便局は日本の田舎の古い木造の郵便局とさほど変わらない造りの局内で、窓口でお客さんの応対をしていた職員の顔を見てすぐプットのお姉さんと分かった。次に並んだ私と対面となり、プットから送られていた手紙にあるお姉さんの名前を尋ね、私の身分を明かすと、5年前に私が訪れたことを思い出して笑顔になって、すぐ窓口の内側に招いてくれた。

ここはタイの田舎の郵便局。日本のような警備上の仕切り線は緩い。旦那さんもここに勤めていて、早速「今日は泊まって行け!」と言ってくれた。先日に続き“そう言って欲しかったよ”と心で思いつつお世話になることにした。

夕方4時30分まで勤務と言うので近くを散策。メコン河沿いを歩くと、ノンカイ都市部から見る対岸とあまり変わらないのがラオスの風景。近くのお寺も2ヶ所覗いて見た。小奇麗で静かな佇まい。「ここで再び出家できたら誰にもバレずに過ごせるなあ」といった悪知恵も頭を過ぎってしまう。そこは私の知り合いの誰もが、とてもここまで来る縁は無いだろうと思える人里離れた静かな集落なのである。

ブンカーンから見た対岸ラオス
時計台があるブンカーン中心部、懐かしい風景となった

◆家族の心配

夜はこのプットの家でしっかり御馳走になった。飲めぬビールも一杯だけ付き合い、家族は他にプットとソックリの妹さんと、前回来た時はまだ2歳ぐらいだった女の子も大きくなっていた(親戚のオジサンや子供も出入りして、もう記憶が曖昧で家族構成は分からない)。

プットが日本でどんな環境で仕事しているか、ただ元気にしているかという、どこの国の親兄弟も同じような心配。手紙のやり取りや国際電話は来るので、様子が分からない訳ではないが、私が持って行ったわずかながらの写真と、直接知るその暮らしの様子を話してやると興味津々に聴き入り、辻褄合う話に置かれている環境は安心できるものと喜んで貰えた。

もし私の両親が、私がタイで出家したことを知ろうものなら、安心できる環境か、ちゃんと帰って来られるのか、その様子を詳しく知る者を探して食い入るように聴くだろう。もしそんな事態に陥っていたとしたら応えてくれるのは高津くんと春原さんしかいないな。そんな親が思う心配を考えてしまった。無事にタイの旅を終えようとしている今、帰国後は実家に行かねばならないとも思ってしまう、この一家に促されるような思いだった。

ブンカーンの広い大地
お寺ふたつめ、ワット・ブップラーソン

◆貧困の国とは!?

タイで最も貧困のタイ東北部から日本へ出稼ぎに来る“じゃぱゆきさん”といった女性の話題が続いた1990年代でもあったが、フィリピンボクサーやタイボクサーによる不法就労が増えた時代でもあった。

「日本で稼いだお金を持ってタイの田舎に帰り、両親に捧げる。生活苦だった両親や幼い兄弟達が潤い、進学できたり、車やバイク、電化製品が買え、家も建て替えることが出来た。」といった貧困の中での親孝行物語が本に書かれたり、テレビなどの報道で語られたりして、藤川さんは「ワシはそんなもん信じとらん」と言っていたものだった。

私も比丘の姿でバンコクに出た時、藤川さんが町田さんや小林さんに話していたのが、「イサーン(タイ東北部)の人は本当に貧しいんか? 自然に適った風通しのいい高床式住居があるのに出稼ぎした奴らによって綺麗で密閉された日本式住居が増えて、その結果エアコンが必要になるやろ。我々日本人の高度経済成長で作り上げた文明が彼らを羨ましがらせて、本来の幸せを壊して来たんやないか? 毎朝、坊主(比丘)に寄進する飯は、貧乏な家でも一人の一日分は用意できる訳や。これが本当の貧しさか?」と言っていた話が蘇える。

このブンカーンの街を歩いてみても、それなりに雑貨屋や市場はあり、友達の家で頂いた料理は、私がお客さんだからそう振舞ったのかもしれないが、アナンさんの家と変わらない質と量があり、家は木造の古そうな家だが広く、犬も飼われていて貧乏とは言えない中流家庭であった。

プットはなぜ出稼ぎ労働することになったのだろうか。以前、「仕事が無いから」とは言っていたが、バンコクでのムエタイ関係のビジネスを辞めた後、グレード低くなる暮らしはできないプライドがあったのかもしれない。

藤川さんが言っていた、「出稼ぎしたお金で“まず両親を楽させる”という奴は、ほんの2~3パーセントや。他は“まず自分が贅沢したい”為の出稼ぎ労働者、バンコクに出ておる娼婦も同んなじやな」。

私が比丘であった期間、お金を払って食事したことは一度も無かった(飲み物は買ったが)。タイは貧富の格差が広がり、干ばつで農作物が育たないタイ東北部では貧困が続くと言われた1990年代前半に、「本当の意味では貧困ではない」というのが、藤川さんの考え方で、“本当の幸せとは何か”を説いていたのも長き比丘生活での課題だった。藤川さんと会わなくなってからいろいろ思い出すが、各地を歩いた藤川さんの話は信憑性があるものばかりだった。

ブンカーンの映画館

◆三度ラオスへ渡る

この地にも暫くのんびり過ごしてみたい気もあったが、ひとつ役目も果たしたところで他人の家に意味無く長居も出来ないから、もうラオスに渡ることにした(後に考えればこの地域からラオスに渡る道は無かったかなと思うが、当時は限られたルートしか分からなかった)。

旦那さんにバスターミナルまで送られる中、「今度来た時は4~5日泊まって行け!」と言ってくれた。「じゃあ今からもう暫く居ていい?」と思っても口には出さずも、こんな僻地はお寺も含めていいもんだった。

またバスに乗ってノンカイ都市部へ戻り、トゥクトゥクに乗って、そのままタイ・ラオス友好橋へ向かった。あまり遅くなってはいけない。ホテルには極力泊まらないケチケチ旅行だから、行く先は前回訪れたワット・チェンウェーなのである。

3度目の国境越えであるが、職員かただのオバサンか分からぬ人達の指で示す方向へ行って、タイ出国手続きを経てバスに乗り、橋を越えればラオス入国手続きを経てタクシーの運ちゃんに群がられることになる。もうすっかり慣れた感じもあるビエンチャンに三度渡ったところだった。

プットの家の近く、ラオスと似た風景だった

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

最新月刊『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』
上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

かつて存在した伊豆大島独立論 残されたのは”建国”か〈前編〉

現在沖縄県では、日本当局による辺野古新基地の建設強行やそれまでの歴史的経緯も踏まえ、「琉球独立」に関する議論が本格的な行われている。琉球独立党の系譜を受け継ぐ「かりゆしクラブ」は2015年に、他の独立派と共に日本政府に対して琉球の独立を主張。また、2013年は松島泰勝・龍谷大学教授や友知正樹・沖縄国際大学教授、桃原一彦・沖縄国際大学准教授らによって「琉球民族独立総合研究会」が設立されている。他にも、沖縄県民の中には日本社会への反発からか本土を「日本」と呼んで他国のように認識している人もいる。

今の日本では「独立」に関する議論は琉球列島のみで認知されているが琉球に限定せずに、今の安倍政権に不満を持つ者であれば誰であれ、独立・建国という手法について議論してもよいのではないかと思う。そもそも現状を見れば、共謀罪成立や裁判所の腐敗(極端に言うともはや存在意義なし)、主要メディアの大政翼賛会化、選挙での自公の連戦圧勝などでもはや政治参加による改革は絶望的と言わざるを得ない状況になっている。

伊豆諸島の地図。「大島」が伊豆大島

◆かつて存在した伊豆大島独立論

敗戦直後、ある島が日本からの独立について考えたことがあった。それは伊豆大島である。伊豆大島と言えば、川端康成の「伊豆の踊り子」や三原山の大噴火、椿の生産などで有名な島である。東京の竹芝桟橋から南に120㎞、夜行船で揺られること8時間、伊豆諸島のもっとも北に位置し、他の新島や式根島などに比べても人口も多く土地も広い島である。

伊豆大島の独立構想についての新聞記事(『幻の憲法「大島大誓言」が行方不明に』)や当時の関係者へのインタビューや資料の整理を実施した『伊豆大島独立構想と1946年暫定憲法』(榎澤幸広、名古屋学院大学論集 社会科学篇 第49巻 第4号 pp125-150)という論文がある。

この論文によると、1946年1月下旬~3月22日の間に島民たちが自力で伊豆大島暫定憲法(正式名称・大島大誓言。以下、大島憲法)を策定したという。当時は島内に法律専門家がおらず、一人一人が持てる知識を生かして考案したようである。

大島憲法が制定されるに至ったきっかけは、1946年1月29日のGHQ覚書(正式名・「日本からの一定の外辺地域の政治的行政的分離」)にあった。この中で、琉球諸島や小笠原諸島などとともに伊豆大島も日本政府の統治領域から除外されることになった。

この情報を得た伊豆諸島の各島では、異なる反応があった。利島では日本への復帰を求める運動が起き、式根島では日本からの分離については噂程度にとどまったので大きな運動はなかった。伊豆大島・八丈島・三宅島では独立を模索する方向に向かった。この中で、もっとも具体的に独立が議論されたのが伊豆大島であった。

1986年に大噴火を起こした伊豆大島の三原山。黒いのが溶岩の流れた痕跡

日本からの分離となると、米軍の支配を受ける可能性が高くなる。そうなるなら、自分たちで独立しようという考えであった。この流れの中で、島の関係者が集まって大島憲法が作成されていくことになる。

この大島憲法が考案されるより前に開かれた大島島民会では大島憲法につながる理念の整理が実施された。そこでは、「軍国主義が破滅への道を開いたこと」「戦争を疑わずに国家に協力したことで島を悲惨な状況に導いたこと」「理想郷を作り、世界平和に貢献すること」などといったことがまとめられていた。

その後、作成された大島憲法は島民を主権者とする統治体制、直接民主主義的な要素、議会解散や執政不信任に対する有権者による賛否投票、平和主義の強調などの趣旨を盛り込んでおり、日本国憲法との共通点を持つ。

驚くべきは憲法を作ったのは、島民たちでその中に法律の専門家は全くいなかったということである。作成に関わった者の職業は大工、茶屋の主人、教師などであり、彼らは文献や新聞で法律に関する知識を得て社会活動に関わっていたものの、決して専門家ではなかった。法律については「素人」といっても過言ではない彼らが、ましてや憲法を作ろうとすることは並大抵のことではなかった。

今日、高度な法知識を持ちながら、原発の再稼働を容認したり取り調べで被疑者の自白を「証拠」と認めるような「裁判官」や冤罪を度々引き起こしながら平気な顔をしている「検察官」がいるが、彼らは法の「専門家もどき」である。いかに法の知識を持っていようと、正しく法を運用できず正義を守れない者が「法の番人」を名乗る資格などない。大島憲法を作った者たちのように、素人であっても正義を重んじ、まさに「人の道」に沿った法の運用をしようと者たちこそ「法の番人」にふさわしい(つづく)。

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

《殺人現場探訪23》楽しい飲み会中にまさか…… 梅田DDハウス事件

人はいつ、殺人事件の被害者になってもおかしくない。殺人事件を取材していて、そんなふうに思うことがある。2008年に大阪で起きたDDハウス殺人事件の現場を訪ねた時もそうだった。

◆共用トイレに潜んでいた殺人犯

大阪でも屈指の歓楽街である梅田。その一角にある「DDハウス」は、飲食店のほか、ネットカフェやカラオケ、スポーツジムが入った商業ビルだ。この事件の現場は、その2階の共用トイレだった。

事件が起きたのは、2000年2月1日午後10時過ぎ。2階のショットバーで飲み会をしていた男女のグループのうち、30歳の男性会社員Aさんが店を出て、共用トイレに入った時だった。

「金出せ。早く出せ」

トイレに潜んでいた中年男が刃物を突きつけながら、金を出すように迫ってきたのだ。

Aさんがこれに応じなかったところ、中年男はAさんの胸に刃物を数回に渡り、突き立ててきた――。

Aさんはなんとか逃げ出し、飲み会をしていたショットバーまで戻った。しかし、店内で力尽き、亡くなったのだった。

梅田のDDハウス。事件は2階の共用トイレで起きた

◆犯人は死刑に

その1週間後、警察に出頭し、犯行を告白したのは、加賀山領治、当時58歳。事件の9年前に石川県の会社を辞めて以来、東京や神戸、大阪などで定職に就かず、元交際相手の女性や実母に金を無心して暮らしていたとされる。事件の日も家賃を払えないほど金に困り、酔客の多いDDハウスの共用トイレで、強盗をしようと潜んでいたという。

そこに運悪く現れたAさんが犠牲になったのだ。

実を言うと加賀山はこの8年前にも24歳の中国人女性Bさんを金目当てに深夜の路上で襲い、刺殺する事件を起こしていた。Aさん殺害の容疑で逮捕された際、Bさんの殺害現場に残されたDNAと加賀山のDNAの型が一致することが判明。こうしてBさん殺害の容疑でも逮捕された加賀山は、裁判では死刑判決を受け、2013年に63歳で死刑執行されたのだ。

◆現場トイレの手洗い場には防犯用の非常ボタン

トイレの入り口上部には非常ランプ

私が現場のDDハウスを訪ねたのは、2016年の冬だった。2階は多くの飲食店が入っており、こんな安全そうな場所のトイレに殺人犯が潜んでいるとは想像しづらかった。

トイレの手洗い場には防犯用の非常ボタン、トイレ入口の上部には赤い非常ランプが設置されており、防犯意識の高さが窺えたが、これらはおそらく事件後に設けられたものだろう。飲み会中、トイレに行った際に突然刃物で刺されたAさんは、こんな場所で殺人犯により自分の生命が奪われるとは、夢にも思わなかったろう。

実を言うと、私は大阪に出張した際、このDDハウスの地下にあるネットカフェを利用することがある。それだけになおさら、この事件は他人事とは思えなかった。

トイレの手洗い場には防犯用の非常ボタン

▼片岡健(かたおか けん)

全国各地で新旧様々な事件を取材している。新刊『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)が発売中。

創業50周年!タブーなき言論を!『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

黙っていたら殺(や)られるぞ! 5月19日15時半、釜ケ崎一周デモ開催! みんな、三角公園に来たらええねん! 大阪維新の「都構想」を釜ケ崎から突き崩そう!

「おかん、あのおっちゃんはどこから来たん?」。幼い子が道端の野宿者を指差しておかんに聞いた。よその国から来たとでも思っているのだろうか? 「令和」「令和」の大合唱と「奉祝」ムード一色の中、日の丸振られるあの二人と一緒、野宿するおっちゃんもおかんの股ぐらから産まれたんやで。

そんな「奉祝ムード」とは裏腹に、4月24日センターから締め出された人たちが集まるシャッター前では淡々とした時間が流れている。減るかと思われた荷物は日ごとに増え、仮設トイレも設置された。「こっちの方が大勢いるから安心や」と新たに寝床を求めてくる人。「『この国は冷和(つめたいわ)』の看板、センターの中に入ったままや。 いつ返すんや」と怒る人。

このあいだホルモン屋きらくで常連客が話していた。「センター潰した跡地にな、子どもが遊べる公園とか出来るらしいで」「緑地公園みたいな、あれか?」。建て替え後のセンターがどうなるか、行政・まちづくり会議では、まだ決まってないと言いながら、こうした曖昧な情報が独り歩きする。

しかし南海電鉄高架下の仮庁舎を見れば、彼らの魂胆は明らかだ。釜ケ崎で長年働いてきた労働者やおっっちゃんを閉め出し、「安心・安全なまちづくり」「子育て世帯を応援!」「笑顔溢れる」などのキャッチコピーで「まちづくり」を進めるつもりだ。そこにホルモン屋で安い焼酎を飲むおっちゃんらの居場所はないで。

身体も荷物も表に放り出されたが、まだまだ闘いが続く、釜ヶ崎のセンターから報告する。

◆誰のための、何のための「まちづくり」(西成特区構想)か?

1月5日に開催したシンポジウム「日本一人情のある街、西成がなくなる?!」でパネラーを務めた島和博氏(大阪市立大)氏はまちづくりに関してこう話した。

「『まちづくり』は今ブームです。いろんなところで『まちづくり』運動がやられている。そのときに私なんかは、ちょっと違和感を感じる。『まちづくり』はいったい誰がその主導権を握ってやっているのかが語られていない。市民の『まちづくり』運動なんてありえない。誰が主導権をとってやるのかどうか、そこを考えないで『みんなにとって良いまちづくりをやろうね』とやると『西成特区構想』みたいなロジックに巻き込まれてしまう」。

その「西成特区構想」のプログラムは、2012年、橋下徹元市長の「西成が変われば大阪がかわる」発言から始まったと指摘するのは、同じく同シンポのパネラー原口剛氏(神戸大准教授)だ。原口氏が翻訳し、広めている「ジェントリフィケーション」という言葉は 、西成特区構想が何を狙うのかを考えるとき、非常に役に立つ。原口氏はこう語った。

「このジェントリフィケーションの標的になるのは、どこでもそうなんですけど、都心の貧しい人が暮らす地域です。こうした地域は都心ではあるが、家賃や地価が安い。安いからこそ、貧しい人たちとか住まうことができ、コミュニティをつくることが出来た。ところが家賃や地価が安いことに目をつけてデベロッパー(土地開発業者)などの不動産資本が進出してくる。つまり安い土地を元手に開発することで、莫大な利益を生み出そうとする。そういった事態が起きてしまった」

「それから釜ヶ崎や西成の場合には、家賃や地価の安さのほかに、もう一つ条件が加わります。それは交通アクセスです。関空とか、新幹線ですとか、あるいはダウンタウンとかそういった盛り場にアクセスがいい。この点をもって『この街をそのままにしておくのはもったいない』という主張が出てくるわけです」。

◆警察主導、官民一体で進む「西成特区構想」で釜ヶ崎はどうなるのか?

大阪維新が進める「西成特区構想」は、 民意で進められたとよく言われる。確かに2014年9月から6回にわたり開催された「あいりん地域まちづくり検討会議」は誰でも傍聴できた。しかしある回でファシリテーター役の委員が、私たち参加者の意見を紙に書かせボードに貼るワークショップを見たとき、「これは怪しい」と直感した。こうした手法は様々な場所で行われているが、「意見を聞いた」とはなるが、何も決定はしない。委員の1人もtwitterで「まちづくり検討会議に決定権はありません。行政は尊重するとしているだけです」と書いている。

その後、非公開で行われているテーマ別の各部会も同様だ。委員で参加する稲垣浩氏(釜ケ崎地域合同労組委員長)は、シンポの中でこう話している。「会議はもともと何かを決定する場所じゃなくて、意見を言うだけの場所なんです。決定するのは大阪市、大阪府、国の行政です。役所は自分たちの都合のいいところだけ、委員の発言をとって、それで進めていくんですね」。

震災と原発事故からの「復興」が進む福島県飯舘村で元酪農家の長谷川健一氏が、「復興委員は村長のイエスマンばかり。復興計画(案)は天から降りてくる」と話したが、釜ヶ崎も同じだ。違うのは、警察権力の力を借りなければ計画が進められないという点だ。

その大阪府警・西成警察署は、2014年6月19日開催の「西成特区構想テーマ別シンポジウム~観光・福祉について」の中で、西成特区構想に「5ケ年計画」(2014~2019)で参画することを表明した。5億円の予算がつき、監視カメラを100台超も増設、そして官民連携による「不法投棄」「露店、覚せい剤(売人)」の摘発」などを進めてきた。

覚せい剤撲滅キャンペーンには「まちづくり検討会議」の各団体が協賛団体となっている(注:「釜ヶ崎医療連絡会議)は仲間の指摘を受け、参加していない)。彼らはヤクザのあとに誰が「撲滅」の標的にされるか、考えていたのだろうか?

同じく2014年から始まった西成警察の「あいりんクリーンキャンペーン」にも、先の委員や関係者が多数参加している。パレードのあとお茶や下着、ズボンなどが配布されるが、急いで前に出ようとする労働者を「9人づつ言うたやろっ」と怒鳴り付ける作業服姿の若い警官。このような警察主導の官民一体の連携体制を長年かけて強化してきたからこそ、4月24日センター内の労働者らに対して、何の躊躇もなく暴力的な排除がやれたのだろう。「安心・安全なまちづくり」を主張する人たちは、どちら側に立っているのだ!

◆「令和」の大合唱から弾かれた人たちこそが、今、声を上げなくてはならない!

「もう決まったことやろ?」。センターでビラを撒いていると、そんな労働者の諦めるような言葉を良く聞く。島和博氏は労働者が高齢化し生活保護を受ける中で闘う力を奪われてきたからだと説明する。生活保護を否定するものではないが、本来権利であるはずの生活保護が、行政(お上)から与えられる「恩恵」にされてしまっているからだ。

役所の窓口で「その歳まで何をやってきた?」「面倒見てくれる家族はいないのか?」「所持金を使いきったらまた来い」とさんざん虐げられ、警察、行政「お上」に逆らえなくされた労働者も少なくない。「令和」「令和」の大合唱が更に「黙ってろ」と圧力をかけてくる。

黙っていたら、殺(や)られるぞ! ヤクザのあと標的にされたのは、「令和」「令和」の大合唱から弾かれ、「民主主義」も「法の下の平等」も何もない、天皇制の真逆に追いやられた、釜ケ崎の労働者だ! 維新の「都構想」につながる「西成特区構想」──センター潰しに反対しよう! 5月19日15時半、釜ケ崎の三角公園に来たらええねん!

▼尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 「はなまま」尾崎美代子さんによる報告「美浜、大飯、高浜から溢れ出す使用済み核燃料を関西電力はどうするか?」を収録
タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

《鹿砦社特別取材班座談会》「M君リンチ事件」訴訟上告審の結果がまだの中で

松岡 お疲れ様です。「M君リンチ事件」は最高裁に上告してかなり経ちますが、まだ弁護団に最高裁からは連絡はないようです。沖縄の山城博治さんや『人民新聞』など、M君よりも後に上告しながら年度末までに棄却されています。一審、控訴審共に一般人の常識からしても、あまりにもひどい判決だったので、ひょっとしたら……と、微かに期待しないでもありません。さて、きょうは「M君リンチ事件」も含め周辺情況について、自由に話してください。

◆「改元騒動」が過ぎて……

A  「しばき隊」問題と直接関係があるかどうかわかりませんけど、「改元騒動」は予想通りの空騒ぎでしたね。空騒ぎというのは、メディアもその辺の商店街も「令和おめでとうございます」なんて散々騒ごうとしていましたが。上滑りの感じがぬぐえませんでしたね。10連休で連日翼賛的な報道ばかりで、社長はここ数年支援してきた島唄野外イベント「琉球の風」の記録映像を数年分まとめて観たということです。沖縄の悲劇を想起する時、改元がどうの元号がどうの騒ぐのも考えものだと思いますよ。

B  代理店の友人が「広告収入は予算通りクリアできたけど、ムーブメントにはならなかった」と言ってたのが印象的です。10連休中はテレビも政府もそれなりにメニューを揃えて、祝賀ムードを演出しましたが、それもすでに忘れ去られそうな……。

C  天皇制を真正面から考察し、問題点を突く報道は皆無に近かった。これは昭和天皇(ヒロヒト)が死去した時と大きな違いはない。ただし、ヒロヒトは長く病気だったから、各紙は余裕持って予定稿作ってた。今回もリードタイムは十分あったし、しかもアキヒトは死んではいないから、大手紙の翼賛記事準備は楽だったことでしょう。

D  ちょっと、一言いいですか。僕としてはどうして天皇陛下の約200年ぶりの生前譲位を皆さん祝う気持ちがないのか、正直違和感があります。

A  Dは天皇主義者だからなぁ。そのくせ「君が代斉唱反対」とか言う。まあ意見はいろいろあっていいんじゃない。

香山リカ『皇室女子“鏡”としてのロイヤル・ファミリー』(秀和システム)

C  俺的には違うね。天皇制は差別の元凶。この意味わかる? D君?

D  でも平成天皇は、平和主義者だったじゃないですか。

C  じゃあ、ヒロヒトは? 昭和天皇は? 誰が太平洋戦争(もっと言えば15年戦争)の最高責任者だったの?

D  あれは軍部が暴走して……。昭和天皇は戦争したくなかったと思いますよ。

C  「昭和天皇は戦争したくなかったと思う」? 馬鹿いうな! 時代の不幸っちゃそうだけど、お前たちみたいに10代の頃、小林よしのりを読んでいた奴らは平然とこんな口が利ける。統帥権って知ってるか?

松岡 まあまあ、きょうは天皇制の話ではないのでそのへんにしましょう。

C  社長、失礼しました。でもねやっぱり10連休に乗っかった「しばき隊」は多かったね。もとから「権力別動隊」だから不思議はないけど。A君がまとめてここで発表した通り香山リカの『皇室女子』には参ったし笑ったね。「読んでもいない」と香山リカはツイートしてましたが、コメントするために2冊も買いましたよ(笑)。

A  ですよね。なにが「反差別」ですか。「反論あるなら受けて立つ」と書きましたが、案の定まともな反論なんかありません。

B  言論人の態度じゃないよね。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)
 
木下ちがや氏(こたつぬこ)のツイッターより

◆「こたつぬこ」こと木下ちがやさんの後日談

E  言論人といえば……。あの話いいですかね? 社長?

松岡 なんの話でしょうか?

E  「こたつぬこ」さんの後日談です。

松岡 あははは! いいですよ!

E  「こたつぬこ」こと木下ちがやさん。『真実と暴力の隠蔽』の〈9〉「『カウンター』周辺のキーマンに松岡が直撃! 明かされる『しばき隊』の内情」に清義明さんと一緒にご登場頂いて、慧眼な問題意識を披露していただいたのに、『真実と暴力の隠蔽』が出版されると、急に態度がおかしくなって、鹿砦社を批判したり、自己批判したり。なんだか訳わからなくなっちゃってんです。で、あそこには木下さんだけじゃなくって、凛七星さんや三輪五郎さん、中川淳一郎さんなんかも登場していただいてるんです。

A  うんうん。それはみんな知ってる。

 

E  実はですね。木下さんが訳わかんなくなって李信恵さんに謝罪したり鹿砦社批判や自己批判始めた後に、鹿砦社は謝礼として2万円の商品券を登場頂いた皆さんに送ったんですよ。でもね、最初から「私は謝礼なんて一切受け取れない。謝礼もらうつもりで話したわけではないから」と頑として受け取っていただけなかった方もいるんです。こっちとしては恐縮の極みです。で、あんだけの大騒ぎになったから木下さんは鹿砦社を批判したし、商品券受け取らないだろな、って社長と話してたんです。

B  そりゃ受け取らないでしょ。また「しばかれ」たらただ事では済まないもんね。

E  それが木下さん、受け取ったんです。

A、B、C、D 嘘だぁ!

C  それ本当かよ?

松岡 本当です。本社から簡易書留で送りましたが返送されてきていないので間違いありません。

B  せこいよな。っていうかどういう神経してるんだろう。僕なら受け取れないですよ。こんなこと書いたらまた木下ちがやさん、叩かれるんじゃないですか。

E  でも事実は事実ですから……。

C  俺、知ーらない(笑)。それにしても、木下ちがやさん、あれだけのことをスッパ抜いた発言しながら、もっと突っ張ってほしかったなあ。あれは本当に凄い発言で、リンチ関連の5冊の本の中で最高の発言ですよ。最近、政治情勢や社会状況などについて積極的に発言を開始しておられますが、あれ以来俺は木下さんの最近の発言は、どうも信用できんなあ。

座談会当日の木下ちがや氏(右)と清義明氏(左)(『真実と暴力の隠蔽』P.153より)

◆岸政彦教授は三島由紀夫賞を受賞するか?

B  受け取るといえば、芥川賞を惜しくも逃した岸政彦先生(龍谷大学から立命館大学へ昇進?)の『図書室』が三島由紀夫賞の候補作品にまた選ばれました。

C  おいおい! 芥川賞候補ならまだしも、三島由紀夫賞の候補になって喜んでいいの? 岸先生? 三島って言っても若い人にはもうあんまりリアリティーないかもしれないけど。俺から見れば完全な「右翼」ですよ。板坂剛とか全共闘世代には不思議と支持者が多いんだけど、三島は市ヶ谷の自衛隊に軍服で乗り込んで「こんな憲法で君ら黙っていられるのか! 決起しろ」とアジった挙句に「腹キリ」で死んだ人間だよ。最近ボケ気味だけど当時三島の破綻(自殺)を本多勝一が予想していた。あれは慧眼だったね。ところで岸先生。「反差別」とか言ってるなら(ああ、岸先生最近は「君子危うきに近寄らず」で「反差別」も口にしなくなったか)三島由紀夫賞の候補になって喜んでいていいんだろうかね。

A  発表は5月15日だそうです。今回は是非受賞を祈念しましょうよ。

B  うん。僕も「反差別」で「李信恵さんの裁判を支援する会」事務局長(だった?)岸先生には是非「三島賞」受賞コメント聞きたいな。

D  三島は大好きな作家なんですけど……。岸政彦が候補ですか……。

C  15日が楽しみだ。受賞記念の記者会見には特別取材班も駆け付けるから準備よろしくな。

松岡 皆さんよろしくお願いいたします。

B  久しぶりににぎやかになりそうですね。

「岸先生お久しぶりです。この顔写真と僕の顔見たら思い出してくれますよね」


◎[参考音声]M君リンチ事件の音声記録(『カウンターと暴力の病理』特別付録CDより)

(鹿砦社特別取材班)

◎主要関連記事
・松岡利康「木下ちがや氏への暴言、糾弾、査問を即刻やめろ!」(2018年6月5日付け本通信)
・松岡利康「『真実と暴力の隠蔽』収録座談会記事に対する木下ちがや氏の「謝罪」声明に反論します!」(2018年6月12日付け本通信)
・鹿砦社特別取材班「岸政彦先生に芥川賞を!」(2017年1月15日付け本通信) 
・鹿砦社特別取材班「芥川賞候補の岸政彦先生は公正な社会学者で個人的事情を優先するはずがない!」(2017年1月17日付け本通信)
・鹿砦社特別取材班「M君がより『意味のある』存在として成長してほしいと願う岸政彦先生の哲学」(2017年1月18日付け本通信)

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