浮き足立った日本全体の戦争翼賛状態を嫌悪する ──「自衛隊容認姿勢」を示した日本共産党に電話で問うた一問一答 田所敏夫

◆ウクライナ情勢が浮き彫りにした日本の「好戦」指向

個別の事態が確実なものであったとしても、ではなぜその事態が生じさせられたのか?ある独裁者の思い込みだけが原因だと、断定することは乱暴ではないのか?身近な何人もの識者や学者がロシアによるウクライナ侵略の全体像をどのように考えればよいのか、苦悶している。

まさか21世紀に突きつけられようとは、予想もしなかった隣国へのある意味原始的な手法による侵略。この設問への私的な困惑は深く簡単になにかを断じることができない。ロシアの侵略行為に私は全く同感しないし、承認することはできないが歴史(直近から中長期のそれ)や、現存するNATOと消滅した「ワルシャワ条約国機構」の問題、さらには原発を巡るロシアの一貫しない軍事行動などを耳にすると、これが総体としていかなる現象(現地で痛みを負い無くなっておられるひとびとには失礼な表現かもしれないが)であるかの総体を表現することが極めて困難に感じるのだ。

◆軽すぎ薄っぺらすぎる言説と報道

一方でいまだに「西側」、「東側」という呼称が通用しているのもおかしな話だとしか思えない。ロシアもベラルーシも自称「旧社会主義国」ではあったが、現在経済体制は資本主義であり、その視点を維持すれば「西」対「東」の対決ではなく、帝国主義間の終末的領土・資源収奪争いの側面も、あながち無いとはいいきれないのではないか。

わざわざ「キエフ」を含む複数都市の日本における読み方の変更を政府が発表したら、何の疑問もなく新呼称を採用するのが大マスコミであり、政府専用機で20名の避難者を林外相が連れてきたことが大きく報道される。これまで政治難民申請に冷酷無比と言ってよかった日本政府の入管政策を知るものとしては、強烈な違和感を禁じ得なし、米国が侵略したアフガニスタンやイラクから日本政府は(米国侵略直後)難民を受け入れたか。そもそも「米国」を侵略者と規定する報道があったか……。

難民を受け入れることにわたしが反対なのではない。「日本政府は、ウクライナ情勢の前と後で、やることが全然違うじゃないか」というのが正直な感触だ。

◆強烈な違和感を象徴する「共産党の自衛隊容認姿勢」に迫る

そしてこの違和感は政府・マスコミだけに向けてのものではない。リベラルと呼ばれる層も含め、日本全体がまたしても「次のきな臭い段階」に入ったのではないか、とわたしは感じる。以下に一つの例を挙げよう。4月8日には「有事の際には自衛隊を活用すると訴え」共産党の志位委員長が述べたと報道された。

ことの次第を確かめるべく、4月11日共産党本部に電話で話を聞いた。

田所  報道で拝見しましたが、志位委員長が「日本に侵略があった際は自衛隊を活用して侵略を防ぐ」と発言をなさったと聞いているのですけれども、それは間違いありませんでしょうか。

共産党 共産党は日本国憲法を順守する考えだと理解していますが。

田所  日本国憲法と自衛隊は矛盾しない、というのが共産党の考えですか。

共産党 矛盾します。矛盾するというか今の自衛隊は9条とは相いれないと思っています。ですので将来的には解消を目指す立場です。

田所  憲法と矛盾する自衛隊に国を守らせる、ということですか。

共産党 そうですね。

田所  それがにわかには理解できません。

共産党 順序だてて言いますとね、憲法と相いれないと思っていますが、今すぐには無くせないんですよ。御存知の通り国民の8割、9割は自衛隊に好意というか、評価していますので。

田所  共産党の方々はいかがなのですか。

共産党 私たちだって憲法とは相いれないけど、敵視しているわけじゃないし。災害出動なんか大いに評価していますよ。

田所  災害出動が役に立つのは理解できますが、武装している自衛隊も是認なさっているわけ?

共産党 是認というか、憲法にはやはり相いれない。ですから解消を目指すんですけど、時間がかかるんです。明日政権に入っても国民がこれだけ「自衛隊が必要だ」と言っていると、いきなりは無くせないですよね。そんなことをやったら独裁になっちゃいますから。相当長い期間がかかるんですよ。そうしたら国民が自衛隊がなくても安心できる状態なるかといえば、やはり北朝鮮のミサイル開発ですね。あのようなことが解決するとか、中国の覇権主義的な行動がなくなるとかね、そういうことがないと、なかなかそういう世論にはならないです。平和な東アジアを作る外交を大いに共産党はやって、その条件を作る努力をしていきますけれど、時間がかかる。その前に私たちは「過渡期」と言っていますが、5年10年ひょっとしたらもっとかかると思いますよ。その間に仮に、そういう事態が起きたらどうするのかという話なんです。

田所  万一そう事態が起きたときに共産党は与党であったらという前提で仰ってるわけですか。

共産党 与党であっても野党であっても賛成するってことですよね。

田所  今は野党でしょ。

共産党 今、野党です。

田所  野党であってもあの憲法違反の自衛隊の存在に塩を送ると宣言なさるということですか。

共産党 認めるということですよ。

田所  (あまりの断言にやや間をおいて)日本国憲法の前文をもちろんご存知だと思いますが、その前文と9条は結びついてますね。にもかかわらず9条違反の自衛隊を認めないのに、侵略があった時には自衛隊の活動を認めると。その理屈はなかなか分かりにくいですね。

共産党 わかりにくいですか。さっき言ったように「過渡期」があると。

田所 「過渡期」というのであれば、共産党が自衛隊をなくそうとした時からが「過渡期」なのでしょ。

共産党 はいはい。

田所  今なくそうとするところにも至ってないんじゃないですか。

共産党 いえいえ、だから、なくそうとしていますよ。

田所  誰が?

共産党 私たちが党として。

田所  どういうふうに?

共産党 なくすために努力して、その為に平和な東アジアを作ることが大事なんですよ。

田所  でもあなたさっき仰ったけど、例えば北朝鮮の脅威、中国の脅威がなくなるようにということは外交努力で出来るかもわからない。けれども、今外交する立場に共産党はないわけですよね。いまは外交を司ってるのは自民党と公明党の連合政権でしょ。で彼らの延長線で良いということなんですか。

共産党 いえ、違いますよ。例えば夏に参議院選挙がありますけどそういうことをうちが掲げて……。

田所  いま仮に政権の座にいらっしゃったら、例えばロシアがウクライナに侵攻した。北朝鮮はミサイルを発射する。中国は軍備を増強している。これについてどう対処なさるんでしょうか。

共産党 例えばいま国会をやっていますけど、近々の課題はウクライナ問題ですよ。これは政府に質問をぶつけていますよ。外交的解決をするためにあるいは国際的世論を高めるために、日本政府として大いに努力しろと、いうことは常に言っていますよ。

田所  それは承知しています。ではなくて仮にですよ、いま政権の立場にあればウクライナ、あるいはウクライナがなくても危機と仰った朝鮮、中国に対してどのような外交を展開になさるんでしょうか。

共産党 中国で言えば、いま敵対しているわけですよね。中国とアメリカ、日本、豪州、インドとかなり軍事的な方向でやっているわけです。軍事演習も中国の目の前でガンガンやっているわけです。それではあかんと。たとえばASEANは域内で数十年来紛争しないと努力してきているわけです。ASEANを中心に東アジアサミットという枠組みがありまして、そこには中国もアメリカも日本も入っているわけです。その枠組みを利用して、中国も引き込みながらその中の話し合いで中国に「ちょっとやめとけよ」という話し合いをやって行こうと訴えています。

田所  中国の軍拡をちょっと収めてくれという訴えをするということですか。

共産党 順序がありますので、まずはそう言うところからはじめるというね。大事なのは信頼醸成ですよね。お互いに話し合って同じ方向で解決してゆこうと。急にこんなことはできるものではありませんから。で、最初の話でいうとそういうかなり時間のかかるプロセスがあると思うんです。その時に万が一攻め込まれた時、目の前で日本の国民が殺されかけているときに「自衛隊は憲法違反だからじっとしていろ」と、いう話にはならないですよね。

田所  なるかならないかは共産党のご見解です。憲法違反と言いながら憲法違反のやつらに武力行使を認めるというのが共産党の立場でしょう。

共産党 そうです、そうです。そういうことです。

田所  それを私は個人的には理解できないですね。憲法違反のものは憲法違反。憲法違反の人たちに何でもさせるということであれば、例えば刑法違反の人たちが何かを行っても認めると。刑法はもっと下位法ですから。

共産党 お宅様の立場は、そういう事態になってもじっとしていろと?

田所  日本国憲法に従う限りそうですね、仮に侵略があっても。

共産党 私たちはそれを責任のある政党の立場だとは思っていませんので。

田所  私は別に団体の代表でも何でもなくて個人なので、共産党が今まで自衛隊をすぐにはなくさないということを過去表明された事実も知っています。また国会の開会式には天皇がやってくることを理由にずっと出席をしなかったけれども、ある時期急に天皇が出席する国会の開会式に出席されるに至った経緯も知っています。ということは、どんどん右傾化してるんじゃないですか。共産党は。

共産党 だっていま仰いましたけど自衛隊のことは20年前ですよ。いまの見解を表明したのは……。

田所  だから20年以上前に明確に「転向宣言」出されたんじゃないですか。

共産党 そんなことないですよ。それはなんの絡みで言ったかといえば「9条の全面実施」という流れで言っているわけです。

田所  9条を全面的に実施するのに自衛隊を認められた。

共産党 うん。そういう国民的な疑問も出てきて、その中で改めて表明したわけです。

田所  だって「長沼ナイキ」って古い話ですけど、違憲判決もあったわけですよね。裁判所ですらが。控訴審でひっくり返っておりますけれども、それを共産党は認めるというわけですか。

共産党 何を認めるというのですか?

田所  だから自衛隊というもの自体が憲法違反だということを認めていながら、彼らが、仮に侵略者がいるとすれば武力行使することを認める、というご判断なんですね。

共産党 自衛隊が解消するまでの期間に、万一そういう事態があれば、ということです。

田所  なんでそんなこと今頃おっしゃるんですか。

共産党 だから……あなた自身も前から知っているとお認めになってるじゃないですか。

田所  いえいえ。志位委員長がどうしてこのタイミングで仰るのか。自衛隊をなくす間に、連立政権を実現するために共産党が自衛隊問題については「留保する」判断だと私は理解してたんですけど。

共産党 「留保」ではなく自衛隊が万一の窮迫性の事態の時には自衛隊を活用する、ということですよ。ちゃんと言っています。

田所  そんなことを胸張って言われたら余計にがっかりしますね。

共産党 22年前の22回大会で……。

田所  わたし党員じゃないから詳しいところまで知りません。だけども、22年前からはっきり言えば自民党と同じ主張をしていらっしゃったということですね。

共産党 同じじゃないですよ。違憲だというところは全然違う。

田所  違憲と言いながら、武力行使を認めるわけでしょ。違憲の武装集団が仮に攻撃を受けた場合の武力行使を認めるわけでしょ。それはごく基本的な論理的なところで矛盾じゃないかな。

共産党 個人で矛盾だと言う方々がいるだろうとは思いますけど、お宅様もたぶんそうなんでしょう。ただ私たちは政党ですからね。現実にそういう事態があってその時に自衛隊があって、訓練も積んでいると。スタンバイOKだというときにその出動を待てと。「お前ら憲法違反だから一歩も動くな」というのは政党としてはちょっと無理ですよ。国民の命がかかってるわけですから。

田所  国民の命がかかっている?

共産党 一方でそういう事態が起こらないように努力をしてゆくということです。

田所  分かりました。ありがとうございました。

例によってわたしと共産党のやり取りへの判断は読者諸氏にお任せする。ただし、わたしは共産党の言に強烈な違和感を抱いたことだけは強く述べておく。


◎[参考動画]日本共産党の躍進で日本の前途を切り拓く(日本共産党2022年4月7日)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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熊本地震から6年に想う 鹿砦社代表 松岡利康

言うまでもなく、この国は地震大国です。記憶に残るのは1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大地震、そして2016年、私のふるさと熊本で起きた熊本地震です。この4月14日、16日で6年です。

2016年4月14日の夜、ちょっと体調が芳しくなく早めに床についたところ、同志・安間弘志から電話があり叩き起こされ、「なんだい、しんどくて寝てるのに」と文句を言ったところ、「すぐにテレビをつけて見ろ」と言ったことを思い出します。もう6年か、阪神大震災から27年、月日の経つのは速い。

熊本地震の死者は、関連死も含め273人、郡部中心なのに大きな被害で、また広範囲です。九州の地震ではこれまで最大の被害だと思われます。

大きな被害を受けた、地震直後の熊本城

しかし阪神大震災の死者は6500人ほどで、うち私が住んでる西宮だけで1146人、被害の大きさが判ります。都市部の地震なので当然かもしれません。阪神大震災にしろ東日本大震災にしろ「大」が付くのに熊本地震には「大」が付かないのは死者が(阪神大震災や東日本大震災に比べ)少ないからでしょうか。

関西にしろ熊本にしろ地震はないといわれていましたが、考えてみると、熊本には阿蘇山がありますから大地震があってもおかしくはありません。というより、日本列島が火山だらけですから、いつどこで地震が起きても不思議ではありません。しばらくして帰郷しましたが、小さな頃から日々その雄姿を見て育ってきた熊本城、震源地の西原村、阿蘇へ行く途中の東海大学農学部学生のアパートは荒れ放題で、泥棒にもかなり入られたとのです。こういうのは絶対に許せません。

そして、先祖代々の墓がある、江戸時代から続くお寺も、本堂、山門も全壊。墓場も多数の墓が倒れていました。私のところの墓は前年秋に従兄弟と折半で200万円かけて改築したのですが、てっきり倒れているかと想像していたところ無事でした。きっちり仕事をしてくれた墓石屋に、茶菓子を付けてお礼の手紙を送った次第です。

松岡家の墓がある墓地。多くの墓石が倒れている

その後、徐々に被災から回復しつつありましたが、2年余り前から新型コロナで、同級生らも、この歳になって苦労しています。

もうひと踏ん張って帰郷したいと夢想する昨今です。

風よ吹け吹け 雲よ飛べ
越すに越されぬ田原坂
仰げば光る天守閣
涙をためて
ふりかえる ふりかえる
ふるさとよ    
(『火の国旅情』より)

ほぼ再建成りライトアップされた最近の熊本城(撮影:熊本在住のホシハラカツヤ氏)
避難所に貼ってあった寄せ書き
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渡辺てる子講演記録〈4〉困窮者を泥沼に沈める魔の言葉「自己責任」を取り除き、怒りをパワーに! 林 克明

「貧困のデパート」と自ら称する渡辺てる子氏は、2019年参院選と2021年衆院選に、れいわ新選組から出馬し落選した。その後も活動を続けていたが、立憲民主党から声をかけられ、最終的には、れいわ新選組の山本太郎代表とも話し合い、4月17日投開票の練馬区議補欠選挙に立憲民主党公認で出馬することに決まった。

その渡辺てる子氏の半生を描いた拙著「渡辺てる子の放浪記」(同時代社刊)の出版を記念する会で、本人が講演(2021年11月29日)した。

その第4回(最終回)では、困窮者を泥沼に沈める魔の言葉=自己責任を取り除き、怒りをパワーに! という主張をお伝えする。(構成=林克明)

 
『渡辺てる子の放浪記』(林克明著、同時代社)

◆自己責任という魔の言葉

「自己責任」は、最近の言葉ではないですか。イラクで日本人が人質になったときに、国を挙げて彼らを守るべきなのに、「危ない場所だと分かっていて、そんなところに行った人間を私たちの税金で助けるのはおかしい。自己責任じゃないじゃないか」ということを当時の首相すら言いましたね。小泉純一郎さんですが。

国家の役割は、そこに生きる人々の生命と財産を守ることです。それを放棄した言葉が自己責任という言葉です。自己責任とは、権力者がわれわれに対して向ける攻撃的で否定的な言葉です。

自己責任と言った時点で、政治をつかさどる人は自分の責任を放棄したことになります。政治家失格だと思って間違いない。

「あの人は今」になってしまった菅義偉さんが一年前に言ったのは、自助・共助があって初めて公助。あれも政治家失格、責任放棄の言葉ですが、自己責任と言った時点で思考停止になってしまいます。

あなたが悪いんだから、あなたが自分勝手にどうにかしなさい、と。自己責任を負っている人間以外は、あなたの問題を考える必要はない、解決する必要はないんだ、生きようが死のうが私には関係ないんだ、勝手におやりなさいというのが自己責任という言葉です。

つまり一方的なものです。強い者から、恵まれた者から社会的に弱い人に向けて声を上げるなと言っている。政策的、政治的、抑圧的な意味合いを持っているのです。

◆自己卑下すると居心地よく、声を上げるとバッシング

ところがいま自己責任が内面化されてしまっている。ワーキングプア―の多くの人々が、「自分が貧しいのは自分の努力が足りなかったからです、あのとき、もうちょっとああしていれば、頑張りが足りなかった、努力が足りなかった、自分には能力がないんです」って言っています。

これが、政治を劣化させている要因の一つだと思っています。政治家を甘やかす言葉になっています。

こうした自己責任の内面化を取っ払うには、自己尊重感、自分は権利を持つ人間なんだ、権利を行使すべき人間なんだという自覚だと思います。これがないと、自己責任だ、自分が悪いんだ、自分は社会保障を受ける分際ではないんだ、というふうに思ってしまうのです。

申し訳ないけれど、これは謙虚を通り越して自己卑下の最たるものです。でも、そのように自己卑下するほうが居心地のいいようにさせられてしまっています。これも洗脳の悪い成果のひとつですよね。

一方で声を上げる人間をみんなでよってたかってバッシングします。私もバッシングされました。

◆個人的な恨みつらみを一段上に進化させる

派遣労働者を一方的に雇止めするのはおかしいじゃないかと主張したことがあります。れいわ新選組の候補者になる2年前のことでした。

そうしたら、いろいろなマスコミが取り上げてくれました。なぜなら、そこまで明確に声を上げたのは、派遣労働者の中にいなかったからです。途中で私も実名を出したと思います。私のようなケースは珍しくないんですよ、もっと大変な人はたくさんいたんです。

でも、なぜ私がマスコミに取り上げられたのか。理由は二つあると思います。まずは、実名を挙げて顔を出したということ。もう一つは、なぜ自分はこういう目にあったかを、法律をチェックし、法律と現場の乖離を検証し、法律を批判的にとらえて、それから会社の仕組みやその業界の仕組みをとらえる。さらには、日本の労働行政・雇用行政はどういうものであるかまで検証して述べたからです。

つまり、第三者が理解できる根拠を示したわけです。言い換えれば、私の派遣労働の問題である個人的な恨みつらみ、ルサンチマンの客観化を試みたのです。

ですけれども、声を上げることに対してバッシングすると、声を上げる人はその行動を躊躇してしまい、結果的に学習して言語化する機会そのものが奪われてしまうことになります。私はたまたま活動していたから、声を上げることが活動のスタートなんだと思って声をあげました。 

でも99%の人はできない。他の人が声を上げて叩かれるのを見てわかっちゃったからです。見せしめのように他の人がひどい目に遭っているからです。そこまでして声を上げるメリットは、通常考えたらありません。

だから、声を上げたくても上げないという判断は常識的には正しいんですよ。リーズナブルですよ。

でも私はノーを突き付けました。当時、派遣だとわかっていたのに文句言うのはおかしい、派遣でも17年間勤められたんだから会社に感謝しろ、派遣だとわかっているなら次のキャリアプランを考えないのは怠慢だ、とまことしやかに言われました。

私が怠慢だとかそういうことではなく、それは構造的に無理なのです。個人でどうこうできる問題ではないからです。社会構造を変えなければならない。法律的システムもそうです。労働者派遣法という法律がダイレクトに働く人に影響を及ぼします。だから、明確に私は政治に進みたいと思ったわけです。

その結果、れいわ新選組の山本太郎との出会いがあったわけです。

◆すべての差別の根底に女性差別がある

れいわ新選組は、2019年の4月に政治団体として設立されました。それ以前にワーキングプアを直接受け止めるプラットフォーム的な野党があったのか否かの検証が必要だと思います。

なかったと思います。当時の立憲民主党、共産党、非常に優秀な方々がいっぱいいます。元弁護士とか元マスコミ、ジャーナリズムの第一線で活躍した方々が立候補者になったり議員になったりした、本当に頭のいいエリートの方々ですよね。

そういう人たちは一方でお金も持っているわけですよ。私たち庶民の生活の苦しみというものを具体的なことは知らないで済んでいる方々です。だからこそ、ああいう高学歴で、第一線で活躍できるわけです。

でも、国会議員は「代議士」ですから、いろいろな階層、いろいろな状況を抱えている人の代表者とするならば、非常に偏りがあります。一番の偏りは男女比率で、あまりにも女性の比率が少ない。今回の衆院選では女性議員が10%いません。

日本だけです、こんなにジェンダーギャップのあるのは。企業内でも女性管理者がまだまだ少ないですが、日本の女性が劣っているのでは決してなく、女性はこうあるべきだという女性に対してより強固に課せられる社会的な役割があるからです。それで社会的進出が阻まれているということがあるわけですよね。

当事者性でいうなら「女性」という当事者意識が私には強くあります。たとえば、れいわ新選組は障碍者の当事者が2名います。参院選の特定枠で男女一人ずつ当選できました。木村英子さんとは仲がいいですが、障碍者のなかでも特に女性障碍者は、男性障碍者とは別の差別を受ける、と。障碍者としての差別と女性としての差別を二重に受けると言っていました。

旦那さんや子供の面倒を見られないのに結婚する資格あるの?と言われる。障碍者の中でも女性の役割分担を強く言われる。男性がこのような言われ方をすることはそんなにないですよ。子供の面倒みなくていいの? なんて言われない。

男性と女性で扱いがまるで違うことが、男女の非対称性とかジェンダーギャップ、ジェンダーバイアスとかいろいろな表現で言われます。世の中にはいろいろな差別がありますが、女性差別はそのすべてに横たわっている。だから女性差別は普遍的な差別だと思っています。

このことが世の中ではまだ理解されておらず、男性はもとより女性でも理解している方は本当に少なく、日々の対話を通し、どうやったら伝わるだろうかと、精進というか研鑽を積むことを迫られています。

◆怒りの街宣はロックだ

当事者性に加えて、「共感」も大事にしたい。その二つを貫くには自己責任論をどう克服するかですね。それには「怒り」「怒ること」が社会的に容認されるべきだと訴え続けています。

私の街頭演説は、ちょっと激しいと言うか、よく言ってもらうとロック的な演説だと言ってもらっていますが、ロックとは体制に対してノーを突き付ける音楽ですよね。宮廷音楽とか教会音楽などは、パトロンがいてお金や権威を持っている方からオファーを受けてつくったもので、クラシックの原型です。

ところがロックというのは、そういうものとは無縁で、あるいはそういうものに異議申し立てする、権威に盾を突くという姿勢がロック。怒りは上等、怒りをもつことは正当なんだと。喜怒哀楽のなかで、なぜ怒りだけを皆さん認めてくれないんだろうと思います。

私が批判されるときに被害者意識を持っているからダメなんだと言われます。被害者なら被害者意識をもつのが当たり前じゃないですか。なぜそれが批判されるのか私には不思議でなりません。

もっと平たい言葉で言うならば、痛いことを痛いと言ってなぜいけないんでしょうか。それを2019年の参議院選挙で私はアピールしましたつもりです。そうしたらみんなが、そうだと言ってくれました。とどのつまり、被害者意識は持って当然だ、当たり前だと。

被害者意識の感情としては喜怒哀楽のうちの「怒」。怒りですね。なぜか不思議なことに怒り以外の感情はすんなり受け入れられる。喜ぶ、楽しむ、ポジティブだからいいよねと。それから悲しむことは相手の同情や共感をかいます。ところが、怒りに対して共感を得ることは非常にむずかしいのです。

◆怒りを表す芸(高等テクニック)も必要だ

でも、怒りは悲しみにも通じます。なぜ自分はこんな理不尽で悲しい目に遭わなければならないんだろうというのが怒りの端緒です。怒りは攻撃性を帯びるからいけないんだと思いますが、攻撃するのはどっちなんだと。何もないところからいきなり人間が攻撃することはありません。

自分の身を守るために、防御のために攻撃せざるをえないのですから。そうならば攻撃する主体はいったい誰なんだと。それが権力であり権威であり社会的強者だったりするわけです。そういう人たちが私たちの存在を蔑ろにしている。それに対してノーと言うことが怒りなのです。

怒りをパワーに! と私が言っているのはそういう意味があり、裏付けがあったのです。その怒りを言語化するためには、平たい言葉で言うか、客観的に言うか、普遍的に言うか、俯瞰して言うか。場合によって使い分ける必要もありましょうが。

だから怒りをパワーにするには芸も必要ですよ。直接的な怒りで、たとえばこん畜生! と言ってこのテーブルをひっくり返し椅子を投げるような、暴力性のある怒りじゃダメなんですね。

ある意味洗練されて怒りにしていかないと怒りを社会化することができない。理性的に怒らなければならないということなんです。怒りを正当化するためには、先ほど言ったようなあらゆる根拠を用意しなければなりません。

そのひとつの例が、裁判に訴えることです。しかし裁判には、お金も年月も非常にかかり、自分の生活を犠牲にしなければならない部分もあります。労働者も裁判を起こせばいいと、いろいろな人が簡単に言いますけれど、裁判すら起こせなくて泣き寝入りしている人がたくさんいます。

日本の裁判はあまりにもお金と時間がかかりすぎることが、労働者としてのあるいは人間としての基本的人権を奪っています。そうはいってもなぜ裁判が尊いかというと、怒りを社会的に訴えることになるからです。

◆これからも活動は決して止めない

一昨日、ドキュメンタリーの巨匠の原一男監督とのライブトークがありました。最新作の『水俣曼荼羅』が一昨日から上映が始まっています。その原一男監督との出会いは、『れいわ一揆』とうドキュメンタリー撮影のときです。

これは2019年夏の参議院選挙にれいわ新選組から立候補した女装の活動家・東大教授の安冨歩さんを主人公にした映画での出会いでした。そこで安冨さんはロゴス・理性の人、渡辺てる子はパトス・情念の人という分かりやすい対立概念で描いてくださっています。

そうは言っても、感じたままに言ってはいるのですが、自分で自分のことを言っているようで誰かに突き動かされて言葉を発しているような感覚がありました。

当時のれいわ新選組を応援する方々の熱気がすごかったし、その人たちは、自分には政治も選挙も関係ないと思っていた。でも、当事者のてるちゃんが出るんなら話をききたい、応援したいという人が集まってくれました。

そのパワーに突き動かされて言葉が出てきたわけです。そうやって響き合うものがあったからですね。

選挙というのは、そういう究極の人間のパワーを引き出す力、なにかマジックがあると思うんですね。すごく意義があると思いますが、いかんせん日本の選挙はお金がかかりすぎます。

比例区に出るには供託金ひとり600万円。これはワーキングプアーの年収の3年分。こんな供託金がかかる国はほかにはないそうです。

基本的人権である被選挙権を、そうやってあらかじめ制限しハードルを課す。これ自体もおかしいので変えなければならない。そのためにはまず選挙に勝って変革する主体にならなければならないわけです。

しかし、どういう形であれ活動を止めることはないでしょう。そして私のポリシー、キーワードは、「当事者性」そして「共感」「怒りをパワーに変える」です。

そのためには「自己尊重感」を持つことです。自分を大事にできない人間は、他者を尊重できるわけがないのですから。私は、自己尊重感を持つために日々研鑽し、自己責任の内面化を否定し克服するように努めようと思います。

それがあって初めて政治を変え社会を変えることになるのではないかと。ただし、それができないと政治活動や社会活動ができないわけではありません。手探りで試行錯誤しながら、いま言ったようなことがどういう人にも獲得できるのだと思います。

私もその一人です。ですから私はこの歩みを止めることはありません。これからもどんどん進んでいきたいと思います。(了)

『渡辺てる子の放浪記』(林克明著、同時代社)

▼林 克明(はやし まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

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桜十字グループが東京・渋谷区の美容外科でコロナワクチン「接待」、元スタッフらが内部告発 黒薮哲哉

今年の2月16日に、独立系メディア「MyNewsJapan」は、コロナワクチンの闇接種についての記事を掲載した。タイトルは、「国費のコロナワクチンを闇打ちで接待に流用、『接種会場』は桜十字グループ西川朋希代表が理事を務めるビューティクリニックVIP室」(https://www.mynewsjapan.com/reports/2634)である。執筆者は、わたしである。

桜十字グループは、再春館製薬が2006年に買収して運営に乗り出した医療・福祉関係のグループである。総社員数は6551人(2021年4月1日現在)。本部は熊本市にあるが、東京でも医療法人社団・東京桜十字を設置し、複数の診療所を運営している。

MyNewsJapanの記事は、2021年の春から夏にかけて桜十字の関係者が、東京渋谷区にある美容外科で、要人に対してワクチン「接待」を繰り返していたとする内容である。しかも、当時、桜十字グループの西川代表が、菅義偉首相(当時)とワクチン接種の普及について、2度も会談を行っていた事実も明らかになっている。

菅義偉首相(当時)と西川代表の会談を伝える桜十字グループの社内報

わたしがデジタル鹿砦社通信で、この事件を再報告するのは、MyNewsJapanに記事を掲載した後も、大メディアが後追い報道をしないからだ。わたしは、これだけの大問題を黙認してはばからない鈍感さを問題視したい。

◆闇接種を裏付ける3つの客観的事実 

この事件の取材のきっかけは、ある人物が昨年の11月にMyNewsJapanに情報を提供したことである。東京・渋谷区のメットビューディークリニック(堀江義明院長、以下、MBC)で、要人を対象としたワクチン接待が行われていたという内容だった。この人は、新聞や週刊紙にも情報を持ち込んだが、新聞は最初から取材しなかったという。週刊紙は、記事にしたものの、ワクチンの闇接種には言及していなかった。最も肝心で核心的な部分を外したのである。そこでAさんは、従来の主要メディアは信用できないとして、MyNewsJapanに情報を提供したのである。

MyNewsJapanの渡邉正裕編集長の依頼で、わたしがこの事件を担当することになった。わたしは、Aさんから事件の概要を聴取した後、闇接種が行われた当時、MBCの事務長をしていたBさん(男性)と、2人のスタッフCさん、Dさん(いずれも女性)を取材した。

これら4人の内部告発者の話を統合すると次のような概要になる。2021年の春から7月ごろにかけて、桜十字グループの関係者が、MBCのVIP室を使って複数の要人に対し、ワクチンの闇接種を行っていた。その中には、海外の「超VIP」も含まれていたという。元事務長は、東京・虎ノ門にある東京桜十字の本部から、MBCへワクチンを運搬させられたことがあると話している。

わたしはこれらの「証言」の裏付け調査に入った。結論を先に言えば、次の3点が事件の客観的な裏付けになる。

① 桜十字のスタッフがワクチン接待を受ける要人と交わしたラインの交信記録

② 闇接種に使ったコロナワクチン専用のシリンジ(注射器)の写真である。

③ MBCが所在する港区が、MBCをワクチン接種の医療機関に指定していないことを裏付ける(情報公開請求で得た)書面である。

①から③の客観的な裏付と、元事務長、2人の元スタッフの証言が完全に整合しており、ワクチン接待が行われたとする内部告発の信ぴょう性は動かしがたい。しかも、既に述べたように、この時期に西川朋希代表と菅首相が、ワクチン接種の推進について、首相公邸で2日に渡って会談していた。最初の会談は5月15日で、2度目が5月16日である。この事実は、新聞の「首相動静」や桜十字グループの社内報(冒頭の写真)でも確認できる。

◆裏付け①-闇接種の日時・場所をラインの交信で調整

 
ワクチンの闇接種のスケジュールを設定したことを示すLINEの記録

右に示した写真は、ワクチン接種の前段のプロセスを裏付けるLINEの通信記録である。このLINEには、次の4人の人物が登場する。

読者は、LINEの冒頭の導入部に注目してほしい。「TomokiがMET増田修一、YS(仮名、女性、ピンク色部分)を招待しました」と記されている。

「Tomoki」は、元事務長と2人の元スタッフによると、桜十字グループの西川朋希代表のことである。しかし、トモキという名前は一般的で、客観的な本人確認の裏付けになるとは言えない。とはいえ、そのことはさほど重要ではない。重要なのは、この事件で主導的な役割を演じた「MET増田修一」の所属先の確認である。「MET増田修一」が桜十字グループの関係者であることの立証なのである。

「MET増田修一」は、会社登記簿によると、METを運営している(株)メディカルハックの社長である。「MET増田修一」がLINEで使っていたアイコンを調査したところ、同氏がFACEBOOKで使っているアイコンと完全に一致した。しかも、そのFACEBOOKには、勤務先として桜十字の社名を記していた。

さらに(株)メディカルハックを調査したところ、東京桜十字が経営するクリニックのひとつと登記上の住所が一致した。つまり桜十字グループと(株)メディカルハックは実質的に一体ということになる。元事務長も(株)メディカルハックの所属で、定期的に東京桜十字でミーティングを開いていたと話している。

「YS(仮名、女性)」は、ワクチン接種を受けたとされる女性である。

「Tomoki」、「MET増田修一」、それに「YS」の3人は、LINEでワクチン接種の日程と場所を取り決めたのである。交信記録を引用してみよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・【引用】・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Tomoki:水曜日
接種の時間を決めてください。場所は表参道です。

YS:ありがとう!それでは午前10:00でいいですか?

増田:10時にご希望承りました。ドクターに時間の確認をしておりますので、確定までしばらくお待ちください。よろしくお願いいたします。

YS:ありがとうございます。

増田:大変お待たせいたしました。10時が難しく、13時にクリニックにお越し頂く事は可能でしょうか?どうぞご検討よろしくお願いいたします。

YS:はい、了解しました。住所をお知らせください。

増田:https://www.met-beautyclinic.jp/

・・・・・・・・・・・・・・・・【引用おわり】・・・・・・・・・・・・・・・・・

(株)メディカルハックの「増田」がYSに示したURLは、METの公式ウェブサイトと一致する。つまり3人は、闇接種の場所を、渋谷区のMETに決めたのである。

接種の日程と場所が確定すると、増田社長は3人の交信記録のスクリーンショットを、METの事務長(当時)のLINEへ転送した。接種予定の前日、2021年7月20日(火)のことである。これに応えて事務長が、次のように返信する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・【引用】・・・・・・・・・・・・・・・・・・

事務長:13時にVIP室ご案内でいいでしょうか?

増田:はい、お願い致します。堀江先生も1時にお見えになります。合計3名の接種予定で、13時1名、13時半に2名の予定です。

増田:ワクチン接種後、15分の観察時間を要します。

・・・・・・・・・・・・・・・・【引用おわり】・・・・・・・・・・・・・・・・・

「15分の観察時間を要します」という記述から、予防接種がコロナウイルスに対するものであることが分かる。

◆裏付け2-コロナワクチンの専用シリンジ

 
ワクチンの闇接種に使われたシリンジ

右に示す写真は、MBCの元スタッフが撮影したコロナワクチン専用のシリンジである。

この写真には、撮影と同時に自動的に作成される撮影日時と撮影場所もデータとして残っている。それによると撮影日は、2021年6月25日13:52分である。撮影場所は港区である。

シリンジと一緒に映っている鉛筆のような医療廃棄物は、アートメイクで使用するブレード(針)である。これは美容外科に特有のものである。一般の医療機関にはこのような医療器具はない。従ってシリンジの撮影場所が、美容外科であることが分かる。

しかし、後述するように、港区にある美容外科で、港区がワクチンの接種会場に指定した医療機関は一軒も存在しない。

さて、写真撮影されたシリンジについて、説明しておこう。読者に注視していただきたいのは、シリンジの先端部分(デッドスペース)である。黒いピストンのようなものが入っている。

これはシリンジのデッドスペース内のワクチンを残ることなく押し出すための仕組みなのである。このデッドスペースこそが、ワクチンを無駄にしないように開発されたコロナワクチン専用のシリンジの特徴なのだ。

元スタッフらは、次のように話す。

「このようなシリンジは見たこともなければ、使ったこともありません」

「棚卸一覧にも、このようなものは入っていません」

デッドスペースが少ないシリンジそのものは従来から存在していても、ほとんど流通していなかった。それゆえに国が厳密に管理・配給すると同時に、当時、医療器具メーカーが急遽開発に乗り出していたのである。

わたしは実際にワクチン接種を担当している医療関係者にも、このシリンジの写真を示して、それがコロナワクチン専用のものであることを確認した。


◎[参考動画]ワクチン“1瓶6回”接種へ 特殊注射器増産(FNN ,2021年2月18日)

◆裏付け3-港区の情報公開資料
  
「裏付け1」と「裏付け2」により、MBCでワクチン接種が行われたことを裏付けることができる。元事務長らの「証言」の信ぴょう性を担保できる。

しかし、そのワクチン接種が、国が決めたワクチン接種の方針に沿わないルール違反であることを示す証拠はあるのだろうか。この点を調べるために、わたしは港区が、METをワクチン接種の医療機関に認定していたかどうかを検証した。

ちなみにコロナワクチンとシリンジは、「国→都道府県→各自治体→医療機関」の配給ルートになっている。さらに医療機関に到着した後、ワクチン接種を迅速に進めるために、他の医療機関へ搬送することが認められている。ただし搬送先の医療機関は、事前に地方自治体の認可を受けなければならない。「集合契約」と呼ばれる書面に調印することで、ワクチン接種を推進する諸機関のグループに加わらなければならない。さもなければ、ワクチンやシリンジの末端配布先が分からなくなる可能性があるからだ。また、ディープフリーザー(低温冷凍庫)の手配調整にも困難が生じる。

筆者は、METがある港区に対しコロナワクチンの接種に関する情報公開請求を行い、その後、取材を行った。その結果、当時、METは集合契約に調印していなかったことが分かった。(取材した当時も、契約していなかった)

METがある港区南青山5丁目で、2021年の春から夏にかけた時期にワクチン接種の医療機関に指定されていた所は次の医療機関だけである。

 ・八木クリニック
 ・やべ耳鼻咽喉科表参道
 ・南青山往診クリニック

今年2月の時点では5つの医療機関が認定されているが、やはりMETは含まれていない。

つまり港区はMETに対して、コロナワクチンも専用シリンジも、提供したことがない。とすれば、どのようなルートでワクチンと専用シリンジがMETへ運び込まれたのか。これについては、既に述べたように元事務長が、虎ノ門にある東京桜十字からMETへワクチンを運んだことが一度ある、と話している。

「週に1回、本社(注:港区虎ノ門にある「東京桜十字」本社を指す)でミーティングがあったのですが、ミーティングが終わった後、上司から箱を渡され、METへ持ち帰ったことが一度だけあります。箱を開いて初めて、中身がワクチンであることに気づいたのです。保冷剤も一緒に入っていました」

元スタッフCさんも、次のように話す。

「事務長が冷蔵庫にワクチンを保存したいというので、許可したのを覚えています」

元スタッフDさんは、VIP室でワクチンの入った箱を見たと話している。

「段ボールに貼ってある伝票に、確か、『熊本』の県名がありました」

コロナワクチンの場合、運搬方法や保管方法にも品質を保つためのガイドラインがある。真夏の炎天下にMETの事務長が、カバンに入れてワクチンを運んだというのは、異常の極みであり、医療の安全に関わる問題だ。

国が配給したワクチンがどのようなルートでMETに届いたのか、運搬の経緯には不明な部分もあるが、桜十字グループの西川代表が菅首相らと会談した後、桜十字グループが本格的にワクチン接種のイニシアティブをとってきたわけだから、桜十字グループ内には大量のワクチンとシリンジがあったと推測できる。従って、METへの流用はそれほど困難ではない。

◆誰がワクチン接待を受けたのか?

ワクチン接待を受けた人物については、具体的な名前が上がっている。たとえば「裏付け1」でとり上げたYSである。YSについて、インターネットで検索したところ、興味深い英文の記述が明らかになった。それよると、YSは桜十字グループの地元・熊本県の出身でインドネシアに住んでいる。夫は、不動産会社を経営する大富豪である。

わたしはYS夫妻の写真や動画をインターネット検索した。その中で、YSの夫である可能性がある男性の写真が浮上した。その写真を元事務長と、2人の元スタッフに確認してもらったところ、元事務長と、元スタッフのCさんが、「見おぼえがある」と答えた。 
 元事務長がYS夫妻について次のように話す。

「夫妻がMNCにお見えになったとき、VIP室へ案内しました。それから2人の到着を堀江先生に報告しました」

元スタッフのCさんは、次のように話す。

「2人は堀江先生と一緒にVIP室から出てきました。堀江先生からは、超VIPとして紹介されました。奥さんが化粧品を買いたいというので、わたしがフロントに案内したので、よく覚えています」

桜十字グループは、インドネシアでも事業を展開している。「アクセラ」と称する団体を設立して、日本での就職を目指しているインドネシア人に日本語を教えるなどの活動を展開している。実際、桜十字は、現地で人材募集も実施している。たとえば、次のブログである。

https://www.sakurajyuji.or.jp/recruit/kaigo/news/?p=1520

MBCの堀江院長は、インドネシアへの渡航歴もある。元スタッフとのLINEの交信記録でそれが確認できる。

YS夫妻がMBCでワクチン接種を受けた時期、インドネシアはコロナ感染が急拡大していた。

この事件の無視でも明らかなように、日本のマスコミは、肝心な問題は報道しない。コロナワクチンは国費で調達されているわけだから、それを特定の企業がワクチン接待に使ったとなれば、道義的な問題だけでは済まない。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年5月号!
黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

渡辺てる子講演記録〈3〉とことん話を聞いてくれる人はいるか? ── ホームレス脱出後の地獄を経て 林 克明

れいわ新選組から2019年参院選、2021年衆院選に出馬して落選した渡辺てる子氏は、2022年4月17日投開票の練馬区議補欠選挙に立憲民主党公認で出馬予定だ。

所属政党は変わっても従来からの主張には変わりなく、派遣労働者・格差社会改善・シングルマザー問題の改善などを目指し、模索しながら活動を続けている。

その渡辺てる子氏の講演会記録(21年11月29日)の第3回は、ホームレス状態で2人の子を出産し、ホームレス脱出後もつづいた苦難を経験したことから、「とことん話を聞いてくれる人、他人の話をとことん聞くこと」の重要性について訴える。(構成=林克明)

 
『渡辺てる子の放浪記』(林克明著、同時代社)

◆ホームレス脱出後の地獄

失踪という形で5年近くを過ごしたわけですが、家に帰ったらさらに地獄が待っていました。親は、私を騙して方々連れまわして、子供二人まで産ませた男を罰しなければならないと。

それから、しょうもない男の子供だからろくなもんじゃないということで、親からは家から出ていけとか死ねとか言われました。

親子心中から逃れてやっと自分が生まれ育った実家に戻れたのだから安息の場があると思いました。そこでシングルマザーとして再起を図ろうと思ったら、今度は、一番守ってほしい家族から刃のような言葉を突き付けられて、家の中にいることが針のムシロでした。

食べ物の味もわからなくなったし、夜も眠れませんでした。そういう中で家事をやり、仕事に行くようになりましたが、そこでやっぱりシングルマザーがいかに生きづらいかということを一番ひどい形で体験せざるを得ませんでした。そこで私は活動を始めたわけです。

その原点は、大学のときに活動したこと。当時はフェミニズムという言葉はまだ広まっていませんでしたが、女性が人間として尊重され生きやすくなるというポリシーが私を支えました。

誰も私を慰めることも励ますことも、どうしてあなたはそういう目に遭ったんだと聞いてくれる人も誰一人としていなかったです。

家族ですらそうだったのですから、そんなことを聞いてくれる人がいようはずもありません。でも私は子どもを育てなければいけない、生き延びなければならない。なぜなら、出産に至るまでの経緯は不本意であっても、生んだのは自分だから、私の責任において。

それから、私とは別の人格が二人いるのだったら、その人格を私がどうこうするのは傲慢なんだと思い、自殺をあきらめました。だから、高らかに誇らしく生きてきたわけじゃないですよ。死なないで生きてきているってことです。

でも人生一度だから、少しでも生きやすくしたいということで、いろいろな活動に係わってきました。その延長線で派遣労働やシングルマザーの問題があったわけです。

そこで、当事者が尊重されないという欺瞞に気づいてしまった。だからといって私は活動から離れはしませんでした。むしろ活動を通して、社会を変えると同時に、活動自体を変えようと思ったのです。そして当事者が大切なんだといろいろな形で述べてきたつもりです。

それを大事にしたいと考えているのが、れいわ新選組だったわけです。誘われたから私がれいわ新選組の考え方に合わせているわけではありません。こう言ってはおこがましいですが、私が考えたりやってきたことが、結果的にれいわ新選組とフィットしたということに他なりません。

◆とことん話を聞いてくれる人はいるか?

衆院選で3名当選し、参議院とあわせて合計5名の議員を抱える政党になりました。党勢拡大がこれ以降の大きな目的になりました。

初めての国政選挙だった2019年の参院選は、当事者性がメインになりました。今回は必ずしもそうではないという方向転換を余儀なくされた側面があります。別に山本太郎代表が政治的に変節をしたというようなことではなく、政党として成長するには逃れられない必然的な理由だと思います。

政党の方向性などは別として、私個人としては、当事者であることを貫いていこうと思っています。今日もこの会場に向かう前に支持者の方からお電話いただきました。

「てる子さん、あなたをどうしても国会におくりたい」と。「あなたは、私の、私たちの代表だから」と。「当事者が国会に行ける可能性を持つのは、あなたなんだ」と。「だから絶対に国会に行ってほしい」というお電話を直接いただきました。

これまでも多くの方から、そういうご支援をいただいてきました。昨日(2021年11月28日)は鎌倉に行きました。「てるちゃんを応援したいと言う方が集まっています」ということで講演させていただき、楽しく充実した時を過ごさせていただきました。

こんな凡庸な私でも、そこかしこに共感の輪、ご支援の輪が広がっています。身に余る光栄だと思っています。

そうした人々の期待で政治の場に立つ理由があるとすれば、ホームレスで食うや食わずどころか寝泊まりする場所すら定まらぬ究極状況の中で生き延びてきたからこそ、皆さんの不安とか苦しさ、つらさというものを少しは共感できるから、想像できるからではないかな、というふうに思います。

よく政治に無関心だ、投票率が低いと言われますけど、悲惨な状況を私に訴えてくる方々と接すると、政治以前なんですよ。まず自分がどうやって生き延びることができるか、人間として認められることができるのか、と皆さんは訴えているわけです。ぎりぎりで生きている人たち声に誰も耳を傾けてくれないんですよ。

今日この講演を聞きに来てくださる方いろいろいらっしゃいます。ご苦労を重ね、いろいろな経験を重ねている方もいますけれど、とことん自分の経験について他人に聞いてもらったことがある人は、いないのではないでしょうか。そういうことに気づくようになりました。

自分のことをしっかり聞いてくれる人に出会わなかったら、何が問題なのかわからないし、自分の感情を受け止めてくれる人もいないことに気づいたんですよね。

よく人とのつながりを持ちましょうと言われますが、「繋がり」ってあまりにもほあんとした言葉なので、なんとなくいい言葉だと思ってしまいます。でも、もう少し具体的に言うと、私としてはこういうところに行きつきました。

自分の感情を評価されることなく、ありのままに「あなたはつらいのね、不安なのね、頑張ってきたね、そうなんだ、そうなんだね」と言ってくれる人がいるかどうか。自分も相手に対して「そうか、あなたこんなに大変なめにあってきたんだね、つらかったんだね、そうか、ほんと大変だったですね。よかったですね、今こうしてお目にかかれて」と言える人がいるかどうか。

その両者があいまって「繋がり」ということが成立するのだな、とこの歳になってようやっと気づきました。それがないと、次の段階の政治をどうするかとか社会問題にどう向き合うかという段階に進めないんだと思います。そこを蔑ろにしているから、政治に向き合うことができないのだと思います。

そのために取っ払わなければならない最大の障害物は、「自己責任」という言葉ですね。(つづく)

『渡辺てる子の放浪記』(林克明著、同時代社)

▼林 克明(はやし まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

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格闘群雄伝〈25〉船木鷹虎 ── 仙台から来たヤングマンはIQ戦士! 堀田春樹

◆二代目ヤンガーとして

船木実(1961年7月13日、秋田県秋田市出身)はヤンガー舟木、後に船木鷹虎というリングネームで名を馳せた、第14代・16代全日本ウェルター級チャンピオンである。

新人時代から仙台青葉ジムの若きエースとして、ハイキックを得意とする急成長で全日本ライト級5位まで上昇。後には藤原敏男戦をはじめ、名選手との対戦多い昭和のヤングマンだった。

船木は秋田で中学卒業後、一人で宮城県仙台市へ移り東北高校に入学すると、部活動以外で空手かボクシングをやりたかったところ、偶然キックボクシングの仙台青葉ジムを見つけると吸い込まれるように即日入門した。

すぐに船木の素質を見抜いた瀬戸幸一会長は、最も期待を懸ける選手に与える“ヤンガー”というリングネームを二代目として与え、入門半年後の1978年(昭和53年)11月のデビュー戦からヤンガー舟木となった(ヤンガー時代は舟木と表記)。

オープントーナメント62kg級初戦で須田康徳には敗退(1982年12月18日)

◆船木鷹虎へ

船木は小学生の頃、テレビで観たキックボクシングで、「全くやりたいスポーツではなく、特に藤原敏男さんの目白ジム系のキックボクシングは激しいイメージで怖かった」と言うが、1982年7月、斉藤京二(黒崎/当時)との新格闘術ライト級王座決定戦で、結果は引分けだったが、得意の左ハイキックで斉藤のアゴを折る重傷を負わせた。しかしその16日後に待ち構えていたのは新格闘術世界ライト級チャンピオン藤原敏男(黒崎)だった。

斎藤京二戦でのダメージを残しながら、瀬戸会長から「藤原敏男との試合が決まったぞ!」という指令が下ってヤンガー舟木が出場。

テレビの中の怖い人だった藤原敏男を前に、「どうせなら一気に大物を喰ってやろう」と強気のパンチで13歳年上の藤原に鼻血を流させる予想以上の健闘。偉大なチャンピオンの威圧感ある反撃に呑まれ5ラウンドKO負けしたが、積極果敢に挑んだ試合だった。この2連戦に船木は「勝てなかったけど、一番記憶に残る貴重な体験だった」と語る。

当時のヤング対決、後にはチャンピオンと成る者同士、青山隆戦(1983年3月19日)
日本ナックモエ連盟ライト級チャンピオンのタイガー岡内を倒す(1983年9月10日)

その後、1984年7月、内藤武(士道館)を下し、新格闘術ライト級王座を獲得。1985年11月には向山鉄也(ニシカワ)の持つMA日本ウェルター級王座挑戦は判定負けで跳ね返されたが、1987年5月には当時存在した日本ムエタイ連盟ウェルター級王座決定戦で甲斐拳明人(甲斐拳)を倒し二つ目の王座獲得。まだまだ知名度は低かったが、円熟期を迎えた船木は風格も身に付けていった。

翌、1988年初春、仙台青葉ジムが古巣の全日本キックボクシング連盟に加盟した際、この活気を取り戻したメジャー団体で、船木が天下獲れると確信した瀬戸会長が、連盟エース格となって、家庭もしっかり守ってくれるよう名付けた“船木鷹虎”に改名した。

その船木はこの前年11月22日(いい夫婦の日)、瀬戸会長の次女、純子さんと結婚していた。彼女が瀬戸会長の経営する喫茶店を手伝っていたことから船木も練習後にお店に出入りし、交際が始まったが瀬戸会長も公認の仲だった。「家庭をしっかり守れよ」といった願いも鷹虎命名に込められていたのである。

船木は「どの団体にも強い選手がいましたが、結婚した直後に全日本キック連盟に加盟すると言われた時はより責任感が増し、気合いが入りました」と語る。

加盟して間もなくの同年5月、村越浩信(光)から全日本ウェルター級王座を奪取。それまでにない注目度と周囲からは期待感も高まっていった。

[写真左]全日本キック連盟に移って、村越浩信を倒してメジャー王座獲得(1988年5月29日)/[写真右]竹山晴友を下したアルンサック戦には注目が集まったが引分けに終わる(1989年5月20日)
借りを返したい向山鉄也戦は引分けも圧し負けない好ファイトを展開(1990年1月20日)

1989年1月、弾正勝(習志野)をKOで退け初防衛。

1990年1月、先を行くライバル向山鉄也とは立場が入れ替わって挑戦を受け、引分け防衛ではあったが、「最初の対戦はまだウェルター級に慣れていなく、パワーでの差が顕著に出たと思います。2戦目は、それまで大きい人と揉まれてきていたのでパワーの差は感じず、良い試合が出来たと思います」と名実ともに業界トップクラスに立った時期だったが、ここまでが昭和のキックを牽引した時代と言えるだろう。

◆衰えぬ闘志

1990年代に入ると、キックボクシング衰退期脱出後にデビューした若い選手が台頭して来たが、船木は海外の強豪と戦いつつ全日本王座は4度防衛。

1992年(平成4年)3月に小島圭三(藤)に王座を奪われるも翌年に奪回(防衛1度)。

1995年に松浦信次(東京北星)に敗れ王座を失い、翌年、ニュージャパンキックボクシング連盟発足に伴う大量移籍後、新田明臣(SVG)とNJKFミドル級王座を争う2連戦はいずれも判定で敗れ、周囲からは引退も囁かれたが、船木は気力が衰えるどころか再浮上の闘志が湧いていたのだった。

瀬戸幸一会長に続いてリング入場(1994年6月25日)

当時においては40歳過ぎてなお頂点を目指す執念は周囲を驚かせた。話題を呼んだK-1中量級グランプリ出場も目指し、パワー増強と、得意のハイキックに磨きをかけていたという。しかし、後のスネーク加藤(現PHOENIX会長)戦で左腕を折る怪我が響き、戦線離脱は止むを得ない状況に陥っていた。

「体調や試合内容まで全て納得してならすぐに諦めたかも知れませんが、余力を残した敗戦が続いたので納得して引退したかったんです。50歳位まではいつでも試合が出来る準備をしていました」と当時を語るが、試合出場のチャンスは巡って来ず、時は大きく流れてしまった。

船木はタイ修行に行ったことは無く、タイ人コーチに指導を受けたことも無いが、先輩の初代ヤンガー石垣氏(信夫/後の轟勇作)から基本を教わり、あとは自分なりの研究だったという。

20年あまりもダメージ無く戦って来られたのはディフェンスの巧さ、クレバーな学習能力にあった。学業成績に関しては秋田県で中学生県統一試験で一番を取ったこともあり、高校時代も成績は学年で一番。そのIQの高さには戦いにも鋭い勘を養うことに結び付いていた。

しかしそんな船木の視力は0.1に満たない。陰がぼやけて動く程度の物の見え方で永く戦って来たのだった。それでも顔に傷をつくらないよう心掛けた。現役時代までの本業は仙台にあるホテルのフロントマンだったが、傷ある顔で勤務するわけにもいかず、例え顔を腫らしても妻の化粧品を借りてごまかし。宿泊客にも同僚にも気付かれなかったという。

小島圭三とは4戦目となった奪回後の初防衛戦、蹴りで圧倒(1994年6月25日)
仙台での毎年続くメインイベントで堂々防衛(1994年6月25日)

◆現役のまま

2002年初春には仙台市泉区に鷹虎ジムをオープン。

現在は、鷹虎ジムのプロ部門をチーム・タイガーホークとして活動中。J-NETWORKスーパーウェルター級チャンピオン.平塚洋二郎やフライ級で現在急成長の阿部晴翔を育て上げている。

昨年12月には元木浩二氏主催の、昭和のキック同志会忘年会で、かつて対戦した藤原敏男氏や向山鉄也氏、青山隆氏と再会した船木氏。

「藤原さんの目白ジム系(東京12ch系)はエゲツない強さが怖くて、日本系(TBS系)でデビューしたかったんですよ!」と本音を漏らしたが、藤原敏男氏に「な~に言ってんだよ!」とコツかれながら和やかに懐かしい話に花が咲いていた。現役を遠ざかったままなのは向山鉄也氏、青山隆氏と同じだが、気持ちの上では生涯現役を貫く同志であろう。

現役時代から子煩悩で妻と長女、長男、次女の3人のお子さんとの家庭を大切にした船木。次女の船木沙織さんは現在YouTuberとして登録者数132万人の「ヘラヘラ三銃士・さおりん」としてアイドルの才能を発揮、畑違いの“二代目ヤンガー舟木”と言える存在である。

船木の古巣・仙台青葉ジムは2011年に東日本大震災の影響で閉鎖されたが、かつてのヤンガー、三代目はヤンガー秀樹(鈴木秀樹/後の伊達秀騎)。四代目はヤンガー真治(鈴木真治)で、いずれも上京の為、移籍。更なる“ヤンガー”は現れないかもしれないが、顔は怖いが語り口は優しいという周囲の声は多い船木氏。IQの高さで選手育成も上手く、地方からでも強い選手が生まれること、仙台から新たなインパクトを持つ選手は近い将来に現れるだろう。

藤原敏男さんと再会のツーショット(2021年12月)

◎堀田春樹の格闘群雄伝 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=88

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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広島の政治は北部から変わる? 庄原市議会、島根原発2号機の再稼働に反対する決議可決! さとうしゅういち

筆者が住んでいる広島市から最も近い原発は四国電力伊方原発です。同原発3号機の運転差し止めをもとめる裁判を筆者も含めた住民が広島地裁に起こしており、運転差し止め仮処分決定が出たことがありますが、直近の申し立ては残念ながら、却下され、再稼働されています。

一方、広島県北部の住民にとって、最も近い原発は島根県松江市の中国電力島根原発です。松江市は全国で唯一原発がある県都です。

事故が起きた場合は直接の影響がすぐにはなくとも、島根県東部の避難民を広島県北部で受け入れることになります。島根原発1号機は2017年から2045年までの廃炉作業中、3号機は新設ですが稼働の見込みが現在はなく、2号機の再稼働が焦点となっています。

こうした中で、松江市は再稼働を了解してしまいました。島根県知事も近いうちに周辺自治体などの意見を聴いて是非を決める予定です。

その広島県庄原市議会では、島根原発の再稼働に反対する決議が3月23日の市議会本会議において、11対8で可決されました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

発議第2号

島根原子力発電所2号機の再稼働に反対する決議上記の議案を、庄原市議会会議規則第14条第2項の規定により、別紙のとおり提出する。

令和4年3月23日 庄原市議会議長様
提出者 総務常任委員会委員長 赤木忠德

(提案理由)島根原子力発電所2号機の再稼働については、安全性の確保や避難計画の実効性に関する課題が山積している。住民の命と安全の保証がないままに、原子力発電所を再稼働することに反対するものである。

島根原子力発電所2号機の再稼働に反対する決議

昨年9月、原子力規制委員会は島根原子力発電所2号機が新規制基準に適合していることを示す審査書を決定した。今年2月、松江市は再稼働の可否に関する事前了解権に基づき、再稼働同意を表明した。同じく事前了解権を持つ島根県も、県議会や周辺自治体の意見を聞いた上で、再稼働の可否について判断する見込みである。

原子力規制委員会は、原子炉等の設計を審査するための新規制基準は原子力施設の設置や運転等の可否を判断するためのものであり、これを満たすことによって絶対的な安全性が確保できるわけではないとしている。また、広島県と島根県が締結した原子力災害時等における広域避難に関する協定及び島根県が作成した原子力災害に備えた島根県広域避難計画において、本市は松江市八雲地区から6,810人の避難者を受け入れることになっている。この避難計画は、自力での避難が難しい人への支援や、自然災害で避難経路が使用できない際の対応、避難所での新型コロナウイルス感染症対策など、実効性に関する課題が山積している。

島根原子力発電所2号機が再稼働され、重大事故が起きれば、その被害は計り知れないものとなる。何よりも重視しなければならないのは、住民の命と安全である。その保証がないままに、原子力発電所を再稼働すべきではない。よって、本市議会は、島根原子力発電所2号機の再稼働に反対するものである。

以上、決議する。

令和4年3月23日 広島県庄原市議会

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◆筆者の赴任中からは想像ができぬ反原発決議

庄原市は広島県の北東部にある山間部の自治体です。2002年度から4年間、筆者はこの地域の市町村や介護施設や病院の指導にあたらせていただきました。

2005年に旧庄原市と比婆郡東城町、西城町、比和町、高野町、口和町、甲奴郡総領町が合併して新庄原市となりました。総人口は当時の43,519人から現在は33,218人に激減しています。

正直、失礼ながら筆者が仕事をさせていただいた時代には庄原市議会がこういう決議をするようなことは想像もできませんでした。

祖母が庄原市出身という60代男性も「色々と問題が多かった地域。だからこそ、余計に驚きと喜びを感じる。」とおっしゃいました。

今だから申し上げますが、わたしの在任中、合併される前のある自治体では以下のような惨状でした。

夫が町長で妻が町議兼介護事業者のトップ。妻が経営する介護事業所への利用をことわりづらいような雰囲気の中で町民に利用を勧誘。この影響でこの町の介護保険利用が爆発状態となり、パンク寸前に。その結果、国から「適正化」を求められたのです。どうしようかと悩んでいたら、合併となり、同町は消滅。正直、筆者はほっとしました。一方で、吸収合併された地域の衰退は目立ったのは「いたしかゆし」でした。

◆地域の将来への危機感と新住民の流入効果も

筆者がこの地域を去った後、庄原市では様々な問題もおきました。そのひとつが、バイオマス疑獄です。

当時の滝口季彦市長が2008~2009年ころ、バイオマス事業を推進。しかし、委託された事業者があまりにもずさんで事業が進む見込みがないことが、発覚。事業者は刑事責任を問われ、市は国からの補助金2億3,800万円を返還することになりました。このことに対して市政をただしていこうという住民運動が高揚。庄原市に対して市長個人に補助金返還分を賠償請求するよう命じる判決が2022年3月、出たものです。

一方で、東電福島第一原発事故のあとあたりから、とくに若い女性がこの地域にも移住するようになりました。

2017年の市議選では一人の若手女性が徒手空拳で挑み、惜敗。しかし、2021年の市議選ではなんと二人の新人の無所属の女性議員が誕生。共産党にも女性議員が誕生したこともあり、20人中4人が女性議員ということになりました。日本全国でまだまだ女性議員ゼロの自治体もあることを考えるとこれは大きな変化です。

庄原市議会HP

なお、県北部では女性議員が最近、顕著にふえています。このあたりのことについては今後、詳しく取材して稿を改めていきたいとおもいます。

社民党や共産党のベテラン男性議員も奮闘したし、新人の無所属の女性議員も奮闘した。そうした中で、「原発再稼働に反対」する議員が多数となったそうです。

もちろん、議会内には、当面のエネルギー需要をどうするのだ?という考え方から決議に反対した議員もいらっしゃったのも事実です。しかし、多数は再稼働に反対したのです。

まとめると、地域の将来への危機感、そして新住民の流入。こうしたことも、最近の市政の変化の背景にあるようです。

◆本当に深刻なのは「成功体験」脱却できぬ広島市など南部かも

他方で、筆者が住んでいる広島市。広島県内で最大都市ですが、議員も市民もいまひとつ、危機感が薄いようにも思えます。「伊方原発の再稼働反対」決議を広島市議会が出すかといえば、それは「現時点ではあり得ないだろうな」というのが筆者の実感です。

なんだかんだで、「原発製造企業を軸とした重厚長大産業のおかげで、1975年ころにひとりあたり県民所得3位」となり、「カープが初優勝」した、あの時代の「成功体験」が忘れられない方が多いというのは否定できません。また、中国電力の本店もあるというのも大きい。しかし、だからこそ、めげることなく、従来の「成功体験」への対抗軸を、ガツンと打ち出していかなければならないという決意を改めて表明します。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

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えん罪・姫路花田郵便局強盗事件で最高裁がナイジェリア人ジュリアスさんの再審請求を棄却! ジュリアスさんは第2次請求を目指す決意! 尾崎美代子

2001年、兵庫県姫路市の郵便局でおきた強盗事件の犯人とされたナイジェリア人のジュリアスさん(仮名)が再審開始を求めていた裁判で、最高裁(山口厚裁判長)は、3月30日再審請求を棄却する決定を行った。

証拠写真にマジックのようなもので加工する、証拠ビデオテープにノイズ(砂嵐)を入れる……これほどずさんな証拠改ざん、捏造が山積みの冤罪事件があったろうか? しかも、令状なしで事情聴取を始め、取り調べ室で一夜を過ごさせるなど、人権無視も甚だしい。こうした蛮行がまかり通るのは、被疑者が外国人、しかも黒人だからと蔑視しているからだ。日本に長く住み、結婚した日本人女性との間に子供も恵まれ、事件の5日前念願の永住権を取得していたジュリアスさんが、家族と離れ離れになるような危険を犯すことなどありえないのだ。

◆兄貴的存在だったジュリアスさん

2001年6月19日、午後3時10分頃、兵庫県姫路市内の郵便局に目出し帽と雨合羽の2人組が強盗に入り、現金約2,275万円を強奪した。警察は1時間後、郵便局近くの倉庫で現金と車両、目出し帽などを発見、倉庫を借りていたナイジェリア人のジュリアスさん(当時25才)を拘束し、深夜まで取り調べ、翌朝逮捕した。

ニュースを見たジュリアスさんの従弟で一緒に働いていたDが、翌日弁護士に伴われ警察に出頭、「自分がオーステインと2人で金を奪ったが、大金だったので怖くなり倉庫に隠した。ジュリアスは関係ない」と自供。犯行後、ジュリアスさんに相談して銀行に金を帰すため倉庫に行った、オーステインが逃走できないようにするため、車のナンバープレートを焼いたと話した。

ジュリアスさんは地元に大勢住むナイジェリア人の中で兄貴的存在だった。そんなジュリアスさんが警察に逮捕されたと知ったDは、無実のジュリアスさんに罪を被せてはならないと弁護士に相談に行った。ジュリアスさんは犯行を否認、強盗の起きた3時前後、自宅に寄り義理の祖母を会話し、その後自宅近くの知人の家によった。知人も「3時のCNNニュースを一緒に見た」と供述していた。

◆裁判で次々と明らかになった証拠の改ざん、偽造

検察は、犯行に使われた車はジュリアスさんのもので、犯行後に金などを隠していた倉庫は、ジュリアスさんしか開けられないとして、ジュリアスさんを実行犯の一人と断定したが、裁判では、子ども騙しのような嘘が次々と明らかにされた。

① 警察は、「近くでジュリアスさんを見た」という通報をもとに倉庫に出向き、隙間から覗いたら車が見えた、しかし正面の扉が開かなかったので、左横の窓から入ったと証言。しかし、その窓は半分が鉄格子、半分は内側に資材運搬用エレベーターで塞がれ入れる状態ではなかった。それでも検察は、ジュリアスさん以外倉庫を開けられないことを有罪の証拠にしているため、「正面の大きな扉は鍵がかかって入ることが出来なかった」と嘘をつき通した。一方、ジュリアスさんは日中は施錠せず、開けっ放しにしていたと証言、倉庫所有者の奥さんも「倉庫が開きっぱなしになっていたことがある」と述べ、再審では陳述書を新証拠として提出していた。

証拠のビデオテープの画像。犯人の顔が判別できそうな瞬間になるとノイズ(砂嵐)が入って映っていない

② Dが共犯者と供述したオーステインについて検察は、当初「存在せずすべて作り話」と決めつけた。そこで、ジュリアスさんは、事件の一月前、オーステインがスピード違反をしたことを思い出し、オービスに残っているオーステインの画像を入手させた。画像は少しボケてはいるものの、黒人というほかにジュリアスさんとの共通点はなかった。しかし、裁判で出された写真には、坊主頭のオーステインの頭に黒いマジックのようなもので何か書き足してあった。当時、ドレッドヘアだったジュリアスさんに似せるように。これについて弁護団は再審で、BAHID(イギリス人物同一性判定協会)のK・Aリンジさんによる「写真の頭の左側の部分が加工されている」とした鑑定書を新証拠として提出していた。

ほかにも血液型や、ジュリアスさんの知人の「3時のCNNニュースを一緒に見た」が「4時のCNNニュース」に改ざんされるなど、ジュリアスさんが犯人でない証拠はことごとく改ざん、捏造、隠蔽されてきた。中でも私が最も悪質と感じたのは、郵便局内で犯人らを映した防犯カメラ画像に施された工作だ。1分13秒の画像には、犯人の1人がカウンターを飛び越えた際、息苦しくなったのか、目出し帽を脱ごうとする場面がある。裁判で出された画像は、そこにノイズ(砂嵐)が入って映っていないのだ。専門家によればこのように数秒単位でノイズが入ることはあり得ないという。しかも検察は、重要証拠の原本を廃棄したという。よほど見せたくない画像があったに違いない。

◆再審無罪を勝ち取らないと家族はバラバラに

2004年、神戸地裁姫路支部は、ジュリアスさんに懲役6年を言い渡した(Dは懲役4年6ケ月、出所後は国外退去)。ジュリアスさんは、その後控訴、上告も棄却され、2006年刑が確定、神戸刑務所で服役、2009年1月に出所した。

出所したジュリアスさんには退去強制命令書がだされ、大阪入管収容所に移された。処分取り消しを求める裁判でジュリアスさんは、仮放免という措置で拘束を解かれたが、裁判所は「有罪判決が事実誤認であることを当該外国人が立証すべき」と求めた。ジュリアスさんと家族は、再審無罪を勝ち取ることでしか、共に暮らし続けることができなくなった。

◆それでも「正義の人」はいた

ジュリアスさんと奥さんは、何度も神戸地裁姫路支部に通い、再審に向け新たな証拠を探し続けていた。そこにいつも親切に応対してくれる検察事務官がいた。

ある日ジュリアスさんが、証拠ファイルを見ていると、「コピーはできないが撮影してもいい」と言ってくれた。それは犯人が被っていた目出し帽に付着していた毛髪の鑑定書だった。弁護団がジュリアスさんの毛髪鑑定を行い比較したところ、「いずれも形態的に類似性に乏しかった」との結果がでた。

その後、犯人の1人が被っていた目出し帽が還付された。鑑定の結果、帽子から3人のDNA型が検出されたが、すべてジュリアスさんのものとは一致しなかった。事務官はジュリアアスさんに「無罪を信じている」とも言ってくれたという。

ジュリアスさんが「正義の人」と呼んだ事務官は、その後、懲戒免職を受けた。一方、ジュリアスさんは、彼から受けた証拠を新証拠として、2012年3月、神戸地裁姫路支部に再審請求を申し立てたが、2014年3月に棄却された。

刑事裁判では、ジュリアスさんが実行犯か否かが争点だったにもかかわらず、棄却判決は、ジュリアスさんを実行犯の1人であると認定できないとしながら、電話などの遠隔操作で指示を与えたりなどした共犯者であるという推測が妨げられないとした。

ジュリアスさんの代理人・池田崇志弁護士

これに対して2016年3月、大阪高裁は「姫路支部は、これまで争点になかった認定をしており、男性に主張、立証の機会が与えられず、審理が尽くされていない」とし、審理を神戸地裁に差し戻したが、神戸地裁は再び請求を棄却、ジュリアスさんは、最高裁に上告を申し立てていたが、今回棄却された。しかも、裁判を担当する池田弁護士が急病で倒れたため、ジュリアスさんと守会は最高裁に決定を待つよう要請し、後任弁護士の相談を進めていた矢先の棄却。血も涙もない不当決定である。

一方、ジュリアスさんは、国と兵庫県に対して「無実を証明する証拠を改ざんされた」などとして国賠訴訟を提訴していたが、神戸地裁は、請求権は20年の時効によって消滅したと請求を退け、現在、裁判は大阪高裁で争われている。同時に再度再審を申し立て必ず無罪を確定しなくてはならない。日本で家族と過ごすために。今後の裁判にご注目を!

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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ウクライナ人道支援の避難民受け入れ 政府専用機でたった20人の謎 横山茂彦

◆国民の4分の1が避難民に

ロシア連邦による大量虐殺が明らかになりつつあるウクライナから、すでに420万人をこえる人々がポーランドやモルドバなどの隣国、ヨーロッパに避難している。国内での移動をあわせると、国民の4分の1が避難民となっている。

第二次世界大戦いらいのジェノサイドが明らかになったいま、ウクライナ避難民の受け入れは、21世紀世界の責務といえよう。

わが日本政府も林芳正外相をポーランドに派遣し、避難民の受け入れに乗り出した。これまで牛久や大村の収容施設でアジア人を「殺してきた」(2017年ベトナム人男性・2021年スリランカ人女性)入管行政も、ウクライナ避難民にはビザ発給など入国のハードルを下げる措置を採るという。今回の措置に先行して、人が親族を頼って入国している。


◎[参考動画]夢かなえるため家族とも別れ……避難民受け入れの課題(ANN 2022年4月4日)

◆なぜ20人なのか?

ところで、林外相が連れ帰ったのは、わずか20人なのである。

移送には政府専用機(B777・予備機)が使われたのだが、同機の登場可能人数は防衛省によれば150人である。B777は350~450人が搭乗可能だ。政府専用機は会議室やベッドなど機能性や居住性を重視した改装によって、それでも150人が搭乗可能なのだ。あまりにも少なすぎるではないか。

ヨーロッパの最貧国といわれるモルドバでは、一家で難民2人を引き受け、政府がその費用を援助している。ポーランドでは人口160万人のワルシャワ市が、60万人の難民を引き受けているのだ(ポーランド全体では250万人を受け入れ)。激動の歴史をたどってきた東ヨーロッパならではの、相互扶助・協同の精神が発揮されているといえよう。

ウクライナから距離のある極東の島国とはいえ、キーウ(キエフ)と京都、オデーサ(オデッサ)と横浜が姉妹都市であるなど、日本とウクライナは親密な関係にある。福島原発事故・チョルノーブィリ原発事故という両国に共通した体験から、原発災害防止の分野でも研究・交流が活発であった。


◎[参考動画]政府専用機に乗ったウクライナ避難民20人が羽田空港に到着(ANN 2022年4月5日)

◆選考基準を明らかにしない外務省

いっぽう、外務省は避難民の選考方法やその基準を明らかにしていない。20人という、ヨーロッパ諸国が数十万・数万単位で受け入れているのに比べれば、申しわけ程度の人数になった理由も明らかにしていない。

林外相の記者会見での弁は、「政府専用機の予備機に日本への避難を切に希望しているものの、自力で渡航するのが困難な20人の避難民を乗っていただくことにしました」であった。

なるほど難民認定が年に数十人単位(申請者数は4000~7000人)のわが国にしてみれば、404人も避難民を受け入れたうえに、政府専用機を利用させてまで受け入れたのだ。これで欧米並みの人権国歌として、世界に理解されるはずだ。ということなのかもしれない。

ところが、である。民放テレビの現地報道では、ポーランドの日本大使館に何度も連絡してみたが、応えは「現在調整中です」というものだったと報じている。これはどうしたことなのだろうか。希望者は多数いたにもかかわらず、外務省は何らかの方法で調整、すなわち一方的に選抜したのである。選抜理由が明らかにできない以上、避難民受け入れを国内外にアピールするパフォーマンスと指摘されてもやむを得ないのではないか。


◎[参考動画]日本へ避難したいが……政府専用機同乗の対象基準は?(ANN 2022年4月4日)

◆受け入れに積極的な地方 申しわけ程度の中央政府

政府専用機での移送をわずか20人に絞った政府にたいして、受け入れの準備がないからではないかと観測する向きもある。ところが、600以上の民間団体・企業・自治体が、すでに受け入れの名乗りを挙げているのだ。

政府は公益財団法人のアジア福祉教育財団難民事業本部に委託し、生活費や医療費などを支給するいっぽう、企業や自治体の支援については内容を整理し、避難民の希望も聞き取りながらマッチングを行う方針だという。佐賀県や天理市など、受け入れ人数を明らかにした自治体もある。

アジア福祉教育財団難民事業本部は、もとはインドシナ難民救済事業として出発した政府委託の民間団体である。今回の避難民は、入管が管轄する「難民」ではなく、在留期限を1年単位(6か月の生活費支給)で更新するとされている。その意味でも、あくまでも特例措置なのである。

民間では就労もふくめて、多数の受け入れが準備されているにもかかわらず、岸田政権の及び腰はいかがなものか。安倍晋三や菅義偉とはちがって人の話は聴くが、動きのにぶい政治であると指摘しておこう。


◎[参考動画]ウクライナ人をサハリンなどへ強制移住 ロシア軍(ANN 2022年3月26日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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渡辺てる子講演記録〈2〉個人的なことは社会的なことだ ── ホームレス出産 林 克明

れいわ新選組から2019年参院選、2021年衆院選に出馬して落選した渡辺てる子氏は、2022年4月17日投開票の練馬区議補欠選挙に立憲民主党公認で出馬予定だ。

所属政党は変わっても従来からの主張には変わりなく、派遣労働者・格差社会改善・シングルマザー問題の改善などを目指し、模索しながら活動を続けている。

その渡辺てる子氏の講演会記録(21年11月29日)の第2回は、ホームレス状態で2人の子を出産した後の苦悩の日々を赤裸々に語ってくれた。(構成=林克明)

 
『渡辺てる子の放浪記』(林克明著、同時代社)

◆貧困のデパート
 
2019年夏の参院選、2021秋の衆院選に、れいわ新選組から立候補しましたが、敗れて現在に至っています。しかし、もう後戻りできません。進んでいくしか私の道はないと思います。本質的にやりたいことがあるからです。

つい先だって山本太郎代表にあらためてこう申し上げました。活動することが、私が生きることであると。大上段に構えるのではなく、活動するのが当たり前なんです。ご飯を食べること以上に当たり前なのが、私にとっての活動です。

今回の衆院選挙では人から整えてもらった環境のなかで活動をしましたけど、どんな状況になっても私は活動を続けることになると思います。そうでなかったら私は私ではない、渡辺てる子ではない。

誰から言われたわけでもなく頼まれたわけでもなく、たった一度の人生ですから、活動は続けたいのです。

活動で何を訴えるか。社会的属性としては、私は貧困のデパート。女性、シングルマザー、派遣労働という非正規労働のワーキングプア―であること、さらには高齢の母を介護していたこと、そして息子はロスジェネ世代の最後の年代でワーキングプア―。

正社員になれない派遣労働者の子どもを抱える母親でもあります。そういうことをすべてひっくるめて、貧困のデパートということです。これが私の当事者性です。

ですけれど、私固有の問題ではないという確信があります。選挙に出たこともあって、モットーはなんですか、座右の銘はなんですかと何度となく問われました。私は迷わずこう答えます。「個人的なことは社会的なことだ」と。

つまり、個人の問題で固有の問題だと自分では思っているかもしれないけれど、人間は社会と切り離されて独立して生きていることはできない。必ず社会構造の中に組み込まれて社会の影響を受け、社会とつながって生きていくしかないのだから社会的な存在なんだと。

だとするならば、自分の抱えている問題が個人的な問題に見えて、実は社会的な問題なのだと。あなたが悪いんじゃない、あなただけの問題じゃない、普遍的な問題なんだ、だからいたずらに自分を責めることはしなくてよいのだと。そういう意味を込めての、個人的なことは社会的なことだと、先だって面談したときに山本太郎代表の前で語りました。

この言葉は、ウーマンリブが華やかなりしころのラディカルフェミニストのシュラミス・ファイアーストーンという女性が言った言葉とされています。この言葉に出会ったのは、私が大学生のときでした。

◆ホームレス出産への批判

当時、自分の生きづらさのルーツを探っていたら、どうやら男女差別だということがわかり、以来私は自分が自分らしくあるために、フェミニズムがないと生き延びてこられなかったということがあります。

今ここにいるほとんどの方が購入して読んでいただいているであろう『渡辺てる子の放浪記』(同時代社刊)の中に、私の生きる原点としてホームレスの状態で子どもを産んだことが書かれています。

そのことだけをもって、いろいろな方々から無責任だ、そんな状態で子どもを産んでどうするんだ! と言われました。さらには、ホームレスで子どもを産まないで、しかるべきところに相談するなり援助を求めるなりをなぜしなかったのか、と。このようにご批判を受けることがあります。

それに対しては反論をさせていただきたいと思います。まず、望まない妊娠であったということ。批判する人は、そういう状態で子どもを生むリスクを負っているわけではいですよね。いったいどういう見地からして母親を責めるんでしょうか。

話は少しずれますが、やむなく子どもを産んで死なせてしまった母親がいます。母親が妊娠したことをだれにも相談できず病院にも行けず、子供を産み落として嬰児遺棄で刑法に問われることがある。

あるいは捨て子をしなければならない状況に陥った母親を、法的にも責めてるし、心理的にも道義的にも責める人がたくさんいます。

しかし、妊娠・出産だけでも女性は非常にリスクを抱えています。病院にかかったとしてもそれで生命を落とす人もいます。大きなおなかを十月十日抱えているだけでも大変なのに、出産した女性をなんで責めるんですかね。責めていいことがあるんですか?

しかも相手の男性がいるはずですよね。その男性を責めず女性だけを責める。これひとつもっても、いかに日本は女性を不当に差別し抑圧している意地汚い社会か、だと思います。皆さんの周りに、いま言ったようなことで女性を責める人がいたら、おかしいんじゃないですか、と言っていただきたいです。

◆厳粛に受け止めた出産

いずれにせよ、私がそういう中の一人であったことは事実です。が、おかげさまで出産自体は非常に安産でした。それまでホームレスをやりながら真冬の氷点下、寒さが骨の髄まで刃のように突き刺さる厳寒の夜、流産も覚悟し、死産も覚悟していた中で安産だったことだけでも私はありがたいと思っていました。そこに生命の強さを感じました。

自分の体を通して一人の人間が、一個の人格がこの世に出現しただけで私が特別な存在であったり母親ではないんだ、というむしろ普遍的な思いで出産を厳粛に受け止めました。これが私の生命の尊重の原点になったのです。

そうは言ってもあまりにつらいし、いつまでも子どもを連れてホームレスの状態でいることは、子どもをかわいそうな目に遭わせてしまう。でも子どもと離れるのはいやで親子心中を考えたこともありました。

車の中の二酸化炭素中毒で一家が死ぬやり方が当時はやっていたので、それが一番いいなと思いました。私のあこがれの自殺のスタイルだったんですよ。でも、ホームレスなので車がないから、その方法はそもそも無理なんですよね。

睡眠薬も、親子三人が致死量に至るまで飲むのは相当な量だし、小ちゃい子はまず飲まないだろう、タブレットだからそれも無理だろうと思って。

あとは富士の樹海に行くことだけれど、子供二人連れて交通費もないし……。ヒッチハイクで乗っけてもらおうとしても、自殺とわかってしまうから、絶対にそこまで乗っけて行ってもらえないなと。

一番確実な方法はビルの屋上から飛び降りることだったんですね。実際、子供二人連れて飛び降りたお母さんもいたんですよ。これなら実例があるから、成功例があるからできると思いました。

いざ実際にやってみようと思うと、一般の人が屋上まで行けるのはデパートぐらいしかない。でも金網がかなり高いところまで張り巡らされているので、子供二人連れて乗り越えることは物理的にできなかったんですね。

一人だけならおんぶして金網を登れるかもしれなかったですが二人一緒だと無理。一回しか飛び降りられないから二人を一度に連れて行かなけりゃならない。それも無理で、親子心中をあきらめたんです。

別にたいそうな思想があって生き延びたわけではなく、そういったいろいろな巡りあわせで死なないでこれただけに過ぎません。(つづく)

『渡辺てる子の放浪記』(林克明著、同時代社)

▼林 克明(はやし まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

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