筆者の勤務先、ついにクラスターに! 職員不足とのダブルパンチで「野戦」状態に さとうしゅういち

介護福祉士である筆者は、衆院広島1区(広島市中区、東区、南区、総理の地元)内と広島4区(安芸区、安芸郡、東広島市の大部分など)内の介護施設に勤務しています。このうち、広島1区の介護施設に2022年2月14日、ご利用者1人、職員1人の感染が確認され、ついにコロナが上陸してしまいました。広島県内の感染者数も減少傾向に入ってほっとした矢先の出来事でした。

そして、2月22日までに当該施設の感染者はご利用者6人、職員2人に増え、5人というクラスター発生の基準を上回ってしまいました。いつかは、くるかも、と頭の中では考えてはいました。しかし、現実に自分が勤務する施設でクラスターが発生すると、まるで夢をみているような状況に不覚にもなってしまいました。

◆これまでの経過

これまでの状況を年表風にまとめると以下のようになります。

1/24(月)広島4区の介護施設に入居する予定の方がコロナ感染。入居延期に。
1/25(火)広島1区の介護施設に入社予定の職員がコロナ感染発覚。勤務開始の目処たたず。
2/10(木)筆者、1区の施設にコロナ上陸前最後の出勤
2/11(金)~13(日)筆者の仕事はお休み。
     広島市内で街頭演説や炊き出しのボランティア、労働組合の役員会など活動。
2/14(月)筆者、広島4区の介護施設に勤務。
     1区の介護施設でご利用者1人、職員1人の感染発覚 筆者は知らず
2/15(火)筆者は、ワクチン接種のため、お休み。広島市内の団体や政党など挨拶回り。
2/16(水)筆者、広島1区の介護施設に上陸後最初の勤務。
     職員1人の感染発覚。累計でご利用者1,職員2の感染者。
2/17(木)筆者、広島1区の介護施設に勤務。
2/18(金)筆者、広島1区の介護施設に勤務。
     あらたにご利用者1人の感染発覚。累計ではご利用者2人、職員2人の感染者。
2/19(土)筆者は仕事休み。
2/20(日)筆者は広島4区の介護施設に勤務。
2/21(月)筆者は広島4区の介護施設に勤務。
     広島県では、まんえん防止措置は延長も認証店では酒類提供可能に。
     2/19-2/21の3日間にあらたに1区の介護施設で2人のご利用者感染。
     ご利用者4人,職員2人の累計6人の感染者でクラスターに発展。
2/22(火)筆者、広島1区の介護施設に出勤。あらたに2人のご利用者感染。
     ご利用者6人、職員2人。合計8人に。

ちなみに、広島県、隣接する岩国市、そして感染の震源地とされる米軍岩国基地の新規感染者数の推移は以下です。

02/01 1056-20-17
02/02 1027-27-11
02/03 1179-20-13
02/04 1233-19-11
02/05 1277-22-0
02/06 1109-19-0
02/07 748-22-4
02/08 892-13-9
02/09 1042-10-10 広島県再び前週同日比増加
02/10 1008-9-10
02/11 1080-9-7
02/12 820-15-0
02/13 736-12-0
02/14 606-11-0
02/15 922-12-9
02/16 972-21-9
02/17 896-14-17
02/18 764-21-5
02/19 791-25-0
02/20 771-22-0
02/21 490-30-0
02/22 671-20-0

◆要介護度が低い方への感染契機に状況悪化

今回の施設内クラスターで最初に利用者で感染された方はほぼ、ねたきりの方でした。しかし、要介護度が低い方が感染して、一挙に状況が悪化しました。要介護度が低い方が感染するとなぜ状況が悪化するのか?ご説明します。

ねたきりの方の場合は、食事などで例外的に個室から出てこられる以外は出てこられません。ですから、
1 ご利用者には個室で食べて頂くようにする。
2 職員は徹底した手洗いなどを大前提にオムツ交換などに向かうときは、上下完全防備のガウンとフェイスシールドを着用し、個室を出る前に脱いで捨てる。マスクはもちろん、完全防備の医療用のもの(写真)をつかう、
を守っていれば問題は比較的少ないのです。

しかし、要介護度が低い方は、お元気です。他のご利用者とも普段からコミュニケーションは盛んにとっておられました。他のご利用者の個室にもよく遊びにいかれます。こうした方々がほぼ無症状で、意識しないで、大声でいろいろな人に話しかけられるということが起きます。マスクも職員とちがってきちんとすることはない。要介護度が低い方はいわゆる「スーパースプレッダー」になるリスクが極めて高いのです。また、こういう方々はお元気ですから、隔離されても、個室の外へ出ようとされます。そのことを制止しようとするだけでも相当なストレスです。

◆食事時間帯は人員不足とダブルパンチで野戦状態に

介護施設のクラスターで一番、大変なのは、朝昼夕の食事時間帯です。感染拡大防止のために、ほとんどのご利用者には、個室で食べて頂くことになります。ただし、食事の際に介助が必要な非感染者の方の多くは、食堂で食べていただくことになります。こうした方々は、きちんと見守りをしないと、誤嚥のおそれもあるからです。食事介助を必要とされる全てのご利用者の個室に職員を派遣して介助をする余裕はもちろんありません。

一方で、感染者の方は絶対に個室で食べて頂くしかありません。とくに問題は中途半端に立ち上がる能力はあるけれども、安定して歩けない方が感染した場合です。こういう方も個室で食べて頂かないといけません。職員は他の利用者の食事介助もしなければなりません。

そういうときに、このタイプの感染者のご利用者が歩こうとして倒れたら大変です。そうはいっても、転倒したご利用者を助けにいくのなら、ガウンにフェイスシールドを装備しないといけません。帰りは脱いで捨てるしかありません。そうこうする間に、元気な感染者が、個室を出ようとされたり、食事介助を必要とされる方が誤嚥をおこされたり、ということもあり得ます。

まさに、野戦のようなありさまです。これが、まだ、最低でも10日程度続くと予想されています。たまったものではありません。

◆やはり十分な人員確保とそれに向けた抜本的待遇改善が必要だ

さて、たとえば、利用者を歩かないよう拘束すれば、これは高齢者虐待防止法などで禁じられた違法行為になります。やむを得ず拘束をするにも、3つの要件がそろい、家族の同意が得られてからです。さりとて、このままでも転倒する方などが増えます。

そうすると、介護現場の人員を増やしすしかないのです。人員に余裕があれば、緊急時にも対応しやすくなります。当該施設においては、退職者があいつぐいっぽうで、補充で新規に入社予定の方がコロナ感染で出勤のメドが立たない状況の中で起きたクラスターでした。

その人員確保のためにも、地元の総理・岸田さんに対しては、3%賃上げなどと心細いことではなく、ガツンと財政出動による月給10万円アップをお願いします。そして、短期的にも今回のパンデミック対応として、危険手当の支給をお願いするものです。また、一時は当該施設でも濃厚接触者となった労働者が出勤停止となり、「野戦」状態はさらにひどくなりました。濃厚接触者となった人への補償もありません。濃厚接触者となった介護・保育労働者への補償もお願いするものです。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年3月号!

浪江町民の鈴木正一さんが詩で綴る〝原発事故棄民のリアル〟〈下〉 鈴木博喜

 
鈴木さんが自費出版した詩集「棄民の疼き」

「ふるさとの復興」
大平山霊園 災害公営住宅建設
「道の駅なみえ」オープン 請戸漁港再建
常磐線全線開通 世界最大水素工場や
県最大酪農牧場計画策定等々
視える確かな復興事業
中には待ち焦がれる帰還を疎外する施策も

2万1000人の町民
避難指示解除4年で帰還者7%
創生小中学校開校
1700人程の児童生徒は26人に
小中学校誰しも抱く心の拠り所
請戸小学校は震災遺構で保存決定
5つの小中学校は
閉校式もなく解体決定
住民意向調査の結果
「帰還しない」は54・9% 過半数を超えた
「要介護認定率」は郡内最大の増加23%超

住んでいない避難町民からも固定資産税や住民税を徴収
まるで核災がなかったかのよう…
余にも理不尽な政府の圧政・収奪
更にコロナ禍での生活困窮
「被災者に寄り添う」?
喜びより恨めしさがつのる
ふるさとの復興
(初出2021年3月「コールサック」第105号)

原発事故発生から間もなく丸11年。確かに浪江町役場周辺の景色は一変した。立派な道の駅が完成し、イオンもできた。常磐線が全線開通した。海側では、津波で壊滅的な被害を受けた請戸漁港が再建され、町立請戸小学校は震災遺構として残された。では、原発事故は「終わった」のだろうか。もはや「過去の出来事」なのだろうか。

自らを含む原発事故の被害者を「核災棄民」と名付けた鈴木さん。2019年5月の第1回口頭弁論では、法廷での意見陳述でこう訴えた。

「福島第一原発の事故は、巨大な人災です。核の人災です。加えて、浪江町は原発隣接地であるにもかかわらず、町民にはバスなどの避難手段も汚染の情報も国から提供されませんでした。浪江町民は皆、国から見棄てられた『棄民』です」

原告団長として先頭に立って国や東電と闘っている鈴木さん(右)。「浪江町民は国から見捨てられた『棄民』だ」と訴える

原発事故後の「棄民政策」は、町のシンボルでもある学校までをも奪う。

詩で触れられている「5つの小中学校は閉校式もなく解体決定」とは、大堀、苅野、幾世橋、浪江の4小学校と浪江中学校のこと。

卒業生から「希望者全員が参加出来るよう校舎見学会と閉校式を行ってください。それまで、校舎の解体を延期してください」と求められたが町は拒否。現在はすっかり取り壊された。背景には、環境省が国費での解体申請に期限を設けたことがあった。原発事故がなければ閉校する必要などなかったのに、加害当事者(国策として原子力発電を推進してきた)である国が「解体費用を出したくなかったら、さっさと解体を決めて申請しろ」と町に迫り、町もそれに従った。そこには原発事故に翻弄された卒業生たちの想いなどなかった。東京五輪の聖火リレーで出発地となった浪江小学校では、解体番号が書かれた看板が一時的に取り外され、復興の〝演出〟が終わるとあっという間に解体された。

2018年11月27日の提訴から今秋で4年。これまでの弁論期日では書面のやり取りばかりで、原告からは「判決はいつになりそうなのか」など、いら立ちとも中だるみとも言える言葉が出てくる。高齢であればなおさら「のんびりと裁判している時間などない」と考えてもやむを得ない面もある。このタイミングで詩集を配る背景には、改めて原告みんなで団結して裁判に臨みたいとの想いがある。

「『4年経っても、ちっとも前に進まないじゃないか』と考えている原告もいると思います。でも、今年は大きなヤマ場を迎えます。原告一人一人の本人尋問が始まります。5月には、現地進行協議という名目で裁判官が浪江町を視察します。その山に向かって、みんなでもう一度心をひとつにして闘いましょうという想いも詩集にはこめられているのです」

詩集の最後のページに収められたのは「歩み固かれ 目は遠く」という詩だ。

「性差別とか人種差別とか、世界中にいろいろな運動がありますよね。われわれの闘いもそれらに含まれるんだよと。われわれの裁判闘争にも希望を持っていただきたいということなんです。『歩み固かれ』というのは、みんなでしっかり団結して一歩ずつ前に進んで行こうという意味です。『目は遠く』というのは、勝利は遠く向こうにあるけれども、しっかり歩いて行けば自分たちの手に入れることができるということ。この言葉は、土井晩翠が作詞した県立双葉高校校歌の4番の一番最後の歌詞なんです。われわれも一歩ずつしっかり裁判を積み重ねて、そして勝利を目指してがんばろう。世界中で多くの人々がこういう運動をやっているんだよ、われわれだけじゃないよという希望をこめて書いたんです」

詩「歩み固かれ 目は遠く」には「浪江町民の闘いも世界中のさまざまな社会運動の1つ。闘っているのは私たちだけじゃない」という原告たちへのメッセージが込められている

60代で震災・原発事故に被災した鈴木さんも71歳になった。

「6月28日で72歳になります。年男です。前町長の馬場有さんは私の誕生日の前日に亡くなったんだよね。詩集を11月27日に発行したのは、提訴日だからです。では、なぜ11月27日に提訴したかというと、馬場さんの月命日に提訴したいという弁護団の想いがあったからなんです。弁護団は馬場さんとずっと一緒に集団ADRをやってきましたからね。それで月命日に提訴しようということになった。馬場さんの奥さんにも『墓前に供えてください』と詩集を贈りました。ちょっとした言葉や数字にも、私なりの想いがこめられているんですよ」

印刷代など全て自費。200部印刷し、弁論期日に駆け付けた原告などに無償で配っている。

「書店などで一般に販売しているものではなくて、個人的に200部印刷して持っているわけですから、電話をいただければ私から直接、送ります。無料で郵送しますよ」

詩集の希望者は鈴木正一さんの携帯電話090(8927)5640まで。

◎鈴木博喜「浪江町民の鈴木正一さんが詩で綴る〝原発事故棄民のリアル〟」
〈上〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=41937
〈下〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=41944

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年3月号!
〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

風雲急を告げる、ウクライナ戦争の本質 ── 戦争をもとめる国家・産業システム 横山茂彦

「平和の祭典(休戦期間)」オリンピックの終了とともに、事実上ウクライナ戦争(ロシアの侵攻)が始まった。

一部の報道によれば、プーチン大統領は21日、ウクライナ東部のドネツク州とルガンスク州の一部地域の独立を承認し、「平和維持」を目的として、この地域に対し、軍を派遣する命令書に署名した。

すなわち、ロシアのプーチン大統領が、親ロシア派が支配するウクライナ東部の一部地域の独立を承認し、同地域への軍の派遣を命令したというのだ。動員された規模は19万人で、第二次世界大戦いらいの規模だとされている。

ドネツク州とルガンスク州の一部地域は、2014年に人民共和国として一方的に親ロシア派が独立を宣言していたが、国際的には承認されておらず、独立を承認するよう今月21日にプーチン大統領に要請したものだ。

これに先立つ20日、アメリカのバイデン大統領は「プーチン大統領がウクライナ侵攻を決意した」と、記者会見していた。まるでバイデンがプーチンの決意を代弁し、それにプーチンが正面から応えたかたちで、戦争の火ぶたが切られようとしている。


◎[参考動画]Moscow Orders Troops To Ukraine’s Separatist Regions(MSNBC2022年2月22日)

◆地域覇権主義と軍産複合体

単純に言えば、ロシアの伝統的な拡張主義とアメリカの軍産複合体が、ウクライナ内戦の延長に軍隊を動かした、ということになる。

ロシアの拡張主義(地域覇権主義)は、それ自体は国家の本質的意志であり、旧共産党政権、プーチンなど独裁的な政権をこのむ国民性に支えられた強権外交である。

いっぽう、ロシアのウクライナ軍事侵攻をことさら過剰に喧伝し、みずからも数千人単位の兵員を周辺地域に動員したアメリカには、10年に1度は戦争をしないと、軍需商品が回転しない事情がある。したがって、国民の3000万人におよぶ軍産複合体の構成員たちの要望によるものだ。

そして、戦争発動の大義名分は東ヨーロッパ特有の、多民族の混住という特性において、自民族住民の保護を名目としている。この事情は、ナチスドイツの30年代後半の併呑主義の例をあげて、19世紀・20世紀いらいの国家と民族の矛盾にあると指摘してきた。

『平和の祭典』北京冬季五輪とウクライナの危機(2022年2月4日)
 
オリンピックが武器を持たない国家間の競争であるのとパラレルに、戦争は民族の防衛を名目とした国家間の闘争である。したがって、時期的にふたつのイベントが重なったのは、まったく偶然というわけではない。西側(米日・EU)が北京五輪を外交ボイコットするなか、プーチンは習近平との会談で合意を取り付けつつ、西側への圧力をつよめてきた。

そしてこの侵攻は二度目であり、前回とまったく同じ構造である。

北京オリンピックが閉幕したことで、現地メディアのなかでは、2014年のクリミア併合が、ソチオリンピック・パラリンピックの直後に行われたことを挙げて、歴史は繰り返されると予測されていた。まさにその通りになろうとしているのだ。

◆国境のない国

ここ数日間に、確認されているだけで1500件以上の「停戦合意違反」が生起し、ロシア系ウクライナ国民の大半が国境をこえているという。いや、事実上の国境は東ウクライナと首都キエフの中間にあって、武力制圧が国境線を決めることになる、いわば内戦下の国なのだ。

正規軍(ウクライナ軍)とロシア軍の衝突が、どのくらいの規模で起きるかは不明だが、ロシア軍が平和維持を名目に大軍でドネツク州とルガンスク州を制圧し、東ウクライナの事実上の支配権を確立することになるだろう。

ウクライナの全人口のうち、ロシア人は17.3%を占める。ほかに少数民族としてクリミア・タタール人、モルドヴァ人、ブルガリア人、ハンガリー人、ルーマニア人、ユダヤ人、高麗人(ロシア系朝鮮人)が4.6%。ウクライナ人は77.8%である。そして困難なのは、ロシア人の3分の1がロシア国籍(二重国籍)を持っていることだ。

このあたりが、われわれ日本人にはピンとこないところかもしれない。わが国の在留・在住外国人は280万人とされているが、帰化申請者は年間数千人(中国人・韓国人・朝鮮人など)におよぶが、国籍取得者は毎年千人前後である。

基本的に国籍条項で二重国籍が禁じられている(罰則なし)ので、積極的な二重国籍取得者はいない。

つまり、出生地主義の国(アメリカなど)で生まれた帰国子女、協定永住権取得者(在日韓国・朝鮮人)が帰化したさいに母国国籍を離脱しない場合など、特殊なケースを除いては二重国籍は発生しない。これがじつは島国の特性なのである。

ヨーロッパの、とくに東欧においてはたび重なる国境の書き替え(ウクライナの場合は、第一次大戦後のブレスト・リトウスク条約)によって、混住地域に国境線が引かれてきた。これが内戦の主要因であり、それに生じて大国間の地域覇権の争奪の大義名分となるわけだ。

いずれにしても、ウクライナが欧米に支援をもとめたことで、アメリカの軍事介入が日程に上りそうな勢いだ。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年3月号!

新聞衰退論を考える ── 新聞人の知的能力に疑問、新聞社のビジネスモデルの闇、ABC部数検証・兵庫県〈3〉 黒薮哲哉

今回の記事は、兵庫県全域を対象として新聞のABC部数の欺瞞(ぎまん)を考えるシリーズの3回目である。ABC部数の中に残紙(広義の「押し紙」、あるいは「積み紙」)が含まれているために、新聞研究者が新聞業界の実態を分析したり、広告主がPR戦略を練る上で、客観的なデーターとしての使用価値がまったくないことなどを紹介してきた。連載の1回目では朝日新聞と読売新聞を、2回目では毎日新聞と産経新聞を対象に、こうした側面を検証した。

今回は、日経新聞と神戸新聞を対象にABC部数を検証する。テーマは、経済紙や地方紙のABC部数にも残紙は含まれているのだろうかという点である。それを確認した上で新聞部数のロック現象の本質を考える。結論を先に言えば、それは新聞社の販売政策なのである。あるいは新聞のビジネスモデル。

日経新聞と神戸新聞のABC部数変化を示す表を紹介する前に、筆者は読者に対して、必ず次の「注意」に目を通すようにお願いしたい。表の見方を正しく理解することがその目的だ。

【注意】この連載で紹介してきた表は、ABC部数を掲載している『新聞発行社レポート』の数字を、そのまま表に移したものではない。『新聞発行社レポート』の表をエクセルにしたものではない。数字を並べる順序を変えたのが大きな特徴だ。これは筆者が考えたABC部数の新しい解析方法にほかならない。

『新聞発行社レポート』は、年に2回、4月と10月に区市郡別のABC部数を、新聞社別に公表する。しかし、これでは時系列の部数変化をひとつの表で確認することができない。時系列の部数増減を確認するためには、『新聞発行社レポート』の号をまたいでデータを時系列に並べ変える必要がある。それにより特定の自治体における、新聞各社のABC部数がロックされているか否か、ロックされているとすれば、その具体的な中身はどうなっているのかを確認できる。同一の新聞社におけるABC部数の変化を長期に渡って追跡したのが表の特徴だ。

◆日経新聞のABC部数変化(2017年~2021年)

2017年4月から2021年10月までの期間における日本経済新聞のABC部数

部数のロックは経済紙の日経新聞でも確認できる。たとえば神戸市兵庫区では、2018年4月から2020年4月までの2年半の間、部数の増減は1部も確認できない。2年半にわたり部数がロックされていた。兵庫区の日経新聞の購読者数が2年半のあいだ1部たりとも増減しないことなどは、正常な商取引の下ではまずありえない。新聞社サイドが販売店に対して「注文部数」を指示していた可能性が極めて高い。

◆神戸新聞のABC部数変化(2017年~2021年)

2017年4月から2021年10月までの期間における神戸新聞のABC部数

表が示すように、地方紙である神戸新聞でもロック現象が確認できる。たとえば赤穂市では、2017年から2020年までの3年半に渡りABC部数が6222部でロックされている。赤穂市における日経新聞の読者数に1部の増減も生じないことなどまずあり得ない。新聞社が販売店に対して新聞部数のノルマを課している可能性が極めて高いのである。

ただ、ロックの規模は読売新聞や朝日新聞ほど極端ではない。これら2紙の部数表では、いたるところにロックを表示するマーカーが付いたが、神戸新聞の場合は、マーカーが付いていない自治体のほうが多い。これは他の地方紙でも観察できる傾向である。地方紙にも残紙はあるが、中央紙に比べるとその規模は小さい。

たとえば販売店が勝訴した佐賀新聞の「押し紙」裁判(2020年5月判決)では、おおむね10%から20%が「押し紙」だった。この数字は、中央紙に比べるとはるかに少ない。

◎判決文の全文 http://www.kokusyo.jp/wp-content/uploads/2020/05/saga_oshigami_sumi.pdf

◆新聞業界ぐるみの大問題

兵庫県全域を対象とした新聞のABC部数調査(朝日・読売・毎日・産経・日経・神戸)を通じて、新聞部数をロックする販売政策が新聞業界全体で行われていることが明白になった。もちろん熊本日日新聞のように注文部数を店主が自由に増減する制度を採用している社もあるが、それは例外である。部数をロックして、新聞を定数化(ノルマ化)する商慣行が構築されていると言っても過言ではない。その結果、大量の残紙が日本中の販売店に溢れているのである。

ちなみに、部数のロック行為は独禁法の新聞特殊指定に抵触する。新聞特殊指定の下では、「新聞の実配部数+予備紙」(「必要部数」)を超える部数は、理由のいかんを問わず原則として、すべて「押し紙」と定義されている。部数のロックにより、「必要部数」を超えた新聞が販売店に搬入されることになるわけだから、新聞特殊指定に抵触する。新聞社による「押し売り」の証拠があるかどうかは、枝葉末節なのである。

改めて言うまでもなく、残紙には予備紙としての実態がほとんどない。その大半が予備紙として使われないままトラックで回収されている。

残紙問題は新聞人の足元で展開している問題である。しかも、それが少なくとも半世紀は持続している。新聞人にその尋常ではない実態が見えないとすれば、知力とは何かというまた別の問題も浮上してくるのである。

◎黒薮哲哉 新聞衰退論を考える
公称部数の表示方向を変えるだけでビジネスモデルの裏面が見えてくる ABC部数検証・兵庫県〈1〉
新聞社が新聞の「注文部数」を決めている可能性、新聞社のビジネスモデルの闇、ABC部数検証・兵庫県〈2〉
新聞人の知的能力に疑問、新聞社のビジネスモデルの闇、ABC部数検証・兵庫県〈3〉

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉の最新刊『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年3月号!

コロナ、ついに筆者の勤務先に「上陸」! さとうしゅういち

広島県内の新型コロナの人口比の新規感染者は最近では微減傾向で大阪や東京と比べると人口比では低水準です。しかし、そうはいっても、高水準を維持しています。そのことを象徴する事件が発生しました。筆者は、介護福祉士として、広島1区と4区の介護施設に勤務しています。そのうち、広島1区の勤務先についにコロナが「上陸」してしまったのです。こんな記事を書かずに済めばよかったのです。しかし、実際に上陸してしまったのです。

まず、この3週間の広島県内、岩国市、岩国基地の新規感染者数を振り返ってみましょう。
01/27 1502-52-10
01/28  1599-48-6 広島市最多更新
01/29 1356-36-8
01/30 1376-38-0
01/31 1041-35-2
02/01 1056-20-17
02/02 1027-27-11
02/03 1179ー20-13
02/04 1233-19-11
02/05 1277-22-0
02/06 1109-19-0
02/07 748-22-4
02/08 892-13-9
02/09 1042-10-10 広島県再び前週同日比増加
02/10 1008-9-10
02/11 1080-9-7
02/12 820-15-0
02/13 736-12-0
02/14 606-11-0
02/15 922-12-9
02/16 972-21-9

◆県内の感染者数が減ってきた矢先に……

一時期よりは県内の新規感染者数が6割程度に減ってきた2月14日に、事件はおきました。

わたしは、この事件がおきた日は、広島4区の介護施設に勤務しており、15日は自らのワクチンの三回目接種で休みでした。したがって、「事件」はまったく知りませんでした。事件はまったく知りませんでした。

2月16日、わたしは6日ぶりに広島1区の施設に出勤。異様な雰囲気でした。PCR検査の検体を入れる容器が事務所の机の上にありました。

「なんじゃこりゃ!」

わたしが、おもわず叫ぶと、同僚の一人が「事件」について説明してくれました。

入居者でコロナ陽性の方が1人出たほか、職員でも1人陽性で濃厚接触者もいるとのことでした。

これまで、広島4区の介護施設では「入居予定者」がコロナ陽性、1区の介護施設では「入社予定職員」が陽性になりました。しかし、施設に「上陸」はしていませんでした。そろそろ、コロナの人口比の新規感染者も減ってきたし、しのぎきったかな、と思ったのが甘過ぎました。

◆隔離も一筋縄ではいかぬ

感染した入居者の方はさいわい、軽症(といってもそれなりに熱は出ましたが)で済んでいます。それでも、隔離はもちろんします。だが、施設には認知症のために、勝手に他人の居室に出入りする入居者もいらっしゃいます。うっかり、そういう人が感染者の部屋に入れば大変なことになります。その人を媒介して施設中に感染が拡大します。

感染者と同じ風呂の設備を当日に使用した利用者も念のためPCR検査を行いました。

また、当面、入浴は中止して、陰部洗浄や足浴のみとなっています。瀬戸内地方は温暖とはいえ、まだ雪がちらつく寒さです。清拭(タオルで体をふく)だけでは入居者が大変です。足を温めていただくと喜んでもらえたようです。

◆「自分の施設だけは」、「自分だけは」大丈夫、はNG

広島では大阪のような医療崩壊は起きてはいません。保健所ももちろん多忙なのですが、それでも、大阪のような崩壊状態ではありません。ですので、保健所の指導は頂けています。その指導の中で印象深かったのは「自分の施設だけは大丈夫」「自分だけは大丈夫」はNGだということです。

「ここまでは無事」で、しかも、感染者数が減少傾向にあると、人間は正常性バイアスが働きがちです。もう、大丈夫だろうと、希望的観測をしてしまいがちなのです。それがいけないのです。

ここまでは「無事」だった皆様に声を大にして申し上げたい。「いままで無事」だったからこそ、気をつけていただきたい。

他方で気をつけていても、コロナが上陸してしまうときは上陸してしまうのです。2020年のコロナ災害の発災当初は、クラスターがおきた病院や介護施設、障害者施設にバッシングがおきた場面もありました。たぶん、叩いているひとたちは「自分は大丈夫、不注意な施設がクラスターになった」という思いもあったのでしょう。そう、思いたくなる人間心理はわからなくはない。だけれども、それでは本当の危機管理にならないのです。

◆濃厚接触者となった介護・保育労働者への補償、無料PCRを

事件発生から4日たった18日現在、職員2人、ご利用者2人に感染確認者は増えました。濃厚接触者となって待機を余儀なくされた労働者も2人おります。

ところで、濃厚接触者となった介護・保育労働者への補償を国はもうけていません。(陽性になった場合は労災申請ができる。)

これでは安心して休めません。国はコロナ発生から2年。いったいなにをやってきたのですか?!

さらに職場復帰のためのPCR検査は自費です。ただし、広島県は県独自の施策で無料です。この点は広島県でよかったとおもいますが、岸田さんも地元の総理なのだから、全国に広げていただきたいものです。

◆人手不足解消へ抜本的待遇改善を

また、当施設でも人手不足状態となっていたところに今回のコロナ上陸です。普段から余裕がないと危機のさいに大変なことになります。当施設であらたに感染が確認された方は症状が咳程度で、お元気です。しかし、それだけにちょっと目をはなせば他のご利用者に元気に話しかけられます。マスクをしていたとしてもオミクロン特性を踏まえればまずい。だが人手が足りない中では常時チェックするというのも、難しいのです。

給料アップも岸田さんの3%ではしょぼい。岸田総理におかれては、筆者やれいわ新選組が主張する国費投入での10万円アップを是非実現していただきたいものです。

◆大阪ではなく広島だったのが不幸中の幸い

もうひとつ、申し上げたいことがあります。ここが、大阪ではなく広島だったのが幸いだということです。

大阪府知事はTVに出演して「やっている感」は演出しています。最近では大阪だけでなく、広島の農村部や山岳地帯の高齢者もTVをご覧になって「維新」に投票する方が多くおられます。

だが、大阪府は連日のように、全国でも人口比で群を抜いた死者を出しています。16日も全国の死者230人中、38人が大阪府です。人口比では全国の約7%の大阪府が死者では16.5%を占めているのです。累計でも3455人。全国が20989人で、累計でも16.5%。異常なことです。ちなみに広島県の死者は16日には7人でした。死者の累計が327人。全国の累計死者に占める広島の割合は1.6%です。広島県の全国の人口に占める割合は2.2%です。

広島県の現知事はいわゆる認証店でも酒類提供停止など、厳しい規制は敷いています(週明けからは認証店では20時まで提供可能に緩和しましたが)。そのことを快く思わない県民も少なくないのは確かです。現知事への陰口の話題は結構盛り上がっています。だが、そのおかげで、ここまで、当施設にいままでコロナが「上陸」せずに済んだのです。多くの入居者が三回目のワクチンを接種した状態で上陸を迎えたのは不幸中の幸いです。

広島の現知事、現市長の政治に問題がないわけではない。しかし、少なくとも大阪府知事、大阪市長に比べれば「より少なく悪い」し、大阪のような政治を絶対に全国に広げてはいけない、と痛感しました。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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カード変更を余儀なくされつつ、好カードを維持したNJKF 2022.1st 堀田春樹

コロナ渡航制限が長引き、中止カードは国際タイトル戦が2試合、大田拓真は代打カード発表後に濃厚接触者となって国崇(拳之会)戦も中止。国内戦も代行カード2試合有り、波乱のカード編成となった。

メインイベントはジャパンキックボクシング協会から乗り込んでのWBCムエタイ日本ライト級王座初防衛戦に臨んだ永澤サムエル聖光は元・ウェルター級チャンピオンの健太を判定で退けた。

前田浩喜は過去ノンタイトル戦で、判定で下している大輔に2-1の僅差判定勝利でNJKFタイトル三階級制覇。

NJKFフライ級王座挑戦者決定トーナメントは4名参加による準決勝戦2試合で、勝ち上がった嵐と吏亜夢が次回6月5日興行で挑戦者決定戦が行われ、年内にはチャンピオンの優心(京都野口)に挑戦となる予定。

以下二つの国際戦中止カードは延期として次期開催予定

WBCムエタイ・インターナショナル・フェザー級王座決定戦5R
大田拓真vs世界19位.トミー・7ムエタイジム(イタリア) 

S-1レディース・バンタム級 世界決勝戦5R
SAHOvsザ・スター・ソウクリンミー(タイ) 

◎NJKF 2022.1st / 2月12日(土)後楽園ホール17:30~21:05
主催:ニュージャパンキックボクシング連盟 / 認定:WBCムエタイ日本協会、NJKF

◆第9試合 WBCムエタイ日本ライト級タイトルマッチ 5回戦

第6代チャンピオン.永澤サムエル聖光(ビクトリー/1989.11.10埼玉県出身/60.9kg)
     VS
挑戦者・同級1位.健太(E.S.G/1987.6.26群馬県出身/60.9kg)
勝者:永澤サムエル聖光 / 判定3-0
主審:和田良覚
副審:少白竜50-46. 竹村50-47. 中山50-46

パンチとローキック中心の静かな探り合いは様子見で、一気に仕留める気配は無いものの、第2ラウンドには永澤サムエル聖光のローキックが徐々に健太の脚を捕らえて主導権を奪った流れに傾いていく。以前のような日焼け褐色から色白に変身した健太の脚と脇腹は赤く腫れる箇所が増えていった。

第4ラウンドには永澤のローキックで健太がバランスを崩し効いた様子が見られるが、永澤が偶然のバッティングで眉間辺りを負傷。負傷判定ルールは採用されない為、続行かTKO負けかの緊張が走る。あと強い一発か数発のローキックで健太は崩れそうなところ、しつこくは行かず、パンチで顔面からボディーも狙って圧倒した展開で終了。永澤が大差判定で健太を突き放した。

主導権を奪った永澤のローキックが健太の脚を麻痺させていく
永澤の積み重ねたローキックで健太は動きが止められていく
リング上では滅多に笑顔を見せない永澤が応援の声に応える

◆第8試合 第13代NJKFフェザー級王座決定戦 5回戦

1位.大輔(TRASH/56.85kg)vs2位.前田浩喜(CORE/57.1kg) 
勝者:前田浩喜 / 判定1-2
主審:宮本和俊
副審:和田49-48. 竹村48-49. 中山47-49

前田浩喜は元・NJKFバンタム級とスーパーバンタム級チャンピオン。最初の獲得が2007年とキャリアは長い。

大輔がパンチで距離を詰める流れだが、前田の蹴りのディフェンス力が凌ぎ、コーナーに詰められてもパンチやヒジ打ちで返すのは落ち着いたベテランの捌き。

第3ラウンドまでの公開採点がやや遅れて第4ラウンドに入ってからの公開だったが、29-29、30-28、30-28で前田がリードしていることがしっかり聞こえたか、大輔は前進を強めた蹴りと、首相撲からヒザ蹴りと前田を下がらせる。最終ラウンドも大輔の勢いがあったが、前田も蹴り返しで大輔を追い詰めると流れを取り戻した感じで終了。際どい判定ながら前田が辛くも勝利を拾いNJKFでの三階級制覇。

後半の大輔の巻き返しに迎え撃つ前田浩喜
蹴りのコンビネーションはベテラン技となる前田浩喜、大輔の突進を阻止
三階級制覇となった前田浩喜

◆第7試合  54.0kg契約3回戦 (松岡宏宜がコロナ濃厚接触者となる影響で欠場、井原駿平出場)

井原駿平(ワイルドシーサーコザ/53.6kg)vs誓(ZERO/54.0kg)
勝者:誓 / 判定0-3
主審:少白竜
副審:和田27-30. 竹村28-30. 宮本27-30

誓は前・NJKFフライ級チャンピオン。誓は距離に応じてテクニックで優っていく。井原駿平の出方を覗い、離れればハイキック、距離を詰めればヒジ打ちやヒザ蹴り、井原のパンチを凌いで、倒すには至らぬもフルマークの大差判定勝利。

技の多彩さで井原駿平を圧倒した誓

◆第6試合 ライト級3回戦

NJKFライト級1位.吉田凛汰朗(VERTEX/61.05kg)
     VS
JKAライト級2位.内田雅之(KickBox/60.9kg)
引分け 三者三様
主審:竹村光一
副審: 中山29-29. 少白竜30-29. 宮本29-30

様子見は軽いパンチとローキック、若さの勢い有る吉田とベテランの落ち着き有る内田。第3ラウンドに組み合った際、偶然のバッティングで内田の眉頭が切れるが深くはない。吉田は攻勢に転じようと飛び蹴りも見せ、内田も右ロングフックやバックヒジ打ちがインパクト与えるが互いの決定打が無く、三者三様の引分けに終わる。

ロングフックやバックハンドブローも決定打とならずの内田雅之

◆第5試合 63.0kg契約3回戦(タイのピューポン・ゲッソンリット、コロナ規制で来日不能、梅津直輝出場)

NJKFライト級6位.梅津直輝(エス/62.95kg)vs同級2位.羅向(ZERO/63.0kg)
勝者:羅向 / TKO 1R 0:56 /
主審:中山宏美 

羅向が蹴りの距離での攻防から前進して、速攻の左ハイキックで梅津からノックダウンを奪い、パンチ連打で右フックを決め、梅津は二度目のダウンでカウント中にレフェリーストップとなった。羅向はこの日のMVPに選ばれました。

速攻ノックアウト勝利となった羅向

◆第4試合 NJKFフライ級王座挑戦者決定トーナメント準決勝3回戦

2位.悠斗(東京町田金子/50.7kg)vs6位.吏亜夢(ZERO/50.75kg)
勝者:吏亜夢 / 判定0-3
主審:宮本和俊
副審:和田28-29. 中山28-29. 竹村28-30 

上背と手足の長さが優位に展開した吏亜夢のハイキック。悠斗の強打を封じ、ヒザ蹴りも効果的に攻め、ブロックの上からでもハイキックでダメージを与えた吏亜夢が判定勝利。

◆第3試合 NJKFフライ級王座挑戦者決定トーナメント準決勝3回戦

5位.TOMO(K-CRONY/50.6kg)vs嵐(キング/50.9→50.8kg)
勝者:嵐 / 判定0-3
主審:少白竜
副審:和田27-30. 中山27-30. 宮本27-30

ローキック中心の様子見からTOMOはハイキックが効果的に出るが、次第に嵐のパンチが目立っていく。第2ラウンド以降も嵐のパンチがTOMOの顔面を捕らえるシーンが増え、優勢を維持してフルマークの大差判定勝利。

次回NJKFフライ級挑戦権を争うことになった嵐と吏亜夢

◆第2試合 女子キック・スーパーフライ級3回戦(2分制)

NA☆NA(エス/52.05kg)vsARINA(闘神塾/51.6kg)
勝者:ARINA / 判定0-3 (28-29. 28-30. 28-30)

◆第1試合 スーパーフェザー級3回戦

龍旺(Bombo Freely/58.4kg)vs昴治(東京町田金子/58.3kg)
勝者:龍旺 / 判定3-0 (30-27. 30-28. 30-27)

《取材戦記》

偶然のバッティングで負傷した永澤サムエル聖光は、負傷判定の無いWBCムエタイルールで、続行不可能となったらTKO負けとなる為、頭が低くなりがちな健太と再度のバッティングを避け、無理にローキックでは行かなかった模様。それでも最終ラウンドも攻勢を維持した永澤サムエル聖光。

プロボクシングと採点の流れが違う本場ムエタイは負傷判定は無く(後半勝負重視)、WBCムエタイも本場式に倣っている模様。しかし採点基準はプロボクシングの流れを汲んでいます(各ラウンドの独立した採点)。

ジャパンキックボクシング協会から乗り込んだ形の永澤サムエル聖光(ビクトリー)は、2020年9月12日にWBCムエタイ日本ライト王座決定戦で、鈴木翔也(OGUNI)に判定勝利して王座獲得。コロナ禍の影響もあって防衛戦は延びたが、今回再びNJKFのリングに上がって初防衛を果たしました。今後はホームリングとなるジャパンキックボクシング協会ビクトリージム興行での防衛戦計画がある模様。

健太は国崇に続く100戦達成の功績を称え表彰を受けました。この日は敗れて全103戦62勝(18KO)34敗7分。

健太は元・WBCムエタイ日本ウェルター級チャンピオン。NJKFではウェルター級(2度)とスーパーウェルター級王座の二階級制覇し、徐々に階級を下げ、ライト級まで落としてきました。これ以上は下げないでしょう。でも健太ならやりかねないと期待をしてしまう人は居るかもしれません。逆パッキャオパターンである。

健太は「僕にとっては100戦とはただの数字です。目の前にある試合をめがけて一戦一戦やってきたら、気付いたら100戦になっていました。まだまだこれから目の前の相手に向かって一生懸命努力して勝利を目指して勝って、負けても次の勝利を目指して頑張る、その積み重ねでございます。」とアピール。

「気が付いたら」というフレーズは一般人にも思い浮かぶもの。「気が付いたら還暦」という人も多いでしょう。

コロナ規制も緩和に向かう予測も大きく外れ、今回の興行に関して、カード中止時点の発表上は直接の感染者は居ませんでした。感染も発病もしない濃厚接触者としての中止はやるせない思いでしょう。来日不能となった選手も同様に、計画を狂わすコロナ恐るべしである。

次回「NJKF 2022.2nd」は6月5日(日)後楽園ホールで開催予定です。

4月24日(日)には春日部市でRITジム主催興行が2年ぶりに「絆XIV(14)」が予定されています。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

連合赤軍事件から50年──その教訓を検証する〈8〉あさま山荘事件から50年 なぜ地獄の「暴力的総括要求」から逃げなかったのか? 横山茂彦

◆50年前の今日2月19日に始まったあさま山荘事件

あさま山荘事件(1972年2月19日)から50年である。当初から具体的な要求もなく、何が目的なのかも、さっぱりわからなかった事件だった。日本じゅうを注目させた、9日間にわたる山荘立てこもっての銃撃戦は、2名の警官の殉職と民間人1名の死、警備と報道にも27名の重軽傷者を出した。そして、のちに明らかになる同志殺しの山岳ベース事件(暴力的総括要求による殺害)。

これらの事件で、いまも不思議なことが「謎」として残されている。

◆ふたつの謎

そのひとつは、山荘で「人質」になった管理人の妻が、連合赤軍に同情的だったことだ。

これはのちに「ストックホルム症候群」※と呼ばれるもので、管理人の妻はメディアが希望する「怖かった」「犯人がゆるせない」などの想定問答に応じようとはせず、むしろ連合赤軍のメンバーへの同情を示したのだった。これは視聴率80%とも言われた視聴者の期待を裏切り、警備当局を困惑させた。じっさいに連合赤軍は管理人の妻を人質扱いしていなかった。

そしてもうひとつは、12人もの同志が殺された惨劇にもかかわらず、どうして逃げなかったのか、という「謎」である。

なぜ「人殺しはやめよう」と言えなかったのか、という疑問とともに、初めてこの事件を見聞する人々が感じる、大きな「謎」であろう。

いや、正確に言えば複数のメンバーが、山岳ベースから逃げていた。このうち、前澤辰昌と岩田平治のインタビューが『2022年の連合赤軍』(深笛義也、清談社)に収録されている。

ストックホルム症候群=1973年8月にストックホルムで起きた銀行強盗人質立てこもり事件(ノルマルム広場強盗事件)。のちの捜査で、人質が犯人が寝ている間に警察に銃を向けるなど、警察に敵対する行動を取っていたことが判明した。解放後も人質は犯人をかばい警察に非協力的な証言を行なっている。ハイジャック事件の乗客などでも、しばしば同じ行動(犯人への同調)が見られる。

◆逃げた者と逃げなかった者

それでは、山岳ベースから逃げて生き残った者たちと、最後まで逃げずに殺された者たちを分かったものは何なのだろうか。

裁判では「革命運動とは縁もゆかりもない」と断じられたが、まぎれもなく革命運動という大義、革命戦士になりたいという志によってこそ、かれら彼女らの死は説明がつくのだ。

この点を、単に「狂気の集団」と簡単に片づけるならば、政治運動や宗教の大半は同じ位相であり、事件の深層が理解できない。問題は総括要求に暴力が用いられたことなのであって、その淵源が旧軍の暴力制裁を継承した戦後教育にあったと、ここまで連載で明らかにしてきた。

さてもうひとつ、さきに論を進めよう。逃げた者たちによって明らかにされた、山岳ベースと一般社会の落差をもって、はじめて明白になる事柄だ。それは革命を志す者にとって、共同体的な意識と個人的な意識の落差ということになる。組織と個人という古典的な命題だが、その先に思想的な呪縛が立ちはだかる。

簡単にいえば、山岳ベースの連合赤軍に結集しなくても、革命運動はできると思うかどうか、なのだ。

前述した岩田平治は、森恒夫をして「おれの若い頃によく似ている」と評価されていた人物である。森に山岳ベースでの展望を感じさせたものがあるとすれば、岩田のような若々しいエネルギーであったのだろう。

その岩田が山を下りて、都会の空気にもどった時。山岳ベースと一般社会の落差に初めて気付く。そして預かっていた連合赤軍のカネを女性同志に託して、組織から離脱を決意するのだ。

前澤辰昌の場合は、じつは初期の山岳ベースの段階で見切りをつけていた。男女の別もなく小屋で雑魚寝して、用を足すのも野っぱらという生活である。最初はキャンプ気分で参加できても、ずっとそれが続くのだ。前澤が離脱するだろうという空気は、植垣康博も気付いていたという。

ではなぜ、植垣康博は離脱しなかったのだろうか。彼自身の言葉で「目の前の困難(革命運動の困難)に負けられないという意識があった」という。その「負けられない意識」とは何なのか?

 
『情況』2022年1月号

◆共同幻想

岩田は連合赤軍の生活・軍事訓練・総括を、吉本隆明の『共同幻想論』から振り返っている(前掲書)。

これは慧眼というべきであろう。山岳ベースの党組織・軍隊的な規律から生じる集団的な意思に、自分も同調するというものだ。

赤軍派には7.6事件の初期から「(暴力への)集団的な同調圧力があった」(大谷行雄『情況』連合赤軍特集号)という証言もある。

吉本の「共同幻想」は、意識領域での国家・社会・集団への共同意識と措定できる。いっぽうで人間は自己幻想(自意識)・対幻想(恋愛感情)を持っていると、吉本は「幻想」を定義する。簡単にいえば、幻想とは意識のことなのである。

フッサールの間主観性、メルロ・ポンティの間主体性、廣松渉の共同主観性など、ほぼ同じ概念と考えてよい。

古典的な認識論では、デカルトの「われ思うがゆえに、われあり」と、主体が対象を自由に考えられるというものだ。しかしわれわれの認識は、他者との関係で成立している。他者とは社会であり、国家をふくむ共同体のことである。したがって、その他者を離れて自由に考えることなどありえず、たとえば文章を書くことひとつも、言語を媒介に共同幻想のなかで生起する。

これが身近な共同体である家族や地域、任意の集団においても個人の意識を束縛する。革命組織もまた政治的な共同体であり、その基盤が共同生活に根ざすものだとしたら、集団の共同幻想はほとんど個人を呑み込んでしまうことなる。

もはや「逃げなかった」者たちの意識は明らかであろう。革命組織連合赤軍のなかで、かれらは競うように共産主義化という幻の思想を獲得するために、個人ではなく共同幻想に支配されていたのだ。これが植垣の「負けられない」意識にほかならない。

したがって、山岳ベースと一般社会を相対化できた者たちだけが、地獄の組織からの離脱を果たせたのである。それでもなお、党(建党・建軍)という共同幻想は、かれらを縛るのであろうか。そうであるならば、党という幻想を地獄に追いやるほかにないのだ。(つづく)

連合赤軍略年譜

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▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年3月号!

《飯塚事件発生30年》冤罪処刑の責任者たちを直撃〈3〉法務大臣・法務官僚編 片岡 健

1992年2月20日、福岡県飯塚市で小1の女の子2人が殺害された「飯塚事件」は、犯人として処刑された男性・久間三千年さん(享年70)に冤罪の疑いがあることで有名だ。久間氏は一貫して容疑を否認していたうえ、有罪の決め手とされた警察庁科警研のDNA型鑑定が実は当時技術的に稚拙だったことが発覚したためだ。

私は2016年に編著『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社・2021年に内容を改訂した電子書籍も上梓)を上梓した際、この事件の捜査や裁判に関わった責任者たちを特定し、この事件にどんな思いや考えを抱いているかを直撃取材したことがある。事件から30年になる今、同書に収録された責任者たちの声を改めて紹介したい。

第3回は法務大臣・法務官僚編(所属・肩書は取材当時)。

◆座右の銘に反する態度で取材拒否した法務大臣

個々の死刑囚の死刑執行の可否については、法務省で審査される。その結果、死刑を執行して構わないと判断された死刑囚については、法務大臣の命令により死刑が執行される。そこで、久間氏に対する死刑の執行命令を発出した法務大臣と死刑執行を決裁した法務省の官僚たちにも取材を申し入れた。

まず、法務大臣だった森英介氏。2008年9月に法務大臣に就任し、その翌月に久間氏に対する死刑執行命令を発した森氏は、取材当時も現職の衆議院議員だった。電話とファックスで取材を申し入れたところ、担当秘書から次のような回答があった。

「森に確認したところ、とくにお答えすることがないと申しております」

公式ホームページによると、森氏の座右の銘は「人生の最も苦しい、いやな、辛い損な場面を真っ先に微笑をもって担当せよ」であるそうだが、森氏の態度はこれに反するように思われた。

◆法務事務次官は強い拒絶の意思が感じられる文面で取材拒否

一方、死刑執行を決裁した法務官僚は計11人存在するが、その中から2人に取材を申し入れた。

まず、法務省の事務方ではトップの事務次官だった小津氏。1974年の検事任官以来、主に法務省で勤務し、最終的に法務・検察の最高位である検事総長に上り詰めたエリートだ。退官後は弁護士に転じ、トヨタ自動車や三井物産の監査役を務めている。

小津氏に手紙で取材を申し入れたところ、次のような返事の手紙が届いた。

〈6月16日付のお手紙拝受いたしました。小生に対する取材のお申し込みですが、退官後、このような取材は全くお受けしておりません。この度のお申し出もお受けすることはできませんので、悪しからずご了解いただき、今後の連絡もお控えいただきますよう、お願いいたします。用件のみにて失礼いたします。〉

言葉は丁寧だが、強い拒絶の意思が感じ取れる文面だ。

小津氏は最高検の次長検事だった2009年、郵便不正事件で無罪判決が確定した厚生労働省元局長の村木厚子氏(のちに同省事務次官)に面会し、謝罪している。久間氏の再審が実現し、無罪判決が出た場合にも潔い態度をとってもらいたいものだ。

法務省。久間氏の死刑はここで決裁された

◆検事総長に代わって取材を断る検察事務官までナーバスに

法務官僚の中から取材対象者に選んだもう1人は、刑事局長だった大野恒太郎氏だ。法務省において、久間氏の死刑執行に問題はないか否かを検討し、死刑執行に必要な文書を起案したのが刑事局だからだ。

大野氏も検事任官後、主に法務省で勤務し、取材当時は小津氏の後任として法務・検察の最高位である検事総長の地位にあった。そんな大野氏に手紙で取材を申し入れたところ、最高検企画調査課の検察事務官から電話がかかってきた。

「今回の取材申し入れに関しては、大変恐縮なんですが、お断りさせて頂きたいということです」

いかなる理由で取材を断るのか尋ねると、「とくに賜っておりません」とのこと。取材を断られたのは予想通りだったが、大野氏はもちろん、周辺の検察職員たちも飯塚事件関係の取材にはナーバスになっている雰囲気が窺えた。

以上、今回まで3回に渡って、冤罪処刑疑惑のある飯塚事件の捜査、裁判、死刑執行に関わった責任者たちへの直撃取材の結果を紹介してきたが、誰もが飯塚事件にやましい思いを抱いていることがおわかり頂けたのではないかと思われる。

この取材結果を最初に紹介した前掲の私の編著『絶望の牢獄から無実を叫ぶ』では、久間氏本人が死刑執行直前に綴っていた手記を掲載しているほか、死刑執行手続きに関与した2人の福岡高検検事長が私の取材に応じ、死刑執行の杜撰な内幕を明かしたコメントも紹介している。関心のある方は参照して頂きたい。

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。編著に電子書籍版『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ[改訂版]―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
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生存権を守らぬ政府に憤り コロナ災害のもと、広島でも会社員の呼びかけで炊き出し さとうしゅういち

2月12日、広島中区の上幟町公園で呉市の男性会社員の呼び掛けで炊き出しが行われました。

今回が2021年12月26日、2022年1月22日に続き、3回目です。この会社員はどこかの団体に所属しているというわけでもないそうです。定期的に転勤がある全国規模の企業に勤務し、いまは、広島県内の事業所に配属されているということです。お会いしてみると、本当にどこにでもいそうな、フツーの会社員の好青年です。

「なんで炊き出しをするのかと問われると特に理由はないんだよな
別に慈善活動とも思っていないし
なんかとてもやりたい気持ちになっただけ 衝動
続けるけどね」

「広島で炊き出しやります
ホームレスのおっちゃんたちにカレー作って振る舞う 主催は自分
出来ることをやる 
止まってられん 寒いけどあったかいもん食べて冬乗り越えてもらいたい
仲間が少ない 誰でも手伝ってほしい
できれば定期的にやりたい」(いずれも本人のTwitterより)

◆人数が少なくてもやり切る気迫

こうした、ご本人の気迫をTwitterだけでも十分に感じた筆者。今回は、はじめてお手伝いさせていただきました。

本日のメニューは中華丼です。前回、前々回はカレーライスだったそうです。調理は広島市でも(平和公園から見ても)南部に位置する中区舟入のプロテスタント教会の台所を貸し出していただきました。

同教会の牧師は「広島夜回りの会」でホームレス支援を継続されています。

この日、10時に教会に集合したのですが、最初は主催者の男性会社員とわたししかおらず、あまりの人数の少なさにびっくりしました。しかし、「前回も、ほとんど俺一人で料理はしたのでなんとかなるでしょう。」という彼の気迫に気を取り直して、台所に向かいました。

前回、前々回はフードバンクから食材の提供を受けていましたが、「俺も仕事が忙しくてお願いにいけなかったので」(男性会社員)、1万円で彼が買った食材を使うことになりました。50人前を想定。白菜は2個相当、人参は4,5本、また、豚肉やシーフードの冷凍パック、そして米は4kgを使いました。

男性会社員の他に、男性会社員の同僚の女性もあらわれ、最初は3人で食材の白菜や人参などを切っていました。

次第に、生活困窮者の相談活動に従事している団体職員、筆者同様、ネットで情報を得た県内の大学教員、医療従事者らも現れ、食材を大きな鍋に放り込んで炒めるなど、作業を進めました。

途中、炊き出しに必要なビニール手袋(感染対策)やごま油などが足りないことに気づき、男性会社員が近所の百均に買い出しに行くなど、慌ただしい状況もありましたが、無事に12時半には、中華丼の具も出来上がり、御飯も炊き上がりました。

 

◆ホームレス数の変化はないが、在宅の困窮者は激増

調理が終わると我々は会場の上幟町公園に移動しました。ここでは、さらに、広島市内の主婦らもスタッフに合流。この主婦は、「食品だけでなく生活必需品も含め、リサイクルによる困窮者支援」の活動をネットでされています。

中華丼とミネラルウォーター、そしてお菓子をくばりました。既に「広島夜回りの会」などを通じて情報を得ていた人々20人あまりが並ばれました。

中高年の男性が多いのですが、一方で若い男性やかなり年配の女性も並ばれていました。

団体職員は、前回もこの男性会社員主催の炊き出しにも参加しています。学生時代から生活困窮者支援の活動に従事しており、実態に詳しい方です。彼によると広島ではコロナ災害発生後もホームレスの数自体の増減はあまりないようです。

しかし、在宅の生活困窮者の数は急増しています。彼の悩みは、生活困窮者に生活保護受給を薦めても、しぶる方がおおいことだそうです。貸付中心の社会福祉協議会に頼ってこられる方が多いのです。

彼は「多くの人が貸付ではにっちもさっちもいかない状況だ。生活保護は恥ではないと意識を変えてほしい。」とおっしゃいました。

また、ホームレスの方については、「つながりを続けていくことが大事。」ともおっしゃいました。「夜回りの会」でも、2020年にコロナ災害がスタートした最初の一ヶ月のみ活動は休んだがその後はずっと活動を続けているそうです。

会社員主催の炊き出しは団体ではなく、やりたいと立ち上がった個人に、既存の活動団体も協力し、また、筆者のようなネットで情報を得た人間も参加する形で行われています。

男性会社員は、今後も、毎月第二土曜日に炊き出しを行う意向です。

◆あの頃と変わっていない生存権を守らぬ政府に憤り──炊き出しが「持続」するようでは困る

「あの頃と変わっていないじゃないか?!全然、生存権を守る政府になっていないじゃないか?!」

これが、最近、筆者がいきどおっていることです。

筆者は、2008年~2009年のリーマンショック時にも、岡山や名古屋など県外でも年末年始の炊き出しなどに参加させていただいています。

すでにあのころから、貧困問題は広がっていたのです。すでにギリギリの生活を強いられていたひとたちが、リーマンショックで路上に投げ出された。あの時の教訓をいかしてほしい、と選ばれたのが民主党政権だったはず。しかし、民主党は自滅してしまい、安倍晋三さんが再登板。当時は、たまたま、団塊世代の労働人口からの撤退で若い人の就職率が改善した。それに便乗して、安倍さんは身内ばかりを優遇し、生存権を守る政府の機能の強化はなされない。こうした問題は不可視化されてしまいました。だが、実際には、コロナ前でもじわりじわりと人々の実質所得はさがりつづけた。政府の怠慢をやむなく補完する形で、「子ども食堂」も広がったわけです。

そこへ、コロナが襲いかかったのです。前回、すなわち、リーマンショックのときの教訓を日本がいかしていたのなら、こんな状態になってはいません。子ども食堂にせよ、炊き出しにせよ、こんなものが「持続する」ようでは困ります。生存権を石にかじりついても守る気概を政治・行政はもたねばならぬ。このことも強調させていただきます。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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連合赤軍事件から50年──その教訓を検証する〈7〉指導者の資質 横山茂彦

◆山岳ベースの魔女に仕立てられた永田洋子

8日間にわたる、あさま山荘銃撃戦のあとに同志殺しが発覚し、日本じゅうが驚愕の渦に叩き込まれた。そのとき、メディアが書き立てたのは森恒夫と永田洋子という、ふたりの指導者像についてだった。とりわけ、女性指導者という話題性から、永田洋子の個人的な資質について週刊誌は詮索したものだ。

おりしも日本社会はウーマンリブの台頭期であった。いまの若い人は知らないBG(ビジネスガール=売春婦を想起させる)という言葉がOLに改められ、女性の社会進出が世情を騒がしていた。

マスメディアの俎上に上げられた永田洋子はすこぶる悪評で、まるで殺戮の魔女のような扱いだった。そして法廷でもその資質が問題にされ、事件の本質が彼女と森恒夫の資質にあったかのごとく評されたのである。

1982年6月18日の一審判決(中野武雄裁判長)から見てゆこう。

「被告人永田は、自己顕示欲が旺盛で、感情的、攻撃的な性格とともに強い猜疑心、嫉妬心を有し、これに女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味が加わり、その資質に幾多の問題を蔵していた」

「他方、記録から窺える森の人間像をみるに、同人は巧みな弁舌とそのカリスマ性によって、強力な統率力を発揮したが、実戦よりも理論、理論よりも観念に訴え、具象性よりも抽象性を尊重する一種の幻想的革命家であった。しかも直情径行的、熱狂的な性格が強く、これが災いして、自己陶酔的な独断に陥り、公平な判断や、部下に対する思いやりが乏しく、人間的包容力に欠けるうらみがあった。特に問題とすべきは、被告人永田の意見、主張を無条件、無批判に受け入れて、時にこれに振り回される愚考を犯した点である」

「被告人永田は、革命志向集団の指導者たる資質に、森は長たる器量に、著しく欠けるものがあったと言わざるを得ない。繰り返し言うように、山岳ベースにおける処刑を組織防衛とか路線の誤りなど、革命運動自体に由来する如く考えるのは、事柄の本質を見誤ったというほかなく、あくまで、被告人永田の個人的資質の欠陥と、森の器量不足に大きく起因し、かつこの両負因の合体による相互作用によって、さらに問題が著しく増幅発展したとみるのが正当である。山岳ベースリンチ殺人において、森と被告人永田の果たした役割を最重要視し、被告人永田の責任をとりわけ重大視するゆえんである」

事件が革命運動とは無縁の、指導者個人の資質的欠陥によるものだったと、いわばとるに足らない凶悪事件と断じたのである。これ自体は、裁判官による永田と森への皮肉をこめた悪罵に近いものがある。

いっぽう、森は裁判の開始を待たずに獄中で自殺した(1973年1月1日)。そのとき永田は「森君、ずるい」と思わず口にしている。世間の非難を一手に引き受けることになった永田に、左翼陣営は同情的だった。

とくに、山岳ベースにおける処刑が革命運動自体に由来するものではなく、永田の個人的資質の欠陥、および森の木量不足に起因するという判決には、事件を個人的なものにしていると批判的なものが多かった。あくまでも、革命運動上の問題としてとらえるべきだという、ある意味では真っ当な批判といえる。

しかしながら、個人の資質に還元すべきではない、という論調のあまり、指導者の資質問題が軽視されてきたのも否めない。森恒夫が発議した体育会的な、暴力による総括援助がなければ、同志殺しが起きていないのは明らかである。そして永田洋子の総括発議と告発がなければ、共産主義化のための総括が始まらなかった可能性は高い。独裁的な指導部として、ふたりが事件の責めを一身に負わなければならないのは言うまでもない。

◆森恒夫の実像とは

判決で「実戦よりも理論、理論よりも観念に訴え、具象性よりも抽象性を尊重する一種の幻想的革命家」と評された森恒夫は、しかしマスメディアでは「臆病者」と評されていた。

事件発覚から初期の段階で、明大和泉校舎事件(69年7.6)から「逃亡した」とされていたからだ(複数の週刊誌報道)。森が7.6事件の現場にいなかったのは事実だが、逃げたというのは事実の歪曲である。

森恒夫が行方をくらましたのは、7.6事件に先立つ6月27日の全逓合理化反対集会の司会役でありながら、現場に現れなかったというものだ。これが事実である(重信房子・花園紀男らの証言)。その後、森は大阪の工場で旋盤工として働いていたという。

それより前に、森恒夫はブントの千葉県委員長として三里塚の現地闘争責任者を務めている。のちに連合赤軍事件を知った反対同盟農民は「森がそんなこと(同志殺し)をするとは思えない」と感想を述べたという。

上記の「逃亡説」に基づいてか、週刊誌は「関東派のリンチに遭って、森はテロらないでくれと哀訴した」と報じている(角間隆の『赤い雪』に採録)。

アスパック粉砕闘争の過程で、赤軍フラクが「関東派」からリンチを受けたのは事実である(『世界革命戦争への飛翔』赤軍派編)。しかし「藤本敏夫といっしょにリンチを受け、藤本は古武士の風格で対応したが、森は自己批判した」(週刊誌報道)というのは誤報である。藤本は単独で毎日新聞記者を名乗る何者かに渋谷で拉致され、数日後に解放されている。そのかんの記憶があいまいで、生前もこの事件について何も語らなかったという(加藤登紀子)。

元赤軍派のS氏に聞いた、森恒夫の人物評を紹介しておこう。相手に対しては、きわめて厳格な物言いをしたという。「お前はどうなんだ?」が口癖だったとは、山岳ベースでの執拗な総括要求を思わせる。

そのいっぽうで、年下の者たちには「親父さん」と慕われていたことは、つとに知られるところだ。理論的には突出力があり、連合赤軍で森に対等の議論ができたのは、塩見孝也の秘書役だった山田孝しかいなかった。

◆残された謎

相互批判・自己批判が「銃と兵士の高次な結合」という「共産主義化論」に応用され、森の体育会的な「総括援助」が暴力の発動となったこと。その思想闘争は際限のない「総括地獄」へと堕ちていった。これらが連合赤軍事件の概略である。

だがそれにしても、犠牲になった「同志たち」がなぜ、山岳ベースから逃げなかったのか。修羅場と化していた「処刑場」から、なぜ逃避しなかったのか、という疑問が残るのだ。じっさいには下山(逃亡)したメンバーがいるので、逃げられなかったという解釈は成り立たない。次回はこれを考察していこう。(つづく)

連合赤軍略年譜

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▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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