内閣府が策定した「ムーンショット目標」── 政府は本気で2050年までに「人間不要計画」の実現を目指しているのではないか 田所敏夫

疑り深い性格の先ゆえの取り越し苦労、であることをなかば期待しながら憂いていたのであるが、ここまで明確に内閣府から示されると、憂いどころではない。

内閣府の「ムーンショット目標」
同上
同上

20世紀終わりごろから、「コンピューターが人間を支配する世の中がやってくるんじゃないか」との専門家の予想には、皮膚感覚での気持ち悪さもあった。電算技能演算速度の高速化は90年代には、まだ仮想であった「人工知能」を、あらかた現実のものとして、既にわたしたちに差し出している。わたし個人にとっては、限りなく危険で無益、さらには生物種としての存在を否定されているがごとき響きの(哲学的な意味においてではなく、現実に)企てに、いまのところ大きな疑義や否定論は聞かれない。

上記内閣府の「ムーンショット目標」を目にされて、読者諸氏はどのようにお感じになるであろうか。これはどこかのIT企業や多国籍ファンドが投資向けに用意した広告ではない。内閣府の公式ホームページである。

「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」

板坂剛(著名な三島由紀夫研究家にしてフラメンコダンスの指導者)はインターネットを使わないらしいが、板坂に限らず、美文で社会・現象・時代・文化を斬る論者がこの言葉と、それに続く文章を目にしたらどんな反応を示すだろうか。

拙稿にとりかかるまえに、幾人かの自然科学者にこのページを読んでいただいた。貧困な語彙しか持ちえないわたしに代わり、なんらかの示唆を得られるのではないかと考えたからだ。

結果はあまり思わしくなかった。わたしが嫌悪し、薄ら気持ち悪く感じるこの計画に対して、自然科学専門家のかたがたの反応は、なべておとなしく、むしろ「無警戒」ではないかと思われるものであった。

再度、あなたはどのようにお感じになるであろうか。「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」とは実際にどのような状態を指すのか? 「人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会」は「人間(「わたし」や「あなた」)が有機体として存在する必要のない社会」という意味ではないのか。「身体からの解放」、「脳からの解放」などという言い回しをよくも平然と創作できたものだ。やはり役人というのは「人格がない」職種なのか。

これは、あれこれ言いつのってもつまるところ「人間不要計画」ではないか。「人間不要計画」などを策案する政府を、放置しておいてもよいのだろうか。「人間不要計画」に直面する際、想像力はおそらくもっとも不幸な状態に照準を合わせて、注意が払われるべきなのだ。

どのような人間が「不要」とされるのか。あるいは「有用」であるがゆえにアバター成代替物で「増殖」が期待される人間はどのような属性と、能力の持ち主であろうか。「優勢思想」などむしろ、その意図するところがむき出しであったぶんだけ、「人間不要計画」よりも、まだ穏やかだったという表現だって可能だろう(もちろんわたしは優勢思想をまったく支持するものではない)。

文明は過去何度も、隆盛と破綻(あるいは淘汰)を繰り返してきた。人間はしょせん動物の一種類に過ぎないのだから、それは当然であり、しかしそこに歴史という視点で教訓とすべき遺産や知恵を見出す、程度に人間も少将は成長した、と思っていた。ところがどうだ。今次の「人間不要計画」は人類史上、真顔で語られた「悪い冗談」のなかでも飛びぬけてはいまいか。

「わたし」、「あなた」、「好きな人」、「嫌いな人」、「いけずな人」、「優しいひと」……。みんながコピー人間になる時代に、わたしは生きたいと思わないし、そんな時代や技術(あるいは思想)は断じて許してはならない、と考える。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

NKB王座目指す「闘う餃子屋」笹谷淳が渡部翔太に惜敗! 堀田春樹

緊急事態宣言期間の4月25日から5月11日までの後楽園ホールで開催予定だったイベントは延期、開催地を変更といった苦労が続く模様。

僅差ながらアウェイで勝利を掴んだ渡部翔太

期間をギリギリ逃れた24日の「NKB 2021 必勝シリーズ 2nd」はTwitCasting生放送を交えて無事終了。

今回の興行は40歳以上が4名出場、30歳代が8名出場と、高年齢が目立った。最年少は16歳の2名。

メインイベンター笹谷淳はNKBウェルター級3位にランクし、まだ王座を目指す超遅咲きの46歳。後半失速は王座へ課題の残る判定負け。

◎NKB 2021 必勝シリーズ 2nd / 4月24日(土)後楽園ホール 17:30~19:47
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

◆第10試合 メインイベント ウェルター級 5回戦

NKBウェルター級3位.笹谷淳(TEAM COMRADE/1975.3.17東京都出身/66.65kg)
    VS
WMC 日本スーパーライト級1位.渡部翔太(チームドラゴン/1987.1.3神奈川県出身/66.6kg)
勝者:渡部翔太 / 判定0-2 / 主審:前田仁
副審:仲48-49. 鈴木49-49. 川上48-49

笹谷淳は組んでも離れても落ち着いた試合運びでの蹴り、パンチ攻勢はベテランらしさがある展開。第4ラウンドに渡部翔太の左ストレートを貰って、ラッシュかける渡部に押され、第5ラウンドもやや渡部の勢いが優った。

前半の劣勢を巻き返した渡部が僅差の判定勝利。笹谷は1点差での負けは悔しい結果となったが、失速した4ラウンド以降が失点となった。

笹谷淳のローキックは今時流行りのカーフキックとなる狙いで渡部翔太にヒット
渡部翔太の飛びヒザ蹴りが笹谷淳にプレッシャーを与える

◆第9試合 セミファイナル ウェルター級3回戦

CAZ JANJIRA (JANJIRA/1987.9.2東京都出身/66.25kg)
    VS
どん冷え貴哉(Maynish /1988.10.15滋賀県出身/66.35kg)
引分け 三者三様 / 主審:佐藤友章
副審:川上29-30. 鈴木29-29. 前田30-29

ローキックからパンチ主体に蹴りで多彩に攻める両者。第3ラウンドにはCAZのヒジ打ちで貴哉の左瞼から出血。ややパンチの交錯が増えたが、攻勢を印象付ける決め手に欠ける展開で三者三様の引分けに終わる。

貴哉のローキックがCAZにヒット
CAZのミドルキックが貴哉にヒット、一進一退の攻防は続く
逃げ切ったNIIZMAX、顔を腫らしながらも勝利

◆第8試合 ライト級3回戦

NKBライト級3位.野村怜央(TEAM KOK/1990.3.27東京都出身/61.05kg)
    VS
NIIZMAX !(クロスポイント吉祥寺/1980.9.20東京都出身/60.75kg)

勝者:NIIZMAX ! / 判定0-3 / 主審:仲俊光
副審:前田27-28. 鈴木27-29. 佐藤26-29

初回、NIIZMAXの後ろ蹴りがタイミングずらして野村の顎にヒットすると軽いヒットながらノックダウン。

野村は立ち上がるも足が縺れ効いていた様子。

更に組み合う展開からNIIZMAXが右ストレートで2度目のダウンを奪った。

変則気味なNIIZMAXに対し、正攻法の野村は第2ラウンド以降、倒される可能性もありながら打ち合いに持ち込むと、NIIZMAXがやや失速しつつもバックハンドブロー、飛び後ろ蹴りなど連発する流れ。

ダメージ回復した野村は飛び蹴りも見せるが巻き返しならず。

打たれたNIIZMAXは顔を腫らしながらも逃げ切り判定勝利。

NIIZMAXのタイミングずらした後ろ蹴りをうっかり貰ってしまった野村怜央
回復した野村怜央と変則気味に出るNIIZMAXが互いの飛び技がシンクロする

◆第7試合 ミドル級3回戦

郷野聡寛(元・全日本ヘビー級C/GRABAKA/1974.10.7東京都出身/72.25kg)
    VS
臼井壮輔(元・日本ウェルター級3位/修実館/1987.6.15千葉県出身/69.75kg)
勝者:臼井壮輔 / TKO 1R 2:09 / カウント中のレフェリーストップ
主審:川上伸

臼井壮輔は過去、ロッキー壮大というリングネームで治政館所属の日本ウェルター級3位だった選手。

臼井壮輔が右ストレートでノックダウンを奪うと、次はローキック3発ほどで郷野聡寛がヨロヨロした足取りで倒れ込む。効いたというより元から負傷の影響があったか、カウント中にレフェリーが止め、そのまま担架で運ばれた。

臼井壮介のローキックが数発ヒット、テーピングが痛々しい郷野聡寛はやがて倒れ込む
TKO勝利した臼井壮介、ロッキー壮大の頃と変わらぬ風貌

◆第6試合 ライト級3回戦

パントリー杉並(杉並/1992.9.26生/61.1kg)
    VS
福島勇史(ケーアクティブ/1985.12.5生/61.15kg)
勝者:福島勇史 / TKO 3R 0:33 / カウント中のレフェリーストップ
主審:鈴木義和

ローキックからパンチ主体の攻防が次第に激しくなる中、第2ラウンドに福島の右ストレートでパントリー杉並が2度ノックダウン。逆転の打ち合いに臨むパントリー杉並だが、福島も下がらず打ち合う激しい攻防。

第3ラウンドには福島をコーナーに追い詰めたところで左フックで仕留められたパントリー杉並。毎度見応えあるが、距離を詰めて行くのは危険な賭けであった。

◆第5試合 フライ級3回戦

杉山空(HEAT/2005.1.19生49.95kg)
     VS
吏亜夢(ZERO/2004.12.3生/50.8kg)
勝者:吏亜夢 / 判定1-2 / 主審:川上伸
副審:前田28-30. 鈴木30-29. 仲28-30

160cm対178cmのカメラのフレームに収め難い身長差。初回のやや様子見の後、組み合っても離れても吏亜夢が長身を活かして攻め続けた展開。杉山空は、すばしっこい動きを見せたが吏亜夢の動きを止められず。

◆第4試合 73.0kg契約3回戦

渡部貴大(渡邉/1992.11.12生/72.45kg)
     VS
国本泰幸(ムエタイファイタークラブ/1996.3.18生/72.15kg)
引分け1-0 / 主審:佐藤友章
副審:前田30-29. 鈴木29-29. 川上30-30

◆第3試合 59.0kg契約3回戦

岡田克之(D-BLAZE/1985.7.8生/58.95kg)
    VS
ウエタ(リバティー/2001.10.9生/58.0kg)
勝者:岡田克之 / TKO 2R 2:11 / ノーカウントのレフェリーストップ
仲俊光

◆第2試合 フェザー級3回戦

志村龍一(拳心館/1995.11.17生/56.5kg)
    VS
龍ケ崎正人(SHIROI DREAM BOX/1969.4.15生/56.85kg)
勝者:龍ケ崎正人 / TKO 1R 1:33 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審:鈴木義和

龍ケ崎正人、52歳のプロ第2戦目はTKOで倒して初白星。

◆第1試合 68.0kg契約3回戦

勇斗(KUNISNIPE/1995.3.9生/67.55kg)
     VS
RYOTA(リバティー/1986.8.12生/67.95kg)
勝者:勇斗 / TKO 1R 1:15 / カウント中のレフェリーストップ
主審:前田仁

※54.0kg契約3回戦、矢吹翔太vs七海貴哉戦は、七海貴哉の体調不良で棄権により中止。

《取材戦記》

興行1週間前にYouTubeで展望を語る放送もされた現在のNKB認定興行で、マッチメーカー竹村哲氏が、「審判団には絶対、ホームタウンデジションとなる採点はしないでくれと伝えてある!」といった意味の言葉がありました。ここがNKBの進化した部分。

メインイベントの笹谷淳vs渡部翔太戦はその適切な裁定が行使された結果となり、第4ラウンド以降で渡部翔太が巻き返し、採点は僅差の逆転となりました。

昔はよく起こった、負けていた展開で勝者コールを受けるホームタウンデジション。そんな結末にはならなかった安堵もありつつ、引分けでもおかしくはない展開でもありました。

そのホームリングのメインイベンター笹谷淳は2002年11月のデビュー当時は士道館橋本道場所属で、2007年6月にMA日本ウェルター級王座決定戦に出場し敗戦も、2010年10月にはJ-NETWORKウェルター級王座獲得。

2019年4月に日本キックボクシング連盟(NKB傘下)に加盟後、2020年2月8日、 NKBウェルター級トーナメント準決勝3回戦で同級2位.稲葉裕哉(大塚)に三者三様引分け、延長戦1-2で敗者扱い。王座決定戦に進めずも、再びNKBウェルター級王座を目指している現在46歳の笹谷淳は、YouTubeでの竹村哲氏のイジリも影響し、応援したくなるキャラクターでもある。本業では「笹やん餃子本舗」を経営。「闘う餃子屋」をキャッチフレーズにインターネット販売をメインとした経営のようです。

アンダーカードでは野村怜央、パントリー杉並といった常連が、それぞれアグレッシブに打ち合い、敗れてもNKBの主力メンバーらしさがある存在感を見せました。

次回の日本キックボクシング連盟興行「必勝シリーズvol.3・ZーⅢCarnival」は5月2日、大阪府豊中市の176boxで開催予定(緊急事態宣言による影響は、4月27日時点で未定)。「必勝シリーズvol.4」は6月9日(土)後楽園ホールに於いて開催予定となります。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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《NO NUKES voice》「15の春」に想う10年前の原発事故とこれからの私  民の声新聞 鈴木博喜

10度目の「3・11」が過ぎ、この4月、県立高校に入学した女の子(福島市在住)に「あの頃」と「これから」について語ってもらった。そこには取材者が喜ぶような言葉は無く、等身大の15歳の言葉が並んだ。「福島が大好きだから、あまり福島を汚染地、被曝地とは呼んで欲しくないな」と語る彼女は、一方で「汚染が存在するのは事実だし、危険だと考える人がいるのも当然」とも。今月から高校生活が始まったばかりの15歳の本音に、あなたは「矛盾だらけじゃないか」と眉をひそめるだろうか。

10年前は、5歳の幼稚園児。大きな揺れは今でも鮮明に覚えているという。

「自宅に居ました。祖父母や母、妹とおやつを食べる準備をしていたら揺れが始まりました。私は手を洗っていたため、石けんの泡がついたままの手で庭に飛び出したのを覚えています。母や祖父の車が車庫で今にもひっくり返るのではないかと思うくらい大きく揺れていました」

ほどなく電気が止まり、水も出なくなった。父親と一緒に給水車の列に並んだ。その時、大量の放射性物質が降り注いでいた事など、5歳の女の子に分かるはずも無い。いや、大人でさえ被曝リスクに意識が向いていた人がどれだけいたか。誰もが今日明日を生きるのに必死だった。だからこそ、行政が積極的に情報発信するべきだったが、逆に市民には「安全安心」ばかりが伝えられていた。

震災・原発事故当時は幼稚園児だったが今春、晴れて県立高校に入学した。「当時、被曝しただろうから甲状腺検査は受け続けたい」と話す

福島市の広報紙「ふくしま市政だより」速報版第8号(2011年3月17日発行)によると、2011年3月15日19時に「県北保健福祉事務所」で毎時23.88マイクロシーベルトが記録されている(原発事故前は毎時約0.04マイクロシーベルト)。だが、福島市は次のように掲載するだけで市民に注意を呼び掛ける事はしなかった。

「これは胃のX線集団検診1回当りの量の約25分の1です。県からは健康に問題ないレベルであるとの見解が示されています」

当時を「被曝する可能性は大いにあったと思います」と振り返る。「あの頃は被曝リスクなど考えてもいなかったのですが、今思うと、国や行政が注意を呼び掛けるべきだったのかなとも思います」

給水車の列に並んでいた頃、母親は妊娠中だった。3月17日に弟が誕生。翌18日に弟の小さな顔を病院で見てから福島を離れた。祖父母、妹と4人で〝自主避難〟した。関東を何カ所か移動した後、埼玉県内のアパートに入居した。母と姉妹、生まれたばかりの弟と4人での避難生活が始まった。

「幼かったので、原発事故に対する危機感などほとんど無い状態でした。言われるままに避難しました。結局、幼稚園は合計で3園、小学校は2校通いました。どこに行ってもみんな優しくしてくれて本当にありがたかったです。沢山の友達ができました。今でも連絡を取り合っている友達もいます。その友達とは『感染症が終息したら久しぶりにお泊まり会をしたいね』と話しています」

8歳で福島に戻った。自身は小学3年生、妹が小学校に入学するタイミングでの帰還だった。5歳の少女は、親や祖父母に言われるままについて行った。では、もし今の年齢で再び避難を要するような事故が起こったら再び福島を離れるか。その問いには明確に「NO」と答えた。

「絶対に福島を離れたくありません。確かにとても危険な選択だとは思っています。でも、ようやく親友と呼べる友達と離れて避難などしたくありません。今まで頑張ってきたバレーボールの仲間たちとも離れなくてはならなくなります。他校の友達も沢山います。高校生になって試合をするのをとても楽しみにしています。子どもっぽい理由ではあるかもしれませんが、やっぱり福島を離れる事は嫌です」

「何も分かってないな」とか「でも被曝リスクが…」と責めるのは簡単だ。でも、これが15歳の正直な気持ちなのだろう。学校で親友と呼べる友達が出来、部活動を頑張っている中高生に「被曝の危険があるから逃げよう」と言って、果たして何人が応じるだろうか。ましてや福島市など中通りには、様々な思惑が絡み合った結果、政府の避難指示が出されなかった。「子どもが部活動をするような年齢だったら避難出来なかった」と述懐する声は少なくない。だからこそ、初期被曝から避けるために、中通りも含めて広範囲での避難指示が必要だった。

「福島が大好きだから、被曝リスクがあると言われるのはやっぱり嫌だなと感じることはあります」とも話す。だからと言って、放射能汚染や被曝リスクから完全に目をそむけているわけでは無い。「被曝リスクが存在するのは事実だし、危険だと考える人がいるのも当然だと思います。残念ですが原発事故が起こってしまったという事実がある限り放射能がゼロになることはないと思います。考えられないような量の放射性物質が撒き散らされ、未だ放射線量が高い地域も沢山あるため、そこの近くにいる人はもちろん福島市も線量が高い所が少なくないからです」。

「任意性に乏しい」などの理由で打ち切りを求める意見も出ている学校での甲状腺検査についても「検査は全然嫌ではないです。むしろ学校でやってくれてありがたいです。これからも続けて欲しいと思っています」と話す。もし学校での検査が無くなってしまったら? と尋ねると「そうしたら医療機関で検査を受けます。少なからず放射能を浴びている事は確かです。それがきっかけでガンになる可能性もあるので、検査はしっかり継続して受けていきたいと思います。仮に甲状腺ガンが発見されたとしても早い段階で手術などをする事が出来るようにしたいからです」と話した。

筆者は残念ながら、10年経った今でも福島を含む広範囲が「汚染地」だと考えている。これには「『被曝リスクが存在するのは事実だし、危険だと考える人がいるのも当然』と言っておきながら矛盾しているかもしれないけど、福島を『汚染地』、『被曝地』とは呼んで欲しくないという思いが一番強いです」と胸の内を明かした。

そんな〝矛盾〟を子どもに抱えさせる事こそ、原発事故の重い罪のひとつなのかもしれない。

福島市の名所「花見山公園」では手元の線量計で依然として0.3μSv/hを超えるが、女の子は「放射能汚染は事実だけれど…汚染地と呼んで欲しくないな」と本音も口にした

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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紀州のドン・ファン死亡事件 「シロ」の証拠になりうる元妻の不謹慎な行為

「紀州のドン・ファン」と呼ばれた和歌山県田辺市の資産家、野崎幸助さん(享年77)が2018年5月に自宅で亡くなった事件で、殺人の疑いをかけられていた元妻がついに逮捕された。

逮捕されたのは須藤早貴容疑者(25)で、容疑は殺人と覚せい剤取締法違反。証拠の乏しさを伝える報道が散見されるが、須藤容疑者は起訴される可能性が高いだろう。事件の社会的注目度の高さなどからして、和歌山県警は検察に相談しながら捜査を展開したはずだからだ。

ただ、報道を見る限り、証拠は乏しいどころか、むしろ須藤容疑者がシロだと解釈しうる情報も見受けられる。しかも、それは弁護側が裁判に証拠として提出可能なものである。

◆「証拠が乏しい」と指摘されるのは当然

そのことを説明する前にまず、事件の情報を必要最小限まとめておく。

ここまでの報道を見る限り、野崎さんが亡くなった原因は致死量の覚せい剤を口から摂取したことであるのは間違いないようだ。

そして県警は、
(1)須藤容疑者はインターネットで覚せい剤や完全犯罪に関連した情報を検索していた、
(2)野崎さんが自宅で亡くなった時、自宅には野崎さんと須藤容疑者しかいなかった――
などの事実を把握しているように報道されている。

つまり、県警は、「須藤容疑者が自宅で野崎さんと2人きりの時、致死量の覚せい剤を何らかの方法で野崎さんに口から摂取させた」という筋書きを描いているようだ。

そして動機については、県警が「カネ」だと考えているのは間違いないだろう。報道によると、須藤容疑者は「小遣いが月100万円」という条件で野崎さんと結婚したそうだが、野崎さんの死後、野崎さんが営んでいた会社の代表取締役になっていたという。これが事実なら、県警は有罪を裏づける状況証拠としても考えているはずだ。

しかし、仮に須藤容疑者が自宅で野崎さんに致死量の覚せい剤を飲ませていたことが事実だとしても、「野崎さんが自らの意思で飲んだ。私は死ぬとは思わなかった」などと釈明する余地はある。また、野崎さんが営んでいた会社を須藤容疑者が私物化していたとしても、そのこと自体が殺人の有罪を裏づけるわけではない。これでは「証拠が乏しい」と指摘する報道が散見されるのも当然だ。

◆葬儀当日、スマホをいじりながら笑顔だったことの意味

 
週刊ポストがYouTubeで公開した画像より

では、須藤容疑者がシロだと解釈しうる情報とは何か。それは、須藤容疑者が野崎さんの葬儀当日、人前でスマホをいじりながら笑顔だったという報道だ。仮に須藤容疑者がカネ目当てに野崎さんを殺害したのなら、人前ではむしろ悲しんでいるように装っていたほうが自然だからである。

つまり、須藤容疑者が野崎さんの死を悲しんでいないことを人前で堂々と明らかにしていたのは、野崎さんの死について、何もやましいことがなかったからだとも解釈できるということだ。

私はこれまでに何人か、カネのために交際相手の男性や戸籍上の夫を殺害した女性殺人犯を取材したことがある。それはたとえば、鳥取連続不審死事件の上田美由紀死刑囚や関西連続青酸殺人事件の筧千佐子被告だが、この2人はいずれも被害者が死んだ時に自分は悲しんだように言っていた。本当にクロならば、そうやって取り繕うものなのだ。

須藤容疑者が野崎さんの葬儀当日、スマホをいじりながら笑顔だったことについて、メディアは目撃した人の証言だけをもとに報じているわけではない。この須藤容疑者の不謹慎な行為は、その場にいた人によってスマホで動画撮影されており、それを入手したメディアの1つ、週刊ポストはYouTube(https://www.youtube.com/watch?v=li5Ty_iIufI)でも公開している。この動画をダウンロードすれば、刑事裁判の証拠にも十分になりえるはずだ。


◎[参考動画]【独占入手】紀州のドン・ファン事件 野崎幸助氏の葬儀当日、須藤早貴 容疑者はスマホいじって笑顔|NEWSポストセブン(2021年4月28日)

刑事事件では、被疑者の不謹慎な言動は周囲の人にクロの印象を与えがちだが、実際にはそれが逆に被疑者はシロだと示していることがある。須藤容疑者の場合、そういう事実が他にもありそうに思えるので、今後もめぼしい事実が判明すれば、適時指摘したい。

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

《5月のことば》まっすぐ生きていれば 怖いものなどない 鹿砦社代表 松岡利康

《5月のことば》まっすぐ生きていれば 怖いものなどない(鹿砦社カレンダー2021より/揮毫・龍一郎)

風薫る季節となりました。本来なら一年で一番過ごしやすい季節ですが、今年も昨年同様新型コロナが終息せず、先が見えない鬱々とした状態です。

5月の言葉は、龍一郎が師事し私も尊敬する中村哲医師の言葉です。

「まっすぐ生きていれば怖いものなどない」――果たして私たちはまっすぐ生きてきただろうか? これまではどうあれ、今関わっている問題、これからぶつかる問題に対してはまっすぐに対応していきたい。

少なくとも「見ざる、言わざる、聞かざる」といったずるい生き方はやめたいと、あらためて思う昨今です。

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「俺の上には空がある 広い空が」 布川事件冤罪被害者の桜井昌司さん出版記念会報告〈後編〉 尾崎美代子

布川事件の冤罪被害者の桜井昌司さん(74)のエッセイ&詩集「俺の上には空がある 広い空が」の出版を記念した会が、4月11日大阪市内で開催された。無実の罪で29年服役し、無罪を勝ち取るまでに43年7ケ月かかった桜井さんは、現在国と癌の二つと闘っている。

国を相手取った国賠訴訟は、1審が勝訴、6月25日控訴審判決が下される。2019年秋に余命1年と宣告された癌にも、食事療法で打ち勝ちつつある。会は桜井さんの歌とお話で構成されたが、今回は、ゲストでお招きした「夜明けのさっちゃんズ」のお話と桜井さんのお話の後半を紹介する。(取材・構成=尾崎美代子)

◆僕の妹が死んでから (「夜明けのさっちゃんズ」矢島敏さん)

僕たち「夜明けのさっちゃんズ」は、僕の妹の矢島祥子が死んでから10年間、毎月釜ヶ崎でやるライブで「釜ヶ崎人情」を歌い続けてきました。

たまたま祥子のことを取り上げたNHKの番組を、「釜ヶ崎人情」を作られた作詞家のもず唱平先生が見てくださり、僕たちのライブにきてくれました。そして祥子の歌をつくると約束してくださり、実現したのが今から歌う「さっちゃんの聴診器」です。

もず先生が詩を書いてくださり、それに僕が曲をつけました。今日はもず先生のお弟子さんの高橋曄子さんと一緒に歌います。**〈演奏歌唱タイム〉**

写真左から西川まさひささん、高橋樺子さん、swing masaさん、矢島敏さん。「夜明けのさっちゃんズ」は2009年の矢島祥子殺人事件を受けて、事件の真相究明活動で遺族が釜ヶ崎に通う中、ミュージシャンである長兄の敏さんが同地のミュージシャンと組んだバンド。敏さんは神奈川県茅ヶ崎市で三線工房をしている琉球民謡登川長師範

◆理不尽に殺害された痛みと冤罪の痛み(桜井昌司さん)

 
桜井昌司さん

理不尽に殺害された祥子さんの痛みと、冤罪の痛みは変わりませんよね。真面目に一生懸命生きてきた祥子さんが殺害されるなんて許されていいと思いません。残念ながら日本はそういう国だと思いました。

雨合羽とイソジンがいる大阪は大変ですね(笑)。あんないい加減な奴らがやっている政治はだめですよ(拍手)。ああいう人たちをもてはやして、世の中が変わると思っている人たちは駄目です。イソジンや雨合羽が悪いわけではなく、ああいう人を選ぶ人が悪い。

日本人は自覚しない。菅総理が何故4割も支持率とれるか理解できません。彼はまともな日本語しゃべれないじゃないですか。安倍さんはまだ嘘が上手だった。彼の親父の安倍慎太郎が晋三を「こいつほど言い訳のうまい男はいない」と言ったそうです。そのとおりで、嘘がペラペラでてくる。

ああいう人を良しとした日本という国は、やっぱりそういう国家なのだと思います。残念ながら、体裁だけ整えばいい国家。私は74歳になりますが、刑務所に29年いたから、今の社会に責任はありません(笑)。当時娑婆にいた方、責任とってください(笑)。一人一人が正しいことを正しい、正義を正義という社会にしようと思いませんか? 今日は、私が刑務所で書いた詩をライブで初めて朗読します。

「目くばせから」「カラスの鳴く朝に」「一度だけでも」「手」「25年目のラブレター」「同居者に」「空」

◆人様の善意と触れ合えたことが人間としてどんなに嬉しいか(桜井昌司さん)

父ちゃんやお袋のことを話すといつも涙がでてきます。「死んだお墓に布団はかけれない」と言いますが、今、うちの恵子さんの親の足が動かなくなって、実家に帰っていて私は自炊していますが、自炊するのも結構楽しい。どんなことがあっても、人生は楽しいと思っています。癌の食事療法も彼女がいたからできた。そのおかげで癌が治ったと思っています。本当に人様に守られ、生き永らえたので、少し世の中のためになるよう頑張ろうと思っています。

冤罪は本当に辛い。私のように明るく楽しく生きられる冤罪被害者はなかなかいない。20歳に逮捕して頂いたお陰で、54年たってもまだまだ元気ですよ。

私、詩人だったでしょう。刑務所のなかでちゃんと詩が書けた。なぜか? あの苦しみのなかで、日本国民救援会の皆さんから「頑張ってね」と言われた。人様の善意と触れ合えたからです。それが人間としてどんなに嬉しいか。あの善意の人たちと一緒に生きて、飾り気なく生きられる人生が、どんなにさわやかかと目覚めた。飾りのある人生はつまらないじゃないですか? 「あなた素晴らしい人ですね」と言われて、陰で何しているかわからなかったら、こんなに疚しいことはない。だから自分はあの29年があったことで、すべて浄化された気がする。

私はそれまでろくでもない男だった。嘘も上手かった。安倍や橋下徹なんかたいしたことないくらい(笑)。橋下の口はたいしたことない。吉村もアホ。だいたい高利貸しの代弁するような橋下や吉村は駄目ですよ。なんのために弁護士になったのか?弱い者を助けるためじゃないのと思いますよ。そういう弁護士が少なすぎる。
私は自分が馬鹿だからはっきりいうが、頭のいい奴もたいしたことはない。自分で馬鹿と言うほうが本当に楽です。
 
次は娑婆に帰って作った歌です。自分の幸せを救援会の人たちに作っていただいた喜びをどう伝えようかと思い、「今あなたに」という歌にしました。皆さんにお送りする歌です、聞いてください。 **〈演奏歌唱タイム〉**

◆お金は大事ですよ。でもお金が生きる目的ではないはずです(桜井昌司さん)

4月13日菅さんが、福島第一原発から出た汚染水を海に流すと決めるそうです。トリチウムを海の水で薄めて流すから大丈夫だという。薄めて流す? そのまま流しても薄まるじゃないですか? 汚染水はきれいじゃない。トリチウムは消えない。なぜ嘘をいうのか? 地球は我々だけのものじゃない。我々には、人類が生まれてからずっと命の歴史を未来につなぐ義務があるじゃないですか。そのために政治しなくてはいけないのに、今がよければ、今、金儲けできればよいという。何なんだ! 怒りが湧きます。そういう人たちが多すぎる。恥ずかしいと思いませんか! 

お金は大事ですよ。でもお金が生きる目的ではないはずです。我々が税金を納めるのはその税金で個人ではできないことをして欲しいから。こんなコロナの時こそ、税金を使って、全員に検査して、感染者見分けて、大丈夫な人は働けばいいでしょう。それをやらずに1年以上ぐずぐずと自粛ばかり続けている。大阪は、緊急事態宣言解除してたった1週間でまた「まんぼう」だという。なにやってるの? 我々、怒らなくてはなりません。私は怒ると癌になるので怒りません(笑)。みなさん、怒ってください。吉村どうにかしてください。声を広げて!

警察が悪いと知れば、社会の皆さん、悪いことは止めろと声をあげますよね。警察は真面目と思っているから、我々は信頼しているのであってね、やはり正義の声をあげて社会を変えましょう! 変えられますからね。**〈演奏歌唱タイム〉**

◆29年刑務所に入れて頂いたお陰で、自分は嘘を言わないようになった(桜井昌司さん)

 
桜井昌司さんの新刊『俺の上には空がある 広い空が』(マガジンハウス)

人はなぜ死ぬんでしょうか? 小学校4年の夏休みに「少年ジェット」という番組を見ていたら、悪人の怪傑デビルが人を殺した。そのとき、いつか死ぬと知って死ぬのが怖いと感じました。

「桜井、お前な、ここでやっていないというと死刑になるぞ。死刑になってから違うといっても遅いんだぞ。今のうちに観念して言え。助かれ」と刑事に言われましたね。そして私は死刑が怖くて「やった」と嘘を言ってしまいました。でも、一昨年癌と言われたときは全然怖くなかった。こんなに幸せに生きたんだから、死んでもいいと思った。今死ぬことが怖い人は、まだやることがあるからです。

昨日、ホテルに入って夜テレビをみました。先日亡くなった柔道の古賀さんが、膝をけがして金メダル取ったときのことをやっていた。「判定のとき負けてもおかしくないのに、なぜ勝てたか?」と聞かれ、古賀さんは「相手は私に勝つ気がない技を仕掛けてると判った。私は勝ち負けでなく、ひざが悪いので、柔道らしい柔道をしようと必死に迫めた。その気持ちが審判に伝わって勝ったのだろう」と、彼はいいました。

それを聞いた時、もしかすると私が人様に恵まれたのは、自分の一生懸命さが人様に伝わったのかもしれないと思いましたね。29年刑務所に入れて頂いたお陰で、自分は嘘を言わないようになった。何も隠さないで済むようになった。嘘はやめよう、一生懸命生きようという思いをもってきた。もしかしてそれが人様に伝わったのかもしれない。

死ぬのが怖い人、今日を一生懸命生きてください。目の前のことに一生懸命にやってください。きっといいことがある。私は74歳、まだ夢はあります。本の最後でそれを書いてます。私はまだ才能が自分の中に眠っていると思っている。

もし、刑務所と同じような苦しみや困難が起こったら、自分の中に埋もれている何かが花開くかもしれない、本当に思っています。夢は「紅白歌合戦」と「徹子の部屋」(笑)。

では最後に「私の人生」を歌います。たった一曲だけ、私の作曲ではなく、大滝賢一郎さんという方が、テレビ東京の番組の中で作曲してくれました。聞いてください。**〈演奏歌唱タイム〉** (了)

◎[参考動画]桜井昌司さん、出版記念パーティーの一コマ
(竹内たつおさん撮影。竹内さんの4月11日フェイスブックより)
https://www.facebook.com/100025186875552/videos/888223768693844/

◎尾崎美代子「俺の上には空がある 広い空が」 布川事件冤罪被害者の桜井昌司さん出版記念会報告
〈前編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38753
〈後編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38827

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

天皇制はどこからやって来たのか〈31〉昭和天皇――その戦争責任(6)退位を否定した昭和天皇への反発 横山茂彦

東京裁判で戦犯として訴追されることを逃れた昭和天皇は、退位(明仁への譲位・弟宮による摂政)を否定した。

のちに触れるが、天皇は道義的責任と法律的な責任を明確にわけて認識していたようで、極東裁判で訴追されなかったことをもって、法律的な責任は回避できたと判断したのである。

しかし、国民のあいだには隠然たる批判があった。匿名ながら警察当局が蒐集したものとして、少なくない天皇批判が存在している。

いわく「天皇が退位した」「出家されたらしい」「沖縄に行ったようだ」「逮捕され絞首刑になった」などと、流言飛語や怪文書のたぐいはあとを絶たなかった。

◆メーデー・プラカード事件

公然としたもので有名なのは、メーデー・プラカード事件であろう。1946年(昭和21年)5月19日の食糧メーデー(正式名称は「飯米獲得人民大会」)のさいに、参加者の日本共産党員・松島松太郎の掲げたプラカードが不敬罪に問われた事件である。

 

「詔書 國体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」(表面)

「働いても 働いても 何故私達は飢えねばならぬか 天皇ヒロヒト答えて呉れ 日本共産党田中精機細胞」(裏面)

このプラカードを見て、戦争がおわった日本は誰でも何でも発言できる自由がもたらされたのだな、と思うわれわれは歴史認識が甘すぎる。戦後も刑法が改定されるまで、治安維持法や不敬罪が存続していたのだ。

検察庁は松島を刑法74条違反で訴追したが、松島側は「ポツダム宣言の受諾によって天皇の神性消滅を受けて不敬罪は消滅した」と主張して争った。

いったん不敬罪で起訴されたものの、GHQの「天皇といえども特別の保護を受けるべきではない」という意向により、罪名は名誉毀損罪に変更される。

第一審(東京地裁昭和21年11月)は不敬罪を認めず、天皇個人に対する名誉毀損罪のみが認められた。のちの控訴審において、不敬罪の成立可能性の認定は引き継がれるも、新憲法発布による大赦で松島は免訴(裁判停止)となった。

政府はもとより、裁判所と検察は判例を残すことを肯んじなかったのであろう。大赦(恩赦)は法的には君主の職権(明治憲法では天皇の大権事項、戦後憲法では天皇の国事行為)であるから、松島は昭和天皇に赦されたことになる。

◆日本共産党の天皇制批判

その松島が所属した日本共産党は、戦前からゆいいつ天皇制を批判してきた政党である。のみならず、天皇制を絶対君主制として打倒対象にしてきた党だった。有名な32年テーゼから引用しよう。

「日本における具体的情勢の評価に際しての出発点とならねばならぬ第一のものは天皇制の性質及び比重である」として、天皇制を以下のように規定する。

「日本において1868年以後成立した絶対君主制は、その政策に幾多の変化を見たにも拘らず、無制限絶対の権をその掌中に維持し、勤労階級に対する抑圧及び専制支配のための官僚的機構を間断なく造り上げた」

「日本の天皇制は、一方では主として地主として寄生的封建的階級に立脚し、 他方では又急速に富みつある強欲なブルジョアジーにも立脚し、これらの階級の棟領と極めて緊密な永続的ブロックを結び、継々うまく柔軟性をもつて両階級の利益を代表し、それと同時に、日本の天皇制は、その独自の相対的に大なる役割と、似而非立憲法的形態で軽く粉飾されているに過ぎない。」

論点を以下の様に定式化することができる。

(1)天皇制とは「似而非立憲法的形態で粉飾されているに過ぎない」「絶対君主制」、すなわち「天皇制的国家機構」である。

(2)それは「一八六八年以後成立し」「その政策に幾多の変化を見たにも拘らず、無制限絶対の権をその掌中に維持し」ている。

(3)天皇制は「地主として寄生的封建的階級」「急速に富みつつある強欲なブルジョアジー」に立脚し「これらの階級と極めて緊密な永続的ブロックを結び」「両階級の利益を代表し」ている。

(4)「勤労階級に対する抑圧及び専制支配」「国の経済および政治的生活においてなお存するありとあらゆる野蛮なるもの」の維持という「独自の,相対的に大なる役割」を保持し「国内の政治的反動と一切の封建制の残津の主要支柱」「搾取階級の現存の独裁の輩固な背骨」となっている。

(5)その機能を果たすために天皇制は「官僚的機構を間断なく造り上げ」「最も反動的な警察支配を布」いている。

つまり天皇制とは、明治維新以後成立した絶対主義的国家機構であり、地主・ブルジョアジーに立脚し,両搾取階級の独裁および勤労階級抑圧の機能を遂行する反動的・専制的支配体制の第一義的構成要素ということになる。

 

戦後はアメリカ帝国主義の支配を受けつつも、絶対主義的な国家機構を残存させ、ブルジョア階級の支配を補完している。したがって勤労階級にとって、天皇制は打倒対象である。

しかしその共産党は、51年綱領による武装闘争方針(ロシア共産党およびコミンフォルムの決定)で、国民政党としての性格を急速に失っていく。35人いた国会議員が、武装闘争の過程でゼロになってしまうのだ。徳田球一をはじめとする指導部は、朝鮮戦争の勃発とともに公職追放となり、いわゆる冷戦体制のもとで、天皇制批判は封印されてしまうのだ。

50年代の武装闘争路線は、朝鮮戦争の後方かく乱が目的だった。朝鮮人民軍と中国の義勇軍がアメリカ軍を追い落とし、難民が日本に押し寄せたとき、イッキに戦後革命の烽火が上がる。北海道にソ連軍が上陸して、中国の占領地と分割されるか、日本に革命政権が樹立するか。その中で天皇制も廃絶されたかもしれない。その戦後革命は山村工作隊による農村根拠地禍という誤りや、GHQの謀略によって頓挫する。その挫折とともに、天皇批判も後景化されるのだった。

 

いっぽう、昭和21年(1946)から昭和29年(1954)にかけて、昭和天皇は全国を巡幸している。昭和21年元旦をもって、神から人間になった天皇が国民と接し、戦後復興をともに担う国民のシンボルとなる過程でもあった。

畏れ多い現人神から、親しまれる人間天皇へ。平和憲法の冒頭をかざる「国民統合の象徴」として、天皇は戦争責任から解放された。戦争の艱難辛苦をともに体験し、廃墟からの復興をともに歩む存在となったのである。(つづく)

◎[カテゴリー・リンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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《NO NUKES voice》物言わぬ福島県知事の罪──汚染水の海洋放出決定の舞台裏〈4〉 民の声新聞 鈴木博喜

「なぜですか? なぜですか?」。毎日新聞記者が福島県原子力安全対策課職員に詰め寄った。県職員は小さな声で「昨日申し上げた通りです」と答えるばかり。不透明な汚染水の海洋放出方針決定劇を象徴する場面だった。

政府の基本方針決定から2日後の4月15日午前に開かれた「第2回原子力関係部局長会議」。この日、内堀雅雄知事が上京し、17時から梶山弘志経産大臣と面会して県の意見を伝える事が既に県政記者クラブには伝えられている。つまり、この会議が国に物を言う前の最後の会議。当然、そこで何が話し合われるのかを県民に伝えなくてはならない。しかし、同課は前日の「第1回会議」に続き、この日も非公開で話し合う事を決めた。毎日新聞記者はそれに納得出来ず、抗議をしたのだった。

「会議を取材させるよう記者クラブとして抗議しています。でも変わらない。13日も知事に会見に応じるよう申し入れたのですが、ぶら下がり取材すら行われませんでした」

県政記者クラブ加盟社の記者は言った。梶山大臣から政府の基本方針決定を伝えられても何も語らず、会議も非公開では「透明性」も何も無い。しかし、司会役の鈴木正晃副知事は開始1分足らずでメディアに退出を求めた。廊下には複数の原子力安全対策課職員が門番のように立ち、扉の前で中の様子を伺おうとする記者を排除した。配られた資料にも県の意見は全く無かった。国に「幅広い関係者の意見を丁寧に聴け」と求めて来た内堀知事は、最後まで議論を密室に封じ込めたのだった。

20分ほどで会議を終えると、内堀知事はようやく隣室に姿を現した。アクリル板越しの会見が始まった。しかし、ここでも記者たちは内堀知事の発言に驚かされる事になる。

「福島県自身が容認する、容認しないと言う立場にあるとは考えておりません」
朝日新聞記者の質問に、内堀知事はそう言い放ったのだった。頭の中で何かが音を立てて崩れていくのを感じた。それは民主主義であり、地方自治であった。政府が決めた汚染水の海洋放出方針を伝えられてから丸2日。内堀知事の口から出たのは「賛否を明らかにしない形での事実上の〝容認〟」という最悪の結論だった。結局、2日前と何ら変わらなかったのだ。

上京前の会見でも「容認する、しないを言う立場に無い」と語り、海洋放出への賛否を示さなかった内堀知事

「早期に国に対してまとめた福島県としての意見を申し上げるため、われわれとしては最大限の対応を行っている」と言う割には、梶山大臣に手渡された「福島第一原子力発電所における処理水の処分における申し入れ」には、ほとんど中身が無かったと言って良い。内堀知事は「関係者に対する説明と理解」、「浄化処理の確実な実施」、「正確な情報発信」、「万全な風評対策と将来に向けた事業者支援」、「処理技術の継続的な検討」を国に求めたが、これらは、これまで県議会や定例会見などの場で発言してきた内容と変わらない。河北新報記者も「これまでと同じ事を改めて要望するように聞こえる」と質したが、明確な答えは無かった。

しかも、賛否を示さない一方で国に求めている内容は海洋放出を前提にしたものばかり。筆者は「県内7割の市町村議会から出されている海洋放出に否定的な意見書は無視されるのか」と質問したが、内堀知事は「福島県内においては海洋放出に反対される意見、タンク保管継続を求める意見、風評を懸念する意見、あるいは一方で、このままタンク保管を継続されると特に地元自治体の復興やふるさとへの住民の帰還を阻害する。こういった事を心配する意見など様々なご意見があります」としか答えない。「様々なご意見」はどこへ行ったのか。何をどう判断して〝容認〟に至ったのか。全く答えないまま、内堀知事は東京へ向かったのだった。

ちなみに、前述の毎日新聞記者は当然、なぜ会議を非公開にしたのか質している。それについても、内堀知事は「やはり県として意見全体として取りまとめるうえで、これまで、様々な原子力関係の意見を整理する際には一定程度クローズで行い、そのうえでその結果をオープンにするという形をとっているところであり、それと同様の対応を行っているところであります」と述べるばかりで、全く答えになっていなかった。

2日間にわたって開かれた福島県の「原子力関係部局長会議」は非公開。取材陣を閉め出して行われた

知事が県民への説明責任すら果たさないまま、国や東電に責任を押し付ける形でなし崩し的に〝ゴーサイン〟が出た汚染水の海洋放出。海に流す事自体の是非など話し合われず、海洋放出による影響は「風評被害」という都合の良い言葉に収れんされた。そもそも海洋放出の影響は福島県近海にとどまらないが、福島県内でさえ、議論が十分になされているとは言えない。実際、小名浜港で釣り人に声をかけたが、返って来た答えはどれも「原発汚染水?反対も何もねえよ。気にしていたら、ここに釣り人なんかいねえっぺよ」や「どうでしょうねえ。私らが何を言ったって海洋放出は変わらないだろうし、賛成も何もねえ…」だった。

廃炉作業を進める東電の不祥事が続いた事も、国や福島県にとっては好都合だった。

自民党の佐藤憲保県議は、内堀知事への申し入れの際「再三の指摘にもかかわらず繰り返される不祥事が後を絶たない。こういう中にあって本当に事業者として県民が信頼を置いて処理水含めて廃炉作業にあたって行かれるのか」と述べ、内堀知事も「私自身、特に柏崎刈羽原発の核物質防護策の問題、これは極めて重大な問題だと受け止めております」と答えた。公明党県議も「度重なる東電の不祥事。東電に対する信頼関係は本当に全く途絶えていると言っても過言でない」と語っている。

東大経済学部を卒業後、旧自治省、旧大蔵省、総務省を経て福島県生活環境部長、企画調整部長、副知事を務めた後に福島県知事になった内堀知事が国の意向に絶対に逆らわないのは周知の通り。だから、東電を責める事が出来たのは渡りに船だったのだ。

いわき市・小名浜港近くの食堂でメヒカリ定食を食べた際、店主は「汚染水はどうなることやら。私たちにはさっぱり分からない」とぼやいていた。内堀知事はそういう声にも何も答えていない。〝風評被害〟に対する補償の話だけが独り歩きしている。物言わぬ内堀知事の罪は重い。(おわり)

◎鈴木博喜《NO NUKES voice》物言わぬ福島県知事の罪──汚染水の海洋放出決定の舞台裏
〈1〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38723
〈2〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38726
〈3〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38729
〈4〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38732

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

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「俺の上には空がある 広い空が」 布川事件冤罪被害者の桜井昌司さん出版記念会報告〈前編〉 尾崎美代子

布川事件の冤罪被害者の桜井昌司さん(74)のエッセイ&詩集「俺の上には空がある 広い空が」の出版を記念した会が、4月11日大阪市内で開催された。

 
桜井昌司さんの新刊『俺の上には空がある 広い空が』(マガジンハウス)

無実の罪で29年服役し、無罪を勝ち取るまでに43年7ケ月かかった桜井さんは、現在国と癌の二つと闘っている。国を相手取った国賠訴訟は、1審が勝訴、6月25日控訴審判決が下される。2019年秋に余命1年と宣告された癌にも、食事療法で打ち勝ちつつある。会は桜井さんの歌とお話で構成されたが、お話の部分を前半と後半に分けて紹介する。(取材・構成=尾崎美代子)

◆癌の宣告を受けた時、ほとんど動揺しなかった

皆さん、こんにちは! 先日、「冤罪犠牲者の会」で初めて屋形船に乗ったんですよ。屋形船ってコロナ騒動があったので、みんな敬遠していましたが30人で乗りました。料理は目の前で作ってくれるし、川の上なので風が吹いて換気もいい。私は、2019年に癌になって飲まないようにしていたが、当日は結構飲んで久々に記憶がなくなりました。ずっと酒をセーブしてきて、顔色も良くなり、癌もほとんど消えたようです。これからがまだ大変ですが。

私は、癌の宣告を受けた時、ほとんど動揺しなかった。「あっきたな。どうしよう」と思っただけです。最初に食事療法を紹介してくれたのは、SwingMasaさんで、その時は「食事で治るはずない」と聞き逃していましたが、その後ほどなく別の方からも紹介され、食事療法の店にいったら、富田林のMasaさんの店の隣でびっくりでした。あれ以来おかげさまで治ってきました。

 
桜井昌司さん

ただし肉、魚、小麦粉、化学調味料、砂糖などずっと食べないでやっていくのはどれだけ大変か。やはり意志力が問われます。自分にそれができたのは人様の支えだと思う。本当にこれまで人様に支えられてきたのだと、改めて思いました。子供の頃から私は人に恵まれてきた。自分は、口は悪しい大した人間じゃないのに、何故こんなに人様に恵まれるのか、不思議でしょうがないです。

刑務所にいるとき、娑婆に帰りたいと思いましたが、そう思うと、自分がその思いに負けてしまうと思い、その気持ちを捨てました。刑務所にいる限り、その中で満足する日を送ってやろうと心から思っていました。その千葉刑務所で、帰りたいという思いを歌にした「帰ろ、帰ろ」を聴いてください。 **〈演奏歌唱タイム〉**

◆娑婆に帰ってから作った歌

刑務所から帰ったとき両親はもういなくて、一番悲しかったのは、家に帰ったとき、いとこが「昌司、これがあんたの家の柿の実だよ」と柿の実を1つとっておいてくれて、その時ぼろぼろ泣きましたね。親のいない家に帰ったときの空しいような切ないような気持ちを思い出しましたね。

次の曲は娑婆に帰ってから作った歌「春風の乙女」です。帰ったとき、親戚の小学校の娘らが、毎日競うように我が家に来て学校のことを話してくれたり、毎日5キロくらい走るのに着いてきてくれた。その子たちをイメージしてつくりました。 **〈演奏歌唱タイム〉**

◆数えきれない位いる私の恩人

私の恩人は数えきれない位います。一人は、1審で無期懲役判決が出た後、拘置所に面会にきた柴田五郎さんという弁護士さんです。「何やったか言ってみろ」というので「窃盗しました」というと、チェッと舌打ちする。「なぜ自白した」というので、これこれと説明するとまたチェッと舌打ちする。最後に「この事件は裁判で勝てないから、社会に訴えろ」という。

弁護士が裁判で勝てないとは、なかなか言わないでしょう? 変わってる弁護士だなと思いましたね。その後、国民救援会を教えていただき、手紙を書きました。もちろん返事はすぐには来ない。するとまた柴田弁護士が面会にきて「手紙だしたか?」ときく。「出しました」「返事は?」「まだです」「また手紙書け」と言って帰る。

柴田弁護士の言うとおり、裁判では勝てませんでした。11年裁判やって無期懲役が確定して千葉刑務所に送られ、それから44年かかって勝ったので、柴田先生の言う通りだった。冤罪に関わる弁護士は沢山いますが、刑事裁判で負けてから、自分でイニシアティブを取って再審をやろうという弁護士はなかなかいない。でも柴田先生は違った。「おれは桜井と杉山と同じで無期懲役を受けた。再審をやる」と言って下さった。あの先生がいたから、今の自分があると思います。

柴田先生はもうお亡くなりになったが、古い弁護士も新しい弁護士もみんな同じ、先生と呼ぶのはやめようとなり、思想信条関係なく「布川事件をやろう」と声をかけてくれ、広い心でやってくれた。あの先生と出会えなかったら、救援会とも出会えなかったし、高橋勝子さんとも出会えなかった。このかっちんという女性がまたいい人で、彼女の5月の誕生日に「五月の空に」という曲をプレゼントしました。聞いてください。 **〈演奏歌唱タイム〉**

じつはかっちんも癌で、東京で開催される出版記念パーティーにも来られないというので、ちょっと胸がつまってしまいました。プロじゃないですね。今日は皆さんにお金を出して参加して貰っているのにね。踏んだり蹴ったり殴ったり(笑)。すみません。許してください。

自分は演歌が好きで、刑務所でも良く口ずさんでいました。社会に帰ってきたとき、ヤクザになっていた友達が「昌司、ヤクザなんてしょせん金だ。汚い世界だ。辞めたいがなかなか辞めれない。お前が羨ましい」と言っていました。

最後は堅気になって、自宅で焚火をして火が飛んで火傷して入院したら癌が見つかり、3ケ月で亡くなった。彼とカラオケにいくといつも「昌司、歌ってくれ」という曲。ああ、涙出てきた。いい奴でした。では「若いふたり」。聞いてください。 **〈演奏歌唱タイム〉**

◆拘置所に入っている11年間は歌えなかった

彼が死んで11年。本当に骨と皮になって死んでしまいました。阿修羅って知ってます? 髪がもじゃもじゃで、今にも日本刀持って飛び出しそうな顔で、彼はそんな顔で死んでました。私は「寝ろ、寝ろ」と言ってしまいました。死に顔って凄いですよ。笑って死んでいる人も2人見ましたが、やっぱり生きたように死んでいくのではないかと思いました。多分、私は笑って「幸せだったな」と死んでると思います。死んだらぜひ会いにきてください(笑)。

次は北島三郎さんの「川」。私は歌に自信があったんですね。ところが拘置所に入っている11年間は歌えなかったので、声が出なくなった。千葉刑務所に移ってのど自慢大会に出たが、全然だめで鐘が2つしか鳴らなかった。おかしい、おかしいと思っていて、もうすぐ娑婆に出るというとき、この「川」を歌ったら突然すっと声がでた。「あれ、出るんじゃん」と思い、そのあとののど自慢大会では風邪ひいて、準優勝でしたが、そのときの思い出の歌です。聞いてください。 **〈演奏歌唱タイム〉**

◆社会に戻って24年、なんて社会って楽しいのか

皆さん、刑務所ではお酒飲めないのは知っていますよね。私は20歳のとき逮捕されたので、そんなに飲みたいとは思いませんでした。それまでも酒飲んで酔って騒ぐだけで、美味しいとか思いませんでしたから。娑婆に戻ってビールで乾杯しましたが、苦くて不味いと思いましたが、1ケ月たたないうちに、あっというまに「美味しい」と思えてきた(笑)。

11月14日に帰ってきて、12月4日から働き始めた。楽しかった。刑務所では走ったら怒られるが、娑婆で土方やったら、重いものを持ったら仲間が喜ぶし、身体も鍛えられる。汗かいて気持ちいいしビールが美味しいし、金も貰える。天国だと思った。なんて社会って楽しいのかと。社会に戻って24年になりますが、楽しいことばかり。悲しいことってあったかな? 去年ちょっとありましたが、それ以外全て楽しいことばかり。こんなんでいいのでしょうか? やはり29年間刑務所で不自由を味わい、いつも自由をみつめてきたから、自分が自由で何でも出来るということが本当に幸せです。

多分みなさんは刑務所の不自由を知らないから、自由は当たり前になっている。でもその自由の尊さをいつも有難いと思って生きられるのは、こんなに嬉しいことはない。だから29年、刑務所に入れて頂いたことに心から感謝しています。嘘ではありません。本にも書きましたが、私は真犯人なんか何も興味はない。人間というのは、自分のやったことを決着できるから生きられる。決着できないで、自分の中にずっと持ち続け生活していくということは、辛いことだと思う。

自分自身も決着できないことが2、3個あります。清算しようと思っても出来ない。でもその苦しさは本人しかわからない。真犯人が人を殺した事実は消えようもない。自分は昔泥棒しました。この事実は消えない。もしその泥棒で誰かの人生が変わったら、取り返しがつかない。犯罪とはそういうことだと思ったら、真犯人が逮捕されず刑務所に行かなかったら、「あんた気の毒だね」と考えてしまう。決着つけたら、また違う人生があったかもしれない。何、話してたんだっけ? 酒の話ですね。1週間前、金(聖雄)監督らと飲んで楽しかったなあ。(金監督、桜井さんにビールを届ける)。「酒よ」を歌う前に少し飲みます。では聞いてください。 **〈演奏歌唱タイム〉**

先月初めて腸に再生を示す数値がでてきました。再生が始まった。皆さんはトイレが普通でしょうが、私の場合は普通でなかったが、この頃普通に出るようになった。出血もほとんどなくなった。もし自分が治ったら「癌は治りますよ」と言って、教祖様になってしまいますね(笑)。最初は本当に死を覚悟して、こんなに幸せだったからもう死んでもいいやと思ったが、本当に皆さんに感謝しかありません。これからもう少し頑張りますという気持ちで、刑務所にいるとき作った演歌「屋台酒」を歌います。(つづく)


◎[参考動画]MICSUNLIFEが恩師に捧げる/ありがとう。(桜井昌司Ver.) 男性3人で構成する音楽ユニット「Mic Sun Life」のリーダーSUN-DYUさんこと土井佑輔さんも、泉大津コンビニ強盗事件の冤罪被害者で、無罪を勝ち取ったのち、仲間と冤罪撲滅ライブなどを開催している

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号
『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

選挙0勝4敗の菅自民党 政権交代の危機に、菅おろしが始まるぞ 横山茂彦

選挙速報である。北海道と長野の補選、広島再選挙、名古屋市長選で自民党の敗北が確定した。0勝4敗だが、そのうち北海道2区は自民党員の個人的な立候補である。おもな候補者名と23時現在の当落をお知らせする。

【衆院北海道2区補選】
〇当確 松木謙公(62) 立民(国民・共産・社民推薦)
    山崎 泉(47) 維新
    斉藤忠行(29) N教党(旧N国党)
    長友隆典氏(52)自民党員

※衆院北海道2区の補選は、自民党が候補者の擁立を見送ったことで、野党候補松木謙公の圧勝に終わった。開票5分後には当選確実が決まる。


◎[参考動画]衆院・北海道2区補選 立憲・松木謙公氏が当選

【参院長野補選】
〇当確 羽田次郎(51) 立民(国民・共産・社民推薦) 
●    小松 裕(59) 自民(公明推薦) 
    神谷幸太郎(44)N教党

※参院長野選挙区は羽田雄一郎元国交相の死去にともなう補選で、弟の羽田次郎が当選。弔い選挙でもあり、当初から野党の圧勝が予想されていた。北海道と同じく、開票5分後に当選確実となった。


◎[参考動画]参院・長野選挙区補選、立民・羽田次郎氏が当選確実

【参院広島再選挙】
〇当確 宮口治子(45) 諸派(立民・国民・社民推薦) 
●    西田英範(39) 自民(公明推薦) 
    山本貴平(46) N教党

※河井案里の当選取り消しをうけて、再選挙となった広島参院選挙区は、与野党の一騎打ちとなったが、野党候補宮口治子の勝利に終わった。県連会長の岸田文雄政調会長にとって、厳しい結果となり、ポスト菅の一番手から大きく後退した。


◎[参考動画]宮口はるこからのメッセージ(4.25 広島 参議院再選挙候補)

【名古屋市長選挙】
〇当確 河村たかし(72) 減税日本 
●    横井利明 (59) 無所属(自民・公明・立民・国民・連合愛知推薦) 

※河村たかしと横井利明の事実上の一騎打ちとなった名古屋市長選挙は、選挙につよい河村の勝利となった。大村秀章愛知県知事リコール運動における、署名の大量偽造に加担した説明責任もないままの当選となった。大阪における維新の基盤の強さとともに、地方政権の独自性は、それとして尊重されるべきだろうが、偽造署名はあまりにもみっともない。


◎[参考動画]名古屋市長選が投開票 現職の河村たかし氏事務所の様子(2021年4月25日)

総選挙の前哨戦、政権交代も展望される選挙の年は、第2ラウンドで自民党が敗北する結果となったのである。すでに山形県知事選挙、千葉県知事選挙、北九州市議選で大敗し、政権交代への流れが出来つつある。新聞各紙、テレビ局の支持率では40%を維持している自民党が、なぜか選挙では勝てない。

第3ラウンドである東京都議会選挙を前に、自民凋落の理由を分析しておく必要があるだろう。

55年体制(自民党成立)以降、これまでに政権交代は2度あった。一度目は1993年、日本新党(連立政権)の細川護熙政権。二度目は2009年、民主党の鳩山由紀夫政権である。

細川政権の場合は自民党の内部分裂、および新党ブーム(日本新党・新生党・新党さきがけ)があり、それ以前に社会党のマドンナブームによる躍進など、政治の流動化による大規模な政界再編がもたらしたものだった。

いっぽう2009年の民主党政権は、第一次安倍政権下2007年の消えた年金問題に端を発した自民党長期政権への批判だった。安倍政権の「お友だち内閣」閣僚のドミノ倒し的な不祥事、失言による交代、そしてそれを批判する民主党への期待が、07年の参院選挙における自民党の敗北へ。2008年の都議選における大敗、そして2009年の総選挙における歴史的大敗(民主党308議席・自民党119議席)へと結果したのだった。安倍の病因辞職から、選挙をへないまま福田康夫、麻生太郎と、短期政権がたらいまわしされることに、自民党支持層もふくめたNO!が突き付けられたものだ。

こうしてみいると、政権交代には理由があることがわかる。

◆安倍晋三復活への道すじ

ひるがえって、現状はどうだろう。コロナ禍に苦悶する菅政権は、オリンピック開催問題でゆきさきの見えない政治的危機を内包している。ちなみにオリンピックはIOCの存続(放映権収入)という前提から、無観客でも開催されるのは必至であろう。

政権不支持の要素としては、安倍政権時代の「森友・加計・桜を見る会」政治資金疑惑、アベノミクスが株主を潤おしても、庶民の生活に好況感がもたらされなかったことが挙げられる。まさに安倍晋三はコロナ禍とともに、みずからの旧悪が批判されることで、火だるまになるのを怖れて病因退陣したと指摘しておく必要があるだろう。

したがって、菅政権が一敗地にまみれたとき、そしてコロナ禍が免疫獲得で克服されたとき、「日本を再建する」というスローガンで再登板する可能性がある。菅では戦えない選挙も、安倍の復帰なら可能性があるといおうものだ。

ここから先は、政治家の容姿も問題になる局面だ。見るからに「貧相」で「辛気臭い」「華がない」菅では困る。現状の自民党の敗北は、じつはこのあたりが理由なのかもしれない。まことに残酷なことだが、政治家は容貌も政治なのである。
たとえば1989年の宇野宗佑政権で、宰相にふさわしくない容貌と女性問題が、漫画風刺されたのを思い起こせば、その後の宇野政権の参院選における敗北、二カ月での退陣も説明がつくであろう。

加えて、再三指摘してきた演説力のなさ。プロンプターがなければ、満足に正面を見ていられない会見、そして秘書官頼みのトホホな答弁。


◎[参考動画]国民投票法改正案、安倍前総理“早期成立を”

◆第3ラウンドを予測する

前述したとおり、第3ラウンドは都議選挙である。2009年の政権交代の前哨となったのが08年の都議選であり、いったん動きはじめた政権交代への流れは止め度を知らなかったものだ。

前回の都議選では、公明党の協力を得られなかった自民党が巻き返しに出るか、都民ファーストの会が前回の小池旋風からどこまで地域政党として地盤を築いたかが勝敗を左右するところだ。国政での政権交代をめざす立憲民主、国民民主、共産党、れいわ新選組は、地力が問われることになる。現在の立候補予定数、および( )内は現有勢力である。

自民党        59人(25)
都民ファーストの会  44人(46)
公明党        23人(23)
共産党        29人(18)
立憲民主党      27人(7)
東京みらい       3人(3)
国民民主党       3人(0)
日本維新の会      6人(1)
れいわ新選組      3人(0)
NHK受信料を支払わない方法を教える党 3人(0)
生活者ネットワーク   3人(1)
新風(自民)      1人(1)
自由を守る会      1人(1)

7月4日投開票の都議会選挙は、7月21日から競技が始まるオリンピックとかさなる。遅くとも告示日の6月25日には、オリンピック開催の概要が決まっているだろう。

すでにコロナの第三次緊急宣言によって、プロ野球と大相撲(5月場所)に無観客試合の要請があった。東京六大学野球は5000人限定だったところ、25日の開催から無観客となった。

このまま行けば、おそらくオリンピックは国民の大半が反対、にもかかわらず無観客で開催されるであろう。オリンピックが民意によるものではなく、IOCおよび各種競技団体、協賛スポンサー団体、何よりもアメリカ三大ネットワークをはじめとする放送局・広告業界のビジネスであるからだ。

民意を無視した利益優先の競技大会が、それでもスポーツの感動を生むのか、誰も中止を言い出せなかった無責任な茶番劇となるのか。そこはまさにJOCおよび東京都の運営の手際によるのかもしれない。参加する選手たちには奮闘して欲しいものだが、政治が利用してきたオリンピックに、ほかならぬ政治が翻弄される可能性が出てきたと指摘しておこう。(記事中敬称略)


◎[参考動画]自民党・二階幹事長 “東京五輪中止も選択肢” コロナ感染状況で(2021年4月15日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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