《深層詳報》五代目工藤會最高幹部裁判の福岡地裁「極刑」判決が意味するもの[後編] 「暴力団」は壊滅できるのか? 横山茂彦

◆民事提訴とその判決

昨日の工藤會裁判(刑事)につづき、民事についても触れておこう。

その前に、今回の裁判の弁護団のひとりに感想をいただいたので、簡単に触れておこう。「予想外の判決だった。死刑はないだろうという予想だった」ということである。

昨日の記事で「想定どおり」としたのは、ある意味では訳知りのミスリードになるかのかもしれない。事実吟味のない、とんでも判決であることは論証したとおりだ。メディアの反応も「組織のトップに初めての死刑判決」というものだが、こちらは事実を伝えているにすぎない。

さて、民事についても裁判所は「親分」に厳しい。歯科医師は野村悟ら4人に対し、総額約8400万円の損害賠償を求める訴訟を福岡地裁に起こし、2020年2月に和解している。和解金は明らかにされていないが、山口組や稲川会の事件の判例から考えて、請求の6割前後であろう。

元警部の民事事件では、3000万円の訴訟にたいして、1600万円の判決(福岡高裁)だった。工藤會側は控訴をしていない。

元漁協組合長殺害事件の遺族も「損害賠償命令制度」を利用し、総額7800万円の支払いを求める申し立てをしている。

この損害賠償命令制度が一般にも広がっているのは、暴力団追放センター(警察OBが天下る)による代理訴訟制度が完備したからである。

そしてここが、注視しなければならない問題である。暴追センターの権益が拡大することで、警察官の天下り(民間企業の警備員)が横行するのだ。そしてその利権は、掛声とは裏腹にヤクザ組織の温存へと結果すると指摘しておこう。

工藤會の頂上作戦が始まって足掛け7年になるが、元暴対本部長がその著書で明かしているように、工藤會は解体どころかその端緒についたに過ぎない。それというのも、地元採用の警察官たちは水面下で工藤會と結びつき、幹部たちも壊滅に追いやる気がないからだ。かれらにとって、工藤會は飯のタネなのだから。

◆上納金の課税問題

工藤會をめぐっては、上納金の扱いにもメスが入れられた。ヤクザの法人格は「任意組織」であり、国税が介入しないこともあって、事実上の「非課税」とされてきたものだ。つまりヤクザ組織とは、学会や会費制の同好会と同じなのである。指定暴力団である以上、国家がその存在を公認してもいる。

経済規模で一兆とも二兆円とも推定される、ヤクザ資金に国税の網を掛けるために、財務省と警察庁は試行錯誤してきた。

ところが肝心の国税職員が、ヤクザの事務所を訪ねられない。怖いからである。いっぽうでヤクザ組織の経理の透明化をもとめれば、ヤクザの合法性、存在意義を確固たるものにしてしまう。その意味でヤクザへの課税は、当局にとってアンビバレンツな課題だったのである。

そして、暴対法および暴排条例に盛り込まれなかったヤクザへの課税が、今回の工藤會裁判(別件)で問われることになったのだ。

すなわち、個人への課税である。上納金(本家運営費)を個人口座に入れていたことで、野村被告の「個人所得」としたのだ。以下は、判決内容である。

「特定危険指定暴力団工藤会(北九州市)の上納金をめぐり、約3億2000万円を脱税したとして所得税法違反罪に問われた同会総裁野村悟被告(74)について、最高裁第3小法廷(宮崎裕子裁判長)は18日までに、被告側の上告を棄却する決定をした。16日付。懲役3年、罰金8000万円とした一、二審判決が確定する。」(新聞記事)。


◎[参考動画]工藤会トップ“死刑判決” 裁判長に「後悔するぞ」(ANN 2021年8月25日)

◆ヤクザは壊滅するべきなのか?

さて、今回の工藤會裁判を機に、論壇でも暴力団政策をどうするのか、朝日新聞「オピニオン・フォーラム 耕論 消えゆくヤクザ」で福岡県暴追センター(警察OB)とアウトロー系のジャーナリスト、映画監督らがそれぞれの思うところを語っている。ひきつづき、工藤會裁判との関係で諸論を紹介、批評していきたい。

このうち「犯罪組織は壊滅すべきだ」とインタビューに応じているのは、藪正孝という元県警幹部(暴力団対策副部長・暴力団追放センター専務理事)である。
藪は地元採用組で、いわば叩き上げの刑事あがりである。つまり、キャリア組ではない。

この「犯罪組織」を数十年前の「過激派組織」「極左暴力集団」に置き換えてみれば、藪が言う警察権力の恣意性は明らかだ。ヤクザには犯罪者が多いが、警察官にも犯罪者は多いから、警察もヤクザと同じ「犯罪組織」だ、とわれわれは言うことも不可能ではない。いまは、それは措いておこう。

藪が専務をつとめる「暴力団追放センター」は、年間事業費7000万円という、税金からの補助金を柱にした資産18億の公益財団法人である。警察官から天下った専務理事の給料が、なんと月額48万円もの高額なのである。

つまり藪正孝という人物は、福岡県警から暴追センターに天下り、現役警察官時代以上の高給を得ているわけだ。そしてそういう人物が、公然と「工藤會は壊滅しない」と著書で語るところに、その相互依存関係は明白というべきかもしれない。追放運動を本気でやるのなら、税金を食い扶持にするのではなく、ぜひともボランティアでやってもらいたいものだ。

いっぽう、ヤクザ関連の著書が多い末広登(龍谷大学犯罪学研究センター嘱託研究員)は、暴力団離脱後の受け皿がないと指摘する。ここ9年間に組織を抜けた5453人のうち、就職者数は165人にとどまり、3%の元組員しか就職できていないというのだ。元暴5年条項というものがあり、組をやめても5年間は銀行口座、アパートを借りるなど、社会生活を送ることもままならないのだ。

ところが、上述の藪正孝は「希望する職種に就けないことはあっても、就職できなかった人はいません」という。どっちが本当なのだろうか。

映画「ヤクザと家族 The Family」を撮った河村光庸は、不寛容な社会が憲法に保障された基本的人権を軽んじている、と指摘する。

末広が指摘する「離脱後の検挙人数が、一般に比べて60倍以上」(警察庁)から考えれば、あるいは「元暴アウトロー」が特殊詐欺や覚せい剤事件に関与していることを考えるならば、ヤクザ組織の壊滅こそがヤバいのではないだろうか。組織の箍(たが)をはずれた元暴犯罪者を再選産しているのだから。

藪はヤクザが覚せい剤事件に関与するというが、ヤクザは公式には覚せい剤はご法度である。山口組が政界人・文化人とともに、覚せい剤撲滅運動に取り組んだ歴史(麻薬追放国土浄化同盟)を、藪が知らないわけではないだろう。

このように、暴力団(ヤクザはこの名称を名乗らない)と、われわれの社会がどう向き合っていくのか。その「解体・壊滅」はどのような道筋を辿るべきなのか、まだまだ一筋縄ではいかない課題なのである。

すくなくとも、凶悪犯罪の共謀の事実関係をなおざりにした判決が、極刑としてくだされた事実を刻んでおくべきであろう。


◎[参考動画]暴力団「工藤会壊滅」カギは”離脱・就労支援” 福岡県警(RKB毎日放送2021年8月25日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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《深層詳報》五代目工藤會最高幹部裁判の福岡地裁「極刑」判決が意味するもの[前編] 4つの事件の軌跡 横山茂彦

◆予想どおりの判決だが――

8月24日、五代目工藤會の最高幹部(野村悟総裁・田上不美夫会長)に対する判決が下りた。予想どおり極刑であった。福岡地裁足立勉裁判長は事件全てに関与を認定し、野村総裁に求刑通り死刑、田上会長に無期懲役(求刑無期懲役、罰金2000万円)を言い渡した。

弁護側は「証拠に基づかない、憶測による求刑を追認したもの」として、判決を批判している。ヤクザの場合は組織を離脱・現役引退がなければ仮釈放がないので、無期刑は終身刑と同義である。

罪名にかかる事件は、後述する4つである。

警察・検察と裁判所が「反社」というキーワードで連携した、裁判の判決そのもの評価にはさして意味がない。90年代の暴対法、2011年以降の排除条例いらい、暴力団裁判における重刑の流れは決まっている。

◎[関連記事]横山茂彦「工藤會野村悟総裁に極刑を求刑 証拠なしの裁判がいよいよ結審に」(2021年1月19日)

明確な指示や命令をしていなくても、子分の犯行に親分は責任を問われる。この強引な法的根拠は、民法の使用者責任である。

第715条(使用者等の責任)
1.ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。
2.使用者に代わって事業を監督する者も、前項の責任を負う。
3.前二項の規定は、使用者又は監督者から被用者に対する求償権の行使を妨げない。

この場合の「事業」とは、暴力団抗争や不法行為全般と認定されている(判例=?平成16(受)230 損害賠償請求事件、平成16年11月12日)。

上記1項の但し書きにある「使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をした」としても、暴力団特有の親分子分の絶対服従の関係で、子分はその意向を無視できない。ということになるのだ。

かなり曲解をしないと無理だが、とにかく暴力団裁判ではこう推認される。親分にその意志があれば、子分はそれを忖度して犯行におよぶ。よって、犯行は親分の責任であると。

ヤクザ排除の背後に警察利権、たとえばヤクザからシノギを奪い、警察OBの再就職警備業務を民間に拡大する思惑があるとしても、暴力団排除は時代の趨勢である。

上記のような曲解にもとづく裁判が行なわれるのも、警察権力に唯々諾々としたがう裁判所の倣いであろう。そして国民はそれを支持する。伝統的な任侠道それ自体が、もはや過去の遺産なのだといえよう。

ヤクザの存在が過去のものと感じるのは、われわれ戦後世代にとって暴力は身近にあるものだったが、すでにそれは過去のものなのであろう。

父親や教師はふつうに体罰を用いたし、それは昭和の社会に是認されてもきた。いまや、口でつよく叱っただけでモラルハラスメント、パワーハラスメントの社会なのだから。

問題なのはメディアが警察の反社キャンペーンに迎合し、裁判にかかる極端な法運用に無批判なことである。使用者責任が一般の企業に適用された場合、経営者は事業にかかる被害の発生責任を、すべて負わなければならなくなる。あるいは政治的、恣意的な捜査が行なわれた場合、法律の歯止めが利かなくなる。これでは法治国家とは言えないだろう。

そしてジャーナリズムにおいては、事件の背景を知らないものがきわめて多い。警察当局の発表を鵜呑みに、暴力団対市民社会という構図でとらえがちである。実態は必ずしもそうではない。


◎[参考動画]北九州市の暴力団・工藤会トップらに判決「主文後回し」厳刑へ(福岡TNCニュース 2021年8月24日)

◆被害者は元山口組親分

まずは、個々の事件から解説しておこう。

1998年2月の元漁協組合長射殺事件
2012年4月の福岡県警元警部銃撃事件
2013年1月の看護師刺傷事件
2014年5月の歯科医刺傷事件

このうち1998年の被害者の「元漁協組合長」とは、元山口組梶原組組長の梶原国弘なのである。

じつは2013年12月にも、梶原の実弟の上野忠義(漁協組合長)が自宅前で殺害されている。そして2014年の歯科医死傷事件の被害者は梶原国弘の孫で、父親が現職の漁協組合長なのである。

つまり梶原家と工藤會の漁協の利権をめぐる紛争が、事件の背景にあったのだ。梶原国弘は山口組の代紋を降ろしたとはいえ、工藤會との関係では「ヤクザ同士」のシノギの関係にあり、孫の歯科医は「敵の弱い環を叩く」工藤會特有の戦術の犠牲者といえよう。

被害者の歯科医は一般市民だが、2014年には親族の会社社長が中学生を脅し、丸刈りを強いたとして強要容疑で逮捕されている。この親族の自宅から工藤會幹部の封書などが発見され、公共工事からの暴力団排除を目的に、親族が経営する建設会社名は公表されている。

この親族は前記漁協の理事でもあったが、この工藤會との交際が明らかになったことで辞任した。そして中学生を脅した席に、容疑者の親戚で北九州市議が同席していたことが、捜査関係者への取材でわかっている。何ともスリリングで危険な一族ではないか。およそ「一般市民」とは言えまい。

北九州の事件で、暴力団と一般市民という構造が紙面におどる背景には、この地域に特有の暴力的な体質がある。

18歳まで北九州市で育ったわたしの証言として、ふつうの市民がヤクザのように暴力をふるう。かつてはそういう土地柄であったことを知っておいて欲しい。たとえば2003年、工藤會組員が小倉堺町の「倶楽部ぼうるど」を手りゅう弾で襲撃したときは、複数の客が現場で組員を殺害している。過剰防衛と思われるこの殺害で、訴追された者はいない。客がヤクザよりも喧嘩に強く、殺されたのはヤクザだったのだ。


◎[参考動画]工藤会 最高幹部に判決へ(4) 求刑は死刑と無期懲役 4つの市民襲撃事件に福岡地裁の判断は?(福岡TNCニュース 2021年8月23日)

◆71年前の地元抗争と58年前の紫川事件

梶原組と工藤會の因縁は、じつに70年以上も前にさかのぼる。戦後混乱期の1950年のことである。草野一家(工藤組系)草野高明組長の実弟が、梶原組の組員に刺殺される事件が起きているのだ。この抗争は手打ちが成立せず、梶原組と草野一家の対立はつづいた。

1963年になると、梶原組が三代目山口組(田岡一雄組長)の傘下にはいる。このとき、小倉の安藤組と長畠組が、梶原組とともに山菱の代紋を受けている。北九州に山口組が進出したのである。

同じ年、山口組内菅谷組の菅谷政雄が北九州小倉に芦原興行社を設立し、工藤組の前田プロダクションの興行(北原謙二=歌手)に、力道山のプロレスをぶつけてきた。菅谷組の北九州進出は、山口組の若頭である地道行雄との権力争いがあったとされているが、いずれにしても山口組の枝の組織が大手を振って小倉を歩くのを、工藤組が看過するはずはなかった。

両者のいさかいは抗争事件に発展し、菅谷組が工藤組の前田国政(前田プロ)を射殺、工藤組の組員が山口組内安藤組の組員を拉致殺害し、紫川に放置するという事件に発展する。

事態を重くみた山口組田岡三代目が収拾に乗り出し、九州ヤクザの大物である大野鶴吉の仲介を頼んで手打ちとなった。のちに博多で起きた「夜桜銀次事件」で山口組と工藤組(および九州連合)が抗争寸前の事態となるが、このときも地道政雄の仕切りで和解している。以降、山口組は北九州から撤退する。梶原国弘がヤクザの看板を下ろしたのは、このような流れの中である。

※工藤會は工藤組から工藤連合草野一家(1987年)となり、現在の工藤會(1990年)と改称した。

◆元警部銃撃事件と看護師傷害事件

2012年の元警部銃撃事件は、もともと工藤會担当の刑事だった人物が病院の警備員に天下りし、これを組員が襲ったものだ。

実行犯の組員は検察側の証人尋問で、事件の約2週間後、指示役の工藤会系組幹部から北九州市小倉北区の組事務所で、現金50万円入りの封筒を渡されたと述べている。

同人は「こんなんもらうためにやったんじゃありません」と一度は返したが、組幹部は「いいから」と胸ポケットに入れてきたという。この事件の実行犯(元組員中田好信)の判決は懲役30年(事件3件)である。

2013年の看護師襲撃事件は、その背景がちょっと恥ずかしい。野村悟総裁が局部の外科手術を受けたさいに、看護師の軽口に腹を立てて組員たちに不満を述べたところ、それをおもんぱかった組員が犯行に及んだのだ。この事件については「女の娘(おんなのこ)を襲撃するとか、極道のすることやないです」と、工藤會幹部があきれた口調で語ったものだ。

先代の溝下秀男三代目は、芸能人や作家の局部増大手術を請け負った人である。なぜ生前にやってもらわなかったのか、事件の深層は奈辺にありそうだ。溝下が残した極政組の組長ほかふたりの幹部が、溝下没後に殺害されたのは誰のさしがねだったのか……。溝下のユーモアや深謀遠慮は敬称されず、過激な武闘路線のみが生きのこったのだ。(つづく)


◎[参考動画]【注目裁判の焦点】暴力団「工藤会」”死刑求刑”のトップに24日判決 福岡(RKB毎日放送 2021年8月23日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
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「張本騒動」と「宮迫騒動」が教えてくれたこと 片岡 健

先日、野球評論家の張本勲氏、お笑い芸人の宮迫博之氏という2人の著名人がその言動により世間から激しい批判にさらされた。批判の対象となった2人がとった事後的な対応は好対照だったが、2人の騒動は1つの教訓を示したように思う。

◆もう過去の話になった張本氏の女性蔑視発言

張本氏の発言は日本ボクシング連盟が正式に抗議する事態にまでなったが……(サンデーモーニングHPより)

まず、張本氏。女子ボクシングの入江聖奈選手が金メダルを獲得したことに関し、レギュラー出演するTBS系『サンデーモーニング』で2月8日、「女性でも殴り合いが好きな人がいるんだね」などと発言し、「女性蔑視だ」と批判された。張本氏はこれをうけ、「言葉足らずだった」と釈明したが、「見苦しい言い訳だ」と再び炎上。同15日の放送で改めて謝罪したが、番組が若い女子アナに謝罪文を読み上げさせたため三度、批判が集まった。

一方、宮迫氏。いわゆる「闇営業問題」でテレビに出演できない中、ユーチューバーとして活躍していたが、相方の蛍原徹氏と心の溝が埋まらず、ついに「雨上がり決死隊」が解散に。このことで「すべては宮迫が悪い」とばかりに大炎上。宮迫氏は事態を重く受け止め、改めてユーチューブで謝罪すると共に活動を休止した。

さて、こうして見ると、2人が起こした騒動はまったく異なるが、事後的な対応は宮迫氏のほうが「誠実」だったのは間違いない。張本氏の場合、最初の発言よりむしろ事後的な対応が「不誠実」だという印象を与え、批判された感もある。

では、騒動の後、2人がどうなったかというと、ここが興味深い。事後的な対応が「誠実」だった宮迫氏はいまだに活動を自粛中なのに対し、事後的な対応が批判された張本氏は現在、何事もなかったように問題の番組サンモニにレギュラー出演し続けているのである。

張本氏は22日放送のサンモニに出演中、暴力行為により日本ハムから巨人に移籍した中田翔選手に対し、「新天地で頑張って欲しい」とエールを送るようなことを言ったという。もはや自分の騒動など完全に忘れ、他人の心配をするまでに立ち直っているのである。

◆著名人の言動を批判する人たちというのは……

この2人の騒動が示した教訓、それは「世間の評判なんか気にしても仕方ない」ということだ。

張本氏、宮迫氏共にその言動が世間の人たちに批判されても仕方ない面はあったかもしれない。しかし、メディアの情報だけをもとに著名人の言動を批判するような人たちは、結局、その時だけ無責任に盛り上がり、すぐに自分が怒っていたことすら忘れてしまうのだ。

自分と無関係な人を不快にさせて何も問題ないということはないだろうが、大事なのは結局、自分が自分のことをどう思うか。世間の無責任な批判に対し、まともに取り合わなかった張本氏のほうが、深刻に受け止めた宮迫氏により早期に復活しているのを見ると、筆者は心底、そう思う。

人生は短い。他の誰かが自分の人生に責任を持ってくれるわけではない。他者の評判など気にせず、自分の人生を生きたいものである。

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

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【速報】横浜市長選挙 野党候補が勝つ! 菅総理の命脈が尽きた日 横山茂彦

◆開票前に、楽勝ムードは吹っ飛んでいた

横浜市長選は、4選を目指す現職の林文子氏(75)=自民の一部の市議が支援、新人の太田正孝氏(75)、田中康夫氏(65)、小此木八郎氏(56)=菅総理と自民市議が支持、坪倉良和氏(70)、福田峰之氏(57)、山中竹春氏(48)=立民推薦・共産支援、松沢成文氏(63)の7人の計8人が立候補し、野党共闘の山中氏が当選した。


◎[参考動画]【LIVE】横浜市長選 開票速報!「選挙をSHARE」(TBS 2021年8月22日)

◎2021横浜市長選挙 開票速報一覧(朝日新聞)

最多得票者が4分の1以上の票を得られなければ、再選挙になる可能性もあったが、野党の圧勝という結果だ。IRカジノ導入隠しによる自民楽勝の見通しをくつがえした格好だ。

じつは数日前の調査で、自民党公認の小此木氏の苦戦はつたえられていた。
「小此木氏の支援に入った自民党の国会議員はこう愚痴る。世論調査や期日前投票の出口調査をみると、なんと菅首相の地盤である衆院神奈川2区(横浜市)でも小此木氏が苦戦。現職の林文子氏(75)、山中氏が優勢という数字が出たという」(日刊ゲンダイ)

期日前投票の数値が、選挙結果をほぼ左右するのは選挙戦の常識である。あわてた自民党県連は現場をテコ入れしたが、市民の関心はカジノよりもコロナ感染対策にあったというべきであろう。

そのカジノ誘致問題も、自民党の姑息さが漏れ伝わることになり、あぶはち取らずの結果となったのだ。

◆IRカジノ隠しは通用しなかった!

小此木八郎候補は、国家公安委員長の職を辞して立候補した、自民党にとっては横浜市長選挙の隠し玉だった。

横浜市長選挙がIRカジノを焦点にしているのも確かである。喉に刺さったトゲというべきであろう。カジノ誘致では林文子前市長が「白紙から容認へ」と変節し、反対派の市民のみならず、ハマのドンこと藤木幸夫(横浜港ハーバーリゾート協会会長)の猛反発を生んでいたのだ。

そこで自民党と小此木氏は、カジノ導入反対の姿勢をとりつつ、個人的にも関係の深い藤木氏を取り込もうと必死だった。

だが早くから、その思惑は見透かされていた。IRカジノ反対派から、小此木氏は林市長と同じ「隠れカジノ容認派だ」と指摘されてきたのだ。自民党お得意の昭和の田舎選挙ならいざしらず、都会的な政治センスのある横浜市民が、欺瞞的な公約を見破らないはずがない。

そして、取り込んだはずの藤木幸夫氏も「横浜で負けて、菅政権は終わりだ」と公言していたのである。

◆やっぱり菅総理では選挙は勝てない

支持率の低下がいちじるしいわが菅義偉総理は、7月下旬には横浜市内で配布されたタウン誌で小此木氏支援を表明していた。

市長選レベルで総理が支持を明確にするのは、地元とはいえ異例中の異例である。さらに菅総理は有権者に「衆議院議員菅義偉」の名で小此木氏を支持する文書を送付する力の入れようだった。

国会議員補欠(再)選挙では3連敗。知事選挙でも連敗をかさね、党内から「菅さんでは総選挙は戦えない」という声がつよくなっていたところに、ダメ押しのような地元での敗戦である。

コロナ禍の悪化もあって応援演説にこそ駆けつけなかったが、もしも足を運んでいたら政治生命は終わっていただろう。菅が来たから負けた、と。

◆公明党の集票力に陰り

今回の選挙では、公明党の集票力にも陰りがみられた。その典型は横浜(神奈川6区)の遠山清彦元衆議院議員であろう。緊急事態宣言中にもかかわらず、銀座で飲み歩いていたことがバレ、議員辞職に追い込まれたのは記憶に新しい。

のみならず、元秘書の不正融資にかかる容疑で自宅と事務所の家宅捜査を受けているのだ。この公明党議員の「自民党政治家化」に、創価学会幹部は危機感をつよめているという。そしてこの遠山元議員も例にもれず、IRカジノ推進派なのである。こうなると、横浜菅王国の崩壊というべきかもしれない。

もはや菅総理には、9月の早い段階での総理大臣辞職しかない。自民党総裁の座にしがみつくことで「菅おろし」と言われる惨めな末期を遂げ、党史に芳しくない名を残すのか、それとも後継指名をすることで党内に政治的影響力を残すのか。道は二つしかないのだ。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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格闘群雄伝〈22〉甲斐栄二 ── 柔道が基礎、強かった背負い投げ風パンチ!  堀田春樹

◆柔道の達人

甲斐栄二(かいえいじ/1959年8月19日、新潟県佐渡ヶ島出身)は柔道で鍛えたパワーとテクニックで独特のKOパターンを確立し、そのハードパンチは上位を倒す厄介な存在として注目を集めた。

試合ポスター用に撮られたベルト姿(1986年5月25日)

甲斐は「現役時代はそれほど練習した方ではなかったよ!」と謙遜するが、その基礎となったのが学生時代の柔道。全国高等学校総合体育大会の新潟代表にもなった技術が、キックボクシングでの飛躍に大いに役立っていた。

柔道では「山下泰裕さんとも対戦したことがあるけど、あっと言う間に投げられた!」と笑って言う。

キックボクシングとの出会いは、柔道整復師の資格を取得するため、高校卒業後に仙台の専門学校に通っていた時に「キックボクシングをやりたい!」と言う友人に誘われ、仙台青葉ジムに見学を同行した。瀬戸幸一会長に「キミもやってみないか?」と言われ、興味を持ったことからすぐに入門した。

◆脅威の存在

甲斐栄二は1979年(昭和54年)1月デビュー。4戦目でランク入り。1981年1月にはノンタイトル戦ながら早くもWKA世界ライト級チャンピオン、長江国政(ミツオカ)と対戦。同年5月25日には宮城県で全日本フェザー級チャンピオン、酒寄晃(渡辺)にタイトル初挑戦。いずれも判定で敗れたが、当時の名チャンピオンと対戦する機会に恵まれ、将来を嘱望されていた。

1983年には二人の元・日本ライト級チャンピオン、須田康徳(市原)と千葉昌要(目黒)を右アッパーで次々とKO。この後も甲斐の実力はチャンピオンクラスをKOする脅威の存在となりながら業界は最低迷期。同時期、酒寄晃と再戦もあったが激闘となりながら惜しくも倒された。甲斐に限らず、どの選手も目標定まらず、モチベーションを持続させるのも難しい時代だった。

酒寄晃には今一歩及ばずも強打は唸った(1983年9月10日)

甲斐はビジネスの都合もあって上京。半ば引退状態の中、業界低迷期を脱した時期の1985年7月、ニシカワジムに移籍した甲斐は再び開花。復帰戦ではブランクは関係無いと言える鋭い動きを見せ、越川豊(東金)をまたも右の強打でぐらつかせ、連打で倒した。

甲斐の強打で越川豊をKO(1985年7月19日)
須田康徳には勝利寸前も逆転KO負け(1985年9月21日)

1986年1月には日本ライト級タイトルマッチ、チャンピオンの長浜勇(市原)に挑戦し、頬骨を陥没させる強打でKOし王座奪取。相変わらずのハードパンチャーの脅威を示した。

しかし、追う者から追われる者へ立場が変わるとハードパンチも研究され苦戦が続いた。

同年7月、斉藤京二(小国)との初防衛戦は、やはり狙いを定めさせず、サウスポースタイルに切り替えて来た斉藤を捕らえきれずドロー。11月の再戦では一瞬のタイミングのズレに斉藤の左フックを食って4ラウンドKO負けして王座を奪われた。これで引退を決意したが、翌1987年7月、全日本キックボクシング連盟復興興行に際して国際戦出場を要請され、ロニー・グリーン(イギリス)と対戦も1ラウンドKO負け。9年間の充実したキック人生に幕を下ろした。

◆ハードパンチャーの原点

甲斐栄二は30戦19勝9敗2分のうち、17KO勝利はすべてパンチによるもの。ハイキックも多用したが、蹴りのKO勝ちはひとつもなかった。名ハードパンチャーも「一度はハイキックでKOしてみたかった!」と唯一の心残りを語っていた。

甲斐は元から右利きで、当然ながらジム入門後も右構えで基本を教えられた。しかし元々、柔道で鍛えられて来た経験はキックの右構えに違和感を感じていた。それは柔道の右構えは右手・右足が前に出るキックの左構えに相当したことだった。

斉藤京二第一戦は互いが警戒した中の引分け(1986年7月13日)
チャンピオンとしてリングに立つ甲斐栄二(1986年11月24日)

1983年に須田康徳(市原)を倒した時の甲斐は実績では劣り、勝利はフロックと言われた。余裕の表情のベテラン須田に、右構えからいきなり左にスイッチし、背負い投げを打つ要領で、右アッパーが須田のアゴを打ち抜くKO勝利を掴んだあの瞬発力は柔道仕込み。元々背負い投げが得意だった甲斐は、反則ながら時折、背負い投げも仕掛けたが、右構えでも左構えでも戦えるスイッチヒッターであった。1985年9月に須田と再戦した時も、強打でKO寸前のノックダウンを奪うも、須田の猛攻を受け逆転KO負けしたが、前回の勝利はフロックではないインパクトを与えた。

甲斐は「柔道は空手よりキックボクシングに向いているのではないか!」と語る。腕力と握力、肩と腰の強さ、どの角度からもパンチが打ちやすい柔軟さで戦える柔道の基本は有利だという。

甲斐は身長が162cmほど。「過去のライト級では、俺が一番背が低いチャンピオンだろうなあ!」と笑うが、柔道で培った技術をキックボクシングで最大限に活かし、身長差の影響も感じさなかった。

甲斐栄二の戦歴の中には、1981年に翼五郎(正武館)と引分けた試合があるが、甲斐は総合技ミックスマッチでの再戦を申し入れたという。翼五郎はプロレス好きで、投げを打ち、縺れた際には腕間接を絞めに来たり、足四の字固めを仕掛けたこともある話題に上る曲者だった。当時、総合系格闘競技は無く、一般的にも競技の範疇を超えており、当時所属した仙台青葉ジムの瀬戸幸一会長も取り合ってくれなかったという。

タイ旅行の途中、ムエタイジムを訪れて、久々のサンドバッグ蹴り(1989年1月7日)

◆仲間内

一時ブランクを作り、上京後に復帰を目論んでいた頃、ニシカワジムに移籍する経緯があったが、西川純会長に現役を続ける場を与えてくれた恩は、後に甲斐栄二氏は「意地でもチャンピオンになって西川さんへ恩を返したいと思った!」と語っていた。最後のロニー・グリーン戦は引退を延ばし、最後の力を振り絞っての出場も西川会長への恩返しだっただろう。

ジムワークでは後輩に対し、怒鳴る厳しさはないが、技の一つ一つに「こうした方がいいよ!」など見本を見せて細かいアドバイスをしてくれる先輩だったという後輩達の声は多い。練習時間以外では明るい笑い声で周囲を和ますのが上手。ジム毎に独特のカラーがあるが、ここでは甲斐栄二氏がムードメーカーとなる存在だった。

当時、一緒に練習していた赤土公彦氏は「甲斐さんがスパーリング相手をして頂いたことがあるのですが、手加減してくれていたのに、ガツンとくる重いパンチで、瞼の上が内出血して青タンになったことがあり、やはり凄いキレのあるパンチと実感しました!」と語る他、「甲斐さんは踏み込みのスピードが凄く速くて、蹴りも凄く重いんです!」とその体幹の良さが垣間見られるようだった。

でも「ローキックはカットされると痛いから蹴らないよ!」と甲斐さん本人が笑って語っていたらしい。

引退後は現役時代から勤めていた市川市の不動産会社を受け継いで、社長となって責任ある立場で運営に携わっていた。

後進の指導など業界に残る様子は全く無かったが、後々に出身地の佐渡ヶ島へ里帰りされた模様。現在が現役時代だったら、甲斐栄二氏の柔道技を活かした総合格闘技系の試合出場を観たいものである。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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デジタル庁発足の背後に潜む巨大な問題 ── 平壌からの手紙 LOVE LETTER FROM PYONGYANG〈2〉 小林蓮実

7月7日、よど号メンバー・魚本公博さんから届いた『紙の爆弾』6月号「地方で考える この社会と私たちの生活の行く先」への感想と、解説とを投稿した。彼らとの「往復メール書簡」第2回目は、デジタル庁発足と、その背景に何があるのかということを取り上げる。

ノートパソコンに向かうよど号メンバー・魚本公博さん(平壌「日本人村」にて、よど号メンバーが撮影)

◆魚本さんからの問題提起 「データ主権なきデジタル化とは」魚本公博

9月1日にデジタル庁が発足する。コロナ禍で露呈した「デジタル敗戦」をテコに、デジタル化が急速に進められようとしている。

今やデジタル化なしに国の安全保障・軍事・外交・経済は考えられず、人々の暮らし、働き方など、社会のあり方も変える。デジタル庁はその司令塔。内閣直属でトップは首相だ。人員は500名ほど。菅義偉首相はこれを「規制改革のシンボル」と言い、担当する平井卓也氏は「今までで一番大きな構造改革」と位置づける。

新聞などは、このデジタル化の問題点について、人材不足、縦割り(縦割り行政の弊害)、横割り(国と地方自治体のシステムの不統一)、デジタル庁に出向する民間人と業者の癒着の可能性、さらには個人情報保護の問題、デジタル格差の問題などを指摘する。

確かにそれも問題だ。しかし1番の問題は、「データ主権」ではないだろうか。デジタル化において「データ」が決定的だからだ。政府や識者も「決定するのはデータ」「データこそ成長エンジン」と指摘している。

そのデータに対する主権はどうか。日本政府の立場は「国を超えた活用」。日本は、TPP交渉の過程で米国が要求する「国境をまたぐデータの自由な流通の確保、国内でのデータ保存要求の禁止という原則」を受け入れている。すなわち、日本はデータを国内で保存・管理することを禁止し、その全てを米国の巨大IT企業(GAFAなど)に提供するということだ。

すると、日本のデジタル化は、米国の巨大IT企業がおこなう。人材もその関係者であり、彼らが日本を運営し、個人情報もその管理下に置かれる。まさに、デジタルを使った日本の米国への組み込み。そのための、「かつてない構造改革」だ。そんなものを許せば、日本は一体どうなるのか。

そして注目してほしいのは、ここで地方が重要視されていること。前回の「平壌からの手紙」(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=39411)で指摘したように、政府ファンドをつくり、地方の銀行や企業に人材が派遣されるのだ。自治体を企業統治の方法で管理する。あるいは上下水道や交通、公共施設などの運営権を米系外資に譲渡するコンセッション方式。これらがデジタル化の名で急速に進められる。

デジタル化自体は、これからの日本の発展、地方の発展にとって必要不可欠だ。問題は、それを誰がやるか。「データ主権」を米国に譲渡すれば、日本のデジタル化は米国が手がけることとなる。

今、各地で地域振興がさまざまな形でおこなわれている。その血の滲むような努力を米国に売り渡すかのような政府のデジタル化策。何としても「データ主権」を打ち立て、その下で地域住民が主体となり、デジタル技術を活用して地域を振興すること。それが、切実に求められている。

「デジタル庁(準備中)Webサイト」(https://www.digital.go.jp/)

◆デジタル化の背後に潜む「権力」と「金」

デジタル改革関連6法が5月の参院本会議で可決・成立したことを受け、内閣直属でデジタル庁が9月1日に発足する。魚本さんが触れたように地方自治体の行政システム統一化のほか、各省庁にまたがるIT調達予算の一元化、マイナンバー活用の拡大なども手がけ、行政手続きのオンライン化推進や利便性向上を目指す。

マイナンバーは監視の色合いが濃いと考えていてわたしは反対なので、いまだマイナンバーカードも入手していない。ただし、地方行政に関わり、デジタル化の遅れや厳しすぎるセキュリティ、縦割り行政の弊害を受け、日々、悪戦苦闘を強いられている立場でもある。

たとえば韓国などは住民登録証が長らく活用されているが、このルーツは朝鮮のスパイを割り出すためだったという話もある。ただし、現在では、この制度は穏健に使われている印象もあるのだ。いっぽう日本では、情報漏洩の報道がしきりになされる。それ以前に、政府や与党に対する不信感が大きく、デジタル化にも不安や疑念ばかりが大きくなりがちだ。この現在の政治への不信感は、福祉をはじめ、さまざまな政策に影響するものであり、そもそもは政権交代がなされなければ、まともな政治運営は期待できない。

さて、デジタル化だが、新型コロナへの対応に関し、「デジタル敗戦」という表現が誕生した。これは、デジタルを活用したアプリやサービスがまったく使えないものだったということが背景にある。

デジタルはうまく活用すれば大変便利なものであり、いまやなくてはならないが、そもそもセキュリティに関して個人的には、十数年前に仲間との話し合いから、「情報を抜こうと思えばいくらでもどこからでも抜かれる。その覚悟が必要だ」という結論に達したことがある。以降、そのつもりで活動しているのだ。

デジタル庁の「発足時の人員は非常勤職員らを含め約500人」とのこと。これまでを鑑みれば、またもや竹中平蔵が会長を務めるパソナグループなどに大量の金が流れることを懸念せざるを得ない。しかも、新たな省庁の発足に民間はともかく非常勤職員を大きく想定することが当然となったこと自体に対し、わたしたちは疑問を投げかけるべきだろう。

ちなみに、縦割り行政の弊害に関しても、わたしは移住以降、痛感している。最近、若手が横につながり、いろいろなことが進められるようになった。若手であれば、デジタルに関する問題も起こりにくい。これは致し方ないことかもしれないが、デジタル・ディバイド(インターネットやパソコン等の情報通信技術を利用できる人と利用できない人との間に生じる格差)の解消は必要だ。これらは、やはり行政の個別の対応や民間のサービスなどによって、地道に取り組んでいくしかない。他方からみれば、広いビジネスチャンスでもある。だからこそ、「悪用の余地」には注意が必要だ。

「データ主権」については、まさに『紙の爆弾』6月号の誌面で、「インターネットによる情報革命で、デジタルが発展し、仮想通貨も生まれた。通信網としてはケーブルや衛星、ワイヤレスなどの技術が用いられているが、これらはそれぞれ独自に進化し、統一できていない。するとプラットフォームをつくった人が儲けることとなり、GAFA(Google・Amazon・Facebook・Apple)が台頭した」と記した通りだ。また、アメリカ国家安全保障局 (NSA)の国際的監視網(PRISM)の実在を告発したエドワード・スノーデンがロシア国籍を申請したことなども思い出される。ビッグデータを筆頭に、「データこそ成長エンジン」かどうかはともかく、個人に関するあらゆる情報を誰が握るのかという問題になるのだ。

そもそも、本来的な独立を果たしておらず、敗戦後の処理が完全には済んでいない日本。しかも、アメリカの企業にデータを管理されていることに疑問を抱かなくても、韓国との関連でLINEについては騒ぐなど、国内は不思議な状況になっている。左派のなかでも、Facebookはフル活用されているが、これすら絶対に使わないという人もいる。現実としては、おそらく「情報を抜こうと思えばいくらでもどこからでも抜かれる」。だから、どこが情報管理について甘いのか、どこからどんな情報を抜かれることがおそろしいことなのか、どこがわたしたちに対する権力をふるっているのかを考えなければならない。

デジタルを口実にした地方への企業などの進出は、容易に想像できる。地方は都会やデジタルに弱く、東京の企業のプレゼンテーションや売り込みの内容は理解しなくても、行政の担当者も仕事をしている姿勢をアピールしやすくなることもあり、それに乗っかることは理解できる。つまり、市民の声に耳を傾け、市民も、市民の1人である行政もともに考え、物事を進めていかなければ、いいカモにされるだろう。そこから、地方は崩壊の一途を辿りかねない。

わたしたちは、戦後の社会民主主義的な政治から変わり、ネオリベラリズムが進められていることを、自覚しなければならない。あらゆる事柄について、情報を収集し、考え、意見を交換し、行動へと結びつけていかなければならない時に来ているのだ。

先日、デジタル庁の事務方トップ「デジタル監」に、米マサチューセッツ工科大(MIT)メディアラボ元所長・伊藤穣一氏を据える方針が固められた途端、富豪で少女らへの性的虐待などの罪で起訴されたジェフリー・エプスタイン元被告(拘留中に死亡)から伊藤がメディアラボ所長時代に多額の資金援助を受け、それを匿名化しようとしていたことが報道され、辞任に追い込まれた。実際にリーダーとして起用される人物が、どのような面々となるのか、どこに金が流れていくのか今後、注目したい。

デジタル庁>採用情報>中途採用「デジタル庁の創設に向けて人材募集中。」>「第三弾・中途採用の募集を終了しました」より

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性運動等アクティビスト。個人的には、労働組合での活動に限界を感じ、移住。オルタナティブ社会の実現を目指す。月刊誌『紙の爆弾』9月号には、巻頭「伊藤孝司さん写真展『平壌の人びと』から見えてくる〝世界〟」、本文「写真、発言、映画が伝える『朝鮮の真実』」寄稿。

【伊藤孝司写真展「平壌の人びと」&関連イベント】
この写真展関連のトークイベントに、筆者はオンラインからコメンテーターとして参加を予定。
[東京]8月24日(火)~9月5日(日)11:00~18:45(28日・29日は16:45まで)
Gallery TEN(東京都台東区谷中2-4-2)
https://fb.me/e/1bYYVkwH6

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特攻は志願制ではなかった ── 76年目に明かされる特攻隊の真実 テレビ朝日の終戦特番「不死身の特攻兵」の実相 横山茂彦

◆戦史は歴史観か、それとも史料になるのか

年々、新たになるのは古代史や中世史だけではなく、現代史においてもその中核である日中・太平洋戦争史でも同じようだ。今年の終戦特集番組はそれを実感させた。

 
『不死身の特攻兵(1)生キトシ生ケル者タチヘ』(原作=鴻上尚史、漫画=東直輝、講談社ヤンマガKCスペシャル2018年)

個人的なことだが、父親が予科練(海軍飛行予科練習生)だったので、本棚は戦史もので埋まっていた。軍歌のレコードもあって、聴かされているうちに覚えてしまい、昭和元禄の時代に軍隊にあこがれる少年時代であった。そういうわたしが学生運動にのめり込んだのだから不思議な気もするが、じつは両者は命がけという意味で通底している。

たとえば三派全学連と三島由紀夫へのシンパシーは、一見すると真逆に見えるが、三島研究を進めるにつれて、そうではなかったとわかる。自民党と既成左翼に対抗するという意味で、三島と三派および全共闘は共通しているのだ(東大全共闘と三島由紀夫の対話集会)。

つまり過激なことが好きで、戦争に興味があるのも、ミリタリズムへの憧れとともに、そこに人間の本質が劇的に顕われるからではないだろうか。およそ文学というものはその大半が、恋愛と戦争のためにある。

◆特攻は志願制ではなかった

戦史通には改めて驚くほどのことではないかもしれないが、テレ朝の「ラストメッセージ“不死身の特攻兵”佐々木友次伍長」は、戦前の日本人の死生観を考えるうえで興味深いものがあった。

その特攻隊は、陸軍の万朶隊という。日本陸軍は基地招集の単位で動くので、万朶隊は茨城県の鎌田教導飛行師団で編成され、フィリピンのルソン島リパへ進出した。そこで特攻隊であることを命じられ、岩本益臣大尉を先頭に猛特訓に励む。ときあたかもレイテ海戦で海軍が敗北し、フィリピンの攻防が激化していた。

最近の特集番組で明らかになったのは、特攻隊がかならずしも志願制ではなかったという事実だ。

従来、われわれの理解では部隊単位で各自に志願を問われ、全員が手を挙げて志願することで、特攻は志願者ばかりだった。と解説されてきたものだ。ところが、実態は「どうせ全員が志願するのだから、命令でいいだろう」というものだったようだ。

レイテ決戦のときの「敷島隊」の関行男中佐も「僕のような優秀なパイロットを殺すようでは、日本も終わりだ」と言い捨てたと明らかになっている。従来、敷島隊は「ぜひ、やらせてください」という隊員の反応(これも確かなのだろう)だけが伝わっていた。

 
大貫健一郎、渡辺考『特攻隊振武寮 帰還兵は地獄を見た』(朝日文庫2018年)

さて、特攻を命じられた岩本隊長は、ふだんの温厚さをかなぐり捨てて、大いに荒れたが、部下には「大物(空母や戦艦)がいないなら、何度でもやり直せ。無駄死にはするな」と命じていた。特攻の覚悟はあったが、暗に通常攻撃を督励していたといえよう。

岩本は特攻機を改造もさせている。特攻機は爆弾をハンダ付けし、機体もろとも突入することで戦果が得られる。爆弾を内装する爆撃機仕様の場合は、起爆信管が機体の頭に突き出している。

その「九九式双発軽爆撃機」の3本の突き出た起爆管を1本にする改造を行っている。このときに爆弾投下装置に更に改修が加えられ、手元の手動索によって爆弾が投下できるようになったのだ。

これは番組では岩本の独断とされていたが、鉾田飛行師団司令の許可を得てあったのが史実だ。

だが、その岩本大尉は同僚の飛行隊長らとともに、陸軍第4航空軍司令部のあるマニラに行く途中に、米軍機に撃墜されてしまう。万朶隊の出撃を前に、司令部が宴会をやるので招いたというものだ。

クルマで来るように指示したのに、飛行機で来たからやられたとか、ゲリラがいるのでクルマで行ける行程ではなかったとか、これには諸説ある。

◆9回の特攻命令

雨に祟られた甲子園大会も、なんとか再開したが野球のことではない。

9回特攻を命じられたのは、下士官の佐々木友次伍長である。佐々木は岩本大尉の教えに忠実に、大物がいなかったから通常攻撃(爆弾投下)で戦果を挙げていた。つまり突入せずに帰還したのである。

ところが、大本営陸軍部は佐々木らの特攻で「戦艦を撃沈」(実際は上陸用揚陸艦に損害)と発表し、佐々木も軍神(戦死者)のひとりとされていた。軍神が還ってきたのである。

第4飛行師団参謀長の猿渡が「どういうつもりで帰ってきたのか」と詰問したが、佐々木は「犬死にしないようにやりなおすつもりでした」と答えている。

第4航空軍司令部にも帰還報告したところ、参謀の美濃部浩次少佐は大本営に「佐々木は突入して戦死した」と報告した手前「大本営で発表したことは、恐れ多くも、上聞に達したことである。このことをよく胆に銘じて、次の攻撃には本当に戦艦を沈めてもらいたい」と命じた。

 
鴻上尚史『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(講談社現代新書2017年)

ようするに、天皇にも上奏した戦死なので「かならず死ぬように」というのだ。機体の故障、独断の通常攻撃、出撃するも敵艦視ず、また故障。という具合に、生きて還ること9回。正規の命令書に違反しているのだから軍規違反、敵前逃亡とおなじ軍法会議ものだが、なにしろ岩本大尉の「無駄死にするな」という命令も生きている。戦果も上げる(突入と発表される)から故郷では二度まで、軍神のための盛大な葬式が行なわれたという。詳しくは、鴻上尚史『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(講談社現代新書2017年)を参照。
そうしているうちに、フィリピンの陸軍航空団もじり貧となり、第4航空軍の富永恭次中将が南方軍司令部に無断で台湾に撤退した。この富永中将は特攻隊員を送り出すときに「この富永も、最後の一機に乗って突入する」と明言していた人物である。

海軍の特攻創始者である大西瀧治郎は、敗戦翌日に介錯なしで自決。介錯なしの自決には、陸軍大臣阿南惟幾も。連合艦隊参謀長(終戦時は第5航空艦隊長官)の宇垣纏は、玉音放送後に17名の部下を道連れに特攻出撃して死んだ。

本当に特攻は有効だったのか、アメリカ海軍の記録では通常攻撃の被害のほうが大きかった。というデータがあり、従来これはカミカゼ攻撃の被害を軽微にしたがっているなどと解説されてきた。だが、海軍の扶桑部隊などの歴史を知ると、訓練不足の若年兵はともかく、ベテランパイロットによる通常(反復)攻撃のほうに軍配が上がりそうだ。ともあれ、特攻が将兵の自発的・志願制ではなく、日本人的な暗黙の強制だったことは明白となってきた。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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処刑される側の人間が聞いた「メンタリストDaiGoホームレス蔑視発言」子連れホームレス経験者の渡辺てる子さんが語る 林克明

◆静かに、重くのしかかるメンタリストDaiGoのホームレス蔑視発言

日本列島は連日の豪雨による災害が各地で発生し危険な状態だ。例年なら猛暑のお盆の東京は、異常ともいえる低温が続いている。

いま、主にネット上で炎上している「メンタリストDaiGo差別発言事件」は、炎上という文字から感じられる熱さはなく、冷たい霧雨に纏わりつかれるように、静かに重くのしかかってくる。淀んだ空気に包まれる日本の姿を現しているからである。

“発言”の背景にあるものは何か。

2人の子を連れてホームレスを経験し、長らく派遣労働者として働き派遣切りの経験もある渡辺てる子さん(れいわ新選組衆院東京10区総支部長)が、この問題の構造的な問題を8月21日に東京都内で講演する。

まず、今回の事件の経緯を振り返ってみよう。

◆「俺は処刑される側の人間なんだ」と筆者に思わせた発言

問題発言は8月7日、メンタリストのDaiGoさんのYouTube番組で公開された。
https://www.youtube.com/watch?v=bMHPk…
(8月14日夕方時点で動画は非公開)
(発言の切り抜き)8月7日
https://www.youtube.com/watch?v=6k6hDVD5Emc

私は公開された翌日くらいに視聴して驚いた。まず生活保護受給者についての発言。

「僕は生活保護の人たちにお金を払うために税金を納めてるんじゃないからね。生活保護の人に食わせる金があるんだったら猫を救って欲しいと僕は思うんで。生活保護の人、生きていても僕は別に得しないけどさ、猫は生きてれば得なんで」

というような内容の発言をし、さらにホームレスにつてもおよそ次のように語った。

メンタリストDaiGoYouTube番組(2021年8月14日)

「言っちゃ悪いけど、どちらかというホームレスっていない方がよくない? 正直。 邪魔だしさ、プラスになんないしさ、臭いしさ、治安悪くなるしさ、いない方がいいじゃん」

「もともと人間は自分たちの群れにそぐわない、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きている。犯罪者を殺すのだって同じ」と、貧困者と犯罪者を同一視点するかのように述べた。

この動画が公開された前日の8月6日、私は経産省の月次支援金を申し込むための資料収集と書類作成を始めた。

月次支援金とは、新型コロナウイルス対策として緊急事態宣言等の影響を受けて収入を50%以上減らした法人や個人事業主を支援する制度である。

常日頃、講演会、シンポジウム、イベントなどを取材したり、直接会ってインタビューする仕事が多い私は、外出やイベント自粛に影響されて収入は激減している。

藁をもすがる思いで、この月次支援金に申し込もうとしていたのだ。その作業を始めた翌日にタイミングよく? かの発言があった。

これを聞いて、「俺は処刑される側の人間なんだな」と思った。通常であればこの種の発言を聞いたなら、「ふざけるんじゃない! 何バカなことになって言ってるんだ」と私は怒るはずだ。

ところが、なぜか激しい怒りの感情は湧かず、霧雨が降る中で静かに沈んでいくかのような感覚に襲われたのである。そこにこの発言を生んだ社会の深刻さがある。

かろうじて私には住む家がある。しかし、住む家がなく、あるいは家はあっても生活保護水準以下で生活する膨大な人たちの中には、排除されたり、誹謗中傷されたり、貶められても、怒る気力さえなく、ただ沈み込んでいく人も多いのではないか。

さすがに、今回の発言に対しては批判が巻き起こったが、DaiGoさんは、次のように反論した。

「自分は税金をめちゃくちゃ払っているから、ホームレスとか生活保護の人たちに貢献している。叩いている人たちは、ホームレスに寄付したんですか? 継続して炊き出しとかして助けてるんですか?」
https://www.youtube.com/watch?v=SfWuC3edFZw&t=28s
(この動画も非公開になった)

火に油を注ぐことになり、8月13日の夜には、一転して発言を謝罪する動画をアップした。
https://www.youtube.com/watch?v=rShG_1-tzSE (現在非公開)

それでも批判は収まらず、逆に本当に理解していない、という新たな批判も起き始めた。そして翌14日には、いつもとは違う白い壁を背景にしてスーツ姿で現れたDaiGoさんは、再び謝罪した。前日の謝罪動画は取り消し非公開とした。

この謝罪は、それまでの動画のように弁明はなく、ひたすら反省と謝罪を述べる内容になっている。
https://www.youtube.com/watch?v=Eai84ynVtko

◆寒気がするほどマニュアル化された「謝罪動画」

このスーツ姿の謝罪動画を見て、私は恐ろしくなった。完璧な謝罪のしかただったからだ。しかも、数日前には批判されても開き直っていた人間が、わずかな時間で真に反省と謝罪を公にすることに疑問が残る。

完全にマニュアル化された謝罪の方法であり、彼自身がこれまでに「心理学的に見て正しい謝罪の仕方」とでも言うべき動画を何本かアップロードしており、その内容そのままの謝罪になっている。

分かりやすいのは、「正しい謝罪の仕方」という動画だ。


◎[参考動画]正しい謝罪の仕方【メンタリストDaiGo切り抜き】「謝罪 ミスると地獄」2021年6月22日

修正版:正しい謝罪の仕方【メンタリストDaiGo切り抜き】

この動画では、「どういう謝罪が社会的に納得されやすいか」に関する大学の研究調査結果を紹介している。そのポイントは次のとおり。

「やってはいけない謝罪」
① 言い訳をする。行動の正当化をする。
② 他人を責める。
③ 自分の抱えている問題やトラブルについて説明する。
④ 自分の発言や行動が起こした問題を矮小化する。

「やるべき謝罪」
① 自分を被害者の立場に置いてどんな言葉を聞きたいか考えて発言。
② 常に被害者に向けて言葉を発し、罪を認め許しを請う。
③ 可能であれば、賠償と共生の手段を申し出る。
④ 自分の行動と発言を謝罪し、決して自分が誤解されている部分については触れない。

スーツを着て折り目正しく真摯な姿勢で謝罪する姿は、上記の動画を機械的にコピペしたようである。

◆ホームレス経験者は何を考えたか

今回の発言の背景は相当根深い問題が存在しているのは間違いない。DaiGoさんが謝罪し、彼を批判しただけでは収まらない、深く重い何かがある。

そう考えたときに思い浮かんだ人物が、渡辺てる子さんだ。幼い子供を連れてホームレスを経験し、その後も派遣労働者として働き雇止めにあい、貧困問題解決を日々訴えている。その彼女を一緒にこの問題を考えることにした。

自身が貧困の当時者として長年過ごし、いまは政治家として変革しようと日夜活動している人物と話し合うことは、大切なことではないだろうか。

以下、講演概要。

2021年8月21日(土)開催!元ホームレス渡辺てる子さんと一緒に考える「メンタリストDaiGo 生活保護受給者&ホームレス蔑視発言」

◎第138回草の実アカデミー◎
2021年8月21日(土)
元ホームレス渡辺てる子さんと一緒に考える
「メンタリストDaiGo 生活保護受給者&ホームレス蔑視発言」

講師:渡辺てる子氏(れいわ新選組衆院東京10区総支部長)
   元ホームレス、シングルマザー、元派遣労働者
日時:2021年8月21日(土)
13:30時開場、14時00分開始、16:30終了
場所:雑司ヶ谷地域文化創造館 第2会議室
https://www.mapion.co.jp/m2/35.71971291,139.71364947,16/poi=21330448165
交通:JR目白駅徒歩10分、東京メトロ副都心線「雑司ヶ谷駅」2番出口直結
資料代:500円 【申し込み】(定員18名)
フルネームと「8月21日参加」と書いて下記のメールアドレスに送信してください。
kusanomi@notnet.jp

★★★感染防止対策にご協力を★★★
・受付の名簿に必要事項をお書きください。
・会場入りの際は手洗いかアルコール消毒をお願いします。
・会場内ではマスク着用をお願いします。
・暑くても窓を開けて換気をするのでご了承ください。

▼林 克明(はやし まさあき)
 
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』9月号

【カウンター大学院生リンチ事件報道訴訟を検証する〈4〉】李信恵さん、反差別運動を後退させないために、リンチに連座し関与したことを認定した大阪高裁判決に従い、心から反省し被害者M君に謝罪してください! 鹿砦社代表 松岡利康

くだんのリンチ事件に関する大阪高裁判決は、各方面に静かに根深く、重大で深刻な反響を与えているようです。特に李信恵のリンチへの連座と関与を裁判所が認定したことにより、李信恵とその周囲には大変なショックを与えたであろうことは想像に難くありません。事実、7月27日の判決直後に李信恵代理人の神原元弁護士は、相変わらず「正義は勝つ!」とツイートし「勝訴」を宣言しましたが、以降、神原弁護士も李信恵も、本件判決には全く触れていません。“不都合な真実”が判決で認定されたからです。

“不都合な真実”といえば、李信恵らと共にM君リンチに連座した伊藤大介による暴行傷害事件(本件一審本人尋問のあと2020年11月25日深夜)の全容や公判の進捗情況も、一切明らかにされていません。このままなし崩し的に幕引きしようとでも考えているのでしょうか? 伊藤の起こした事件は偶発的、一般的な犯罪ではありません。今回の大阪高裁判決で、リンチ事件への連座と関与が認められた李信恵同様、伊藤はリンチの現場に居合わせた過去を持つ人物です。反差別運動、社会運動と密接に関わる点において、今後反差別運動の方向性を正す意味でも、情報公開し社会的に判断を仰ぐべきです。

7月27日の判決から上告期限の8月10日までの10日間、上告すべきかどうか悩み慌ただしく過ぎた中で、結局は「名誉ある撤退」し、上告せずの結論に至り賠償金(プラス利息=約130万円)も全額振り込み、本通信の削除命令箇所(2017年6月12日同19日8月2日2018年3月22日)も削除いたしましたが、このお盆休み期間に、あらためて判決文を読み直してみました。

判決直後は、原判決(一審大阪地裁判決)に事実誤認や瑕疵があったことで賠償金が減額されたぐらいにしか思っていませんでしたが、判決文をよくよく読んでみると、裁判官もかなり苦慮した形跡が感じられました。

また、少なからずの方々に判決文を読んでいただき意見を寄せてくださいました。この通信〈2〉でお二人のご意見を掲載しましたが、その後も心あるご意見が寄せられています。最も簡潔かつ的確に述べられているのは次の方(弁護士)のコメントです。──

「高裁判決の評価は概ねそれ(注・この通信の〈1〉~〈3〉)でよいと思います。大幅に変更された丁寧な事実認定がされていますし、共謀による不法行為責任は否定しつつ、全体としての集団暴行の事実と李本人の暴行の放置・黙認による道義的責任は認めていますから、政治的には一定押し戻した勝利と評価でき、上告なしの判断は妥当かと思います(そもそも、上告審は憲法違反・判例違反の有無が主要な争点となる法律審ですしね)。」

神原弁護士のツイート。リンチ事件は「虚偽の風説」だって!?

◆李信恵の「粗暴で凶悪な」性格を明確に判決文で認定した大阪高裁判決

 
主な実行犯・金良平のツイート。事件から1年近く経ってもこのザマ。反省の色はない

ところで李信恵は、鹿砦社の出版物等が「原告(注・李信恵)が粗暴で凶悪な犯罪者であるとの印象を与えるものであるから、原告の社会的評価を著しく低下させる」(訴状)としていました。私たちに言わせれば、笑止千万、抱腹絶倒です。

大阪高裁は今回の控訴審判決は、李信恵が「暴行を容認」し「警察への通報や医者への連絡等をしないまま、最後は負傷しているMを放置して立ち去った」と明記しています。感情を含まない表現ですが、この行為は李信恵が「粗暴で凶悪な犯罪者であるとの印象を与え」る可能性がありはしませんか? 高裁判決認定内容と同様の調査取材・出版活動を行った、私企業である鹿砦社を訴えたのですから、李信恵は判決に対して異議があるはずです。そうであれば国賠(国家賠償)請求を起こすのでしょうか?

再度高裁判決の一部を引用します。──

「被控訴人(注・李信恵)は、(中略)M(注・判決文は実名)が金(注・良平)からの暴行を受けて相当程度負傷していることを認識した後も、『殺されるなら入ったらいいんちゃう。』と述べただけで、警察への通報や医者への連絡等をしないまま、最後は負傷しているMを放置して立ち去ったことが認められる。この間、(中略)被控訴人が暴力を否定する発言をしたことは一度もなく、(中略)金の暴行を制止し、又は他人に依頼して制止させようとすることもなく、本件店舗内で飲酒を続けていた。このような被控訴人の言動は、当時、被控訴人が金による暴行を容認していたことを推認させるものであるということができる。」(高裁判決文。下線・松岡)

「本件傷害事件当日における被控訴人の言動自体は、社会通念上、被控訴人が日頃から人権尊重を標榜していながら、金によるMに対する暴行については、これを容認していたという道義的批判を免れない性質のものである。」(同。下線・松岡)

「被控訴人の本件傷害事件当日における言動は、暴行を受けているMをまのあたりにしながら、これを容認していたと評価されてもやむを得ないものであったから、法的な責任の有無にかかわらず、道義的見地から謝罪と補償を申し出ることがあっても不自然ではない。」(同。下線・松岡)

当然の判断です。傍らで激しい暴行が行われているのに、それを認識していながら、止めもせず、悠然とワインをたしなみ、師走の寒空の下に放置して立ち去るなど、李信恵の「粗暴で凶悪な」性格を表わしている、と考えてもまったく不思議ではありません。一般的な感性の持ち主であれば、到底できないことです。無慈悲な行為です。

こうした行為が大阪高裁で認定されたことを、私たちは強調します。今後彼女を講演会などに招く計画のある主催者の方々には、知っていただく必要があるでしょう。李信恵は、差別被害者として脚光を浴びてきましたが、他方このような「粗暴で凶悪な」行為を行う人物である点を重々考慮せねばならなくなりました。李信恵が心から反省しなければ、「反差別」運動の旗手でなくなる日もそう遠くはないでしょう。

 
同じくリンチに連座した伊藤大介のツイート。この気持ちはずっと変わらず、リンチに連座した後も昨年暴行傷害事件を起こした。こちらも反省の色ナシ!

最近、東京オリンピック/パラリンピックの開会式の音楽を担当していた、ミュージシャンの小山田圭吾が、かつて障碍者の友人に対して行ったいじめが掘り返され解任されました。この解任は、開会式の音楽担当から外されただけではなく、小山田にとって、再起不能といえるほど深刻なものです。李信恵の将来を暗示させるかのうようなスキャンダルでした。

李信恵にとっては、確かに「勝訴」かもしれませんが、M君リンチに連座し関与したことを大阪高裁が認定したことで、M君に早急に公的に謝罪しないと、今後講演に招かれなくばかりか、小山田のように再起不能なまでに陥るのではないかと警鐘を鳴らしておきます。相変わらず隠蔽に務めるのか、心から反省しM君に謝罪するのか、李信恵の人間性が問われています。これは李信恵のみならず他のリンチ加害者4人、リンチの事実を認識しながら李信恵をバックアップしてきた「コリアNGOセンター」、そして岸政彦ら隠蔽に加担した者らも同様です。

思い返せば、M君の訴訟でも、本件一審判決でも、最初に李信恵がM君の胸倉を掴み、その後に一発殴ったことが「平手(パー)」か「手拳(グー)」かが殊更焦点化されました。M君が、1時間もの凄絶なリンチで精神が錯乱し記憶曖昧な発言をしたことでM君の供述全部が「信用できない」とされ、肝心の半殺しの目に遭ったことが軽視されたのです。

つまるところ、「木(平手か手拳か)を見て森(リンチで半殺しにされた事実)を見ない」判断になったものと思います。すっかり神原弁護士の術中に裁判官も嵌ってしまったようです。M君の訴訟で最高裁で確定した判断は、本件訴訟でも覆すことはできませんでした。高裁の裁判官も、上級審の最高裁で確定していることで苦慮したであろうことが想像できます。

また、共謀についても、市民感覚から見れば、誰が見ても李信恵を中心に共謀したことは歴然でしょうが、これもM君の訴訟において最高裁で確定したことによって覆せませんでした。リンチの場にいた加害者5人の関係や立場はフラットなものではなく、李信恵を中心に上下関係があったでしょうし、その場の空気を支配したのは李信恵だったと推認されます。

 
M君への酷いネットリンチ。この者の人間性を疑う

ところで、前回の通信で「名誉ある撤退」することを公言しましたが、これは上告することからの「名誉ある撤退」のことを言っているのであって、私たちが本件リンチ事件から完全撤退するということではありません。まだ検証─総括作業が残っていますし、これまで取材できなかった人たちへの追加取材も考えています。まだ関西カウンターの中心的活動家で鹿砦社に入り込み終業時間の大半をツイッターや私的メール等で本来の業務以外の政治活動を行っていた藤井正美との裁判が残っていますが(次回は9月9日に本人尋問で大詰めに来ています)、対李信恵との訴訟が終結したことで、むしろ桎梏がなくなり気軽に新たな取材もできるようになりました。

◆今、言っておきたいこと

あと少し言っておかねばならないことがあります。

その一つは、大阪高裁の判決で李信恵のリンチ(判決では「本件傷害事件」)が実際にあり、これに李信恵が連座し関与したことが認定されたことで、李信恵ら加害者、そしてバックで李信恵を支えた「コリアNGOセンター」、神原元、上瀧浩子、師岡康子、岸政彦、安田浩一、辛淑玉、野間易通、中沢けい、中川敬、有田芳生、香山リカ、北原みのり、西岡研介、金明秀ら、李信恵を擁護し隠蔽に関わった人たちも、「でっち上げ」とか「リンチはなかった」というような恣意的な風聞を振り撒いたことを謙虚に反省していただかねばなりません。そうでなければ、知識人やジャーナリストとしての存在意義を問われ、かつて「名誉毀損」に名を借りた鹿砦社への出版弾圧に加担した者らが続々再起不能なまでに失脚し「鹿砦社の祟りか、松岡の呪いか」と揶揄されたように、同様の憂き目に直面し失墜していくでしょう。

当初はリンチを認めていた辛淑玉文書。のちに否定
 
ある在日の青年の苦痛のツイート

二つ目は、この5年半ほど、私たちは取材の過程で、多くの在日コリアンの方々に接してきました。みなさんいい方ばかりでした。快く協力してくれました。しかし、ほとんどの方が報復を怖れて名を出すことを躊躇されました。ある方など、陳述書を書き法廷で証言するとまで息巻いてくれましたが、一夜明けると、「報復が怖いので辞退します」ということがありました。訴訟や出版物等でも、ほとんどの方の名は出していません。だからといって、在日の方々に取材していないということではありませんし、第4弾書籍『カウンターと暴力の病理』に付けたリンチの最中の音声を収めたCDなど、内容が内容だけに国内の業者にプレスを発注できなく困っていたところ、ある在日の方が「私に任せてください」と外国でプレスしてくれました。このように蔭ながら多くの方々の協力を得ることができました。

三つ目は、これまでのリンチ事件への対応ですが、李信恵ら加害者、「コリアNGOセンター」、岸政彦ら加害者擁護の立場の人たちの対応は、はっきり言って狡いし醜悪の極みです。

しかし、この事件対応における“狡さ”により、在日コリアン全体が狡いと認識されるのは間違いですし、そうなりかねないことを懸念しています。“狡い”のは、あくまでも李信恵ら一部の人たちです。この意味でも、李信恵をバックアップした「コリアNGOセンター」が中心となって、今からでも遅くはありません、本件リンチ事件に真っ正面から取り組み、血の通った人間として誠実に対応し、まずは被害者M君への謝罪をすべきだと思います。私の言っていることは間違っているでしょうか?

最後になりますが、私たちは、この5年半もの取材で、まだ公にせず“握っている情報”も少なからずあります。あえて表現すれば“ダイナマイト・スキャンダル”です。「弾はまだ残っとるぞ」ということです。

今後、検証-総括作業の過程で取捨選択しなんらかの形で記録として残していきたいと考えています。 (本文中敬称略)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

判決迫る「死刑求刑」の工藤会最高幹部裁判 必ずしも盤石ではない検察の有罪立証 片岡 健

2014年9月に福岡県警が特定危険指定暴力団「工藤会」の壊滅作戦に乗り出してからまもなく7年。4つの市民襲撃事件で殺人などの罪に問われた同会の総裁・野村悟被告と会長・田上不美夫被告に対する判決が8月24日、福岡地裁で宣告される。野村被告は死刑、田上被告は無期懲役を求刑されながら、ともに全事件で無罪を主張しており、どんな判決が出ようとも大きく報道されることだろう。

かくいう私は今年3月、福岡地裁で弁護側が最終弁論を行った野村、田上両被告の公判を傍聴した。それを聞く限り、捜査や検察側の有罪立証にはあまり報じられていない問題も色々あり、両被告の無罪主張も無下に否定できないように思えた。この場でそのことを少し紹介してみたい。

◆総裁は「隠居」、会長は「象徴」

野村、田上両被告が裁判で罪を問われている事件は、(1)1998年2月の元漁協組合長射殺事件、(2)2012年4月の福岡県警元警部銃撃事件、(3) 2013年1月の看護師刺傷事件、(4) 2014年5月の歯科医刺傷事件――の計4件。検察はすべての事件について、両被告の指示や了承のもと、工藤会の組員が実行した組織的な犯行だと主張しており、対する両被告はすべての事件について関与を否定する構図となっている。

もっとも、裁判では、少なくとも(2)(3)(4)の3件は工藤会の組員が実行したことに争いはない。したがって、同会の最高幹部である野村、田上両被告は道義的な責任を免れないだろう。ただ、両被告が刑事責任まで負わねばならないかはあくまで別の話だ。そして事実関係を見る限り、4つの事件で両被告から実行犯に対し、犯行の指示や了承が本当にあったかというと極めて微妙な印象なのだ。

まず疑問なのは、そもそも野村、田上両被告が事件当時、工藤会の組員らに重大な犯行を実行させるほどの権限を本当に有していたのか、ということだ。

というのも、野村、田上両被告の主張によると、工藤会では、総裁は「隠居」、会長は「象徴」という立場であり、会の運営は部下でつくる「執行部」が担っていたという。そして実際、両被告のこの主張を支持する証言も存在する。裁判に証人出廷した当時の工藤会幹部で、対立関係にあった別の幹部を殺害した罪により無期懲役刑に服する木村博受刑者が「(両被告は)口を出したりすることはなかった」と証言し、両被告の主張を裏づけているのである。

田上被告は福岡県警元警部の銃撃事件について、「元警察官を銃撃すれば、警察が全力を挙げて工藤会の壊滅に動くのはわかる。そんな愚かなことはしない」と主張していたが、この主張にも特段おかしなところはない。犯行を主導していたのは執行部であり、「隠居」や「象徴」という立場の両被告が執行部の犯行を止められなかったのが組織の内実だという可能性も充分にありえるように思われた。

野村、田上両被告の裁判が行われている福岡地裁

◆10年以上前に不起訴になった事件で改めて逮捕、起訴

1つ1つの事件に関する弁護側の主張を聞いていると、そもそも警察、検察の捜査に無理があったように思える点も散見された。

とくに1998年2月の漁協組合長射殺事件については、田上被告は2002年に一度、実行犯とされる3人と一緒に逮捕されながら不起訴になっている。それにもかかわらず、10年以上経ってから福岡県警が工藤会の壊滅作戦に着手した際、田上被告は同じ事件の容疑で改めて逮捕され、起訴されたのだ。

弁護側はそのような事実を指摘し、「検察官が起訴したこと自体が違法だ」と主張していたが、確かにこのような警察、検察のやり方は相手が工藤会だということで無理をした感が否めない。

誤解なきようにことわっておくが、工藤会が一般市民を襲撃する凶悪事件を繰り返していたことは確かで、私はそれを「なかった話」にしたいわけではない。そもそも、そんなことをしても私にメリットは何も無い。被告人が誰であろうと、事実は事実として正確に伝えたいと思うだけである。

ということで、今後も当欄では、この裁判について適時、取り上げていきたいと思う。

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』9月号