それぞれに因縁あるWBCムエタイ日本タイトルマッチ開催!

タネ・ヨシホvs能登龍也。能登の右ミドルキックに右ストレートを合わせるタネ・ヨシホ(左)
能登龍也vsタネ・ヨシホ。一度対戦した経験から一歩上回った攻勢のタネ・ヨシホの右ストレート

能登龍也vsタネ・ヨシホ戦の初対決は昨年10月の「KNOCK OUT」に於いての3回戦で対戦し引分けた試合は攻防で盛り上がり、決着戦が期待されたカードとなりました。
初回から能登が圧力掛け続け、タネ・ヨシホは下がり気味も的確に返していく。次第に距離を詰め、蹴りに加えたムエタイ特有の崩し技を活かしたタネ・ヨシホが判定勝利。

白神武央vsYETI達朗戦は3度目の対戦で、2015年5月にノンタイトル戦で引分け、2016年2月に白神がKO勝利でYETI達朗からNJKF王座奪取して1勝1分。YETI達朗はその白神の後を追うように上位王座のWBCムエタイ日本タイトルを懸けての対戦。

目立ったヒットは少ない両者でしたが、白神を破る執念が垣間見れたYETI達朗のパンチと蹴り。勢いつかない両者にもっと蹴り合いがあればもっと盛り上がったと思えるところ、僅差でYETI達朗が雪辱を果たしました。

積極性で優ったYETI達朗のヒザ蹴り

小川翔vsNAOKI戦は過去の国内王座を勝ち上がってきた者同士の対戦で、先行く小川翔に挑むNAOKI。

相打ち覚悟のヒジ打ちの攻防が目立った両者。第2ラウンドにはNAOKIに2度のドクターチェックが入るが、その後、小川も少々切られる。両者に幸い出血は少なく打ち合いは続き、小川は勢い強め、NAOKIの攻撃力弱まった終盤を経て小川の判定勝利。

小川翔の右ハイキックがNAOKIを襲う
ムエタイ技であり、キックボクシングの攻防であるヒジ打ち、小川翔の右ヒジがNAOKIにヒット
激しい攻防の小川翔vsNAOKI

波賀宙也は1月10日に新日本キック興行に出場してパカイペットに判定負けしたばかり。と言っても1ヶ月半の試合間隔になるので、体調は問題ないでしょう。この日は前田浩喜に判定勝利で5連敗から脱出し、WBCムエタイ日本スーパーバンタム級挑戦権を獲得しました。

新人(=あらと)は宮城からやって来た「聖域統一」60kg級チャンピオンの岩城悠介に右ストレートが決定打となる2度のダウンを奪われてレフェリーストップによるTKO負け。東北地方で普及している聖域(サンクチュアリ)のアピールが活きたことでしょう。

タネ・ヨシホの左ミドルキックが能登龍也にヒット、ブロックの上からでもリズムを作った
タネ・ヨシホはまだ18歳、今後も上位に向かって勝ち進めるか

◎NJKF 2018.1st / 2018年2月25日(日)後楽園ホール17:00~21:20
主催:NJKF / 認定:WBCムエタイ日本実行委員会

◆第5代WBCムエタイ日本フライ級王座決定戦 5回戦

1位.能登龍也(VALLELY/50.55kg)
   VS
2位.タネ・ヨシホ(=多根喜帆/直心会/50.8kg)
勝者:タネ・ヨシホ / 判定0-3 / 主審:竹村光一
副審:桜井47-50. 中山47-50. 神谷47-50

◆WBCムエタイ日本ライト級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.小川翔(OISHI/61.2kg)
   VS
挑戦者.同級1位.NAOKI(NJKF同級C/立川KBA/61.2kg)
勝者:小川翔が初防衛 / 判定3-0 / 主審:中山宏美
副審:桜井49-46. 竹村50-47. 神谷49-47

◆WBCムエタイ日本スーパーウェルター級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.白神武央(拳之会/69.6kg)
   VS
挑戦者.同級1位.YETI達朗(NJKF同級C/キング/69.8kg)
勝者:YETI達朗が第4代チャンピオン / 判定0-2 / 主審:竹村光一
副審:桜井49-49. 中山48-49. 神谷48-49

◆59.0㎏契約3回戦

WBCムエタイ日本フェザー級チャンピオン.新人(E.S.G/59.0kg)
   VS
岩城悠介(PCK連闘会/58.6kg)
勝者:岩城悠介 / TKO 1R 2:34 / カウント中のレフェリーストップ
主審:宮本和俊

小川翔が初防衛成功

◆WBCムエタイ日本スーパーバンタム級挑戦者決定戦3回戦

1位.波賀宙也(立川KBA/55.3kg)
   VS
2位前田浩喜(CORE/55.2kg)
勝者:波賀宙也 / 判定3-0 / 主審:桜井一秀
副審:竹村30-28. 中山30-27. 宮本30-27

◆55.0kg契約3回戦

同級1位.大田拓真(新興ムエタイ/55.0kg)
   VS
ダウサヤーム・ウォーワンチャイ(タイ/54.95kg)
勝者:ダウサヤーム / 判定0-3 / 主審:神谷友和
副審:竹村29-30. 桜井29-30. 宮本28-29

◆NJKFスーパーライト級挑戦者決定トーナメント3回戦

2位.真吾YAMATO(大和/63.5kg)
   VS
3位.嶋田裕介(Bombo Freely/63.5kg)
勝者:真吾YAMATO / KO 1R 2:32 / 3ノックダウン
主審:中山宏美

◆60.0kg契約3回戦

WBCムエタイ日本スーパーフェザー級5位.TAaaaCHAN(PCK連闘会/59.6kg)
   VS
NJKFスーパーフェザー級7位.梅沢武彦(東京町田金子/59.8kg)
勝者:梅沢武彦 / 判定0-2 / 主審:宮本和俊
副審:竹村29-30. 中山29-29. 神谷29-30

白神武央に雪辱成功、WBCムエタイ日本王座を奪取したYETI達朗

◆バンタム級3回戦

NJKFバンタム級2位.日下滉大(OGUNI/53.4kg)
   VS
同級3位.俊YAMATO(大和/53.45kg)
勝者:俊YAMATO / 判定0-3 / 主審:桜井一秀
副審:竹村28-29. 中山28-30. 宮本28-30

◆スーパーバンタム級3回戦

NJKFスーパーバンタム級3位.久保田雄太(新興ムエタイ/55.3kg)
   VS
永井健太朗(Kick Box/55.2kg)
勝者:久保田雄太 / 判定3-0 / 主審:神谷友和
副審:桜井30-28. 中山30-27. 宮本30-28

◆NJKFスーパーライト級3回戦

NJKFライト級1位.村中克至(ブリザード/63.0kg)
   VS
NJKFスーパーライト級9位.野津良太(E.S.G/63.5kg)
勝者:野津良太 / 判定1-2 / 主審:竹村光一
副審:桜井29-30. 中山29-30. 神谷30-29

《取材戦記》

WBCムエタイの日本組織が根付いて丸10年になる今年です。2009年から日本タイトル化されて来ました。此処の組織は此処なりに、低空飛行のようでもしっかり選手が育ち、世界チャンピオンも二人誕生してきました。今後更なる世界チャンピオンが誕生するか、この日勝ち上がって来た日本チャンピオン達に期待が掛かります。今後のNJKFのメインイベンターと成り得る存在でもあります。

その中でも小川翔vsNAOKI戦はヒジ打ちの攻防が盛り上がり、タイトルマッチ3試合の中ではいちばん迫力がありました。キックボクシングの醍醐味はムエタイ技を酷使してのノックアウト勝利。ヒジやヒザだけを重視という訳ではなく、打撃すべてがムエタイ技でもあります。その点は「KNOCK OUTイベント」にも思想が繋がるところでしょう。

次回NJKF興行は4月15日に山陽ハイツ体育館に於いて、拳之会主催興行の「NJKF 2018 WEST 2nd」が行なわれます。国崇、白神武央、白築杏奈がベルギーからの刺客を迎え撃つ戦いとなります。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

3月7日発売『紙の爆弾』4月号!自民党総裁選に“波乱”の兆し/前川喜平前文科次官が今治市で発した「警告」/創価学会・本部人事に表れた内部対立他
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

平昌五輪で日本選手がのびのび競技に集中できた理由


◎[参考動画]Allstars & Davichi 다비치 – Fly Day (Pyeongchang 2018 Song)

 
PyeongChang 2018

平昌オリンピックが終わりました。日本は冬季オリンピックでは過去最高、長野オリンピックを超える13個のメダルを獲得しました。いやー選手の皆さんご苦労様でした。そして感動的なシーンがたくさんありましたね。

フィギュアスケートの羽生結弦選手は、66年ぶりに男子シングルで2大会続けての金メダル! だけじゃなくて銀メダルも宇野昌磨選手! 女子のシングルでも宮原知子選手が自己最高スコアを出して、見事4位入賞! 金、銀はロシアの選手でしたが、フィギュアスケートの上位にこれだけ日本勢が食い込むのはやっぱり快挙ですよね。

スケートといえば、スピードスケートも大活躍でした。高木美帆選手は金、銀、銅メダルを揃えちゃったし、お姉さんの高木菜那選手は金メダルを二つも取りました。美帆選手に注目が集まる中、菜那選手が参加した、マススタートレースの読みがぴたりと当たり、最終コーナーから直線に入って一気の逃げ。あれが競馬場だったらはずれ馬券が宙をまったでしょうが、パシュートで過酷な練習を続けていた菜那選手にとっては、予定通りのレース展開でしたね。

パシュートといえば、高木姉妹に佐藤綾乃、菊池彩花両選手を加えて、最高のパフォーマンスを見せてくれました。予選のスタートでやや失敗気味だった佐藤選手を準決勝では温存して、菊池選手が準決勝を戦いました。決勝では予定通り佐藤選手が再び加わり、五輪新記録の見事な優勝でした。小平奈緒選手は1000mでは数回バランスを崩しましたが、それで銀メダル。500mでは試合用のサングラスと練習用のサングラスをかけ間違えるも、レースは完璧で圧倒的な強さを見せつけました。

スピードスケートは実力を発揮できるかどうか、が勝負の分かれ目で、ミスをせずに力を出し切れた選手には結果がついてきた、といえますね。

ところで、同じスケートでもちょっと偶然や、運不運が勝負を分けるのがショートトラックです。今大会日本勢では坂爪亮介選手だけが、ツイていました。坂爪選手、五輪はソチに次いで2度目ですが、前回は五輪前に大怪我をしたので、まったく力を出せませんでした。ショートトラックは圧倒的に韓国が強いので、坂爪選手ら日本の選手はしょっちゅう韓国にトレーニングに出かけます。今回参加した高校生の吉永一貴選手も、頻繁に韓国でトレーニングを積んでいます。

実は坂爪選手は1000mで5位、500mで8位に入賞しましたが、これほとんど「運」が味方した結果でした。ショートトラックは、接触や転倒が多い競技なので、転倒したり、邪魔されたと審判がジャッジした選手は競技で負けても、次のラウンドに進むことができます。次に進むことができた選手は「アドバンス」を得たと呼ばれ、逆に妨害した選手は「ペナルティー」(失格)となります。

個人競技で坂爪選手はこの大会で、アドバンスや、先行する選手の転倒や「ペナルティー」といった「たなぼた」で入賞を果たしました。逆に活躍が期待された5000mリレーでは予選、順位決定戦ともに転倒! 健闘していた横山大希選手は、レース後のインタビューで顔を隠して話すこともできないほどでした(みなさんショートトラックなんかあまり見ていないから知らないでしょう?)。

複合の渡部暁斗選手は、五輪前に肋骨を骨折して、現地入りしてからも3日ほどは体も動かせないほどの重症だったと競技後に語りました。そんな体調で複合のNH(ノーマルヒル)で銀メダルを獲得したのには本当に頭が下がりますね。一流選手は結果が求められますが、それを不利な体調でも果たした渡部暁斗選手の精神力には、脱帽です。

逆にマスコミもノーマークだったのが、フリースタイルスキー男子モーグルで銅メダルに輝いた原大智選手でしょう。応援に来ていたお母さんが「調子が悪いから予選が通過できるかどうか心配で……」と話していたほどですから。原選手もアジア大会での銀メダルの経験はあってもワールドカップでの表彰台経験はなし。余計な力が入らずに滑ることができたのでしょう。この種目で長年活躍した(けども五輪のメダルには縁のなかった)上村愛子さんがNHKの放送で、表情でははっきりびっくりしていましたもんね。

「うん。あのさーこっちでもいい、とおもうんだよねー」「そだね」「いっかー?」「うん」
すっかり軽やかな打ち合わせ(?)の言葉遣いが有名になった女子カーリング。見事な銅メダルでした。三位決定戦最後の1投をイギリスのスキップ、ミュアヘッドさんが投げた瞬間「え! なんでそのラインと重量なの?」と体を乗り出してしまいました。あのシーンではあんな早いストーンではなく、左側ガードの間を抜けてNO.1を取りに来るのが定石だと思ったからです。なのにあんなに早い石を投げたらリスキーすぎる。

逆に言えば、あの瞬間日本の勝利を確信しました。どうしてあのショットを選択したのか?「五輪に住んでいる魔物」のためでしょうか。カーリングチームは全員が「LS北見」所属ですが藤澤五月選手は以前「中部電力」に所属していた時期もありました。もし「中部電力」のチームで出場していたら、ここまで応援が盛り上がったかどうか…。JAは銅メダル獲得を祝って「コメ100俵」をプレゼントすることにしたそうです。

賑やかなうちに平昌五輪は幕をとじました。日本と時差がなく、移動にも時間がかからない。日本食にも不自由しないし、ホーム開催ではないので、過剰な緊張も強いられない。しかも応援団が駆けつけるのも旅費が安くて済みます。かえって日本で開催された五輪より、選手たちはプレッシャーを感じることなく、伸び伸び競技に集中できたかもしれませんね。そう考えると韓国での五輪は日本勢にとっては有利な開催場所であったともいえるでしょう。

華やかな五輪が終わりました。感動をたくさんくれた選手たちに感謝です!


◎[参考動画]Alina Zagitova 23.02.2018

▼伊藤太郎(いとう・たろう)

おかげさまで150号!衝撃の『紙の爆弾』3月号!

朝日新聞社は「M君リンチ事件」をどう考えているのか?(黒藪哲哉)

取材班に対する朝日新聞記者、及び朝日新聞本社の対応について、これまで山口正紀氏(元読売新聞記者)、現在も活躍中の「元全国紙記者」から頂いたコメントを既に本通信でご紹介した。このたび新聞に関わる問題(特に「押し紙」)を長年追求してきたフリーランスライターの黒藪哲哉氏からも論評を頂けたのでご紹介する。取材班は今後も無謬性に陥ることなく、つねに「私たちは間違っていないか」、「他者の意見に理はないか」と検証を続けながら、取材・報告を続けるつもりだ。(鹿砦社特別取材班)

◆暴力事件の「当事者」が同時に「反差別運動の騎手」という構図そのものが問われている

朝日新聞社の対応に問題があるのは、いうまでもありませんが、最大の問題は朝日新聞社がこの事件をどう考えているのかという点だと思います。前近代的な内ゲバ事件だという認識が欠落しているのではないでしょうか。感性が鈍いというか。事件は、単なるケンカではありません。加害者の一人が、原告となってヘイトスピーチを糾弾するための裁判を起こしている反差別運動の旗手です。しかも、朝日新聞は報道というかたちで、この人物に対してある種の支援をしているわけです。ヘイトスピーチや差別は絶対に許されるべきことではありませんが、暴力事件の当事者(本人は否定しているが、現場にいたことは事実)が同時に反差別運動の騎手という構図、そのものが問われることになります。

◆「反原連」関係者による国会前の集会も検証が必要になる

また、間接的であるにしろ反原連の関係者も事件を起こした人々とかかわりがあるわけですから、残念ながら、国会前の集会も検証が必要になります。あれは何だったのでしょうか。それはタッチしたくはないテーマに違いありません。出来れば避けたい問題です。しかし、それについて問題提起するのがジャーナリズムの重要な役割のはずです。さもなければ差別の廃止も、原発ゼロも実現は難しくなるでしょう。第一、自己矛盾をかかえた人々を圧倒的多数の市民は信用しないでしょう。

◆「M君リンチ事件」をもみ消そうとする異常な動きそのものも検証が必要だ

しかも、『カウンターと暴力の病理』に書かれているように、この事件をもみ消そうとする動きが活発になっております。そうした異常な動きそのものも検証することが必要になっているわけです。本当に朝日新聞が独立した自由闊達なメディアであれば、だれに気兼ねすることもなく、その作業に着手できるはずですが、それが出来ないところに朝日新聞社の限界を感じます。「村社会」を感じます。

もちろん、どのような事件を報道して、どのような事件を報道しないかは朝日新聞社の自由ですが、報道機関としての資質は問われます。

▼黒藪哲哉(くろやぶ・てつや)
1958年兵庫県生まれ。1993年「海外進出」で第7回ノンフィクション朝日ジャーナル大賞・「旅・異文化テーマ賞」を受賞。1997年に会社勤務を経てフリーランス・ライターへ。2001年より新聞社の「押し紙」問題を告発するウェブサイトとして「メディア黒書(MEDIA KOKUSYO)」を創設・展開。同サイトではメディア、携帯電話・LEDの電磁波問題、最高裁問題、政治評論、新自由主義からの脱皮を始めたラテンアメリカの社会変革など、幅広い分野のニュースを独自の視点から提供公開している。

◎黒藪哲哉氏【書評】『カウンターと暴力の病理』 ヘイトスピーチに反対するグループ内での内ゲバ事件とそれを隠蔽する知識人たち(2018年02月27日「MEDIA KOKUSYO」)

最新刊『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD
『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)
『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

伊藤詩織氏VS山口敬之氏の訴訟「取材目的の記録閲覧者」は3人しかいなかった

伊藤詩織氏の著書『Black Box』

伊藤詩織氏というジャーナリストの女性が、山口敬之氏という元TBSワシントン支局長の男性にレイプされたと実名で告発した件については、これまで様々なメディアで報道されてきた。その多くは、疑惑を否定する山口氏をクロと決めつけ、伊藤氏の勇気ある告発を支持する内容だった。

ところが、私はこのほど、こうした一連の報道に疑念を抱かざるをえない重大な事実に直面してしまった。伊藤氏が山口氏を相手取り、1100万円の損害賠償などを求めて東京地裁に起こした民事訴訟の記録を閲覧したところ、取材目的での閲覧が私以外にわずか3人しかいなかったのだ。

◆メディアは伊藤氏の主張を一方的に伝えたが・・・

伊藤氏に対する山口氏のレイプ疑惑は昨年5月、週刊新潮の報道で表面化した。それ以来、伊藤氏と山口氏の態度は対照的だった。

まず、伊藤氏は会見を開いたり、著書『Black Box』を上梓したりするなどして社会に向け、広くレイプ被害を訴え続けた。これにより、伊藤氏の支持者はすごい勢いで増えていった。その中では、漫画家の小林よりのり氏や、政治家でジャーナリストの有田芳生氏ら著名人も公然と山口氏をレイプ犯扱いし、手厳しく批判した

小林よしのり氏のブロマガ「小林よりのりライジング」
有田芳生氏のツイッター
山口敬之氏が反論手記を寄せた『月刊Hanada』2017年12月号

一方、山口氏は疑惑を否定しながらも、公の場で疑惑について語ることは少なく、『月刊Hanada』の2017年12月号に反論手記を寄せたり、同誌の花田紀凱編集長が手がけるYouTubeチャンネル「週刊誌欠席裁判」に出演して潔白を訴えたりした程度。このような2人の態度からすると、様々なメディアが伊藤氏の主張を一方的に伝える状況になったのは、ある程度仕方のない面もあったろう。

だがしかし、である。伊藤氏は昨年9月28日付けで前記したような民事訴訟を東京地裁に起こし、同12月5日には第1回口頭弁論も開かれている。こうした状態になれば、取材者は裁判所で訴訟記録を閲覧し、原告と被告双方の主張内容や証拠を確認するのが事件取材のイロハのイだ。それゆえに私は当然、この事件を報道している多くの取材者も訴訟記録を閲覧しているものだとばかり思っていたのだが・・・。

◆レイプ犯と決めつけた報道関係者たちは訴えられる可能性も

私が今年1月18日、東京地裁でこの民事訴訟の記録を閲覧したところ、私より先に「取材目的」でこの訴訟の記録を閲覧した者はわずか3人しかいなかった。なぜ、そんなことがわかるかというと、民事訴訟の記録を閲覧する際には、所定の用紙に名前や住所、閲覧の目的などを記入して提出するのだが、提出した用紙は訴訟記録と一緒に編綴されるからだ。

ちなみに私より先に取材目的でこの訴訟の記録を閲覧していたのは、浦野直樹氏(朝日新聞)、上乃久子氏(ニューヨーク・タイムズ)、西口典子氏(所属などは特定できず)の3人。私は2月5日と6日にも東京地裁でこの訴訟の記録を閲覧したが、この時点でもまだ私以外の取材目的の閲覧者はこの3人だけだった。この事件の報道量は膨大だが、この3人以外は訴訟記録も閲覧せずにこの事件を報道しているわけである。

ちなみに訴訟記録を閲覧すればわかることだが、伊藤氏の主張はこれまでに報道されてきた主張とまったく同じではないし、山口氏の訴訟における主張には、これまでに山口氏が公にしてこなかった主張がかなり多い。現時点ではまだ事実関係に踏み込んだことは言えないが、訴訟記録も閲覧していない者たちが繰り広げている報道はまったくアテにならないということだけは言い切れる。

訴訟記録も閲覧せずに山口氏をレイプ犯と決めつけたような報道をしていた者たちは今後、山口氏に名誉棄損訴訟を起こされる可能性もあると私は思っている。そして、できれば実際にそうなって欲しいとも思う。私は現時点で山口氏に味方するつもりはまったくないが、訴訟記録も閲覧せずに山口氏をレイプ犯扱いしているようないい加減な報道関係者たちのことを心底軽蔑するからである。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

おかげさまで150号!衝撃の『紙の爆弾』3月号!
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

岐路に立つ大学 ―― 正念場を迎えた2018年問題、2020年問題を前に

いよいよ2018年問題を迎え、大学の教育現場は存亡をかけた改革の試練、あるいは混乱に陥っている。この2018年問題とは、18歳年齢が減少に転じる大学の生き残りにむけた経営およびカリキュラム改革である。そしてその改革が臨時講師の雇い止め、共通科目のいわゆるリベラルアーツの削減として進行しているのだ。博士号を取っても就職できない高齢ポストドクター問題はおろか、いまや正教授すら解雇の対象となっている。

18歳人口は1992年に団塊ジュニアの205万人をピークに減少に転じ、2000年には志望者すべてが入れる全入時代に突入した。じつは90年代に大学は受験バブルを迎えて、学部の新設・定員枠の拡大をおこなっていた。一時的な定員増だったが、拡大した組織はおいそれと元にもどせるわけではない。大学の行政組織は任期の短い研究者の集団ゆえに長期計画に欠け、組織の改革は経営環境の変化に追いつけなかったのが実情である。

日本の大学どうする?~2018年問題(2013年10月23日付ブログ「これからは共同体の時代」)

2008年の1億2800万をピークに日本の人口が減少に転じるころには、18歳人口は120万人に減少していた。2014年には118万人となり、ここ数年は横ばいだった。事なかれ主義の大学経営陣も、さすがに危機感をもって改革に乗り出すのだが、その手法は学部の統廃合、環境学部、スポーツ学科など学生に人気のありそうな新学部、看護、観光など実学に即したものが目につく。

学生の減少とともに、郊外にキャンパスを移していた大学は都心部にもどってきた。関西では同志社が田辺から京都にもどり、東京では法政大学が市ヶ谷キャンパスの拡充を行なった。60年代の土地ころがしに失敗し、郊外移転を実現できなかった明治大学が人気になっているのをみて、都市型大学にもどしたというわけだ。その過程で肥大した組織が削減され、その削減が臨時講師の雇い止め、専任の解雇事件につながっているのだ。札幌学院大学の片山一義教授(労働経済論)が主催するサイト「全国国公私立大学の事件情報」には、のべ数百件の記事が掲載され、その少なからぬ事件が解雇問題なのである。

関東の主要私立大学志願者数推移(2016年06月24日付『サンデー毎日』2018年問題を生き残る大学は「こう変わる!」)
関西の主要私立大学志願者数推移(2016年06月24日付『サンデー毎日』2018年問題を生き残る大学は「こう変わる!」)

もうひとつ、独立法人化した国立大学もふくめて、各大学が経営の立て直しのために行なったのが、文部科学省官僚の天下りの受け入れである。予定調和的な教授会自治の上に、これまた名誉職的な理事会がルーチンワークをおこなっているだけでは、改革の大ナタは振るえるはずがない。そこで私学の多くが財界人を外部理事にまねき、元官僚に辣腕を振るわせ、よってもって補助金をにぎっている文部科学省との良好な関係を築こうとしたのだ。

この天下りは、一昨年らい国会でも文科官僚の再就職の斡旋が、組織的に行われているとして問題にされてきた。そしてこの天下り官僚たちが各地の私学で、まさに辣腕を振るうことで大学組織をズタズタにしているのだ。城西大学における創業者の水田一族の追放劇、梅光学院大学における反対派の追放による組織崩壊などは、氷山の一角にすぎない。「紙の爆弾」4月号では小特集が組まれる予定だという。

いっぽう、大学の2020年問題とは入試改革である。センター試験に代わって、大学共通試験と名を変えて行われる予定だが、その内容はマークシートを残しつつも、記述問題が大幅に導入されるようだ。そのために入試時期を前倒しにしなければ採点が追い付かない。文科省と高校側のつばぜり合いが行なわれている。また、英語は国が指定する民間検定に順次移行するとされている。AO入試の問題点と併せて、本格的な議論を呼ぶものとなるだろう。

大学問題では、2月26日に元大学職員でジャーナリストの田所敏夫氏の『大暗黒時代の大学』(鹿砦社ライブラリー)が刊行された。大学改革および教育改革は、なおいっそう国民的な議論で検証されなければならない。大学の補助金は国民の税金であり、教育の行方はそのまま国家のゆくすえを決めるのだから。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。著書に『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。

2月26日発売!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

朝日新聞広報部の鹿砦社に対する対応をめぐり元全国紙記者から新たな声届く! 過度なコンプライアンス(法令遵守)でマスメディアは組織も記者も堕落した

過日、本通信に、元読売新聞記者山口正紀さんが朝日新聞の取材班に対する対応について、率直に鋭い指摘を寄せて頂いた。以下の紹介するのは、やはり元全国紙の記者であり、いまも一線で活躍されている方からのコメントだ。感想を求めたところ、

「ごぶさたしております。なかなか凄い対応ですね!」との書き出しから次のような感想をいただいた。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ことは、個々の記者あるいは『朝日新聞』『毎日新聞』に限らず、マスメディア全体にかかわる問題だと思います。コンプライアンスの名の下に官僚組織化した全国紙などでは、事実上、記者の言論の自由は剥奪されています。よけいな問題を起こされたら責任問題になると、保身に走る管理職だらけになってしまったからです。外での執筆活動や講演活動は届け出制、あるいは許可制となり、今回のように外部から取材を受けるときは広報部を窓口にするのが基本となっています。

このような傾向が強まったのは雲仙普賢岳の火砕流事故以来です。「とにかく危険なことはするな、危険な場所に行くな」ということで、現場記者は上司の管理下に置かれるようになりました。容易に想像がつくと思いますが、こうした傾向が続くと、何から何まで「上司のお伺い」が必要になり、あっという間に組織は官僚化します。

そこへネット時代が重なりました。ツイッターやブログは多くの目にさらされますから、記者のツイッターが炎上するといった事態も起きます。当然、上司に責任がいく場合もあります。外部から取材を受けたときも、そのやり取りがネットにあがることがあり、管理職は異様に気をつかいます。すべては自己保身による事なかれ主義です。だから、正直、河野氏も現場記者も見方によっては「被害者」だと感じてしまう自分がいます。現場記者はもちろん中間管理職も組織に逆らえば直ちに処分対象になりますから。

いまのマスメディアの堕落は「コンプライアンス」から始まったと私は考えています。かつての記者は、相手が上司だろうが「おかしなことはおかしい」といったものですし、上司もまたそれを受け入れていました。つまり、記者はひとりのジャーナリストとして自立していたのです。そうした文化が意味不明なコンプライアンスにより潰えてしまいました。言論の自由を標榜するマスメディアで社内民主主義が消えかけている――極めて深刻な問題だと思っています。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

なるほど。朝日新聞、毎日新聞に限らず、「コンプライアンス」が幅を利かせる時代になって「自立した記者」が放逐される仕組みが出来上がったので、今回のような対応が生じたとの分析だ。報道機関に限らず「コンプライアンス」は近年、金科玉条のように持ち上げられている。しかし「法令順守」といえばまったく同義で意味が通じるのに「コンプライアンス」があたかも「高尚な価値」のように扱われるようになってから、新聞社や記者はがんじがらめになって「自立した記者」が存在しにくくなっているようだ。だとすれば「コンプライアンス」という概念自体が報道の基礎を邪魔しているとうことにはならないか?

新聞社はもとより「企業」でもあるが、「報道機関」、「権力監視」、「公平な報道」などの機能を読者は無意識に期待しているのではないだろうか。取材班の中には「日本の報道機関は、過去も現在も常に腐っていて批評すること自体ナンセンスだ」との極論を曲げないスタッフもいるが、それでも生活の情報源として新聞からの情報に一定の信頼をおく読者は少なくないはずだ。

であるから、「元全国紙記者」氏の指摘は、深刻な構造的問題を提示してくれている。

「法律に従うこと」と「過剰な自己保身に走る」ことは異なる。自己保身に必死な「新聞記者」(あるいは新聞社)から、本質的な「スクープ」が生まれてくるだろうか。権力が撃てるか。「規制が強すぎて書きたいけども書けない」のであれば、むしろそう告白して欲しい。新聞社の内実が、そのような「自己保身」を中心とした価値観で占められていることなど、多くの読者は知る由もない。

(鹿砦社特別取材班)

◎朝日新聞本社広報部・河野修一部長代理が鹿砦社に答えた一問一答の衝撃(2018年2月20日鹿砦社特別取材班)

◎〈特別寄稿〉こんな官僚的対応をしていて、新聞社として取材活動ができるのか ── 大学院生リンチ事件・鹿砦社名誉毀損事件をめぐる朝日新聞の対応について (2018年2月24日山口正紀)

最新刊『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD
『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)
『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

上野千鶴子とは何者だったのか?〈3〉時代と添い寝する賢者の権威主義

 
「10・8山﨑プロジェクト」

さて、上野千鶴子とはなにものだろうか。わたしは「そうとはわかられないように、時代と添い寝する生き方の賢者」と感じている。京都大学の大学院時代から上野先生は広告代理店のようなシンクタンクに一時かかわっていたと聞いている。そのあと平安女学院短期大学を皮切りに上野先生の教員時代が花開くのであるが、まだ彼女を上野先生と呼ぶにふさわしくない、京都大学の学部生時代に彼女が最初に付き合った男性は、のちに破防法の個人適用で逮捕されることになるある党派全学連委員長だった、との噂は知る人ぞ知る情報だ。「10・8山﨑プロジェクト」の発起人に名を連ねているのも、そんな関係があってのことだろう(彼女が付き合っていた相手が山﨑博昭さんという意味ではない)。

◆「土井たかこさんは男性社会の生き方で党首になったのだから大したことだとは思わない」

 
『atプラス26』(2015年太田出版)

上野先生が京大に在籍したのは、1960年代後半から70年代中盤だ。70年安保の真っただ中で、彼女も学生運動の端くれにはいたのだろうが、その後上野先生の発信からは70年安保を体感したかおりは、まったくうかがえない。むしろわたしの知る限り、上野先生はある時はマルクスを利用しながらも、独自の世界を流転してこられた印象がある。

上野先生の名が世に知らしめられたのは、なんといっても「フェミニズム」の旗手としてだ。80年代立て続けに「フェミニズム」関連の書籍や論文を発表し、一躍時代の人となる。「フェミニズム」はそれ以前の「ウーマンリブ」運動を拡大し論理化する潮流が主流だったように感じる。この国の封建制を女性の立場から批判し、平等を訴える主張には原則的に正当性があるとわたしも感じた。だが、ある時期大学職員を対象とした研修会では講師が「女性差別をしたことのない男性などいない。女性が不快と感じればそれはすべて女性差別だ」などと、無茶な主張をする現象も招いた。

上野先生は、土井たか子が社会党の党首に就任したときコメントを求められ「土井さんは男性社会の生き方で党首になったのだから大したことだとは思わない」旨の発言をしていた。男権主義の社会構造のなかで女性が当時最大野党の党首になっても、「たいした意味はない」と上野先生は言い放ったわけだ。そうかな?と当時のわたしは納得できなかった。土井たか子は男勝りの押しの強い性格のようだ。男に媚を売って党内で力をつけてきたとは考えにくい。政治家としての自力が彼女に党首の席をあたえたのではないだろうか。

 
『おひとりさまvs.ひとりの哲学』(2018年朝日新書)

◆「フェミニズム」から「おひとり様」へ

そう言い放つ上野先生ご自身が思い描く「あるべき女性像」がどのようなものなのか、は知らない(あまり興味がないので)。上野先生だって前述のように所属していた小さな大学が大学院を作ろうと必死になっている中、「権威の象徴」東京大学へ移籍するという経歴の持ち主だ。あの行為は男女を軸に判断されるべき問題ではないだろうが、常識的な感覚からは考えられない背信行為だと私は感じた。東大に移籍するならするで構わないけども、それならば「大学院設置準備委員会」のメンバーに就任すべきではなかったのではないか。あるいは「委員会」が始まってから東大移籍が決まったのであれば、即時そのことを「委員会」で報告すべきだったろう。

そういった意味で上野先生は、「わがまま」と言われても仕方ない側面を持つ方だと言えよう。「フェミニズム」で輝いていた上野先生は、ある時期を境に「当事者」という言葉をキーワードに使うようになる。講演などでもしきりに「当事者性」を語っていたけれども、これは「フェミニズム」ほどのインパクトを社会に与えはしなかった。

正確な時期は分からないが上野先生にはある時期まで同居男性がいた。その男性との同居が終わったからなのか、それとは無関係なのか、上野先生は「おひとり様」にキーワードを変える。これは結構受けた。特に高齢者の域に差し掛かっている上野先生が、自身の弱みを認めながら生活してゆくことを語る講演には、高齢者を中心に高い評価を受けていた。

◆「憲法9条改憲」を主張するSEALDsさえも支持する「使い分け」

 
『世代の痛み ― 団塊ジュニアから団塊への質問状』(2017年中公新書ラクレ)

さらに、安保法制で国会前が騒然とするとSEALDsの集会にも足を運び、何度もスピーチをしていた。けれども、学生がツイッターに書いた文章に「フェミニズム」の立場からコメントすると、総叩きにあうという痛い目にもあっている。SEALDsに幻想を抱き、集会に足を運ぶあたりで、上野先生が学生時代どの程度学生運動とかかわっていたかが推測できる。あんなちゃちな主張をする子供たちを持ち上げた学者たちは、わたしの目から見たら全員「インチキ」だ。よくぞ恥ずかしげもなく、あんな場所で発言できるものだなぁと呆れた。

SEALDsは安保法制に反対しながら「憲法9条改憲」を主張する、矛盾に満ちた思考停止学生の集まりだった。それに乗っかかった大人たちは、もっと「どうかしている」人たちと言わねばならないだろう。その中に上野先生の姿があっても、「ああ、またやってる」とわたしにはまったく不思議ではなかった。

こうやって見てくると、上野先生は時代に合わせて提供する課題(ターム)を巧みに使い分け、世渡り上手に人生を過ごしてきた人だということが言えるだろう。でも、上野先生ご活躍の陰で、泣かされてきた人(教員などではなく弱者)が居ることをわたしは知っている。2018年2月。いまはかつて自明であったことがそうではなくなり、「反権威」、「反権力」を指向していた人たちが、なんの説明や総括もなく逆の立場に転じる「裏切りの時代」であるように感じる。

「そうとはわかられないように、時代と添い寝する生き方の賢者」を体現する上野先生。学生指導には非常に熱心だったが、権威主義から抜けきれられない人なのだろう。(未完)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書、2月26日発売!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

高橋亮は初のムエタイ選手との対戦に試練の辛勝! 闘魂シリーズ vol.1

コッチャサンvs高橋亮。中間距離はコッチャサンの距離、ヒザが入り易い
コッチャサンvs高橋亮。高橋亮のローキックでバランス崩すコッチャサン

高橋亮は初回の様子見からパンチとローキックで主導権を握る。そのローキックで次第にコッチャサンは足が効いて仰け反ったりフラつくようにバランスを崩すこと多くなる。「KOできるぞ」というムードも3ラウンド中盤からコッチャサンの組み合っての攻防が多くなり、崩されたり、くっ付いてもやや離れてもヒザ蹴りが鋭く入るムエタイの距離感。前半の足のダメージなど、効いていないかのようにコッチャサンのフットワークがいい。

高橋亮も元のペースに戻そうとパンチで出る攻勢は見せるも、コッチャサンの巧みな技にはまり、ムエタイの奥の深さを感じたように攻略が難しくなる。高橋亮もキックとして攻めは目立ったので勝利を導いたが、「ムエタイでは完全にポイント持っていかれたな」という展開。

昨年12月、「KNOCK OUTイベント」に於いて小笠原瑛作と引分けた結果には評価が上がったが、ムエタイ元ランカーには苦戦。まだまだ越えなければならない壁はあるが、今後も壁を打ち破る成長が期待される三兄弟の一人で、観衆からの不甲斐なかったと言う不満の声にも反省の言葉を返した高橋亮でした。高橋亮はこれで19戦14勝(6KO)4敗1分。

コッチャサンvs高橋亮。高橋亮の左ストレートが先にヒット

棚橋賢二郎(拳心館)vs野村怜央(TEAM.KOK)は第1ラウンドに2度ずつのノックダウンがあり、第2ラウンドも棚橋のパンチ連打で2度のダウン奪ってKO勝利。第1ラウンドの棚橋2度目のダウンはその前の過撃の注意と重なりタイムストップが入るも、そのアナウンスがされていないが2度ずつのダウンとなる様子。前回興行に続く劇的な展開はNKBらしさがあるが、打たれ過ぎはなるべく避けて貰いたいところでもあります。

野村怜央vs棚橋賢二郎。2ラウンド目の2度目のダウンへ繋いだ右ストレート
棚橋賢二郎のパンチ連打で崩れ落ちた野村怜央、この後、タオルが入る

安田浩昭は得意のパンチで攻勢に出るが詰め切れない。時折、鎌田政興の強い蹴りが出るがこれも詰め切れない。安田浩昭のパンチとローキックがやや上回る展開が続き、決め手に欠ける内容ながら、安田浩昭の判定勝利。

安田浩昭は昨年12月に倒した高橋聖人(真門)と今年6月16日にNKBフェザー級王座決定戦で対戦予定となります。安田浩昭は11戦9勝(4KO)2敗。

鎌田政興vs安田浩昭。安田浩昭の重いパンチで鎌田政興を追い込む

その王座は、高橋と同門の優介が昨年12月に村田裕俊(八王子FSG)からダブルノックダウンの末KO勝利で王座奪取しているが、試合前からドクターによる引退勧告が言い渡されており、頭部の危険を承知の上での挑戦でした。王座を獲ることが目標で、それが達成された今、引退を表明したこの日のリング上でした。

女子キックも定着してきた日本キック連盟での展開。両者の技術の向上も見られ、21歳の壽美が31歳の喜多村美紀に的確さで優り判定勝利。

壽美(コトミ)vs喜多村美紀。互いにキャリアは浅いが若い壽美が有効打で上回る

◎闘魂シリーズ vol.1 / 2018年2月17日(土)後楽園ホール 17:30~20:45
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

野村怜央vs棚橋賢二郎。ダウン奪われた野村怜央が逆転の右ハイキック
棚橋賢二郎vs野村怜央。更なるダウンを奪う野村怜央の右ストレート
逆転から逆転へ繋ぐ棚橋賢二郎の前進する圧力
ペースを奪い返してパンチヒット狙う棚橋賢二郎

◆第10試合 55.5kg契約 5回戦

NKBバンタム級チャンピオン.髙橋亮(真門/22歳/55.4kg)
   VS
コッチャサン・YZD(元・ルンピニー系スーパーバンタム級7位/タイ/19歳/54.7kg)
勝者:高橋亮 / 判定3-0 / 主審:前田仁
副審:鈴木50-48. 馳49-48. 川上49-48

◆第9試合 ライト級 5回戦

NKBライト級1位.棚橋賢二郎(拳心館/30歳/60.75kg)
   VS
同級4位.野村怜央(TEAM.KOK/27歳/61.0kg)
勝者:棚橋賢二郎 / KO 2R 2:56 / カウント中のタオル投入による棄権
主審:亀川明史

◆第8試合 フェザー級3回戦

NKBフェザー級1位.安田浩昭(SQUARE-UP/31歳/56.95kg)
   VS
同級5位.鎌田政興(ケーアクティブ/27歳/56.9kg)
勝者:安田浩昭 / 判定3-0 / 主審:鈴木義和
副審:佐藤友章50-48. 川上50-48. 亀川50-48

◆第7試合 女子51.0kg契約3回戦(2分制)

喜多村美紀(テツ/31歳/50.95kg)vs壽美(NEXT LEVEL渋谷/21歳/50.8kg)
勝者:壽美 / 判定0-2 / 主審:馳大輔
副審:川上30-30. 前田29-30. 佐藤友章29-30

◆第6試合 ヘビー級3回戦

打田知彦(テツ/37歳/86.75kg)vs森本真(極蹴会/50歳/81.6kg)
勝者:打田知彦 / KO 3R 2:02 / 3ノックダウン
主審:佐藤彰彦

◆第5試合 フェザー級3回戦

藤田洋道(ケーアクティブ/37歳/56.8kg)vs半澤信也(トイカツ/36歳/57.0kg)
勝者:半澤信也 / TKO 2R 0:57 / カウント中のレフェリーストップ
主審:佐藤友章

◆第4試合 ウェルター級3回戦

ゼットン(NK/46歳/66.6kg)vsちさとkiss me(安曇野キックの会/35歳/66.6kg)
勝者:ゼットン / 判定3-0 / 主審:川上伸
副審:鈴木30-29. 佐藤彰彦30-29. 馳30-29

◆第3試合 ライト級3回戦

小笠原裕史(TEAM.KOK/39歳/60.75kg)vs神田拳児(Team S.A.C/20歳/60.95kg)
引分け 0-1(28-28. 28-28. 28-29)

◆第2試合 バンタム級3回戦

古瀬翔(ケーアクティブ/22歳/53.1kg)vs大﨑草志(STRUGGLE/36歳/53.25kg)
勝者:大﨑草志 / 判定0-3 (29-30. 28-30. 28-30)

◆第1試合 バンタム級3回戦

志門(テツ/21歳/52.9kg)vs剣汰(アウルスポーツ/18歳/53.15kg)
勝者:志門 / 判定2-1 (29-30. 30-29. 30-29)

プログラム貰って会場に入ると、後で2冊持っていることに気付く。薄くなったのでした。紙質は厚くなった気がするが過去の16ページから8ページに。でも明らかに1冊の厚さは薄い。だからすぐには気付かず。この薄さと中身から「体制が何か変わったな」とはすぐ感じました。興行的には普段と変わらず、盛り上がりもあれば、不甲斐ない試合もあった興行でした。日本キック連盟は昔からプログラムは無料配布される体制です。

連盟の渡辺信久代表が珍しく体調不良で欠席されました。インフルエンザかな?と思いますが、ドクター勧告で「行っちゃダメ!」と止められている様子

その渡辺ジムは昨年暮れに、長年住みなれた葛飾区東新小岩から江戸川区東小松川に移転。ジムは近代的でもなく、古い造りでもないような話は聞きましたが、その様子は一度覗いてみたいものです。

旧ジムは古いビルの4階で、入るには4階に至るまで薄暗く緊張する階段でした。今時の空調設備と女子更衣室完備のジムが増えた中、昔ながらの隙間風入る、冬寒くて夏暑い、カビ臭い、ボロボロのサンドバッグが吊り下がり、リングのマットが剥がれているようなジムはどれぐらいあるでしょう。古いジムの方がキックらしい気がします。古い考えですが。

次回興行、闘魂シリーズvol.2は、4月21日(土)後楽園ホールに於いて17:30開始です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

〈特別寄稿〉こんな官僚的対応をしていて、新聞社として取材活動ができるのか ── 大学院生リンチ事件・鹿砦社名誉毀損事件をめぐる朝日新聞の対応について 山口正紀(ジャーナリスト、元読売新聞記者)

2月20日付「デジタル鹿砦社通信」を読んで、朝日新聞社の不誠実極まりない官僚的対応にあきれ果てた。

◆幹事社として鹿砦社に対応した朝日記者には、明らかに「説明責任」がある

問題の第一は、鹿砦社が李信恵氏を名誉毀損で提訴した際、記者クラブ幹事社として記者会見の要請を拒否したこと。「加盟全社に諮ったうえ」とのことらしいが、少なくともあの凄惨なリンチ事件の当事者が、それを告発した鹿砦社を「クソ」呼ばわりした、しかもその当事者は李信恵という社会的に名の知られたライターであり、自身の訴訟では度々記者会見を開き、記者クラブ加盟各社もその会見を記事にしてきた、半ば公人である。

これは、司法記者クラブという半ば公的な存在であるメディア機関が、このリンチ事件に関しては「中立・公正」の建前を捨て、それを市民・読者・視聴者に伝えるメディアとしての役割を放棄し、リンチ加害者を擁護したことになる。

これについて、幹事社として鹿砦社に対応した朝日記者には、明らかに「説明責任」がある。朝日新聞は、安倍政権のモリカケ疑惑などで、関係機関・個人の「説明責任」を求めてきたが、自身がそれを求められた場合、当事者である記者が、電話にも応じないというのは、実に不可解な態度であり、明らかな二重基準だ。

◆3人の朝日記者がとった対応は、ジャーナリストとしての基本を踏み外した責任放棄対応だ

問題の第二は、関与した記者たちが、鹿砦社の電話取材から逃げ回り、記者個人・ジャーナリストとしての矜持も捨てて、「会社」にすべてをゆだねてしまう情けなさだ。

この3人の記者は、自分の取材対象が取材途中で「詳しいことは会社が対応します。広報を通じて取材して下さい」と言ってきたら、はいそうですか、とすんなり応じるのだろうか。そんなことはあるまい。「あなたには、問題の当事者として取材に答える義務がある」とその当事者を追及するのではないだろうか。

もし、これが朝日新聞の「取材への基本的対応」であるとしたら、もうこれから、だれも朝日の取材には応じなくなるだろうし、応じる必要もなくなるだろう。3人の記者がとった対応は、それほどにジャーナリストとしての基本を踏み外した、「会社人間」の責任放棄対応だ。

◆本社広報部部長代理の対応は国税局長に出世した佐川氏と同レベルだ

問題の第三は、対応を委ねられた本社広報部部長代理の尊大極まりない電話対応だ。

個々の記者には「本社広報部が窓口」と言わせておきながら、窓口としての役割を果たそうとせず、鹿砦社の取材を「非常識・迷惑」と非難する不誠実な電話対応に終始した。

少なくとも、「広報が対応する」というのなら、記者個々人に代わって、広報部としてきちんと質問に答えなくてはならない。そうでなければ、「広報部」とは言えない。それを、この河野部長代理は、問題の経過、事実関係もろくに把握せず、「記者に連絡を取るのは止めてくれ」「細かい大阪のことは知らない」という無責任で不当・不誠実な対応を繰り返した。

河野氏は元新聞記者なのだろうか。もしそうであれば、取材対象が「広報部」に連絡してくれと言って、広報部に連絡すると「個人への取材は止めてくれ」と言われ、はいそうですか、と引き下がるような軟弱な取材しかしてこなかったのだろう。

記者個人に「広報部を通じて」と言わせたのなら、せめて、広報部として、相手の質問に誠実に答えるのが「新聞社の広報部」ではないのか。これではまるで、「何も知りません」「資料は破棄しました」答弁を繰り返して国税局長に出世した佐川氏と同レベルだ。

今回の鹿砦社に対する対応で、朝日新聞社は、自分たちが取材対象になった場合は、こんな官僚的対応を取る会社であり、「取材の自由」や「報道の自由」を平気で踏みにじるメディアであること、ジャーナリズムとは程遠い存在であることを、天下にさらけ出したというほかない。

▼山口正紀(やまぐち まさのり)
ジャーナリスト。元読売新聞記者。記者時代から「人権と報道・連絡会」メンバーとして、「報道による人権侵害」を自身の存在に関わる問題と考え、報道被害者の支援、メディア改革に取り組んでいる。

◎[関連参照記事]鹿砦社特別取材班「朝日新聞本社広報部・河野修一部長代理が鹿砦社に答えた一問一答の衝撃」(2018年2月20日付デジタル鹿砦社通信)

◎今回の朝日の対応は多くの方々に衝撃を与えました。今後、メディア関係者の論評を暫時掲載いたします。また、皆様方のご意見もお寄せください。

最新刊『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD
『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)
『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

上野千鶴子とは何者だったのか?〈2〉生き延びるための東大移籍

 
『多型倒錯―つるつる対談』(1985年創元社)

縁は不思議なものである。会社勤めに嫌気がさして、京都の小さな私立大学の事務職員に転職したわたしは、そこで上野先生と再会をはたすことになる。上野先生に講義を2回だけうけてから10年弱で同じ職場に勤務することになった。上野先生は多忙なので、個人でアシスタントを雇っていた。きびきびした感じの良いわたしと同年齢の女性だった。

学内に上野先生がいないときはその方が連絡役や、郵便物の整理を担当していた。ある時上野先生から「研究室に設置してあるFAXの調子がおかしいので、見に来てくれないか」と事務室に電話があった。わたしは着任してから何度か上野先生と言葉を交わしていたが、学生時代に上野先生の講義で質問したことがある(第1回参照)ことは、話していなかった。

◆「ところで先生、もうお忘れですよね」

具合の悪いFAXの調子をみながら「ところで先生、わたしは学生時代に先生の講義で質問したことがあるんですけど、もうお忘れですよね」と声をかけると「え、そうだったの?どこの大学?」、「関西大学ですよ。大教室の講義で質問させていただきました」、「ああ、そんなことあったっけ…」。どうやら上野先生の記憶の中にわたしの質問は残っていなかったようだ。同じ職場で働くうえではその方が具合は良い。「クソ生意気な職員」と教員から思われて得することなど一つもないのだから。

 
『スカートの下の劇場 ― ひとはどうしてパンティにこだわるのか』(1989年初版=河出書房新社/1992年河出文庫)

ところが、それからわずか数年後にわたしや同僚は、上野先生に対して逆鱗せねばならない事態に直面させられる。当時上野先生が所属していた学部には、大学院がなく、大学全体の価値を高める上でも大学院の設置が決定し、教員と職員数名による「大学院設置準備委員会」(正式名称はちょっと違うかもしれない)が発足し、上野先生は教員として、わたしは職員の一人としてその「委員会」に所属していた。新設大学院はどのような修了生輩出を目指すのか、カリキュラム内容はどのようなものにするのか。大学院設置に関して、その方向性から実務までのすべてが「委員会」で議論された。

大学が新しい学部や、大学院を設置するときは、同一もしくは類似分野で先行して学部や大学院を開設している大学を訪問し、先行大学の経験やカリキュラムについて教えてもらう。企業の世界ではあまり一般的ではないけれども、そういった調査・準備活動が大学業界では珍しくなかった。わたしも教務部長とともに幾つもの大学にお邪魔し、薫陶を賜った。「委員」各位の努力の甲斐あって、文部省(現在の文科省)に大学院設置に関する書類を提出する準備も整い、順調に作業は進んでいた。

◆「どうして東大に移られたのですか?」

ところがある日、衝撃的な情報が学内を駆け巡った。次年度から上野先生が東京大学に移るというのだ。上野先生は前述のとおり「大学院設置準備委員会」のメンバーで「委員会」の際も積極的に発言をしていた。順調に行けば次年度から開設される大学院の教員リストの中には、当然上野先生の名前があった。それが開設を控えた時期になっていきなり来年から「東大にいく」と言い出したのだ。

 
『家父長制と資本制 ― マルクス主義フェミニズムの地平』(1990年初版=岩波書店/2009年岩波現代文庫)

「売れっ子」は、より待遇の良い場所で仕事をしたがるのはわかる。だから大学院設置の話が出たとき、わたしは親しい教員に「上野先生、逃げることないでしょうね?」と聞いたところ「大丈夫。その心配はないよ」と言われていた。わたしはその教員の返答に、要らぬ心配はすまいと、それ以上上野先生の「流出懸念」は忘れていた。でも結局大学にとっては一番困るタイミングで「東大移籍」が行われることになった。

困る理由の一つは「売れっ子」が居なくなることだが、当時最大の問題はそれではなかった。大学院の設置には文部省(現文科省)による教員の資格審査がある。
大学院で論文指導を行うことができる教員を「〇合」(まるごう)、論文指導はできないけれども、論文指導補助と講義は担当できる教員を「合」(ごう)、論文指導は担当できないが講義は担当できる「可」(か)と、学歴(学位)、過去の業績や教歴により、担当教員として申請した教員全員が文部省により、ふるい分けられるのだ。

一定数の「〇合」教員がいないと大学院自体の認可申請がおりない。先に述べたように先行大学を訪問し、開設の際の文部省との折衝を伺うと、新たな大学院設置に関しては、教員の資格審査が、最大の懸念事項になるであろうことは「委員会」の共通認識だった。

本論とはそれるが、一度「〇合」と文科省から認定されると、その分野では評価が下がることはない。だから安定志向で新たな大学院設置を行う大学は、既に「〇合」と認定されている教員(主として国公立大学の定年後、もしくはそれに近い教員)を呼んできて開設するケースも多い。そうすれば教員審査によって大学院の開設が不許可になることはないからだ。

私たちは新たな教員の採用なしに、当時の保有スタッフでの大学院開設を目指していた。しかし、当時の教員スタッフの中には博士号保持者はおろか、修士号保持者も少なかった。訪問先の大学で「おたくの教員、学卒(学部卒業)が多いねー。これは厳しいなー」とコメントされたこともあった。社会的には著名で、実績はあるけれども文部省が「〇合」と認定してくれる確証を持てる人数は少なく、その中に修士号を取得していた上野先生は当然入っていたのだ。「大学院設置準備委員会」メンバーで私たちが「〇合」確定とカウントしていた上野先生が抜ける!急遽補充をしなければ認可を得ることが難しい状況となった。

その後大学執行部や学部の努力により、上野先生に変わる教員の採用を急遽決定し、大学院は開設することができた。しかし私は以下のコメントを忘れない。東大に移った上野先生が新聞のインタビューに答えていた。

「どうして東大に移られたのですか?」
「きまってるじゃない。私立大学の仕事の多さに嫌気がさしたからです」

朝日新聞だったのではないかと記憶するが、このコメントはわたしの神経を逆なでした。前述の上野先生の「東大移籍」劇がその理由ではない。実は上野先生はわたしの勤務していた大学で1991年から1年間ドイツへ公費で研究に出ておられた。著名な先生なので、それは分からないことではない。学外での研究が学生の教育へ還元される効果も期待できる。ところが上野先生は1年間学生への講義を行わず、ドイツで研究に従事していたにもかかわらず、3年もおかず、今度は「メキシコから招聘されているので、1年メキシコに行きたい」と言い出したのだ。その時期と「大学院設置準備委員会」に上野先生が参加していた時期が同じだった。教員には「サバティカル」と呼ばれる1年間の国内外研究期間が与えられる制度があったが、その間、当然講義はできないから、不文律ながら当該学部の希望教員が順番に「サバティカル」を取るのが慣例だった。

上野先生は着任数年で1年のドイツ行きが認められただけでは満足せず、3年とおかずに「メキシコに行きたい」と駄々をこねだしたのだ。古くから在籍している教員や、私たち職員も「やっぱり『売れっ子』はわがままだなぁ」と感じた。

 
『上野千鶴子 東京大学退職記念特別講演 生き延びるための思想』(2011年講談社DVDブック)

◆人情派の教務部長は泣きながら吼えまくった

「東大移籍」が発覚したとき、当時の教務部長は事務室で、私と飲みながら怒りを隠さなかった。「なにが東大や!ワシらはたしかに小さな田舎大学や。でもこんなに素敵な大学があるか?ワシは心からこの大学を愛しとる。お前もそうやろ?」やや酒癖の悪いけども人情派の教務部長は泣きながらわたしに吼えまくった。「あたりまえや!なにが東大じゃ!所詮最後は権威主義の『東大』で上がりたかった言うことやろ!勝手にせえや!なあ○○さん。ワシはこんなことされたら気が済まん。絶対にこの大学を世界一にしようや。日本一なんてくだらん。世界一や!」○○さんの逆鱗は数時間収まらなかった。「委員会」の末席を汚していたわたしも同様だ。

「どうして東大に移られたのですか?」
「きまってるじゃない。私立大学の仕事の多さに嫌気がさしたからです」

よく言えたものだなぁと呆れた。ただ、怒りの一方、いちまつの寂しさもあった。それは上野先生が学生からの評判が良く、けっして難関大学ではない、田舎のちいさな大学で(大学へはかなり横柄ではあったけれども)、学生の面倒見は感心するほど繊細だったからだ。当時、わたしは教員が評価した学生の成績をコンピューターに入力し、学生に伝える部署に配属されていた。通常、学生の評価(成績)は遅くとも2月中旬には教員から事務室に伝えてもらうことになっていたが、上野先生だけでなく、研究や休暇で海外へ出かける教員が多いのもこの時期だ。

しかし、4年生は3月の卒業を控え、3年生以下も次年度の履修計画に影響するので、教員から成績をもらえないことには学生に伝えることができず、その結果学生に不利益をもたらす懸念を成績担当の事務職員は常に持っていた。いまのように電子メールが普及してない時代にあっては、手紙かFAX,あるいは国際電話でしか、確認が取れないこともあるからだ。

どの国か忘れたけれども上野先生が、海外にお出かけの際に、学生の評価(成績)について国際電話で確認したことがある。履修者数の少ない講義ではあったが、上野先生はすべての学生の到達度と熱心さを把握しており、電話越しにわたしが投げつける質問に、すべて即答してくださった。学生の教育には本当に熱心な方だと感銘を受けた記憶は忘れられない。(つづく)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書、2月26日発売!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)