《書評》高部務著『あの人は今 ―― 昭和芸能界をめぐる小説集』 昭和の匂いを感じさせる作品集は、ついつい物語の背景を想わせる

 
高部務『あの人は今 昭和芸能界をめぐる小説集』

著者は1968年に高田馬場にある大学に入学、と『一九六九年 混乱と狂騒の時代』の冒頭にある。ベトナム反戦運動のさなか、立川の高校に通っていたというから60年代末を多感な時期に体感したといえよう。そんな著者が週刊誌のトップ屋稼業をはじめた70年代からのエピソードをもとに、昭和の空気を味わうがごとく切りとった小説作品集である。実在の人物をもとにした小説であれば、仮名を用いてもそこはかとなく登場人物の息づかいが感じられ、暴露ものではないと思いつつも「あっ、これは誰それだ!」という興味が先を読ませる。なかなかのエンターテイメントなのだ。

たとえば、表題作「あの人は今」の西丘小百合は南沙織である。おりしも出版社系週刊誌の黎明期で、スクープをねらう芸能記者のうごき、事務所と結託した番組スタッフのうごめき、そしてその結果としての女性歌手のささやかな夢の実現。彼女が沖縄米軍基地および日米地位協定の理不尽さに憤りをもっているのは、わたしのような芸能界門外漢でも知っていることだけに、読んでいてリアルで愉しい。

◆昭和の芸能一家の喜悲劇

その西丘小百合こと南沙織が南田沙織としてブラウン管に登場する「蘇州夜曲」は、福島県いわき市の一家の父親が娘のかおりを歌手デビューさせようと奮闘する、70年代にはよくあった東北と東京の光景ではないか。700万円で戸建ての家が造れた時代に、資産家とはいえ1千万円単位でデビュー資金を要求される。坪3000円の土地担保で融資された4千万円は、すでにレコード大賞の審査員や著名な音楽家たちの懐に渡っているのだ。1億円近くを詐取された父親は、警察に告訴するも娘とカネはもどってこない。芸能界の華やかなステージの裏側に、こんな喜悲劇(せめて喜びもあったとしたい)は山とあったのだろう。我慢という名前の芸能プロデューサーが実刑判決を受けたのが、父親とこの作品にとっては唯一の救いだ。名曲蘇州夜曲が物語の背景にあることがまた、昭和のロマンを伝えてくれる。

「同窓生夫婦」も芸能界デビューを夢みる少女の物語だ。第二の山口百子(=山口百恵)を夢みた少女は、地方の勝ち抜き歌合戦をへて芸能プロに所属することになる。母親を援けたいという動機はしかし、女と駆け落ちをした父親との再会という、やや救いの乏しい現実から出発している。これが作品中に果たされないのは、読者にとっては虚しい。

ともあれ彼女は堀米高校(=堀越学園)に通いながら、同級生のライバルたちと凌ぎを削る。しかるに、凌ぎを削るのは異性関係の足の引っ張り合いというか、スキャンダルであるのは言うまでもない。少女は芸能プロの男とのあいだに出来た子供を堕胎したことを、新人賞をめぐるライバルの同級生にリークされ、賞レースの年末までに華やかなステージから沈んでしまう。救いは彼女を慕って(?)いた中学からの同窓生の男の子だった。おそらく今でも大半の歌手志望者が落ち着く、カラオケスナックを第二のステージにした歌手生活が、彼女のささやかな幸せを受け止めたのだ。喝采。

「マネージャーの悲哀」の麻田美奈子モデルがあるとすれば、大阪から上京した赤貧の母娘と言う設定なので、浅田美代子ではなく麻丘めぐみであろうか。そのアイドル候補に怪我をさせた件(濡れ衣)で母親に土下座させられたマネージャーは、女子大生ブームの新しいアイドルにも身代わりの土下座をさせられた末に、暴露本ライターに行き着く。ベストセラーになったらしく、かれは国道沿いにホルモン店をいとなむ。何というかまぁ、めでたし。

順番は前後するが「消えた芸能レポーター」は喫茶店のボーイから記者(芸能レポーター)になった元受験生が、じつは強姦犯だったというミステリアスな展開だ。作品のなかばからドキュメンタリータッチに感じられる筆致は、この原案が事実だったことを感じさせる。失踪した元強姦犯は樹海の中で死んだのか、それともまだ生きているのか――。


◎[参考動画]南沙織 夜のヒットOPメドレー

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。『一九六九年 混沌と狂騒の時代』では「『季節』を愛読したころ」を寄稿。

高部務『あの人は今 昭和芸能界をめぐる小説集』

◎朝日新聞(2019年11月23日付)にも書評が掲載されました!
高部務〈著〉『あの人は今 昭和芸能界をめぐる小説集』(評者:諸田玲子)

メッキが剥がれた自民党のプリンス 「上級国民」の悪しき典型として晒しものになりつつある小泉進次郎環境大臣

小泉進次郎の環境大臣就任にさいして、本欄でこう指摘してきた。

「安倍政権が、単に小泉人気を取り込んだだけではなく、閣僚人事が熾烈な『政局』であることを見ておく必要があるだろう。」

というのも、菅義衛官房長官の『文藝春秋』での対談をテコにした取り込みが、安倍総理の了解のもとにおこなわれてきたからだ。これも以下に指摘しておいた。

「今回のパフォーマンスには、小泉進次郎がこれまで石破茂を総理候補として支持してきた(地方・農業政策は石破茂と一致している)ことから、安倍総理への宗旨替えを表明させたものと見られている」

◆上級国民たる小泉進次郎と滝川クリステルの「特異性」「選民性」

それはしかし、滝川クリステルとの結婚発表のパフォーマンス(これも菅義衛の仕込み)で描かれていたシナリオでありながら、上級国民たる小泉進次郎と滝川クリステルの「特異性」「選民性」を浮き出させる結果となった。

上級国民としてのパフォーマンスを嫌悪したのは、一般国民のみならず自民党の年輩の議員たちも同様であった。そしてその空気はメディアにおいても、手痛いしっぺ返しが小泉新大臣を襲うことになったのだ。それは伴侶となった滝川クリステルの浪費壁とおもいうべき金銭感覚においても。

「進次郎(資金1位)の足を引っ張る滝クリの『金銭感覚』」
●「おもてなし」でギャラ高騰 今も年収1億円超え
●滝クリ セレクトは月80万円マンション、50万円バッグ、ベンツ
●進次郎“女子アナ密会”ホテルに政治資金で宿泊代67万円
(以上、11月7日発行「週刊文春」)

滝川クリステルとの結婚を首相官邸で行なうという、前代未聞のパフォーマンスをどう見るべきであったか? 本欄の過去記事から、再度指摘しておこう。

「マスコミが国民的な関心をあおり、全国放映するという異様な光景だ。かれは特別な階級に属する、国民が注目するべき貴人なのだろうか? 小泉進次郎は国会議員とはいえ、ふつうの国民ではないのか? いや、かれはふつうの国民ではない。上級国民なのだから――。」資産と生活において、まさにこの夫婦は「上級国民」だったのだ。


◎[参考動画]小泉進次郎議員と滝川クリステルさんが妊娠・結婚へ(テレ東 2019/08/07公開)


◎[参考動画]総資産最多は小泉進次郎氏 全額がクリステルさんの資産(FNN 2019/10/25公開)


◎[参考動画]滝川クリステルさんのプレゼンテーション IOC総会(ANN 2013/09/08公開)

◆基本ポリシーの欠落

一挙手一投足がマスコミに注目され、ある意味では晒しものになりつつあると言って間違いではないだろう。菅官房長官が小泉進次郎を政権に取り込んだ稚拙さ、あるいは安倍晋三総理の「政敵の一部を取り込みつつ、その将来を奪う」という戦略の巧みさは、もはやどうでもいい。これまで、記者の一般的な質問に無責任な立場から政権批判をしていた当の本人が、環境大臣というきわめて難しい立場に置かれて、その不勉強ぶりと定見のなさを暴露されているのだ。

「気候変動問題はセクシーに」という無定見。国連の会見で「火力発電を減らす」と断言した小泉大臣は、その方法を外国メディアから聞かれると、しばらく沈黙して「私は、大臣に先週なったばかりです」などと言うだけだった。そのニューヨークでは、環境破壊の元凶でもある牛肉のステーキを食べたと、自慢げに公言するあり様だ。家畜飼料として、鶏肉1キロを生産する場合に必要なトウモロコシは3キロ、豚肉1キロで7キロ、牛肉1キロでは11キロである。牛肉は飼育期間が長く、飼料の量はそのまま多くなるからだ。畜産も排せつ物などで温室効果ガスを排出している。なかでも牛の排出量は飛びぬけて多いとされている。小泉大臣はおそらく、何も知らずにステーキ発言をしたのであろう。ステーキを食べるなとは言わない。環境問題にかかわる政治家・大臣としては不適切な発言であることを知るべきだ。


◎[参考動画]「気候変動問題はセクシーに」小泉大臣が国連で演説(ANN 2019/09/23公開)

政治評論家の伊藤惇夫氏は、小泉進次郎を評してこう語っている。

「大臣としては新人で、政策などに通暁していないのはある程度仕方がないと思います。小泉さんは如才がなく、受け答えの能力は高いです。確かに、表面的には正論めいたことを言います。しかし、外交や安全保障といったこの国の方向性についての主張で、納得できる発言は記憶にないですね。小泉さんの発言に中身や具体性、方向性がないことが、大臣になって表面化したのではないですか」(9月24日、J-CASTニュース)。

ようするに、基本的なポリシーがないのである。自民党農政部会のときの農協改革を加速させた「手腕」は、日本の農業に寄り添うかたちで、農協関係者の理解を得られることが出来たが、それは人気政治家を農林族に取り込もうとする関係者の利害にすぎなかった。それが政府にとって困難(ネガティブ)なテーマになると、たちまち無内容ぶりを露見せざるを得ない。たとえば水俣病である。

◆水俣での猛反発

10月19日に熊本県水俣市で水俣病関連の慰霊祭に参列しているが、関係者との意見交換会では、特別措置法で定める周辺住民の健康調査を行うかどうか、あやふやな発言を続けて反発を招いている。小泉大臣は慰霊式のあと地元の商工会関係者と懇談し、人口減少をめぐる悩みこう答えたというのだ。

「減るものを嘆くより、減る中で何ができるか考える街作りをやりませんか。一緒になって考えれば、日本らしい発展の道が描けると思う」と、口当たりの良い言葉のほかに、具体的なことは何も語っていないのだ。

水俣病被害者団体の約20人との意見交換会では、激しい反発をくらっている。

「大臣、ねえ、ちゃんと返事してくださいよ」

小泉大臣が締めのあいさつをした後、出席者の1人があきれたように声を張りあげたといいうのだ。周知のとおり、平成21年に施行された水俣病特別措置法に盛り込まれた周辺住民の健康調査は、いまだに行われないままで、被害者団体から健康調査を求める厳しい批判が相次いでいる。

「健康調査は大臣の一言でできる。水俣病の症状がある多数の患者が切り捨てられてきたんです」「小泉氏には行動力がある。大臣が水俣病を公害の原点と思うならば、きちんと片付けて。63年たっても解決しないのは国が被害者の声を聞かないからだ」「解決を目指すために政治が主導権を発揮すべきだ。持ち前の指導力と発信力を発揮してもらいたい」

声を震わせながら批判する出席者に対し、小泉大臣は正面からの答えを避けた。
「要望は精査する。環境省職員は新しい大臣にまず『環境庁は水俣病がきっかけとなって立ち上がった。そのことを決して忘れるな』と言っている。そのことを忘れず、何ができるかを考えていきたい」

「水俣病被害者の会」の中山裕二事務局長も産経新聞などの取材に不満をにじませたという。

「小泉さんは一見歯切れがよさそうだが、よく聞けば何も語っていない。水俣病をもって環境庁ができたというが、むなしく聞こえる」

その後の記者会見でも、地元メディアから、健康調査の実施に後ろ向きな環境省の姿勢を批判する質問が相次いだ。小泉大臣は口をへの字に曲げ、こう繰り返すのみだったという。

「現時点で具体的時期を答えるのは困難だ。メチル水銀の健康影響を客観的に明らかにする手法は慎重かつ確実に開発しなければならない」

語るに落ちる「具体的時期を答えるのは困難だ」としながら、前向きな雰囲気の発言は誰にでもできる。問題はそれを政策として具体化すること、関係省庁を巻き込んだ具体策へと結実させるのが政治家、とりわけ環境大臣としての責任なのである。ひとりの議員として、政治を論評してきた延長上にしか、いまの小泉大臣の言動はないと断じてもいいだろう。それは言うまでもなく、大臣失格という烙印である。


◎[参考動画]水俣病犠牲者へ祈り 公式確認63年、今なお課題(共同通信 2019/10/19公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

[関連記事]
◎奇人変人総集合の第4次安倍改造内閣で国民が払う重いツケ(2019年9月18日)
◎安倍総理が小泉進次郎を環境相に迎えた本当の理由は何か?(2019年9月20日)
◎続々湧き出す第4次改造安倍政権の新閣僚スキャンダル 政治家と暴力団の切っても切れない関係(2019年9月21日)
◎高齢・無能・暴力団だけではない 改造内閣の「不倫閣僚」たち(2019年9月24日)
◎安倍官邸親衛隊の最右翼、木原稔議員が総理補佐官に就任した政治的意味(2019年9月25日)

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』好評発売中!

高齢・無能・暴力団だけではない 改造内閣の「不倫閣僚」たち

順送り人事ゆえに、およそ職務に不適格な高齢閣僚、暴力団との関係が深い反社閣僚、あるいは小泉進次郎の「転向」にみられる政局含みと。ここまで第4次安倍改造内閣の閣僚たちを紹介してきた。ものごとには、いろどりというものがある。今回はその、いろどりを色事で飾ってくれた閣僚たちの物語だ。

◆菅原一秀経産大臣の「愛人」遍歴

菅原一秀経産大臣

週刊誌で「愛人を練馬区議にした」と騒がれているのが、菅原一秀経産大臣である。菅原一秀氏といえば「保育園落ちた。日本死ね」というブログ問題の国会質疑で「匿名だよ、匿名」とヤジを飛ばしたことで名を知られる。経済産業副大臣時代には「政治経済事情視察」として国会を休み、当時の「愛人」とハワイ旅行に出かけていたことが「週刊文春」に暴露された。

菅原氏はバツイチなので、この「愛人」という呼称がふさわしいかどうかはさておき、今回新たに元秘書との関係が「週刊新潮」に暴かれたのだ。「不倫」の尻ぬぐいに、その元秘書を政治家にしたというのが記事のインパクトだ。その秘書は14年間ものあいだ菅原の政策秘書を務めた50代の女性で、昨年の補欠選挙でみごとに当選。今年の統一地方選挙でも上位当選をはたした。と、ここまで書けば本人を特定出来るのがネット社会の怖さである。

「週刊新潮」の記事では、菅原大臣の事務所での暴虐さも暴かれている。秘書たちは朝6時の街頭演説から、夜の11時までブラック勤務を強制されているという。

クルマの運転でも、ちょっとでもミスをすれば怒鳴られる。「このハゲー!」で政界を去った(選挙で落選)豊田真由子元議員の言動が暴露されたとき、「つぎは菅原だ」と囁かれたのが、これらの秘書に対する言動だったという。

2007年には秘書に党支部へのカンパ(毎月15万円)を強要したとも報じられた(菅原氏はカンパの強制性のみを否定)。高校時代(早稲田実業)に甲子園に出場と選挙公報に書いたものの、じっさいには補欠としてスタンドから観戦していた虚偽記載。

女性への言動の酷さは、何度も週刊誌を騒がせたものだ。前述のハワイ行きの愛人に「女は25歳以下がいい。25歳以上は女じゃない」「子どもを産んだら女じゃない」などモラル・ハラスメントしたと2016年6月に週刊文春が報じている。ということは、区議になった元美人秘書は30代から政策秘書(キャリアと能力が必須)を務めていたのだから、女としては扱ってもらえなかったことになる。

2016年には、舛添要一辞職後の東京都知事選挙に立候補が噂された民進党蓮舫代表代行が「五輪に反対で、『日本人に帰化をしたことが悔しくて悲しくて泣いた』と自らのブログに書いている。そのような方を選ぶ都民はいない」と発言するが、後日「蓮舫氏のブログではなく、ネットで流れていた情報だった」と釈明している。あまりにも言動が軽く酷すぎる経産大臣が、国会質問で野党の標的になるのは必至だろう。

◆今井絵理子内閣政務官 あぶない男性遍歴の肉食系女子が政務官に

もうひとり、順送り人事のなかでは小泉進次郎環境相とともに、若手の起用となったのが今井絵理子内閣政務官(参院当選1回・35歳)である。沖縄アクターズスクールの出身で、アイドルグループSPEEDの元メンバー。離婚した175R(イナゴライダー)のSHOGOとの間に一子があるシングルマザーで、2009年には「ベストマザー賞」を受けている。

『週刊新潮』2017年8月3日号

ところが、ベストマザーは政治家転身後に不倫を犯す。2017年7月に「週刊新潮」自民党神戸市議員の橋本健氏との不倫疑惑を報じたのだ。今井氏は疑惑を否定しているが、橋本氏が「おおむね事実」と認め、「私が積極的に交際を迫ろうとした」「私自身の婚姻関係は破綻しているが、認識の甘さで軽率な行為をとってしまったと反省している」とコメントした。

橋本氏は妻子持ちであり、メディアは「略奪不倫」と報じたものだ。息子に聴覚障害があることから、SPEEDの復活をのぞむ声や政治家としての活躍を期待されたものの、愛人とホテルに3泊するという下半身交際をしていたのである。今井氏はホテルに宿泊したことは認めつつ、「深夜まで一緒に(講演)原稿を書いていた」と言い訳をしたという。ちなみに、橋本氏はその後、政務活動費の架空請求が明らかになり、神戸地検に詐欺罪で起訴された。2018年10月に懲役1年6月執行猶予4年の有罪判決が確定している。

だが、今井氏の「不都合な男性関係」はこれが初めてではない。参院選挙の出馬表明直後に一つ屋根の下で同居する事実婚男性がいることが週刊誌に報じられていたのだ。報道を受けて本人も「将来を見据えて交際している男性がいます」と同居男性の存在を認めていた。交際相手は沖縄の同級生で初恋の相手だという。実母とひとり息子と4人で一軒家で暮らしていたのだから、事実婚といっていいいだろう。事実婚相手は今井の所有する車を運転するなど、その姿は家族同然だった。今井の自宅近くにある児童デイサービスで送迎車の運転などして働いていたという

ここまでならば、シングルマザーを支えるかつての初恋相手という美しい話なのだが、それだけで終わらなかった。なんと、今井の事実婚相手に逮捕歴があったのだ。報道によると「彼は1年前に風営法と児童福祉法違反で那覇署に逮捕されている。未成年と知りながら中学生を雇い、客の男性にみだらな行為をさせていた。沖縄にいられなくなり、今井が東京に呼び寄せて仕事先まで紹介したらしい」という。そして事実婚相手は、自民党からの出馬が決まると身辺整理のために「捨てられた」のである。ここまで見てくると、恋多きオンナというよりも肉食系女子といった印象がつよい。

裏では「順送り、お友だち人事」と酷評される今回の改造内閣のおもてむきの評価は「育成内閣」だそうだ。しかし、今井氏起用に限っていえば、安倍総理は育成する素材を見誤っているというべきであろう。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

創業50周年 タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』10月号絶賛発売中!
タケナカシゲル『誰も書けなかったヤクザのタブー』

話題の「全裸監督」は原作もいいが、著者の「その前の2作」も名著過ぎる!

AV監督・村西とおる氏の半生を描いたNetflixのオリジナルドラマ「全裸監督」があちらこちらで大絶賛されている。筆者も観てみたが、「地上波では放送できない」とのフレコミ通り、性描写は過激だし、有名俳優が多数出演しているし、素人目にもセットやロケ地に手間や金がかかっていることはわかる。ストーリーも中毒性があり、たしかに楽しめる作品だ。


◎[参考動画]『全裸監督』予告編 2 (Netflix Japan 2019/07/24公開)

そんな話題作は、文筆家・本橋信宏氏の著作「全裸監督 村西とおる伝」(太田出版)が原作。712ページから成る分厚い本で、村西とおるという「絶対教科書に載らない偉人」の半生を克明に記録し、後世に残そうという著者の執念や使命感が感じられる一冊だ。ドラマのヒットでこの本にも注目が集まっているようなのは、喜ばしいことである。

もっとも、ほとんど予備知識がない人がこの本をいきなり手にとると、ボリュームがあり過ぎて、最後まで読み切るのがしんどいのではないかと思われる。そこで、筆者が「初学者」にお勧めしたいのが、著者の本橋氏が「全裸監督」以前に村西氏のことを書いた2作、1996年12月発行の「裏本時代」と1998年3月発行の「アダルトビデオ 村西とおるとその時代」(いずれも単行本の版元は飛鳥新社)だ。

本橋信宏「裏本時代」(1996年)

◆「裏本の帝王」だった村西氏

この2作は、「全裸監督 村西とおる伝」に比べると、ボリュームが少なく、一人称の小説のような文体で書かれているので、たいへん読みやすい。それでいながら、1つ1つのエピソードも詳細に綴られており、時代の空気もよく伝わってきて、端的に言えば名著である。

まず、「裏本時代」。これは、村西とおる氏がアダルトビデオに進出する前、草野博美という本名で「裏本の帝王」として君臨していた頃の生きざまを活写したノンフィクションだ。本橋氏が当時の村西氏を取材して知り合い、関係を深め、やがて、村西氏が営む新英出版が創刊した写真週刊誌「スクランブル」の編集長となって奮闘する日々が描かれている。

インターネットは影も形もなく、ビデオデッキを所持する一般家庭もまだ少数だった80年代初頭、世の人々がビニ本や裏本に熱を上げ、FOCUSの成功に端を発する写真週刊誌ブームが過熱したりした時代の空気も行間からあふれ出ている作品だ。

ちなみに同書によると、書店を全国展開し、多数の営業マンを雇ってビニ本、裏本を売りさばいた当時の村西氏は、「流通を制する者が資本主義を制する」と言い、ビニ本、裏本の販売ルートを使って「スクランブル」を日本一の写真週刊誌にしようとしていたという。

結局、新英出版が資金繰りに窮して倒産し、スクランブルも廃刊となってしまった。とはいえ、30年余り経った現在、インターネット企業やコンビニが「流通」を制し、隆盛を極めているのを見ると、当時から流通を重視していた村西氏はやはり慧眼の持ち主だったのだと改めて感心させられる。話題の「全裸監督」にしても、地上波のテレビ局では「流通」させられないドラマをNetflixというインターネットメディアが「流通」させているのだというとらえ方もできる。

本橋信宏「アダルトビデオ 村西とおるとその時代」(1998年)

◆ジャニーズ事務所との攻防

一方、「アダルトビデオ 村西とおるとその時代」は、裏本が摘発され、服役した草野博美氏が出所後、AV監督の村西とおるとなり、今度は表社会でのし上がっていく様を描いたノンフィクションだ。この時代も本橋氏は村西氏と行動を共にし、村西氏の成功と挫折のすべてを間近で観察し続けている。それだけに描写は細部に至るまで迫真性に富んでおり、実にエキサイティングなのである。

そしてその中では、地上波のみならず、Netflixでも描くのは難しかったのではないかと思えるエピソードも頻出する。中でも最大の見せ場は、ジャニーズ事務所とのガチンコバトルだ。

その発端は、村西氏の作品に出演したAV女優が、当時人気絶頂だった田原俊彦氏との情事を週刊誌で告白したことだった。ジャニーズ事務所側からそのことについて抗議され、村西氏は逆に激怒する。そしてジャニーズ事務所のスキャンダルを集めようと躍起になる中、かつてジャニーズ事務所に所属した元フォーリーブスの北公次氏と出会い、北氏に告白本を書かせたり、マジックをやらせたりするのである。

当時も今も全マスコミが及び腰になるジャニーズ事務所相手に、このように村西氏が何ら臆することなく、真っ向から喧嘩をふっかけていく様は実に痛快だ。

本橋氏は同書において、「この男のやることはいつも退屈な現実を『少年ジャンプ』のような世界に変えてしまう」と評しているが、村西氏はまさにその通りの人なのだろう。だからこそ、本橋氏はずっと村西氏のそばにいたし、村西氏の記録を残そうと、この2作を書き残し、さらにあの大部な本「全裸監督 村西とおる伝」まで上梓したのだと思う。

そう書いて気づいたのだが、ドラマ「全裸監督」もどこか『少年ジャンプ』のようである。それが中毒性の秘密かもしれない。


◎[参考動画]The Naked Director(全裸監督)- Kaoru Kuroki(黒木香) Real Life Character(Coconut Omega 2019/8/11公開)

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。著書『平成監獄面会記』が漫画化された『マンガ「獄中面会物語」』(著・塚原洋一/笠倉出版社)が発売中。

創業50周年 タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』10月号絶賛発売中!
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

新生「ネーネーズ」のお披露目ライブに駆けつけた!

8月28日、大阪市北区のライブハウス「バナナホール」で、大阪では初となる新しいメンバー(6代目)による「ネーネーズ」のライブが行われた。8月10日に4人のメンバーが揃ったばかりの「お披露目ライブ」。東京(25日)、名古屋(27日)に次いで、新メンバーによるツアーは「バナナホール」で、満員の観客に迎えられた。私も鹿砦社代表・松岡と連れ立って駆けつけた。

「ネーネーズ」のみなさん(といっても新メンバーが3名なので、上原渚さんとだけだが)と鹿砦社は、昨年台風で中止になったが、鹿砦社代表・松岡の高校の同級生・東濱弘憲さん(故人)がライフワークとして始め、意気に感じた鹿砦社もこれに協賛し熊本で10回(実質9回)行われた島唄野外ライブ「琉球の風~島から島へ」でご縁があり、実は4月に上原さん以外のメンバーお二人が「卒業」された同じく「バナナホール」でのライブでもお目にかかっていた。

第5代のメンバーの「卒業ライブ」では、本番前に特別にインタビューをお許しいただいた。その時はみなさんインタビュー中から、涙が止まらず、お伝えするのが、やや心苦しかった。貴重な時間は記録としてではなく、記憶として留めさせていただくこととした(独り占めの贅沢をお許しいただきたい)。

ライブ前の6代目メンバーと鹿砦社代表・松岡
鹿砦社代表・松岡からのプレゼント

今回も4月同様、リハーサル終了後、ライブ開始までの間に、取材・インタビューの時間を頂いた(お忙しい中貴重な時間を割いていただいた、メンバーのみなさん、知名社長、ありがとうございました!)。リハーサルはほとんどメークなしで、楽曲の出だしのタイミングや、モニタースピーカーのバランスのチェックが行われるだけで、若いながら新しいメンバーの、落ち着きぶりが印象的だった。

リハーサルが終了しインタビューに入る前に、気遣いの男・松岡がこの日のために注文していたクリスタルの豪華な置時計(新生ネーネーズスタートを祝す刻印入り)と『島唄よ、風になれ!』(特別限定紀念版)を4人全員にプレゼントすると、硬かった表情が緩み、予想外のことにみなさん驚き喜んでくださった。

舞台上では落ち着いている新メンバーであるが、近くでお会いしてお話を伺うと、やはり10代、「新鮮さ」が際立つ。「取材慣れ」していない言葉と表情。こちらのピンボケな質問に、何とか答えようと一生懸命になって頂いている姿が、とても印象的だった。

仲里はるひさん(19才)、宜野湾市出身、沖縄県立芸大
与那覇琉音さん(16才)、名古屋市出身、高校生
小浜 凛さん(17才)、名護市出身、高校生

リハーサルで、新メンバーの中もっとも存在感を感じた仲里はるひさんは、幼少時より、お爺様から三線を習っていたそうだ。大学で舞台製作の勉強をしている。

仲里はるひさん
小濱凛さん(左)と与那覇琉音さん(右)は共に高校生

小浜凛さんも三線を早くに始め、「いずれこの道に進みたい」と希望していたそうだ。名護市出身ながら高校は、那覇の高校に進学し、「ネーネーズ」がいつもライブを行う、国際通りのライブハウス『島唄』でアルバイトをしていた。黙っているとおとなしそうに見える小浜凛さんだが、ライブが始まってからの落ち着きと存在感からは、ただならぬ才能を発揮していた。

与那覇琉音さんは、中学生まで名古屋に住んでいた。沖縄出身のご両親のもとに生まれた彼女は、やはり幼少時より三線の練習に励むだけでなく、「ネーネーズ」の名古屋でのライブにご両親に連れられ、何度も通ってファンになった。そして沖縄の伝統文化が学びたく、高校進学で沖縄にやってきた。

一方、新メンバーを迎える上原渚さんは、「10代のメンバーを迎えて、新鮮です。私自身は変わっていないけど、メンバーを育てることや、自分自身のこと(上原さんは妊娠7か月だ)。やることがいっぱいです」と余裕の表情だ。

威風堂々の上原渚さん

新しいメンバーに目標を質問した。「お客さんに元気や感動や『頑張ろう』と思っていただけるような、心を伝えたいです」(与那覇琉音さん)。「初代『ネーネーズ』を超えたい、という気持ちがあります」(小浜凛さん)。

10代の二人から、大きな答えが返ってきた。

大阪には「ネーネーズ」の実質的なファンクラブのような方々がいる。下手をすると、新メンバーが生まれる前からのコアなファンも少なくない。5代目のメンバーをして「大阪のお客さんは特別です。こっちより力が入っている」と言わしめた浪速のファンは、数だけでも4月よりかなり多く、満席だった。そして、「ネーネーズ」を長年聞きなれた方々やわたしたちを、6代目のメンバーは、予想以上の完成度と伸びしろへの期待で、「これがまだ正式結成ひと月未満の人たちのハーモニーか」と、事前のちょっとした不安を払しょくしてくれた。

「黄金(こがね)で心を捨てないで。黄金の花はいつか散る。ほんとうの花を咲かせてね」――名曲『黄金の花』で、この日のライブを締め括った。まさに「お披露目」の10代の3人は、一度も間違わず、ソロの曲の時も、堂々と歌ってくれた。

あと数か月したら、産休に入らなければいけない上原渚さんも、きっと安心して若い3人に不在の期間を任せられるだろう。それほどに泰然としたライブであった。

新生「ネーネーズ」、関西のファンの前に初登場!

◎ネーネーズ便り https://nenes.ti-da.net/

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定保存版(「琉球の風」実行委員会=編)

大日本新政会笠岡総裁から届いたバーニング周防社長をめぐる芸能界秘話〈2〉

前回に引き続き、大日本新政会総裁、笠岡和雄氏から筆者に届けられたFAXの内容をご紹介しよう。

笠岡氏の記事の後半部分は、バーニングプロダクションの周防郁雄社長と女優の水野美紀の確執に関するもので占められている。

水野は中学生の時に東鳩のキャンペーンガールコンテストで準優勝したのち、グリーンプロモーションという芸能事務所にスカウトされ、上京し、タレントとして活動を始めた。

1994年、同プロが閉鎖したのに伴い、バーニングプロダクションに移籍。その後はゴールデンタイムのドラマにも出演するようになり、特に97年からフジテレビの『踊る大捜査線』シリーズで柏木雪乃役としてレギュラー出演し、知名度を上げた。

ところが、2005年、水野は10年以上所属したバーニングプロダクションから突然、独立。後に水野は「役の幅を広げたい、そのためには舞台をもっとやってみたいと思うようになって」「でも、その方向は事務所のカラーとは決定的に違っていて、だったら一人でイチからやってみよう、ということで辞めたんです」と説明している(『週刊文春』2009年4月9日号)。

メディアでは語られることはなかったが、この独立劇には周防社長と水野の深刻な対立があったという。

笠岡氏によれば、周防社長と水野は長年、愛人関係にあり、周防社長は水野の独立に烈火のごとく憤慨していたという。

周防社長の妨害により独立後の水野には干され、しばらく芸能界から姿を消していた。それに対する反撃の意味のあったのか、水野は作家の宮崎学が責任編集するウェブマガジンでの対談で、周防社長の愛人時代に知った「クスリを使用した陰湿なSEX」について暴露した。

この記事を読んで怒った周防社長は笠岡氏に「総裁、水野美紀を芸能界から抹殺してほしい、いや殺してくれ!」と錯乱状態で要請したという。

水野が周防社長に対して強気だったのは、当時、山口組の二次団体で神戸に本部を置く暴力団、西脇組の後ろ盾があったからだった。

同組と昵懇だった笠岡氏は、直ちに周防社長と水野の仲介に動き、水野から提案された「今後、水野が周防社長の愛人だった秘密を他言しない代わりに周防社長は水野の仕事を妨害しない」という条件で和解をまとめた。

だが、周防社長は和解を無視して、大手芸能事務所ケイダッシュの幹部で自分の子分でもある谷口元一氏を使って、テレビ各局のプロデューサーに「水野美紀を番組に出せば承知しないぞ」と執拗に脅迫して回っていたという。

これを伝え聞いた「西脇組の山下」は、「ふざけるな。俺が谷口をいわす! 男の約束は命より重い事を思い知らせてやる!」と憤慨した。

関西では有名な武闘派集団として知られる西脇組の関係者が「逆に周防を潰せ! 芸能界から追放しろ!」と息巻いていることを知った周防社長は腰を抜かさんばかりに慌て、再び笠岡氏に泣きつき、「殺されます。どうか総裁の力で止めてください」と懇願した。

笠岡氏が「いいか二度と水野美紀の追い込みをやめろ。谷口にそう伝えておけ」と噛んで含ませ周防社長に諭すと、周防社長は「分かりました。今度こそ間違いなく水野は許します」と答えた。

これによって騒動は一件落着したはずだったのだが、周防社長による水野排除の動きはその後も続いたのだという。

以上の話は以前にも大日本新政会のブログでも紹介されていた話だが、筆者が笠岡氏より送ってもらったFAXには、その続きが書かれていた。

水野を支援していた西脇組の山下氏とその兄弟分のAは、2005年ごろ水野のために3000万円の資金をかき集め、水野のための芸能事務所を設立したという。

東京某所にあった事務所は100坪ほどの広さでなかなか立派なものだったが、周防社長の妨害もあって仕事は一切入らなかった。

山下氏らは水野のために借金をして新事務所を立ち上げており、水野を成功させなければメンツも立たず、切羽詰まっていた。

そこで、笠岡氏が改めて周防社長に連絡を入れると、周防社長は側近で琉球ゴルフ倶楽部の運営会社、玉城園地の社長を務める椿勝氏を使いとして寄越した。

ところが、この椿氏が曲者で「水野を出してやるから、CM料の35%をうちにもってこい」という条件を出した。

裏金で35%も払ったらまともな利益は出ないと考えた山下氏はこの申し出を断った。ところが、裏金で35%という上納金は、バーニングを裏切った水野に対する報復ではなく、バーニンググループでは常識的なものなのだという。バーニングは長らく多くの系列事務所を抱え、権勢を振るっていたが、傘下の芸能事務所の多くはタレントをテレビに出演させても、裏金で35%もの上納金をバーニングに支払い、ほとんど利益を出せなかったという。

その一方で周防社長だけが裏金で多額の上納金を懐に入れ、蓄財に励んでいたのだが、千葉の産廃事業の失敗などで今ではそのほとんどを失ってしまったと見られる。

さて、水野排除で動いていた谷口氏について「あいつの本籍はバーニングです。ケイダッシュは派遣です」と周防社長は折りに触れ話していたという。

谷口氏といえば、2008年に練炭自殺した、TBS出身のアナウンサー、川田亜子の事件で川田の元交際相手として、また、2012年にミス・インターナショナル世界大会でグランプリを受賞した吉松育美の芸能活動を排除したことで名前が取り沙汰された人物だ。

もともと谷口氏は学生時代に小泉今日子や中山美穂の親衛隊に入って頭角を現し、周防社長の息子の家庭教師をしていたという。

その後、ケイダッシュの立ち上げに参画し、同社の幹部として芸能界で名前が知られるようになっていったが、その間、周防社長の裏の仕事をたびたび請け負っていたという。

話を水野美紀に戻す。

水野のための事務所を立ち上げたものの、一向に仕事が入らない山下氏は追い詰められていった。

『踊る大捜査線』への出演で有名になった水野がまったく起用されないのは、周防による妨害のせいだと勘ぐった山下氏は「周防をいわしたる!」と意気込んで周防社長を散々追いかけ回していたという。笠岡氏によれば、その過程で「かなり際どい場面もあったようだ」という。

「ある日、山下が顔を硬直させながら『会長、周防とケジメをつけて下さいよ』と、俺に迫ってきた。若い衆も居るなかでな。周防への報復でかなりモメたわけやが、その後、怒り心頭が頂点になった山下は兄弟分Aと『周防にけじめをつける』と独断で動いた。『しばらく待たんかい』と制止する俺との約束不履行だったわけだ。それが元で西脇組から破門になった。Aと二人ともどもだ」

山下氏が周防社長に何をしたのかは定かではないが、後日、周防社長は「笠岡会長、山下の件ですが、何とかケジメをつけておさめて頂かないと示しがつかない」と文句を言ってきたという。

山下氏らは笠岡氏の静止も振り切って周防社長を詰めたのだから、笠岡氏としても山下氏には憤りを感じていた。

そこで笠岡氏は西脇組幹部に相談をして山下氏とA氏の破門・絶縁処分が決定。さらに同組の若い衆が1000万円の包みと山下氏のものであろう「指」を周防社長にぶつけるようにして渡したという。

周防社長は「指」については「そんなん要りませんわ!」と言い放ち、軽く一瞥してから鞄に1000万円の現金を詰め込んで帰っていったという。

それ以来、山下氏とA氏2人の消息が途絶えた。笠岡氏が四方に問い合わせたが、2人の行方を知る者はいなかった。

「まさか、俺の時のように(引用者注:笠岡氏は周防社長と決裂して以降、何度も命を狙われたという)逆ギレした周防がヒットマンを雇って、山下とA氏の二人を殺したのではないか、と勘ぐったが、その可能性がないとは言えん。
 水野美紀との愛憎劇の末に逆上し、半狂乱の周防が、『水野を殺してくれ』と、真剣に俺に頼んだ、あの凄まじく嫉妬深い周防のことだ。俺には内密に殺し屋を雇ったかもしれんが、すでに10年の時が流れとるし、いずれ真実が分かるやろう」

当時、笠岡氏は周防社長の用心棒であり、山下氏の独断専行を止める役目を負っていた。周防社長が約束を守り、水野に仕事を与えていれば、山下氏もおかしなことは考えなかったはずだが、華やかな芸能界に幻惑され、自らの破滅を招いたのかもしれない。

笠岡氏は次のように述べている。

「山下も芸能ビジネスに食い込んで、かなり舞い上がっとった面が多分にある。動いていた若い衆を食わさなならんし、周防の芸能利権を奪おうと躍起になって墓穴を掘ったのか。華やかな舞台の裏には、毒々しい利権争いのさっきが満ち溢れとる。それが芸能世界の恐ろしいとこや」

これまでに述べてきた山下氏のケースは何も特別なことではない。

芸能界でバーニングプロダクションが台頭したのは80年代のことだが、それから現在に至るまで山下氏のように芸能界で周防社長に挑戦し、姿を消していった者は大勢いる。ところが、そのほとんどは報道もされず、闇に葬り去られてきた。

最近になって公正取引委員会が芸能界の悪しき慣習に乗り出すなど新しい動きも出てきているが、芸能界の古い常識を疑わない周防社長のような重鎮が力を持っている限り、業界の体質を改めるのは容易ではないだろう。(了)

追記:本稿掲載直前に筆者が笠岡氏に改めて確認したところ、周防社長と敵対した西脇組の山下氏は存命が確認されているとのことだった。


◎[参考動画]CM KOSE ルシェリ 唐沢寿明 水野美紀(117cmVol1 2011/7/10公開)

◎大日本新政会笠岡総裁から届いたバーニング周防社長をめぐる芸能界秘話〈1〉

▼ 星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。近著は『芸能人に投資は必要か?』(鹿砦社)https://www.amazon.co.jp/gp/product/4846312690 著者ツイッター https://twitter.com/YOHEI_HOSHINO?lang=ja

星野陽平『芸能人に投資は必要か? アイドル奴隷契約の実態』奴隷契約、独立妨害とトラブル、暴力団との関係とブラックな世界―著者は公正取引委員会で講演、その報告書で著者の意見を認め、芸能界独占禁止法違反を明記! 芸能界の闇を照らす渾身の書!
芸能界の歪んだ「仕組み」を解き明かす! 星野陽平『増補新板 芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』在庫僅少お早めに!

大日本新政会笠岡総裁から届いたバーニング周防社長をめぐる芸能界秘話〈1〉

「バーニング周防郁雄への最後警告(第3弾)
 神聖なる日本の芸能界を独断で食い物にする『やくざ芸能プロダクション・バーニング』周防郁雄(と、その関係者の数々の非道ぶりと、暴力団との癒着、未成年タレントへの強制的な淫行ワイセツセックス、麻薬の斡旋など数々の悪事を実名で追及する当サイト記事も『第三弾』となった」

こう始まる12枚つづりのFAXが先月、筆者のもとに送られた。送信主は右翼団体、大日本新政会の総裁、笠岡和雄氏だ。

笠岡氏は、2001年5月と10月に東京・赤坂にあるバーニングプロダクション事務所に銃弾が撃ち込まれるという事件があった際、同社の周防郁雄社長より、事態の収拾を依頼され、以降、周防社長の裏の仕事をたびたび請け負ってきた。だが、2人は11年ごろ金銭トラブルから決裂し、それをきっかけとして、笠岡氏は周防社長に対する抗議活動をブログや街宣車などで展開していた。

ブログは昨年、閉鎖してしまったが、先月、「未掲載の記事が見つかったから、FAXで送る」と笠岡氏より筆者に電話があった。筆者がFAXにざっと目を通すと、これまで明らかにされていなかった芸能界秘話がいくつも綴られており、資料的価値もあると考えられた。

現在、日本の芸能界は、NGT48や吉本興業の騒動やジャニーズ事務所に対する公正取引委員会の注意などが立て続けに起こり、変革の時を迎えているが、従来の芸能界がいかなるものであったのかを振り返る意味でも、笠岡氏のFAXをここで紹介したい。

記事では、まず、周防社長の異常な金銭感覚について触れられている。

笠岡氏は周防社長の用心棒を務めていた時、「成功すれば投資額の二倍の金を返済しますから」と、千葉の産廃事業への投資話を持ちかけられたことがあった。その言葉を信じた笠岡氏は15億円を都合し、「二倍なら30億円か!」と色めき立ったが、結局、事業は失敗し、大損害を被ることとなり、2人の関係は決裂してしまった。

そのように周防社長は、1億だろうと10億だろうと、簡単に人から借りる癖があったようである。記事では、1億5000万円を周防社長に貸し、危うく踏み倒されかかった男のエピソードが紹介されている。

「この男に周防を紹介して三年ほど経ったある日の昼下がりの事だ。東京のヤクザ事務所に、男が俺を訪ねてきた。かなり深刻な顔で『笠岡会長、申し訳ありません』と頭を下げるので、何だ!と問うと『実は内緒で周防に1億5千万円を貸してましたが、一向に返してもらえない』とぶちまける」

1億5000万円という大金を借りながら、周防社長は便箋に「1億5000万円借用」と書いただけで印鑑も押さなかったという。

周防社長といえば、「芸能界のドン」と呼ばれる大物だ。その男も周防社長を信用して大金を預けたのだろうが、「周防に何回も請求したんですがケンモホロロです。何とかなりませんか会長」と言う。

笠岡氏はすぐに周防社長を呼び出し、事務所で怒鳴りつけた。

「周防、お前、なにしとんじゃ。俺が紹介した人間から、了解も得ず勝手に金借りて放ったらかしか!おまえは誰にでも金を借りまくって、知らん顔とは、どんな神経しとるんじゃ!」

笠岡氏の剣幕に驚いた周防社長は、直ちに1億5000万円を返済し、その男は事業を再開できたという。

では、一体、周防社長はどうして人から大金を借り、返済の要求を無視していたのだろうか。笠岡氏は次のように考察している。

「あいつのあこぎさは、自分の身の安全を図るために『先ず相手に借金』することなんや。
 金を貸した側は、返済されんと困るから、何かと周防に便宜を図るわな。
(中略)
 周防は、いつもそうやって甘い餌をぶら下げて、アリ地獄のように相手をひきずり込んでゆく。
 他人様の持ち物を、ハイエナのごとく横取りして食い尽くす。ハイエナ周防の詐欺丸出しの錬金術に騙され続けて、最後はボロボロになって抵抗できんようにするわけや」

一般の社会では、借りた金をきっちり返すことで信用を築くが、芸能界では「貸した金が返ってこない」という恐怖心を与えることで相手を操るようなのだ。

周防社長は、そのような心理術を駆使することで「芸能界のドン」の地位を築いていったのだろう。

次に笠岡氏が俎上に載せているのは、周防社長の側近で、かつてK-1を主催していた格闘技プロデューサーの石井和義氏だ。

周防社長は元モーニング娘。メンバーとの淫行が盗撮され、笠岡氏がビデオの現物ネガの回収を請け負った。

その交渉を永田町にあるザ・キャピトルホテル東急で行った際、周防社長はビデオ回収の条件として笠岡氏に「謝礼1億円で」と申し出た。

再び、同ホテルでビデオの回収に成功した際、笠岡氏が周防社長に「おい1億円は?」と問いただすと、「会長まことに申し訳ない。来年になったら3億円払います」と釈明したという。

どちらの会合でも石井氏は立会人として同席しており、「回収の件はお願いします」と依頼し、ビデオの回収に成功すると、「ありがとうございます」と礼の言葉を述べていた。

ところが、謝礼の約束は果たされず、笠岡氏は腹の虫が収まらず、石井氏に不満をぶちまけている。

「言葉でハッキリ礼を言うたのなら周防に約束を守らさんかい! 立会人の石井和義よ。あれから何年経ったんだ。
 お前をまっとうな武道家として信用していたが、実はホラ吹き者か!
(中略)
 いや、金の問題よりも、先ず『無礼』を詫びに来るのが立会人と名乗った男としての最低の仁義とちがうか?それを俺は待っとる」

笠岡氏は続けて、回収した淫行ビデオで周防社長の相手だったのがモーニング娘。のメンバーだった石黒彩だと実名を明かしている。

さらにその数年後、京都でやはり元モーニング娘。の矢口真里と宝塚出身の女優、宮本真希の2人が周防社長とNHKのプロデューサーを接待した時のことを笠岡氏は回想している。

笠岡氏は矢口と宮本を周防とプロデューサーが宿泊するホテルに送ったが、翌日、その1人が東映の撮影所で周防社長が「ええか~ええか~」と言いながら「太い指でかき回すから痛いんです」と苦情を申し立てていたという。

当時、石黒、矢口、宮本の3人は皆未成年だったが、笠岡氏は「周防!お前は勃起の『塗り薬』と『媚薬』をいつも持ち歩いていたが、ロリコンのセックス中毒魔か?」と批判するのだった。(つづく)


◎[参考動画]タンポポ 1999年06月発売 飯田圭織-石黒彩-矢口真里(ken06169207 2010/11/12公開)

▼ 星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。近著は『芸能人に投資は必要か?』(鹿砦社)https://www.amazon.co.jp/gp/product/4846312690 著者ツイッター https://twitter.com/YOHEI_HOSHINO?lang=ja

星野陽平『芸能人に投資は必要か? アイドル奴隷契約の実態』奴隷契約、独立妨害とトラブル、暴力団との関係とブラックな世界―著者は公正取引委員会で講演、その報告書で著者の意見を認め、芸能界独占禁止法違反を明記! 芸能界の闇を照らす渾身の書!
芸能界の歪んだ「仕組み」を解き明かす! 星野陽平『増補新板 芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』在庫僅少お早めに!

《特別寄稿》ダブルで発動、芸能界大パニック! 公正取引委によるジャニーズTV局圧力注意と吉本興業内紛の行方 星野陽平

◆タレントの移籍制限をめぐって調査に乗り出した公正取引委員会

芸能界がパニック状態に陥っている。その端緒となったのは、7月17日21時ごろNHKのニュース速報だ。

「元SMAP3人のTV出演に圧力の疑い ジャニーズ事務所を注意 公正取引委」

このテロップがテレビ画面に表示されると、多数のネットメディアを通じて一気に拡散した。

公正取引委員会がタレントの移籍制限をめぐって調査に乗り出しているという情報は、『週刊文春』(3月14日号)で報道されていたが、ついに来たかという思いだ。


◎[参考動画]ジャニーズ事務所に注意 元SMAP出演に圧力の疑い(ANNnewsCH 2019/7/18公開)

これについて詳しい報道をしている『文春オンライン』(7月24日)によれば、SMAP解散後、2017年9月にジャニーズ事務所を退所した稲垣吾郎、草彅(くさなぎ)剛、香取慎吾の3人を巡るジャニーズのテレビ局への圧力だという。

公取委は昨年頃から3人の独立後に出演番組が次々に終了した経緯をテレビ局などに対し調査してきた。その過程で、かつて嵐のチーフマネージャーで現在、主にテレビ局との交渉やキャスティングを担当しているA氏の行動が問題になった。

A氏は元ジャニーズの3人を起用すると、テレビ局の担当者に「どっちなんですか?」などと迫り、暗に忖度を求めてきたという。

独禁法が定める公取委の対応には、重い方から順に「排除措置命令などの行政処分」「警告」「注意」と3段階の措置があるが、公取委のホームページによれば、「違反行為の存在を疑うに足る証拠が得られないが,違反につながるおそれがある行為がみられたときには,未然防止を図る観点から『注意』を行っています」

A氏は決して「終わらせろ」とは言わず、証拠も残さなかったため、未然防止を図る観点から「注意」をしたのだろう。

◆「芸能事務所間でタレントの移籍制限をしていれば行政処分の対象となる」

 
芸能界の歪んだ「仕組み」を解き明かす! 星野陽平『増補新板 芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』在庫僅少

私は、芸能事務所を辞めたタレントが一切、その後、テレビに出演できなくなる、いわゆる「干される」という現象に関心を持ち、2014年に『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』(鹿砦社)を上梓し、その後も関連書籍を出してきた。

タレントが干されることへの関心は近年、高まっているが、特に2016年に起きたSMAP解散騒動で社会問題となり、2017年3月には、公取委からの要請で私が講師となって勉強会を行った。ここでは、その内幕を少し紹介したい。

公取委での打ち合わせの際、私は職員から、2015年に関西の私立小学校でつくる団体が加盟校間で児童の転校を制限する取り決めをしていたことが独禁法違反(不当な取引制限)に当たる恐れがあるとして警告した事例を提示され、「芸能事務所間でタレントの移籍制限をしていれば行政処分の対象となる」と言われた。

多数の芸能事務所が加盟する一般社団法人日本音楽事業者協会は、もともとタレントの移籍を防止し、独立阻止で結束するために設立された団体であり、私の著書でもその問題を採り上げていた。

◆芸能界と強いパイプを有する政治家

また、次のようなことも聞かれた。

「芸能界とパイプのある政治家ってご存知ですか。例えば、スポーツだったら、森喜朗さんが強くて、森さんを通さないと何事も動かないっていう話があるじゃないですか。私が取材した限りでは、そういう政治家がいないんです」

公取委の職員が芸能界とパイプのある政治家について調査しているということは、公取委として芸能界の問題に着手する用意があるということだろう。だから、公取委はかなり本気で芸能界の取締りをするつもりなのだろうと感じた。

なお、政治家と芸能界の関係については、昔は中曽根康弘元首相が音事協の会長をしていた時期があったが、近年はあまりそういった政治家は少ない。ただし、昔、芸能事務所の名門とされる渡辺プロダクションが佐藤栄作元首相を応援するキャンペーンをしていたから、大手芸能事務所が政権を支援する可能性はあるということを私は申し上げた。

近年では、吉本興業が安倍政権と近い関係を結んでいる。吉本芸人のトップである松本人志は安倍晋三首相と昵懇であり、4月には安倍首相が吉本新喜劇の舞台に登場、6月6日にはG20大阪サミットに関連して吉本新喜劇の芸人たちが総理大臣公邸を訪問している。

そんなこともあり、「ひょっとしたら、芸能界に切り込もうとする動きを政治家が潰すようなこともあるかもしれない」という気もした。

◆芸能界の改革は国益上重要である

私は『芸能人はなぜ干されるのか?』を5年もかけて執筆したが、その目的の1つには行政が芸能界に介入するよう促すことにあった。

そこで、私は公取の勉強会で芸能界の改革が国益上重要であることを主張している。官僚ならば、「国益」と聞けば関心を示すと考えたのだ。

勉強会で使用した資料「独占禁止法をめぐる芸能界の諸問題」はネット上にアップされている(https://www.jftc.go.jp/cprc/katsudo/bbl_files/213th-bbl.pdf)。

 
星野陽平「独占禁止法をめぐる芸能界の諸問題」(2017年3月、公正取引委員会競争政策研究センターでの筆者講演レジュメ ※本画像をクリックすると全文PDFがリンク表示されます)

その中で、1950年代、アメリカでラジオDJに金銭を渡してヒットチャートを操作する「ペイオラ」が社会問題化し、ペイオラを禁止する法律が施行された事例を紹介している。

日本女子大学文学部准教授の藤永康政氏が「時は冷戦の盛り、このような〈公開の討論〉に付すことができないものは〈非アメリカ的〉である、と考えられたのです。つまり単なる贈収賄が、イデオロギー戦争の一部となったのでした」と述べているのを引用し、「アメリカはソ連と対抗するためにソフトパワーを強化する狙いがあったのではないか。それを現在の日本に当てはめると、近年、勢いを増す中国に対抗するために日本としてもソフトパワーを強化することが有効なのではないか」という私の見解を述べた。

公取委の職員からは「アメリカの芸能界について解説してほしい」と要請されていたので、そうした説明が響くと思ったのだ。

我が国でもソフトパワーの重要性については理解されており、2010年から経済産業省で「クール・ジャパン室」が開設され、日本の文化・産業の世界進出促進、国内外への発信などの政策を推進している。

だが、日本から海外輸出されている放送コンテンツの大半はアニメで相対的に芸能分野は少ない。その原因は芸能界の構造的な問題があり、それがボトルネックとなって競争力の低下を招いている。だから、行政が積極的に芸能界に介入し、健全な競争を促すべきだ、と結論づけた。

そして、今、芸能界はパンドラの箱が開いたかのようになっている。

ジャニーズに対する公取委の措置が報じられた直後、騒動が吉本興業に飛び火した。

事務所を通さない「闇営業」を反社会勢力との間で行った問題で「雨上がり決死隊」の宮迫博之と「ロンドンブーツ1号2号」の田村亮が7月20日に行った謝罪会見で、2人が所属する吉本興行への不信感と同社の岡本昭彦社長から圧力を受けていたことを明かした。

これを受けて、22日、岡本社長が会見を開いたが、逆に火に油を注ぐ結果となり、ネット上で大炎上している。吉本所属の芸人から次々と批判の声が上がり、吉本興業はパニック状態となっている。


◎[参考動画]【全編】宮迫さんと田村亮さんが謝罪会見(2019年7月20日)

そんな中、24日、サンミュージックプロダクション所属のお笑いタレント、カンニング竹山が番組で「僕自身、4つくらい事務所変わってる」とし、「これをきっかけに芸能界全体も。野球選手もサッカー選手も移籍あるじゃないですか。だから芸能界全体も才能を買ってくれる人のところに自由に行くという態勢を作らなきゃいけなくて」と述べた。

「タレントの移籍の自由」は、まさに私が著書の中で主張してきた根幹部分だが、これまでの常識から考えればこのような主張をタレントがテレビ番組で主張するなどということは考えられなかったことだ。

「芸能事務所はタレントに投資をしているのだから移籍や独立は認められない」とよく言われる。

公取委での勉強会でも「芸能事務所はタレントに投資をしているのではないか?」という質問があったが、アメリカではタレントが日本の芸能プロに当たるエージェントを乗り換えるのは自由である。

「それでは投資ができないのではないか?」と思われるかもしれないが、エージェントは投資をしないのである。

どういうことか。例えば、アメリカでは映画俳優の志望者はまず、ハリウッドに行ってアフタースクール(俳優養成学校)に入学する。アルバイトをしながら、アクタースクールに通い、芝居の技術を磨き、実力が認められればエージェントと契約ができる。それからエージェントからオーディションの情報をもらい、起用が決まればエージェントが契約をしてくれ、ギャラが入ったらエージェントが1~2割の手数料を引いて残りが俳優の取り分となる。だから、エージェントは投資をしていないのだ。それでも芸能界は回るというより、世界でもっとも競争力のあるハリウッドはそうなっているのだから、日本の芸能界でもできるはずだ。

公取委の措置がきっかけとなり、芸能界は今、大きな変革の時を迎えている。

▼ 星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。近著は『芸能人に投資は必要か?』(鹿砦社)著者ツイッター 

事実の衝撃!星野陽平の《脱法芸能》

星野陽平『芸能人に投資は必要か? アイドル奴隷契約の実態』芸能界の闇を照らす渾身の書!

追悼・遠藤ミチロウ 今こそ、大音響で街に響かせたいTHE STALINの名曲たち

『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』(2015年)。遠藤ミチロウ自身が監督・主演の映像作品を先月偶然目にしていた。本人は昨年膵臓がんであることを発表していたらしいが、わたしは知らなかった。ただ『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』は、35年ほど前、授業料を払う監獄(愛知県立の新設高校)へ通っていた生徒の中でカリスマ的な人気のあった、あのミチロウが「自分語りを始めたのか」と、正直なところ驚きと落胆を感じさせられる作品だった。

元スターリンの遠藤ミチロウが逝った。享年68歳。合掌。


◎[参考動画]お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました

『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』でミチロウは、「自分語り」に終始していた。故郷を訪れ、幼少時代に遊んだ場所を歩き、生誕した家のある場所を眺める。あるいは各地の知人を訪れ、昔話やライブの様子を短く挟む。メークなしに、若い女性の詩人だか誰かと、「人生」について語る。ベットに寝ころびながら映像を見ていたわたしは、予想外の進行に半ば耐えられなくなり「もうやめてくれよ。ミチロウ、あんたもう最期が近いのかい」とひとり口ごもった。

ミチロウが「自分語り」をするのは、もちろん自由だ。でも往時のファンとしては「人生観」だの「生き方」だのを話で表現せずに、生き様だけで表現してほしかった、との勝手な思い込みと期待を持つことだって許されるはずだ。

わたしがあの時、直観的に思い出したのは晩年の高倉健のことだった。無口で私生活をさらさなかった高倉健。亡くなる2年ほど前から朝食の様子や、毎日通う散髪屋、果ては珍しくもない人生観を語りだし、興ざめした記憶がよみがえった。平気で軽い涙を流すこともあった。高倉健はおそらくあの時期最期を予期していたと思う。医師からも余命宣告を受けていただろう。映画の中で充分すぎるほど存在感を示した高倉健にしたところで、最後は語ってしまいたくなるものなのであろうか。


◎[参考動画]★THE STALIN ★ 爆裂都市☆メシ喰わせろ

この10連休の乱痴気騒ぎに、生きていればミチロウは何らかの反応を期待されたことだろう。「もうそれは勘弁してくれ」、「あんたらの期待にはもう応えただろう」とはいわないだろうけども、この時期にミチロウが逝ったのは実に劇的なタイミングだ。映画にはがっかりさせられたけども、さすが、旅立ちのタイミングはミチロウらしい。

だいたい奇抜なメークをしていたり、舞台で破壊的なパフォーマンスを演じるひとには、常識人が多く、直接話すとあっけにとらわれるほど善人が少なくない。忌野清志郎はそうだったし、ミチロウもそうだ。メークをしないミチロウは恥ずかしがり屋の常識人で、どうして自分がメークをするのか、豚の頭を掲げたり、臓物を観客に振りまいたりといったパフォーマンスをするのかを、実冷静に分析的に語る。


◎[参考動画]ザ・スターリン246 – 虫 世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!(2011/8/15)

「中途半端」がミチロウにとっては気になることであったらしい。だから、日本と琉球の中間、奄美への興味が高まったのだろうか。「奄美には瓦屋根がないんですよ。琉球には古い文化伝統がある。でも奄美は貧乏だからトタン屋根なんです。薩摩と琉球に挟まれて中途半端なんですよ」細部は確かではないがこんな言葉でミチロウは奄美を紹介していた(この解説が事実かどうかは定かではない)。

また、「自分は家族を持たず子供がいなかったので、いつまでたっても子供のまま」といった内容の発言もあった。そうか。ミチロウはぶっ飛んでいたのではなくて「中途半端」をいつも意識して(あるいは悩んで)いたのか。散々がっかりしたと酷評したけれども、ミチロウが「中途半端」にここまでのこだわりを持っていたことは『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』を見なければ知ることはできなかった。やはり作品には意味があるのだ。

ミチロウを長年注視し、聴いていたわけではない。ただ35年ほど前、授業料を払う監獄(愛知県立の新設高校)へ通っていたころ、スターリンのレコードは、誰だったか忘れたけれども必ず録音して聴かせてくれる友人がいた。「先天性労働者」、「STOP JAP」は今こそ、大音響で街に響かせたい名曲だ。

また懐かしさと、悔しさのかけらが旅立った。


◎[参考動画]STOP JAP〜仰げば尊し / THE STALIN

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来
創業50周年!タブーなき言論を!『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

私の『二十歳の原点』 悔恨の記憶

「おい、田所! ○○はもうダメらしい」
「ダメってどういう意味ですか。きのう卒業したばかりでしょ?」
「ビルから飛び降りて今病院に収容されている。親御さんから連絡があったらしい」

同じ部署に勤務する先輩からこの言葉を聞いた瞬間に「しまった!迂闊だった」と後悔した。自分の体温が急速に下がるのがわかった。

○○さんは涼しげな表情をしているが、声はNHKのアナウンサーも務まりそうな学生で、彼女が1回生の時から言葉を交わしていた。

大学は卒業式前から入学式後のゴールデンウィークまでが、多忙を極める。わたしが当時配属されていた部署も同様であった。卒業式前の数日は両手で電話の受話器を抱えて会話をすることもあるほどだった。

ただし、そんな多忙が年中続くわけではなく、繁忙期が過ぎれば、比較的仕事の時間は自分でコントロールできた。1日の半分近くを学生との会話に費やしたり、引っ越しする留学生の手伝いに出かけることも珍しくはなかった。わたしの仕事場は狭い部屋ではあったが、一応の応接セットがあり、気が向いた教職員や、学生が訪れてはよもやま話や、悩みを語る場所でもあった。講義の空き時間に、もっぱら昼寝の場所として訪れる学生もいた。学生の話が深刻なときは、他人に聞かれてはまずいので場所を移す。そんな常連のひとりに○○さんがいた。

彼女は頻繁にわたしの仕事場にやってくるので、いつのころからか、持参したマグカップをわたしの仕事場に置いていた(そんな学生は彼女以外にも数名いた)。

○○さんは卒業式の前日、わたしが文字通り飛び回っている最中に、部屋にやってきて、何かを話したそうにしてた。わたしは別の場所から呼び出しがかかっていて、部屋を出る直前だった。たしか、「これ持って帰ります」と聞いたように記憶する。わたしは「急ぐのかい。少し待っとけよ」と言い残して階段を駆け下りた。要件を処理して部屋に戻ったのは半時間後くらいだったろうか。もう○○さんの姿はなかった。その後も息つく暇もない忙しさに追われ、○○さんのことに思いを巡らす余裕はなかった。

あのとき、彼女は単なる卒業という別離ではなく、違う「別れ」の意味をわたしに理解してほしくて、「これ持って帰ります」と言葉をかけたのだ。彼女が入院している病院に見舞いに訪れる前から、そのことには気づき、自分の鈍感さを責めた。仕事の忙しさに、目の前の「命」の危機に気が付かなかった自分。その兆候を充分すぎるほどしっていて、幾度も主治医と相談していたはずのわたしが、どうして、○○さんからのサインを受け止められなかったのか。

あれは何年前だったろうか。ちょうど、松任谷由実のこの曲がラジオから流れていた。

○○さんを車に乗せて下宿まで送ったときにもこの曲は流れていた。「春よ、か…」○○さんはつぶやいた。「春の真っ最中だろうが、大学生は」と不用意な言葉を発したわたしに、○○さんは「田所さん。人生に『春』ってありましたか」といつもにもまして真剣なまなざしが向けられた。「こんなおっさんにあるわけなかろうが」と胡麻化したが、○○さんの視線はまだわたしから離れなかった。

彼女は悩みに悩んでいた。わたしの力では到底解決できない、重たい運命を○○さんは背負っていた。根本をどうにもできないのだから、わたしは表面だけでもなんとかできないものかと、それなりに考えた。○○さんと語った時間も少なくはない。

でも最後に○○さんがわたしにたいして発した、一番大切なシグナルをわたしは受容できなかった。「人間失格だな」とすら思った。が、「そんなに力があるわけでもないよな」とも言い訳した。

「花が散った」と思った。

悔恨の情は今でも忘れられない。わたしと同じような経験をした方々(周辺諸条件は違えども)は、言い出せないがゆえに、語らえないけれども、少なくないに違いない。

この私的経験にはなんの教訓もない。無理やり意味を付与すれば、人生には時として、「どうにもならない」ことがあるのだ、ということくらいか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

明日発売!月刊『紙の爆弾』2019年2月号 [特集]〈ポスト平成〉に何を変えるか
田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)