ラグビーワールドカップで南アフリカの国歌に驚かされた

10月20日夜、急な取材のため、でかけたものの帰宅できなくなり、安宿で一夜を過ごすことになった。この日はラグビーワールドカップの準々決勝、南アフリカ―日本戦が19時過ぎから行われ、のちの視聴率調査では40%を超える数字を得たという。

自宅にはテレビがないが安宿の食堂では、宿泊客がNHKの中継に見入っていてた。ラグビーは国境を意識させないスポーツとして、だいぶ以前に本通信で好意的に紹介した記憶がある。その一方、日本開催となった本大会に限れば、来年予定されている「企業の祭典」東京五輪の予行演習の側面と、例によって、にわかファンの騒ぎぶりに、ひねくれものは反応してしまい、ろくろく試合も見ていなかった。

◆「Nkosi Sikelel’ iAfrika」(神よ、アフリカに祝福を)

20日、日帰りを予定していた出張が、予想外に長引いたことでわたしも南アフリカ―日本の試合を観戦することができた。そして試合前にわたしは自分の不勉強と、虚を突かれることになった。ラグビーのワールドカップは他の競技と異なり、純粋な国対抗ではない。英国だけでもスコットランド、ウェールズ、イングランドが今大会に出場している(アイルランドも国だけではなく英国領アイルランドとの合同を意識したチームだ)。だから試合前の「国家斉唱」では通常の英国国歌とされるものではない歌詞やメロディーを使わざるを得ない。

そこまではわかっていたが、自分の無知を恥じたのは、南アフリカ国歌が流れたときだ。「え! あの歌が国歌になっていたんか!」と声を出してしまった。あれは何年だっただろうか。リチャード・アッテンボロー監督の映画『Cry Freedom』(邦題「遠い夜明け」)で聞いた曲だ。


◎[参考動画]Nkosi Sikelel’ iAfrika – Cry Freedom [1987]

当時国際社会から非難されながらも南アフリカでは、明確な差別、人種隔離政策“Apartheid”(アパルトヘイト)がまだ蛮行を続けていた。『Cry Freedom』のエンドロールでは、「1962年の国会において、南ア政府は法律なしでの勾留を認めるようになった。これから紹介するのは、それ以降投獄され死亡したひとびとの、名前と死因の公式発表である」の説明のあとに延々と名前が続いたことが忘れられなかった。

『Cry Freedom』の主人公は、南アの有力新聞デイリー・ディスパッチ紙の白人記者ドナルド・ウッズだ。けれども実際の主人公は1968年に「南アフリカ学生機構」を立ち上げ、のちにドナルド・ウッズと親交を結ぶことになる、スティーブ・ビコだ。スティーブ・ビコは1968年に「南アフリカ学生機構」を設立し、南アにおける黒人解放運動の指導者として、もっとも有名な人物のひとりである。つまり『Cry Freedom』は実話をもとにした映画作品であった。ビコは映画の途中で早々に、虐殺されてしまい、フィルムのかなりの時間はドナルド・ウッズの南アからの、脱出物語にさかれている。このあたりに、若かったわたしには「ちょっと、主役が違うんじゃないか」と感じた記憶もある。

メロディーが記憶にあったのは、調べてみるとコザ語、ズール語による「Nkosi Sikelel’ iAfrika」(神よ、アフリカに祝福を)という曲だったようだ。作詞作曲されたのは19世紀。以来アフリカの多くの国で、独立象徴の歌として歌い継がれたようだ(19世紀アフリカの解放歌が、キリスト教に依拠していた事実をどう考えるか、の課題は横に置く)。

南アの国歌は、わたしが一回聞いただけだが記憶にある「Nkosi Sikelel’ iAfrika」だけではなく、途中で著しく変調した。後半はアフリカーンス語の「Die Stem van Suid-Afrika」(南アフリカの呼び声)を編曲したものだ。1997年にネルソン・マンデラが大統領に就任して出来上がった、2つの歌が合体しているので、変調が際立ってきこえたのかもしれない。

◆寒い国で初めて出会った南ア人

『Cry Freedom』を鑑賞したのより、さらに10年ほど前、わたしは最低気温がマイナス30度を下回る国を放浪していた。その時も安宿に宿泊していた。二段ベッドが3つ並ぶドミトリーといわれる、最安値の宿だ。その国の住民と同じく白人の宿泊者が会話をはじめた。

「あんたこの国の人間かい?」

「いや、俺は南ア人だよ」

「フー、大変なところにすんでるな。黒人(blackとその白人は発語した)が面倒だろう」

「ああ、俺は徴兵を終えたばかりなんだ。軍隊はよかったよ。黒人に気をつかうことがなかったから」

「この国でも黒人はいつも問題をおこしてばかりさ」

なんというあけすけな人種差別をする連中か、とかと呆れていたら。こちらに声が向いてきた。

「あんたはどこからきたんだ?」

「南アだよ」

下手くそな英語で嫌味を返したつもりだった。

「そんな英語が下手な南ア人はいないさ」

すぐにみやぶられ、日本からやってきていることを告げて、

「南アの白人にとっては、有色人種は黒人と同じなんだろう?」

実際そうであると聞いていたので、素朴な質問をなげかけた。

「いや…。ウーン。日本人は特別扱いされると思うよ」

こちらの機嫌を気にしたのか、南ア白人は曖昧にこたえ

「あした、3人でクロスカントリースキーをやらないかい? 俺はやったことがないんだ。日本は雪が降るんだろう?」

と、妙ななりゆきで誘いをうけた。予定も立てていなかったので、3人でクロスカントリースキーを借りて、山道を歩き(滑るというほど初心者に簡単なものではなかった)まわった。

わたしの知る南ア人は、彼だけだ。山道を苦労しながらドタバタするなかでも、彼は饒舌だった。

「おれは規律がすきなんだ。だから軍隊が心地よかった。ワン、トゥー、ワン、トゥー!」

わたしは規律が嫌いで、軍隊に入ることなど想像もできない。

「雪山はきれいだな! 白はいい! 人間も白に決まってる!」

うそのような話だが、黄色人種のわたしの横で、休憩のために腰を下ろして,たばこを吹かしながら大きな声で、もう一人の白人に同意をもとめる。彼は“Apartheid“が廃止され、ネルソン・マンデラが大統領になる日が来るなど、考えもしなかったことだろう。

わたしは、たったひとりの南ア人とは1泊2日をともにしただけだから、そこから決めつけるのは乱暴すぎるかもしれないが、その後、日本で聞くニュースやなどからも、南アフリカについては複雑な感情しか持てなかった。

それだけに、その後ろくろく南アフリカの情報に関心を向けなかった自分の不勉強を、ラグビーの試合によって偶然知るしる機会を得たのは果報だった。まさかあのメロディーが「国歌」になるなんて。信じられなかった。両チームの選手には申し訳ないが、そのことの驚きは、かなり長時間持続した。わたしは「君が代」が大嫌いだ。陰鬱なメロディーで、「解放」などとは無関係な歌詞。対照的に、キリスト教を下地にしているとはいえ、アフリカ全土で歌われた、黒人解放歌が国歌だなんて、素晴らしいじゃないか。


◎[参考動画]Nelson Mandela – Nkosi Sikelel’ iAfrika (God Bless Africa)

南アには貧困、エイズ、引き続き人種による軋轢など、さまざまな問題があることは知っている。犯罪発生率も際立って高いことも。解放歌が国歌になっているぐらいで、感激しているのは、おめでたい奴だとじぶんでも思う。でも正直、久しぶりに感激した。きっと、それほどにわたしは、常日頃、冷めきっているのだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき言論を!絶賛発売中『紙の爆弾』11月号! 旧統一教会・幸福の科学・霊友会・ニセ科学──問題集団との関係にまみれた「安倍カルト内閣」他
田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

天皇の「即位の礼」が行われる日はどうして休日なのか

きょう、10月22日はどうして休日なのだろうか。

交通規制のお知らせ(政府広報)

それは天皇の「即位の礼」が行われる日にあたるからだ。30数年前にも同じ理由で休日があった。その日わたしは天皇制にへの反対を示すために、あえて出勤し午後からは市内中心部で行われたデモに参加した記憶がある。

先月来検索サイトを開くと右記のような宣伝(政府広報)が頻繁に目についたし、新聞でも同様の広報があった。おそらくテレビでも東京を中心に相当量の宣伝がなされたことだろう。台風19号の影響で、パレードなど行事の一部は来月10日に延期になったが、総体としての「即位の礼」は変わらない。

さて、「即位の礼」とはなにをする儀式なのだろうか。ウィキペディアが簡潔にまとめているので、紹介する(太字は著者が強調したい箇所である)

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日本国憲法施行後の「即位の礼」では、5つの儀式(国事行為)が行われる。ここでは儀式を概説する。

交通規制が実施される首都高速道路及び地区(警視庁)

・天皇明仁の剣璽等承継の儀
即位の礼はこの儀式から始まる剣璽等承継の儀(けんじとうしょうけいのぎ)— 皇位継承があった当日に行われる儀式。新天皇や男性皇族が宮殿正殿・松の間に入り、新帝の前に置かれた案(机)に三種の神器のうちの剣璽と御璽、国璽が安置され、新帝が剣璽に挟まれて退出する。大日本帝国憲法下での剣璽渡御の儀(けんじとぎょのぎ)にあたる。

・剣と璽(イメージ、実物は非公開)即位後朝見の儀(そくいごちょうけんのぎ)— 皇位継承当日か、後日行われる儀式。天皇が即位後初めて三権の長をはじめとする国民の代表者と会う。正殿松の間に天皇・皇后や皇族が入場し、天皇の「おことば」の後、内閣総理大臣の式辞がある。明治憲法下の践祚後朝見の儀(せんそごちょうけんのぎ)に相当する。

・即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)— 天皇が即位を国の内外に宣明する、いわば即位の礼の中心といえる儀式で、戴冠式、即位式に相当し、各国元首、首脳らや国内の代表が参列する。皇位継承当日とは日を隔て行われる。宮殿正殿の松の間に高御座、御帳台が設置されて、それぞれ「御装束」に身を包んだ天皇・皇后が登り、諸皇族、三権の長が左右に控える。天皇の「おことば」があり、内閣総理大臣が祝辞である「寿詞」を読み上げ、万歳を三唱して参列者一同がこれを唱和する。

・祝賀御列の儀(しゅくがおんれつのぎ)— 即位礼正殿の儀終了後、天皇・皇后が皇居宮殿から赤坂御用地にある赤坂御所まで御料車でパレードする儀式。

・饗宴の儀(きょうえんのぎ)— 即位礼正殿の儀に参列した内外の賓客に対し、謝意を表してもてなすための宮中晩餐会。即位礼正殿の儀当日に始まり、宮殿豊明殿や長和殿にて数回開催される。

ウィキペディア「即位の礼」の項

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◎[参考動画]即位礼正殿の儀 祝賀御列の儀 祝賀パレード 本番さながらのリハーサル車列 (AirForce Aris2019/10/06公開)

日本国憲法において、天皇は「国民統合の象徴」と定義されているが、なんのことはない。相変わらず、国家神道を土台に据えた明治憲法時代と本質において変わらぬ「神事」が堂々と行われるわけである。

わたしが天皇制を嫌悪し、許容できないのは、このような「宗教儀式」に象徴される「国家神道」が、実質的にまだ生きているからだ。アキヒトは平和を演出しようと、しきりに自分が「象徴」であることを口にしていたが、アキヒトのいう「象徴」とは庶民が使う「象徴」とずいぶん意味が違う。

代替わりに、税金を湯水のように使い、諸外国の元首へ招待状を送り「代替わり」儀式へ参加を要請する。これが「象徴」の入れ替わる際に行われる行事の姿であろうか。こんな扱いは総理大臣の交代にも行われない。つまり本音では「元首」扱いなのだ。

即位礼正殿の儀で《天皇の「おことば」があり、内閣総理大臣が祝辞である「寿詞」を読み上げ、万歳を三唱して参列者一同がこれを唱和する。》この姿を見ただけで日本はいまだに、国家神道から抜け出せていない前近代的な「宗教国家」であることが証明される。でも、日本国憲法の前文やその他の条文から解釈しても、「天皇を元首」とみなすことには絶対的な無理がある。前述したように憲法第一条は「天皇は国民統合の象徴」(この「象徴」の使い方も実に曖昧で不自然ではあるが)と定めているのだ。そしてどこからどう見ても、国民主権は動かしようがない(憲法と法律上は)。

だが、第一条における「象徴」とのあいまいな表現を、優越するはずの国民主権が、実は日本国憲法成立時から、実体化されていなかった事実を「即位の礼」が廃止されなかった経緯に見てとることができる。戦後日本の中枢は、新憲法制定にあたり「国体」を守ることを死活課題とした。そのバーターのために9条が設定されたとの論は、ほぼ間違いないだろう。

「国体」。無理に訳せば不可能ではないだろうが、外国語にこの概念を持つ言語はないのではないか。普段は不可視で存在がつかみにくいが、きょうのような日に正体を現すその核は「国家神道を基礎にする宗教国家」である。

いま何年だ? 2019年だろう。21世紀だぞ! AIの発達が進み、万能細胞が開発され、スマホが世界に行き渡っている時代じゃないか。「国家神道? 馬鹿言いなさい。そんな時代じゃないの」とどうして先進的な科学者や、企業家は発言しないのだろうか。それどころか経団連は労働者を搾取しながら天皇制を称揚し、IPS細胞開発者の山中伸弥はことあるごとに「国家」への忠誠を身をもって示している(新元号選定の有識者会議に山中は参加していた)。ぜんぜん進歩していないじゃないか。IPS細胞の開発者が天皇主義者である事実は、しっかり注意を払う必要がある。

そして、「文化人」だの「評論家」だの呼ばれている連中で、明確に天皇制を批判する方がどれくらいいるだろうか。右の鈴木邦男から自称リベラルの香山リカまで皆さん「万歳」状態じゃないか。芸能人に至ってはもう目も当てられない。

「差別」問題はどうした? 出自による身分制度は、これ以上ない差別制度じゃないのか。「やんごとなき」血筋にお生まれになる方がいるから、生まれたときからさげすまれる子どもが社会的に作られるのではないのか。差別問題を口にしている連中で、天皇制を批判できず、ましてや称揚するような人間は、全員「インチキ」である。

そして「インチキ性」こそが、今日、日本を覆いつくす主流の精神性だといっても過言ではないだろう。まずは鏡を見よう。あなたは「インチキ」に冒されてされていないかどうか。天皇制は強力で巧妙だ。


◎[参考動画]「即位礼正殿の儀」へ 陸自の部隊が予行演習(ANNnewsCH2019/10/19公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

神戸市立東須磨小学校教員間いじめ事件は社会の縮図 ── 文科省の教育施策失敗と日本の社会崩壊を視野に入れなければ、この惨状の本質は語れない

神戸市立東須磨小学校(同市須磨区)の教員間暴行・暴言問題で、同小の仁王美貴校長(55)が10月9日、市役所で市教育委員会の担当者と記者会見した。2018年度に当時の校長が、既に教員のセクハラ発言や職員室でのからかいなどの嫌がらせがあったことを把握しながら、指導などの対応が不十分だったことが判明。加害教員の一部から児童が嫌がらせを受けたとの訴えがあることも分かった。


◎[参考動画]東須磨小学校教員間いじめ問題 新たな事実が明らかに(サンテレビ2019/10/10公開)


◎[参考動画]神戸市・教師いじめ問題 前校長はパワハラを謝罪(ANNnewsCH 2019/10/16公開)

◆1990年7月、神戸高塚高校で起きた女子生徒校門圧死事件

兵庫県では、定期的に教育関係の深刻な事件・事故がおこる。わたしがもっともショックを受けたのは、1990年7月6日、兵庫県神戸市西区の兵庫県立神戸高塚高等学校で、同校の教諭が遅刻を取り締まることを目的として登校門限時刻に校門を閉鎖しようとしたところ、門限間際に校門をくぐろうとした女子生徒(当時15歳)が門扉に圧潰されて、死亡した事件である。

本通信の「『体罰』ではなく、すべて『暴力』だった」で3回にわたり自身が受けた、天地がひっくり返ったような「公教育」体験の中には、兵庫県立神戸高塚高等学校での事件を彷彿させる場面が、限りなく記憶に残っているからだ。高塚高校同様、わたしの通っていた「授業料を払う刑務所」こと高蔵寺高校や、春日井東高校でも毎朝同様の光景が繰り広げられていた。

わたしは経験はないけれども、校舎の中から眺めていると、教師が猛烈な勢いで校門を閉める際に、少なくとも体を挟まれた生徒は複数確認している。あれが頭部であれば命にかかわったであろうに、野蛮な教師どもは、反省など一切せず毎日同じような危険な光景が繰り返し行われていた。

登校時間ギリギリになる生徒は、必ずしも怠け者の生徒ばかりではない。「授業料を払う刑務所」こと高蔵寺高校は春日井市の西北に位置するが、10キロ以上離れた名古屋市との境界に近い距離から自転車通学してくる生徒も少なくはなかった。

通常通りであれば、登校時間に間に合う時刻に家を出発しても、途中で雨が降り出したり、道路工事で道を迂回しなければならないと、計算通りの時刻に登校できない。生徒はみな、登校時間を送れると「指導」の名のもとに、人権侵害お構いなしの懲罰を食らうことを知っているから、のんびり登校する生徒などはいない。

つまり教師どもは、校則を盾にとって雨中、必死で自転車をこぎ登校してくる生徒を「おはよう」のあいさつで迎えるつもりなどなく、定刻になったら容赦なく校門を勢いよく閉めることに、職業上の喜びや、快感を感じていたのだ。


◎[参考動画]関係者らが追悼 神戸高塚高校 校門圧死事件から29年(サンテレビ2019/07/06公開)

◆「社会の縮図」が引き起こした事件

さて、話がそれたようだが、逸れてはいない。神戸市立東須磨小学校で発生した、教師による教師イジメは、もっとも簡略化して解説するのであれば「社会の縮図」が引き起こした事件である、といえよう。もちろん、その程度の低さと悪質さ、組織的な隠蔽は、もう言及するのも嫌になるレベルである。

学校が、児童や生徒の居場所ではなく、行政権力や国家による人格捻じ曲げの場所に変化してしまったから、このように表現する言葉も見つからない、貧しすぎる精神が居場所を占めるようになったのだ。

このいじめに手を染めた、あるいは黙認した教師どもには、教壇に立つ資格などない。しかし、重要なことは兵庫県だけではなく、全国を見回しても、「イジメ教師」と同等あるいは、同様のレベル人間を今日の学校は制度的に求めている根源がある、ことではないだろうか。

職員会議の議決権が奪われ、校長の権限が強化され、教育に何の知識・経験もない人間が「民間校長」として大阪などでも、もてはやされている。市場原理や、企業的な競争原理を義務教育に持ち込むことが、あたかも「先進的」であるかのような、誤解が全国に広まっている。断言するがこれは完全に大いなる間違いである。

教師を養成する教職課程も、不要な荷重がかけられ、本当に児童・生徒への教育に熱心な個性は、採用されるのが困難になっている。「子供のまま、社会問題など考えない」志望者ほど公立学校の採用試験には合格しやすくなっているのだ。

つまり、極言すれば「子供が教壇に立っている」状態を文科省は望み、その歪な像が実体化している。ここにも深刻な病巣があるのではないか。文科省のいう「多様性」は「成績の出来不出来」を指す。個性も同様だ。少子化で学校の先生の数は余っているはずなのに、先生たちは、毎晩「意味のない」資料作りや報告書作成に追われて、帰宅が遅い。

熱い情熱で、児童・生徒・学生に向き合っている先生・教員が存在することは、強調せねばならない。しかしそういったひとびとが、多数ではいられない仕組みを文科省や教育委員会はが、率先して作り上げている。

きょうのバラエティー番組で、法政大学の「なんとかママ」と呼ばれる「評論家」は、なにをコメントするだろうか。文科省の連綿とする教育施策失敗と、さらにいえば、日本の社会崩壊を視野に入れなければ、この惨状の本質は語れない。


◎[参考動画]東須磨小学校で保護者向け説明会(サンテレビ2019/10/16公開)


◎[参考動画]教員間いじめ問題 保護者説明会で加害教員コメント(サンテレビ2019/10/17公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき言論を!絶賛発売中『紙の爆弾』11月号! 旧統一教会・幸福の科学・霊友会・ニセ科学──問題集団との関係にまみれた「安倍カルト内閣」他
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「企業欲の祭典」東京五輪に対する最善の処方箋は開催の「中止・返上」である

「国際オリンピック委員会(IOC)は10月16日、東京五輪の猛暑対策として陸上のマラソンと競歩を札幌開催に変更する案の検討に入ったと発表した。東京より気温が約5度低く、地理的な条件などを理由としている。五輪開幕まで1年を切り、IOCが会場変更を提案するのは異例の事態で、実現には難航も予想される。猛暑を見据えて準備を進めてきた現場サイドでは驚きと戸惑いの声が上がった。」(10月17日付スポーツ報知)

◆いよいよ混乱が本格化しはじめた

ほーらみろ。いよいよ「企業欲の祭典」、東京五輪の混乱が本格化しはじめた。前回1964年に東京で五輪が開催されたのは、10月。台風の懸念はあるが、年間通じて普通のひとにも過ごしやすい時期だ。あれから半世紀以上がたち、いまの東京8月は、もう「温帯」の気温ではなく「熱帯化」している。わたしが説明するまでもないだろう。関東にお住まいの方であれば「8月の東京」の灼熱ぶりが、五輪に適すか適さないかくらい、簡単にお分かりいただけよう。

そういう自然条件を承知のうえで、五輪招致委員会は「8月の東京」にこだわったのであり、IOCもそれを了承した。どうして8月でなければならないのか? それは北半球の多くの国で、8月が夏休みに充てられ、高い放送料が設定できるからだ、これが10月にずれ込むと放送料は数割安くなってしまう。つまりIOCも招致委員会も、最初から「商売第一」で「8月の東京」をごり押ししたのだ。

ところがである。先に行われたドーハで行われた世界陸上では、あまりの高温多湿にマラソンや長距離競技、競歩で棄権する選手が続出した。当然選手から批判の声が相次いで上がり「二度とこんなコンディションでは、走らせたくない」とコメントするコーチも現れた。

しかもそう発言したのは日本人選手のコーチだった。夜間でも40度を上回り湿度も90%を超える気候で、長距離競技が行われることを前提に、ルールはできていない。日本でも歴史あるマラソンは(福岡国際、別大、琵琶湖、女子マラソン)はすべて冬季に集中しているし、駅伝競技も同様だ。

◆ビジネス最優先のIOCと関連団体の「勘定論」

マラソンは15度くらいに温度が上がると「暑い」と表現され、20度を超えると「厳しい」、25度を超えると「過酷な」コンディションと表現される(気温は概ねの値である)。30度や40度近い気温の中で行われる競技ではないのだ。マラソンだけではない。トラック競技の1000mや20キロ、50キロ競歩なども同様だ。

さて、例年東京の8月の気温はどうであろうか。「熱帯夜」と呼ばれる最低気温が25度を下回らない夜は当たり前。25度どころか30度を下回らない夜も珍しくはない。そんな気温の中で「根性論」ならぬ「勘定論」の上に計画されたのが、東京五輪である。

けれども「勘定論」であるから、競技中に選手がバタバタ倒れたり、救急車がやってくる様子が画面に映ったのでは、非常に具合が悪い。スポンサーのイメージはむしろ下がってしまうから、高いスポンサー料を払っている企業からすれば(その中には朝日、毎日、読売、日経、産経など全国紙も含まれる)「惨憺たる灼熱地獄」を放送したくはない。

そこで、急遽「選手の健康第一」など殊勝な理由をでっちあげて、札幌でのマラソン実施を発案したのだ。IOCをはじめとする「スポーツに詳しいはず」の団体が、競技コンディションなどは二の次で、金勘定だけでうごいていることを証明することになった、象徴的な出来事といえよう。

しかしすでに述べた通り、灼熱地獄で行われるのは、マラソンだけではない。トラック内で行われる1000mは競技時間はマラソンよりは短いが、すり鉢状の競技場を観客が埋めれば、自然気温以上に空気が滞留し、高温化する可能性が高い。そして、あえて指摘しておけば、関東のかたがたがつい最近経験したような、大雨による水害や、地震はいつ発生するか予想ができない。関東を台風19号が直撃した日、千葉沖を震源とする最大震度の地震も同時に発生していたことを、関東以外にお住まいのかたはご記憶だろうか。

◆被災した人々の生活回復を第一に考えれば

自然災害は防ぎようがない。だから「東京五輪」を自然災害だけを理由に批判するのは的外れかもしれない。しかしながら、地震、大雨、火山噴火などここ数年の自然災害により、通常の生活を送ることができなくなっているかたがたがまた増えた。台風19号による被害者がもっとも多かったのは、福島県であった。

福島県……。人間も、自然もどこまで福島に不幸を強いるのであろうか。

被災した人々の生活回復を第一に考えれば、マラソンを札幌に持っていく程度のちゃちな子供だましで、被災者は救われないことくらい理解されるだろう。

東京五輪に対する、唯一最善の処方箋は、「中止・返上」することである。


◎[参考動画]Learn about Olympic Agenda 2020 The New Norm(IOC Media 2018年10月10日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき言論を!絶賛発売中『紙の爆弾』11月号! 旧統一教会・幸福の科学・霊友会・ニセ科学──問題集団との関係にまみれた「安倍カルト内閣」他
田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

書家・龍一郎さんが長年の沈黙を破り、11月10日同志社大で語る「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」

本通信で「『体罰』ではなく、すべて『暴力』だった」を3回にわたり掲載した。個的な経験の紹介ではあるが、ある時期、公権力(教育委員会)の明確な意思にもづき、堂々と行われた「教育」に名を借りた「犯罪行為」であるから、私怨としてではなく、記録として留められる必要があると考えたからだ。

愛知県をはじめとする「管理教育」について『禁断の教育』(宇治芳雄、同時代叢書1981年)『虚構の教育』(宇治芳雄、同時代叢書1982年)など問題を指摘する書籍も発売され、校内暴力などで荒れる学校の問題と対極に、行政暴力により吹きまくる公立高校内での「犯罪」は限定的であるとはいえ、教育や社会問題に関心のあるひとびとの間では、認知されていた。

NHKも東海地方では教育テレビで特集番組を放送し、『ある小学校長の回想』(岩波新書1967年)の著者である金沢嘉市氏がゲスト出演し、学校内で行われる異常な「教育」の実態を記録したビデオ映像を目にして、「ついにここまで来たか……という感じです」と絶句していたことが思い出される。

わたしは運悪く(あるいはのちの人生を考えれば逆説的に「幸運にも」との評価も成立するかもしれない)管理教育の被害者になったことで、人格形成のかなり重要な部分に多くの傷をすりこまれた。かといって教育界にはわたしに接したような、最低レベルの人間ばかりが巣くっているわけではなく、教育者としてだけでなく、人物としても尊敬に値するかたがたが熱心に児童・生徒・学生のために献身的に身を削っておられることを、身をもって後に知ることになる。

「ゲルニカ事件」は、ウィキペディアに下記の通り、記載されている。

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1988年3月の卒業式の際に、卒業生たち卒業記念作品としてパブロ・ピカソの『ゲルニカ』を模倣した旗(以降、「ゲルニカの旗」と呼称する)を作製した。児童はゲルニカの旗を式典会場の正面ステージに貼ることを希望したが、校長の指示により、ステージ正面には日章旗が掲げられ、ゲルニカの旗はパネルに貼られた状態で卒業生席背面に掲げられた。なお、ゲルニカの旗をパネルに貼って掲げることは校長によって提示された修正案だが、職員会議での合意は得られていない。

これに対する抗議の意味で、卒業式当日には、卒業生代表児童挨拶での校長への批判発言もあり、「君が代」の斉唱の際に着席するなど児童がいた。この児童らに同調し、着席、また退場の際に右手こぶしを振り上げる行動をした教諭に対し、福岡市教育委員会は同年6月、教育公務員としての職の信用を傷つけるものとし、地方公務員法に基づき戒告処分を行った。(ウィキペディア『福岡市立長尾小学校ゲルニカ事件」の項)

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事件後報道もされたので、「へー、世の中には立派な先生がいるもんだな」と感嘆した記憶があった。その立派な先生の名前は井上龍一郎さんだ。わたしが井上龍一郎さんと初めてお会いしたのは、熊本で行われた鹿砦社も支援するイベント『琉球の風』だったと思う。3年ほど前だろうか。当時から鹿砦社のロゴやイベントの際の横断幕などを力強く書く「書家」としてお名前は伺っていた。ニコニコして人柄の優しい井上さんはみずからが出向いて書を描く行為を「テキヤ」と自嘲気味に表現される清々しい方、との印象があった。


◎[参考動画]龍一郎さん 書道 亥(2019年2月16日公開)

けれども、のちに鹿砦社代表の松岡氏から「龍一郎は『ゲルニカ事件』で有名だったんですよ」と聞かされるまで、井上さん(ご本人は「龍一郎」を仕事で使っておられるので以後の記載は「龍一郎さん」とさせていただく)が、まさか、あの『ゲルニカ事件』の先生だとは気が付くはずもなかった。

後日松岡氏の好意で『ゲルニカ事件 どちらがほんとの教育か』(井上龍一郎とお母さんたち1991年、径書房)をご紹介いただいき、即読了した。

井上龍一郎とお母さんたち『ゲルニカ事件 どちらがほんとの教育か』(径書房1991年)

龍一郎さんは1987年4月6日に長尾小学校に赴任して以来のできごとを、同書第一章「君は何をするために学校に来たのか」で克明に綴っている。若く情熱に溢れた教師が、すさんだクラスに赴任してから児童のこころをどうやって解きほぐしていったのか。いうことを聞かないやんちゃ坊主とどのように打ち解けたのか。実に細かく日々の学校生活と児童の様子・変化が記録されている。残念ながら『ゲルニカ事件 どちらがほんとの教育か』は絶版になっているので、簡単に入手することはできないが、できれば教育に携わるすべてのひとびとと、お子さんを小学校に通わせている、あるいはこれから通わせる保護者のかたがた全員に読んでいただきたい。心揺さぶられる名著だ。

龍一郎さんは個性豊かな(と表現しておこう)児童が集う6年3組の担任を任されることになるのだが、このクラスは校長や教務主任がいうには「問題の多いクラス」ということで、龍一郎さんも心配しながらの新学期が始まった。そして「問題の多い」原因が同じ児童が5年生(5年生と6年生はクラス替えがなかった)の後半に、担任の先生が産休となり、代わりに赴任してきた先生に「毎日叱られてばかいりた」ことが原因で、教師不信に陥って反抗的な態度をとるようになったことを知る。龍一郎さんは毎日手探りを続ける中で、児童「教師に対する猜疑心」を徐々に希釈してゆき、やがては圧倒的な信頼を得るようになる。

「卒業といってっても、何もあわてて特別なことやっても駄目だ。やはり、一学期、二学期の取り組みの延長線上に明確に位置付けるべきだ。私たちは、子どもの主体的活動を基礎に学級集団を作り高めようとしてきた。三学期は、これを土台に学年の集団をはっきりつくりあげていかなければならない。そして、何より子ども達が燃えて燃えて燃え尽きるまでものごとに取り組み卒業してゆくこと――。こんな当たり前のことにたどりついた。具体的な計画を立てるときは、子ども達の興味、関心を最大限に引き出せるように工夫した。何といっても学習の主体者である子どもの意欲が問題なのだから、当然なことではある。」

「何といっても学習の主体者である子どもの意欲が問題なのだから、当然なことではある」と龍一郎さんは当たり前に考えておられたが、その真逆の人間が「教師」を名乗っている事実があまたにこびりついているわたしにとって、龍一郎先生の言葉は、新鮮を通り超え驚愕ですらあった。

そして、子供たちは卒業の記念にゲルニカを作成することを決めて、見事に完成する。その過程で児童が戦争や差別など社会問題に興味を持ってゆく過程などは、「これがほんとうに小学生が、みずから考え行動したことなのか」と驚愕させられるほどレベルが高い。2019年、大学生でも龍一郎さんが担任を受け持った児童のレベルに遠く及ばない学生が大半ではないか。

宇崎竜童さん(左)と龍一郎さん(熊本「琉球の風」にて)

はたして、児童たちは見事な学年の旗ゲルニカを完成させ(その完成度も驚愕に値する)卒業式が行われる体育館のステージにいっぱいに、自分たちの小学校生活集大成を見つめながらの卒業式を楽しみにしていた。だが、柳校長は職員の総意と児童たちの思いを踏みにじり、ゲルニカを壇上から外し、代わりに日の丸を掲げた。

卒業式では、卒業証書を受け取った児童が思いを述べる。ある児童は「私は怒りや屈辱をもって卒業します。私は、絶対、校長先生のような人間にはなりたくないと思います」と宣言した。

一連の出来事は「筑紫哲也のニュース23」で特集された。わたしはつい最近その映像を見る機会があった。失礼ながら一番印象深かったのは、わたしの知る、個性派書家龍一郎さんではなく「若い好青年」だったことだ。そして龍一郎さんは「処分」を受け、それを「不当」とし裁判闘争に立ち上がる。『ゲルニカ事件 どっちがほんとうの教育か』を読了するまでにも、わたしは何度もすなおに感激し落涙をおさえられなかった。

長年の沈黙を破り、龍一郎さんが11月10日、13時から同志社大学今出川キャンパス良心館で「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」をテーマに講演会を行う。(講演会参加者には龍一郎さん揮毫の来年2020年の鹿砦社カレンダーを進呈します!)

子どもに向ける情熱を書に切り替えても、龍一郎さんの情熱は変わらない。そんな龍一郎さんは30年前を振り返り、今日の教育問題をどのように感じておられるのだろう。いまからお話が楽しみだ。

同志社大学学友会倶楽部第7回講演会 書家・龍一郎さん「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」
同志社大学学友会倶楽部第7回講演会 書家・龍一郎さん「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

「アナタハ ナニモノ デスカ?」  他者が本当に大切にしているものに対して、私たちはいかに誠実でいられるか?

敬虔な、イスラム教徒のかたと外食をする。想像していただきたい。そして、ご経験のあるかたは、その困難さが理解されるだろう。豚の肉は絶対に口にはできないし、豚のエキスが入っているものもダメだ。原材料に、食べることが許されない材料が「ない」、と確信できない限り食べるもの、入る店は決められない。

一般的な外食のチェーン店はまず無理だ。「日本語がわからないから、適当なところで誤魔化そうか……」空腹で1時間以上、飲食店を物色していると、邪念もわいてくる。しかし、そのかたにとってのイスラム教は、日本人の「葬式仏教」は訳が違うのだ。母国の法律はイスラム教を書き換えたものだ。生活のすべてがイスラム教に依拠している、といっても言い過ぎではない。そんな人を欺くことはできるものではない(敬虔ではなく、比較的緩いイスラム教徒の中には、日本滞在が長くなると、あまり食を気にしなくなり、なかにはビールを飲んで歓談することも平気になったひともいる)。

そのひとが、本当に「大切」にしているもの、は簡単には茶化せないし、茶化してはいけない。繰り返すが「そのひとが本当に大切にしているもの(勘違いで妄信しているものや、演技では断じてない)」にどう接するか、いかに誠実でいられるか、が実は「アナタハナニモノデスカ」に対する、回答との写し鏡ではないだろうか。

「アナタハナニモノデスカ?」

あなたは人間だ。この通信を読んでくださっている読者は、日本語が理解できるひとだ。あなたは、いくぶんかでも、わたし、田所敏夫という名前に、引っ掛かりがあるか、疑っているか、嫌いか、そういった感情をもつひとだろう。

わたしは2019年9月某日。日本の総体を好感せず、あれやこれやと文句を書き並べる、売れないフリーライターだ。日本の総体、なかんずく日本の政治の悪質さ、マスメディアの馬鹿さ加減、庶民のファッショ化(ファッション化ではない)、の悪化に日々「いやだなぁ」と暮らしにくさを、心に刻んでいる。きのうきょうにはじまったことではない。「アナタハナニモノデスカ?」と聞きはしない。内心、そのように問わずに、安心してそのひとの大切にしているもの、の心象的な手触りを、かんじることができる人がどんどん減ってしまって、軽々に本音の話ができない。

この苦しさは、たとえが、ずいぶん的外れかもしれないけれども、敬虔なイスラム教徒の来訪者と、食事をしようと街のなかを歩き回った、あのときのたじろぎよりも、何万倍もたちがわるいく、きもちわるいのだ。あの来訪者の、人格まで知りうるほどの付き合いではなかった。あのひとは、わたしにとって「敬虔なイスラム教徒」と大雑把に決めつけるしかない。その程度の関係性だった。でも空腹はつらかったものの、どこかに「アナタハナニモノデスカ?」と質問したくならない、非日常的な幸いがあった。失礼ながらイスラム教徒のかたとは接して、職場を何年もともにしたことはあったけれども、敬虔なイスラム教徒のかたとの邂逅は、「アナタハナニモノデスカ?」が頭に浮かぶ隙も与えはしなかった。

改憲・原発・死刑・天皇制・自然災害・差別・選挙制度・日本の戦争責任・自民党と公明党・お子さんの教育・受験・学歴・就職活動・雇用形態・組合・残業代不払い・年金・介護・相続・法律……(あるいは「服従と不服従」、「倫理と不倫」、「合法と非合法」、「埋没と非埋没」、「協調と独立」)。

あまた、あなたも直面してきたであろう(するであろう)選択に際して、あなたはどんな基準(ちょっと小難しく言えば思想と哲学)で判断を決めてこられただろうか。判断の積み重ねが、こんにちの「アナタ」を形成し、あなたの人となりを決めているのだと思う。「保守」、「リベラル」、「革新」(死語)、「人権派」、「エコノミスト」、「エコロジスト」。

実際のところ、一部の個性的なひとびとを除いては上記にあげた、概念はほとんど死滅してしまっている。たとえば池上彰、佐藤優、内田樹。そこまで有名ではなくともちょっとした場面で、自分が考えたように、どんな話題にも滑舌よくしゃべるひとたち。あなたは「大昔にジョージ・オーウエルが描いた人物像以下だよ」と囁いてやりたい、軽口ども。「何にでもなれる」つまり「何物でもない」のに、自説を口角泡を飛ばす勢いで、展開しているような偽物。

「アナタハナニモノデスカ?」

人間の内面像があいまいになってはいまいか。わたしの錯視、勘違いか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

アスリートに敬意がない真夏の炎天下オリンピックマラソン 視聴率のために選手を犠牲にしていいのか

◆死者が出かねなかったドーハの惨状

ドーハで開かれている世界陸上選手権の女子マラソン(9月27日)で、棄権者が相次いだ。気温は33度。出走68人のうち、じつに4割以上にあたる28人が途中棄権したのである。優勝したチェプンゲティッチ(ケニア)の2時間32分という記録は2007年大阪大会の2時間30分よりも2分遅い歴代最遅記録だった。

英BBCによると、5位だったマズロナク(ベラルーシ)はレース実行に踏み切った国際陸連を批判し、「アスリートに敬意がない。多くのお偉方がここで世界選手権をすることを決めたのだろうが、彼らはおそらく今、涼しい場所で寝ているんだろう」と皮肉ったという。

医療施設がゴールラインの隣に用意され、コース上で人が倒れるたび、選手たちは担架でそこに運び込まれたという。そもそも炎天下でマラソンを行なうこと自体が正気の沙汰ではない。

◆真夜中のレースでこの惨状

いや、このレースは炎天下ではなく、真夜中に行われたのである(午前0時過ぎにスタート)。気温は33度、湿度は73.3%だった。おなじく真夜中に行われた男女50キロ競歩、女子20キロ競歩でも棄権者が多数出た。ロシアメディア「スポルトエクスプレス」によると、22位でゴールしたトロフィモワ(ロシア)は、レース後に「非人道的な環境だった」と語った。自身のインスタグラムで「10キロで少女たちがまるで“死体”のように道路に横たわるのをみた」と惨状を明らかにした。まさに修羅場である。こんなのを“スポーツ”というのだろうか。

けっきょく、日本選手は7位に谷本観月(天満屋)、11位に中野円花(ノーリツ)と2人が完走したが、池満綾乃(鹿児島銀行)は30キロ過ぎに力尽きた。代表コーチを務める武冨豊天満屋監督は「こんな環境では、もう二度と選手を走らせたくない」と言いきった。

この結果をうけて、オリンピック委員会は来年の東京五輪マラソンを見直すのだろうか。いや、スタートを午前6時に繰り上げたばかりで、本気で強行するかまえを崩していない。選手ファーストどころか、アメリカ巨大ネットワーク放送の意向をうけた、買弁オリンピックを強行しようというのだ。

◆オリンピックで死者が続出してもいいのか

これまでに世界陸上で最低の完走率を記録したのは、1991年の世界陸上東京大会男子マラソンである(9月1日開催)。同大会では60選手がレースに出場し、40%に当たる24人が途中棄権した。当日の気象条件は、午前6時のスタート時で気温がすでに26度、湿度は73%と高温多湿のレースとなった。25キロ付近では気温30度を超え、日本のエース格だった中山竹通も途中棄権を余儀なくされている。

来年の東京オリンピックマラソンは、女子が8月2日、男子が8月9日である。今年の同日の気温を調べたところ、2日が35度、9日は36度である。この夏の驚異的な暑さは、いまも焼けた素肌感覚で残っている。このまま来年のレースが強行されたら、死屍累々たる結果は目に見えている。

しかるに、大会組織委員会、東京都、陸連の対策はといえば、打ち水や温度をためにくい舗装路にする、前述のスタート時間の繰り上げなど、抜本的なものはない。当たり前である。室内ではなく暑い東京の夏を走るのだ。

打ち水はいかにも日本人的な風情というか知恵のようにみえるが、熱気をもった水蒸気が選手に襲い掛かるという。湿度を上げるのだからそれも当然かもしれない。そしてスタート時間の繰り上げにも問題がある。

寝ている時と起きている時では、血圧に差があるのだ。寝ている時は最も血圧が下がってるが、そのため朝起きると血圧が急に上昇するという。その状態で、ランニングをすると、ただでさえ血圧が上がっている状態にさらなる負荷がかかり、血栓が血管を塞いでしまう。したがって、脳梗塞や心筋梗塞を起こしやすくなるというのだ。

一般的に突然死が起きやすいのは午前中というデータがあるが、その理由の一つとして血圧の急上昇が挙げられるのだ。ようするに、気温の比較的低い朝のランニングこそ、人間の体に負担をかける。いや、負担どころか死をまねきかねないというのだ。暑さを考慮して繰り上げたスタート時間が、本当に選手の生死を左右しかねないのである。

◆今からでも遅くない、真夏の大会はやめるべきだ

それもこれも繰り返しになるが、アメリカの大手放送ネットワーク資本の事情によるものだ。

周知のとおり、アメリカでは大リーグのワールドシリーズ(プレイオフをふくむ)、アメリカンフットボールのレギュラーシーズンと、秋にスポーツのビックイベントが重なっている。大きなスポーツ大会のない7、8月の視聴率を埋めるために、オリンピックは夏場に開催されるようになったのだ。このままでは巨大資本のための大会に、選手たちが犠牲となるのだ。

1964年の東京オリンピックの記憶がある方は、あの素晴らしい青空のもと、すがすがしい風と共に思い出されるのではないだろうか。テレビ録画で55年前の入場風景をご覧になった方も、透明感のある空気とスポーツ日和を感じられるはずだ。スポーツの秋という言葉を引くまでもなく、真夏にオリンピックをやる愚は犯すべきではない。いまからでも遅くはない。アスリートファーストという言葉が嘘ではないのなら、今回のドーハの惨状に学ぶべきである。


◎[参考動画]【ドーハ2019世界選手権】日本代表発表!新ユニフォーム発表!記者会見 選手コメント(日本陸上競技連盟2019年7月4日公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

創業50周年 タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』10月号絶賛発売中!

けっして奇跡ではない ジャパンラグビーの勝利

ワールドカップの一次リーグでジャパン(日本代表)が世界2位のアイルランドを19対12で破り決勝トーナメント進出への足掛かりを得た。これをメディアはこぞって「奇跡がふたたび」「大番狂わせ」と報道しているが、そうではない。観ていた方はわかると思うが、フィットネスの面でジャパンはアイルランドを圧倒していた。


◎[参考動画]【ラグビーワールドカップ2019ハイライト】日本×アイルランド(DAZN Japan 2019年9月29日公開)

この勝利は勝つべくして勝ったというべきである。そもそも、ラグビーというスポーツに「偶然」は「ラッキー」はない。いや、楕円ボールのラッキーバウンドすらも、練習によって見きわめられた想定内の運動なのである。ラグビーを多少やっていた人間として、ジャパンの強さを解説しておこう。

◆世界にほこるトレーニングの量

もう十数年前になるが、わたしは鹿砦社の松岡社長の紹介で日本ラグビーフットボール協会のA氏(慶応OB)を紹介されたことがある。それが機縁で社会人ラグビー(当時)のプロ化の準備に向けたサイトの運営、テストマッチ(国の代表チームの対戦)や日本選手権の取材などを引き受けていた。

そしてその中で、代表チーム(ジャパン)の個別のトレーニング管理という、きわめて徹底したマネジメントを知って驚いたものだ。代表候補選手に携帯のメーリングシステムを通じて、個人練習(その日に何キロ走ったか、など)を管理するというものだ。そこまでやるのかという、わずかに嫌な印象を持ったものだ。

現在はプロ化(完全ではない)が達成され、代表チームの招集も個別の所属チームに優先するようになったので、スマホで個人トレーニングを管理する必要もなくなったが、それでも激しいトレーニングは世界レベルでもトップではないか。

エディ・ジョーンズヘッドコーチの時代、ボールを使った練習中にホイッスルが鳴ると、数分間走り続ける、選手にとってはうんざりするようなトレーニングが課せられたものだ。80分間走るフィットネスにかけては、世界に敵はいないだろう。

アイルランド戦の勝利は、けっして奇跡ではないのだ。アイルランド選手が動けなくなっているときに、ジャパンの選手たちは体を躍動させていたではないか。そしてリザーブ選手がすぐに試合に順応できる層の厚さも、アイルランドとは好対照だった。

◆日本のラグビー文化の素晴らしさと限界

今回のジャパンの活躍で、にわかラグビーファンが増えるのは悪いことではないが、その反面でラグビーというスポーツ文化への一知半解が従来のラグビーファンの眉を顰めさせることもあるはずだ。

たとえば、テレビでは「サポーター」というサッカー用語をさかんに使っているが、ラグビーのサポーターという意味ならばともかく、個別のチームのサポーターがラグビーに存在するわけではない。よいプレイがあれば相手チームであれ、応援しているチームであれ、拍手で讃えるのがラグビーの観戦マナーである。

サッカーJリーグはファンにサポーターという地位を与えることで、応援で「活躍」する場をあたえた。これは野球にみられる応援文化を、そのまま海外におけるサッカーの応援シーンに合致させたものだ。ラグビーにもプロがあり、南半球のラグビー応援シーンはなかなか派手だ。しかし、大学ラグビーを底辺に構築されてきた日本のラグビー文化は、サッカーのそれを後追いするには異質なものがある。

たとえばアイルランド戦で活躍した福岡啓太選手は、医者を志望しているという。ラグビー選手がプロとしてチームに残る際も、企業のマネージャーとしての立場が必要である。高学歴ゆえに、組織マネージメントや技術者としての役割性を期待されるのだ。

ひるがえって、フリーランスでラグビー解説者やタレント化するほど、ラグビー人気に厚みはない。プロ化のいっそうの推進がどこまで可能なのか。ファンの支援が、サッカー並みに「サポーター」として厚みを持てるのか、これも昔の話で恐縮だが、伊勢丹ラグビー部が解散するときに「おカネがないのなら仕方がないね」で済まされたものだ。ラグビーはエリート社員たちの「余暇」としかみなされなかったのである。

◆ウエイトトレーニングが決め手だった

かつて、早明ラグビー人気を中心に、80年代にはラグビーブームという言葉があった。伏見工業ラグビー部をモデルにしたテレビドラマ「スクールウォーズ」の人気もあって、ラグビー精神のオールフォアワン、ワンフォアオールが人口に膾炙したものだ。その後、早明両校の低迷やJリーグサッカーの隆盛もあって、ブームの去ったラグビーは低迷期に入った。早明に代わって大学ラグビーの王者となった関東学院の生活事故(部員の大麻栽培)による凋落、出発したトップリーグも旧来の社会人ラグビーをリニューアルした以上の印象ではなかった。

ラグビーの変革はやはり、大学ラグビーに表象した。早明ラグビーはラックの早稲田(スピード)モールの明治(圧力)、早稲田の横の展開力に明治の縦の突進という戦術思想に限界がきていた。日本代表もスピードを基本に、日本人に合ったラグビー戦術を採っていたが、世界標準は戦略・戦術の総合力をもとめていた。それをいち早く達成したのは、岩出雅之監督がひきいる帝京大学だった。ウエイトトレーニングの導入で選手の体格・パワーアップに成功。相手をリスペクトするメンタルの高度化によって、規律のある(反則をしない)プレイを徹底した。この戦略は、じつに大学選手権9連覇という偉業を達成した。

そして名門明治がウエイトトレーニングを本格的に導入することで、もともと素材に勝る明治が帝京を破るという流れが、このかんの大学ラグビーである。このような動きと、ジャパンの強化策も同じである。けっきょく、スピード(軽さ)とパワー(重さ)という相反しがちなテーマは、徹底したウエイトトレーニングと走りこむことによってしか得られない。その苦行に、ジャパンは勝ち抜いてきたのである。

かつて、ジャパンはフランス大会においてニュージーランド(オールブラックス)に17対145(ワールドカップ記録)という大敗を余儀なくされていた。ヨーロッパ各国代表とのテストマッチでも100点差ゲームはふつうだった。奇跡ではなく、総合力のアップがジャパンの躍進をささえている。ジャパンのいっそうの活躍を期待したい。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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ディズニーランドとVサイン 消えた不良と80年代の虚無

玲子さん(仮名)はわたしの友人の連れ合いで、同じ年だ。友人もわたしと同学年なので3人とも「同じ年」うまれである。玲子さんは大学卒業後から専門的な職業にフルタイムで勤務し、結婚、出産を経た現在も勤め続けている。友人も悪くない収入を得ているので、お二人をあわせた年収は2000万円近くにはなるだろう。

わたしの友人と玲子さんは、学生時代に知り合い結婚した。その後お子さんが3人生まれた。わたしは友人とは気楽に話ができるが、同学年である玲子さんとは、どうも波長が合いにくい(めったに顔を合わせることもないからかもしれない)。

◆ディズニーランドとVサイン

玲子さんは忙しい中、実に活動的に生活をしている。彼女はディズニーランドの年間パスポートを持っている。いつからかは知らないが、毎年年間パスポートは購入している。いったいいくらするのか調べたら(おせっかいだが)ディズニーランドだけ入場可能な年間パスポートが、大人61,000円で、ディズニシーにも入場可能な「2パーク年間パスポート」は、大人89,000円だ。玲子さんの家からディズニーランドまで、日帰りできなくはないが、新幹線を利用しても片道3時間近くはかかるから、ディズニーランドに行くときは、だいたい近くのホテルに宿泊することになる。アトラクションが変わると、必ず出かけるそうだ。そのたびに両手いっぱいのディズニーランドで購入したお土産を買って帰ってくる。

玲子さんに限ったことではないが、わたしたちの世代には、写真や、映像に写るとき手のひらで「Vサイン(ピースサイン)」のポーズをする人が珍しくない。玲子さんは友人によると、確認できる限り慶弔時などを除けば「すべて」の写真で「Vサイン」のポーズをとっているという。それは80年代から今日まで変わらない。夫婦ともにフルタイムで働き3人の子どもを育て上げるのは、さぞかし手もかかり忙しいことだろうと想像するが、友人によれば「それほど大したことではない」という。立派なものだ。


◎[参考動画]東京ディズニーランド 周年 CM(1983-2018)

◆お子さんの不登校と友人たちとのランチ

だけれどもお子さんのうちの一人は数年前から不登校気味である。理由はわからないが親子間の問題が原因ではなさそうだ。だからであろうか。玲子さんは不登校のお子さんのことはあまり気にせず、休日には友人たちと「ランチ」(「ランチ」は「ひるごはん」の意味だと思っていたが、女性が寄る「ランチ」は「ひるごはん」を食べながら、延々何時間もおしゃべりをすることを指す場合もあると近年知った。結果解散は夕刻になる)に出かけたり、海外旅行に行くこともある。

近年出かけた海外旅行は、玲子さんの友人たちとの旅行、2泊3日だったそうだが、そこで玲子さんが納まった写真でも、やはりかならず「Vサイン」がみられる。玲子さんのほかにも結構な頻度で「Vサイン」をしている人の姿もある。何が理由だか記憶にはないが、たしかに中学時代の修学旅行や、大学時代にわたしのまわりでも、男女を問わず写真機を向けられると「Vサイン」をする姿はめずらしくなかった。いまの若者はどうか知らないけれども、わたしたちの世代にとって「写真に映るときは『Vサイン』」は結構浸透していて、染みついている。

1960年代中盤生まれのわたしたちの世代に記憶が定かなのは、大阪万博あたりからであろう。多くの同世代の知人は、大阪万博について断片的であれ何らかの記憶を語ることができる(居住地が大阪に近かったこともあろうが)。途方もない人の波と何時間にもわたるパビリオンへの入場待ちの列。子供ごころに「足痛い。こんなん、もうええわ」と退屈した記憶がある。あの記憶以降、わたしには長蛇の列は、なるべくであれば避ける習性が身についている。一方玲子さんは逆だ。2-3時間待ちはディズニーランドでは常識の範囲らしい。平日は仕事をしているから、週末に出かけることが多いという。当然ディズニーランドは、平日よりも休日のほうが混むだろう。 

◆消えた「不良」

わたしたちの世代には「不良」がいた。「不良」は見た目で識別できた。今日、わたしが知る限り、容姿から「不良」が識別できるのは大阪の南部の限られた地域と沖縄だけである(ほかにも地域はあるかもしれないが直接目にしたことはない)。
「不良」が可視的であった時代には素行もだいたい予想ができた。そしてみずからは「不良」ではないが、なんとなく「不良っぽい」姿や行為に魅力を感じる若者もいた。彼・彼女らは表立っての「悪さ」はしないが、親が出かけた友人の家に集まってタバコを吹かしたり、酒を飲んだり、いまでは「クラブ」と呼ばれる「ディスコ」に高校生(ときに中学生)であっても繰り出したりしていた。


◎[参考動画]中学生暴力白書 black emperor ブラック エンペラー

まだ暴対法や、風営法のない時代。良くも悪くも今ほど「管理」が緩い時代だった。わたしには「不良」経験はないが、玲子さんは少し「不良」っぽい姿や振る舞いをすることを好んでいたそうだ。前述の通りあの時代別に珍しいことではない。その玲子さんは大学を出ると真面目に就職。結婚をして3人の子どもの母となる。仕事ぶりは真面目だろう。同世代のほとんどは、「真面目な」勤労者や、親になっている(わたしはそうなれなかった)。

他方、「ちょっと不良っぽい」ことに憧れた、若い日を過ごした玲子さんからは、いまでも、あの頃の雰囲気がどこかに感じられる。「虚無だった80年代」といえば言い過ぎかもしれないが、表層で「不良」が暴れまわり、「普通」の生徒もちょっと憧れる。「不良」は早々に「体制化」されてゆくことは「暴走族」が訳も分からず、特攻服や日の丸を掲げていたことに象徴的だ。おなじく「ちょっと不良っぽい」に憧れた層は、より安定的に「体制化」されてゆく。「Vサイン」と「ディズニーランドの年間パスポート」は、80年代を中高生で過ごした世代、ある部分の「エキス」ともいえるかもしれない。


◎[参考動画]The Two Beats (Takeshi & Kiyoshi) 1981

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

話題の「全裸監督」は原作もいいが、著者の「その前の2作」も名著過ぎる!

AV監督・村西とおる氏の半生を描いたNetflixのオリジナルドラマ「全裸監督」があちらこちらで大絶賛されている。筆者も観てみたが、「地上波では放送できない」とのフレコミ通り、性描写は過激だし、有名俳優が多数出演しているし、素人目にもセットやロケ地に手間や金がかかっていることはわかる。ストーリーも中毒性があり、たしかに楽しめる作品だ。


◎[参考動画]『全裸監督』予告編 2 (Netflix Japan 2019/07/24公開)

そんな話題作は、文筆家・本橋信宏氏の著作「全裸監督 村西とおる伝」(太田出版)が原作。712ページから成る分厚い本で、村西とおるという「絶対教科書に載らない偉人」の半生を克明に記録し、後世に残そうという著者の執念や使命感が感じられる一冊だ。ドラマのヒットでこの本にも注目が集まっているようなのは、喜ばしいことである。

もっとも、ほとんど予備知識がない人がこの本をいきなり手にとると、ボリュームがあり過ぎて、最後まで読み切るのがしんどいのではないかと思われる。そこで、筆者が「初学者」にお勧めしたいのが、著者の本橋氏が「全裸監督」以前に村西氏のことを書いた2作、1996年12月発行の「裏本時代」と1998年3月発行の「アダルトビデオ 村西とおるとその時代」(いずれも単行本の版元は飛鳥新社)だ。

本橋信宏「裏本時代」(1996年)

◆「裏本の帝王」だった村西氏

この2作は、「全裸監督 村西とおる伝」に比べると、ボリュームが少なく、一人称の小説のような文体で書かれているので、たいへん読みやすい。それでいながら、1つ1つのエピソードも詳細に綴られており、時代の空気もよく伝わってきて、端的に言えば名著である。

まず、「裏本時代」。これは、村西とおる氏がアダルトビデオに進出する前、草野博美という本名で「裏本の帝王」として君臨していた頃の生きざまを活写したノンフィクションだ。本橋氏が当時の村西氏を取材して知り合い、関係を深め、やがて、村西氏が営む新英出版が創刊した写真週刊誌「スクランブル」の編集長となって奮闘する日々が描かれている。

インターネットは影も形もなく、ビデオデッキを所持する一般家庭もまだ少数だった80年代初頭、世の人々がビニ本や裏本に熱を上げ、FOCUSの成功に端を発する写真週刊誌ブームが過熱したりした時代の空気も行間からあふれ出ている作品だ。

ちなみに同書によると、書店を全国展開し、多数の営業マンを雇ってビニ本、裏本を売りさばいた当時の村西氏は、「流通を制する者が資本主義を制する」と言い、ビニ本、裏本の販売ルートを使って「スクランブル」を日本一の写真週刊誌にしようとしていたという。

結局、新英出版が資金繰りに窮して倒産し、スクランブルも廃刊となってしまった。とはいえ、30年余り経った現在、インターネット企業やコンビニが「流通」を制し、隆盛を極めているのを見ると、当時から流通を重視していた村西氏はやはり慧眼の持ち主だったのだと改めて感心させられる。話題の「全裸監督」にしても、地上波のテレビ局では「流通」させられないドラマをNetflixというインターネットメディアが「流通」させているのだというとらえ方もできる。

本橋信宏「アダルトビデオ 村西とおるとその時代」(1998年)

◆ジャニーズ事務所との攻防

一方、「アダルトビデオ 村西とおるとその時代」は、裏本が摘発され、服役した草野博美氏が出所後、AV監督の村西とおるとなり、今度は表社会でのし上がっていく様を描いたノンフィクションだ。この時代も本橋氏は村西氏と行動を共にし、村西氏の成功と挫折のすべてを間近で観察し続けている。それだけに描写は細部に至るまで迫真性に富んでおり、実にエキサイティングなのである。

そしてその中では、地上波のみならず、Netflixでも描くのは難しかったのではないかと思えるエピソードも頻出する。中でも最大の見せ場は、ジャニーズ事務所とのガチンコバトルだ。

その発端は、村西氏の作品に出演したAV女優が、当時人気絶頂だった田原俊彦氏との情事を週刊誌で告白したことだった。ジャニーズ事務所側からそのことについて抗議され、村西氏は逆に激怒する。そしてジャニーズ事務所のスキャンダルを集めようと躍起になる中、かつてジャニーズ事務所に所属した元フォーリーブスの北公次氏と出会い、北氏に告白本を書かせたり、マジックをやらせたりするのである。

当時も今も全マスコミが及び腰になるジャニーズ事務所相手に、このように村西氏が何ら臆することなく、真っ向から喧嘩をふっかけていく様は実に痛快だ。

本橋氏は同書において、「この男のやることはいつも退屈な現実を『少年ジャンプ』のような世界に変えてしまう」と評しているが、村西氏はまさにその通りの人なのだろう。だからこそ、本橋氏はずっと村西氏のそばにいたし、村西氏の記録を残そうと、この2作を書き残し、さらにあの大部な本「全裸監督 村西とおる伝」まで上梓したのだと思う。

そう書いて気づいたのだが、ドラマ「全裸監督」もどこか『少年ジャンプ』のようである。それが中毒性の秘密かもしれない。


◎[参考動画]The Naked Director(全裸監督)- Kaoru Kuroki(黒木香) Real Life Character(Coconut Omega 2019/8/11公開)

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。著書『平成監獄面会記』が漫画化された『マンガ「獄中面会物語」』(著・塚原洋一/笠倉出版社)が発売中。

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