私の内なるタイとムエタイ〈44〉タイで三日坊主!Part.36 ネイトさんの剃髪式

メコン河沿いに向かうネイトさんとカミソリを扱うスアさん(写真はすべて1994年12月23日撮影)
剃髪に向かう前のネイトさん

◆ノンカイの寺の日常

ワット・ミーチャイ・ターでは朝4時と夕方6時30分に日課の読経がある。朝、眠かろうが、夕方、外出して居ようが、日々の務めを果たそうと思えば、この日課に合わせた日々のリズムが出来上がる。規則正しい生活となる仏門の基本である。

タイの正座は横座りだが、途中で膝を揃えて爪先だけ立てる座り方になる。後ろから見ると足の裏が見える正座である。これが1分も続くともう爪先が痛くなる。また横座り正座に戻るが、なかなか長く感じる日々の読経であった。

タイ東北部のこの時期の托鉢に出る朝はかなり寒い。ラオスに渡る前のワット・ミーチャイ・トゥンに居た頃より寒くなっている。私は鼻炎で気温が20℃を下回ると鼻が詰まるが、この頃の朝はしっかり鼻が詰まり、体感的に15℃ぐらいではないかと思うほどだった。

◆私らの寛ぎ話

午前中はまた3人で他愛も無い話が続く。ネイトさんに、私が出家したばかりの頃の藤川さんの意地悪いことや、私が托鉢中にバーツ(お鉢)の蓋を落とした話もしたが、実はその1週間ほど後、藤川さんも蓋を落としているのであった。

断髪式、親代わりとなった藤川さんがまずハサミを入れる、いつもの演出

前を歩く藤川さんが“バシャーン“と周りが驚く音を立てた後、慌てて蓋を拾っていた姿には、もう声を出して笑いたかった。静粛に進む托鉢中に比丘が笑う訳にはいかない。カメラで撮ってやりたかった。

あの頃、まだ還俗前のブンくんに聞いたら「俺も落としたことあるよ!」とあっさりしたもの。皆、そんな経験はあるようだ。

ネイトさんが買って来た湯沸しポットは使い勝手がいいが、もっと簡易的なものには、かなり安価で、手で電熱棒を持ってどんぶり等に入れた水に浸し、湯が沸くまで器に付かないよう浮かせたまま、その姿勢で持ってなくてはならない、そんな不便なものも庶民の生活用品として売っているからアジアの田舎のガラクタ市場は面白い。それらの恨み節や旅の想い出を話してしまう。

◆オバサンを訪ねるネイトさん

ラオスから再びノンカイに戻って6日が経過した12月23日、午後にはすぐネイトさんが剃髪を見届けてくれるかを尋ねる為、親代わりとなるオバサンに会いに行くというので、私も付いて行くことにした。

日本と同じく携帯電話は普及し始めた頃だったが、タイでは電電公社に固定電話設置を申込んでも1年経ってもやってくれない(賄賂を渡せばやってくれる)。公衆電話は少なかったり壊れていたり、そんな不便な時代でもあったからだった。

トゥクトゥクに乗って向かった先は、やや南のバンコクに繋がる国道の途中にあった、オープンカフェやタイシルクなどの絹織物のお店があるオーナーさんである気品あるオバサンだった。やはり仕事の都合で剃髪、得度式には行けず恐縮されていたが、ネイトさんも我が身の為のお願いで恐縮気味。しかし、やることやった悔いの残らぬ結果でスッキリした様子。

自然と近所の子供達も集まる最高のエキストラ
カミソリを持つのはベテラン比丘のスアさん。スアさんも珍しい体験となった外国人の剃髪と撮影

寺に帰って、剃髪までの夕方4時まで時間を潰す。ネイトさんはお経の暗記に力を注ぐ。そんな合間に藤川さんのネタ話も花が咲く。

この地域は電話も少ないこの時期でも、昔から河の向こうのビエンチャンと独特の連絡方法があった。藤川さんが一時僧時代にこの寺に来た時に聞いた話で、
「メコン河の向こうに鐘を鳴らして合図を送ってから拡声器で“オーイ聞こえるかあ~”と叫ぶと、“オー、聞こえるぞう”と返事が聞こえて来て、“何月何日何時から寺の祭りあるから来いやあ!”と叫ぶと“分かったあ~、行くぞ~!”という返事。そしてその日になったら舟に乗って対岸から来よる!」という笑えてしまう話であった。

◆いよいよ執行!

「そろそろ行こか!」と声を掛けた藤川さん。何か刑場に向かうようなゾクッと来る一言である。いよいよ剃髪、場所は予定どおりメコン河沿いの土手の上、ここまで演出を考えてきた藤川さんと私。

「まず水浴びして来いや」と言う藤川さんに従い、水浴びして土手の縁に向かうネイトさん。胸中は複雑なものだろう。もう後に引けない切迫した心境に陥るものである。しかしビビる様子も無い落ち着いたもんであった。

最初にハサミを入れたのは、この道に導いた“親代わり代理”の藤川さん。そしてカミソリを持ってスアさんが剃り始める。アメリカ人の剃髪は珍しいのか集まって来た近所の子供達。私は我が身を思い出す。撮ってくれた春原さんの姿も思い出す。

メコン河をバックに剃髪は進みます
金髪が剃り落とされていく

「ああ撮れこう撮れ!」言われたら「いちいち煩い!」と言いたくなるだろうなあと思う。ここに居るネイトさんは何も注文して来ないが、大人しく、淡々と剃髪が進む。

10分もすると最後に眉毛も剃って完成。やはり綺麗な上手い剃り方だ。精悍な顔つきはまた違った人物に見える。

そして白い衣に着替えて形式上は、人間でも比丘でもない立場となるが、私の場合と同じく、この集落に親戚縁者は居ないので前夜祭といったお祭り事は無い。

夜は明日の得度式の流れをスアさんらに聞くネイトさんだが、そんな心配することはないが、問答の流れと応える経文を教えて頂いていた。再び暗記に集中するネイトさん。どこまで自分の力で出来るかを試す、努力家である。

◆言い残したい藤川さんの雑談

出家が間近に迫ったネイトさんに、我々もあと1日しか居ない身でもあって、藤川さんのクドい話が続く。過去に私も言われた苦言でもある。

「最後は誰もが死に至る人生、その死に向かって生きとるんやから、何か命懸けでやるもの見つけて充実した人生を送って最後に自分の遺体に“ご苦労さん、ゆっくり休んでくれ”と言えるような人生を送らないかん」。

第三者の立場で聞いていると、リラックスしてすんなり頭に入って来るものだと感じる。

藤川さんが導いた2人目の剃髪
最後の仕上げ、眉毛も剃り終わり、精悍さが増したネイトさん

これも藤川さんの一時僧時代の巡礼先での話。

「托鉢でバーツを手で抱えて進む場合があると、炊き立ての御飯なんか入れられたら、熱うて持てんようになる。“熱ッチッチ!”と黄衣で支えながら右手左手持ち替えて、顔に出せんで参ったことあったなあ!」。

また、比丘生活の些細な一面だが、
「昔、スラータニーの寺に行った時、夕方、坊主らに1枚ずつ配られる小さな切れ端があって皆が口に入れて食べておった。ワシも貰うて食べてみたら、寿司に付いてくる“ガリ”やな。“午後食事を摂ってはいかん比丘が、これは食ってもいいんか?”と聞いてみても“ワシも分からんのや”という比丘ばかりやった。これがまた翌日の夕方に出てくるのが楽しみでなあ。ガリは消毒効果があるから薬代わりやったんかもなあ!」と、その比丘らの様子が伝わってくるような話だった。

藤川さんは将来的に、タイの山奥にある瞑想寺に行って、そこで日々修行する構想と、ボランティアにも構想を描いており、
「ノンタブリーにあるエイズ患者を介護する施設のある寺で、エイズ患者の洗濯物を洗うてやろうかと思とるんや、洗濯坊主や!」と言う。このエイズ寺も発病前の患者から末期の患者まで居る。この話はもっと深いのであった。

ただ喋るだけで苦言を呈する訳ではなかったが、
「巡礼の旅でもしてみい、いろいろな発見が出来るぞ!」と言っているような藤川さんの経験談。ネイトさんは私のような、「こんな格好してみたかっただけ」といったような軽率な動機ではないから何か冒険をやるだろう。明日は得度式。そして我々がこの寺を去る日でもあります。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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私の内なるタイとムエタイ〈43〉タイで三日坊主! Part.35 体調回復!

我々が泊まったクティとこの地域を走るトゥクトゥクが停車中
ノンカイでの托鉢を撮って貰いました Photo by Nate Badenoch

◆油断大敵!

昨日(12月20日)の祭りのソムタム(唐辛子入りパパイアサラダ)が効いた。元に戻ったどころではない。深夜から何度トイレに行ったことか、発熱に下痢に嘔吐まで、より酷くなった。短い時は10分も経たないうちにトイレに向かう。寝返るだけで漏らすほどひどい。体調崩してから力付けようと何でも食べたが、昨日の祭りのソムタム、スイカは信者さんに勧められて食べたが、逆にダメだった。

朝4時の読経に行く前、汚れたサボン(下衣)を廊下のソファーの下に隠す。戻ってから外のタライに水を張って、そのサボンを浸して托鉢に向かう。

朝食はほとんど食えない。オカズをひとつ摘んで御飯をスプーンで2掬い口に入れただけ。昼食も全く手が出ない。美味しい肉野菜炒めもあるのに美味しそうに見えない。もうソムタムには絶対手を出そうとは思わない。こんな食べる量の少ない日は初めてだ。自分の体力が心配になってきた。朝食後は何とか洗濯を済ませてまた横になる。

昼以降、またネイトさんと藤川さんが仲良く市場へ買い物に行って、ミロと湯沸しポット買って来たらしい。早速お湯を沸かしてみるネイトさん。ちゃんと湯が沸く。日本製でもない頼りないものがしっかり沸いている。その湯でミロを作ってくれたので頂いた。

朝の読経で読まれます。ページは5ページほどあったかと思います

寝ながら見ていた、いつもと違う私のグロッギーな状態にネイトさんが薬をくれる。いつもは元気そうに立って歩いたから、そんな深刻に見えなかったらしい。あまり勧めたくない薬のようだが、あまりに青い顔で寝ている私に勧めてくれた薬だった。バンコクで買った薬らしい。

◆僧名、チャナラトーの意味!

そういえば2ヶ月前の私の得度式で僧名を頂いているのに、全く忘れていた。あの得度式の前、「堀田さんは“チャナ・オハルサン”だそうですよ!」と高津くんが言っていた。

「ウソだろ、和尚さんに頼まれて藤川ジジィが考えたのか、この野郎!!」と思った。私はタイの比丘らしい“アリアラッタノー”とか“プッタラッタノー”といったカッコいい僧名が欲しかったのだ。しかし得度式の後、ケーオさんから頂いた得度証明書に、“チャナラトー”と書いてあったので、あの時はそんな疑念も消えて嬉しかったなあ。

そんなことで夜、藤川さんらと話している時、僧名の話題になった。藤川さんは“チンナワンソー”という。手紙が来る度、この名前が書いてあったから忘れない。それでこの私の“チャナラトー”と僧名を言ってみたら、その意味をネイトさんが仏教辞書で調べて、「座禅組むのが好きな人」と訳すと、いきなり藤川さんが「よし、今日は3人で座禅組もう!」と言い出す。

朝食後、その場で読経となる経文、このページのみです

ああ、ネイトさん余計なことを。しょうがない、3人で座禅に入るしかない。

無言で座禅を組んで心を無にする。これは非常に難しいことである。

人間、何も考えないということは出来ない。いや、修行を積めば出来るのだろうが邪念が入るのである。

誰とも話していないとき、本を読むとかテレビを観るといった行為をしない時、必ず何かを考えてしまう。その邪念を振り払い続けて到達するのが“無の境地”なのだそうだ。

何かが頭を過ぎる。それを追ってしまう。それを振り払う。そしてまた次のことが頭を過ぎる。それを振り払う。“何も考えない”と思うと、そう思うことが頭を過ぎっている。それも振り払う。これを延々続けると、本当に何も頭を過ぎらない、無の境地になるのだそうだ。

無理だ。誰かが部屋に入って来た。バリカンで剃髪してくれたスアさん、石橋正次似の比丘である。「オッ、何かやっとるわい」といった感じで遠慮して出て行かれた。ということが頭を過ぎっている。藤川さんと同じで、女の子が夢に出て来るような、生臭坊主の私が悟りを開く訳が無い。座禅は30分ほどで格好だけで終わった。

市場に行った際のお店に立ち寄るネイトさん

◆薬が効いた!

その翌朝(22日)は鐘が鳴る朝までぐっすり眠れた。下痢が止まったのだ。ネイトさんから貰った薬が一発で効いた。タイの薬は強いのである。おそらく日本では厚生省の認可が下りない。でもとにかく治った。嬉しくてしょうがない。

托鉢はもう日数も無いし、元気が出てきた私は、ネイトさんに撮影をお願いしてみる。「私の姿だけ撮ったら帰っていいから」と言うと、本当に2枚だけ撮って帰られた。やっぱり人物撮りは難しく、知らない人に接近して撮ることは怖さがあるのだ。ネイトさんはビエンチャンではよくやってくれたと改めて思う。だから薬の御礼を含め、剃髪と得度式はしっかり撮ってあげようと思う。

朝食は御粥にすることを思いつく、ネイトさんが買って来た湯沸しポットでお湯を沸かしてもらっておいて、御飯にお湯かけて簡易御粥にするつもりだった。かなり昔、居酒屋で御粥を頼んだ時、キックボクサーの稲葉理さんが、「こんなもの、飯に永谷園のお茶漬け海苔とお湯ぶっ掛けただけだ」と言ってたことがあった。これだ、こんな程度でいいから御粥が欲しくなった。ネイトさんはお湯を持って来てくれたが、こんな日に限ってカオスワイ(白米)は無く、カオニアオ(もち米)だけだった。でも食欲も沸き、寒い時期の温かいお湯が優しくお腹に効いた。

◆家庭教師の存在感!

先日、ラオスから戻った後のネイトさんの出家願いに、プラマート和尚さんに御挨拶に行った後、倉庫部屋に戻ると、そこには17歳ぐらいのネーンが勉強(高校一般教科)していた。

元々彼の部屋だったようで、精悍な悪ガキぽい顔つきだが、優しい奴で、御丁寧に部屋を譲ってくれようとした。名前はバーレーという。ここでも我々よそ者が邪魔して悪いと思うも、そこで機転利かせたネイトさん。バーレーくんの臨時家庭教師となった。英語もイサーン語も出来て、大学出の学力があっては言うこと無しである。英語で問いかければ反応して食い付いて来る。こんな田舎で、いきなりアメリカ人教師登場の運命に驚きのバーレーくんだった。

そんな学業に励むバーレーくん達を見て、藤川さんはこの日、彼らの学校に見学に行った。夕方頃帰って来て語るその感想は、「ラオス(ビエンチャン)の学校の方は教材も足りんで、設備整っておらん分真剣にやっとるが、タイ(ノンカイ)の方は設備整っておる分、不真面目になって雑談が多いな。恵まれるとやっぱり乱れていくんかなあ」と言う。

しかし、バーレーくんはネイトさんを頼って勉強を教えて貰おうとやって来るようになった。今しかないチャンスを活かす探究心はラオスの生徒達と同じ心境だろう。こんなノンカイでもラオスでも頑張っている奴は多いのだと実感する。

ネイトさんが家庭教師を受けたバーレーくん
剃髪近いネイトさんとその演出を考えた藤川さん

◆意義ある剃髪へ!

我々は明日23日の夕方頃、ネイトさんの剃髪をすることに決定。私がカメラマンを務めることで、藤川さんが演出に凝りだす。

「場所はメコン河をバックに土手の上、バリカンは断ってカミソリでやって貰おう」とスアさんにお願いすると快く了承して頂いた。

その前準備に、ネイトさんは親代わりをお願いしているオバサンを呼ぶか迷っていた。なかなか多忙な方だからだそうだ。

藤川さんが、「剃髪にオバサンがハサミ入れなかったことが後で心に引っ掛かるようならタクシー代100バーツ掛けてでもオバサンに会いに行ってお願いした方がええんちゃうか」と言うと決心し、明日行くことにしたようだった。

体調復活した私はまたカメラマン魂が沸いて来て撮影体勢に入っていくのでした。
 
▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」
 

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イケメン・マジ強 総勢24選手出場のNJKF 2018.3rd!

MOMOTAROの前蹴りが一仁のアゴへ度々ヒット
MOMOTAROのミドルキックで一仁を突き放した

「リアル・チャンピオン“超豪華”大集結。運命の9.22、いよいよ来たる!」

興行タイトルは格好良く、激しい試合も展開されましたが、セコンドや応援団の声ばかりが響く試合も多かった。

◎NJKF 2018.3rd
9月22日(土)後楽園ホール17:00~20:55
主催:NJKF / 認定:WBCムエタイ日本実行委員会、NJKF

◆第12試合 メインイベント 57.5kg契約3回戦

再起戦を飾ったMOMOTARO、海外からも声が掛かり戦う場が広い若きエース

WBC・M・IN・フェザー級チャンピオン.MOMOTARO(=小寺耕平/OGUNI/57.4kg)
VS
J-NETWORKフェザー級チャンピオン.一仁(真樹AICHI/57.5kg)

勝者:MOMOTARO / 判定3-0 / 主審:竹村光一
副審:中山30-27. 神谷30-27. 宮本30-28

序盤、離れた蹴り会いから距離が縮まり、組み合った接近戦でMOMOTAROがヒジ打ちを執拗に連打すると負傷した一仁だが、その後も怯まずに出て来る。しかし、MOMOTAROのタイミングいい蹴りと距離を取るフットワークに、一仁の蹴りやパンチもヒットは弱く、リズムを狂わされてしまう。MOMOTAROは終始落ち着いた表情で的確にヒットさせるが、一仁のしぶとさに深いダメージを負わせる決定打は無いまま、大差判定勝利を掴んだ。

◆第11試合 58.0kg契約3回戦

WBCムエタイ日本フェザー級チャンピオン.新人(E.S.G/57.7kg)
VS
MA日本フェザー級チャンピオン.宮崎勇樹(相模原S/58.0kg)

勝者:新人 / 判定2-0 / 主審:和田良覚
副審:中山29-29. 竹村30-29. 宮本29-28

宮崎がパンチのリズム感と連打がヒットし攻勢を印象付ける勢いがあったが、打ち合いは避けたい新人は蹴り中心の的確さで試合を進める。新人が僅差ながら判定勝利。

宮崎勇樹VS新人。蹴りの距離で優勢を保った新人(右)のミドルキック
接近戦での打ち合いとなった実方拓海(左)と真吾YAMATO

◆第10試合 64.0kg契約3回戦

NJKFスーパーライト級2位.真吾YAMATO(大和/63.8kg)
VS
WMC日本スーパーライト級チャンピオン.実方拓海(TSKjapan/63.7kg)

勝者:実方拓海 / 判定0-3 / 主審:神谷友和
副審:中山28-30. 竹村28-30. 和田28-29

積極性と的確さがやや優っていた実方。第2ラウンドにはヒジでカットさせ調子を上げるが、真吾も下がらず応戦してくる。第3ラウンドもパンチとヒジ、蹴り合っても実方の勢いが目立ち、印象的にも優位に立って判定勝利を掴む。

人気実力急上昇中の実方拓海(左)が22歳同い年の真吾YAMATOにハイキックで攻める

◆第9試合 WBCムエタイ日本スーパーバンタム級タイトルマッチ5回戦

地花デビット(右)を蹴り続けた波賀宙也、再浮上へ執念を燃やす

暫定チャンピオン.波賀宙也(立川KBA/55.3kg)
VS
WMC日本フェザー級チャンピオン.知花デビット(エイワスポーツ/55.3kg)

勝者:波賀宙也が正規チャンピオン / 判定3-0 / 主審:宮本和俊
副審:神谷50-47. 竹村49-47. 和田50-47

波賀は距離をとってミドルキック中心に知花のパンチの距離に入れさせないテクニックで波賀が優った。知花デビットも勝負を掛けてパンチで前に出るが、波賀は接近戦でもヒジ打ちや組み合ってのヒザ蹴りなど波賀が体重を掛けていく有利な体勢で、知花デビットの距離を潰してしまう。波賀が判定勝利で正規チャンピオンに昇格。

主導権は波賀宙也(右)が握ったまま、知花デビットは今ひとつ力及ばず
NJKFを一番の団体に、満員にしたい、エースとなる,力強いアピールが続いた琢磨

 
 
◆第8試合 61.0㎏契約3回戦

WBCムエタイ日本スーパーフェザー級チャンピオン.琢磨(東京町田金子/60.3kg)
VS
NJKFスーパーフェザー級1位.澤田曜祐(PIT/60.4kg)

勝者:琢磨 / TKO 3R 2:13 / カウント中のレフェリーストップ
主審:中山宏美

初回からパンチからローの琢磨、更にハイキックと多彩に繰り出していくが澤田もパンチで応戦し、第3ラウンドのボディブローのヒットから一気にヒザ蹴りやパンチや距離に合わせた打撃が続く中、更に左のボディブローがヒットすると、効いた様子の澤田はついにダウンを喫する。

立ち上がるもコーナーを向いたままでレフェリーストップされてしまう。

「Knock outは正直、すごい出たいなあと思うんですけど、僕はこのNJKFをキック界一番の団体にして来年僕はメインイベンターで、エースとして、この舞台に立ちたいと思っているので、その時は会場を満員に出来るようにしたい。」というコメントを残しました。

ボディブローで防戦一方となる澤田曜祐へ琢磨(左)の猛攻が続く
目まぐるしい展開を見せた松谷桐(右)の左ストレートで高坂侑弥が仰け反る

◆第7試合 51.0kg契約3回戦

NJKFフライ級チャンピオン.松谷桐(VALLELY/50.8kg)
VS
WMC日本バンタム級3位.高坂侑弥(エイワスポーツ/50.9kg)

勝者:松谷桐 / 判定3-0 / 主審:竹村光一
副審:神谷30-28. 宮本29-28. 中山30-27

スピーディーで激しい打ち合いが最後まで続き、松谷がパンチの連打、ボディブローも印象付け、飛び技も見せた攻勢が高坂を下がらせたが、パンチの交錯では高坂も打ち負けない展開を見せ、松谷も右目瞼辺りが大きく腫れる被弾の跡が残る痛々しい表情となった。

終始、わずかに上回る松谷の攻勢の印象が残る中、ポイントも僅差から大差まで開く結果となった。これも5回戦で見なければ総合力が現れない結果でもあった。

◆第6試合 スーパーフェザー級3回戦

NJKFスーパーフェザー級5位.梅沢武彦(東京町田金子/58.8kg)
VS
同級9位.山浦俊一(新興ムエタイ/58.9kg)

勝者:山浦俊一 / 判定0-2 / 主審:
副審:竹村29-29. 宮本28-30. 中山29-30

◆第5試合 スーパーライト級3回戦-中止-

NJKFスーパーライト級7位.敦YAMATO(大和)
VS
同級10位.木村弘志(OGUNI/63.3kg)

敦YAMATOの体調不良によりドクターストップが掛かり、中止(場内発表は木村弘志の不戦勝)。

◆第4試合 56.0kg契約3回戦

将泰(PIT/55.8kg)VS 鈴木力也(ZERO/55.9kg)

勝者:鈴木力也 / TKO 1R 1:50 / カウント中のレフェリーストップ
主審:宮本和俊

◆第3試合 スーパーフェザー級3回戦

吉田凜汰朗(VERTEX/58.5kg)VS 吉田優佑(K&K/58.2kg)

勝者:吉田凜汰朗 / 判定3-0 / 主審:
副審:宮本30-28. 和田30-28. 神谷30-28

◆第2試合 スーパーバンタム級3回戦

雨宮洸太(キング/55.0kg)VS 雅(PIT/55.1kg)

引分け 0-0 (28-28. 28-28. 28-28)

◆第1試合 フライ級3回戦

宇宙YAMATO(大和/50.8kg)VS EIJI(E.S.G/50.8kg)

勝者:EIJI / TKO 1R 0:22 / ドクター勧告及び戦意喪失

正規王座を奪回した波賀宙也

《取材戦記》

総勢9名のチャンピオンの肩書きを持つ選手が出場。更にイケメンやマジ強のキャッチフレーズが付いた興行に反し、観衆の少なさは何を物語るか。

6月のNJKF 2018.2ndで健太が「僕はもう一度NJKFを満員にしたい」と語り、今回は琢磨もTKO勝利後、“来年はエース格宣言”したように「キックを良くしたい、盛り上げたい、満員にしたい」と言う宣言はよく聞かれるマイクアピールです。

セミファイナル以前の選手が「まだいい試合が続くので最後まで観て行ってください」とマイクアピールしてもメインイベント(最終試合)に近付くにつれ観衆が減っていくのは6月に続き、この日も見られた光景でした。

チャンピオン対決が行われてもこの状況。これらの増え過ぎた国内王座はどれほどの規模か。その先の頂点に繋がるものかどうか。ファンは見抜いているのでしょう。

現在のNJKFエース格、MOMOTAROは昨年6月18日、カルロス・セブン・ムエタイ(スペイン)の持つWBCムエタイ・インターナショナル・フェザー級王座に挑戦し、2ラウンドTKO勝利で王座奪取。最近は海外遠征や敗戦が続くも、約1年ぶりのホームリングで復活となりました。

来年に向けてメインイベンターとなるのは健太やMOMOTAROが続く他、琢磨が加わり、または前回のタイトルどおり、新たなニューウェーブ到来か。それらが超満員に導く存在となってくれるでしょうか。

NJKF年内プロ興行は、11月25日(日)に埼玉県春日部市ふれあいキューブに於いてPITジム主催の「絆 Ⅺ」、12月2日(日)に「NJKF 2018.4th」於:後楽園ホール、12月16日(日) 大阪・阿倍野区民センターに於いて誠至会主催の「NJKF 2018 west 5th」が開催予定となっています。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

私の内なるタイとムエタイ〈42〉タイで三日坊主! Part.34 滞在延期が決定!

高僧らによる読経
ワット・ミーチャイ・ターでのお祭りに参加した信者さん達。生活に根付いた仏教の儀式です

◆眠そうなネーン達!

ネイトさんは、12月14日に我々と突然出会い、18日には出家が認められるという
「早過ぎだろ」と言えるぐらい早い展開だった。

倉庫部屋に戻って寝るも、私はお腹痛くて深夜に2回トイレ行く。12時23分、3時38分。お腹は不調のまま平行線なのである。

もう鐘が鳴る時間である。まだ暗い境内にある本堂に向かい、4時の読経に参加してみる。プラマート和尚さんがマイクを持って先導する。

「ヨーソー パカワー アラハン サンマー サンプットー」から始まる毎朝の経文であるが、経本を持って文字を追っていくと5行ぐらいで見失ってしまう。日本語だったらもっと追えるが、タイ文字ではもう追えない。

ネーン達も大人への一歩を経験していきます
読経の続くクティ内

途中、後方を振り返った藤川さん。私に「壇に上がれ」と床を軽く叩く。読経の場は比丘数名が座れる壇があるが、基本的に比丘は壇上、ネーンは壇下になるらしい。私は新米比丘なので遠慮していたが、空席がある限りは比丘1日目でも壇上となるようだ。

始まる頃はプラマート和尚さんと我々日本人の他、真面目な比丘2名程しか居なかったが、少しずつ遅刻者が入って来る。読経後、プラマート和尚さんは後ろに向いて座り、点呼を取る。名前を呼ぶと「マーカップ(来ました)!」。日本で言う「ハイ!」に相当する返事。総勢15名程と見える。後方はほぼネーン達だ。やっぱり眠そうな顔。慌てて黄衣纏って小走りで来るのだろう。今日は遅刻者多いネーン達に怒ったプラマート和尚さん。

「他所から来た日本人がしっかり参加しているのにお前らダラしないところを見せるな!」と言うような感じだった。

独特の雰囲気がある比丘と信者さんのまとまり

◆茶色い僧衣

朝食後、藤川さんはネイトさんを連れて、黄衣を買いに出掛ける。私はお漏らししないか不安で行かなかった。近くにトイレが無いと危なくって何も出来ない。そんなトイレ往復から戻ると、早くもネイトさんらが帰っている。

黄衣三衣2着とバーツ(お鉢)で3500バーツ(14000円ぐらい)だったらしい。見てみると、茶色い僧衣だった。しまった、無理してでも私も行けばよかった。

たぶん藤川さんが「茶色にせえや!」と言ったのだろう。「やられた」といった後悔に変わる。でもこれらは全て藤川さんが払ったらしい。何か嫉妬を感じるなあ。

読経が終わり、在家信者さんより寄進が行なわれます

◆藤川さんは私の親!?

またメコン河を眺めに土手に向かうと、本堂で寝起きするオジサン比丘が「コーヒー飲まないか」と招いてくれた。このオジサン、比丘となって2年ぐらいで、元々はトラック運転手だったという。ノンカイに65年住んでいるそうだ。このオジサンにもこの土地で生きて来た人生のドラマがあるのだ。この寺の前を何千回往復されたことだろう。

ネイトさんもやって来たので、オジサン比丘にコーヒーを勧められる。また他愛も無い話の中、「俺、残って得度式撮ってあげたいなあ」と言うと、
「いいですね、そうしてください」と応えるネイトさん。そうか、それ可能だな。
夜、藤川さんに「俺、残りたい!」と話すと、
「お前一人残るのはダメや、タムケーウ寺の和尚から見れば、ワシは保護者で、お前は子供や。お前を置いてワシだけ帰る訳にはいかん」と言う。

「こんな大人が」と思うが、私をこの仏門に導いた師匠であるといえば、そういうことになるのは仕方無い。

プラマート和尚さんに延期を申し出る。「24日まで居させてください」と。
了承は簡単即答だった。滞在延期決定。

右側がワット・ミーチャイ・トゥンの和尚さん
本堂で寝泊りするオジサン比丘

翌日の朝食時、プラマート和尚さんは我が寺の、ワット・タムケーウに電話していきなり私に携帯電話を渡される。こんなところで、私は我が寺の和尚さんの名前を知らないことに気付く。「ハルキ・プーッナカップ!」と自分の名前言って、何とか「25日に寺に帰ります」と話す。その事情までは言葉が出なかった。その事情は代わってプラマート和尚さんが伝えてくれた様子。

朝食後、ネイトさんに付いて来てもらって、ノンカイ駅で切符の変更申し出るが、すんなり受け付けて貰えた。手数料50バーツと、座席は藤川さんと離れ、寝台は二人とも上段になるが、それぐらいは仕方無い。

よかった。あと4日長く居られる。お腹の具合も悪いから、今日こんな状態で夜行列車に乗るのは危険であった。

◆ミーチャイ・ター祭り!

寺に戻ると「こっちでしか見れん、面白いことやっとるぞ」という藤川さん。
何かの祭りの準備に入っている様子。

「毎年この時期、在家信者さん皆の健康と、この寺の繁栄を祈願するお祭りがあるんだ」という大雑把な話しか聞けなかったが、この準備で昼食はヨーム(在家信者さん)による豪華な寄進。サーラーで比丘達も並んで座り、プラマート和尚さんは私に「写真撮れ」と、またこの寺でもカメラマンを任されてしまう。他の寺から高僧は招かれているし、ミーチャイ・トゥン和尚さんも来ているし、立って歩いて失礼なことしたかもしれないが、カメラマンに徹して踏ん張ってみた。

先週すでにミーチャイ・トゥンで会っている信者さんも居て、私が日本人であることを他のオバサン達に教えたようだ。瞬く間に情報が広まるの早かった。

比丘の昼食が終わると在家信者さんの昼食となります
ネイトさんも食事の輪に招かれました
午後の外での読経、とうろう流しに似た祈願

◆藤川さんの吉本話

午後も外で第2部のお清めの読経が続いていた。やがて信者さんも比丘も皆で後片付けに掛かり、終わった頃、部屋に戻ると、私はお腹の調子の悪さで外出はしないで寝ていたが、藤川さんは散歩に、ネイトさんは得度式に際し、親代わりをお願いに知り合いのオバサン宅へ出掛けたようだった。

ネイトさんは帰ってから「街中で読売新聞売ってましたよ」と言うと、藤川さんは早速100バーツ渡して「もう一回行って買うて来て!」とお願いする。

私が「後で俺にも見せて!」と言うと「イヤッ、捨てる!」と藤川さん。
「じゃあ拾って読みます!」と言うと、「やっぱり燃やそう!」と返す藤川さん。
こんな意地悪な対話に笑って聞いてたネイトさん。こんな冗談言えるほど、より朗らかになれたのもネイトさんが現れてから、この寺での会話からだった。

過去の見た聴いた話題にも花が咲く藤川さん。

「吉本(花月)はオモロイぞ、朝10時から始まって、1日3回舞台に立つ訳や、新人漫才師の女の子のコンビがボケと突っ込みやるが、朝から仕事も行かんと酒飲んで、3列目ぐらいで漫才見とるオッサンがそのネタ覚えてしもうて、入れ替えの無い昼の部で、同じ流れのウケるところで、オッサンがデッカイ声で先に言うてネタばらしてしまう訳や、“オイ姉ちゃん、それからどうした!”とまた冷やかしてもうて、周りの客はそのオッサンの突っ込みで笑うとるわ、それで女の子二人はオッサンに持ち味殺されて、ネタがウケんからもうボロボロ涙流しながら漫才続けとるんや、そやけど、みんなそこから“何クソ!”と這い上がって来るんやろうなあ。春やすこけいこも、そうやったんちゃうかな」。

寝転がって話す藤川さんのお話は面白かった

他愛も無い話だが、人の試練のオモロイ話でもあった。これが本当の修行というものだろうと思う。

藤川さん自身のネタは「阪神-巨人戦の阪神側のエゲツナイ野次はオモロイぞ!」と陽気なお話は幾つもある。体調不良の中、寝転がって聴いている分には心安らかになれる空間だった。

呑気な私と比べ、お経を覚えようと暗記に力を注ぐ出家準備の進むネイトさん。口移しでいけるとは言え、極力覚えようと経本片手に比丘に聞き、いよいよ剃髪が迫って来ます。

ノンカイ駅にて、こんな姿で撮るのも今の内

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

私の内なるタイとムエタイ〈41〉タイで三日坊主! Part.33 ネイトさんの面接!

今回はバリカンで剃髪となった藤川さん

◆ノンカイに戻って

ワット・ミーチャイ・ターに着いて外に居たネーンに尋ねるも、ここのプラマート和尚さんは不在のようで、石橋正次似の比丘が「和尚は明日帰って来るから、今日はここに居てくれ」と招かれたのはクティ1階の倉庫らしい部屋だった。狭く汚い部屋だったが、寝られるスペースがあれば充分有難い。

今日12月17日は満月の前日で、ここの寺の比丘は皆、頭剃ったばかりで表皮が目立っていた。そこでまだ剃っていない我々は、石橋正次似比丘に剃髪をお願いすると、すぐに準備に掛かってくれて、この寺ではバリカンで刈るので早い。藤川さんの後、私の番。久々に床屋さんに来たような心地良さ。毛だらけなので、すぐ水浴びしなければならないが、体調不良の中、サッと浴びたが水が冷たく寒かった。

熱あり腹痛あり、風邪か下痢か、どっちの薬飲めばいいのかも分からない。日本の薬は効かないとみたか、藤川さんが「ここの奴らに薬局連れて行って貰え」と言うが、立って歩く元気すら無い。どうか今持っている薬で収まって欲しいと祈る。

さっきの石橋正次似の比丘が私の様子見て薬持って来てくれたが解熱剤の様子。まず熱下げようとこの薬飲んで、いつもながら一般的には早いが、藤川さんが「もう寝るか!」と言って、夜8時を回って眠りにつくことになる。今日は10回以上トイレに行っただろうか。

床屋さんのような切れ味、正確には一分刈りなのかもしれない

◆腹痛の原因!

翌朝は4時前に鐘が鳴り、藤川さんは顔を洗って、本堂での読経に行く準備。私はお腹の調子が悪いので、寝続ける。

藤川さんが「お前は一昨日の朝か昼飯の時にその辺に置いてあった水飲んだんちゃうか?」と言われて、チェンウェー寺でそう言えば飲んだ。朝は置いてなかったが、昼時に置いてあったポラリスを飲んだ。そんな何日も放りっぱなしの水ではないはずだった。しかし、
「誰が手を付けたか分からんものは絶対飲んだらあかん。ワシらのワット・タムケーウのメーオは毎日飯時に瓶(かめ)の水飲んどるが、あれは雨季に溜めた雨水で、あんなもんワシらが飲んだら一気に下痢やな。お前はあれ飲んだようなもんやぞ。あいつらは子供の頃からあんな水飲んどるんや、ワシらと抵抗力が違うんやぞ!」

綺麗に見えても誰が置いたか分からん水には手を出してはいかんと反省。これは食中毒に掛かったのだ。熱や吐き気、下痢が続くもの当然か。正露丸では治らないかもしれない。参ったなあ。

◆鹿うノンカイの托鉢、再び!

藤川さんの起床で、早く起こされたネイトさんも読経を聴きに行った様子。5時30分に私も起き上がり、托鉢の準備をする。托鉢中にお腹が痛くならないようにトイレは済ませておく。それでも下痢便は突然襲って来るから、1時間程耐えられるか、お腹に相談しながらの集団托鉢への参加である。

6時15分頃にミーチャイ・トゥン側の托鉢の列がやって来た。先週あちら側に居た我々がこちら側の寺に居るから何か気マズイが、誰も怪訝な表情はしていない。すんなり列に入れてくれて先週と同じパターンで進む。プラマート和尚が出張中なので、私は“4番目”になった。サイバーツ(寄進)する信者さんは63件あった。なんと私の几帳面さ、数えてしまうのである。こんな状況で頭の中がなんと暇な私。

プラマート和尚さん先導の朝4時の読経。カメラを向けるとマイクを置いてワイ(合掌)してくれた

折り返し帰る時は、ミーチャイ・トゥン側の比丘と話しながら歩く。無事にラオスから帰って来たこと、ビザが取れたこと、今は事情あってミーチャイ・ター側に居ることを話して砂利道入るところで別れます。あちらはここから痛い痛い砂利道がある。今はこちら(ミーチャイ・ター)で良かったと安堵する。

このイサーン地方とラオス・ビエンチャンでは托鉢以外に在家信者さんが寺に料理を届けに来る習慣があります。その事情をビエンチャンに居た時、ワット・チェンウェーで、ブンミー和尚さんに尋ねていた藤川さん。

それは、
「ラオスでは、1975年の社会主義革命の後、新政府は仏教活動を禁じましたが、庶民がそれに反発し、政府に協力しなくなり、政策が予定どおり進まなくなりました。困った役人は、結局は暗黙に仏教活動を認めましたが、公には禁じられているものだから、政府のお偉いさんや役人達は比丘に食事を施したり、お寺にお布施をしたりなどの徳を積むことができなくなり、自分達がいちばん困ったようです。それで、市の役人やその家族は表立って托鉢などに参加し辛いので、こうして毎朝、料理を届けに来られるのです。」
ということのようだった。これが国境に関係なく、昔からこのイサーン地域に根付いているのだろう。

《このブンミー和尚さんの話は「オモロイ坊主のアジア托鉢行」より引用。こんな話しをしていたのは確かで、藤川さんが頷いていたのを覚えていますが、私は上の空であった。》

これはプラマート和尚さん不在の時、ラジオ体操の出欠取るような群がり
寺の河沿いにある船着場で佇むネーン達

◆ネイトさんの実力!

相変わらず食欲は沸かないが、少しでも詰め込もうとすれば何とか胃に入ってくれる。その後、ネイトさんを我々が食事したサーラー(葬儀場、講堂)へ朝食に誘ってデックワットらの輪に加えてあげます。新入りでは食べ難いだろうと終わるまで一緒に居てあげるも、そこは国際感覚の社交性あるネイトさん。積極的にイサーンの言葉で話し掛け、早速デックワットと笑いながら食事に入っている。私の気遣いは無用だったようだ。

昼食も少々しか胃に入らず、体調も悪いので部屋で寝ていたり、メコン河眺めに河沿いに行って日記書いたりしていると、近所の子供らが4~5人、元気にボール蹴って遊んでいる。こんな光景、どこの国にもあるんだなあ。

ネーンが土手の下の船着場まで下りているからその様子を見に行ったりもした。ネイトさんもやって来て他愛も無い話をするが、私のキックボクシングの話にも付き合ってくれたり、ここに至る因果も話せばしっかり聴いて返してくれる対話は楽しいものだった。

そんなこと話しているうちにまたお腹の調子が悪くなる。今日もすでに10回以上トイレに行っただろうか。これがお腹に細菌が潜伏する食中毒なのか。

夕方6時30分からの読経も、先ず鐘が鳴らされ、本堂で読経が始まる。後から後から比丘やネーンが集まって来るので、遅刻者続出。30分ぐらい続いた読経が終わると辺りはすでに真っ暗。外で読経を聴いていたネイトさんにネーン達がなついて群がっている。アメリカ人でもイサーンの言葉が出来て社交性があれば人気者間違いなし。私には誰も寄って来ない。この差は大きいな。

ネイトさんも寺生活に慣れていく、比丘と寺に寄進された食材による朝食

◆ネイトさんの出家が決定!

この寺のプラマート和尚さんが、夜9時前に帰って来たようで、我々は挨拶に向かいます。我々3人を泊めて頂きたいことと、ネイトさんを出家させたいことを藤川さんが申し出ます。

その後は流暢なイサーンの言葉でネイトさんが御挨拶。

普通はアメリカ人がいきなり尋ねて来ても門前払いとなるか、人格を見られた上で、何らかの条件が付けられるだろうが、こういう仲介役がしっかりした身元の近しい仲であれば大概のことはOKとなるもの。

難なく“面接”はOKされると、24日頃に得度式が予定されることになる。我々は20日の夜行列車で帰るので、得度式には参加出来ないが、ここから先は彼がしっかり務めることだろう。

どんな比丘となるのか、藤川さんの“第2の弟子”の成長が楽しみである。滞在日数の少ない中、我々がやってあげられることは何か、ネイトさんの出家への準備が進んでいきます。

夜の読経後、ネイトさんに群がるネーン達

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

老舗のプライド、ここに集結! 他団体交流が増えた新日本キックが、その中心的TITANSで老舗の存在感を見せられるか

江幡睦vsアーリー。江幡睦のローキックを中心とした上下を揺さぶる攻撃が続く
ローキックで攻める江幡睦、鍛え上げられたスネ同士は当たってもビクともしない

 
 
◎TITANS NEOS 24
9月2日(日)後楽園ホール17:05~20:08
主催:TITANS事務局 / 認定:新日本キックボクシング協会

「TITANS NEOS 24」開催翌日の9月3日(月)14時、伊原ジムで一夜明け会見が行なわれました。

新日本キックボクシング協会とREBELSプロモーションの交流戦が10月8日(月・祝)のREBELS興行から開催されます。この日のカードは7月にすでに発表されていますが、日菜太(クロスポイント吉祥寺)vs 緑川創(藤本)戦が確定済。

10月21日(日)開催の新日本キック、MAGNUM.48では日本ミドル級チャンピオン.喜多村誠(伊原新潟)vs 元・ラジャダムナン・スーパーウェルター級チャンピオン.T-98(=今村卓也/クロスポイント吉祥寺)戦、日本ウェルター級チャンピオン.リカルド・ブラボ(伊原)vs UMA(K&K)戦の2試合が確定済です。

会見に出席したのは、昨日の勝者、江幡睦、勝次、リカルド・ブラボ、重森陽太が試合を振り返った感想の他、江幡塁、喜多村誠、T-98が出席。今後の交流戦に向けての豊富を語られています。

◆54.0kg契約 5回戦

ローキックは貰うと脚が麻痺してしまい根性で耐えられるものではない、アーリーも耐えきれず倒れ込む

WKBA世界バンタム級チャンピオン.江幡睦(伊原/54.0kg)
   VS
アーリー・ロー・ペットポートーン(元・パタヤ52kg級C/タイ/53.85kg)

勝者:江幡睦 / KO 2R 1:35 / ローキックによる3ノックダウン / 主審:椎名利一
得体の知れないタイ国強豪との戦いが続く江幡ツインズ。圧倒したり苦戦したり攻め倦んだりもありつつ、それらを上回るテクニックで捻じ伏せる勝利は多い。もう一歩上のムエタイランカー戦に備える戦いが続いています。

ローキック中心に倒せる技を試しながらジワジワ攻めて行くと、次第に顔色険しくなったアーリー。ボディブローとアゴへ突き上げるアッパーも炸裂させつつ、重点的に攻めたそのローキックでの3度のダウンを奪って圧倒のKOで仕留めた。

上半身を攻めつつ、ローキックでダメージを与えていく江幡睦
プットパートノーイvs勝次。勝次の前蹴りで牽制、自信を持った攻撃が続く

◆62.5kg契約 5回戦

日本ライト級チャンピオン勝次(藤本/62.35kg)
   VS
プットパートノーイ・ルークソーンムアン(タイ/61.55kg)
勝者:勝次 / TKO 2R 2:29 / 飛びヒザ蹴り / 主審:桜井一秀

初回、距離が遠かった両者、次第に距離を掴んだ勝次がパンチで追うと連打を繋げダウンを奪う。第2ラウンドは主導権を握った勝次が更にパンチを打ち込み、プットパートノーイは険しい表情に変わる。うつむく癖を見抜いた勝次はパンチでコーナーに追い詰め、プットパートノーイのアゴに軽く飛びヒザ蹴りを炸裂させて失神させ、レフェリーが試合を止めるTKO勝利となった。真空飛びヒザ蹴りの継承者と名乗る勝次。この技でのKO勝利は今後幾つ奪えるだろうか。

勝次vsプットパートノーイ。真空飛びヒザ蹴りを意識した老舗の大技、プットパートノーイを劇的に倒す
ニュートラルコーナーに登って雄叫びをあげる勝次。最も快楽的瞬間
田村聖の連打を浴びた斗吾は脆くも崩れ落ちた

◆73.5kg契約3回戦

日本ミドル級チャンピオン斗吾(伊原/73.5kg)vs NKBミドル級1位.田村聖(拳心館73.0kg)
勝者:田村聖 / KO 2R 0:56 / パンチによる3ノックダウン / 主審:宮沢誠

NKBとの交流戦。斗吾が田村聖に呆気なく倒されてしまった。多様なタイプとの経験値ある斗吾有利と思われたが、初回は様子見ながら第2ラウンドで田村聖のタイミングいい距離感での右ストレートがヒットすると、足にきた様子の効いてしまった斗吾。そのまま左右連打を浴びてダウンを喫する。田村聖は更に立て続けにダウンを奪い、最後は連打の中、レフェリーが止め、3ノックダウンとなるノックアウト勝ちを掴んだ。NKBの株をグンと上げた形の田村聖、交流戦初勝利となった。

田村聖(右)が右ストレートでダメージ重なる斗吾にクリーンヒット
当て勘優れたHIROYUKI(右)の右ミドルキックがウィサンレックにヒット

◆55.0kg契約3回戦

日本バンタム級チャンピオンHIROYUKI(藤本/54.9kg)
   VS
ウィサンレックMEIBUKAI(元・ルンピニー系バンタム級・フライ級C/タイ/54.8kg)
勝者:HIROYUKI / 判定3-0 (椎名29-27. 桜井29-27. 宮沢30-28)
主審:仲俊光

初回、HIROYUKIが距離を取りながらローキックで様子を見るように積極的に攻めるが、ウィサンレックも応戦し、HIROYUKIの動きを見極め、次第に距離を詰めるウィサンレック。

第2ラウンドはウィサンレックがヒジを狙うように接近したところにHIROYUKIの相打ち覚悟の左フックが当たると脆くも崩れたウィサンレック。ダメージは軽いが勝負を決定付けた一発だった。勢いつけば飛びヒザ蹴り、後ろ蹴りと調子を上げるが、ウィサンレックの組み技、ヒジ打ちを避けてか、後半距離を取るシーンも増えるも的確なヒットを残したHIROYUKIの作戦勝ちだった。

勢いに乗ったHIROYUKI、飛びヒザ蹴りで更に突き放す

◆67.0kg契約3回戦

日本ウェルター級チャンピオン、リカルド・ブラボ(伊原/アルゼンチン/67.0kg)
   VS
CAZ・JANJIRA(蹴拳ウェルター級C/JANJIRA67.0kg)
勝者:リカルド・ブラボ / 判定3-0 (桜井30-28. 仲30-29. 宮沢30-28)
主審:少白竜

ブラボが打って出ればCAZも打ち返してくるタフさにブラボをコーナーに追い詰める圧力もあり、苦戦するような印象さえ与えるが、連打とパワーが上回ったブラボが判定勝利。

◆ライト級3回戦

重森陽太(前・日本フェザー級C/伊原稲城/60.9kg)
   VS
RYOTA・RENSEIGYM(錬成塾/61.0kg)
勝者:重森陽太 / KO 2R 2:29 / 10カウント / 主審:椎名利一

両者のけん制気味の蹴りから始まった初回、重森の右ミドルキックは相変わらず、しなやかに重く圧し掛かる。第2ラウンドにパンチの距離になったRYOTAからカウンターで左フックを当てると、効いてしまったRYOTAは10カウントを聞き、重森陽太がKO勝利。

◆62.0kg契約3回戦

日本フェザー級1位.髙橋亨汰(伊原/62.0kg)vs ダルビッシュ黒木(KING EXCEED/61.8kg)
勝者:ダルビッシュ黒木 / KO 2R 3:00 / 3ノックダウン / 主審:桜井一秀

◆ミドル級3回戦

日本ミドル級2位.本田聖典(伊原新潟/72.4kg)
   VS
J-NETWORKミドル級6位.小原俊之(キングムエ/72.3kg)
勝者:小原俊之 / 判定0-2 (椎名28-30. 桜井29-29. 少白竜28-30)
主審:宮沢誠

◆フライ級3回戦

日本フライ級2位.空龍(伊原新潟/50.5kg)vs 同級4位.細田昇吾(ビクトリー/50.55kg)
引分け 0-0 (30-30. 29-29. 29-29)

◆フェザー級3回戦

日本フェザー級4位.皆川祐哉(藤本/57.0kg)vs 國枝悠太(二刃会/57.0kg)
引分け 0-0 (28-28. 28-28. 28-28)

◆50.0kg契約2回戦

小野拳太(藤本/49.75kg)vs 岡田彪雅(クロスポイント吉祥寺/47.9kg)
勝者:岡田彪雅 / 判定0-3 (18-20. 19-20. 19-20)

敵地でKO勝利を収めた田村聖、一気に注目を浴びる存在となった

《取材戦記》

新日本キックボクシング協会は7月からNKBグループ(日本キックボクシング連盟
とキックユニオン)との団体交流戦が始まったばかりで、続いてREBELSプロモーションとの交流戦が実現となります。

REBELSはフリーの興行プロモーションで、元MA日本フライ級、フェザー級チャンピオンの山口元気氏が代表。2010年1月から活動開始、当初はWPMF日本支局傘下にありましたが、後に独自にREBELSをタイトル化したチャンピオンを始めとする契約選手を抱え、梅野源治やT-98がラジャダムナンスタジアム王座獲得に至っています。
開催前の発表会見に加え、一夜明け会見なるものが各興行や団体毎に増えてきました。試合直後にリング上や控室で応えられるコメントより、1日経って心も落ち着いた、上手くまとめ上げたコメントが多くなります。試合直後の興奮気味なコメントにも本音が現れやすいので、そこを狙った取材陣も居ることでしょう。

「KNOCK OUT」イベントでのビッグマッチの影響が他興行にも影響が現れてきた今年、新日本キックが積極的に交流戦に打って出た“老舗、変革”が楽しみなところです。

次回の新日本キックボクシング協会、MAGNUM.48は10月21日(日)後楽園ホール(17:00開始)に於いて行なわれます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊紙の爆弾10月号
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

私の内なるタイとムエタイ〈40〉タイで三日坊主! Part.32 残り少ないビエンチャン滞在で起きたこと!

ネーンに撮って貰った1枚。私とブンミー和尚さん
大通りで他の寺から来る列を待ちます(Photo by Nate Badenoch)

◆ビザ獲得!

タイ領事館窓口で引換券を出す頃、ちょうどネイトさんもやって来ました。お互い難なく受取れて握手。初めてのノンイミグレントビザ。私でも取れたんだ。何か凄いことやったような気分。

私とネイトさんはホッとして雑談が長くなる中、明日の托鉢をネイトさんが撮影してくれることになり喜んでいると、藤川さんが早く買い物に向いたかったようで、「早よせんかい!」とイライラしている。全く勝手な人だ。テメエは喋りだしたら長いクセに。

合流し一列縦隊で進みます(Photo by Nate Badenoch)

ネイトさんは「明日の朝6時にチェンウェー寺に伺います」と言われてここで別れました。

我々はトゥクトゥクで、私が2ヶ月前も立ち寄ったショッピングセンターへ。
藤川さんが「英語ネーンに買うてったろ!」と言ってオーワンティン(瓶詰め粉末)とコンデンスミルクを買う。藤川さんはタバコを選び、これが早く欲しくて来たのだろう。

私はサンダルを買い、タバコ代を立て替えたりして、それぞれの値段が分からなくなったが、「物価はバンコクの半分ぐらいやが、電化製品はバンコク並みに高いな!」と言う藤川さんがビエンチャンの物価を探る好奇心を持った買い物を終えてワット・チェンウェーに帰ります。

信者さんが待つ路地に入って、一掴みのもち米を受けます(Photo by Nate Badenoch)
信者さんもサンダルに膝を乗せて辛い体制です(Photo by Nate Badenoch)

トゥクトゥクで帰ると隣の寺で止められてしまう。「もう少し先」と言おうとしたところ、「歩けば近いやろ!」と藤川さんはサッサと降りてしまう。私は方向音痴だが、降りた位置が分かっていた。藤川さんが隣の寺まで来ているのに方向を間違える。勝手なことを言っておいて間違えることこの旅だけで何度目だろう。

帰るとすぐ、ネーンが私を呼びに来た。「サンカティに纏って、出かける準備して!」と急がせる。

「葬式でもあるのかな」と思うも今回は藤川さんは呼ばれず私が呼ばれ、他にネーンが二人、ブンミー和尚さんと4僧でトゥクトゥクに乗って、向かう先はどこかのお寺らしい。そこで見たものは過去、私が通って来た道でした。

田舎っぽい風景の中の托鉢。低感度フィルムによるAUTOか強制無発光の為、被写体ブレが起きています。フラッシュが効いている被写体は陰が明るめに出て、ブレが小さめになっています(Photo by Nate Badenoch)

◆寺から向かった先は!

そこでは頭を剃ったばかりの20歳ぐらいの若者2人が白衣を纏って並んで立っていました。得度式である。私は比丘として彼らを迎える立場となったのだ。
「撮ってやりたいなあ」と思うが、それができない立場がツラかった。

ここまでは誰も私が日本人とは分からなかった様子。他の比丘は20僧ぐらい居たが、読経中にブンミー和尚が私に「カメラあるか?」と言う。ビザ取りに行ったままの頭陀袋だったので一眼レフを出すと、「違う、小さい方!」と言われてコニカのビッグミニを渡そうとすると、頭陀袋にカメラのストラップが引っ掛かって落として慌ててしまい、周りの比丘達が笑いだした。

集落ごとに信者さんの列があり、比丘と列と重なります(Photo by Nate Badenoch)

何を撮るのかと思ったら、向かいに座ったネーンに渡したブンミー和尚さん。つまり、「読経中の我々を撮れ!」と命じたのである。カメラを2台も出したところで、周囲は私が日本人と分かった様子。「ワット・チェンウェーの日本の比丘」といった雰囲気が漂う。

ここでも客寄せパンダになっていた私であった。お布施は2000キープを受取る。寺の外ではお祭り騒ぎ。出家者を送る親族の徳を積む機会だろう。薄汚れたシャツを着た4~5人の幼い子供らが裸足ではしゃいで駆け回っていて、映画で観るような発展途上国らしい風景だった。

比丘は裸足、信者さんも裸足で待ちます(Photo by Nate Badenoch)

◆体調に異変!

ワット・チェンウェーに帰って、英語ネーンに買って来たオーワンティンとコンデンスミルクをプレゼント。素直に喜ぶ澄んだ目がやっぱり綺麗である。夕方の読経の時間には皆が講堂に集まりました。私はここに来てから馴染んだラオス訛りの読経を耳に収めていました。

ビザを貰って安心してから一転、今日の昼食後から何か腹具合がおかしく長引いていることに気付く。パンシロン飲んだが夜になっても胃がスッキリしない。下痢が始まり、更に寒気がしてきた。風邪かな。今日も英語ネーンやデックワットが温かいオーワンティンを持って来てくれる。身体温めようと飲むも、気持ち悪さが治らない。寝るのはいつもと変わらない夜の9時頃だが、サッサと眠りにつくよう蚊帳に入って寝てしまおう。

陽が昇り始める頃、托鉢も終わりに近づきます(Photo by Nate Badenoch)

ところが深夜12時に目が覚める。脈が速く熱がありそうだ。これはヤバいぞ。真っ暗の中、頭陀袋からバファリン捜し、置いていたポラリス(ミネラルウォーター)で飲んでまた寝る。

朝方4時過ぎ、藤川さんが早くも片付けしている音で目覚めた。この寺を後にする準備して講堂へ座禅組みに行ったようだ。私はもう少し寝て5時過ぎに起きると一応熱は下がっている。ネイトさんに撮影頼んでいるのに今日は無理かと思っていたが托鉢には行けそうだ。

この方もやっぱりもち米、タイ東北部とラオスはこんな光景になります(Photo by Nate Badenoch)

◆我が托鉢の撮影!

ところが6時回ってもネイトさんが現れない。朝早くに呼ばれても寝坊も仕方無いかと諦めかけたが、列になって托鉢に向かう頃、ネイトさんがバイクでやって来た。すぐコニカのビッグミニ渡し、フィルム36枚撮り1本撮りきるようにお願いします。前から後ろから撮っている気配は感じるが距離が遠過ぎる。

広角レンズだし、もっと近い距離でアップ目が欲しいところ、私以外も撮ってるし、途中で「ネイトさん、もっと接近して!」と不謹慎にも大声を出してしまうが、撮ってくれただけでも有難い。寺へ帰ってから感謝を伝えて、朝食に向かう。また熱が出て来たようだ。食欲は沸かないが、ひと口でも多く頑張って食ってバファリンを飲む。昼までに下げないといけない。またしばらく眠ることにしました。

チェンウェー寺での夕方の読経、この寺は若い比丘とネーンばかりでした

ノンカイに向かう準備の為、ネイトさんは乗って来たバイクで一旦居候先に戻りました。

11時近くまで眠っても全く食欲が沸かなかったが、昼飯もまた一口でも多く食べておく。眠っていた間に藤川さんはシーツを洗濯したらしい。使った物は綺麗にして返すのは当然だが、私はグロッギーで出来なかった上、迂闊にも考えが及ばなかった。クテイの掃除だけやったが、使った寝具はそのまま折り畳んだだけ。これはこちらの比丘達に申し訳なかった。

広い講堂内、読経は40分ぐらい続きます
ブンミー和尚さん先導の読経が続きます
英語ネーンも学問とともに仏門で修行の身

◆ラオスを後にしてノンカイへ戻る!

午後1時に出発予定だったが、ブンミー和尚さんが朝からニーモンに行かれて別れ際には会えなかったことが悔やまれる。おじいさん比丘や英語ネーン達、デックワットには体調悪くて最後に何もしてやれなかったが、感謝の気持ちは何とか伝えて、藤川さんとネイトさんと共に拾ったオンボロタクシーに乗ってタイ・ラオス国境の橋へ向かいます。

出国手続きをしてラオスを後にする。最後に体調崩したが想い出の地になった。皆、心優しい良い人ばかりだった、タイ領事館の連中以外は。またいつか来れるだろうか。バスで橋を渡ってタイ入国手続きも簡単に終わり、ネイトさんが居るから言葉は何とかなると思うと心強かった。無事にタイ領土に入ると、故郷に帰って来たような安心感に包まれる。後はどんなに遠くても日本のおばあちゃんのアパートまで、歩いてでも帰れるような錯覚に陥る。

それにしても、すぐ座りたくなるほどダルく体力が落ちている。バファリンも正露丸も効かない。大丈夫か俺。ネイトさんの今後の進路を見届けてからペッブリーに帰らねばならないのだ。まず、この発熱と下痢を伴なう体調不良は何なのか。回復しなかったらどうなってしまうのか。そんな不安を抱えながら、トゥクトゥクに乗ってワット・ミーチャイ・ターまで50バーツ。門を潜って新たな展開へ、ネイトさんを含む3人のお泊り願いに向かいます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

私の内なるタイとムエタイ〈39〉タイで三日坊主Part.31 触れ合いビエンチャン

◆ワット・チェンウェーでの務め

ビザが下りるまでのビエンチャン滞在の中では、新しい出会いや問題が浮上していきました。

ブンミー和尚さんに「ニーモン(比丘を招く寄進)があるから9時30分までに帰って来なさい」と言われているのに10時15分になってしまう。

「ニーモンには行けないなあ」と藤川さんと話していたら、なんとブンミー和尚さんが車を待たせて我々を待っている。タイと同様に時間にゆとりのある国である。しかし、呼ばれたのは藤川さんだけ。車に乗せられ行ってしまった。後から思えば、この寺の年配者は病気がちなおじいさん比丘と、ブンミー和尚さんだけ。地上げ屋のような眼力ある藤川さんを連れて行けば、虎の威を借るように好都合かもしれない。

黄衣を洗ってくれたデックワット(寺小僧)の一人

他の比丘、ネーンも居らず、私はクティの踊り場で日記書きながら「これは昼飯は無いなあ」と飯抜き覚悟していたら、残っていた一人の“英語ネーン”が「昼飯だよ」と呼びに来てくれました。行って見ると私とこの英語ネーンと二人っきり。そしてヨーム(在家信者さん)3名ほどが食材を持って来ている様子で、英語ネーンが「お経唱えますよ」と言う。

私は「うわっ、ヤバイな!」と思うが、いつも朝食後に唱える「サッピティヨー」から始まる短いお経で簡単だった。終わるとヨームはワイ(合掌)をして帰って行く。こんなわずかな儀式でも重要な仏教徒の務めだから軽んじてはいけない。でもこれで昼飯は摂る事が出来た。

この昼時を終えると、藤川さんらが帰って来ました。何やら寄進された、お土産のような大きい包みを持って来た藤川さん。タバコだけ抜いて他はデックワットにあげていた。お菓子類がほとんどのようだ。

皆それぞれのニーモン先から帰って来て、今日のひと仕事終わったかのような昼下がりの午後、疲れた様子の藤川さんはクティの踊り場でゴザ敷いて寝てしまう。

『カメラマン』を見る英語修行中のネーン(少年僧)とチビくん

私は洗濯しようと黄衣を持って洗い場に行くと、デックワットのひとり、ガキデカ(イメージ的に付けたあだ名)くんが、「僕が洗います」と黄衣を持って行ってしまう。後に干して乾いた黄衣も持って来てくれて、何と気の利く奴らだろう。でもこれが普通のデックワットの役目なのだ。本当に我がタムケーウ寺と比較してしまう、この寺の優秀さ。

手が空いてしまったが、英語ネーンや最年少デックワットのチビくんは私と雑談になる。「日本の冬は寒いぞ」と雪の話をしていると、確か雪景色の絵柄があるはずの、持って来ていた『カメラマン』を見せてやる。カラー発色の光沢ある紙質の雑誌である。英語ネーンくんは「綺麗な本だ、印刷が凄い!」それだけで感動している様子。雛形あきこを見ると「この子、日本人なの? 綺麗な子だ!」と目がランランと輝くが、さすがに「幾らだ!」とは言わない。

私以外ほとんど差の無い年齢だが、左の兄さんだけ比丘で、他はネーン

ガキデカくんは私が持っていた安物の電池式髭剃り機(シェーバー)を、「それ見せてくれ」と言うから渡すと、スイッチ入って“ガガガガー”っと振動すると「うわあ~!!」とビックリして落としてしまう。何だ、こいつヒゲ剃り見たこと無いのか。タイのムエタイ選手や、お寺の比丘などはヒゲ剃り機そのものは持っていなくても、見たことぐらいはある奴らだ。このラオスというアジアの奥地には、昭和30年代の日本がある感じで懐かしい気持ちになれるところだった。

最年少チビくんもやたら寄って来るようになった。幼いから遊んで欲しいのだろう。学校には行って無さそうで、寺の周囲に友達が居るようには見えない。相撲を取るような、ムエタイの首相撲をやるような取っ組み合いをやると物凄く笑って喜ぶ。7歳ぐらいなのか、無邪気で可愛いものだ。比丘が取っ組み合いやっていいかは、本当はやっぱりダメだろう。タムケーウ寺のメーオくんはムエタイ経験があり、軽い取っ組み合いで上手い蹴りは見せていたが。

ブンミー和尚さんを中心にこの寺の比丘とネーン達

◆アメリカ青年、訪ねて来る!

夕方頃、別のネーンが私を呼びに来る。「お客さんだよ!」と。こんなラオスの寺に私にお客さんなんて、思い当たるのは奴しかいない。早速やって来たのだ、アメリカ青年が。

講堂に行くとネイトさんと再会、「ノンカイに渡ることで相談があります」と言う。

講堂では夕方の読経が始まるので、クティに移ってお喋り上手の藤川さんと会話が続きます。

ネイトさんはアメリカでラオス語を習い、高校2年の時、日本に来て、タイ留学生と出会い、「その発音は間違っているから直してやる」と言われて、そこからタイ語を習い始めたという。大学を含め7年間、日本に居る間に日本語とタイ語を完璧に覚えてしまったようだ。

藤川さんが「宗教とは何やと思う?」と問うと、ネイトさんは「お父さんが“自然だ”と応えたことがあります」と言う。更に「お父さんはインドに居たことがあるんです」と言うと、藤川さんは大きく理解したように「ほほ~う、だからやな!」と頷く。

アメリカ青年ネイトさんが訪ねて来て藤川さんと雑談
クティに集まったネーン達と写真に収まる藤川さんとネイトさん
話せば思いっきり笑うこと多い藤川さん

傍から聞いていると飽きて疲れる話になってきた。討論成り立つネイトさんに任せて私はこの場を去るが、ネイトさんが気にしていたのは「ノンカイに渡ったら本当に出家できるのか」という素朴な疑問。

「ノンカイに渡ったら、ミーチャイ・ター寺の和尚に紹介するから、この寺でもイサーンの寺でも好きなところで修行すればええ!」ともうネイトさんに惚れ込んだ様子の藤川さん。「ワシに任せとけ!」という藤川さんの太鼓判に安心した様子。

読経が終わった頃、「みんな集まって写真を撮ろう」と言うブンミー和尚さん。ネイトさんは英語ネーンに英会話の機会を与えると、とちりながら話してみるネーンくん。わずかな時間ながらよく頑張っていた。ブンミー和尚さんとも雑談を続けて、写真を撮り終えてから知人宅へ帰って行きました。

何となく集められた旅の我々と共に
ブンミー和尚さんとネイトさん、通訳もしてくれて助かった

◆ブンミー和尚の苦悩

私はブンミー和尚さんに「この寺の住所を書いて欲しい」とお願いすると、ラオス語と英語で書いてくれて、更に日本語で書かれた日本からの手紙を見せられました。その手紙はちょっと古く、「日本にもう2年あまり、私の弟が居るんだが、弟の嫁が私の手紙を弟に渡してくれないようだ。だから連絡が取れない」と言う。日本に帰ったら私に尋ねて行って見て来て欲しいのだろうか。住所は神奈川県の平塚だった。

後に藤川さんに話すと、「ブンミー和尚の弟さんは不法就労の類いやな、仕事やっても半年しか居れんはずや、それが2年も居るというのはビザ切れしかないやろ、尋ねていくのはかえって迷惑がられるぞ!」と言われる。まあ確かにそうだろう。今、ブンミー和尚さんの気休めにでもなればと思った次第だが。

◆合格発表へ!?

申請して2日後の午後、タイ領事館へビザの受取りに向かいます。ビザはパスポートに印字押されるだけなので、そのパスポートを返して貰うことになります。一人で行きたいところ、「行く時は起こせよ!」と言って昼寝している藤川さんを起こします。着いて来たがる、先に歩きたがる。「買い物もしたい」と言っていたが、寝かせたまま一人で行けばよかったかと思う。「俺って何で正直に従ってしまうのだろう」なんて悔やむこと数え切れない。

何かの受験合格発表でも見に行くような緊張感。たかがビザ。大丈夫ではあろうが、書類は万全だったか考えるとちょっと不安が残る。そしてこの先、ビエンチャンでまだまだ慌てる事態が発生していきます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

私の内なるタイとムエタイ〈38〉タイで三日坊主!Part.30 アメリカ人青年現る

お寺の仕事をこなすデックワットの3人
デックワット(寺小僧)の少年と、英語を学ぶネーン(少年僧)

◆ワット・チェンウェーでの触れ合い

タート・ルアン寺院で偶然出会った比丘らに送られ、泊まっているワット・チャンウェーに帰ると、やっと寝転がれる場所に辿り着きました。汗だくで、夕方には読経が始まるも参加せず、藤川さんが水浴びに行ってクティに戻って来ると、布団の下に蚊帳を折り込んで寝る準備に入っている。“早や!”

宵の口になると、何やら英語の単語を繰り返す声が聞こえてくる。
ネーン(少年僧)がクティの踊り場で辞書片手に熱心に英語の単語を覚えようとしている。それが長く続いている。
「あいつは勉強熱心やな、将来英語使う仕事に就いて日本にも来るかもな!」と言う藤川さん。こんなアジアの奥まった街からそんな奴も出て来るのだろう。

そこへ同じ世代のネーンやデックワットが集まって来る。
テレビもラジオも無い古い昔の家庭のような空間、自然とお喋りが始まるクティ内。

そして、よそ者の我々にも接してくれるネーン達。喋っている言葉はラオス語だが、ほぼタイ東北地方の訛り。大昔にメコン河で国境が区切られたが、昔、この辺一帯はひとつの地域だったのだ。タイ標準語とちょっと違った言葉となる単純なラオス語を教えてくれる彼ら。

デックワット(寺小僧)はラオス語でサンカリー、
マイペンライ(大丈夫、気にしない)はボーペンヤンドーク、
カオチャイマイ(分かりますか)はカオチャイボー。

ラオスから出たこと無い彼らは大都会の密集した混雑、物が溢れた量販店の電化製品を知らない。
「こいつらは目が澄んどるなあ。このままにしておいてやりたいなあ」とそんな言葉を発した藤川さん。汚れた人生を送った我が身と対称的に、彼らを自然のままにしておいてやりたいと言う想いが現れる。

托鉢から帰るとすかさずデックワットがバーツ(お鉢)を持ってくれます

そんなクティで何やら大きい葉っぱを鍋で煎じているおじいさん比丘。お茶である。
「飲むか?」と言われて興味津々の藤川さんは「頂きます!」とお願いすると、湯呑みカップに入れて我々に出してくれました。何の葉っぱか分からない。大丈夫かな、美味いかは微妙な味だが水出し麦茶とは全然違う、久々に味わう温かいお茶に癒される想い。

更には別のネーンが私と藤川さんの分の温かいオーワンティンを持って来てくれました。日本やタイで有名な“強い子のミロ”のようなもので、これも甘くて美味しい。

しばらくすると小太り和尚さんが「もう飲んだか?」と言いながらやって来る。気遣ってくれたのは小太り和尚さんだったようだ。来客を持て成してくれるような接待に有難く想う。
「こんな汚い小屋ですまない、講堂の2階は工事中でまだ使えないんだ」と言われるが、とんでもない、寝るに充分で周りが皆優しくて助かっていることに感謝を伝える。

蚊帳を吊って寝る藤川さん

本来、藤川さんと私は“形式上”ではあるが、巡礼の比丘は、“お客様”ではない。藤川さんが言っていた、一旦出家してしまえば基本的にはどこの寺でもタダで泊まれるのは、修行に必要な今日1日を生きる為の食事と寝る場を与える為。ノンカイのワット・ミーチャイ・トゥンやバンコクのワット・タートゥトーンと同じく、このワット・チェンウェーでも挨拶後、意外なほど簡単に受入れて頂きました。しかし修行僧なので、すぐその寺の一員となって読経や葬儀、懺悔の儀式に取り組まなければいけません。

小太り和尚さんも自己紹介して頂き、お名前は“ブンミー”和尚。寺の名前は「ワット・チェンウェー=Wat XiengVee」、ビエンチャンは「VIEN TIANE」と綴るが、本来はこの綴りではなく、この綴りはアメリカ軍が進駐した時代に定着したという。
夜8時過ぎにはネーンが別棟クティに帰って行った。早いなあ就寝。いや、まだ勉強かな。
準備してある藤川さんは一足先に、私も寝る準備に掛かるが、昼に蚊帳を吊るしておいたことは正解だった。蚊を追い払い、素早く蚊帳に飛び込む。更に蚊取り線香を焚いて携帯用線香皿に装着して傘の上部に吊るす。これで蚊対策は充分だろう。

◆ビエンチャンでの托鉢

朝、5時前に藤川さんが一番に起きて灯りを点けやがって、周囲も私も目を覚ます。蚊帳と傘を畳むと上から多量の蚊の死骸が落ちてくる。金鳥の蚊取り線香って本当に効いてんだな。

先に藤川さんが洗面に行き、その後、私が行って来ると藤川さんが座禅組んでいる。
「全く朝っぱらから、この為に早く起きたのか」と思うが、毎度私の感覚の方が間違っているのだろう。他の比丘やネーンは個々に講堂で読経している様子。

托鉢に出掛ける準備して待つが、6時になってもまだ誰も出る気配無し。ゆっくり辺りが明るくなる頃、6時30分を回って比丘やネーン達の準備が始まる。ネーン達は右肩を出す格好。おじいさん比丘は通常のホム・クルム、藤川さんも同じ纏い。私だけタムケーウ式ホム・マンコン。

托鉢の風景

ノンカイと同じような一列に並び、そして歩くのがノンカイより速い。路地に入ると民家のある田舎道で、托鉢としての見応えある風景になっている。私が托鉢止めて撮影に入りたいほどだ。寺に帰るとすぐデックワットが出迎えてバーツ(お鉢)を受け取ってくれる。関取の付き人のように手捌きが速かった。こういうところはどうしても我が寺と比較してしまう。こいつらの方が優れているなあと。

食事を捧げる手渡しの儀式はお堅いが、食材はしっかりある。サイバーツされるのはもち米がほとんどだが、ヨーム(信者さん)が寺に寄進に訪れて料理を運んでいるのはノンカイと同じ。

朝の風景、お寺の外で見掛けた児童たち
トゥクトゥクで街に出るとラッシュの混雑

◆タイ領事館での出会い

「9時30分からニーモンに行くから早く帰って来なさい」とブンミー和尚さんから告げられる。この後、先に述べたビザ申請があるが、9時30分までに戻って来れるかは微妙なところ。

寺の外に出ると、地元の子供達の可愛い顔がある。ここにも人生があるんだなあ。

タイ領事館で不足分だった2枚目の申請用紙を書いていると、「すみません、今何時ですか?」と流暢な日本語で話しかける声が聞こえてくる。フッと見ると欧米系の青年。黄衣を纏った私を日本人と見抜いて尋ねているのである。
「こいつ出来るな!」と思いつつ、その時刻を伝える。

そこへすかさず割って入るのが藤川さん。こんな外国人には興味津々である。
彼はネイトと名乗るアメリカ人。タイ語もほぼ完璧に出来る優れ者である。

このネイトさん、「僕もタイの寺で出家したいんです」と熱く語るので、藤川さんが誘って「今日、明日にでもワット・チェンウェーに尋ねて来い。一緒にノンカイに戻ればワット・ミーチャイ・ターの和尚さんに紹介するから」と約束してしまう藤川さんも、まだ会って5分ほどしか経っていないアメリカ人に、よくそこまで話を進められるものだと呆気にとられてしまう。

領事館では、ネイトさんもビザ申請を済ませ、帰りはトゥクトゥクに一緒に乗り、ネイトさんは「今日の夕方、堀田さん達のお寺にお邪魔させて頂きます!」と言って途中下車し、我々はそのままワット・チェンウェーに戻りました。

ここからアメリカ青年との触れ合いが急速に深まっていきます。これも何らかのタイミングがちょっとでもズレていたら出会わなかっただろう不思議な出会いでした。

タイ領事館にて、アメリカ人青年と出会う

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
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私の内なるタイとムエタイ〈37〉タイで三日坊主!Part.29 ビザ申請と凱旋門

ビエンチャンにあるタイ領事館の門

◆タイ領事館へ向かう

いよいよ旅の本命、ビザ申請に向かいます。

ビエンチャンで泊めて貰うワット・チェンウェー。着いて間もないそのクティに私物を置いて出掛けるのは不安だが、蚊帳類以外、すべての荷物を持って行くのは面倒過ぎる。カメラやフラッシュなども重いが貴重品なので持って出ます。

藤川さんと路地に出ると、すぐにトゥクトゥクの方から寄って来た。タイ領事館まで1500ラオスキープ。ってどれぐらい高いのか分からず、50タイバーツで交渉成立。15分程乗った中、だんだん市内に入ると2ヶ月前に見た風景が蘇えってきます。

ちょっと早めにタイ領事館に着き、14時の開門を待って中に入ると、早速、藤川さんと窓口に並ぶ。ビザ申請用紙をお願いすると、オバサン係員から2枚渡される。

藤川さんと一緒に申請するものだと旅に出る前から思っていたから、藤川さんに1枚渡すが、何やら書く様子が無い。

「何で書かないんですか」と言うと、藤川さんは「ワシは1年ビザ有るから」だと。
「はあ? じゃあラオスまで何しに来たんですか?」と私。
「お前の為に来たんやろが!」と藤川さん。

旅慣れない私を引っ張って来てくれたことには心強く、助かっている。その反面、外泊を渋る我が寺の和尚さんに、私を利用して、たいした用も無いのに旅に出るつもりだったなと思うと腹立たしくなってきた。

「じゃあ余った申請用紙は次に来る日本人の為に参考資料としてとっておこう」と言って頭陀袋に入れようとしたら、藤川さんがサッと奪いやがる。
「ワシかて後に来る友達の為にとっておく」と言う。
「このクソジジイ!何から何までセコいこの野郎!」と思って睨みつけていると、
「早よ書けや!」とフイをついて促される。

凱旋前にて、藤川さんに撮って貰ったが下手糞、トリミングして整える。カメラはコニカのビッグミニ

◆ビザは1年!?

私が申請しようとするノンイミグレントビザは、留学や興行などは3ヶ月という制限があります。更なる長期のビザについては分からないが、藤川さんのような1年ビザは、より難しい条件があるでしょう。

ビザ申請用紙には要請する期間を書く欄があります。
そこで「“1年”って書いてみい」と言う藤川さん。
「いい加減なお役所仕事の奴らは隣の奴とベチャクチャ喋りながら中身をよう見んとハンコ押しよる奴も居るかもしれん。間違うて1年ビザが貰える可能性あるから“1年”と書いてみい!」というものだった。

さすがセコい考え。いい加減な役所仕事の心理を読む、ずる賢い人生の経験値である。しかしお役所の奴らはそんな損なことはしないだろう。少なく間違えることあっても多く間違えることは無い目敏い連中だ。

でも私もちょっとセコい気持ちが沸いて「1年」と書いておく。そして窓口に持って行くと、オバサン係員は「提出は明日の朝」と言う。

「先に言えよこの野郎!」と野郎ではないが心の中で呟く。タイ語にしてもラオス語にしても英語にしても、申請用紙貰った時にこのオバサンはそんな発言は絶対にしていない。

そしてこの翌朝に提出した時は、今度は「2枚書け!」と言う。だから2枚くれたのか。その1枚は藤川さんが奪い取ったから仕方なく、別のオッサン係員に「もう1枚ください」と丁重にお願いします。

ようやく書いて提出すると今度は「何しにタイに残るんだ?」の質問。この黄色い袈裟を見て分からんか、もうムカムカ苛立ちながら応え、「寺のニーモンに呼ばれているから早くして欲しい」と言って手数料500バーツ払ってようやく引換券受取る。

毎度お役所仕事にはイライラさせられる現状であった。ビザ申請までは以上である。

凱旋門近くを車にけん引されるボート

◆ラオス入国者の義務!?

前日に申請用紙だけ貰った後、領事館を出た後、ガイドブック見ていた藤川さんが「凱旋門とタートルアン行こう」と言い出す。

せっかく来たラオス、観光もしておかないと勿体無いが、黄衣を纏っていてはとても観光気分にはなれない。でもせっかくビエンチャンまで来たのだから、まず歩いて近くの凱旋門に向います。

凱旋門はフランスの凱旋門を真似て建てられた、地元では“パトゥーサイ”と言われる記念塔。2ヶ月前は伊達秀騎選手や小林利典選手、アナン会長とこの前で写真を撮ったが、今回は一人黄衣姿で撮りました。

ここからトゥクトゥクに乗って、金色の仏塔のタート・ルアン寺院に向かう。ここも有名な観光地である。ひと通り見たところで藤川さんが、「“ラオス入国者はパックツアーを除いて在住証明を提出しなければならない“とガイドブックに書いてある。入国管理局行こう!」と突然言い出す。

私は面倒で「行かなくても大丈夫でしょう」と応えると、
藤川さんは「じゃあ出国時に何か問題あったら交渉してや?」と言い返して来る。
私は「知りませんよ、そんなこと!!」と怒鳴ってしまった。
藤川さんは「そんなら今行こうや、今分かってしまえば後は楽やろ!」

いつも言ってることは正しいんだよなあ、藤川さんは。でも私に何かワザと面倒なこと言い出すようで、苛立つ気持ちになってしまうのだ。これも修行か。

凱旋門目指す藤川さんの後姿
タートルアンで出会った比丘達と

◆ビエンチャンで出会った比丘たち

そこで入国管理局へ向う為、トゥクトゥクでも止めようかとしていると、走って来たタクシーの運ちゃんらしき人に呼び止められ、「あの比丘が呼んでいます!」と指差された先には二僧の比丘、一僧は紫色の袈裟を纏っている。

「どこから来たの? これからどこに行くの?」と人懐っこく問いかけてくるのは、紫袈裟比丘。もう一僧は背が高く結構若いがラオスにある寺の和尚さんらしかった。

「入国管理局へ行きます」と伝えると付き合ってくれることになり、彼らのタクシーで、入国管理局へ向かいました。ここで「このツアー会社に行って聞いてください」と指されたのは、バンコクで旅行代理店に提出した時に、パスポートにホチキス止めされていた名刺のツアー会社。それはすぐ近くにあるようで、そこへ歩き出したところ、私らを見かけた近くのホテル従業員のオバサンが「ニーモンです」と言ってホテルのロビーへ招かれソファーに座るよう促されました。

我々4僧とタクシーの運ちゃんにまでジュースが出され、私は喉がカラカラで、多分皆同様で有難い寄進だった。それはファンタオレンジの味、着色料バッチリの昔ながらの正にオレンジ色。冷えていて味も懐かしく美味しかった。

ホッと一服できたところで、紫袈裟の比丘先導に短めのお経を唱えると、私にも出来る、日々やっている範疇の読経で、有難そうにワイ(合掌)して聴いているオバサン。こんな寄進に出会った場合に、一人でもすぐ出来る経文は更に覚える必要があると思ったところ。

そしてツアー会社に入ると、御丁寧に紫袈裟の比丘が尋ねてくれて、「2週間以内の滞在は入国管理局への在住申請は要らない」という。ガイドブックは古いもので、すでに改訂されていた様子。面倒でもやることやって問題無いと分かれば、後は安心なのは確かだった。

ここからこの紫袈裟の比丘らのタクシーで、我々の泊まっているワット・チェンウェーまで送ってくれてお別れ。紫袈裟の比丘は明日、タイのウボンに帰るらしい。ここまで付き合ってくれたことには感謝を伝える。優しい奴らで有難かった。また会うことはないだろうが、住所聞いておけばよかった。またウボンに尋ねて行けたら楽しいだろうに。

この後、ワット・チェンウェーの比丘やネーン(少年僧)、デックワット(寺小僧)達との触れ合いにまた感動が生まれていきます。

我々が泊まる寺へ送ってくれた比丘とタクシー
ボロボロのタクシーである

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

最新『紙の爆弾』9月号!「人命よりダム」が生んだ人災 西日本豪雨露呈した”売国”土建政治ほか
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』