比丘として優秀、機械イジリも優秀、喧嘩技も併せ持つケーオさん

◆送られてきた贈り物

大きな旅も終え、埃溜まった部屋の掃除、郵便物の確認を済ませると、藤川さんにも幾らか届いていたものがあった様子。部屋に呼ばれて行くと、春原さんから1995年用のカレンダーが10部以上、幾つかの筒に入れられて届いていた。以前から藤川さんがねだっていた日本を象徴する富士山や金閣寺、桜満開など風景画のカレンダーである。

「ノンカイの寺にどれにする?、ウチの和尚にどれにする?」と言われて、「そんなこと勝手にしろ!」と思うところ、更に「ボケーッと見とらんと袋破れ!」と文句言う藤川ジジィ。

これは春原さんから藤川さんに送られた郵便物、私が手を付けるのも失礼と思い、それも珍しいものではないから放っておいただけ。ムッとしつつ何も言い返さなかったが、寺に帰った途端、笑顔減り、厳しい言葉に変わるのはなぜ? ノンカイに居た時のように朗らかになれんものかな、このクソジジィは!

何かと憂鬱になる元の寺生活。「ああ、ノンカイの寺に移りたい、雄大なメコン河の風景が見たくなってきた」本気でそう思えるようになってきた。

そんな翌日の12月26日、更に私に郵便物が渡される。再び春原さんからボクシングのカレンダー、お願いしていた得度式の写真を使っての1995年用年賀状。これはケーオさんが持って来てくれたが、どうやらもう少し早く届いていたのに忘れていたようだ。恐縮していたが、ポットから煙が出るのでまた修理をお願いしつつ、お互いに“マイペンライ”を繰り返す。

年賀状は日本の元旦から極力遅れないよう、出し日を気をつけなければならない。年賀印はあるが、エアメールで届いたものが年賀状扱いになるか分からない。年末に届かないよう気をつけるが、元旦に届くことは難しい。正月から私の坊主頭を見たら皆驚くだろうなあと思う。或いは「得体の知れない宗教に洗脳されたか」と避ける奴も居るだろう。どういう反響であれ楽しみな反応だ。

春原さんから贈られたボクシングカレンダーと雑誌付録のポスターを飾る

◆空腹の苦しさ

いつもの托鉢も再開後は、お菓子オバサンに「暫く見かけなかったけど、どうしたの?」と聞かれて「ビザ取得の為、ラオスに行っていました」と応えると「ああそうだったの!」と少々心配されていたのか、安心されたような様子。藤川さんはサッサと先に進むし、托鉢中に長話は出来ないのは以前と同じ。そんな声が私にだけ数軒掛かる。藤川さんに追いつくのがキツかった。

旅から戻ってからは凄くお腹が空いている。体調崩して食欲が無い頃の失った体力を回復させようとしているのだろう。ガツガツ食うのも恥ずかしいが、いつもより御代わりも増えた多めの食事が続いた。出家したばかりの頃、夕方はお腹が減って苦しかったなあと思い出す。境内の空地のゴミ拾いをやらされて、皆元気にせっせとやっているのに私だけヘロヘロだった。和尚さんに「ヒウマイ(腹減ったか)?」と聞かれたが、「すぐ慣れるよ」とも。実際にその後の夕方の空腹感は無くなっていった。

◆乾季の中の寒気!

この年末はノンカイなどの北部だけではなく、バンコクよりやや南に位置するペッブリーでも早朝、日本の秋深い頃と同じと思うほど寒い日があった。比丘には内衣となる右肩の無い黄色い毛糸のセーターが存在する。それを他の比丘も着ていたほどだったが、10時頃になると夏に戻り、暑くて脱ぐことになる。気温の高低差が大きいこの乾季とも寒気とも言える時期だった。

ノンカイに居た時、藤川さんが、「タイ北部やと黄衣の生地が厚いところもある」と言っていた。「更に2枚重ねが出来るように黄衣の上部に輪ゴムのように小さい紐の輪があるけど、これは単にこっちが上っていう目印かと思とったわ!」と笑わせたが、私も知らずにこれを目印に毎日纏っていた。

埃溜まった部屋の掃除と年末掃除に明け暮れる

◆再び寺の行事

12月28日の早朝、メーオから「今日は托鉢は行かなくていい」と言われる。そう言えば以前、藤川さんが「年末に学校へ向かう行事がある」と言っていた。車の荷台に乗せられて向かった先は中学校らしき校庭。すでに大勢の生徒が外で待っており、他の寺からも集まった大勢の比丘らは、運動会の観覧席のような一旦椅子がある席に座らされて、ミルクと揚げパンが配られた。

それを受け少々落ち着いていだが、どこからか読経が聞こえてきた。学校らしく校庭では伝達が聴こえ難く、こちらまで伝わらないのだ。と思っていると比丘や生徒達が一気に立ち上がり、集団托鉢が始まった。生徒らがドッと押し寄せて来て、サイバーツされる。それは神聖なるものとは言えない。我先にと頭陀袋やバーツに笑いながら雑談混じりに手を差し入れて来る。あっという間にバーツと頭陀袋はいっぱい。

すぐデックワットが受け取ってくれて次の頭陀袋を開くとまたすぐいっぱいになったところで終了。生徒は持参しやすい缶詰やスナック菓子ばかり。更に儀式は続くのかと思ったらそのまま撤収。車の荷台に導かれ帰って来る、何とも呆気ない終了だった。これはタイの文化を生徒らに再認識させるような学校行事の一環なのだろう。

◆比丘の中には裏の姿も

その日の午後、暇な時間にコップくんが寺のベンチに座っているのを見かけた。何か元気が無い様子。何となく聞いてみると、「1000バーツ盗まれた」と言う。部屋の鍵は掛けて無かったとも。こんな品の無い奴らが集まる下級の寺では、そんなことは起こり得る。誰でも入って来られるから部外者の可能性もあるが、タイ国内でも過去に比丘が犯す強盗、強姦が実際に起きているから信頼できるものではない。テーラワーダ仏教の汚点である。

この日はたまたま頼まれた撮影があって一眼レフカメラを持っていたら、元気復活したかのようにコップくんが慌てて「カメラ貸して!」と言って奪い取るようにして本堂の方へ向かって行った。何やらデックワットが寺に侵入して来た不審者を2人で暴行している。そんな姿を撮ろうとしたコップくん。上手くは撮れないだろうと思うが撮り方教えて任せてみた。

その後、ケーオさんが勢いよく走って来て、この侵入者に飛び蹴り、右廻し蹴り連打。そこはカメラを構えないコップくん。たまらず不審者は寺から逃げて行った。この不審者は本堂で何かやらかしたようだが、比丘が飛び蹴りとは・・・!こんな姿は在家信者さんには見せられない。真剣に修行に励む神聖な比丘と間逆に変貌する比丘も存在するのだ。

侵入者へ暴行するデックワット(コップくん撮影)

◆来年の計画!

来年の計画を練りながら日記を書く(セルフタイマー撮影)

12月30日の昼食時、藤川さんが「ネイトが1月25日頃、来ると言うとった。今は寺の行事が忙しくて来れんと!」とネイトさんから携帯電話に連絡があったようだ。

その頃、私は一緒にタイに来た時の伊達秀騎くんから、「1月29日にタイのチャンマイで試合が決まりました」という手紙を貰っていた。10月にノンカイでのムエタイで倒された相手との再戦だった。倒すか倒されるかの激闘をやってギャンブラーを盛り上げたからプロモーターから声が掛かったようだ。これもひとつの縁か、私の日課となっていた境内の落ち葉を掃きながら、これを期に本格的に還俗を考えてしまう。チェンマイに試合の撮影に行こうか。ネイトさんが来るのなら、それは比丘として待っていてやりたい。どう展開するか分からないが、来年の計画を練りながら過ごした年末だった。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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