唯一の脱(反)原発情報誌『季節』春号、3・11発売!

鹿砦社代表 松岡利康

『季節』春号は東日本大震災―福島原発事故から15年の3月11日に発売になります。以下、表紙画像、巻頭言、詳しい書誌情報をお知らせいたします。ご購読よろしくお願いいたします!

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季節2026春号
『NO NUKES voice』改題 通巻45号
紙の爆弾2026年4月号増刊
2026年3月11日発行
A5判 総148ページ(本文144ページ+カラーグラビア4ページ)
定価880円(税込み)


《グラビア》わたしはこれから毒を吐く
(文◎菅野みずえ/写真◎飛田晋秀)

《報告》小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
 浪費による危機と嘘をつく国
《報告》樋口英明(元福井地裁裁判長)
 最後に鍵を握るのは国民
《インタビュー》井戸謙一(弁護士)
 原発訴訟の流れは変わる
 司法の現状と展望

《特集1》東電・福島原発事故十五年

終わりなき核災害

《報告》川島秀一(民俗学者)
 福島の海は今
《報告》北村敏泰(ジャーナリスト)
 原発に抗い続ける宗教者たち
 あらゆる「生きとし生けるもの」のために
《報告》コリン・コバヤシ(ジャーナリスト)
 福島エートス 受忍のプロパガンダ
《報告》渡邊とみ子(飯館村「までい工房美彩恋人」代表)
 3・11から十五年① 種をつなぎ、後継者をつくる
《報告》大河原さき(ひだんれん事務局長、三春町在住)
 3・11から十五年② 未来の世代が住み続けられる地球のために
《報告》森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)
 3・11から十五年③ 原発被害者の「絶望」を終わらせてほしい
《報告》鈴木博喜(民の声新聞)
 原発追い出し訴訟 否定され続けた区域外避難者の十五年

《特集2》東電・柏崎刈羽原発再稼働

「第二の福島」は起きないか

《報告》まさのあつこ(ジャーナリスト)
 セキュリティとセーフティの欠陥と再稼働の実態
《報告》後藤政志(元東芝・原子力プラント設計技術者)
 自滅する原子力産業と技術のあり方
 柏崎崎刈羽6号機の制御棒問題と東京電力の劣化
《報告》山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
 再稼働で起きている深刻な危険
《報告》武本和幸(刈羽村議会議員)
 なぜ不正が繰り返されるのか
 地震想定を過少評価する原発利権の構造
《討論》柏崎刈羽原発再稼働の是非を考える新潟県民ネットワーク
 再稼働 許していいのか 1・11集会
 経過報告とリレートーク
 ○吉田裕史(県民ネットワーク事務局)
 「再稼働容認」判断と今後の課題
 ○石崎誠也(新潟大学名誉教授)
 県内学者・研究者有志による原発再稼働中止を求める声明の概要
 ○浅利親男(柏崎刈羽PAZ住民の会)
 荒浜住民投票は七六%が原発反対だった
 ○笹口孝明(元巻町長)
 東北電力巻原発撤回住民投票の意義 県民こそが真の決定権者であるべき
 ○片岡輝美(会津放射能情報センター代表)
 福島原発事故の経験から 「安心して生きる権利」を諦めない
 ○佐々木かんな(アンダー30の会代表) 
 自分たちの場を立ち上げる


《報告》今中哲二(京都大学複合原子力科学研究所研究員)
 家庭用ソーラー発電 九年間の運用実績
《報告》なすび(被ばく労働を考えるネットワーク)
 国・電力会社の「一〇〇mSv安全論」の非科学性
 「あらかぶ裁判」から広範労災認定を求める運動へ
《報告》中道雅史(核燃料廃棄物搬入阻止実行委員会事務局長)
 《徹底解説》核と軍の拠点・青森県《前編》
《報告》山崎隆敏(元越前市議)
 福井県に溜まり続ける「核のゴミ」
 関電は約束を守れない
《報告》大今歩(高校講師・農業)
 原発は止めたけど風力発電がやってきて
《報告》再稼働阻止全国ネットワーク
 高市軍拡政権という台風が吹き荒れても
 原発再稼働阻止の運動は止まらない
《衆院選》青山晴江(たんぽぽ舎会員)
 絶望させるのも人だが、希望を与えてくれるのも人……
《民主主義》青柳純一(翻訳家)
 “中道改革連合”の大義・理念を問う 
 憲法九条を戦後民主主義の墓標にしてはならない
 《柏崎刈羽》漆原牧久(再稼働阻止全国ネットワーク)
 「柏崎刈羽原発動かすな」官邸前行動の取組み
《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
 東電柏崎刈羽6号機再稼働、衆議院選挙高市自民勝利に怒り
 敵を知ろう、メディアと若者に働きかけよう
《東海第二》志田文広(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会・世話人)
 東海第二原発の地層はどの原発と比べても脆い!
《浜岡原発》けしば誠一(反原発自治体議員・市民連盟事務局長)
 「浜岡原発での耐震設計データの捏造・改ざん」生み出した
 電力事業者任せの審査体制の抜本的改善を求めます
《岐阜》中川敦詞(「さよなら原発・ぎふ」、たんぽぽ舎運営委員)
 過去十五年にわたり「集会&パレード」を三カ月毎に開催
 持続可能で安心して暮らせる社会のあり方を共に考え行動する
《アピール》山谷労働者福祉会館活動委員会 山谷争議団・反失実
 貧者を排除する山谷の再開発に反対!
 これ以上山谷にマンションを建てるな!
《反原発川柳》乱鬼龍選

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3・11東日本大震災-福島原発事故から15年の日に『季節』を発行するにあたって──

鹿砦社代表 松岡利康

日本で唯一の脱(反)原発雑誌『季節』2026春号が出来上がってまいりました。今号も多くの皆様方のご寄稿、ご協力を賜りました。心より感謝申し上げます。

すでに取次会社に搬入し、東日本大震災―福島原発事故から15年の日3月11日に書店の店頭に並びます。定期購読の方々には3月6日に発送も済みました。チェルノブイリ以外に世界にも類例のない原発事故、そして被災された皆様方がいろいろな想いを持って過ごされた15年、お一人おひとりに、それぞれ感慨深いものがおありのことと察します。被災してはいない私たちにも、福島への想いがあり、バカはバカなりに15年間、福島の復興や原発問題を見つめて来たつもりです。

2011年3・11からしばらくの間、国会や官邸前を取り囲んだ脱(反)原発の叫びは、どこに行ったのでしょうか? おそらくこの3月11日にはメディアもこぞって、この特集を放映、報道するでしょう。アリバイ的に──。

私たちは、そうありたくないということから、小さな雑誌ですが、定期的に発行することで、「福島を忘れるな!」の声を外に向かって叫び、また内に向かっても自分に言い聞かせるつもりで、この雑誌を創刊し持続してきました。最初は威勢よく(創刊号は2万部!)、今は青色吐息(4千部)で続けています。被災された方に接したりお声を聴くと、到底やめるわけにはいかないのです。

昨年、当社から著書を2冊上梓された精神科医・野田正彰先生は直接福島に足を運ばれ、本誌に時々そのレポートを掲載させていただきましたが(その多くが『流行精神病の時代』に収録されています)、あらためてそのレポートを読むと胸が痛みます。このところ本誌休刊の危機に直面していますが、被災された皆様方、無念の死を選ばれた皆様方のお気持ち、想いを顧みると、本誌は何としても継続して発行していかねば、と願っています。

かつての名優・志村喬の代表作に『生きる』という作品があります。監督は巨匠・黒澤明です。30年間勤め上げつつも、さほどの実績がない事なかれ主義の役人が、末期がんを告知され亡くなる直前に子どもたちのために公園にブランコを作ったという作品です。後期高齢者直前の私は、長年かなりの数の本を作ってきましたが、早晩憤死するでしょう。ベストセラーがあるわけでもなく、こうした編集者はざらにいます。『季節』は、この国唯一の脱(反)雑誌です。いささか情況や解釈が違うかもしれませんが、私の『季節』は、“志村喬のブランコ”のようなものです。一つぐらいはのちのちに残したいと願っています。

ちなみに、志村喬は、戦争で多くの仲間が亡くなり、それでも生き延びた贖罪からみずからの映画のギャラをほとんど戦争の被災者、その家族らにこっそりと送り続け、みずからや家族は清貧な暮らしをして来た話は、今や有名で、『生きる』という作品は志村の人生を象徴する秀逸な黒澤作品といえるでしょう。

本誌は今、苦境に喘いでいます。創刊以来黒字になったことがなく、万年赤字です。コロナ前は、他のジャンルの書籍が好調で、これで赤字をカバーしていましたが、コロナ以降は、こちらも売行き急減で、そうもいかなくなりました。

皆様にも、たとえ1冊でも拡販いただければ助かります。さらには定期購読もお願いいたします。定期購読こそが発行継続のベースとなります。

ともかく、多くの方々のご協力で本誌は継続の方向でおりますので、これを大前提として、もっと拡販に努めて行きたいと考えています。何卒ご協力をお願い申し上げます。

本格的な春の訪れが近づいていますが、この15年、復興は道半ばどころか、棄民政策といえる愚策、原発事故に対する無反省、なし崩し的忘却にあり、さらには原発回帰……。

『季節』は小さな雑誌ですが、まだまだ使命があると確信しています。今後共、『季節』存続のために皆様のお力をお貸しください。大きなバックがなく、ギャンブル関係財団からの資金援助(これに喜々として飛びつく「人権団体」の感覚を疑います)もない私たちにとっては読者の皆様方が最大のスポンサーです。わが国唯一の脱(反)原発雑誌『季節』の存在意義をご理解いただき、ご購読のほど、よろしくお願い申し上げます。

3・11の彼方から―『季節』セレクション集 Vol.1

《3月のことば》絆 異体同心

鹿砦社代表 松岡利康

《3月のことば》絆 異体同心(鹿砦社カレンダー2026より。龍一郎揮毫)

早春3月になりました。年度末で、出会いと別れ、卒業と入学、就職と転勤などで慌ただしい季節です。

思い出しますね、50数年前の1970年の今頃、まだ紅顔18歳、東京の大学の入試が済んで京都駅に降り立ち、そのまま、のちに入学することになる大学の合格発表を見るために市電に乗ったことを。当時京都にはまだ市電が走っていました。
それが人生を決定づけた第一歩でした。──

結局は東京の大学には落ちて京都の大学に入学することになりましたが、なんだかんだ言っても、それ以降に多くの人たちと出会い、そして築いた絆が今でも残っています。幸いに良い出会いばかりで、影響を受けた人も少なくありません。また、多くの人たちに助けてもらい今が在ります。

この書を揮毫してくれた龍一郎も、そうした流れの中にあります。

彼が大学を離れたあとに「ゲルニカ事件」という、この国の教育史に残る事件に巻き込まれ、全国の先生方や父兄のみなさんと闘ったことを知ったのはのちのちのことでした。裁判闘争は最高裁で最終的に負けましたが、けっして彼は負けてはおらず、有意義な人生を過ごしてきたと思います。私がいつも言う〈敗北における勝利〉です。

すでにご報告しているように、今彼はがんと闘っています。私たちの絆は揺るぎません。福島原発事故から15年、いつまでも福島の人たちに寄り添っていこうと、龍一郎の提案で始めたカレンダー制作で、私たちの絆は強まりました。私(たち)は最後まで彼を応援していく決意です。

※病と闘う龍一郎へのご支援(闘病資金)をお願いいたします。
 振込先=郵便振替 01760-0-130407 口座名=井上龍一郎
 振替用紙の余白に激励の言葉をお書き添えください。

《表紙》『原子力明るい未来のエネルギー』 紆余曲折を経て 今は文字盤だけが倉庫に眠る(絵=鈴木邦弘)

鹿砦社 https://www.rokusaisha.com/

飯塚修三医師との出会いと西宮人物伝

鹿砦社代表 松岡利康

2年ほど前、突然に同市内で眼科医院を開いておられる飯塚修三医師からお手紙がありました。

西宮北口駅構内の書店で偶然『紙の爆弾』を見つけ、ぱらぱらとめくったら、雪印の牛肉偽装告発で有名な西宮冷蔵・水谷洋一社長の記事が掲載されているので買い、『紙爆』と鹿砦社に関心を持ち、調べられたとのことでした。飯塚医師と水谷さんとの関係については別途記事をお読みください。

数日後、先生が営む医院に伺い、いろいろ歓談させていただきました。真面目で博学な方でした。これを機に『紙の爆弾』を定期購読していただき、昨年7・12の『紙の爆弾』20周年、『季節』10周年をめぐる反転攻勢の集いにもご出席いただきました。

また、先生は西宮医師会の会報に連載を持たれており、西宮に縁のある人たちについて調べ書かれていました。西宮出身で私の大学の大先輩・藤本敏夫さん(故人)についても書かれています。

先生とその会報については、後日、あらためて申し述べたいと思いますが、今回は、7・12反転攻勢の集い・関西の記事と、西宮冷蔵・水谷洋一さんについての記事を転載させていただきます。

【追記】先に飯塚修三医師について記しましたが、飯塚医師は以前にも鹿砦社や、地元出身で私の大学寮の大先輩である藤本敏夫さん(故人)についても西宮医師会の会報に掲載されています。関心のある方はご一読ください。

◎鹿砦社 https://www.kaminobakudan.com/
◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0GL5883YV/

雪印の牛肉偽装を告発した西宮冷蔵の闘いの意味を思い出そう!

鹿砦社代表 松岡利康

もう四半世紀近くも前になりますが、私の会社と同じ兵庫県西宮市に在る西宮冷蔵という中小企業が、日本を代表する雪印ブランドの牛肉偽装を告発し日本中が大騒ぎになった事件がありました。

先に紹介した飯塚修三医師が資料を預ける場所に困っていたところ西宮冷蔵の水谷洋一社長が気安く預かってくれ、その水谷社長が『紙の爆弾』に連載(昨年終了)していた記事を偶然書店で見つけ私と知り合うきっかけになったことは、先にご紹介しました。

今度は私が偶然、YouTubeで西宮冷蔵のその事件が登場しているのを見つけました。うまくまとめていました。私も出ていました。照れますね(苦笑)。

https://youtu.be/XHvQ5KdDfLU?si=pG1ydCeeYDWy41j3

※動画視聴は上記URLをクリック

ぜひともご一覧いただきたいと思います。

水谷社長が不正を告発したのはまだ40代、今や70代になります。そして、自殺未遂した娘さんの介護に追われ苦境にあります。鹿砦社以上です。

能天気に「正義は勝つ!」などとほざく徒輩がいますが、世の中、そうはならないことのほうが多いです。この不条理、なんとかならないものでしょうか。

しかし、巨大企業や権力に立ち向かった西宮冷蔵・水谷洋一/甲太郎父子の闘いの意義は、敗れたとはいえ大きいと言わざるをえませんし、今や忘れられた感がありますが、このYou Tube記事をご覧になり真剣に考えていただきたいと思います。

◎鹿砦社 https://www.kaminobakudan.com/
◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0GL5883YV/

[ご報告]「しばき隊」暴力の権化=エルネスト金(略称・エル金)こと金(本田)良平による、「前科の公表」なる「プライバシー侵害」を理由とする民事訴訟(一審・東京地裁立川支部)の控訴審(東京高裁)判決、被告とされた鹿砦社と森奈津子さんの控訴を棄却の不当判決! 鹿砦社と森さんは、直ちに上告! 俗に「しばき隊リンチ事件」といわれる黒社会運動に対する闘いに圧倒的なご注目とご支援を!

株式会社鹿砦社代表 松岡利康

2014年12月に、大阪屈指の飲食街・北新地で起きた、俗に「しばき隊リンチ事件」といわれる「カウンター大学院生リンチ事件」から11年余りが経ちました。詳しい内容と経緯については、私たちが血の滲む想いで取材し編纂した6冊のムック本(『紙の爆弾』増刊号)をぜひご一読ください。「しばき隊」なる黒百人組組織が、11年余り経った今、野間易通はじめとする活動家が生き残り、さらに新たな活動家を増殖させ社会に悪印象を持って注目されていることで、このリンチ事件が全く反省も総括もされていないことを想起していただきたいと思います。

そのリンチ事件の主たる直接的下手人・金(本田)良平(自称エルネスト金、略称エル金)は、しばらく消息を絶ち、大阪から関東に居を移し、コロナ明けと共に復活し、のうのうとカウンター行動の現場に現われ活動している姿が見られ、またX(旧ツイッター)で暴言を発信しています。

激しい暴言は相変わらずで、キャンキャン吠えているのを私は静かに傍観していましたが、М君リンチ事件支援活動で知り合い懇意にしてきた森奈津子さんに対し粘着しているのを見て、さすがに私も、かつて彼らが起こした大学院生М君に対する凄惨なリンチ事件を想起し、危機感を持ちました。これに対しては、すでにリンチに連座した伊藤大介が暴行・傷害事件を起こしていることもあり、甘く構えていてはみたび事件は起きると確信し早急に何らかの手を打たないといけないと考えた次第です。これが、今回問題になった、金良平らが起こした事件で彼が罰金刑を受けた「略式命令」書を森さんに送り、「毒には毒をもって制す」べきで、これを公開してでも自分の身を守ったほうがいいとアドバイスしました。いくら綺麗言を言っても身は守れません。森さんがこれをXで晒すと、すぐに金良平は黙りました。効果があったということです。これで黙らなければ、私は次の策として、誰かが寄せてくれた「しばき隊」の活動家名簿(住所等明記)などバクロする策に出ることさえ考えていました。今でもその用意はあります。以前に、親しばき隊・香山リカが、私たちがリンチ事件についての質問状を送ったところ、自分はいくつか住まいをもっているのでどこに送ったか言えというので私のフェイスブックで明らかにしたら慌てて神原弁護士に泣きついて削除を要請したことがありましたが、私は冗談で言ってはいません。やる時にはやります。

森さんは、重度障碍者の夫と二人暮らしで、過去には親しばき隊の連中に自宅周辺を徘徊されたこともありました。加えて過去には、親しばき隊関係者を批判したことで、愛猫を殺された大学教授や自宅前に汚物を撒かれた作家もいました。いずれも、なぜか犯人は捕まっていません。

私は大学院生リンチ事件における被害者М君の支援、本件原告・金良平ら加害者やこの関係者らに対する追及の活動を長年行った経験から、この悲劇が再び起こる懸念を強く持ちましたし、今も持っています。実際に、上記したようにリンチの現場に連座した伊藤大介は、深夜気に食わない者を呼び出して暴行・傷害事件を起こし有罪判決を受けているではありませんか。三度目もありえます。

金良平による執拗な粘着への、やむにやまれぬ対抗措置に対し、金良平は、鹿砦社と森さんに「プライバシー侵害」なる名目で110万円の損害賠償と当該Xの削除を求めてきました。このことについては、一昨年提訴当初に本欄にて報告し断固闘う旨、明らかにしました。凶暴な金良平の跳梁を許してはならないからです。黙っていては、必ずM君リンチ事件は再発すると確信したからです。金良平(および李信恵らリンチの場にいた者ら)はなんら反省などしていません。上記伊藤大介の事件がそれを物語っています。

ちなみに、М君ですが、当時、ある国立大学の大学院博士課程に通い、将来を嘱望されていましたが、金良平らによる凄惨なリンチ事件により、いまだにPTSDに苛まれ、学究の道を断念、日々汗して働き静かに暮らしています。

ほとんど金良平に殴られた直後のリンチ被害者M君の顔写真。森さん夫妻が、こんなことになる危険を感じないほど裁判所は神経が鈍いのか!?

■対金良平訴訟の控訴審判決と上告のご報告

さて、ご報告が遅れましたが、このかんのご報告をさせていただきます。

一審の途中の昨年1月早々、1996年、日本相撲協会から東京地検特捜部に刑事告訴(不起訴で終結)されて以来、対アルゼ3億円民事訴訟など東京での鹿砦社の裁判闘争を支えていただき、本件で鹿砦社と森さんの代理人を務めていただいていた内藤隆弁護士が急逝され、急遽同じ事務所の兄弁たる清井礼司弁護士に受任いただきました。金良平の代理人・神原弁護士は自称左翼、世間でも左翼とされていますが、これは大間違いで、左翼でも何でもありません。著書の版元からも想像がつくように親日本共産党で、左翼の世界で修正主義とかスターリン主義という言葉がありますが、まさに正鵠を射ています。内藤弁護士も清井弁護士も、俗に言う新左翼系(神原弁護士言うところの「極左」)の、バリバリの革命的左派といっていい弁護士ですが、修正主義やスターリン主義とは別世界の住人です。両弁護士とも戦闘的労働運動の拠点・動労千葉弁護団の一員です。

いささか話が逸れましたが、昨年7月14日に一審判決で賠償金11万円とX削除を下し直ちに東京高裁に控訴、この判決が年末12月24日に下されました。私たちの控訴を棄却、一審判決維持でした。

ご報告が遅れたのは、特段意味がなく、年末から年初にかけて非常に慌ただしかったという単純な理由からです。いつもなら「正義は勝つ!」だのバカ騒ぎする神原弁護士や金良平が、ひたすら沈黙しているのも不思議です。どこか後ろめたいところがあるからでしょう。

■本件判決で感じたこと

現在、私たちは上告理由書の作成に勤しんでいます。詳しい内容は、これの完成→提出を待ってご報告させていただきます。

ここでは私が感じたことを申し述べさせていただきたいと思います。

清井先生も仰っていましたが、金良平が在日であることからか、裁判所の対応や判決は「過保護」な印象が拭えません。これは李信恵らとの訴訟合戦でも感じたことです。在日であることから、彼らの傍若無人に、まるでおどろおどろしく対処している感がありました。何がそんなに怖いのか!? むしろ被害者のМ君のほうが悪いかのような裁判官の態度には驚きました。私の対アルゼ訴訟終結以来久しぶりの本格的な訴訟合戦に関わることになりましたが、率直のところ、そう感じました。誤解を恐れず言えば、裁判所には、金良平や李信恵ら不良在日に対して過保護はやめて公正な審理を求めたいと思います。リンチの被害者が、望んだ学究の道を断念し、いまだに暴力のPTSDに苛まれているのに、一方では「反差別」「人権」などの美名のもとに講演で荒稼ぎ、弁護士会や行政などもそれに手を貸すなど、世の中狂っています。

また、神原弁護士は、私たちが心血注いで出版した6冊のリンチ関連書を「ミニコミ誌に近いローカル雑誌であり、読者はほとんどいないから、極めて少数」(控訴答弁書)と宣わっています。「ミニコミ誌」とは、発行数100部から、せいぜい500部程度で、せいぜい仲間内で配布するか、ほんの一部の書店に置くもので、雑誌コード(あるいは書籍コード)を付けて取次会社を通し全国の書店で販売を試みた、『紙の爆弾』の増刊号の6冊のムック本は、普通に見ても「ミニコミ誌」ではありません。言うに事欠いて失礼な物言いです。

この神原弁護士の言を真に受けて東京高裁は、「上記書籍が広く読まれていると認めるに足りる証拠はなく~」(判決文)と記載しています。

準備書面でも書き記しましたが、これら6冊の本の発行部数は、
【1】 第一弾『ヘイトと暴力の連鎖』    初版11,200部 増刷1,000部
【2】 第二弾『反差別と暴力の正体』    12,300部
【3】 第三弾『人権と暴力の深層』     11,900部
【4】 第四弾『カウンターと暴力の病理』   3,500部(CD付きにつき費用が嵩んだのと限定版にしたため、他の本よりも部数を少なくした)
【5】 第五弾『真実と暴力の隠蔽』     10,500部
【6】 第六弾『暴力・暴言型社会運動の終焉』 8,500部

と、出版不況の中にあって健闘していると自認しています。私もすっかり忘れていましたが、第一弾の『ヘイトと暴力の連鎖』は、1000部ですが増刷しています。売れていなければ増刷する必要はないわけですから。これだけの部数の「ミニコミ誌」はまずないでしょう。

リンチ被害者М君の心情に寄り添い、地を這う取材を元に編纂、出版したリンチ関連本。【第一弾】鹿砦社特別取材班編著『ヘイトと暴力の連鎖 反原連‐SEALDs-しばき隊-カウンター』/【第二弾】同『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』/【第三弾】同『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』/【第四弾】同『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』/【第五弾】同『暴力・暴言型社会運動の終焉 検証 カウンター大学院生リンチ事件』/【第六弾】同『真実の暴力の隠蔽 カウンター大学院生リンチ事件の闇を解明する!』

繰り返しになりますが、裁判所は、いつまでも<死んだ教条>にこだわらず<生きた現実>を見るべきでしょう。肝心なのは、過去の判例なる<死んだ教条>にこだわり、凶暴な狂犬を過保護して、人の命や危害が及ぶことを蔑ろにする態度を改めるべきではないでしょうか。森さんが重度障碍者の夫を持ち、介護に精一杯で、ほぼ無防備状態です。

森さんは、SNSでの言では“鉄の女”のイメージがありますが、実際は、結婚直後に重度の障害を負った夫を一人で守っているやさしい女性で、裁判所は、凶暴な狂犬を過保護するのではなく、むしろ森夫妻を狂犬から守ることを優先すべきではないでしょうか。

そして、原告・金良平は、大阪から関東に居を移しましたが、住所を明らかにせず(神原弁護士の所在地を「住所」としています)、職業も単に「会社員」とするだけで具体的に詳らかにせず、昼間からSNSに興じています。以前彼が書いた住所が、行ってみたら駐車場だったことがありますが、ここでも裁判所は「過保護」で許容しています。森さんにしてみたら、これほどの恐怖はありません。大阪から関東に移動し、どこに住んでいるかわからない凶暴な男が、いつ何時襲ってくるか、日々戦々恐々です。裁判所も、森夫妻の日常の情況を顧みよ!

■現代の黒百人組=しばき隊の暴力が社会問題化する中、金良平らが起こした集団リンチ事件を想起し、本件訴訟にご理解、ご支援を!

2014年師走に起きた集団リンチ事件を、姑息な隠蔽工作に耐え、事件後1年余りして私たちの元に駆け込んできて以来、裁判所、弁護士ら法曹関係者、マスメディア、「知識人」らによる、“見ざる、言わざる、聞かざる”状態に抗して、私たちは孤立無援に近い中、リンチ事件(と、この加害者、幇助者)追及、被害者支援に関わってまいりました。こうした中、山口正紀さん(元読売新聞記者。故人)や黒薮哲哉さん(ジャーナリスト)、尾﨑美代子さん(『日本の冤罪』著者)、そして森奈津子さんらが、被害者M君と私たちの必死の主張や活動に理解を示され、ご自身の意見を明らかにされました。

特に、山口正紀さんは、当初は信じられないといった態度でしたが、私たちがまとめた本を真剣に読まれ、すぐに理解され、裁判所に意見書(『暴力・暴言型社会運動の終焉』に所収。ぜひご一読いただきたい秀逸なものです)を書いてくださったり、末期がんで差し迫った死期をおして準備書面の校閲などもしていただきました。かつて、「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧事件でも、公判や判決ごとに、わざわざ身銭を切って来阪され、その的確なレポートを『週刊金曜日』(このころは北村肇さんが発行人としておられ、まだまともでした。今はしばき隊の広報誌のような雑誌になった感があります)に寄稿されました。

その後、北村さんは亡くなられましたが、北村さん、山口さん、それに内藤弁護士、「名誉毀損」出版弾圧事件の主任弁護人・中道武美弁護士など、鹿砦社の出版活動を理解し支えてくださった方々が相次いで亡くなられ、私たちにとって大きな痛手です。

昨今、「しばき隊」の名が表立って出てきました。金良平も、堂々とカウンター活動の現場に登場し虚勢を張っています。こういう徒輩が跳梁するのは言語道断ですし、まっとうな社会運動と誤認されたりすることは遺憾としか言いようがありません。これに手を貸すマスメディアや「知識人」らも少しは反省していただきたい。名の有る「知識人」やジャーナリストらが、私たちの問いかけや質問状などに、逃げたり無視したり沈黙したりしました。答えてくれたのはほんの一部で、それも形ばかりのものであったり、きちんと答えてくれたのはほんのわずかでした。「知識人」やジャーナリストといわれる人たちの真の姿を見たような気がしました。こういう時に真正面からぶつかるのが真の知識人でありジャーナリストではないでしょうか!?

カウンター活動の現場に顔を出し凄む金良平

いい機会ですから、金良平や李信恵らが犯した「カウンター大学院生リンチ事件」(別称しばき隊リンチ事件)を想起し、この反社会性、犯罪性を社会的に明らかにしなくてはなりません。

私たちが出版し世に問うたリンチ関連本をご一読いただければ、本件原告・金良平や、リンチに連座した李信恵ら加害者らの犯罪性、彼らに対する裁判所の過保護も理解できるでしょう。裁判所を「ファシズムの出先機関」と喝破したのはL・トロツキーだったと記憶しますが、まさに言い得て妙、本来の姿に立ち返っていただきたいものです。

とりいそぎ、対金良平訴訟控訴審のご報告にて。(文中、一部を除き敬称略)

藤本和貴夫氏の逝去に革命の意味を研鑽していた青春を想起する

鹿砦社代表 松岡利康

ロシア史専攻の藤本和貴夫さんの訃報が伝えられました。

藤本和貴夫氏の逝去を報じる朝日新聞2026年2月3日夕刊

藤本さんと出会ったのは学生時代でした。

当時の鹿砦社が出版した『赤軍の形成』に掲載されていた「赤衛隊から赤軍へ」という長い解説文を読んで講演に招いたことがきっかけとなりました。学生時代から当時の鹿砦社の本を読んでいましたが(一番感激したのは学費値上げ阻止闘争で逮捕され勾留された京都拘置所で読んだ『左翼エス・エル戦闘史』でした)、まさか、その私が鹿砦社の経営を引き継ぐとは思ってもいませんでした。早々、鹿砦社を紹介してくれたのも藤本さんでしたし、取次会社との契約更改の保証人にも就いていただきました。

卒業後も付き合いは続き、連続講座をやってもらったこともありました(画像参照)。

[右]かつて行った連続講座の案内(旧『季節』4号掲載、1980年11月10日発行。まだ20代でした)/[左]『季節』4号表紙。藤本氏のみならず、湯浅赳夫氏ら懐かしい名が。榎原均氏、さらぎ徳二氏も寄稿されてました。特集は「社会主義と民族問題」、今読んでも考えさせられます。学究畑の方も、名だたる党派の幹部も、混然と寄稿されているところに、この雑誌の特徴があります。この号はすこぶる好評で品切れです。時々、当時の『季節』を読んだという方に遭遇し、それだけで打ち解けます。

当時はまだロシア革命への幻想があって、この問い直しを試み、そして革命の意味を探究するということでした。反(非)日共系は、スターリン主義に反対しレーニン主義を問い直し、トロツキーから左翼エスエル、クロンシュタット叛乱、マフノ……などを読み込んだものでした。第一期トロツキー選集は全巻揃えたものですが、誰かに貸したままです。「ロシア革命の栄光であり誇り」といわれたクロンシュタットや左翼エスエルを弾圧したのが、軍を掌握したトロツキーという歴史の皮肉、今でもロシア革命が歪曲されたのは、ここのところだと思っています。私も、クロンシュタットについての論文を翻訳し掲載しています。

それにしても、私よりも上の世代、同世代、ちょっと下の世代がどんどん亡くなっています。中道武美、内藤隆両弁護士など、鹿砦社の裁判闘争を長年支えていただきました。

やり残しているものは何か?

焦りに苛まれます。

(松岡利康)

《表紙》『原子力明るい未来のエネルギー』 紆余曲折を経て 今は文字盤だけが倉庫に眠る(絵=鈴木邦弘)

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《2月のことば》信念を貫く 不動 まっすぐ進むだけ

鹿砦社代表 松岡利康

《2月のことば》信念を貫く 不動 まっすぐ進むだけ(鹿砦社カレンダー2026より。龍一郎揮毫)

2月になりました。本年も年が明けたと思っ たら、あっというまに1カ月が過ぎてしまいました。「1月は去ぬ(いぬ)、2月は逃げる、3月は去る」といいますので、2月、3月も、過ぎるのは速いのでしょうか。

さて、どなたでもそうでしょうが、私にも毎月凛と背筋を伸ばす日があります。1月だったら〈1・17〉、3月だったら〈3・11〉です。

これらに加え私個人にとっては、2月だったら〈2・1〉であり、7月だったら〈7・12〉です。この欄を従前からお読みになっている方ならこれらの日の意味はおわかりでしょう。

ところで、この書を揮毫してくれた書家・龍一郎は、まさに不動の人であり、若き日に彼が偶然に(いや、運命的に)遭遇した「ゲルニカ事件」の精神をずっと持続しています。いや、それ以前の学生時代からの志を。

先に挙げた〈2・1〉は、私にとっての〈原点〉でもあり、過ぐる半世紀余り前の2月1日、学費値上げを断固阻止するという意志を最後まで貫徹すべき行動で示そうと多くの学友と共に闘い抜き逮捕された日でした(ここでは詳しくは省きます。関心のある方はこの欄の過去記事をご覧ください)。若かったな。

龍一郎が今でも「ゲルニカ事件」の精神を不動のものとして持続しているように、私も〈2・1〉の精神を不動のものとして持続しているかと問われれば、正直わかりませんが、時に母校を訪れ、私たちが屋上に拙い砦をこしらえ立て籠った建物を見上げると感傷的になり涙が出てくると共に、あの時の志を忘れてはいかんと自らを叱咤いたします。

不動の男・龍一郎は、昔から抱えている糖尿病、一時は生死を彷徨った大動脈解離に加え、今度は肺ガン……このかん幟を揮毫している極真会館中村道場・中村誠総帥はじめ多くの方々から激励と闘病費用カンパが寄せられています。

今後共応援よろしくお願いいたします。頑張れ、龍一郎! 闘争勝利!

《表紙》『原子力明るい未来のエネルギー』 紆余曲折を経て 今は文字盤だけが倉庫に眠る(絵=鈴木邦弘)

鹿砦社 https://www.rokusaisha.com/

《ご報告とご支援のお願い》がんで闘病中の書家・龍一郎を支援しよう!

鹿砦社代表 松岡利康

すでに報告していますが、私の大学の後輩で書家の龍一郎が肺がんで闘病中です。昨年夏には、うだるような猛暑の中、左肺の半分を取る手術をし、現在、抗がん治療で入退院を繰り返しています。

龍一郎は、東日本大震災以降、毎年魂を込めた鹿砦社カレンダーを揮毫し、被災者・被災地と共に生きる決意を込めた言葉を贈り続けてきました。また鹿砦社言論・出版弾圧10周年、20周年の集いなど、ことあるごとに参加者を鼓舞するような垂れ幕を揮毫してくれました。

本年のカレンダーをご覧になった方からは、肺がんで手術、闘病中であることを知り、ご支援のカンパを寄せられています。龍一郎は、数年前に大動脈解離で生死を彷徨う大病を潜り抜け、そして今度は肺がん……。

ご存知の方もおありかと察しますが、龍一郎は、かつて空手界の巨人・大山倍達師範存命中、無差別級で2回連続して世界チャンピンになった、空手界のレジェンド・中村誠総帥が主宰される極真会館中村道場のシンボルロゴ(誠)を揮毫しています。大会ごとに下げられ、会員証にも使われています。

昨年末に、その中村誠総帥から自らの手形と激励の言葉を書いた色紙を贈られ激励されました。ちなみに、まったく偶然ですが、龍一郎も中村総帥も1952年生まれです。

私たちも龍一郎を応援し、また再び力強い書を揮毫いただきましょう! 

ご支援カンパは、下記にお願いいたします。その際、振替用紙の空いたスペースに一行でも二行でも激励の言葉を書き添えてください。よろしくお願いいたします。

振込先:01760-0-130407  口座名:井上龍一郎

〈1.17〉に想う ──

鹿砦社代表 松岡利康

一年に何度か厳かな気持ちになる日がある──〈1.17〉もそんな日です。1995年1月17日の阪神・淡路大震災から31年になります。月日の経つのは本当に速いものです。

当日私は兵庫県西宮市の自宅にいました。ダンプがマンションにぶつかったような衝撃で目を覚ましました。31年経った今でも思い出します。当日被災地にいた人ならみなそうでしょう。

この震災について、語ろうと思えば語り尽くせないですが、いまだに怪訝に思うことがあります。

【1】阪神・淡路大震災の被災地は神戸だけではない

さすがに関西の方は、この震災が神戸だけが被災地ではなく、芦屋、宝塚、西宮など広い範囲に渡っていることは知っていますが、関西以外の方は、神戸という狭い地域に起きたものだと思われているようです。東京で聞いても郷里の熊本で聞いてもそうでした。

震災直後に神戸市内の小学校に勤める先生が作り、今でも広く歌われている『しあわせ運べるように』という歌がありますが、この歌詞に「傷ついた神戸を~」「生まれ変わる神戸のまちに~」というフレーズがあります。1.17にはこの歌がマスメディアを通じて流れますが、こうしたことも、震災=神戸のイメージを強くしているようです。

ところで、阪神・淡路大震災の総死者数は6434人とされます。確かに、このうち神戸市は4564人で7割を占め、圧倒的に多いです。しかし、神戸市以外でも、100人以上の死者があるのが、西宮市1126人、芦屋市443人、宝塚市117人です。私の故郷・熊本地震の死者数は276人なので、西宮の被害がいかに大きいかが判るでしょう。

また、神戸市内で1000名以上の死者を出しているのは1469人の東灘区だけです。神戸市は範囲が広いので、それだけ多くの方が亡くなられたのは不思議ではありませんが、西宮と、これに隣接する芦屋と宝塚を合計すると1700名ほどになります。さらに、100名以下でも尼崎、伊丹、川西なども各々数十人の死者を出しています。「傷ついた」、「生まれ変わる」のは、決して神戸だけではありません。

特に私が住む西宮市は、関西以外の方には、宝塚、芦屋、また尼崎、伊丹ほどの知名度はないようで、西宮で1100人余りの方が亡くなられたことを言うとみなさん異口同音に驚かれます。甲子園球場は西宮に在りますが、これも関西以外の方は大阪にあるものと思われています。そんな地味な町=西宮市で、1000名以上の死者を出しているのを知っている方がどれほどおられるでしょうか?

【2】阪神・淡路大震災公式エイド・ソングは何か知ってますか?

先に挙げた『しあわせ運べるように』が阪神・淡路大震災の公式エイド・ソングのように、毎年今の時期になると歌われます。

しかし、公式エイド・ソングといえるのは『心の糸』という歌で、ビクター、ポリドール、東芝EMI、ソニー・ミュージックという大手レコード会社の共同企画として、香西かおり、伍代夏子、坂本冬美、長山洋子、藤あや子という当時新進気鋭の女性歌手5人が歌っています。普通だったら、これで流行らないわけがないのでしょうが、レコード会社も芸能マスコミなどもさほど力を入れていなかったようで、全くといっていいほど流行りませんでした。

聴けば、耳障りの良い曲ですが、この30年余りの間に私がテレビで観たのは10回もありません。しかし、実は私もつい最近まで知らなかったのですが、日本レコード大賞特別賞を受賞しているのです。これも私が知る限り全く報じられませんでした。

当時私は事務所で毎日流していましたが、不遇な運命の曲と言わざるをえません。

「♪ そして陽が昇り 朝の幕があく
昨日までの悲しみ 洗い流すように
覚えてて あなた 私がここにいることを
忘れないで あなた 歩いた道のほとり
心の糸を たどりながら
過ぎし日を重ねてみたい
心の糸を 手さぐりながら
夢の続き 捜していたい
時を巻き戻すことが出来たなら
涙なんかみせずに生きてこれたけれど
ありふれた日々を送れることのしあわせを
まぶた閉じてひとり 今更ながら思う
心の糸をほどかないで
この街を捨てて行けない
心の糸を 結び直して
うつむかずに歩いて行くわ
心の糸をほどかないで
この街を捨てて行けない
心の糸を結び直して
うつむかずに歩いて行くわ」

最後に──

「地震(じしん)で自信(じしん)が付いた」などとほざいて顰蹙を買いましたが、私たちはあれだけの大震災を生き抜きました。その後もいろいろな困難にぶつかりましたが、そのたびに震災を生き抜いたことを想起し「あれだけの大震災を生き抜いたので、どのような困難も生き抜ける」と自らに言い聞かせ頑張ってこれました。そして今があるわけですが、震災後、地元で定点観測し歴史の証人になるという想いで、それなりに出版物も出しました。しっかり「定点観測」を続け「歴史の証人」になったか心許ないですが、以下列挙しておきます。品切れのものもありますが、在庫があるものもありますので、ご希望の方は本社までお問い合わせください。

鹿砦社の原発・震災関連書籍

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