四半世紀で中央紙は1000万部減、東京新聞25紙分の部数が消えた、急増する新聞を読まない人々、電車の車両内で調査 黒薮哲哉

新聞崩壊が急速に進んでいる。1995年から2021年8月までの中央紙の発行部数(新聞販売店へ搬入された部数)の変化を調べたところ、この約26年のあいだに1000万部ほど新聞の部数が減ったことが分かった。これは発行部数が約40万部の東京新聞が25紙分消えたに等しい。中央紙は、坂を転げ落ちるよう衰退している。

特に2015年ごろから、発行部数は激減している。かつて「読売1000万部」、「朝日800万部」などと言われていたが、今年8月の時点で、朝日新聞は約460万部、読売新聞は約700万部に落ち込んでいる。毎日新聞と日経新聞は、200万部を切り、産経新聞はまもなく100万部のラインを割り込む可能性が濃厚になっている。次に示すのは、中央紙の5年ごとの部数(日本ABC協会が発表する新聞の公称部数)と、2021年8月の部数である。

1995年からの中央紙の部数

※5年ごとのデータは、各年度の1月~6月の販売店へ搬入された部数の平均。2021年8月のデータは、平均ではなくこの月のABC部数。

この1年間に限っていえば、朝日新聞と読売新聞も約5万部を減らしている。毎日新聞は約10万部を、日経新聞は約21万部を、産経新聞は約15万部をそれぞれ減らした。この速度で新聞離れが進めば、新聞社経営は、さらに多角化を進めない限り破綻する。

少しでも経営を好転させるために、新聞人らは文部科学省と連携して、NIE(学校の学習教材に新聞を使う運動)を進めている。2020年度から実施されている小・中・高等学校の学習指導要領には、新聞の使用が明記されている。

しかし、新聞記事そのものがインターネットで配信されており、あえて「紙」にする理由に説得性はない。新聞社と文部科学省との癒着関係が、教育内容を歪めたり、新聞を世論誘導の道具に変質させかねないという批判も出ている。

◆電車の車両内で「新聞を読む人」はゼロ

10月21日付けの『ディリー新潮』は、『新聞「紙」が消え「地上波テレビ」凋落の韓国最新メディア事情 ソウル打令』と題する記事を掲載した。それによると、韓国では、日本よりもメディアの電子化が進んでいて、新聞を売っているコンビニが激減しているという。記事は、「それはコンビニの問題ではなく、韓国人が紙の新聞を読まなくなっているから」だと結論づけている。

2021年10月22日、わたしは電車の車両内で新聞を広げている乗客がどの程度いるのかを調査してみた。車両内で新聞を読むのは、「昭和」・「平成」の光景だった。日経新聞を購読するのが、ビジネスマンの常識のように思われていた。

わたしが調査に選んだ鉄道は、自宅沿線の東武池袋線である。乗り込んだ電車は、成増駅を13時28分に出発する池袋駅ゆきの準急電車である。池袋駅まで途中に10駅あるが、準急電車は直通で、途中停車がない。従って成増駅を出発した時点で、池袋駅まで乗客数に変化がない。所要時間は10分。調査の条件が揃っている。

わたしは10両ある車両の最後部から先頭車両までを歩き、新聞を読んでいる乗客の人数を確認した。

結論を言えば、新聞を読んでいるひとは1人もいなかった。夕刊紙を読んでいる人もいなかった。本を読んでいるひとが数人いた。多くの人がスマホと向き合っていた。それでなければ、ぼんやりしていた。

次の写真は、2号車から通路の扉を通して撮影した1号車内の光景である。新聞を読んでいる人はひとりも写っていない。

車両内の様子。新聞を広げているひとはいなかった

復路でも同じ実験をしたが、新聞を読んでいる人はひとりもいなかった。成増駅で調査は終了した。緊張が解けたうえに、調査結果に衝撃を受けたこともあって、思考にふけり、下車予定だった駅を乗り過ごしてしまった。次の駅で下車して引き返した。その車中で、とうとう新聞を読んでいる人を発見した。

優先席に座った老婦人が、腕を前に延ばして新聞を広げていた。近づいて、興味津々に紙面を覗き込んでみると、『公明新聞』の文字が視界に飛び込んできた。

わたしは苦笑しながら、電車を降りた。

◆読売「押し紙」裁判に登場し続ける喜田村洋一弁護士

しかし、新聞社経営の行き詰まりは、ABC部数の激減が暗示するよりもはるかに深刻だ。と、言うのもABC部数の中には、大量の「押し紙」、あるいは「積み紙」が含まれているからだ。従ってABC部数も正確には新聞没落の実態を反映していない。実態ははるかに深刻なのだ。

「押し紙」というのは、端的に言えば、新聞社が販売店に対して課しているノルマ部数のことだ。たとえば新聞の購読者が2000人の販売店は、2000部と若干の予備紙(従来は搬入部数の2%とされた) があれば経営できる。ところが新聞社がかりに3000部を搬入すれば、約1000部が過剰になる。この過剰部数が「押し紙」である。

これに対して「積み紙」というのは、販売店が部数を多く見せかけて、折込み広告水増しなどをするために、みずから注文した新聞のことである。

「押し紙」と「積み紙」を総称して残紙と呼ぶ。

新聞販売店が新聞社に対して「押し紙」による損害賠償を求める裁判は、「押し紙」裁判と呼ばれる。「押し紙」裁判では、残紙の中身が「押し紙」か「積み紙」かが争点になる。

このところ「押し紙」裁判が多発している。特に読売新聞は、現在、東京本社、大阪本社、西部本社が「押し紙」裁判の被告として、法廷に立たされている。このうち西部本社を被告とする裁判では、次のような残紙の実態が明らかになっている。ひとつの例として、2015年度の実態を紹介しよう。

YC早岐中央(長崎県佐世保市)の部数内訳。「プラス2%」とは、予備部数が配達部数の2%の意味。配達部数+2%の予備紙が、販売店経営に真に必要な部数

読売新聞社の東京本社と西部本社を被告とする裁判では、読売新聞の代理人として、日本を代表する人権擁護団体・自由人権協会の喜田村洋一・代表理事が登場している。喜田村弁護士は、読売新聞社には1部も「押し紙」は存在しないと主張している。喜田村弁護士は、約20年前から読売新聞の「押し紙」

裁判にたびたび登場して、「押し紙」は存在しないと繰り返してきた。

しかし、残紙の中身が「押し紙」であろうと、「積み紙」であろうと、過剰な部数の新聞が販売店に搬入されていることは紛れもない事実である。当然、広告主に損害を与えている可能性も検証する必要がある。広告主の中には、広報紙の新聞折り込みを発注している地方自治体も含まれている。大阪府、滋賀県、東京都、埼玉県、千葉県などである。

◆残紙率およそ70%、毎日新聞・蛍が池販売所

毎日新聞の「押し紙」裁判では、わたしが把握している限り、残紙率が70%を超えるケースが過去に2件ある。このうち次に示すのは、大阪府豊中市の毎日新聞・蛍が池販売所の部数内訳である。

毎日新聞蛍が丘販売所(大阪府豊中市)の部数内訳。「プラス2%」とは、予備部数が配達部数の2%の意味。配達部数+2%の予備紙が、販売店経営に真に必要な部数

生前、元店主は残紙と一緒に折込広告を廃棄していたことに自責の念を感じていたようだ。それが新聞社のビジネスモデルだとも話していた。

産経新聞も朝日新聞も過去に「押し紙」裁判で、法廷に立たされている。

◆権力構造の歯車

新聞没落の背景には、インターネットの普及だけではなく、残紙問題や文部科学省との癒着に象徴されるジャーナリズムの信用失墜もあるのではないか。公正取引委員会が「押し紙」を独禁法違反で取り締まらないのも、新聞社が権力構造の歯車に、「広報部」として組み込まれているからである。少なくとも、わたしはそんなふうに考えている。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
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10月21日(木)フジテレビ『奇跡体験! アンビリバボー』で冤罪「築地市場国賠事件」を取り上げる! 林 克明

ふだんテレビをほとんど観ない私だが、たまには強くお薦めしたい番組がある。たとえば10月21日(木)20:00~21:54に放映予定のフジテレビ『奇跡体験!アンビリバボー』だ。

スペシャル版でいくつかのテーマが取り上げられるが、そのひとつが「築地市場国賠事件」である。

2007年10月、新宿区内ですし店を経営する二本松進氏(当時59歳)が築地市場で仕入れを終えて帰ろうとしたときに築地警察書の警察官に絡まれた挙句、公務執行妨害罪で現行犯逮捕されてしまった事件を同番組で取り上げる。

 
林克明『不当逮捕 築地警察交通取締りの罠』(同時代社刊)

二本松氏が築地市場内で買い物中、妻が乗用車に乗ったまま路上で待っていた。当時の築地市場周辺の道路は、仕入れの車が並列駐車するのは当たり前で、そうしなければ仕入れ作業が成り立たないために暗黙の了解で駐停車が認められていた。

仕入れを終えて車に戻った二本松氏が乗車しやすいように、妻がエンジンをかけてハンドルを右に切って動き出そうとした瞬間、警察官が車の前に仁王立ちになり、「法定(駐車)禁止エリアだ」とひとこと言った。

これをきっかけに、警察官と言い争いになり、警察官は「暴行、暴行、暴行を受けています」と緊急通報。まもなく警察車両が複数現場に到着し、二本松氏を後ろ手にして手錠をはめ、公務執行妨害の現行犯として逮捕してしまったのである。

交通違反(偽装だが)を巡る言い争いなのだから、連れていかれるとしても本来は交通課のはずだが、連行された先は組織犯罪を扱う部署だった。ここで19日間勾留され、不起訴になった。不起訴といっても「起訴猶予処分」であり、前歴がつく。

納得しなかった二本松夫妻は国賠訴訟を起こし、東京高裁の勝利判決(確定判決)まで、事件発生から9年1か月を要したた。その一部始終を描いたのが拙著『不当逮捕 築地警察交通取締りの罠』(同時代社刊)である。

警察相手の国賠訴訟で勝利した稀な事例といえよう。

◆NHK『逆転人生』やテレビ東京『0.1%の奇跡!逆転無罪ミステリー』でも放映

実は、過去にもこの事件はテレビ番組でいくつか取り上げられた。通常、政治問題や社会問題がテレビで放映されるときに私が危惧することがある。ひとつは、オリジナルの記事や書籍が権力を批判する内容だった場合、かなり薄められる恐れがあること。二つ目には、膨大な視聴者のために「面白おかし過ぎる」構成になること。三つ目には、分かりやすさを追求するあまり、話を単純化して詳細な事実関係がうやむやになること。

もちろん、面白くて興味深く分かりやすい番組にするのは大切だとはいえ、以上の三つを心配していた。結果、この「NHK逆転人生」は、きわめて正確だったので驚いた。しかも、かなり細かく複雑な話を分かりやすい流れにし、見ていて面白かった。

翌2020年3月に放映されたテレビ東京『0.1%の奇跡!逆転無罪ミステリー』は、前者よりエンターテイメント性は高かったが、これまた実態からずれるような内容ではなく、もちろん正確であった。このような経過があるため、10月21日(木)20時から放送予定のフジテレビ『奇跡体験! アンビリバボー』にも、かすかな期待を寄せているのだ。

◆なぜ3回もテレビに取り上げられるのか

交通取締りをめぐって車の所有者が逮捕された、言ってみれば歴史上の冤罪事件にくらべれば「地味」な事件が、なぜ3度もテレビ番組の題材になるのだろうか。

まず、二本松夫妻が国賠訴訟で完全勝利していることがあげられる。判決内容では、警察官の証言はまったく認められなかった。言い換えれば、警察官の証言もその供述調書も嘘だといわんばかりの明解な認定だったのである。また、殺人事件や強盗事件など重罪だと制作側も被害者も視聴者にも「重く」のしかかる。それにくらべ交通違反(駐車禁止)にまつわる事件だから、第三者にとっては気が楽(被害者にはとっては重大)だということもある。また、ドライバーや車の所有者にとって「明日は我が身」という身近な点も重要だろう。

さらに重要なのは、この事件は「起訴猶予」という実質有罪処分を受けた冤罪被害者が国賠訴訟で勝利した戦後初の事件の可能性があることだ。ふつうは起訴か不起訴に二分される。しかし不起訴といっても、「嫌疑なし」,「嫌疑不十分」,「起訴猶予」の3種類に分類されている。二本松氏は「起訴猶予」処分だった。

「起訴猶予」とは、有罪の証明が可能でも,被疑者の境遇や犯罪の軽重などを鑑みて検察官の裁量によって不起訴とするもの。ひらたく言えば「有罪だけど、立件して裁判所にもっていうほどでもない」ということである。起訴はされなかったものの、検察段階の有罪処分にされた者が国賠訴訟に勝ったのだ。

では、明白に無罪判決が出た冤罪被害者が国賠訴訟を起こした場合はどうか。最近では今年8月27、「布川事件」の冤罪被害者・桜井昌司氏(74歳)が提起した国賠訴訟で東京高裁は原告勝利判決を下し、9月10日には確定した。

茨城県利根町布川(ふかわ)で1967年に起きた強盗殺人事件で桜井氏は無期懲役が確定し29年間収監され、再審の結果、2011年に無罪となった。2012年、その被害者たる桜井氏が冤罪の責任追及のため国と茨城県を訴えた。そのときから9年もたってようやっと国による賠償が認められたのである。

若い時に逮捕されて29年間も収監され、釈放から15年(逮捕から34年)も経った2011年に再審で無罪確定。その翌年に国賠訴訟を起こして9年。事件発生から実に54年間を擁して国家賠償が確定した。

無罪判決が確定した冤罪被害者の国賠訴訟がこのありさまだった。それに比べ二本松氏の場合、起訴猶予という実質有罪処分で国家賠償請求訴訟(訴訟提起から7年)に勝利したのはめずらしい。

そんなことを思い浮かべながら、10月21日(木)フジテレビ『奇跡体験! アンビリバボー』を観ていただければと思う。

▼林 克明(はやし まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

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東京23区を対象に新聞部数のノルマ制度を調査、際立つ毎日新聞の闇、全国では年間1400億円の「押し紙」資金が暗躍、汚点がメディアコントロールの温床に 黒薮哲哉

新聞部数のノルマ制度を東京23区を対象に調査した。その結果、「押し紙」政策の存在が裏付けられた。

調査は、各新聞社を単位として、各区ごとのABC部数(2016年~2020年の期間)をエクセルに入力し、ABC部数の変化を時系列に調べる内容だ。部数に1部の増減もなくABC部数が固定されている箇所は、新聞社が販売店に対してノルマを課した足跡である可能性が高い。

 
(上)人目を避けて、コンテナ型のトラックで「押し紙」を回収。(中)コンテナの内部。(下)紙の「墓場」

実例で調査方法を説明しよう。たとえば次に示すのは、東京都荒川区における2016年10月から、2018年4月までの朝日新聞のABC部数である。2年の期間があるにもかかわらず、1部の増減も観察できない。

2016年10月:8549部
2017年4月:8549部
2017年10月:8549部
2018年4月:8549部

グーグルマップによると、2021年10月の時点で荒川区にはASA(朝日新聞販売店)が4店ある。これら4店に対して、朝日新聞社が搬入した部数合計が、2年間に渡って1部の増減もなかったことが上記のデータから裏付けられる。つまり朝日新聞は、新聞購読者の増減とはかかわりなく同じ部数を搬入したのである。荒川区における朝日新聞の購読者数が、2年間、まったく増減しないことなど実際にはあり得ないが。

4店のうち、たとえ1店でも部数の増減があれば、上記のような数字にはならない。販売店サイドが2年間、自主的に同じ部数を注文し続けた可能性もあるが、たとえそうであっても、朝日新聞社サイドがその異常を認識できなかったはずがない。

このような部数のロックは、販売店に対して部数のノルマを課していた高い可能性を示唆している。新聞社が販売店に対して特定の部数を買い取らせる行為は、独禁法の新聞特殊指定で禁止されている。

◆調査方法の弱点について

なお、わたしが採用しているこの調査方法の弱点についても、言及しておこう。この調査は、ABC部数の公表単位である区・市・郡の部数を基礎データとして採用しているために、調査対象地区に店舗を構える販売店が多くなればなるほど、地区全体でのロック現象を確認できる確率が減ることだ。たとえば販売店が多い世田谷区などでは、ロック現象は確認できない。部数を減らすように新聞社と交渉して、減部数を勝ち取る販売店が存在する確率が高くなるからだ。

逆説的に言えば、地域全体としてはノルマの実態が浮上しなくても、差別的にノルマが課されている販売店が存在する可能性もあるのだ。

◆朝日、毎日でノルマ政策を顕著に確認

以上を前提として、調査結果を公表しよう。着色された箇所が、ロック部数とその期間を現わしている。また、赤文字の箇所は、100部単位で部数の増減を行われた不自然な箇所でる。どんぶり勘定で新聞の卸部数を決めている可能性もある。朝日、読売、毎日、産経、順番に表示する。

東京23区別の朝日新聞ABC部数の推移
東京23区別の読売新聞ABC部数の推移
東京23区別の毎日新聞ABC部数の推移
東京23区別の産経新聞ABC部数の推移

ちなみに大阪府堺市を対象とした同類の調査もある。大阪府の『府政だより』の水増し問題を取り上げた次の記事の後半で紹介している。東京都よりも顕著に、新聞社によるノルマ設定の実態を確認することができる。

◎[参考記事]「大阪府の広報紙『府政だより』、10万部を水増し、印刷は毎日新聞社系の高速オフセット、堺市で『押し紙』の調査」

◆「世論調査」なるものの欺まん

さて、「押し紙」の何が問題なのだろうか?これについて、わたしの考えを述べておこう。結論を先に言えば、それは新聞社による「押し紙」政策を公権力が把握していることである。把握したうえでそれを黙認し、新聞社経営を支える構図があることだ。このような配慮により、公権力は新聞社を権力構造の「広報機関」として歯車に組み込んでいる。

もちろんこの種の「アメとムチ」の構図は、「押し紙」問題だけに見られるものではない。他にも、新聞に対する軽減税率の適用、再販制度の維持、学校教育における新聞の使用(学習指導要領)、などの問題もある。

しかし、その中でも「押し紙」の放置は、中心的な問題なのである。と、いうのも「押し紙」を通じて想像を絶する規模の資金が動くからだ。

新聞1部の価格は、100円から150円ぐらいで、「高額」という印象はない。ところが全国の日刊紙の発行部数は、約3245万部(日本新聞協会の2020年度のデータ)にもなり、新聞1部に付き10円値上げするだけで、1日に約3億245万円の収入増となる。事業規模は想像以上に大きいのだ。
 
全国の「押し紙」の割合が20%と仮定したとき、649万部が「押し紙」という試算になる。新聞の仕入代金を1部60円で計算すると、全国の新聞社が得る1日の「押し紙」収入は、3億8940万である。ひと月(30日)に換算すると116億8200万円になる。年間では、1400億円を超えるのである。

念のための記しておくが、これは誇張を避けたシミュレーションである。

しかも、「押し紙」によるABC部数のかさあげにより、新聞社は紙面広告の媒体価値を引き上げる。販売店は折込広告の水増しをしている。従って、不正な金額は無限大に膨張する。公取委、警察、裁判所、通産省などはこの問題にメスを入れることもできるが、半世紀近く放置してきた。

その理由は単純で、新聞社の経営上の決定的な汚点を把握することで、暗黙のうちに報道内容に介入できるからだ。新聞人らは、自分が所属する企業を犠牲にしてまで、ジャーナリズムを守ることはしない。

わたしはマスコミが発表する「世論調査」なるものを全く信用していない。ジャーナリズムの土台の実態を知っているからだ。

◆客観的な事実の中に、新聞ジャーナリズムが腐敗した原因を探る

半世紀以上も前から、評論家たちは新聞批判を繰り返してきた。その論調の大半は、記者としての自覚が足りないからジャーナリズムが機能しないという批判だった。

【引用】たとえば、新聞記者が特ダネを求めて“夜討ち朝駆け”と繰り返せば、いやおうなしに家庭が犠牲になる。だが、むかしの新聞記者は、記者としての使命感に燃えて、その犠牲をかえりみなかった。いまの若い世代は、新聞記者であると同時に、よき社会人であり、よき家庭人であることを希望する。

この記述は、1967年、日本新聞協会が発行する『新聞研究』に掲載された「記者と取材」と題する記事から引用したものである。このような精神論の思考体系は今も変わっていない。従って、東京新聞の望月衣塑子記者のように有能な記者が次々に現れたら、ジャーナリズムは再生できるという論理体系になってしまう。

しかし、精神論ではなく客観的な経済上の事実の中に、新聞ジャーナリズムが機能しない原因を探らない限り、問題は解決しない。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
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大阪府の広報紙『府政だより』、10万部を水増し、印刷は毎日新聞社系の高速オフセット、堺市で「押し紙」の調査 黒薮哲哉

大阪府の広報紙『府政だより』が大幅に水増しされ、廃棄されていることが分かった。

わたしは、全国の地方自治体を対象に、新聞折り込みで配布される広報紙が水増しされ、一定の部数が配達されずに廃棄されている問題を調査してきた。

 
大阪府の広報紙『府政だより』

この記事では、情報公開請求で明らかになった大阪府の『府政だより』のケースを紹介しよう。悪質な事例のひとつである。

大阪府は、広報紙『府政だより』(月刊)を発行している。配布方法は、大阪府のウェブサイトによると、「新聞折り込み(朝日、毎日、読売、産経、日経)」のほか、「府内の市区町村をはじめ、公立図書館、府政情報センター、情報プラザ(府内10カ所)などに配備」している。さらに「民間施設にも配架」しているという。

このうちわたしは大阪府に対して、新聞折り込みに割り当てられた部数を示す資料を、過去10年にさかのぼって開示するように申し立てた。その結果、6年分が開示された。

データを解析した結果、『府政だより』の新聞折り込み部数が、大阪府における日刊紙の流通部数をはるかに超えていることが分かった。ここでいう流通部数とは、日本ABC協会が定期的に公表している新聞の発行部数のことである。新聞社が販売店に搬入する部数だ。

次の表に示すのが、ABC部数(朝日、毎日、読売、産経、日経)と『府政だより』の折込枚数の比較である。いずれの調査ポイントでも、『府政だより』の部数が、新聞の流通部数を大きく上回っている。

ABC部数(朝日、毎日、読売、産経、日経)と『府政だより』折込枚数の比較

上の表に示したように、2020年10月ごろには、少なくとも約10万部が水増しされている。

たとえ「押し紙」(新聞社が販売店に割り当てるノルマ部数で、残紙とも言う)が1部たりとも存在しなくても、『府政だより』が水増し状態になっている実態が判明した。「押し紙」が存在すれば、水増しの割合はさらに増える。

筆者が「水増枚数」として表で示した枚数は、「予備部数」に該当するという考え方もあるが、たとえそうであっても「予備部数」の割合がばらばらになっており、場当たり的に部数を決めたとしか思えない。

ちなみにこれらの部数には、販売店を通じてコンビニなどに卸される新聞部数も含まれている。これらの新聞に、『府政だより』は折り込まれない。従って新聞に折り込まれずに廃棄される『府政だより』の部数は、表で示した部数よりも多い。

◆堺市で5年にわたり新聞部数をロック

ABC部数に「押し紙」が含まれていれば、水増しの割合はさらに高くなる。そこでわたしは、大阪府に「押し紙」が存在するかどうかを調べることにした。

結論を先に言えば、全国のほとんどの新聞社が「押し紙」政策を採用している。ここ数年に限ってみても、読売新聞、毎日新聞、産経新聞で、元店主が「押し紙」による損害賠償を求める裁判を起こしている。

そこでわたしは、大阪府堺市をモデルとして、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞、日経新聞の「押し紙」の実態を検証した。堺市を選んだのは、堺市が大阪府の大都市であり、ここに「押し紙」が多いという話を聞いたことがあったからだ。

「押し紙」の量は、販売店の内部資料を入手しない限り把握することはできないが、新聞社が販売店に搬入する部数が、新聞購読者の増減とは無関係にロック(固定)されていれば、「押し紙」政策が敷かれていると考え得る。 

新聞は「日替わり商品」であり、在庫にする価値がないので、毎月、販売店からの注文部数が変化しなければ不自然だ。

次に示すのは、大阪府堺市における読売新聞のABC部数の変化である。着色した部分は、部数に変化がなく、部数がロックされていると解釈できる。

大阪府堺市における読売新聞ABC部数の推移

東区では、5年間に渡って読者の増減が1部もない。常識ではありえないことである。残紙となった新聞は、『府政だより』と一緒に廃棄された可能性が高い。

朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日経新聞についても、次に示すように同じようなロック状態が観察できる。

大阪府堺市における朝日新聞ABC部数の推移
大阪府堺市における毎日新聞ABC部数の推移
大阪府堺市における産経新聞ABC部数の推移
大阪府堺市における日本経済新聞ABC部数の推移

なお、堺市以外でも、同じような実態があちこちで確認できる。

◆「押し紙」のない熊本日日新聞

ちなみに次に示すのは、「押し紙」政策を導入していない熊本日日新聞の例である。ロックされている箇所は一ヶ所もない。正常な取り引きを反映した結果である。

熊本日日新聞は、「予備紙(残紙)」の割合を、搬入部数の1.5%とする販売政策を公表している。それゆえに取り引きが正常で、販売店主が部数の増減を決めることができる。

熊本市における熊本日日新聞ABC部数の推移

わたしは熊本県全域を調査したが、熊本市と同様に部数のロックは1件も発見できなかった。(この点に関しては、別に報告する機会があるかも知れない。)

◆ホープオフセット共同企業体

大阪府の『府政だより』の配布業務を請け負っている広告代理店は、年度により変わっている。最近は、福岡市に本社にあるホープオフセット共同企業体という団体が、『府政だより』の印刷と新聞販売店への配布を請け負っている。この共同企業体は、(株)ホープと毎日新聞社系の(株)高速オフセットで構成さている。

わたしが情報公開請求で入手した資料に、(株)ホープの連絡先が記されていたので、電話で事情を聞いた。次のような説明だった。

「弊社が広告販売を担当させていただき、高速オフセットさんが印刷を担当されています」

次に高速オフセットに事情を聞いた。しかし、応対した社員は、

「契約事項なのでお答えできません」

と、言って乱暴に電話を切った。

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読売新聞記者による「週刊誌女性記者への取材情報漏えい」は本当に悪いことなのか? 片岡 健

8月27日、読売新聞の男性記者(32)の不祥事が各メディアで一斉に報道された。報道を総合すると、男性記者は司法記者クラブに所属していた昨年8、9月、取材で得た情報を週刊誌の女性記者に漏えいし、不適切な関係を迫っていたという。読売新聞は、この男性記者について「厳正に処分する」とコメントしたそうだ。

しかし、本当にこの男性記者は悪いことをしたのだろうか?

◆検事総長秘書官のセクハラ疑惑は闇に葬り去られたほうが良かったのか?

まず、大前提として踏まえる必要があるのは、記者クラブに所属する新聞記者が取材で得た情報を週刊誌の記者に提供するというのは、日常的に行われているということだ。週刊誌の事件記事では、よく「社会部記者」とか「司法担当記者」などという肩書の人物がコメントしているが、あれがそうである。

これを「取材情報の漏えい」と表現すれば、いかにも悪いことであるような印象だ。しかし、記者クラブに所属する新聞記者がその特権的地位により得た情報について、記者クラブ非加盟のメディアに提供することが「悪いこと」と言い切れるだろうか? 

これを「悪いこと」と言い切れるとすれば、新聞記者が記者クラブに所属しているがゆえに知り得た公的機関の不祥事について、何らかのしがらみにより自社で報道できなかった場合、週刊誌などの記者クラブ非加盟メディアに報道させることも「悪いこと」になってしまう。それは明らかにおかしいだろう。

実際、今回の読売新聞の男性記者の場合、週刊誌の女性記者に漏えいしたのは、検事総長秘書官のセクハラ疑惑に関する取材情報だそうだ。そしてこの検事総長秘書官のセクハラ疑惑は、読売新聞では報じられず、男性記者が情報を漏えいした女性記者の週刊誌で報じられたという。

検事総長秘書官という公的機関の重要ポストについている人物のセクハラ疑惑は、闇に葬り去られても良い情報とは思い難い。それを週刊誌に報じさせ、明るみに出した読売新聞の男性記者の取材情報漏えい行為は公益にかなっていると言える。

 

◆男性記者が下心から情報を漏えいさせたような報道もあるが……

一方、今回の読売新聞の男性記者については、取材情報を漏えいした週刊誌の女性記者に不適切な関係を迫っていたとか、「女性記者によく思われたかった」と話しているとかいう情報も報じられている。また、男性記者はテレビ局の女性記者に対しても、検察などの捜査にかかわる取材情報を漏らしたと説明しているとの報道もあった。このあたりの情報がクローズアップされ、男性記者が下心から他社の女性記者に取材情報を漏らす人物であるようなイメージが形成されている。

しかし、不適切な関係を迫っていたということについては、一体何をしたのかが明確ではない。「女性記者によく思われたかった」というのも同様だ。テレビ局の女性記者に検察などの捜査にかかわる情報を漏らしたという話についても、どのような情報をどのような事情から漏らしたのかがまったくわからない。

しかも、各メディアの報道を見ると、これらの情報はいずれも読売新聞側が発信したものであることは明白で、その点からも鵜呑みにできない情報だと言える。検事総長秘書官のセクハラ疑惑を知りながら報じなかった読売新聞にとって、それを週刊誌に報じさせた男性記者は内部告発者的な存在だからだ。読売新聞から発信される男性記者に関する情報は、ネガティブなものばかりになって当然なのである。

現時点で明らかになっている情報だけでは、この男性記者の行為が正しいことだと断定するわけにもいかない。しかし、少なくとも悪いことだと断定できないのは明らかだ。できれば、男性記者本人が公の場で事情を説明し、反論すべきことは反論してくれたらすっきりしそうだが、それは難しいのだろうか。

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

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朝日新聞の「押し紙」、広域でノルマ部数設定の疑惑、丸亀市では7500部を3年間にわたりロック 黒薮哲哉

新聞社が販売店に課している新聞のノルマ部数(広義の「押し紙」の原因)は、半世紀近く水面下で社会問題になってきた。今年に入ってから、わたしは新しい調査方法を駆使して、実態調査を進めている。新しい方法とは、新聞のABC部数(日本ABC協会が定期的に公表している部数)の表示方法を調査目的で、変更することである。ABC部数を解析する祭の視点を変えたのだ。そこから意外な事実が輪郭を現わしてきた。

現在、日本ABC協会が採用している部数の公表方法のひとつは、区・市・郡単位の部数を半年ごとに表示するものである。4月と10月に『新聞発行社レポート』と題する冊子で公表する。しかし、この表示方法では時系列の部数の変化がビジュアルに確認できない。たとえば4月号を見れば、4月の区・市・郡単位の部数は、新聞社ごとに確認できるが、10月にそれがどう変化したかを知るためには、10月号に掲載されたデータを照合しなくてはならない。冊子の号をまたいだ照合になるので、厄介な作業になる。

そこでわたしは、各号に掲載された区・市・郡単位の部数を時系列で、エクセルに入力することで、長期間の部数変化をビジュアルに確認することにしたのである。

かりにある新聞のABC部数に1部の増減も起きていない区・市・郡があれば、それは区・市・郡単位で部数をロックしていることを意味する。ABC部数は新聞の仕入部数を反映したものであるから、その地区にある販売店に対して、ノルマ部数が課せられている可能性が高くなる。

新聞は「日替わり商品」なので、販売店には残紙を在庫にする発想はない。正常な商取引の下では、読者の増減に応じて、毎月、場合によっては日単位で注文部数を調節する。販売予定のない新聞を好んで仕入れる店主は、原則的には存在しない。

販売店に搬入される総部数のうち、何パーセントが「押し紙」になっているかはこの調査では判明しないが、ノルマ部数と「押し紙」を前提とした販売政策が敷かれているかどうかを見極めるひとつのデータになる。

従前は、販売店の内部資料が外部に暴露されるまでは、「押し紙」の実態は分からなかったが、この新手法で新聞社による「押し紙」政策の有無を地域ごとに判断できるようになる。

ちなみに「押し紙」は独禁法違反である。

朝日新聞販売店で撮影された残紙

◆香川県の市郡を対象とした調査

が、こんな説明をするよりも、実際に作成した表を紹介しよう。下記の表は、香川県の市・郡をモデルにして、朝日新聞を調査した結果である。同一色のマーカーは、ロック部数と期間を示している。

香川県ABC(朝日)

上の表から、たとえば丸亀市のABC部数の推移を検証してみよう。次に示すように、2016年4月から2018年10月の約3年の間、朝日新聞の部数(読者数)は一部も変動していない。常識的にはあり得ないことだ。

2016年4月:7500部
2016年10月:7500部
2017年4月:7500部
2017年10月:7500部
2018年4月:7500部
2018年10月:7500部

東かがわ市に至っては、3年間に渡って同じ部数がロックされている。また、高松市の場合は、ロックの期間こそ1年だが、5年間でロックが3度も行われている。しかも、その部数は、それぞれ2万2002部、1万8877部、1万3882部と大きなものになっている。

◆長崎県の市郡を対象とした調査

次に示すのは、長崎県の朝日新聞のケースである。香川県のようにすさまじい実態ではないが、西彼杵郡などで典型的なロック現象が確認できる。

長崎県ABC(朝日)

なお、2019年10月から翌年の4月にかけて、西彼杵郡の部数が一気に590部も増えている。その反面、長崎市の部数が一気に1913部減っている。(いずれも表中に赤文字で表示した。)不自然さをまぬがれない。

◆読売新聞との比較

モデルケースとして香川県と長崎県を選んだのは、「押し紙」裁判を取材する中で、これらの県で部数をロックしている可能性が浮上したからだ。 

さらにわたしは全国の都府県を抜き打ち調査した。その結果、東京都と大阪府を含む、多くの自治体でロックが行われていることが判明した。

香川県と長崎県における読売新聞社の部数ロックについては、9月7日付けの記事、「読売新聞の仕入部数「ロック」の実態、約5年にわたり3132部に固定、ノルマ部数の疑惑、「押し紙」裁判で明るみに」で紹介している。

◆名古屋市の17区を対象とした調査

名古屋市の各区における朝日新聞のロックについても、データを紹介しておこう。やはり部数のロックが確認できる。

名古屋市ABC(朝日)

わたしがこの調査結果を最初に公表したのは、ウェブサイト「弁護士ドッドコム」である。その際に朝日新聞社は、「本社は、ASA(黒薮注:朝日新聞販売店)からの部数注文の通りに新聞を届けています。 ASAは、配達部数の他に、営業上必要な部数を加えて注文しています」とコメントしている。

このような弁解がこれまで延々とまかり通ってきたのである。それが「押し紙」問題が解決しない原因だ。

一方、日本ABC協会は部数ロックの現象について、わたしが行った別の取材で次のように答えている。日経新聞の部数ロックを提示した際の見解であるが、一般論なので他の新聞社についても当てはまる内容だ。参考までに紹介しておこう。

「ABCの新聞部数は、発行社が規定に則り、それぞれのルートを通じて販売した部数報告を公開するものです。この部数については、2年に1度新聞発行社を訪問し、間違いがないかを確認しています。」

◆独禁法の新聞特殊指定に抵触

独禁法の新聞特殊指定は、新聞社が販売店に対して「正当かつ合理的な理由がないのに、次の各号のいずれかに該当する行為をすることにより、販売業者に不利益を与えること」を禁止している。

(1)販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給すること(販売業者からの減紙の申出に応じない方法による場合を含む。)

(2)販売業者に自己の指示する部数を注文させ、当該部数の新聞を供給すること。

部数ロックは、(2)に抵触する可能性が高い。しかも、業界ぐるみで部数ロックの販売政策を敷いている疑惑がある。

公正取引委員会は調査に着手する必要があるのではないか。さもなければ、日本の権力構造の歯車だとみなされかねない。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
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読売新聞の仕入部数「ロック」の実態、約5年にわたり3132部に固定、ノルマ部数の疑惑、「押し紙」裁判で明るみに 黒薮哲哉

新聞の没落現象を読み解く指標のひとつにABC部数の増減がある。これは日本ABC協会が定期的に発表している新聞の「公称部数」である。多くの新聞研究者は、ABC部数の増減を指標にして、新聞社経営が好転したとか悪化したとかを論じる。

最近、そのABC部数が全く信用するに値しないものであることを示す証拠が明らかになってきた。その引き金となったのが、読売新聞西部本社を被告とするある「押し紙」裁判である。

◆「押し紙」と「積み紙」

「押し紙」裁判とは、「押し紙(販売店に対するノルマ部数)」によって販売店が受けた損害の賠償を求める裁判である。販売店サイドからの新聞の押し売りに対する法的措置である。

とはいえ新聞社も簡単に請求に応じるわけではない。販売店主が「押し紙」だと主張する残紙は、店主が自主的に注文した部数であるから損害賠償の対象にはならないと抗弁する。「押し紙」の存在を絶対に認めず、店舗に余った残紙をあえて「積み紙」と呼んでいる。

つまり「押し紙」裁判では、残紙の性質が「押し紙」なのか、「積み紙」なのかが争点になる。下の写真は、東京都江戸川区にある読売新聞販売店で撮影された残紙である。「押し紙」なのか、「積み紙」なのかは不明だが、膨大な残紙が確認できる。

東京都江戸川区にある読売新聞販売店で撮影された残紙
同上

◆1億2500万円の損害賠償

ABC部数の嘘を暴く糸口になったこの裁判は、佐世保市の元販売店主が約1億2500万円の損害賠償を求めて、今年2月に起こしたものである。裁判の中で、新聞販売店へ搬入される朝刊の部数が長期に渡ってロックされていた事実が判明した。

通常、新聞の購読者数は日々変動する。新聞は、「日替わり商品」であるから、在庫として保存しても意味がない。従って、少なくとも月に1度は新聞の仕入部数を調整するのが常識だ。さもなければ販売店は、配達予定がない新聞を購入することになる。

販売店が希望して配達予定のない新聞を仕入れる例があるとすれば、搬入部数を増やすことで、それに連動した補助金や折込広告収入の増収を企てる場合である。しかし、わたしがこれまで取材した限りでは、そのようなケースはあまりない。発覚した場合、販売店が廃業に追い込まれるからだ。

◆仕入部数を約5年間にわたり「ロック」

現在、福岡地裁で審理されている「押し紙」裁判も、残紙が「押し紙」なのか、「積み紙」なのかが争点になっているが、別の着目点も浮上している。それは、販売店に搬入される仕入れ部数が、「ロック」されていた事実である。「ロック」が、販売店に対するノルマ部数を課す販売政策の現れではないかとの疑惑があるのだ。

以下、ロックの実態を紹介しよう。

・2011年3月~2016年2月(5年):3132部
・2016年3月~2017年3月(1年1カ月):2932部
・2017年4月~2019年1月(1年10カ月):1500部
・2019年2月(1カ月):1482部
・2019年3月~2020年2月(1年):1434部

この間、搬入部数に対して残紙が占める割合は、約10%から30%で推移していた。

◆長崎県の市・郡における「ロック」

この販売店で行われていた「ロック」が他の販売店でも行われているとすれば、区・市・郡のABC部数にも、それが反映されているのではないか?と、いうのもABC部数は、販売店による新聞の仕入れ部数の記録でもあるからだ。

そこでわたしは、この点を調査することにした。調査方法は、年に2回(4月と10月)、区・市・郡の単位で公表されているABC部数を、時系列で並べてみることである。そうすれば区・市・郡ごとのABC部数がどう変化しているかが判明する。

まず、最初の対象地区は、「押し紙」裁判を起こした販売店がある長崎県の市・郡別のABC部数(読売)である。下表のマーカーの部分が「ロック」部数と期間である。かなり頻繁に確認できる。

長崎ABC(読売)

◆香川県の市・郡における「ロック」

他の都府県についても、抜き打ち調査をした。その結果、次々と「ロック」の実態が輪郭を現わしてきた。典型的な例として、香川県のケースを紹介しよう。下表のマーカーの部分が「ロック」部数と期間である。

香川ABC(読売)

若干解説しておこう。高松市の読売新聞の部数は、2016年4月から2019年10月まで、ロック状態になっていた。高松市における読売新聞の購読者数が、3年以上に渡ってまったく変化しなかったとは、およそ考えにくい。まずありえない。

新聞の搬入部数がそのまま日本ABC協会へ報告されるわけだから、ABC部数は実際の読者数を反映していないことになる。信用できないデータということになる。

なお、「ロック」について、読売新聞東京本社の広報部に問い合わせたが回答はなかった。部数の「ロック」は、他の中央紙でも確認できる。詳細については、順を追って報じる予定だ。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
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政局・皇室報道の空虚を嗤う 田所敏夫

菅が政権を放り投げ、皇室のどなたかが結婚をするという。たぶんテレビは大いに取り上げ、知ったかぶりの出たがりに、いいたい放題いわせているのだろう。自称評論家やタレント、コメンテーターからどうでもいい人までが、なにか一大事でも起きたように大騒ぎしている姿が目に浮かぶ。

◆すべて限りなく希薄で非本質的な言説である

そういう雰囲気に水をかけるようで申し訳ないが、わたしは自民党の総裁が誰であろうがまったく、皆目、関心はない。天皇制に「無条件」で反対するわたしは、皇室内の出来事にも興味はない。結婚でも離婚でも好きになさればよい。好きになさればよいが、何をなさってもわたしは制度としての天皇制には賛成できないので、興味はない。差別に反対する立場から、天皇制は廃止されるべきだと考える。

この二つの出来事において象徴的なように、ほとんどのニュースは非本質的であり、報道することで非報道当事者が属する組織や制度が補完される作用を持つ、これが今日メディアの特性ではないかと思う。

だからわたしは、従前から開催に反対してきた、東京五輪がはじまる前に「東京五輪については一切発信しない」と自分としてはごく自然に判断し、実際東京五輪をまったく目にもしなかった。だから感想もない。あんな馬鹿げたことは、大会期間中にどんなドラマが生まれようが、誰がメダルを取ろうが、やるべきではなかったのだ。それについて、あれこれ枝葉末節な議論があるようだが、それらはすべて限りなく希薄で非本質的な言説である。

◆東京五輪強行開催という罪深い所業

東京だけではなく全国に広まった「自宅療養」と言い換えられた「医療から見捨てられた」ひとびとの惨状はどうだ。この地獄図絵は決して医療関係者の判断ミスや、非協力によって引き起こされた事態ではない。逆だ。政府が片一方では「学校の運動会の自粛」を求めながら、「世界的大運動会を開く」という、大矛盾を演じた結果に他ならない。「県をまたぐ移動の自粛」を求めながら海外から10万ともいわれる数のひとびとがやってきた。

日本初の「ラムダ株」が持ち込まれたのは海外からやってきた五輪関係者によってであったが、それが報道されたのは東京五輪終了後のことだ。実に罪深い所業ではないか。

こういった事態が発生することは、容易に想像ができた。たとえば他府県の警察からの警備要員として東京に派遣された警察官の中では、複数のクラスターが発生した。偶然にもわたしが目にした兵庫県警の機動隊車両に乗車して東京に向かった兵庫県警の警察官の中でもクラスターがあったようだ。

こういう馬鹿なことを強行した責任者である日本政府ならびにその最高権者である首相は、どう考えても、ただ批判の対象であり、それ以上でも以下でもない。

◆災害、貧困、コロナ禍という生活に密着した課題をどうするか

自民党の総裁選の前にはいつだって「派閥がどうの」、「誰々が引っ付いた」、「誰かが切られた」と各メディアは競い合って報じる。でも自民党総裁選挙は、自民党員以外には選挙権がないのだから、ほとんどの国民には関係ない。

あたかも国民に選挙権があるかのごとき、まったく失当な情報流布が昔からなされてきたし、いまも続いているのだろう。国政選挙で政党を選ぶための情報提供であれば、各種の細かな情報にも有権者のために意義はあるのかもしれないが、自民党の代表は、わたしたちが投票で選ぶものではないじゃないか。

そして、こういう物言いをすると「そんなこと言ってると政治が好き勝手するよ」と言われるかもしれないが、自民党総裁など、誰がやっても同じなのだと最近は切に感じる。違いがあるとすれば菅のように裏では相当ひどいことができても、人前では一人前に主語述語がかみ合った演説をすることができるかできないか(演技力)と、自民党内の力学をうまく調整する力があるかないか程度(党内政治力学)の違いだろう。

演技がうまいと国民は騙されやすい。今世紀に入ってからでは、小泉純一郎がその筆頭だろう。党内力学に長けていた官房長官時代の菅は、自民党全国の選挙資金を握り、選挙の際、安倍以上に自民党議員の操作には力を持っていたそうだ。

そんなことわたしたちの生活に関係あるだろうか。毎年襲ってくる水害への備えや、生理用品も買えないほどの貧困問題、そして命にかかわるコロナ対策をはじめとした医療問題こそわたしたちが直面していて、注視すべき生活密着の課題ではないだろうか。いずれも皇室の方々とは無縁なはなしばかりであるが。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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発生35年・たけしフライデー襲撃事件 見過ごされた「不倫」と「報道」の深層

不倫の厳罰化が著しい今日この頃。週刊誌などで不倫を報じられた芸能人やスポーツ選手は社会的非難を浴び、仕事を失いかねないほど追い込まれることも珍しくない。

そんな光景を見やりながら、筆者が思い出さずにいられないのが、35年前に起きたビートたけし(74)のフライデー襲撃事件だ。

写真週刊誌フライデーがたけしの不倫相手の存在を報じたことをきっかけに勃発したこの事件。同誌の報道や取材、事後的な対応に激怒したたけしは1986年12月9日未明、たけし軍団とたけし軍団セピアの計11人を引き連れて同誌編集部に乗り込み、編集次長やデスクら5人に暴行し、1週間から1カ月のケガを負わせた。そして現行犯逮捕され、裁判では懲役6月・執行猶予2年の判決を受けたのだが…。

この事件が異例だったのは、加害者であるたけしより被害者であるフライデーが社会の批判を浴びたことだ。

フライデーの記者は事件前、たけしの不倫相手だった女性A子さんに強引な取材をし、けがをさせたうえ、売春婦呼ばわりまでしていた。さらに同誌はたけしの妻が4歳の娘に幼稚園入園の面接試験を受けさせる様子を隠し撮りし、その写真と記事を掲載していた。たけしがフライデー編集部を襲撃した背景にそんな出来事があったとわかったうえ、当時は写真週刊誌の過激報道が社会問題化していたこともあり、たけしに同情が集まったのだ。

そしてその後、たけしは謹慎期間を経て芸能活動を再開し、お笑い界のトップに返り咲くと共に、映画監督として世界的な名声を集めるようになった――。

とまあ、このようなコトの顛末は、多くの方がご存知だろう。だが、この事件をめぐっては、当時見過ごされた問題がある。

◆報道された当時は20歳だった不倫相手のA子さんだが…

それは、たけしの不倫相手A子さんの年齢だ。そのことを説明するうえでまず、フライデーがA子さんの存在を報じた1986年9月5日号の記事の見出しを見て頂こう。

〈ビートたけしの別宅へ通う「美女」あり 19歳の年齢差越え5年間続いたフシギ交際〉

5年間交際が続いたとのことだが、一方で本文を見ると、A子さんについて〈某国立大学の1年生としてデザインの勉強をしているこのA子さん(20)〉と書かれている。となると、A子さんがたけしと交際を始めた当初の年齢が気になるところだろう。

たけしの不倫を報じたフライデー1986年9月5日号。A子さん(黒いシャツの女性)の顔の修正は筆者(片岡健)による

そこで本文を見ていくと、末尾にこう書かれている。

〈15歳のときからの5年間は、A子さんにとって「大ファンのたけしさん」の身辺の世話をしてこれた“幸福な日々”だったのかも知れない〉

見ておわかりの通り、要するにフライデーの記事は、たけしの不倫を報じたというより、淫行疑惑を報じたような内容だったのだ。

この報道があった当時は不倫に対する社会の目が今ほど厳しくなかったのと同様に、淫行に対する社会の目も今ほどは厳しくなかった。だからこそ、まったく問題にならなかったのだろうが、当時も淫行が犯罪だったことに変わりはない。

記事では、たけしとA子さんの間に「不貞行為」があったとは書かれていないが、〈A子さん(20)がたけしの部屋に通う姿は、この夏休みの間、毎日のように目撃された〉と書かれており、2人の間に不貞行為があったと報じられているのも同然だ。仮に令和の今、有名芸能人に関してこのような記事が出れば、不倫問題というより淫行問題として騒がれ、その有名芸能人は当面、仕事ができなくなるだろう。

一方、仮に今、有名芸能人に関してこのような報道が出て、報道内容が事実ではなかった場合、芸能人側は名誉棄損訴訟を起こす可能性が高い。そして報じた側は巨額の賠償金を支払う羽目になるだろう。今はマスコミ報道に対する司法判断も当時よりずっと厳しくなっているからだ。

こうしてみると、たけしのフライデー襲撃事件とその原因になったフライデーの報道は、今ほどコンプライアンスにうるさくない昭和の時代らしい事件であり、報道だったと言えるだろう。

〈追記〉
たけしに下された東京地裁の判決文によると、A子さんは国立大学ではなく専門学校に通っていたとされている。

▼片岡 健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』7月号

福岡5歳児餓死事件で浮き彫りになった事件報道の変容 片岡 健

小さな息子を餓死させた母親は事件前、一緒に逮捕された「ママ友」に洗脳され、離婚に追い込まれたり、多額の金をだまし取られたりしていたという。福岡県篠栗町で起きた5歳児餓死事件について、テレビでは先日来、そんな禍々しい事件内容が大々的に報道されてきた。

[左]『週刊新潮』2021年3月18日号(一部修正)/[右]『女性セブン』2021年3月25日号

一方、大手週刊誌の報道状況を調べたところ、現時点でこの事件を報じたことが確認できたのは週刊文春、週刊新潮、女性セブン、女性自身、週刊女性の5誌にとどまった。週刊現代、週刊ポスト、サンデー毎日、週刊朝日、FRIDAY、FLASHについては、この事件を伝える記事の掲載を確認できなかった。

ひと昔前であれば、大手週刊誌がどこも現地に記者を送り込み、派手な取材合戦を繰り広げたことは確実な事件だが、今回そうなっていない事情は明白だ。本の売れないご時世、大手週刊誌といえども、記者を地方取材に行かせる予算を捻出しづらくなっているのだ。

ただ、大局的に見ると、こうした出版業界の窮状は事件報道を悪くない形に変えつつある。

『女性自身』2021年3月23・30日号(一部修正)

◆地方取材が減った一方、増えてきた面会取材と裁判取材

というのも、ひと昔前であれば、どんな大事件でもメディアが騒ぐのは事件発生当初や被疑者の逮捕当初だけで、裁判段階には報道量が激減するのが一般的だった。とくに週刊誌はその傾向が顕著だった。しかし、現在の週刊誌は地方の大事件を発生当初から現地で取材することが減ったぶん、被告人本人に面会したり、裁判を傍聴して書かれる記事が増えているのだ。

たとえば、最近だと、相模原大量殺傷事件と座間9人殺害事件では、植松聖、白石隆浩の犯人両名と面会したり、裁判を傍聴したりした報道が多く見られた。とくに「金を払わないと取材は受けない」というスタンスだった白石については、新聞、テレビが二の足を踏む中、殺人犯に取材謝礼を払うことをいとわない週刊誌が面会取材でリードしていた。

あえて教科書的に言えば、事件報道の最大の意義は「権力監視」なので、権力と対峙した被疑者(被告人)本人の言い分を聞ける面会取材や裁判取材は本来、事件報道のクライマックスとなるべきものだ。従来の事件報道はそうならず、捜査機関の情報に依拠せざるをえない事件発生当初や被疑者の逮捕当初の報道が中心だったのだが、皮肉にも出版業界の窮状により教科書的な事件報道が増えてきているわけである。

『週刊女性』2021年3月30日号(一部修正)

私が先日、当欄で記事(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38283)を配信した講談社元編集長の「妻殺害」事件にしても、週刊誌のネット版が裁判の控訴審の情報を伝えた記事も参考にしている。これほど注目度の高い事件でも、ひと昔前であれば週刊誌が裁判を控訴審までフォローしたとは思いがたく、私があの記事を書けたのも出版業界の窮状のおかげかもしれない。

私自身、取材では常に経費のことが悩ましい問題だが、取材経費が乏しいからこそ新しい取材手法を思いつくこともある。本が売れないのは仕方のないことで、以前のように本が売れる時代はもう戻ってこないだろうが、それは変革のチャンスでもあるのだろうと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号
『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道