冤罪被害者・青木恵子さんの国賠訴訟が大きく進展!「最後の裁判にしたい」という青木さんの思いを汲み取り、大阪地裁・本田能久裁判長が「和解」を勧告! 尾崎美代子

東住吉事件の冤罪被害者・青木恵子さんが、2016年8月再審無罪判決を勝ち取ったのち提訴し闘っていた国賠訴訟は、9月16日弁護団による総括の最終プレゼンと青木さんの最終意見書の陳述を終え結審、来年3月15日の判決を待つばかりとなっていた。そんな中、裁判所が原告、被告(国と大阪府)に「和解勧告」を出すという画期的なニュースが飛び込んできた。

◆「今でも青木さんを犯人と思う」という坂本元刑事

その前に、コロナ禍で傍聴席が制限される中、筆者も傍聴できた最後の2回の法廷の様子を紹介する。

2月12日、青木さんに嘘の自白を強いた大阪府警元刑事・坂本氏の証人尋問が行われた。坂本氏は出廷にあたり、事件当時の取り調べ日誌等を読み記憶を思い直したと話していた。しかし、弁護人の質問に「いやあ、25年も前のことやからね。記憶も薄れてね」などと言い訳し、弁護人が当時の日誌を示すと「書いてあるならそうやろね」などと居直った。

次第にボソボソ小声になり、本田裁判長から「傍聴席の皆さんに聞こえるように、ちゃんと話して下さい」と注意された。また裁判長から「その取り調べ日誌はどうやって書くの?」と聞かれ、坂本氏が「その日の取り調べが終わったあと、もう一人の刑事が書く」と答え、更に「あなたも確認するんでしょう?」と聞かれ「確認する」と答えた。

日誌には、任意同行された9月10日昼過ぎ、青木さんが体を震わせ、寒いんですと訴えたり、げーげーとえづいたと書いてあった。当時青木さんは、突然の火災で愛娘を失い、食事も採れず体重が30キロ台に落ちるまで憔悴。当日も、てっきり火災の原因が判明したと思い任意同行に応じたのに、いきなり「お前が犯人だ」と坂本氏に怒鳴りつけられた。

昼食も食べられず始まった午後からの取り調べで突然、同居男性(事件で一緒に逮捕された)が娘に性的虐待を行っていたとぶつけられた。「お前だけがしらなかった」「息子も知ってたぞ」などと嘘をつき、青木さんを「もうどうでもいい。早く部屋に戻って死にたい」と、うその自供書を書かせるまで追い詰めた。

弁護団の尋問後、青木さん自身も坂本氏に質問した。「あなたは今でも私を犯人と思っていますか?」と聞いた青木さんに、坂本氏は「はい、思っています」とはっきり答えた。

その理由を坂本氏は「あんた、自供書を自分で書いたでしょ」「ほら、きれいな字で」などと、まるで近所のおっさんのような口調で話すので、再び裁判長に「証人はちゃんと証言して」と注意された。

「あなたが書かせたんでしょう」と迫る青木さんに坂本氏は「初日に気持ちよく書いたでしょう」とまで言ってのけた。

ドン! 青木さんが机を叩き、その音に坂本氏が驚く。

「あなた、(取り調べ室で)こうやったでしょう」。もう一度、ドン!

「灰皿が転んで灰が飛んだでしょう」。

自供書を書かされた9月10日と9月14日のことを、青木さんは今でも忘れられないという。

東住吉事件の冤罪被害者・青木恵子さん。2月12日大阪地裁前で

◆「この裁判を最後にして欲しい」と訴える青木さん

9月16日、弁護団がパワーポイントを使い裁判の総括を行ったあと、青木さんが証言席で最終意見書を陳述した。

大阪府警の勝手なストーリーに基づき、娘の保険金目当てに娘を殺した母親、犯人にされたこと。

再審無罪となったが、国・大阪府は反省もせず、検証もせずに今も犯人だ、違法はなかったと認めないこと、

警察、検察の違法性を明らかにして、布川事件以上に踏み込んだ判決を言い渡してください。

何故いい加減な捜査・違法な取り調べをしたのか?

なぜ再現実験をしながらも、起訴できたのか?

もう二度と冤罪に巻き込まれる人を生み出さない、仲間たちのためにも国や大阪府の違法性を明らかにさせたいとの気持ちから提訴したこと、最後に「証拠はあなたたちのものではありませんよ」と国・大阪府の代理人らを睨みつけながら訴え、陳述を終えた。

意見書で青木さんは「一番許せなかったことは、私が取り調べ室で(娘の)写真を見るのは辛いからと答えたあとに、大阪府警の代理人に『お嬢さんの写真なんてお葬式とかでもありましたよね』と言われたことです。お葬式でも見ているのだから取り調べ室でも見ることができるだろうとでも言いたかったのでしょうか。私はなんてことを言い出すのだろうかと信じられなかったです。本気で言っているのかと唖然となり、心底怒りでいっぱいです。坂本さんに『お前がやっていないというのなら、なぜ助けへんやったやん。助けれんかったことは殺したことと同じことやぞ』と言われ続けたうえで写真を見ろと言われる気持ちがかわらないのでしょうか」と訴えた。

現在、青木さんは1枚数円のチラシのポステングと集金の仕事を続けている。集会に呼ばれたり、服役中の冤罪被害者に面会に行くため、自由な時間をつくる必要があるからだ。また昨年、遠方にあった娘の墓を近所に移し、毎週1回お参りに通っている。「娘のお墓に通うことで、私の心は落ち着きます」と意見書で述べた。

今年のめぐちゃんの誕生日(10月11日)は、前日今市事件の総会に出席、翌日千葉刑務所の勝又拓哉さんの面会に訪れたあと帰阪。ケーキを買いお墓に急ぎ、真っ暗な中、ロウソクを灯しお祝いした

長期の服役で壊れた関係もある。実の息子との関係だ。息子は、青木さんの逮捕後、青木さんの両親と暮らし、何度か和歌山刑務所にも訪れていた。逮捕後、めげそうになった時、同じ部屋の女性から「残った子どもはどうするの」と言われ、我に返ったこともあり、「子ども」という言葉が青木さんを奮い立たせるキーワードになっていた。出所後行き来していた息子だが今はつきあいをやめている。

「獄中では、息子のことを考え心配して、早く会いたいとの気持ちをずっと持ち続けていました。だけど刑務所から出られて再会した息子は、すでに29才の大人となり、この26年の空白の時間が、私と息子との親子関係まで奪い去りました。(中略)お互いに分かり合うことが難しく、別々の人生を歩んでいく道を選ぶしかなく、現在はつきあいもなくなりました」と、意見書に辛い思いを語っている。

◆裁判長がはっと青木さんを見た瞬間

青木さんが意見書を陳述する間、裁判長と2人の裁判官はじっと書面を見ていた。しかし、裁判長が「はっ」と顔をあげ青木さんを見た瞬間があった。それは青木さんが以下の部分を読みあげたときだ。「私は、社会に戻れた反面、浦島(太郎)状態となり、何もわからない自分が情けなくなり、携帯電話を覚えるのにも苦労して、高速料金所でETCカードを使うことを知り、買い物に行ってもポイントカードのことを聞かれて、物価もわからずに、何もかもが理解出来なくて、一人では行動できないことに情けなくなり、プライドが傷つき、何度も刑務所に帰りたいとさえ思ってしまったのです」。

無実の罪を着せられ不当に獄中に囚われ、息子、両親にも会えない苦しい刑務所に,再び帰りたいと思ってしまうとは…。あの時、青木さんをじっとみつめた本田裁判長は、何を思ったのだろうか。

結審後の記者会見で青木さんは「裁判所の判決がおかしければ、私は法壇に上がっていく。それで刑務所に入っても後悔しない。そのときはまた取材してくださいね」と話し記者らを笑わせた。「そんなことは絶対にないだろう。この裁判長がそんな判決を出すはずはない」。わたしは、その時そう確信していた。

しかし、そんな裁判長から「和解勧告」が出されたとは?青木さんにお話を伺った。

青木 結審後に弁護士から連絡があり「和解」の話が出ていると聞きました。1回目の法廷で裁判長は「私が判決を言い渡しても、絶対に控訴、上告されてしまいます。この事件は、平成7年に始まり、来年は令和4年となり、長く続いています。これ以上長引かせないためには、和解が良いと考えました」と話されました。他にインターネットなどで、青木さんへの誹謗中傷が酷い。世間に対して「青木さんは完全無罪だ」と訴えたい。そして青木さんが訴え続けているほかの冤罪犠牲者のことにも触れたい」と。私は感動して胸がいっぱいになり、涙が溢れてきて言葉にならなかった。しばらくして「私は裁判官にじかに話されたこともないので、涙がでます。国と大阪府にはちゃんと謝って欲しい。灰色をとって無罪になりたい」と話しました。

また、裁判長の話をメモしていた私に、裁判長は「青木さんの目を見て言いたいんですが」と切り出し、裁判長と目を合わせると「私は、青木さんを『再審で無罪になった人』として裁判にかかわってきました」と話されて、また泣いてしまいました。また、裁判長が「私はいつも柄のカッターシャツですが、今日は白のシャツを着てきました」と話したことがありました。和解に向けた2回目の協議のとき、右陪審の女性はあざやかな黄色のタートルのセーター、裁判長と左陪審の男性は白のカッターシャツと黄色地のネクタイを締めてきました。

私は、青木さんが陳述を終えたあと、裁判長が青木さんの著書「ママは犯人じゃない」を掲げ、「皆で読みました」と話し、2人の裁判官も頷いた場面を思い出した。

裁判長は、白い服を着ていた青木さんに「和歌山刑務所を出た日も白い洋服だったんですね」と聞いた。

青木さんは「いいえ、その日は黄色です。めぐちゃんの好きなひまわりの色です」と答えた。

本の写真がモノクロだったため、裁判長は黄色を白と見間違えたのだ。それに対して裁判長は「すみません」と詫びたが、その後、法廷で青木さんと同じように白や黄色を身に着けるようになったのだ。そう考え、今度は私が泣かずにいられなくなった。

和解協議は、12月23日行われる予定だ。

自宅でくつろぐ青木さん。獄友・西山美香さんや支援者らにプレゼントされたぬいぐるみに囲まれて

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

12月7日発売! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年1月号!

《NO NUKES voice》11月9日大阪地検前緊急抗議行動! 関電旧経営陣を不起訴にした大阪地裁を許さない! 検察審査会に訴え闘い続けよう! 尾崎美代子

関西電力(以下、関電)の旧経営陣の八木誠前会長、森詳介元会長ら9人の金品受領問題、報酬闇補填問題(※)などすべての容疑について、11月9日、大阪地検特捜部は「嫌疑不十分」で不起訴とした。旧経営陣らは事情聴取で「(金品は)預かり保管していた」と主張、一方、渡した側の森山栄治氏(元高浜町助役)が死去していることから、会社法の収賄罪の立証は困難とした。翌日10日正午より、「関電の原発マネー不正還流を告発する会」のよびかけで、地検前での緊急抗議行動が行われた。

※「報酬闇補填問題とは」ー関電は3・11後、電気料金の値上げに伴い、役員報酬を減額していたが、役員の退任後、相談役などに就かせ報酬を補填していた。

大阪地検への緊急抗議行動に集まった人たち

◆このような不起訴決定は許すことは出来ない
 末田一秀さん(告発する会共同世話人/はんげんぱつ新聞編集委員)

冒頭、はんげんぱつ新聞編集委員で「関電の原発マネー不正還流を告発する会」共同世話人の末田一秀さんから経過報告がなされた。 

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昨日、大阪地検の担当検事から、弁護団の大河弁護士に不起訴にした、理由は嫌疑不十分だという連絡がありました。夕方五時からWEBで記者会見を行い、「不当だ!」とマスコミにも訴えました。今日のマスコミ報道を見ると、地検の特捜部長が「これは社会的に注目を集めている事件だから」ということで記者会見し、50分にわたって説明を行ったとのことです。

私たちはいくつかの事件について告発していますが、結局、被告発人である関電旧経営陣の言い分を認めたとなっているみたいです。(旧経営陣の)「金は預かっていただけ」(高浜町元助役サイドに)「便宜供与はしていない」、そして「闇補填ではなく、実態的な仕事があった」と被告発人は、任意の事情聴取で受け答えていて、私たちが起こしている株主代表訴訟でもそのような主張をしているわけですが、それを「突き崩せなかった」という特捜部長の説明であったという記事になっています。

中でも、金品を受け取っていたことよりも、役員の給与の闇補填に関しては、非常に明白な事実なので、それに関しては、産経新聞は「きわめてグレーだ」と警察関係者が述べていると書いているし、京都新聞は「金品授受は厳しいので、そっちは見切りをつけて、闇補填に関して集中的な捜査を続けてきた」と書いてあります。闇補填に関しては、なぜ不起訴になるか理解できないが、業務の実態がなかったと、裁判で証明することは難しいと判断したとあります。大阪国税局は税務調査に入ってきちんと調査して「これは悪質な所得隠しだ」と認めたわけです。それに対して大阪地検は一度も強制捜査をしなかったということですから、地検は嫌疑不十分で立証できなかったということでいうと、彼らは無能なのかと問いたいと思います。

考えてみると、4月28日に毎日新聞が、不起訴の方針を固めたと報道しました。それから何か月か経っていますが、この間、起訴すべきかどうかで、検察のなかでも綱引きがあったということです。ほかにも、この事件を不起訴にすると、市民の信頼を得られないと述べる検察内部関係者もいたという記事もあります。本当に起訴か不起訴かの綱引きがあったなかで、大阪地検は上級検察庁と協議をして、結果的に不起訴になってしまった。そうなったら、検察審議会に訴えるぞと前から私たちは言っていますから、それに耐えられるように、捜査を尽くした形を作りたかったのだと思われます。どちらにしても、このような不起訴決定は許すことは出来ないので、ここで抗議の声を上げていきます。

末田一秀さん(「関電の原発マネー不正還流を告発する会」共同世話人/はんげんぱつ新聞編集委員)

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◆「金品を預かっていただけだ」では許されない
 長澤啓行さん(大阪府立大名誉教授/若狭ネット資料室長)

大阪府立大名誉教授で若狭ネット資料室長の長澤啓行さんからのアピール。

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長澤啓行さん(大阪府立大名誉教授/若狭ネット資料室長)

 今回、大阪地検の姿勢が変わるではという期待がありました。問題は、関電の原発利権構造が変わったのかどうか。変わってないんです。今朝の朝日新聞で暴露されていましたが、贈収賄の原資を工面した「吉田開発」(福井県高浜町)が、関電の特重施設、いわゆるテロ対策施設の敷地造成などで出た残土を山に捨てにいき、そこでトラブって、受注した金額で賄えないということになったが、その賠償金を誰が払ったか?関電が発注額に上乗せして払っているんですよ。

これはあの、贈収賄の発注額に毒まんじゅうを上乗せして、贈収賄資金に回った、あの構造とまったく一緒じゃありませんか。このような利権構造が、地検が不起訴をしたとたんに暴かれてくる。これは一体どうなっているんだ! 大阪地検はこのような実態を、目の当たりにして、今回の不起訴にして、関電の利権構造が少しでも変わるのか? これを助長するのではないか。それをはっきり自覚して、今回の不起訴を撤回すべきではないかと思います。

しかし、我々が進むべき道は、東電を起訴したあの過程を関電に対してもやるしかないということです。東電は、地震調査研究推進本部の津波評価について、「これは信頼性がない」と御用学者にいわせた。それを地震学会の多数の意見であるかのようにやった。これで東京地検は不起訴にした。ところが、それを市民が許さなかった。2回の検察審査会をやって、起訴にもちこんだ。その結果、東電の幹部は無罪になりましたが、裁判の過程で、彼らが津波の危険性を無視し、津波対策を行わなかったという具体的な証拠が積みあげられた。とてもこの積み上げられた証拠を見直せば、無罪は出せないだろうと思った。ところが悪徳裁判官は無罪にしてしまった。そこで、今、控訴審に入っています。控訴審では、明らかにされた証拠を再度積みあげて、有罪にもっていくのではないかと期待されます。

関電もおなじです。関電は贈収賄をやった、受けた、収賄された金は回ったのでなく「預かっただけ」という。こんなことが許されるなら、贈収賄事件はすべて起訴できない。贈収賄をやった人は「お金を預かっていただけだ」では許されない。このような事態を我々は断固として許すことはできない。市民の力で地検の不当な決定というものを、具体的に裁判に持ち込み追及し、暴いていかなければならにだろうと思います。そうしなければ、関電の利権構造を潰すことはできない。これを潰すことが、私たちの今の使命ではないかとおもいます。今度の不当決定に屈せず、検察審査会を含めて闘い、関電の利権構造を潰すまで闘っていきましょう。

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◆再び末田さんの訴え

最後に再び末田さんがマイクを握り、関電と大阪地検のズブズブの関係を明らかにし、今後、検察審査会に申し立てを行って闘おうと訴えられた。

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「金品は預かっていただけ。そして便利供与はしなかった」という、被告発人の主張を指南したのは、元大阪高検検事長の佐々木茂夫です。2018年に国税局が査察に入ったということを聞いたときに、関電は佐々木を呼んできて、検察対策をやった。そしてそういう主張に整理された。当時事件が発覚したとき、八木会長が記者会見で思わず「便利供与はなかったと整理されています」と答えています。まさに佐々木の指導によって「整理をした」。そして検察庁OB佐々木の忖度によって、大阪地検は不起訴にすることしかできなかった。そういう構造です。佐々木は今、関電の取締役です。大阪地検は関電への天下りを今後も続けていきたい。関電とズブズブの関係の大阪地検と私たちは思っています。告発人の方には、検察審査会への手続きを弁護士にお願いする委任状がメールか郵便で送付されます。署名捺印して告発する会事務局まで郵送してください。よろしくお願いします。

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最後は大阪地検へ向かってシュプレヒコールをあげて抗議行動を終えた。大阪地検とずぶずぶの関係で利権を漁り続ける関電を今後も徹底的に追及していこう!

 

▼尾崎美代子(おざき みよこ)「西成青い空カンパ」
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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あの時期、釜ヶ崎で何が起きていたか? 書籍『さっちゃんの聴診器 釜ヶ崎に寄り添った医師・矢島祥子』(大山勝男著)発刊! 11月14日(日)大阪で追悼集会「矢島祥子と共に歩む集い」開催へ! 尾崎美代子

ノンフィクションライターで、大阪日日新聞記者でもある大山勝男さんが、釜ヶ崎で医師として働き、野宿者支援活動などをしていた女性医師の半生を追った本を上梓した。大山さんは、私の店のお客様でもあるが、様々な分野で執筆活動を続ける尊敬するライターのお一人だ。

著書「さっちゃんの聴診器 釜ヶ崎に寄り添った医師・矢島祥子」の帯に「釜のおっちゃんから、さっちゃん先生と添われた矢島祥子医師の半生記」とある。祥子医師は、2007年4月から勤務していた西成区内のクリニックから、2009年11月14日姿を消し行方が分からなくなり、16日深夜、西成を流れる木津川の渡船場で、釣り人に遺体となって発見された。享年34歳。西成警察署は早々と「自殺」と断定したが、医師である両親や兄弟、関係者らが、遺体の様子、関係者の話や対応などに不審を抱き、「事件に巻き込まれたのではないか」と訴え続け、現在警察は自殺と事件の両面から捜査を行っているという。

大山勝男著『さっちゃんの聴診器 釜ヶ崎に寄り添った医師・矢島祥子』(アメージング出版)
ノンフィクションライターの大山勝男さん。今回出版の本は、大山記者が大阪日日新聞に連載した文章に大幅に加筆された内容

本は、遺族はじめ多くの関係者の証言、事故後に起こった不可解な事実などをあますことなく網羅し、しかも新聞記者らしく客観的な考察を交え、何が起きたかを丁寧に説明している。大山さんは「現実に目を向け取材を重ねると(中略)殺人事件との思いが強い」と序章に記している。祥子医師の死亡から12年経過したが、この間、あの日、祥子医師に何があったのかを知りたいと願う人たちが増え続けている。そんな人たちにぜひ読んで頂きたい一冊だ。

◆あの時期、釜ヶ崎で何がおきていたか?

祥子医師が釜ヶ崎にやっていた2007年から死亡した2009年11月14日まで、釜ヶ崎やその周辺で何が起きていたかは、彼女の死の真相を知る一つのカギになるだろう。

釜ヶ崎では、日雇い労働者が高齢化し、建設現場で働く店の常連客も次々と生活保護を受けるようになっていた。2008年9月のリーマンショック以降、急増した失業者が比較的生活保護を受けやすい釜ヶ崎に来て生活保護を受給することも増えた。地元での生活保護申請を断り「西成に行けば」と片道切符代を渡した自治体もあった。店の近くにある生活保護相談業務を行う「大阪市立更生相談所」には、業務開始の9時前には長い行列ができた。

相談を済ませた人を、自社のアパートに誘う不動産屋が、「うちのアパートに入居すれば、テレビ、エアコンも付いてるよ」などと誘っていた。鳩山政権が好んで使った「絆」と称する団体が、店の近くで炊き出しを始めた。もちろん「客」をつるためだ。生活保護制度もまともに知らないのだろう、「今なら部屋と食事が付いて、おまけにお小遣いまで貰えるよ」などと書いたチラシをまいていた。生活保護者の通帳、カードを預かる悪質な「囲い屋」の餌食になった、九州から来た知的障害のある息子を持つ母親に相談され、親子を別のアパートに引っ越させたところ、NPOを名乗る強面の男が店に怒鳴り込んできた。1年前まで違法賭博の「ノミ屋」をやっていた男だった。

生活保護者を食い物にするのは不動産屋だけではない。身寄りのない生活保護者を入院させ、病状を偽り、心臓カテーテル手術など不要な手術を受けさせ(中には死亡する患者もいた)、奈良県郡山市の山本病院が、詐欺の疑いで摘発されたのが2009年6月。同病院はそうした手術を数年前から行っており、入院患者の多くは大阪市内から運ばれていたという。

どういうルートがあったのかはわからないが、私自身、当時、店の近くで泥酔して寝ている男性が、医師のような白衣を着た男に、他府県ナンバーの車に乗せられたのを目撃したことがあった。常連客が、酔ってアパート前で寝ていたら、翌日、京橋の福祉病院に寝かされていて、慌てて逃げてきたとも聞いた。

医療費を行政から確実に取れる生活保護者を収容する福祉病院が、患者を次々とたらい回し、互いに稼いでいた事実は、2012年発行の「病院ビジネスの闇~過剰医療、不正請求、生活保護制度の悪用」(宝島社)で詳細が明らかにされた。そこには「ベッドに空きがでた病院が入院患者を集めるために、バスをドヤ街や公園に向かわせ、野宿者やホームレスを集めてくるんや。言葉は悪いが乞食を取ってくる車や」(106p)と「コトリバス」のことが記されている。

「トイチ」10日で1割の利息を取る違法な「ヤミ金」が、生活保護の支給日、役所の出口にずらりと並び、「客」を待ち伏せする光景を、私は実際に見た。そういう時代に祥子医師は、多くの患者さんを診たり、入院先を訪れたりし、疑問を抱くこともあっただろう。

大阪日日新聞に掲載された連載記事

◆「これは逆冤罪だ」と、桜井昌司さん

私は冤罪事件に関心をもち、現在もいくつかの冤罪事件の支援を続けている。8月末、国賠訴訟で勝訴した布川事件の冤罪被害者・桜井昌司さんに初めて会ったのが、2016年8月、東住吉事件の冤罪被害者・青木恵子さんの再審無罪判決が出た大阪地裁前だった。

その後、桜井さん、青木さんの講演会などを行ったりし、2人に釜ヶ崎を知って貰おうと様々なチラシやパンフを渡ししていた。そこに毎月、祥子医師の月命日の14日に、鶴見橋商店街で配布するチラシも入っていたのだろう。桜井さんから「尾﨑さん、あれは何?」と聞かれた。私は、そう聞かれた時いつも「まず自分で調べてみてください」と言う。

というのも、祥子医師の死については、いろいろな説があり、私の情報のみを一方的に伝えることは、冤罪をつくる警察や検察と似た手法になると考えるからだ。その後、ネットなどで調べたのだろう、桜井さんが「尾﨑さん、あれ、逆冤罪だよ」と連絡してきた。「逆冤罪」。確かに、祥子医師の死について、自殺とする証拠などが独り歩きする一方で、事件に巻き込まれたとする証拠などは明らかにされない。当時の彼女を知っていた人、親しくしていた人の「真相を知りたい」という声が少ないのも不思議だ。中には「今、支援に関わる人は、当時の祥子さんを知らない人ばかり」「釜ヶ崎の事情も知らないくせに」などと批判する声もある。

しかし、冤罪支援活動は、支援相手が獄中に囚われたり、亡くなったりして、直接会えなくても支援しなければならない。本人を知っている、知らないではなく、警察、検察が、無実の人を犯人にするために、彼・彼女が犯人でない証拠を隠し、虚偽や捏造した証拠をもって犯人に仕立てることが問題なのだ。

「逆冤罪」と桜井さんが呼ぶように、自殺でない証拠が隠され続けている祥子さんの場合も、警察にちゃんと証拠を出させ、捜査を行うよう求め続けることが必要なのだ。私もだが、大山さんも「事件や遺族に関わらないほうがいいよ」と忠告されたという。人一人、それも釜ヶ崎のおっちゃんのために活動していた女性が亡くなって、どうして黙っていられるだろう。親しかったり、愛していた人ならば余計に。

布川事件の冤罪被害者・桜井昌司さん

◆年々広がる支援の輪

ジャーナリストの寺澤有氏がこの事件を取材し、宝島社「日本の『未解決事件』100の聖域」に書いたのが2018年春、その後、NHKやフジテレビが事件を取り上げ、その番組で自身が作詞した「釜ヶ崎人情」が歌われていたことを知った作詞家・もず唱平氏が、遺族に連絡を取り、関わり始め、祥子医師のために詩を書き、兄でミュージシャンの敏氏が曲をつけ、作られた歌が大山氏の本のタイトルになっている「さっちゃんの聴診器」だ。

「釜ヶ崎人情」等で知られる作詞家のもず唱平さん(右)

私は以前『NO NUKES voice』で、もず先生にインタビューしたことがある。穏やかなお顔から想像出来ない強い口調で話された言葉が忘れられない。「さきほどから言っていますが、私は未組織労働者しか信用できません」。その強い信念は、本の冒頭の「さっちゃんの言葉」に繋がるのではないか。「釜ケ崎に行きたい。そのことが神様の導きで自分の力の限りまでがんばって、そこで力尽きて倒れ込んだとしても、神様の掌(手のひら)の中だから自分はここまでやりたい」。

「もっと生きたかった この町に / もっと生きたかった 誰かのために」。(「さっちゃんの聴診器」より)

11月14日(日)、大阪市内・大国町の社会福祉法人ピースクラブで、午後3時より開催の追悼集会「矢島祥子と共に歩む集い」では、参加者全員で歌いたい。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)「西成青い空カンパ」
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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《追悼》福島県飯舘村の長谷川健一さん 長谷川さんと共に歩んだ「西成青い空カンパ」の10年 尾崎美代子

3・11以降、西成の仲間とつくった「西成青い空カンパ」で支援し続けてきた、福島県飯舘村の長谷川健一さんが亡くなった(享年68歳)。ここ数年、私は行き来していなかったが、お別れを前に、長谷川さんとの「思い出」を記しておきたい

長谷川健一さん

◆「西成青い空カンパ」と飯舘村

2011年3月11日の東日本大震災と原発事故後、西成の仲間と「西成青い空カンパ」を立ち上げた。ライブなどでカンパを集め、最初は日本赤十字社に送っていた。その後、直接カンパを渡たす場所を探していたところ、飯舘村に出会った。原発から40~50キロ離れた飯舘村は、事故までは原発とは無関係だった。しかし、爆発した福島第一原発から放出された放射能は、風向き、気候などに左右され、3月15日飯舘村に大量の放射能を降らせた。村に入ったジャーナリストらから、村の線量が非常に高いことを聞いた長谷川さんは、菅野村長(当時)に子供たちだけでも避難させろと迫ったが、村長は聞く耳を持たなかった。そのため子どもたちばかりか、村民も大量に初期被ばくした。それを知った私たちは、この村にカンパを送ろうと決めたのだった。   

その年の8月、京都で長谷川健一さんの講演会があった。前田地区の区長を務める長谷川さんは、なるべく皆で同じ仮設住宅に入居しコミュニティを守りたいと奔走した。伊達東仮設住宅に同地区の村民を避難させ、最後に自身も避難したあと、講演活動を始めていた。独特のしわがら声で「大勢の人にこの現状を知ってほしい」と訴える長谷川さん。私はすぐに楽屋を訪れ、長谷川さんと大阪講演の約束をした。双方の都合があわず、講演が実現したのは暮れの12月17、18日だった。

それ以降、ほぼ毎年大阪で講演会を行ってきた。来られない年は、仲間と長谷川さんの撮った映画「飯舘村 わたしの記録」や私たちが制作した「飯舘村ADR集団申立 謝れ!償(まや)え!かえせ ふるさと飯舘村」の上映会や支援ライブを行ってきた。

2013年4月の講演会後の親睦会で、長谷川さんは「関西の人はもう関心なくなったんかな」とポツリと漏らした。私たちの力不足もあり、参加者は年々減っており、私は申し訳ない思いでいっぱいになった。

西成での講演会のあと、ライブなどで集めたカンパを長谷川さんに直接手渡してきた。後ろ姿はヤンシ
私たちのカンパを一部にして購入されたコピー機。長谷川さんが住んでいた伊達東仮設住宅の自治会室に置かれていた

◆「原発ADRを闘おう」

長谷川さんが、頻繁にメールしてきたのは2014年春先あたりからだ。長谷川さんが「原発ADRを闘おう」と呼びかけ、参加者が増えている。休日、会場を取り、弁護士が手弁当で一人一人の聞き取り調査を行ってくれている。参加者が増えて、弁護士が足りないなどとのメールに、私たちが送ったカンパを一部にして購入したコピー機の写真が添付されていた。「裁判資料を作るのにとても重宝しています」とコメントも添えてあった。元気になってきた長谷川さんの顔を見るために、東京でのADへの申し立てには、ぜひ同行しようと決めていた。

申し立ての前日の11月13日、私は福島に行き、長谷川さんに飯舘村を案内してもらった。その後、長谷川さんは、弁護団との最終打ち合わせのため慌ただしく東京へ向かった。伊達東仮設住宅で、私と奥さんの花子さん、「飯舘村の母ちゃんたち 土とともに」を撮った古居みずえ監督の3人で、花子さんの作った「芋煮汁」を何杯もお代わりし、遅くまで話し込んだ。

翌朝、大型バスに村の皆さんと乗り込み東京へ向かった。皆さん、冗談を言い合い、上機嫌だった。いよいよ闘いが始まるからだ。しかし、その後、ADRはなかなか上手く進まないようだと聞いた。

「西成青い空カンパ」制作のDVD。長谷川さんが飯舘村を案内する様子、翌日ADRへの申し立て、記者会見の様子が入っています

◆「みんな疲れた。俺も疲れた」

「みんな疲れた。俺も疲れた」。2016年4月、再び福島を訪れた私に、長谷川さんはそう告げながら、「復興」が進む村を案内してくれた。

事故後始まった村の復興計画を長谷川さんは「雲の上から降りてきた」と表現した。村には20の行政区があり、避難指示解除後は、高線量の長泥地区を除く19の地区で、それぞれ復興していく計画だった。しかし、その後「深谷地区」を先行的・集中的に復興させていくと変更された。2013年9月、安倍晋三が「汚染水は制御されている」と嘘のプレゼンを行い、2020東京五輪の招致に成功したからだと私は考えた。その深谷地区を通る幹線道路沿いには、道の駅「までい館」、メガソーラー、「ふれあい館」など立派なハコモノが立ち並んでいた。ここを聖火リレーが走れば、世界中の人たちは「飯舘村は復興した」と思うだろう。そのために飯舘村の復興計画は変更された、と私は確信した。

緑豊かな山々に囲まれた沼平で、土壌、植物などの線量を測り、SNSで発信し続ける伊藤延由さんにお話を伺ったあと、福島駅に送ってもらう途中、耕作できない田畑を眺め、長谷川さんが私にこう聞いた。「尾崎さん、この畑やたんぼ、将来どうなると思う?」。草ぼうぼうの田畑をみながら私は「冬に草が枯れて、また春に草が生えて……その繰り返しですか?」と答えた。すると長谷川さんはこう言った。「違う、森になるんだ。俺はチェルノブイリで見てきた」。

◆「夏、ここいらがそばの花で真っ白になる。それを見にきたらいい」

実は数か月前、何かの記事で、長谷川さんの祖父が新潟県出身で、しかも私の故郷の近くであったことを知った。そうして村に入植した人たちが、鍬や鋤1本で山林の木を伐り、土地を耕し、田畑を作ってきたことは、滞在中、菅野哲さん、安斎徹さんからも聞いていた。しかし何故だろうか、長谷川さんにそのことを確認した記憶はない。

そう肥沃でなかった土地に、村の8割を占める山林が作る豊かな腐葉土と、畜産・酪農で作られた堆肥を、までいに(村の方言で丁寧になどという意味)鋤き込み作り上げてきた土と、昼夜の寒暖差が大きいことが作用して、野菜、コメを美味しく、花を色鮮やかにし、りっぱな「商品」に仕立ててきた。もちろん事故後は、除染できない山林の腐葉土に放射性物質が大量に残存したままで、もとに戻るには300年かかるという。

避難指示解除後、長谷川さんはお父さんと花子さんの3人で飯舘村の自宅に戻ると聞いていた。前田の家で、家の前の広大な土地にそばの種をまくと話され、「夏、ここいらがそばの花で真っ白になる。それを見にきたらいい」と言われていたが、私は見に行く機会を失っていた。

2019年、再び飯舘村を訪れたが、私は長谷川さんに連絡をしていなかった。福島駅に迎えにきてくれた安斎さんからは、事前に「当日、ふれあい館で前田地区の人が集まる」と聞いていたので、そこに行き、偶然長谷川さんや花子さんに会えたらいいなと期待したが、会は既に終わってしまっていた。道の駅から長谷川さんに電話すると、「なんで、連絡してくれなかったんだ」と言われ、私が答えられずにいると「俺は出かけるが、そこでちょっと待ってろ」と言われ、しばらくすると花子さんが炊き込みご飯を届けてくれた。

◆「飯舘は営農でどんどん復興してますなんて書かれたんじゃ、たまったもんじゃねえ」

講演会の帰りに皆で長谷川さんをホテルに送る途中、仲間が撮った写真。講演後も話は尽きなかった

今年に入り、数ヶ月前、Facebookで長谷川さんから友達申請がきた。「あれ? 友達なのに」と見たら、携帯を変えたらアカウントが消えたとあった。その後に「軽い気持ちで診察したら即入院となった。今まで手術、放射療法だったが、いよいよ抗がん剤治療が始まる」と書かれ、しかし「そばが気になったので、無理を言って明日退院です。抗がん剤治療は通いでやります」と書かれていた。9月9日の投稿だった。

しかし、私は電話もメールもできないまま、訃報を知る日を迎えた。そんな時、長谷川さんを取材し続けた豊田直己さんの記事を読んだ。そばの栽培は希望に満ちた営農再開ではなかったと書かれていた。

「マスコミがかぎつけて、そうやってそば作って(農地を)荒らさないようにやってるって、すぐ(取材が)始まんだよ。俺、全部(取材を)断ってる。いかにも復興してやってますよ、みたいな広告塔にはなんねえ」

「(そば作りは)生業にはなんねえ」「だから、飯舘は営農でどんどん復興してますなんて書かれたんじゃ、たまったもんじゃねえ。本当の現実をとらえて欲しいんだ」。

ああ、長谷川さんは、10年前、初めて会った時と全然変わってはいなかった。祖父が鋤1本で開拓してきた土地を、チェルノブイリで見たような森に戻したくなかったんだ。それを知り、私は初めて涙した。

長谷川さん、お疲れ様でした。ゆっくりお休み下さい。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)「西成青い空カンパ」
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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枯れた花を置いてまで、野宿者を排除したいのか? 大阪維新の差別行政で進む卑劣な野宿者排除 尾崎美代子

大阪市西成区のJR新今宮駅から南へ走る南海電鉄本線の高架下に入る「西成労働福祉センター」仮庁舎の周辺には、春からたくさんのプランターが並べられた。しかし、私が見る限り、8月から写真を撮った10月現在まで、花はずっと枯れたままだ。何故、花が枯れたプランターが追われ続けるのか? プランターが置かれる前、そこには野宿する人たちがいたからだ。

[右写真]南海電鉄高架下のセンター仮庁舎周辺に置かれた花の枯れたプランター。左の緑は勝手に生えた雑草 [左写真]別のプランター。枯れた花さえない

◆長年続く生活保護バッシング

DAIGO氏というメンタリストが、8月、自身の動画サイトで「ホームレスの命はどうでもいい……どちらかというとホームレスっていない方が良くない? 正直、邪魔だし、プラスにならないしさ、臭いし、治安悪くなるしさ、いない方がいいじゃん」などと発言し炎上した。

しかし、彼が発したような差別発言を、私たちはこれまでも散々見聞きしてきた。過去には、親が生活保護を受けていた件で、お笑いタレントが「親の面倒をみないのか」とバッシングされた。先頭にたったのは自民党の片山さつき議員、世耕弘成議員らだった。

片山議員は「生活保護は生きるか死ぬかの人がもらうもの」などとも発言していた。さらに、2016年NHKの番組に端を発した「貧困女子高生バッシング騒動」にも加担、先輩議員に続けとばかりに、杉田水脈議員も「『誰が何と言おうと僕(私)は貧困なんだ』『僕(私)の貧困を税金で何とかしろ!』とデモで叫ぶ若者を見ていて不安に思うのは私だけでしょうか?」とブログに書いた。

また、先の自民党総裁選に出馬した高市早苗議員は、過去に「さもしい顔をして、(生活保護費を)もらえるのはもらおうと、そんな国民ばかりいたら、日本が滅びる」と発言したいたことが問題視された。指摘に対して高市議員は、発言は、生活保護者の不正受給が急増した民主党時代に、どうしたら良いか討議する過程で発言したものと述べた。

生活保護者が増えれば不正受給数が増えるのは当然だが、日本の場合、生活保護受給者全体に占める不正率はわずか0.45%でしかない。メディアで「極悪人」のように取り上げられる、豪邸に住み外車を乗り回すなどの例はまれで、多くは子供のバイト代や臨時収入を申告しなかった、申告する義務すら知らなかった人もいた。しかし、それよりも問題なのは、生活保護を本来受けられるはずの人が受けられていない割合、生活保護の捕捉率が22.9%と、諸外国に比べ極めて低いことだ。

◆じんわり差別を助長させ、困窮者を排除する思想

 
JR新今宮駅北側。絵画が貼られる前、大勢の野宿者が生活していた

生活保護者や野宿者を、「私たちの税金で生活する人」「社会に役にたたない人」と差別したり社会から排除しようとする人たちは、先のDAIGO氏や自民党議員のように、露骨な差別的思想を持つ人ばかりではない。「善意」「や「社会のために」と思って行動したつもりが、その延長線上で生活保護者や野宿者が苦しめるとは思いもよらず、差別、排除に加担してしまう人たちもいる。

先の花の枯れたままのプランターを置き続ける人たちもそうだし、同じく新今宮駅北側で野宿者のテントなどを締め出すために、無邪気な子供たちの絵画を並べるのもそうだ。「町をきれいに!」の掛け声で、結果、野宿者を締め出し、「間接的に死に追いやる効果」(稲葉剛氏)をもたらしているのだ。

話はそれるが、政府の政策を進めるために、人々の善意を利用する手法は、福島の汚染がれきの広域焼却でも利用された。「被災地の人だけに押し付けるのは気の毒だ」「みんなでがれきを受け取ろう」と。

最近では、増え続ける福島第一原発内の汚染水を「ペットボトル1本でもよいから、海洋放出水をみなで分かち合うセレモニーができないか」と訴えるジャーナリストまで出てきた。いずれも、一か所に集中して管理すべき放射性物質を広域に拡散させ、放射能による健康被害を隠ぺいする、極めて犯罪的な行為だ。

 
先の絵画の貼ってある場所から道を挟んで反対側に建設中の星野リゾート

◆誰のための「住みよい町づくり」か?

良いことをやっている感を演出して、じわじわ野宿者を締め出す施策が、釜ヶ崎では、大阪維新の「西成特区構想」の進行とともに強化されている。西成区「あいりんクリーン推進協議会」主催で、西成警察署が主導し、町内会、ドヤ主、地元議員らが、市民が共に行う「クリーンロードキャンペーン」などもそうだ。

「きれいで住みよい町に」を掲げながら地区内をパレードし、最終地点の三角公園で、参加者にお茶やタオル、下着などを配布する。経済的に苦しい生活保護者や野宿者もそれらを目当てに参加する。それらを目当てに参加する人も多い。

一度、その場面に出くわしたことがある。労働者は三列に並ばされ、先頭を若い警官が棒で仕切り、3人づつ配布場所に進ませる。我先にとフライングしてしまう労働者に「3人づつ言うたやろう!」と怒鳴る若い警官。「町をきれいに!」という掛け声が、野宿を余儀なくされ、そのためにそう綺麗ではない身なりの人たちにどう聞こえるのだろうか? それがいつも気になるのだが……。

◆維新の町づくりの根っこにある差別

西成特区構想の最大の目玉「あいりん総合センター」の解体と、そのための野宿者の強制排除は、係争中のため実行されてはいない。しかし、野宿者排除は確実に進行している。西成特区構想、まちづくりを進める人たちは、「ジェントリフィケーションがおこらないように」「誰も排除されないように」と主張するが、とっくに排除は始まっている。

大阪維新が極めて差別的な思想の持ち主であることは、多くの維新議員の発言からも明らかだ。選挙の際、橋下自身は釜ケ崎では宣伝カーを降りなかったし、選挙に出馬した稲垣浩氏に維新関係者は「汚れ!あっち行け!」と暴言を吐いた。

その大阪維新と西成のまちづくりを進めようと、維新の特別顧問として、約4年「まちづくり会議」の座長を務めた鈴木亘学習院大学教授も酷かった。鈴木氏は、専門の経済用語を用い、野宿者を「外部不経済」と表現した。

「外部不経済」とは何か、なぜ野宿者がそう呼ばれるか、少し長いが鈴木氏の著書「経済学者 日本の最貧困地域に挑む」(2016年10月出版)から引用する。

「たとえホームレスが好きで野宿生活をしていたとしても、直接的には関係のない第三者に迷惑がかかるのであれば、そのときには行政介入が行われるべきである。第三者に悪影響をおよぼす場合を「外部不経済」、よい影響を与える場合を「外部経済」という。では実際に、ホームレスはどのような外部不経済をもたらすのだろうか。
第1に、公園や道路などの公共空間を占拠することにより、第三者が使用できなくなる。
第2に、結核などの感染症が蔓延し第三者に広がる。
第3に、周辺環境が悪化し地価や賃貸料が下がる。
第4に、路上生活にともなって健康悪化が進むと、最終的に重篤患者となり生活保護から高額の医療が支払われる。
第5に、ホームレスをみると通行人が気の毒に思って不幸な気分になる(これも立派な外部不経済である)。したがって、これらの外部性を解消する範囲内で行政介入が正当化されうる。」
 
メディアでの露出も多い著名な経済学者が、「ホームレスを見ると通行人が気の毒に思って不幸な気分になる」とは、DAIGO氏以上に大問題ではないか。反差別、反権力を標榜しながら、大阪維新や鈴木亘氏に忖度し、野宿者、生活保護者をじんわり差別する人たちも結構見かける。警察に弾圧される露店商を、(そんな「悪いこと」するのは)「生活保護者じゃないか」と言ったり、仲間が生活保護者と知るや「まだ若いくせに」「アウトやな」などと叩く人たちだ。

後ろに手を組む作業服姿の警官に厳しく規制されるパレード参加者

そういう私自身、数年前、真夏に日傘をさす男性に「男のくせに」と感じたことがあり、とっさに、男性だって熱中症や日焼けしたくないのは当たり前だと多いに反省させられた。反差別、反権力、弱者に優しく、誰も排除しない……口でいうのは簡単だが、それらを一歩前に進めるためには、日々、自身の態度を検証していきたい。

「反差別」「反権力」を叫んでいるだけでは何も変わらないが、まもなく始まる選挙では、なぜ野宿者、生活保護者にならざるをえない人が減らないのか、日本という国で、どういう政治が行われているのかを見ていきたい!

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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29年間の服役を強いられた「布川事件」冤罪被害者、桜井昌司さんが国賠控訴審で完全勝訴! 54年目にして「普通のオヤジ」に戻れた桜井さんがいま判決に思うこと、これからやりたいこと 尾崎美代子

1967年、茨城県で発生した強盗殺人事件(布川事件)で無期懲役の判決が下され、29年間服役、その後再審で無罪が確定した桜井昌司さんの国賠訴訟の控訴審で、8月27日、東京高裁は完全勝訴判決を下した。54年目に念願の「普通のオヤジ」に戻れた桜井さんに、判決への思い、今後の方針などを語っていただいた。(聞き手・構成=尾崎美代子)

 
9月13日夜、大阪市内の祝勝会で歌う桜井さん

◆自分はなぜ勝てたのか?

── おめでとうございます。判決後の報告会で、桜井さんは自分の言っていることが54年かかってようやく認められたと仰ってました。判決決定に考えられたことは?

桜井 9月13日、判決決定後、行った記者会見でも言いました、自分はなぜ勝てたのかと考えたら、自分は人さまとの出会いに非常に恵まれていた。何故恵まれていたのかと考えたら、自分は人さまの思いを素直に受け入れて、いつも「これでいいんだ」「有難い」と生きてきた。それが良かったのかと思いました。俺なんかが勝って申し訳ない。もっと勝ってほしい人がいる。でもこれからは、その人たちのために自分はこれから命をささげたいと思いました。

── 報告会では、大勢の弁護団の方々が一人一人が自己紹介され、本当に素晴らしいと思いました。

桜井 弁護団は全体で30人、実質動いてくれるのは24、25人いました。4~5人で一つの班を作り、全部で5つの班をつくって、「アリバイ班」「自白班」などに分けて取り組んできた。皆さん、無償です。弁護士の皆さんから「この裁判に関わりたい」と思ってもらうことも必要だと感じました。僕たちが(刑務所の)中にいる時はやはり本人がいないので、活動も停滞していた。しかし、1996年に僕と杉山が出てからは活発になって、有罪の根拠となっている点について、全て反論していこうとなった。自白、アリバイ、そこに録音テープ問題なんかが出てきて、どんどん増えていきましたね。

── 中にいるときから、絶対出たら裁判でやり返すと考えていましたか?

桜井 そんなこと考えてない。出られるとも考えてなかった。ただ目の前のことを一所懸命やるしかなかった。しかし、1994年に同じ冤罪を主張して否認し続ける石川一雄さんが仮釈放されたので、じゃあ、俺たちも出られるのかなと思ってきた。

── 判決日が半年延期になりましたが、判決は予想通りでしたか?

桜井 あの書き方ならば、延期になるはずないと思ったね。もちろん負けるとは思わなかったけど。

── 13日の記者会見で記者から「桜井さんは最高裁で闘えなかったのが残念と言っていますが、あれは本気なんですか」と聞かれたそうですが?

桜井 記者ではなく、一般の人だけどね。そりゃ、私はいつも本気ですよ。最高裁までいけば、判例がつくられ、それが今後非常に力を持ってくる。検察官の証拠開示を命令したら、全国の再審事件に波及するからね。でも、それだけは検察は必死で止めたかったと思いますよ。裁判所としても、これで決着させたいという配慮だったかと思いました。最高裁にいったら判例にするよう、こっちも必死で説得するし、その自信もあった。しかしそこは叶わなかった。でも一審の判断が取り消されたわけではないからね。

9月13日夜の祝勝会で、花束を貰う桜井さん

◆判決文が読まれている間に考えていたこと

── ブログ「桜井昌司『獄外記』」に、以前鍼灸師さんに「怒りの炎に包まれている」と言われたが、今回その怒りが消えたかな?と書いていましたが。

桜井 怒りは消えたみたいです(笑)。その鍼灸師さんには、その場で「刑務所29年行った」と言っただけで、俺のことそう知らないのに、そう言われた。昨日は、その鍼灸師さんに「細胞に疲労が出ている」と言われました。確かに疲れが出ていて、ずっとぐっすり眠れてなかった。それが昨日はぐっすり寝れた。今朝も、起きて風呂入ってご飯食べたらまた眠くなった。判決がでるまでは9時に寝て12時に目が覚めてと、眠りがおかしくなっていた。それなりに緊張していたんだね。そう意識してなかったが。

── 肩の荷が下りた?

桜井 肩の荷が下りたのは再審で無罪になったとき、今回は何か晴れ晴れした気持ち。

── 判決文読まれている間、天井を見上げていましたね。どんなことを考えていましたか?

桜井 杉山のことも考えたな。あいつも国賠やればよかったと思っただろうな、とか(笑)。あと判決文は、最高裁にいかないように考慮したのかなと感じたね。書き方として、警察、検察に抵抗しにくい書き方でした。吉田検事、早瀬刑事の個人の問題にし、個人が悪いんであって、組織には影響を及ばせない。上告しにくいように、個人の問題に帰結していた。全体ぼくの日記や手紙を引用したりした。早瀬刑事に僕は「(逮捕されたことを)新聞に出さないと言ったのに、出したな」と抗議の手紙を出していたから。しかし結果として、それらも全て冤罪を主張する時の力になったね。何が力になるかわからないよね。あと「これは完全無罪だな」とか考えていました。

 
9月14日、大阪高裁前で日野町事件の獄死した冤罪被害者阪原弘さんのご遺族と

◆法制審議会に冤罪被害者を入れろ!

── 今後は、これまで通り冤罪犠牲者の支援や講演活動、再審法改正の活動を行っていくということでしょうか?

桜井 そうだね。今、冤罪犠牲者の会として法務省などに要請にいこうと考えています。「法制をつくれ!」「冤罪者の声を聞け!」「法制審議会に冤罪者を入れろ!」とね。犠牲者の声を聞かなくてどうするんだと。先日、中村格が警察庁の新長官になったでしょう。要請行動に行ったら、彼に言ってやりたい。「レイプ犯を逃がしてやるような警察庁長官では無理かも知れないけど、再審法を正せ」「安倍晋三に仕えたら何やってもいいのか」「我々はそんなのは許さない」とね。

── あと検察の上訴権も辞めさせないと?

桜井 検察官の上訴権と控訴権を認めているのは日本しかない。戦前の法律の名残で、戦前は検察官にも「不利益再審」を与えたからね。検察も新たな証拠で訴えることが出来るとね。あと証拠開示法は絶対必要です。一般事件では証拠開示法はまがりなりにもできた。但し、証拠かの中身まではわからない。その中身までわかるような法律を作らせないとだめだね。冤罪仲間の支援では、とにかく「高知白バイ事件」をなんとかしたい。しかし、高知県でやってくれる弁護士を探すのは大変です。高知県警とまともな喧嘩になるからね。あれも、スリップ痕を捏造した100%デッチあげの事件だからね。

── ほかにやりたいことは?

桜井 ないね。2年前、余命一年と宣告された時も、特別なかったからね。ただ、もう一回四国に巡礼に行きたい。これは何としてもやりたい。今度はゆっくり回りたい。

── 日本は、いつまでも冤罪をつくるような司法があるから、政治全体が腐っていく気がしますが。

桜井 司法の歪みだね。日本の政治のいい加減さ、デタラメさが全てにおいて、検察がいい加減だから、安倍晋三なんかが逮捕されない。彼が韓国の政治家だったら、大変なことになっている。検察、警察が悪いことをしたら罰せられる法律を作ればいいだけです。それがないから平然としている。僕への賠償金も、国は国税、県は県税から払うのだから、個人の警察、検察の腹は痛まない。例えば早瀬刑事が悪かったら、彼が警察に頂いた財産を全部取り上げればいい。証拠捏造や嘘を付いたことが発覚した場合ね。そうすれば証拠捏造や嘘をいうことをやめる。個人の責任をはっきりさせれば、個人個人が「私はそういうことはできません」と断ることができる。西山美香さんにも青木恵子さんにも、警察、検察個人は絶対謝らない。加藤官房長官も、今回「真摯にうけとめて」というだけ。誰も個人では謝ってないし、責任もとっていない。今度の申し入れも、内閣府、国会、検察庁、法務省、警察庁の5ケ所に行く予定です。

 
9月18日、大阪弁護士会館の日野町事件の集会で歌う桜井さん

◆裁判官も少しずつ目覚めてきている

── 桜井さんが考えている構想は?

桜井 今は国賠という方法しかないが、自分が考えたのは、司法審査会。検察審査会を司法審査会に広げて、警察、検察、裁判所の間違いに対して、審査会にかける。証拠を特別に管理する場所をつくり、司法審査課で再審開始が決まったら、警察、検察、裁判官らには一切触らせず、弁護士でやっていく。そして司法審査会が国賠的なこともする。警察、検察、裁判所の罪を追及して罰金を科していく。そういう制度を、私が総理大臣になったらやります(笑)。

── 原発訴訟もですが、少しずつ裁判所も変わりつつありますね。

桜井 冤罪事件でも裁判官も少しずつ目覚めてきている。これまでは検察官べったりだったが、少し離れ始めた感じがある。もちろん今でもべったり人もいるが、目覚める人も出てきたのは間違いない。裁判官と、人を常に罰しよう、罰しようという検察の意識は違うからね。いつも人を罰したいと考えている人はまともな感覚は無理。そういう人が法務省を牛耳ってたら、人権なんか考えても無理だって。法務省は独立しないとだめ。その制度を、みんな知らないからね。そういうことを知る人が少しでも増えるようにしていきたいね。そういう声が増えたら、必ず社会は変わる、変えられる、そう考えています。

── 今日はお忙しいところありがとうざいました。

「桜井さんの1週間」── 9月13日、控訴審判決決定後、東京で最後の記者会見、夜、大阪・大国町「ピースクラブ」で祝勝会。14日、滋賀県日野町事件で、高裁で再審決定を受けた検察控訴の闘いを行う阪原さん兄妹さんらと高裁前宣伝活動。16日、大阪地裁、東住吉事件の国賠で、原告青木恵子さんの最終意見陳述傍聴、夜、富田林MAPcafeで勝利パーティー、18日、大阪弁護士会館で日野町事件の再審開始を求める集会へ。桜井さんの闘いはまだまだ続く。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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『NO NUKES voice』Vol.29 《総力特集》闘う法曹 原発裁判に勝つ
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《NO NUKES voice》大きな意義を持った東海村・乾康代候補の選挙戦 ── 過酷事故が起きた時、周辺30キロ圏内94万人住民の避難は困難だ! 尾崎美代子

3月18日、水戸地裁(茨城県)は、日本原電・東海第二原発(茨城県東海村)の運転を差し止める判決を言い渡した。過酷事故がおきた場合、周辺30キロ圏内に住む94万人が避難することは困難であるなどとの理由からだ。

その東海村で、8月31日、任期満了に伴う村長選挙が始まり、現職で3期目を目指す山田修氏と、住民団体「いのち輝く東海村の会」が擁立する乾康代氏(元茨城大教授)の一騎打ちで争われた。結果は、11,562票と3,907票で、山田氏の当選となったが、8年ぶりに再稼働を認めないと訴え、乾さんが立候補したことは非常に大きな意義があったのではないか。

選挙事務局前で乾康代候補

◆東海村の「歪められた開発」に警鐘を鳴らした乾さん

乾さんは、「都市計画」「住環境計画」を専門とし、茨城大学教育学部に赴任後の2004年、村の「東海村住まいづくり検討委員会」に加わり、東海村の都市計画問題に取り組んできた。そこで、村内で、原発や関連施設の周辺に緩衝地帯のないまま民家が建てられ、国策である原発推進とともに「歪められた開発」が進められてきたことに関心を深め、研究されてきた。

農業県だった茨城県の東海村に、日本原子力発電(以下、原電)が設置されたのは1957年のことだ。まもなく村の臨海部にある105万坪もの広大な国有、県有防砂林が、原発建設の候補地に選ばれ、原発の設置が決定した。村の人たちは、前年進出してきた日本原子力研究所(以下、原研)が、原子力の研究を始めることには期待していたが、原発まで建設されるとは知らされていなかった。

さらに、その後核燃料加工工場、使用済み核燃料再処理工場などが次々と作られ、現在、村内には12もの原発関連施設がある。こうした施設の建設と同時に、社員、作業員らの住居も建設されたが、当時、周辺地域に開発規制が行なわれなかったために、原発や原発関連施設のすぐ近くに住宅が建設されるという、危険で異常な事態が起こっていた。

海側の広大な臨海部には、原研と東海原発、再処理工場などが建設され、内陸部の国道6号線周辺に核燃料の加工工場などが作られ、間に住宅が立ち並ぶ。国道6号線と交差して、臨海地域にむけ3本の道路が、それぞれが東海第二原発、日本原子力研究開発機構・J-PARCセンター、再処理施設に向け整備され、地元の人たちからは「原電通り」「原研通り」「動燃通り」と呼ばれている。

原発とこんなに近い住宅街。村役場のエレベーターからそんな光景が一望できるという
村内の福祉施設が独自に掲げる反原発の看板。「外して欲しい」と苦情を言う人もいるという

◆30キロ圏内に94万人が住む危険すぎる原発
 
乾さんも、初めて東海村を訪れた時、原発のすぐ近くに民家が迫っている光景を見て非常に驚いたという。

私も実は、作家の大泉実成さんが書かれた記事で、1999年、JCO臨界事故が起きた際、ご両親が経営する作業所が、JCOと非常に近かったため、その後お母さんがPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症したと知り、どれほど近かったのかと気になっていた。あの事故では、3名の作業員のうち2名が死亡し、1名が重症になったほか、周辺住民667名が被ばくした。その中に大泉さんのご両親も含まれるが、先日、東海村を訪れ、阿部功志村議に案内して貰ったところ、JCOの工場からわずか120メートルの場所に、その作業所があった(ご両親は死去し、工場も閉鎖されている)。周辺は普通に民家が立ち並んでいた。

東海第二原発の30キロ圏内には、94万人の住民が住んでいるが、原発事故が起きた場合の避難計画はいまだ策定されていない。そもそも策定自体が不可能ではないか。実際、それを理由に、今年の3月28日、水戸地裁は、東海第二原発の再稼働を認めない判決を下した。世論調査では、6~7割の県民が再稼働に反対しているが、裁判の判決のみでなく、実際再稼働を許さない住民の運動が必要不可欠で、村長選もその1つだった。選挙では負けたとはいえ、双方の再稼働を巡る態度が一層明らかになった。

右側の白い建物が臨界事故を起こしたJCO(核燃料加工施設)。道を挟んだ左側に民家が立ち並ぶ
JCOから道を挟んで120メートルにある大泉さんの作業所

◆「約束を守らない」と批判された現職・山田村長

茨城県では今回、東海村長選挙と同時に県知事選も闘われ、こちらも「東海第二原発再稼働、YESでもありNOでもある」と無責任な態度をとる現職・大井川かずひこ氏と、乾氏と歩調を合わせ、再稼働反対を訴えた田中しげひろ氏の一騎打ちで争われ、大井川氏が当選を決めた。

目の前に迫る再稼働問題に無責任な態度をとる大井川氏であったが、山田村長も同様で、再稼働問題についてはダンマリを決め込み、水戸地裁判決にも「司法の判断」としか言及せず、過去には「原発が不要という人は、自宅から一歩も外にでてはいけない」と驚くような発言をしている。

 
8年前に村長を退任した前村長・村上達也さん。「再稼働を認めない」という約束を守らないと、現職山田村長を批判している

8年前、山田氏を村長に後継指名した前村長の村上達也氏は、その際「東海第二原発再稼働反対!」を約束したが守られていないと怒る。そればかりか、「私がやってきた福祉や教育政策もひっくり返した」と批判し、今選挙では乾氏を応援した。当然だろう。ほかの原発立地の選挙でも、推進側候補は再稼働への是非だけでなく、原発問題をも争点にすることを避けたがる。しかし、今回の東海村村長選では、その是非が明確になった。引き続き、どちらが村民の未来や生活を考えているか考え、村政を変えて行って欲しい。

乾氏の訴えは再稼働反対だけではない。老朽化した東海第二原発の廃炉後の未来を見据えた村づくりと準備していこうと、原発関連企業の労働者の就労確保、そして福祉政策の拡充、そして何より安心して住む続けられる村作りをめざそうと訴えてきた。また現在村内にある幼稚園の再編計画では、あろうことか山田村長は、住民にとの話し合いも行わず、東海第二原発からわずか2キロの村松幼稚園に統合しようとしている。ここでもわかるように、村の行政に女性がほとんど関われないことが問題であると、乾氏は、「村政にジェンダー視点を!」とも訴えていた。

これに対して、東海第二原発差し止め訴訟原告団の共同代表の相沢一正さんは、「決意に感謝します。まず原発廃止です。東海村の未来は、東海第二原発の廃炉が確定したあとに論じられるものと信じています。(乾候補の掲げる)ジェンダー平等の追求も大賛成、時間をかけても実現しましょう」と推薦の言葉を述べていた。

東海第二原発差し止め訴訟原告団共同代表・相沢一正さんの自宅前の看板

原発の高レベル放射性廃棄物の処分場にむけた文献調査をめぐる問題が起きている北海道の寿都町でも、この10月町長選が行われる。文献調査を推進する現職の片岡春雄町長に対抗して、「核のごみのない寿都町を!」を掲げる越前谷由樹村議が出馬を予定している。原発が終焉を迎えようとしている今、反原発を訴える首長を一人でも多く擁立し、全国で原発と核のない自治体作りを広めていかなければならない!

乾さんと東海村の皆さん、支援者の皆さんの闘いは、そうした闘いを後押しする大きな一歩になったと確信する。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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布川国賠控訴審で完全勝利判決! ―― がんと闘いながら、「冤罪のない社会」を目指す桜井昌司さん 尾崎美代子

8月27日、午前11時半、東京地裁前に「勝訴!」「捜査の違法を認める!」の旗が掲げられ、大きな歓声がわき起こった。この日、東京高裁(村上正敏裁判長は)、1967年、茨城県でおきた強盗殺人事件(布川事件)の冤罪被害者・桜井昌司さんの国賠訴訟控訴審で、一審勝訴判決と同水準の賠償を命じる判決を言い渡した。

この裁判は、布川事件の犯人にされ、無期懲役判決が下され、29年間獄中につながれてきた桜井さんが、2011年再審無罪を勝ちとったのちも、警察、検察に謝罪されず、「犯人視」され続けたため起こした裁判であった。高裁判決は、一審判決をさらに踏み込んで警察、検察の違法性を認定した、完全勝訴判決となった。

布川国賠控訴審で「完全勝訴」! 捜査の違法を認める!
東京高裁前で、判決前にアピールする桜井昌司さん

◆一審判決の意義

この事件では、自白以外に証拠がなかったため、警察、検察もなんとか桜井さんらの自白を取ろうと必死になって、捜査や取り調べで数々の違法行為を行ってきた。2019年5月30日、一審の東京地裁(市原義孝裁判長)は、警察、検察の捜査や取り調べに違法行為があったとして、国と茨城県に計7600万円余りの賠償を命じた。一審判決以上に詳しく、警察、検察の捜査や取り調べの違法性を認定したものだった。

一審判決は、警察が、事件発生時、桜井さんが兄のアパートにいたとのアリバイを述べたのに、「兄が否定している」とか、現場で桜井さんらを見たと供述した人はいないのに、見たと証言する人が存在するなどと嘘をいい、桜井さんを自白に追い込んだことを違法とした。

また検察は、事件当日、被害者宅の周辺で、桜井さんらを目撃したなどと証言した4人の捜査報告書などの開示を拒み、桜井さんの無実を示す証拠を開示しなかったことで、裁判所の誤った有罪判決を導いたとした。特に「公益の代表者」である検察官に対して、事件を解明し、真相を明らかにする職責があり、重要な証拠は有利不利を問わずに、法廷に提出する義務を負うと指摘したこと、特に弁護側から具体的な証拠開示の申し立てがあった場合は、合理的な理由がない限り、応じなければならないと述べたことは、非常に重大な意義をもつものだった。

桜井さん側は、当初、控訴しない予定だったが、検察が判決を不服として控訴したため、認定の一部を不服として付帯控訴し、東京高裁で控訴審が争われていた。

支援者の声援に見送られ入廷する桜井さん
仮釈放後結婚し、桜井さんを支えてきた奥様の恵子さん

◆さらに踏み込んだ高裁判決

午前11時の判決言い渡しに先立って、高裁前で宣伝活動が行われ、桜井さんがアピールを行った。

「日本の社会が酷くて、安倍晋三みたいなのが堂々と政治をやっている。コロナ対策もまともにやれない。やっぱりそれもこれも含めて、日本の司法が歪んでいることが全てだと思っています。警察も検察の方も真面目に仕事しているということを私は確信しているし、疑ったこともありません。でも残念ながら、日本の警察、検察は平然と公然と力におもね、白を黒とする組織です。警察という仕事はいつも人を疑うために、人間として歪んだ人たちの組織だと、私たち冤罪被害者は確信しています。警察官は人を信用しなくなり、正義を行いたいという過剰な思いと共に、無実の人に嘘の自白をさせてしまう。それが多くの冤罪の原因です。(中略)日本の警察というのは、適正に捜査をして、冤罪を作る組織なんです。そろそろ社会の皆さんが、この事実に気付いてほしいと思います。幸い私の事件は再審が勝って、国賠も一審で認められ、今日東京高裁でも認められることを100%確信しています。」
 
裁判の冒頭、村上正敏裁判長は、判決期日が延期になったことを丁寧に詫びられた。そして非常にわかりやすく書かれた判決要旨を読み上げた。「まるで誰かの作文のよう」と考えながら聞いていたが、判決後の報告集会で、弁護団から「桜井さんや私たちがずっと言い続けてきたことだ」と述べられた。そう、桜井さんが何度も獄中ノートに書き連ね、警察、検察に何度も話したアリバイなどの話だ。だからか、判決要旨を聞きながら、何度も「うんうん」とうなづき、ときおり天井を見上げる桜井さんがいた。

判決要旨の一部を紹介する。

「早瀬警察官は10月13日から3日間、被控訴人(桜井さん)に対し、長時間にわたって本件強盗殺人事件に関わる取り調べを行い、厳しく追及した。その間、被控訴人及び杉山を被害者方付近で目撃した者がいるとの虚偽の事実を告げ、また本件犯行があったとされる8月28日には杉山と一緒にいた光明荘(桜井さんのお兄さんのアパート)に宿泊したかもしれないと被控訴人が供述したのに対し、賢司(桜井さんのお兄さん)に確認していないにもかかわらず、賢司がその日は泊まっていないと言っている旨を述べ、同月15日には、やったことは仕方がないから早く素直に話せと母親が言っている旨のねつ造した話をし、同日行われたポリグラフ検査の結果、被控訴人の供述は全て嘘であると判明したとの虚偽の内容を伝え、手だてもないのに被控訴人の意向に従って新聞報道されないようにすると述べるなどした。そして、同日、被控訴人は、ポリグラフ検査後の取り調べ再開からわずか約1時間後、本件犯行を自白した」。(判決要旨より)

早瀬警察官は、このように虚偽の事実を次々と突き付け、桜井さんに心理的動揺を与えた。とくにポリグラフについて、一般的に科学的で検査結果には極めて高度の信頼性があるかのごとき印象を与え、まだ20歳で社会的経験の乏しい桜井さんに、非常に強い心理的動揺を与えたとした。

桜井さんはその後、有元検事にアリバイを主張したが、その後再び早瀬警察官の取り調べを受け再度自白に追い込まれた。そして有元検事と交代した吉田検事が、桜井さんが兄のアパートにいた際、窓から隣の部屋に入り缶詰を盗んだと説明したことに対して、以下のような嘘をつき、桜井さんを更に窮地に追い込んだ。

「自分も東京から通っており、光明荘と向かいのアパートをみてきたが、とても向かいのアパートに渡ることはできないと虚偽の事実を述べ、(実際には渡ることは可能であった)、控訴人のいうことは信じられないと告げ、被控訴人の主張するアリバイを調書に記載することもせず、否認しても裁判官は信じないだろうとも述べた。また、吉田検察官は、杉山に対して、公開の法廷で裁判官及び弁護人等の同席する場所においてさえ、後記のとおり高圧的な態度を示していたこと等に照らすと、被控訴人に対する取り調べについても、相当に高圧的であったものと推認できる」(判決要旨より)。

判決後の報告集会での桜井さん

13時から日比谷図書文化会館地下ホールで「報告集会」が行われ、弁護団お一人お一人の挨拶、続いて布川裁判を支えてきた奥様の恵子さん、「獄友」で国賠を闘う青木恵子さん、西山美香さん、日本国民救援会副会長伊賀カズミさんが挨拶を行った。最後に桜井さんのお話を。

「皆さん本当にありがとうございました。今まで何度も判決を聞いたが、今日の判決ほど、胸がすく判決はありませんでした。私と杉山が、54年前に警察や検察に何度も訴えた事実をそのまますっと認めてもらえた。聞いていて心安らかになった判決でした。途中で何度も涙がでそうになりました。当たり前のことが当たり前に認められるまで、54年かかるという……。何故こんなに嘘が当たり前のように報道されたりする、酷い国家なのか。こんなことがどこから生じるか? やっぱり検察庁のゆがみとしか思えません。平然と過ちを犯しても、謝りがない、54年間、無駄な労力を使う国家とは何か? しかも税金を使う。(裁判で)勝つのは嬉しいが,勝っても検察官の懐が痛むんですか? 何も影響はない。これは何なのか、勝手も怒りがわいてくる。やっぱり私たちは、どこかでこの過ちを正せるような国にしなくてはいけない、生意気ですが改めてそう思いました。ご存知のように私は2年ほど前に癌を発症し、医師からは見放されました。本当は死んでいるはずですが、なぜかどんどん元気になっています(拍手)。冤罪をつくる警察、検察も、どこかおかしいと思っているはずなので、私は生かされる限り、誰もが冤罪をうけないようなシステムを作るために、これからも、皆さんと共に頑張っていきたいと思っています。ありがとうございました」(拍手)。

判決後の報告集会

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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M君リンチ事件について考えたこと ── 最大の加害者は「捨て駒」を利用して、手柄を手にした連中ではないか 尾崎美代子

◆大阪高裁が下した判決の意味

「本件傷害事件当日における被控訴人の言動自体は、社会通念上、被控訴人が日頃から人権尊重を標榜しながら、金(注:良平)によるM(注:判決では実名。以下同)に対する暴行については、これを容認していたという道義的責任は免れない性質のものである。」

「被控訴人の本件傷害事件当時における言動は、法的な責任の有無にかかわらず、道義的見地から謝罪と補償を申し出ることがあっても不思議ではない」。

2014年12月17日深夜、カウンター内で発生したM君リンチ事件について、鹿砦社と李信恵さんが争っていた裁判で、7月27日、大阪高裁が下した判決の抜粋である。被控訴人とされているのが李信恵さんだ。

大阪高裁は、李さんが、M君が凄惨なリンチを加えられている事実を知りながら見て見ぬふりし、挙句負傷するM君の横を素通りし放置したことを、「道義的責任は免れない」「道義的見地から謝罪と補償を申し出ることがあっても不思議ではない」と認定した。

私は、この事件に関心をもち、裁判を傍聴し続けてきた。事件、裁判の経緯などを詳細に記録した鹿砦社発行の、いわゆるリンチ本第6弾『暴力・暴言型社会運動の終焉』には、私からお願いして寄稿させて頂いた。(同書はぜひ読んでいただきたい)。3・11以降、私自身、少なからず関わってきた反原発運動と、このリンチ事件がどう関係するのかを考えたからだ。

「祝勝会」と称し浮かれる加害者と神原元弁護士(2018年3月19日付け神原弁護士のツイッターより)

◆「被ばく」問題を極力軽視する反原連のミサオ・レッドウルフ氏の言動

 
ミサオ・レッドウルフ氏(2015年8月10日鹿児島)

3・11以降、関東を中心に始まった「首都圏反原発連合」(以下、反原連)の運動は、またたくまに全国に波及した。反原連が掲げた「再稼働反対」は、事故後全国の原発が停止する中、2013年、事故後初めて福井県の大飯原発が再稼働するにあたり、喫緊の課題ではあった。

運動が高揚し、警察の弾圧も強まり、関西では関電前では、刑事がわざと活動家の前で転ぶ「転び公妨」で逮捕者がでた。私は初めて店を閉め、関電前に向かった。そこで見たのは、警察の暴挙に抗議する一団とは別に、関電ビルに向かって、ひたすら「再稼働反対」を叫ぶ一団だった。彼らが反原連の関係者と知り、疑問を持った私は、ネットなどの情報から、彼らの運動内では組合旗や党派旗はNGで、日の丸はOKだとか、運動が盛り上がると、いきなり主催者が「解散」と宣言するとか、警官らに「ありがとう」とお礼を言うことなどを知った。「反原連とは何者?」と、ますます疑問が強まった。

そのうち反原連のメンバーが、関東で反原発、被災者支援を行う仲間に嫌がらせを行う様子をネットで見たり、また別の反原連メンバーが、反原発を闘う男性に、丸二日かけて、ツイートを削除しろと迫った場面も見たりした。そこからは、彼らの、放射能由来の被ばくについて、軽視、あるいは否定する傾向が見えてきた。

驚いたのは、反原連の代表であるミサオ・レッドウルフ氏だ。当時、鹿砦社は、反原連に結構なカンパを提供していたこともあり、同社発行の反原発雑誌『NO NUKES voice』にミサオ氏のロングインタビューが掲載されたことがあった。ミサオ氏はそこで「被ばく」の「ひ」の字を一度も使わず、反原発を語っていた。被ばくを口にせず、反原発を語れるとは……ある意味すごい「芸当」の持ち主だ。

事故から10年経た今、小児性甲状腺がんだけでなく、大人たちにも様々な放射能由来の被ばくによる健康被害、疾患が増えている。「再稼働反対」も「さよなら原発」も重要だが、実質再稼働を許してしまっている今、喫緊の課題は、これ以上無用な被ばくを許すな、ではないか。『NO NUKES voice』26号で行った小出裕章氏、水戸喜世子氏、樋口英明氏の鼎談でも、最新号(9月9日発売予定の29号)の井戸謙一弁護士のインタビューでも、そのことが確認されている。

◆反原発・反被ばくを闘う人々に執拗に絡み、攻撃する野間易通氏らのカウンター行動

 
野間易通氏

2013年春から、関西で始まったカウンター行動に、当初、私も数回参加した。その後、関東から助っ人として駆けつけたメンバーを見て、私は参加をやめた。そこには、関東で反原発、反被ばくを闘う知人に、執拗に絡み、攻撃していた反原連の野間易通氏らがいたからだ。カウンター行動も早晩、彼らに利用され、潰されることは、容易に想像できた。まさか、内部でリンチ事件が発生するとは思いもよらなかったが……。

2014年4月、民族派のデモが中止になったことがあった。デモに来る途中、民族派のメンバーが、野間氏らカウンターメンバーらに待ち伏せされ喧嘩となり、警察に拘束され、結果、デモは中止になったようだ。待機していた人たちが「やった!」と喜ぶ姿がネットに上がった。ヘイトスピーチをまき散らす連中のデモは確かに許せないが、それを力づくで止めたことが「勝った」ことなのか?

一基の原発の廃炉が決まっても、その後何十年、一定の確率で被ばく死する被ばく労働に就かざるを得ない労働者が存在する事実、何百年のスパンで被ばくによる健康被害に苦しむ人たちがいる事実が消せないのは、ヘイトスピーチを力づくで封じ込めても、ヘイトスピーチやヘイトクライムがなくならないのと同じではないか。

社会の末端の労働者に一定の確率で確実に被ばく死する労働を強いることを前提として成立する社会構造、様々な社会的弱者を犠牲にして成り立つ社会構造こそが問題にされ、解体されなくてはないのではないか?

◆「ヘイトスピーチ解消法」制定最中に起きたリンチ事件の隠蔽

2016年に「ヘイトスピーチ解消法」が制定されて、今年で5年になる。この法自体が、ヘイトスピーチなどの解消にどれだけ効力をもつか、逆に自らの首を絞めかねない悪法ではないかなどとも指摘されている。しかし、カウンター周辺の弁護士、国会議員、著名人らは、制定に向け躍起になっていた。

その最中に発生したリンチ事件をあの手この手で隠蔽しようとしてきたのは、何が何でも同法を制定させたいからにほかならない。中心的人物の一人・師岡康子弁護士は、支援者にあるメールを送っていた。そこには、「その人(M君)は、今は怒りで自分のやろうとしていることの客観的な意味が見えないかもしれないが、これからずっと一生、反レイシズム運動の破壊者、運動の中心を担ってきた人たち(李信恵氏ら)を権力に売った人、法制化のチャンスを潰した人という、重い批判を背負い続けることになります」などと、およそ弁護士(それも人権派)からぬ表現で告訴を必死で止めさせようととするものだった。

人権派弁護士ならば、えん罪事件をご存知だろうが、例えばえん罪被害者が過去に悪事を働いていても、それはそれとして罪を償うと同時に、疑われたえん罪は晴らさなくてはならない。同様に、師岡氏はじめ神原元弁護士、上瀧浩子弁護士らは、リンチ事件に関わった李氏に反省を求め、その上で在特会との闘いを支援し、差別を解消する法制定へ繋げていけば良かったのだ。運動の人生の先輩たる彼ら、誰ひとり、李氏やリンチ事件の実行犯・金良平氏に「暴力はいけない」「それは差別だ」と助言できなかった。それは彼らを「捨て駒」として利用してきたからだ。執行猶予中の身で辺野古へ向かい、逮捕され、あげく「変死」した男性もいたではないか。

神原元弁護士と師岡康子弁護士

M君の手記によれば、金氏は、カウンターに参加した当初、「自身の無学を恥じて、先輩の凛七星氏に『俺、在日やのに在日の歴史も何も知らんのです。勉強させてください』と本を借りたりしていた」というではないか。何故、周辺の先輩たちは、そんな彼の過激な言動を諫め、「在日として勉強したい」思いを伸ばしてやれなかったのか? それはひとえに、ヘイトスピーチ解消法制定という輝かしい功績(手柄)を手にしたいからではなかったか? 

金氏を擁護するわけではないが、「捨て駒」に汚れ仕事をさせて、自らの手には一滴の血もつけず、のうのうと運動の成功者のようにふるまえる著名人、国会議員、弁護士、そしてその神輿を必死で担ぎ上げてきたメディアこそ、私は許せない。リンチ事件の最大の加害者だ!

◆おわりに

ご存知のように、反原連は今年活動休止を宣言した。理由の一つに寄付金の減少をあげているが、金があろうがなかろうがやめることが出来ないのが、反被ばく、反原発の闘いだ。

リンチ事件で、李信恵氏に「道義的責任」を問う判決が下されたことと、反原連が休止宣言したことは無関係でないだろう。李氏、反原連がこのような状況に陥った背景には共通点があると考えるが、それはまた別の機会に述べたい。

誰もが矛盾を抱え、間違いを犯す、もちろん私も。ただ、私が誇れるのは、私には批判してくれる仲間がいることだ。

福島第一原発の収束作業で白血病を発症したあらかぶさん。東電と国に対して「俺たちは捨て駒じゃない」と闘い続けている

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』
『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉
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《NO NUKES voice》6月6日「老朽原発動かすな!」集会に1300人結集!── 全国老朽原発60年運転に口実を与える6月23日の関電美浜原発3号機の再稼働に反対! 緊急抗議行動へ! 尾崎美代子

6月6日大阪市内で開催された「老朽原発うごかすな!大集会IN大阪」には、緊急事態宣言下にも関わらず、1300人もの市民が集まった。6月23日予定される美浜原発3号機(福井県)の再稼働に向けた反撃の布陣が大きな広がりを見せている。関西、福井、そして福島からの参加された市民団体、組合、個人の方々からの熱いアピールが寄せられた。何人かの要約を紹介する。

 
中嶌哲演さん(オール福井反原発連絡会)

◆中嶌哲演さん(オール福井反原発連絡会)

昨年の秋以来国と関電は猛烈な攻勢をかけてきまして、関西から駆けつけられた方々には、その実態を如実に見ていただいたと思っています。地方自治体の行政職は公僕―公の下僕、地元住民の奉仕者でなければいけない。議員たちは有権者、市民の代弁者でなければならないのに、それと全く相反する姿を皆さんはご覧になったわけです。

住民の代弁者よりも、関電と政府の下僕と化した若狭や福井県内の状況、木原さんは我々の運動は住民自治、地方自治を取り戻す運動だと仰ってましたが、まさにその通りです。ご存じのように、関電は株式会社で、15~16%の株を有しているのは大阪市、神戸市、京都市など関西圏の主要自治体です。もちろん80数%はメガバンクや生命保険会社の投資で賄われているなかにあって、京阪神の自治体は少数派かもしれないが否定できない事実です。

そして関電が設置している原発は、小さな若狭の地に11基、977万ワット、わずかな6キロ万ワットしか必要としていない若狭に、それだけの原発が集中しています。その実態を関西の皆さんには改めて考えていただきたい。関西の1450万人の命と、その命の水源である琵琶湖を守ることよりも、大手株主や国を優先している電力会社であることも否定できません。

福島の事故から10年、風化するばかりの状況の中で、既に多くの皆さんが関電から離れていっている。この秋、選挙があり、政権をかえるチャンスが与えられている。現政権がブレーキをかけ続けてきた原発ゼロ法案を審議し、制定させる道がこの秋に切り開かれようとしている。3・11直後の沸き立つような市民運動、世論をもう一度思い起こし、「老朽原発止めろ!原発をゼロに!」という広範な動きを作っていきましょう。

◆山下けいきさん(反原発自治体議員・市民連盟関西ブロック)

避難計画ですが、現在30キロ圏内の自治体が避難計画を作るということになっています。なぜ避難計画をつくらないとあかんのか、原発のために、なぜ右往左往しなくてはならないか、本当に許せないと考えています。

 

水戸地裁では、この避難計画が出来てないから原発差し止めるという結果になりました。避難計画の概要ですが、30キロ圏内の自治体は避難計画を作るとなっている。県を超えて避難しないといけない。滋賀県は長浜と高島ですが、事故が起きたら大阪に、福井県、京都府は奈良や兵庫など他府県に避難すると計画になっています。

問題は、避難計画は30キロ圏内でいいのかということです。福島県の飯舘村は原発から40~50キロ離れていましたが、放射能汚染で全村避難になりました。アメリカは福島の事故の際80キロ圏内の人たちに避難しろとなった。イギリスは50キロ圏内となった。ですから今の30キロ圏内が妥当かどうか疑問があります。それから現場の負担が非常に大きい。2018年福井県の教育委員会が各学校毎に避難計画を作れと細かな指示をしているが、何故こんなものを学校で作っていかなければいけないのか。

避難する際の問題点ですが、バスの調達など進んでいない。新潟では昨年11月段階で5キロ圏内でも進んでいない。要介護の人たちの避難は今から具体化するという。コロナがあるのでバスの数も避難所の広さも2倍必要となっているが、こんなことは全く想定されない。複合災害が起こることなど考えられていない。なぜ原発があるために、私たちが避難しなくてはならないのか、ここに尽きると思いますので、原発動かしてはならん、ましてや老朽原発動かしてはならんと一緒に頑張っていきたいと思います。

◆和田央子(なかこ)さん(放射能ゴミ焼却を考えるふくしま連絡会)

 
和田央子(なかこ)さん(放射能ゴミ焼却を考えるふくしま連絡会)

私は除染と廃棄物の問題にとりくんでいます。先日環境省が汚染土再利用のためのフォーラムをオンラインで開催しました。大熊町、双葉町にまたがる中間貯蔵施設に搬入される1400万立方メートルもの汚染土を再生資材として全国で活用する、そのための全国民的理解の醸成をはかろうというものです。

パネリストとして登壇された東京大学大学院准教授・開沼博さんは、この汚染土問題について、自分のところは嫌だから、よそへ持って行って欲しいという押しつけあいの問題だというのです。

昨年から環境大臣は汚染土の入った鉢植えを、自身の大臣室に飾っているが、これをもっと広めたいと、つい先日「復興庁にも置いて欲しい」と平沢復興大臣に打診したところ、平沢大臣は「小泉大臣の前向きな取り組みに敬意を表したい」と発言、国会議員からも自分のところにも汚染土の鉢植えを置きたいという申し入れがあったということです。

原発敷地内では核廃棄物の取り扱いは発生者責任のもとに集中管理するという原則に基づき運用されている一方で、原発の外側、つまり私たちの生活圏に於いては、その原則が存在していません。

思い起こせば二本松のゴルフ場による除染訴訟で「無主物」判決がありました。その後、コメ農家らによる農地回復訴訟でも、同じような判決が下されました。東電の責任はないとするものです。このように加害者不在のもとに、汚染土がばらまかれ、汚染水が海洋放出され、被害が拡大し、子供たちの未来を奪っていく。このようなことを止めなければなりません。皆さんとともに歩みを進めていきたいと思います。

◆山﨑圭子さん(3・11後千葉県から滋賀県に移住)

私は、3・11の事故により健康被害が生じ、滋賀県に避難してきました。当時私が住んでいたのは、福島第一原発から205キロ離れた千葉県北西部です。この地域は2011年3月21日の朝、大量の放射性物質を含んだ雨が落下したことにより広大に汚染され、「汚染状況重点調査地域」に該当するホットスポットとなりました。

この地図からもわかるように、原発事故の汚染は福島にとどまらず、東北、関東と広範囲に渡って広がっています。原発に何かあれば福井県のみならず、広域に渡って汚染されます。それはイコール被ばくを強いられるということです。関電の榊原会長、森本社長、稼働している原発を直ちに停止してください。危険極まりない老朽原発の再稼働に反対します。

賛成とか反対とかいうより、そもそも原発はこの世にあってはならないものです。核のごみ、死の灰を出すことでしか動かす原発はいりません。全ての命のために、豊かな大地、命の水瓶を何が何でも守りたい。「豊かな国土と、そこに国民が根を下ろして生活していくことが国富であり、これを取り戻すことができなくなるのが国富の消失である」という樋口元裁判長の言葉を、今一度かみしめたいと思います」

山﨑圭子さん(3・11後千葉県から滋賀県に移住)

◆「緊急行動に起とう!」と呼びかける木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)

 
木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)

決議にあったように、関電と政府は6月23日に美浜3号機を再稼働させようとしています。断固とした抵抗なくこれを許せば、全国の60年運転へ道を開くこととなり、日本始め全世界の原発の60年運転への口実を与えることにもなります。今、私たちは子々孫々にまで、負の遺産・原発を残すことを許すのか、それとも命の尊厳が大切とされる社会の実現を目指すのか、歴史の岐路に立っているといっても過言ではありません。

「老朽原発動かすな」実行委員会は次の緊急行動を提起します。ご賛同、ご支援、ご参加をお願いいたします。

1つは悪の牙城・関電への抗議行動で、6月11日と18日(共に金曜日)中の島の関電本店前で行います。11日は申し入れも行います。一方、関電が再稼働を画策している23日(水)は、美浜町関電原子力事業本部前及び美浜原発前で抗議行動とデモ行進を行います。当日は大阪、京都、滋賀からバスがでます。以上緊急行動へのご支援と総結集をお願いいたします。老朽原発再稼働阻止を全力で闘い抜きましょう!

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

『NO NUKES voice』Vol.28
紙の爆弾2021年7月号増刊 2021年6月11日発行

[グラビア]「樋口理論」で闘う最強布陣の「宗教者核燃裁判」に注目を!
コロナ禍の反原発闘争

総力特集 〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

[対談]神田香織さん(講談師)×高橋哲哉さん(哲学者)
福島と原発 「犠牲のシステム」を終わらせる

[報告]宗教者核燃裁判原告団
「樋口理論」で闘う宗教者核燃裁判
中嶌哲演さん(原告団共同代表/福井県小浜市・明通寺住職)
井戸謙一さん(弁護士/弁護団団長)
片岡輝美さん(原告/日本基督教団若松栄町教会会員)
河合弘之さん(弁護士/弁護団団長)
樋口英明さん(元裁判官/元福井地裁裁判長)
大河内秀人さん(原告団 東京事務所/浄土宗見樹院住職)

[インタビュー]もず唱平さん(作詞家)
地球と世界はまったくちがう

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
タンクの敷地って本当にないの? 矛盾山積の「処理水」問題

[報告]牧野淳一郎さん(神戸大学大学院教授)
早野龍五東大名誉教授の「科学的」が孕む欺瞞と隠蔽

[報告]植松青児さん(「東電前アクション」「原発どうする!たまウォーク」メンバー)
反原連の運動を乗り越えるために〈前編〉

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
内堀雅雄福島県知事はなぜ、県民を裏切りつづけるのか

[報告]森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団代表)
「処理水」「風評」「自主避難」〈言い換え話法〉──言論を手放さない

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈12〉
避難者の多様性を確認する(その2)

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈21〉
翼賛プロパガンダの完成型としての東京五輪

[報告]田所敏夫(本誌編集部)
文明の転換点として捉える、五輪、原発、コロナ

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
暴走する原子力行政

[報告]平宮康広さん(元技術者)
放射性廃棄物問題の考察〈前編〉

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
新・悪書追放シリーズ 第二弾
ケント・ギルバート著『日米開戦「最後」の真実』

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
五輪とコロナと汚染水の嘘

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈12〉
免田栄さんの死に際して思う日本司法の罪(上)

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク(全12編)
コロナ下でも自粛・萎縮せず-原発NO! 北海道から九州まで全国各地の闘い・方向
《北海道》瀬尾英幸さん(泊原発現地在住)
《東北電力》須田 剛さん(みやぎ脱原発・風の会)
《福島》宗形修一さん(シネマブロス)
《茨城》披田信一郎さん(東海第二原発の再稼働を止める会・差止め訴訟原告世話人)
《東京電力》小山芳樹さん(たんぽぽ舎ボランティア)、柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表)
《関西電力》木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《四国電力》秦 左子さん(伊方から原発をなくす会)
《九州電力》杉原 洋さん(ストップ川内原発 ! 3・11鹿児島実行委員会事務局長)
《トリチウム》柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表/再稼働阻止全国ネットワーク)
《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク、経産省前テントひろば)
《反原発自治体》けしば誠一さん(杉並区議/反原発自治体議員・市民連盟事務局次長)
《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)

[反原発川柳]乱鬼龍さん選
「反原発川柳」のコーナーを新設し多くの皆さんの積極的な投句を募集します

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