ISF独立言論フォーラム編集長の木村朗さんから、動画出演の依頼を頂いたのは昨年11月だ。元鹿児島大学で教授をされてた木村さんは、その後ジャーナリストとして、様々な平和問題に携われ、同フォーラムでそれぞれの運動に携わる方々を取材した動画を公開している。

私の場合、拙著『日本の冤罪』のなかから、一つ一つの事件について木村さんからインタビューを受けることとなった。ちなみに木村さんは、鹿児島大学に赴任中、冤罪・志布志事件の支援に関わっておられたそうだ。

1回目(昨年)は、『日本の冤罪』の冒頭に掲載された桜井昌司さんとの対談と「布川事件」、そして木村さんからのリクエストで「高知白バイ事件」についてお話させて頂いた。全4回にわかれていますが、何しろこうした取材は初めてなので、不慣れなしゃべりとなっております。

2回目(2月7日収録)では、「湖東記念病院事件」について話して下さいとリクエストを頂いた。その際、木村さんから「ちょっとわかりにくい点があるんです」と何点か質問を頂いていた。木村さんが質問された内容は、たしかに本著では書ききれていない。本著の記事については、湖東記念病院事件の主任弁護士の井戸謙一弁護士に最終確認はしているが、字数の関係などで全て書き切れておらず、なかなかわかりにくい点があった。

木村さんの質問になるべく答えるべく、収録までの数日間、私は必死でそれまでの関係資料を読み込んだ。特に読み込んだのは、動画内で紹介している『冤罪をほどく “供述弱者”とは誰か』(中日新聞編集局 滋賀・呼吸器事件取材班デスク秦融氏)だ。この事件が「冤罪」であると社会的な世論が高まる前に、西山さんのご両親から西山さんの手紙をみせてもらった中日新聞記者らが「彼女は犯人ではないのではないか?」と思ったところから、取材は始まった。

表紙にある「私は殺ろしていません」という文字に表れているように、送り仮名に間違いはあるものの、西山さんは患者さんを殺害していないことを、手紙で必死に綴ってきた。そこから、取材班は家族、弁護団と連携しながら、刑務所内での精神鑑定を実現し、西山さんに軽度の知的障害や愛着障害があることを解明していく。そして、西山さんの自白調書が滋賀県警の山本誠刑事に恣意的に作成されたことを……。山本誠刑事の劇画チックかつ盛りに盛りすぎた調書が全く嘘であったことがばれていく……。

そんなお話をさせて頂きました。ぜひ、ご視聴をお願いいたします。


◎[動画]日本の冤罪(2)湖東記念病院事件~再審無罪後も続く警察・司法の違法な追い打ち~[前半]独立言論フォーラム(ISF)


◎[動画]日本の冤罪(2)湖東記念病院事件~再審無罪後も続く警察・司法の違法な追い打ち~[後半]独立言論フォーラム(ISF)

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

1月18日、ある動画がYouTubeで公開され、話題を呼んだ。筆者も初めて見る映像だった。公開されたのは、ある刑事事件で「犯人隠避教唆」の疑いで逮捕され、有罪判決をうけた元弁護士・江口大和氏が、検察で取り調べられている映像だ。

江口氏は、逮捕時から一貫して容疑を否認、取り調べで黙秘した。しかし、横浜地検特別部の川村政史検事は、黙秘権を行使する江口氏に対して、延々と江口氏の人格を否定するような侮蔑的な発言を発し続けていた。動画は21日間約56時間に及んだ取り調べの映像を約13分に編集したものだ。

江口氏はその後、こうした取り調べは、憲法が保障する黙秘権を侵害する違法行為だとして、国に1100万円の国賠訴訟を提訴。動画は国側の証拠として開示されたものだ。

動画は、川村検事の後方から撮影しており、正面に江口氏が映っている。川村検事は机を叩く、怒鳴るなどはしないものの、「がきだよね、あなたって」「ぼくちゃん」「おこちゃま」「もともと嘘つきやすい体質なんだから」「詐欺師的な類型の人に片足突っ込んでる」などと江口氏をひたすら罵倒し続ける。江口氏が取り調べを中断しトイレに行き、席に戻った際には「取り調べ中段してすいませんでしたとか、いうんじゃねえの、普通」「あんた、被疑者なんだよ」などとイヤミをいう。

江口氏の弁護人・趙誠峰弁護士は公開前、ブログで「憲法が黙秘権を保障していることの意味は、権利を行使する人に対して、取り調べと称してこのような罵詈雑言を浴びせることは許されないということではないか」と書き、動画公開に踏み切った理由を「実際に行われている『取り調べ』が、いかなるものかを多くの人にみてもらう必要があると思ったからです。そのなかで、黙秘権を行使することの意味(黙秘権を行使しても、このような取り調べが20日以上も続く現状が、黙秘権侵害といえないのか)を考えてもらいたいと思ったからです」と述べた。


◎[参考動画]取り調べで「ガキ」「僕ちゃん」 検察官発言、法廷で再生 黙秘権巡る訴訟・東京地裁(時事通信映像センター 2024年1月18日公開)

2019年、業務上横領の容疑で逮捕、起訴され、2021年10月28日、裁判で無罪判決を勝ち取った東証一部上場企業プレサンスコーポレーション元社長の山岸忍氏が、国を相手に訴えた国賠訴訟で、同じく取り調べ動画の公開を請求した。

昨年9月19日、大阪地裁は、山岸氏の部下Kを取り調べた録画録音記録約70時間のうちの約18時間分の提出を国に命じた。そこには、検事がKに「あなたはプレサンスをおとしめた大罪人」などと迫った場面が含まれる。裁判では、山岸氏の有罪を立証するKの供述の信用性が問われ、山岸氏は無罪となった。

地裁判決は「違法な取り調べの立証には、検事の口調や動作といった要素も重要。映像は最も適切な証拠だ」として国に提出を求めたが、検察は控訴。1月22日、大阪高裁は、動画の重要部分を非公開とする決定を言い渡した。そこからは、検察官が机を叩いて一方的にKを怒鳴り続けたシーンが削られてしまっているという。山岸氏はこれを不服として、現在、最高裁に不服申し立てを行っている。

現在、筆者が取材を始めたこの事件は、2008年発覚した郵便不正・厚労省元局長事件(村木事件で、村木厚子さんを冤罪犠牲を強いた大阪地検特捜部が新たにつくった冤罪事件だ。学校法人明浄学園の運営する校地の売却代金21億円を、当時の理事長・大橋美枝子氏らが横領した事件で、山岸氏と部下のK氏、山岸氏が懇意にしていた不動産会社社長Y氏も共謀で逮捕、起訴された。

大阪地検特捜部は、K氏・Y 氏の虚偽供述に基づき山岸氏を逮捕した(Y氏はその後虚偽供述の撤回を検察に求めたが叶わなかった)。山岸氏は、個人資産18億円を貸し付けたのはあくまでも学校法人であり、大橋氏らの横領などに関わってないと一貫して無罪を主張した。

山岸氏の逮捕後、弁護団が客観的証拠などを検討してみると、じっさいには学校法人がお金を借り入れるという内容の文書やメールなどが多数存在していた。これはK氏の供述と完全に矛盾するものだった。

では、なぜK氏は世話になった山岸氏を罪人に落とし込めるような虚偽供述をしたのか? その後、弁護団が多くの証拠を開示させていくなかで、K、Y両氏の取り調べの録音録画の内容が明らかになってきた。記録は、K氏で21日間のうち20日計73時間半、Y氏も同じ日数で計69時間にも及んでいた。

接見にきた弁護士が山岸氏に「山岸さん、Kの取り調べで田淵大輔検事が怒鳴っているシーンがあったんだよ」「昨日観た場面では田淵検事がバンバン机をたたいてKを威嚇していたよ」と報告、その一部を書き起こして山岸氏に差し入れた。

田淵検事はKに対して、「ウソだろ。今のがウソじゃなかったら何がウソなんですか」「ウソついたよね」「なんでウソついたの?」「これ以外にもウソいっぱいついているだろ、わたしに。これ以外にもわたしにウソいっぱいついたでしょ。私はあなたの良心にすこしかけてみた。わたしは悪いあなたがでてきたら、今みたいな弁護をすると思いましたよ。でも、あなたがウソをついたことを悔い改めたら、頭をさげると思ってました。でも、あなたはそれどころか逆ギレじゃありませんか。しかも、そんな怖い顔をして。悪びれるどころか、ウソの上塗りをしてきたよ。なんでそんなことができるの?なんでそんなことをするんですか?ほかにもウソをついているだろ」、そして、「あなたは、プレサンス社の評判を貶めた大罪人だ。会社から10億、20億ではすまされないほどの多額の損害賠償請求をされるが、それを背負う覚悟はあるのか」などと脅し、山岸氏の関与を認める供述を強要させていた。山岸氏は、この書き起こしを読み、元々気の弱い部下のK氏がどうして自分を陥れるような嘘の供述をするのかがようやく理解できたという。

一方、Y氏を取り調べた末沢岳志検事について、「悪質さは(田淵と)同等かそれ以上ではないか」と山岸氏はいう。末沢検事はY氏に「何度もいうように、山岸さんの関与が本当にあるんやったら、それ言わへんかったら、今のこの立ち位置だけからしたら、大橋さんと同じくらいYさんすごくこの件に関与した、非常に情状的にはやっぱりかなり悪いところにいるよということ。もう、お金貸して戻すところまで全部わかっているんだから」と、Y氏が山岸氏の関与を否定する供述を続けるならば、主犯の大橋と同じくらいの罪になると恐怖心を煽っている。

 

山岸忍氏の著書『負けへんで! 東証一部上場企業社長vs地検特捜部』(文藝春秋社)

そのうえで、「山岸さんが主導する、プレサンス側の意向があったから、これはもうやらなアカンのやというような話で、今回の件の21億円回して返済するところまでやったんやというんやったら、それはおのずと責任の重い軽いというのは、それは変わってくるでしょ」と、山岸氏の関与を認める「自白」をしたならば、Y氏自身の罪が軽くなると騙している。更にY氏は部下にまで罪が及ぶと脅され、いったん山岸氏が大橋氏個人へ貸し付けたと認める調書の作成に応じた。

その後Y氏は調書を撤回してほしいと検察官に懇願したが、撤回されず、検事からは「そんだけ言うんやったら、法廷でひっくり返したらよろしいやん」などと捨て台詞を吐かれていた。Y氏は公判で、先の虚偽の供述を撤回したうえで、末沢検察官から「山岸さんの関与を認めないと、自分の責任が重くなる。部下も逮捕されるということを仄めかされて事実とは違う内容の供述調書に署名してしまった」とはっきりと証言した。

そこで山岸氏の国賠では、こうしたK氏やY氏への取り調べを録音録画した記録を証拠として提出させることが重要になった。しかし、大阪高裁は最も重要な部分を非公開にするとした。

実は山岸氏の弁護団は、膨大な量の録画録音記録の書き起こしを専門業者に依頼せず、自分たちで行った。書き起こしながら、その取り調べ時の検事の口調、動作などを少しでも知る ためだ。筆者も山岸氏の著書『負けへんで! 東証一部上場企業社長vs地検特捜部』(文藝春秋社)で、その内容の一部は読んでいた。しかし、そこに冒頭の取り調べのシーンのように、音と動作が入ったならば、一層その迫力が増すというものだ。ぜひ、山岸氏の国賠訴訟で、その場面を見てみたい。

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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年3月号

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問われる「こども家庭庁」委員の関与「ベビーライフ事件」と国際養子縁組の闇
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「松本人志」「旧ジャニーズ」で見えた変わらぬ大手メディアの忖度体質
米国マスコミが自主検閲で隠してきた2023年の重大ニュースTop25
シリーズ 日本の冤罪47 鶴見事件

連載
あの人の家
NEWS レスQ
コイツらのゼニ儲け 西田健
「格差」を読む 中川淳一郎
ニュースノワール 岡本萬尋
シアワセのイイ気持ち道講座 東陽片岡
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裏から世界を見てみよう マッド・アマノ
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1月30日午後3時すぎ、青木恵子さん(東住吉事件冤罪犠牲者)からLineが届く。

「ママ、名張事件が棄却されました。許せないです」。

1961年、三重県名張市の小さな村の公民館で行われた親睦会で、ぶどう酒を飲んだ女性5名が死亡、12名が重軽傷を負う事件が発生。村人の奥西勝さんが逮捕・起訴され、1972年、最高裁が上告を棄却、死刑判決が確定した。その後何度も闘われた再審請求。2015年、奥西さんが無念の獄死を遂げた(享年89歳)のち、妹の岡美代子さん(現在94歳)が請求人となり第十次再審請求を行ってきたが、最高裁は、1月29日付で再審開始を認めない決定を出した。

以前、青木さんとが岡さんと西山美香さん(湖東記念病院冤罪犠牲者)の3人で撮った写真を見せてもらったことがある。2人に囲まれた岡さんは久々に楽しく笑いあえたと、とてもにこやかな表情だった。青木さんは現在、西山さんと1日でも早く岡さんを励ましにいきたいと日程を調整中とのことだ。

◆奥西勝さんは犯人なのか?
 
事件発生から6日後、奥西勝さん(当時35歳)が逮捕された。亡くなった女性の中に、奥西さんの妻と愛人が含まれていたことから、三角関係を解消するために犯行に及んだとされた。奥西さんは厳しい取り調べに何度か「自白」に追い込まれたが、その後は一貫して否認している。

ぶどう酒は、当日会長が住民Aに買いに行かせ、Aは午後5時過ぎに瓶を会長宅に運んだと証言していた。その後まもなく奥西さんが会長宅を訪れ、ぶどう酒を公民館に運んでいたため、会長宅で毒物を混入する時間はなく、毒物を混入できるのは、公民館で奥西さんが1人になった10分しかないとされた。

物証や目撃証言が乏しいなか、警察は、わずか8戸の小さな集落で村人を集め「話し合い」を行い、消去法で奥西さんを犯人とした。しかし、村民の供述は、逮捕された奥西さんの「自白」後、不自然に変遷していた。とりわけAは、当初「午後2時に運んだ」としていたが、奥西さんの「自白」後、午後5時に変えていた。

1964年、こうしたカラクリを「検察官のなみなみならぬ努力の所作」と皮肉を込めて批判し、一審・津地裁は奥西さんに無罪判決を言い渡した。検察は判決を不服として控訴、1969年、名古屋高裁は、「ぶどう酒瓶の王冠に付いていた歯形が奥西さんの歯形と一致した」として、逆転死刑判決を言い渡し、1972年、最高裁で刑が確定した。

ぶどう酒瓶が会長宅に届けられたのは午後2時か、5時か?公民館で奥西さんが1人になった時間があったのか?蓋を開ける際、瓶はどのような状態だったか?供述調書や関連書類が隠されたまま、再審請求が求められた。

再審請求は第一次から第五次まで次々と棄却。その後、日弁連の弁護団が加わり、奥西さん無罪の新証拠を次々と開示させていった。2002年、名古屋高裁に請求した第七次再審請求では、死刑判決の根拠となったぶどう酒瓶の王冠に付いた歯形と奥西さんの歯形が一致したとする鑑定が不正であること、ぶどう酒瓶に混入された農薬と瓶から検出された農薬が別物だという新証拠が提出された。

2005年4月5日、名古屋高裁(刑事1部)は再審開始と死刑執行の停止を決定。検察官が異議を申し立て、2006年、名古屋高裁(刑事2部)は、再審開始の決定を取り消、死刑執行停止も取り消した。2010年、最高裁はその決定を再度取り消し、名古屋高裁に審理を差し戻すなどし、審理は更に続いた。

一方、奥西さんは、2015年10月4日、名古屋高裁に第九次再審請求中に、それまで患っていた肺炎を悪化させ、府中医療刑務所で獄死、享年89歳だった。

その後まもない11月6日、奥西さんの妹の岡美代子さんが請求人となり、名古屋高裁に第十次再審請求が申し立てられた。しかし、名古屋高裁(刑事1部)は、2年もの間、三者協議も開かずに、17年請求を棄却。異議審を審議する名古屋高裁(刑事2部)も三者協議を開かず、事件を放置するという不当な対応を続けた。

弁護団は3度に渡り、裁判官らの「忌避」を申し立てたが、そのさなか裁判長が突然依願退官することがあった。しかし、その後新たに鹿野伸二裁判長が就任するや、面談が実現するなど、裁判が慌ただしく動き出した。

◆名古屋高裁で何が争われていたか?

面談で弁護団は、①請求人が高齢であるから、早急な解決を望む、②ぶどう酒瓶に巻かれた「封かん紙」の裏側に付着する糊に再鑑定を許可して欲しいなどと要求した。さらに弁護団の証拠開示命令の申し立てで、新たに9通の住民の警察官調書が存在することがわかった。これに対して検察は「開示する必要はない」としたが、裁判所が開示を強く求め、事件から59年ぶりに新証拠が開示されることとなった。
それは親睦会に参加していた7名の住民の9通の警察官調書で、奥西さんが「自白」した前の、事件直後の住民の記憶が鮮明なときに作成されたものだった。奥西さんの「自白」では、ぶどう酒瓶に毒物を混入させるため、火鋏で外蓋を突き上げ外したが、その際、蓋の外側に巻かれた封かん紙も破れ、落ちたままだったということだった。つまり、親睦会が始まった際、住民が見たぶどう酒瓶は、内蓋が閉められただけの状態だったはずだ。

しかし、警察官に質問される形で、瓶がどういう状態だったかと聞かれた住民は、それぞれ「ブドウ酒の瓶は裸瓶でありましたが、封をしてるところに紙が巻いてあったと思います」「流しの前に立ててあるとき、王冠の蓋に封した紙を巻いてありました」などと答えている。つまり、親睦会が始まった際、住民が見たたぶどう酒瓶には封かん紙が巻かれていたということ、これは先の奥西さんの自白とは完全に矛盾するものだ。

しかもこの供述は、奥西さん無実のもう証拠ーー封かん紙の裏側に、製造過程で使った糊(CMC糊)とは別の、家庭で使う洗濯糊(PVA糊)の成分が検出されたとの、弁護団の新証拠と合致するものだ。

しかし、最高裁は2024年1月29日付で特別抗告を棄却した。長峰裁判長は「弁護団が主張する鑑定方法で『封かん紙』に付いた物質を特定すること自体、相当難しい。鑑定結果に、何者かが毒物を混入して再び糊付けした可能性を示す証拠としての価値はない」とした。

ただし、5人の裁判官のうちの一人、学者出身の宇賀克也裁判官は「封かん紙に異なる糊の成分が就いているとした鑑定結果は高い信用性があり、犯人性に合理的な疑いが生じる」として、再審を開始すべきだとの反対意見を述べた。長い裁判の中で、初めてのことだった。

岡美代子さんと弁護団は、第十一次再審請求を準備するという。名張毒ぶどう酒事件に今後も注目していこう!

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

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昨年12月24日、大阪ピースクラブで「冤罪と司法を考える集い」が開催された。そこでの井戸謙一弁護士のお話を全4回に分けて紹介する。

井戸謙一さん(ぴのさん撮影)

◆代用監獄問題

今、国際的に日本の刑事司法の何が批判されているかというと、「代用監獄問題」と、それから取り調べへの弁護士の立ち合い問題です。代用監獄問題というのは、ご存じの方もかなりおられるんじゃないかと思いますけど、本来は、被疑者を逮捕したら警察の手元に置いていてはいけない。拘置所に入れなければいけない。しかし今の日本では、98%ぐらいは警察の留置場に入れられるんです。

被疑者と弁護人、それから警察捜査側というのは対立当事者ですから、その一方の警察の手元、警察の留置場に被疑者を置いておくのは根本的に間違えてるわけです。そこでは、警察が自由にいつでも取り調べができる。カツ丼を食わしたりとか色んな利益供与も行える。そんな状況は嘘の自白の温床になるわけで、そんなことはしてはいけないというのが、国際的な常識なのです。しかし日本だけは、警察の留置場に置いている。どこに勾留するかというのは、裁判官が決める事だから裁判官がきちんと拘置所に勾留したらええやないかという話なんです。

しかし、これが実は難しい。なぜかというと警察は予算がついてるし、留置場の設備がとても良い。新しくて冷暖房完備です。それから警察の留置場はたくさんある。例えば私の事務所は滋賀県ですが、滋賀県でも警察署ごとに留置場はあります。

一方で、拘置所には予算がつかない。古い建物で設備が良くない。それから、場所が非常に限られている。今、滋賀県では、滋賀拘置所がJR琵琶湖線の石山から歩いて20分ぐらいの所に滋賀刑務所があって、その中に拘置所があります。彦根にも拘置所がありましたが、今は廃止されました、

最近では石山の拘置所も廃止されて、京都刑務所の方に移されるという話が出ています。そうすると、例えば長浜など滋賀北部の警察で逮捕されると、弁護士はそこの弁護士がつく。しかし毎日接見に行くとなると、長浜警察署の留置所に入れておいてくれたら長浜の弁護士は毎日接見に行けますが、石山とか京都に入れられるとそこまで行かなくてはいけなくて、なかなか弁護士はそんなに時間がとれない。

だから弁護士も警察の留置場を希望する。本人も設備が良いから警察の留置場を希望する。そういう中で裁判官が、いや法律上これはおかしいから拘置所に勾留するという事は中々できない、要するに単なる理屈だけではなくて、拘置所の設備にきちんと予算を入れなくてはいけないし、拘置所をたくさん作らないと、本来「被疑者は拘置所に入れる」という法律の原則が実現できないのです。そういう形で留置場へ入れざるをえないという状況が作られているのです。こうした事も社会的に批判していく必要があります。

◆弁護士の立ち合い問題

取り調べに弁護士が立ち会うというのも、今の日本ではほとんど実現していません。例えば西山美香さんのような供述弱者は、ある意味、自由に警察官の手の上でもてあそばれたような事になりましたが、こういう事を防ぐには、取り調べの時に弁護士が立ち会うしかないのです。これは日本では突飛な話と思うかもしれないけど、国際的には当たり前の話なんです。

今、国連人権理事会で日本政府に勧告されているのは、この代用監獄問題と弁護士の立ち合い問題で、これを改善する事を求められています。だけど、こういう事はメディアもほとんど伝えないし、ほとんどの方は知らないと思います。国際的な人権のレベルからすると非常に遅れているのです。

◆人質司法問題

それから人質司法問題、これは元日産のゴーンさんが逃げ出して、大きな問題、話題にはなりましたけど、(起訴内容を)認めないと裁判所は保釈しない。こんなに酷いことはないのです。

身柄が拘束される。要するに警察の留置場や拘置所から出れない。普通の市民がある日突然逮捕されてから、(留置場や拘置所から)もう出れないというのがどれほど大変な事なのか。会社もダメになるし、家族もばらばらになる。自分の人生がどうなるかわからないわけです。

その時に「認めたら、保釈がきくよ」と言われたら、取り敢えず認めて保釈で外へ出て、仕事の立て直しとか家族との修復などをして、裁判では真実を言ったら裁判官はわかってくれるだろうと思う。それはむしろ普通だと思うのですね。それでもやってない人が否認を続けることは本当に鉄の意志がないとできない。

多くはそう思って嘘の自白をして保釈してもらって、裁判であれは嘘でしたと、本当はやっていませんと言っても、裁判官は「いや、やっていない人間がやったなんて言うはずないだろう」という事で有罪判決をする。こういう形で冤罪がどんどん作り出されているわけです。

だからこの人質司法問題は非常に深刻な問題で、これについては私が刑事裁判をやっていた頃の感覚より、かなり裁判官は後退していると思います。本来、保釈するのが原則のはずなのですが、今は非常に保釈率が低くなっています。これも社会的な批判を強めていかなければいけない。

こうした刑事司法が抱える諸問題を法律家だけの問題意識に留めるのではなくて、広く社会一般の人が認識して、これを変えていかなくてはいけない。こうしたことを変えていかないと冤罪はなくならない、という認識を持つという事が大事です。そのために今の再審法改正運動、まず再審法改正実現するというのが当面の課題ですけれども、それとあわせて刑事司法全体の問題意識を広く社会一般のものにしていくという事が、日本の刑事司法をもう少し良くする。冤罪被害者をなくしていくために一番必要な事だと思っています。

その意味でも今回尾﨑さんが出された『日本の冤罪』は非常にわかりやすく、その事件ごとに尾﨑さんが「これが一番問題や?」と思った事を取り上げて説明してますから、非常に時宜を得た、そして問題意識を広めていく武器にするという意味でも、非常に有益な書物であるという風に思いますので、ぜひこれを皆さん、ご自身が読むだけではなくて、周りにも広めていっていただければと思います。

まあこういう形でまとめると今日の趣旨にぴったりと合うのではないかと思いますので(会場から笑い)、これで終わらせていただきます。ありがとうございました。(終わり)


◎[参考動画]冤罪と司法を考える集い(大国町ピースクラブ)/たぬき御膳のたぬキャス(2023.12.24)

◎井戸謙一《講演》「冤罪」はなぜ生まれるか 元裁判官の経験から
〈1〉80年代、刑事裁判の変質 
〈2〉青法協問題と日本会議 
〈3〉湖東記念病院事件の西山美香さんの場合 
〈4〉代用監獄、弁護士立ち合い、人質司法という問題 

 

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

昨年12月24日、大阪ピースクラブで「冤罪と司法を考える集い」が開催された。そこでの井戸謙一弁護士のお話を全4回に分けて紹介する。

井戸謙一さん(ぴのさん撮影)

◆湖東記念病院事件の西山美香さんの場合

無実の人が自白することはいくらでもあるのです。湖東記念病院事件の西山美香さんもそうですけれども、(刑事裁判官は)なかなか無実の人間が自白するという事の想像力がないのですね。被疑者が置かれた立場、毎日毎日長時間の取り調べを受けて、脅されたりすかされたり、色んな利益供与を受けたりして、もう精神をずたずたにされて、そして、認めてしまう。そういう被疑者が置かれた過酷な立場に対する理解がない。あるいはそれを中々想像できない。

だから嘘の自白をするという事がありうるんだということ、否認すれば、私は嘘の自白をしましたという風に主張すれば、本当にそうかもしれないという思いで被疑者や被告人の弁解を聞かなければいけないわけですが、そういう姿勢が非常に乏しい。

湖東事件の西山さんの自白を、裁判所がどういう風に判断したかという所を抜き書きすると、なかなか興味深いです。有罪だと言った最初の確定審の大津地裁の一審では、「男性の気を引きたいというだけの理由で虚偽の殺人を告白する事は通常考えられない」と書かれている。非常に表面的な所だけですよね。美香さんはその取り調べ刑事が好きになって、彼に気に入られたい、期待に応えたいという気持ちで、刑事の言う通りの自白をしたわけですけれども、そこだけを抽象的にとらまえて男性の気を引きたいというだけの理由で虚偽の殺人を告白する事は通常考えられないとしました。

そして控訴審の大阪高裁は、「自白は被告人自身が自ら進んで供述したものであって、自発性が高く、その内容も極めて詳細かつ具体的であって信用性が高い」としました。

これはそうなんです、結局その好きになった刑事に気に入られたいという事で自分から進んで供述してるわけなので自発性が高いのはその通りです。しかし、内容が極めて詳細かつ具体的であるというのは、それは警察官の作文能力を示しているだけに過ぎないのです。警察官は自分が作った自白調書を信用性があるという風に裁判所に判断してもらいたいですから、想像であっても具体的かつ詳細に書きます。そういう形式的なところでしか判断していない。

これに対して再審開始決定をした大阪高裁の再審開始決定では、「亡くなった人の死亡への請求人の関与の有無、程度、アラームが鳴り続けたのかどうか、人工呼吸器の管をはずしたのか、はずれたのか等、多数の点で目まぐるしく自白内容が変遷している、この変遷状況のみを取り上げてもその中から真の体験に基づく供述を選別するのは困難である」としている。

これはその自白がどういう風に変遷していったかという事を、裁判官は後付けしてるわけで、これは本当に体験した人間による自白の変遷なのか、それとも捜査側から色々な知恵を与えられたり、あるいは捜査の状況と合うように誘導されて作られた変遷なのか、そういう観点で自白の変遷を見ている。結局この変遷状況だけでも信用できないという風に言ってるわけです。

その自白の内容を具体的にみてますよね。再審無罪判決では「この自白内容は合理的理由なく大幅に変遷している上、自白供述は死亡に至る際のこの亡くなった方の表情変化の点で医学的知見と矛盾する不合理な内容でもあるから本件自白供述の信用性には重大な疑義がある」とした。

亡くなった方が人工呼吸器抜かれてだんだん苦しくなるわけですが、美香さんの自白調書では、その時、目が白目をむいて、口をハグハグさせて非常に苦しそうな表情をしました、で、約2分か3分そういう状態が続いて亡くなりましたという風になっている。

だけど医学的に調べたら、患者さんは既には半年間植物状態で大脳が死んでいたので苦しみを感じない。だから苦しそうに口をハグハグして白目をむいたということは医学的にあり得ないのですね。だから、それは彼女の想像であるか、あるいは取調官からこうだったんじゃないかと誘導されたのかもしれない。だけど医学的・客観的な事実からはあり得ない事実だという事で自白は信用できない。だから、自白だけを見るのではなくて、その周辺の証拠も含めて自白が信用できるのかどうかという事を確定再審無罪判決は検討しているわけです。

だから、その自白が信用できるかどうかをどの局面で見るのか、どういう観点で見るのかで、その評価が180度違うわけです。これはもう本当に裁判官の姿勢ひとつです。裁判官に本当に真実に迫ろうという姿勢があるのか、あるいは「検事が言うてる事やから間違いないだろう」というような姿勢で臨むのかによって全然違う、そういう意味でその裁判官の責任は非常に重いと思います。

◆再審法改正運動

もう1つは、裁判官は「無難な結論に収めたい」という、そういう動機がはたらくということです。例えば、どの裁判でも原発運転の差し止めというのは棄却されてるのに、そういう中で運転の差し止めを認めると、「あの裁判官は変わった奴だ」と裁判所の部内で見られるわけです。だから、そういうのは出来るだけ避けたい、無難な結論にしたいということになっていく。

それは自分自身の人事上の問題とか給与だとか人事とかポスト、そういう事から無難な処遇を受けるためには、無難な判決をしたいという、そういう動機が多かれ少なかれあります。

そうするとやっぱり再審が難しいのは、確定審で一審3人、高裁3人、最高裁5人と合計11人の裁判官が有罪だと判断してるわけです。しかもその中には有名な著名裁判官、著名な刑事裁判官が何人も含まれている。その人たちの出した有罪判決が間違いだというのは、(世間一般ではそうじゃなくても)裁判所の部内ではえらい思い切った特異な判決、特異な判断だという風に見られてしまう。そういう風に部内で周りから評価されるのは避けたいという心理がはたらく。

これは裁判官の保身ですけれども、自分たちに課せられてる職責をどう考えるのかという事で当然批判されるべきものですが、人間というのは弱い面があるからどうしてもそういう側面があるという事は否定はできない。

では、冤罪被害者を救うため、あるいは出さない為にはどうすれば良いのかと言うと、やはり再審問題、それから冤罪問題で個別の冤罪事件に対する社会的関心が高まるという事は何よりも絶対必要です。

今、再審法改正運動が非常に高まりをみせています、日弁連も特別対策本部を作って、各政党に働きかけているし、全国の地方自治体で再審法改正の決議がどんどん上がっています。今は再審法改正の絶好の好機ですけれども、これは単に再審法改正できればいい、そのために良い状況だというのだけではなくて、これをきっかけに日本の刑事司法、冤罪がたくさん生み出されているこの日本の刑事司法に対する問題意識、市民の問題意識を高める、市民にそういう市民庶民に問題意識を持ってもらうという事が、非常に大事だと思います。

裁判官にとって、この事件は再審開始をする、あるいは再審で無罪判決をする事こそが無難な結論だという風に思えば、心理的ハードルはいっぺんに下がるわけです。そういう意味ではAさんが無実だというだけじゃなくて、何が問題になっているのか、この問題でこういう風に考えるのが当たり前だろうという社会的認識を広めるのが非常に大事です。

私は袴田事件は完全に無罪になると思ってますけど、あの味噌に漬けられた衣類に(血痕の)赤みが残っていた。でもそんなに長期にわたって味噌漬けされた衣類に赤みが残るはずがないやないかというのは非常にわかりやすい常識的な感覚ですよね。それに基づいて再審開始が確定したわけです。

これに対して、一年以上味噌の中に置いてても赤みは残るんだという風な判断を裁判所がするというのは、それこそ突飛な判断、変な判断だという事になる。むしろそんなに一年以上も味噌に漬けられていたはずがないというのが無難な判断です。だから「そういう判断の方が無難なんだ」という社会的認識として作れば裁判官はハードルなく無罪判決というものを下す事ができる。

だから単にAさんが無実だというだけではなくて、何が問題になっていて、この問題ではこういう風に市民の感覚、庶民の感覚ではこういう風に考えるのが当たり前だろうという、そういう認識を社会に広げる事が非常に大事だという風に思います。それと同時に、やはり日本の刑事司法が抱える諸問題について社会的認識を高めるという事が大事です。(つづく)


◎[参考動画]冤罪と司法を考える集い(大国町ピースクラブ)/たぬき御膳のたぬキャス(2023.12.24)

◎井戸謙一《講演》「冤罪」はなぜ生まれるか 元裁判官の経験から
〈1〉80年代、刑事裁判の変質 
〈2〉青法協問題と日本会議 
〈3〉湖東記念病院事件の西山美香さんの場合 
〈4〉代用監獄、弁護士立ち合い、人質司法という問題 

 

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

不思議でたまらないことがある。

今から29年前の1995年1月17日、阪神淡路大震災がおこった。私は大阪の黒門市場当たりにいて、時間があったので、3日目から被災地に入った。南港から船が出てたが、問い合わせたら満席だったので、電車で甲子園口まで行き、あとは凸凹道を皆さんと歩いた。

トボトボ数時間歩いて、当時テレビで良くでていた中学校へ。被災した住民の中でリーダーシップ取れる人が頭になって回ってたような避難所。

自衛隊が簡易風呂場を作ってくれ、被災した方々が3日ぶりに風呂に浸かって喜んでいた。ボランティア組織とかまだきちんとしてなくて、一人で行った私は、「あっ、食事がきたね。配るの手伝おうか」みたいに勝手に動いてた。

リーダーの方に「ボランティアの方、寝るのは○○の教室使って。本部に毛布取りにきて」といわれ、毛布と段ボール貰って指定の教室にはいり、被災した老夫婦の隣で寝た。翌日起きたら、近くに棺桶が置いてあった。

翌日は送られてきた支援物資の衣類の仕分け、今でこそ洗濯済のもの、とくに下着は新品を、が普通だが、当時は信じられない位何でも送られてきた。花嫁衣装やドレス、着古された制服、どこで着るねんという派手なスーツ……。

一番困ったのはトイレ。学校内のトイレが使えなかったのか、グランドにテント張って、中に長い溝が掘ってあり、衝立もなく、並んでそこでやった。私は流石にしにくいし、どっちみち数日で一旦戻り、また行くを繰り返してたから、余り食事を摂らないようにしていた。

あれから29年経ったし、その間、何度も地震を経験している。あの年がボランティア元年と言われたように、そのあとボランティアも組織的に行われるようになった。先に書いたように、支援物資のやり方など大幅に改善された面もある。

ただ、今回の能登地震の報道を見ると、29年前と同じではないかと思える光景や、被災者の声がある。冷たい木の床に段ボールやら布団を敷いている光景、「水が出ないんです」とトイレが流せないと訴える被災者、挙げ句「食べ物がありません」という声……。日本の政府はこの間何やってたねん?

「道路が寸断され、被災地に入れません」って言うけど、おらが故郷新潟県中越沖地震では、孤立した山古志村には、ヘリが物資を運び、空中から村に落としたやんか?

なぜ、前の震災から学ばないの? 全てとは言わないが、今回は特にそう感じる。

極寒の中、建物の下敷きや生き埋めになった家族に救出の手が届かず、おとんが「頑張れよ」と握っていた、家族の手が次々と冷たくなっていったんだと。どんな地獄だよ。

とりとめのないことをツラツラ書いてみたが、大勢の被災者が地獄見ている一方で、原発再確認について聞かれたにも関わらず、応えられず、ただニヤつく岸田や、こんな時に「万博の成功を!」とかいうてる吉村や松本人志や……。気色悪すぎる。涙しかない。簡易トイレや自家発電設備、そんなに高額か? 

これだけ地震が起こる日本の各自治体で、なぜ準備が出来ないのか?

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

昨年12月24日、大阪ピースクラブで「冤罪と司法を考える集い」が開催された。そこでの井戸謙一弁護士のお話を全4回に分けて紹介する。

井戸謙一さん(ぴのさん撮影)

◆戦前と人的な切断ができてない ── 青法協問題と日本会議

もうひとつは、戦前と人的な切断ができてないという事です、戦前の「おいコラ警察」。天皇の下、人々を弾圧していた警察官がそのまま戦後も警察の幹部になっていった。特高警察の一部は公職追放されましたけど、しばらくしたらまた戻ってきたので人的に切れてない。

そして裁判所は一切、戦争責任を取らなかった。だから戦前その天皇の名の下に裁判をして、治安維持法に基づいて人々を処罰していた裁判官がそのまま戦後も裁判官になって、中で要職に就いていく。するとそういう権力的な裁判官の発想というものが次の世代にも引き継がれていくと事が現にありました。

1970年頃、司法反動という大問題があって、ご存じの方もおられるかもしれませんが、当時その新憲法下に基づいて憲法に基づく裁判をしようという事で、がんばっていた青年法律家協会(青法協)の中に裁判官部会というのがあって約300人の裁判官がいました(協会自体は学者とか弁護士も含んでいるのですけれど)。ここに「脱会しろ」という裁判所からの圧力がかかり、民主的な裁判官が再任拒否という事で首を切られたりして大問題になりました。

これを推進したのが、石田和外(いしだ・かずと)という最高裁長官。この人は戦前からの裁判官で司法省の人事課長までやった人ですが、この人が最高裁裁判官を辞めた後に何をしたかというと、元号法制化(実現)国民会議初代議長でした。この元号法制化国民会議が、そのまま名前を変えたのが今の日本会議です(1997年に「日本を守る会」と合同し「日本会議」となった)。完全に右翼団体なんですね。ここの初代議長をしたのがその石田和外元最高裁長官なのです。こういう人が戦後の裁判所でずっと実権を握ってきて民主的な裁判官をずっと排除し、弾圧してきたという事が、今の裁判官の世界にも大きな影響を与えているという歴史的な背景があるという事も知っていただければと思います。

◆なぜ被告人の訴えが裁判官に届かないのか

では、こういう冤罪を出してしまう裁判官の責任ですけれども、もう少し分析的に考えると、なぜ被告人の訴えが裁判官に届かないのか? 検事の言い分をそのまま採用してしまうのか? 

ひとつは、裁判官は両方の当事者から全く等距離で公平でなければいけないのですけれども、心理的にはどうしても検察官と近くなるという事があります。ひとつの刑事部のひとつの係の立ち合い検事は固定されているので、どの事件も同じ検事がします。だから裁判官と検事はまったく同じ人間がその係の事件を全部やる。

一方で、弁護人は事件ごとに違います。そういう意味で、検事と弁護人では、裁判官との接触の時間がまったく違う。弁護人はそうそう簡単に裁判官室に行けませんよね、裁判官室に行こうと思ったら、「裁判官と面会したい」と書記官に声をかけてから、裁判官室に迎え入れられる事もあるし、裁判官が書記官室まで出てくる事もあります。

一方、検事は多くの場合、平気で裁判官室の中へ入っていきます。毎日一緒に仕事をしているから、書記官とも顔見知りです。それだけ物理的時間的にも多くの時間を共有している。

それからやはり裁判官と検事は役割は違うけれども、協力して治安維持を担っているという意識が、刑事裁判官の中にだんだん作られてくる。裁判をすると、否認して「私はやってません」という事件は一定の割合でありますし、その多くの事件は、本当はやってるけれどもやってないという人もいる。否認事件の中でも、そういう事件が多い。

しかし、中には本当にやってない人がいるわけです。だから否認事件の中で本当にやってない事件を見極めなくてはいけないのです。けれども、多くは否認していても有罪で決着するので、裁判官は「検事が起訴した事件はまず間違いないだろう」という意識を持ってしまう。刑事裁判官の経験が長ければ長いほど、そういう意識を持ってしまう。そうすると否認している被告人がいた時に、「こいつ、本当はやってんのにやってないと言うてるだけじゃないか」と、最初から色眼鏡で見てしまうという傾向になります。(つづく)


◎[参考動画]冤罪と司法を考える集い(大国町ピースクラブ)/たぬき御膳のたぬキャス(2023.12.24)

◎井戸謙一《講演》「冤罪」はなぜ生まれるか 元裁判官の経験から
〈1〉80年代、刑事裁判の変質 
〈2〉青法協問題と日本会議 
〈3〉湖東記念病院事件の西山美香さんの場合 
〈4〉代用監獄、弁護士立ち合い、人質司法という問題 
 

 

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

昨年12月24日、大阪ピースクラブで「冤罪と司法を考える集い」が開催された。そこでの井戸謙一弁護士のお話を全4回に分けて紹介する。

◆裁判官の立場から冤罪問題を考える

こんにちは、紹介いただきました井戸謙一です。色んな集会でお話させていただく機会がありますけど、今日のこの雰囲気はもう独特ですね(会場から笑い)。庶民のパワーというか、ごめんなさい、失礼な言い方かも知れないけれど、普段は「市民の方々」という風に声かけるんですけど、ここはなんか庶民のパワーが満ち溢れているという感じで、さすが大阪南部という風に思いました。私自身も堺の出身ですので非常に懐かしい思いをしてます。

井戸謙一さん(ぴのさん撮影)

今日のこの集まりは、尾﨑さんから「出版の記念パーティをするから12月24日空いてますか?」と言われたので、「ハイハイ、空いてますよ」と言っただけで、行くとも何も言ってなかったと思うんですが(会場から笑い)、その後お出会いしたらチラシを渡されて、「こういう予定でやります」と見たら「井戸謙一弁護士の講演」となってまして、さすが、尾﨑さんのこの強引さがですね、やっぱこの本にも結実したのではないかなという風に思いました。

30分時間をいただいているので、何のお話をしようかと思ったのですが、冤罪問題について(本日)お話しされる方はおられると思うんですけど、やはり私でないと話せない事、すなわち裁判官の立場からどう見るかという事をお話します。

昨日もNHKで深夜、良い番組をやっていましたけれど、警察や検察の問題ももちろんあります。しかしやっぱり最後は裁判官の問題だと思うんですね。では、私の経験も踏まえて、裁判官の立場からどういう風に考えるかという事をちょっとお話させて頂ければという風に思いました。

◆無罪だと思っていながら有罪判決を書いたこと

私は、1979年に神戸地裁に任官し、神戸地裁からスタートして裁判官を32年間しました。ほとんどは民事事件だったんですけれど、若い頃は刑事事件もやっていました。神戸で2年、山梨県の甲府で2年、刑事事件をやっていますので、関西と関東の刑事事件の両方を経験しています。

無罪判決は2件書きました、1件は、皆さん覚えておられるかもしれませんが、「神戸祭り事件」という、暴走族が神戸祭りの時に新聞記者を車で轢いて殺したという殺人事件で、これは無罪判決で確定しました。

もうひとつは、当時、部落解放同盟が窓口一本化ということでずっと行政と間で揉めていた中で、公務員に怪我をさせたという事件で、無罪判決を下したこともあります。

一方で、無罪だと思っていながら有罪判決を書いたという事があります。袴田事件の一審の熊本裁判官が、自分は無罪だと思ったけれども、あとの2人に反対されて死刑判決を書いてしまった、それを亡くなられるまで一生悔やんでおられました。

◆大阪と東京の差異 ── 1980年代の刑事裁判の変質

私の事件は、公職選挙法違反、選挙の時の買収の事件でした。私は、この人の言っている事をどうしても嘘だと思えなくて、無罪を主張しました。しかし、あとの2人が有罪だという意見だったので、やむをえず有罪判決を書いたという、そういう苦い思い出があります。

若い判事補が、最初に刑事事件などに関わるかと言うと、逮捕状や勾留状といった令状なんですね。私は、大阪と東京と両方経験してますが、大阪は、裁判官の仕事というのは、捜査を抑制する事だと言われ、10件の勾留請求があったら1件は勾留却下する。それぐらいの割合で却下しないと裁判官の役割を果たしたことにならないと、そういう風に先輩から言われて、それを実行しようと思ってそれなりに努力してました。

ところが東京に行くと全く違うんですね。東京で若い判事補は全国に配属されるのですけれど、1年目に4カ月間東京地裁で研修しろと言われて東京地裁に行くと、もちろん令状も担当します。勾留請求10日間の身柄を拘束しますという勾留請求が来る。直接指導する先輩裁判官から「どうするの? 勾留するのか、却下するのか?」と聞かれる。

「この事件は却下しようと思います」と言うと、その部の一番偉い部総括判事の所へ連れていかれるんですね。部総括判事は「君、この事件を勾留却下すると聞いたけれどほんまか?」、「ほんま?」かて関西弁では言いませんけど(会場から笑い)、聞かれるわけです。

そして「どうしてだ?」と。「これこれこういう事で勾留要件はないと思います」というと「いや、こんなものはこういう風に考えるのが当たり前だ」という事で押さえつけられる。

もちろん、決めるのは担当裁判官ですから、(部総括判事の意見を)はねのけて勾留却下する事も可能ですが、若いぺーぺーの判事補には、大ベテランの部総括判事の意見を押し切って勾留却下するのは非常に難しい。そういう事で、検事が請求してきた勾留を裁判官はその通り認めるのが当たり前だという感覚を身につけさせられるんですね。

一方で当時、大阪は違っていたのですけれど、そういう東京式のやり方が1980年代にどんどん全国を席巻していきます。1989年に平野龍一という刑事訴訟法の大学者が、その時点で「日本の刑事裁判はもう絶望的だ」ということを言われた。刑事裁判というのはもう、裁判官が有罪か無罪かを決める場では無くなっている。検事が起訴してきたことにお墨付きを与える場になってしまっているという事を言われていました。

その後かなり時間が経過して、裁判員裁判なども始まって少しは変わってきたかも知れないけれども、基本的に変化はないのではないかと私は思っています。

◆日本の刑事司法の構造的問題 ──「当事者主義」の問題点

では、「日本の刑事司法の構造的問題はどこからきているのか?」という話をします。戦前の古い話になりますけど、第二次世界大戦前はドイツの法律に則って「職権主義」で裁判官が刑事裁判を自分の職権、権限でどんどん進めるというやり方でした。

警察や検事が集めてきた証拠は全部裁判所に引き取る。裁判官は全部の記録を見て、裁判を自分の職権で進める。そういう職権主義のもとに治安維持法違反だという事で、社会主義者だけではなくて、民主主義者や政府に抵抗するような人間をどんどんしょっ引いて治安維持法違反で処罰をした。裁判官がそういう事をしたわけです。

で、戦後はそれが見直されて、もっと民主的な刑事裁判にしなきゃいけないという事で、アメリカ式のやり方が導入された。それが「当事者主義」です。当事者主義というのは、裁判官は先入観を持ってはいけない。法廷で出された証拠だけで判断しなければいけない。検事は有罪だと主張する、弁護人は無罪だと主張する、それぞれが主張を裏付ける証拠を裁判に提出する。裁判官はその証拠だけを見て判断する、それが当事者主義なんですね。

「起訴状一本主義」とも言って、裁判官は裁判が始まるまでは起訴状しか見てはいけない。それ以外は一切、何も見てはいけないという仕組みです。今の日本の刑事裁判でもそうです、これは一見、公平で確かに真実を究明するのに良さそうな手続きのようにみえるのですけれど、致命的な誤りがあった。というのは、訴訟法上は、検事側と弁護人側は対等なのですが、実際の力には圧倒的な差があるわけです。まず警察が捜査して、色んな証拠は捜索差押えでごっそりと持っていく。何十人という捜査員をひとつの事件に担当させる事もできるし、膨大な予算をかけることもできる。

一方、弁護人は、そのあとで被疑者から依頼をされて、その事件の事を調べだすわけですが、重要な証拠は全部警察に持っていかれているし、人的にもたいていは弁護士が1人か2人でやるわけです。お金もない、貧しい人の場合は弁護料も払えない事もいくらでもあるわけで、力に圧倒的な差がある。

ほとんどの証拠は検事側が持っているのに、検事は有罪だと考え、それを裏付ける証拠だけ裁判所に提出すればいい。検事が持っている証拠の中には、被告人を無罪だと裏付ける証拠はいっぱいあるかも知れない。おそらくそういう事が多いと思うのだけれど、それらを提出する義務がない。圧倒的に検事が有利なんですね。

だから当事者主義というのを形式だけ持ってきたのです。裁判所に証拠を提出することを「証拠開示」といいますが、弁護側が検事側に検事の手持ち証拠を見せろと言う権利を認めるべきだと、これが今の再審法改正の大きなテーマなのですが、弁護側に証拠開示の権利を規定しなかった。検事は法律で義務付けられていないようなものをしませんという主義で、弁護人が手持ち証拠を見せろと言っても検事は見せないわけです。裁判官もそんな事は法律に書かれてないから検事にも命じない。その圧倒的な力の差がそのまま刑事裁判で是正されることなく、ほぼ今日まできてるわけです。

一般の刑事裁判は、それでも証拠開示の権利っていうのが裁判員制度が入った時に少し作られたんですけど、再審についてはそれがまったく無い。だから今でも検事の手元に無罪を裏付けるような証拠があってもそれは容易なことで出てこない、そういう不正義が今でもまかり通っている、これが戦後の刑事訴訟法を作った時の大きな問題で、それが未だに後を引いてる、問題解決できていないという事です。(つづく)


◎[参考動画]冤罪と司法を考える集い(大国町ピースクラブ)/たぬき御膳のたぬキャス(2023.12.24)

◎井戸謙一《講演》「冤罪」はなぜ生まれるか 元裁判官の経験から
〈1〉80年代、刑事裁判の変質 
〈2〉青法協問題と日本会議 
〈3〉湖東記念病院事件の西山美香さんの場合 
〈4〉代用監獄、弁護士立ち合い、人質司法という問題 

 

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

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12月24日に大阪大国町のピースクラブで「冤罪と司法を考える集い」を開催しまして、80人を超える参加者で大盛況でした。

最初、スイング マサさんが企画していたものに、ピースクラブさんが「ママ(私)の日本の冤罪出版記念パーティーも兼ねればと言ってください、合体して「冤罪と司法を考える集い」と」させて頂きました。

とくに冤罪犠牲者の方、家族の方の訴えをお聞きしたいと考えていたところ、関西近縁から4つの事件の関係者が来て下さることになりました。

私としては、集会、講演会などやる際、2時間でまず終わらすということを鉄則にしてますので、そうなると井戸弁護士のお話も30分程度に短縮しなくてはなりません。井戸弁護士は快く承諾して頂き、しかもぴったり30分で貴重なお話をしていただきました

一応ここでは10分の質疑応答時間を取っていましたが、それがまた、質問が殺到。確かに全部お答えして頂けたら良いのですが、わたくし、なぜかちゃんと2時間でまず終わらせたいとの思いがあり、質問を全部受けることはできませんでした。申し訳ありません。

その後。4つの事件の関係者にアピールしていただきました。皆さんには「申し訳ないですが、5分程度」とお願いしておりましたが、そうはいきませんよね。大勢の方の前で訴えたいことはやまほどありますよね。なので、ここは途中で止めることはしませんでした。

なので……おのずと最後とまとめる尾﨑と鹿野さんのトークがメッチャ中途半端に早く4時までに終えることとなりました。結構打ち合わせしていたのですが(汗と涙)。仕方ないですね。でもしっかり今日の会が、一応「日本の冤罪」の出版記念の思いもあるということで、私も思いっきり、頂いた花束などテーブルに置いてので、今日持っていった20冊は完売させていただきました。ありがとうございいます。

鹿野健一さん(右)と筆者(ぴのさん撮影)

なお、今日の会の様子はxの「たぬき御前」さんがツイキャスで発信してくれているほか、MBS様が深夜(?)の放送で一部放映するそうです。ぜひご覧ください。

本日、昔からの知り合いの中には「ママ、お祝いに飲みに行こうか」と誘ってくださる方もおられるのですが、とにかく大きな催しが終わったら一人で飲みたい、暗い私。

今、今日の会のオープニングで演奏してもらったスイング マサさんの演奏を何度も何度も聞いて、ちょっと涙がちょちょぎれていいる。(竹内さん、ありがとう)。

マサさん、進行の松尾さん、手伝ってくださった皆様、ピースクラブの皆さま、ありがとう。


◎[参考動画]冤罪と司法を考える集い(大国町ピースクラブ)/たぬき御膳のたぬキャス(2023.12.24)

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

 

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

◆近畿大学医学部付属病院内の食堂も「犯行現場」だった

虚偽の診断書を書いた医師がいた病院の一つに世耕弘成の祖父弘一氏創設者の近畿大学病院が入っている。片岡さんの話では、近畿大学は、眞須美さんがDさんにヒ素をもったとされる「犯行現場」でもあるという。

大阪府狭山市にある近畿大学医学部付属病院内の食堂で、眞須美さんがDさんに睡眠薬入りのアイスコーヒーを飲ませ、帰宅中、Dさんが車で事故を起こしたとされた件だ。当然警察、検察は食堂を訪ね、現場検証をしたり、従業員に事情聴取するはずだ。

だが、片岡さんが現場を訪ね、事件当時勤務していた人に話を伺ったところ「そういうのは、病院の方でやっていたみたいです」との答えが返ってきたという。「病院の方でやっていた」としても、警察は当日現場にいた人に必ず確認するはずだ。コーヒーを運んだ女性に「この席です」と眞須美とDさんが座ったテーブルを示させ、証拠写真を撮るはずだ。

私の店でもこの20数年で何度か現場検証を受けている。開店当時、店の看板犬はなを酔った客らが別の店に連れて行き、「お前が連れてきた」「ママに怒られる」などと口論になり、殴られた男性が瀕死状態になった(のちに回復)。店に現場検証に来た警察官に「尾崎美代子所有の子犬はなを巡り口論となり……」という調書を取られ、子犬はなを指さした写真を撮られた。

眞須美さんは別の日、和歌山市内の喫茶店で、Dさんのコーヒ-に睡眠薬を入れ飲ませ、その後Dさんの意識を失わせ怪我をさせたという。片岡さんがこの店を訪ねると、当時の従業員から「うちでそんな事件があったことになってんの?」と驚かれたという。

また眞須美さんが、岸和田の競輪場で健治さんと共にIさんに睡眠薬入りコーラを飲ませ、意識消失にさせたという事件もあった。その後、片岡さんが同競輪場に電話取材したが、競輪場の参事、藤井宗孝氏は「うちでそのような事件があったという”噂”になっているんでしょうか?」の述べたという。

片岡さんは「噂ではなく、検察が裁判で岸和田競輪場でそのような事件があったと言っている」と伝えた。すると藤井氏は「私はこちらに来て5年になりますが、そのような事件があったと聞いたことはありませんが……」と戸惑っていたという。更に他の古い職員、警備員らに聞いてくれたが、そのような話は「誰も知らない」とのことだった。

これらの事実について、片岡さんは、健治さんの次のような言葉が真相を言い当てていると思うと話された。

「DさんやIさんにも、ワシら夫婦は裏切られたわけやけど、ワシはあの2人を恨み切れないんですよ。Dさんさんは酒を飲むとタチが悪いけど、普段は仏さんのようなエエ男でしたし、Iさんはワシらに良く尽くしてくれましたから、あの2人もワシらを裏切ったのは、そうせざるを得ない状況に追い込まれていたからだと思うし、今は本人たちも罪悪感に苦しんでいるのではないかと思うんです」(デジタル鹿砦社通信 2017年7月19日「和歌山カレー事件 捜査された形跡がない不可解な殺人現場」より)

12月10日の学習会では、長男さんが、数年前、健治さんと共にIさんに会いにいった話をした。寝たきりになったIさんは2人の訪問を拒むことなく、健治さんに向かっては「あんたは車いすで動けるからいいじゃないか」などと、昔に戻ったように軽口をたたいていたという。

しかし、当時の話には固く口を閉ざしたという。Iさんの父と妹夫婦が警察関係者であることも関係しているのだろう。Dさんの親族にも警察関係者がいる。2人が真実を明かしてくれる日はくるのだろうか。

◆眞須美さんを犯人に仕立てた小寺哲夫という検事

 

2019年、和歌山市内に住む林健治さんを訪ねた。健治さんは約3時間、水一滴も採らず事件について熱く語った(筆者撮影)

眞須美さんをカレー事件の犯人とするため、仲間の関係を引き裂くようなストーリーを考えたのが、警察、検察だ。以下は私が以前、健治さんに聞いた話だ。

逮捕された健治さんのもとに、1週間ほどして大阪地検から小寺哲夫という検事がやってきた。小寺は口には出さないが、和歌山県警に対して「こんな大きな事件は、お前らみたいな田舎デカには解決できないぞ」という態度を見せたという。

それに反感をもったのか、地元の刑事からは、「林、余計なこというな。余計なこというたら、アイツにおかしなストーリー作られるぞ」と注意されたという。

以降、朝9時~夜19時までは刑事から保険金詐欺事件の取り調べを受け、それから深夜遅くまで小寺検事によりカレー事件の取り調べを受けるようになった。

「裁判で泣いてくれ」。

眞須美さんが否認を続けるため、捜査に行き詰まったある日、小寺が健治さんにそう泣きついたという。

「なぜそこまでするんや」と聞く健治に、小寺は「これだけマスコミを騒がせたのだから、(眞須美を逮捕しないと)世間が納得しない」と答えたという。

小寺はまた「全国の女性から『眞須美に殺されかけた健治さんが可哀そう。助けてあげて下さい』と嘆願書が集まっている」と書類のようなものを見せたり、「公判も俺が担当、求刑も俺が出す。協力してくれたら、府中の医療刑務所に入れてやる。そこには今、角川春樹がいるから、彼に本でも書いてもらえ」などとあの手この手で健治さんを懐柔し、しまいには「協力しないと懲役15年だぞ」と脅したという。しかし健治さんは最後まで協力しなかった。

健治さんは、一審は黙秘、二審からは「自分でヒ素を飲んだ」と証言したが、「眞須美を庇うための嘘」とされ、2002年、懲役6年の実刑判決が下された。「やすいな(軽いな)」と思わず口にした健治さん。健治さんもまた眞須美さんの被害者にされていたからだ。

◆「ヒ素」は「同一」ではなかった

小寺が健治さんに協力してくれと泣きついた時期、警察と検察は、林家から見つかったというヒ素と、カレー鍋などから見つかったヒ素が同一であるという鑑定書を作成しようとしていた。

過去にシロアリ駆除の仕事をしていた健治さんは、ヒ素は持っていた。が、カレー事件でヒ素が問題になった頃、疑われるのが嫌で、眞須美さんに処分させた。それなのに、2人が逮捕された後、林家からヒ素が見つかった。

それも連日80人以上の刑事が捜索するなか、4日目にだ。しかも健治さんは、その事実を、起訴後に移送された拘置所で、面会にきた小寺に聞かされた。

警察署に勾留中、刑事や小寺はなぜ言わなかったのか。「何でや?」とその理由を聞いた健治さんに、小寺は「あったもんは仕方ない」と小声で答えたという。

「捏造したんやろ」と迫る健治さんに、「お前、こんなんとこ(拘置所)入って疲れてんのに、頭の回転早いな」と返したという。

当初、林家で見つかったヒ素を、科学警察研究所で鑑定した結果、祭り会場で見つかったヒ素と「同一と考えても矛盾はない」とされた。一見「同一」と思えるが、そうではない。

2015年、鑑識学会で発表された「鑑定書結論の強さの段階」で「~と考えられる」は「80%の推認」、「~として矛盾はない」は「70%の推認」で、「~と考えても矛盾はない」は、0.8×0.7=0.56%と、半分か、それよりも低いのだ。つまり「決定打」にはならなかったのだ。

しかし、眞須美さんが起訴される12月29日までに、ヒ素が「同一である」との新たな鑑定書が作成された。東京理科大の中井泉教授と聖マリアンナ大学の山内博助教授(いずれも当時)が、当時で世界最先端の科学分析装置「Spring-8」で実験を行った結果だった。

その後、この山内・中井鑑定を覆す学者が出現した。真須美さんの弁護団が、2009年、和歌山地裁に再審を請求、その後京都大学河合潤教授の、ヒ素は「一致していない」とする再審請求補充書、同教授によるヒ素の「鑑定書」を提出した。

しかし、2017年3月29日、和歌山地裁はこれを棄却。弁護団は大阪高裁に即時抗告したが、控訴棄却。最高裁に特別抗告中の2021年6月24日、眞須美さんは長女の突然の死という混乱の中で取り下げてしまう。弁護団は取り下げ無効確認の手続きを行うが2022年4月13日最高裁は取り下げは無効でなく特別抗告は終結したとの判断をだした。

一方、2021年5月31日、別の弁護士が新たな証拠による再審請求を和歌山地裁に行ったが、2023年1月31日棄却され、弁護人は大阪高裁に即時抗告中である。(完)

◎尾﨑美代子-緊急学習会「和歌山カレー事件は冤罪だ!」報告
〈前編〉カレー事件発生当時、林家に同居していた二人の男性についての話
〈後編〉大量殺人事件で「現場検証」がなされない不思議

12月24日大阪「冤罪と司法を考える集い」

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

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◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

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