◆近畿大学医学部付属病院内の食堂も「犯行現場」だった

虚偽の診断書を書いた医師がいた病院の一つに世耕弘成の祖父弘一氏創設者の近畿大学病院が入っている。片岡さんの話では、近畿大学は、眞須美さんがDさんにヒ素をもったとされる「犯行現場」でもあるという。

大阪府狭山市にある近畿大学医学部付属病院内の食堂で、眞須美さんがDさんに睡眠薬入りのアイスコーヒーを飲ませ、帰宅中、Dさんが車で事故を起こしたとされた件だ。当然警察、検察は食堂を訪ね、現場検証をしたり、従業員に事情聴取するはずだ。

だが、片岡さんが現場を訪ね、事件当時勤務していた人に話を伺ったところ「そういうのは、病院の方でやっていたみたいです」との答えが返ってきたという。「病院の方でやっていた」としても、警察は当日現場にいた人に必ず確認するはずだ。コーヒーを運んだ女性に「この席です」と眞須美とDさんが座ったテーブルを示させ、証拠写真を撮るはずだ。

私の店でもこの20数年で何度か現場検証を受けている。開店当時、店の看板犬はなを酔った客らが別の店に連れて行き、「お前が連れてきた」「ママに怒られる」などと口論になり、殴られた男性が瀕死状態になった(のちに回復)。店に現場検証に来た警察官に「尾崎美代子所有の子犬はなを巡り口論となり……」という調書を取られ、子犬はなを指さした写真を撮られた。

眞須美さんは別の日、和歌山市内の喫茶店で、Dさんのコーヒ-に睡眠薬を入れ飲ませ、その後Dさんの意識を失わせ怪我をさせたという。片岡さんがこの店を訪ねると、当時の従業員から「うちでそんな事件があったことになってんの?」と驚かれたという。

また眞須美さんが、岸和田の競輪場で健治さんと共にIさんに睡眠薬入りコーラを飲ませ、意識消失にさせたという事件もあった。その後、片岡さんが同競輪場に電話取材したが、競輪場の参事、藤井宗孝氏は「うちでそのような事件があったという”噂”になっているんでしょうか?」の述べたという。

片岡さんは「噂ではなく、検察が裁判で岸和田競輪場でそのような事件があったと言っている」と伝えた。すると藤井氏は「私はこちらに来て5年になりますが、そのような事件があったと聞いたことはありませんが……」と戸惑っていたという。更に他の古い職員、警備員らに聞いてくれたが、そのような話は「誰も知らない」とのことだった。

これらの事実について、片岡さんは、健治さんの次のような言葉が真相を言い当てていると思うと話された。

「DさんやIさんにも、ワシら夫婦は裏切られたわけやけど、ワシはあの2人を恨み切れないんですよ。Dさんさんは酒を飲むとタチが悪いけど、普段は仏さんのようなエエ男でしたし、Iさんはワシらに良く尽くしてくれましたから、あの2人もワシらを裏切ったのは、そうせざるを得ない状況に追い込まれていたからだと思うし、今は本人たちも罪悪感に苦しんでいるのではないかと思うんです」(デジタル鹿砦社通信 2017年7月19日「和歌山カレー事件 捜査された形跡がない不可解な殺人現場」より)

12月10日の学習会では、長男さんが、数年前、健治さんと共にIさんに会いにいった話をした。寝たきりになったIさんは2人の訪問を拒むことなく、健治さんに向かっては「あんたは車いすで動けるからいいじゃないか」などと、昔に戻ったように軽口をたたいていたという。

しかし、当時の話には固く口を閉ざしたという。Iさんの父と妹夫婦が警察関係者であることも関係しているのだろう。Dさんの親族にも警察関係者がいる。2人が真実を明かしてくれる日はくるのだろうか。

◆眞須美さんを犯人に仕立てた小寺哲夫という検事

 

2019年、和歌山市内に住む林健治さんを訪ねた。健治さんは約3時間、水一滴も採らず事件について熱く語った(筆者撮影)

眞須美さんをカレー事件の犯人とするため、仲間の関係を引き裂くようなストーリーを考えたのが、警察、検察だ。以下は私が以前、健治さんに聞いた話だ。

逮捕された健治さんのもとに、1週間ほどして大阪地検から小寺哲夫という検事がやってきた。小寺は口には出さないが、和歌山県警に対して「こんな大きな事件は、お前らみたいな田舎デカには解決できないぞ」という態度を見せたという。

それに反感をもったのか、地元の刑事からは、「林、余計なこというな。余計なこというたら、アイツにおかしなストーリー作られるぞ」と注意されたという。

以降、朝9時~夜19時までは刑事から保険金詐欺事件の取り調べを受け、それから深夜遅くまで小寺検事によりカレー事件の取り調べを受けるようになった。

「裁判で泣いてくれ」。

眞須美さんが否認を続けるため、捜査に行き詰まったある日、小寺が健治さんにそう泣きついたという。

「なぜそこまでするんや」と聞く健治に、小寺は「これだけマスコミを騒がせたのだから、(眞須美を逮捕しないと)世間が納得しない」と答えたという。

小寺はまた「全国の女性から『眞須美に殺されかけた健治さんが可哀そう。助けてあげて下さい』と嘆願書が集まっている」と書類のようなものを見せたり、「公判も俺が担当、求刑も俺が出す。協力してくれたら、府中の医療刑務所に入れてやる。そこには今、角川春樹がいるから、彼に本でも書いてもらえ」などとあの手この手で健治さんを懐柔し、しまいには「協力しないと懲役15年だぞ」と脅したという。しかし健治さんは最後まで協力しなかった。

健治さんは、一審は黙秘、二審からは「自分でヒ素を飲んだ」と証言したが、「眞須美を庇うための嘘」とされ、2002年、懲役6年の実刑判決が下された。「やすいな(軽いな)」と思わず口にした健治さん。健治さんもまた眞須美さんの被害者にされていたからだ。

◆「ヒ素」は「同一」ではなかった

小寺が健治さんに協力してくれと泣きついた時期、警察と検察は、林家から見つかったというヒ素と、カレー鍋などから見つかったヒ素が同一であるという鑑定書を作成しようとしていた。

過去にシロアリ駆除の仕事をしていた健治さんは、ヒ素は持っていた。が、カレー事件でヒ素が問題になった頃、疑われるのが嫌で、眞須美さんに処分させた。それなのに、2人が逮捕された後、林家からヒ素が見つかった。

それも連日80人以上の刑事が捜索するなか、4日目にだ。しかも健治さんは、その事実を、起訴後に移送された拘置所で、面会にきた小寺に聞かされた。

警察署に勾留中、刑事や小寺はなぜ言わなかったのか。「何でや?」とその理由を聞いた健治さんに、小寺は「あったもんは仕方ない」と小声で答えたという。

「捏造したんやろ」と迫る健治さんに、「お前、こんなんとこ(拘置所)入って疲れてんのに、頭の回転早いな」と返したという。

当初、林家で見つかったヒ素を、科学警察研究所で鑑定した結果、祭り会場で見つかったヒ素と「同一と考えても矛盾はない」とされた。一見「同一」と思えるが、そうではない。

2015年、鑑識学会で発表された「鑑定書結論の強さの段階」で「~と考えられる」は「80%の推認」、「~として矛盾はない」は「70%の推認」で、「~と考えても矛盾はない」は、0.8×0.7=0.56%と、半分か、それよりも低いのだ。つまり「決定打」にはならなかったのだ。

しかし、眞須美さんが起訴される12月29日までに、ヒ素が「同一である」との新たな鑑定書が作成された。東京理科大の中井泉教授と聖マリアンナ大学の山内博助教授(いずれも当時)が、当時で世界最先端の科学分析装置「Spring-8」で実験を行った結果だった。

その後、この山内・中井鑑定を覆す学者が出現した。真須美さんの弁護団が、2009年、和歌山地裁に再審を請求、その後京都大学河合潤教授の、ヒ素は「一致していない」とする再審請求補充書、同教授によるヒ素の「鑑定書」を提出した。

しかし、2017年3月29日、和歌山地裁はこれを棄却。弁護団は大阪高裁に即時抗告したが、控訴棄却。最高裁に特別抗告中の2021年6月24日、眞須美さんは長女の突然の死という混乱の中で取り下げてしまう。弁護団は取り下げ無効確認の手続きを行うが2022年4月13日最高裁は取り下げは無効でなく特別抗告は終結したとの判断をだした。

一方、2021年5月31日、別の弁護士が新たな証拠による再審請求を和歌山地裁に行ったが、2023年1月31日棄却され、弁護人は大阪高裁に即時抗告中である。(完)

◎尾﨑美代子-緊急学習会「和歌山カレー事件は冤罪だ!」報告
〈前編〉カレー事件発生当時、林家に同居していた二人の男性についての話
〈後編〉大量殺人事件で「現場検証」がなされない不思議

12月24日大阪「冤罪と司法を考える集い」

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

12月10日(日)集い処「はな」で「和歌山カレー事件は冤罪だ!」と題した緊急学習会を開催した。

林眞須美さんの長男がX(twitter)で、先日、都島の大阪拘置所に母親眞須美さんに面会に行った際、面会部屋がいつもと違ったり、初めての刑務官が同席するなど異例の出来事があり、不安を覚えたと呟いていた。眞須美さんの第二次再審は、新たな弁護人が一人で取り組んでいるが先が見通せない。そうした中、先のようなことがあったため、和歌山カレー事件を風化させてはいけないと緊急学習会をやることになった。

◆保険金詐欺の共犯者が眞須美さんの被害者に?

講師に、和歌山カレー事件の取材を最も多く行っているノンフィクションライターの片岡健さんをお招きした。私自身、8年前にお聞きして「目から鱗」だったお話をして頂いた。

それはカレー事件発生当時、林家に同居していた二人の男性についての話だ。その一人Iさんは、当時無職で林家に居候し、健治さんと麻雀をしたり、運転手をしたりしながら面倒を見てもらっていた。その間眞須美さんの調理した食事を食べ、何度もヒ素中毒症状や意識消失に陥り入院していた。とはいえIさんは入院中、病院を抜け出し飲みに行ったり、麻雀したり、楽しそうにしていた様子だったという。つまり、Iさんは眞須美さん、健治さんの保険金詐欺事件の共犯者であったのだ。

ノンフィクションライターの片岡健さん(右)と眞須美さんの長男さん(12月10日集い処「はな」にて)

そうするうち、1998年7月25日、園部地区の夏祭り会場で提供されたカレーを食べた人のうち67人が急性ヒ素中毒症状を発症、4人が死亡するカレー事件が発生。しかし、カレー事件に唯一関わっているとされるのは、カレー鍋の見張り番に関わった眞須美さんだけだ。捜査が進展しないなか、林家の過去の保険金詐欺事件を知った警察、検察は、あれだけ酷い保険金詐欺事件を「主導」した眞須美だから、カレー事件もやったに違いない、というストーリーを作っていった。

Iさんは、カレー事件発生間もない頃から、眞須美さん、健治さんが逮捕・起訴されるまでの約4ケ月間、警察により和歌山の山奥の警察官舎に匿われた。表向きは「マスコミから守るため」との理由だが、そこで警察と寝食を共にし「眞須美にヒ素入りの食事を食べさせられた」と、保険金詐欺事件の被害者にされていった。

裁判で、Iさんが、被告の弁護団に厳しく追及される場面があった。

弁護人「そんな何ってよ、そのたびに疑いもせんと同じような被害にあうかい!」。証人「………」。(デジタル鹿砦社通信 2017年10月10日 片岡健「和歌山カレー事件 弁護人に叱責された『疑惑に被害者』」より)

もう一人の同居人Dさんは元会社経営者で、眞須美さんと保険の外交員と客として知り合い、健治さんの麻雀仲間として林家に出入りするようになった。ある時、Dさんは眞須美さんに睡眠薬入りアイスコーヒーを飲まされ、自損事故を起こしたとされた。Dさんの会社は事件当時休業中だったが、林家の保険金の多くはDさんの会社名義で契約されていた。もちろんDさんも承知の上だし、Dさんは眞須美さんが火傷で保険金詐取した際には、その無茶なストーリーの口裏合わせに協力してもいた。Dさんも健治さん、眞須美さんの保険金詐欺事件の共犯者であることは明らかだ。 

◆眞須美さんにカレー事件の動機はない

眞須美さんが夏祭りで住民に無料で提供するカレーにヒ素を入れ、無差別大量殺人を行う動機は何もない。健治さんがいうように「眞須美は金にならんことはやらん」のだから。カレー事件は、金にならないばかりか、下手すれば自分の子どもたちも被害者になったかもしれない。

事件当日、健治さんは予定していた麻雀が中止になったため、夕方急きょ健治さん、眞須美さん、長男、次女の4人でカラオケに行くことになった。長女は幼い三女の子守りで家に残ったが、その際、健治さんは長女に小遣い1万円を渡している。長女にはこの1万円で好きなものを買って食べることも出来たし、祭り会場で無料のカレーを食べることもできた。眞須美さんは「祭りに行くな」と止めてもいないからだ。

カラオケから深夜遅くタクシーで自宅に戻ってきた眞須美さんら家族は、祭り会場には人が大勢いるのを見ている。警察の捜索が続いていたのだ。眞須美さんが犯人なら、その様子を見て尋常ではいられないはずだ。しかし、長男は、車の中で眞須美さんがのんびりとこう呟いたことを覚えている。「まだやっているのねえ」。

◆保険金詐欺事件の共犯者はほかにも……

保険金詐欺事件について、健治さんは二審から、自分が主導したと主張した。しかし、それは「眞須美を庇うため」と否定された。後述するが、逮捕後、眞須美さん犯人の決定打がないなか、大阪地検から派遣された検事が、健治さんに「眞須美にやられたと言ってくれ」と懇願したことがあった。もちろん健治さんは応じていないし、そういわれ健治さんは眞須美さんの無実を一層確信したそうだ。

眞須美さん、健治さんの保険金詐欺事件の共犯者はIさんやDさんだけではない。嘘の診断書を書いた医師らも共犯者だ。医師免状はく奪の危険性を犯してまで共犯者になる医師などそういないだろうと私は思っていた。しかし、健治さんは、7人もの医師らが大方30万~50万で虚偽の診断書を書いてくれたと言い、次々とその病院名と医師名をあげていった。しかし、警察は病院と医師らの責任を追及してはいない。保険金詐欺事件での逮捕が、カレー事件で眞須美さん、健治さんを逮捕するための別件逮捕であるからだ。

以前、健治さんにお聞きした話 ──「入院したら、しばらくは大人しくしているんや。そのうち担当の医師が『林さん、気になることはありませんか?』と聞いてくる。ワシは『小さい子含めて4人も子どもがいる。毎日の生活のことが心配です』と話す。医師が『保険入っていませんか?』と聞いてくる。ワシは大きな保険に入っていると話す。そして不安そうに『治るんですか?』と尋ねる。『今の医学ではちょっと無理ですね』と医師がいうたら、そこが勝負どころや。医学書を読み漁り、どうしたらいいかじっくり考える。腕がどこまで曲がるかとかが重要なんや。必死で『ここまでしか曲がりませんわ』と演技する。『先生、なんとか上手く診断書を書いてもらえんやろか。お礼はしますが…」と持ちかける。ここまできたら、もう楽勝や。『給料が安いので買えないが、ゴルフのアイアンが欲しい』『パソコン欲しい』『松阪牛が食べたい』とか言うてくるで。それ叶えてやると、皆、簡単に嘘の診断書書いてくれたで」。

健治さん、眞須美さんの保険金詐欺事件は許されない行為だ。しかし、その罪はもう十分に償っている。問題なのは、保険金詐欺事件を行うような人物だから、カレー事件の犯人であるに違いないといういうきめつけは許されないということだ。(つづく)

12月24日大阪「冤罪と司法を考える集い」

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

多くの事件で、犯人でない、罪のない人を犯人に仕立てるための「汚れ役」を担わされる人がいる。冤罪と言えるかどうか、先ごろ私の住む釜ヶ崎で、監視カメラにゴム手袋などを被せた件で、釜ヶ崎地域合同労組委員長稲垣浩ら4人が「威力業務妨害」で逮捕・起訴され、一審で有罪判決が下された事案でも、そういう人物がいた。一審で、原告・大阪府側の証人として証言しながら、控訴審の逆転無罪判決で、その証言がほぼウソだったと認定された芝博基氏(当時、大阪府商工労働部参事、以下芝証人)である。

2019年4月、労働者や野宿者らの寄り所であった「あいりん総合センター」が強制閉鎖されたのち、支援者、野宿者らが寄り合いや共同炊事をするために作った団結小屋に、ある日突然、逆方向を向いていた監視カメラの向きが変えられた。

釜ヶ崎周辺の監視カメラについては1990年、稲垣氏らが大阪府を被告として、監視カメラ15台の撤去と慰謝料の支払いを求めて提訴し、1994年大阪地裁が原告らのプライバシーを侵害する恐れがあるなどとして、組合事務所前の監視カメラ1台の撤去を命じる判決を言い渡し、撤去させた実績がある。今回も、稲垣氏と支援者らは同様の理由で、監視カメラのカメラにゴム手袋やレジ袋で被せた。この件でのべ6人が逮捕、4人が起訴された。被告4人は裁判で、この行為はプライバシーや団結権を守るための非暴力的・非破壊的な行為で正当防衛だと主張していた。

一方、芝証人は、カメラの向きを変えた理由について、数日前、センター西側の団結小屋付近と東側でボヤが発生したため防災目的であり、団結小屋に出入りする人たちを監視する意図は全くなかったと証言した。当時、センターは閉鎖したが、上階の「大阪社会医療センター」(以下、医療センター)が業務を続けていたため、再びボヤが起き、「医療センターへの延焼や有毒ガスの発生により入院患者らの生命、身体に対する危険が生じかねない」と、防犯対策の必要性を強調した。

しかし、芝証人は、団結小屋のある西側の防犯対策には必死になったが、玄関や窓がありボヤが起きたら西側より一層患者に危険が及びかねない東側のボヤについては、検証すらまともに行わなかった。そればかりか、カメラに映った犯人がその後どうなったかなどの捜査状況を、西成警察署に問い合わせてもいない。犯人を逮捕する気などさらさらなかったのだ。更に芝証人は、カメラの新設も考えたが「ほかに良い場所がなかったため」、南海電鉄高架下のセンター仮庁舎前の駐車場に向けられていたカメラの向きを、仕方なく団結小屋側に向けるしかなかったと証言した。

一審有罪判決に対して被告3人が控訴したが、稲垣氏の弁護人・後藤貞人弁護士が「控訴趣意書」で、先の芝証言について「芝のこのような供述は虚偽であるか、さもなければ完全に間が抜けている」と厳しく非難した。「新設するのであれば、最も適切な場所は目の前にあると。つまり本件の監視カメラが設置されているポールそのものである。1本のポールに複数のカメラが設置できることは素人にもわかる」と。「控訴審の勝ち負けは95%控訴趣意書で決まります。この控訴趣意書は私が書いたこれまでの中でも3本の中に入ります」と後藤弁護士。その「控訴趣意書」で「間が抜けている」とマヌケ認定された芝証人だが、「汚れ役」をやり遂げたのち、出世したという。

このような「汚れ役」を担う人物が冤罪事件でも良く登場する。拙著「日本の冤罪」から何人か紹介したい。姫路の花田郵便局で2人組のナイジェリア人による強盗事件が発生した事件では、ジュリアスさんがその1人として逮捕・起訴され、有罪判決で服役した。事件後、自首した犯人の1人は、共犯の男はジュリアスではなく、別の男と供述していた。

しかし、ジュリアスさんを逮捕した警察もあとに引けない。裁判では、郵便局から押収したカメラ画像が公表された。郵便局を立ち去る際、犯人の1人が目出し帽を思わず脱ごうとする場面がある。しかし、その瞬間の数秒間にはノイズ(砂嵐)が入っており、ジュリアスではない真犯人の顔はわからなかった。専門家によれば、そのような短時間にノイズが入ることは通常考えられないという。不可解なノイズを作為したのは、ジュリアスが犯人でないことを必死に隠したい警察、検察の仕業ではないのかと疑ってしまう。しかし、法廷で検察は、郵便局から押収した時からノイズが入っていたと説明、「マスクを取ろうとした直後に砂嵐が入って(筆者注・犯人の顔は)映っていませんでした。それでとても残念だったことを覚えています」と白々しく証言した。
 
泉大津コンビニ窃盗事件は、コンビニのレジから1万円札を盗んだとして逮捕、起訴された土井さんが、店から逃走する際ドアをこじ開けたが、ドア右側に土井さんの左手の指の指紋がついたとされた。普通なら左手で左側ドアを開ければよいのではないか。指紋は土井さんの指紋ではあったが、土井さんが良く通うその店に別の日についた可能性がある。にもかかわらず、警察、検察は、事件当日土井さんがつけたものと強弁。しかし、その後、弁護団が事件前のコンビニ入口のビデオ映像を証拠提出させ、そこから土井さんの母親が必死探し、指紋は5日前につけたものであることを発見した。

弁護団は、それを証拠に再度無罪を主張。それでも検察は、犯人が、わざわざ盗んだ1万円札を掴む左手で、身体を無理やりひねって右側のドアをこじ開けるという噴飯もので幼稚な再現実験を法廷でやってのけた。その後土井さんは無罪を勝ち取った。

こうした恥ずかしい「汚れ役」を担う裁判長もいた。神戸質店事件で、質店店主を殺害したとして逮捕、起訴された緒方英彦さんは、一審で無罪判決が下されたが、控訴審で追加証拠もなしに「無期懲役」の逆転有罪判決を下された。大阪高裁の裁判長・小倉正三氏の法廷は「小倉コート(法廷)」と呼ばれている。「裁判官の品格」などの著書があるジャーナリスト池添徳明氏は「非常に形式的でろくすっぽ証拠調べもしない。検察が起訴したんだから有罪だと決め打ちする”小倉コートにひっかかったらもうダメ、それが大阪の弁護士たちの共通認識だった」と痛烈に批判している。そんな小倉には、退任後、旧勲二等にあたる勲章が授与されている。

東金女児殺害事件で逮捕、起訴された知的障害を持つ勝木さんは、担当検事と「金子さん、金子さん」と呼ぶほどの親しい関係になった。そのため裁判では、検事らのいいなりで証言させられ、有罪判決が下された。金子達也検事は、その後栃木県宇都宮地検の次席検事に出世、「今市事件」に関わり、台湾出身で日本語に不慣れな勝又拓哉さんを、同じく女児殺害の容疑で逮捕、起訴し、無期懲役の有罪判決を下した。その後、2017年の福岡高検刑事部長時代、セクハラ行為で減給処分を下されたが、自ら依願退職。今では「ヤメ検弁護士」として活躍しているようだ。

冤罪がなくならないのは、上記のように堂々と冤罪を作った警察や検察が何の罪にも問われないからでもある。警察についていえば、東住吉事件の国賠で、青木恵子さんを逮捕時取り調べた大阪府警元刑事の坂本氏が証人にたった。青木さんに「坂本さん、今でも私を犯人と思っていますか?」と問われ、坂本氏は堂々と「はい、そう思っています」と証言、その理由を「あんた、自供所を自分で書いたでしょ。ほら、きれいな字で」と近所のおっさんのような口調で証言し、裁判長に注意を受ける場面があった。

同じく、再審を勝ち取ったのち、国と滋賀県を訴えた西山美香さんの湖東記念病院事件の国賠では、滋賀県(滋賀県警)側はなんと西山美香さんを犯人視する準備書面を提出してきた。弁護団が猛烈に非難し、撤回はさせたものの、こうした全く反省する気のない警察、検察、そして裁判所を罰せない限り、冤罪は決してなくならないだろう。

12月24日大阪「冤罪と司法を考える集い」

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

12月に入り、何かとバタバタしていらっしゃるかと思います。そんな中、しかもクリスマスイブの12月24日、以下のような「集い」を開催致します。なるべく早い時間に終わるような予定になっています。短い時間でも構いません。ご参集頂けると有り難いです。

集いは、死刑反対を訴え、自身のお店「MapCafe」で和歌山カレー事件の冤罪犠牲者である死刑囚林眞須美さんの長男さんのお話会をやっているSwing MASAさんとの共同企画のような形になります。

オープニングでMASAさんらに「Don’t Kill Action」と題した演奏を行っていただきます。その後、拙著『日本の冤罪』に身に余る推薦文を寄せて頂いた井戸謙一弁護士から特別講演を行って頂きます。井戸弁護士は現在、拙著に掲載している鈴鹿殺人事件(三重県)の再審と「湖東記念病院事件」(滋賀県)の国賠訴訟の弁護団長を務められております。

その後、恥ずかしながら、私がインタビューを受ける形でお話しさせていただきます。聞き手は、『日本の冤罪』を月刊『紙の爆弾』でシリーズ化された当時から、一緒に執筆陣に加わり、記事の細かな書き方などを教えて頂き、さらに本書の編集時にも大変お世話になった著述業の鹿野健一さんです。本書で、何を伝えたかったか、本書が出来るまでの裏話などをお話したいと考えております。この間、Amazonのレビューも少しづつ増えて大変ありがたく思っていますが、私としては会場の来られた皆様からぜひ、本書を読んだ感想を聞かせて頂きたいと考えております。

最後に冤罪犠牲者、ご家族、関係者の皆様のお話をお聞きします。ここ一番大事です。

滋賀県の日野町事件の冤罪犠牲者阪原弘さん死亡後に、再審請求人となっている長男阪原弘次さんが来て下さる予定です。「日野町事件」はそれまであまり知られてなく、私は、8月逝去された桜井昌司さんにお聞きして、初めて知った事件でした。本書に掲載しておりますが、弁護団長伊賀弁護士にお話を伺った際、開口一番「この事件は、いつ、どこで殺されたかわからない事件です」と話されたことを覚えています。酒店の女性店主がある日から行方不明になったのですが、確かにいつ、どこで、どう殺されたのかわからないまま、酒店の常連客だった阪原さんが逮捕されました。再審請求審で明らかになった、滋賀県警の悪質極まりない行為の数々……再審請求中、獄中で病気になったまま亡くなってしまった阪原さんの代わり、ご家族が懸命に再審を準備し、ようやく一審に続き、二審でも再審開始決定が決まりましたが、高検が不当な上訴を続けています。3人の貴重な報告、アピールをぜひ多くの皆さんに聞いて頂きたいです。

和歌山カレー事件の冤罪犠牲者林眞須美さんの長男さんも来てくれる予定です。和歌山カレー事件については、本書には入っておりませんが、『紙の爆弾』では夫・健治さん、長男さんにお話をお聞きして記事にさせていただきました。下の写真にありますように、都島の大阪拘置所で、月1回中の眞須美さんへの激励行動を続けている仲間がおりますが、MASAさんもこの行動に3年前から参加しております。なお、24日当日も、午前中に激励行動があり、活動を中心で行っている松尾和子さんがそのあと会場にかけつけ、司会進行を務めて下さります。

第二日曜日の11時から11時半まで、都島の大阪拘置所正門前で、和歌山カレー事件の冤罪犠牲者・林眞須美さんへの激励行動を行っている仲間に、3年前から参加しているSwing MASAさん

姫路の花田郵便局強盗事件の冤罪犠牲者ジュリアスさんも来てくれる予定です。ナイジェリア人のジュリアスさんは有罪判決を受け服役してますが、再審で無罪を勝ち取らなくては国外退去となります。長年日本に住み、日本人のパートナーとの間には子どもたちもいるのに、家族がバラバラにされてしまいます。今現在、就労も許されない中、更に地元から移動する際にはいちいち入管の許可をとらなくてはならない中、自身の冤罪事件を知って貰おうと来てくれます。冤罪犠牲者の死刑囚林眞須美さんの長男さんのアピールとともに貴重なアピールとなります。ぜひ、多くの皆さんに聞いて頂きたいです。

ご参集を宜しくお願い致します。

12月24日大阪「冤罪と司法を考える集い」

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

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◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

11月12日(日)、大阪市大国町の社会福祉法人「ピースクラブ」の4階ホールで「矢島祥子と共に歩む会」が開催された。この会は、女医の矢島祥子(さちこ)さんが、2009年11月13日、当時勤務していた黒川診療所(西成区)から行方不明となり、16日午前0時過ぎに木津川千本松の渡船場で水死体で発見された事件から、毎年開催され、今年で14回目だ。

「矢島祥子と共に歩む会」の様子。元刑事の飛松氏や祥子さんの元同僚、大阪日日新聞記者大山氏、青木恵子さん、フジテレビディレクターの方の他、祥子さんの地元群馬で支援活動を始めた方など多数の方が発言された

祥子さんが殺害されたと推測される14日には、黒川診療所のある鶴見橋商店街で遺族、支援者らが情報を求めてチラシ配りを行う。今月号は「矢島さんの無念」と題して支援者の植田敏明さんが書かれた。内容は非常に衝撃的で、植田さんがどれだけ勇気を奮って告発したか、そして植田さんの祥子さんの死の真相をどうしても知りたいとの思いがひしひし伝わる内容だ。ぜひ読んで頂きたい(文末に転載)。

矢島祥子(さちこ)さんは2009年11月、34歳の若さで亡くなった。祥子さんの遺影の前には祥子医師に助けられ、支援を続け、今年亡くなった塩野さんの遺影が

チラシを読み、私は「ああ、やっぱり、そういうことがあったのか」と思った。というのも、2009年といえば、奈良県大和郡山市で「山本病院事件」があったからだ。医療法人雄山会・山本病院(山本文夫は院長と理事長を兼任していた)は、入院させた生活保護者や野宿者に不要な検査や治療を行うことで、診療報酬の不正請求を繰り返していた。更に患者に不必要な手術を行い、手術代を詐取したり、揚げ句患者を死亡させた。

以前より内部告発があったこの件で、2009年6月21日、奈良県警は「生活保護受給者の診療報酬を不正に受給した疑いが強まった」として詐欺容疑で同病院と山本理事長の自宅等を家宅捜索、その後山本理事長らを逮捕した。その後、再逮捕が繰り返され、山本理事長らには実刑判決が言い渡された。なお、同じく逮捕された執刀医で患者の元主治医は、留置場で持病を悪化させ死亡。遺族は警察の処遇が原因だとその後訴えを起こした。

捜査の過程で、山本病院へ送り込まれた患者の6~7割は大阪市内等から送り込まれていたことが判明した。しかし、祥子さんの兄・敏さんによれば、山本病院に患者を送り込んだ大阪市内の病院について、捜査などは全く行われていないとのことだ。山本病院に送り込まれたのは生活保護者だけではない。NHK奈良支局取材班の「病院ビジネスの闇 過剰医療、不正請求、生活保護制度の悪用」(宝島出版社)には、市内の公園、路上等から野宿者を集めに来る「コトリバス」(乞食を取りに来るバス)の実態も描かれていた。

奈良の山本病院へ患者を送り込んだ、市内のいわゆる福祉病院(生活保護者や野宿者を専門に入院させる、別名「行路病院」とも呼ばれる)の実態は、私も実際この目で見ていた。当時、店のお客さんや知り合いが入院すると、見舞いなどで良く訪れていたからだ。私は祥子さんと違って、医療関係者ではないため、治療などが適切かどうかはわからないが、患者を治そうという普通の病院でないことは明白だった。

例えば、入院するまで不通に歩けたお客さんがオムツを充てられ、自力でトイレに行かないために、足腰などをどんどん弱めていく。看護師が患者に寄り添い、時間をかけてトイレに連れていく、そんな時間も手もかけていられないのだろう。

福祉病院は、数か月いると、別の同様の病院にタライ回しにされる。そこでまた一から検査などを受け、そこの病院を儲けさせるためだが、先のお客さんが次に回された京橋の病院は、私が見舞いに行くと驚いていた。生活保護者の患者に見舞いに来る人がいるとは思っていなかったのだろう。

冬場で暖房が効き、窓が締め切られているためか、病院に入った途端ぷうんと尿便の匂いがした。廊下の長椅子に座っている40代の患者含め、ほとんどの患者がオムツを充てられているのだ。病室も同様にぷうんと匂う。神経質な彼は匂いが気になり「飯を食う気になれない」とこぼしていた。一月後見舞うと、私の顔を忘れるくらい認知症が進行していた。

また別の客は、転院ごとにどんどん酷い病院に回され、最後の病院では病室では面会できないと言われ、寒い玄関でわずかな時間の面会を許された。病室で患者がどんな状態に置かれているか知られたくないのだろう。生活保護費ぎりぎりで入所できる西成の老人ホームで、入所者がベッドのふちに手を縛られていたことが発覚したのも、この頃だ。

キリスト教者の祥子さんは、日曜日のミサのあと、自分の患者を見舞うことがよくあったという。そんな中、福祉病院の実態を見て「患者さんのためにならない」と考えたのであろう。亡くなる少し前の10月14日、祥子さんは、釜ヶ崎で行われたフィールドワークのあとの報告会で「貧困ビジネス、生活保護者への医療過剰状態」などを問題視する報告を行っていたそうだ。

また、患者さんにセカンドオピニオンをして貰うようアドバイスしたり、担当医師に適切な治療方針を要望するメモを渡したりもしていたそうだ。そんな祥子さんの存在は、患者からむしり取れるだけむしり取りたい病院にとっては、相当煙たい、邪魔な存在だったであろう。実際、ある病院の事務局長からは「二度と来るな」と釘をさすように名刺を渡されたこともあったという。

◆「祥子さんの無念」

もちろん、私は、そんな病院関係者が、祥子さんの事件に直接かかわっていたと考えるのではない。布川事件の冤罪犠牲者であり、数年前からこの事件に関わっていた桜井昌司さん(8月23日逝去)が、祥子さんの事件を「逆えん罪」と命名した。

冤罪は、警察、検察が、桜井さんら冤罪犠牲者が犯人ではない証拠、証言などを隠して「えん罪」を作る。一方で祥子さんの場合は、西成警察署から事件である証拠が隠され早々と「自殺」と決めつけられた。

医師である両親が、祥子さんの遺体の首の赤いひも状の圧迫痕や頭頂部のコブ(血流がある生活状態でのみできる)をみつけたこと、行方不明後、祥子さんの部屋が開いていたこと、鍵が冷蔵庫の上に置かれていたこと、更には部屋中の指紋が拭き取られていたこと、警察の現場検証では祥子さんの指紋さえ検出されなかったことなど不振な点が多数あることから、遺族らは再捜査を要求、2012年8月22日、遺族が提出した「殺人・死体遺棄事件」としての告訴状が受理され、再捜査が行われることとなった。

今回の前田さんの原稿には、祥子さんが勤務していた黒川診療所所長とのやりとりが詳細に記されている。植田さんが所属していた団体と共に活動していた大阪府保険医協会の関係者から聞いた話では、「ふだん冷静な黒川医師が、矢島祥子さんの県が話題になると、突然手も身体もがたがた震えだして止まらなくなる」ことがあったという。がたがた震えだす……。

そう、1995年、動燃(動力炉・核燃料開発事業団、現在の日本原子力研究開発機構(「JAEA」)で起こった高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏れ事故のあと、事故を調査していた西村成生職員が「自殺」した事件があった。前日、会見に出席した職員が自殺したことで、当時、マスコミや原発に反対する人たちなどの間で、盛り上がっていた動燃批判、日本の原発政策への批判は、一挙に沈静化、その後、もんじゅは更に多額の税金を投入されながら、ほぼ稼働しないまま、2016年の廃炉決定まで延命を続けていくことになった。

「夫は自殺ではない、殺された」と、妻のトシ子さんが動燃関係者らを訴えた裁判で、証人尋問にたった動燃の幹部の男性は、原告弁護人の質問に身体をがたがた震えだした。「あなた、震えていますね」「はい、震えています」との記述が裁判記録に残されている。それは殺害の可能性が高い「不審死」を、「自殺」を必死で偽らざるをを得ない人たちの、恐れや苦悩の表れではないか。

植田氏は最後にこう書いている。「矢島祥子さんが亡くなられてから早、14年がたった。ご家族はいうまでもなく、多数の方々が祥子さんの死の真相究明のための活動をしてきた。だが、矢島祥子さんが勤務していた診療所の所長であり、直属の上司であった黒川渡氏が、この事件解決のために十分な協力をしてきた、とは思えない。矢島祥子医師は、当初黒川医師の「社会的弱者のための医療」、という志を慕って西成に来た。黒川所長のもとで勤め始めた。黒川所長には、そんな祥子さんと家族のためにも口をひらく責任があるはずだ。」

そう、遺族も私たちも、あの日、祥子さんの身に何が起きたのか、その背景には何があるのかを知りたいだけだ。

植田敏明さんが書かれた「矢島さんの無念」(表面)

植田敏明さんが書かれた「矢島さんの無念」(裏面)

◎矢島祥子先生と時間を共有する集い https://www.facebook.com/daisukisatchan?locale=ja_JP

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。近著に『日本の冤罪』(鹿砦社)
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾崎美代子『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

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2019年秋より鹿砦社『紙の爆弾』で始まった新シリーズ「日本の冤罪」に、私が取材・執筆していた記事が、続報含め計18本となり、このたび一冊の本にまとめていただきました。まずは鹿砦社の代表・松岡利康氏はじめ編集部、関係者の皆さまに御礼と感謝を申し上げます。ありがとうございました。なお、「あの事件は入っていないか?」などと言われますが、鹿砦社『紙の爆弾』ではほかの著名なライターの皆さまが、狭山事件、袴田事件はじめ多くの冤罪事件を執筆され、現在43本の事件が掲載されています。そちらも併せてお読みください。

本書に収められた原稿は『紙の爆弾』に掲載された原稿に修正、加筆を加えた内容となっております。その作業が終わり、「はじめに」を書いていた時、とつぜん桜井昌司さんの訃報が入りました。本当に突然でした。「獄友」青木恵子さん、西山美香さんは、岡山刑務所に服役中の男性に面会に行った帰りに、メールで知ったそうです。

写真右から袴田秀子さん(袴田巌さんの姉)、青木惠子さん(東住吉事件の冤罪犠牲者)、西山美香さん(湖東記念病院事件の冤罪犠牲者)。青木さんと西山さんは和歌山刑務所で一緒の工場で働いていた。2019年3月2日、東京都内の甲南大学東京キャンパスで結成された「冤罪犠牲者の会」総会後の交流会にて。(筆者撮影)

私が桜井さんと最後にお会いしたのが、この本に掲載された「対談」をおこなった2月28日でした。本書を出版するにあたり、「尾﨑さん、誰かと対談したら?」と言われ、一番に考えたのが桜井さんでした。私は冤罪事件を知る以前に、なぜか凶悪事件に強い関心がありました。今でもそうです。なぜかというと、人間生まれながらに「ワル」や「凶悪犯」はいないと思うので、おぎゃあと普通に生まれた赤ちゃんがその後、社会や政治にもまれるなかで、「犯罪」を犯すに至ったのではないかと考えたからです。もちろん本人の資質、環境もあるでしょうが。様々な凶悪事件をみていくと意外に「冤罪」が多いことを知り、えん罪事件にも関心を持つようになりました。しかし、2016年、桜井さんという実際の冤罪被害者にお会いして以降、さらに冤罪事件に関心を強めたのです。そう考えると、桜井さんがこの本を作るきっかけを作ってくださったのです。

 

布川事件冤罪犠牲者桜井晶司さん(本年8月23日にご逝去)。本書収録の対談が桜井さんによる生前最後の意見表明となった

その桜井さん、すでに体調が良くないと知っていたので、「会えますかな」とメールすると「28日の午前中ならいいよ」と返事をいただきました。場所は、いつも私たちが講演会や上映会などでお世話になっている大国町の社会福祉法人「ピースクラブ」です。9時の待ち合わせ時間前に「もう着いているよ」とメールが入り、私は急いで一階の喫茶店「キジムナー」に向かいました。モーニングサービスのお客様が何人かおられましたので、4階のホールに移動することことになりました。4階に向かうエレベーターを待っていると、桜井さんが「痛てて」と前かがみになりました。私が「大丈夫ですか?」と声をかけると「オレのことは気にするな」と少し怒った口調でいわれました。2月末、幸い、ぽかぽか日和り、窓際の丸テーブルに並んで座り対談が始まりました。実は私ははこれまで桜井さんへのインタビューは何回も行っています。記事は「デジタル鹿砦社通信」に掲載されています。ぜひ、検索してお読みください。
 
「桜井さん、今日はインタビューじゃなくて対談ですよ」と私は確認し、「これ、途中で聞いてくださいね」と「①尾﨑さんはなぜ冤罪に興味持ったの?」「②冤罪を取材して何を考えましたか?」などと書いたメモをお見せしました。「わかってるよ。そんなこといわなくても」とまたちょっと怒ったような口調。まずは前日の日野町事件の裁判について2人で話し、その後話が止まったので、「桜井さん、この質問①聞いてくれますか?」と言ったところ「いや、ここもう少し膨らましたほうがいいよ」と話を続けてくれたりしました。

本当に体調はよくなかったのでしょう。途中、椅子を並べて、それをソファ代わりにして横になりながら、しかし、読んでもらえばわかりますが、非常に貴重、そして楽しい対談ができました。

対談中、「日本人が愚民だよ、愚民」。そんな言葉が桜井さんの口から何度もでてきました。それを言いすぎたと思ったのか、「いいんだよ。おれはもうすぐ死ぬんだから」と、投げ捨てるように言いました。そういわれ、ドキッとしてしまったことを今でも鮮明に覚えています。しかし、今考えるとそれは、「愚民のみんな、もっとがんばれよ」と私たちを叱咤激励する言葉だったのではないでしょうか。

対談中、袴田巌さんの再審については「200%勝つよ」と宣言していた桜井さん。そして袴田さんは元ボクサーだったから、常に対戦相手の目をまっすぐに見る。だから警察、検察、そして死刑判決(死)ともまともに向き合ってしまい、結果、精神を壊されてしまったのだと話されました。そして「自分は逃げていたから」とも……。

桜井さんと筆者

以前のインタビューで私が「桜井さんは無期懲役ですが、いつか出れると考えていましたか?」と質問したことがありました。その時も「ばかなこというな!一生でれないと覚悟を決めてたよ」とまたまた怒られることがありました。だからおかれた場所(刑務所)で1日1日を精一杯生きようと考えたそうです。その後、同じ千葉刑務所に服役していた石川一雄さんが仮釈放されたので、「自分たちももしかして」と思うようになったそうです。

桜井さんが「200%勝つよ」と言っていた袴田巌さんへの再審(裁判のやり直し)が10月27日始まりました。なんと、検察は未だに「犯人は袴田」と主張し、有罪立証するために、審理はまだまだ続き、判決が出るのは来年だそうです。しかも、これほど重大な事件の再審であるにも関わらず、狭い法廷で傍聴できた一般の方はごくわずか、午前11時から始まった裁判で、心身喪失で出廷できない巌さんに代わって、姉の秀子さんが「巌は無罪です」と主張したそうです。しかし、これだけの裁判なのに、午後2時台の情報番組は全く報じることはありませんでした。


◎[参考動画]「弟は無実」闘い続けて50余年 姉の思い 袴田巌さんのやり直し裁判10月27日から(テレビ静岡ニュース 2023/10/24)

傍聴できなかった鴨志田由美弁護士が、法廷の外で姉の秀子さんとハグしたら、とても痩せておられたとFacebookで報告していました。いつもにこやかな秀子さんの表情からは、そんなにお痩せになっていたとは、とても想像できませんでした。桜井さんが生きていたら、法廷から出てきた秀子さんに「もう少しだよ」と声をかけハグし、鴨志田弁護士と同じよう心配されたことでしょう。「秀子さん、ちゃんと食べないとダメだよ」なんて言ったかもしれません。ああ、そんなことを考えたら、桜井さん逝去の知らせを受けて初めて涙がこぼれてきました。

全国を飛び回っていた桜井さんですが、金聖雄大監督の「オレの記念日」に何度も出てくる大国町ピースクラブでの思い出は大きかったようです。なぜなら講演会、上映会のあと必ず懇親会、親睦会、交流会と称した飲み会があったからです。2021年桜井昌司著「俺の上には空がある 広い空が」の出版記念パーティーの翌日、桜井さんから「大阪の人たちに会えて良かったよ。ありがとう、尾﨑さん」というメールが届きました。京都、奈良、神戸、そして大阪……桜井さんにとっては楽しく飲み、語り、ハグしあう皆さんすべてが「大阪の人」なのです。もう飲んで冗談言ってハグすることができない……「大阪の私たち」は本当に残念でなりません。それでもさようならはいいません。

桜井さんが「尾﨑さん、あの人も取材してよ」と言われた冤罪事件のほか、日本には冤罪事件で犠牲になり、声もあげれずにいる人たちがやまほどいるからです。「日本の冤罪」を読み、ぜひその実情に目を向けてください。よろしくお願いいたします。

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子『日本の冤罪』(鹿砦社)

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

報道や執筆が本職ではないのに、伝えようとする思いの強さが職業ジャーナリストを上回るような文章を書く人は少なくない。『日本の冤罪』の著者である尾﨑美代子さんもその一人だ。

 

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

尾﨑さんは普段、大阪・西成でフリースペースを兼ねた居酒屋『集い処はな』を営みつつ、日雇い労働者や失業者の支援、脱原発活動に取り組んでいる。私が最初に会ったのは和歌山カレー事件関係の集まりの場だったが、気さくな感じで声をかけてもらい、いつのまにか親しくなった。この間、尾﨑さんは当欄や月刊誌『紙の爆弾』で労働者の人権問題や脱原発、冤罪事件に関する記事を書くようになったが、私はいつも尾﨑さんの記事に感銘を受けていた。伝えようとする思いの強さが常に溢れているからだ。

本書は、そんな尾﨑さんが独自に取材、執筆した16の冤罪事件に関する計18本の記事をもとに編まれたものだ。伝えようとする思いの強さは本書でも健在で、それはたとえば次のような部分に現れている。

湖東記念病院事件の項

滋賀県警と山本刑事は刑事責任をきちんととり、美香さんに謝罪せよ。検察、裁判所も目を覚ませ。
 そして、一日も早く西山美香さんに無罪判決を!(45ページ)

日野町事件の項

裁判所には、阪原さんのこの悲痛な訴えが届かなかったのか。一日でも早く阪原さんと遺族に、再審無罪を言い渡せ!(107ページ)

名張毒ぶどう酒事件の項

人の心を持った鹿野裁判長には、(引用者注:故・奥西勝さんの妹で、再審請求人の)岡美代子さんに一刻も早く再審無罪を言い渡していただきたい(251ページ)

一読しておわかりの通り、何の迷いもなく取材対象である冤罪犠牲者やその関係者の思いを共有し、真っすぐな言葉で雪冤の実現を訴えている。だからこそ、この冤罪を何とかしたいという尾﨑さんの本気の思いが読み手に届く。本当は中立ではないのに、損得勘定や保身から中立を装ったような記事ばかり書いている職業ジャーナリストでは絶対書けない文章だ。

本書の冒頭には、先日亡くなった布川事件の冤罪犠牲者・桜井昌司さんとの対談をまとめた記事も収録されている。これを読むと、がんに冒されながら、亡くなる直前まで冤罪仲間たちを救おうと全国各地を飛び回っていた桜井さんが尾崎さんに心を開いて言葉を発しているのがわかる。それも尾崎さんの冤罪事件や冤罪犠牲者への向き合い方が桜井さんに信頼されているからだろう。

報道や執筆を職業としている人が自分の姿勢を見直すために読んでみると良い本だと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。著作に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ─冤罪死刑囚八人の書画集─』など。

[著者略歴]尾﨑美代子(おざき・みよこ)1958年、新潟県生まれ。中央大学中退。大学生時代の80年代、山谷(東京)の日雇労働者、野宿者問題の支援に関わる。90年代初頭大阪に移住して以降は、同じく日雇労働者の町・釜ヶ崎に住みながら、フリースペースを兼ねた飲食店「集い処はな」を経営。釜ヶ崎で知り合った仲間たちと、3・11以後福島支援、反原発運動を始め、講演会、上映会、支援ライブなどを続ける。その傍ら、かつてより関心のあった冤罪事件の取材・執筆活動を続ける。

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

 

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

私は冤罪事件というと狭山事件の石川一雄さん、袴田事件の袴田巌さん、和歌山カレー事件の林真須美さん、それぞれの支援運動の末席におらせてもらい、そして原発反対運動の中で滋賀の仲間から西山美香さんのことをその都度教えてもらって、この国ではそういうことが警察、検察、裁判所の手によって起こっていることを知ってきました。

その私にとっても、尾﨑さんのレポートは驚きの連続でした。これだけの「取材」をされたご苦労を感心します。

読んだ感想というか、一言で言って日本の警察、検察、裁判所の悪どさ、というのでしょうか。別にこれら司法に関わる人々は「正義の人」でもなんでもない、権力を自らの手に持ちながら、自らの出世に汲々とする普通の大人だということでしょうね。

同時に、戦前からの歴史の中で、敗戦という事態の中で何一つ変化することもなく制度として明治以来の権力機構としての体制が維持され、「おい!こら!」の精神で、とりわけ組織防衛にその忠義心を投入することを暮らしの生業とする人たちなんだと改めて思いました。

日本の権力機構が、裁判所も含め、軍隊を除いて(自衛隊が生まれるまでの事ですが)、戦前の機構をそのまま残して戦後の政治の中で生き残ってきた、人的にも戦前、戦後が連続的に維持されてきたという私なりの想いをある意味確認する書でもありました。

「冤罪」は、こんな支配体制のもとであれば、その体制を維持するために、どんどん起こされていく。それがある意味、理の当然ではないでしょうか。こんな歴史の先に、私たちの未来はないとあらためて思います。

(松原康彦)

日本の冤罪
尾﨑美代子=著
四六判 256ページ カバー装 定価1760円(税込み)

「平凡な生活を送っている市民が、いつ、警察に連行され、無実の罪を科せられるかわからない。
今の日本に住む私たちは、実はそういう社会に生きている。」(井戸謙一/弁護士・元裁判官)

労働者の町、大阪・釜ヶ崎に根づき小さな居酒屋を営みながら取り組んだ、
生きた冤罪事件のレポート!

机上で教条主義的に「事件」を組み立てるのではなく、冤罪事件の現場に駆け付け、
冤罪被害者や家族に寄り添い、月刊『紙の爆弾』を舞台に長年地道に追究してきた、
数々の冤罪事件の〈中間総括〉!

8月に亡くなった「布川事件」の冤罪被害者・桜井昌司さんが死の直前に語った
貴重な〈遺言〉ともいうべき対談も収める!

【主な内容】
井戸謙一(弁護士/元裁判官) 弱者に寄り添い、底辺の実相を伝える
《対談》桜井昌司×尾﨑美代子 「布川事件」冤罪被害者と語る冤罪裁判のこれから
[採り上げた事件]
湖東記念病院事件/東住吉事件/布川事件/日野町事件/泉大津コンビニ窃盗事件/
長生園不明金事件/神戸質店事件/姫路花田郵便局強盗事件/滋賀バラバラ殺人事件/
鈴鹿殺人事件/築地公妨でっち上げ事件/京都俳優放火殺人事件/京都高校教師痴漢事件/
東金女児殺害事件/高知白バイ事件/名張毒ぶどう酒事件

[著者略歴]尾﨑美代子(おざき・みよこ)1958年、新潟県生まれ。中央大学中退。大学生時代の80年代、山谷(東京)の日雇労働者、野宿者問題の支援に関わる。90年代初頭大阪に移住して以降は、同じく日雇労働者の町・釜ヶ崎に住みながら、フリースペースを兼ねた飲食店「集い処はな」を経営。釜ヶ崎で知り合った仲間たちと、3・11以後福島支援、反原発運動を始め、講演会、上映会、支援ライブなどを続ける。その傍ら、かつてより関心のあった冤罪事件の取材・執筆活動を続ける。


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10月も半ばを過ぎ、日ごとに肌寒くなってまいりました。

 

本日発売 尾﨑美代子著『日本の冤罪』

さて、このたび小社は『日本の冤罪』を刊行しました。著者の尾﨑美代子さんは、労働者の町・大阪釜ヶ崎に根づき、小さな食堂を営みながら、かねてからの自身の追求課題として冤罪事件の取材を続け、月刊『紙の爆弾』を舞台に継続してレポートを発表してきました。それらに補強取材を行い最近の経過を加え一冊の単行本『日本の冤罪』としてまとめ上梓されました。「日本の冤罪」の連載は毎号『紙の爆弾』の基幹企画として複数のライターによって現在も継続しています。それだけ世の中に冤罪が多いということですが……。

尾﨑さんのレポートは、連載開始以来好評で多くの読者から書籍化することが望まれてきました。特に本書の完成を待たずに8月に亡くなられた「布川事件」の冤罪被害者・桜井昌司さんはそうで、本書での対談は、まさに〝遺言〟ともいえる貴重なものです。

そのように本書は、机上で教条主義的スコラ的に「事件」を組み立てるのではなく、法律の専門家でも学者でもなく、日々労働者と共に在る一人の市民として時間を見つけては四方八方冤罪被害者の元を訪ね、冤罪被害者と家族・関係者に寄り添って取材を続け、生きた記録として書き綴ってあります。「冤罪」問題を扱った類書は少なからずありますが、その点が類書と根本的に異なるところです。

何卒、本書を紐解いていただき、知人や友人、メディア関係者の方々に薦められご紹介の労を執っていただきたくお願い申し上げます。

株式会社 鹿砦社
代表取締役
松岡利康

日本の冤罪
尾﨑美代子=著
四六判 256ページ カバー装 定価1760円(税込み)

「平凡な生活を送っている市民が、いつ、警察に連行され、無実の罪を科せられるかわからない。
今の日本に住む私たちは、実はそういう社会に生きている。」
(井戸謙一/弁護士・元裁判官)

労働者の町、大阪・釜ヶ崎に根づき小さな居酒屋を営みながら取り組んだ、
生きた冤罪事件のレポート!

机上で教条主義的に「事件」を組み立てるのではなく、
冤罪事件の現場に駆け付け、冤罪被害者や家族に寄り添い、
月刊『紙の爆弾』を舞台に長年地道に追究してきた、
数々の冤罪事件の〈中間総括〉!

8月に亡くなった「布川事件」の冤罪被害者・桜井昌司さんが死の直前に語った
貴重な〈遺言〉ともいうべき対談も収める!

【主な内容】
井戸謙一(弁護士/元裁判官) 弱者に寄り添い、底辺の実相を伝える
《対談》桜井昌司×尾﨑美代子 「布川事件」冤罪被害者と語る冤罪裁判のこれから

[採り上げた事件]
湖東記念病院事件/東住吉事件/布川事件/日野町事件/
泉大津コンビニ窃盗事件/長生園不明金事件/神戸質店事件/姫路花田郵便局強盗事件/
滋賀バラバラ殺人事件/鈴鹿殺人事件/築地公妨でっち上げ事件/京都俳優放火殺人事件/
京都高校教師痴漢事件/東金女児殺害事件/高知白バイ事件/名張毒ぶどう酒事件

[著者略歴]尾﨑美代子(おざき・みよこ)1958年、新潟県生まれ。中央大学中退。大学生時代の80年代、山谷(東京)の日雇労働者、野宿者問題の支援に関わる。90年代初頭大阪に移住して以降は、同じく日雇労働者の町・釜ヶ崎に住みながら、フリースペースを兼ねた飲食店「集い処はな」を経営。釜ヶ崎で知り合った仲間たちと、3・11以後福島支援、反原発運動を始め、講演会、上映会、支援ライブなどを続ける。その傍ら、かつてより関心のあった冤罪事件の取材・執筆活動を続ける。


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◆冤罪はきょうも続いている

 

尾﨑美代子『日本の冤罪』(鹿砦社)10月23日発売

警察に「逮捕する!」といわれ、手錠をかけられる。最近あるのかどうか知らないが「刑事ドラマ」は二世代ほど前には人気番組だった。しかしあの番組群は、警察権力に迎合し過ぎた。やりたい放題な拳銃の発砲や警察権力の過剰な暴力を英雄化・美化して視聴者の感覚を鈍化させる作用を担っていた。

そういったエンターテインメントで描かれる、警察の正義性や、苦闘、あるいはヒューマンドラマの裏面に「作り物」ではない現実として、冤罪は悲しい旋律を奏でながら現在進行形、きょうも続いている。

冤罪とは事件・事故の加害者ではないのに、まずは警察に加害者と決めつけられ、ほどなく、被疑者と呼称を変えられ(かつては「被疑者」とも呼ばれず氏名呼び捨てであった)、警察発表に従いマスコミが「こいつが犯人だ」、「こいつは劣悪非道な人間だ」と散々喧伝され、最悪の場合、無期懲役や死刑が言い渡された犠牲者を示す単語である。そこには司法の暴走・暴虐・組織防衛の力学が必ず働く。

◆著者は大阪市西成区の飲食店「はな」のママ

『日本の冤罪』著者の尾﨑美代子さんは、大阪市西成区に飲食店「はな」を経営する女性だ。西成といえば「釜ヶ崎」。「釜ヶ崎」はご存知の通り、日雇労働者が多く暮らす地域だ。著者は「どこにそんなエネルギーと発想が蓄えられているのか」と驚嘆させられる情熱の持ち主である。その情熱が『日本の冤罪』で二つ結実した。

一つ目は布川事件冤罪犠牲者桜井晶司さん(本年8月23日にご逝去)と著者の対談だ。この対談はおそらく桜井さんが遺された最後のまとまった意見表明だろう。二つ目は冤罪事件解決、原発訴訟や福島原発事故被害者救済の裁判など広範な分野で最先頭に立ち、闘う井戸謙一弁護士からの寄稿「弱者に寄り添い 底辺の実相を伝える」である。桜井さん井戸弁護士お二人の力添えが『日本の冤罪』の価値をより高めていることは間違いない。

本書に推薦文を寄稿してくれた井戸謙一弁護士(左)と著者

◆16の事件の冤罪犠牲者たち

『日本の冤罪』には16の事件、18本の取材報告が収録されている。殺人事件から1万円の窃盗そして痴漢事件まで。「事件の軽重にかかわらず幅広く冤罪は作られる」ことを知るために、本書が有益であることを著者は意識したであろうか。さらにこれまで一度として報道されたことのない「京都俳優放火殺人事件」まで取材・執筆の幅が広がっていることが数ある冤罪関連書籍の中で本書を際立たせるのだ。読者は驚かれるかもしれないがと「京都俳優放火殺人事件」の冤罪犠牲者は現在も獄中に囚われたままだ。

著者の冤罪事件取材の方法は独特だ。対談した桜井さんや他の冤罪犠牲者から「こんな事件がある、冤罪だ」と紹介を受け、当該事件の冤罪犠牲者や、弁護士、関係者に取材に赴く(冤罪犠牲者が獄中に居れば手紙を書く)。多くの場合取材のきっかけに冤罪犠牲者の紹介や、要請があり、それが次の事件取材へと繋がる。

『日本の冤罪』筆者の主たる生業は執筆ではない。著者は20年続く飲食店「はな」の店主である。つまり著者は少なくとも「二足の草鞋」を履いているのであるが、それだけではない。「はな」はしばしば勉強会、講演、音楽ライブの会場として地域だけではなく全国から人が集まる場所として機能する。仕切るのはいつも著者、でも必ずたくさんの人が手伝ってくれるという。

冤罪の犯罪性を市井の視点から解き明かし、その射程を未だに誰もが触れぬ領域にまで広げていった。本書のエッセンスと価値はそこにある。

◆取材者の洞察力

 

布川事件冤罪犠牲者桜井晶司さん(本年8月23日にご逝去)。本書収録の対談が桜井さんによる生前最後の意見表明となった

ひとつだけ『日本の冤罪』手に取る未来の読者に警告しておこう。冤罪取材は事実の確認作業が第一歩だが、その先にどんな恣意が隠されていたのかを洞察するのは取材者の洞察力に委ねられる。

さらには事件を文章化するにあたってはときに、凄惨な事件を描写しなければ全様を説明し尽くせない。冤罪を解き明かすには取材者が事件の全体像に踏み込む勇気が求められるわけだ。著者はどんな事件であっても全容を納得することなしには、文章を書いていない。冤罪の犯罪性同様、事件のむごたらしさも描かれていることを心して、読者は本書を手にしてほしい。

なお、著者は故桜井さんに「尾﨑さん、あの事件も書いてよ」と言われている冤罪事件をかなりの数抱えている。その取材が終わるまでは、桜井さんにお別れはできないという。ということは、冤罪事件がある限り、著者が桜井さんに「さようなら」を言える日は来ないのかもしれない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

[著者略歴]尾﨑美代子(おざき・みよこ)1958年、新潟県生まれ。中央大学中退。大学生時代の80年代、山谷(東京)の日雇労働者、野宿者問題の支援に関わる。90年代初頭大阪に移住して以降は、同じく日雇労働者の町・釜ヶ崎に住みながら、フリースペースを兼ねた飲食店「集い処はな」を経営。釜ヶ崎で知り合った仲間たちと、3・11以後福島支援、反原発運動を始め、講演会、上映会、支援ライブなどを続ける。その傍ら、かつてより関心のあった冤罪事件の取材・執筆活動を続ける。

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

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