「芸能界の暴力汚染」は、日本だけに見られる現象ではない。エンターテインメントの本場であるアメリカもかつては暴力が跋扈していた。

フランク・シナトラがイタリア系マフィアとの黒い噂が絶えなかったし、ジミ・ヘンドリックスは暴力に怯えての演奏を余儀なくされた。

Jimi Hendrix "Electric Ladyland"(1968年)

1960年代末、世界でもっとも有名な黒人ミュージシャンとなっていたジミには、人種を理由に多くの団体が関係を持ちたがっていた。その中には黒人民族主義運動を急進的に展開していたブラックパンサーも、マフィアもジミに接触しようとしていた。

ジミは黒人でありながら、ファンのほとんどが白人であり、同胞の黒人社会では今ひとつ受け入れられなかった。また、黒人系の団体から「ジミは黒人社会に借りがある」と主張した。

◆ジミヘンを銃口で脅し演奏させたハーレムのギャング団

1969年夏、ニューヨークの黒人街、ハーレムのギャング団が、ジミを脅迫して演奏をさせようと企て、ジミの承諾も得ないで勝手にコンサートを企画して、そのポスターを街中に貼っていた。

ある時、ジミがこのポスターを街で見かけると、コンサートの主催者のひとりであるギャングが仲間とともに現れ、銃を持ち出し、銃口をジミに突きつけた。

これがきっかけとなり、ジミは黒人仲間から「自分からハーレムでのコンサートに出演しなければ、無理強いされることになる」と説得され、ハーレムでのコンサートへの出演を決めた。このコンサートは入場無料だったため、出演料も出ず、結局、レコード会社が寄付金を出してジミのギャラをまかなうことになった。

翌年の夏のツアーでも、多くの黒人系の過激な政治団体が「暴動を起こされたくなければ売上を引き渡せ」と要求してきた。主催者側は団体に寄付をしたが、結局、何千人もの抗議者たちが入場料を支払わずに会場になだれ込んだ。

◆マネージャー=マイケル・ジェフリーが強いた奴隷契約

ジミを暴力で脅したのは、黒人だけではなかった。

ハーレムでのコンサートからしばらくした後のある晩、ジャムセッションの後で、コカインを調達するため、見ず知らずの人間と店を出たジミは、そのまま誘拐され、マンハッタンのアパートで監禁された。

誘拐犯は、ジミを解放する条件として、マネージャーのマイケル・ジェフリーにジミとの契約を引き渡すことを要求した。ジェフリーは、彼らの要求には応じず、マフィアを雇って犯人を捜させ、事件が起きて2日後に、ニューヨーク州郊外のショーカンのジミの自宅でジミを保護することに成功した。あまりに奇妙な事件だった。

後に、ジミのバンドのメンバーでベーシストを務めていたノエル・レディングは、「ジミが他のマネージャーを捜そうとするのを思いとどまらせるために、ジェフリーは誘拐事件を仕組んだのではないか」と語っている。

その誘拐事件の数週間前には、ジェフリーがジミの自宅にやってきて、ジミと仕事の話をしている間、ジェフリーの運転手が拳銃を取り出し、庭の木に向かって発砲し始めるということがあった。

その時、ジミの家に住んでいたミュージシャンのジュマ・サルタンは「ジェフリーのその訪問は、自分がボスだということをジミに見せつけることが目的だったのではないか」と語っている。

権力を持ったジェフリーはジミを半ば強引に働かせ続けた。70年7月、ジミは取材で次のように話している。

「僕はまるで奴隷だった。仕事ばっかりだ。初めは楽しかったけど、今はまた人生を楽しみたいんだ。僕は引退するよ。これからは娯楽が優先だ。仕事はもううんざりだよ」

その直後、ジミは映画撮影のため、ハワイに行ったが、浜辺で足を怪我し、その治療のために滞在が延び、2週間の休暇を得た。実際の怪我に必要な手当より大袈裟に包帯を巻いて、ジミが重症を負ったことを証明するための写真を撮影し、ジェフリーに見せる必要があったという。ジェフリーはジミを支配していた。

69年10月ジミは、黒人ミュージシャン2人と組んで「バンド・オブ・ジプシーズ」を結成するが、ジェフリーは全員が黒人のバンドに難色を示していた。

70年1月28日には、ニューヨーク、マディソン・スクエア・ガーデンでバンド・オブ・ジプシーズとして出演したが、2曲演奏た後、急にジミの体調が悪化し、公演は中止となった。その理由はコンサートを妨害しようとジェフリーがジミに大量のLSDを盛ったからだと、ドラムのバディ・マイルスは主張した。その数日後、ジェフリーはバディを解雇し、バンド・オブ・ジプシーズも解散した。

70年9月18日、ロンドンのホテルに滞在していたジミは、ワインを飲みながら睡眠薬を服用したために中毒状態となり、睡眠中に吐瀉物で窒息し、帰らぬ人となった。デビューからわずか4年、27歳での死だった。

その3年後73年3月5日、ジェフリーはフランスの航空管制室のストライキ中にマジョルカ発ロンドン行きの飛行機で向かう途中、他の飛行機と接触事故に遭った。飛行機はナント市近郊で大破し、乗客は全員死亡したとされるが、レディングは著書の中で、「ジェフリーは実際には飛行機に搭乗しておらず、生存しているのではないか。多数の目撃証言もある」などと主張しているが、真偽は不明だ。

▼星野陽平
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

《芸能界の深層》がまるごとわかる6刷目!『芸能人はなぜ干されるのか?』