1月16日未明に京都にある老舗喫茶店「ほんやら洞」が全焼した。京都新聞は被害者が出ていない喫茶店の火災を扱う記事としては異例ともいえる扱いで、1面と社会面へ大きな記事を掲載している。

「ほんやら洞」は1972年に開店した。詩人や歌手、学者が集まる場所で、京都だけでなく全国へ様々な文化発信を行っていた。近年は大きなニュースを聞くことも少なくなっていたけども、その名を聞いて懐かしく思う人は少なくないだろう。京都では京大西部講堂と同様の存在感を長年維持していた。

私はといえば行きがかりで2、3度店に入った事はあるものの、ただそれだけの繋がりしかなかった。でも「ほんやら洞」を創立した人々とは職場が同じだったこともあり、様々な話を聞かせてもらっていた。

◆中山容という素敵な詩人

もう亡くなったけれども中山容という詩人がいた。彼は私の勤務していた大学の教員だった。眼鏡をかけて口髭を生やし、ちょっと前かがみに歩く。私が就職したとき彼は学部長を務めていた。こういっては失礼だが、「指導力」や「政治力」ましてや「政治的野心」とは全く縁のない彼が教授会で司会をこなすのを見ているのは本当にかわいそうだった。「教授会」と言う響きは、なにか荘厳と言わぬまでもある種の権威を持った人間の会議のような誤解を導く罠が、それは間違いだと思い知った。

中山さんが学部長を務めていた学部の教授会は、毎回さながら「サファリパーク」のようだった。肉食獣や草食獣が分け隔てなく会議室に集まり、発言する教員がいても別の教員が同時に発言をする。挙手もしないでそれに対する反論や感想を複数の教員が口にする。小学校の学級会でももう少しおとなしかろうと思うほどに、騒々しく秩序がない。中山さんは大声を張り上げてなんとか議事をまとめようとするが、まとまったのか、そうでないのかもよく分からない。陪席として参加していた新人職員の私には腰を抜かしそうな経験であった。当時その学部の教員には極めて強力な人材がそろっていたのであのような会議になっていたのだろうか。

中山さんは歌手の中山ラビさんの元配偶者だか、それに近い存在だか、人には説明しにくい関係だか(本当のところ私は知らないのだけども)・・・とにかく中山ラビさんと良い仲だったことのある人だ。彼はコーヒーとタバコが大好きで、事務室にやってくると我々の机にコーヒーのカップを置き、独特のしゃがれた声と、語り口で和ませてくれた。そういえば「中山容」と言う名前は就職後数年経てから耳にした。中山さんは職場では別の姓名を名乗っていた(蛇足だが大学教員の中には彼のように「芸名」で通している人が意外に多い)。

◆タイのライブハウスで聞いた「ほんやら洞」の魔法

後年中山さんはタイに関心を持つようになり、熱心にタイ語の勉強をしていた。電車の中で単語カードをめくる受験生のよう中山さんがしょっちゅう目撃されていた。中山さんは戦後第1号のフルブライト奨学生だった。だから語学の才能は並外れていたのだろう。1年余りの学習で横で聞いていると大概の話をタイ語でこなすようになっていた。

ある時仕事で中山さんとタイで合流することになった。昼間の仕事を片付けたあとにライブハウスで時間を過ごした。「このドラムはまだ固いね。クッツクッツとこないとね」。バンドの演奏を聴きながら音楽には疎い私に中山さんはロックについてたくさん楽しい話を教えてくれた。そう、かれはやはりフルブライト奨学生だった片桐ユズル氏と共に「ボブディラン詩集」を訳した人でもあるのだ。私なんかが言葉足らずで説明しなくてもその世界では相当の有名人だ。

タイのライブハウスで「ほんやら洞」の話題になった。「いったい何をやっていたんですか?」と無知な質問をぶつける私に「そうだねー。いろいろあったねー。ああ、即興詩の朗読はいつもやってたね。岡林(信康)とか、(片桐)ユズルさんとか、(中尾)ハジメさんとかね」、「僕がここに1行書くでしょ、次に岡林が1行書くの。でまた次に僕が書いて。それで岡林がギター持ち出すと歌になっちゃうんだな、これが!」

魔法のような話だけど、そんなやり取りの中から有名なフォークソングがいくつも生まれてきたのだと教わった。「ほんやら洞の詩人たち」というCDが発売されているし、書籍にもなってる。酒は大して飲まないけれども中山さんの語りには心地よい味があり教養にあふれていた。才能のある人たちは違うんだなーと感心したものだ。

だが、中山さんは定年を待たずに癌にかかってしまった。もう手術できないほど進行していた。私が病院を私が見舞ったのは確か無くなる3日前だった。高石ともやさんと岡林信康さんが病室にいた。なんて豪華な見舞い人なんだと感心した。でも中山さんは気の毒なほどうめいていた。

「痛いよー」、「死ぬのが怖いよー」

詩人でもある中山さんだったからだろうか。「死ぬのが怖いよー」の言葉が今でも忘れられない。

洒落てて、威張らなくて、女性に優しいく、コーヒーとタバコを愛した中山さんが亡くなって10年以上たつ。

全焼した「ほんやら洞」を見たら中山さんは何というだろうか。

「あーあ。焼けちゃったね。でも怪我人がいなくてよかったよな。何とかなるよ。な、そうだろう」

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

《大学異論26》「東大は軍事研究を推進する」と宣言した濱田純一総長声明文
《大学異論25》ロースクール破綻の無策と「裁判員裁判」の無法
《大学異論24》日本テレビが喧伝する「箱根駅伝」の不平等
《大学異論23》青山学院大学──経営者自らがぶち壊す「青学ブランド」

1.17も3.11も忘れない!鹿砦社の震災・原発書籍