昨年10月25日に行われた報告会「玄海原発再稼働をSTOP!させるには」(戦争と原発のない社会をめざす福岡市民の会)では、「玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会」の代表・原告団長である石丸初美さんがはつらつと活動報告した。その内容の抜粋を2回に分けて紹介する。なお石丸さんたちの闘いの詳細については2月25日発売の『NO NUKES voice』7号にインタビュー記事が掲載されたので一読していただけると幸いだ。

川内原発建設反対連絡協議会の鳥原良子会長(2015年10月25日)

石丸さんの活動報告

今日は佐賀平野では黄金色に色づいて、収穫時期になっています。私はこの佐賀平野が好きなのですけれども、ここで、玄海原発で事故が起きたらこれが元も子もなくなるとなったらと思うと、いても立っても居られない気持ちでおります。

みなさんもきっと同じ気持ちと思いますが、普通においしいお米、食べ水を飲んで、お魚を、お野菜をと、これからもずっと安心して食べたいという思いでおられると思います。

しかし、たった一度の東電の事故は今も大地を、海を汚しています。セシウムは30年半減期と言われていますけれども決して短い時間ではありません。安倍首相は全責任を持って対処すると無責任な発言をしていますが、放射能で汚染された大地は今をいきる私たちでは、だれももとに戻すことはできません。国策として進めてきた自民党政権を私たちは決して許してはいけないと思います。

◆4つの裁判

いま私たちは4つの裁判で戦っております。2006年からの運動の延長線で反原発運動を戦っておりますが、2010年8月9日、玄海原発3号機のMOX燃料使用差し止め裁判。そして2011年7月7日、玄海原発2号、3号機はたった2カ月か3カ月しかたたない事故の後だったにもかかわらず、再稼働されました。そして私たちは玄海2、3号機再稼働差し止め仮処分を起こしております。今も係争中です。2011年12月27日、原発すべてが停まってほしいということで、全機運転差し止め裁判。この3つは九電相手です。2013年11月13日に、国に対して運転停止命令義務を果たしなさいという行政訴訟を起こしております。私たちが裁判に至った理由はプルサーマルも原発も止めたい、その一心です。命の問題だからです。核のツケを未来に押し付けると知ったからです。

当たり前と思っている水や空気や、生きるための第一次産業が放射能で汚染されると知ってしまったからです。もし原発事故で病気が増えたり、ガンが増えたりしても、国は『因果関係はありません』と言うような無責任な政治だと私は思っております。本当に大変な時代になったと思っております。

2006年2月、佐賀新聞で『プルサーマル安全宣言』という大きな文字を見たとき、佐賀のおばさんたちが立ち会がった。私はそれに参加した一人です。世間知らずの私は、反原発運動をそれまで何十年も戦ってこられた人たちがたくさんおられたことを、そのときやっと知ったようなものでした。そのころ『六ケ所村ラプソディー』という映画を見ました。その中である農家の方が言っておられました。「私は、原発は反対でも賛成でもないといってきたけれども、どちらでもないということは賛成していることにかわりない。だから反対運動に参加したんだ」という運動の経緯を聞きました。今まで何も知らずにいた私も同じだと思いました。被ばく労働者の問題についても、「知らない」ということは「知らないうちに多くの被ばく労働者たちに対して加害者となっている」ということを知りました。

◆2006年3月──プルサーマルの事前了解を強行した古川前佐賀県知事

2006年3月26日、古川前佐賀県知事は住民の声を聞かずに玄海3号機、プルサーマルの事前了解を強行しました。このことを受けてたった5日後の2006年3月31日、六ケ所再処理工場が動き出しました。日本原燃は2005年度分として、年度内ギリギリのたったわずか、31日の数時間の作業で1年分の約2800億を受け取るという事実がありました。

その2006年、大事なことは住民投票で決めようとプルサーマル県民投票条例制定の署名活動をやりました。有効数(4万9,609筆)をはるかに上回る5万3,191筆の署名を集めましたけれども、あっけなく自民党、公明党で否決されました。理由は間接民主主義の逸脱だそうです。住民はこんな難しい問題は判断できないというものでした。「署名の法定数をクリアしても、をやるかどうかは県議会で決められるんだ」と聞かされました。わたしは何も知らなかったので、そのときはじめて知りました。こういう住民投票は「事前の議会対策、議員対策がいかに大事か」ということを学習しました。その後も「原発はいらない。細々としたロウソクの灯を消さない」原発反対運動をし続けてきました。

◆2009年5月──フランスから玄海原発にMOX燃料到着

2009年5月23日、そのMOX燃料はフランスから玄海原発に到着し、その年2009年12月2日、佐賀県民のみならず全国の反対を無視し玄海3号機で、日本初のプルサーマルが始まってしまいました。私たちはこの商業運転を受けて、反対運動の延長線上にプルサーマル裁判を決意し、翌2010年8月9日、原告130人で提訴にこぎつけました。

みなさんもご存じのように、プルサーマルの再稼働は、石油ストーブにガソリンを使うような危険なものです。使用済みMOXは処理方法も、いまだに世界中で決まっておりません。多くの世界中の科学者が反対しているプルサーマルです。猛毒、プルトニウム。これは毒性が半分になるまで2万4000年、その半分になるのにまた2万4000年と、無毒化するのに気が遠くなるような歳月がかかります。軽々しくも責任を取るなどと言わせません。またプルサーマルの使用済みMOXは、動かせるようになるまで、ウランと同じように100度くらいになるまで100年とも500年とも、やってみなければわからんというような状況です。フランスはこの使用済みMOXの扱い方は「100年先に考える」といっています。後のことは知らんと、傲慢極まりないのが原発です。

◆佐賀県民はプルサーマル実験のモルモット

2006年、佐賀の私たちのところにアメリカからエドウィンライマンさんがやってきて言いました。「プルサーマルは佐賀県民をモルモットにするものですよ。原発は運転しながら実験している機械ですよ」と言われて身の震えるような思いがしたのを今も覚えております。今もその玄海3号機は4号機とともに今、再稼働の準備対象となっております。

プルサーマル裁判で九電の証人尋問のときの話です。私たちの弁護士さんが「使用済みMOXの話について、100年先の使用済みMOXについて誰がどのように責任を取りますか」という質問に九電は「今は九電です」という答えでした。弁護士は「それではそのときに九電は存在しないということですか?」と尋ねたところ、「そのようなことを言っているのではないのですが」ということで、それ以上の答弁はできませんでした。

2009年12月2日、私たちは「プルサーマル運転は理解も納得も佐賀県民はしていません」という主張を掲げ、反プルサーマルの日として毎年12・2行動を、翌年からやり続けてます。今年も第6回目になります。例年同様、玄海町で戸別訪問し、自分たちのわかったことそして地元の人の声を聞いて歩いていこうと思います。(つづく)

★玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会HP http://saga-genkai.jimdo.com/

(小林俊之)

『NO NUKES voice』第7号!総力特集3.11福島原発事故から5年─その現実と社会運動の行方

2月28日(日)、前田日明ゼミ in 西宮(第5回)がゲストに木村草太首都大学東京准教授を迎え、「憲法と日米安全保障の重大問題~メディアが伝えない重大問題」をテーマにノボテル甲子園で約100名参加の中、行われた。

木村草太=首都大学東京准教授を迎えての第5回前田日明ゼミin西宮(2016年2月28日開催)

春めいた晴天の中、定刻通りに14:00松岡社長の挨拶から会は始まった。事前に配布されていたタイムスケジュールでは木村氏、前田氏それぞれ30分ずつ講演の後休憩をはさんで両氏の対談、と告知されていたが木村氏が聴衆へ配布する極めて詳細なレジュメをご用意頂いたなどの事情から冒頭1時間程度木村氏が講演を行った後に、前田氏との討論に入るという形式で会は進行した。

◆一体あの「安保法案」は何であったのか?

安保法制参議院特別委員会の参考人として同法案に「反対」の意見表明をおこなった木村氏は明快ながら実に多くの要素が盛り込まれた6頁にわたるレジュメにそって、一体あの「安保法案」は何であったのか、また国会内で交わされた議論の中で注意を払うべき個所はどこにあるか、さらにはほとんど報道されることがない(したがって国民にほとんど知られていない)「付帯決議」の存在などを明らかにした。

憲法学専門の木村氏にとっては極めて初歩的な講義だったのであろうが、大学の講義のような雰囲気で進行される立て板に水のお話についていくのには、かなり頭が錆びついている私にとっては結構な集中力を必要とした。

「安保法制」の全体像を理解するため「武力行使と治安活動」の定義から始まり、国際法(国連憲章)は原則として「武力不行使原則」(2条4項)を定めていること。その例外として「集団安全保障措置」(憲章42条)が国連安保理決議を根拠に認められてはいるものの、国連安保理決議には内容が不明確な場合が多いという問題を孕むこと。「個別的自衛権」、「集団的自衛権の行使」要件などが詳述された。

この辺りの知識を昨年の議論以前に広く国民が知っていれば国会や特別委員会で首相や、防衛大臣、外務大臣から答弁された内容の多くに基礎的な誤りが多く含まれていたことに、もっと敏感な反応があったのではないかと考えさせられる内容だった。

◆安保法制は「違憲」もしくは「不要」

写真右から前田日明氏、木村草太氏、松岡利康鹿砦社代表

続いて日本国憲法が「武力行使」をどのように定めているか、そしてそれにはどのような議論があるかが紹介された。「武力行使」といえば「9条」がすぐ頭に浮かぶが国民の幸福追求権を定めた「13条」にも「武力行使」(とりわけ個別的自由権の議論)は深くかかわりがあると紹介された。

さらにそもそも憲法の原則は「組織法的な権限規定」であることが説明され、政府に負託された権限は「行政権」(国内統治作用のうち立法・司法を控除したものと「外交権」(外国の主権を尊重して関係を取り結ぶ権限)に限られることが明らかにされた。

その後、憲法から見た安保法制への数点の指摘の後、結論として「安保法制」はそもそもそれ以前イラク戦争に日本が派遣した行為に対する「反省」、「検証」が全くなされていないとの言及があった。

イラク戦争への自衛隊派遣については名古屋高裁が2009年4月17日に「航空自衛隊の活動の一部は違憲である」との判決がある。外務省は「イラクの大量破壊兵器が確認できなかったとの事実については、我が国としても厳粛に受け止める必要がある」とこっそりHPには掲載しているもののそれは4頁に過ぎない短い文章であることが木村氏により批判された。
「普通虐めで子供が自殺したら4頁の報告書で済ませるという事はないと思いますが、戦争に加担しておいて僅か4頁の検証は軽すぎるのではないか」。
まさにその通りだと首肯した。

そして安保法制の「法的」課題や、現実に「集団的自衛権」が違憲ではないかどうかを木村氏は解析し「違憲」もしくは「不要」と結論付けた。

次いで安保法制は成立してしまったものの国会答弁では横畑法制局長官や中谷防衛大臣、そして安倍首相本人から、かなり「武力行使」を困難にする言質が取れていること、及び元気・改革・次世代の三党が付帯決議と閣議決定を求めるよう与党に要請し、それが実現している(このことが殆ど報道されていないが大きな意味を持つ)ことが語られ講演は終了した。

前田日明氏と木村草太氏の白熱討論

◆前田日明氏と木村草太氏の白熱討論

休憩をはさんで前田氏との議論に移った。前田氏は終戦時以来のサンフランシスコ講和条約の不可思議さ、国連における旧枢軸国に対する「敵国条項」が未だに完全に撤廃されていない状況などから「改憲」などは無理であり、隠された問題の本質は他にあるとの説を展開し、それに関連して日本と同様敗戦国であったドイツでは憲法がどのようになっているのか、国際社会でドイツはどのように扱われているのかを木村氏に問うた。

木村氏は日・独の憲法(ドイツでは「基本法」と呼ばれた)の成り立ちの違いや政治制度の違いのポイントを挙げて解説し、日本とは相当な歴史的違いがあることが明らかにした。

対談の最後には司会松岡社長の指名で、この日聴衆として参加していた西宮ゼミ第一回のゲストでもあった鈴木邦男さんが感想を述べた。
「昔右翼をやっていた時は押し付けられた憲法を変えてしまえばそれですべてが解決すると思っていたが、最近の動きを見ると押し付けられたものであれ何であれ、戦争をしない憲法で闘うという木村さんの姿勢が大変印象的だった。憲法を変える必要はないでしょう」と語った。

本来は会場から集められた質問に木村氏、前田氏が回答する予定だったが、熱のこもった討論に予定時刻はあっという間に過ぎてしまい前田日明ゼミ第5回は終了した。

◆最終的には国民投票で可決されるのは難しい

第1回前田ゼミのゲストだった鈴木邦男氏も参加。「戦争をしない憲法で闘うという木村さんの姿勢が大変印象的だった」と語る

引き続き講師のお二人を含め希望者が懇親会に移った。どうでもよいことだが、木村草太氏は健啖家だった。多数の人から語りかけられ、それに答えながらも絶妙なタイミングで料理の並ぶカウンターへ何度も足を運びたくさん召し上がっていた。

歓談に忙しい合間を縫って私は1点だけ質問した。
「ここ数年の流れを見ると『改憲』が現実味を帯びてきたように思う。マスコミの加担は益々露骨で安倍政権の支持率が現在も5割近い。かつては考えられない現象が起こっている(森政権退陣前の支持率は3%を割っていた)。自民党も選挙で『改憲』を明言するようだが『改憲』の現実的可能性についいてはどうお考えになるか」。

これに対しての答えは「最終的には国民投票で可決されるのは難しいと考えるので『改憲』はないのではないかと考える」というお答えだった。

これまで様々なホストとゲストの組み合わせで5年に渡り行われて来た「西宮ゼミ」の中でもアカデミックな色合いがことさら強く、多くを学ぶことが出来た1日となった。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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『NO NUKES voice』Vol.7!福島原発事故から5年──その現実と社会運動の行方

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