大久保・早稲田・高田馬場に囲まれた一帯、戸山。副都心線の東新宿駅が完成したことでそこそこ交通の便が良くなったとはいえ、新宿近郊にして孤島感が漂う地域だ。そんな戸山の住宅団地“戸山ハイツ”を取材し、日本の団地・集合住宅について考えてみた。

◆戸山ハイツ・今のすがた

1949年、第二次世界大戦後の住宅難を打破すべく東京都が建てた戸山ハイツは、日本の団地としては最初期のものだ。1970年に建て替えられたため当時の姿を見ることはできないが、現在の勇姿を眺めてほしい。典型的な団地の姿であり、その状況も団地一般に当てはまるものなのかもしれない。付近を歩く人の多くが齢70歳を超えており、わずかな例外は33号棟1階のタバコ屋や自転車屋を訪れるスーツ姿のサラリーマンや近所の主婦であろう女性だ。居住者のほとんどが高齢者であることがはっきりと把握できる。そもそも人影が少なすぎるし、遠鳴りの自動車の音しか聞こえないほどの静けさに出会うこともある。

◆「分譲」とした時点で「日本の団地」は初めから終わっていた

日本の団地の大部分は日本住宅公団が建設したものだ。日本住宅公団は主として住宅供給を行う特殊法人で、その起源は同潤会アパートの建設で知られる財団法人・同潤会だ。形態は様々だが、変遷として以下を参考にしてほしい。

同潤会(1924~1941年)→住宅営団(1941~1946年)→日本住宅公団(1955~1981年)→住宅・都市整備公団(1981~1999年)→都市再生機構(2004~2017年現在)。

1950年代半ばから1980年頃にかけて日本住宅公団が大量に作った団地は、ベランダ・水洗トイレ・ダイニングキッチンなどといった近代的な要素を取り入れていたため当時のサラリーマンにとって憧れの住宅でもあった。そんな団地生活を購入した働き盛りのサラリーマンが現在の最高齢層なのだ。

分譲であるため居住者の流動性が低く、また家主が亡くなった場合には空室が生じやすい。このような問題に対処するため、たとえば幕張新都心では都市計画の段階で集合住宅の半数を賃貸として展開することを決めたという。常に一定の若年層を受け入れる余地を保つことで街の高齢化を防ごうという試みであり、その成功は、全てを分譲とした団地は初めから終わっていたのだということの証明にもなっている。

◆空き家はあるのに若者が住む場所に困る都市建築

安価な住居を大量に提供するという目的が果たされたいま、今度は空き家の問題が目立っている。そしてまた、空き家があるにもかかわらず都市の若者が住む場所に困っているという現実も見えている。唐突だが、そんな今こそメタボリズム建築の出番ではないだろうか。居住者の流動という意味での幕張新都心的な新陳代謝にあわせ、建築そのものをニーズに応じて有機的に変化させるというメタボリズムのアプローチを発展させてみてはどうだろうか、ということだ。次回は黒川紀章について書いてみようかしらん。

[撮影・文]大宮浩平

▼大宮 浩平(おおみや・こうへい)
写真家 / ライター / 1986年 東京に生まれる。2002年より撮影を開始。 2016年 新宿眼科画廊にて個展を開催。主な使用機材は Canon EOS 5D markⅡ、RICOH GR、Nikon F2。
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