分裂選挙がどんなものになるか、当事者たちにはわかっていたはずだ。それを承知で自民党同士の一騎打ちは行なわれた。そこには組織としての統制や政治判断はなく、ただひたすら恨みつらみ、感情に支配された迷走があった。

◆麻生財務大臣が「造反」と呼んだ福岡県知事選は「私怨」による分裂選挙

周知のとおり、島根と福岡の県知事選で、自民党は公認候補が敗北した。勝ったのは地元県議が支援する候補だった。このうち、福岡県知事選は完全に私怨による分裂選挙である。すなわち、8年前にみずからが担ぎ出した小川洋知事が、衆院選で「手駒」のように動かなかったことを恨みに思い、対立候補(竹内和久)を自民党本部に「公認」させたものだ。

このみっともない立ち居振る舞いをしたのはわが副総理、麻生太郎財務大臣その人である。本欄でもふれたとおり、麻生が推した竹内候補の集会では塚田一郎国土交通副大臣(当時)が下関北九州道路の推進を「忖度した」ことでケチがついた。当初、2倍から3倍の得票差で負けるだろうと思われていたところ、130万票(小川知事)にたいして35万票(竹内候補)、すなわち4倍以上という惨敗だった。

告示の過程で、麻生太郎は記者の質問に「分裂とは思いません、造反だと思います」と語っていた。造反した連中に惨敗したのである。造反したのは地元の県議・市議クラスばかりではない。古賀誠宏池会会長、山崎拓元副総理など、地元の大物も麻生副総理の振る舞いに反発して、小川知事を支援した。怒気の感情とメンツで突っ走った先が、求心力を低下させる惨敗だったのだ。

人間、加齢とともに経験を積み、その意味では洗練された政治感覚になるはずだと、わたしは人間の成長力を肯定的に考えている。もっとも、高齢化することで忍従やこらえ性がなくなり、思ったことを何でも言ってしまう傾向があるのも確かなことで、そのような老人を見るたびに反面教師として自重するよう努めてもいる。今回の麻生太郎の暴走は、まさしく感情を抑制できなかった「老害」であろう。

◆自民党ボス政治の衰退

いっぽう、島根県知事選挙も地元の県議・市議が推す丸山達也が初当選を果たし、県連が「推薦」自民党本部が「支持」した大庭誠司候補を破った。故竹下登元首相や「参院のドン」と呼ばれた青木幹雄・元自民党参院議員会長を輩出し、「自民王国」と呼ばれた島根県に激震が走ったのだ。党本部が「指示」にとどめたのは、党議拘束することで組織の分裂につながるのを避けたからだ。今回の島根知事選挙で明らかになったのは、県連の執行部および中央の政治家の思惑だけでは地方は動かない、ということであろう。ほかにも県連推薦の候補が当選したとはいえ、福井県知事選、徳島県知事選でも、一部の県議が対立候補を支援した。

あるいは地方創生をうたいながら、官邸主導の政治で地方をコントロールし、地元の大物(じつは中央政治)を「忖度」したつもりで、利益誘導を公然と口にしてはばからない、実質のともなわないパフォーマンスを地方は拒否したのである。それは長らく自民党を支配してきた「ボス政治」の衰退にほかならない。ボス政治の衰退という意味では、今回の分裂選挙を官邸とともに「静観」してきた二階幹事長にも及んでいる。すなわち、二階幹事長の元秘書(中村裕一元県議)が共産党の候補に敗れるという事態が起きているのだ。

◆大阪維新の会の躍進が意味すること

中央に対する地方の反乱という意味では、大阪府知事選・市長選挙における維新の会の躍進、名古屋市議選挙における河村たかし市長の減税の躍進(14議席)が挙げられる。とくに大阪維新の会は、危ないといわれていた松井氏の当選をはじめ、府議選挙では過半数、市議選でも過半数にせまる勝利を達成した。全国的に議席を減らしているのに、大阪では大勝したのだ。

これは知事と市長が入れ替わるダブル選挙を「図に乗っている」(自民党幹部)と評され、中央およびマスコミに批判されたことが、かえって原動力になったと言われている。その通りであろう。維新の会は国政政党としてはイマイチでも、地方政党としての地歩を確かなものにした。こういう政治構造は、たとえば沖縄における社会大衆党などの先行例もあり、地元の利益を主張する独自性があって良いのだと思う。その政治スタンスはともかく、地方党が躍進するのは中央の「独裁」をけん制するうえで、必要なものではないだろうか。


◎[参考動画]【報ステ】統一地方選 大阪・福岡・北海道は(ANNnewsCH 2019/04/08公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

〈原発なき社会〉を目指す『NO NUKES voice』19号

殺人事件や性犯罪事件では、被害者への配慮から「原因究明」がおざなりにされがちだ。たとえば、強姦殺人事件の被害女性がミニスカートをはいていた場合、そのことに触れただけでも、「悪いのはミニスカートをはいていた被害者ではなく、犯人だ!」とヒステリックに騒ぎ立てる人も少なくない。

もちろん、悪いのはあくまで犯人だが、仮にミニスカートをはいている女性が強姦被害に遭いやすいという傾向が統計データに現れていたなら、それを公表しないのもまた問題だろう。犯罪被害の発生防止につながる情報を封印するに等しいからだ。

そんな考えの私は、殺人事件を取材する時、この事件はどうにかして回避できなかったかと常に考える。しかし、被害者側の立場からでは、回避しようがない事件もやはり少なくない。2008年に起きた江東区マンション神隠し事件がまさにそうだった。

◆「性奴隷」獲得目的の凶行

東京都江東区のマンションで暮らしていた女性会社員(当時23)が帰宅後、忽然と失踪したのは2008年4月のこと。女性宅の玄関には少量の血が残されていたが、防犯カメラに女性が外出した形跡がなく、「神隠し」事件として騒がれた。

現場マンション。被害女性らは918号室、犯人の男は2つ隣の916号室で暮らしていた

捜査の結果、殺人などの容疑で検挙されたのは、2つ隣の部屋に住む派遣社員の男(当時33)だった。男は「性奴隷」獲得目的で、女性を襲って自室に拉致。だが、警察の捜査が始まったため、犯行の発覚を恐れて女性の首を包丁で刺して殺害してしまったのだ。そして遺体は細かく切り刻み、トイレやゴミ捨て場に捨てて処分していた。

事件後、平然と取材に答えていた男の異常性も話題になったものである。

◆現場でわかる被害女性の「安全性重視」の物件選び

私がこの事件の現場を訪ねたのは、2015年の秋だった。被害女性と犯人の男が暮らしていたマンションは、JR潮見駅から徒歩で5分程度の場所だった。

駅からマンションに向かう道中、暗い場所やひとけのない場所など、物騒に思える場所はまったくない。女性が暮らしていたマンションも正面玄関にオートロックが備えられており、セキュリティは悪くなさそうだった。

現場マンションは正面玄関にオートロックが備えられている

一般的に女性は男性に比べ、部屋を借りる際には「綺麗さ」を重視する傾向があるため、家賃との兼ね合いで駅から遠い場所で暮らしているケースも少なくない。しかし、この事件の被害女性の場合、安全性を重視した物件選びをしていたように思われた。しかも、一緒に姉も暮らしていたというから、まさかこんな事件に遭うとは夢にも思わなかったろう。

被害女性とその姉は、事件の前月にこのマンションに引っ越してきたと報じられている。マスコミ報道を見る限り、犯人の男も見た目はどこにでもいそうな普通の人物だけに、「危険な人物」と見抜くことは不可能だったろう。

親御さんとしても、姉妹が一緒に暮らしていた状態には安心感があったはずだ。それにも関わらず、娘がこのような悲劇に遭ってしまった気持ちは、第三者が想像できる範囲を超えている。

最寄り駅からマンションまでの道もいかにも安全そう

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。新刊『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)が発売中。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

「忖度」し、しかもそれが「ウソ」だったという閣僚が辞任に追い込まれた。

「わたくしは渡世の義理だけで生きている麻生派、根っからの麻生派であります」
渡世の義理で選挙の応援に来た閣僚は、こう口火を切ったのだった。

「みなさんよく考えてくださいよ。下関は誰の地盤ですか。安倍晋三総理ですよ。安倍晋三総理から麻生副総理の地元でもある北九州への道路事業が止まっている。……私、すごく物分かりがいいんです。すぐ忖度します。……今回の新年度の予算に国で直轄の調査計画に引き上げました」「吉田(参院)幹事長が大家(聡志)さんと一緒にやって来て『塚田、わかってるな。総理と副総理の地元なんだぞ』と言うんです。わたしは物分かりがいいんです。総理や副総理が自分では言えないから忖度します」(4月1日、福岡知事選挙応援の演説)

こう演説したのは、元国土交通省副大臣の塚田一郎だ。利益誘導を「忖度」する。総理と副総理の地元だから、停止している道路事業を再開させると喧伝し、国会でマスコミでおおいにその名を売った。辞任の顛末はともかく、事実関係をたどっておこう。

 

◎[参考資料]下関北九州道路の早期実現に係る要望(2018年3月28日)

4月1日(エイプリルフール)の発言だからか、この発言は「事実ではありませんでした」つまり「ウソ」だったとしている。だとしたら、公職選挙の運動の場において「ウソ」で集票しようとしたことになる。

この道路事業というのは、山口県下関市彦島から福岡県北九州市小倉北区に至る約6キロメートル(海上部の吊り橋約2キロ)の地域高規格道路である。かつて「第二関門橋」と呼ばれた30年来の計画で、安倍晋太郎の時代から熱烈な運動がくり広げられてきた。道路は全線が候補路線であり、建設を行うためには計画路線への格上げが必要となっていた。それを政権首脳に「忖度」して、国レベルの調査として、一気に計画路線にしてしまおうというのが、応援演説の真意である。

この「忖度」発言およびそれが虚偽だった件について、参議院決算委員会において、安倍総理は「過去にいくつかの要望事項のひとつとして、設置要望の大会に出たことはある」、麻生副総理は「記憶に定かではない」などとはぐらかして、自分たちの要望が「忖度」されたものではないかのように答弁した。

事実はそうではない。安倍総理は「関門会」なる政治団体の一員として、道路実現のための「要望書」に名を連ねている。総理官邸で大家聡志参院議員に推進のための「指示」もしているのだ。麻生太郎副総理は「下関北九州自動車道路の早期実現に係る要望書」(平成30年版)には整備促進期成同盟会の「顧問」として名を連ねているのだ。ちなみに、この要望書は毎年提出されているが、すくなくとも28年度以降、麻生は「顧問」となっている。

したがって、塚田元副大臣の発言はきわめて事実に近いのではないか。

◎[参考資料]下関北九州道路の早期実現に係る要望(2018年3月28日:PDF)

総理および副総理への「忖度」で政策をゆがめたのであれば、政治の私物化にほかならない。そして「忖度」をしたという演説が「ウソ」だったとしたら、虚偽の宣伝、選挙民への裏切りである。どちらにしても副大臣を辞任するしかないのが、塚田一郎国交副大臣の立場だった。そして、どうやら野党が「辞任」に向けて問責決議などの猛追をかけず、やんわりと話題にしつつ、おそらく参院選挙までこの話題を引っ張ろうとしていることに、自民党は気づいたのだった。そこで一転、更迭となったものだ。

すでにこの欄でもふれたとおり、新元号「令和」は法(令)による支配とそれに対する和(反抗しない)がもう一つの意味である。いわば規律を国民にもとめる政府が、身内の「利益誘導」や「ウソ」には寛大であるという、醜い姿をさらしてしまっていたのだ。

塚田元副大臣の「忖度」発言によって、下関北九州道路は「忖度道路」という印象を持たれてしまった。今後、国レベルでの調査・建設計画が進むにつれて、国民は「あれは忖度で進んでいる工事だ」「ゆがんだ利益誘導によって造られている橋」となってしまうであろう。それにしても、新たな橋が必要かどうかである。

私の実家は、対岸に彦島(下関市)を眺める門司区と小倉北区の境い目にあり、響灘と呼ばれる静かな海を遠望できる。母校(九州国際大学付属高校)の校歌に「♪遠く玄海荒れるとも 波静かなる響灘」とあるように、穏やかな風景のなかに馬島などの小島が見える。瀬戸内海の延長でもあるがごとき環境で、そこに巨大な橋を架けるのは無粋との反対意見もある。海底トンネル(自動車道)は老朽化による修理の頻発があるとはいえ、関門大橋はあと100年は使用可能だとされている。鉄道の海底トンネル(鹿児島本線)、新幹線の海底トンネルも健在である。

その意味では、地元の財界が数千億円といわれる建設費を見込んでの促進運動ともいえるのだ。今回の利益誘導の裏側にはしたがって、政財界の癒着という構造が見え隠れしている。そしてその中枢に、現役の総理大臣と副総理大臣が名を連ねているという由々しき事実だ。この案件から目が離せない。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

いまこそタブーなきスキャンダリズムを!月刊『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

〈原発なき社会〉を目指す『NO NUKES voice』19号

2回にわたって香山リカ氏の欺瞞と虚言癖について述べてきた。今回で一応の打ち止めとするが、「知識人」として持て囃される同氏が、どのような人物であるのかを決定的にご理解いただこう。まずは2017年12月16日の書き込みだ。例によって「しばき隊」の尊師こと野間易通氏とのペアーである。

《「裁判を起こす→支援者からカンパで費用を集める→本を出して支援者に買わせる」という小口のビジネスモデルに活路を見出したのであろうか。》

という疑問形を使った揶揄の対象は、鹿砦社に向けられてのものであることは言うまでもない。まかり間違っても李信恵氏に対する当てこすりではあるまい。劇的に失当なこの悪意に満ちた邪推は、しかしながら看過することのできない“攻撃”でもある。“攻撃”の主たる対象は鹿砦社のつもりであろうが、この文章からはリンチ被害者M君までもが“攻撃”の対象とされている。

1時間近く殴る蹴るの集団暴行を受け、半殺しにされた被害者が、損害賠償請求を提訴することの何が問題だと香山氏は言いたいのだろうか。李信恵氏は差別者に差別言辞を浴びせられ「精神的苦痛を受けた」と損害賠償請求を提訴した。李信恵氏は提訴段階から何度も記者会見が開かれ、その様子がマスメディアによって報じられた。約300万部を発行する朝日新聞に至っては社説にまで採り上げている。

一方リンチ被害者のM君は。提訴するも大阪司法記者クラブ(大阪地裁の中にある記者クラブ)に「記者会見拒否」をされ、けっしてこの事件がマスメディアで報道されることはなかった。判決はM君勝訴であった(当然だ)けれども、満足のゆく内容ではなかった。

昨今、記者クラブの問題が取り沙汰されているが、M君の記者会見拒否に至って、われわれも身をもってその弊害を実感した。また、われわれは事件の背後に“何者かの力”が働いていることを強く疑わざるを得なかった。「精神的苦痛」を負ったとされる李信恵氏に対する対応と、顔面骨折をはじめ肉体的重症を負った被害者M君に対するマスメディアの扱いが、あまりにも違いすぎるのだ。専門家によれば「法的な損失は物質よりも精神的なものが過大に評価される」のが今日の日本の司法だ、との指摘もあったが、そんなものは市民感覚から離れすぎているし、馬鹿げている。

集団暴行を受けたうえに、事件隠蔽に著名人らが数多く組織的に関わった。被害者M君は数少ない力なき者が支えるだけで、いまだに1円の治療費も受け取っていない。そんなリンチ被害者を支援することの、どこが問題だと香山氏は主張するのか。同氏や同氏の仲間らは、しきりに「マイノリティーの権利」を口にする。そうであれば政治家から弁護士、知識人がこぞって事件隠蔽にかかわり、孤立無援のリンチ被害者こそ、“究極のマイノリティー”ではないか。だから鹿砦社、取材班、弁護団、支援会は彼の救済と支援に動いたし、全国から多くの方々が顔も知らないにもかかわらずM君を支援してくれたのだ。

鹿砦社代表・松岡は、この事件を知るや被害者への同情と加害者らへの義憤にかられ損得を度外視して、この事件の真相究明と被害者支援に乗り出し、そんな松岡のピュアな想いにわれわれも「特別取材班」を結成し協力した。その行為をあたかも「儲けの手段」であるかのように見下す香山氏の内面に、われわれは、人間としての最低レベルの醜悪さと、究極の倒錯を見るほかない。「小口のビジネス」などと揶揄されたら、われわわれも「馬鹿言うな!」と大声のひとつも挙げたくなる。この事件に関して鹿砦社は5冊の出版物を書店に並べたが、そこまでの道のりは通常の出版物発行とは比較にならない困難さを伴った。資金も時間も労力も、これまで30年余りの出版活動で一番かかったと松岡は言う。

何度も述べるが、鹿砦社はM君が被った非道が許されないと考えて支援を買って出たのであり、それで金儲けをしようなどという魂胆など微塵もなかったし今もない。香山氏の着想には恐れ入るほど驚いたが、そういった発想が生まれてくる神経を分析するために、心理学を学んだスタッフにも取材班には参加してもらったのだ。専門家の分析は明確に出されているが、あえてここで香山氏の人格分析を明示するのは控える(われわれには「慎み」の感覚があるからである)。

「M君の裁判を支援する会」に寄せられたカンパ(浄財)は弁護士が管理し、不定期ながら1円単位まで収支報告がなされており、鹿砦社には1円たりとも流用されてはいないので、そうした香山氏の物言いに一番激怒したのは鹿砦社代表の松岡である。収支報告といえば、「李信恵さんの裁判を支援する会」には、M君支援会よりも遙かに多額のお金が集まったと推察されるが、この収支報告はどうなったのだろうか? 素朴な疑問だ。いわゆる「反ヘイトスピーチ裁判」は終結したのだから、最後のケツはきちんと拭け!

また、鹿砦社が本件リンチ事件の真相究明で資金的にもこれまでになく費やしたと前述したが、収支はかなりの赤字である。それでも、本件リンチ事件は、中途で放れなかったのである。さらに、支援会は経費を節減するために最低限の人数に抑えられている。弁護団にも無理をお願いしている。

はっきり言えばこの事件にかかわることで、商売上の「得」などは一つもない。副産物として鹿砦社代表の松岡が30数年来付き合いのあった鈴木邦男氏と、また取材班の田所敏夫が辛淑玉氏と義絶せざるを得ないという状況にも直面した。それでもわれわれは、事実に即して取材し判断したことが間違いだとは思っていないし、鈴木氏や辛氏の態度は到底容認できるものではなかったということだ。なあなあで済ませば、これらの人たちと義絶することもなかっただろうが、松岡にしろ田所にしろ、けじめをつけなければならない時にはけじめをつけるということだ。

そこまで腹を決めて、取材し判断のうえ出版しているのだ。研究室に取材に伺ったら逃げまくった挙句「この写真ネットとかに出さんといてくださいね」と情けない姿をさらした、リンチ事件隠蔽のA級戦犯の岸政彦教授らとは、覚悟が違うことを述べておく。

さて、前記の書き込みに続き下記の書き込みである。これらは鹿砦社という出版社に対する著しい名誉毀損である。

「勝手な想像と余計なお世話」で済ませられない事情がある。実はご存知の向きも多かろうが、ほかでもない香山氏らが徒党を組む「しばき隊」関係者に、少なくない数の「不適切書き込み」による失職者や実質的な失脚者、末は、見捨てられた挙句、若くして逝去する人までが出てきているからだ。「傷つく」どころではない。社会的地位のある者たちが、たかだかツイッターにのめり込み攻撃言辞を書き込み職を追われるのは、悲劇というしかないが、彼らの面倒を香山氏らはちゃんと見ているのか。他人事に首を突っ込む前にやることがあるではないか。

さて、立教大学教授にして精神科医、NHKのラジオ番組にレギュラー出演する「知識人」香山先生は、2017年6月7日下記の書き込みをした。香山先生にご要請(?)あるいはご誘導(?)をされたので、鹿砦社は正直に送り先を鹿砦社アカウントに書き込んだ。「頼まれたことには答えなさい」と子供のころから教育されていた通りに「要請」には「お答え」したのだ。すると翌日、神原元弁護士から文句がつけられた。削除の要請があり鹿砦社は「大人の対応」をした。なんなんだこの幼稚さは!中年版「ピンポンダッシュ」でもあるまいに。「ちょと書いてみては?」と言うから、言われた通りに書いたまでだが、答えが来たら「エーン神原先生ぇー」と弁護士に泣きつく。こんな幼児性は「知識人」と呼ぶに値しないどころか、一般常識を備えた社会人としても失格じゃないか。アホらしというか、笑えるというか、実はこの程度が香山先生の本質なのである。

そして最後は地味ながら、また持ち前の「虚言癖」と「決めつけ」の決定版をご覧いただこう。あれこれ御託を並べた挙句に、

《今日、高裁でそれが「リンチ」ですらなかったと確定した。鹿砦社の責任は重い。》

香山リカ『皇室女子 “鏡”としてのロイヤル・ファミリー』(秀和システム)

と断定している。しかし、M君の「対5人裁判」高裁判決文には、どこにも《「リンチ」ですらなかった》などという文言も、文章もない。これは香山氏による明確な“嘘”である。それどころか1審判決よりも被告に命じられたの賠償額が増額されている。なのにどうして「鹿砦社の責任は重い」のだ。説明してくれと頼んでも、われわれと違い香山先生は、まともな回答をよこしてくれたことがないので、もう期待しない。

ただし、われわれは知っている。香山リカという人物は皇室に媚び、時代を利用し、反差別を唱えながら平気で嘘をつき人を傷つける人物であることを。自己認識しているかどうかはわからないが、典型的な“21世紀型ファシズム”の牽引者であることを。要するに矛盾の塊なのだ。精神科医・香山氏を「困った人」と言ったのは、同じ精神科医で、この世界の重鎮・野田正彰氏だが(『カウンターと暴力の病理』参照)、「困った人」につける薬はあるのか!?

改元と来月の天皇代替わりを見越して発刊されたと思われる『皇室女子』。どのタイミングで本人は積極的な広報に出るか。来月1日の天皇の代替わりには、多くの便乗商法が待ち受けている。10連休の間「天皇代替わり祭」の雰囲気を盛り上げ続けなければいけないのだから、マスコミの準備も万端だろう。その中で必ず香山氏も天皇称揚の役割を演じるであろうことを予想しておく。

香山リカ氏は、いわゆる「リベラル」と自称し、右派からもそういわれているようだが、「リベラル」も地に堕ちたものだ。「リベラル」を地に落とした香山リカ氏の「責任は重い」と断ぜざるをえない。香山氏よ、反論があれば堂々と受けて立つぞ!(完)


◎[参考動画]精神科医の香山リカ氏(III 2016/01/10公開)

(鹿砦社特別取材班)

◎どうした!? 自称「リベラル」の香山リカ先生! 近著『皇室女子』に見る香山リカ氏の皇室羨望を批判する!(全3回)
〈1〉香山氏の意図する「平和」や「自由」とは何なのか?
〈2〉平気で嘘をつく精神科医・香山氏の精神構造の分析を試みる
〈3〉虚偽発信で他者を貶める「知識人」の本性がこれだ!「リベラル」を地に落とした「困った人」香山リカ氏の責任は重い!

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前回は香山リカ氏の近著『皇室女子』にみる、同氏の矛盾した主張と、破綻している論理を批判した。

『皇室女子』に関連して、あらためて香山氏がわれわれに対して行ってきた誹謗中傷ツイートを一瞥したが、その社会的立場のある人間、世間では「知識人」として見られている人物が行ったものとは、にわかには思えないほどひどいものである。

これからご覧いただくのは、そのように「上品」な話ではない。香山リカ氏が“嘘つき”であり、鹿砦社や取材班に対して充分「名誉毀損」が成立する書き込みを、せっせと行ってきた様子について、証拠をも元に読者の皆様にご紹介する。まずは2016年8月25日の明確な〈嘘〉である。

「しばき隊」尊師こと野間易通氏の頓珍漢な書き込みに呼応する香山氏のこの書き込みは、明確な〈嘘〉である。取材班は電話取材の際にすべて録音しながら取材を行っている。この会話の様子は『人権と暴力の真相』に収録してある通りであり、ガチャ切りなどはしていない。事実を確認なさりたい読者はぜひ『人権と暴力の真相』をお読みいただきたい。

しかし、多数のフォロワーを持つ香山氏がこのように書けば、それが事実ではなくとも広く拡散される。実体的に鹿砦社や取材班への社会的評価の低下が誘引される。非常に問題の大きい書き込みである。

「私怨」ではない。上記のようにまったくの虚偽を書き込むので、その経緯を出版物にまとめたことを、“しっかり書いている”と強調しているのである。「祈ります」は主語や対象をぼかしているが、侮蔑的なイメージが包含されているとわれわれは感じる。また、以下のような下品な言葉でわれわれを“馬鹿にする記述”もある。

さらには、座視できないのが下記の書き込みである。

「鹿砦社のデマ本」なる表現は、鹿砦社が香山氏を相手に損害賠償請求を提起すれば、ほぼ間違いなく勝てるであろう。その証拠に香山氏らはこのようにツイッターなどで、断片的に、われわれを誹謗をすることはあっても、まとまった書籍や反論本、文章、論文などで、取材班や鹿砦社への批判を一切展開していないことがあげられる。

われわれは、伝える事実が衝撃的なものであろうと、取材に関しては慎重を期し、裏取りのできた(事実と確認ができた)もののみを出版している。上記「なにがかなしゅうて鹿砦社のデマ本の取材班に」への回答は、「社会的に著名でありながら、嘘を発信してもなんの痛痒も感じない精神科医の精神を分析記述するため」である。

いかがであろうか。読者諸氏にはWikipediaなどで、香山リカ氏の著作や、職歴の検索をして頂くことをお勧めする。同氏には膨大な数の著書があり、現職は立教大学教授である。精神科医としての立場から、広く社会での出来事に関心をお持ちで、発言は多岐の分野にわたっている。その人物が、上記ご紹介したような書き込みを実際に行っている。

果たして、この人の発言や発信が信用できるであろうか。判断は読者に委ねるも、事実は曲げられない。(つづく)

(鹿砦社特別取材班)

◎どうした!? 自称「リベラル」の香山リカ先生! 近著『皇室女子』に見る香山リカ氏の皇室羨望を批判する!(全3回)
〈1〉香山氏の意図する「平和」や「自由」とは何なのか?
〈2〉平気で嘘をつく精神科医・香山氏の精神構造の分析を試みる
〈3〉虚偽発信で他者を貶める「知識人」の本性がこれだ!「リベラル」を地に落とした「困った人」香山リカ氏の責任は重い!

最新月刊『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

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「カウンター」/「しばき隊」による「大学院生M君リンチ事件」の取材に取り掛かって以来、取材班はさまざまな人々から情報を得て、その膨大な情報から整理した事実を元に5冊の出版物にまとめ、世に問うてきた。「事件」は隠蔽された〈集団リンチ〉である。基本的な事件像はつかめたが、関係者への取材は一筋縄ではいかなかった。事件に関係が深ければ深いほど、関係者の口は重くかつ取材開始直後から取材班・鹿砦社そして被害者M君への攻撃は熾烈を極めた。

M君は〈集団リンチ〉の被害者であるにもかかわらず、ネット上ではさらなる人格攻撃や虚偽の誹謗にさらされた。たまりかねたM君は「しばき隊」の頭目・野間易通氏を名誉毀損で提訴し、当然勝訴した。それでも彼らの攻撃はやむことはない。これが「リベラル」だの「反差別」だの美辞麗句を用いながら、原理原則などなく「自らが気に入るかどうか」だけで、擁護するか攻撃するかの対象を決めて、結果として「権力の別動隊」として機能している「しばき隊」の本性である。

そしてその周辺には「知識人」と呼ばれるニセモノも多数寄生している(「知識人」・「しばき隊」は相互依存の関係というべきかもしれない)。国会議員では有田芳生参議院議員は確信犯であり、弁護士では「M君リンチ事件」の報を金展克氏から知らされるも、あろうことか「M君に非あり」と加害者擁護・加害者加担の見解を金展克氏にメールで表明した師岡康子氏。「M君リンチ事件」の加害者弁護人でもあった、上瀧浩子弁護士、そして神原元弁護士。……

名前を挙げればきりがないが、師岡氏を除き、上記の人々はいずれも、ツイッターなどで取材班や鹿砦社を誹謗してきた人物でもある。その詳細は、われわれが地を這うがごとき取材でまとめた5冊の本に詳しいので是非まだお読みではない読者の方々は、現物を確認されたい。

香山リカ『皇室女子 “鏡”としてのロイヤル・ファミリー』(秀和システム)

◆『皇室女子』と「反差別」

「知識人」や大学教員も多数がリンチ事件の隠蔽活動に狂奔し、事件取材を進める取材班に対して、言いがかりをつけてきた。なかでも香山リカ氏はその代表格である。同氏の展開する言説は「リベラル」や「反差別」に近いか、あるいは関係があるとの誤解があるが。それが全くの見当違いであることを、同氏は近著『皇室女子 “鏡”としてのロイヤル・ファミリー』(秀和システム)ではっきりと示している。

本書は1月刊行であるが、なぜかあまり宣伝しないこともあるのか、われわれも出版を知らず、出版されていたのを知ったのは、出版から2か月ほど経ってからである。『皇室女子』の書名と、帯の「最も“日本的”なる女性たち プリンセス雅子からいよいよ皇后雅子へ」を見た知人が「香山リカはついにどうかしたのか?」と知らせてきたが、同氏は以前から皇室や天皇制について批判の目を持たず、出自によって乳児でも「さま」と敬語が使われる、単純な差別構造が理解できなかった人物である。

《最も“日本的”なる女性たち》などという物言いは、個性や出自、生活のありさまがさまざまな日本の女性たちを乱暴に“日本的”などという言葉でくくっている。フェミニストでなくとも、このような決めつけの枠に閉じ込められたら、不快に感じる女性は少なくないであろう。

香山リカ氏

『皇室女子』のあとがきは、

《新元号のもとで始まる時代が、平和で国民にとっても皇室の方々にとってもより自由なものとなることを願って》

と、お偉い立場のお方が、現世を見下ろすかのように結ばれている。

でもこんな短い文章の中にも徹底的な矛盾がある。中学生程度の読解力がある方であればすぐにお気づきになるであろう。まずは「皇室・天皇制護持」の立場はけっして「反差別」とは相いれないということである。生まれたとたんに「さま」と呼ばれる制度が存置されていることは、生まれたとたんに「差別」される赤ちゃんも同時に捨て置かれる、制度への賛同と共感をあらわすものだ。

香山リカ氏

だから「新元号のもとで」なる前提では、いかなる「反差別」も論じようはない。「差別」は「不自由」であるから「国民にとっても皇室の方々にとってもより自由なもの」などはありようがない。

本当に国民の自由を、差別の廃絶を願うのであれば、「出生により差別を生じさせる」天皇制廃絶への論考が少なくともなければ、現実には何の力も持ちえないばかりではなく、現存する差別の温存につながる。現実の変革は「願って」いるばかりでは訪れない。与えられた権利はいとも簡単に奪われる(あるいは手放してしまう)ことを、われわれは、20世紀終盤から今日に至るまで目の当たりにし、経験してきたではないか。権利は闘い獲得するものである。

香山氏の意図する「平和」や「自由」とはいったい何なのか。曖昧を通り越して想像すらできない。『皇室女子』はその論証として価値はあろう(手に取ることを読者にお薦めしているわけではない。念のため)。(つづく)


◎[参考動画]精神科医の香山リカ氏(III 2016/01/10公開)

(鹿砦社特別取材班)

◎どうした!? 自称「リベラル」の香山リカ先生! 近著『皇室女子』に見る香山リカ氏の皇室羨望を批判する!(全3回)
〈1〉香山氏の意図する「平和」や「自由」とは何なのか?
〈2〉平気で嘘をつく精神科医・香山氏の精神構造の分析を試みる
〈3〉虚偽発信で他者を貶める「知識人」の本性がこれだ!「リベラル」を地に落とした「困った人」香山リカ氏の責任は重い!

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鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

大阪市の環状線・新今宮駅前に建つ「西成あいりん総合センター」(以後センター)は、通称「釜ヶ崎」と呼ばれるこの地域に住む人たちにとって必要不可欠な場所である。しかしこの間建て替えの動きが急速に進み、施設の一部「あいりん職安」と「西成労働福祉センター」は、3月11日南海電鉄高架下の仮施設に移転が終了、労働者らの寄り場である1、3階は3月31日に閉鎖されることが決まっていた。しかし4月3日現在、センター1階は開放されたままだ。何が起きたのか? 3月31日15時から4月1日朝4時までの現場の様子を釜ケ崎から報告する。

 

◆「閉鎖は決定事項だから」を繰り返す大阪府と西成労働福祉センター

「センターが無くなったら困る」

3月31日のセンター閉鎖に対して、釜ヶ崎公民権運動と釜ヶ崎地域合同労組は「現センターを4月1日以降も開放しろ」と要求、1月25日、2月19日、2月26日、3月5日、3月15日、3月26日と6回にわたり交渉を続けてきた。

建て替えの理由は「耐震性に問題があり、倒壊する危険性がある」だったが、交渉の中で1、3階を閉鎖したあとも、センター上の医療センターは移転までの2年間、市営住宅は全員退去するまで閉めないことが判明、ならばその間だけでも1、3階も解放しろと要求していた。しかし大阪府と西成労働福祉センターは「閉鎖は決定事項だから」「大阪府が決めたことに従うだけ」を繰り返すのみで交渉は決裂、そのまま31日を迎えることとなった。

31日当日、「釜ヶ崎公民権運動」「釜ヶ崎地域合同労組」の呼びかけで、15時からセンター1階に大勢の人たちが集まってきた。コンクリの地べたに敷いたブルーシートの上でダンボールや毛布を敷き座り込む人、底冷えするなかストーブで暖をとる人、その横で将棋を指す人、ジャンベやアルミ缶を叩く人、それぞれがそれぞれにその時を待っていた。

センターは通常早朝5時にシャッターを開け、夕方18時に再びシャッターを降ろす。そのあいだ野宿者は子どもらに石を投げつけられたり、通行人に火の付いた煙草を放られることなく安心して休める。 普段狭いアパートに住む人たちが仲間とゆったり談笑したり、「あそこで炊き出しやってるで」「エエ仕事あるで」と情報交換も出来る。

しかし31日のアナウンスは「今日18時に閉めたら、再度開くことはありません」と何度も繰り返していた。「明日はシャッター開かんのか? センター入れんのか?」と新たに集まる人たち。

シャッター下に寝転び抵抗する人

◆18時過ぎシャッターが降り始めると……

18時過ぎシャッターが降り始めると「閉めるな!」という声があちこちから飛んだ。南東側のシャッターが降りかけると、大勢がそっちへ殺到、シャッターの真下に身体を横たえる人、続いて座りこむ人が続出……騒然とする中、降りかけたシャッターが止まった。

青い腕章をつけた大阪府の職員は、無言のまま「あなたにこの建物からの退去を命じます」のチラシを配り、プラカードを掲げる。ジャンベや太鼓の音が鳴り響く中、あちこちで「話し合いに応じろ」「責任者出せや」「どないなってんねん」と怒鳴ったり、職員に言い寄ったり、誰かに指揮された訳でもなく、みなそれぞれに怒りを口にし、行動にした。

しかし断続的に交渉に来る大阪府労働局の職員は「シャッター閉鎖は中止しない」と頑なに繰り返すだけ。

◆平行線のまま「非暴力・不服従」で抗う

20時過ぎに出された4回目の「退去命令」には、最後に「退去しない場合には警察に通報します」と書かれていた。これまでの交渉でも彼らは、近くに大阪府警の警官や私服警官を多数待機させ、隙あらば弾圧しようと狙っていた。しかし当日集まったみんなは一貫して「非暴力・不服従」で闘おうと確認しあっていた。「難しいこと言うな。どういうこっちゃ?」「ぜったい手あげたらアカンで! でもお上や権力の言いなりにはならへんで、ということや」。

21時過ぎ、長丁場になることが予測され、味噌汁、おにぎり、コーヒーなどの炊き出しが届く。23時過ぎ、大阪府商工労働部の副理事でサトウ氏が部下を引き連れ釜ヶ崎地域合同労組委員長の稲垣氏に話しにきた。いよいよ最後通告かと思い、労働者や支援者も周囲に殺到、現場は一時騒然となったが、話し合いは平行線のまま睨み合いが続く。

そんな中、稲垣氏が「こうした事態を引き起こした責任はあなたたちの側にある。まずは謝罪しろ」と前置きしたうえで「3階までとは言わないが、1階はこのまま開けろ」と提案。疲れ切った顔の職員らは「少し休憩取りながら考える」と戻って行った。

 

◆日付が変わり午前1時半、職員が戻ってきた

日付が変わり4月1日午前1時半、戻ってきた職員が「今の状態ではシャッターは閉められない。大阪府としては撤収するしかない。今日(4月1日)はシャッターを閉めない」と告げにきた。

稻垣氏は「①今降ろしたシャッターはそのままでも、開いているシャッターは閉めないこと、②3階に上がれなくても仕方ないが、1階のトイレ、水道などが使える様に回復していくこと、③今後も話しあいを継続させること」の3点を要求した。

その後4時まで現場で総括集会を開催。3月31日のセンター閉鎖を事実上阻止できたことについて、稲垣氏は「相撲で平幕力士が横綱に勝ち、金星をあげたようなもの。我々の力は微々たるものだが、労働者が多く集まってくれた。情報を聞きつけた支援者も大勢かけつけてくれた。みんなの力が結集したからやれたことだ」と総括した。

◆センター閉鎖で利用者たちがどう困るのか、想定出来なかった大阪府と大阪市

この闘いの中で気づかされたことがある。1つは、大阪府、大阪市は、一部の有識者、支援団体、労組、地域住民との「話し合い」のみで「住民の合意を得た」と思っていたことだ。3月31日付けサンスポで、現場で対応したセンター職員が「これまで閉鎖について地元と合意形成を進めてきており、この事態は想定外だった」と話している。

センターには常時50人から100人以上の人たちが様々な形で利用しているが、センター閉鎖でその人たちがどう困るのか、彼らは想定出来なかったということだ。そうした彼らのセンター利用者を無視(軽視・蔑視)出来る感覚は、新センターが出来るまでの「代替場所」として用意した場所(「新萩の森予定地」)を見ても明らかだ。砂利敷きの土地にテントと長イス、簡易トイレが設置されているだけ、何かの式典か、運動会でもやるのかと思った。当然だが、吹きっさらしのここを利用する人はほとんどない。

センターの代替場所として用意されたテント

◆向こう側にいる人たち──どちら側に立つかで見える風景は違ってくる

もう1つは、シャッターが下りる瞬間、シャッターを挟みこっち側にいた人たちと向こう側にいた人たちの違いだ。向こう側には国、大阪府、大阪市の職員、私服警官などが多数と、「何が起きるのか」と集まる野次馬的な人たちがいた。しかし、その中に普段は「反権力」「反弾圧」を声高に訴える人たちがいたことには正直驚いた。

釜ケ崎に関心を持ち抗議に参加した支援者からも「なぜあの人が向こうにいるの?」と聞かれた。私に聞かれても困るが、彼らが発信しているSNSでは、抗議する人たちを「他所からきて事情もしらずに騒ぐ人たち」と書かれていたそうだ。辺野古で座り込む人たちを「内地から来た過激派だけ」と非難する人たちと似てはいないか。

どちら側に立つかで見える風景も違ってくるだろう。あの時とっさにシャッター真下に寝転んだ男性はこう話す。

「俺は部屋がある。でも野宿の人ら、雨降ったらどうするねん?」。

ちなみにセンターは4月1日午前0時に西成労働福祉センターの管理が外れ、現在管理者不在であることが4月2日夕刻に判明した(土地は国と大阪府の所有)。ガードマンが一斉に引き上げた、あの時から。そしてセンターはこの瞬間も開いている。生活苦しい人、困っている人、みんな、釜のセンターに来たらええねん。

▼尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。

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◆いかに出典を意味付けても、漢字は表意文字である

政府は新しい元号「令和」を、万葉集の大伴旅人による「初春の令月にして、気淑く風和ぎ」から採ったとしている。安倍総理は「わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書」からの出典であると、独自性を誇った。

しかし「令月」が「めでたい月」という意味であっても「令」それ自体は「律令」の令、すなわち行政法という意味である。律が刑法であるのにたいして、令は訴訟法や民事法もふくむ法体系である。

◆お上への反抗を許さないという意味なのか?

したがって「令和」を文字どおりに解釈すれば、法の下に国民を「和」さしめる。つまり和を「協力し合う」「争いをやめる」「協調させる」と解した場合、行政令に国民を従わせると解釈することもできるのだ。つまり「お上に従え」「お上のもとに、反抗せずに協力しろ」と言っているのだ。

もちろんこれは極訳であって、こういうふうにも解釈できるぞということに過ぎないが、漢字はしばしば争いの根拠となってきた。徳川家康が豊臣家を政治的に追いつめたのは、方広寺大仏殿の鐘銘に「国家安康」「君臣豊楽」とあったのを、家康の名を引き裂く、豊臣を君とすると解釈できる、というものだった。京都の五山の僧侶および林羅山がこのように曲解し、弁明につとめる豊臣側に「秀頼の大阪退城」「淀殿を江戸に人質として出すこと」を要求したのである。これを拒否した豊臣家は、大坂の陣で滅亡した。

◆過去にも例があった「令」

漢字が表意文字である以上、こうした曲解は避けられない。漢字が多様な意味を抱え持った文化であるからだ。というのも、ほかならぬ元号の採用にさいして、幕末にも同じような事態が発生しているのだ。しかもそれは「令」という漢字をめぐる問題だったのだ。すなわち、慶応の前の元号が元治と改元されたさいの第一案が「令徳」だったのだ。

政府が説明するように「令」という漢字はこれまでの元号にはなかった。唯一、採用されかけたのが「令徳」なのである。ではなぜ、「令徳」は採用されなかったのだろうか。「令徳」とは美徳であり「弱国を侵さず、小国を憐むは、大国の一なるを知る」(矢野竜渓「経国美談」)にも明らかな、覇道をいましめる王道思想である。ところが、朝廷が一に「令徳」を、二に「元治」を提案したところ、徳川幕府は「とんでもない」と一蹴した。「(朝廷が)徳川に命令する」と読めるからだ。


◎[参考動画]新元号 共産党「元号は国民主権になじまない」(ANNnewsCH 2019/04/01公開)

◆安倍のいう「美しい文化」とは?

上述したとおり「令」は行政法だが、そのほかにも「地方長官」という意味もある。明治政府の「県令」は府・県の首長であった。鎌倉時代には政所の次官が「令」、律令制のもとでは京の四坊ごとに置かれた責任者が「坊令」だった。漢和辞典をめくってみよう。「令」は「言いつける」「命じる」「おきて」「おさ(長)」「お達し」である。熟語は「指令」「禁令」「勅令」「伝令」「発令」「布令」「令旨」「御布令」などである。

安倍総理はいう「日本の国民が協力し合い、美しい文化を作り上げていくこと」だと。おそらく「美しい文化」とは「令」にひたすら従う「政治文化」のことなのであろう。専制的な政権に、唯々諾々としたがう国民。じじつ、わが国民は歓呼を持ってこれを受け容れている。令和時代の何ともいやな始まりとなった。

いっぽうで「和」は「平和」の「和」だと、誰もが思っている。しかし「昭和」が「平和」な時代だっただろうか。前半は軍部ファシズムと戦争の災禍に蹂躙され、国民は塗炭の苦しみにあえいだ。後半はイデオロギー対立が国を二分し、経済成長のいっぽうで公害が国民をくるしめた時代だった。

じつは「和」という言葉は、語源においては必ずしも「平和」の「和」ではないのだ。わが国はながらく、中国から「倭国(わこく)」と呼ばれてきた。これを日本人は「倭(やまと)」と読んだ。もとは「やまと」(山の裾という意味)だったが、漢字文化が入ってくると「倭」に代わって「大倭」「大和」がこれに当てられる(元明天皇の治世)。つまり「和」は「倭」だったのである。

したがって「和」を「やまと」と読むことで、新しい元号「令和」は「大和が(世界に)命じる」「日本に(天皇が)命ずる」と解釈することも可能なのだ。政府の言う「協調」だとか「美しい文化」の衣の下に、安保法制など海外に軍隊を派遣する「鎧」が覗いていることを、われわれ国民は忘れてはならないだろう。


◎[参考動画]新元号「令和」を書くオタリア「レオくん」(時事通信社 2019/04/01公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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〈原発なき社会〉を目指す『NO NUKES voice』19号

2009年9月に埼玉県熊谷市の小学4年生、小関孝徳君(当時10)が車にひき逃げされ、死亡した事件は今も未解決のまま、公訴時効の成立が今年の9月に迫っている。そんな中、報道を通じて聞こえてくるのは、悲観的な情報ばかりだ。

まずは1月、埼玉県警が証拠品として遺族から預かっていた孝徳君の腕時計を紛失していたことが発覚。そして2月には、県警が遺族から腕時計を預かった際に交付していた押収品目録交付書を破棄したうえ、腕時計の記載がない別の押収品目録交付書を再交付していたことも判明したという。腕時計の紛失を隠蔽する目的の工作が強く疑われる不祥事だ。

そんな悲観的な状況の中、私は2014年の夏、この事件の現場を訪ねた時のことを思い出していた。

◆お母さんと二人暮らしだった被害少年

「家で晩ご飯を食べていたら、外でキィーッ!と車の急ブレーキの音がしたんです。窓から外を見ると、ひと目で死んでいるとわかる男の子が横たわっていて……。一面が血の海の痛ましい光景でした」

事件が起きたのは2009年9月30日の午後7時前だった。現場近くで暮らす男性は、私の取材に対し、事件の時のことをそう回顧した。

孝徳君は4歳の時にお父さんを亡くし、お母さんと二人暮らし。サッカーが大好きで、事件3日後にもお母さんとJリーグを観戦する予定だった。だが、孝徳君は書道教室から自転車で帰宅中に命を奪われ、Jリーグを観戦予定の日が告別式になってしまったのだ。

現場の市道は住宅街にあるが、幹線道路に通じる“抜け道”のため、交通量が多い。地元の女性によると、事件があった頃は信号がなく、スピードを出す車もいたという。

その後、新聞では、タイヤ痕などから犯人の車は排気量1800~2000CCとみられると伝えられたが、有力な情報は得られず、今も未解決の状態が続いているわけである。

孝徳君がひき逃げされた現場

◆犯人を捕まえるために現場で独自調査していた母親

私がそんな事件を今もよく記憶にとどめているのは、前出の現場近くで暮らす男性から、こんな話を聞かされたからだ。

「事件後、被害者の男の子のお母さんは、現場で犯人の手がかりを得ようと、通り過ぎる車のナンバーを書き取るなどの独自調査をしていました。ママ友たちも協力して、一緒に頑張っていましたね」

現場に足を向けるだけでも辛い思いになるだろうに、母親の執念は凄いと思ったが、現場界隈では時折、ワーと泣き叫ぶ女性の声が聞こえてくることもあったという。それが母親の声だったなら、どうしようもない思いにとらわれることもあったのかもしれない。

そんな事件をめぐり、冒頭のような警察不祥事が起きたわけである。証拠品に関する警察不祥事というと、最近では、広島県警広島中央署が特殊詐欺事件の証拠品である現金約8500万円を盗まれた事件が有名だ。金額に換算すると、8500万円と男性小学生の遺品の腕時計は随分と大きな差があるが、証拠品を紛失・盗難した罪の重さは何ら変わらないだろう。

いや、腕時計の紛失のほうが罪は重いのではないかとさえ思う。

現場界隈には情報を求めるポスターが……

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。新刊『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)が発売中。

衝撃月刊『紙の爆弾』4月号!

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

ドイツ哲学研究者の三島憲一氏による、非常にわかりやすい元号批判が朝日新聞社の言論サイトWEBRONZA(2019年3月28日付)に掲載されている。

○三島憲一「元号という、上から指定される時代区分は不要」
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019032700004.html

 

三島憲一「元号という、上から指定される時代区分は不要」(2019年3月28日付WEBRONZA)

わたしの意見も大方三島氏の見解と重なるので、ご一読をお勧めする。きょうの何時だかに新しい元号が発表されるそうだ。日常生活にとっては混乱の元凶でしかない改元。子供のころに「明治」は大昔だと感じていたが、このままいけば、少なくとも3つの元号の時代をわたしは生きたことになりそうだ。

◆宗教に依拠した時間軸

時間軸は客観的で科学的なもののように、本質は覆い隠されるが、そうではない。西暦にしたところでキリスト教に依拠した「宗教歴」が世界を制覇したものである。西暦は「ニケア会議」などの政治と天文学、宗教の穏やかながらのっぴきならない衝突を数多く経て、今日に至っているのであり、それはイスラム歴、ヒジュラ歴などとて同様である。共通点はいずれも宗教に依拠した時間軸が、生活を規定することだ(だから本質的には「元号」批判者が無意識に西暦を採用することも、厳密には合理性を欠く面があるといえる)。

無意識に生活していても、わたしたちの日常は、一刻一刻が支配者により規定されており、その度合いが露骨であるのか、長時間を経て支配を終えた、いっけん穏やかなものであるのかの違いしかない。

◆中国、韓国、朝鮮も「国家が規定する時間軸」を自国民に強制などしていない

そして、元号は中国(三島氏によればその昔はベトナムに源があるという)が採用していた、王朝ごとに定められた「限られた宿命を持つ時間軸」である。中国は何千年も支配者による「限られた宿命を持つ時間軸」を使ってきたが、いまではもうそんなものはない。中華民国成立から中華人民共和国の定着によりは放棄された。

多くの社会主義諸国は不幸にも個人崇拝や独裁がはびこり、瓦解の憂き目を見たのだが、それでも「元号」のように野蛮で数千年前の支配意識にもとづく「時間軸支配」を制度的に取り入れた国はなかった。国粋主義者の皆さんがお嫌いな中国も韓国も朝鮮も「元号」に相当するような、野蛮な「民衆支配の時間軸」を持ってはいないし、自国民に強制はしていない。

この点、この島国の住民たちの目を覆いたくなるような「後進性」は、アジアだけではなく、世界的に見ても奇異といっていいだろう。もちろん民衆が支配される手段は直接的な「力」ばかりではなく、現在ではあからさまな「権力」であるところのメディアによる貢献がすさまじく大きい。

◆わたしが「元号」を嫌悪する理由

昨年あたりからは、どんな些細な年中行事にも「平成最後の」と枕詞をつけるのが、思考停止した新聞記者やテレビ番組制作者の習慣となっていた。「で、それがどうした?」と聞き返したら、なんとなく「平成最後の」枕詞愛用者はどんな反応を示すか。何人かに試してみた。

「どうしてそんな無意味なフレーズ使うの」と聞くと、揃いもそろって「忙しいのにめんどくさい質問するな」との表情だけが返答として帰ってきた。「こうするのが当たり前なのに、お前は何を馬鹿な質問をしているのだ」といわれいるような侮蔑感を含んだ視線でもあった。

でも、わたしにはわたしなりに「平成最後の」という耳障りな言い回しを嫌悪したり、「元号」を好感しない(嫌悪する)理由がある。

前述のとおり、時間軸の規定は「支配者」によって強制さわれる。近年さすがに「西暦との併用が不便だ」という実用面からの批判が高まっているが、それはそれで一理はあるものの、わたしが「元号」を嫌う理由とは違う。

「時間の規定軸が『支配者』によって行われる」。支配者はこの国の場合時の政権であるが、その根拠となるのは原則として天皇の代替わりだ。天皇の代替わりによってわたしたちの生活時間軸が規定される。この非近代性と反動性、さらには国家神道と密接に結びついた封建制こそが、わたしが「元号」を嫌悪する理由である。

◆基礎的な事実を無視した「天皇神話」に基づいて国家が時間を支配する愚

アキヒトは「戦後70年戦争に巻き込まれることなく」などと、ことあるごとに平和愛好主義者を演じているが、そのアキヒトが退位まじかに訪問した場所をご記憶であろうか。

《京都府を訪問中の天皇、皇后両陛下は(3月)26日、臨時専用列車で奈良県に入り、橿原神宮の神武天皇陵(同県橿原市)を訪問された。計11に上る譲位関連儀式の1つ「神武天皇山陵に親謁(しんえつ)の儀」で、天皇陛下はモーニング姿で祭壇に玉串をささげて拝礼し、4月30日に譲位することをご報告。続いて皇后さまもロングドレスの参拝服で拝礼される。
 陛下は(3月)12日、お住まいの皇居・御所で、譲位を報告するため伊勢神宮(三重県伊勢市)や神武天皇陵などに天皇の使い「勅使」を差し向ける「勅使発遣(はっけん)の儀」に臨み、神前で読み上げる「御祭文(ごさいもん)」を託された。15日には各陵で陛下からの奉納品を供え、勅使が譲位を報告する「奉幣(ほうべい)の儀」が行われている。》
(2019年3月26日付産経新聞)

また、3月30日付け産経新聞の記事には、《明治以後初となる譲位儀式にあたり、陛下は即位の儀式にならい、先祖に譲位を報告することをご決断。》との記事もある。

「先祖に譲位を報告することをご決断」したのが天皇自身が、宮内庁の取り巻きかはこの際大きな問題ではない。産経新聞が報道している通り、天皇制は「神武天皇」を初代とする「天皇神話」を、21世紀の今日にいたるも踏襲しており、天皇の代替わりは、その伝統的手法に従い行われている。元号の変更も同様である。

神武天皇は神話の世界の架空の人物である。紀元前660年が神武天皇の即位年とされているけれども、そんな時代に、日本には「国」があったのか。中学生の社会の教科書によれば、土器を作っていた「弥生時代」に相当するのが紀元前660年だ。

こういった基礎的な事実を、無視して「天皇神話」に基づき、大騒ぎしているのが「改元」騒動の正体である。神話に基づいた天皇に時間を支配される……。わたしはまっぴらごめんである。

だから、「よい元号」も「悪い元号」もなければ「よい天皇」も「悪い天皇」も個人としてはないのだ。天皇制それ自身が非科学的な宗教に依拠したものであるのだから、そんなものが残存していることがまずもって恥ずかしい話で、それに付随する一切の諸事は、前提なく破棄されて当たり前である、とわたしは考える。ナンセンスの極(きわみ)である。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき『紙の爆弾』4月号!

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

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