◆目白ジムが原点

青山隆(=青山隆浩/1960年10月20日、東京都板橋区出身)は高校2年の時、目白ジム(後の黒崎道場)に入門。1978年12月デビュー。

子供の頃は運動神経が鈍く、体育も苦手だったというが、高校生の頃には「男として強くなりたい」と志し、テレビで藤原敏男や島三雄の活躍を観たことから、目白ジム入門を決めた。

「後々振り返れば、業界一番と言われるほど厳しいジムだった。こんな厳しいジムで耐え切ったことがチャンピオンに上り詰める基盤が出来たのだろう。」と感慨深く思うという。

「青山の試合は好ファイトになるから楽しみ!」と常連客を呼び込む人気を得ていた青山は、フォーリーブスの青山孝に肖ったアイドルタレントのような端正な顔立ちから女性ファンも多く、花束贈呈は女性の列が長く続く現象も起きていた。

タイ遠征した頃、サンドバッグを蹴る青山隆(1983年11月)

◆ムエタイ遠征も図太く生き抜く

キックボクシング界が低迷期で興行も減った1980年代前半でも、黒崎道場はそのネームバリューから比較的マッチメイクには恵まれていた。1983年に道場は実質的閉鎖され、小国ジムに移行されたが、その傾向は変わらず、1983年11月27日、タイでの試合出場を要請された青山隆は、パタヤでパヤオ・プーンタラットがWBC世界ジュニアバンタム級王座挑戦した試合のセミファイナルでのムエタイ試合だった。

結果はKO負けながら、開始からパンチで圧倒。サバ折りや足払いで対戦相手のノックノイのリズムを狂わせ、ギャンブラーは騒ぎ始める中、ヒザ蹴りに捕まって倒されたが、WBCホセ・スライマン会長も食い入って観るほどの大いに盛り上げた試合だった。WBCがムエタイを手掛ける兆しはここかなと勘繰ってしまう当時の激闘である。

青山は試合を終えると、翌日には予定していたムエタイ修行への一人旅。バンコクに戻ると、知人から貰っていた英文で書かれたメモ書きの住所をタクシーの運転手に見せて、片言の英語だけで何とかフェアテックスジムへ辿り着いた。

主に指導してくれたのはトレーナーをしていたムエタイの英雄、アピデ・シッヒラン氏だった。青山が「一番良い先生に出会うことが出来ました!」と言う言葉どおり、お世話になった後々の日本人修行者は多い。

しかし、青山が修行したこの時代は、現在のようなムエタイ留学や外国人受け入れ態勢など無く、住み込みのタイ選手と同じ待遇で雑魚寝だった。

言葉の壁や選手と輪を囲む食事も問題無くこなし、生水をガブガブ飲んでも下痢は一度もしなかったという。

タイ語を覚える気は全くなかった青山は「俺が覚えたのは“バミーミーマイ?”だけだ!」と言うが、屋台で食べたラーメン。これだけは何度も注文したから二度と忘れることはなかったという。後々、日本でタイラーメン店を経営に至る原点はここにあったのかもしれない。

ヤンガー舟木と共に30代半ばまで長い現役生活となった両雄(1983年3月19日)

渡辺明に判定負け、団体分裂で再戦は叶わず(1983年9月10日)

◆ピークを過ぎても闘志衰えず

ライト級ではパワー不足と言い、フェザー級に拘った新人時代から「俺は骨太で体重は落ち難い」という減量苦が付き纏いながらも激戦を展開した青山隆。

1982年11月からの1000万円争奪オープントーナメントでは56kg級を諦め、62kg級で挑むも、初戦で日本系の大ベテラン、千葉昌要(目黒)にあっさり1ラウンドKOで敗れ去った。

1984年11月のメジャー化に向けて動き出した画期的4団体統合の日本キックボクシング連盟では、王座に向けて2連戦となった鹿島龍(目黒)にはいずれも激戦の判定負け。

その打たれても向かっていく凄絶ファイトで不破龍雄(活殺龍)、嵯峨収(ニシカワ)を下し、再び王座挑戦のチャンスを掴んだ1986年9月20日、かつて黒崎道場で、一歳年上ながら後輩でほぼ同期の親友でもあったチャンピオン、葛城昇(=稲葉理/習志野)をわずか1ラウンド37秒、右フックで倒し、念願の日本フェザー級王座奪取に成功(第3代MA日本)。

鹿島龍には2連敗、後々もう一度観たいカードであった(1985年3月16日)

不破龍雄に判定勝ち、我武者羅に向かうファイトが人気を呼んだ(1985年11月22日)

タイトル挑戦前哨戦での山崎道明戦は、なんと3回戦で引分け(1986年7月13日)

花束を贈るファンは多く、華やかなリング上だった青山隆(1986年7月13日)

チャンピオンとして真価が問われる戦いは、当時復興の全日本キックボクシング連盟へ移行する事態はあったが、欧米等の国際戦を経て、1988年3月の初防衛戦で、ついに減量の限界がやってきた。試合の3日前、蒸し風呂に入って意識を失い倒れてしまい、減量は断念。オーバーウェイトで王座は剥奪されたが、挑戦者のスイート金吾(大和)をヒジ打ちで圧勝。更なる上位へ踏み出した(移籍時は第8代全日本フェザー級チャンピオン認定)。

その後のライト級転向も、懸念されたパワー不足と、台頭してきた川谷昇(岩本)や杉田健一(正心館)に敗れるも、引退の兆しは感じさせず地道に這い上がってきた。

1992年1月、全日本ライト級チャンピオンとなっていた川谷昇への挑戦は引分けで二階級制覇は成らず。その後ブランクを作ると、誰もが引退したと思ったが、「まだ辞めないよ。ウェルター級で再起しようかと思って!」と冗談交じりに話す青山だが、キングジムへ移籍しての再起は2年後の1994年6月。時代も更に移り変わり、若い内田康弘(SVG)にヒザ蹴りで1ラウンドKO負け。

更に翌1995年3月に勝山恭次(SVG)に判定負けした試合を最後に、今度は完全にリングから遠ざかったようだった。

しかし40歳を超えた頃、「ジョージ・フォアマンの年齢を超えてやろうか!」と、45歳で世界ヘビー級チャンピオン(WBC・IBF)に返り咲いたジョージ・フォアマンを例えて笑っていたが、いずれ本気で再起する気だったのだろうか。ジムワークを続けていた青山ならやりかねない状況が続いたが、タイで覚えた“バミー”(タイラーメン)を引き金にいろいろな飲食業に挑戦したビジネスも軌道に乗り、さすがに復帰の道は無くなっていた。

王座まで長い道程だったが、わずか37秒であっさり奪取、葛城昇を倒す(1986年9月20日)

初めてのチャンピオンベルトを巻いたリング上の姿(1986年9月20日)

◆兄貴分気質

最終試合後はキングジムで、ミットを持って若い選手の指導に厳しく当たっていた。黒崎道場出身者は皆、存在感にオーラがあり、キツい練習をさせるのが当たり前だった。青山隆もミット蹴りの終了間際では、選手がバテているところで終わらず強い連打を蹴らせ、「最後に強いの一発!」と声を荒げ、バテて強く蹴れないと「弱い! もう一発!!」と延々終わらない鬼コーチぶりを発揮する。しかし厳しさを撥ね返してくる選手は手応えがあるが、昭和の殺伐とした時代を知らない現代っ子には意思疎通が難しくなった様子も伺えるようだった。

そんな厳しい指導をする青山もプライベートでは後輩を連れて飲みに行く等、慕われる存在である。

かつて青山隆の後輩で、後にタイでムエタイジムを運営して殿堂チャンピオンを育て上げた伊達秀騎氏は、アルバイトしてはタイ修行を繰り返して金を使い果たしていた時期のことについて、「青山さんから電話が掛かってきて、『メシ喰ったか?』と聞かれ、『ちょっと今金無くて……』と苦し紛れに応えると、『バカッ、お前、電話しろよっ!』って怒られて、食事に連れて行ってくれる情に厚い兄貴分でした。食えない時期に何度も助けてくれたことは一生忘れられないですね!」と語る。

2012年12月には、肺癌を患って入院していたアピデ・シッヒラン氏への御見舞に約30年ぶりにタイへ渡った青山隆氏。アピデ氏や家族の方々もわざわざタイまで来てくれたことに感激していたという。30年前の恩を忘れない、恩師は親、後輩は弟のように人情が厚い。

青山氏は現役引退したつもりは無いようで、「自分の中では死ぬまで現役です。今でもトレーニングはしています!」と力強く言う。

後輩への指導は、昭和の厳しさではなかなか付いて来ない時代だが、人情厚い指導で令和の青山流チャンピオンを育て上げて貰いたいものである。

画像はおとなしく見えるが、指導はここから厳しくなる青山隆(1996年9月12日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』7月号

自身が批評されていることもあり、つい長くなった誌面紹介は、【検証】「士農工商ルポライター稼業」は「差別を助長する」のか(第九回)『「士農工商」は「職階制」か「身分制度」か 再考』である。

 

衝撃満載!タブーなき月刊『紙の爆弾』7月号

楽しみにしていた「伝説のルポライター竹中労の見解」は、昼間たかし氏の「士農工商ルポライター稼業」に関する部落解放同盟の中間報告がまだ、という事情から掲載延期となった。

「竹中労の見解」(差別事件)というのは、美空ひばりをリスペクトする記事の中で、「出雲のお国が賎民階級から身を起こした河原者の系譜をほうふつとさせる。……ひばりが下層社会の出身であると書くことは『差別文書』であるのか」というものだ。

これを部落解放同盟が糾弾し、双方ではげしいやり取りがあったとされる。ここで言えることは、下層階級出身や下層労働者などが、竹中労において身分差別である部落差別と混同されていることであろう。部落差別は「貧困」や「地域格差」だけではない、貧富にかかわらず存在するものだ。富裕な人々でも「お前は部落民だ」と差別されるのである(野中広務への麻生太郎の差別的発言)。

◆そもそも黒薮氏のコメントは「批判」なのか?

さて、その代わりというわけでもないと思うが、わたしが本通信に掲載した下記の記事と、それに対する黒薮哲哉氏の松岡利康氏のFBでの批判コメントが取り上げられている。

◎横山茂彦「部落史における士農工商 そんなものは江戸時代には『なかった』」(2021年3月27日)

◎横山茂彦「衝撃満載『紙の爆弾』6月号 オリンピックは止められるか?」(2021年5月8日)

だが、本誌今号の引用記事を一読してわかるとおり、「差別の顕在化は近代的な人権思想によるもの」「これまでの差別がおかしいなと気づくのは、じつに近代人の発想なのである」というわたしの論脈と、黒藪氏の「搾取・差別の認識が生まれるのはおそらく次の時代でしょう」に、ほぼ内容上の異同はない。

その時代には顕在化しない差別も、つぎの時代の価値観で明らかになる。と、同じことを主張しながら、不思議なことに黒薮氏は、わたしを「批判」しているのだ。
自分と同じ内容で「批判」された相手に反論するのは、およそ不可能である。

それがなぜ「典型的な観念論の歴史観で、史的唯物論の対局(ママ)にあります」となるのか? そもそも黒薮氏には、どの文脈がどう「観念論の歴史観」なのか、そして氏が拠って立つらしい「史的唯物論」がどのようなものなのか、FBへの書き込みに何の論証もない。

したがって、わたしは本通信の記事を誤読されたものと「無視」してきた。だが黒藪氏にとっては不本意かもしれないが、今回活字化されたことで、氏の過去の記事にさかのぼって検証せざるをえない。

もうひとつ、今回活字化されて気づいたことだが、黒薮氏は江戸時代に「階級や階級差別が客観的に存在しなかったことにはならないでしょう」と述べている。鹿砦社編集部も「本誌の立脚点は、黒薮氏のこの意見に極めて近いといえます」という。身分差別を階級差別と言いなしているのだとしたら、大きな錯誤と言わざるを得ない。

階級とは生産手段の私的所有を通じた、所有階級とそれに隷属せざるをえない非所有階級の分化という意味であり、江戸時代においては武士階級と百姓・町民階級が身分制と相即な関係にあるのは間違いではない。

しかし、百姓と被差別部落民は身分において武士階級に分割支配されているのであって、そこにある差別を階級間とはいえないのだ。百姓の中にも名主(庄屋・肝煎)などの村役人、本百姓(石高持ち)、水呑百姓の階級区分を、もっぱら土地所有によって、われわれが「階級差」としているにすぎない。そこには貧富の差が階級差別とそれをふくむ身分差別でもあっただろう。

ひるがえって、被差別民の多くは寺社に従属しては死穢にかかる役割を得て、町奉行に従属しては刑務を役目とすることが多かった。これらの場合、寺社代官や武士階級に従属する「階級」とは言い得ても、百姓との関係では身分の違い、そこにおいて差別を受ける存在だったというべきである。これを逆に言えば、一般の百姓よりも富裕な被差別民もいたという意味である。つまり両者を分けるのは階級差ではなく、身分差ということになる。

身分差別と階級差別を混同する危険性は、その独自性(部落解放運動と労働者の階級闘争)を解消する、いわゆる左翼解消主義の思想的基盤となると指摘しておこう。これらのことについては、さらに稿を改めて歴史的な解消主義をテーマに詳述したいと考える。

◆論点は「士農工商ルポライター」である

黒薮氏の松岡氏FBにおける「批判」を無視していたのは上記のとおり、黒薮氏の論旨の混乱に反論したところで、議論すべき論軸から逸れる可能性が高かったからである。

この考えは今も変わらない。それよりも黒藪氏においては、12月号の「徒に『差別者』を発掘してはならない」において、「現在、江戸幕府などが採った過去の差別政策が誤りであったとする」世の中の認識があるから「士農工商ルポライター稼業」が「差別を助長する世論を形成させることはない」「差別表現ではない」とした認識は、そのままでよいのだろうか。

これ自体、わたしはきわめて差別的な見解だと思う。記事中に杉田水脈議員の差別的な言辞を例に、昼間たかし氏を擁護しながら展開される「意図しない差別は差別ではない」という論脈についても、撤回されないのだろうか。杉田議員擁護については、今回の事件の部落差別を助長する重大なテーマゆえに「論軸」をずらさないために「無視」してきたが、書いた責任はこれからも問われると予告しておこう。

わたしは「紙爆」1月号の「求められているのは『謝罪』ではなく『意識の変革』だ」において、身分差別は時の権力者の政策ではなく、われわれをふくめた国民・一般民の中にこそあると指摘してきた。それゆえに、部落差別は意図せずに起きるのだ。

差別的表現を「名誉棄損」と混同する点や「寝た子を起こすな」的な記述(ここに大半が費やされている)も、部落解放運動の無理解にあると指摘してきたつもりだ。これらへの反論・釈明・あるいは必要ならば自己批判こそ、黒薮氏の行なうべきことであろう。

◆論軸をずらさない議論

議論において「論軸」をずらし、戦線を拡大してしまうことについては、元新左翼活動家の悪い倣いで、わたしには論争相手を壊滅的に批判する作風の残滓がある。

いわゆる論争(批判・反批判)というものは論軸をしぼり、相互批判の方向を発展的な論点に導く必要がある。言いかえれば当該のテーマにおいて、論争それ自体が有益な議論を獲得するのでなければならない。

つまり、いたずらに相手をやっつける議論ではなく、議論の中から研究的な成果が得られる内容がなければならないのである。それに沿って、議論をすすめていこうと思う。

◆「職階制」は近代的概念である

ところで、鹿砦社編集部のいう「職階制」とは、どの文脈で出てきたのだろう?
そもそも、わたしは記事中に「『職分』(職階=職業上の資格や階級。ではない)」と、わざわざ鹿砦社編集部の誤用を指摘したつもりだった。

『広辞苑』によれば、職階は「経営内の一切の職務を、その内容および複雑さと責任の度合いに応じて分類・等級づけしたもの」となる。

わたしは「職分」(職業上の本分)とは書いたが、職階なる言葉・概念が江戸時代の歴史研究に馴染むものとは考えない。そもそも士農工商が「職階制」であるとの主張をしたつもりもない。

というのも、いまや江戸時代に「農民」という概念・呼称があったのかどうかという疑問が提出されているからだ。士農工商ばかりか、村人や農民という呼称すら史実にふさわしくないと、歴史教科書から消されつつあるのだ。

「士農工商」の「士」のつぎに「農」という概念が強調されるのは、幕末・明治維新の農本主義思想(平田国学)に由来すると、以前から指摘してきたところだ。つまり思想上の問題であって、それこそ重農思想がもたらした「観念論」、現実にないものを言語化したものなのである。

東京書籍の『新しい社会』のQ&Aから引用しておこう。

≪「百姓」とはもともとは「一般の人々」という意味でした。「百聞は一見に如かず」などと使われるように,「百」という言葉は「多くのもの,種々のもの」を意味します。やがて,在地領主として武士が登場すると,しだいに年貢などを納める人々を指すようになり,近世には武士身分と百姓身分が明確に区別されることになりました。百姓身分には,漁業や林業に従事する人々もおり,百姓=農民ということではありません。≫

◆差別は再生産される

議論すべき論点は、部落問題が江戸時代の「封建遺制」(日本共産党の見解)ではなく、現代もなお再生産されるもの、ということである。

すなわち、現代における部落問題の歴史的本質は、資本主義的生産諸関係の資本蓄積と、資本の有機的構成の可変にもとづく、景気循環における相対的過剰人口の停滞的形態(景気の安全弁、および主要な生産関係からの排除)。そこにおける封建遺制としての差別意識の結合による差別の再生産構造、生産過程とそれを補完する共同体が持つ同化と異化による差別の欲動(共同体からの排除)、そしてその矛盾が激しい社会運動を喚起する。帝国主義段階においては、金融資本のテロリズム独裁(ファシズム)が排外主義思想を部落差別に体現し、そこでの攻防は死闘とならざるを得ない。これらの実証的な検証という論点こそ、今日のわれわれが議論すべき課題なのだ。かりにも「史的唯物論」にもとづく分析方法ならば、部落問題に限っては、これらをはずしてはありえない。

これが70~90年代階級闘争の大半を、狭山差別裁判糾弾闘争をはじめとする部落解放運動に、部落民の血の叫びを間近に感じながら糾弾を支援し、またかれらに糾弾されながら経験してきた理論的地平である。

◆江戸時代に身分差別が存在したのは言うまでもない史実である

ひるがえって「『職階制』か『身分制度』か」という鹿砦社編集部の設問自体が、士農工商に即していうならば、論証不可能(史料で実証できない)ということになる。身分制はともかく、職階制はそもそも近代概念なのである。

士農工商の制度的な存否と、江戸時代における身分差別の存否は、もって異なるものなのだ。ここでも「論軸」は、士農工商の存否と身分差別の存否、として区別されなければ、議論の意味がない。

そして江戸時代に身分差別があったかどうかは、江戸時代がそもそも身分を固定する身分制社会(身分間の移動は可能だったが)であり、百姓身分のほかに差別的に扱われる「被差別民」が存在したことに明白である。くり返すが、士農工商が身分制度かどうか、とはまったく別の議論なのだ。

その「被差別民」も具体的には、各地方で呼称も形態も異なり、現代のわれわれが考えるほど単純なものではない。

たとえば東日本では「長吏」、西日本では「皮田(革多・河田)」、東海地方では「簓(ささら)」、薩摩藩では「四衢(しく)」、加賀藩では「藤内」、山陽地方では「茶筅」、山陰地方では「鉢屋」、阿波藩では「掃除」など。

高野山領では「谷の者」あるいは「虱村(しゃくそん)」、長州藩では「宮番」、と、地形と地域を表す呼び方もある。これらを総称して「穢多」といえるのは、家畜の死骸を処理する固有の「特権」があり、食肉・皮革産業に従事していた職業的な特徴である。家畜の遺骸を処理することが賤視につながったのは、百姓たちの共同体と仏教信仰を範疇に納めなければ理解できない。

ほかにも被差別民の存在は、中世いらいの伝承や慣習、地域的に劣悪な条件があいまって、中世的な「惣(村落共同体)」の排他性や地域的な検断や公事(裁判)などによって形成されたものであって、為政者が「公文書」で上意下達的に「差別」させたものではないのだ。

いっぽう、「非人」は罪刑によって非人とされた者、寺社に従属する職業身分、あるいは罪人を取り扱う職業、浮浪者を排除する非人番の者たちという具合に、「穢多」とは職業・地域の構成要件がちがう。

ただし、江戸にいたとされる非人数千人は、非人頭を介して穢多頭の浅草矢野弾左衛門の支配下にあったというから、単純に線引きできるものではないようだ。
以上のごとく、江戸時代が身分差別のあった社会であることは、これで十分に納得いただけるものと考える。そして得られる結論は「士農工商……」が、江戸時代の身分差別の根拠ではない、という論点である。(了)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』7月号

Me Too 運動が盛んになるなど、性犯罪やセクハラに対する社会の目が一昔前に比べ、随分厳しくなっている。それ自体はもちろん悪いことではないが、一方で性犯罪やセクハラの濡れ衣を着せられ、取り返しのつかない損害を被る冤罪被害者も全国のあちこちで生まれているのが現実だ。

一審の無罪判決が二審で破棄され、6月9日に差し戻しの一審で懲役7年の判決が出て話題になった福岡の養女性交事件もその疑いが否めない事件の1つだ。

◆信用性に疑問があった養女の証言

この事件の被告人の男性は、2018年1月中旬頃から2月12日までの間に、妻の連れ子である当時14歳の養女と性交したとして監護者性交等の罪で起訴された。そして一審・福岡地裁では、2019年7月に無罪判決を受けた。

しかし、検察官が控訴すると、2020年3月に二審・福岡高裁が無罪判決を破棄し、一審に差し戻す判決を宣告。その後、弁護側の最高裁への上告も棄却され、差し戻しの一審で上述のように逆転有罪という結果になったのだ。

以上が事件の概略だが、裁判の争点はつまるところ、被害を訴える養女の証言が信用できるか否かだ。そして一度目の一審では、養女の証言について「信用性に疑問がある」として男性に無罪が宣告されていたのだが、実際、養女が証言した犯行状況は不自然だった。

というのも、被告人宅は部屋が少なく、夜は被告人夫婦と養女、その下の小さな子供2人の計5人が全員一緒に12畳のリビングで寝ていたのだが、養女の証言によると、被告人による性交は事件の1年ほど前から「多い時は週2回、少ない時でも月1回」という頻度で他の家族も寝ているリビングで行われていたという。しかし、他の家族は誰もそのことに気づいておらず、そもそも性交は架空のことである疑いが浮上していたのだ。

一度目の一審判決はその点に着目し、養女の証言を「不自然、不合理であるといわざるを得ない」と判断。検察官は「養女の証言は14歳の児童が創作できるものとは到底言えない」と主張していたが、養女の証言の多くは検察官の誘導尋問に応える形で単純な内容を述べるにとどまっていたため、「実際に体験しなければ供述できないほどの具体性や迫真性があるとは認められない」と検察官の主張を退けたのだ。

裁判では、嘘をついてまで男性を犯罪者に貶める動機が養女にあったのか否かも争点になったが、男性は養女に対し、携帯電話を使わせないなど厳しく接しており、養女から疎ましく思われていそうな事情もあった。“事件”が発覚した経緯をみても、養女が学校を休みがちであることを母親に叱られた際、突然泣き出し、男性に胸を触られたと訴えたことがきっかけであり、「養女は母親の怒りを男性に向けさせようとした可能性がある」とした一度目の一審判決の判断は合理的なものだった。

◆有罪を立証できなかった検察官を救済すべきだという裁判官

一方、この一度目の一審の無罪判決を破棄した二審判決はどんな内容だったのか。

細かい問題は色々あるが、最大の問題は次の部分に示されている。

「仮に原判決がいうように、具体性、迫真性に欠けることを理由に被害者の原審供述の信用性を否定するのであれば、その前提として、被害者の年齢や知的能力に加え、被害申告の経緯等の供述状況に関する証拠調べを行い、場合によっては専門家の知見を利用するなどして性犯罪被害者や被虐待児童の供述特性等に十分配慮した審理を行うべきである」(二審判決)

言うまでもないことだが、刑事裁判の挙証責任は検察官にある。検察官が有罪を立証できなければ、裁判官は被告人に無罪の言い渡しをしなければならない。しかし、二審の裁判官は、検察官が専門家の知見を利用するなどしなかったため、養女の証言の信用性を立証できなかったことについて、無罪判決を出した一度目の一審の裁判官が救済してやるべきだったかのように言ったのだ。

裁判の舞台となっている福岡高裁・地裁の庁舎

◆無罪を破棄させた「間違った正義感」

なぜ、二審の裁判官はこんな刑事裁判のルールに反することを言ったのか。原因はおそらく、「いたいけな性被害者の少女を救ってやるのは自分だ」という間違った正義感である。判決から、それが現れている部分を抜粋してみよう。

「被害者の原審供述の信用性を正しく評価するに当たっては、前記の被害者の年齢や知的発達の程度に加え、事案の性質上、同居の家族から長期間にわたって継続的な性的虐待を受けた経緯について供述を求められる立場にあることを踏まえる必要がある」(二審判決)

「一般に、性犯罪被害者には、語ること自体が非常に大きな精神的負担になる事柄について、裁判という精神的緊張を強いられる場において供述を求められる」(同)

「また、性犯罪被害者は、犯行による精神的後遺症の影響から、被害の詳細を語ることができずに質問に対する応答がずれてしまったり、逆に感情を露わにせずに淡々と話すために内容がうまく伝わらなかったりすることも決して稀ではないといわれている」(同)

これらもすべて、養女の証言内容に具体性、迫真性がないことについて、二審の裁判官が救済するために述べたことだ。一読しておわかりの通り、裁判で「本当に被害者なのか否か」が争われている養女について、最初から「同居の家族から長期間にわたって継続的な性的虐待を受けた」「性犯罪者被害者」と決めつけているのだ。それはすなわち、最初から被告人をクロだと決めつけているということだ。

ちなみにこの二審を担当した鬼澤友直裁判長は東京地裁にいた頃、大学女子柔道部の部員に対する準強姦罪に問われた金メダリスト内柴正人の事件で裁判長を務めた人物だ。その時も「性交は合意のうえだった」とする内柴の無罪主張を「まったく信用できない」と退け、懲役5年の実刑判決を宣告している。一方で、文教大学に合格を取り消された麻原彰晃の三女の入学を認める仮処分の決定を出すなどしており、弱い立場の人物に感情移入しやすい性質である可能性が窺える。

無罪を破棄された男性に対する差し戻しの一審の懲役7年の判決については、現時点で入手できておらず、批評不能だ。しかし、判例データベースなどに掲載される可能性が高いと思われるので、入手できたら、内容を検証のうえ、当欄でまたお伝えしたい。

▼片岡 健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』7月号

6月6日大阪市内で開催された「老朽原発うごかすな!大集会IN大阪」には、緊急事態宣言下にも関わらず、1300人もの市民が集まった。6月23日予定される美浜原発3号機(福井県)の再稼働に向けた反撃の布陣が大きな広がりを見せている。関西、福井、そして福島からの参加された市民団体、組合、個人の方々からの熱いアピールが寄せられた。何人かの要約を紹介する。

 

中嶌哲演さん(オール福井反原発連絡会)

◆中嶌哲演さん(オール福井反原発連絡会)

昨年の秋以来国と関電は猛烈な攻勢をかけてきまして、関西から駆けつけられた方々には、その実態を如実に見ていただいたと思っています。地方自治体の行政職は公僕―公の下僕、地元住民の奉仕者でなければいけない。議員たちは有権者、市民の代弁者でなければならないのに、それと全く相反する姿を皆さんはご覧になったわけです。

住民の代弁者よりも、関電と政府の下僕と化した若狭や福井県内の状況、木原さんは我々の運動は住民自治、地方自治を取り戻す運動だと仰ってましたが、まさにその通りです。ご存じのように、関電は株式会社で、15~16%の株を有しているのは大阪市、神戸市、京都市など関西圏の主要自治体です。もちろん80数%はメガバンクや生命保険会社の投資で賄われているなかにあって、京阪神の自治体は少数派かもしれないが否定できない事実です。

そして関電が設置している原発は、小さな若狭の地に11基、977万ワット、わずかな6キロ万ワットしか必要としていない若狭に、それだけの原発が集中しています。その実態を関西の皆さんには改めて考えていただきたい。関西の1450万人の命と、その命の水源である琵琶湖を守ることよりも、大手株主や国を優先している電力会社であることも否定できません。

福島の事故から10年、風化するばかりの状況の中で、既に多くの皆さんが関電から離れていっている。この秋、選挙があり、政権をかえるチャンスが与えられている。現政権がブレーキをかけ続けてきた原発ゼロ法案を審議し、制定させる道がこの秋に切り開かれようとしている。3・11直後の沸き立つような市民運動、世論をもう一度思い起こし、「老朽原発止めろ!原発をゼロに!」という広範な動きを作っていきましょう。

◆山下けいきさん(反原発自治体議員・市民連盟関西ブロック)

避難計画ですが、現在30キロ圏内の自治体が避難計画を作るということになっています。なぜ避難計画をつくらないとあかんのか、原発のために、なぜ右往左往しなくてはならないか、本当に許せないと考えています。

 

水戸地裁では、この避難計画が出来てないから原発差し止めるという結果になりました。避難計画の概要ですが、30キロ圏内の自治体は避難計画を作るとなっている。県を超えて避難しないといけない。滋賀県は長浜と高島ですが、事故が起きたら大阪に、福井県、京都府は奈良や兵庫など他府県に避難すると計画になっています。

問題は、避難計画は30キロ圏内でいいのかということです。福島県の飯舘村は原発から40~50キロ離れていましたが、放射能汚染で全村避難になりました。アメリカは福島の事故の際80キロ圏内の人たちに避難しろとなった。イギリスは50キロ圏内となった。ですから今の30キロ圏内が妥当かどうか疑問があります。それから現場の負担が非常に大きい。2018年福井県の教育委員会が各学校毎に避難計画を作れと細かな指示をしているが、何故こんなものを学校で作っていかなければいけないのか。

避難する際の問題点ですが、バスの調達など進んでいない。新潟では昨年11月段階で5キロ圏内でも進んでいない。要介護の人たちの避難は今から具体化するという。コロナがあるのでバスの数も避難所の広さも2倍必要となっているが、こんなことは全く想定されない。複合災害が起こることなど考えられていない。なぜ原発があるために、私たちが避難しなくてはならないのか、ここに尽きると思いますので、原発動かしてはならん、ましてや老朽原発動かしてはならんと一緒に頑張っていきたいと思います。

◆和田央子(なかこ)さん(放射能ゴミ焼却を考えるふくしま連絡会)

 

和田央子(なかこ)さん(放射能ゴミ焼却を考えるふくしま連絡会)

私は除染と廃棄物の問題にとりくんでいます。先日環境省が汚染土再利用のためのフォーラムをオンラインで開催しました。大熊町、双葉町にまたがる中間貯蔵施設に搬入される1400万立方メートルもの汚染土を再生資材として全国で活用する、そのための全国民的理解の醸成をはかろうというものです。

パネリストとして登壇された東京大学大学院准教授・開沼博さんは、この汚染土問題について、自分のところは嫌だから、よそへ持って行って欲しいという押しつけあいの問題だというのです。

昨年から環境大臣は汚染土の入った鉢植えを、自身の大臣室に飾っているが、これをもっと広めたいと、つい先日「復興庁にも置いて欲しい」と平沢復興大臣に打診したところ、平沢大臣は「小泉大臣の前向きな取り組みに敬意を表したい」と発言、国会議員からも自分のところにも汚染土の鉢植えを置きたいという申し入れがあったということです。

原発敷地内では核廃棄物の取り扱いは発生者責任のもとに集中管理するという原則に基づき運用されている一方で、原発の外側、つまり私たちの生活圏に於いては、その原則が存在していません。

思い起こせば二本松のゴルフ場による除染訴訟で「無主物」判決がありました。その後、コメ農家らによる農地回復訴訟でも、同じような判決が下されました。東電の責任はないとするものです。このように加害者不在のもとに、汚染土がばらまかれ、汚染水が海洋放出され、被害が拡大し、子供たちの未来を奪っていく。このようなことを止めなければなりません。皆さんとともに歩みを進めていきたいと思います。

◆山﨑圭子さん(3・11後千葉県から滋賀県に移住)

私は、3・11の事故により健康被害が生じ、滋賀県に避難してきました。当時私が住んでいたのは、福島第一原発から205キロ離れた千葉県北西部です。この地域は2011年3月21日の朝、大量の放射性物質を含んだ雨が落下したことにより広大に汚染され、「汚染状況重点調査地域」に該当するホットスポットとなりました。

この地図からもわかるように、原発事故の汚染は福島にとどまらず、東北、関東と広範囲に渡って広がっています。原発に何かあれば福井県のみならず、広域に渡って汚染されます。それはイコール被ばくを強いられるということです。関電の榊原会長、森本社長、稼働している原発を直ちに停止してください。危険極まりない老朽原発の再稼働に反対します。

賛成とか反対とかいうより、そもそも原発はこの世にあってはならないものです。核のごみ、死の灰を出すことでしか動かす原発はいりません。全ての命のために、豊かな大地、命の水瓶を何が何でも守りたい。「豊かな国土と、そこに国民が根を下ろして生活していくことが国富であり、これを取り戻すことができなくなるのが国富の消失である」という樋口元裁判長の言葉を、今一度かみしめたいと思います」

山﨑圭子さん(3・11後千葉県から滋賀県に移住)

◆「緊急行動に起とう!」と呼びかける木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)

 

木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)

決議にあったように、関電と政府は6月23日に美浜3号機を再稼働させようとしています。断固とした抵抗なくこれを許せば、全国の60年運転へ道を開くこととなり、日本始め全世界の原発の60年運転への口実を与えることにもなります。今、私たちは子々孫々にまで、負の遺産・原発を残すことを許すのか、それとも命の尊厳が大切とされる社会の実現を目指すのか、歴史の岐路に立っているといっても過言ではありません。

「老朽原発動かすな」実行委員会は次の緊急行動を提起します。ご賛同、ご支援、ご参加をお願いいたします。

1つは悪の牙城・関電への抗議行動で、6月11日と18日(共に金曜日)中の島の関電本店前で行います。11日は申し入れも行います。一方、関電が再稼働を画策している23日(水)は、美浜町関電原子力事業本部前及び美浜原発前で抗議行動とデモ行進を行います。当日は大阪、京都、滋賀からバスがでます。以上緊急行動へのご支援と総結集をお願いいたします。老朽原発再稼働阻止を全力で闘い抜きましょう!

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

『NO NUKES voice』Vol.28
紙の爆弾2021年7月号増刊 2021年6月11日発行

[グラビア]「樋口理論」で闘う最強布陣の「宗教者核燃裁判」に注目を!
コロナ禍の反原発闘争

総力特集 〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

[対談]神田香織さん(講談師)×高橋哲哉さん(哲学者)
福島と原発 「犠牲のシステム」を終わらせる

[報告]宗教者核燃裁判原告団
「樋口理論」で闘う宗教者核燃裁判
中嶌哲演さん(原告団共同代表/福井県小浜市・明通寺住職)
井戸謙一さん(弁護士/弁護団団長)
片岡輝美さん(原告/日本基督教団若松栄町教会会員)
河合弘之さん(弁護士/弁護団団長)
樋口英明さん(元裁判官/元福井地裁裁判長)
大河内秀人さん(原告団 東京事務所/浄土宗見樹院住職)

[インタビュー]もず唱平さん(作詞家)
地球と世界はまったくちがう

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
タンクの敷地って本当にないの? 矛盾山積の「処理水」問題

[報告]牧野淳一郎さん(神戸大学大学院教授)
早野龍五東大名誉教授の「科学的」が孕む欺瞞と隠蔽

[報告]植松青児さん(「東電前アクション」「原発どうする!たまウォーク」メンバー)
反原連の運動を乗り越えるために〈前編〉

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
内堀雅雄福島県知事はなぜ、県民を裏切りつづけるのか

[報告]森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団代表)
「処理水」「風評」「自主避難」〈言い換え話法〉──言論を手放さない

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈12〉
避難者の多様性を確認する(その2)

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈21〉
翼賛プロパガンダの完成型としての東京五輪

[報告]田所敏夫(本誌編集部)
文明の転換点として捉える、五輪、原発、コロナ

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
暴走する原子力行政

[報告]平宮康広さん(元技術者)
放射性廃棄物問題の考察〈前編〉

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
新・悪書追放シリーズ 第二弾
ケント・ギルバート著『日米開戦「最後」の真実』

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
五輪とコロナと汚染水の嘘

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈12〉
免田栄さんの死に際して思う日本司法の罪(上)

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク(全12編)
コロナ下でも自粛・萎縮せず-原発NO! 北海道から九州まで全国各地の闘い・方向
《北海道》瀬尾英幸さん(泊原発現地在住)
《東北電力》須田 剛さん(みやぎ脱原発・風の会)
《福島》宗形修一さん(シネマブロス)
《茨城》披田信一郎さん(東海第二原発の再稼働を止める会・差止め訴訟原告世話人)
《東京電力》小山芳樹さん(たんぽぽ舎ボランティア)、柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表)
《関西電力》木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《四国電力》秦 左子さん(伊方から原発をなくす会)
《九州電力》杉原 洋さん(ストップ川内原発 ! 3・11鹿児島実行委員会事務局長)
《トリチウム》柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表/再稼働阻止全国ネットワーク)
《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク、経産省前テントひろば)
《反原発自治体》けしば誠一さん(杉並区議/反原発自治体議員・市民連盟事務局次長)
《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)

[反原発川柳]乱鬼龍さん選
「反原発川柳」のコーナーを新設し多くの皆さんの積極的な投句を募集します

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2018年7月11日、参議院の「東日本大震災復興特別委員会」に参考人として出席した熊本美彌子さん(「避難の協同センター」世話人、田村市から都内に避難)は、国会議員に頼み込むように訴えた。

「住宅無償提供打ち切り後の実態調査を福島県に対して、被害者の団体、三つの団体が共同して、きちんと調査をするように、実態調査をするようにという要請を昨年から何度も何度もしておりますけれども、福島県は一度もそれに応じてくれていません」

「私どもは、やはり生活の実態が明らかになるような調査をしていただかないといけない」、「まず、実態を知ることから始めなければいけないのではないか」として、「もし具体的にこういった形で調査をしたいということがあるならば、私どももお手伝いしたい」とまで口にした。熊本さんの言う通り、「避難の協同センター」や「ひだんれん」が何度、福島県に要請しても、生活実態調査は行われていない。

そのくせ、国は「生活実態把握の重要性」を認めて来た。例えば、2018年3月の参議院「東日本大震災復興特別委員会」。吉野正芳復興大臣(当時)は、「避難者も大きな被災を受けた方々という理解で、私は、避難者も被災者も同じく支援をしていきたい、このように考えています。特に、区域外避難者を含め避難者の実態を把握することは重要なことと認識をしております」と答弁している。

「これまで福島県において様々な意向調査をするとともに、戸別訪問も実施し、実態把握に努めてまいりました。また、生活再建支援拠点、いわゆる全国の26か所のよろず拠点等、被災者の生活再建支援に携わっている支援団体を通じ実態を把握していくことは、被災者の生活再建のため、重要と認識をしているところです」

「重要と認識」しているのに一向に調べない。福島県も区域外避難者の生活実態を調べもしないで、追い出しありきの施策を進めた。県民を守るべき福島県が調べずに、なぜか避難先の東京都が2017年夏に、新潟県は昨年にアンケート調査を行っている。

東京都の「平成29年3月末に応急仮設住宅の供与が終了となった福島県からの避難者に対するアンケート調査結果」では、世帯月収10万円から20万円が30・2%と最も多かった。

新潟県の「避難生活の状況に関する調査」では、「困っていること・不安なこと」として「生活費の負担が重い」、「先行き不透明で将来不安」、「家族離ればなれの生活、孤立、頼れる人がいない」などが挙げられた。

避難者団体はこれまで、何度も何度も国や福島県に原発避難者の生活実態調査をするよう求めている。しかし、国も福島県も拒否。福島県の回答も全く正面から答えていない

同上

同上

2017年5月25日の衆議院「東日本大震災復興特別委員会」には、内科医で2014年の福島県知事選挙に立候補した熊坂義裕さん(前宮古市長)も参考人として出席していた。熊坂さんは、震災後に無料電話相談「よりそいホットライン」を運営する一般社団法人社会的包摂サポートセンターの代表理事に就任した経験をふまえ、「被災者の実情を早急に可視化、見える化することが必要」と訴えた。

「孤立を防ぐためにも、今以上に、被災者への見守り支援など、相談にたどり着けない当事者の掘り起こし、アウトリーチを行い、家族にも職場にも言えないことが言えるような安全な場所を地域に設置していく居場所づくりを進めていく必要がある。福島県がこの3月で住宅支援を打ち切ったことは、被災者に深刻な動揺をもたらした。被災は自己責任ではないと政策で示す必要がある。経済的困窮者に対しての就労支援と避難者の住居確保の総合的な支援が求められていると思う」

「福島県だけが震災関連死は自殺も含めて増えている。震災直接死よりも既にはるかに多い。こういったところも光を当てて、なぜなのかというところをやはりもう少し見える化していかなければいけないのではないか」

「先ほどから可視化という話が何回も出てきているが、福島から避難した方、あるいは実際に被災三県で暮らしていて、もう良いんだ、言ってもなかなか分かってもらえないんだというような、あきらめの気持ちみたいなもの。でも訴えたいんだということが私どもの電話にたくさん来ている。そういったニーズに細かく寄り添っていく、要するに一人一人に寄り添っていく政策というのが大事じゃないか」

昨年5月、コロナ禍で原発避難者がどのような苦しみを抱えているか、避難の協同センターなど3団体がインターネット上でアンケート調査を行った。福島県庁で行われた記者会見で、松本徳子さんは「私たち区域外避難者(いわゆる〝自主避難者〟)は2017年3月末でいろいろな支援策が打ち切られ、福島県から棄民扱いされた。私たち区域外避難者はもはや、『避難者』として人数にカウントされていない。国も福島県も避難者の実情を調べようとしない。避難者として、福島県民として扱われていない」と怒りをぶつけるように訴えた。

村田弘さんは「決定的に欠けているのが、避難者の生活状況がどうなっているのかという事。そういう調査は今まで1回もされていない。その中で住宅無償提供が次々と打ち切られていった。昨年4月以降は帰還困難区域の住宅提供すら打ち切られている。避難者がどこでどういう生活をしているのか、という事をきっちりととらえる必要が絶対にあると思う。きちんとした調査をやろうと思えば出来るはず。生活実態に踏み込んだ調査を国としてやっていただきたい」と復興庁に求めたが「復興庁が主体となって実態調査を行う? 正直に申し上げて、現時点では難しい」と拒否された。

まず避難者の実態を調べて新たな施策に反映する。誰でも考えられることがなされない。なぜ、そんな簡単なことさえできないのか。村田さんは言う。

「原発避難者の実態が分かってしまったら救済しなければならなくなってしまうからではないか。実際どうなのか調べちゃうと、自分たちが進めてきた支援策と生活実態との差が歴然としてしまうから、だからやらないんだよ」

調べもせずに切り捨てる。これが国と福島県の10年間だった(つづく)

▼鈴木博喜(すずき ひろき)
神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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東京オリンピックを前にした、はじめての党首討論(6月9日)の予定稿を準備していたところ、思わぬ訃報、いや悲劇が飛び込んできた。招致にかかる「疑獄事件」の犠牲者が出たのである。

儀式的なものに終った「党首討論」(内容は例によって、議論が噛み合わないままの演説会であった。したがって、内閣不信任案提出もなさそうだ)というテーマを吹き飛ばすほどの衝撃、いや、悲劇的な事件である。オリンピックの強行開催が進む中、そのスポーツの祭典としての成否はともかく、招致にかかる裏舞台を記録しておきたい。

◆ホームから飛び込む

6月7日午前9時20分頃、都営地下鉄浅草線中延駅でJOCの経理部長森谷靖氏(52)がホームから線路に飛び込み、列車にはねられた。森谷氏は病院に搬送されたが、2時間後に死亡が確認されたというものだ。

森谷氏はスーツ姿で、出勤途中だった。遺書は見つかっていないという。JOCの経理部長の自殺である。


◎[参考動画]JOC経理部長 電車はねられ死亡 自殺か……(ANN 2021年6月8日)

◆カネで買ったアフリカ票

東京オリンピック招致に「疑獄」の疑いがあるのは、2019年3月に明らかになっている。すなわち、日本からIOC委員に億単位の贈賄の疑惑が明らかになり、疑惑の中心に立たされた竹田恒和JOC会長が、任期終了とともに委員も辞任することで、疑惑劇はいったん封じられた。疑惑の詳細は、以下のとおりである。

招致委員会がIOCのラミン・ディアク委員の息子パパマッサタ・ディアク氏の関係するシンガポールの会社の口座に、招致決定前後の2013年7月と10月の2回に分けて、合計約2億3000万円を振り込んでいたというものだ。

2019年1月には、フランスの捜査当局が招致の最高責者竹田会長を、招致に絡む汚職にかかわった疑いがあるとして捜査を開始したのである。さらに2020年9月には、上記のシンガポールの会社の口座から、パパマッサタ氏名義の口座や同氏の会社の口座に3700万円が送金されていたことが判明したのである。やはりカネは委員に渡ったのだ。

その資金の出所も判明している。

◆疑惑のダミー団体への「寄付」を菅総理(当時幹事長)が依頼していた?

そのカネの依頼主は、なんと菅総理(当時幹事長)だったのだ。

セガサミーの里見治会長が、菅総理(当時幹事長)から買収工作資金を依頼され、 3~4億円を森会長の財団に振り込んだことが「週刊新潮」(2020年2月20日号)で報じられた。

この記事によると、以下のような依頼が菅官房長官からあったという。

「菅義偉官房長官から話があって、『アフリカ人を買収しなくてはいけない。4億~5億円の工作資金が必要だ。何とか用意してくれないか。これだけのお金が用意できるのは会長しかいない』と頼まれた」

里見会長が「そんな大きな額の裏金を作って渡せるようなご時世じゃないよ」と返答すると、菅官房長官は、こう返したという。

「嘉納治五郎財団というのがある。そこに振り込んでくれれば会長にご迷惑はかからない。この財団はブラックボックスになっているから足はつきません」
さらには念を入れて、

「国税も絶対に大丈夫です」と発言したというのだ。寄付金というかたちで、黒いカネをつくったのである。

この「嘉納治五郎財団」というのは、森喜朗組織委会長(当時)が代表理事・会長を務める組織なのだ。JOCがダミー団体として使っていたのは明らかだ。財団は疑惑をかき消すかのように、昨年末にひっそりと解散している。これも疑惑隠しの手口であろう。

いずれにしても、この菅官房長官からの要望で、里見会長は「俺が3億~4億、知り合いの社長が1億円用意して財団に入れた」とし、「菅長官は、『これでアフリカ票を持ってこられます』と喜んでいたよ」と言うのだ。この記事には裏付けもある。

◆セガサミーも寄付をみとめる

「週刊新潮」の取材に、セガサミー広報部は「当社よりスポーツの発展、振興を目的に一般財団法人嘉納治五郎記念国際スポーツ研究・交流センターへの寄付実績がございます」と、嘉納治五郎財団への寄付の事実を認めたという。

さらに「週刊新潮」(2020年3月5日号)では、嘉納治五郎財団の決算報告書を独自入手し、2012年から13年にかけて2億円も寄付金収入が増えていることが確認されている。関係者は「その2億円は里見会長が寄付したものでしょう」と語ったという。

もはや明らかであろう。菅総理は官房長官として国政の中心にありながら、オリンピック招致を金で買う犯罪に手を染めていたのだ。オリンピック史を汚濁に染める大スキャンダルである。

◆疑惑封じのためにも、強硬開催に突っ走る菅政権

東京オリンピック招致の裏側には、このような大スキャンダルが行なわれていたのだ。その詳細を知る、JOCの経理部長が自殺したのである。

森友事件の財務省近畿財務局の赤木俊夫氏が自殺したことを想起させる、まさにスキャンダルの中の死である。その赤木ファイルは、まもなく裁判に提出されるという。

おそらく今回は出勤途中の、衝動的な死ではないだろうか。森谷靖氏が何を残して死んだのか、疑惑だらけのオリンピックの疑惑を封印するためにも、JOCおよび菅政権は強硬開催に突き進むしかないのであろう。

これで、ようやく国民も得心がいくのではないか。もはや何をおいても、国民の生命の危険をも承知のうえで、オリンピックを開催しなければならない「秘密」が。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』7月号

前回に引き続き、今回は主に「ヘイトスピーチ」を理論付けした師岡康子弁護士について思う所を申し述べてみたいと思います。

◆正体不詳の師岡康子という人物──いわゆる「師岡メール」に表われた冷酷な人間性

師岡康子弁護士は「カウンター」活動に理論的根拠を与えた人物で、それは前回(上)の冒頭に挙げたように『ヘイト・スピーチとは何か』として結実しています。ところが、不思議なことに師岡弁護士は自己の正体を秘することに努めているようで、生年や出身大学などもみずから明らかにすることはせず(著書にも不記載)、その他、経歴、プライベートなど不詳です。

わずかに父親が共同通信の幹部であったこと、京都大学卒業ぐらいが判明しているほどですが、これまで、あまり私的なことを詮索したり詳しい調査をしていない私たちにはそれ以上の経歴などは不明です。私見ながら、公人、あるいは準公人の人となりや考え方、全体像などを理解するには、プライベートや経歴、失敗の経験を含めて情報を吟味することが必要だと思っています。人生誰しも「常に正しい」わけではありませんから。

師岡康子弁護士

師岡弁護士が学生時代(京都大学)を語った文章や発信を見たことはありません。あまり評判のよくない政治グループ、△△研で活動していたという噂が伝わってきましたが、真偽不明です。ですからこの件も含め諸々質問を直接ぶつけようと、特別取材班が電話取材を試みましたが取材にも応じていただだけませんでした。諸々の疑問への真偽は想像するしかありません。師岡弁護士には質問したいことが山積しています。いつかリンチ直後のM君の壮絶な写真を持って講演会や記者会見に伺おうか、とさえ思ったものです(本気です)。

弁護士として「ヘイトスピーチ解消法」の立法化にも尽力した師岡弁護士はマスコミにも頻繁に登場する「公人」(あるいは「準公人」)です。私たちは誰かさんたちとは違い、暴力をちらつかせ脅迫的な質問などはしません。今からでも取材に応じていただくのが社会的責任というものでしょう。

師岡弁護士に対する私の印象が最も強いのは、いわゆる「師岡メール」と揶揄される、彼女がリンチ被害者M君と共通の知人・金展克氏に送ったメールです。常識では考えられない暴論、暴行事件被害者への人権的配慮はまったくなく、恣意的な法解釈、非人間性が余すところなく露呈したメールです。呆れるほどの暴論を展開し、M君リンチ事件が表面化することを潰そうとの意思を剥き出しにした醜文です。

師岡は、師走の寒さ厳しき大阪・北新地で、深夜1時間にもわたる凄絶なリンチを受けた大学院生(当時)M君の被害を一顧だにせず、刑事告訴を止めさせようと必死に努めました。M君が刑事告訴すれば、M君は、

「これからずっと一生、反レイシズム運動の破壊者、運動の中心を担ってきた人たちを権力に売った人、法制化のチャンスをつぶしたという重い十字架を背負いつづけることになります。そのような重い十字架を背負うことは、人生を狂わせることになるのではないでしょうか」

とまで言い切っています。

師岡の反人権的人間性を表わした、いわゆる「師岡メール」

 

「ヘイトスピーチ解消法」の性格を象徴する有田芳生と西田昌司の握手

頭の中が倒錯しています。この言葉は直接M君に伝えられたものではないにせよ、周辺人物への明かな恫喝ともいえるでしょう。ここにはリンチ被害者M君への人間的な配慮など微塵もありません。師岡の冷酷な性格が表われています。師岡は「人権派」ではなかったのか!? 少なくともそう装っていましたが、メッキは時として剥げるものです。

「重い十字架を背負いつづける」のはリンチの加害者であるべきであり、被害者が「反レイシズム運動の破壊者」として「重い十字架を背負いつづける」という理論はどうのようにすれば成立するのか。どうして被害者が「重い十字架を背負う」必要があるのか。生起した事実へのあまりにも非道で倒錯した(悪意に満ちた)本音の吐露には吐き気がするほどです。「重い十字架を背負いつづける」べきは李信恵ら加害者5人とその隠蔽に加担した人々のはずです。

有田芳生参議院議員と連携し、ともかく「ヘイトスピーチ解消法」を成立させたかったのでしょう。有田は「ヘイトスピーチ解消法」立法化の最終局面で、自民党の中でもとりわけ悪質な差別主義者である極右政治家・西田昌司参議院議員と不可思議な握手をしました。あの「握手」が意味したことは何だったのでしょうか? 水面下で何があったのでしょうか? 5年前のちょうど今頃6月のことです。

しかし、師岡は、その「ヘイトスピーチ解消法」だけでは不満なようで、更なる罰則強化、もしくは新法を企て、さらには関連の省庁の新設までも構想していることが報じられています。今後の師岡の動きが注目されます。

さらなる罰則強化、あるいは新法制定をアジる師岡康子弁護士

◆呪われた「ヘイトスピーチ解消法」──人ひとりを犠牲にして成立した法律が人を幸せにするはずがない!

リンチ事件の存在は1年以上も隠蔽され、「ヘイトスピーチ解消法」は成立しました。深夜、「日本酒に換算して1升近く飲んだ」(李信恵のツイート)李信恵ら加害者が、5人で1人の若者に凄絶な暴力を加えたリンチ事件を隠蔽することによって「ヘイトスピーチ解消法」は成立しました──あまりに呪われた法律と言わざるを得ません。
 
M君リンチ事件と、これに関係した加害者たち、「ヘイトスピーチ解消法」を制定するために隠蔽活動に狂奔した者たち、リンチ事件を知りながら、「見ざる、言わざる、聞かざる」に終始し、わが取材班の取材から逃げ回った者たち……M君リンチ事件は、人の生き方、人間としてのありようを問うものでした。ふだん立派なことを言っていても、現実にこうした事件に直面した時にどう振る舞うかで、その人の人間性なり人となりが明らかになるものです。特に「知識人」といわれる人たちにとって、みずからの学識と、“今そこに在る現実”への対応の乖離を、どう理解すべきでしょうか? 

リンチ事件が起き1年余り経ってから、このことを知った私は仰天し、「現在のような成熟した民主社会にあって、いまだにこうした野蛮なリンチ事件が起きたのか」とショックを受けました。かつて私は学生運動に関わり、そこで起きた、いわゆる「内ゲバ」にもたびたび遭遇しました。私が大学に入学する前年に先輩活動家が死亡していますし、入学した年には有田芳生参議院議員が所属した政党のゲバルト部隊(「ゲバ民」と呼ばれました)によってノーベル賞受賞者の甥っ子の先輩活動家が一時は生死を彷徨うほどの重傷を負った事件があり衝撃を受けました(ちなみに、大学は異なりますが、有田と私は同期で同時期に京都で活動していました)。

さらには翌年、最近映画でも採り上げられましたが、真面目な同大の年長活動家が他大学のキャンパスで殺されるという事件もありました。私自身も、有田議員が所属した政党のゲバ民に襲撃され病院送りにされていますし、また現在某政党の幹事長が創設した政治グループにも襲撃され後頭部を鉄パイプで殴られ重傷を負いました(数年間、時に偏頭痛に悩まされました)。

私はノンセクトで大学時代に活動したぐらいでしたが、卒業後、内ゲバは激化し多くの学生活動家や青年が亡くなると共に、あれだけ盛り上がった学生運動、反戦運動も衰退化していきました。もちろん他にも原因はあるのでしょうが、内ゲバが最大の要因になっていることは言うまでもありません(このことは、『暴力・暴言型社会運動の終焉』の中で山口正紀さんがガンで療養中に必死に書かれた「〈M君の顔〉から目を逸らした裁判官たち」、「デジタル鹿砦社通信」2019年10月28日付け田所敏夫執筆「松岡はなぜ『内ゲバ』を無視できないのか」を参照してください)。

「内ゲバ」問題もそうですが、外形的な「ヘイトスピーチ」を批判するだけではどうにもなりません。「ヘイトスピーチ解消法」成立に至る過程の裏で起きた凄惨なリンチ事件──この根源的な問題を探究することなくしては、同種・同類の事件は再発するでしょう。このことをリンチの被害者M君や私たちは事あるごとに訴えてきました。実際に、M君リンチに連座した者(伊藤大介)が再び暴行傷害事件を起したことは、この「通信」や『暴力・暴言型社会運動の終焉』などで、すでに明らかにした通りです。

そして、「ヘイトスピーチ解消法」の成立は、果たして、本質的な「差別解消」に寄与したのか──私たちの関心の中心はそこにあります。表現規制を設けても、内面は変えられません。犯罪抑止の法律を厳罰化すれば、より陰湿な犯罪が法律外で多発する現象はよく知られています。表現の規制が本質的な「差別解消」にこの5年間どのように作用してきたのでしょうか。定量的な測定が可能な問題ではありませんが、人々の心の中に宿る「差別の総量」は、減少したのでしょうか? そして司法も行政も、法律や条例を設ければ事足れりという「形式主義」(ことなかれ主義)に傾いてはいないでしょうか?

例えば、「教育改革」「大学改革」「政治改革」「司法改革」……この半世紀、「改革」という言葉が喧伝され法律や条例が設けられたり、あれこれ“制度いじり”がなされましたが、ことごとく失敗しています。「仏作って魂入れず」、古人はよく言ったものです。

さらに加えれば、このリンチ事件の被害者M君救済/支援と真相究明の活動を通して、取材班キャップの田所敏夫が広島被爆二世であることで似非反差別主義者を許さないという強い意志を私たちも共有し、取材班内外に於ける在日コリアンの方々らとの交友を通して「原則的に差別に反対する」姿勢であることを、ことあるたびに明らかにしてきました。

同時に私たちは「あらゆる言論規制にも反対」の立場です。しかし「差別を禁止する法律を作ろう」(さらに師岡は省庁まで作ろうと主張しています)などとの発想は、間違っても浮かびません。人間の内面は法律によって規制されるべきものではなく、また法律は人間の内面まで入り込むことも不可能だと考えるからです。こうした意味で、師岡弁護士の『ヘイト・スピーチとは何か』に述べられた思想には到底納得するわけにはいきません。

リンチ事件から6年半──今に至るもM君はリンチのPTSDに悩まされています。就職、研究などもうまくいかず「人生を狂わせ」(師岡メール)られてしまいました。一方、リンチの中心にいた李信恵は、何もなかったかのように、あたかも「反差別」運動を代表する人物として大阪弁護士会、行政、法務局などあちこちに講演行脚して、まことしやかなことを話しています。講演するなら、この冒頭にリンチについて述べてみよ! 

世の中、なにか変だと思いませんか? (了。本文中一部を除き敬称略)

◎あらためて「ヘイトスピーチとは何か?」について考える
(上)(2021年6月12日)http://www.rokusaisha.com/wp/?p=39239
(下)(2021年6月14日)http://www.rokusaisha.com/wp/?p=39295

*『暴力・暴言型社会運動の終焉』内に「危険なイデオローグ・師岡康子弁護士」とのタイトルで一項設けていますので、こちらもぜひご一読ください。

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08VBH5W48/

新日本キックボクシング協会の屋台骨を支える勝次、重森陽太、リカルド・ブラボ、高橋亨汰、瀬川琉は前回4月に続き連続出場。

チャンスを逃さなかった勝次の左フックが剣夜にヒット

沖縄拠点の「TENKAICHI」からの刺客を退けた勝次、リカルド・ブラボ、高橋亨汰。

勝次は4月興行に続き2連勝で10月興行も出場予定。

重森陽太は、NJKFのベテラン健太を退けた。

◎MAGNUM.54 / 2021年6月6日(日)後楽園ホール / 17:30~19:40
主催:伊原プロモーション / 認定:新日本キックボクシング協会

◆第9試合 メインイベント 64.0kg契約3回戦

左フック喰らった剣夜が崩れ落ちノックダウン

WKBA世界スーパーライト級チャンピオン.勝次(藤本/1987.3.1生/63.9kg)
     VS
剣夜(前TENKAICHIスーパーライト級C/SHINE沖縄/63.45kg)
勝者:勝次 / TKO 3R 2:24 / 主審:少白竜

勝次が慎重に距離を取ってパンチとローキックで前進。剣夜はスピードは無いが、パンチと蹴りの伸びが良い。

勝次は剣夜のパンチで鼻血を流す様子も有り。3回戦では勝負が付き難い流れも接近したパンチの距離の中、タイミングを逃さず左フックを浴びせると剣夜が崩れ落ちるノックダウン。

ノックアウトのチャンスを迎えた勝次は連打で剣夜をコーナーに追い詰め更に連打する中、右ストレートが強烈にヒットすると剣夜陣営からタオル投入し、レフェリーが受入れ勝次のTKO勝利。

勝次が連打からコーナーに追い詰め、右ストレートをヒット、決定打となった

剣夜は暫く立ち上がれずも、致命傷とはならず無事にリングを下りた

◆第8試合 62.0kg契約3回戦 

WKBA世界ライト級チャンピオン.重森陽太(伊原稲城/1995.6.11生/61.45kg)
     VS
WBCムエタイ日本スーパーライト級1位.健太(E.S.G/1987年6月26日生/61.7kg)
勝者:重森陽太 / 判定3-0
主審:椎名利一
副審:桜井30-28. 仲30-28. 少白竜30-28

健太が独特の圧力で前進。重森はいつもよりは蹴り難くそう。それでも時折、強い前蹴り、ミドルキックで健太を突き放す。落ち着いた試合運びの健太として焦りはないが突破口は開けない。パンチで出る健太を的確な蹴りを多発した重森が上回り判定勝利。

重森陽太のミドルキックが健太にヒット

重森陽太の前蹴りで健太の前進を阻止

◆第7試合 70.0kg契約3回戦 

日本ウェルター級チャンピオン.リカルド・ブラボ(伊原/アルゼンチン/69.85kg)
      VS
TENKAICHIウェルター級3位.杉原新也(ワイルドシーサー前橋/69.55kg)
勝者:リカルド・ブラボ / TKO 1R 2:43 / 主審:宮沢誠

様子見の展開は少なく、リカルドがパワーで押し勝つと、接近戦でパンチから左ヒジで杉原の眉間から流血しドクターチェック再開後、リカルドが連打で杉原をノックダウンさせると、ここで流血が激しくなった杉原が再びドクターチェックを受け、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップ。リカルドは4月に続き、2試合続けて1ラウンドTKO勝利となった。

リカルド・ブラボがハイキックで圧力掛けて出る

接近したところでリカルド・ブラボがヒジ打ちヒット

◆第6試合 62.5kg契約3回戦

日本ライト級チャンピオン.髙橋亨汰(伊原/ 62.4kg)
     VS
TENKAICHIスーパーライト級チャンピオン.リュウイチ(無所属/ 62.55→62.5kg)
勝者:髙橋亨汰 / TKO 2R 1:47 / 主審:桜井一秀

様子見の攻防から髙橋のローキックでリュウイチはバランスを崩し気味。更に高橋はローキックからハイキックに繋ぎ、勢いづいて顔面に前蹴りを叩き込み、ロープを背負ったリュウイチに連打でリュウイチがダウン。立ち上がったリュウイチに更に顔面前蹴りでコーナーに吹っ飛ばし、パンチのラッシュでリュウイチが崩れ落ちたところでレフェリーストップとなった。

高橋亨汰の前蹴りがリュウイチを突き飛ばす

高橋亨汰が連打したところでレフェリーストップ

◆第5試合 フェザー級2回戦

中村哲生(伊原/ 56.75kg)vs 新保基英(OGUNI/ 56.5kg)
勝者:新保基英 / KO 2R 1:05 / 3ノックダウン
主審:仲俊光

中村哲生は昨年9月、55歳でデビュー。50歳でデビュー戦を迎えた新保基英がKO勝利。

◆第4試合 58.0kg契約3回戦

瀬川琉(伊原稲城/ 57.8kg)vs TAKAYUKI(=金子貴幸/REV/ 57.55kg)
勝者:瀬川琉 / 判定3-0
主審:少白竜
副審:椎名30-27. 仲30-27. 宮沢30-26

大輔(TRASH)が体調不良で欠場で元NJKFスーパーバンタム級チャンピオンの金子貴幸が代打出場。瀬川琉の左ストレートが効果的にヒットしリズムを作り、ノックダウンも奪って大差判定勝利を掴む。

◆第3試合 フェザー級2回戦

木下竜輔(伊原/ 56.75kg)vs 松山和弘(ReBORN経堂/ 57.1kg)
勝者:松山和弘 / 判定0-2 (19-19. 18-20. 19-20)

◆第2試合 女子キック(ミネルヴァ) 49.0kg契約3回戦(2分制)

オンドラム(伊原/49.7→49.4kg/計量失格ペナルティー有り)
     VS
紗耶香(格闘技スタジオBLOOM/48.7kg)
勝者:紗耶香 / 判定0-3 (28-30. 28-29. 29-30)
オンドラムは前日計量で制限時間ギリギリまで汗を流して頑張った様子も落とし切れず。

◆第1試合 女子ジュニアキック 45.0kg契約2回戦(2分制)

曽我さくら(クロスポイント大泉)vs 堀田優月(闘神塾)
勝者:堀田優月 / 判定0-2 (19-20. 19-20. 19-19)

《取材戦記》

勝次はコーナーに詰めてのパンチ連打で、レフェリーが止める少し前の右ストレートのヒットが凄く手応えがあったという勝次。見かねたセコンドがタオルを投げた流れになるが、先週の喜入衆のような後ろに倒れて後頭部を打つような大事に至らず、剣夜は立ち上がって歩いて無事にリングを下りた。

「新日本キックボクシング協会、選手全員が強くなって大きな団体にしたい。大きな興行に出て行きたい。」とマイクで語った勝次。RIZIN、RIZE、KNOCK OUTなどのイベントが注目される現在、重森陽太は7月18日にKNOCK OUT興行に出場。江幡睦(伊原)は同7月18日、大阪でのRISE 興行に出場。勝次も大きなイベント出場を目指しつつ、新日本キックボクシング協会が再び大きな団体へと、勝次が現役中にどこまで老舗復活へ導けるか。

試合翌日6月7日で古希を迎えた伊原信一代表。そのお祝いの言葉が勝次や江幡睦から贈られました。昭和の名選手が次々と70歳代突入する時代です。我が身もいつかそれを追う。時の流れは早いものです。

老舗の年間興行が3回とは寂しい限りの2021年。次回興行は10月17日(日)後楽園ホールで開催予定。興行タイトル「TITANS NEOS.29」か「MAGNUM.55」どちらかは未定です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』7月号

『ヘイト・スピーチとは何か』は、極右/ネトウヨのヘイトスピーチに対する「カウンター」や「しばき隊」の理論的根拠となっているとされる本です(詳しくは『暴力・暴言型社会運動の終焉』7項「危険なイデオローグ・師岡康子弁護士」参照)。「ヘイトスピーチ解消法」が制定されて5年になりますが、師岡弁護士とは異なった見地から、あらためて「ヘイトスピーチとは何か?」について考えてみようと思います。

◆元SEALDsの女性活動家の勝訴判決に思う

6月1日、元SEALDsの女性活動家2人が、極右/ネトウヨと思しき人物からSNSで受けた夥しい暴言による精神的傷、名誉毀損に対して民事訴訟を起こし100万円の賠償金を勝ち取り勝訴しました(東京地裁)。判決後記者会見も行っています。また、かの神原元弁護士も代理人に名を連ねているということです。

確かに極右/ネトウヨによるSNSを使った暴言は酷いので、この判決は妥当でしょう。しかし、忘れてならないのは、当時のSEALDsメンバーあるいは周辺の者による、SEALDs批判者に対する彼ら・彼女らが行った同種・同類の暴言についてです。これは問題にならないのでしょうか? 上記の元SEALDsの女性のケースだけを問題にし、SEALD以外の他のケースも同等に問題にしなければ偏頗なものになるのではないでしょうか?

 

「しばき隊」のドン・野間易通

例えば、韓国から母子で日本に研究に来ている女性、鄭玹汀(チョン・ヒョンジョン。当時京大の研修員)さんがSEALDsについての論評を発表するや、野間易通を先頭に「カウンター」「しばき隊」のメンバーによって、SNSを駆使し激しい誹謗中傷、罵詈雑言が鄭さんに浴びせられました。

あまりにも激しい攻撃に、鄭さんの研究者仲間が立ち上がり鄭さんをサポートしました。鄭さん自身も民事訴訟を準備していたようですが、諸事情で断念しています。韓国から来日し、日本人とは同等の権利を持たない不安定さ、また娘さんがいるのも不安だったものと推察します。異国で訴訟沙汰を起こすのが大変なことは容易に想像できます。ここを見透かして野間らが鄭さんを攻撃したのであれば、さらに悪質と言わねばなりません。

 

合田夏樹さんを脅迫する伊藤大介のツイート

「カウンター」「しばき隊」(そしてSEALDs のメンバーの一部は)は、女性や娘さんらに対しては殊に激しく攻撃する傾向がありました。保守系を自称し私たちと思想信条は異なりますが、四国で自動車販売会社を営む合田夏樹さん(当時はツイッター上ではかなりの有名人でした)も恐怖した一人です。合田さんに対しては、伊藤大介らによって有田芳生参議院議員の宣伝カーを使い、会社、自宅(近く)まで出向き、身障者の息子さんを持つ奥さんに恐怖を与え、また東京に進学し一人暮らしを始めた娘さんに対しても襲撃を匂わすツイートを流したり、卑劣な発信が続きました。やりたい放題です。思想信条の違いがあるとはいえ、私たちは数に頼っての卑劣な攻撃は理解できませんし、ましてやそのような手段は絶対に取りません。過去このような行為を主導した(今回の原告個人が関わったかどうかは、わかりません)SEALDs の“負の歴史”は見過ごされ問題にならないのでしょうか? こうしたことを問題にせず、上記の元SEALDsの女性活動家のケースのみを殊更採り上げるのは偏頗だといえるのではないでしょうか? 

さらには、当時は隠蔽され後に発覚するリンチ事件の被害者М君に対する誹謗中傷や罵詈雑言も同様です。М君に対してのツイートは激しい「ヘイト(憎悪)」が満ち満ちており、これこそ「ヘイトスピーチ」「ヘイトクライム」ではないのか、と思います。

さらには、リンチ事件に疑問を持ち私たちより少し遅れてМ君リンチ事件に対する批判を実名で公表した、ある公立病院に勤める金剛(キム・ガン)医師に対する攻撃、彼にはSNSによる誹謗中傷に加え病院に電凸攻撃がなされました。人の生死に関わる病院への数多くの電凸攻撃など常識では考えられません。日頃「人権」を口にする者がここまでやるとは言葉がありません。
 
◆「ヘイトスピーチ解消法」制定5年……

「ヘイトスピーチ解消法」が制定されて5年が経ちました――。俗に「ヘイトスピーチ、ヘイトスピーチ」と言いますが、では「ヘイトスピーチ」とは何でしょうか? 条文によれば「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」と規定され、これを「解消」する法律が「ヘイトスピーチ解消法」だということです。法務省のホームページを見れば、「特定の国の出身者であること又はその子孫であることのみを理由に,日本社会から追い出そうとしたり危害を加えようとしたりするなどの 一方的な内容の言動が,一般に『ヘイトスピーチ』と呼ばれています」とあります。

これによれば、上記の元SEALDs の原告女性に対する暴言が「ヘイトスピーチ」であるかどうか、法的観点から見れば微妙であると考えられます(「ヘイトスピーチ」ではなく「名誉毀損」であれば法的な合理性はあるでしょう)。原告に浴びせられた言葉が発せられた心因には、暴言=言葉の暴力を喚起させる動機があったのでしょうから、法律によらずとも「ヘイト(憎悪)」に満ちた言葉を発し攻撃するということからすれば、先の合田さんへの攻撃同様に、広義の意味においては「ヘイトスピーチ」「ヘイトクライム」と言っていいでしょう。

他方、鄭さんや金剛医師は「本邦外出身者」「特定の国の出身者」です。SEALDs やリンチ事件に批判的な発言をしたからといって、激しい誹謗中傷、罵詈雑言を受けたことは「ヘイトスピーチ解消法」に照らせば、法的には「ヘイトスピーチ」に分類されはしないでしょうか。私は日本人としてこのような言動に加担した属性であることを(私自身の行為ではまったくありませんが)、人間として恥ずかしく思います。「ヘイトスピーチ」を批判する者が、一方で「ヘイトスピーチ」の手法を用いる――「目的のためには手段を選ばず」との疑念がぬぐえません。なにかおかしくはないですか? 

実は私がSEALDsや、これと連携する「反原連(首都圏反原発連合)」や「カウンター」「しばき隊」に、遅ればせながら疑問を持ったのは、彼らによる鄭さんへの攻撃がきっかけでした。それまで「反原連」には年間300万円ほどの資金援助をするほど親密な関係でしたし、反原発雑誌『NO NUKES voice』の6号までは「反原連」色が比較的濃いものでした。

しかし、同誌6号(2015年11月25日発行)で「解題 現代の学生運動――私の体験に照らして」という拙稿で鄭さんへの攻撃やSEALDsの思想、排除の論理などに疑問を呈するや、「反原連」から同年12月2日付けで一方的に「絶縁」を宣せられました。同誌6号発行からわずか1週間後のことです。同誌6号には、SEALDsの代表的人物、奥田愛基のインタビューも掲載されています(帝国ホテルの高級日本料理屋でインタビューするほど厚遇しました)。この時期「反原連」はまだ勢いがあり、カンパもそれなりに集まっていたので、小うるさい私たちなどどうでもよかったのでしょう。

SEALDs奥田愛基と「反原連」ミサオ・レッドウルフ

 

SEALDsとしばき隊の関係を象徴する画像。左からM君リンチに連座した李信恵、伊藤大介、激しいツイートで有名な木野寿紀、SEALDs奥田愛基

「反原連」の「絶縁」宣言に対し私は同誌次号(7号。2016年2月25日発行)で反論、「さらば、反原連」とのタイトルで「反原連」と訣別し独自の道を歩むのですが、「反原連」は世間の関心も薄れ資金的に苦しくなったからと言って、今年3月末で「活動休止」を発表しました。この11日に発売になった同誌28号にて、やはり「反原連」に苛められた植松青児さんが「反原連の運動を乗り越えるために」という題で長文の記事を書かれていますのでぜひご覧になってください。

ともかく、「反原連」「しばき隊」「カウンター」「SEALDs」「TOKYO DEMOCRACY CREW」「SADL」「男組」等々、いろいろな名称を使い、一人でいくつもの団体に関係し、それらをうまく操ることに長けた者(野間易通、ミサオ・レッドウルフ、こたつぬこ=木下ちがやら)が複数名いて、彼らの号令一下、有機的に動いたことは事実であり、一定期間、大衆を惑わせる効果は持ちました。野間、ミサオら非共産党の者らと木下ちがやら共産党系の者らが巧妙に手を組んだといえるでしょう。メディアも彼らの意向に沿って、なにかしら「新しい社会運動」が発生したかのように報じ、M君リンチ事件のような不都合なことは報じず、綺麗事を報道することに終始しました(メディアの社会的責任放棄です)。

反原連「活動休止のご報告」

彼らは暴力をちらつかせ暴言をSNSで発信し、批判者や対抗勢力を排除していきました。リンチ事件が、2015年という安保法制反対運動の盛り上がりに隠れて表面化しなかった背景にはこのような事情もあったのでしょう。「カウンター」や「しばき隊」「SEALDs」らの勢いの蔭に隠れ、あれだけの被害を受けたM君の心中はいかばかりだったのか、と想起すると、若いM君が憐れに思えてきます。M君は、未だにリンチのPTSDに苦しめられています。一方で、リンチに連座した伊藤大介は再び同類の暴行傷害事件を起こしたり、李信恵は、あたかも何もなかったかのように執筆活動や講演などに奔走したり……考えさせられます。なにかおかしいと思うのは私だけでしょうか。(文中、一部を除き敬称略)(つづく)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08VBH5W48/

本日11日、全国の書店やアマゾンなどで『NO NUKES voice』が発売される。本号の特集は「〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉」だ。創刊以来28号を数える本号は、奇しくも〈当たり前の理論〉がますます踏み倒される2021年6月の発売となった。

元福井地裁裁判長の樋口英明さん(『NO NUKES voice』Vol.28グラビアより)

◆理性も理論も科学もない「究極の理不尽」との闘い

 

『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

原発を凝視すると、その開発から立地自治体探し、虚飾だらけの「安全神話」構築、そして大事故から、被害隠蔽、棄民政策と、徹頭徹尾〈当たり前の理論〉を政治力や、歪曲された科学が平然と踏み倒してきた歴史が伴走していることに気が付かれるだろう。

南北に細長い島国で、原発4基爆発事故を起こし〈当たり前の理論〉が通用していれば、とうに原発は廃炉に導かれているはずである。が、あろうことか、「原発は運転開始から40年を超えても、さらに運転を続けてよろしい」と真顔で自称科学者、専門家と原子力規制委員会や経産省は「さらなる事故」の召致ともいうべき、あまりにも危険すぎる〈当たり前の理論〉と正反対の基準を認め、電力会社もそちらに向かって突っ走る。

ここには理性も理論も科学もない。わたしたちは原発に凝縮されるこの「究極の理不尽」との闘いを、避けて通ることはできないのである。「究極の理不尽」は希釈の程度こそ違え、もう一つわかりやすい具象を日々われわれに突きつけているではないか。

◆「反原発」と「反五輪」

誰もが呆れるほどに馬鹿げている「東京五輪」である。わたしは「反原発」と「反五輪」はコロナ禍があろうとなかろうと、通底する問題であると考える。それについての総論、各論はこれまで本誌であまたの寄稿者の皆さんが論じてこられた。とりわけ本間龍さんは、大手広告代理店に勤務された経験からの視点で「五輪」と「原発」の相似因子について、詳細に解説を重ねて下さってきた。

絶対的非論理に対しては、遠回りのようであっても〈当たり前の理論〉が最終的には有効であるはずだと、わたしたちは確信する。そのことは、政治や詭弁が人間には通用しても、自然科学の本質にはなんの力ももたないという、例を引き合いに出せば充分お分かりいただけるだろう。

どこまで行っても、新しい屁理屈の創出に熱心な原発推進派には、〈当たり前の理論〉で対峙することが大切なのだ。そのことをわたしたちは多角的な視点と、多様な個性から照らし出したいのであり、当然その中心には福島第一原発事故による、被害者(被災者)の皆さんが、中心に鎮座し、しかしながら過去の被爆者や原発に関わる反対運動にかかわるみなさんとで、同列に位置していただく。

絶対に避けたいことであり、本誌はそのためにも存在する、ともいえようが、たとえば大地震が原発を襲えば(その原発が仮に「停止中」であっても)、次なる福島がやってこない保証はどこにもない。膨大な危険性と危機のなかに、日常があるのだということを『NO NUKES voice』28号は引き続き訴え続ける。本誌創刊からまもなく7年を迎える。収支としてはいまだに赤字続きで、発行元鹿砦社もコロナの影響で売り上げが悪化していると聞く。

原発を巡る状況に部分的には好ましい変化があっても、楽観できる雲行きではない。そんな状況だからこそ〈当たり前の理論〉で〈脱原発社会〉を論じる意味は、過去に比して小さくはないはずだとわたしたちは考える。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『NO NUKES voice』Vol.28
紙の爆弾2021年7月号増刊 2021年6月11日発行

[グラビア]「樋口理論」で闘う最強布陣の「宗教者核燃裁判」に注目を!
コロナ禍の反原発闘争

総力特集 〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

[対談]神田香織さん(講談師)×高橋哲哉さん(哲学者)
福島と原発 「犠牲のシステム」を終わらせる

[報告]宗教者核燃裁判原告団
「樋口理論」で闘う宗教者核燃裁判
中嶌哲演さん(原告団共同代表/福井県小浜市・明通寺住職)
井戸謙一さん(弁護士/弁護団団長)
片岡輝美さん(原告/日本基督教団若松栄町教会会員)
河合弘之さん(弁護士/弁護団団長)
樋口英明さん(元裁判官/元福井地裁裁判長)
大河内秀人さん(原告団 東京事務所/浄土宗見樹院住職)

[インタビュー]もず唱平さん(作詞家)
地球と世界はまったくちがう

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
タンクの敷地って本当にないの? 矛盾山積の「処理水」問題

[報告]牧野淳一郎さん(神戸大学大学院教授)
早野龍五東大名誉教授の「科学的」が孕む欺瞞と隠蔽

[報告]植松青児さん(「東電前アクション」「原発どうする!たまウォーク」メンバー)
反原連の運動を乗り越えるために〈前編〉

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
内堀雅雄福島県知事はなぜ、県民を裏切りつづけるのか

[報告]森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団代表)
「処理水」「風評」「自主避難」〈言い換え話法〉──言論を手放さない

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈12〉
避難者の多様性を確認する(その2)

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈21〉
翼賛プロパガンダの完成型としての東京五輪

[報告]田所敏夫(本誌編集部)
文明の転換点として捉える、五輪、原発、コロナ

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
暴走する原子力行政

[報告]平宮康広さん(元技術者)
放射性廃棄物問題の考察〈前編〉

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
新・悪書追放シリーズ 第二弾
ケント・ギルバート著『日米開戦「最後」の真実』

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
五輪とコロナと汚染水の嘘

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈12〉
免田栄さんの死に際して思う日本司法の罪(上)

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク(全12編)
コロナ下でも自粛・萎縮せず-原発NO! 北海道から九州まで全国各地の闘い・方向
《北海道》瀬尾英幸さん(泊原発現地在住)
《東北電力》須田 剛さん(みやぎ脱原発・風の会)
《福島》宗形修一さん(シネマブロス)
《茨城》披田信一郎さん(東海第二原発の再稼働を止める会・差止め訴訟原告世話人)
《東京電力》小山芳樹さん(たんぽぽ舎ボランティア)、柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表)
《関西電力》木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《四国電力》秦 左子さん(伊方から原発をなくす会)
《九州電力》杉原 洋さん(ストップ川内原発 ! 3・11鹿児島実行委員会事務局長)
《トリチウム》柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表/再稼働阻止全国ネットワーク)
《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク、経産省前テントひろば)
《反原発自治体》けしば誠一さん(杉並区議/反原発自治体議員・市民連盟事務局次長)
《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)

[反原発川柳]乱鬼龍さん選
「反原発川柳」のコーナーを新設し多くの皆さんの積極的な投句を募集します

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