大学病院から追放された非凡な医師が医療現場に復活を果たした。前立腺癌治療のエキスパートとして知られる岡本圭生医師が、治療の舞台を滋賀医科大付属病院(大津市)から、宇治病院(京都市宇治市)に移して治療を再開したのだ。

この治療法は、岡本メソッドと呼ばれる小線源治療で、前立腺癌の治療で卓越した成果をあげてきた。しかし、後述する滋賀医科大病院の泌尿器科が起こしたある事件が原因で、1年7カ月にわたって治療の中断を余儀なくされていた。岡本医師が言う。

「8月から月に10件のペースで治療を再開しました。年間で120件の計画です。関東や九州、東北からもコロナ禍にもかかわらず受診される患者さんが大勢います」

名医が治療の舞台を移さなければならなかった背景になにがあったのか。

 

治療中の岡本圭生医師

◆中間リスクの前立腺癌、根治率は99%

小線源治療は、放射性物質を包み込んだカプセル状のシード線源を前立腺に埋め込んで、そこから放出される放射線でがん細胞を死滅させる治療法だ。1970年代に米国で誕生した。

その後、改良を重ねて日本でも今世紀に入るころから実施されるようになった。岡本医師は、従来の小線源治療に改良を加えて、独自の高精度治療を確立し、癌の根治を可能にした。放射線治療の国際的ガイドラインを掲載している『ジャーナル・オプ・アプライド・クリニカル・メディカル・フィイジックス』誌(Journal of Applied Clinical Medical Physics)[2021年5月](URLリンク)は、その岡本メソッドの詳細を紹介している。

前立腺癌の5年後生存率は100%と言われているが、最も標準的な治療である全摘手術の場合、再発率は予想外に高い。また合併症も克服されていない。最新のロボット機器の補助による全摘出手術を受けた場合でも、術後、高度の尿失禁で社会復帰できないことも珍しくない。生活の質(クオリティ・オブ・ライフ)が大きく低下するといった課題が残されている。

岡本メソッドはこれらの問題を解決したのである。進行した癌でも、大きな副作用なく、前立腺癌を根治することに成功した。科学に裏打ちされた療法で、特に海外で評価が高い。

岡本医師が前出の医学誌『ジャーナル・オブ・コンテンポラリー・ブラキセラピー』(Journal of Contemporary Brachytherapy)[2020年1月]に発表した論文(URLリンク)によると、岡本メソッドの治療を受けた中間リスクの前立腺癌患者の手術後7年の非再発率は99.1%だった。

この論文は、2005年から2016年の期間に、岡本医師が中間リスクの前立腺がん患者397人に対して実施した小線源治療の成績を報告したものである。岡本メソッドでは、中間リスクの患者に対しては、ホルモン療法も外部照射療法も併用する必要がない。これも従来の小線源治療とは異なる治療法の革命だ。

今年の2月にも、岡本医師は同医学誌に新しい論文(URLリンク)を発表した。それは膀胱に浸潤した前立腺癌を完治させた医療記録で、世界に前例のない報告である。

最新の『メディカルレポート・アンド・ケーススタディーズ』(Medical Report and Case studies)[2021年9月]に掲載した総説論文(URLリンク)では、現在の前立腺癌治療の問題点を論理的かつ明確に指摘しつつ、中間リスク・高リスクの患者に対する岡本メソッドの利点を紹介している。そこにはリンパへ移転した「超高リスク前立腺癌」治療の論文もとりあげている。

この原著論文は2017年に『ジャーナル・オブ・コンテンポラリー・ブラキセラピー』誌に公表されたものだ。それによると被膜外浸潤や精嚢浸潤、リンパ節転移など症例を含む難治性前立腺癌の成績で、5年の非再発率は95.2%だった。

 

モルモット未遂事件を報じる朝日新聞の記事(2018年7月29日付け)

◆「術中患者が苦しみだしたら助けてくれ」

岡本医師は、宇治病院へ移籍する前は、滋賀医科大附属病院に勤務していた。2005年から2019年までの15年の間に、約1200件の小線源治療を実施している。2014年には、医薬品販売会社が岡本メソッドの実績に着目して、寄付講座の開設を求めてきた。滋賀医科大の塩田平学長もそれを歓迎して、滋賀医科大を日本における小線源治療の拠点にする方向で動きはじめた。

ところが予想もしない横やりが入った。日本で旧来からある「村社会」が大学病院にも蔓延していたのだ。岡本医師の元上司にあたる泌尿器科・河内明宏科長が、小線源治療の専門家である岡本医師を差し置き、自らしゃしゃり出て寄付講座の主導権を握ろうとしたのである。

しかし、塩田学長らの支援が得られなかった。そこで河内科長は、独自に寄付講座とは別に小線源治療の窓口を設けて、泌尿器科独自の小線源治療を計画したのだ。とはいえ小線源治療の経験はなかった。それを知らないままこの別窓口に誘導された患者は20名を超えた。

患者の中には、岡本医師を頼って滋賀医科大までやってきたのに、何を知らずに河内科長が設けた別の窓口に引きずり込まれた人もいた。

河内科長が最初の小線源治療を行うように命じたのは、部下の成田充弘准教授だった。この医師も小線源治療は未経験だった。成田准教授は、岡本医師に、

「術中患者が苦しみだしたら助けてくれ」 

と、岡本医師に要求した。

岡本医師は、塩田学長に対して患者をモルモットにした治療計画そのものを中止するように告げた。松末吉隆病院長に対しても患者に対する重大な人権侵害であるとして計画中止を進言した。

ところが、岡本医師は思わぬ報復を受ける。病院が寄付講座を2019年末で閉鎖する方向で動きはじめたのだ。泌尿器科による不正行為が公になることを恐れ、病院の幹部は、岡本医師さえ追放してしまえばそれを隠蔽できると考えたらしい。そして寄付講座を閉鎖すると宣言したのだ。治療は閉鎖の半年前に打ち切ると告知した。岡本医師は寄付講座の特任教授だったので、講座の閉鎖と共に除籍になる。大学病院を去らなければならない。

この緊急事態に対して 待機患者らが患者会の支援を受け、治療の実施期間を延長するように求めて裁判所に仮処分の申し立てた。大津市内や草津市内で200名にも及ぶ人員を動員して街宣活動も展開した。

幸いに大津地裁は、大学病院による治療妨害を禁止する命令を下した。治療の実施期間を5カ月間、延長するように命じた。しかし、それでも治療が受けられない待機患者が発生してしまった。

仮処分命令が認められた直後の待機患者、大津地裁前

◆内弁慶がはびこる日本社会の縮図

滋賀医科大の寄付講座が閉鎖された後、岡本医師の進退が注目されていたが、宇治病院へ移籍した。それから小線源治療のインフラを整え、スタッフを招聘して訓練し、岡本医師はこの8月に治療の再開にこぎつけたのである。

わたしがこの事件を取材したのは、寄付講座の最後の年、2019年に入ってからである。取材を通じて、過去に滋賀医科大病院が優秀な心臓外科医を追放したことがあるのを知った。この病院は、優秀な人材を活用できない。

その背景に前近代的な「村社会」の存在が垣間見える。内弁慶がはびこる日本社会の縮図が現れている。患者の生命がかかっていても、この体質は変わらない。

事件には始まりがあり終わりがある。そして終わりは、新たな始まりでもある。今後、岡本医師と患者会が、滋賀医科大事件の「戦後処理」をどう進めるかに注目したい。

※この事件の詳細は、『名医の追放』(緑風出版)に詳しい。http://www.ryokufu.com/isbn978-4-8461-1918-8n.html

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
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