何年にも渡って君臨した独裁政権が崩壊した後に選挙を実施する場合、国際監視団が現地入りして、選挙を厳しく監視する体制が敷かれることがある。汚点のない選挙の実現。わたしが知っている先駆け的な例としては、1984年のニカラグアがある。軍事独裁政権が崩壊した後、外国からの選挙監視団やマスコミが続々と乗り込んできて、この中米の小国は、初めて公正な自由選挙を実施したのである。

同じような制度と原理を導入するために、真鶴町の住民らが動きはじめた。住民の橋本勇さんが言う。

「外部の選挙監視団を入れて公正で清潔な選挙を実施できる制度を作る必要があります。その制度を真鶴から全国へ広げたいものです。そのために、汚職に関与した松本町長や選挙管理委員会の書記長など、4人の刑事告発を超党派で検討しています。また、選挙管理委員会も総入れ替えをする必要があります。不正を犯した書記長の残党が残っていますから」

橋本さんは、会社勤務を経て約40年前に真鶴に移り住み、光の海が一望できる岬に旅館とレストランを開業した。その真鶴が一部の人々の手で壊されていくことに心を痛めている。それが住民運動を始めた動機である。

選挙人名簿流出事件に揺れる神奈川県真鶴町

◆広がる選挙管理委員会に対する不信感、選挙監視団制度の導入が不可欠

汚職事件は昨年の秋、ひとりの勇敢な男性の内部告発にはじまる。森敦彦氏。真鶴町の役所に勤務した後、2017年に町議になった。しかし、再選を目指した2021年9月の町議選では落選した。

その後、選挙運動の残務整理をしていると、1通の大きな封筒が出てきた。開けてみると、中に真鶴町の選挙人名簿や住民基本台帳などが入っていた。森さんが言う。

「この封筒は、町の選挙管理委員会の尾森書記長(当時)が届けたものですが、事前に松本一彦町長から、あなたの選挙に活用できる資料を届けさせると連絡を受けていたので、中身は町長が作成した自分の支援者名簿だと思っていました。そのようなものは必要なかったので、わたしは封も切らずにそのまま放置していました。自分の基礎票だけで再選できると思ったのです。選挙が終わってから、封を切ったところ、中から選挙人名簿や住民基本台帳が出てきたのです。わたしはびっくりして、警察に届け出ました」

知人の勧めで、マスコミにも通報した。中央紙はほとんど報じなかったが、地元の神奈川新聞やローカル紙が熱心にこの事件を取り上げた。その結果、松本町長は10月26日に記者会見を開いて、自らの責任を認めた。選挙管理委員会の尾森書記長に選挙人名簿や住民基本台帳などをコピーさせ、外部に持ち出させたことを認め、辞任を表明したのである。また、その後、これらの書面を青木健議員と岩本克美議員(議長)にも配布したことを公表した。

不祥事により政治家が辞任すること自体は特に珍しいことではない。しかし、松本町長は、辞任した後、お詫び回りを続け、町長選がはじまる直前に再出馬を表明した。そして次点候補と88票の僅差で町長選に勝利したのである。この88票も、開票の最終ステージで逆転したものだという。そのために選挙管理委員会に対して再び不信感を募らせる市民もいた。

◆汚職を告発した者が悪者に、デマが拡散

わたしは松本町長が当選したことを知ったとき、正直なところ真鶴町の住民は無知ではないかと疑った。同時に、これは真鶴町だけの現象なのか、それとも国家の劣化の縮図なのだろうかと自問した。他の自治体でも、水面下で同じようなことが起きているのではないかと疑った。

1月28日、わたしは橋本勇さんを尋ねてJRの電車で東京から真鶴町へ向かった。海が一望できる橋本さん経営のレストランで、橋本さんの他にも2人の人物を取材した。この事件を告発した森敦彦さんと、真鶴町議会の天野雅樹副議長だった。

森さんは、告発後の予期せぬリアクションに戸惑ったという。

「一番悪いのは森だというデマが広がったのです。これは予想しませんでした」

森さん自身が松本町長から提供された選挙人名簿を使って、町議選の選挙活動をしたという噂を、だれかが町中に広げたのである。しかし、森さんの告発には、理由があった。みずからが真鶴町の職員として働いていた約35年の間に、職員らが町長の人事権の前に、自由にものが言えない実態を目の当たりにしたからである。森さん自身、職場を点々とさせられた。異動の繰り返しに悩まされたのだ。特に、住居を真鶴町から隣町へ移してからは、この種の差別的な扱いが顕著になったという。縦の人間関係を重視しなければ生きられない実態を目の当たりにしたのである。

町の職員たちは、町長の人事権に縛られて自由にものが言えない。その苦しみを森さんは知っていた。実際、この事件についても、町役場の職員らは、不快な思いをしているという。

このあたりの事情について、天野雅樹さんが次のように話す。

「事件後に、わたしのところにこの事件は公職選挙法違反に該当するのではないかという意見が多数寄せられました。そこでわたしから町の選挙管理委員会にその声を伝えたところ、選挙管理委員会にも直接、町民から苦情が来ていることが分かりました。それに対処する町役場の職員らも悩んでいます。町長との板挟みの状態です。内心では怒っています」

天野さんは真鶴町で生まれ、千葉県やロサンゼルスなどで働いたあと、結婚を期に真鶴町に戻った。30歳の時である。会社を経営した後、2017年に町議になった。天野さんが続ける。

「松本町長が再選された後、職員の退職が相次ぎました。たとえば加藤哲三教育長は、2022年1月末で辞任しました。消防団の団長と副団長も辞任しかねない状況です。1月の成人式では、松本町長が式辞を述べるのであれば、参加しないという町民が相次いで、松本町長が出席を辞退しました。さらに松本町長が、隣の箱根町の町長に面談を申し入れたところ拒否されました」

松本町長が再選されたとはいえ、多くの町民が名簿流出事件を許していないのである。

ちなみに、松本町長から、選挙人名簿などの持ち出しを指示され、それに従った尾森選挙管理委員会書記長は、11月11日に懲戒免職処分となった。名簿流出事件の責任を背負わされることになった。

◆選挙管理委員会と町長の汚職

真鶴町議会は、2021年11月30日に、名簿を受け取った青木健議員と岩本克美議員に対する議員辞職勧告決議を採択した。議員辞職勧告決議に法的な拘束力はないが、真鶴町議会は両議員が、町議としふさわしくないと決議したのである。

ちなみに青木議員は、元町長でもある。今回の事件に関与しただけではなく、みずからが出馬した2016年の町長選の際には、当時、真鶴町役場の職員だった松本現町長に選挙人名簿をコピーさせ、外部へ持ち出させた。本人はそれを否定しているが、松本町長は、メディアに対してそんなふうに事情を説明している。これに関して、たとえば神奈川新聞(11月5日)は次のように報じている。

 

「自らの利益のために住民の個人情報を漏洩させた 神奈川県真鶴町松本一彦町長に抗議の声を! 緊急」作成者:真鶴町個人情報漏洩被害者の会(まなづる希望)

【引用】松本氏によると、同年(2016年)の町長選前に青木氏から選挙人名簿を提供するように依願されたという。「上司と部下という意識が引きずり、青木氏の返り咲きを求める気持ちもあった」。役場庁舎内のロッカーの上に積まれていた全有権者約6800人分の名簿を別の職員1人とともに40分かけて庁舎内でコピー。青木氏に自ら名簿を手渡したという。

汚職は今に始まったことではない。従来から前近代的な人間関係が温床としてあった。

◆広がる超党派の動き、刑事告発は秒読み段階

この事件の核心にメスを入れて、正常な真鶴町を取り戻そうと、住民たちが動き始めている。それは橋本さんたちだけではない。真鶴個人情報漏洩被害者の会(まなづる希望)も運動体のひとつである。ウエブサイトをたちあげて、超党派で事件に関与した4人の刑事告発を予定している。橋本さんが言う。

「他にも4人の告発を検討しているグループがあるので、わたしはみんなをひとつにまとめていきたいと思います。真鶴町は先人らが築いた美しい町です。それを守るために動きます」

議会制民主主義は、戦争という不幸な歴史を経て、戦後日本が獲得したかけがいのない遺産であるが、それがいま形骸の様相を強め、崩壊し始めている。一旦、失ってしまうと取り戻すのに変な犠牲を強いられる。

その意味で真鶴の事件は、単なる一地方の問題ではない。思想信条の違いを超えて熟考しなければならない同時代のテーマなのである。

◎[参考記事]すでに崩壊か、日本の議会制民主主義? 神奈川県真鶴町で「不正選挙」、松本一彦町長と選挙管理委員会の事務局長が選挙人名簿などを3人の候補者へ提供


◎[参考動画]令和4年1月28日午後6時30分開催真鶴町第8回議会報告会(真鶴町公式チャンネル)

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉の最新刊『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

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本年は沖縄返還(併合といったほうが適切)から50年にあたる。沖縄問題は、私(たち)にとって〈闘い〉である。学者の甘ったれた虚言を許さない。

返還前年の71年は返還協定調印ー批准阻止闘争に総力で闘った私たちは、「研究対象」(岸)として、〈沖縄問題は闘い〉だという認識を持たず、もっともらしいことをのたまう徒輩を断罪する。

2月2日の朝日新聞は岸政彦へのインタビューを一面を割いて掲載している。突っ込みどころが散見されるが、ここではこれに留める。

朝日新聞2022年2月2日朝刊

 

リンチ直後の被害者大学院生M君

ここで、かの大学院生リンチ事件が甦ってくる。2014年師走、大阪・北新地で、「反差別」運動の旗手と持て囃される李信恵ら5人による大学院生(当時)M君に対する凄絶なリンチ事件が起きたことは、この通信でもさんざん申し述べてきた。

裁判もいくつも争われたが、李信恵が鹿砦社に反訴した訴訟の控訴審判決において、裁判所はようやくリンチへの李信恵の連座を認定した。その後、なぜか李信恵らが、リンチ事件や関連訴訟について発言することは、ほぼなくなった。

リンチ事件以前から李信恵はネトウヨによるヘイトスピーチ、ヘイトクライムに対して訴訟を起こしており、その「李信恵さんの裁判を支援する会」の事務局長という要職を務め、李信恵ら加害者の聞き取りの席にも同席していたのが岸政彦だった。岸は事件の詳細を知っている。

だからこそ、特別取材班は岸を直撃し、真相を問い質したが、なぜか逃げ回るばかりだった。

人の心を持つ者(特に、普段から「人権」という言葉を口にする「知識人」)は、身近に起きた深刻な問題に真摯に立ち向かうべきだ。それも被害者M君はリンチによって相当の重傷を負っていることはリンチ直後の写真を見れば一目瞭然だ。本来ならば、被害者に寄り添い、問題解決にあたるべきではないのか!? 私の言っていることは間違っていますか?

岸よ、歯の浮くようなことを言ってないで、今からでもリンチ事件の根源的解決に努めよ! リンチ事件はまだ終わっていない。

取材班の直撃取材に逃げ回る岸政彦

対李信恵訴訟の尋問が終わった、その夜、傍聴に来、またリンチの現場に連座した伊藤大介は、ふたたび暴行、傷害事件を起している(現在横浜地裁で刑事事件として係争中)。

ちなみに、去る2月5日に開催された「連帯ユニオン議員ネット第17回大会」で、岸につながるバリバリの親しばき隊の池田幸代(元・社民党福島みずほ秘書、現・駒ヶ根市議)と戸田ひさよし起案の特別決議「うち続くヘイトクライムを弾劾し、社会の意識変革に向けて実践する特別決議」の文中「2020年には反差別活動をしてきた伊藤大介氏を日本第一党元大阪本部長の荒巻靖彦が『このチョンコが』と怒号しながら、白昼の大阪北区の繁華街でナイフで刺す事件が起こった。」と記載されているが、これは正確ではない。深夜を「白昼」というのは笑えるとしても、実際は、くだんの尋問後深夜泥酔して荒巻を呼び出し複数人で暴行に及び、荒巻に小指骨折や顔面打撲などの重傷を負わせ、一方荒巻も自衛のために所持していたナイフを出し応戦し伊藤に全治1週間の軽傷を負わせたというのが事実で、よって荒巻は罰金の略式起訴、伊藤は傷害罪で現在横浜地裁で係争中(伊藤の弁護人は、例によって神原元弁護士ら)。右であれ左であれ事実関係には正確であらねばならない。事件後すぐに発行した『暴力・暴言型社会運動の終焉~検証 カウンター大学院生リンチ事件』の冒頭レポートを参照されたい。

『反差別と暴力の正体』本文

『反差別と暴力の正体』本文

『反差別と暴力の正体』本文

『反差別と暴力の正体』本文

ひょんなことで、この大学院生M君リンチ事件に関わることになり、M君救済と真相究明に奔走し、私たちは6冊の本を世に問うた。私たちは、岸政彦や伊藤大介はじめ、この事件を隠蔽したり蔑ろにしたり、セカンドリンチや村八分を行った徒輩を決して許すことはない。(松岡利康)

*1971年から72年5・15返還にかけての沖縄闘争については昨年に発行した『抵抗と絶望の狭間――一九七一年から連合赤軍へ』をご一読ください。

**「カウンター大学院生リンチ事件」(しばき隊リンチ事件)については、早晩、総括本を出版する予定です。これに蠢いた人たち、特に知識人やジャーナリストらの姿は、「知識人とは何か?」「ジャーナリズムとは何か?」と問う場合の〝生きた負の見本”です。

本日発売! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年3月号!

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《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

◆ワイクルーの演奏

ムエタイにおける伝統や習慣として、長きに渡り続けられているものが幾つかあります。

波賀宙也は毎度、しなやかにワイクルーを舞う(2021年11月7日)

すでに取り上げたタイオイルもその一つでした。

タイでは試合前の、「戦いの舞い」と言われるワイクルーを踊る儀式があります。

普段からキックボクシングなど観ない一般の方々でも、過去、テレビでワイクルーを僅かながら観たことある人も居るかと思いますが、このワイクルーの起源は1774年、ビルマとの戦争が激化したアユタヤ王朝時代、ビルマに囚われの身となっていたナーイカノムトム戦士が、ビルマ戦士10名と戦い全員を倒し、捕虜の釈放とタイの自由を勝ち取った英雄として、小学校の教科書で紹介されるまでに語り継がれています。

ナーイカノムトムがワイクルーを舞った上で戦ったことから、ムエタイの試合前に必ずワイクルーを舞う伝統となって組み込まれてきました。

“ワイ”は拝むこと。“クルー”は主に先生、師匠を意味します。

ムエタイ試合での演奏をタイ語では、「ピームエ」と言い、ワイクルーの演奏は「ピームエワイクルー」で、試合中の演奏は「ピームエタイ」と言います。

“ピー”とはタイ式のパイプ笛で、「ピーチャワー」と呼ばれる管楽器を指す言葉で、これが中心となる演奏から、太鼓とシンバル(鐘)は省略されたような呼び方になっているようです。楽器隊のことを「ウォンピームエ」と言います。

4名で奏でる楽器隊ウォンピームエ。なぜか私が中央に居たのでボカシました(1990年5月)

◆キックボクシングに於いては

昭和40年代の全日本系(NTV、12ch)ではタイ選手との対戦ではワイクルーの儀式は組み込まれていたと思いますが、大半の日本側は踊らなかったとみられます。日本系(TBS系)ではキックボクシングとしての意地とプライドで特例を除き、ワイクルーは行ないませんでした。

後には日本人で、立嶋篤史がムエタイルールでの試合の際、サムライ風に踊ったこともインパクトを与え、他の日本選手も導かれるよう踊るようになっていきました。

現在のキックボクシング興行では、存在が定着したWBCムエタイや、ラジャダムナンスタジアム、ルンピニースタジアム公認試合等、タイ国発祥か拠点となる組織の認定でない限り、ムエタイルールとセットにする必要はないものの、キックボクシングルールに於いてもワイクルーを行なう場合有り、無しと、その興行主催者次第で何とも曖昧な儀式となっています。

ワイクルーを舞う、以前紹介の小林利典(1994年10月18日)

一般的モンコン。形や色、素材はいろいろ有り

モンコンを着けてロープを跨いで入場、決してくぐらない(1988年11月)

◆モンコンの意味

日本では、戦いのお守りとされているモンコンの扱い方の意味が浸透しないところはありますが、敬虔な仏教徒が多いタイでは、人の頭部は神聖なる魂が宿る部分と考えられている為、頭に着けるモンコンもそれだけ尊重されるもので粗末に扱う選手はいません。女性は触れてはならないもので、ジムや自宅に居る時は高いところに掲げ、選手がリングに向かう際、ジムの会長に祈りを捧げられながら着けて貰います。

その後も可能な限り他の物がモンコンより高い位置になることを避ける為、トップロープを跨いでリング内に入るところを見たことがある人は多いでしょう。決して格好よく入場しようという意図はなく、ロープを潜るのはタイの選手には居らず、日本では知らないか、拘りの無い選手はやってしまいがちです。

試合前のワイクルーを終えた後、祈りを捧げてモンコンを外すまでの役割を果たす会長は、前日から女性には触れないというほど厳しく扱う仕来りもあるようです。

タイでの結婚式で新郎新婦の頭を繋ぐ、製糸の輪っかが「モンコンラチャック」と言われ、モンコンそのものは幸福繁栄、または勝利をもたらす縁起の良いものと解釈されます。粗末に扱えば凶兆をもたらす恐れがあり、勝負事のムエタイで粗末に扱う者など居ないでしょう。

リングに向かう前、師匠が祈りと共にモンコンを選手の頭に捧げる(1995年3月24日)

試合直前、モンコンを外して貰う儀式(2021年1月10日)

四方のコーナーで祈って終わる日本選手は多い(2021年11月7日)

◆ワイクルーを踊る上での配慮

ワイクルーを踊る際はTシャツを着たまま踊らない方がいいと言われます。これはタイでも明確にルールで決まられている訳ではなく、神聖なリング上でのワイクルーに際し、仕来り的に嫌うタイのスタジアム関係者、プロモーターも居るということで、今後のタイでの活動にも不利に導かれないよう礼儀作法にも注意した方がいいでしょう。

昔、藤原敏男さんがラジャダムナンスタジアムでの試合で、ワイクルーが始まり相手が踊り終えるのを待っていたら、レフェリーに「あなたも踊りなさい」と促されているシーンがありますが、外国人から見れば慣れていないワイクルーは、心の準備がなければ、ぎこちない踊りとなってしまいがち。現在でも踊りが苦手な選手は、四方のコーナーへ、ロープ伝いで歩いてワイをして、キャンパスに跪いて三拝して終わるワイクルーが定着しており、簡潔ながらこれでも充分と言えます。

このワイクルーに義務付けられている型はありませんが、原型となる古代ムエタイから進化・変化していく中で、地方の伝統が特徴となるスタイルが定着している場合もあるようです。

タイ国の文化風習には外国人には理解し難い部分は多いものの、それぞれに深い意味があるもので、ムエタイ本場の仕来りに従うことなど学ぶべきところはしっかり学んでおきたいものです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

1992年2月20日、福岡県飯塚市で小1の女の子2人が殺害された「飯塚事件」は、犯人として処刑された男性・久間三千年氏(享年70)に冤罪の疑いがあることで有名だ。久間氏は一貫して容疑を否認していたうえ、有罪の決め手とされた警察庁科警研のDNA型鑑定が実は当時技術的に稚拙だったことが発覚したためだ。

私は2016年に編著『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社・2021年に内容を改訂した電子書籍も上梓)を上梓した際、この事件の捜査や裁判に関わった責任者たちを特定し、この事件にどんな思いや考えを抱いているかを直撃取材したことがある。事件から30年になる今、同書に収録された責任者たちの声を改めて紹介したい。

第1回は捜査関係者編(所属・肩書は取材当時)。

◆嘘をついて取材を回避した福岡県警本部長

まず、福岡県警が久間氏の逮捕に踏み切った際、県警本部長を務めていたのが村井温氏。取材当時は実父が創業した大手警備会社、綜合警備保障の代表取締役会長の地位にあった。私の取材依頼に対し、同氏の秘書はこう回答してきた。

「村井は警察時代の職務については、取材を受けないようにしているとのことです」

しかし調べたところ、「賢者グローバル」という無料動画配信サイトには、村井氏が同サイトの取材に応じ、福岡県警本部長時代に「一万何千人」もいた部下をいかにマネージしたか、当時の経験が今の会社でいかに役立っているかを笑顔で語っている動画がアップされていた。村井氏は嘘をついてまで取材を回避したわけで、それはつまり飯塚事件にやましい思いがあるということだ。

◆取材を断る理由も説明しなかった福岡地検検事正

一方、久間氏を起訴した福岡地検の村山弘義検事正はその後、法務・検察の世界では検事総長に次ぐナンバー2のポスト・東京高検検事長まで出世している。1999年に弁護士に転身後は三菱電機やJTに社外監査役として迎えられ、外部理事を務めた日本相撲協会では2010年の大相撲野球賭博騒動の際に理事長代行も務めている。

村山氏に手紙で取材を申し込んだうえ、返事を聞くために電話をしたところ、村山氏本人がこう回答した。

「実は昨日付けで返事を差し上げました。ご要望には沿いがたいということで、取材お断りの趣旨のことが書いてあります」

そこで取材を断る理由を尋ねると、「理由なんか申し上げることはありません。色々考えて、お断りしたということでございます」とのこと。この事件について何か語るべきことがないのかと尋ねても「そんなことを申し上げることもありません」、冤罪だと思っていないということかと確認しても「はいはい、すみません」という感じで、とりつく島がなかった。

後日、入れ違いで届いた返事の手紙には「取材お断りの趣旨」が簡潔に綴られているのみだったが、飯塚事件に関与した過去に触れられたくないという強い意思が感じ取れた。

◆問題のDNA型鑑定を行った科警研技官たちも沈黙

一方、有罪の決め手になったDNA型鑑定を行った科警研の技官は、坂井活子(いくこ)氏、笠井賢太郎氏、佐藤元(はじめ)氏の3人だ。警察庁によると、坂井氏は2007年3月31日付けで、佐藤氏は2011年3月31日付けでそれぞれ定年退職しており、同庁にはこの2人への取材の取次を依頼したが、断られた。

残る1人の笠井氏は取材当時も科警研で勤務していたが、手紙で取材を申し入れたうえ、意思確認のために科警研に電話をしたところ、総務課の職員に笠井氏への取次を頑なに拒否された。そこで笠井氏には再度、返信用の郵便書簡を同封した手紙により、取材を受けるか否かの返事をくれるように依頼したが、音沙汰はなかった。

以上の通り、久間氏を処刑台に送った捜査関係者たちの中には、冤罪処刑疑惑に関する取材に真正面から応じる者は皆無だった。(つづく)

福岡拘置所。ここで久間三千年氏の死刑が執行された

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。編著に電子書籍版『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ[改訂版]―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

2月2日に先行する競技(カーリング)が始まり、3日にはフリースタイルスキーをはじめとする協議が開始。4日には開会式が行われる。北京冬季五輪である。

クリスマスと五輪開催中は、全世界で戦火がやむ。これが様々な批判を浴びつつも、現在のオリンピックが「平和の祭典」と呼ばれるゆえんだ。

というのも、年初いらい緊張の度を高めてきたウクライナ情勢が、ひとまず本格的な銃火をまじえる危機を回避したかにみえるからだ。北京大会閉会後にも予想される、東ウクライナ騒乱をどのように捉えるべきか。危機がいったん回避されたいまこそ、その詳細を解説しておきたい。


◎[参考動画]【コロナ禍五輪】開催国・中国の選手団ら「防護服」で選手村入り 北京オリンピック(日テレNEWS 2022年2月2日)

◆ドンバス戦争は内戦なのか?

おもてむきは「ウクライナのNATO加盟に対する防衛的な圧力」とされるロシア軍の国境集結は、いっぽうでウクライナのクリミア奪還という陣地戦を背景にしている。その意味では、2014年のウクライナ騒乱とロシアによるクリミア自治共和国の併合いらい、ウクライナ国内ではドンバス戦争(東部紛争)といわれる内戦がその核心部分なのである。

今回の「危機」も、単に米ロ対立を政治的な軸にした、ウクライナのNATO加盟問題ではないのだ。ウクライナ国内のドネツク人民共和国およびルガンスク人民共和国を自称する分離主義勢力とウクライナ政府側との武力衝突。これが現在も継続していることを、世界のメディアは報じてこなかった。

クリミア騒乱(2014年)のときは、国章をつけていない軍服を着てバラクラバ(覆面)を着けた兵士たちが「ロシア軍部隊とみられる謎の武装集団」と、西側のメディアでも報じられていた。その後、内戦を装いながら、ロシア軍の侵攻が行なわれていたことが明らかになっている。

これらの実態がよくわからないまま、ロシア軍の侵攻で半月後には、クリミア自治共和国最高会議とセヴァストポリ市議会によるクリミア独立宣言(2014年3月)が採択されたのだった。契機となったのは、親ロシア派のヤヌコーヴィッチ政権の崩壊だった。

その後、2014年6月には大統領選挙によってペトロ・ポロシェンコ(親欧米派)が大統領に就任したが、東ウクライナでは親欧米の政権側と親ロの分離独立派が上記のドンバス戦争をくり広げてきたのだ。その犠牲者は5000人以上とされ、旧ユーゴ内戦いらいの激戦といわれている。

島国に育ったわれわれには想像しにくい感覚だが、東ヨーロッパは民族の混住が戦争の原因となる。たびかさなる戦争の結果としての国境線と、住民(民族)の居住地域が一致しない、混住化しているからだ。たとえばナチスドイツのオーストリア併合、ズデーデン併合によるチェコスロバキアの解体は、ドイツ系住民の民族自決権がその論拠だった。

◆なぜロシアは「東側」なのか?

それにしても、なぜロシアはウクライナのNATO加盟を問題にするのか。ソ連崩壊後、ロシアは資本主義国家(自由主義)になったのではなかったのか。という疑問が、極東の島国に暮らすわれわれの疑問を惹起する。

その意味では中国も資本主義(市場経済)化し、政治こそ共産党独裁だが、国家資本主義と呼べるものに開放されたのではなかったか。政治が共産主義で、経済が資本主義という政治経済体制を、社会主義国と呼ぶべきかそれとも資本主義国と呼ぶべきか、従来の政治観では解釈できないところまできている。

いや、逆にいえば日本も戦後成長を経る中で、国家独占資本主義(金融資本主義)として、社会的には大いに社会主義化(古典的な意味での、王権主義に対する社会主義)されてきた。ヨーロッパ諸国はもともと、19世紀的な社会主義(社会民主主義)である。経済面だけでいえば、国民皆保険制度のないアメリカだけが、社会形態的には純粋な資本主義国家といえるのだろう。メディアはあいかわらず「西側諸国」と対立する「東側」とロシアとその同盟国を報じている。


◎[参考動画]「真の目的はロシアの発展阻止」プーチン氏・米側の回答に“不快感”(ANN 2022年2月3日)

◆民主主義と人権

ロシアに限って言えば、プーチンという独裁者(国民が選挙で選んだ専制者)が君臨し、大統領令という強大な統制力で独占企業体をコントロールする。そこに社会主義時代にはなかった国家独占資本主義(レーニンの帝国主義論における規定)が、イノベーションと致富欲動を源泉に、新たな社会主義体制を構築してきたとはいえないだろうか。

その体制は人的な資源をもとにした中国型の官僚制国家資本主義と、領土および天然資源をもとにしたロシア型の違いはあれ、国家独占資本主義=高度な社会主義体制と定義することが可能だ。

残されたものは「民主主義」ということになるが、高度なアメリカ型民主主義を導入したとされる日本においても、民主主義はかなりレベルが低い(選挙の投票率の低さに集約される)のだから、あとは「人権」ということになるのだろう。人権問題が大いに問題視され、「西側諸国」が外交的ボイコットを発動した北京五輪を通じて、その片鱗を見せてもらいたいものだ。オリンピックと戦争、そして人権。それが当面の注目すべきテーマである。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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正月明け以降、新型コロナウイルスのオミクロン株中心の感染爆発が続く広島県内。最近では東京都や大阪府も遅れて感染爆発が起きているため、全国的な注目は低下している感はあります。しかし、着実に筆者の身近に脅威が迫っています。

◆勤務先の介護施設入居予定者や山間部の友人も感染

1月24日(月)。筆者のまわりで激震が走りました。筆者はその日の朝、バイト先の介護施設で前日から夜勤をしていました。そろそろ、日勤で出勤してくる正社員にバトンタッチしようかなとおもっていると、正社員の人が息を切らして入ってきました。何事かと思ったら「きょう、入居予定の方がコロナ陽性で入居延期になった」ということでした。わたしは、背筋が凍る思いが致しました。

そして、会社を出て、妻とSNSで連絡をとろうと、スマホを取り出すと、県北部の山岳地帯に住む友人のSNSのタイムラインが目に入ってきました。なんと、その友人がコロナに感染したという報告でした。その友人は、17日ころからのどに異常を感じ、金曜日ころに38度の発熱で受診し、PCR検査の結果、陽性と判定。自宅療養で、保健所から食料を受け取った旨の投稿がされていました。画面には段ボール入りのカップ麺や即席味噌汁、お菓子などが映っていました。先ほどの入居予定者のこととあわせ、肝を冷やしました。

さらに翌日、別の勤務先の介護施設では新入社員が感染したという報告。まだ出勤していないのが不幸中の幸いでした。しかし、その人は、すでに退職した人の補充の意味もあったので、現場は目がまわるような状況になっています。

毎日、1000人以上、1週間で人口10万あたり300人以上感染している状況ですから、身近に事例が出てもおかしくはありません。

以下は、これまでの広島県内、そして広島県に隣接する岩国市、そして米軍岩国基地の感染数のまとめです。

今週に入って感染数は前週比では、さほど伸びていません。しかし、もともと、高い水準での感染数だったので油断できない状況です。

 

      県内-岩国-岩国基地
12/01~20 00-00-00
12/21   00ー00-01
12/22   02-00-01
12/23   03-01-00
12/24   01-00-00
12/25   05-01-00
12/26   01-01-00
12/27   01-01-08
12/28   01-01-05
12/29   03-07-80
12/30   06-07-27
12/31   23-08-23
01/01   21-14-00
01/02   57-13-00
01/03   40-44-50(岩国基地は3日分をまとめて発表)
01/04   109-62-47
01/05   138-70-182
01/06   273-81-115
01/07   429-61-91
01/08   547-77-71
01/09   619-80-05
01/10   672-45-12
01/11   588-71-71
01/12   652-79-34
01/13   805-54-29
01/14   997-79-26
01/15   1212-67-28
01/16   1280-67-0
01/17   973-59-0
01/18   900-45-8
01/19   1042-65-5
01/20   1569-37-77
01/21   1532-46-33
01/22   1585-52-13 
01/23   1476-44-0  
01/24   1056-53-0 
01/25   1099-44-30
01/26   1252ー63-17
01/27   1502ー52ー10

◆平和公園も直撃 「座り込み」も中止

感染爆発は平和公園も直撃しています。原爆資料館は2月20日まで、臨時休館です。原爆資料館の玄関には机がおかれ、その上に資料館のパンフレットがおかれ、自由に取れるようになっていました。被爆体験の継承のためのイベントももちろん、中止となってしまっています。こうした中、平和運動も感染爆発の直撃をうけています。

1951年1月27日、アメリカ・ネバダ州の核実験場が操業を開始。CTBT(核実験禁止条約)ができたあとも、未臨界核実験が行われています。この核実験場周辺では、ロケ中の西部劇の俳優らふくめ、多くの方が被爆。実際には放射能汚染は東部もふくめて全米に広がっていました。

1984年にとなりのユタ州の住民が反対運動に、たちあがり、全世界にひろがりました。広島でも、わたしが所属する広島県原水禁では、毎年1月27日は、日中に原爆慰霊碑前で座り込み、夕方から反核集会を取り組んできました。

コロナ災害が発生した2020年はまだ日本への影響は少なかったため、イベントは行われました。しかし、2021年は座り込みのみで、集会は中止。そして、2022年は座り込みも中止になりました。しかし、わたしや、複数の活動家は中止を知らずに原爆慰霊碑前にきてしまいました。定刻になっても、人がこないため、おかしいな、とおもい、主催者に近い人に電話をすると、中止になった、とのこと。仕方がないので、原爆慰霊碑に参拝して解散しました。

 

◆有権者との対話で痛感、災害指定の重要性

そのあと、せっかくここまで来たのだから、ということで、原爆ドーム北側の旧広島市民球場前で街頭演説をおこないました(写真)。ここは、あの河井案里さんもよく演説をされていた場所です。

わたしと友人が、れいわ新選組の消費税廃止やガソリン税廃止などを訴えていると、年配の女性が話しかけてこられました。

彼女は「カラオケ教室の先生をしていたが、コロナで生徒がまったくこなくなってしまった。ただ、収入が一定額にならないためにいわゆる持続化給付金を受け取れなかった。他方で、飲食店のような休業による協力金も受け取れなかった。年金だけでは生活は困難だ。」と窮状を訴えてこられました。

そして「消費税廃止はもちろんよいが、固定資産税、国保料なども減免してほしい。」
などと要望されました。いっぽうで、政治へのあきらめのようなことも口にされました。他方で激励もいただきました。

やはり、コロナは大震災や大水害が全国でおきたような災害であることを実感しました。それに対する手当てがあまりにも不十分だったために、あきらめや分断もひろがっていく、ということを感じました。憲法を変える議論をやっている場合ではない。コロナをいまからでも日本全土の激甚災害に指定して、大震災や大水害被災者なみの支援を全住民におこなうことが急務だと、会話を通じて実感しました。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

『紙の爆弾』『NO NUKES voice』今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

新聞販売店に放置された残紙(「押し紙」、あるいは「積み紙」)の写真がインターネットで拡散されるケースが増えてきた。店舗の内部や路上に、その日の残紙を積み上げた光景は、今や身近なものになってきた。「押し紙」で画像を検索すると、凄まじい残紙の写真が次から次へ画面に現れる。動画もアップされている。(文尾の動画参照)

が、新聞衰退を論じる学者やジャーナリストの多くは依然として、残紙問題を直視しない。なぜ、それが間違いなのだろうか? 本稿で考えてみたい。

 

ビニール包装されているのが残紙。新聞で包装されているのが折込広告

◆ABC部数には残紙が含まれている

新聞衰退論を語る論者が、その根拠として持ち出す根拠のひとつに新聞のABC部数の激減がある。ABC部数とは、日本ABC協会が定期的に公表している新聞の発行部数である。厳密に言えば、新聞社が販売店に対して販売した部数である。それが「押し売り」であるか否かは別にして、卸代金の徴収対象になる新聞部数のことである。

そのABC部数が減っていることを根拠として、新聞社が衰退のスパイラルに陥っているとする論考が後を絶たない。具体例をあげる必要がないほど、新聞産業の衰退を語るときには、この点が強調される。

しかし、このような論考には根本的な誤りがある。妄言とはまではいえないが、本質に切り込むものではない。客観的な事実認識を誤っているからだ。

ABC部数は、新聞社が販売店に販売した新聞部数を表している。しかし、必ずしもそれが新聞購読者数とは限らないからだ。たとえば新聞社が、販売店に対して3000部の新聞を販売していると仮定する。だが、販売店と新聞購読契約を結んでいる読者が2000人しかいない場合、ABC部数との間に1000部の差異が生じる。実際には2000人しか新聞購読者がいないのに、3000人の読者がいるという間違った認識が生まれてしまう。

それを前提として新聞の部数減を論じても、それは正確な事実に基づいたものではない。ABC部数に残紙が含まれていることに言及しなければ、読者をミスリードしてしまう。しかも、残紙でABC部数をかさ上げしている数量は、膨大になっていると推測できる。

本稿では、兵庫県における朝日新聞と読売新聞を例にして、ABC部数のグレーゾーンを検証しよう。

◆データを並べ変えると新聞のビジネスモデルのからくりが見えてくる

次に示すのは、兵庫県全域における読売新聞のABC部数である。期間は2017年4月から2021年10月である。カラーのマーカーをつけた部分が、部数がロックされている箇所と、その持続期間である。言葉を変えると、読売新聞が販売店に対して販売した部数のロック実態である。

【注意】なお、下記の2つの表は、ABC部数を公表している『新聞発行社レポート』の数字を、そのままエクセル表に移したものではない。『新聞発行社レポート』は、4月と10月に区市郡別のABC部数が、新聞社ごとに表示されるのだが、時系列の部数変化を確認・検証するためには、号をまたいで時系列に『新聞発行社レポート』のデータを並べてみる必要がある。それにより特定の自治体における、特定の新聞のABC部数が時系列でどう変化しいたかを確認できる。
 
いわばABC部数の表示方法を工夫するだけで、新聞業界のでたらめなビジネスモデルの実態が浮かび上がってくるのである。

2017年4月から2021年10月の『新聞発行社レポート』(年に2回発行)を基に筆者が作成した兵庫県における読売新聞のABC部数の変化表である。日本ABC協会が作成したものではない

たとえば神戸市北区におけるABC部数の変化に注視してほしい。3年半に渡って、17,034部でロックされている。つまり読売は北区にあるYCに対し、3年半に渡って同じ部数を販売したことになる。しかし、新聞の購読者数が3年半に渡って1部の増減も生じない事態はまずありえない。あまりにも不自然だ。なぜ、このような実態になったのだろうか。

それは読売が販売店に対して新聞仕入れ部数のノルマを課しているか、さもなければ販売店が自主的に一定の部数を買い取っているかのどちらかである。わたしは、これまでの取材経験から前者の可能性が高いと考えている。

他の地域についてもロック現象が頻繁に観察できる。南あわじ市のABC部数にいたっては5年間にわたり1部の増減も観察できない。

このようなデータを鵜呑みにして論じた新聞衰退論には、正確な裏付けがない。

朝日新聞のABC部数の変化も紹介しよう。読売新聞と同様に、部数がロックされている実態が各地で確認できる。

2017年4月から2021年10月の『新聞発行社レポート』(年に2回発行)を基に筆者が作成した兵庫県における朝日新聞のABC部数の変化表である。日本ABC協会が作成したものではない

◆「押し紙」裁判の資料は裁判所で公開されている

上記の2件の調査から、ABC部数と新聞の購読者数の間にかなりの乖離があることが推測できる。それでは新聞の衰退を部数減という面から論じるとき、なにが必要なのだろうか?

まず、第一にそれは全国で多発している「押し紙」裁判を通じて、残紙の実態を把握することである。現在、読売の「押し紙」裁判だけでも、全国で少なくとも3件起きている。

(東京本社が1件、大阪本社が1件、西部本社が1件)裁判資料は原則として、裁判所で閲覧できるので、裁判の当事者が閲覧制限でもしていない限り、残紙の実態は簡単に把握できる。そのうえで、ABC部数の性質を把握する必要がある。

第2に、新聞社の残紙を柱とした新聞のビジネスモデルを分析することである。熊本日日新聞などは例外として、大半の新聞社は、残紙でABC部数をかさあげすることで、販売収入と広告収入を増やしている。一方、販売店は残紙で生じた損害を、折込広告の水増しや補助金で相殺することで、経営を成り立たせる。この従来のビジネスモデルが成り立たなくなってきたのである。実は、この点が新聞衰退の本質的な原因なのである。ABC部数の増減は枝葉末節にすぎない。

2008年ごろに週刊誌や月刊誌がさかんに「新聞衰退」の特集を組んだことがある。これらの特集は、数年のうちに新聞社が崩壊しかねないかのような論調だった。が、そうはならなかった。その要因は、残紙の損害を折込広告で相殺するビジネスモデルがあったからにほかならない。従ってそれがどのようなものであるかを解明しない限り、新聞衰退の実態を正しく把握することはできない。ABC部数の増減だけが問題ではないのだ。むしろこれは世論をあざむくトリックなのである。

◆データとしての価値に疑問

なお、余談になるが公表されている新聞の発行部数が正確な購読者数を反映していなければ、広告主にとっては使用価値がない。少なともABC部数と読者数の間にほとんど差異がないことが、データとしての価値を保証する条件なのである。

この点に関して、日本ABC協会は次のようにコメントしている。

【日本ABC協会のコメント】

お世話になっております。以前にも同様のお問い合わせをいただいておりますが、
ABCの新聞部数は、発行社が規定に則り、それぞれのルートを通じて販売した部数報告を公開するものです。

この部数については、2年に1度新聞発行社を訪問し、間違いがないかを確認しています。

広告主を含むABC協会の会員社に対しては、ABCの新聞部数はあくまで販売部数であり、実配部数ではないことを説明しています。

販売店調査では、実配部数も確認していますが、サンプルで選んだ販売店のみの調査となります。

個々の販売店調査の結果は、公査終了後、各社の販売責任者に報告していますが、公査の内容に関しましては、守秘義務があり、当事者以外の方には公表していません。

また、部数がロックされているということに関しては、新聞社と販売店の取引における現象であり、当協会はあくまで報告された部数の確認・認証が主な業務のため、お答えする立場ではございません。

どうぞよろしくお願いいたします。


◎[参考動画]残紙の回収場面(18 Mar 2013)Oshigami Research

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

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《2月のことば》心配ないんだよ 大丈夫 なるようになるんだよ(鹿砦社カレンダー2022より。龍一郎揮毫)

本年2月1日は、このかん本通信やFacebookなどで何度も申し述べているように、私にとっては特別なメモリアル・デーです。

二十歳の学生時代、学費値上げに抗して身を挺し闘い逮捕されてからちょうど50年が経ちました。

1972年2月1日、酷寒の京都、私たちが通う大学の学費値上げに対し、強い徹底抗戦の意志を持った同志社の学友のみならず全京都から連帯して駆けつけた学友と共に闘いました。

あれから50年──私は私なりに一所懸命に生きてきたつもりです。

決して清廉潔白ではなかったかもしれませんが、清濁併せ精一杯生きてきました。なんら恥じることはありません。

精一杯頑張っていれば、必ず浮かぶ背もあり助け舟もあることを実感しています。

いちいち挙げませんが、けっこう浮き沈みのある人生でした。

陽の当たる時ばかりではありませんでしたが、大丈夫、なるようになる!

この2年余りのコロナ禍で、私たちは心が折れる日々が続きますが、大丈夫、大丈夫、共に励まし合い進んで行きましょう! 

(松岡利康)

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