◆アマチュア四冠

大城宝石(=オオシロ・ジュエル/2007年10月30日沖縄県名護市出身)は地元のエボリューションムエタイジム所属で現在中学3年生。アマチュア戦績は29戦21勝5敗3分。

試合場で昨年引退した元・J-GIRLSチャンピオン紅絹とツーショット

先日の8月7日、ゴールドジムサウス東京アネックスで開催されたRISEクリエーション主催のアマチュアキックボクシング大会「RISE Nova」で、全日本女子47kg級トーナメント優勝と共に、アマチュアRISE女子47kg級王者となりました。

大城宝石はアマチュアRISE王者と言っても、多数居るアマチュア王者の中の一人に過ぎませんが、地元では次世代スターとして、沖縄テレビやNHKに取り上げられるほど存在感があります。

大城は小学5年生からキックボクシングを習い始め、昨年、中学2年生の11月にアマチュアイベント「HATASHIAI」沖縄女子50kg級王者となり、同年12月に全日本U-15女子45kg級王者(一般社団法人アマチュアキックボクシング協議会認定)、今年3月にK-SPIRIT女子45kg級王者(沖縄県キックボクシング連盟認定)のタイトルを含む三冠王として今回、RISE王座に挑みました。

今回の試合記録。

47kg級準々決勝戦 (1ラウンド/3分制) 判定3-0
大城宝石 vs 黒川真里裳(NEXT LEVEL渋谷/東京都)

47kg級準決勝戦 (1ラウンド/3分制) 判定3-0
大城宝石 vs 安禮辰(GYM HAK/北海道)

47kg級決勝戦 (2ラウンド/2分制) 判定3-0
大城宝石 vs 髙橋美結(T-KIX/静岡県)

フライ級で活躍、現役・小林愛三チャンピオンとツーショット

◆障壁を乗り越えて

RISEとは2003年2月より活動を始め、プロでは今やビッグイベントを開催する有名な興行プロモーションで、那須川天心の出身母体でもあります。アマチュア大会に於いては全国各地で年間10大会以上(コロナ禍以前)を主催。予選や選考を勝ち抜いた精鋭によるトーナメント優勝者に全日本タイトル認定しています。

これまで15歳以下の出場年齢制限があった大会などから一転、このRISE Novaトーナメントは中学生以上の参加資格から一般成人選手の参加や、「プロ3戦まで参加可能」の規定があり、年齢的にも実績でも全国の強敵が集まっていたこと。大城宝石にとってこれまで最も慣れ親しんできたムエタイ系と比べルール制限があったこと。今回は最軽量クラスが47kg級で、大城の計量は45.7kgでパスも、対戦相手とのウェイト差など、幾つかの障壁を乗り越えて、ワンデートーナメント3試合を勝ち抜いて沖縄県人初の戴冠となりました。 

今後の試合予定は、11月20日に沖縄県豊見城市で開催される全日本選手権大会への出場が確定し連覇を目指し、その後、12月開催予定のアマチュアシュートボクシング全日本大会、更にアマチュアK-1王座も視野に入れていると言います。

来年3月の中学校卒業後は、高校進学と共にプロキックボクサーとなることを決めており、高校受験も控えた中学生としては厳しい環境にありますが、現在プロのRISEミニフライ級(-49kg)女王は、同じ沖縄のerika(SHINE沖縄)で、大城はいずれこの王座を狙えるかと期待が掛かります。

[左]ワンデートーナメント、次の試合に向け酸素吸入/[中央]試合直前、余裕ありの表情/[右]NHKの取材に備えてチャンピオンベルトを持ってきた大城宝石

ジムでのマススパーリング風景

試合後の緊張感あるファイティングポーズ

◆大島代表の評価

大城宝石は毎日、エボリューションジムに16時30分頃一番早く来て、21時ぐらいまでの一番最後に帰る超練習熱心という。トレーナーが見ていなくてもフィジカルトレーニングなど地味な鍛錬を欠かさない。その甲斐あってRISE Novaトーナメントではスタミナ切れを全く起こすことなく始終ラッシュをかけ続けることが出来たという大島健太代表。

女子の打撃競技はパワーの問題からどうしてもKO率は低いが、大城は一発で倒せる右ストレートとレフェリーストップを呼び込む高速コンビネーション連打の両面を磨き、倒せる女子ファイターとして注目されています。RISE Novaトーナメントは3戦とも判定だったが、それ以前の5試合はノックアウト勝利やノックダウンを奪う展開を残しています。

しかし、大城は極度に緊張するタイプでトーナメント初戦(準々決勝)が終わって、コロナ予防対策で両親も来場出来ない中、母親に電話したら号泣してしまうメンタルの弱さを見せたという。しかしその反面、上昇志向は強く、プロデビュー後を視野にした練習では、高速ミット蹴りは女子にしては観る者を驚かせる迫力があり、大島会長の見立てでは、日本の女子キックボクシング界を背負って立つ素質があると言います。

米軍の海兵隊員とは体格差をもろともせずスパーリングするとか

◆RENAを追い越せ!

前々から触れる話ではありますが、技術向上が注目される選手層がアマチュアとは言え、中学生まで低年齢化するとは時代が変わったものです。大城宝石だけでなく、フットワーク速くバランスいい体幹、今時の中学生レベルのキックボクシングの進化は恐ろしく、これが21世紀の格闘技でしょう。

大城は憧れのスター選手、シュートボクシングやRIZINで活躍するRENAのような強くて華やかなファイターを目指し、「いろいろなチャンピオンベルトを獲って、もっと大きな舞台に立ちたい」と言い、「沖縄から世界へ」の目標を掲げています。

まだ学問とキック中心の人生経験で、中学3年生の大城が来年プロデビューしているか、高校時代ではチャンピオンになっているか、20歳の時点でどんな選手に成長しているか、期待は大きくも、先行き不透明なのが厳しいプロの世界。

「いつの間にか見なくなった」と言われる選手が圧倒的に多い中、大城も幾つもの壁にぶつかったとしても得意の右ストレートと右ミドルキック、高速コンビネーションで乗り越えて、いずれまた多くのメディアを騒がせて欲しいところです。

今回は沖縄エボリューションムエタイジムオーナー・大島健太氏の発信情報中心に纏めさせて頂きました。

NHKインタビューに応える大城宝石

※画像提供9枚全て:エボリューションムエタイジム・大島健太

◎堀田春樹の格闘群雄伝 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=88

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

旧統一教会問題と安倍晋三暗殺 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年9月号

ベトナムと枯葉剤。知っているようで、よく理解していない。しかし、現在も被害は継続されており、被害者は救済されていない。戦争や環境破壊の問題も解決していない。坂田雅子監督の手がけたドキュメンタリー映画『失われた時の中で』の試写を観て、今だからこそのさまざまな思いを抱いた。

ベトナム戦争時 ©Vietnam News Agency

◆ベトナムの枯葉剤被害者の現在を多く映し出すドキュメンタリー

坂田監督は2003年、写真家だった夫、グレッグ・デイビスを失う。そして、彼の死の原因が、ベトナム戦争時の枯葉剤の可能性があることを聞かされる。ベトナム戦争は南北ベトナム統一の主導権をめぐって展開し、北ベトナム軍と南ベトナム解放勢力が、アメリカ軍と南ベトナム軍と戦った。グレッグがベトナムに派兵されたのは1967年で、除隊は70年だ。その後、彼は写真家となり、85年以降、ベトナムにも度々訪れた。直接的な死因は肝臓ガンと診断されている。2004年以降、坂田監督はベトナムを取材し続けてきた。

本作では、枯葉剤の影響で、重い障害をもって生まれてきた人々を多数とりあげている。父母は自分たちの死後、障害をもった子どもたちがどうなるのか心配している。アメリカで被害を伝える講演をおこなった女性は、どこに行っても人々から枯葉剤の被害について「知らなかった」と言われたと語る。いっぽう、被害者でありフランス国籍ももつジャーナリストの女性は、市民を擁護するフランスの法律を活用し、アメリカの化学薬品会社に対して裁判を起こす。

坂田監督は『花はどこへいった』(2008)を機に、被害者の子どもたちの教育を支援するため、「希望の種」という奨学金制度を設立。その後、『沈黙の春を生きて』(2011)、『わたしの、終わらない旅』(2014)、『モルゲン、明日』(2018)といった映画作品を手がけてきた。

枯葉剤被害者の子どもたち ©Greg Davis

◆戦争責任遂行と相手の深い理解による、「真の戦争終結」を!

わたしは冒頭に記したように、ベトナムの枯葉剤の被害に関し、知っているようで、よく理解していない。ベトちゃんドクちゃんのイメージが強いが、今回、調べてみたところ、ベトさんは2007年に亡くなっていた。

本作では、被害者の子どもたちの現在の様子を多く知ることができる。眼球を欠損して生まれたキエウ。目をあけられず、声は出せても「音」を発するのみのチュオイ。2つの頭をもつズエン。片腕と両脚が欠損しているロイ。両脚と片腕の先がないホアン。15歳の少女チャンは重い知的障害を抱える父と叔父、4人のために祖母とともに家事に従事。勉強したくとも時間がないと嘆く。

なかには自立して生活することがかなっている人もいるが、それが困難な重度の障害者を抱える家庭は往々にして貧しい。枯葉剤の影響がなかったなら、自由に動き、夢を追い、充実した生活を送っていたかもしれない。枯葉剤を製造・散布したアメリカ、そしてダウ・ケミカルやモンサントといった企業は責任を認めず、ベトナムの被害者は補償もなされていない。元ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)でジャーナリストのニャーのフランスでの訴えも、「フランスの裁判所はアメリカの軍事行動を裁く権利を持たない」という理由によって敗訴。ベトナムの枯葉剤被害者は救われぬまま、50年以上もの時が流れているのだ。

「過去から現在に出現させた環境破壊という犯罪」。これは本作に使用されている表現だ。人間も環境も破壊し、現在も影響を及ぼし続けている枯葉剤の問題を、わたしたちはこのまま風化させてよいのだろうか。ダウ・ケミカルはDBCPをドール社の南アメリカのバナナ農園に供給し続け、除草剤や遺伝子組み換えで知られるモンサント(現在はバイエルが買収)はラウンドアップによる健康被害の訴訟を多く抱えている。これは地方で環境保全活動や有機での農作業に携わるわたしにとっても、大きな問題だ。

今からでも、自らの責任を果たし、被害状況を理解して、できることをする。それが過去の戦争による悪影響を少しでも軽減し、現在の戦争を終結させて、よりよい未来を生み出すこととなるだろう。

左がチャン。右は枯葉剤被害者の父や叔父 ©2022 Masako Sakata

【寄付について|坂田雅子監督より】

ベトナムで多くの枯葉剤被害者に出会う中で、私たちの小さな力が彼らを支援する事ができるのだと知りました。被害者の中には重度の障害を持ち普通の生活ができない人々も多くいますが、中には軽度の障害で少しの支援があれば教育を受け、自立できる子どもたちもいます。ベトナムは驚異的な経済発展を遂げたとはいえ、被害者たちはまだまだ取り残されています。細々とですが、この活動は今も続いています。支援していただける方は以下の口座にお振込ください。一口3000円からお願いします。

口座名:ベトナム枯葉剤被害者の会 代表坂田雅子
三菱UFJ銀行(0005)青山通り支店(084)普通:0006502
※お振込いただいた際は、masakosakata@gmail.comまでご一報ください。


◎坂田雅子監督『失われた時の中で』予告編/8月20日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開

【公式サイト】http://www.masakosakata.com/longtimepassing.html

【公開情報】8月20日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。戦争関連の映画評では、「歴史受け止め、アイデンティティ取り戻す営為『シアター・プノンペン』」、「植民地支配や戦争責任を問い返す『東アジア反日武装戦線』のドキュメンタリー『狼をさがして』」(neoneo)、「死を選ぶメンタリティと社会を再考する ── 近代史上最大の捕虜脱走ドキュメンタリー映画『カウラは忘れない』」、「山谷夏祭りと慰安婦映画 ── 『現場」とそこにいる人に『触れる』」(デジタル鹿砦社通信)、「『台湾萬歳』などのドキュメンタリー映画を通じて 日本統治下の台湾、原住民の生活に触れる」(情況)ほか多数。

旧統一教会問題と安倍晋三暗殺 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年9月号

世間は猛暑とコロナ第7波で大騒ぎしているさなかの7月18日、ある未知の後輩学生から突然に長文のメールがあった。

私が2017年に垣沼真一さん(京都大学OB)と共に出版した『遙かなる一九七〇年代‐京都』を読んだという。今時、学生でこんな本を読む者もいるのだと感心し長文のメールを読んだ。まずは、長文だが、以下そのまま掲載しておこう。──

◇    ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

松岡利康 様

はじめまして。私は現同志社大学文学部英文学科五回生のO・Sと申します。御社関西編集室宛のメールアドレスに、御社代表個人へのメールをお送りする非礼をお詫びいたします。

まず、端的にご用件をお伝えいたします。

京都にて、我々現役の大学生とどうかお話頂けないでしょうか?

なぜ今回私が松岡様にこのようなお願いをするに至ったのか、少々長くなりますがお話いたします。

私は2017年の春、同志社大学文学部に入学いたしました。自由さ、待ち受けているであろう混沌さ、知的な雰囲気に胸を膨らませ門をくぐりました。

しかし、私はすぐに失望させられました。同志社大学の現状はそうした私の希望を打ち砕いて余りあるものでした。

一例を挙げると、同志社大学今出川キャンパスでは、現在自転車に乗って入構することも許されません。乗って入ろうものなら、構内に数多く、過剰に配備された警備員に怒鳴られ、制止され、そして酷いときには応援を呼ばれ取り囲まれます。今の同志社ではまず、身体の管理が徹底されているのです。自主的に自転車を降り、規則を内面化し歩く。「自分の身体=大学の定めたナンセンスな規則。」こうした等式を背負い、同志社生はキャンパスを歩いているのです。自ら主体性を放棄している、とも言えます。

また、大量の警備員の配備による抑圧的な管理もますます進行しています。ビラを配るとそそくさとやってきて内容を確認され、貼れば5分もしないうちに剥がされ、そして職員へ通報が行われます。私もキャンパスの建物に大量にビラを貼っていたのですが、貼ったところから剥がされ、職員を呼ばれ、またしても取り囲まれました。キャンパスという学生のための空間でありながら、何をしても「目」としての警備員が監視の目を光らせ、大学当局への通報が行われる。ある意味「自浄」作用が高度に機能していると言えるでしょう。そこには同志社の掲げる良心教育など見る影もありません。

私はそうした現状は間違っていると思ってきました。烏丸キャンパス横には交番が隣接しています。隣接というのは不正確で、なんと同志社大学が警察に敷地を貸与しているのです。もう、自由な大学など見る影もありません。あるのは、無味乾燥な抜け殻のような学生と、退廃した精神だけです。そして、これは同志社大学に限った話ではありません。

(京都府警察本部への同志社大学用地(烏丸キャンパス)一部貸与について;https://www.doshisha.ac.jp/information/overview/president/question/answer43.html

隣の京大においても事態は深刻です。私が入学した2017年当時はまだ百万遍に立て看板があったのですが、2018年頃から京都市の景観条例を理由に、大学当局による撤去が始まりました。そして歴史と由緒ある自治寮たる吉田寮も廃寮の危機に立たされています。毎年行われていた時計台占拠という催し(学生が時計台に登るというイベント)も当局による弾圧で中止になりました。学生が時計台に登るだけであるのに、事前に情報を察知していた大学側が機動隊まで呼んでおり、上空には警察のヘリまで飛んでいた、というほどです。

私も最初は自転車から降りず、禁止されていた原付での乗り入れを行おうとしたり、ビラを貼ったり、封鎖されたドアをこじ開けようとしましたが、結局今は嫌々ながらもチャリから降り、ビラを貼ったりせずおかしいと思うことがあってもやり過ごすようになってしまいました。もう少しで卒業することだし、目を瞑ろう。息を止めてやり過ごせば、そのうち忘れて楽になる。そう、自分を騙していました。そう、つまりヘタレなのです。

しかし、やはり私は今の大学、特に同志社大学の形は間違っていると思います。そして学生の手によって、徐々に変えられるべきだと思います。ただ、私も含め、何かを変えようとサークルを作ったり、運動をしたりしている学生の多くは、「どうやって運動すればいいのか分からない」「周りに共感してくれる仲間がいない」というの想いを、少なからず抱えているものだと思います。私はこのまま終わっていく大学を見ていられません。このまま見てみぬ振りをして卒業なぞしたくない。どうにかしたい。そう思っていたときに私は、やはり先輩方から学ぶのが一番良いであろうと思い、色々と調べていくうちに松岡様の『遥かなる一九七〇年代ー京都 学生運動解体期の物語と記憶』に出会いました。衝撃でした。学生の魂の熱がこんなにも渦巻いていた時代があったのかと。こんなにも、社会を本気で変えようとしていたのかと。そして、今は死にかけている同志社大学がこんなにも激動の渦の中にあったのかと。熱気と狂気と、そして魂。松岡様は2004年の「甲子園村だより」にて、何度も75年以降の後輩の方々の不始末を嘆いておられました。2022年の我々など松岡様の目にどのように映るのであろうか、恐縮の極みでございますが、70年代の空気、歴史、運動、そしてその精神をどうか学ばせていただきたく存じます。

グレーゾーンが廃され、拠点が失われ、学生の身体から離れてしまった、大学。それを我々の手の内に取り戻したいのです。私も大学内に拠点を造ることは一旦諦めてしまったのですが、学外にそうした場を造ることはできました。京都市北区紫野南舟岡町85-2 2階にある元スナックの居抜きを借りて「デカい穴」という場所を造りました。イベントスペース兼バーのような場所です。そこでは夜な夜な学生が自由に集まり、闊達に日々色々な話をしています。私は、この場所からもっと波を広げたい。松岡様には「デカい穴」にお越し頂き、そこに集まった学生とお話し頂きたいのです。

前置きが長くなりましたが、今回はそうした想いでこうしたメールをお送りいたしました。

往復の交通費、飲食代(料理は無いので中華の出前になります)は当方が負担させていただきます。また謝礼として僅かではございますが金1万5000円をお支払いいたします。その他、もしご要望等ございましたらご遠慮なくお申し付けください。形式は座談会を予定しており、はじめに松岡様に自己紹介と70年代の様子、ご自身の活動歴をお話いただき、その後学生達とお話頂ければ、と思います。時間は開店時間の19時から、長くはありますが23時頃までを予定いたしております。もし終電の都合等で早めに切り上げられたい場合は仰っしゃてください。またご宿泊をご希望の場合は近隣のホテルを手配いたしますのでお申しつけください。

再三とはなりますが、私は心より、強く、松岡様とお話することを望んでおります。そして松岡様と現役の学生が言葉を交わすことには大いなる意義があると、そう確信いたしております。このままではもう本当に大学と、若者文化は終焉を迎えるように思います。我々学生と松岡様との出会いがそうした現状を打破する契機となれば、と願っております。

ご検討いただけますと幸いです。

◇    ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

O・S君からのメールには心打たれたので、その全文そのまま掲載した。なにか胸が熱くなった。私も学生の頃、不躾にも、名のある知識人に突然手紙を書いて講演をお願いしたことが少なからずあった。当時は、多くの知識人が、こうした学生からの依頼には、交通費+薄謝で喜んで応じた時代でもあった。今はどうだろうか?

多くの先生方が応じてくださった。一番印象的だったのは、在野の哲学者・田中吉六先生だった。田中先生は、初期マルクス、とりわけ主体性論の研究で有名で、岩波文庫版のマルクス『経哲草稿』を東大の城塚登教授と訳したり、『主体的唯物論への途』『史的唯物論の成立』などの名著を遺しておられる。学費値上げ阻止闘争や、沖縄、三里塚闘争の後、その闘いの総括作業に呻吟していた過程でそれら2冊の本に出会い感銘を受け講演をお願いしたのである。

田中先生は、東京・清瀬の古びた市営住宅に一人暮らしし、肉体労働をしながら独自の哲学を極められていた。「この人こそ真の知識人だ」と感じた。京都から何度も伺い、ようやく承諾していただいた時の喜びは今でも忘れることはできない。当時の学生会館ホールに多くの学生らが参集してくれた。このことを思い出した。ちなみに残念ながら『主体的唯物論への途』は現在では入手困難だが、『史的唯物論の成立』はなぜかこぶし書房から復刻され購読できる。

それにしてもだ、私がいた時代から50年経ち、リベラルな学風で鳴らした同志社の体たらくは一体何だ! 私たちはこんな大学にするために身を挺して闘ったのではない。詰まるところ、1960年代後半から爆発した学園闘争で提起された大学改革は、この真意が捻じ曲げられ、悪い方向に改悪されたといってもいいだろう。

「産学共同」もそうだ。当時は「産学共同」とは、学問(大学)が産業と「共同」するとはなにごとか、と悪いイメージで批判されたが、今では大学と産業界が「共同」することが当たり前のように語られている。企業が大学に施設を寄付することも多くなった。大学の真の価値は、キャンパスが綺麗だとか施設がいいということではない。今の同志社のキャンパスを歩くと、確かに綺麗だし施設も整っているようだ。だが、違和感がある。かつてのキャンパスの生きた学生臭さといったものは希薄な感がした。

私は知識人などではないが、出版した本を読んで長いメールをくれ、当時の話をしてほしいという。それも同志社の後輩学生だ──嬉しいではないか。「いいですよ、ただし学生諸君から謝礼や交通費をもらうつもりはないよ」と、『大暗黒時代の大学』の著書もある田所敏夫さんと共に8月11日、伺うことにした。

O・S君が開いたお店は、時代を忘れるような雰囲気だった。かつては、こんな店がどこかしこにあったよなあ。「時代遅れの酒場」といった雰囲気だ。夏休みでお盆前ということもあり、それでも10数人が集まってくれた。

O・S君が読んでくれた『遙かなる一九七〇年代‐京都──学生運動解体期の物語と記憶』(現在品切れ)

私たちが『遙かなる一九七〇年代─京都』以来、1年に1冊のペースで出してきた『一九七〇年 端境期の時代』など数冊を送り、事前に読んでおくように伝えておいたが、私の話はこれに沿ったものだ。自覚はなかったが、みずからの体験を中心に2時間近く話したようだ。

私は、「抵抗するということ」について、私が1970年に同志社に入学し、当時の同志社は抵抗、反戦、反権力の空気が満ち溢れ、その砦だった。その同志社で活動したこと、同志社は、60年、70年の二つの安保闘争の中心を担い、その後、私たちの時代になって学費闘争、三里塚闘争、沖縄闘争でも果敢に闘ったことを、体験を交え話した。75年3月に京都を離れ、大阪の小さな会社に勤め、学費闘争の裁判を抱え、御堂筋の四季の移ろいを眺めながら悶々とした日々を過ごしたこと、そうした中で友人と自らの闘いを総括するために『季節』という小冊子を始め、これがのちに出版の世界に入るきっかけになったことなどを話した。

しかし、私が同志社を去って以後の70年代後半、私たちの時代には和気藹々だった同志社も、私が参加していた全学闘(全学闘争委員会)が放逐されたり、私たちの拠点で藤本敏夫さん(故人)もいた寮が深夜に襲われ寮生がリンチされたりして退職直前の寮母さん(故人。学費闘争で逮捕された私の身元引受人。戦前から母子で務め学徒出陣の学生を見送ったりした)を苦しめたり、遂には、その戦闘性で全国的にも有名だった学友会の解散に至った。こうしたことが私を苦しめた。それは同志社のみならず、社会情勢もそうで、混沌の時代に入って行き、私たちの時代の連合赤軍事件、そうして多くの優秀な活動家を死に至らしめた内ゲバなどで学生運動・反戦運動が解体していったことは痛苦に反省すべきだ、と述べ、ひとまず私の話を終えた。

こののち参加者の学生諸君と忌憚のない座談会となった。とても初めて会った者同士とは思えないような和やかな雰囲気だった。気分が乗った私たちは、田所さんが飲み代として1万円、私が中華料理代として1万円をカンパした。当初は、飲食代は学生諸君が負担するということだったが、なんのことはない、私と田所さんがカンパすることになった(苦笑)。そうして真夏の京都の夜はふけていったのである──。

2022年8月11日,京都「デカい穴」で

*お店の名は「デカい穴」で、所在地等は次の通りです。
「デカい穴」
〒603-8225 京都市北区紫野南舟岡町85-2 2階
080-9125-7050 太田さん
webサイト https://kissadekaiana.wixsite.com/-site
位置情報  https://goo.gl/maps/zUXjbqxyyx3ySkr97

田所敏夫著『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社刊。発売中)

筆者の勤務先のひとつの広島市内の老人ホーム(以下、弊社と記します)においては、8月7日に入居者様3名,職員1名の新型コロナウイルス(オミクロン株)感染者が確認されたことを契機にクラスターが発生。入居者様2名が入院、うち救急搬送された方1名など苦境が続いています。

以下に、経過を記します。

8月02日 筆者が弊社でクラスター前最後の勤務。
8月03日~06日 筆者は休暇。広島市内で平和運動。
8月07日 入居者様3名、職員1名の感染者確認。
     筆者は広島市内でれいわ新選組チーム広島の皆様と街宣。
8月08日 入居者様2名、職員4名の感染確認 5名を超え、クラスターに。
     筆者は安芸郡のグループホームに勤務。
8月09日 職員1名の感染確認。入居者様1名が入院。筆者が弊社に7日ぶりの勤務。
8月10日 入居者様2名、職員1名の感染確認。入居者様1名が救急搬送。 
8月11日 入居者様2名、職員1名の感染確認。2階と3階の入居者全員が個室での食事に。
8月12日 入居者様1名の感染確認。

これにより、合計で入居者様10名、職員8人の感染が確認されました。

 

さらに筆者が16日に4日ぶりに弊社に出勤すると以下のことが判明しました。
8月13日 入居者様1名感染確認。
8月15日 入居者様1名感染確認 救急搬送される。
8月16日 入居者様1名感染確認。

弊社の入居者様の4人に1人以上が感染するという状態になりました。職員もこれだけ感染したために、入浴や居室清掃を含むサービスの提供に支障が出ています。

新型コロナウイルスのワクチン接種は全入居者が3回目の接種は終了し、一部は4回目も完了しています。α株やδ株の際に他社様で起きたような状況にはなっていないのが不幸中の幸いです。

ただ、全員が個室で食事ということで、介助が必要な方にはマンツーマンで職員がつかないといけない。さりとて職員も大幅に足りない状況になっている。

◆広島県内医療緊急事態警報

今回の弊社のクラスターは、広島県内での感染爆発が背景にあります。以下は、広島県内の一日当たりの新規感染者数(左)と一週間移動平均(右)です。

8/13(土) 3,252  4635.3
8/12(金) 5,030  4807.3
8/11(木) 6,284  4656.3
8/10(水) 5,372  4380.7
8/09(火) 3,138  4120.3
8/08(月) 3,343  4064.9
8/07(日) 6,028  4045.0 ※弊社クラスター発生
8/06(土) 4,456  3549.6
8/05(金) 3,973  3379.7
8/04(木) 4,355  3218.0
8/03(水) 3,549  3006.4
8/02(火) 2,750  2920.3
8/01(月) 3,204  2843.3
7/31(日) 2,560  2677.6
7/30(土) 3,267  2626.7
7/29(金) 2,841  2496.1
7/28(木) 2,874  2454.1
7/27(水) 2,946  2378.4
7/26(火) 2,211  2158.3
7/25(月) 2,044  1959.0
7/24(日) 2,204  1811.6
7/23(土) 2,353  1685.0
7/22(金) 2,547  1540.4
7/21(木) 2,344  1361.7
7/20(水) 1,405  1208.4
7/19(火)  816  1186.6
7/18(月) 1,012  1185.4
7/17(日) 1,318  1105.9
7/16(土) 1,341  1012.4
7/15(金) 1,296  915.3
7/14(木) 1,271  813.9
7/13(水) 1,252  723.7
7/12(火)  808  639.6
7/11(月)  455  575.4
7/10(日)  664  557.4
7/09(土)  661  523.3
7/08(金)  586  489.9
7/07(木)  640  461.0
7/06(水)  663  434.7
7/05(火)  359  408.6
7/04(月)  329  401.4
7/03(日)  425  385.3
7/02(土)  427  370.4
7/01(金)  384  356.9
6/30(木)  456  345.4
6/29(水)  480  328.7
6/28(火)  309  317.9
6/27(月)  216  313.1
6/26(日)  321  313.4
6/25(土)  332  315.7
6/24(金)  304  316.4
6/23(木)  339  329.6
6/22(水)  404  335.6
6/21(火)  276  338.0
6/20(月)  218  343.1
6/19(日)  337  350.9
6/18(土)  337  358.3
6/17(金)  396  372.7
6/16(木)  381  384.0
6/15(水)  421  408.6
6/14(火)  312  431.0
6/13(月)  272  436.6
6/12(日)  389  446.4
6/11(土)  438  453.7
6/10(金)  475  460.1
6/09(木)  553  474.3
6/08(水)  578  482.9
6/07(火)  351  488.1
6/06(月)  341  503.0
6/05(日)  440  513.7
6/04(土)  483  539.3
6/03(金)  574  581.7
6/02(木)  613  622.9
6/01(水)  615  701.4

新規感染者数は6月までは第6波の余波が残っていました。それが6月の下旬へ向けて下がっていったのですが、6月27日の移動平均313.1を底に上昇へ転じたのです。15日後の7月12日に底のときの倍を超える639.6に。その9日後の7月21日に底のときの4倍を超える1361.7に。9日後の30日に8倍を超える2626.7と加速度的に増えてしまいました。ただし、8月13日、久しぶりに移動平均が下降に転じています。

お盆による移動の効果などが出てくるのはこれからです。さらに、医療体制の逼迫のピークは感染者の増大に遅れること2週間から一か月程度でやってきます。油断は禁物です。検査のために病院へ行くとこれはまた医療体制逼迫に拍車をかけてしまいますので無症状の方で心配な人は、広島駅新幹線口や県庁前などに検査所がありますのでそちらを利用するように、と県では呼びかけています。

また、8月4日以降は、広島県保健所(広島市、呉市、福山市以外の方を管轄)からの電話連絡は、65歳以上の方、65歳未満で重症化リスクのある方、妊娠している方のみに連絡となっています。それ以外の方には順次SMS(ショートメッセージ)で連絡。SMSの案内どおりに対応してもらうことになります。

筆者が住んでいる広島市でも同様です。広島市の場合は65歳以上、40歳以上65歳未満で重症化リスクが複数ある方、妊娠している方、保健所が必要と判断した方のみ電話連絡で他はSMSで連絡です。https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/korona/291440.html

症状のある方は症状が出て10日以上かつ症状がなくなって72時間以上たった方から、無症状の方は検体採取から7日以上たってから療養解除です。弊社の入居者、職員についても広島市と同様の対応です。

こうした中、広島県知事の湯崎英彦さんは8月12日、医療緊急事態警報を出しました。病床使用率が6割を超え、県内の医療従事者400人以上が感染や濃厚接触者となり出勤できなくなっています。このことを背景に県は病床数を140増やして922とします。実際に、7日に感染が確認され、頻繁な通院の必要がある基礎疾患がある弊社の入居者様の一人も、すぐに入院とはならず、9日に入院先がようやく決まるありさまでした。6割というのは県全体の平均であり、地域や基礎疾患の種類によってはこのように、入院がすぐに決まらない方も出るということです。

◆行動制限なきお盆 観光客増加と従業員感染でホテルは「てんやわんや」

今年は、ご承知の通り、8月13日現在では行動制限のないお盆です。広島市内のホテルも宿泊者で満杯、ということです。広島市内の有名なチェーンに属するホテルの従業員によると、「『田舎なら東京と違って外でマスクをしないで済むだろう。』と考えて、地方に来られる方が多い。別に帰省でなくてもそういうことで来られる方は、今年は中国地方のホテルでは非常に多い。」とのことです。

他方で、「従業員に感染者が増えている。宿泊客が多いのに感染者が多く、てんやわんやだ。」とのことです。

たしかに、行動制限の解除は、ホテル業界にとっては追い風です。広島市内でも、コロナ災害発生後、多くのホテルが閉鎖されています。そうした中ではたしかに、解除はありがたいことではある。だが、行動制限の解除は感染者も増やす。そこにジレンマがあります。

地元選出の代議士である岸田総理。広島が地元だからといって優遇しろとは申し上げないし、それはそれで問題です。だが、地元でも起きている混乱をよそに、あまりにも動きが鈍いのではないでしょうか?行動制限をしないなら、それで生じる「被害」についてきちんと対応をいただきたい。医療・介護保育現場はじめエッセンシャルワーカーへの危険手当も含めて早急な対応をお願いしたい。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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旧統一教会問題と安倍晋三暗殺 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年9月号

『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

「そもそも作田医師が『犯人』を特定した診断書を交付しなければ、こんなことにはならかったのではありませんか」

8月3日、横浜地裁。オンラインで開かれた「弁論準備」で、原告の藤井敦子さんが意見を述べた。設置されたスクリーンは、被告の代理人弁護士2名を映し出している。山田義雄弁護士と片山律弁護士である。

藤井さんが名指しにした作田医師とは、日本禁煙学会の作田学理事長のことである。事件の引き金となった診断書を交付した人物である。禁煙学と称する分野の権威でもある。

◆事件の概要

横浜副流煙事件は、2016年にさかのぼる。青葉区のマンモス団地に住む藤井将登・敦子夫妻に対して、同じマンションの上階に住むA家(夫妻と娘)が、副流煙による健康被害を訴えた。藤井家の煙草で、「受動喫煙症」などに罹患(りかん)したというのだった。

藤井将登さんは喫煙者だったが、ミュージシャンという職業柄、外出が多く、自宅で喫煙する時も「音楽室」で日に2、3本吸う程度だった。音楽室は防音構造になっているので、煙は外部へはもれない。

1階の藤井家の「音楽室」と2階のA家の位置関係を示している

それでも将登さんは、念のために煙草を控えた。が、それにもかかわらずA家は、依然として将登さんの煙で迷惑を受けていると言い続けた。後には、副流煙で娘が寝たきりになったとまで主張した。深刻な隣人トラブルに発展したのである。団地の住民たちにも両家の係争は知れ渡った。

そしてA家は、2017年11月、藤井将登さんに対して約4500万円の金銭支払いと、自宅での禁煙を求めて裁判を起こしたのである。この提訴の有力な根拠となったのが、作田医師が交付したA家3人の診断書だった。

しかし、裁判の中で藤井将登さんは、作田医師が作成した3通の診断書にグレーゾーンがあることを指摘した。とりわけ娘の診断書には、重大な汚点があった。作田医師は、娘を診察せずに診断書を交付していたのである。娘とは面識さえもなかった。見ず知らずの患者を診察せずに診断書を交付したのだ。このような医療行為は、医師法20条で禁止されている。

さらに作田医師は、A家の妻の診断書の中で、副流煙の発生源を「ミュージシャン」であると事実摘示した。藤井将登さんが、原因でA家の3人が「受動喫煙症」になったと断言したのである。

しかし、横浜地裁は2019年11月にA家の訴えを棄却した。判決の中で、横浜地裁は作田医師による医師法20条違反を認定した。その後、判決は東京高裁で確定して、裁判は終わった。この時点から藤井さん夫妻は、反転攻勢に転じる。不当な裁判を起こされて、「ごめんなさい」だけで済ませる気はなかった。結果的に、「目には目を、歯には歯を」(バビロニアのハムラビ法典)ということになった。

◆「反スラップ」裁判の争点

藤井さん夫妻は、まず作田医師を神奈川県警青葉警察署に刑事告発した。容疑は虚偽診断書行使罪である。

■告発状 http://www.kokusyo.jp/wp-content/uploads/2021/05/yokohama210528.pdf

 

横浜副流煙事件を記録した『禁煙ファシズム』(黒薮哲哉著、鹿砦社)

面識もなければ、診察もしていないA家の娘の診断書を交付したのは、違法行為だった。青葉警察署は作田医師を取り調べ、横浜地検へ書類送検した。横浜地検は作田医師を不起訴処分としたが、藤井さんらは検察審査会に不服を申し立てた。検察審査会は、「不起訴不当」の議決を下し、処分は横浜地検へ差し戻した。しかし、横浜地検は、再び不起訴処分を下した。同時に事件は時効となって終わった。

その後、今年の3月に藤井さん夫妻は、A家に対して損害賠償裁判を起こした。不当裁判に対する「反訴」である。俗にいう「反スラップ」訴訟である。藤井夫妻は、前訴提起の根拠となった診断書を作成した作田医師も被告に加えた。

請求額は4人の被告に対して、総計で約1000万円である。

これまで横浜地裁で1度の口頭弁論と2度の弁論準備が行われた。現時点での争点は次の3点である。

(1)被告A家らによる訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に当たるか。

(2)被告作田は本件診断書①及び②を作成するなどして、被告A家らによる違法な訴えの提起をほう助したといえるか

(3)仮に被告A家らによる訴えの提起が不法行為とならない場合であっても、被告作田の上記②の行為が不法行為となるか

今後、これらの争点を中心に審理が進む。

◆作田医師の診断書の何が問題なのか

原告の藤井敦子さんが最も問題にしているのは、繰り返しになるが、作田医師が交付した3通の診断書である。

事実、作田医師が作成した診断書の記述は、事実的根拠に乏しい。とりわけ娘の診断書は、本人を診察することなく交付している。たとえば次に引用するのは、A家の妻の診断書である。

【引用】1年前から団地の1階にミュージシャンが家にいてデンマーク産のコルトとインドネシアのガラムなど甘く強い香りのタバコを四六時中吸うようになり、徐々にタバコの煙に過敏になっていった。煙を感じるたびに喉に低温やけどのようなひりひりする感じが出始めた。このためマスクを外せなくなった。体調も悪くなり、体重が減少している。そのうちに、香水などの香りがすると同様の症状がおきるようになった。
 これは化学物質過敏症が発症し、徐々に悪化している状況であり、深刻な事態である。

A家よりも、むしろ作田医師の方が責任が重いというのが、藤井敦子さんの見解である。作田医師が根拠に乏しい診断書を交付しなければ、A家が提訴に至ることはなかった可能性が高いからだ。逆説的に言えばA家は、禁煙学の権威である作田医師のお墨付きを得たからこそ、裁判を提起することが可能になったのである。

作田医師が交付した3人の診断書には、次のような考察点がある。裁判の中で検討しなければならないことである。

[1]診断書の中で副流煙の発生源を藤井将登さんであると摘示をしている事実。作田医師は、事件の現場に足を運ぶことなく、「犯人」を特定したのである。診断書の作成プロセスそのものに問題がある。裁量権の域を逸脱している。

[2]診断書の中に「受動喫煙症」という自作の病名が付されている事実。意外に知られていないが、受動喫煙症という病名は、疾病の国際分類であるICD-10には含まれていない。従って公式には、そのような病気は存在しない。保険請求の対象にもなっていない。

[3]作田医師が、A家の娘を診察することなく、診断書を交付した事実。これは医師法20条に違反する。作田氏は、娘とは面識すらなかった。

[4]娘の診断書が交付された翌日に、藤井宅に山田義雄弁護士からの内容証明が
届き、その中で裁判の提訴をほのめかしている事実。娘の診断書交付から、藤井宅に内容証明が届くまで約24時間しかなく、「犯人」を特定した診断書の交付をまって山田弁護士が動いた公算が高い。

[5]日本禁煙学会が、副流煙による被害者に対して、訴訟を提起するように、ウエブサイトを通じて奨励してきた事実。A家が提訴に至るまでのプロセスは、日本禁煙学会のガイドラインどおりになっている。その禁煙学会の最高責任者が作田医師である。

[6]3通の診断書のうち、少なくとも娘のものは、「架空診察」の直後に交付されており、当時、作田医師が勤務していた日本赤十字医療センターの診断書交付窓口を通じて交付されたものではない事実。

一般論からすれば、医師にはみずからの裁量により自由に診断書を書くことが認められている。しかし、それは事実的根拠があることが大前提である。診断書の中で警察のように「犯人」を特定したり、患者を診察することなく所見を記すことは論外だ。「犯人」にされ、金銭請求を受けた藤井将登さんにとっては、耐えがたい屈辱である。

◎原告準備書面 http://www.kokusyo.jp/wp-content/uploads/2022/08/220813y.pdf

※前訴までの詳細については、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)に記録している。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉の最新刊『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

旧統一教会問題と安倍晋三暗殺 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年9月号

今年は戦後77年である。

領土拡張をめざすロシアおよび中国という、21世紀の帝国主義が世界大戦の危機をもたらしている今。そして、帝国主義間戦争の危機に否応なく巻き込まれる日本の歴史的な立場を考えるうえで、15年戦争と戦後の歩みを振り返るのは、現在のわれわれを認識することとなる。

歴史を振り返ることは、現在がけっして素晴らしいわけではなく、古代や中世、あるいは近現代の一時期に「人類の理念」や「国民の理想」があった可能性をさぐることにほかならない。平和への希求や戦争の恐怖、苛烈な政治抗争と経済発展の展望、いっぽうで政治的危機や国民生活の衰退もふくめて、われわれの77年は平たんではなかった。

今回はとくに編集部の要望もあり、戦後77年を機にわれわれ自身の歩みを捉え返していこう。一般的な素描では面白くないので、戦争と革命という20世紀的な、しかし21世紀に持ち越してしまったテーマに即して解説したい。

【目次】
第1回 1945~50年代 戦後革命の時代
第2回 1960~70年代 価値観の転換
第3回 1980年代 ポストモダンと新自由主義
第4回 1990年代 失われた世代

◆15年戦争とは何だったのか?

1931年の満州事変から太平洋戦争の敗北までを、15年戦争という。

中国における一連の戦争行為を「事変」と呼称しているが、パリ不戦条約および国際連盟規約(11~15条)において、戦争が犯罪とされたからである。現在のロシアがウクライナ侵略を「特別軍事行動」と呼んでいるのと同じだ。後発帝国主義としての大日本帝国が、中国・東アジアにおける権益(市場進出と植民)をめぐって、先発帝国主義諸国(英米仏蘭)と衝突したのがこの15年戦争の基本性格である。日本とドイツは国内外において、後発帝国主義の狂暴さを体現した。

レーニンが『帝国主義論』において明らかにしてきた、生産の集積と独占・金融寡頭制・資本輸出と市場分割・領土分割。この帝国主義の不均等発展による、後発帝国主義の侵略戦争である。まさに第二次世界大戦をふくむ大日本帝国の戦争は、これを体現するものだった。

現在のロシア帝国主義、中国帝国主義が後発ゆえに、米帝一元支配への市場再分割・領土分割戦争に乗り出しているのと、時代は77年以上をへて重なりつつある。歴史はくり返されるのだ。

しかし帝国主義戦争が植民地争奪戦・領土分割線であるところ、15年戦争は植民地従属国の独立・解放戦争でもあった。中国は抗日戦争をつうじて共産党が戦争の主導権をにぎり、最終的に植民地から脱するとともに社会主義革命を実現した。日本の傀儡政権だったとはいえ、ビルマ国の独立、フィリピン第二共和国が太平洋戦争の過程で成立し、半植民地・抗日運動の中からアジア諸国の独立運動(インド・インドシナ諸国)が高揚したのだ。

日本においても、戦争の帰趨は社会主義革命の契機と考えられてきた(31テーゼ)。それゆえに共産主義者においては、太平洋戦争の終結と米軍の進駐は「日本革命のための解放軍」と考えられたのである。


◎[参考動画]昭和天皇 戦争終結 「これ以上戦争を続けることは非常に……」と米記者に

◆GHQ政策と戦後革命

1945年10月、GHQのマッカーサーは幣原内閣に口頭で5つの改革を指示した。秘密警察の廃止・労働組合の奨励・婦人解放・学校教育の自由化・経済の民主化である。具体的には戦争協力者の公職追放や財閥解体、農地改革(大規模地主の解体)をふくむ、徹底的な改革だった。上からの、外部からの革命と言っていいだろう。

司馬遼太郎は「明治維新は徹底的な革命であった」とするが、これは藩閥政治(徳川幕府の解体)に対する過大評価である。明治維新は武士階級の解体のいっぽうで貴族階級を温存し、薩長の軍閥政権が徳川政権に取って代わったにすぎなかった。大規模地主と小作農民の階級分化、財閥という大資本の登場、天皇制権力の強権化は士農工商という古代身分制を歴史的に復古させ、部落差別などの身分差別を顕在化させたのである。そして大陸進出と侵略戦争……。

GHQの基本政策が軍国主義の解体であったから、当初は「日本の民主化」「進歩的なアメリカ化」として、日本社会を激変させた。

とりわけ民主化に沸き立つ国民の進歩的な層の中に、社会主義革命への憧れをもたらした。実際にアメリカの対日政策(極東委員会)はルーズベルトいらいのニューディーラーが多数派であって、軍備と戦争放棄の平和憲法に反映されていく。


◎[参考動画]昭和ニュース GHQ マッカーサー来日(1945年)

◆ターニングポイントとなった2.1スト

上に挙げたGHQの労働組合結成の奨励もあって、日本の労働組合参加組員は民間70万人、官公労260万人になっていた。戦前が42万人(戦争の勃発で活動禁止)だから、飛躍的な伸長であることがわかる。

これら労働組合の伸長は、保守派にとっては政治危機を感じさせるものだった。47年の年初、吉田茂総理は年頭の辞で労働組合運動を批判して言う。

政争の目的の為に徒に経済危機を絶叫し、ただに社会不安を増進せしめ、生産を阻害せんとするのみならず、経済再建のために挙国一致を破らんとするが如き者あるにおいては、私は我が国民の愛国心に訴えて、彼等の行動を排撃せざるを得ない。

各労働組合はこの年頭の辞に一斉に反発した。1月9日には全官公庁労組拡大共同闘争委員会が賃上げ要求のゼネラル・ストライキ実施を決定した。1月11日に4万人が皇居前広場前広場で大会を開き、国鉄の伊井弥四郎共闘委員長が全官公庁のゼネスト実施を宣言する。1月15日には全国労働組合共同闘争委員会が結成され、1月18日には、要求受け入れの期限は2月1日として、要求(現行賃金556円→1200円へ)を受け容れない場合はゼネストに入ると政府に通告した。

実行された場合は、鉄道、電信、電話、郵便、学校が全て停止されることになり、吉田政権がダメージを受けることは確実である。ゼネストのスローガンにも「吉田政権打倒」が明記された。やむなく吉田茂は社会党右派の政権取り込みを策したが、社会党左派の反対で連立構想はとん挫する。ここに社共と吉田政権(自由党)の政治決戦を内包したゼネストが実行段階に入ったのだ。

ところが、横槍を入れたのは労働組合運動を庇護してきたはずのGHQだった。すでにソ連との冷戦を察知していたアメリカは、日本においてソ連の第五列が発生するのを怖れたのである。

ゼネストが強行された場合に備え、アメリカの第8軍は警戒態勢に入った。午後4時、マッカーサーは「衰弱した現在の日本では、ゼネストは公共の福祉に反するものだから、これを許さない」としてゼネストの中止を指令した。

伊井委員長はGHQに強制的に連行され、NHKラジオのマイクに向かってスト中止の放送を要求された。午後9時15分に伊井は、ゼネストを中止することを涙ながらに発表したのだった。GHQ改革を梃子にした戦後革命の第一段階は、こうして終焉した。

◆朝鮮戦争と武装共産党

1950年6月25日、朝鮮半島で大規模な軍事衝突が起きる。

朝鮮戦争の勃発である。日本はアメリカ軍の前進基地となり、デモと集会は全面的禁止となり、アメリカ占領軍の政策への批判や反対は「占領政策違反」の名で弾圧される。またたくまにレッド・パージが吹き荒れた。

これに先立つ6月6日、日本共産党の国会議員を含む全中央委員24人の公職追放指令が出されている。共産党はこの年の1月にコミンフォルム指令によって武装路線に転じていたのである。51年2月の四全協、10月の五全協において、共産党は日本における革命が平和的な手段ではなく、農村部でのゲリラ戦闘に依拠したものであると確認する。

いうまでもなく、これは毛沢東の農村根拠地論をもとにした都市の包囲戦略だった。「山村工作隊」や「中核自衛隊」などの非公然組織が作られ、学生が農村に派遣された。富農を打倒し、貧農や小作農を支援・組織するというものだった。だが、戦後の食糧難がつづく日本において、農村は国民のなかでは比較的豊かだった。共産党系学生の的外れの山村工作は、いきおい農民たちの反発を買うことになるのだ。

共産党の工作は、山村や農村だけではない。都市においては交番焼き討ちなどの武装闘争が行なわれ、警察権力への直接の軍事行動が取り組まれた。北朝鮮軍の勝利によって、やがて朝鮮半島から大量の難民がやってくると想定された。この機をとらえて、日本でも革命情勢をつくり出す。事実、韓国および済州島においては、反共内乱が起きて日本に密航する人々が続出していた。大阪の朝鮮人部落の大半は、この時期に形成されたという。

とくに九州では雪だるま闘争という戦術が採られ、国鉄の操車場に労働者を終結させた。列車が各拠点で労働者を搭載し、町から町へお祭り騒ぎのように労働者を結集させる。

そのいっぽうで、警察や謀略組織(GHQが組織したとされる)によって、三鷹事件や下山事件などの反共謀略事件が続出した。共産党はアメリカによる直接の弾圧に晒されたのである。海の向こうアメリカでも、反共のマッカーシー旋風が吹き荒れていた。2.1ストの中止指令、反共謀略事件と、戦後の日本がアメリカの支配下にあったことを明確に知らないわけにはいかない。それは現在も変っていない。戦後77年とは、米帝支配の77年でもあるのだ。

猛烈な弾圧に遭遇した日本共産党は1955年1月1日、武装闘争が「極左冒険主義」だったとして自己批判を行い、同年7月の六全協で武装闘争路線を否定した。

党の方針に従い、学業を捨て山村工作隊に参加した学生たちは、六全協の方針転換に深い絶望を味わった。この時代の若者たちの感覚は、柴田翔の小説『されどわれらが日々』に表現された。


◎[参考動画]【TBSスパークル】1949年7月5日 下山事件起こる(昭和24年)

◆自衛隊 ── 警察予備隊の創設

朝鮮戦争はまた、日本の再軍備をうながす契機となった。アメリカの要望による、警察予備隊(のちの自衛隊)の発足である。アメリカによる民主化からアメリカ主導の再軍備へと、時代は反転する。

ここに「逆コース」という右傾化批判が生まれ、進歩と反動の相克という戦後民主主義の基本構造が明確になってくるのだ。

いっぽうで、経済は朝鮮戦争特需でおおいに潤った。戦争による焼け太り、急速な戦後復興が果たされていくのだ。

この復興と逆コースの中、日本共産党の体制内化の対極に、新たな批判勢力が生まれてくる。戦後民主主義の擬制的な幻想のなかで、若い世代の革命への熱情は抑えがたく結晶する。60年安保という、時代を画する政治闘争の時代である。(つづく)


◎[参考動画]警察予備隊創設

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

旧統一教会問題と安倍晋三暗殺 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年9月号

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1945年8月15日に大日本帝国は、天皇ヒロヒトがあらかじめ録音しておいた「玉音放送」をNHKラジオを通じて放送し、国民に敗戦を伝達した。連合国との戦争に無条件降伏したのだから、あの戦争は「負け」であった。第二次大戦における日本の敗戦、それにとどまらず15年戦争の総体が敗戦に帰結したのは歴史的に確定した事実である。

勿論わたしも日本の敗戦にはこれまで全く疑義を持ったことはなかった。戦前と戦後が隔絶せず、不謹慎な地下水脈で繋がっている構造への不信感は持っていたにせよ(あるいは敗戦処理を自国民の手では充分になしえなかったのではないかとの疑義も)、日本の敗戦を疑ることはなかった。史実的にはわたしがどのように感じようと日本の敗戦は確固としたものであって、どんな材料を持ってきたところで「日本の敗戦」を疑う視点は、焦点のずれた議論だ。


◎[参考動画]宮内庁:玉音放送の原盤を初公表(毎日新聞)

それを承知の上で、あえてごく最近ではあるが頭に浮かんだ想念がある。

あの戦争で日本は負けた。これは間違いない。しかし、形式上の負けの陰に隠れて、「戦前日本(大日本帝国)が死守したかったもの」の確保が、実のところ果たされているのではないか。つまり「敗戦」との言葉の陰には「実体的には不変」である秘匿すべき本質の保持。なにを差し置いても、どれだけの被害が出ようとも、死守したかった唯一最大の精神的幻想はいまも戦前同様に生きつづけているのではないか、と感じる事件が起きたからだ。

今次わたしを再びこの問題に立ち返らせたのは、他でもない7月8日に安倍元首相が殺された、その日の午後からであった。あの事件がきっかけになり、わたしの想念は元首相が殺されたことよりも「戦前日本(大日本帝国)が死守したかった何ものか」へと思考が傾注した。

事件は参議院選挙中であったこともあり、各政党は次々に「民主主義に対する卑劣な攻撃で、絶対に許すことができない」旨のコメントを発信し、選挙活動を1日停止した。驚いたことにネットニュースでチェックしていたら、地上波各局のアナウンサーは黒いネクタイや、あからさまな喪服を着て同じ内容を繰り返し放送していた。

「民主主義に対する卑劣な攻撃で、絶対に許すことができない」最初の違和感はこのコメントだ。わたしは第一報をラジオで聞いた。現場の様子の録音だ。安倍元首相の演説が始まって間もなく、火薬の爆破音が聞こえ、二回目の爆破音が明瞭に聞こえた。素人のわたしにその音だけで判断できたことは、使用された武器は一般の拳銃やライフルではないことだ。拳銃やライフル(自動小銃)はあのような爆音はしない。むしろ文字にすれば「パン」あるいは「タタタ」という感じの軽い音がするものだ。だからアナウンサーが「銃で撃たれた」と伝えていたので、武器は水道管かなにかを利用して作ったものだとすぐにわかった。そしてそうであれば、組織的な犯行ではなく、完全に個人的な犯行である可能性が高い。いまの日本で組織的に政治目的を保持しながら、独自の銃器や爆弾の作成を実行している団体があると、わたしには思えなかったからだ。つまり政治的な文脈ではなく「個」と「個にかかわる国家的なもの」の観点をクローズアップせざるを得なくなるのではないか、と直感した。

わたしの直感通り犯行実行者に、政治的な目的がなかったことは数日で判明した。背景に未だ知られていない力学がある、との説も残ってはいるが、統一教会の存在が事件に大きくかかわっていることがはっきりした。

ここでわたしの想念が行きつ戻りつしはじめたのだ。安倍元首相が統一教会と懇意であることは、従前から前から知っていた。それに加え安倍元首相が敬愛してやまない祖父である岸信介が日本に統一教会を招き入れた、実質上の最大功労者であることも承知していた。安倍元首相は岸信介のすべてに心酔していた。小学生時代に当時家庭教師をしていた現衆議院議員の平沢勝栄に東大闘争の様子を見せられれたとき、安倍元首相は「おじいちゃんは悪くない!」と憤激したエピソードを平沢から聞いたことがある。祖父と孫の間睦まじい関係はいいだろう。ただ「おじいちゃん」はいかにも不思議な人物である。

岸信介は大戦中に商工大臣の地位にあり、戦後東京裁判でA級戦犯と認定された。ところが3年半の勾留のあと岸は不起訴で保釈されている。A級戦犯で有罪が下った14名のうち7名は死刑が執行され、残りの7名も終身禁固や有期禁固刑が言い渡されている。死刑を免れたA級戦犯のほとんどは1952年全国的に展開された「戦犯保釈運動」などの影響で出獄しているのではあるが、岸が起訴すらされなかった理由は(あれこれ解説は散見するが)わたしには判然としない。

そして、公職追放されたにもかかわらず岸は周知のとおり、総理大臣の地位にまで上り詰め、戦争中は内閣の一員として対峙していた、米国と日米安保条約を締結する。「鬼畜米英」が終戦から15年もせずに「軍事同盟」を結ぶに至るメンタリティーを、まずわたしは理解できない。もっとも岸個人ではなく、自民党の議員も同様の行動をしたのだから、「日本人って不思議な精神性をしているなぁ」といったところだ。

岸は米国とは安保を締結し、韓半島からは文鮮明を招き入れていたのだ。統一教会の教義は日本を韓国に貢がせる国としていて、本来日本の保守政治家には親和性のない教義だと思われるかもしれないが、文鮮明はたくさんの土産を岸に用意したのだろうし、岸だって相手が誰であれ「利用できるものは利用する」人間であるから、利害が共有できたのだろう。

だからといって、岸個人や自民党に多少都合がよくても、日本国民や日本外交(国益)に統一教会が利益をもたらしたのかといえば、回答は7月8日に出た通りである。多くの人が最近になって安倍元首相の死を「身から出た錆」、「自業自得」と表現している。そう表したい気持ちもわからなくはないが、その奥に緞帳のように広がる、さらなる暗黒が見落とされてはいないだろうか。

手がかりを示してくれるのは岸信介だ。彼はどうしてあれほど熱心に満州国建国に尽力したのか。どうして東京裁判で起訴されなかったのか、なぜ米国との軍事同盟を自身の総理の座と引き換えにも優先したのか、そして文鮮明(=統一教会)をはじめとする、主張においてまったく相容れない団体とも深い関係を築いたのか。岸は何を得ようとしなにを守ろうとしていたのか。岸の行動は「戦前日本(大日本帝国)が死守したかった何ものか」を象徴的に体現したと考えられないだろうか。

安倍元首相が「戦前日本(大日本帝国)が死守したかった何ものか」のために殉じたい、と考えたことはあっただろうか。彼は常々支離滅裂な愛国論を語り、軍拡にも熱心であったが、敬愛する祖父のまいた種が皮肉にもみずからの命を奪うことをあらかじめ知っていたら、統一教会との関係を従来通り続けただろうか。

安倍元首相殺害は大きなニュースではあるが、統一教会を整理すれば問題は片付くだろう。しかし岸信介までさかのぼってその精神性の問題まで掘りあかされることを政府は望んでいない。被疑者を4か月もの長期間精神鑑定すると決定したのは、これ以上被疑者の口から吐かれる言葉を封じるためであり、国葬を手早く決めたのも安倍元首相の称揚のためというより、この事件が触れるかもしれない更なるやっかいな「戦前日本(大日本帝国)が死守したかった何ものか」の問題には、絶対に議論を向けたくなかったのが岸田総理の本音ではないか。その証拠に総理大臣就任時あれほど声高だった「憲法改正」が今次内閣発足の際には一切言及されることはなかったではないか。

終戦記念日の8月15日、形式上の敗戦に隠れて戦後から生き残った「戦前日本(大日本帝国)が死守したかった何ものか」は決して弱体化しておらず、むしろその総体がもとよりさらに厄介な代物に変容しているのではないだろうか。

今次にあっては理性的、合理的な判断分析はことごとく無化され放逐される。わたしたちに流布されるニュースやコメントの大半は、したがってほとんどが非本質的である。本文中「戦前日本(大日本帝国)が死守したかった何ものか」との表現で、わたしが示唆した概念は、おそらく多数の読者には了解していただけるであろう。

龍一郎・揮毫

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

旧統一教会問題と安倍晋三暗殺 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年9月号

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◆時間との闘い

両選手がリングに入場した時点で、「勝ち負けはどちらでもいい、ここまで漕ぎ着けられてよかった」と安堵したことが、私(堀田)はお手伝い程度ながら一度だけありますが、マッチメイカーは大変なお仕事と感じた次第です。

現在、キックボクシングの通常興行では、だいたい10試合前後の試合数があります。ラウンド数短縮の影響で、過去には15試合を超える興行もありました。

当然、看板メインカードはかなり前もって広く告知し集客に繋げられます。しかし注目され難いアンダーカードのマッチメイクにおいては、興行日が迫ってくる中でとても神経を擦り減らす仕事と言えるようです。

NJKF拳之会(2022年5月15日開催)。マッチメイクからの過程がポスターに表れている (4月7日時点の発表)

◆試合が組めない!

20年ほど前、プロボクシング興行の開場前の静かな客席後方で、プロモーター関係者と見られる人物の電話をしている声が聞こえたことがありました。

「○○級の選手でオーソドックスの2戦1勝1敗なんですけど、誰か相手居ませんかね?」といった声。実際はもっと綿密なやり取りで、4回戦の出場選手を探している様子でしたが、「こんな地道な交渉しているんだなあ」といった印象でした。

キックボクシング既存の団体(協会・連盟等)主催でのマッチメイクは、日程が組まれている興行に事務局から各ジム会長に打診し、出場させたい選手をエントリーして貰い、その中から戦績や過去の対戦経験の有無等を見ながら対戦相手を決めていくのでしょう。

K-1出現前の1992年以前までは、選手層が厚いプロボクシングや、キックボクシング昭和のテレビ放映全盛時代と比べ、選手数が圧倒的に少ない時代。更に団体分裂していた上、交流は無く、「自分から攻めないカウンター狙い同士は客受けしないから避けろ!」という上層部の厳しい指令もあっては、一つの団体内だけでは試合が組み難くかったようです。

当時はランカー以上の5回戦と新人3回戦という境界線がはっきりしていた時代。その3回戦のマッチメイクにおいては、通常は同じぐらいの戦績同士で組まれます。デビュー戦同士とか、「1戦1敗vsデビュー戦」はよくあるパターンでしょう。

No Kick No Life 橋本悟vs勝次(2022年5月28日開催)。RIKIX小野寺力会長が導いた橋本悟と勝次の運命

プロボクシングには段階的にC級からA級まで明確に決まっていますが、当時のキックボクシング界は力の差があると分かっていても試合数を埋める為に、無理なマッチメイクもあった様子。同階級に対戦相手が居ない場合も、一階級差がある選手での契約ウェイトで両者の合意を得る場合があり、このウェイト承諾の返事待ちに日数が迫っているのに待たされるのが毎度のこと。昔は携帯電話は無く、固定電話を持たないアパート一人暮らしの選手が、暫くジムに来ないと連絡が全く取れない状態で、後輩のアパートに出向いた先輩が「オイお前、次の試合決まってるぞ、練習来ないと駄目じゃないか!」なんて言われて慌てる選手も居たものです。

当然ながら交渉を直接選手にはしてはならず、ジム会長(兼マネージャー)に交渉し、会長から選手に話が行く手順は当然の流れになります。

何とか予定試合数の契約ウェイトの了承を得た時点で、ようやく計量通知の郵送に漕ぎつけます。これらのことが興行ごとに繰り返されたという当時のスタッフの苦悩でした。

選手から見れば、「試合決まる時って会長から次の興行、○○と決まったから」と聞かされ、希望の対戦相手、ウェイトなどは言う余地も無かったと古い選手は言うも、計量通知を受け取った時点で召集令状のような「いよいよだな!」と一層気合が入るようでした。

第12代NKBウェルター級チャンピオン竹村哲氏は現在興行部長として奮闘中(2015年12月12日竹村氏引退の日)

◆マッチメイカーになりたい

「マッチメイカーに成りたいんですけど、どうすれば成れますか? 〇〇選手の夢のカードを実現させたいんです!」と、現在はこんな無鉄砲な考えを持った奴が居るのかと絶句するような高校生ぐらいの若者も現れるという。

過去において、ネームバリューあるトップ選手同士は何かと対戦が難しい柵の中にあり、夢の対決には実現に至らないカードは多かったでしょう。

「マッチメイクだけが仕事ではなく、どこかで欠員が出たからと募集される仕事でもないし、興行スタッフのお手伝いから始めた方がいいよ」と忠告しても、そう長続きしない者が多いという。

マッチメイカーの仕事は他にもポスター造り、パンフレット造り、チケット手配等は業者へ丸投げの依頼は楽でも経費削減の為、自分達で行なうことが多いようです。

定期興行が充実した頃は、パンフレット刷り上がりが興行前日になるということも頻繁だった様子。全てはマッチメイクがなかなか決まらないところからくる要因で、出場選手の写真、戦績経歴を正確に記載の為、ギリギリになってしまうのも仕方無いところでしょう。

1995年以降、更なる乱立とフリーのジムとプロモーターが徐々に増加する時代に移り、カードマンネリ化の悪循環を避ける為、好カード実現へ交流戦を持ちかけた新たな時代のマッチメイカー。電話で各団体代表にアポイントをとって訪問し、企画説明に向かう緊張感は特攻精神。

「何しに来たんだお前、そんなこと出来ると思ってんのか?」と説教されることもあったという営業活動。交渉に使う切り札、選手を借りたらお返ししなければならない義理、交渉が上手く進まない場合、「このイベントにウチの選手を出そう」と思わせるような良い条件を出さねばならない。賞金トーナメントや好条件のファイトマネー、有力なスポンサーを紹介する手段など、裏技いっぱい持っていないとマッチメイカーは務まらないという。とても高校卒業程度の若者に務まる話ではないでしょう。

◆契約の徹底

プロボクシングではマッチメイカーが選手のマネージャーとの間に試合契約書を交わす工程が生じますが、キックボクシングでは昔から曖昧な部分は多かったでしょう。特に地方興行など、計量オーバーしていても強引に試合を行なったり、当日になって対戦相手変更などはタイでもよくある話が、日本でもマイナー団体では実際に起きたことで、契約書が無ければ「言った、言わない」の揉め事は日常茶飯事だった様子。

現在では団体・興行毎にルールが多様でも、過去の悪しき習慣を知るマッチメイカーは、団体間、フリー関係との交渉では、ジム会長と出場選手のサインが必要となる諸々のルールと条件を記載した契約書を簡易書留で送り、内容承諾すればサインして送り返して貰うという、当然と言えば当然の手順で進めるプロモーションが多くなっています。

タイや欧米から選手を要請する場合も多くの困難が待ち受けます。タイ語や英語が万能で、現地仲介者といった環境も整えておくことも必要です。裏方も若い世代に移った現在、堅実なマッチメイクも業界を底上げの一端として頑張っていかれることでしょう。

(このテーマはマッチメイク経験者数名のお話を纏めています)

マッチメイクから始まった闘いが繰り広げられる静寂なリング(2022年2月19日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

旧統一教会問題と安倍晋三暗殺 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年9月号

原爆の日が迫った8月上旬、「文春砲」が、筆者の元職場、広島県庁を直撃しました。

広島県教育委員会

広島県庁といっても、いわゆる知事部局ではなく、教育委員会(写真)です。とはいえ、最近では地方教育行政法の改定などにより、教育委員会の独立性は低下。知事部局と一体化する傾向が強まってはいます。広島県も例外ではなく、知事の湯崎英彦さんが外部から一本釣りしてきた平川理恵さんが広島県初の女性教育長を2018年から務めておられます。したがって、これは知事である湯崎英彦さんの責任も重い不祥事であると理解しています。

◆「お友達NPO優遇」、故・安倍晋三さんそっくりの教育長

文春砲はその平川教育長を直撃しました。平川教育長と京都のNPО法人「パンゲア」の森由美子理事長がわたしも妻とよく行く県庁近くのベトナム料理屋で一緒に写っておられる様子の写真が掲載されました。これは誰かが密告したからとか、そういうことではなく、森理事長ご本人がSNSに載せておられることです。平川教育長も、SNSで親しげに森理事長にコメントをされている様子がうかがえます。

「文春砲」が報じた疑惑の概要は、広島に縁も所縁もないパンゲアが、なぜか平川教育長就任後、広島県教委からの受注をゼロからこの1年余りで2300万円以上にふやしていることです。それもパンゲアが県外法人のため一般競争入札の資格がないので、例外的なやり方で発注を繰り返していたのです。そして、パンゲアありきで工業高校の女子生徒によるHP作成プロジェクト事業についての話を進めていた、ということです。これらが事実なら官製談合であり、お友達を優遇したという意味では、故・安倍晋三さんそっくりです。

◆改革に現場からうずまく期待と不安・不満 平川教育長

平川理恵教育長は54歳。京都市生まれで同志社大学をご卒業後、リクルートを経て、横浜市で民間公募校長を務め、不登校生徒をゼロにしたなどの実績で有名です。2018年、湯崎英彦知事により一本釣りの形で広島県教育長にご就任されました。「こどもたちのために」がモットーで、よく現場に足を運ぶ、親御さんが教育委員会に電話をすると自ら対応されて感激した、などの声はこれまでよくうかがっています。平川教育長による改革は、NHK含むマスコミにも何度か大々的に取り上げられています。

以下は本年度の平川教育長が出された方針「八策」です。

「令和4年度 広島県教育委員会八策」

1. 広島県 教育に関する大綱「一人一人が生涯にわたって主体的に学び続け、多様な人々と協働して、新たな価値を創造する人づくり」を実現する。

2. 教育の根源は、生涯にわたって学び続けるということである。幼児児童生徒も大人も、学びの習慣を身につけ、学び上手になれるよう「学びの変革」を推し進めていく。

3. 学校や教育委員会は、「我が子・我がことであれば」を旨に、「子ども基点」を貫く。

4. 根源的な問い「生きるって何?」を主軸とした探究学習を、すべての学校に汎用させ、キャリア教育と結びつけて実践していく。

5. 現場は「教室」である。教室に行って教員とともに子どもの様子を観ながらカリキュラムを創る。指導主事は、教職員の心に火をつけ、伴走し、はしごを絶対に外さない。

6. 子どもを含め年齢や職を問わず誰もが「新しいアイデア」や「率直な意見」をなんでも言い合える「組織風土」づくりを心掛け、多様な意見からより良い判断を行う。

7. 幼児児童生徒一人ひとりの自己肯定感を大切にするため、個別最適な学びや本物の体験を重要視し、不登校対策・セーフティネットを確保する。また幼児児童生徒の人権と主体性を尊重し、教師が一方的に設定している生徒指導規定等の見直しを図る。

8. 教育公務員として、高い倫理観を持つ。とりわけ、幼児児童生徒に対する猥褻セクハラは絶対に許さず、厳しく処する。

一見すれば素晴らしいことばかりです。

他方で、「ただでさえ現場は人手不足なのに、新しいことをどんどんやられるとたまったものではない。少しは足元を固めてほしい」(元県立高校教諭)などの声もあるのも事実でした。

また、平川教育長は公立高校入試を2023年から推薦入試Ⅰと一般入試Ⅱを廃止し、一次選抜に。プレゼンテーションの比重が大きいものに改革します。これについては「出席日数に左右されないようになる」という歓迎論もあるいっぽうで、「部活も勉強も頑張らせてさらにプレゼンテーションも、というのは中学生にとっては厳しいのでは?」という親御さんからの不安もうかがいます。

◆911テロを契機に子ども同士の国際交流へ 森理事長

いっぽう「パンゲア」はその平川教育長の地元の京都市の団体。子どもたち同士の国際交流を進める事業をてがけてこられました。団体のSNSを拝見すると、とくに国際交流を通じた平和への思いはよく伝わってきます。911テロを契機に、危機感を覚えられたというお話は心に刺さります。

「ちょうどその時、私はMIT(マサチューセッツ工科大学)に仕事がありアメリカにいたのです。もうひとりの創立者である高崎も、MITで客員研究員をしていました。私達はサンフランシスコで打ち合わせがあるため、11日にUA93便に乗る予定だったのです。

ところが10日のニュージャージーの打ち合わせがずれ、3日前にキャンセルをしていました。そして、運命のあの日……。その日以来、アメリカではイスラム教の人々やアラブの人々に対して「不気味」だとか、「怖い」といった声が多く聞かれているのを見て、イラン人やイラク人の友人がいた私は危機感を持ちました。」

わたしも、そういう問題意識は当時持っておりましたので共感します。私の場合はイラク戦争反対運動、海外派兵反対運動、森理事長の場合は子ども同士の交流にとエネルギーを向けていったとおもいます。

しかし、公私の区別がつかないのはまずい。同法人のfbには以下のような記述があります。

「昨年度から、パンゲアの高崎が、広島県の平川教育長の依頼を受け、広島県教育委員会にて県立高校の科目「情報」のカリキュラム製作をお手伝いをさせて頂いていました。コロナ禍によって、教育現場でのICT利用が待ったなしとなり、現場も混乱している状況です。

そんな中で、広島県の高校生・高校教員向けにネットの使い方(ネットリテラシー)についての動画を作りました。本当は、ネットのネガティブな面だけでなく、ポジティブなICT利活用についても入れたかったのですが、まずはセーフティファーストということで、お役立て頂ければと思います。」

これは、個人的な関係に基づいて受けた仕事であることをまた自慢しておられるようにも読み取れます。

◆素晴らしい8.6平和記念式典でのあいさつも…… 湯崎英彦知事

そして、平川教育長を任命した知事の湯崎さん。わたしは、県庁マンだった2011年1月末まで彼に部下として仕えていました。彼の8月6日の平和記念式典での毎年の挨拶も素晴らしいものがあります。

「しかしながら、力には力で対抗するしかない、という現実主義者は、なぜか核兵器について、肝心なところは、指導者は合理的な判断のもと「使わないだろう」というフィクションたる抑止論に依拠しています。

本当は、核兵器が存在する限り、人類を滅亡させる力を使ってしまう指導者が出てきかねないという現実を直視すべきです。

今後、再度、誰かがこの人間の逃れられない性(さが)に根差す行動を取ろうとするとき、人類全体、さらには地球全体を破滅へと追いやる手段を手放しておくことこそが、現実を直視した上で求められる知恵と行動ではないでしょうか。」

正直、市長よりも突き刺さる演説をされる湯崎さん。しかし、今回はあなたにも筆者は元部下としてガツンと物申さざるを得ません。

◆「お代官様・越後屋・山吹の小判」から「お友達優遇」安倍型へ移行する疑獄事件の形態

旧来型の疑獄事件の典型的なパターンは、時代劇でよくある「お代官様。どうぞ。」(山吹色のものが詰め込まれた菓子折りを差し出す)「越後屋よ。お主も悪よのう。」であり、小判が札束に代わっただけです。

しかし、いまや、様相はかわってきています。安倍晋三さん・昭恵さん夫妻はお友達を優遇し、批判を浴びたことは記憶に新しいところです。晋三さんが暗殺されたことで、事件の真相の解明が極めて難しくなってしまいましたが、このことは忘れてはいけない。

そして、今回は、教育長が家族ぐるみで付き合っていたというNPO法人理事長と癒着していたというのが報道の概要です。

◆筆者も県庁マン時代に「安倍化」の危機…… 目的は手段を正当化しない

平川教育長・森理事長が進めていたこどもたちの国際交流で平和を。そのこと自体は立派なことです。しかし、目的は手段を正当化しないのです。きちんとしたチェックをしないで相手を選べばどうなるか?費用の問題だけではありません。質の問題もあります。親しい相手にはどうしても評価が甘くなる。だから事業実施にあたってはしかるべき手続きが必要なのです。

そして、筆者も「正義感」で「親しい民間人」と楽しく仕事をして、大恥をかいていた可能性が過去、ありました。筆者は、県庁マン時代から貧困問題やDV被害者支援のNPOなどの活動にも参加していました。当然、活動の延長線上で、メンバーの皆様と懇親会などということもありました。

あくまで一県民、ただし、県行政にもこうした視点が生きれば、という思いで参加しました。あるとき、上司にそのことについて「疑惑を招かないよう、気をつけろよ」という趣旨のご忠告をいただきました。

当時は30歳そこそと若かった筆者は「何を言っているのだろうか? この人は頭が固いなあ。」と反発していました。しかし、今は上司に感謝をしています。

県庁マン当時の筆者も、広島県の男女共同参画施策が当時は岡山など近県に比べても遅れていたことに危機感をいだき、県外のある女性のNPO幹部を講師とした事業を、と考えていました。年齢が上の彼女にすっかり心酔していたということもあとで冷静に考えるとあったなとは思います。あるときは、毎晩彼女と飲みに出ていたのを記憶しています。その後、その彼女が被害者女性を見下すような発言(支援者として最悪の発言、いわゆるセカンドレイプに相当する発言)をしているのをお聞してしまい、ドン引きした筆者は、彼女と距離を置くようになりました。上司が注意してくれなければ筆者は彼女に仕事上のお願いをして大恥をかいていたでしょう。

その後、さらに1年くらいしてから、筆者はあの河井案里さんと対決するために県庁を退職しました。「韓国並みにDV・性暴力被害者支援を充実させる」ことを、当時の広島の候補者ではおそらくはじめて、公約としました。選挙ではわたしは及びませんでしたが、それなりに親しい公明党の女性県議が議会で取り上げ、ワンストップセンター整備など、一定程度の前進がありました。

◎[参考資料]性被害ワンストップセンターひろしま https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/onestop/

特に広島3区ではそれなりの数があった筆者の票を、当時は野党に転落していた自公側に取り込もうという狙いもあったのかもしれません。しかし、とりあえずは、これでよかったのだと納得しています。今後はさらに、より良い制度にするため、自分自身が議員として全力を尽くすことができるようになりたいと考えています。
「目的は手段を正当化しない」。すべての公務員が心すべきことです。古臭すぎる日本、広島のリニューアルはもちろん必要です。しかし、民主的な手続きを飛ばしてはいけないのです。

◆広島県議会も知事のイエスマンばかり──チェック機能不在

かつての県庁マン時代の筆者は、上司がチェック機能となりました。しかし、教育長についていえば、文春の取材によれば、驚くべきことに職員には適用される倫理要綱が適用されないのです。そうなると、教育長が自ら律するか、議会にチェックしてもらうか、ということになります。

その議会はなにをやっていたのでしょうか? はっきり申し上げると「平川教育長は特定の法人と癒着しているのでは」という情報は県庁を辞めて久しいわたしのところにさえずいぶん前から届いています。ましてや県議が知らないはずがありません。情報公開させて調べれば、平川教育長が就任して以降、急にパンゲアが県(教委)の事業に登場したことくらいすぐわかります。

結局、ありていに申し上げれば、自民、公明の国政与党はもちろん、立憲民主党にいたるまで、知事のイエスマン、ということは教育長のイエスマンでもあるわけです。

なぜ、二元代表制があるのか。その意味を分かっていないか、分かっていて何もしないのか?県議会の機能不全も、今回の不祥事の背景にあると断ぜざるを得ません。


◎[参考動画]知事の湯崎さん、そしてNPOと官製談合疑惑の教育長・平川さんに執行部にガツンとモノ申す議員を さとうしゅういちIN本通り

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

旧統一教会問題と安倍晋三暗殺 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年9月号

日本では、世界を考えるときどうしても欧米中心に考えてしまう。世界秩序もG7や国連など欧米中心で見る。私たちもかつてそうだった。50年前、私たちが平壌に来たときにその欧米中心の思考方式がひっくり返されたのだ。軍事パレードなどの行事や病院に行けば、ベトナムやアフリカ、中南米からの留学生たちで湧きかえり、平壌には第三世界からの代表団が訪問していた。1970年代はベトナムをはじめアフリカ、中南米での民族解放闘争勝利の最終局面を迎え、新興独立国の非同盟運動が高揚していた。それが時代の熱い息吹だった。

それから50年余り経った現在、米ソ冷戦が終息し、その後の米国の一極支配もすでに崩れ去り、世界各地で各国の主権を守る闘いが繰り広げられ、欧米中心の古い覇権の秩序が音をたてて崩壊していっている。とくに、今年に入って、ウクライナへのロシアの軍事行動を契機に、世界が激変していっており、古い世界秩序の崩壊が加速度的に速まっている。

◆国連中心の世界秩序の崩壊は嘆くべきか

戦後の世界秩序は国連を中心とした秩序だと言われてきた。戦後体制は米ソ超大国による世界支配秩序(ヤルタ体制)でありながら、世界の諸問題を扱う機構として国連があった。国連中心の世界秩序というのは、米ソなど5大国が拒否権をもつ大国中心の国際秩序であり、いわゆる覇権の秩序だったといえる。

国連はしばしば米国の覇権の道具として利用され、国連が覇権の道具として役立たない時には「有志連合」が覇権の機構として利用され、米ソ冷戦が終息した後にはアフガン、イラク戦争など米国の単独軍事行動で国連を超越した存在として米国の一極支配のもとに世界があった。

 

米州会議閉幕 米の求心力低下露呈

しかし、覇権の世界秩序は、民族解放闘争の勝利、新興独立国の非同盟運動、さらに朝鮮、キューバ、シリアなどの反帝自主国による国家主権を守る戦い、世界的範囲での自国第一主義勢力の台頭によって衰退してきた。それゆえ、世界の反覇権・脱覇権勢力が台頭してきたところに、欧米の覇権のための国連中心の世界秩序が崩壊してきた根本要因があると思う。

今日、ロシアのウクライナでの軍事作戦の展開を契機に、国連中心の世界秩序が完全に崩壊したと多くの人々が指摘している。たとえば、香港中文大学教授鄭永年氏の「今回の危機で第二次世界大戦後に形成された国連中心の世界秩序が崩壊しつつある。今やパワーポリティクスが復活し各国が自国に有利な秩序を築こうとする群雄割拠の時代に入った」(読売新聞3月21日)と嘆くのもその一例だ。

たしかにウクライナにおけるロシアの軍事行動をめぐって国連常任理事国が何も決定できない機能不全に陥ってしまった。これをもって「国連改革をすべき」という声が高まっているが、ウクライナ事態そのものは、米国がNATOという米国の覇権の軍事機構を拡大し、ロシア包囲網を作ってきたことにその直接的な原因があるゆえ、ウクライナの中立化を目的にしたロシアの行動は一定の正当性をもっており、ロシアの拒否権発動を非難するのは、国連をあくまで米国主導の覇権機構としての役割を果たさせようと言うことに他ならない。

以上、覇権の道具としてあった国連が機能不全に陥ったことは、果たして嘆くべきことだろうか? 

◆顕在化する欧米諸国と非米主権擁護諸国の対立

知のように今日、米国は世界を「専制主義国家と民主主義国家」に分け、いわゆる「専制主義国家」を排除し世界を分断しようとしてきた。

欧米がロシアにたいする全面的な制裁を加えることによって、世界が欧米式民主主義を標榜する欧米諸国とそうでない非米主権擁護諸国とに分かれるようになった。

しかし、欧米のロシア制裁に加わっているのは30数カ国であり、大多数の国はロシア制裁に参加していない。

 

人民元・ルーブル取引量急増

ロシアは対外収入の6割を天然ガス・石油に負っている。そこで米国は金融制裁・エネルギー輸入禁止措置をとることによってロシア経済に打撃を与えることを狙ったが、インドのロシア産石油輸入が8倍に増えるなど、ロシアの原油輸出は制裁以前より増加させている。中国のロシア産天然ガス輸入も急増し、むしろ制裁に加わった独、北欧、日本がエネルギーで危機に陥っている。金融決済もルーブルや元が力を増し、ドル経済圏が縮小していっている。すなわち、欧米と無関係な新しい経済圏が生まれていっている。

世界各国は「専制主義国VS民主主義国」に分ける分断と排除を求めていず、平和と正常な貿易関係を求めている。米国の分断と排除の戦略は、かえって自らの孤立を招いているといえる。

5月バイデン訪日時にインド太平洋経済枠組み(IPEF)にASEAN諸国を取り込もうしたが、同時期、シンガポールのリー首相が日経新聞記者に「今やアジアの多くの国にとって中国は最大の貿易相手だ。アジアの国々は中国の経済成長の恩恵にあずかろうとしており、貿易や経済協力の機会の拡大を概ね歓迎している。中国も広域経済圏構想『一帯一路』のような枠組みを作り、地域に組織的に関与している。我々はこうした枠組みを支持している」と言ったように、「中国が繁栄して域内の各国と協調を深める方が、国際秩序の外で孤立するより好ましい」と中国排除をはっきり否定している。

続けて米国は6月米州首脳会談を開催し、「世界中で民主主義が攻撃されているこの瞬間に、再び団結をしよう」(バイデンの開幕宣言)と呼びかけたが、キューバ・ベネズエラを排除したため6カ国が不参加、15カ国の宣言署名拒否という事態に直面し、さらにその後コロンビアに左派政権が初めて登場し、米国支持国はさらに減った。

米国は、中国がソロモン諸島との安保協定締結、キリバスでの滑走路改修のほか、5月末南太平洋島嶼国10カ国外相会議を開催し、中国の影響力が拡大したことに対抗し、6月、日英豪仏を含め太平洋での新たな枠組みを作る構想を明らかにした。明らかに米国が後手にまわっている。

さらに米国は6月末、G7首脳会議で中国の「一帯一路」に対抗するため、6000億ドルをかけて途上諸国のインフラに投資する新計画PGIIも決めた。しかし、一帯一路の参加諸国に対してG7諸国がインフラ投資しても、対象国が一帯一路から抜けず、ほとんどの国は、中国とG7の両方から投資してもらおうとする。G7は中国を付き合うなと強制する分、反発を受けるだけだ。

7月中旬、バイデンは①石油増産、②中東版NATOの発足を目的に中東諸国を訪問したが、肝腎のかつての親米派だったサウジが応じずバイデンの企図は失敗した。サウジはすでにBRICS加盟の意志を固めているという。

つまり、この半年余り、米国は「新冷戦戦略」を掲げロシアと中国を孤立させようと必死に策動したが失敗に帰している。

 

赤木志郎(あかぎ・しろう)さん

こうした動きのなかで注目すべきことは、6月、BRICS(ロ・中・印・南ア・ブラジル新興国5カ国)の台頭だ。BRICSがアルゼンチン、トルコなど13カ国を招請し、拡大会議をオンライン形式で開催して制裁反対で一致した。習近平主席は「一部の国が軍事同盟の拡大により、絶対的な安全保障を求め他国の権益を無視して唯我独尊的を大々的にやっている」と米欧を批判し、「互いの核心的利益に関わる問題で互いを支持し覇権主義と戦うべきだ」と述べて賛同を得た。また、習近平主席はBRICSの拡大を呼びかけ、すぐにイランとアルゼンチンが加盟申請をした。

今や、世界を主導しているのは、欧米ではなく、非米の反覇権・脱覇権勢力だと言えるのではないだろうか。

「民主主義」を掲げる欧米側はGNPの総計で優位に立つが、非米主権国家側は人口と国の数で圧倒し、世界を動かしている。

◆反覇権・脱覇権の新しい世界秩序を!

打ち立てるべき新しい世界秩序は、古い覇権の秩序ではなく、各国の主権を守り尊重することで一貫される反覇権、脱覇権の世界秩序だと考える。それが時代の流れだ。

戦争の原因は覇権主義、すなわち武力で各国の主権を侵害するところにある。NATO、日米安保など覇権の機構を見直し、覇権主義を根本的に否定し、除去し、各国の自主権を徹底的に擁護し尊重すること、そのことにより世界の平和と各国間の友好関係の実現、ここに新しい世界秩序の要諦がある。その新しい時代がすでに始まっている。

こうした新しい時代的潮流の中で、日本は時代の流れに逆行し、ロシア制裁に加わり、対中包囲網の前線基地として日米同盟を強化し、軍備拡張し、対中包囲網にASEAN諸国を取り込もうとしている。それは孤立と破滅の道だ。世界を欧米中心にではなく反覇権・脱覇権の非米諸国を基軸にすえて見ることが、今何よりも問われていると思う。

▼赤木志郎(あかぎ・しろう)さん
大阪市立大学法学部中退。高校生の時は民青、大学生のときに社学同。70年赤軍派としてハイジャックで朝鮮に渡る。以来、平壌市に滞在。現在、「アジアの内の日本の会」会員

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