四国電力伊方原発3号機の運転差し止めを求めて、筆者自身も含む広島県民を中心とした住民が2016年3月11日に広島地裁に提訴した伊方原発広島裁判は大詰めを迎えています。

いま、地元を選挙区とする岸田総理がグリーントランスフォーメーション、脱炭素と自称して、原発推進に舵を切っています。3.11のフクシマ以降、民主党政権後半から安倍政権にかけて曲がりなりにも継承されていた脱原発ないし(自民党のマニフェストにも小さくですが記載されていた)脱原発依存も反故にされました。

また、総理の政策転換も背景に関西電力が高浜原発などの運転を再開。そこで発生した核のゴミを上関に押し付けようともくろみ、上関原発建設のめどが立たずに苦しんでいる中国電力と利害が一致。上関への中間貯蔵施設を計画し、この夏の短期間で町長にのませてしまいました。そうした中で、本裁判は終盤を迎え、2024年6月頃、結審になろうとしています。

本裁判のここまでの大まかな経過をおさらいしますと、以下のようになります。

◆同時進行の運転差し止め仮処分を高裁はいったん認めるも覆る

 

2016年3月11日の提訴と同時進行で原告=住民側が仮処分を申し立てました。これは、本裁判の判決を待っていたら、その間に伊方原発が事故を起こしてしまう危険があるからです。

紆余曲折を経て、2017年12月13日、広島高裁がいったんは仮処分を認めました。しかしながら、四国電力から異議が申し立てられ、2018年9月25日に四国電力の異議を認める形で運転差止が却下されました。そして、我々原告=住民側が新たに申し立てた仮処分申請も2021年11月4日、吉岡裁判長により却下されてしまいました。その後、我々は広島高裁に抗告しましたが、2023年3月24日、脇由紀裁判長により仮処分の申し立てはが却下されてしまいました。

◆これまで41回の口頭弁論

2023年11月1日現在、41回の口頭弁論が行われました。

2023年9月11日の第38回口頭弁論では、元広島大学准教授で地質学者の早坂康隆さんが原告側の証人として証言。四国電力が伊方原発は岩盤の上にあるから大丈夫という趣旨の主張をこれまでしている中で、早坂さんは伊方原発のすぐ北側600mの海底にある中央構造線は危険な活断層であることや伊方原発がある佐田岬半島は、ダメージゾーンにありひび割れだらけであることを暴露しました。

 

東日本の広い地域が、放射性廃棄物と同等の放射能汚染に覆われている(写真の黄色以上に濃い色の点が該当)

2023年10月4日の第39回口頭弁論では原告側証人尋問として、福島第一原発事故による避難者である鴨下美和さんと久保山康代さんが証言しました。鴨下さんは2022年12月14日に意見陳述をする予定でしたが、直前に被告の四国電力からの要求で裁判所が陳述を認めなかったという「事件」がありました。夫婦で放射性物質も扱う仕事をしていた鴨下さん。東日本の広い地域が、放射性廃棄物と同等の放射能汚染に覆われているという趣旨の指摘を行いました。

また、国の避難指示区域外からの自主避難のために賠償金は出ず、大変過酷な避難生活になったこと。先に避難した鴨下さんに対して、夫はいわきに残りましたが国の避難指示が無かったこともあり、『いわきは汚染などしていない、全く問題がない』と信じている周囲の人たちの中で、罵声を浴び、孤立したこと、若い人の突然死に二度も立ち会ったことから憔悴し、二年後に避難したことなどを回想。『願わくは、私たちのような思いをする人が、二度と出ないように。これ以上、原発によって国土が汚染され、人々の暮らしが歪められないように。祈りを込めて、私は、伊方原発の再稼働に反対します。』と結びました。

同10月11日の第40回証人尋問は原告側の野津厚さん(国立研究開発法人海上・港湾・航空技術研究所、 港湾空港技術研究所領域長)の証人尋問の続きで、被告四国電力側による反対尋問が行われました。伊方原発が南海トラフ巨大地震の想定震源域のほぼ北西端に位置していることはよく知られていますが、四国電力は、「M9南海トラフ巨大地震が伊方原発敷地直下約41kmの地点を震源または強震動生成域として発生しても最大地震動は181ガルである。」と主張しています。

野津さんは、強震動地震学の専門家として、2011年のM9東北地方太平洋沖地震によって発生した地震波の研究から、南海トラフ巨大地震のようなプレート間地震では、致命的な地震波(キラーパルス)は一辺が数十kmのような大きな断層面(SMGA)から平均的に襲来すると考えるよりも、一辺が数kmのような小さい断層面(SPGA)から襲来すると考えた方が、実際の観測記録とよく一致するとして、キラーパルスの発生源はSPGAと想定しています。そして、野津さんはもっとも強力なSPGAを伊方原発に近いところに配置し、強震動計算を行ったところ、最大地震動は約1900ガル、地震波の最大速度が秒速約138cmという結果を得ました。なお、この計算では、伊方原発敷地は非常に強固な岩盤の上に立地しており、地震波の増幅特性はほとんどないものとして想定していますが、それでも、伊方原発の基準地震動650ガルの約3倍に相当します。

同11月1日(水)、第41回口頭弁論では、原告側の高島武雄さん(熱工学の専門家。元小山高専教授)への水蒸気爆発をテーマとしての証人尋問が行われました。福島原発事故の時、溶融炉心が原子炉建屋内のコンクリート構造に反応して水素が発生し(「MCCI」)、水素爆発が発生しました。

四国電力は水素爆発の防止策として、こともあろうに原子炉容器の底部(キャビティ)に水を張ることにしました。これだと溶けた炉心は水の中に落ち、なるほどコンクリート構造に接触しませんからMCCIは起こらず、水素爆発のリスクは大幅に軽減されます。しかし1000度以上に溶けた炉心が水に触れたとたん大規模な水蒸気爆発は起こらないのかという重大な疑問が起こります。常識的には水蒸気爆発の危険があると考えるのが普通です。しかし四電は「起こらない」と断言します。原子力規制委員会でこの問題の審査が行われた際、委員長の更田豊志さん(=当時)が「水蒸気爆発は起こらないと決意しなければ、なかなか水は張れませんね」と意味不明のコメントをしておられます。

「水張り」で大規模水蒸気爆発は起こらない、とする四電の主張の根拠は、過去に行われた国際的な研究や解析(経済開発協力機構=OECD のトロイ装置やクロトス装置を使った研究、欧州委員会のファロ研究、韓国原子力公社のコテルス研究など)から導いた結論です。ところが、肝心要のOECD の「セレナ研究」の結果を全く無視しているのが大きな特徴です。そのセレナ研究では「実際の原子炉内で大規模な水蒸気爆発が起こらないという確実な証拠がない以上、水蒸気爆発は起こると考えておくべき」という趣旨の結論を導いているのです。

◆今後の予定

今後は、以下のような予定です。

11月29日(水)10時半~、被告・四国電力側証人の金折裕司さん(山口大学 理工学研究科 教授)に対する『活断層』をテーマとした証人尋問が行われます。

12月18日(月)13時半~原告側証人の原告 伊藤正雄さん(原告団副団長)/証人 渡辺美和さんに対する証人尋問が行われます。

2024年1月22日(金) 13時半~ 原告側証人の原告 森本道人さん/原告 福島敦子さんに対する証人尋問が行われます。福島さんは2022年1月19日の第26回口頭弁論でも意見陳述をされています。南相馬市から京都へ避難した福島さん。この意見陳述では『福島市の避難所では「死ぬときは死ぬのだ」があいさつだった避難所の生活は忘れられなかった』『娘は「フクシマゲンパツ」とあだ名をされたこともあった。その日その日を精一杯「生きる」ことで過ぎていった』などと振り返っておられたことが筆者も昨日のことのように思い出されます。

なお、予定は変更の可能性もあります。
直近に原告団のホームページをチェックしていただければ幸いです。
https://saiban.hiroshima-net.org/

広島選出の岸田総理が全国の皆様にいろいろご迷惑をおかけしていることを深くお詫び申し上げますともに、伊方原発ストップ、また上関中間貯蔵阻止という結果をお届けできるよう、筆者も奮闘して参ります。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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本稿は『季節』2023年夏号(2023年6月11日発売号)掲載の「原発利用促進のためのGX脱炭素電源法案の問題点」を本通信用に再編集した全4回の連載記事です。

◆原子力産業振興法と化した原子力基本法

改訂原子力基本法は、その趣旨が大きく変わった。原子力基本法は原子力開発利用の基本方針を定めており、原子力関連法の根拠法になっていることから、「原子力の憲法」とされてきた。特に「自主」「民主」「公開」の原子力平和利用三原則は学術会議により提唱されたものを取り入れた。原子力基本法に基づき原子力利用の目的や基本方針、原子力委員会及び原子力規制委員会の設置と役割を規定している。

原子力基本法の改定趣旨(法律の改訂についての法律案要綱)では「電気の安定供給の確保、我が国における脱炭素社会の実現に向けた発電事業における非化石エネルギー源の利用の促進及びエネルギーの供給に係る自律性の向上に資する」ことが推進の理由だとしている。

そのうえで原発を60年を超えて運転できる期間を定め、それに基づいた運転延長を申請する根拠法として電気事業法の改訂を行うのだが「原子炉を運転することが、我が国において、脱炭素社会の実現に向けた発電事業における非化石エネルギー源の利用の促進を図りつつ、電気の安定供給を確保することに資する」ためと趣旨を記述した。

原発を再び推進する理由を「エネルギー安定供給、自律性の向上に資する」としているが、嘘である。大規模集中型の電源である原発の事故やトラブルは電力供給に大規模で長期的影響を与えることは福島第一原発事故や、その後の地震でも繰り返し示されたことだ。

また、ウラン燃料は100%輸入に依存しており国産エネルギー源ではない。地域紛争の影響を強く受けるのは石油と変わらない。

加えて国の責務としてさまざまな施策を実施するとし、国が直接税金を投入することにも道を開く規定を設けている。それを原子力基本法で行うのは、法律の趣旨を1切無視する暴挙としかいいようがない。

◆審査で劣化は発見できない

改訂法では、炉規法で30年を超える原発の劣化評価を規定することで、むしろ安全規制は強化されるとしている。しかしすでにこれまでも30年を超える原発に対して10年ごとの劣化評価が「高経年化技術評価」として行われてきた。これを法律に格上げするのだが、実際には検査体制などは変わらない。従来の制度の延長線上であり新しい制度というわけではない。

運転期間を延長する電気事業法で認められてしまうと、規制委の権限で廃炉とすることはできない。運転許可を出さない場合は、何年でも何回でも、規制委に対して審査を受審することができてしまう。これは現在の40年ないし20年の延長に対しては、日時を切って期限を過ぎれば廃炉になることに対する大幅な規制緩和である。

劣化に対する審査はいまでも欠陥が見えている。圧力容器の劣化は予測に基づく評価が現実に合わなくなっているし、今年1月に発生した高浜4号機の制御棒落下事故は、関電は数カ月前に特別点検を行ったところが破損しており、これを誰も見つけていない。

そもそも検査の範囲はごく限られたところだけで、そこから外れた劣化に対しては無力である。もちろん未知なる劣化を審査により見つけることなど不可能であり、事故が起きてから発見される。このような事態を避けるために、一定の年限で退場させる現在の規定は理に適ったものであり、それを廃してしまう合理性はない。

◆「運転停止期間の除外」にも合理性がない

電気事業法に運転期間の延長に関する認可が移管されたことで延長申請は、行政処分、行政指導、裁判所による仮処分命令、その他事業者が予見しがたい事由によって運転停止を行っていた期間を運転期間から除外し後付けできるとしている。

これは電力会社の利益を確保するための制度。震災後の法令改訂により原発が稼働できなくなったことによる損失を補填するためだ。

原発が老朽化すれば、事故を起こす危険性が高まることは自明だ。即ち、住民の安全と電力の利益を天秤に掛けて電力会社を優先することを法制化する。東電福島第一原発事故は原発の運転を優先して地震津波対策を先送りしたことが原因の一つである。それがまた再現されようとしている。(つづく)

◎原発利用促進のためのGX脱炭素電源法案の問題点[全4回]
〈1〉福島の反省も教訓も存在しない
〈2〉原発は電力の安定供給に役立たない
〈3〉原子力産業振興法と化した原子力基本法

▼山崎久隆(やまざき・ひさたか)
たんぽぽ舎共同代表。1959年富山県生まれ。脱原発東電株主運動、東電株主代表訴訟に参加。反原発運動のひろば「たんぽぽ舎」設立時からのメンバー。湾岸戦争時、米英軍が使った劣化ウラン弾による健康被害や劣化ウラン廃絶の運動に参加。福島第一原発事故に対し、全原発の停止と廃炉、原子力からの撤退を求める活動に参加。著書に『隠して核武装する日本』(影書房 2007年/増補新版 2013年)、『福島原発多重人災 東電の責任を問う』(日本評論社 2012年)、『原発を再稼働させてはいけない4つの理由』(合同出版 2012年)、『核時代の神話と虚像 ―― 原子力の平和利用と軍事利用をめぐる戦後史』(共著/木村朗、高橋博子編/明石書店 2015年)等多数。

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〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2023年秋号

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龍一郎揮毫

◆「三バンなし」新人が自民推薦現職破る!

筆者は介護福祉士として広島県安芸郡海田町(かいたちょう)でも仕事をしております。2023年11月5日執行の海田町長選挙は、びっくり仰天の結果になりました。

岸田総理の選挙区内で、新人でほとんど支持団体や組織もない竹野内けいすけさんがなんと自民党推薦で3期目を狙う現職を1000票以上の大差で破る結果になりました。地盤、看板、カバンのいわゆる「三バン」があまりない候補が現職に勝った。ボクシングで言えば挑戦者が二度目の防衛を狙う王者に番狂わせのKO勝ちというところです。

海田町長選挙開票結果      投票率 38.29%
竹野内けいすけ 無所属新人       5133
西田祐三    無所属現職(自民推薦) 4035


◎[参考動画]広島・海田町長選 首相のお膝元で自民推薦の現職敗退 影響は?(広島テレビニュース 2023/11/06)

 

竹野内けいすけさん(右)と筆者(左)

◆広島市に包囲された「豊かな町」

海田町は、人口約3万人。筆者が住む広島市に包囲されるような地形になっています。2003年に広島市との合併協定に調印するも2004年に住民投票で撤回されました。背景には陸上自衛隊駐屯地や同じ安芸郡内府中町(ただし広島市により同じ安芸郡なのに分断されている。)に本社を置くマツダの関連工場が多くあるために財政が豊かであること、瀬野川と湧き水を利用した上水道が独自にあり、太田川を水源とする広島市と合併してしまうと、水道代が暴騰することが懸念されることなどがありました。

海田町は面積が狭いが、それだけにコンパクトな街の構造で、非常に暮らしやすい町と言われています。2022年には合計特殊出生率が1.86と日本全国平均はもちろん、先進国では出生率が高い部類のアメリカよりも高くなっています。同町は豊かな財源を活かしつつ、県内では子育て支援は充実している部類に入っています。

◆広島市職員を辞めて退路を断った竹野内さん

竹野内けいすけさんは今年43歳。海田町の筆者の勤務先のご近所で小さな建設会社をご両親が営むご家庭に育ちました。広島大学付属高校・大阪大学ご卒業後、京都市職員、そして広島市職員を20年間、務められました。2023年8月31日に広島市役所を退職して退路を断ち、3期目を目指す現職に挑むことを決意されました。

広島市役所と言っても、海田町自体が広島市に包囲されているような地形ですから、海田町から広島市役所に務める人も多いですし、逆に海田町役場に広島市から通う人もたくさんおられます。そして、竹野内さんご自身は町民として海田でずっと暮らしておられるわけですので、その点、不安がありません。

ちょうど筆者が、2011年1月31日に広島県庁を退職し、4月の広島県議選に挑んだことが昨日のことのように思い出されました。

ただ、地方選挙の特徴として、例えば海田町なら海田高校、そして大学も広島大学など地元出身の方が有利なものです。例えば、高校、大学とも県外の筆者はその点は不利ですし、竹野内さんの場合も、やや不利な点は否めないと思い、心配していました。

◆「エライ人」暴走に歯止めを掛けてほしいと

海田町議会では現町長の問責決議案が毎年のように可決されています。やはり、町民的な合意形成が不十分なまま、物事を進めていく現町長の在り方には筆者も危機感を持っていました。また、広島県内を全体的に見ても、住民の意見を十分に聞かずに、首長や教育長など「エライ人」だけで物事を進めてしまう状況が目立ちます。その結果、後からいろいろな問題が噴出するなどしています。

そうした中で、町民との対話集会を開くことを公約するなど、対話重視の町政への転換を訴えている竹野内さんに筆者も期待したものです。

 

手作り感満載。竹野内さんの選挙カー

◆手作り感満載の選挙カー

10月31日の告示日、竹野内さんの出発式は9時半からでした。ご両親の会社を兼ねた自宅を事務所とし、その玄関先に椅子を少数並べたものでした。現職はもちろん、国会議員、県議会議員、近隣首長など多数の応援を得た組織選挙です。

竹野内さんは、出発式を待たずに8時半過ぎに七つ道具を選管から受け取るとすぐに自宅兼会社の駐車場から選挙カーを発進させました。

なんと、竹野内さん自らが、脚立に載って、選挙カーの除幕を行う有様でした。筆者もお手伝いさせていただきましたが、間近に拝見した選挙カーの看板はまさに手作りそのものでした。正直、大丈夫かなと思いましたが、まあ、町長選挙は5日だし、国政や県政に何度か立候補し、他人の選挙参謀も務めた筆者の経験からしても5日くらいは大丈夫だろうと感じました。あまりお金をかけないという姿勢も大変好感しました。

◆ギリギリで差し切れれば御の字と思ったが

正直、相手はいくら評判が悪いとはいえ、現職で知名度は抜群。若い竹野内さんへの期待は日に日に高まってはいるが、なかなか厳しいだろうと思っていました。

最後にぎりぎりで差し切って、例えば100票差以内の勝利というのが筆者の想定する最も良いシナリオでした。

しかし、冒頭にもご紹介したとおり、なんと1000票以上の差をつけて、現職を破ってしまったのです。

投開票の翌朝=6日朝、筆者はいつもどおり出勤する前にお祝いの言葉を申し上げに竹野内さんの事務所に伺いました。親御さんによると、「本人もこの結果には驚いている」ということです。筆者も35%くらい竹野内さんが勝つ確率はあるが、勝っても僅差だと思っていたので驚きました。高齢者の中でも「若い人に任せないといけない」という声が確かに日に日に高まっているとは伺っていましたがまさかここまでの結果とは?!

◆「世代交代」「対話重視への転換」への期待を自民党の組織力で抑えきれず

今回の選挙を総括すると「若手への期待」「もっと対話を重視する行政への転換への期待」を「自民党の組織力」が抑え込むことができなかったということです。国政選挙と違って自民党の不人気が直接的に現職落選につながったかどうかはわかりません。ただ、新人への期待の流れを押しとどめるほどの組織力はいまの自民党広島県連にもないというところではないでしょうか?

本当に自民党が強かったら、竹野内さんのように支持団体が全くない状態から現職に挑んだ方が勝つのは難しかったでしょう。間違いなく自民党の弱体化は岸田総理の選挙区でも起きているのでしょう。

ただ、正直、「残念ながら」現時点では、いくらなんでも広島1区(中区、東区、南区、府中町、海田町、坂町)での岸田総理の落選につながるほどのことはないようにも思います。

◆自民は総理地元でも沈没中だが野党もパッとしない

ただ、他方で、露骨に野党が推薦したらたぶん、「いまの岸田さん、自民党に失望」「現町長に失望した」保守層の取り込みが難しかったでしょう。結果論ですが、支持団体がない、完全無所属での立候補が奏功したのではないでしょうか?

実際に、同時に執行された町議補選(改選数2)では29歳、39歳の無所属新人が当選しました。正直、筆者の海田町在住の同僚たちも「なぜ、この人たちがここまで票を伸ばして受かったのか?よくわからない。」という声が多数でした。

また、唯一の政党公認の共産党元職は補選候補者の中では抜群の知名度を生かせませんでした。次点にもならず4位に終わりました

自民党・岸田総理は目下、地元でも沈没中だが、野党も今一つ、ということが読み取れます。

◆海田町政の今後に注目

ともかく、まずは竹野内さんが公約通り、対話を重視する町政運営をきちんとやるかどうか?

まずは、街づくりの計画策定へ対話を進めていかれるそうです。筆者は隣の広島市民であり、海田町民ではありませんが、同じ広島都市圏の住民として、また広島県民として、注目していきます。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年12月号

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本誌でこの間、重点的に採り上げてきたコロナワクチンの問題。前号(11月号)では立憲民主党・原口一博衆院議員が、昨年の自身のがん発症・公表と、ワクチンの関係について語っています。今月号ではさらに踏み込み、いわゆる「ワクチン後遺症」についてレポートしました。9月に「XBB1.5対応」として7回目接種が始まっていますが、追加接種が推進されているのは日本だけ、という事実にまず、目を向けなければなりません。

それでも、政治の世界を含め、ワクチンの危険性に関する言及は、だんだんと増えているように見えます。“コロナブーム”も一時期と比較すれば落ち着きつつある現在、わざわざ接種を受ける人は減るのではと思っていたのですが、「接種会場の予約がとれない」との報道やSNSコメントが相次ぎました。しかし、7回目接種人口は10月末時点で人口の7%ほど。今月号記事では、「接種希望者殺到の報道に惑わされるべきではない」と指摘しています。そうしたネットを含めた情報・報道のあり方についても、11月号で原口議員が元総務相としての経験をもとに警鐘を鳴らしています。近年、インターネット上で“フェイク”が横行しているとして、総務省が音頭をとって「ファクトチェック」を推進しています。しかし、そのやり方を見れば、プラットフォームによるユーザーへの規制と監視。メディアが自己検証するのとは異なる「検閲」にほかならないと言わざるをえません。

また今月号では、水稲新品種として秋田県が2025年の全面切り替えを発表した「あきたこまちR」についてレポートしました。「あきたこまちR」は、放射線を当てて一部の遺伝子を破壊した「コシヒカリ環1号」を「あきたこまち」と交配することで作った新品種。自民党がその安全性をPRするものの、これを常食することに問題はないのか、本当に日本の農業に寄与するのか、多くの疑問が投げかけられています。秋田県がこの夏に行なったパブリックコメントには過去最多の6000件もの意見が寄せられ、計画の延期と見直しを求める署名8038筆が県に提出されました。しかも、“風評被害”を避けるとして、切り替え後も販売されるにあたり、表示義務はありません。本誌レポートでは、「あきたこまちR」の実態と、予想される事態に迫りました。ぜひお読みいただければと思います。

増税しながら減税、増税しながら給付金の岸田政権。中抜き企業をまた儲けさせるのはもちろん、かかる手間も国民にとって大きな負担であり、決して見逃せるものではありません。そして、その間にも巨額を投じた軍拡は着実に進みます。ただの“増税メガネ”ではないということです。そうして市民が自らの生活を守るのもままならない状況で、2027年までに航空自衛隊が「航空宇宙自衛隊」に改称することを発表しました。「宇宙作戦群」なる防衛省のホームページがまさに示すように胡散臭いことこの上なく、「宇宙」が軍需のネタとなっているのは事実のようです。一方、「地上」の日本では、防衛医大が「戦傷医療センター」新設を8月末に公表(こちらも先月号参照)。今月号では軍事要塞化する馬毛島の模様をレポートしていますが、もはや政府は「戦争準備」を隠さなくなった感があります。

ほか、12月号では旧ジャニーズ“NGリスト”でも話題となった本間龍氏が2030年札幌冬季五輪「招致断念」の背景事情を解説。イスラエルと“国際社会”の「罪」、超円安を克服する“秘策”など、盛りだくさんの内容をお届けします。全国書店で発売中です。

『紙の爆弾』編集長 中川志大

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年12月号

『紙の爆弾』2023年12月号

放射線育種米交配種「あきたこまちR」が開く食と農業の悲劇的な最終幕
五輪も万博も日本ですべきではない 札幌五輪招致断念という「正しい判断」
患者が語る“症状”と“治療”「コロナワクチン後遺症」の実態
「基地反対」で再選の朝日新聞出身市長が容認
岸田大軍拡の最前線 馬毛島基地建設の現場
「細田博之会見」は“ジャニーズ以下”“増税メガネ”岸田政権のヒサンな内幕
「参院徳島・高知」「衆院長崎四区」衆参2補選が象徴する岸田政権の凋落
イスラエルの「罪」を見逃してきた米国による「国際秩序」
“NGリスト”は本質ではない ジャニーズ問題の背後にある芸能界の“闇”
「航空宇宙自衛隊」誕生へ 宇宙軍拡競争に巻き込まれた日本
「対米隷属」から「日本自立」への活路 超円安を克服する“秘策”
これは宗教紛争ではない イスラエルが潰した「パレスチナ和平」
政治家の不正蓄財が見逃される理由「政治献金」をめぐる法律の抜け穴
新文部科学事務次官の天下り斡旋「停職」歴
旧統一教会解散命令請求で揺らぐ創価学会
女こどもを食いものにする自民党の女衒政治を嗤う
シリーズ 日本の冤罪44 元講談社「妻殺害」事件

連載
あの人の家
NEWS レスQ
コイツらのゼニ儲け 西田健
「格差」を読む 中川淳一郎
ニュースノワール 岡本萬尋
シアワセのイイ気持ち道講座 東陽片岡
キラメキ★東京漂流記 村田らむ
裏から世界を見てみよう マッド・アマノ
権力者たちのバトルロイヤル 西本頑司
まけへんで!! 今月の西宮冷蔵


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◆「清く 正しく 美しく」とは一体何だったのか!? 

ジャニーズとタカラヅカについての出版を始めたのは、共に1995年だった。爾来28年、ジャニーズは、30数点の告発系、スキャンダル系の本を出し続けて来たが、ご承知の通り事実上解体した。

一方、タカラヅカも、ジャニーズには及ばないまでも『タカラヅカ秘密の花園』以来20点ほどの本を出した。特に2010年に出した『ドキュメント タカラヅカいじめ裁判 ── 乙女の花園の今』が今、話題になっている。将来を嘱望されていた歌劇団員が、先日9月30日にイジメに追い詰められて自宅のあるマンションから飛び降り自殺したからだ。タカラヅカは創設100年余り経って初めての自殺者である。改めて問いたい、「清く 正しく 美しく」とは一体何だったのか!? と。13年前に同書を出して警鐘を鳴らしたが、一顧だにされなかった。

ジャニーズにしろタカラヅカにしろ、未成年性虐待やイジメは長い間ささやかれてきたが放置され、意図的に隠蔽されてきた。死者を出したタカラヅカは、こと一歌劇団の問題ではなく、親会社の阪急電鉄が厳と介入し根本的にイジミ一掃を図らねばならない。マスメディア(特に関西の)は、阪急資本に忖度するのではなく、昨今のジャニーズ並の報道を望みたい。

私たちの、そうした出版活動、当時はトリックスターのように見られたが、今思うと、自分で言うのも僭越ながら、現在のジャニーズやタカラヅカの問題を予見していたところもあると自負さえする。

◆ジャニーズとタカラヅカ ── 長年放置、隠蔽してきたマスメディアの責任は大きい

ところで、くだんの『ドキュメント タカラヅカいじめ裁判』だが、問い合わせも多く、少部数ながら復刻出版することにした。

当該のジェンヌSさんにもイジメが続き、また寮内には盗難も相次いでいたが、遂には盗難犯の濡れ衣を着せられ退学処分になる。これに対しSさんは処分取り消しの訴訟を神戸地裁に起こし勝利的に和解し終結した。その上でSさんは退団し生まれ故郷の岩手に帰郷する。しかし、地方都市では宝塚音楽学校に合格したら大きく報じられる。Sさんも同様だった。Sさんは、わけあって退団したことで冷たい視線に耐えられず東京に出る。しばらくは平穏な日々を送っていたかと思われていた。

しかし、私たちを驚かせる出来事が……なんとSさんが大手AVメーカー「ソフト・オン・デマンド」からAVデビューしヘアヌード写真集も出すというのだ。AVは発売直前に中止となる(写真集は発売され資料として購入し今手元にも残っている)。ここのところは旧版にはない部分で「その後の顛末」として追加した。

Sさんは飛び切りの美人だといい、本来なら宝塚歌劇でスポットライトを浴びたかったはずだが、なんともいえない気持ちになる。 ── 哀しい物語の終わり方である。

今回、イジメで自殺者を出すという前代未聞の悲劇的な事件が起きた。人ひとりがなくなったのだ、歌劇団や親会社の阪急電鉄は責任を取り、死に物狂いで事実経過を調査し抜本的な対策を講じなければならないことは言うまでもない。

ジャニーズとタカラヅカ、「少年愛の館」と「秘密の花園」 ── 共に1995年に出版を開始した2つの問題が今、一つは崩壊の危機に瀕し、もう一つも解体的危機にある。非常に感慨深い。これまで長年放置、隠蔽してきたマスメディアの責任は大きい。

株式会社鹿砦社 
代表取締役
松岡利康

11月16日発売!『[復刻新版]ドキュメント タカラヅカいじめ裁判 ── 乙女の花園の今』B6判、200ページ、ソフトカバー装、定価1650円(税込み)

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315355
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◆はじめに

 

10月下旬のフジTV「プライム・ニュース」では「“世界動乱の時代” の幕開けか」というテーマを取り上げた。ウクライナ戦争に続くハマスの軍事行動を契機に露わになった世界の現実を「(米国中心の)国際秩序の破綻か」としてとらえたものだった。

2023年は「パックスアメリカーナ(アメリカによる平和)の終わり」を世界が見、なかでも日本の誰もがそのことを知るようになった年になった。来るべき新年は「米覇権秩序の破綻」という現実を前提にこれにどう対処するかが問われるだろう。

とりわけ米国によって「対中対決の最前線」の役割を担わされたわが国にあって、それは明日のわが国の運命に関わる問題、他人事ではない。

◆「G7の孤立」さらした広島サミット

5月末にG7広島サミットが開催された。米国を中心とする「G7=先進国」が世界をリードするという会議だ。ここにはロシア制裁、ウクライナ支援に中立的態度をとるグローバルサウス数カ国首脳が招待され、目玉はゼレンスキー大統領出席の下、ウクライナ支援を世界に訴えるというものだった。

G7の「普遍的価値観、法の支配に基づく国際秩序」はG7会議が自ら認めるように、いま時代の厳しい挑戦を受けている。挑戦者は何も中ロ「修正主義勢力」だけではない、いまグローバルサウスと呼ばれる発展途上諸国が古い国際秩序から離反しつつある。

広島サミット後、G7に招待されたグローバルサウス諸国はこうG7を批判した。

「ウクライナとロシアの戦争のためにG7に来たんじゃない」(ルラ・ブラジル大統領)。インド有力紙は「ゼレンスキー氏の存在に支配されたG7」見出しの記事を配信。インドネシア有力紙は「世界で重要性を失うG7」見出しの記事を掲載、ベトナム政府系紙は「ベトナムはどちらか一方を選ぶのではなく、正義と平等を選択する」と書いた。

広島サミットはグローバルサウス諸国を取り込むどころか彼らの離反を招き、逆に「G7の孤立」を世界にさらす場になった。

8月、南アで開催のBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南ア)首脳会議では新たにサウジアラビア、アルゼンチン、イラン、アラブ首長国連邦、エジプト、エチオピアの6ヶ国の参加が認められ、BRICSはG7とは一線を画する新興国の国際秩序形成の巨大集団になった。

また9月にインドで開かれたG20首脳会議ではG7諸国が求めたウクライナ問題、「ロシアの侵略」明記やロシア非難の文言のない首脳宣言が採択されたことが世界の注目を集めた。また会議ではAU(アフリカ連合:20ヶ国網羅)の加入も決定され、G20でもG7先進諸国は全くの少数派に転落した。

今年、英国エリザベス女王の国葬の際、アフリカのある首脳は「女王は一度も植民地支配への謝罪の言葉を述べなかった」と不満を語った。また5月のチャールズ国王戴冠式の際にはインドと英国の間で若干もめごとがあった。カミラ王妃が即位式でヴィクトリア女王の王冠をかぶるかどうかを巡って起こったものだが、王冠の巨大なダイヤモンドは英国がインドから奪ったインド植民地化の象徴だったからだ。結果はその王冠をかぶらなかったが、インドは不快感を示した。7月に西アフリカのニジェールでは若手将校によるクーデターが起き、駐留フランス軍は年内撤収に追い込まれたが、いまも植民地主義の名残がしこりを残していることを示すものだった。

G7の「米欧日」先進諸国というのはかつての植民地主義者、帝国主義列強諸国だが、「韓国併合」を(当時の)国際法的に合法とする日本だけでなくかつて自分がやった植民地支配をまともに反省総括した国はどこにもない。「反省の模範」とされるドイツにしても「ナチスの残虐性」を反省しただけ、植民地主義に関しては反省も謝罪もない。米英仏「連合国」側の諸国は自分たちが「反ファッショ」正義の「民主主義国」側ということで反省の必要も感じていない。

だから「G7がリードする」米国中心の国際秩序はかつての植民地支配秩序の現代版「覇権秩序」に過ぎないことをグローバルサウス諸国は知っている。 

よって彼らがBRICSやG20でめざす国際秩序は、各国の主権尊重、内政不干渉、紛争の平和的解決といったASEANのような脱覇権の新しい国際秩序形成をめざすものになるだろう、パックスアメリカーナ、米覇権専横の時代は歴史の遺物として排斥される。

◆とどめを刺したハマスの先制的軍事行動

「パレスティナ置き去り-焦り」(読売10/9朝刊)-10月8日のハマスのイスラエルへの先制的軍事行動に対するマスコミの見方だ。サウジアラビアがイスラエルとの国交交渉に入り、UAE(アラブ首長国連邦)はすでに国交を結んだ、こうしたアラブ諸国の動きに「置き去り」にされるとの「焦り」をハマスの今回の軍事行動の理由としたが、果たしてそうだろうか?

そのような消極的なものではなく、パレスティナ国家樹立に向けた主導的、攻勢的、戦略的な観点に基づくものだという見方も可能だと思う。

その根拠は一言でいって、いまは米国の覇権力が衰亡段階にあることが明らかであり、よって米国の支えのないイスラエルなど怖くないとハマスが判断することはじゅうぶんありうることだ。

米国はいま、主戦場の対中対決に加え、ロシアの先制的軍事行動によるウクライナ戦争で「対ロ」の加わった二正面作戦を強いられ青息吐息なのに、このうえ「対中東」が加わる三正面作戦などとうてい耐えられるはずがない。だからいまはイスラエルとの戦争は負けない、いや勝てる-私たちにも想像できることが当事者のハマスにわからないはずがない。

事実、ハマス侵攻からほぼ1ヶ月も経った現在(10/31)、大量の戦車部隊待機のままイスラエルは空爆だけに終始している。イスラエル軍ガザ地区制圧戦争は北部の局地的侵攻に留まり「かけ声」だけに終わっている。「地上侵攻でハマス殲滅、ガザ地区完全制圧」を叫び、やられたら「十倍返し」が通例のイスラエル軍としては異例の事態になっている。米バイデン大統領自身「人質救出まで侵攻を停止するように」とイスラエルに圧力をかけたということだが、「人質救出」は「口実」、本音は「戦争にはするな」にある。最近は「中東地域派遣の米軍が攻撃を受けるから(実際、ヒズボラやフーシ派から無人機、ロケット攻撃を受けた)しばらく侵攻を控えてほしい」などと言い出している。

米国、イスラエルに戦意がなければいずれ停戦合意は成り、パレスティナ問題解決が国連などで上程され、発言権を失った米国に代わってロシア、中国、グローバルサウスの非米諸国が主導する解決案をイスラエルも受け入れざるを得なくなる事態に進むかも知れない。少なくともその可能性を秘めている。宿願のパレスティナ国家樹立も夢ではなくなる。

米ロ代理戦争のウクライナ軍「反転大攻勢」が半年以上も「かけ声倒れ」に終わり、最も軍事支援に積極的だったポーランド大統領が「ウクライナは溺れゆく人、なんにでもしがみつく。危険だ」とまで言うようになったが、ウクライナ事態に続く中東でのハマスの軍事行動は「米国の無力ぶり」を世界が知る上でとどめを刺したと言えるだろう。

◆動揺始まる日本の政界

2023年を通して「国際秩序の破綻」、すなわち「パックスアメリカーナの終わり」は、ウクライナとパレスティナでの戦争を通じて世界が眼にすることになった

米国によって対中対決の最前線を担う決断を迫られているわが国の政治家、政治勢力もこの「時代の潮目の変化」を誰よりも注視しているはずだ。先の鈴木宗男氏の大胆な訪ロ行動と「ロシアは勝つ」発言も「米国の終わり」を見越したものだろう。岸田派古参幹部の古賀誠氏は「日米安保に引っ張られすぎるのは危険だ」と岸田政権を批判した。対中対決を迫る米国との「無理心中」を躊躇する政治家、政治勢力が出てくる、いや、すでに出ていることを示すものだと思う。

新年に持ち越されたが「日本の代理“核”戦争国化」は米国の対中対決、対中“核”抑止力強化で譲れない日本への要求だ。これは何度もこの通信に書いたので詳細は省くがいつか必ずこれを押しつけてくる。「米国の終わり」の見えるいま、「米国との無理心中」を躊躇する政治家、政治勢力が出てくるだろうが、誰かを待つのではなく「無理心中拒否」の闘いを主導する政治家、政治勢力が出るべき時だと思う。

米国も日本国民の非核意識を恐れて虎の尾を踏まないように慎重に事を運んでいる。それは彼らの弱点でもあるということだ。ハマスの先制的軍事行動とまで行かずとも、主導的に非核を掲げ「核持ち込み」「核共有」を許さない「代理“核”戦争国化」阻止の積極的闘いを挑む時、日本人の性根が問われる時に来ている。

ピョンヤンからは「時代の風」を伝えることしかできないが、国内からこのような闘いが起こることを新年は期待している。いまはそのような時だと思う。

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

◆奇跡の運命

人には皆、奇跡がある。いろいろな人との出会いがあって、その縁がまた先に繋がっていく。そんな導かれた縁の繋がりで、その時代の皆さんの御陰で私は勝ち上がることが出来たのです。これは正に奇跡的な運命なのです(富山勝治談)。

アメリカの帰り、寄り道したハワイで撮った沢村忠さんとのツーショット

試合後の放送席でも竹を割ったような性格で多くを語っていた元・東洋ウェルター級チャンピオンの富山勝治さん。問われればしっかり応える姿は、こんな私ども素人相手の質問にもその姿勢は変わらなかった。

富山勝治大飛躍となった1972年(昭和47年)2月19日の花形満戦。そこから全国区の富山となってからの数々の試練。その都度立ち上がってきた不撓不屈の精神。かつて寺内大吉さんが語られた「人間性の勝利」があった。

富山勝治は子供の頃から気性が激しく、よく喧嘩沙汰になったというのは、腕白少年ならよくある話だが、進路についてはお袋さんが心配していて、「勉強しなくていいから学校だけは行きなさい!」と言われていたという。

そんな中学生時代に先輩の内田新一郎さんに気に入って頂き、「ウチの空手部に来い!」と誘われたことから1967年(昭和42年)4月、延岡商業高校へ入学した。内田新一郎氏はこの空手部主将、背は小さい人だがもの凄く喧嘩が強く、学校一の悪と言われるほどだったが、「この人の御陰で今があるんですよ!」と言うほど人生を変えた最初の転機だった。

空手部の顧問は甲斐和年さん。「鹿児島大学出身の先生で凄い人だったね。今の空手とは鍛えようが違う本物の武道だった。」という中で鍛えられた富山勝治は3年生までに基礎をしっかり学んだ御陰で二段まで取得、九州の高校選手権で優勝と実力発揮していった。

1967年(昭和42年)3月、高校卒業とともに佐世保の海上自衛隊入隊。卒業後は就職するところが無く、「父親が海軍上がりだったから俺は船乗りになりたかったが、半年間、家を留守にするような船の仕事では家庭が不安定になるからと『お前は自衛隊に行ったらどうだ!』と勧められて海上自衛隊に入隊しました。」と、小さい頃から口にすることはあった自衛隊の存在ではあった。

「まあそんな道しか無かったよ、勉強してないんだから!」。

九州は仕事が少なく、ヤクザか警察官か自衛隊と言われた。大手は八幡製鉄所、九州電力、旭化成があったが、勉強できない奴には縁の無い世界だった。

半年間、佐世保で教育隊に入るが、就職先が無かった悪い奴ばっかり来ていたという。喧嘩の絶えない自衛隊だった。

佐世保の米軍基地では常々空手の試合に出ていて、その時の上司・森嶋日出春(当時一等海尉)が、「お前なら沢村に勝てるぞ!」と言う語りかけからキックボクシング人生へ舵が切られた。

「今、東京ではキックボクシングというのをやっているからお前も東京に上れ!」と言われたが、「父親との約束で3年間は自衛隊を勤める!」ということで、3年満期で辞めて上京した。

[左]1978年10月のプログラム表紙より。[右]1979年2月9日プログラム表紙

◆キックボクシングを続けられた奇跡

1970年(昭和45年)3月31日、海上自衛隊を満期退職すると、その日の内に上京。知り合いに紹介して貰った渋谷のアパートに住み、導かれたとおり目黒ジムに入門。

練習と仕事の両立へ、新聞広告で見た神田青果市場で雇われると、朝5時に起きて1時間ロードワークした後、市場に向かった。夕方練習して、夜は割烹店で皿洗いのアルバイトもやっていたことがあったという。

「店の親父さんに可愛がられて、『チャンピオンに成れよ!』と応援してくれて、他の従業員には普通の飯だったけど、俺にはトンカツとか豪華なものを食わせてくれたなこと思い出すよ!」

「他に道路のライン引き工事の仕事もやったこともある。俺は引けないから道路のゴミを取り除く仕事。石ころなんかあってはライン引けないから、延々2キロメートルほど蜂起で掃いたな。」

「お世話になった人多くて可愛がられたけど、そういう風に可愛がって貰わないと上に行けない社会。親父の教育が良かったから、どこに行っても目上の人には可愛がられたね。」

1981年5月9日プログラム表紙。負けた試合がポスターやプログラムになったのは初めてという

◆私も関門海峡渡れんよ!

人生の分岐点となった名勝負、1972年2月19日の花形満との日本ウェルター級王座決定戦は、その前年6月26日に花形満との最初の対戦があった。それも花形満のパンチで3度ノックダウンしている富山勝治だが、左ハイキックで逆転ノックアウトしている好ファイトだった。そして迎えた王座決定戦。前年を上回る逆転の激闘で、富山勝治の名は全国に広まった。「50年経っても花形さんには感謝しています!」という熱い想いは変わらない。

「稲毛忠治へのリターンマッチ(3度目の対戦)の前、12月末にお袋が宮崎から来たんですよ。ある朝、お袋がリンゴ擦って俺のロードワークから帰って来るの待ってて飲ませてくれた後、『今度負けたら私も関門海峡渡れんよ!』と言われて、いや~、これはあんまり攻めてばかりではマズいな。パンチでもいいから勝たなきゃいけないな。という気持ちになってのあの試合でした。」

「勝つ為の試合。皆、勝つ為にリング上がっているけど、どうしても勝たなきゃいかん試合ってあるんですよ。それがヒットアンドアウェイという戦法。俺は本来ああゆう性格じゃないよ。アグレッシブにダァーっといく、そういう性格だから!」
そのアグレッシブさが出たのは最終第5ラウンド、蹴りからパンチ、ヒザ蹴りで稲毛を下がらせ、2-0の僅差ながら王座奪還した。KO負けをKO勝ちで返す、ファンの期待は叶わなかったが、何はともあれ苦節一年、逆境を乗り越えることが出来た。

◆沢村忠さんから託されたもの

「沢村さんから一回だけ褒められたことがある。
『富山くん、前から飛び上がって蹴るのも大変だが、キミはよく一回転して蹴れるな!』
これは沢村さんが俺を認めてくれた言葉だった。」

「その沢村さんから、現役最後の試合の後に譲り受けたものがあるんです。それは沢村さんが巻いていたチャンピオンベルト。『あとは頼むよ!』と、その意味は重く、それがメインイベンターを任された証だったんです!」

チューチャイ・ルークパンチャマを飛び後ろ蹴りでノックアウトして、TBSトップの森忠大さんに「やっと沢村を越えたな!」と言われてまずは第一歩目の責任を果たせた想い、スポーツニッポンのベテラン記者(布施さん)氏には、「富山くん、あなたの得意技は後ろ蹴りだから、ずっとやりなさい!」と励まされたのも自信に繋がった言葉だったという感謝の念は絶えない。

ここから更に日米対決へ新たなチャンピオンロードがあったが、後々TBS放送が打ち切られて、全国ネットから外れた時代に移った。

テレビで観れなくなって富山さんはその後どうなったか気になっていた全国の視聴者は多い。その後、主要ビッグマッチはテレビ朝日系に移ってからの日米大決戦だった。

「WKBA世界戦に至るまでは、もう闘争本能は無くなりつつあったな。メインイベンターとして戦い続けていたけど、ずっと維持するのは無理。30歳過ぎると気力も無くなっていく。野口修社長に「沢村忠が担った東洋王座から、富山は世界を担え!」と期待された世界戦で、沢村さんからの「あとは頼むよ!」とチャンピンベルトに託された責任があって精一杯頑張ったけど力及ばず、世界ベルトには手が届かなかった。」と、もう2年早く挑戦できていればと無念さは残る。

[左]1983年11月12日引退試合プログラム、関係者の語りが熱かった。[右]引退セレモニーでの語り「全国のキックボクシングファンの皆様……!」から始まった全国目線の語り口

引退試合、対戦者ロッキー藤丸に労われる

「がんがん石」新宿店の看板。綺麗なお店だったが、キック関係のオブジェは無かった

引退後はスパゲッティ屋「がんがん石」の継続と後援会などの支援で不動産業に進出したが、ビジネスでは上手くいったりいかなかったりでも、困った時は必ず助けてくれる兄弟とも言うべき仲間が居たという。

「私は自衛隊での上司の導きから始まって、沢村忠さんとの出会い、花形満戦があったように、いろいろな人に恵まれて今があると思います。」

「人間は心臓一つしか無いんだから。二つも三つもある訳じゃないから。死ぬときは一回のみ。悔いの無い日々を送って、その日その日の一日を乗り切ればいいんです。ジタバタしない。何があっても今日一日は乗り切る。そう思って頑張れば必ず奇跡は起こるといつも思っていますよ!」

現在、計画していることは「目黒ジムは何とか復活させたいんです!」という野望。

近年のキックボクシングの在り方について意見を求めると、
「今時の3回戦制なんて誰が決めたのか知らんが、あんなもん試合じゃないよ。アマチュアだね。プロ格闘技の意味が無いよ。キックボクシングは初期からの規定どおり3分の5回戦でやらなきゃ。復活しなきゃ面白くない。誰かが戻さなきゃ駄目ですよ!」

世間では忘れ去られようとしている昭和のキックボクシング。富山勝治さんが奇跡を起こすしかないかもしれない。

富山勝治さんの語り口はこれだけでは収まらない展開でした。

現役時代は理髪店には三日に一回。現在は毎日御自身で整髪、鏡越しにハサミでカットするとか。現在もプロ意識を持った語り口には感謝でした。またお会いする機会があれば諸々お尋ねしたいと思います。

TBSでは名コンビだった二人。「具志堅くんは今でも俺を立ててくれる、感謝を忘れない男ですよ」

今年9月24日の最新画像、藤原敏男さんと増沢潔さんと並ぶ、50年前に観たかったカードである

富山勝治さんが語る沢村忠さんとの出会い、花形満戦の想いは、舟木昭太郎トークショーに於いて語られた、2019年5月12日掲載、「元・東洋ウェルター級チャンピオン、富山勝治さん現る!」を御参照ください。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年11月号

 

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

私は冤罪事件というと狭山事件の石川一雄さん、袴田事件の袴田巌さん、和歌山カレー事件の林真須美さん、それぞれの支援運動の末席におらせてもらい、そして原発反対運動の中で滋賀の仲間から西山美香さんのことをその都度教えてもらって、この国ではそういうことが警察、検察、裁判所の手によって起こっていることを知ってきました。

その私にとっても、尾﨑さんのレポートは驚きの連続でした。これだけの「取材」をされたご苦労を感心します。

読んだ感想というか、一言で言って日本の警察、検察、裁判所の悪どさ、というのでしょうか。別にこれら司法に関わる人々は「正義の人」でもなんでもない、権力を自らの手に持ちながら、自らの出世に汲々とする普通の大人だということでしょうね。

同時に、戦前からの歴史の中で、敗戦という事態の中で何一つ変化することもなく制度として明治以来の権力機構としての体制が維持され、「おい!こら!」の精神で、とりわけ組織防衛にその忠義心を投入することを暮らしの生業とする人たちなんだと改めて思いました。

日本の権力機構が、裁判所も含め、軍隊を除いて(自衛隊が生まれるまでの事ですが)、戦前の機構をそのまま残して戦後の政治の中で生き残ってきた、人的にも戦前、戦後が連続的に維持されてきたという私なりの想いをある意味確認する書でもありました。

「冤罪」は、こんな支配体制のもとであれば、その体制を維持するために、どんどん起こされていく。それがある意味、理の当然ではないでしょうか。こんな歴史の先に、私たちの未来はないとあらためて思います。

(松原康彦)

日本の冤罪
尾﨑美代子=著
四六判 256ページ カバー装 定価1760円(税込み)

「平凡な生活を送っている市民が、いつ、警察に連行され、無実の罪を科せられるかわからない。
今の日本に住む私たちは、実はそういう社会に生きている。」(井戸謙一/弁護士・元裁判官)

労働者の町、大阪・釜ヶ崎に根づき小さな居酒屋を営みながら取り組んだ、
生きた冤罪事件のレポート!

机上で教条主義的に「事件」を組み立てるのではなく、冤罪事件の現場に駆け付け、
冤罪被害者や家族に寄り添い、月刊『紙の爆弾』を舞台に長年地道に追究してきた、
数々の冤罪事件の〈中間総括〉!

8月に亡くなった「布川事件」の冤罪被害者・桜井昌司さんが死の直前に語った
貴重な〈遺言〉ともいうべき対談も収める!

【主な内容】
井戸謙一(弁護士/元裁判官) 弱者に寄り添い、底辺の実相を伝える
《対談》桜井昌司×尾﨑美代子 「布川事件」冤罪被害者と語る冤罪裁判のこれから
[採り上げた事件]
湖東記念病院事件/東住吉事件/布川事件/日野町事件/泉大津コンビニ窃盗事件/
長生園不明金事件/神戸質店事件/姫路花田郵便局強盗事件/滋賀バラバラ殺人事件/
鈴鹿殺人事件/築地公妨でっち上げ事件/京都俳優放火殺人事件/京都高校教師痴漢事件/
東金女児殺害事件/高知白バイ事件/名張毒ぶどう酒事件

[著者略歴]尾﨑美代子(おざき・みよこ)1958年、新潟県生まれ。中央大学中退。大学生時代の80年代、山谷(東京)の日雇労働者、野宿者問題の支援に関わる。90年代初頭大阪に移住して以降は、同じく日雇労働者の町・釜ヶ崎に住みながら、フリースペースを兼ねた飲食店「集い処はな」を経営。釜ヶ崎で知り合った仲間たちと、3・11以後福島支援、反原発運動を始め、講演会、上映会、支援ライブなどを続ける。その傍ら、かつてより関心のあった冤罪事件の取材・執筆活動を続ける。


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◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

広島空港(三原市本郷町)が10月29日、開港30年を迎えました。正確には「広島空港の本郷町移転30年」というべきでしょう。そして、この地域に空港が移転したことが広島の衰退の一因ということは良く地元では言われています。

広島空港HPより

◆元々は広島市内にあったが手狭で豊田郡本郷町へ移転

広島空港は、元々は広島市西区観音地区(天満川と太田川放水路に挟まれた)にありました。この旧広島空港は国管理の空港で、1961年に完成しました。32年間にわたり、広島の空の玄関として機能してきました。しかし、滑走路が短く、ジャンボジェット機が離着陸できない、また航空需要に離発着数の供給が追い付かないということから、新しい空港が1980年代に模索され、結局、豊田郡本郷町(市町村合併を経た現在は三原市本郷町)に1993年に移転しました。

当時、滑走路は南北に伸びており、北側は広島市西区の市街地で、とてもではないが土地買収すれば高い費用が掛かります。さりとて、瀬戸内海を埋め立てて滑走路を広げれば環境破壊との批判はまぬかれません。そうしたことから、地価の安い地域、それも、県内の当時の自民党大物政治家が関係する地域に移転されたという経緯があります。

西区観音地区の旧広島空港は、広島西飛行場と改称され、県の管理する空港に格下げされました。宮崎線や鹿児島線など短距離の路線に使用されてきました。

筆者が広島県庁に入庁した当時の2000年頃の広島では、
広島県=広島空港(本郷町だけに本県の空港機能を集約)
広島市=広島西飛行場も維持して、羽田線も復活させ、東京への本市の利便性を維持したい、
という対立構図がありました。

広島南道路建設のために滑走路を短縮せざるを得なくなりました。西飛行場の機能を維持・拡充したい広島市は南道路をトンネル方式にして滑走路を維持する方向を模索しました。しかし、2004年に橋梁方式での道路建設に県と市が合意。そのため、滑走路の短縮を余儀なくされました。そして、県自体が、空港運営からの撤退を表明。広島市はなおも広島市営の空港化を目指します。

しかし、広島市の秋葉市長の政権末期の2011年3月議会で広島西飛行場を市営空港にする条例案が当時は市長野党だった自民党主流派などの反対多数で市議会で否決されてしまいました。この結果、空港として使える展望がなくなり、2012年に県営のヘリポートになりました。

◆アクセスが課題「広島空港」こと「三原(本郷、白市)空港」

しかし、現広島空港は、正直、広島空港というよりは三原空港ないし、本郷空港、または白市空港(東広島市内の最寄り駅の名前より)と呼んだ方が適切な空港です。

移転当初から、広島空港へのアクセスは重大な課題とされてきました。例えば、九州の中枢都市の福岡空港は博多駅から地下鉄でたった二駅です。一方、広島空港は広島駅からクルマやリムジンバスで45-50分、広島バスセンター(広島県庁や平和公園近く)から55分くらいです。また、鉄道によるアクセスも不便で、最寄りの在来線の山陽線白市駅からバスで15分かかります。マイカーでも空港内の駐車場は全て有料で、無料の駐車場が広がる岡山空港と対照的です。

なお、二葉山トンネル含む高速5号線が開通すれば広島駅―広島空港は38分に短縮されますが、そもそも供用時期が2029年に延期されているうえ、度重なるトラブルでいつ完成するかも分からない状態です。また5号線が完成したとしても、当然、道路交通の泣き所として渋滞による速度低下のリスクは大きく鉄道に定時制では劣ります。

過去にはアクセスのための鉄道も計画されました。JRに県などが打診をしてきたものの、むざむざ自社の新幹線が飛行機に客を奪われる結果になる空港アクセス鉄道をJRがつくるわけがありません。まだ、JRが国鉄であれば、国の指示で、アクセス鉄道を造らせるという手もあったでしょう。しかし、現実にはJRは民間企業です。県内でも芸備線の廃止まで検討しており、空港のために新線をつくるどころではないのは火を見るよりも明らかです。そんなものをJRが作ったらそれこそ、JR西日本幹部が株主から背任罪で告発されかねません。

そこで、広島県自身が独自にアクセスの鉄道を造る計画も検討はされたものの、2006年に凍結されています。

◆東京アクセスの主役から転落!

こうした中で、広島西飛行場から東京へのアクセスの主役を奪ったはずの広島空港も主役を新幹線に奪われていきます。すなわち、2002年度に広島-東京の旅客シェアは航空機 vs 新幹線で62% vs 38%だったのが2008年度には50% vs 50%になり、さらに2016年度には37.3% vs 62.7%となり、現在では新幹線が圧倒しています。

おまけに2012年には強力なライバルとして(岩国基地拡張強化の見返りの側面が強いが)岩国基地を民間に開放した岩国錦帯橋空港が開港しています。同空港は岩国駅から2.5kmです。それこそ、体力に多少の自身がある方なら岩国駅で降りて、歩きながら市内の観光を楽しみつつ、途中の商店街のレストランで食事・休憩をして搭乗、という楽しみ方もできますし、筆者も暇とお金さえあればやってみたいと思っています。もちろん、条件付きですが空港の駐車場も無料です。

かつては西飛行場=旧広島空港が存在意義を問われたのですが、いまや、移転先の広島空港自体が存在意義を問われかねない瀬戸際にあります。

◆交通の在り方について県民的な議論を!

そもそも、何で、こんなに広島市から遠い空港なのか? それをいまさら言っても仕方がありませんが、現実には、新幹線や岩国錦帯橋空港の方が東京へ行くには便利です。海外へいくにしても、広島空港は中途半端です。筆者自身も広島に在住するようになってからの三度の海外旅行(2004年のベルギー、2007年のノルウェー、2009年の韓国)では、広島空港ではなく関西空港しか使ったことはありません。本当は、広島市安佐北区あたりに空港を造ればいいという話もあったし、今となってはその方が良かったと筆者も思うのですが残念ながら今となっては後の祭りです。

もうひとつ、「1990年代に強行された広島市外への移転」が広島衰退の一因となったものとしては、広島大学が広島市から東広島へ移ったことがよく地元では挙げられます。しかし、広島大学については、2023年度から法学部が広島市中区に戻っています。広島市中区には地裁、家裁だけでなく、高裁もあり、それこそ、法学部生の生きた教材がそこにはありますから再移転は正解でしょう。少しでも広島の衰退に歯止めがかかることを願います。

しかし、大学の再移転はできても、空港(の移転)は本当に頭の痛い負の遺産となっています。

もちろん、広島県や広島市だけで解決できる問題でもないでしょう。国全体の交通政策の課題でもあります。しかし、まずは広島県民が交通の在り方についてもっと議論を深めていくことが重要だし、湯崎英彦知事も、県議ももっと、議論を促していくべきではないでしょうか?

例えば、ドライバーなど人材不足の今、
・(高速5号線二葉山トンネルを含め)「三原(本郷、白市)」空港へのアクセスへの投資
・県内各地から広島市への公共交通を維持・充実(バスも鉄道も)させる
のどちらに重点を置いた方が良いか?
ということも問われます。

筆者なら後者に重点を置いた方が良いと考えます。そもそも、冷静に考えて、海外や東京の方が観光をするにしても広島駅で降りて広島市が軸になる時代が今後も続くだろうし、広島県民にとっても、広島市へのアクセス充実・維持をした方がトータルでは生活や仕事の上でも実利があると思われるからです。

「県民によく考えられると困る」政治家も中にはいらっしゃるかもしれませんが、広島県が人口流出全国ワーストワンを二年連続で続ける中、きちんとした議論は避けて通れないのではないでしょうか?

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年11月号

《11月のことば》冬が来る前に まだ間に合う(鹿砦社カレンダー2023より。龍一郎揮毫)

ついこの間までの猛暑が嘘のように秋が深まって来ました。

やがて冬がやって来るでしょう。

今月の言葉をそのまま読めば、やがてやって来る「冬が来る前に」、資金繰りなどいろいろ準備したら、年越しにも「まだまにあう」ということでしょう。

しかし、11月の言葉を揮毫した龍一郎や私たちには、“もうひとつの意味”があるのです。

2011年3月、東北を襲った大震災は多くの尊い犠牲者を出し、あろうことか福島の原発事故を引き起こしました。

この年の11月、鹿砦社常連ライターの佐藤雅彦さんが急遽出されたブックレットが『まだ、まにあう!』でした。

佐藤さんは、かの旧ソ連、今のウクライナに在ったチェルノブイリ原発事故の翌年に福岡在住の主婦、甘蔗珠恵子(かんしゃ・たえこ)さんが原発の危険性を訴えて出版された『まだ、まにあうのなら ── 私の書いた いちばん長い手紙』(地涌社)に触発され、これから書名を採っています。同じ福岡在住の書家・龍一郎も、これに感銘し揮毫したのが11月の言葉です。まだ少し在庫がありますので、ぜひご一読お願いいたします。

ちなみに佐藤雅彦さんにはこの他にもいい本がありますが、私たち版元の力不足もあり、なかなか評価されません。書名だけ挙げておきます。どれも博覧強記な佐藤さんらしい本です。

『もうひとつの憲法読本 ── 新たな自由民権のために』
『もうひとつの反戦読本』
『イラク侵略のホンネと嘘 もうひとつの反戦読本2』
『爆発危険! テロ米国「トモダチ」安保 もうひとつの反戦読本3』
『もうひとつの広告批評1 消費者をナメるなよ!編』
『もうひとつの広告批評2 選挙民をナメるなよ!編』
『食べたらあかん! 飲んだら死ぬで!── 食の安全読本』
『ロックはこうして殺された』
『芸能スキャンダルの闇を読む』
『現代語訳 幸徳秋水の基督抹殺論』
『ハリウッド犯罪調書マグショット』(ジョージ・セミナラ=著 佐藤雅彦=訳)

(松岡利康)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年11月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2023年秋号

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