【カウンター大学院生リンチ事件】「唾棄すべき低劣」な人間がリーダーの運動はやがて社会的に「唾棄」される! 前田朗教授からの再「返信」について再反論とご質問 鹿砦社代表 松岡利康

5月28日付け「デジタル鹿砦社通信」に対して前田朗教授より再び「返信」が公開の教授のブログ(https://maeda-akira.blogspot.com/2019/06/blog-post.html)でありました。

出張先で資料なども手元にない中での執筆のようで、あらためての意見表明を望みますが、とりあえず私からの再反論と再質問を行っておきます。ぜひお答えいただきたく望みます。

◆      ◆       ◆        ◆

前田 朗 先生

拝復 さっそくの再「返信」、ありがとうございます。

 
「しかと見よ!」リンチ直後の被害者大学院生M君

思えば、この「カウンター大学院生リンチ事件」について、リンチの現場にいた当事者(加害者)ら5人や周辺の人たちから、これまでこうした真正面からの意見なり反論などありませんでした。「デマ本」とか「鹿砦社はクソ」「クソ鹿砦社」などばかりで真正面からの意見や議論、反論などありませんでした。

わずかに第5弾書籍『真実と暴力の隠蔽』にて木下ちがや(こたつぬこ)氏が座談会で正論を述べられていますが、のちに謝罪、撤回されています。木下氏が発言を撤回されるに至ったのには、先生にもあったような激しいバッシングがあったものと推察しております。

さて、まずは『救援』での2度の論評を撤回されないという先生の固いご意志、確認させていただき、正直嬉しく思います。これをしかと踏まえた上で、以下、再度私見を申し述べ、あらためて質問を行わせていただきたく思います。

【1】

まず、先生のおっしゃる「リンチ」の定義に従っても(実際の加害者で刑事・民事共に賠償を下されたのは2人なので)この事件がリンチであることは明らかになりましたが、再「返信」でも前提となる事実認識から誤認されています。そのことは非常に重要な点です。

さらに、先生の「リンチ」の定義自体が間違っています。リンチとは「私刑」です。手を下した人間の数に関係なく特定の人間に対する暴力的制裁(私刑)です。「カウンター」界隈の方々は「リンチ」という言葉に殊更神経質のようですが、実際に集団で1人の大学院生M君を呼び出して暴力を振るっていることは紛れもない事実で、これを許されるとお考えでしょうか?

【2】

この事件直後、少なくない人たちが動いています。東京在住で言えば、事件直後の2014年12月20日に中沢けい氏が大阪に駆けつけ、事件のもみ消しを図っています。

また、5月27日付け「デジタル鹿砦社通信」 で挙げられているように、事件直後の2014年12月22日、師岡康子弁護士が金展克氏に宛て、被害者M君に刑事告訴を思いとどまるように説得してほしいとのメールを送っています。

このことについての私たちの意見は同日の「通信」に縷々述べていますので、ここでは繰り返しませんが、とても「人権」を語る弁護士とは思えない、いわゆる「師岡メール」について先生はどう思われますでしょうか? 

このメールをどう思うかで、その人の人権についてのスタンスや人格・人間性が判ります。人権に対する、師岡弁護士の本音が露呈されたメールであると私は感じますが、先生のご意見をぜひともお聞きかせください。

【3】

私(たち)は、このリンチ事件を、事件発生から1年以上過ぎてから知りました。先生もご存知なかったように、事件の隠蔽、もみ消しは成功したかに見えたでしょう。

被害者は、一部の人たちが彼を支えたことを除いて、かつての仲間はじめ多くの人たちから村八分(いわゆる「エル金は友達」活動はその最たるものでしょう。M君本人も、これは精神的にきつかったと言っています)にされ、正当な補償もなされていません。

村八分という行為が差別だということは先生もご存知でしょうが、加害者や周辺の人たちが、こうした〈隠蔽〉を行っていた事実、また被害者M君が正当な補償もなされていないことについて、先生はどうお考えでしょうか?

付和雷同した暴言の数々
 
木下ちがや(こたつぬこ)氏への恫喝ツイート(2018年5月30日)

【4】

私はなにも「自説に固執」しているわけではありません。幾度となく公言していますように、加害者らが真摯に謝罪するのであれば、和解に向けて汗を流すことに努めます。

しかし、李信恵氏ら3人は、いったん出した「謝罪文」を破棄し開き直っています。前田先生にご提案いたしますが、李信恵氏や上瀧浩子弁護士らを説得し、あらためて被害者に謝罪し和解をしてはどうかと、お勧めになりませんか? そうすれば問題は一気に解決すると思われませんか?

【5】

先生がつらつらとご自身の活動について記載されていることほど立派なものではありませんが、この際、私自身の経験を少し申し述べておきましょう。

 
木下ちがや(こたつぬこ)氏が表明した「謝罪」ツイート(2018年5月31日)

私が大学生の頃(大学は異なりますが有田芳生参議院議員と同期です)、ノンセクトの学生運動に関わっていたことは隠しません(このことからいまだに「極左」呼ばわりする李信恵氏の代理人弁護士がいますが)。

当時(1970年代前半)、ミーティングの際に新入生の後輩が自らが在日であることをカミングアウトし、ショックを与えました。以来私たちの運動に「差別・排外主義との闘い」のスローガンが入り、彼を防衛しようということも私たちの黙約になりました。

また、部落問題では、私の先輩が、教員として赴任した高校で起きた、いわゆる「八鹿高校事件」に巻き込まれ、この頃から部落解放同盟の、いわゆる「糾弾闘争」が激しくなっていきました。

これについては、長らく思い悩んでいましたが、師岡佑行氏(京都部落研究所所長。故人)や土方鉄氏(作家。『解放新聞』編集長。故人)らから糾弾闘争の誤りを教えられ、ようやく納得できました。

私は現在、直接に「反差別」運動には関わっていませんが、自身の経験からも、私なりに差別や人権について考えているつもりで、何がいいか悪いかの判断ぐらいはできます。

さらに申し上げれば、取材班の中には「のりこえねっと」発足時、辛淑玉氏に協力を申し出た者(田所敏夫)もおります(この事件についても取材の電話を入れましたが、うまく逃げられています)。

言葉の本来の意味において差別に対する運動にとって、李信恵氏らが関わったリンチ事件(リンチという言葉が嫌なら集団暴行事件と言ってもいいでしょう)は絶対に許されないものです。そう思われませんか? 

裁判の結果がどうかは関係ありません。裁判所がどう判断しようとも、人道上悪いものは悪いんです。このリンチ事件を主体的に反省し止揚しないのなら、将来的に運動に禍根を残すと断言いたしますし、「糾弾闘争」同様、人々を反差別運動から遠ざけるのではないでしょうか?

【6】

このリンチ事件の解決に混乱を与えているのに、李信恵氏らが被害者M君に出した「謝罪文」を撤回したことがあります。少なくとも今、まずはこの「謝罪文」に立ち返るべきではないか、と私は考えますが、先生はいかがでしょうか?

李信恵さんの裁判を支援する会「李信恵さんの活動再開について」(2015年4月8日)
 
【関係各位へ】2016年9月10日付辛淑玉氏facebook(一部)

【7】

さらに、このリンチ事件について、先生と「のりこえねっと」共同代表である辛淑玉氏も当初「Mさんリンチに関わった友人たちへ」という文書を出し「これはリンチです。まごうことなき犯罪です」と喝破しましたが、のちにこれを否定し、逆にM君が「裁判所の和解勧告を拒否している」(裁判所の和解勧告など今に至るもありません)などまったく事実と違うことを発信しました。

さらには、木下ちがや(こたつぬこ)氏も座談会での自らの発言を撤回しています。なぜにこうもみなさん、自分の意見をいとも簡単に変えるのでしょうか? 木下氏の発言など正論で、こうした人がこの問題を解決すると期待しましたが、残念です。こうしたみなさんの「豹変」についてどう思われますか?

【8】

「糾弾闘争」は、社会的批判や、解放同盟内における師岡佑行氏や土方鉄氏らのような良心派の内的批判により、今はなくなりました。このリンチ事件についても、先生の『救援』における論評のような心ある批判がもっと出なければ、再び同様の事件を繰り返すと思います。そう思われませんか? 

【9】

大出版社のカネとヒトをふんだんに使った取材には到底及びませんが、私たちがこのリンチ事件について、私たちなりに、これまでになく資金を投じ徹底して取材し、本にまとめて出版するや、まともな反論本が出るわけでもなく、単に「デマ本」だとか、「リンチはなかった」、「リンチではない」などと評されました。

しかし、証拠を積み上げた出版物に対する、無根拠な罵倒は、私に言わせれば、「南京大虐殺はなかった」と言うようなものです。

マスコミもこのリンチ事件を総じてタブーにしています。李信恵氏らには、例えば朝日新聞が社説に採り上げるなど積極的に報じながら、一方で李信恵氏らがM君を深夜に呼び出し、「日本酒にして一升」(李信恵氏の供述)ほどの酒を飲み酩酊状態で及んだ、このリンチ事件については徹底して無視です。先生は不公平とは思われませんか? 「反ヘイト裁判に勝った」と表面ばかり報じて、影の部分を報じないのは、人々の判断を誤らせるのではないでしょうか?

【10】

先生は『救援』の論評で、李信恵氏の人格について、

「反差別・反ヘイトの闘いと本件においてC(引用者注:李信恵氏)を擁護することはできない」

「長時間に及ぶ一方的な暴力の現場に居ながら、暴力を止めることも立ち去ることもせず、それどころか『顔面は、赤く腫れ上がり、出血していた』原告(引用者注:M君のこと)に対して『まあ、殺されるなら入ったらいいんちゃう』と恫喝したのがCである。唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なうものである」

と厳しく批判されています。

ところが、このたびのブログでは、

「李信恵さんは、在特会や保守速報による異様なヘイト攻撃に立ち向かい、戦い続けました。在日朝鮮人というマイノリティが猛烈な差別を受け、同時に女性差別を受けながら、ついには裁判所に『複合差別』を認定させました。このことの積極的意義を私たちは認め、李信恵さんの闘いに敬意を表すべきではないでしょうか」

と、まったく人物評価が異なっています。

「唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なうものである」とまで激しい表現を用いられていた人物評が、どうしてこのように「豹変」したのでしょうか? 李信恵氏についての今現在の先生の人物評価をご教示ください(繰り返しますが、この質問も「私怨」などとは無関係です)。

差別と闘い人権を守るということは人間の崇高な営為です。そして、その運動はリーダーや中心的なメンバーの人間性や人格が反映されます。畢竟、社会運動とはそういうものだと私自身の経験からも申し述べることができます。「唾棄すべき低劣」な人間がリーダーである運動は、早晩メッキが剥げ社会的に「唾棄」すべき存在となりかねまません。そう思われませんか?

李信恵氏の暴言の数々

【11】

趙博氏の裏切りについてはリンチ本で2度記述していますし、この箇所をコピーしてお送りしてもいますので読まれていることと察します。彼は戸田ひさよし氏と6月7日の講演会を主催するということですので、彼については、その際に直接本人にお尋ねになって、その後にお答えを頂いてもいいかと思いますが、趙博氏の裏切りは、私も「まさか」と思いましたし、リンチ被害者M君も、私以上にショックを受けておりました。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

【12】

同じく6月7日の講演会の主催者の戸田ひさよし氏について、門真市民会館事件の件は以前から承知しておりましたが、私がお聞きしたいのは、一方で、ブログ「凪論」を主宰していたN氏の職場(児童相談所)に突然赴き業務を妨害したことについてです。

これについては資料もお送りしておりますので、ご覧になっておられると思います。戸田氏のブログを更に拡散した「ぱよぱよちーん」こと久保田直己氏がN氏から提訴され敗訴した判決文も一緒にお送りしていますが、戸田氏のこの行為について先生はどうお考えでしょうか?

【13】

先生は裁判で私たちの主張が否定されたのだから、これに従うようにと諭されています。しかし、住民運動や反原発の運動で、ほとんど住民側が敗訴し、裁判所の周りでがっかりしている住民の姿をよく見ますが、これでも裁判所がそう判断したのなら従えとの先生のご教示は同義だと思います。

私たちはあくまでも法的救済を求めて提訴したリンチ被害者M君を支援するために立ち上がりました。確かに法的救済はM君や私たちが望んだものではありませんでした。だからといって、あれだけ酷いリンチを受けながら、実行犯2人に合計で110万円余りの賠償金で我慢しろということですね? 

一審は80万円ほどでしたが、これを見た山口正紀氏(元読売新聞記者)は、「『80万円支払うから、同様に殴らせてください』というに等しい」と看破し、ガンと闘う身でありながら意見書まで書いてくださいました。

私(たち)は決して頑なになっているわけではありません。今後も可能な限り解決の道を探り、愚直に被害者M君の法的、人道的救済を求めていきたいと考えているだけです。この姿勢に問題があるでしょうか? あるとお考えであれば、「何が問題か?」ご教示ください。そのどこがいけないのでしょうか?

【14】

最後になりますが、もう一つ。

リンチ被害者M君は、以来ずっとPTSDに苦しめられています。夜中に、うなされて起きることもたびたびあるといいます。それはそうでしょう、あれだけ酷いリンチを受けたのですから。先生は、このことについてどう思われますか? 「人権、人権」と言うのであれば、被害者M君の人権はどうなりますか? 

この問題について、まずは被害者M君の人道的救済ということを第一義に始めなければならないのではないでしょうか? M君は果たして救済されたとお考えでしょうか? このままでいいとお考えですか?

李信恵氏は最近、リンチ事件の反省などどこへやら頻繁に講演会や学習会などに講師として呼ばれています。あろうことか大阪弁護士会まで学習会に呼んでいます。違和感を禁じ得ません。

一方のリンチ被害者M君は、1円の補償もなく、リンチの悪夢にさいなまれPTSDに苦しんでいます。それでいながら、時間を見つけては三陸の被災地にボランティアに赴いています。これまでこのことは明らかにしていませんでしたが、M君の人となりを知る一要因となりました。

夜な夜な飲み歩く李信恵さんと、研究の合間を縫ってPTSDに苦しみながらも被災地へのボランティアに赴くM君……私は「頑張れM君!」とエールを送りますが、とてもじゃないが、「頑張れ李信恵さん!」とは思いません。先生はいかがでしょうか?

ご自宅にお帰りになり、リンチ本5冊や資料などを手元に置き、上記の質問にお答えいただければ幸いです。

敬具

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

「あいりん労働福祉センター」シャッター強行閉鎖から1か月後、ついに恐れていたことが現実となった

真夏のような暑さが続いた大阪、「あいりん労働福祉センター」のシャッターが閉められた日から、恐れていたことが現実となった。

「日本付近は高気圧に覆われ、暖かい空気に覆われるばかりか、強い日差しが降り注ぐでしょう」との天気予報が出された5月25日、大阪も真夏のような暑さに見舞われた。センター周辺には4月25日、国と府の職員が勝手にセンター内から外に出した荷物について「処分します」と日にちを切られた5月24日から、「勝手に処分するな」「中の荷物を返せ」と多くの労働者、支援者が集まっていた。

真夏のような暑さになった5月25日、センターが閉まって以降、恐れていたことが起きた

午後2時、野宿者から「朝から動いていない人がいる」とテントに連絡が入った。センター北側、JR新今宮駅を下車、国道43号線の横断歩道を渡った場所、日差しはじりじりと暑さが増している。2時20分、男性が泡を吹くなど状態が急変したため、119番通報し救急車を要請。痰と未消化の麺とスープを吐瀉。10分ほどのち到着した救急隊が脈を確認したあと、心臓マッサージを施すも回復せず、近くの杏林病院に運ばれた。しかし彼が再び戻ってくることはなかった。

15時、病院で死亡が確認された彼は、見たところ60歳位という人もいた。持病があったかどうかなど個人情報は不明だが、シャッターが開いていれば、その命は救われたかもしれない。

せめて救急車が到着するまで、センター内に運び、ひんやりするコンクリに寝かせてあげることができていたら、冷たい水を口に含ませたり、水に濡らしたタオルを腋の下に置いてやれば、かなり高温に上がったと聞いた体温を少しは下げれたかもしれない。センターのシャッターを閉めるということは、救えるかもしれない命を、救えなくさせてしまうということだ。

センター上の医療センターがまだ開いているならば、下のセンターも開ければいいだろう! そうして始まったセンターの闘いは、4月1日以降集まった労働者、支援者らの力で自主管理が続いていたが、4月24日暴力的にシャッターが閉められた。反撃の場は外のテントに移ったが、そこには全国から支援物資やカンパが届けられている。

テントでは週1回、センター周辺で野宿している人を中心に呼び掛け、困っていることなどの情報を共有する会議「寄り合い」が開催されているが、回を重ねるたびに参加する人が増えている。多くの労働者と支援者らが助け合って守るテントを拠点に、多くの命はつなげられてきた。しかし…救えない命もあった。厳しい闘いがまだ続く、釜ヶ崎から報告する。

◆「退出をお助けしただけです」と言い放った国の職員

センターからは4月24日強制的に排除されたが、中の荷物は翌25日、国と府の職員の手で、勝手にセンター内から荷物が外に放り出された。「取りに来なければ処分する」と期限を切られた5月24日、朝9時からテント周辺にどんどん人が集まってきた。

この日に先立つ21日、約70名の労働者と支援者で、谷町四丁目の大阪労働局(国)と、大阪城前の大阪府庁に抗議と話し合いの申し入れを行ってきた。労働局の職員(一人は会計課のオオクボ、もう一人は名乗らず)は「代表3名とならば、話し合う」といってきたが、私たちは「代表などいない。全員が当事者だ」と提案を拒否し、全員でおのおの抗議した。

5月21日国(大阪労働局)に対して、4月24、25日の暴挙に対する謝罪を求めた

「電気止められたトイレに置いた非常用照明器具がない」「仕事で使う安全靴が見当たらない」など荷物が戻ってないことに抗議する声が多い。また、24日4、5人で身体を掴んで強制排除したことの違法性を問うと、国の職員は「退出をお助けしただけです」などとふざけたことを言い放った。

これに対して、自らも地元静岡の野宿者の支援活動を行う、笹沼弘志静岡大学教授は「大阪の釜のセンターでの国と大阪府による強制排除と荷物強奪は、生きる権利と生きるために必須の最小限度の財産の侵害であり、絶対に許されない。国と府は当事者に謝罪し、荷物を返却し、誠実に話し合うべきである」と5月21日ツィッターに投稿している。

その荷物について、「取りに来ない場合処分するというのは、4月25日出したものか?」と質問すると「4月25日出したものだ」と労働局(国)の職員は断言した。現在センター周辺には、4月25日前から野宿している人の荷物、4月25日以降に野宿を始めた人の荷物が混在している。「どうやって4月25日に出した荷物とわかるのか?」と質問したら「(中にあった荷物の)リストを作成している」と答えた。さすが、国のやることは違うな。ちゃんとリストを作成していたのだ。いや、人の荷物を勝手に出したのだから、荷物がなくなったりしないよう、管理するためにリストは必要不可欠であるから、当然といえば当然だ。ならばそのリストを確認させてもらおうではないか?

6月5日、再び大阪労働局(国)に押し掛ける! 21日大阪府庁の中にも入れず、炎天下に立たせたまま、あげく「お前、誰や?」とヤクザ紛いの口調で労働者を恫喝したシバや、「稲垣さん、昨年地震があった際、真っ先にセンターから逃げたじゃないですか?」と、突拍子もないデマを突然言い出すナカムラなどしか出て来ない大阪府を相手にする暇はない。センター1階を管理する国にきっちり責任を取らせていこう!

大阪府は庁舎内にも入れず、暑い外で対応。労働者に「お前、誰や?」とヤクザ紛いの暴言を吐く府職員

◆なにが「(再開発のために、釜ケ崎の)労働者には我慢してもらう」(橋下徹)だ!

このセンター建て替え(潰し)問題の発端は、2008年大阪府知事となった橋下徹氏が、2010年4月19日、大阪都構想の実現を掲げる地域政党・大阪維新の会を設立、その代表となり、翌2011年大阪府知事を辞任、11月のダブル選で大阪市長に当選したのちに掲げた「西成特区構想」の目玉として打ち出されたものだ。

「西成が変われば大阪が変わる」をキャッチフレーズに、大阪府警・西成警察署と行政、更には「まちづくり会議」と一体となって進めてきたが、そこに労働者の声が反映されていなかったことは、3月31日、大勢の労働者、支援が集まったため、シャッターが閉めれなかったことからも明らかだ。

働けなくなったらポイと捨てるなど、普通の企業では考えられないことだ。日雇い労働者だからと許されることではない。しかし部落差別や障がい者差別を平気で行う議員を多数抱える維新は、釜ケ崎の労働者、更には西成をも差別の対象に考えているようだ。

2015年「都構想」の是非を問う住民投票の際に配布された維新のチラシには、「都構想で住所から西成をなくせます」と書かれていたそうだ。そんな維新の釜ヶ崎の日雇労働者への差別感情を露わにした事件が、2015年大阪市市会議員西成区補欠選挙のさいに起こった。

立候補した稲垣浩氏(釜ヶ崎地域合同労組委員長)が、西成区役所前で演説していた際、遅れてきた維新の関係者が場所をとるために、「よごれ! あっち行け」と言ったそうだ。「汚れ」を意味する「よごれ」を西成警察署内では「450」と隠語で呼ぶそうだ。

こんな差別的な警察、行政、「まちづくり会議」が一体となって進める「西成特区構想」-センターつぶしは、「都構想」実現を一歩一歩前に進めるものだ。大阪維新の「都構想」をつき崩す闘いを、釜ヶ崎から闘っていこう! 大阪維新を許さない皆さん! 釜ヶ崎に来たらええねん!

大阪維新の関係者に「よごれ!あっちいけ」と言われた稲垣浩候補(釜ヶ崎地域合同労組委員長)[写真右]

▼尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。

6月11日発売開始!〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』20号! 尾崎美代子さん渾身の現地報告「原子力ムラに牛耳られた村・飯舘村の「復興」がめざすもの」掲載!

岡本医師の治療継続を求める滋賀医大小線源治療患者会第2回デモに150名参加!

6月1日、JR草津駅東口の広場を、「岡本圭生医師による前立腺がん小線源治療継続」を求める人々が埋め尽くした。患者会による集会とデモが行われ約150名が参加した。 12時30分から始まった集会では、「滋賀医大小線源講座患者会」の代表幹事の宮野さんが口火を切った。

集会に集まった患者会メンバー
集会・デモの意義を説明する宮野さん

「市民の皆さん、お騒がせしております。私たちは滋賀医科大学附属病院で、前立腺がんの小線源治療を受けた患者と、まだ、治療の予定が立っていない患者と、その家族です。滋賀医科大学附属病院には高リスクの前立腺がんでも95%以上、再発させない治療ができる、岡本圭生医師がおられます。
 ところが、滋賀医附属病院は岡本医師の治療を7月で終わり、12月には病院から追い出そうとしました。まったく患者にはわからない。まさに『白い巨塔』です。岡本医師の治療を望む患者は、裁判所から仮処分決定を頂き、7月からの手術は認められたのですが、病院は12月には『何が何でも岡本医師を追い出そう』と妨害をしてきております。
 しかし、私たちは負けません! 岡本医師に命を救ってほしいと願う患者が、今日もこのデモ行進に全国各地から参加しております。私たちは救われる命が、見捨てられようとする。この現実を断じて許すことができません。市民の皆さん、どうか、岡本医師の小線源治療が12月以降も滋賀医科大学附属病院で継続されますよう、ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます」

と力強く集会とデモの趣旨を訴えた。       

鳥居さん

引き続き「仮処分勝利」によって岡本医師の治療の機会を勝ち取った鳥居さんがマイクを握った。

「私は昨年5月に人間ドックを受けた際に、数値に異常が指摘され、再検査の結果8月に前立腺がんに罹患していることが判明しました。それも高リスクの前立腺がん。目の前が真っ暗になりました。そんなときに岡本先生との出会いがありました。非再発率96.3%。『大丈夫。私が必ず治してあげるから』と岡本先生は言ってくださり、妻が帰りに『よろしくお願いします』と挨拶すると、先生は妻の目をしっかりと見ながら『こちらこそよろしくお願いします』と言ってくださいました。
 しかし、岡本先生の治療が今年の6月で終了と知らされました。せっかくつかんだ一縷の望みが消えかかりました。そこから熱い闘いが始まりました。きょうここに集まってくれている心強い仲間たち。既に岡本先生の治療が終わっているにもかかわらず、私たち『待機患者のために』と全国から手弁当で駆けつけてくれる仲間たち。ともに闘いました。
 そして5月20日私たちは11月26日まで、岡本先生の治療を延長しなさいという裁判所からの決定を勝ち取りました。その場にいた仲間たちは自分のことのように涙を浮かべて喜んでくれました。
 しかし、裁判所の決定にもかかわらずいまだ不穏な動きをやめない滋賀医大の病院長。どうしてそうなったかとの説明会見も一切実施しない無責任な対応。滋賀医大の病院長は人道主義を貫いて、患者を守ろうとしている岡本医師の治療の妨害はやめてください。前立腺がんの世界的名医である岡本先生の治療を、私たち以上に待っている待機患者の希望を打ち砕かないでください。私たちは今度は後に待っている待機患者のために、ここにいる患者会の皆とともに闘い抜くことを誓います」

と喜びと決意を語った。

宮内さん

ついでやはり待機患者の宮内さんが語った。

「私たち患者会は『岡本メソッド』の恩恵を受けたものとして、つまり『中・高リスク』の前立腺がんを患ったにもかかわらず、ほぼ100%完治し、生活に支障をきたすことなく平穏に暮らせるものとして、岡本先生の滋賀医大での勤務継続を勝ち取るべく闘っております。
 世間での誤解について、その真実をお伝えしたいと思います。(略)『しょせん大学の教授間の派閥争いじゃないの』という意見、これは間違いです。一人の医師とそれを支える患者たち。対する大学病院幹部の闘いなのです。この構造を考えていただければ答えはすぐに出ます。
 なぜ、すでに完治した多くの患者が一人の医師支えて闘うのでしょうか。岡本メソッドの素晴らしさを文字通り体験した患者たちが、『その恩恵を未来の患者さんたちにも享受していただきたい』という姿。対してその評判が自分たちの権力欲、名誉欲の邪魔になると考える大学病院の幹部たちとの闘いです。現に大学病院の幹部は違法行為で刑事告訴されております(著者注:告訴状は未受理)。このような方々にはすぐに退いていただきたいのです。
 最後に、『岡本医師は他の病院に行けばいいじゃないの。そんな優秀な先生であれば引く手あまたでしょう』という声。たしかに目の前の患者を救うだけであれば、その意見は一理あります。しかし、我々が求めるのは、人の命をないがしろにする病院の体質改善と、岡本メソッドの全国展開です。そのためには教育機関である 滋賀医科大学に岡本先生が残って頂き、全国の若手医師の指導を継続していただく必要があります。岡本メソッドの全国展開と、早期発見で、日本人の死因から、前立腺がんが消えます。そんな夢のある未来に対して闘っております。ご支援よろしくお願いいたします」

鳥居さんも宮内さんもご自身の治療は、まだであるのにすでに「未来の患者」のために日差しの強いデモ行進への参加を決められた。スピーチには立たれなかったものの、この日の集会・デモにはほかにも5月20日の仮処分により、岡本医師の治療を勝ち取られた方々が遠方からも参加されてていた。東北や沖縄からの参加者もあった。

患者会による草津駅市周辺でのデモ は1月12日に続き2回目だ。1月12日の集会とデモは真冬にしては穏やかな日和だったが、この日は湿度は低いものの、きつい大陽が照り付けた。

先頭が出発してもまだ動き出せない後尾のデモ参加者。3名のコーラーが指示しながら、デモ隊は前回と同じコースを進んだ
本音が……

滋賀医大病院に対しては、本通信でお伝えしている通り、5月20日、大津地裁で「 11月26日まで岡本医師の治療を病院は妨害してはならない」との仮処分決定が命じられている。

この決定を受け、わたしは5月23日滋賀医大に、
(1)仮処分の決定について大学としてどう認識しているか?
(2)岡本医師の新患患者の受付が止まっているが、その点どう対処するか?
(3)滋賀医大の認識・判断が根源的に間違っていた、と裁判所は判断したが松末病院長の責任をどう考えているか? 
を電話で質問した。

が、回答がなく、翌24日にメールで回答があった。内容は「決定理由を踏まえて適切に対処します」だけであった。私の質問への回答になっていないので、「社会的存在の滋賀医大には説明責任があるので記者会見を開いてほしい」旨電話で広報担当者に告げておいた。

長蛇のデモ隊に注目する買い物客たち

患者会関係者によると、個別には岡本医師の治療を希望する、新規患者の受け入れを一部再開しているとの情報もあるが、滋賀医大病院のHPでは6月1日現在そのような告知は確認できない。停止していた新規患者の受け入れを再開したのであればHP告知しなければ、全国で岡本医師の治療を待っている患者さんに、伝わらないのではないか。

この問題は、朝日新聞、毎日放送などが継続的に取材報道を続けている。毎日放送は6月30日になんと1時間のドキュメンタリーを放送する予定だという。鹿砦社も微力ながら引き続き滋賀医大問題を注視し続ける。

デモ終盤になっても熱量は衰えない

◎患者会のURL https://siga-kanjakai.syousengen.net/
◎ネット署名へもご協力を! http://ur0.link/OngR

《関連過去記事カテゴリー》滋賀医科大学附属病院問題 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=68

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

私の内なるタイとムエタイ〈59〉タイで三日坊主!Part.51 もう一度歩きたかったビエンチャンに滞在!

スリランカ僧のナンマラタナさんと、メコン河沿いを歩く

◆3度目のビエンチャン

親しくなったブントゥーン(左)とワンナー(中央)と

殺されるんじゃないかと大袈裟にも思った前回より余裕あるビエンチャンの入口に立つと、そこへ予想どおりタクシー運転手が群がって来た。

「ワット・チェンウェーを知っているか」と聞くと、「知ってる知ってる、乗れ!」と言う運ちゃん。「幾らだ?」と聞くと「100バーツ!」。この前より安いじゃないか、じゃあ行こう。

今回は呑気な30分あまりの乗車で、あの托鉢で歩いた集落に入った。もうワット・チェンウェーは目の前。ここまで来て道に迷った人のいい運ちゃんはその辺で人に聞こうとするが、私は「もういいよ、この辺分かるから!」と言って降りた。
2ヶ月半ぶりのワット・チェンウェー。前回はお腹壊したままのお別れだったから、去り際がカッコ悪かった。今回はカッコ良く過ごしたい。まだ受け入れてくれるかは分からないが、また泊めてくれる期待を持って門を潜るところであった。

シーポーン(左)、ワンナーとパトゥーサイまで来た

◆ワット・チェンウェーでの再会

境内を掃き掃除していたのは英語の学習熱心なあの英語ネーンだった。歩いて来る私を一瞬、「誰だこいつ!」といった目で見て、掃除を続けようとするが、ほんの2秒後、再び私を見て笑顔になった。この間(ま)はやっぱり面白い。何人目だろう。姿が変わったことに気付かず、間が出来てしまうのである。もう喜びが顔に溢れる互いの接近。

「還俗したんだね!和尚さん居るよ!」と言ってサーラー(講堂)へ引っ張るように招き入れてくれた。ブンミー和尚さんはネーン達3人ほどに勉強を教えているのか、テーブルの上に教科書を広げるようにしてネーン達に話し掛けていた。

皆の視線が私に向き、やがて笑顔に変わった。すぐ三拝し、またビザの申請の為に来たことを告げた。

「ホテルに泊まって居るのか?」と言われて、「今、サパーン・ミタパープ(タイ・ラオス友好橋)を渡って来たばかりです」と言うと「じゃあ、ここに泊まっていきなさい」と言ってくれたのは想定内。そこからは想定外の親切さに驚くばかり。12月に来た時はまた増築中だったクティ2階の部屋に案内されると、それはエアコンの効く部屋だった。トイレ水浴び場は共同だが、温水の出るシャワーもあった。

「前回泊まった外の木造小屋でいいですよ」と言ったが、「あんな粗末なところは申し訳ないから行かなくていい」と言われる。そう言えばお爺さん比丘が居ない。「あのお爺さんは?」と聞くと、「もう居ないんだ」とだけ言われて、どうしたのかは言ってくれなかった。病気がちであったし、亡くなられたのかなと思う。

寺にタンブンに来ていた老婆と息子さん

◆スリランカのお坊さんと歩く

滞在中、外国から来たと見える比丘がやって来た。スリランカのお坊さんで、バンコクのサイタイマイバスターミナルに近い寺に在籍して居て、やっぱりビザ取得の為に来た、タイ語は完璧の“ナンマラタナ”という名前で38歳。過去、シンガポールやマレーシアにビザ取得申請に行き、今回はビエンチャンに来てみたという。ノンカイ駅から真っ直ぐ歩くと、ワット・ミーチャイ・ターがあってそこで泊めて貰い、このチェンウェー寺を紹介されたという。何だ、俺達と似た道じゃないか。藤川さんが歩いた道は外国人比丘の定着したラオスへの道かもしれないな。

このナンマラタナさんのビザ申請をお手伝いし、ノンカイへ帰る日も一緒に向かったが、去り際に持っていた着替え用の黄衣をブンミー和尚さんに渡して行った。捧げるというより、極力荷物を減らそうと見える動きだった。比丘の巡礼とはこんなものだろう。必要なものは現地調達。要らないものは置いていく。私なんか旅する度に荷物が増えていった。そこは藤川さんも言っていたが、「旅もそうやが、暮らしも生活必需品だけあればええやろ」と言った言葉が思い出される。

「過去に拘るから荷物が増えるし、それに纏わる悩みも増える訳や、全部置いていけば拘りも無くなるし、楽なもんや」「お金持ちは土地建物、高級車いっぱい持っておっても、あの世までは持って行けんのやぞ。これらを守る為に所得誤魔化したり、余計に維持費が掛かったり、欲が尽きん疲れる人生で気の毒やなあ」と御自身も金にまみれて女遊びに没頭した人生を送っても、まだ欲が尽きなかった悟りを語っていたが、私も上京して狭いアパート暮らしして、新たに買った電化製品、本やカメラ類が増えていき、やがて荷物に溢れ、広い部屋に引っ越す。それらの財産があるからそこから動けなくなり、それらを失いたくない欲望が生まれ、守りたいと悩みが増える。こんなものに縛られて生きて居るのが我々一般人なのだろう。

でも、思い出のビデオや写真、絶対捨てられないんだよなあ。今でも記念に黄衣やバーツまで持って帰ろうとするこの愚かな私。変わらないだろうなあこの性格。それに対するナンマラタナさんの所持品の少ないこと。ノンカイへ渡る際でも托鉢にでも行くぐらいの格好だった姿に、そんな人生の身軽さを感じた。

ここでも記念写真、ナンマラタナさん(左)を加えて
若い先生だがしっかりした授業だった

◆寺の仲間たち

ここで修行する若い比丘やネーンに、今回はしっかり名前を聞いてみた。英語暗記に熱心なのが“ワンナー”という名前で、一緒に学校に通っていたのが“シーポーン”。二人とも英語塾に通っていて、授業にも着いて行って覗かせて貰った。

貧乏そうな幼い女の子が窓から覗いていたが、お構いなしに授業が続けられた若い先生。

昔、私が小学1年生の頃、担任の先生が言っていた、「終戦後に幼い女の子が窓から授業を覗いて居たことがあった」という、そんな思い出を教えてくれた話が蘇えった。女の子は人恋しく授業に引き寄せられたのだろうか。

英語塾もお邪魔させて貰った授業風景
夕食はケーンを連れて歩いた日々

私の小学校の頃も木造のボロボロの校舎だった。そんな日本の昔ながらの木の机もここでは当たり前の存在。

ネーンも一般の学生に混ざって授業を受ける。英語は日本の中学生レベルかな。そんな文法を教わっていた。

私といちばん友達のように接してくれた、“カンペーン”という名のネーンはやがて20歳だが、比丘に移っても学生の間だけ仏門生活を続けるようだった。

今回、カンペーンには街中を一緒に歩いてくれて観光名所を案内してくれた。

カーオトム屋から見たタイ側に沈む夕陽

カンペーンと一緒にいた比丘の“ブントゥーン”も、若くて貪欲な勉強熱心さで読経も上手い奴だった。

幼い男の子はこの寺でブンミー和尚さんが預かっている子で“ケーン”という名前。4歳の時にこの寺に来て、今9歳だという。デックワットというよりはブンミー和尚さんの子供のように扱われているが、当然ながら本当の子ではない。

その辺の事情は詳しくは分からなかったが、ある日、ある人物が寺に預けられていったような様子が伺えた。

比丘らは午後の食事は無いから、ケーンとは夕方の食事に何度か外食に連れて行った。メコン河沿いにあるカーオトムの店は何度も通うと、店に入ると注文しなくても「いつものやつ!」といった感じで“カーオトム”が出てきた。

タイで言うクイティオ(うどん)だが、ここでしか味わえない味。凄く美味いとまでいかないが、これは日本に帰ってから絶対また食べたくなるぞと思う独特の味。

また寺にタンブンに来る近所の親子の信者さんは高齢の母親と暮らす43歳のオカマのオモロイおっさんで、今回はなかなかオモロイキャラクターが揃うビエンチャンの旅となっていた。

カーオトム屋の通り、この道が延々続くメコン河沿い

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』
上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

かつて存在した伊豆大島独立論  残されたのは”建国”か〈後編〉

◆前回のあらすじ

敗戦直後の伊豆大島は、GHQの命令によって日本本土から切り離される可能性があった。そこで島民たちが独立・建国について真剣に議論した時があった。この時に「大島大誓言」と呼ばれる憲法を、島民たちが作成した。彼らの職業は大工や茶屋の店主、教師などであり、法の専門がいない中でこのような大事を成し遂げたのは非常に注目に値する。最終的に伊豆大島は日本政府の統治領域に含まれることになり、独立論は消滅した。

◆今こそ伊豆大島独立論を再考すべき時

ナショナリズムの観点からしか独立・建国はできないのか?

ここまでで、戦後の伊豆大島で本気で新しい国を興そうとした動きがあったことを述べた。この伊豆大島独立論は、今を生きる私たちに何らかの示唆を与えてくれるかもしれない。

琉球諸島では、米軍基地問題に関する日本への不満から独立を模索する動きが出ているが私たちも独立や建国といった手段を考察してもいいはずである。それは原発再稼働や共謀罪の成立によって、「本土」にいる私たちも既に危険な状況にいるからである。

そのためには、今の「国際社会」の在り方を相対化する必要がある。今の主権国家体制にとらわれるままでは、建国は困難である。なぜなら、今日の国家はいわゆる「国民国家」でありナショナリズムによって形成されているからである。ナショナリズムとは「政治的単位と民族的単位は一致すべき」とする政治原理である。この考えに基づくと、琉球諸島は琉球民族・先住民族という理由から独立できる。しかし、原発で苦しむ福島やあるいは安倍に不満を持つ日本各地の日本人が「独立」と主張しても、「政治的単位と民族的単位は一致すべき」とするナショナリズムの観点から容認されない。国連などが支持しないばかりか最悪の場合は「テロリスト集団」と呼ばれる。

さらに主権国家体制は国家間のカルテルである。それぞれの国々が承認して初めて「正式に」国家と認められるのである。したがって、私たちが新しい国を建国して優れた行政機関や経済体制を構築しても、「正式に」国家と承認されなければ「国際社会」から排除される。例えば、台湾は領域・国民・政府を持ち事実上、国家である(それも先進国レベル)にもかかわらず、中国の圧力で「国際社会」で承認されないので国家と見なされない。一方、シリアのアサド政権のように自国民を平気で戦闘機で爆撃するような、ならず者国家であっても、この国家カルテルのおかげでシリアにおける「正当な」国家とみなされるのである。

そもそも他の国家が承認しないと、「正当な」国家と認められないとは非常におかしなことである。国家を構成する最低要素は、領域・国民・政府なのである。過去の歴史を見れば「承認」自体が存在しない事例の方が圧倒的に多い。

謁見を受ける太平天国の王・洪秀全

例えば、清末の中国で15年にわたり存続した革命政権の太平天国は、清朝政府からはもちろん容認されず、周辺の日本・朝鮮も太平天国を正式に国家と認めるようなことはせず、テロリスト集団のように見なしていた。しかし、長江流域を支配し何十万もの人民を従え、キリスト教思想に基づいた半場神権的な統治体制を敷いていたのであり、それはもはや国家であった。

時代は下って、イラクとシリアに跨る領域にカリフ制国家の再建を宣言したイスラーム国(IS)も、残虐行為から嫌悪され国家と見なされることはなかった。しかし、一時期イギリスに等しい領域を支配し、そこの住民を支配し、サラフィー主義=ワッハーブ主義に基づく政治体制を敷いており国家建設の計画書まで作成していた。その実態は国家であったと言える。以上、これらの理由から「承認」がなくても構成要素があれば国家は成り立つのである。

私たちは主権国家体制を徹底的に相対化し、これまでの国家体制とは違うオールタナティブなシステムの構築が必要である。パスポートの不要、移住の自由化、国家による教育禁止、国籍による生活における待遇の禁止、ナショナリズムの禁止など……。今の世界各地の状況を見ても、主権国家体制はほころびを見せ始めている。EUにおける反難民の動き、トランプによるメキシコとの国境での壁建設、破綻国家化したシリアやイラクからの住民の脱出……。

私たちが目指すべきは、抑圧のないアナーキズムな社会である。そのためにも今の日本国家から抜け出し、自分たちで新しい国を興すことを真剣に議論しなければならない時に来ていると言える。(完)

◎かつて存在した伊豆大島独立論 残されたのは”建国”か
〈前編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=30013
〈後編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=30022

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

「維新」政治の拠点都市・大阪から〈改憲ファシズム〉の未来が見える

◆丸山穂高議員の発言は「失言」でなく、「本音」である

 
丸山穂高議員のHPより

過日、「日本維新の会」所属の丸山穂高議員が、「北方領土を取り返すには戦争しかない」との趣旨を発信し、「日本維新の会」から除名された。あらまあとしか言いようがないが、丸山議員は「失言」を発したのではなく、本音を発信したとわたしは考える。

そもそも「失言」によっての党籍除名や議員辞職勧告はおかしいのではないか。丸山議員の発言は失言でも、勘違いでもなく、本心がポロリと出たのであり、あの高須クリニックの院長先生も応援しているではないか。

本当の問題はこのような議員を当選させてしまっている、いまの選挙制度、政党の体たらく、さらには有権者の見識のなさではないのか。候補者や議員の本音こそが問題にされるべきではないか。

◆安倍晋三の「本心」をわれわれはもっと検証・議論すべきである

政治家は「失言」により、失脚することが多いが、「失言」よりも「本心」のほうが大切ではないだろうか。安倍晋三を例に挙げれば「さらなる軍備増強を図り、核武装をしたうえでアジア諸国を威嚇し、かつての大東亜共栄圏に匹敵する覇権を日本は握りたい。

そのためには国民の権利を大幅に奪い、緊急事態条項を設け、戒厳令を敷ける法整備を行い、天皇を元首と明記し、政権が使いやすい道具としてその存在を再規定したい」といったところであろうか。

こういった本音に接したら(接しても)安倍自民党に投票する人が多数なのであれば、仕方ない。もう希望などはない。けれども「え! そんなことまで考えてるの?」と多少はいぶかる方々も出ては来るのではないだろうか(極めて根拠の薄い期待であるが)。本来メディアの仕事は政治家の本心を探り出し、報じることであるのではないかと思うが、いかにも機能不全の度が過ぎる。

◆関西ネオリベの起源と拡大──「松下政経塾」から「維新」へ

さて、丸山穂高議員は東京大学後、経産省に勤務し、原子力保安院などを歴任したのちに退官。かの「松下政経塾」の出身者でもある。政界における「松下政経塾」出身者とは、改憲を志向し、時代錯誤な「日本誇大妄想」をいまだに抱き続ける困った人たち(本当は別の表現を使いたいところではあるが……)の集団である。

そして「維新」勢力は、総論自民党の主張とかわりないものの「なにか新しい」と勘違いさせるのに長けた連中である。「維新」の政策と自民党の政策を横に並べてみるがいい。ほとんど変わりはしないことが一目瞭然だ。

かつて橋下徹氏が大阪府知事選挙に出馬した際になにを連呼していたか?「地番沈下した大阪経済を活性化させるために、ヒト・モノ・カネを大阪に集めて……」である。なんのことはない。すでにその機能が失われた、従来の集中都市型の成長神話(高度成長期に時代の発想)を周回遅れで、連呼しているに過ぎない。「ハコもの、イベント」戦略だ。

そこにカジノがプラスされることだけが新しい(たちが悪い)。21世紀になって「万博」を呼んでどうする。黒字の地下鉄を民営化するのはなぜだ。津波が来たら一番最初に被害にあい機能不全が確実な咲州庁舎は災害の時に混乱要因ではないのか……。大阪をめぐる問題は数多いが本質的な問題に迫る言論はまれである。本通信に釜ヶ崎の問題を連続して報告してくださっている尾崎さんの活躍が際立っている。

◆「世襲」自民と「ネオリベ・エリート」維新が「改憲」で繋がるファッショ

 
大阪維新の会の主要役員(大阪維新の会HPより

さて、自民党と「維新」勢力唯一の違いは、自民党に在籍すると世襲議員が優遇される傾向が強いが、「維新」は歴史が浅いので、世襲ではない議員が比較的多いことくらいである。それにしても戦慄すべきは、1984年生まれの丸山議員は東大から経産省とエリートコースを邁進してきたわけだが、霞が関には丸山議員と似たような考えの官僚が、かなり生息しているであろうと推測されることである。

これは根拠のない推測ではない。わたしはある若手の高級官僚が自身の実名Facebookで、被疑者の「殺処分」(死刑以前に殺してしまう)を提案している事実を知り、当該部署の責任者に取材し見解を求めたが、責任者はその重大さに気が付くのに30分近くかかった経験がある。

見ているがいい。わたしは、金輪際望まないが、もし「改憲」がさらに現実味を帯びてきたら、自民党と「維新」は仲良く手をつなぐに違いない。「新自由主義」と「軍国主義」を指向し、アジア蔑視を徹底する点で、自民党も「維新」も何の違いもない。であるのに、いまだに「維新」幻想から覚めない方々が少なくない。本コラムの筆者にもそのような方はいらっしゃる。わたしにはまったく理解のできない感性である。

あるいは東京にお住まいの方や関西以外の方々にはあまりリアリティーがないかもしれないが、大阪市議会の会派別構成を見れば、その尋常ではない様子がご理解いただけよう。大阪市議会の定数は88人。うち「大阪維新の会」が51人、自民党が16人、公明党が15人、共産党が2人、旧民主系が2人、諸派2人だ。国政では与党の自公プラス「維新」で9割以上の議席が占められているのだ。この構成比は大阪府議会も大きく変わりはしない。

府政与党と国政与党が9割の議席を超えれば、「少数意見」などまったく府政には反映されない「異常事態」と本来は大騒ぎにならねばおかしい。政界を引退したと自認する、橋下徹のコメントなどをマスコミは喜んで拾うべきではないのだ。中国や朝鮮は形ばかりの「選挙」を行い、その欺瞞ぶりは誰の目にも明らかであるが、この島国では、一応民主的な選挙を行っても、大阪では極右と国政与党勢力に9割の議席が与えられる。

久しぶりにタバコが吸いたくなった。

▼田所敏夫(たどころ としお)

兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)
タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
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《殺人現場探訪24》「監視社会」になる前の悲劇、広島地下道16歳少女刺殺事件

現在、日本の都市部では、街中の至るところに防犯カメラが設置されている。このような状態を「監視社会化が進んでいる」として、嫌う人は少なくない。

だが、私は正直、監視社会化が進む現在の状況をいちがいに否定できないでいる。過去に様々な殺人事件を取材してきた中、「もしも、あの場所に防犯カメラが設置されていれば、防げたのでは……」と思うような事件がいくつも存在したからだ。
ここで紹介する、16歳の少女が殺害された事件もその1つだ。

24時間営業の店が色々ある現場界隈。地下道は「死角」だったようだ
この非常ボタンは事件当時も存在したが、悲劇を防げなかった

◆事件から19年、犯人はいまだ捕まらず

事件は2000年1月20日、広島市の中心部からそう離れていない、西白島町で起きた。現場は、国道下を通る、地下道であった。

被害者の少女は、この日の深夜、タクシーで自宅近くまで帰り、コンビニで買い物をした後、帰宅しようと午前3時50分頃、地下道を利用したとみられている。そしてこの時、何者かに刃物で刺され、生命を奪われたのだ。

現場の地下道周辺は、少女が買い物をしたコンビニのほか、ファミレスやファーストフードショップが24時間営業している。そんな中、地下道はまさに「死角」になっていたようだ。

事件から今年1月で19年を迎えたが、犯人はいまだ捕まらず、未解決。広島県警はホームページで情報提供を呼びかけ続けている。

事件後、現場の地下道に設置された防犯カメラ

◆事件後、市は11の地下道に防犯カメラを設置

もっとも、そんな事件の現場を訪ねると、今は地下道の数カ所に、存在感のある防犯カメラが設置され、まさに通行人たちを睨みつけているような様相だ。そこで、広島市に問い合わせてみたところ、この事件が起きたのち、この地下道を含む市内の11の地下道に防犯カメラを設置したのだという。

そのおかげか、この事件が起きてから20年近くになるが、広島市内の地下道で新たに重大な事件が起きたという話は聞かない。それはすなわち、防犯カメラが市民の安全に寄与しているということだ。

そして裏返せば、この事件が起きた2000年1月の時点で、現場の地下道に今のように防犯カメラが設置されていれば、16歳の少女は生命を奪われずに済んだかもしれないということだ。

彼女が今も生きていれば、30代半ばという年齢だ。結婚し、子どもにも恵まれ、幸せな家庭を築いていたかもしれない。

殺人事件を色々取材していると、こういうケースにめぐりあうことは少なくない。だから、私は正直、監視社会化を否定できないでいる。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。新刊『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)が発売中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の誤解に応え、再度私見を申し述べます 鹿砦社代表 松岡利康

5月23日付け「デジタル鹿砦社通信」で前田朗東京造形大学教授への苦言と、この内容で送った手紙に対して、当の前田教授よりご丁寧な返信がありました。公開の形になっていますので、私もこれに対する再私見を公開書簡の形でアップさせていただきます。急いで書き上げましたので誤認や誤読の箇所もあるやもしれませんが、その際はご容赦ください。これが実りある議論になれば幸いです。(松岡)

◆      ◆      ◆       ◆

前田 朗 先生

冠省 長文のお答えをいただき、感謝にたえません。差別問題に対する前田先生のこれまでの取り組みの数々には深く敬意を示すものでございます。
 
ご返答いただいた回答ですが、前田先生は肝心の「リンチ事件裁判」の判決について、大変な誤解をなさっています。先生は、

〈しかし、刑事事件としては、実行犯は一人とされて、判決が確定しました。民事事件としても、同様の結論になったと言えます。「リンチ事件」という言葉が、複数犯によるリンチを指すとすれば、リンチ事件はなかったことになります。李信恵さんについて言えば、共謀はなかったし、不法行為もなかったことが裁判上確定しました〉

と勘違いなさっていますが、刑事事件も民事訴訟も実行犯は2人(単独ではない)との判断が出ています。したがって先生が前提とされる「複数犯によるリンチを指すとすれば」の前提に立っても、「リンチ事件はなかったことになります」は完全なる間違いであり、「複数犯によるリンチを指すとすれば、リンチ事件は刑事・民事であったことが確定しました」でなければなりません。この点、事実関係は非常に重要ですから、強調して、先生の誤解を指摘させていただきます。先生の定義に沿った「リンチ事件」は存在したと刑事・民事(現在上告中)でも判断されている点は、認識を改めていただきますよう、強く要請いたします。

ちなみに、リンチとは「法によらない私的制裁。私刑」(広辞苑第七版)で、複数の者によらなければならないわけではありませんが、M君リンチ事件は、5人で深夜にM君を呼び出し、M君に対する「私刑」ですからリンチです。李信恵氏自身が供述しているように「日本酒にして一升」ほどの酒を飲み酩酊状態で集団暴行を行ったのですから、そこに同座した5人全員に〈連帯責任〉があり、また師走の寒空の下に重傷でのた打ち回っている被害者M君を放置し立ち去ったことを、先生は人間としてどう思われますか? このことだけを見ても、李信恵氏らの言う「人権」が偽物だということが判ります。

リンチ直後に李信恵氏が出した「謝罪文」の1ページ目。のちに撤回。少なくともこの「謝罪文」に立ち返るべきだ。
リンチ直後に出された辛淑玉文書の1ページ目。なぜか、のちにみずから否定する。

また、先生は「共謀はなかったし、不法行為もなかったことが裁判上確定しました」とも仰っています。「裁判上確定したから…」云々で言えば、冤罪で闘っている方々は救われません。裁判官も人間ですから〈誤判〉もあるでしょう。先生もお聴きになりご覧になったであろう、リンチの最中の音声データやリンチ直後の被害者M君の顔写真という動かぬ証拠があるのに「共謀はなかったし、不法行為もなかった」とは子供騙しの物言いです。冤罪とは、罪のない人が権力の策謀で罪を押し付けられることですが、このリンチ事件では逆で、実際にリンチの場にいた5人(その中の1人は格闘技の達人)でM君に暴力を行使し重傷を負わせたことは否定できない事実です。これが裁判所で認められないのは、いわば“逆冤罪”といえるでしょう。『救援』は半世紀にわたり、権力からの弾圧と闘ってきた「救援連絡センター」の機関紙です。その運営委員で、連載を担当されている、前田先生に「冤罪」「誤判」の話を持ち出すのはためらわれますが、「裁判上確定したから…」とのご判断には、首肯しかねます。

また先生は「松岡さんが裁判所の認定を批判するのはもちろん自由ですが、その理屈を李信恵さんに差し向けるのは不適切です」とご注意いただいておりますが、私たち鹿砦社が李信恵氏と係争関係になっているのは、李信恵氏が一方的に、鹿砦社に対して、容認できない汚い言葉での攻撃をツイッターで続けてきたからです。誹謗中傷、罵詈雑言を「差し向け」てきたのは李信恵氏ですよ。先生も『救援』記事以降、ある人から30件ほどの罵詈雑言を受けたとのこと、罵詈雑言メールは他にもあるでしょうから合計すれば多数にわたるでしょう。それらのメールなりツイッターの詳しい内容は分かりませんが、おそらく李信恵氏らにつながる「カウンター」関係者と推察します。同様の罵詈雑言を私たち鹿砦社も受けているのです。

幾度となく述べていますが、李信恵氏とは付き合いもなく(顔を見たのはリンチ裁判での本人尋問の時1回だけです)、よって私怨や私恨もございませんが、「リンチ裁判」の途中から李信恵氏は、鹿砦社や代表の私を攻撃(攻撃というより罵倒に近いでしょう)するツイートを重ねてきました。出版社としての業務にも支障が生じるほどの内容でしたので、代理人を通じ「そのようなことはやめるように」と「通知書」を送りましたが、それでも李信恵氏の鹿砦社罵倒は、やまなかったため、仕方なく提訴した次第です。

先生の文章では、この経緯をご存知ないように拝察いたしましたので、重要なプロセス故、事実関係とこの推移をご説明させていただきました。私たちがあたかも李信恵氏だけにこだわって「批判」を続けているように誤解なさっているようですが、そうではありません。また先生は以下のように述べられています。

〈『救援』記事に対して、松岡さんとは全く逆の立場から、私を非難してきた人物が数名います。中には私を「敵」として非難し、「おまえのような馬鹿はもう相手にしない」と罵倒する絶縁メールを30回も送りつけてきた人物がいます。返事は出していません。この種の人物に返事を出しても時間の無駄です。ただ、ここで紹介したのは、この人物と松岡さんには一つ共通点があるからです。それは「敵/味方」関係で物事を考えていることです〉

 
李信恵氏らの代理人である神原元弁護士による鹿砦社と支援者らに対するツイートの一例

このご指摘はまったく失当です。私並びに特別取材班は、「正義の味方」と「敵」を峻別しようなどと微塵も考えていません。ただ実直に「リンチ事件」についてどう考えるか?を事件に直接ではないものの、「隠蔽」や「二次加害」で関わった可能性のある方々(そのほとんどは「可能性」ではなく濃淡はありますが、実際に手を染めておられました)に「これでも『リンチ事件』がなかったというのですか?」「あなたは隠蔽に加担して心が痛まないのですか?」と尋ねているにすぎません。

また、事件の加害者と、組織的隠蔽に加担した者は、程度に差がありこそすれ人道上の〈罪〉や〈連帯責任〉がある、と私は考えます。ですから「事件隠蔽」に関わって素知らぬ顔をしている人々を私たちは、まったく信用することができません。この点では事件の加害者、その代理人である神原元弁護士をはじめとする、隠蔽加担者。あるいは被害者に対する二次加害加担者を批判するのは当然ではないでしょうか。「敵/味方」関係で物事を考えているとのご指摘は的を射ていません。私たちは「事実に忠実か、そうでないか」で人物の評価を行っています。誤解なさいませぬように。

次いで、先生はこうも述べておられます。

〈私はもともと「敵/味方」関係で考えていません。上記のように、反差別と反ヘイトの研究と活動の仲間たちですから、その行動に疑問があると指摘しましたが、敵対関係ではありません。「敵」がいるとすれば、それは差別する権力、差別させる権力、差別を利用する権力です〉

このご意見には大賛成です。ですから、権力が恣意的な運用を図るきっかけを与えた、「ヘイトスピーチ対策法」を私たちは、まったく評価しません。ここは、先生のお立場と全面的に異なる点です。が、この問題は冷静に先生と議論させていただく機会があれば、実のある議論が展開できるのではないかと存じます。

しかし、以下のご指摘はまったく承服しかねます。

〈松岡さんがあくまでも自説に固執して、従来と同じ発言を繰り返し、李信恵さんを非難し、関係者を非難し続けることは、今や不適切なことと言わざるをえません。李信恵さんは、在特会や保守速報による異様なヘイト攻撃に立ち向かい、闘い続けました。在日朝鮮人というマイノリティが猛烈な差別を受け、同時に女性差別を受けながら、ついには裁判所に「複合差別」認定させました。このことの積極的意義を私たちは認め、李信恵さんの闘いに敬意を表すべきではないでしょうか〉

李信恵氏が裁判所に「複合差別」を認めさせたことを評価なさるのであれば、同じ大阪地裁で記者会見を申し入れるも一切無視され(記者会見を開かせてもらえず)大阪司法記者クラブにより、完全に「事件」をなきものにされた、「リンチ被害者」M君への“複合重層差別”を先生は度外視なさるのでしょうか?この事件を論じるにあたり、まず先生は基礎的事象について正しく理解されていません(刑事・民事とも「リンチ」は認定されていることなど)。したがって先生のご見解は事実をお知りになれば大きく、根本的に変化するのが自然であろうと思慮いたします。先生は、お送りしたリンチ関連本5冊をどれほど深く読まれているのでしょうか? 深く読まれたので『救援』での2度の論評を書かれたものと推察しておりましたが……。「複合差別」との闘いが大変であるとすれば“複合重層差別”との闘いがさらに困難で、厳しいものかはご想像に難くないはずです。

 
リンチの現場にいた伊藤大介氏の恫喝メール。とても、「反差別」や「人権」を語る者の言葉ではない。

話は前後しますが、私は「自説に固執」などしていません。誤りがあれば潔く認めます。これも幾度となく公言していますが、私は自分にも他人にも「私たちは正しいのか?」と常に問い返してきました。この問題への私たちの関わりが、これだけ激しいリンチを受け、さらにはかつての仲間らから村八分(これは差別ですよね?)された被害者を前にして人間として見て見ぬ振りはできませんでした。支援を始めてからも、しばらくは半信半疑のところはありましたが、取材や調査を重ね、リンチがあったのは事実で、被害者への正当な補償もなされておらず、逆にネット上でセカンド・リンチを受ける理不尽に不条理を覚えました。ネットでの誹謗中傷は私たちにも及び過熱化する兆しがありましたので、M君は、先頭に立ってネット・リンチを行っていた野間易通氏を名誉毀損で提訴し、また鹿砦社も李信恵氏を提訴し、どちらも野間氏、李信恵氏の不法行為が認められ勝訴しています。

また私は、李信恵氏らがいったんM君に渡した「謝罪文」に立ち返り真摯に謝罪するのであれば和解に向けて汗を流すことも厭わないとも何度も述べています。なのに、開き直っているのは李信恵氏らではないでしょうか? 李信恵氏の代理人の一人、神原元弁護士は「私怨と妄想にとりつかれた極左の悪事」などと私たちを罵っています。私たちは素朴かつ愚直に被害者支援と真相究明に関わったにすぎず、トンデモない物言いです。

ちなみに、私は40数年前の学生時代にノンセクトの学生運動に関わったことはありますが、そんな私以外には、M君は勿論、社内、取材班、支援会に左翼運動の経験者は誰もいません。

ところで、昨年公開されてから何度かコメントしましたが、先生の「出版記念会」に名がありましたので、5月27日付け「デジタル鹿砦社通信」で、あらためて採り挙げた師岡康子弁護士が金展克氏に宛てて送ったメール、俗にいう「師岡メール」について、先生はどう思われるか、ぜひご意見を伺いたく存じます。師岡弁護士には以前に取材の電話を差し上げたところ、けんもほろろに切られましたが、被害者の人権もなにもあったものではありません。こんなメールを送る人がいくら「マイノリティの人権」だとか言っても私は信用しません。

先生のご主張には、『救援』での論評から「豹変」したと感じることが少なからずございました。たびたび引用させていただきますが、『救援』では李信恵氏に対し、
「反差別・反ヘイトの闘いと本件(注:リンチ事件)においてC(注:李信恵氏)を擁護することはできない」
「しかし、仲間だからと言って暴力を容認することは、反差別・反ヘイト運動の自壊につながりかねない。本書が指摘するように、今からでも遅くない。背筋を正して事実と責任に向きあうべきである」
と述べられ、さらに「被告C(李信恵氏)」の人格については、
「長時間に及ぶ一方的な暴力の現場に居ながら、暴力を止めることも立ち去ることもせず、それどころか『顔面は、赤く腫れ上がり、出血していた』原告(引用者注:M君のこと)に対して『まあ、殺されるなら入ったらいいんちゃう』と恫喝したのがCである。唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なうものである」
と断罪されました。さらに上瀧浩子弁護士らに対しては、
「被告らの弁護人には知り合いが多い。かねてより敬愛してきた弁護士たちであるが、彼らはいったい何のために何をやってきたのか。(中略)あまりに情けないという自覚を有しているだろうか。差別と暴力に反対し、人権侵害を許さない職業倫理をどう考えるのか」
と述べられています。今でも至言だと思っています。

言いたいことが山とあり、脈絡のない手紙となりましたが、何卒ご容赦ください。
先生のますますのご活躍をお祈り申し上げ擱筆いたします。      早々

[参照記事]
松岡利康【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の豹変(=コペルニクス的転換)に苦言を呈する!(2019年5月23日デジタル鹿砦社通信)
前田朗東京造形大学教授「鹿砦社・松岡利康さんへの返信」(2019年5月26日前田朗Blog)
鹿砦社特別取材班【カウンター大学院生リンチ事件】カウンター/しばき隊の理論的支柱・師岡康子弁護士による犯罪的言動を批判する! 前田朗教授に良心があるのなら、師岡のような輩と一緒に行動してはいけない!(2019年5月27日デジタル鹿砦社通信)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

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【カウンター大学院生リンチ事件】カウンター/しばき隊の理論的支柱・師岡康子弁護士による犯罪的言動を批判する! 前田朗教授に良心があるのなら、師岡のような輩と一緒に行動してはいけない!

先日、本通信で鹿砦社代表の松岡が、前田朗教授批判を展開した。前田教授の「豹変(コペルニクス的転換)」(松岡評)には驚かされた。一部の方からは「言い過ぎだ」との指摘も受けた。さほどリンチ事件の真相(深層)を知らない方ならそうかもしれない。

 

しかし、3年余りリンチ事件を徹底取材し5冊もの本にまとめ上げ、前田教授による『救援』紙上での2度にわたる厳しい、リンチと、この加害者、隠蔽に走る輩への批判(特に上瀧浩子弁護士らに対して)を知る者にとっては大ショックだったので、松岡の論評には、われわれも同感だし、リンチ被害者M君も同感だと言っていた。

ところで、先に紹介した6月7日の関西での集会に先立ち東京でも4月6日に前田教授の『ヘイト・スピーチ法研究原論』(版元は、われわれの世代には馴染み深い三一書房)の「出版記念会」が開かれている。

ここで、いまや「カウンター」/「しばき隊」の“宣伝部長”となった感のある香山リカ氏に加え「師岡康子」の名が出ている。岩波新書『ヘイト・スピチートとはなにか』の著者にして弁護士である師岡康子である。

師岡康子が何をやったか?「ヘイトスピーチ対策法」成立のためであれば「リンチ被害者」をも「犯罪者」扱いした人間を再度断罪せねばならない。口先では「人権」を騙りながら、その実、首尾一貫反人権的な師岡に対しては徹底的に糾弾しなければならない。

本稿ではあえて師岡に敬称付さない。師岡の行為は弁護士以前に、人間として失格であり、われわれは一切の敬意を抱けないからだ。師岡の人となりが、余すことなく明らかになったのは、リンチ事件直後の2014年12月22日(リンチ事件が発生したのは同年12月17日深夜)、金展克氏が師岡から受け取った「メール」を自主的に公開されたことによる。下記に師岡から金展克氏への「メール」を再掲する。

 
さらなる言論弾圧法を画策する師岡康子弁護士

俗に「師岡メール」といわれ存在が噂されながら公開されたのは、われわれがリンチ事件の取材を開始して3年余り後、リンチ本第5弾『真実と暴力の隠蔽』出版後だったので、これまでのリンチ関連本には収録されていない。噂はあったが、取材班は、「やはりないだろう」と諦めていた矢先で、超A級資料であり、なんでもう少し早く公開されなかったのか、と今でも悔やむ。

金展克氏にも事情があったのだろうが、これが、たとえば第1弾か2弾目あたりで公開されていたら、また違った展開になっていただろう。それぐらい貴重な資料なのである。みなさん方にあっては、まず虚心に一読されたい。

◆「ヘイトスピーチ対策法」成立しか頭になかった師岡

師岡が、目の前の「ヘイトスピーチ対策法」成立に向け、並々ならぬ意欲を燃やしていたことはわかる。それはメールを受け取った金展克氏も同様であり、事件後しばらくは「リンチ被害者M君」もそうであった。

しかし、われわれの見解はまったく違う。目に見える現象を法律で取り締まっても、人間の心は変えられない。それどころか理念法とはいえ「表現規制」を盛り込んだ同法は、必ずや権力によって〈弾圧〉に利用されるだろう、とわれわれは考えていた。例えば「凶器準備集合罪」は暴力団を取り締まるために作られたが、実際には新左翼運動を取り締まるために使われている。

同法成立後、現に差別表現を批判する意図で差別表現を引用した人が、アカウント凍結に遭うなどの被害は、既に顕在化している。一般市民や街頭活動で差別言辞は問題にされるが、同法によっても、日本国や政治家の差別的政策や、他国蔑視が改められることはない。「北朝鮮の人権問題を考える週間」。毎年人権週間に合わせて、政府が展開する国家的「差別事業」である。「ヘイトスピーチ対策法」成立に熱心であった方々から、この国を挙げての「朝鮮民主主義人民共和国」への差別に対して、強い批判の声を聞いたことがない。

西田昌司議員(自民党)と有田芳生議員(民進党=当時)

末端で「言葉狩り」をいくらやったって、本質的な差別はなくならないどころか、ますます陰湿化、巧妙化するだけではないか。それは犯罪を摘発する法の施行と類似する。なにより「ヘイトスピーチ対策法」は、最終段階で有田芳生議員と、確信的アジア蔑視主義者、自民党の西田昌司議員との握手で成立した点を、少しくらい政治や社会に興味のある人間であれば問題視しなければならない。そうではないのか、前田教授、師岡康子!

西田はこれでもか、これでもかと、国会で「差別意識丸出し」の質問を繰り返してきた議員だ。右翼方面から「西田砲」などと持ち上げられてもいる。そういう人物が、一朝一夕に「差別に反対」する考えに変わることがあると、師岡らは考えたのか? そうであれば軽率の極みとの批判からは逃れられない。

師岡は「メール」の中で「在日コリアンへの差別は、戦後日本の体制の根幹の一部であり」と述べている。そうであろうか? 在日コリアンへの差別は戦中や戦前、もっと言えば朝鮮民族への蔑視や差別は1900年頃からこの国には、明確に存在していた。誰もが知る1910年の「日韓併合」に至るまでも当時の日本政府は様々な謀略を巡らし、大韓帝国内に「親日派」を育成することに力を割いている。

「戦後日本の体制の根幹の一部」というのは、歴史認識が浅すぎないか。このような歴史的な短史眼が、今日的社会に対してどのように対応すべきかへの具体策の誤りへと繋がっているとも考えられよう。

言わずもがなであるが、われわれはあらゆる差別に「原則的に反対」である。日本のアジア差別も、WASPのヒスパニックへの差別も、スリランカ仏教徒のムスリムへの差別も、イスラム諸国での女性差別も。そして世界にはわれわれの知り得ない数々の価値観と、それにより引き起こされる差別があろうことも心しておかなければならないと考える。

◆被害者を加害者にすり替える、犯罪的示唆

さて、師岡は「メール」の中で怖ろしい内容をいくつも発している。

・「その人(取材班注:M君)は、今怒りで自分のやろうとしていることの客観的な意味が見えないかもしれませんが、これからずっと一生、反レイシズム運動の破壊者、運動の中心を担ってきた人たちを権力に売った人、法制化のチャンスをつぶした人という重い批判を背負い続けることになります

師岡は事件のかなり詳しい情報を聞いていて、このように発言しているのだ。集団暴行傷害(集団リンチ)被害者に対して「運動の邪魔だから泣き寝入りしろ」と金展克氏を通じて、恫喝を発している。

・「反レイシズム運動にも関わることができなくなるでしょう

明らかに刑法に抵触する、違法行為、集団暴行傷害(集団リンチ)被害にあっても「泣き寝入りしろ」などという「反レイシズム運動」とは一体何なんだ!? そんな運動に被害者が復帰したいと思うとでも師岡は考えていたのか。弁護士でありながら犯罪行為を正当化し、被害者に「泣き寝入りを迫る」態度は大日本帝国がアジア侵略で犯した暴虐の数々に匹敵する。

・「告訴を勧める人がいるなら、同様に扱われるでしょう

被害者に寄り添うものも同罪だと師岡は断じている。

・「真剣にヘイト・スピーチ反対運動をやってきた人なら、そのような重い十字架を背負おうことは、人生を狂わせてしまうことになるのではないでしょうか

ここに至り「真剣にヘイト・スピーチ反対運動をやってきた人」は一般的な遵法意識がない「カルト」であることを師岡は表明しているが、自身が「カルト」の牽引者であるとの意識はどうやらないようだ。「そのような重い十字架を背負おうことは、人生を狂わせてしまうことになるのではないでしょうか」とは恫喝にしても、ずいぶんドスの利いた表現だ。よほどの〈悪意〉がなければこのような表現まで用いることはできないであろう。師岡にとって「ヘイトスピーチ対策法」の前では、「集団リンチ」事件が起ころうが、内部粛清があろうが関係なし。「自分のやろうとしていることの客観的な意味が見えない」ファナティックな心情に陥っていたことが証明される。

・「展克さんは『犯罪ですよ』と言いました。でも、形式的に犯罪に当たることは山ほどあります。実際その人がやったという、エル金さんのうわさを流したことは、『虚偽の風説を流布し・・人の信用を毀損し、三年以下の懲役または50万円以下の罰金』となる信用棄損にあたります

風説の流布は「しばき隊」の得意とするところだ。鹿砦社も数えきれないほどの風説の流布被害にあっているが、そうか。片っ端から訴えて「三年以下の懲役」を食らってもらえばよい。そういうことだな!? 「形式的に犯罪に当たることは山ほどあります」から「集団リンチ」が免責されるのであれば、われわれが(決してそのような愚かなことに手を染めはしないが)、風説の流布に手を染めた人物に同様の行為に及んでも、師岡は鹿砦社の行為を正当化するのに間違いはないな?弁護士としてその判断に自信が持てるのだな!?

・「凛さんがやった生活保護の事件でも

と軽々しく書いているが、師岡も指摘している通り、これは明らかな運動潰しを画策する公安事件であり「凛さんがやった」のではなく「凛さんがでっちあげられた」と書くのが妥当だ。

・「なかでも共産党系の人たちなどは、ヘイト・スピーチを『犯罪』とすると、運動内部の敵対関係にある人たちが、相手をつぶすために、悪用する危険性があると主張しています」

ここでの「共産党系」の人たちの主張は正しいし、立法以前の2014年にすでに「リンチ事件隠蔽」という実例が出来てしまっている。そして「ヘイトスピーチ対策法」があろうが、なかろうが、師岡のようにこの運動にかかわった人間の多くは「自分と意見の違う人間を過剰に攻撃する」習性をもとより身に付けていた。あるいはそういった性格の人間が、運動のヘゲモニーを握ったことが“不幸中の不幸”であったのだ。師岡はもとより、金展克氏、そしてM君までが「ヘイトスピーチ対策法」の危険性と誤謬に気が付くことができなかったのであるから。

・「その人がやろうとしていることは、客観的には、運動内部の敵対する相手(この場合エル金)を現行法の『犯罪』規制を使ってつぶすことです

こういうとんでもないことを、しらふで書ける弁護士が岩波新書から本を出版するのだから、油断も隙もあったものではない。何を言っているのだ! 顔面骨折、数十発顔を殴るけるされた被害者が、どうして被害届を出すことが批判の対象になるのだ。

・「そのような人たちが主張する法規制は、真のレイシスト規制ではなく、運動内部の敵をつぶすためにその人たちが使うのではないか、との批判に反論できなくなります」

言い回しがややこしいが。その通りである。ここでの「その人たち」には師岡も含まれるし、師岡はレイシスト規制以前に、「極めて深刻な人権蹂躙」を重ねて主張していることに、まったく気がついていない。

「その人が被った不利益、エル金の被った不利益、その人が告訴することによってもたらされるあまりにも甚大でとりかえしの非常に困難な運動上の不利益(略)告訴という方法は絶対に取るべきではないと思います

師岡はM君だけでなく、エル金も本心ではどうなってもいいと考えていることを吐露している。何よりも「運動の利益」至上主義。そのためには個人は犠牲になっても泣き寝入りをしろ」これが師岡の本心だ。

その後もあれこれ御託を並べているが、はっきりしているのは、師岡が「ヘイトスピーチ対策法」成立のためには、周辺の人間がどのように傷つこうが、一切お構いなし、と考えていたことだ。

こういう輩の暗躍によって成立した言論弾圧法(ヘイトスピーチ対策法)は、皮肉にも師岡に向かっても「矢」となって飛んでゆく可能性がある。それを受け止める覚悟があるからこそ、ここまでの暴論を展開できたのであろうから、充分心して自らが身磨いた鏃が突き刺さる日を待たれよ。

さらに師岡は、同法の強化、もしくはもっと厳しい新法の成立を公言している。

「カウンター」/「しばき隊」の理論的支柱とされる師岡の心は倒錯している。人間としてここまで酷い吐露には眩暈さえ感じる。

師岡らは、『ヘイト・スピーチ法研究原論』にまとめ上げた前田朗教授を「ヘイトスピーチ対策法」の強化、あるいはもっと厳しい内容の新法の成立に向けて抱き込みを図っていることは明らかだ。

前田教授よ! 上記の「師岡メール」を読んで、どう思われますか? まさに名文中の名文である、『救援』での2つの論評、そしてそこで溢れ出た怒りに立ち返っていただきたい。「反ヘイト」運動も、このリンチ事件を隠蔽するのではなく、社会的に公開し主体的反省をしない限り間違った方向に行くであろう。これを止揚するのがリンチ事件に対する真正面からの取り組みだし、これから逃げることは歴史を逆に戻すことに他ならない。

(鹿砦社特別取材班)

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象徴天皇制の終わりの始まりか? 小室氏の「有資格問題」は、憲法違反である

小室圭さんがフォーダム大学のロースクールで学位を取得し、来年度からの弁護士基礎コース(英語で受講)に備えて、夏休みを返上して講座を受けることになった。夏休みを大学で過ごすことで、母親の借金問題を「先送りした」と批判的に報じられている。


◎[参考動画]小室圭さん 卒業式は欠席 夏休みも日本に戻らず?(ANNnewsCH 2019/5/21公開)

テレビのワイド番組は、アメリカ留学事情と併せて、覗き見的に小室氏の動向を報じているが、大半の視点は借金問題でのバッシングである。皇室の子女に「ふさわしからぬお相手」というわけだが、視聴者は必ずしもそうではない。眞子内親王と小室氏の結婚を支持するというアンケート結果が出ているのだ。

テレビ朝日のモーニングショーの街頭アンケートでは、100人中で「応援できない」は、わずか19人だった。「応援できる」が42人、金銭問題の解決が条件で39人である。じつに80%の人々が二人の結婚を応援しているのだ。言うまでもなく、恋愛・結婚は個人の意思によるものだという、近代的な人権感覚による自由恋愛を支持するからであろう。昨年の秋篠宮の「納采の儀」の延期、上太皇后による不快感という報道にもかかわらず、自由恋愛を認めよという「世論」が圧倒的なのである。

本欄でも触れたとおり、秋からの女性宮家の創出、女性天皇および女系天皇の可否をめぐる議論に、小室氏問題は大きな比重を占めてくる。すなわち、天皇家に皇統以外の男子の血が入ることを、たとえば安倍総理は蛇蝎のごとく嫌っている。その象徴として、小室氏のような母親に借金がある男が皇族になってもいいのか。というロジックが浮き彫りになるのだ。ただし、議論の前提として女系女性天皇(元明女帝の娘である元正天皇)女系男性天皇(元正の弟の文武天皇)が皇統に存在することは、あらためて指摘しておきたい。

◆自由恋愛の禁止は、憲法違反である

象徴天皇制の矛盾として、対米関係で指摘されているのが憲法9条との安保バーター論がある。現人神から人間天皇となり軍備を持たない代わりに、安保条約で「日本を属国化」したというものだ。沖縄の現実を考えるごとに、この象徴天皇制が日米安保とリンクしているのは明白となってくる。国家の暴力装置を米軍にたよる、わが国は半植民地なのである。もうひとつ、人間天皇自体の矛盾である。人間でありながら、あらかじめ一般国民とは分離された、特権的な身分を持った存在なのである。であるがゆえに、基本的人権があるのかどうか、よくわからない存在なのだといえよう。憲法上はどう考えたらいいのだろうか。憲法学者の横田耕一九大名誉教授は、こう語っている。

「根本的に、皇族に人権を認めるかについては議論がありますが、私は認めるという立場です。よって皇族女子の結婚は自由でいいと考えます」

「結婚は、あくまでもご本人たちの自由意思によります。お相手の小室圭さんについて色々言われているからといって、お二人の結婚に何らかの制約をすることは憲法違反となるのです」

「象徴天皇制において『象徴』とされるのはあくまで天皇だけで、皇族はそれに含まないというのが私の考えです。眞子さまの結婚に関しても、皇族という概念を持ち出す必要はなく、あくまで個人のこととして扱われると思います」(以上「女性自身」5月3日)。

横田氏の立場は、天皇(国民の総意としての象徴)いがいの皇族には、基本的人権が適用されるべきというものだ。おそらく国民レベルの意識では、天皇もふくめて基本的人権はあるべきだというものではないか。2016年8月8日の平成天皇の「お言葉」つまり、退位の自由を国民に訴えたのを、国民は厚意的に受け容れたことが、その証左である。

かりに眞子内親王と小室氏の結婚に、一億円の一時金(税金)が支障になるのなら、それを放棄すれば国民は納得するのだろうか。元皇族の品位を保つのがその目的なのだから、おそらく放棄しなくとも国民の多数は納得するはずだ。筆者のように天皇制に反対する立場であっても、この婚姻で象徴天皇制の矛盾が露呈し、あるいは皇族の減少で政治と天皇家の分離に向けた議論が始まるのを期待したい。その意味では、小室氏と眞子内親王の婚儀は、ぜひとも自由恋愛の立場から貫かれるべきだと思う。いまの若者たちが恋愛で傷付くのを忌避するように、恋愛というものが美しいロマンばかりではなく、政治(制度)や社会(差別など)の制約と戦い、勝ち取られるものだということを、ぜひとも眞子内親王と小室圭氏には実践していただきたいものだ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

山田悦子、弓削達ほか編著『唯言(ゆいごん)戦後七十年を越えて』