2000年代に入って、早くも20年目を迎えた。21世紀もあらかた5分の1が過ぎ去った(早い!)。当然わたしたちは毎年確実に年齢を重ねてきた。人間は成長が止まると、内面の変化が起こりにくくなるのだろうか。20年といわず30年、40年まえと比べても、わたしの内面や感受性にはほとんど変化を確認できない。自分の成長停止を半世紀以上生きて、なかば驚いている。

◆頭の中は変わらないのに、体力が落ちてゆく

内面の不変化とは異なり、それを包む身体の弱体化(老化)は、年を追うごとに顕著さを増してくる。数え上げればきりがないほどの不具合や、運動不足に起因する体力低下により、わたしの体力を測定すればその値は、おそらく年齢平均値を確実に下回ることだろう。

頭の中は変わらない(年相応に落ち着かない)のに、体力が落ちてゆくとどういう現象が生じるか? 体力勝負では負けが必定だから、諍(いさか)いはなるべく議論(口論)に誘導する自己防衛手段が働くようになる。「どうして老人たちはあれほど同じ話を長々と繰り返すのだろう?」と子どもの頃に感じた疑問への回答を、自身の体力低下により、納得できる回答が得られる幸福(?)をわたしは享受している。

このまま右下がりの直線が進行すれば、数年後には現場取材はおろか、駄文を綴ることもできなくなるのではないかと、昨年来強く感じるようになった。親しみ、尊敬を感じていた多くの先輩方が平均寿命にたどり着く前に亡くなった。どうやらわたしのデッドエンドも測定可能な範囲に入ってきたようだ。

このように駄文を綴る機会を得てから、わたしはまだ10年もたっていない。この世界では新参者ともいえよう。そして新聞記者や編集者のように基礎的な文章作法の訓練を受けていないし、思想がひねくれているので、わたしの書く文章が世の中に大きな影響を与えるおそれはない。

若いころに比べて読書量も10分の1以下に減っている。その前提を確認し、みずからも安心して、残りの期間に可能であれば取り組んでみたいことを考えてみた。この仕事には定年はない。頭と指先が動き駄文を掲載してくださるメディアがある限り、いつまでも続けられる(それが自由業の不幸でもある、誰もが目を見張るような偉業をなしていながら、「引き際」を知らずに、晩節を汚す残念な先達がどれほど多いことか)。

◆70億を超える人類が、熱心に液晶に向かいあう「不気味」ともいえる光景

正月だから少々のわがままもお許しいただこう。できることならば書物の中や机上ではなく、あちこちを駆け回って世界の実像に肉薄する取材に出かけてみたいなと夢想する。とりわけ、貧困層も含めて世界を席巻するタブレット(スマートフォン)文化の急速な浸透が、各地の日常生活や伝統的生活(果ては文明)にどのような影響を与えているのかに強い関心がある。至近で確認しているだけでも日本の中でタブレット(スマートフォン)の浸透は、確実に思考力の低下と、依存症、そしておそらく電磁波を脳の近くで長時間受けることによる各種の症状を引き起こしているのではないかと感じている。

まもなく小学校では1人に1台ずつパソコンが導入されるという。AIによる社会の変化を肯定的にとらえる向きが多いが、わたしは強い違和感を持つ。その総体をつかむべく、世界各地でなにが起きているか。食べ物も生活習慣も宗教も異なる70億を超える人類が、熱心に液晶に向かいあう「不気味」ともいえる光景は人間を社会をどのように変えてゆくのだろうか。

◆資本主義終焉後にはどのような社会が立ち上がるのか

そして、終焉が確実な「資本主義」の次にやってくる、社会のイメージのきっかけ探しに行きたい。どうあがいても資本主義は収奪対象を失ったら、即、終焉以外に道はない。アジア各国を収奪し、現在アフリカの収奪に余念がない資本主義は、一応資本主義が行き届いた国でも、再度の大掃除(日本においては非正規雇用の増大による階級格差の増大など)で吸い取れるものは吸い取り尽くし、食らうべき餌を失う。その先に待っている社会とはどのようなものだろうか。

「その先はない」

という、悲観的な回答をわたしは何十年も維持してきたのだが、それでは無責任すぎる気もしてきた。わたしは「2030年に日本は現在の形を維持していない」と数年前に予想した。その予想を撤回するつもりはない。残念ながら日本に限れば2030年あたり(あるいは以降)に猛烈な大激震が起きるだろう(国家財政破綻・人口減・原発災害など複合要因による崩壊)。

かといって人類が一気に滅びるものではない。資本主義終焉後にはどのような社会が立ち上がるのか、あるいは目指すべきなのか、人間に理性はあるのか……? 命があるうちにたどり着けるかどうか判然としない、大命題だが日々の雑事に一喜一憂するだけではなく、「未来探し」(それが「あれば」ではあるが)もたまにはいいだろう。

この2つの命題と直結はしないが、ことしは最低任されている仕事をこなし、多少は体力を向上させる1年としたいと思う。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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