飛松五男解説「川崎ストーカー事件」は警察の犯罪である(紙の爆弾2025年7月号掲載)

 神奈川県川崎市で4月30日、民家の床下から20歳の女性がバッグに入った遺体で発見された「川崎ストーカー事件」。事態が明らかになるにつれ見えてきたのは、女性本人や家族から再三の相談を受けながら、捜査を拒絶し続けた神奈川県警川崎臨港署の異様さだ。
 元兵庫県警刑事で、退職後も被害者や家族の依頼を受け、本件にも携わる飛松五男氏が、事件の裏側と「警察の実態」を明かす。(構成・文責/本誌編集部)

◆遺体発見までの遺族の努力

 私が今回の事件で亡くなられた岡﨑彩咲陽(あさひ)さんの遺族から相談を受けて、川崎市に赴いたのは4月10日。話を詳細に聞いて、まず考えたのは、本件が“対警察”の問題であるということでした。
 報道されているように、祖母の家で生活していた彼女が行方不明となったのは、昨年12月20日。それ以前から本人や遺族が、川崎臨港署にストーカー被害を繰り返し訴えていました。しかし警察は動かないどころか、彩咲陽さんの失踪後、捜索を求める遺族に対し、「事件の証拠をでっち上げた」などと、自作自演を疑う言葉まで投げつけています。それで遺族は探偵に大金を払って、元交際相手の白井秀征被告の動向を調べたり、自ら白井に会ったりするなど努力を続けたものの、事態の進展が見通せず、私に依頼したのです。
 ひととおり状況を聞いた私は、1カ月以内に警察に捜査させるところまでもっていくと遺族に約束し、翌日に改めて川崎臨港署に行くように言いました。その際に重要なことは、彩咲陽さんが「特異行方不明者」に当たるということです。
 特異行方不明者とは、国家公安委員会規則「行方不明者発見活動に関する規則」の第2条第2項で「殺人、誘拐等の犯罪により、その生命又は身体に危険が生じているおそれがある者」等と定義され、受理署長や本部長がとるべき捜査方法が定められています。関連資料を見た彩咲陽さんの父親は、「まさに娘のことだ」と驚き、警察署に向かいました。
 父親は資料ファイルに私の名刺も挟んでいたといい、それが功を奏したかはわかりませんが、それまで「事件性がない」と言って追い返す対応を続けてきた川崎臨港署で、すぐに刑事部の責任者が来て謝ったといいます。
 その後も遺族と連携して調査を続け、白井宅の見張りを続けていた父親から、家宅捜索が始まったと報せを受けたのは、4月30日の深夜のこと。夜11時半に最初の電話がかかってきて、翌朝まで14回にわたり状況を伝えられながら、私も翌朝の新幹線で川崎に向かいました。
 翌5月1日、遺族ら約50人が警察署の前に集まり抗議を行ないました。私も求められて加わったのですが、そこで言った重要なことは、神奈川県警をはじめ警察が起こした不祥事をきっかけに、2000年に国家公安委員会が出した「警察刷新に関する緊急提言」です。
 全9項目の第2に、「苦情を言いやすい警察に」とあります。苦情申し立て制度は、署長に対して文書または口頭、公安委員会に文書または口頭で申し立てる4種類に大別されます。遺族らの抗議には、「これだけ人数がいるのなら自分たちが容疑者を直接シメればよかった」といった、警察を擁護するような批判もSNSに溢れましたが、彼らは警察の制度に従った正当な手段で、苦情申し立てを行なったのです。そうである以上、署には受理する義務があります。
 “対警察”の闘いにおいて、遵法精神に則り活動するのが私のやり方です。たとえば張り込みをするにしても、私有地に入ればこちらの不利を招きます。一方で後述するとおり、警察の方に遵法精神を疑う手法がみられる事実があります。その場合には、警察の行為の不当性を突くことになります。だから、依頼者に対しても、法や制度を外れない活動をすることを、私は約束させます。そうしなければ警察とは闘えない、ということです。

◆「姫路バラバラ事件」との共通点

 では、この家宅捜索まで、川崎臨港署は何をしていたのか?
 彩咲陽さんの遺族から依頼を受けた私も、彼女が住んでいた祖母の家や、遺体が発見された白井宅を調査しています。川崎臨港署は指紋採取を1月7日に行なったと言っているようですが、私が祖母宅を実況見分した際には、行方不明時に割られたガラスに指紋を調査した痕跡は一切ありませんでした。父親も、失踪2日後にやって来た警察は、手袋すらしていなかったと言います。鑑識には専用の鞄を持ち込み、現場にシートを敷くものなのに、それも見なかったという。専用ケースに入ったカメラもない(ただしスマートフォンで撮った可能性はある)。それで女性警察官が「事件性がない」と言い、それどころか、ガラスは遺族が割ったのだろうと偽装工作まで疑ったのです。
 すでにストーカー被害を受けており、加害者が明らかである以上、窓ガラスが割られた時点で逮捕状、少なくとも捜査令状をとる十分な理由があります。特異行方不明者であることを示した時点で警察の態度が変わったことが、何よりの証拠です。
 この「川崎ストーカー事件」を調査する中で思い出したのが、私が退職を目前にした2005年に起きた「姫路2女性バラバラ殺害事件」です。23歳の女性会社員・畠藤未佳さんと、同い年で友人の女性が殺されてしまったケースです。

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https://note.com/famous_ruff900/n/nebde52086054