《鹿砦社特別取材班座談会》「M君リンチ事件」訴訟上告審の結果がまだの中で

松岡 お疲れ様です。「M君リンチ事件」は最高裁に上告してかなり経ちますが、まだ弁護団に最高裁からは連絡はないようです。沖縄の山城博治さんや『人民新聞』など、M君よりも後に上告しながら年度末までに棄却されています。一審、控訴審共に一般人の常識からしても、あまりにもひどい判決だったので、ひょっとしたら……と、微かに期待しないでもありません。さて、きょうは「M君リンチ事件」も含め周辺情況について、自由に話してください。

◆「改元騒動」が過ぎて……

A  「しばき隊」問題と直接関係があるかどうかわかりませんけど、「改元騒動」は予想通りの空騒ぎでしたね。空騒ぎというのは、メディアもその辺の商店街も「令和おめでとうございます」なんて散々騒ごうとしていましたが。上滑りの感じがぬぐえませんでしたね。10連休で連日翼賛的な報道ばかりで、社長はここ数年支援してきた島唄野外イベント「琉球の風」の記録映像を数年分まとめて観たということです。沖縄の悲劇を想起する時、改元がどうの元号がどうの騒ぐのも考えものだと思いますよ。

B  代理店の友人が「広告収入は予算通りクリアできたけど、ムーブメントにはならなかった」と言ってたのが印象的です。10連休中はテレビも政府もそれなりにメニューを揃えて、祝賀ムードを演出しましたが、それもすでに忘れ去られそうな……。

C  天皇制を真正面から考察し、問題点を突く報道は皆無に近かった。これは昭和天皇(ヒロヒト)が死去した時と大きな違いはない。ただし、ヒロヒトは長く病気だったから、各紙は余裕持って予定稿作ってた。今回もリードタイムは十分あったし、しかもアキヒトは死んではいないから、大手紙の翼賛記事準備は楽だったことでしょう。

D  ちょっと、一言いいですか。僕としてはどうして天皇陛下の約200年ぶりの生前譲位を皆さん祝う気持ちがないのか、正直違和感があります。

A  Dは天皇主義者だからなぁ。そのくせ「君が代斉唱反対」とか言う。まあ意見はいろいろあっていいんじゃない。

香山リカ『皇室女子“鏡”としてのロイヤル・ファミリー』(秀和システム)

C  俺的には違うね。天皇制は差別の元凶。この意味わかる? D君?

D  でも平成天皇は、平和主義者だったじゃないですか。

C  じゃあ、ヒロヒトは? 昭和天皇は? 誰が太平洋戦争(もっと言えば15年戦争)の最高責任者だったの?

D  あれは軍部が暴走して……。昭和天皇は戦争したくなかったと思いますよ。

C  「昭和天皇は戦争したくなかったと思う」? 馬鹿いうな! 時代の不幸っちゃそうだけど、お前たちみたいに10代の頃、小林よしのりを読んでいた奴らは平然とこんな口が利ける。統帥権って知ってるか?

松岡 まあまあ、きょうは天皇制の話ではないのでそのへんにしましょう。

C  社長、失礼しました。でもねやっぱり10連休に乗っかった「しばき隊」は多かったね。もとから「権力別動隊」だから不思議はないけど。A君がまとめてここで発表した通り香山リカの『皇室女子』には参ったし笑ったね。「読んでもいない」と香山リカはツイートしてましたが、コメントするために2冊も買いましたよ(笑)。

A  ですよね。なにが「反差別」ですか。「反論あるなら受けて立つ」と書きましたが、案の定まともな反論なんかありません。

B  言論人の態度じゃないよね。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)
 
木下ちがや氏(こたつぬこ)のツイッターより

◆「こたつぬこ」こと木下ちがやさんの後日談

E  言論人といえば……。あの話いいですかね? 社長?

松岡 なんの話でしょうか?

E  「こたつぬこ」さんの後日談です。

松岡 あははは! いいですよ!

E  「こたつぬこ」こと木下ちがやさん。『真実と暴力の隠蔽』の〈9〉「『カウンター』周辺のキーマンに松岡が直撃! 明かされる『しばき隊』の内情」に清義明さんと一緒にご登場頂いて、慧眼な問題意識を披露していただいたのに、『真実と暴力の隠蔽』が出版されると、急に態度がおかしくなって、鹿砦社を批判したり、自己批判したり。なんだか訳わからなくなっちゃってんです。で、あそこには木下さんだけじゃなくって、凛七星さんや三輪五郎さん、中川淳一郎さんなんかも登場していただいてるんです。

A  うんうん。それはみんな知ってる。

 

E  実はですね。木下さんが訳わかんなくなって李信恵さんに謝罪したり鹿砦社批判や自己批判始めた後に、鹿砦社は謝礼として2万円の商品券を登場頂いた皆さんに送ったんですよ。でもね、最初から「私は謝礼なんて一切受け取れない。謝礼もらうつもりで話したわけではないから」と頑として受け取っていただけなかった方もいるんです。こっちとしては恐縮の極みです。で、あんだけの大騒ぎになったから木下さんは鹿砦社を批判したし、商品券受け取らないだろな、って社長と話してたんです。

B  そりゃ受け取らないでしょ。また「しばかれ」たらただ事では済まないもんね。

E  それが木下さん、受け取ったんです。

A、B、C、D 嘘だぁ!

C  それ本当かよ?

松岡 本当です。本社から簡易書留で送りましたが返送されてきていないので間違いありません。

B  せこいよな。っていうかどういう神経してるんだろう。僕なら受け取れないですよ。こんなこと書いたらまた木下ちがやさん、叩かれるんじゃないですか。

E  でも事実は事実ですから……。

C  俺、知ーらない(笑)。それにしても、木下ちがやさん、あれだけのことをスッパ抜いた発言しながら、もっと突っ張ってほしかったなあ。あれは本当に凄い発言で、リンチ関連の5冊の本の中で最高の発言ですよ。最近、政治情勢や社会状況などについて積極的に発言を開始しておられますが、あれ以来俺は木下さんの最近の発言は、どうも信用できんなあ。

座談会当日の木下ちがや氏(右)と清義明氏(左)(『真実と暴力の隠蔽』P.153より)

◆岸政彦教授は三島由紀夫賞を受賞するか?

B  受け取るといえば、芥川賞を惜しくも逃した岸政彦先生(龍谷大学から立命館大学へ昇進?)の『図書室』が三島由紀夫賞の候補作品にまた選ばれました。

C  おいおい! 芥川賞候補ならまだしも、三島由紀夫賞の候補になって喜んでいいの? 岸先生? 三島って言っても若い人にはもうあんまりリアリティーないかもしれないけど。俺から見れば完全な「右翼」ですよ。板坂剛とか全共闘世代には不思議と支持者が多いんだけど、三島は市ヶ谷の自衛隊に軍服で乗り込んで「こんな憲法で君ら黙っていられるのか! 決起しろ」とアジった挙句に「腹キリ」で死んだ人間だよ。最近ボケ気味だけど当時三島の破綻(自殺)を本多勝一が予想していた。あれは慧眼だったね。ところで岸先生。「反差別」とか言ってるなら(ああ、岸先生最近は「君子危うきに近寄らず」で「反差別」も口にしなくなったか)三島由紀夫賞の候補になって喜んでいていいんだろうかね。

A  発表は5月15日だそうです。今回は是非受賞を祈念しましょうよ。

B  うん。僕も「反差別」で「李信恵さんの裁判を支援する会」事務局長(だった?)岸先生には是非「三島賞」受賞コメント聞きたいな。

D  三島は大好きな作家なんですけど……。岸政彦が候補ですか……。

C  15日が楽しみだ。受賞記念の記者会見には特別取材班も駆け付けるから準備よろしくな。

松岡 皆さんよろしくお願いいたします。

B  久しぶりににぎやかになりそうですね。

「岸先生お久しぶりです。この顔写真と僕の顔見たら思い出してくれますよね」


◎[参考音声]M君リンチ事件の音声記録(『カウンターと暴力の病理』特別付録CDより)

(鹿砦社特別取材班)

◎主要関連記事
・松岡利康「木下ちがや氏への暴言、糾弾、査問を即刻やめろ!」(2018年6月5日付け本通信)
・松岡利康「『真実と暴力の隠蔽』収録座談会記事に対する木下ちがや氏の「謝罪」声明に反論します!」(2018年6月12日付け本通信)
・鹿砦社特別取材班「岸政彦先生に芥川賞を!」(2017年1月15日付け本通信) 
・鹿砦社特別取材班「芥川賞候補の岸政彦先生は公正な社会学者で個人的事情を優先するはずがない!」(2017年1月17日付け本通信)
・鹿砦社特別取材班「M君がより『意味のある』存在として成長してほしいと願う岸政彦先生の哲学」(2017年1月18日付け本通信)

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

女性宮家・女性天皇の可能性は? 維新の会の党内議論で深まるか皇室改革

平成から令和への代替わり(譲位)をうけて、女性宮家および女性天皇の議論が日程にのぼった。政府は秋口にも国会での議論を行なう予定だという。とくに皇族男子が秋篠宮と悠仁親王、日立宮しかいなくなったことから、女性宮家の創出が現実性を帯びてきている。親善外交や慈善事業など、国事行為や公的行為の担い手が、親王(皇室直系の娘)、女王(皇族の娘)が結婚して皇籍を離脱することで減少する、皇族存続の危機を迎えるからだ。

女性宮家の議論は小泉政権時代に行なわれ、諮問機関から「女性宮家の創出を早急に検討すべき」「女性天皇の実現にむけて議論すべき」と、皇室典範の改定が急務であるとされた。議論は悠仁親王の誕生で沙汰やみとなり、次期天皇が愛子内親王なのか、それとも悠仁親王なのか、議論は尽くされないままの状態だった。第一次安倍政権では女性宮家の議論も封印され、民主党野田政権において議論が復活。さらに第二次安倍政権でふたたび封印されるという流れだった。その安倍総理は、根っからの女性宮家反対論者である。


◎[参考動画]【解説】 なぜ女性は天皇になれないのか(BBC News Japan 2019/4/26公開)

◆皇統の伝統が男系であるという史実誤認

安倍総理は選挙で敗れて下野したあとに「皇室の伝統と断絶した『女系天皇』には、明確に反対である」と「文藝春秋」(2012年2月号)で語っている。

「女性宮家を認めることは、これまで百二十五代続いてきた皇位継承の伝統を根底から覆しかねないのである」「二千年以上にわたって連綿と続いてきた皇室の歴史は、世界に比類のないものである。そして皇位はすべて『男系』によって継承されてきた。その重みを認識するところからまず議論をスタートさせなければならない」「仮に女性宮家を認め、そこに生まれたお子様に皇位継承権を認めた場合、それは『女系』となり、これまでの天皇制の歴史とはまったく異質になってしまうのである。男児が生まれたとしても、それは天皇系の血筋ではなく、女性宮と結婚した男性の血統、ということになるからだ」

女性宮家の創出は、そのまま女系天皇へとつながり、皇統の伝統をおびやかすというのだ。しかし、これは史実を知らない不見識というものだ。

女系天皇が存在する史実は、こうである。天皇にならずに亡くなった草壁皇子の正妻・元明天皇(43代天皇)が譲位して、即位したのが娘の元正女帝である。元正には結婚経験がなく、独身で即位した初めての女帝である。文武天皇の遺児・首皇子(のちに聖武天皇)がまだ幼かったので、母とおなじく中継ぎということになるが、父親が草壁皇子であるから、彼女は男系天皇ではない。皇統史上唯一の女系天皇なのである。そして飛鳥・奈良王朝は、安倍総理の忌み嫌う女帝の時代であった。
女帝は推古・皇極(斉明)・持統・元明・元正・孝謙(称徳)と、六人八代をかぞえる。このうち、孝謙女帝は弟の基王(もとのみこ)が早世したことから、20歳の時に立太子している。皇太子であった女帝は、保守派の言うような「中継ぎ」ではない。事実、孝謙女性は称徳として重祚してもいる。

皇統史上、重祚したのは皇極(斉明)と孝謙(称徳)の二人の女帝だけである。平安期の摂関政治が行なわれるようになるまで、古代王朝においては女帝はふつうのことだったのだ。いや、むしろ律令体制を軌道に乗せた持統女帝、圧政をふるったとされる皇極女帝、たび重なる貴族の叛乱(橘奈良麻呂の乱・恵美押勝の乱)をくぐりながら意志的な仏教政策を推し進めた孝謙女帝という具合に、古代の女帝たちは一流の政治家だったといえよう。神話世界でも神功皇后のように、天皇にかぞえられるほどの辣腕政治家があった。ある意味で、野太い執政をものにしてきたのが古代の女帝たちであり、わが皇室の伝統と言ってもいいのだ。


◎[参考動画]「女性天皇・女系天皇検討すべき」共産・志位委員長(ANNnewsCH 2019/5/9公開)

◆神話を前提にした皇室観のむなしさ

ところで、安倍が言う「百二十五代続いてきた皇位継承の伝統」「二千年以上にわたって連綿と続いてきた皇室の歴史は、世界に比類のないもの」も神話(フィクション)を前提にしたもので噴飯ものだが、そこはお愛嬌と言うべきか。

世界では多数の王朝交代があったとはいえ、エジプトのファラオはクレオパトラ(七世)のプトレマイオス朝まで3000年の歴史を持っている。わが近代皇室が範をとったイギリス王室は、アングリア(イングランド)の王権が8世紀には成立している。ちなみにわが朝における実在の天皇は継体天皇(26代・在位507年~531年)、とされ、その前史でも三輪王朝(崇神天皇)、河内王朝(応神天皇)、近江王朝(継体天皇)など王朝交代があったとする説が有力だ。歴史家(古代オリエント史専攻)だった三笠宮崇仁が、紀元節(建国の日)復活し反対の論陣を張ったのは、まさに神話を歴史にしてしまう愚を批判してのことだった。

◆小室問題で迷走する議論

それはともかく、ここにきて維新の会が女性宮家創出の議論をすることで、秋の国会論戦が展望されている。すなわち「馬場伸幸幹事長は8日の記者会見で、女性皇族が結婚後、宮家を立てて皇室に残り、皇族として活動する『女性宮家』の創設に関する党内議論を開始すると述べた。「『不測の事態に備え、きちんと国会で議論し、皇室典範などの改正が必要であれば、そのような働きかけも行っていかなければならない』と強調した」(産経新聞、5月9日)というのだ。

そこで問題になるのが、眞子内親王と小室氏の「婚約問題」である。眞子内親王が宮家を設けると、小室氏は正規の皇族の一員になるのだ。眞子内親王だけではない。佳子内親王の「個人の幸福を優先する」「姉の意志が尊重されることを希望する」への批判、悠仁親王への「帝王学」の欠如など、秋篠宮家へのバッシングは、女性宮家を何がなんでも阻止しようとする政治的な思惑を感じさせる。

国民の80%が賛成という女性天皇および女性宮家問題に、時代に応じた議論が行なわれなければならないだろう。それはまた、改憲をふくめた国の将来を左右する内容をはらんでいるといえよう。


◎[参考動画]自民・二階幹事長 女性天皇を容認「時代遅れだ」(ANNnewsCH 2016/8/26公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

山田悦子、弓削達ほか編著『唯言(ゆいごん)戦後七十年を越えて』
タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

元・東洋ウェルター級チャンピオン、富山勝治さん現る!

◆37年ぶりに並んだ昭和キックの二大巨頭

格闘技マスコミのレジェンド記者、舟木昭太郎さんが定期的に主宰するトークショーが4月20日に銀座セントポールズサロンで開かれた。この日のメインゲストとして招かれた元・東洋ウェルター級チャンピオン、富山勝治さんは奥様と共に御来場。

長らく皆様とお目に掛かる機会も無かった富山勝治さんは、藤原敏男さんの居るテーブルに着くと仲良く談笑。イベント等でお二人が揃うのは1982年1月7日の日本キックボクシング協会興行でダブルメインイベントを飾って以来37年ぶり。引退後、公の場にほとんど姿を現さない沢村忠さんを別格として、昭和のキックボクシング二大巨頭が並んだのである。

藤原敏男さんは「今時はユーチューブやらインターネットで相手の過去の試合観れて戦歴なんかの情報も知ることが出来る。俺らの頃はデータなんて入って来なかったよね。計量で初めて相手の顔見るなんてこと毎度だった。対戦して様子見ながら作戦練るしかなかった。技術なんかタイの選手の動きを見て見様見真似で覚えたものだよね。」

富山さんも「でも藤原さんはそんな厳しい時代にタイの殿堂ラジャダムナンスタジアムのチャンピオンになって凄いことでしたよ。」と称える。

37年ぶり、全日本系・日本系の二大巨頭揃う

◆節目の激闘

やがて現役時代の入場テーマ曲、“アラスカ魂”に乗って富山勝治さんが入場し、宮本博史リングアナウンサーによりコールされると、
「今日はお集まり下さいまして有難うございます。皆様方が集まって頂けるとお聞きし、私の先輩でもあります藤原さん、増沢くん、猪狩くんも来て頂き有難うございます。猪狩くんとは45年ぐらい前に、バンコクのジムでは修行の擦れ違い際にお会いし、あの頃はまだ打たれていませんでしたので、あの当時のことは鮮明に覚えていますが、その後は打たれ過ぎましてね、最近のことは次の日には忘れてしまう状態ですが、多かれ少なかれ皆さんも同じような状態の方々と思い安心しております。

このような会に集まって頂き、御挨拶が出来ますのも沢村忠さんのお陰だと思っております。私は沢村さんに対しては敬意を表しており、私にとっては神様のような存在でございます。皆さんの心の中にも、あの当時の沢村さんのテレビに出て居た映像の姿が思い浮かんでいることと思います。」

コールされて現役時代のようにポーズをとる富山勝治さん

この後のトークショーに入る前に主宰者・舟木昭太郎さんは、「富山さんの凄かった試合の中では、サミー・モントゴメリー戦もそのひとつ」と言う。

沢村忠去った後の1978年5月8日の日米大決戦。TBS放映500回記念として、当然メインイベンターとして生放送された試合で、第2ラウンドに長身のサミーの鋭い右ストレートでダウンした際、右肩から落下して脱臼するもそのまま戦い続け、最終ラウンドはローキックでフットワーク速かったサミーの動きを止めた熱のこもった試合を展開。

そんな現役の節目には強い奴と戦って来た富山勝治さん。花形満戦から始まり、稲毛忠治、渡貢二、ロッキー藤丸、飛馬拳二、チューチャイ・ルークパンチャマ、サミー・モントゴメリー、ディーノ・ニューガルト。かなり打たれたというダメージが大きいものでした。

現役最後の姿(1983年11月12日)

◆海上自衛隊を満期退職して目黒ジム入門

トークショーは富山さんの語り口に皆さん没頭していきました。

ハワイで撮った沢村忠さんとのツーショットを掲げる富山勝治さん

「高校を卒業して九州の佐世保の海上自衛隊に昭和42年4月に入隊しまして、佐世保の米軍基地で空手の試合に常々出ていて、その時の上司が、『お前なら沢村に勝てるぞ』と言うんですよ。“沢村って誰かな?”って思いましてね。その頃、九州ではキックボクシングはまだテレビに映っていなかったんですよ。『今、東京ではキックボクシングというのをやっているからお前も東京に上れ』って言われたんですが、私は親父との約束で3年間は自衛隊を勤めるということで、3年満期で辞めて上京して来ました。初めて沢村さんを見た時は、“これが沢村か、なーにこの野郎なんか一発だ!”と思いましたが、皆も同じように思っただろうと思うんですよ。そして私がデビューして1年ぐらい経った時かな。アメリカ遠征に行ったんですよ。

(沢村忠さんとのツーショット写真を持ち)これはハワイの帰りかな? この頃はもう“沢村様様”だったんですよ。

このちょっと前にロサンゼルスで沢村さんが『オイ富山くん、ちょっと来い』って言うから、心で“何だこの野郎、何言ってやがる”と生意気にも、先輩だろうと闘志むき出し根性あったから今に繋がるんですけども、『練習相手してやるから』と言うので、私が構えて立ったら、その場でポーンと軽々飛び上がってスネで私の肩に乗っかって上から私の頭の天辺押さえられて、正に空飛ぶ人間爆弾の姿を見た感じだったんですよ。“これは強い”と思って、私も空手やっていたから分かるんですよ。肩まで軽く飛んで乗っかるのはそういない。100人に1人もいないと思います。それ以来、この人には勝てないと思いましたよ。」

空飛ぶ人間爆弾の恐怖を語る富山勝治さん
熱く語るトークショー、後方映像に映るは花形満

◆花形満戦を振り返り

全日本ウェルター級王座決定戦として行なわれた花形満戦でしたが、当時はTBS系も“全日本”と言っていた時代でした。なぜTBS系側が“日本”と呼称されたかは不明ながら、この年の4月からこの“日本”明記となりました。

「花形満戦は、今だったら負けています。レフェリーが早く止めますからね。昔は倒れてもレフェリーが起こしたんですよ。『寝るのが早い』って。下手に諦めるとレフェリーに引き起こされて、『早過ぎるとお客が怒るから』と。もし、私がみんなに嫌われていたら、ワン・ツー・スリーをテンまで早く言えばいいんですから。

ところがレフェリーはゆっくり数えるんですよ。あれだけ打たれたらイヤになりましたよ。このまま寝ようと思ったけど、試合前に母親から『お前が負けたら関門海峡渡れないぞ』と脅かすものですから、それも頭を過ぎったから何とか起き上がっても、打つ手が無いんですよ。打たれて打たれてね。でも本能なのか、なぜか負ける気はしなかったんですよ。そして最後は私の根性が出たんですけど、左ハイキック3発から“こ~の野郎、今だぁ~!!”と思って右ストレートから右フック2発。ロープ掴んだのは反則ですけど、これは私の性格なんです。けど勝たにゃいかんと思ったから、今も鮮明に覚えています。

ところが試合後3日間は記憶になかったんですよ。頭がガンガンしてね。どうやって勝ったのか、勝って何を喋ったのか。でも沢村さんに『富山くん、インタビューはちゃんと応えていたから心配するなよ』と言われたんです。でもその時は全く覚えていないし、それなりの代償はありましたけど、あの花形満さんとの試合のお陰で今の私があるんですよ。彼には感謝しています。

後に私が引退する時に寺内大吉先生に呼ばれまして、世田谷の大吉寺に行った時に、『これは人間性の勝利です。皆があなたを勝たせてくれたんです。』と、書を残してくれまして、そういう時代に生きてきたから、今思えばそんな導かれた縁の繋がりで、その時代の皆さんのお陰で勝てたと思うんですよ。

いろいろな縁があってまた先に繋がってきたんですけれども、私は自衛隊での上司の最初の一声から始まって人生の方向が変わったんですよ。基礎体力と自信があったからキックに向かったんですが、そして沢村忠さんとの出会い、花形満戦があったように、いろいろな人に恵まれて今があると思います。皆さんも残された人生を楽しく、“残された5年間が幸せであれば人生楽しい”ということですから何ごとにもめげずに頑張って人生を謳歌して頂きたいと思います。」

ビデオ映像に映る花形満戦を語る富山勝治さん
左から増沢潔さん、富山さん、右が猪狩元秀さん、同時期両団体ウェルター級名チャンピオンが揃った

◆竹を割ったような性格は不滅!

「花形満さんはパンチありましたね。これ以来、私はガラスのアゴだと言われましてね。この弱点が定着しました。ああいう強い人とやらないと試合は面白くないですよね。でもあんまり強い人とやり続けると藤原さんみたいに杖ついて歩くほど足腰バラバラになるんですよ。や~めときゃいいのに~ぃ!」

舟木さんが突っ込む余裕も無いほど、一方的に喋り、笑いを誘う語り口には、「竹を割ったような性格」という、かつて実況の石川顕さんが言っていた、そんな例えがピッタリだったトークショー。かつてのオーラが漂う富山さんでした。

ファンとも語らう富山さんも古希を迎え、昔、輝いた戦いを懐かしそうに語る姿は実に楽しそうでした。

昭和のキックボクシングを盛り上げたレジェンドたちも今や70代。残された人生5年以上は有る皆さんの元気なうちはまだまだ語りは続くでしょう。

乾杯の後のレジェンド4ショット
日本系色強い5ショット

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』
上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

《緊急速報》滋賀医大問題で岡本医師と患者5名がついに刑事告訴へ!

5月10日、滋賀医大附属病院小線源講座岡本圭生特任教授が、同大学病院泌尿器科の河内明宏教授を相手取り「有印私文書偽造」の刑事告訴を大津市警察に行った。岡本医師は代理人を立て10日14時30分から16時頃まで大津市警察内で担当の係官に情況説明を行った。

2019年5月10日付ABCニュースより

弁護団長の井戸弁護士(2019年4月9日)

同時に小線源治療講座患者であった5名が「FACT-P」(生活状態調査)の「私文書偽造」(改竄)を「被疑者不詳」で同時に大津市警察にやはり代理人を立て告発を行った。患者代理人の井戸謙一弁護士によると、「2件ともまだ正式な受理はされていないが、『上司、県警本部と相談して対応を検討する』という答えだった。2時間以上にわたり詳しく話を聞いてくれた」とのことである。

数々の問題が山積する滋賀医大附属病院問題は、いよいよ民事事件としてだけではなく、「刑事事件」としての歩みを前に進めそうだ。滋賀医大附属病院よ、その大半を占める良識に満ちた医療関係者の皆さん!もう「私は知らない」では許されない。滋賀医大附属病院の将来のために、患者のために、あなた方の奮起がいま求められている。

ちなみに岡本医師や「滋賀医大小線源患者会」には、さらなる追撃材料もあるとの情報もある。

岡本医師に今回の告訴についてのコメントを求めたところ「告訴については事実に基づいて弁護士の先生方にお願いしました。それだけです。私の使命は、目の前の患者さん、私の治療を希望される患者さんの治療を実現するだけだと思っています」とのことであった。


◎[参考動画]滋賀医大による癌治療の妨害 岡本医師の妨害阻止に向けた闘い(安江博2019/2/11)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)
タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

自国民を幸せにできない政権が、外国人労働者を手厚くもてなすはずなどない

◆20年超に及ぶ就労目的留学大国・日本

東京福祉大学の留学生約700人が「失踪」して行方不明になったことが問題化している。700人はあまりにも多すぎるけれども、この手の話は大学にとって珍しいものではない。「失踪」は大学にとって由々しき問題であるが、4月から改正入管法で、単純労働者の受け入れが既に始まっている。

厳格にビザで外国人による労働を規制していた時代とは違うのであるから、この問題も入管法が根本的に変わったことを加味して論じられるのが妥当である。日本にお金を出して留学してくるひとの多くが実は「就労(金儲け)目的」であることは、どうやら20年前と変わってはいないようである。

20年前わたしは大学職員として、留学生とかかわる職務に従事していた。2000年を目標に「留学生10万人計画」という愚策が、中曽根総理によってぶち上げられたのは、日本がバブルの真っただ中で、対米輸出黒字がさんざん叩かれていた時代だった。「貿易収支のアンバランスを人の輸入で埋め合わせろ」というわけで、理屈よりも建前が先行して進められた乱暴かつ愚かな政策であったが、文部省(のちに文科省)は、大学の足元をみて留学生の受け入れを半ば強制した。


◎[参考動画]大勢の留学生“所在不明”受け大学に立ち入り調査(ANNnewsCH 2019/03/26公開)

◆「臨時定員(臨定)」という名の落とし穴

仕組みはこうだ。「臨時定員(臨定)」と呼ばれる、入学定員の割り増しが第二次ベビーブームを見越して、各大学に振り分け充てられていた。大学にとっては同じ施設、同じスタッフで割り増しの学生を受け入れることが許されるので「おいしい話」であった。だがその名の通り「臨時の定員」なので、18歳人口が増加から減少に転じるタイミングで各大学は「臨時定員」を文科省に返上しなければならなかった。ここに落とし穴があったのだ。大学はスケベ心を出さずに、さっさと「臨時定員」を返上して、元通りの定員に戻せばよかったものを、多くの大学は「臨定」のうまみが忘れられず、それを恒常的な定員化したいと考えた。

文科省は「臨定をそのまま維持したいのであれば定員の3割を留学生・帰国学生・社会人のいずれかで埋めなさい」と条件をだした。帰国学生(帰国子女)の数などごくわずかであるし、社会人が学生として大学で学ぶには、学費・入学時期・講義の開講時間など様々な障壁があり大量獲得は現実的ではない。そこで各大学がターゲットを絞ったのが留学生の獲得だった。

わたしの勤務していた大学もその波にのまれた。留学生の獲得のために日本国内の日本語学校や、アジア諸国を中心に学生募集に走り回った。そして今から考えれば身の丈にあわないほど多くの留学生を受け入れた。ただ、その大学は建学の理念に「国際主義」を掲げていたので、行政の強制による「留学生受け入れ」が強行される前から、地道に留学生を受け入れ、きめ細やかなケアーをしてきた蓄積があった。

先輩方からマニュアルとしてではなく実践でその実務を学びながら、わたしも留学生担当職員として数百人の留学生と接した。言い忘れたが、わたしが初めて留学生担当業務にかかわったのは、大量の留学生を受け入れる前のことだ。その頃は在籍する留学生全員の名前、年齢はもちろん、下宿やアルバイト先まで把握し、何か問題があれば徹底的に付き合っていた。警察や裁判所に出かけ社会勉強させてもらったのも、留学生のおかげである

◆一貫して、一貫していない入管行政に翻弄される

留学生に限らず、他国で暮らすのは刺激もあろうが、不便や不都合がついて回る。大学に入学できる日本語力を備えているので、日常生活に不自由することはないが、病気にかかったとき、交通事故にあったとき(これが非常に多かった)の対応などは、留学生本人だけで解決は難しく、われわれが手伝うことになる。そして留学生には「資格外活動」という呼称で上限を定めアルバイトが認められたが、風俗業(パチンコ、スナックなど)で働くことは許されていなかった。けれども数多くない留学生の中にも「夜の仕事」に従事し、割のいい収入を得ようとする者もいた。

当時、入国管理局(入管)に風俗営業で留学生が「資格外活動」をしている現場を押さえられたら、即強制送還だった。だから留学生が「夜の仕事」に就いていることがわかると、呼び出して「止めるように」説諭した。それでもとぼけて「そんなことやっていません」としらを切る留学生もいたが、わたしは、そのような場合留学生が働いている店に乗り込んで、現場を抑え就労を断念させた(そのために30分で4万円を自腹で支払ったこともあった)。

短期的には効率よく稼げるようでも、「夜の街」の仕事にはまると金銭感覚がマヒし、学業よりもアルバイトがメインになり大学へ姿を現さなくなる。最悪のケースは入管に踏み込まれ身柄を拘束され、強制送還だ。わたしの在職中にも数人強制送還された留学生がいた。そういった失点がつくと、他の留学生が入管でビザの延長をする際にも悪影響が出る。

入管のビザ申請手続きは、猫の目のようにころころ変わる。留学生への嫌がらせとしか思えないほど、煩雑で数多くの書類提出を求めていた時期があったかと思えば、突如「入学許可書と顔写真だけで」留学ビザが下りるように変更される。きのうまでのあの苦労はなんだったのかと思えるほど審査手順が頻繁に変更されるのが入管業務である(その延長線上に今回の単純労働者受け入れの「入管法改正」を考えれば、一貫して「一貫していない」入管行政の正体が理解されよう)。


◎[参考動画]東京福祉大学紹介(東京福祉大学入学課 2017/08/04公開)

◆中国人から見てもリーズナブルな旅行先となったインバウンド日本

中国だけでなくアジア各国、世界中からの旅行者が増加している。このことを冷静に考えよう。日本に来る旅行者の多くは「短期滞在」ビザを取得する。出発前に本国で取得しなても、日本空港に着いたらそこでビザが発給される国も増えてきた。そして20年まえにはまず認められることのなかった、中国からの個人旅行者へ簡単にビザが下りるようになった。日本訪問のビザ取得が簡易化されたことは、旅行者増加の一因ではある。加えて海外からの旅行者にとって、日本は比較的リーズナブルな旅行先となったことも重要な要因だ。バックパッカーが安宿に泊まって、ファーストフードで食事すれば1月滞在しても10数万円あれば充分生活可能だ。

つまり日本のデフレが観光客呼び込みの主要因であると、わたしは考えている。外国の貧乏学生でも日本を旅することは可能な時代になった。他方、それでもアジアを中心に、いまだに日本とは貨幣・経済格差の大きい国からは「金儲け」の場所として日本が見られていることも事実である。

すっかり聞かなくなったけど「おもてなし」は短期旅行者だけではなく、長期滞在者にこそ必要な配慮であり、冒頭上げた東京福祉大学の例をあげるまでもなく、日本全体の長期滞在外国人への接遇感覚は、単純労働者を受け入れられるとは到底いいがたいレベルに留まっており、この先「軽率な判断をした」と悔やみ、反省を迫られる日が必ずやってくる、とわたしは確信する。自国民もろくろく幸せにできない政権が、外国人労働者を手厚くもてなすはずなどない。これがわたしの推測の根拠である。


◎[参考動画]遠藤誉 東京福祉大学国際交流センター長(jnpc 2012/06/12公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)
タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

《殺人事件秘話16》桶川ストーカー殺人「主犯」が訴え続ける「冤罪」と「恨み」

〈片岡さん・・・私は死ぬまで、ココを出られませんヨ(本当に。)よわりましたです・・・。〉

今年3月、小松武史(52)から届いた手紙には、そんな弱気な言葉が綴られていた。獄中生活も20年近くになるから、精神的に落ち込むこともあるようだ。

事件が起きたのは1999年の10月だった。桶川市の女子大生・猪野詩織さん(当時21)が元交際相手の風俗店経営者・小松和人(同27)や配下の男たちから凄絶なストーカー被害を受けたうえ、JR桶川駅前で和人の部下の久保田祥史(同34)に刺殺された。

警察捜査は後手後手に回り、首謀者と思われていた和人が逃亡先の北海道で自殺。その後、「主犯」として逮捕されたのが、和人の兄である武史だった。

武史は消防隊員として働きながら、副業で和人の風俗店経営を手伝っていたとされる。裁判では、「弟・和人の意向を受け、久保田に猪野さんの殺害を依頼した」と認定され、無期懲役判決を受けた。そして現在も千葉刑務所で服役中だ。

だが、実を言うと、武史は逮捕されて以来、一貫して冤罪を訴え続けており、実は現在も再審請求を準備中だ。私が6年前、武史と手紙のやりとりを始めたのも、冤罪主張の当否を検証するためだった。

小松武史が服役している千葉刑務所

◆「弟思い」とみられていたが・・・

〈私は、かくすような事は、何もないので、ザックバランに何でも書いて下さい。どのような事にも答えたいと思っております〉

最初に武史から届いた手紙には、そう綴られていたが、実際、武史は聞かれたことに何でもよく答えた。そして意外な真相を口にした。

〈私と弟の関係ですが(略)私は当時より(前妻も)弟が大嫌いですし、死んでも私の恨み憎さは、まだ半分あります!〉

武史は、弟思いゆえ、和人を振った猪野さんの殺害を久保田に依頼したと考えられてきた。しかし、実際は和人が嫌いだったというのだ。

◆怒りのエネルギーで生きてきた

武史によると、実行犯の久保田は、本当は武史ではなく和人の意向をうけ、猪野さんを襲ったという。だが、久保田は和人に良くしてもらっており、反対に武史を嫌っていたため、「殺害は武史の依頼だった」と虚偽を供述。そのせいで冤罪に貶められたというのだ。

武史は手紙で、その怨みも連綿と綴ってきたこと。

〈全てを失い、冤罪とかゆうレベルではないと思いましたし、怒りを通りこし、当然、当時は生きていたくないと毎日思っていましたが…不名誉なまま終れないと考え、怒りのエネルギーで、今日まで生きて来てます〉

今年10月で桶川ストーカー殺人事件が発生して20年になる。ずいぶん長い年月が過ぎたが、事件はまだ多くの人が記憶しているはずだ。武史が再審請求に動くようなら、その動向はまた当欄でお伝えしたい。

猪野さんが刺殺された桶川駅前の現場

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。新刊『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)が発売中。

創業50周年!タブーなき言論を!『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

追い詰められた安倍政権 条件抜きの日朝首脳会談は可能か?

天皇代替わりに覆われた10連休は、まさに皇室ウィークともいうべき報道に包まれた。そのいっぽうで、安倍政権はいよいよ「条件抜きの日朝首脳会談」の開催にむけて動き出している(5月2日付報道)。すなわち、従来の「日本人拉致問題の進展を前提条件に、日朝首脳会談にむけた外交交渉」を投げ捨て、会談実現の事実づくりに動き出したというのだ。

 
2019年5月2日付産経新聞

日朝首脳会談への新たな対応方針は以下のとおりだという。

〈1〉条件を付けずに金氏と会う。
〈2〉2002年の日朝平壌宣言に基づき国交正常化を目指す姿勢を強く打ち出す。
〈3〉北朝鮮が求めるあらゆる議題に関し、腹を割って話し合う、というものだ。

そもそも手詰まりの外交交渉に、打開のメドがあるのかどうかはともかくとして、朝鮮半島をめぐる各国の首脳外交に後れをとったばかりか、完全に孤立しつつあることへの危機感が観測気球を上げさせたとみるべきであろう。

昨年1月に朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)の金正恩委員長が平昌(ピョンチャン)冬季五輪に参加表明すると同時に、南北首脳会談を提唱して以降、安倍政権は一貫して非核化抜きの和平交渉に反対してきた。ところが南北融和が進むとともに米朝首脳会談が二度まで開かれ、中朝および露朝首脳会談が開かれるにおよんだ。ここに至って、わが国の孤立は国際社会に明白となっていた。条件抜きでの日朝首脳会談とは、まさにこの危機感によるものにほかならない。

 
2019年5月2日付朝日新聞

◆またしても政治的ポーズか

だがこれだけならば、2002年の平城宣言に基づいた独自の日朝交渉として、昨年らい安倍政権が模索してきたことである。米朝首脳の対話に拉致問題を託しつつ、北朝鮮の歩み寄りを期待してきた安倍政権にとって、米朝会談の物別れは「完全非核化の原則を守った」という評価とは別に、拉致問題の凍結を意味するものだった。

拉致被害者家族会の内部からも、安倍政権は何もしていないとの批判が噴出しているという。事務局長を辞任した蓮池透氏の「安倍晋三による拉致事件の政治的利用」という批判が、いまや現実性をおびて感じられる空気になっているのだ。

安倍総理は3月6日に官邸で家族会と面会し、拉致問題の解決にむけて「つぎは私自身が金委員長と向き合わなければならない。あらゆるチャンスを逃さない」と語っている。だがそもそも、交渉の糸口はあるのだろか。外交筋では、米朝会談の行き詰まりによって、北朝鮮も日本を窓口にする可能性がある、としている。あくまでも「可能性」などの希望的観測にすぎないのだ。

米朝首脳会談において、トランプ大統領は「完全な非核化を実現すれば経済制裁は解くが、本格的な経済支援を受けたいならば日本と協議するしかない」と金氏に説明したと、日本の外交筋は明らかにしている。その上で「安倍首相は拉致問題を解決しない限り、支援には応じないだろう」と述べたとされる。

この説明を受けて、金委員長は、安倍首相との会談に前向きな姿勢を示したとされているが、これはどこまでが事実なのか。会談中に北朝鮮側は「拉致問題は解決済み」という従来の見解は一度も示さなかったというが、それは本当なのか。アメリカとの交渉のなかで、あえて何も言わなかったという見方もできる。つまり、すべては伝聞の憶測にすぎないのだ。

◆日本は「永遠にひざまずけ」(北朝鮮宣伝サイト)

このかん、北朝鮮が韓国向け宣伝サイト(わが民族同士)に公表しているのは、慰安婦問題および徴用工問題への言及である。そしてそれは、真っ向からわが国を批判する内容なのだ。

すなわち、韓国の文喜相(ムンヒサン)国会議長の「日王(明仁天皇)が慰安婦に謝罪するべき」という発言に安倍総理や河野外相が強く反発していることに対して「虚偽と欺瞞(ぎまん)を体質化した島国の種族にのみ見るずうずうしさの極致にほかならない」「20万人の朝鮮女性を連れ回して性奴隷生活と生き地獄を強要し、840万人余りの朝鮮人を強制連行し、100万人余りを虐殺した」

「日本は永遠にわが民族の前にひざまずいて謝罪しても許されようのない境遇だ」
「全同胞は、過去の罪悪へのわずかの反省もなく、鉄面皮に振る舞う日本反動らの妄動を徹底的に粉砕してしまうべきだ」と、徹底的に批判しているのだ。

つまりこういうことだ。アメリカ(トランプ)が経済制裁を解いたあとは、日本はアメリカの代わりに経済援助をする。そして北朝鮮は「永遠にわが民族の前にひざまずいて謝罪しても許されようのない境遇」の日本に、永遠に無償の援助を行なわせる。なぜならば日本は戦犯国であり、アメリカの属国であるからだ。

◆対話は可能なのか?

すくなくともレーダー照射事件や慰安婦問題、徴用工問題で韓国と最悪の関係にあり、中国やアメリカ、ロシアとの関係においても主導的な外交関係にない日本を、北朝鮮が地域における主要なプレイヤーと位置付けているとは、とうてい思えない。アメリカとの交渉のあとに付いてくる、「賠償責任のある戦犯国」あるいは「援助国」にすぎないのだ。

すでに拉致問題は、2014年のストックホルム合意を受けての北朝鮮当局による調査は終わっている。その結果は「8名死亡およびその他は死亡」だった。日本政府は要員を送り込みながらも、この調査報告書を覆せなかった。その結果、調査報告は受け容れられないとして、日本の側からのみ「調査は中断されている」ことになったのだ。したがって、平壌宣言に立ち返ろうとも拉致問題は一歩も前進しない。したがって、今回の安倍政権による「条件抜きの首脳会談」はあらかじめ画餅であり、何もできないことを前提の政治的ポーズであると指摘しておこう。


◎[参考動画]トランプ大統領に総理明言「無条件で日朝首脳会談」(ANNnews 2019/5/7公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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釜ヶ崎に行って来た!「はなまま」尾崎美代子さんの想いに応えて 松岡利康

これまで釜ヶ崎現地で食堂を営みながら労働者を支援している尾崎美代子さんからの報告をもとにお伝えしているように、先月から釜ヶ崎の動きが目まぐるしく転回しています。どういう経緯で知り合ったか思い出せませんが、尾崎さんとはもう20年余りの付き合いになり、誰がなんと言おうが、その人間性を信じています。彼女の報告にウソはないと思います。

彼女は、食堂を営みながら、冤罪や福島支援、女医変死事件などに積極的に奔走されています。

 
西成労働福祉センター

一部の関西マスコミも報道しているように、突然の西成労働福祉センター1Fの強制閉鎖で多くの労働者が雨宿りの場所を追われ排除されています。これに対し異を唱える労働者のみなさんが抵抗し、一時は閉鎖を阻止し占拠、自主管理していました。

しかし、それも強制力で排除され、労働者のみなさんは、外にテントを張ったりして過ごされています。今はしのぎやすい季節ですからまだいいとしても、これから来る酷暑は大変です。

センターは、日本が高度成長で沸き、大阪万博があった1970年に竣工しています。階上には病院、公営住宅を持ち、しかしながら老朽化や耐震性などで問題があり建て替えは既定路線とのことです。さすがにこれだけの大きな建物をすぐに取り壊し建て替えはできませんから、これらあと2年ほどは移行期として閉鎖されずにやっていくそうです。

単純な疑問は、それなら、労働者の集まり場所になっている1階だけを突然閉鎖せず、労働者のみなさんの今後の行く末を面倒見ながら向こう2年間にわたってソフトランディング的に進めていけばよかったんじゃないんでしょうか(というのが外部の者の素朴な感想です)。

この連休も私のような中小企業経営者は、ゆっくり休めず休み明けの業務の準備に大わらわですが、1日割いて釜ヶ崎に陣中見舞いに行ってきました。

この通信でもお馴染みの「カウンター」リンチ事件被害者M君も同行してくれました。彼は東北地震の被災地にも陰ながらボランティアに駆けつけるような好青年です。

カップ麺50個、水、カンパなどをお渡しし、喜んでいただきました。東京から青年が支援に来ていました。後日また仲間を連れてくるそうです。まだこういう青年がいて頼もしい限りです。

例の「代替地」とされる場所も見ましたが、30人ほどが集まれるテントと長椅子、仮設トイレを設置しただけの簡素なものでした。もちろん雨もしのげません。

「代替地」。労働者をバカにするのもいい加減にしろ!

私たちは労働者の側に立ち、こういう強制力によるセンター閉鎖と労働者排除に対しては、断固抗議する労働者の方々を支援します。

尾崎さんらが労働者のみなさんと共に抗議の声を上げるのは当然で、おとなしくしているほうがおかしいです。もし足元で起きたことに黙っているのなら、「尾崎さん、どうしたの?」と疑問を投げつけるでしょう。

センター閉鎖・労働者排除を黙過した人たちもいたようですが、私としては、小異を捨てて大同につくの精神で一致して戦ってほしいと願います。

以前から釜を代表する人物のひとり稲垣始さんは、労働者の先頭に立って怒りの声を上げ抵抗されました。当然です。

釜ヶ崎には二つの組合があり、稲垣さんが委員長を務める「釜ヶ崎地域合同労働組合」(釜合労)と、「釜ヶ崎日雇労働組合」(釜日労)です。どちらも長い歴史を持ち、元は同じということです(釜日労の初代委員長が稲垣さん)。80年代はじめに分裂し、以後ずっと対立しているようです。「釜合労」が名誉毀損で「釜日労」を訴え勝訴したこともあるとされています。賠償金600万円余りで高額です。双方言い分もあるでしょうが、もうそろそろ矛を収めたらいかがでしょうか。

今回の閉鎖騒ぎでも、「釜合労」は所有するバスをセンターに入れシャッターが閉めれないようにしたり頑張っていました。

閉鎖に抵抗した釜合労のバス
 
排除された労働者の荷物とテント

ところが「釜日労」の姿が見えません。こちらの方々のほうが多数派で戦闘的だと聞いていましたので、こういう時には奮闘しているのかと思っていました。なにか逆のようで、正直ちょっとガッカリです。あとからいろいろ講釈を垂れるのは誰でもできます。

今回の事態については『人民新聞』も報じていましたが、これに対しても長文の批判文を委員長名で出しています。地元大阪のことですし、常に弱者の側に立つ『人民新聞』が報じるのは当然で、ちょっとみずからに都合が悪いとすれば不倶戴天の敵のように見なすのはいかがなものでしょうか?

また、1日には「釜日労」関係所有のテントが何者かに破られるという事態が起きています。由々しきことで、抗議文を出すのは当然です。犯人はまだ判っていませんが、なのに、「この街の事情をまだよく知らない新参者の仕業には間違いない。また、それを煽る連中の存在が一役買っているのも事実だろう!」と、まるで「釜合労」や尾崎さんらが犯人であるかのように仄めかすのはいかがなものでしょうか。大いに疑問です。私の知人の多くも「いいね!」したりコメントしたりしていますが、逆に「お前ら、労働者と共にセンター閉鎖に抗議しろ!」と叱咤激励していただきたいと思います。

さらに、尾崎さんや飛松五男さんらが尽力されながらも未解決の「女医変死事件」についても、「釜日労」は冷淡で、これを報じた『週刊金曜日』に強く抗議したそうです。今回の『人民新聞』への抗議に似ています。人民の側に立つことを公言するならば、逆に事件の真相究明のために力を貸していただきたいと思うところです。

尾崎さんと長い付き合いがあるからといって、尾崎さんが先のテントを破ったりしたのなら諌めますし、こうしたことが繰り返されたりするならば訣別します(同行してくれたM君リンチ事件で、その日和見主義的態度を取り、四半世紀以上の付き合いがあった鈴木邦男氏と義絶したように)。また、「釜合労」「釜日労」、どちらに与するわけでもなく、労働者の利益のために頑張っているほうを応援するのは言うまでもありません。

新潟出身で東京の大学に行き、在学中に新聞会の活動を通して山谷や釜ヶ崎の問題に関心を持ち、20数年前に釜ヶ崎に居を据え食堂を開いた尾崎さんの想いは素晴らしいと思います。私が尾崎さんの立場ならできません。

 
「はなまま」尾崎さんの2019年5月5日ツイッターより

女ひとりで食堂を営んでいますので、けっこう怖い場面もあるようで、刃渡り40センチぐらいののこぎりを持って食堂の前に居座られたりしたことも。こういう時には食堂のお客さんや仲間らが追い払ってくれるそうです。

尾崎さんは、時折冤罪や原発問題などで講演会を開いたりしますが、仲間らが手伝ってくれ、けっこう人数を集めます。来月には湖東病院冤罪事件被害者で先頃再審を勝ち取った西山美香さんと主任弁護人の井戸謙一弁護士(私たちが支援している滋賀医大問題の患者側の代理人でもあります)も来てくれるそうです。

一時は「一億総中流」などといわれた時代もありましたが、今はそんなことなど誰も信じません。ほんの一部の上流とほとんどの下流(嫌な言葉です)の格差が広がり、一所懸命働き年金も積み立ててきたのに年金さえもまともにもらえない(もらってもそれだけでは生活できない)社会になっています。一千万円単位の退職金をもらえるのは公務員とほんの一部の大企業ぐらいでしょう(ここでもほとんどの民間企業、特に中小企業との格差です)。

釜ヶ崎や山谷には、そうした格差や貧困問題が凝縮されていると思います。時代や社会が変わり、街が小奇麗になっていくのは、ある意味で致し方ないとしても、たった一人の労働者も弱者も切り捨てることなく都市計画を進めていただきたいと、あらためて感じました。

これからも情況は激しく転回していくと思われますが、釜への注目をお願いいたします。

 
『NO NUKES voice』18号 「はなまま」尾崎美代子さんによるフォークシンガー中川五郎さんインタビューを収録
『NO NUKES voice』19号「はなまま」尾崎美代子さんによる報告「美浜、大飯、高浜から溢れ出す使用済み核燃料を関西電力はどうするか?」を収録
創業50周年!タブーなき言論を!『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

社畜絶望社会・令和 ── この国を疲弊させた元凶としての「就活」〈後編〉

◆会社のサイトやパンフレットは「嘘のオンパレード」

さて「就活」にあたっては、会社のサイトを閲覧したり会社説明会に参加するというのが通例だが、そこで得られる情報など嘘ばかりである。サイトの会社紹介は嘘のオンパレードであり、いかに良く見せようとばかり考えている。会社説明会でも悪いところ(会社の真の姿)はまず言わない。実際入社してみると、給与や勤務時間などで言われていたのとは違ったという話は多い。

自殺した男性の遺族の記者会見

例えばニュースになったが、JAXAの人工衛星「いぶき」の管制業務を請け負っていた男性(当時31歳)が2016年10月に自宅で自殺したという事件があった。

※参照『JAXA管制業務の31歳男性が過労自殺 労災を認定』

男性は管制業務に就いてから、16時間半に及ぶ夜間勤務を月に約7回こなし、月の残業が70時間を超えることもあった。さらに管制業務に加えてソフトウェア開発まで命じられていた。仕事のことで、同僚の前で上司に厳しく叱責されることもあったという。土浦労基署は長時間労働やパワハラが自殺の原因だと判断し、労災と認めた。

男性が勤めていたソフトウェア開発の「株式エスシーシー(SCC)」(東京都 中野区)のサイト(https://www.scc-kk.co.jp/edcgroup/index.html)によると「従業員満足の実現」とは

・明るく健全な職場環境を維持し、働きやすい環境を維持しています。
・会社を支える社員を人財として大切にします。
・社員は常に誠実、真摯に業務に取り組み、自己向上に努め、会社に誇りと自信を持って行動しています。

だという。まったく皮肉である。実態は過剰労働やろくでなしの上司のパワハラで徹底的に搾取されていたのである。

もう一つの事例をあげよう。

私の友人の話によると、品川の西五反田にある会社で「ダイバーシティ(多様性)を重んじる」という会社・C社を受けた。C社は主に証券や金融システムを作っていて、AIやブロックチェーン(仮想通貨などに使われる最新技術)の研究にも取り組み、「働き方改革」に熱心であるとサイトでPRするなど一見「進歩的な」IT会社であった。友人はいざ受けたが、あっさり落とされたという。

私は友人が落とされた理由で思い当たる節があった。友人は吃音であった。その会社はプログラミング未経験の文系出身の学生も採用しているので、情報系の学科にいる友人は能力的に問題ない。また彼は自身のブログで制作した作品を公開しており、プログラミング能力や文章力も十分あることを第三者から判断できるようにしている。また友人は小さなIT企業でアルバイトをしていることも会社に伝えていた。となると、やはり吃音が影響したと考えざるを得ないのである。

「多様性を重んじる」というなら吃音者も受け入れることもダイバーシティだと思うが、結局C社はハンディキャップのある人間を排除した(つまり差別した)のである。

以上のように会社のサイトに書いてあることがいかに偽善や嘘で塗り固められたものであるかがよくわかる事例である。

「就活で多くの会社を見れていい」という意見もあるが、「就活」で会社が本当の姿を見せることはまずない。会社説明会や選考に参加した程度で、得られる情報量など知れている。また、何社受けようと入社するのは1社である。こんなばかばかしい活動に時間やカネをかけている暇はない。どうせ本当のことがわからないのなら、会社のパンフレットやサイトを見れば十分であろう。

◆「就活」現象の活性化によって得をした就活情報会社の犯罪

就活情報会社といえば、マイナビやリクルートが有名である。今の「就活」で得をするのはこれらの就活情報会社であろう。新卒ですぐに会社を辞めた者はまた、「マイナビ」や「リクナビ」などのサイトで「就活」を始めなければならない。会社としても人材を探すために再度、これらのサイトに登録料を支払う必要がある。

多くの会社と学生が「出会える」機会を提供しているのかもしれないが、その結果1つの会社に多くの学生が殺到し面接は「いかに落とすか」になっていく。その結果、2、3時間程度の面接で「判断」しなければならなくなる。学生としてはいい加減な「判断」で自分を「評価」され、そして否定される。これが内定をもらえない限り延々と続くのである。最悪の場合は自殺するケースもある。

就活情報会社はこれらの現実をどう考えているのだろうか?

◆様々な働き方

日本では就職=就社となっている。大学などの学生に対して、会社勤めを前提に就職活動をするように迫る。簡単ではないが、フリーランスや起業も考えてもいいのではないか?「働き方改革」と謳うが、会社勤めが前提なのは変わっていない。

また、会社勤めは安定しているようにみえるが実は不安定要素が多い。リーマンショックのような不況が起これば、普段まじめに勤務していても容赦なく解雇される。せっかく入社できても職場にあわなければやめ、別の会社を探す必要がある。また、会社がブラック企業なら徹底的にこき使われ人生の貴重な時間をうばわれる。最悪の場合はうつ病になるか過労死である。

どれだけ自分の仕事に愛着があっても、このような状況では集中して取り組むのは難しい。社会全体で、会社勤め以外の多様な働き方を考える必要がある。

日本はもはや社畜絶望社会である

◆お先真っ暗の「令和」

最後になるが、「令和」という時代は「平成」以上に悪い時代になると思う。「令和」という時代はより一層「平成」の時代に形成された矛盾(貧困・ひきもり人口の増加や原発事件、外国人労働者の搾取などの問題)が大きくなっていくことだろう。

会社などに振り回される人生ではあってほしくない。私もアフィリエイトやクラウドソーシングでのWebアプリ開発、発明などで会社に振り回されない、自立した生活を送りたいとつくづく思う。(完)

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

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また分裂、新たな団体、ジャパンキックボクシング協会(JKA)が誕生!

キックボクシング50年の歴史は分裂の繰り返しでもありました。なぜ分裂は起こるのか、政治と同じような派閥組織の永遠のテーマであります。

21世紀に入り、新たに始まったのが団体に属さないフリーの興行プロモーターの多発。更に興行とは別の認定団体誕生。2013年にはMA日本キックボクシング連盟から脱退したジャパンキックボクシングイノベーションが誕生。

JKAロゴ

そして平成最後の年にまた分裂で令和元年初日に新しい団体が誕生。新日本キックボクシング協会から脱退したのが“ジャパンキックボクシング協会”という名の団体発足となりました。かつての日本キックボクシング協会の復興ではありません。本当はそうしたかっただろうとは推測できますが、そこには“老舗”を名乗れない事情があります。

キックボクシングの原点は1966年1月に設立された日本キックボクシング協会で、TBSの全国ネットによる隆盛、斜陽から氷河期を経て1984年11月に統合団体に吸収された後、1996年3月に、後のMA日本キックボクシング連盟から脱退し、日本キックボクシング協会が復興した原点回帰から始まるのが新日本キックボクシング協会とそこから分かれたジャパンキックボクシング協会のふたつの団体です。

新団体の代表となった長江國正氏は現役時代、藤原敏男や島三男、ビラチャート・ソンデン、ベニー・ユキーデといった名のある世界的トップと戦った元・全日本フェザー級チャンピオンで、WKA世界ライト級王座にも就きました。1984年に引退後、治政館を開設して2001年1月には武田幸三をタイ国ラジャダムナン系ウェルター級チャンピオンまで育て上げています。初めての団体代表となる長江國正氏が率いるジャパンキックボクシング協会の今後の活動は順風満帆か波乱万丈か、しっかり見ていきたいところです。

ジャパンキックボクシング協会代表となった長江國正氏

以下は、ジャパンキックボクシング協会広報部より発表されましたリリースです(4月16日配信)。

———————————————————————-

「このたび所属しておりました新日本キックボクシング協会と今後の方向性などの話し合いの結果、円満に退会することとなり新団体を発足する運びとなりました。
令和元年5月1日より『ジャパンキックボクシング協会』を設立し、同じく前団体から退会した有志のジムと新たに加盟するジムで団結し、5月12日(日)後楽園ホール大会でのプレ旗揚げ戦より活動をスタートしていきます。

日頃の皆様のお引き立てに心から感謝するとともに、何卒倍旧のご支援お引き立てを賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

ジャパンキックボクシング協会  
代表・長江國正  

 

5月12日開催KICK ORIGIN興行ポスター

団体名:ジャパンキックボクシング協会
(JAPAN KICKBOXING ASSOCIATION)
設立日:令和元年5月1日

執行部
代表・長江國正(治政館ジム会長)
副代表/統括本部長:小泉猛(市原ジム会長)
興行本部長:八木沼広政(ビクトリージム会長)
事務局長:鴇稔之(KICK BOX会長)

ジャパンキックボクシング協会事務局
〒144-0052 東京都大田区蒲田5-12-2バリアビルB1F

前団体で現役王者であり所属団体移籍の為、ベルトを返上した下記の両選手につきましては当協会におきましても初代王者に認定することが決定しました。

ジャパンキックボクシング協会フライ級チャンピオン.石川直樹(治政館)
ジャパンキックボクシング協会フェザー級チャンピオン.石原將伍(ビクトリー)

またジャパンキックボクシング協会旗揚げ戦は8月4日(日)後楽園ホールに於いて、年内興行は11月(後日発表)を予定しております。

KICK-Origin / 5月12日(日)後楽園ホール17:00~
主催:ジャパンキックボクシング協会(JKA)

石川直樹。王座は2016年10月23日、4R・TKO勝利で泰史(伊原)から奪取したのが原点

《予定カード》

第11試合 52.5kg契約 5回戦
JKAフライ級チャンピオン.石川直樹(治政館)
VS
儀部快斗(タイ国RAM100スタジアム114pondチャンピオン/エクシンディコンJAPAN)
第10試合 タイ国チェンマイスタジアム認定バンタム級タイトルマッチ 5回戦
チャンピオン.馬渡亮太(治政館)
VS
挑戦者同級1位.ペットモンコン・ソー・ジンジャルンカンチャン(タイ)

第9試合 フェザー級3回戦
瀧澤博人(元・日本バンタム級チャンピオン/ビクトリー)
VS
ニシャオ・ソー・ジンジャルンカンチャン(チェンマイスタジアム・フェザー級C/タイ)

第8試合 58.0kg契約3回戦
JKAフェザー級1位.皆川裕哉(KICK BOX)
VS
ペットワンチャイ・ラジャサクレックムエタイ/タイ)

第7試合 63.0kg契約3回戦
JKAライト級5位.興之介(治政館)vs MA日本ライト級2位.翼(菅原)

第6試合 54.0kg契約3回戦
JKAバンタム級3位.幸太(ビクトリー)vs NKBバンタム級5位.海老原竜二(神武館)

第5試合 フェザー級3回戦
JKAフェザー級2位.櫓木淳平(ビクトリー)vs 同級3位.渡辺航己(JMN)

第4試合 バンタム級3回戦
JKAバンタム級5位.田中亮平(市原)vs 同級6位翼(ビクトリー)

第3試合 ライト級3回戦
JKAライト級4位.林瑞紀(治政館)vsHARUKA(JMN)

第2試合 ウェルター級3回戦
モトヤスック(治政館)vs山本大地(誠真)

第1試合 フェザー級2回戦
又吉淳哉(市原)vs花塚ノリオ(E.D.O)

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石原將伍。2017年10月22日、王座決定戦で高橋亨汰(伊原)にKO勝利したのが原点

《取材戦記》

チェンマイスタジアムタイトルマッチはどれほどの価値があるのでしょう。スタジアム毎に王座認定されていたらどれぐらいの数になるだろうかと思います。タイでもやたらチャンピオンが増えてきた印象を受けます。

新日本キックボクシング協会での日本フライ級チャンピオン、石川直樹と日本フェザー級チャンピオン、石原將伍は新団体に移っても初代チャンピオンに認定されるという。「選手に罪は無く、団体の都合だから」という解釈でしょうが、脱退において王座は返上されているので、本来は新団体で改めて王座決定戦を行なうべきものであるが、この解釈は理解されないでしょうね。ならば「初代チャンピオンは認定チャンピオン」で終わることなく、新日本キックで王座獲得した試合まで遡って経歴を残して認定して貰いたいものです。「誰と戦って王座獲得したのか」を言えなければなりません。

ジャパンキックボクシング協会はこれまでの団体とどんな違いを見せられるのか。この団体とは部外者の業界関係者の予想では、「おそらく加盟ジムが今迄以上に増えるだろう」と言うもの。そういう新団体への信頼も期待が掛かっているのでしょう。しかしすでに6団体が存在する中、大所帯となることは考え難いので、イベント盛り上げ重視ばかりに集中しないよう競技性を確立した一番の団体を目指して貰いたいところです。

プロボクシングのようにコミッションが機能すれば否応にも分裂など出来ないものですが、名前だけでないその機能するコミッションを確立できなかったのは「昭和の隆盛期に先を見据えなかった老舗の怠慢」という関係者もいます。分裂しまくった平成の時代を終えて、これから30年ほど続くと思われる令和時代の内に統一と国家ライセンスの下、運営が成立する業界となることを願いたいものです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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