追悼・遠藤ミチロウ 今こそ、大音響で街に響かせたいTHE STALINの名曲たち

『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』(2015年)。遠藤ミチロウ自身が監督・主演の映像作品を先月偶然目にしていた。本人は昨年膵臓がんであることを発表していたらしいが、わたしは知らなかった。ただ『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』は、35年ほど前、授業料を払う監獄(愛知県立の新設高校)へ通っていた生徒の中でカリスマ的な人気のあった、あのミチロウが「自分語りを始めたのか」と、正直なところ驚きと落胆を感じさせられる作品だった。

元スターリンの遠藤ミチロウが逝った。享年68歳。合掌。


◎[参考動画]お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました

『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』でミチロウは、「自分語り」に終始していた。故郷を訪れ、幼少時代に遊んだ場所を歩き、生誕した家のある場所を眺める。あるいは各地の知人を訪れ、昔話やライブの様子を短く挟む。メークなしに、若い女性の詩人だか誰かと、「人生」について語る。ベットに寝ころびながら映像を見ていたわたしは、予想外の進行に半ば耐えられなくなり「もうやめてくれよ。ミチロウ、あんたもう最期が近いのかい」とひとり口ごもった。

ミチロウが「自分語り」をするのは、もちろん自由だ。でも往時のファンとしては「人生観」だの「生き方」だのを話で表現せずに、生き様だけで表現してほしかった、との勝手な思い込みと期待を持つことだって許されるはずだ。

わたしがあの時、直観的に思い出したのは晩年の高倉健のことだった。無口で私生活をさらさなかった高倉健。亡くなる2年ほど前から朝食の様子や、毎日通う散髪屋、果ては珍しくもない人生観を語りだし、興ざめした記憶がよみがえった。平気で軽い涙を流すこともあった。高倉健はおそらくあの時期最期を予期していたと思う。医師からも余命宣告を受けていただろう。映画の中で充分すぎるほど存在感を示した高倉健にしたところで、最後は語ってしまいたくなるものなのであろうか。


◎[参考動画]★THE STALIN ★ 爆裂都市☆メシ喰わせろ

この10連休の乱痴気騒ぎに、生きていればミチロウは何らかの反応を期待されたことだろう。「もうそれは勘弁してくれ」、「あんたらの期待にはもう応えただろう」とはいわないだろうけども、この時期にミチロウが逝ったのは実に劇的なタイミングだ。映画にはがっかりさせられたけども、さすが、旅立ちのタイミングはミチロウらしい。

だいたい奇抜なメークをしていたり、舞台で破壊的なパフォーマンスを演じるひとには、常識人が多く、直接話すとあっけにとらわれるほど善人が少なくない。忌野清志郎はそうだったし、ミチロウもそうだ。メークをしないミチロウは恥ずかしがり屋の常識人で、どうして自分がメークをするのか、豚の頭を掲げたり、臓物を観客に振りまいたりといったパフォーマンスをするのかを、実冷静に分析的に語る。


◎[参考動画]ザ・スターリン246 – 虫 世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!(2011/8/15)

「中途半端」がミチロウにとっては気になることであったらしい。だから、日本と琉球の中間、奄美への興味が高まったのだろうか。「奄美には瓦屋根がないんですよ。琉球には古い文化伝統がある。でも奄美は貧乏だからトタン屋根なんです。薩摩と琉球に挟まれて中途半端なんですよ」細部は確かではないがこんな言葉でミチロウは奄美を紹介していた(この解説が事実かどうかは定かではない)。

また、「自分は家族を持たず子供がいなかったので、いつまでたっても子供のまま」といった内容の発言もあった。そうか。ミチロウはぶっ飛んでいたのではなくて「中途半端」をいつも意識して(あるいは悩んで)いたのか。散々がっかりしたと酷評したけれども、ミチロウが「中途半端」にここまでのこだわりを持っていたことは『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』を見なければ知ることはできなかった。やはり作品には意味があるのだ。

ミチロウを長年注視し、聴いていたわけではない。ただ35年ほど前、授業料を払う監獄(愛知県立の新設高校)へ通っていたころ、スターリンのレコードは、誰だったか忘れたけれども必ず録音して聴かせてくれる友人がいた。「先天性労働者」、「STOP JAP」は今こそ、大音響で街に響かせたい名曲だ。

また懐かしさと、悔しさのかけらが旅立った。


◎[参考動画]STOP JAP〜仰げば尊し / THE STALIN

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来
創業50周年!タブーなき言論を!『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

憲法記念日には『あたらしい憲法のはなし』を読んで、日本国憲法を考える

『あたらしい憲法のはなし』は日本国憲法の成立を受けて、文部省が1947年に作成し、一時は教科書として、のちに副教材として義務教育でつかわれていたものである。この教科書(副読本)は改憲策動が勢いを増しだした2000年以降、多くの作家やジャーナリストに引用されている。

引用が最も多いのが、「六 戰爭の放棄」の項で下記の文章である。

 
『あたらしい憲法のはなし』(1947年文部省)より

《みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。

みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。》

いわずと知れた憲法9条についての解説である。辺見庸もこの部分を引いているし、護憲集会などではこの部分を読み上げるシーンを目にしたこともある。ある風見鶏女優が悦に入って朗読している姿を動画で目にして、「こいつが言うか」と苦々しい思いをしたこともあった。

ここで解説されている内容は、まことに明快で格調高く、到達目的の崇高さは、世界にも誇ることができよう。わたしも初めてこの文章を目にしたとき「日本にもこんな良識があったんだ」と多少感傷的にもなった。優れた文章だし、感動的ですらある(それは2019年の「現実」との絶望的乖離を物語る証左でもある)。

だが、文章というものは、一部だけを読んで皆がわかったつもりになってはならない。『あたらしい憲法のはなし』には「五 天皇陛下」の項に以下の記載もある

 
『あたらしい憲法のはなし』(1947年文部省)より

こんどの戰爭で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。なぜならば、古い憲法では、天皇をお助けして國の仕事をした人々は、國民ぜんたいがえらんだものでなかったので、國民の考えとはなれて、とう/\戰爭になったからです。そこで、これからさき國を治めてゆくについて、二度とこのようなことのないように、あたらしい憲法をこしらえるとき、たいへん苦心をいたしました。ですから、天皇は、憲法で定めたお仕事だけをされ、政治には関係されないことになりました。

憲法は、天皇陛下を「象徴」としてゆくことにきめました。みなさんは、この象徴ということを、はっきり知らなければなりません。日の丸の國旗を見れば、日本の國をおもいだすでしょう。國旗が國の代わりになって、國をあらわすからです。みなさんの学校の記章を見れば、どこの学校の生徒かがわかるでしょう。記章が学校の代わりになって、学校をあらわすからです。いまこゝに何か眼に見えるものがあって、ほかの眼に見えないものの代わりになって、それをあらわすときに、これを「象徴」ということばでいいあらわすのです。こんどの憲法の第一條は、天皇陛下を「日本國の象徴」としているのです。つまり天皇陛下は、日本の國をあらわされるお方ということであります。

また憲法第一條は、天皇陛下を「日本國民統合の象徴」であるとも書いてあるのです。「統合」というのは「一つにまとまっている」ということです。つまり天皇陛下は、一つにまとまった日本國民の象徴でいらっしゃいます。これは、私たち日本國民ぜんたいの中心としておいでになるお方ということなのです。それで天皇陛下は、日本國民ぜんたいをあらわされるのです。

このような地位に天皇陛下をお置き申したのは、日本國民ぜんたいの考えにあるのです。これからさき、國を治めてゆく仕事は、みな國民がじぶんでやってゆかなければなりません。天皇陛下は、けっして神様ではありません。國民と同じような人間でいらっしゃいます。ラジオのほうそうもなさいました。小さな町のすみにもおいでになりました。ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません。これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。》(注:太字著者)

 
『あたらしい憲法のはなし』(1947年文部省)より

「これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう」と悦に入っているけれども、わたしにはまったく意味がわからない。冒頭「こんどの戰爭で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました」とさっきまで読んでいた憲法解説と同じ文章か、と勘違いするほどトーンが違う。天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました」だって?なにいってるんだ!「ごくろう」したのは大日本帝国の侵略を受けたアジア諸国の被害者や、戦争に駆り出された国民だろうが!そして「みなさんは、この象徴ということを、はっきり知らなければなりません」といきなり押し付けるような語調でに変わって以降の文章は、「無茶苦茶」である。「日の丸の國旗を見れば、日本の國をおもいだすでしょう」と書いているが「日の丸」は日本国憲法公布後、法的には国旗ではなかった。まず「日の丸の國旗」という言葉の使い方そのものが大いなる誤りである。そのあとに記章が学校ををあらわす例などを挙げて、必死で「象徴」の本質的な意味の歪曲化がなされている。「つまり天皇陛下は、一つにまとまった日本國民の象徴でいらっしゃいます」、「私たち日本國民ぜんたいの中心としておいでになるお方ということなのです」、「天皇陛下は、日本國民ぜんたいをあらわされるのです」、「このような地位に天皇陛下をお置き申したのは、日本國民ぜんたいの考えにあるのです」と続く解説には、《六 戰爭の放棄に見られたような哲学性も論理もまったく見当たらない。

 
『あたらしい憲法のはなし』(1947年文部省)より

『あたらしい憲法のはなし』は「一 憲法」から「十五 最高法規」までで構成されている。数十分もあれば全文が読めるであろうから、読者諸氏にもご一読をお勧めする。なかなか味わい深くもあり、半ば口語調なので時代の違いは感じるものの、読み物としても一興だ。

『あたらしい憲法のはなし』はやはり、「五 天皇陛下」と「六 戰爭の放棄」がエッセンスであろう。憲法の条文に照らせば1条から8条までが天皇にかんする言及であり、9条が戦争放棄にあたる。すでに指摘した通り、天皇についての解説は支離滅裂の極みである。論理的整合性は完全に破綻している。感情論と抽象論が繰り返し展開されるばかりだ。

でも考えてみると、日本国憲法は前文と1条から8条のあいだに決定的な齟齬がある。そしてそれに次ぐのが9条だ。前文で民主主義の理念を述べたたのであれば、1条では国民の権利義務に言及せねば繋がらないものを、どういうわけかいきなり天皇を持ってきてしまっている。この記述は実に巧みに日本の統治思想「国家無答責」を示すものだと、知人の法哲学研究家は指摘する。なるほど、噛み砕いて解説してくれている『あたらしい憲法のはなし』ではその矛盾があらわに顕在化せざるを得ない。

天皇の規定の次に「戦争放棄」を持ってきたのは「国体を守るためだった」との説がある。なるほど非武装・戦争放棄と、一見革命的に先進的な平和主義に目が行きがちだけれども、日本国憲法の要諦は「国体の護持」であったとの考え方は、皮肉なことに『あたらしい憲法のはなし』を読むと現実感をもって理解できる(それでも自民党などが画策する改憲案よりは現日本国憲法のほうがマシである)。

10連休という「有事」ではなく「慶事」の最中に、この国の成り立ちや憲法に思いをいたす方は少なかろう。けれども、わたしたちの暮らす国の憲法の精神分析をしてみるのに『あたらしい憲法のはなし』は絶好のテキストだろう。

※『あたらしい憲法のはなし』は昨年鹿砦社が発行した山田悦子ほか編著『唯言(ゆいごん)戦後七十年を越えて』に日本国憲法、大日本帝国憲法、軍人勅諭などと共に再録されています。

山田悦子、弓削達ほか編著『唯言(ゆいごん)戦後七十年を越えて』

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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社畜絶望社会・令和 ── この国を疲弊させた元凶としての「就活」〈前編〉

「令和」になり、新天皇が即位した。マスコミも世間も「お祝い」モード一色である。しかし、現実は極めて厳しく「お祝い」とは全く無縁である。この島国はもはや「格差社会」から「階級社会」へと移行しつつある。その証左の一つとしてひきこもり人口の100万越えという現象がある。

※参照『「就職氷河期世代」の集中支援 高齢期の生活保護入りを阻止する考え』

※参照『40歳代が最多、中高年「引きこもり」層が53%に 島根県調査が浮き彫りにした日本の向かう未来』

◆人々を「ひきこもり」へ追い込んだ「就活」の犯罪

ひきこもり多い氷河期世代…「生活保護入り」阻止へ早期対応(2019年4月11日付産経新聞)

現在、「ひきこもり」と定義される人たちは約110万人いるという。100万都市である仙台市の人口よりも多い数がひきこもっているのは非常に衝撃的であった。仕事で失敗して嫌になりひきこもったなどがあるが、いわゆる「就活」での失敗でひきこもったという事実も決して軽視できない。ひきこもりは40~64歳の人が全国で61万3千人もいて、10代・20代のひきこもり人口もよりも多い。彼らは1993~2004年の就職氷河期の新卒時に「就活」に失敗し、その後ひきこもったという。

一度「就活」を経験した者ならわかるが、たかだか2、3時間の面接やペーパーテストで自分を「判断」されご丁寧な「お祈りメール」で「お前なんてうちはいらない」と決めつけられることはたとえ1回でも精神的にきつい。これが何十回も続くうちに、自分自身が嫌になり、やがてひきこもりたくなるのは当然だ。今でも「就活自殺」というものがあるくらい、「就活」による害悪は大きい。「就活くたばれ」デモなるものが行われるのも当然である。

※参照 https://www.j-cast.com/2010/01/24058578.html?p=all

「就活くたばれデモ」東京でも開催(2010年1月24日付J-castニュース)

今の採用制度は、たいてい面接官のフィーリングによったものであり最近は性格テストなどが導入されたとはいえ、極めて非科学的である。そもそも根本的に2、3時間の面接で人間の能力や将来性を「評価」すること自体がおかしいのではないだろうか? 付き合いが何年もある知り合いさえ、知らないことはたくさんある。自分の両親であっても知らないことはあるのだ。20数年にわたる人生の長さに比べれば、面接時間の2、3時間などあまりにも短すぎる。

口下手な者は専門技術などがあっても、面接が下手ならそこで「お前はダメ人間だ」と決めつけられて終わりである。一方、口達者な者は面接の時だけ「優秀な人間」を演じればそれでOKである。ましてや今やネットや本で面接のヒントは数多くあり、マニュアル化している。今の採用システムでは人材を正しく評価できない。芸能人のマツコデラックスも今の採用制度に疑問を投げかけている。

※参照『マツコ、候補者の長所を聞く採用面接に不信感「世の面接をしている人たちは本質を見抜けない」』

このようないい加減な採用の結果、ミスマッチによって入社3年以内でやめる者が多いも当然だ。企業にとっては選考に費やした費用・時間が無駄になるし、学生にとっても再び「就活」をはじめなければならない。まったくばかばかしい限りである

一層のこと、関係者からの推薦や縁故採用、アルバイトで判断してからの採用にした方がよいのではないだろうかと思う。こちらの方がミスマッチはかなり減らせるし、会社からしてみれば無駄に多くの人間を面接して「落とすため」の選考をする必要性は減る。学生としても、受ける会社は少なくなるが正しく評価されやすくすることで、何十回も「お前はいらない」と人間否定されることはなくなる(つづく)。

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

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5月1日メーデー・この国のありさま

きょうは世界80か国以上の国が休日に定める「メーデー」だ。労働者の祭典の日であるが、実はメーデーの起源が米国であることを、読者諸氏はご存知であろうか。不勉強なのでわたしは最近まで、てっきりロシア(旧ソ連)か社会主義と関係のある国ではじまったのが「メーデー」と勘違いをしていた。


◎[参考動画]Workers Of The World Unite And Fight – May Day Explained

さて、“グローバルスタンダード”という虚構で、自国のルールを世界各国に押し付けつけることに余念のないのが今日の米国であるものの、米国では日本に比すると労組はまだ力をもっている。ストライキだってけっこう頻繁に行われるし、個人(労働者)の利益と企業の利益が必ずしも一致しない、原則が理解されている。

この大原則を大方の日本人は、認識できていない。お上に逆らわない国民性も手伝ってのことだろうか、かつての総評と同盟が合体して連合が生れてから、労働組合は企業の労務管理の手先と化した感すらある。大きな集団になればなるほど、執行部と末端構成員の利害は自然に対立する。国家でも地方公共団体でも企業でも同じである。家族経営の自営業や従業員が10名未満の中小企業では、経営者と従業員の関係が組織とはいえないような形態もあるので、そのような集団は別であるが、総じて企業経営者と労働者の利益はぶつかるのが基本である。

だからといって年から年中喧嘩をしていては、企業活動に停滞が生れるので、労働者が加入して経営者と労働条件や賃金、などを協議するシステムは世界で広く取り入れられており、日本でも憲法で労働者の権利は保証されている。明文規定は、第二十八条 《勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。》である。憲法は公布されたのが1946年だから70年以上前だけれども、そんな昔でさえ《勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利》の重要性は最高法規で明確に謳われていたのである。

ところが、2019年5月1日メーデーの日に、日本では“労働者の権利”すら知らない労働者が大半ではないだろうか。そして今年に限れば、いったいきょう、“なに”が騒がれているのだ。だいぶ前からメーデーの集会に現職の総理大臣が出席したり、連合主催のメーデー集会は、どうしよもない体たらくを演じているが、連合幹部の連中や参加の組合員の皆さんは、きょう何をしているのだろう。テレビでは何が流れている? 新聞報道はどうだ? したり顔の知識人や社会学者はなにを見てなにを語っている?


◎[参考動画]France’s Anarchists Clash With the Police on May Day(VICE 2017/05/06公開)

◆労働者の意識は100年前から進歩しているだろうか

約100年(正確には1920年5月2日)前の日本で第1回のメーデー集会が開催され、1万人が集会に参加したという。100年前にだって「労働者の権利」を認識して、活動するひとたちはいたのだ。

労働者の意識は100年前から進歩しているだろうか。労働組合は実体化されているか。春闘は形骸化され、争議やストライキではなく、首相の要請によって賃上げが実施されるここ数年の目を覆いたくなる体たらくを目にしていると、連合を筆頭とする「御用組合」の存在はかえって弊害ではないかとすら感じられる。労働者の権利や利益を代表するのではなく、企業の広報機関と化して、あろうことか原発再稼働を主張するような「御用組合」は打倒しなければならない。“組合”の名を語っていても彼らのなしていることは、大企業経営者や自公政権の「お手伝い」にほかならない。

他方、小さくともる労働者の利益と権利を守るべく、奮闘している「真っ当」な労組は、もっと評価されてよいだろう。企業に入ると自動的に組合に加入させられる「ユニオンショップ制」に縛られることなく、一人でも入ることのできる「労組」や「ユニオン」は各地に広がりを見せている。

近年は雇用の確保だけではなく、「企業を辞めたい」と思っても自分から「辞めます」と言い出せない人の代行を担う業者が繁盛しているそうだ。無茶苦茶こき使われて心身ともに疲れ果てた労働者は、正常な判断ができなくなるので「辞める」ということすら、能わなくなるのだ。

この現象を「本人に勇気がない」と簡単に片づけることはできない。憲法で保障され、労働基準法で定められた諸権利を公教育ではまともに教えることがないから、このような惨状が生み出されるのだ。「道徳」が小学校で教科にされたが、最低限生きてゆく権利を知らしめることが、公教育の果たすべき最低の「道徳」ではないか。

〈権利は教えない。強制していないようで結果として服従を強いる。〉多くの国できょう「インターナショナル」が歌われている──。同じ日2019年5月1日、この国のありさまはどうであろうか。


◎[参考動画]The Internationale sung by Cubans on May Day 2017
(Chicago Cuba Coalition 2017/07/23公開)

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《殺人事件秘話15》福岡女子予備校生殺害少年の父親が法廷で遺族に一礼もできなかった理由

犯罪報道では、加害者やその家族の誠意のない言動が批判的にクローズアップされることがある。だが、ああいう報道を額面通りに受け取っていいものか、私は疑問だ。たとえば、私が過去に取材した事件のなかには、こういうケースもあった──。

◆苦悩する父親

「贖罪というか……罪を償うのを父親として支援していくというか……見守っていきたいと思います」

2017年10月、福岡地裁の第5号法廷。息子の裁判員裁判に情状証人として出廷した大柄な父親は、たどたどしい口調でそう証言した。髪はぼさぼさで、目もうつろ。事件以来、相当苦悩してきたのだろう。

彼の息子ユキオ(仮名、事件当時19)が事件を起こしたのは2016年2月のこと。ユキオは当時、熊本の実家を離れ、福岡の予備校に通っていたのだが、予備校の女子同級生ミズキさん(仮名、事件当時19)を尾行し、路上で襲撃。ナイフで顔や頭をめった刺しにし、小型のオノで何度も頭部を殴り、殺害したのだ。

ユキオの犯行動機は、ミズキさんに交際を断られたうえ、周囲に言いふらされたと思い込んだことだとされた。だが、精神鑑定医によると、ユキオは社会的コミュニケーションが困難な「自閉症スペクトラム障害」だったという。この障害の影響でユキオはミズキさんに対し、被害妄想を抱いていたようだ。

事件現場。ユキオはこのあたりで被害者を襲撃した

◆莫大な被害弁償

父親は、熊本からユキオの裁判に毎回傍聴に来ていたが、傍聴席ではいつも小さなメモ張に顔を近づけ、ひたすらメモをとっていた。そして証言台の前に座ると、体を小さくし、謝罪した。

「人の生命を奪ったら生命で償うしかないので、私も死んでしまおうかと思ったこともありました。しかし親なら、生きて息子を見守っていかないといけないと思うようになりました」

弁護人から「被害弁償はどうするのか」と聞かれると、父親はこう答えた。

「家を売り、退職金をあて、生きている限り、償っていきたいと思います」

父親はこの時点で被害者の両親に2500万円を払ったという。そのうえでさらに被害弁償をするというのだから、気が遠くなりそうだ。

さらに父親は「妻は事件後、精神病院に通院するようになりました」と明かした。事件により加害者家族の人生もボロボロになったのだ。

◆遺族に一礼もしなかった父親

ただ、父親は証言を終え、傍聴席に戻る際、遺族席のそばを通り過ぎながら、一礼もしなかった。その様子が気になった私は休廷の際、事情を父親に確認したのだが……。

── 批判するわけではないのですが、ご遺族のそばを通る際、素通りされていましたね。

「お話することはないです」

── ご遺族に頭でも下げないと息子さんに不利になるとは思われなかったですか?

「そんな余裕ないですよ」

父親はそう言い残し、足早に去って行った。法廷では、相当緊張していたのだろう。

重大事件では、おそらく多くの加害者家族は冷静ではいられない。それゆえに、余裕がないからこその言動が、不誠実な態度に見えることもあるのではないか。私は、この父親を知って以来、そう思うようになった。

一方、「自閉症スペクトラム障害」と診断された息子のユキオは裁判中、法廷ではずっと無表情だった。懲役20年の重い刑を受けたが、今後立ち直れるか心配だ。

裁判が行われた福岡地裁

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。新刊『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)が発売中。

創業50周年!タブーなき言論を!『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

昭和の日ってなんだ? 日本国固有の「元号」は世界に誇れる「美徳」なのか?

この原稿は、なにがめでたいのか知らないが、聞いたこともない「10連休」をまだかなり先に、見据えながら書いている。4月29日、つまりきょうは「昭和の日」とされている。1989年(昭和天皇が死去した年)のカレンダーにはこの日が「天皇誕生日」として休日とされていたはずだ。

昭和天皇は長く病を患い死去したので、追悼からアキヒトが天皇即位との流れは、今次の騒ぎと同じではなく、いくぶんの静寂もなくはなかった。それが2019年のきょう、どうであろうか。どうであるかは、本稿執筆時には予想でしかないけれども、おそらくは、またしてもこの島国に住む主流とされるひとびと、多数派は、バカ騒ぎに明け暮れているであろう。


◎[参考動画]昭和天皇 戦争終結 「これ以上戦争を続けることは非常に…」と米記者に

◆「ありがとう平成」というイデオロギー

「ありがとう平成」

この、まったくもって不可思議で、「だれがなにに対して」感謝しているのかもがわからない文言が町や紙面にあふれている。日本語は主語を明示しなくとも意味が通じるから、「腹芸」や「阿吽の呼吸」が生れるのだと主張する人がいるが、わたしは違うと思う。

文章の主体(課題)や責任主体をあいまいにしたがる性癖こそ(それを「和」と呼ぶひとびともいるが)が、曖昧な文章がまかり通る文化土壌を形成しているのではないか。そこで、誰も言わないからわたしが「ありがとう平成」を、正しく言い換えよう。

「ありがとう平成天皇陛下様!」

これ以外に解釈が可能だろうか。あるいはもっと気楽に何も考えず、毎年の暮れと正月の祝いのように「あけましておめでとうございます」程度の軽い挨拶だと思い、感じている人が少なくないであろうことは想像の範囲内だ。しかし、いろいろあったがなんとか年を越すことができた。来るべき年が良い年でありますように、と念じることには、なんのイデオロギーも支配構造も反映はされていない。単純に年始を祝う気持ちに邪悪さはない。

◆本当に「平成は戦争のない時代だった」のか?

「あけましておめでとうございます」と「ありがとう平成」はともに何らかの祝意を現していて、共通する「なにか」がありそうに勘違いされるやもしれないが、両者は天と地ほど違う。退位を控えてアキヒトはどこに赴いたのか。昭和天皇の墓はともかく、伊勢神宮にまで足を延ばしたことは必ず記憶されなければならない。

その他もっぱら「神話」にしか由来のない、数々の「神事」を大手メディアでは、何の疑問や批判も受けずこなしている。アキヒトは「平成は戦争のない時代だった」といった。ほんとうにそうだろうか。

航空自衛隊がイラクに派遣された問題が、名古屋高裁で違憲と判断されたのは、2008年4月17日だった。イラク、サマーワに派遣された第1次イラク復興業務支援隊の佐藤正久(責任者)は、その後自民党の国会議員となり、強行採決の際には暴力装置として、平時は軍国主義思想の布教に余念がない。初代防衛大臣久間章生は、防衛大臣退任後、右翼関係者の集会に参加する姿が数多く確認されている。サマーワに派遣された自衛官には自殺者が相次いだ。

そして南スーダンに派遣された自衛隊は、PKOと言いながら、実際は戦闘地帯だったことが判明した。しかもそのことを記した日報が紛失しているという、考えられないようなおまけまでついている。時の防衛大臣は稲田朋美である。南スーダン視察に訪れるも、わずか8時間の滞在で引き揚げ「安全だった」とのたまった、この極右議員はまいまだに落選していない。防衛費=軍事費はこのデフレ不況のなか、毎年5兆円を超えている。軍事費だけが聖域のように毎年増額されている。

なにが平和だ? どこが平和だ?


◎[参考動画]日本ニュース戦後編 第105号 だれが戦争責任者か 東京裁判

◆本当に「安倍の暴走を天皇は批判している」のか?

優しい心を持つ人の中には、「安倍の暴走を天皇は批判しているんだ」と主張される方々がいるが、わたしは「そうかなぁ、まったくそうとは思えないな」としか言えない。そういう優しさ(勘違い)がどこからどう見ても「差別の元凶」でしかない「天皇制」護持の一翼をになっているのだろう。かく語る方々の中には、いわゆる左翼やリベラルを自称されるかたも多いのだ。

わたしは、天皇の代替わりに何の興味もない。ただし、ここまでだれもかれもが浮かれて、「なにがめでたい」のかもわからずに「めでたがっている」光景は、その背中でとわたしのような考えのひとびとが「非国民」となじられているいるようにも思える(勘違いか)。非常に危険だと思うし、危険水域にはとうの昔に足を踏み入れてしまているのだ。

ご存知であろうか。「元号」(あるいはそれに類似した「時代に名前を付ける」習慣)をもっているのは世界中で「日本国」だけであることを。それは「誇らしい」ことなのか、「美徳」なのか、「世界に誇れる」ことなのだろうか。わたしは「どうしようもない時代遅れ」としか感じない。


◎[参考動画]【HISTORY CHANNEL】天皇陛下・マッカーサー会談 “終戦のエンペラー”

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

創業50周年!タブーなき言論を!『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

強制排除の理不尽! 大型連休はぜひ「西成あいりん総合センター」に来てください! 国と大阪府、大阪維新の非情かつ冷酷なやり口を見にきたらええねん! 

4月1日から自主管理が続いている大阪市西成区の「西成あいりん総合センター 」(以後センター)には約100名の人たちの寝起きしていた。閉鎖が予定された3月31日、深夜まで国と大阪府との攻防が続いていたが、無責任にも管理を放棄し、「撤収」したのは大阪府と国の方だった。

私たちの方はその後も何度も話し合いを要求してきた。国と大阪府はメディアには「話し合う方向で」ときれいごとを言うが、話し合いには一切応じず、そんな中大勢の警官をひきつれて強制排除に掛かってきた。 一番人がいない12時昼過ぎを狙い、いきなり、暴力的に。あの日何があったのか、追い出された労働者はどうなったのか、釜ケ崎から報告する。

 

◆排除はいきなりはじまった!

4月24日12時半すぎ、夜中テントに泊まりながら、昼間仕事に出る仲間から電話が来た。仕事中もセンターが気になり、仲間のtwitterを見ていたようだ。見ると「釜ヶ崎センター開放通信」が悲鳴をあげていた。

「【緊急】やばい。急にシャッター閉めにきた。皆さん、集まれたら集まってください!!」12:27

出先から急いで戻りながら、私も悲鳴をあげていた。

◎はなまま「話し合いにも応じず、いきなりだ!100人ものおっちゃんらが生活しとるんだぞ!すぐに向かいます」。12:38。

30分後センターに到着。

◎はなまま「すべて閉鎖。中にはいれず」。1:03

◎はなまま「中のものも持ち出せない!『明日アルミ缶集めなあかん。チャリンコ出してくださいよ。お願いしますわ』と」警官に訴える労働者。『張り紙もなく、こんな抜き打ちおかしいやろ』と怒鳴りつける労働者。メチャクチャや」1:08

◎はなまま「センター北側に来た。仕事から戻ったおじさん、一番南側(三栄食堂周辺)に寝泊まりしていた。『荷物どうすんねん。大事なものぎょうさん置いてあるんだで。明日から表で寝れってかよ』と怒っている」1:20

センター南側、 規制線の前にジャンベが到着。大勢が集まり再び声を上げ始める。3月31日のように。

長丁場になると思い店に戻り、炊き出しの飯を炊き始めたとき、仲間から規制線が解かれたと連絡。

 

 
◎はなまま「長引くと思い、ご飯を仕込みにきていたところ、閉鎖されていた道路が解かれたそうです。規制線で分断されていた仲間と合流。

『シャッター開けろ!』とまだまだ訴えていきます。来れる人はどんどん集まって!」4:09

◎はなまま「『荷物あるからシャッター開けろ』言うたが、国は警官に守られ帰っていった。『俺の荷物どうするねん』と集まる労働者。」4:35

◆身体ひとつで放り出された人たちは……

今日寝る布団も毛布も、大事な貴重品を入れたカバンも中に置いたまま。途方に暮れシャッターを力づくで開けようとする人たち。当然だ。夕方のニュースを見て、人もどんどん集まってきた。

 

騒然となるなか、再び数十人の警官がすっ飛んできて、シャッター周辺の人たちを蹴散らす。長年釜ヶ崎で活動していた車いすの男性にまで体当たり。「何すんねん」と介護者が怒鳴る。

別の場所では悲鳴があがる。悔しくて大声で泣く声。警官とはいえ、ここまで非情かつ冷酷になれるものか? 

その後釜合労の大型バスが緊急に解放された。 身体を休めに乗り込む労働者、でも多くの労働者は蹴散らされたまま、どこへ行ったのか?

「釜に40年いるで」と話していた労働者も夜の寝場所を探しに行ったのか?

高度成長期にはバリバリ働き、日本の経済を末端で下支えしてきた人たちが、使えなくなったらポイと棄てられていく。

◆国と大阪府は長年働かせた労働者と荷物を ゴミ扱いするのか?

 

国(労働局)と大阪府は翌25日、荷物を返却すると約束した。しかし当日、国と大阪府がやったことは前日の強制排除にも増して酷かった。

4月25日朝8時、センターで抗議集会したあと、稲垣さんが大阪府に「どういう形で荷物の引き渡しをやるのか? 今日仕事で来れない人はどうしたらいいか?」と電話を入れて聞いた。大阪府の返事は「決まってない、昼もう一度連絡する」。

しかし電話はかからなかった。当然だ。あんな人を馬鹿にしたやり方を、事前に伝えられる訳がない。中の荷物は数ヵ所にまとめられているとも聞いていたが、 あれだけ非情に叩き出した人たちを、素直に入れるはずはない、と嫌な予感。

 

15時前、予定された9番シャッター前に人が集まりだすと、すぐさま大阪府警第三機動隊、100人あまりが制圧するかのように9番シャッター前に集結する。

ほどなく全ての入口が規制線で塞がれた。中に入れない大勢の人たちの顔が見える。また分断。

その後、機動隊に守られた大阪労働局総務課長コバシが、機動隊の指示で「中の荷物は職員たちが外に運び出します」とアナウンスする。職員の制服を着た若者が次々とセンターの中から荷物を運び出し、表に並べていく。

吹きっさらしの表、集合住宅のゴミ集積所のように。それで「はい持って言ってください」だと。

◎はなまま「これビックリします。荷物を外に出して『1ケ月は置いて置きますよ』と。外ですよ。吹きっさらしの外。人が普通に通る外。『関係ない方は立ち入らないで』『人のものは持ち去らないで』とか書いてない。悪気なくても持ち去る人いますよ。カバンの下にいれた古い写真が宝物なんだという人もいてます」。

◆ここは無法地帯か?

4月24日、吉村新知事は「一部不法占拠のような状態であり、放置するわけにはいかなかった。国や警察と調整やリーガルチェックを受けながら、今日実行することを判断した」と記者会見。スラップ訴訟やりまくり、弱者虐めが得意の大阪維新の弁護士でもある、吉村知事のリーガルチェックとは、どのようなものなのか?

ご自身も地元の静岡で野宿者支援活動を続ける憲法学者・笹沼弘志さんがFBで重要な指摘を発信してくれた。

 

「行政代執行は身体に対しては行えません。占有権限なく設置された物件に対して行えるのが行政代執行です。センターからの立ち退きを求める場合、身体的強制を行政が行う法的根拠はありません」。「センター内に、たとえ占有権限なく設置していた物件であったとしても、それを行政代執行法などの法的手続きをとらずに撤去するのは違法。荷物を持ち去ったら泥棒。国による泥棒。泥棒国家は許されない」。

しかしセンターの場合、この法的手続きすら行われていない。民主主義とか人権とか、法の下の平等とか……まったく適用されていない。ここは何でもありの「無法地帯」か?

◆「耐震性」と「代替地」の罠

センターの建て替えは「耐震性に問題あり」がその理由だったが、センター1階からは労働者、野宿者を追い出して置きながら、上の住宅や医療センター、そして南側1階のNPO釜ヶ崎支援機構の休憩所はまだ残されたままだ。

 

「耐震性」とは、1階から労働者らを閉め出す口実ではないのか。またその広大なスペースと1、3階で37個の和式トイレがあり、誰に気兼ねなく寝転べたセンター1階の代わりに用意された「テント、ベンチ、簡易トイレ2台」の代替場所。これを見て「勝ち取れてよかった」と言えるのか?

センターからの排除は、天皇代替わり、G20大阪サミット、更には2025大阪万博に向けて強行されただけではない。大阪維新の「都構想」実現にむけ突破しなくてはならない、西成特区構想(ジェントリフィケーション)を遂行するためだ。

しかし釜ケ崎の闘いはまだまだこれからだ。シャッターの外に建てられたテントは現在増殖中! 大型連休はぜひ釜に来てください。国と大阪府、大阪維新の非情かつ冷酷なやり口を見にきたらええねん!

▼尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。

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〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

老舗の挑戦! 緑川創がWKBA世界王座獲得、新日本キックを率いる新エースとなるか! TITANS NEOS.25

今後この老舗王座をどう活かしていってくれるか。まずは“防衛してこそ真のチャンピオン”という目黒ジムの伝統を果たさねばならない。そして最終目標はムエタイ二大殿堂にあり。ラジャダムナンスタジアム再挑戦へ向けて、もう日本人相手には負けられない。

江幡睦は1月23日にリカルド・ブラボと共にラジャダムナンスタジアムで戦っているが、睦は判定負けを喫した様子(ブラボはKO勝ち)。「やはり現地で勝つことは難しいが、負けて教わることも沢山ある。ここから更に学んで這い上がろうと思う」と前向きな発言。

新日本キックvsREBELSの対抗戦は2勝2敗1分。HIROYUKIや重森陽太も熱望しているREBELSとの交流戦は次に繋がる好カードとなるか。

◎TITANS NEOS.25 / 4月14日(日)後楽園ホール 17:00~20:45
主催:TITANS事務局 / 認定:新日本キックボクシング協会、WKBA

カウンターの右ストレートを打ち込む緑川創

◆第13試合 WKBA世界スーパーウェルター級王座決定戦 5回戦

緑川創(元・日本ウェルター級C/藤本/69.85kg)
   VS
ペットカントン・ポー・ペットシリー(タイ/69.25kg)

勝者:緑川創 / TKO 3R 2:31 / カウント中のレフェリーストップ
主審:桜井一秀

ペットカントンは元・タイ南部クラビー県アーウナーンスタジアム・スーパーバンタム級チャンピオン。緑川創は先月の勝次同様、この壁を乗り越えなければ更なる上位は進めない。

相打ちはスリップ気味の緑川は立ち上がり、ペットカントンはノックダウンとなる

長身から来るペットカントンの蹴りが邪魔だが、パンチとローキックで様子見の緑川。第2ラウンドに緑川が相打ち気味に右ストレートでダウンを奪う。両者が崩れかかりダブルノックダウンかと思われたが、緑川はバランスを崩したもの。ペットカントンの蹴りを避け徐々に距離を詰める展開に持ち込み、第3ラウンドにはパンチのタイミングを掴んで勢いよく連打で仕留めた。

パンチが当たる距離を掴み打って出る緑川創
相手の出方を探りながら技を試し、KOへ繋げていく江幡睦

◆第12試合 54.0kg契約 5回戦

WKBA世界バンタム級チャンピオン.江幡睦(伊原/53.9kg)
   VS
グン・ハーブタイジョン(タイ/53.6kg)
勝者:江幡睦 / TKO 2R 2:33 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審:椎名利一

戦いながらの相手の分析、いつものようにローキックから様子を見てスピーディーな攻めを見せていく。そのローキックも徐々にダメージを与えていき、パンチへ繋ぐリズムを作っていく。

距離を詰めればラッシュしパンチ連打でダウンを奪い、更に左右ボディーブローで倒し、レフェリーが止めるTKOで仕留めた。

隙を見つけ、グンの蹴りに合わせて右ストレートを打つ江幡睦

◆第11試合 73.5kg契約3回戦

日本ミドル級チャンピオン.斗吾(伊原/73.5kg)
   VS
マキ・パンコーン(タイ/71.9kg)
勝者:斗吾 / 判定3-0 / 主審:宮沢誠
副審:椎名29-27. 桜井29-28. 少白竜29-27

パンチで前進する斗吾はヒジで切られる隙を見せてしまう危なさも併せ持つ。それでもパンチで出て行く圧力で、第2ラウンドにはダメージと疲れが見えるマキからダウン奪う斗吾だが、ヒジを思い切り振って出る技があるマキ。斗吾はロープに詰めボディブローも何度も炸裂するが心折れないマキを仕留めるに至らず判定勝利となった。

ヒジで切られる不覚はあったが、重いパンチで圧倒した斗吾

◆第10試合 54.5kg契約3回戦  

日本バンタム級チャンピオン.HIROYUKI(藤本/54.45kg)
   VS
ジョムラーウィー・ペットノーンセーン(タイ/54.35kg)
勝者:HIROYUKI / TKO 3R 0:57 / ヒジによる目尻カットと鼻骨骨折によるレフェリーストップ
主審:仲俊光

ローキックで様子見から蹴りの攻防が増えていく中、ヒジ打ちの交錯から飛び蹴りを見せるジョムラーウィーに慌てることなく圧力掛けていくのはHIROYUKIの方。更に第2ラウンドにフェイントから飛び後ろ蹴りでノックダウンを奪うHIROYUKI。第3ラウンドにはヒジ打ちで額を切り、第1ラウンドにヒジを当てた鼻骨骨折の影響も含めてレフェリーストップに追い込んだHIROYUKIがTKO勝利。

HIROYUKIがジョムラーウィーを上回る攻めを見せて飛び技に繋ぐ

◆第9試合 64.0kg契約3回戦

WPMF日本スーパーライト級チャンピオン.藩隆成(クロスポイント吉祥寺/63.9kg)
   VS
ポーンパノム・イハラジム(タイ/63.75kg)
勝者:藩隆成 / 判定2-0 / 主審:少白竜
副審:椎名29-28. 宮沢29-29. 仲30-29

パンチとローキックで前進する藩隆成。下がり気味だが右ミドルキックが強いポーンパノム。その蹴りで藩隆成の左脇腹が赤く腫れていく。藩隆成のローキックが効果的に現れつつあるが、ポーンパノムは表情に表れない。藩隆成は手数が増え追う形が続き判定勝利を掴む。

ポーンパノムの右ミドルキックで藩隆成の右脇腹は赤く内出血するが、攻め続けたのは藩の方

◆第8試合 ライト級3回戦

重森陽太(前・日本Fe級C/伊原稲城/60.95kg)
   VS
ポンシャン・ブレイブジム(タイ/60.4kg)
勝者:重森陽太 / 判定3-0 / 主審:椎名利一
副審:少白竜30-26. 宮沢30-26. 桜井30-26

重森のスピードとしなりある蹴りがポンチャンを上回る攻勢を見せていく。第3ラウンドにパンチでノックダウンを奪うが、バランスを崩したタイミングもあり、ダメージは少ないポンシャン。

終始多彩に攻めてピッチを上げるが倒すには至らず不完全燃焼気味ながら大差判定勝利を収めた。

多彩に強い攻めを見せた重森陽太、飛び技が光った
差が付き難い展開の中、泰史の右ミドルキックがヒット

◆第7試合 スーパーフライ級3回戦

泰史(前・日本フライ級C/伊原/52.15kg)vs濱田巧(team AKATSUKI/52.15kg)
引分け 0-1 / 主審:仲俊光 / 副審:椎名29-29. 宮沢29-29. 桜井29-30

序盤は決定打が無い両者だったが、第3ラウンドは激しい展開へ移るも、それでもノックアウトに繋がるヒットは無く差が付かず引分けとなった。

◆第6試合 63.0kg契約3回戦

高橋亨汰(伊原/63.0kg)
   VS
日本ライト級6位.ジョニー・オリベイラ(トーエル/63.0kg)
勝者:高橋亨汰 / 判定2-0 / 主審:少白竜
副審:椎名29-29. 宮沢30-29. 仲30-29.

◆第5試合 58.0kg契約3回戦

日本フェザー級2位.瀬戸口勝也(横須賀太賀/57.9kg)vs拓也(チャクリキ武湧会/57.65kg)
勝者:瀬戸口勝也 / 判定3-0 / 主審:桜井一秀
副審:椎名30-26. 少白竜30-25. 仲30-26.

◆第4試合 73.0kg契約3回戦 

日本ミドル級2位.本田聖典(伊原新潟/73.0kg)vs中川達彦(打撃武道 我円/72.1kg)
勝者:本田聖典 / TKO 3R 0:08 / 有効打による瞼の腫れ、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップ
主審:宮沢誠

◆第3試合 スーパーフライ級3回戦

日本フライ級2位.空龍(伊原新潟/51.7kg)vs響波(Y,s glow/51.7kg)
勝者:空龍 / 判定2-0 / 主審:椎名利一
副審:少白竜29-29. 桜井30-28. 宮沢30-29.

やや空龍が的確さが優るも、第3ラウンドの響波のパンチ攻勢で勝負に出て、空龍が鼻血を出すが巻き返すに至らず、空龍の僅差判定勝利。

若い戦い、スピーディーな展開の中、空龍が響波をハイキックで攻める

◆第2試合 ライト級 3回戦

日本ライト級10位.千久(伊原/61.0kg)vs大谷翔司(スクランブル渋谷/61.05kg)
勝者:大谷翔司 / KO 2R 2:59 / 3ノックダウン / 主審:仲俊光

大谷がパンチで連打していく中、2度のダウンを奪い、連打したところをレフェリーが止めた。

大谷が連打で千久を圧倒する
喜びのチャンピオンベルトを巻いた緑川創、引退まで手放してはいけない

◆第1試合 フェザー級3回戦

浦林幹(クロスポイント吉祥寺/57.15kg)vs瀬川琉(伊原稲城/57.1kg)
勝者:瀬川琉 / TKO 1R 2:00 / カウント中のレフェリーストップ / 主審:少白竜

瀬川の左ストレートがまともに当たると浦林は足に来て立てないところをレフェリーが止めた。

《取材戦記》

平成最後の年に(前年も含め)幾つかの団体や興行プロモーションで異変があったキック界となりました。

今、新日本キックボクシング協会も設立以来の分裂が起こり、1月のWINNERS興行後に脱退するジムが多くあり、3月3日のMAGNUM.25興行からリングサイド役員席の顔触れ、マッチメイクに変化が現れました。しかしここから早期に建て直しを図るのが老舗の力。この新日本キック21年と昭和から続く経験値がこれからどう活かされてくるでしょうか。

緑川創は王座獲得となりましたが、斗吾もリカルド・ブラボもWKBA世界王座を目指す選手で、先月、取り逃がした勝次も再挑戦を狙っているでしょう。老舗王座を活かし、ここでも各階級毎に、8人での世界王座決定トーナメントでもあれば盛り上がるだろうというファンの声も聞かれます。

次回の新日本キックボクシング協会興行は、5月が抜けて7月7日(日)に後楽園ホールに於いて、MAGNUM.50が開催されます。

藤本会長と伊原代表に囲まれてWKBA世界のベルトを巻く緑川創

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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チェルノブイリ直後から食品汚染の放射能を測定し続け、今年で設立30周年! たんぽぽ舎の鈴木千津子共同代表に聞いた「放射能を測り続ける意義」

いまから33年前の1986年4月26日、旧ソ連(現ウクライナ)でチェルノブイリ原発事故が起きた。IAEA公式見解による事故関連死者は4000人だが、被曝等による事故後の長期的な関連死者数は数十万人とも言われ、いまだに議論が続いている。いずれにしても福島第一原発事故が起こる以前の人類史上、最悪の事故とされている。

チェルノブイリから3年後の1989年、東京千代田区に設立された市民団体が「たんぽぽ舎」だ。設立当初はチェルノブイリ由来の食品汚染の放射能測定活動を中心にしながら様々な学習会を行っていた。3.11以後、原発問題について考え、活動する人たちにとって、「たんぽぽ舎」を知らない人は稀有だと思う。日本全国から情報を収集し、ほぼ日刊でメールマガジン「地震と原発事故情報」を発信し、放射能測定器を用いて食品の安全を監視、毎週金曜日の官邸前行動に参加するなどして活動するたんぽぽ舎は、〈原発ゼロ社会〉を目指す運動においてとても重要な存在となっている。日本で唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』もたんぽぽ舎と鹿砦社のコラボマガジンだ。

そのたんぽぽ舎が今年2月24日、年に1度の総会と共に設立30周年記念の講演会を行った。準備のために慌ただしいムードが漂う最中、サンドイッチを頬張りながら忙しそうにしているたんぽぽ舎共同代表のひとり、鈴木千津子さんにお話をうかがった。

たんぽぽ舎共同代表の鈴木千津子さん

◆「職業訓練校でニットを教えて欲しい」と言われて……

── 鈴木さんがたんぽぽ舎の仲間になったのは、いつ頃なんでしょうか。

鈴木 設立する前なんですよ。ファッションデザインというか、ニットのデザインなんかをやっていて、その頃は最高潮のときだったかな。色々な雑誌に載ってました。今はそんなに簡単にはいかないけど、昔は「来年はどんな色にしようか」って私たちで相談して、そこで決めた色を流行色として流行らせたもんなんですけどね。それで、柳田さんにうっかり会ったのがことの始まりなんです。

── その頃はまだ、たんぽぽ舎は設立されていなかたったんですね。デザインの仕事のなかで、どのように柳田さんにお会いしたんですか?

鈴木 私は東京都の官庁にいたわけではなくて、普通に民間でデザインをやっていたんだけど「職業訓練校でニットを教えて欲しい」という依頼があったんですね。最初は「助手さんに行かせればいいや」と思ってたんですけど、どうしても私に来て欲しいということだったのでやることにしました。

2年目、といってもまあ、季節労働みたいなもので1年間ずっと通しで仕事をするわけじゃないんですけど、2年目の時に柳田さんに会ったんですよ。柳田さんは当時、東京都庁の係長として公営の職業訓練校の運営に関わっていたんですね。次の年にまた職業訓練校に行ったら、今度は柳田さんがいないのね。どうしたのかなと思ったら、隣の人が「バカなやつがいるんだよ」って言うのね。「係長クラスまで昇進したのに自分から降りた馬鹿がいる」って。それが柳田さんのこと。

計りの下にあるのが初代放射能測定器だ。解析ソフトや特注のシールド等を含めて当時の価格で680万円

◆「放射能測定器が欲しい」というから……

で、私はこっちの方にも事務所を持ってたんですよね。有楽町に事務所とお店があったり、青山でお店やってたり、個人で色々やっていた。そういう中で柳田さんと会って、勉強会に誘われて。チェルノブイリの後、1988年頃かな。私は原発のゲの字も知らないから、学習会の席に座っていること自体が、ハッキリ言ってすごく居心地が悪い。聞いた話なんて、なんだか右から左に消えてっちゃって。そうこうしているうちに、学習会に参加している人たちの中で「放射能測定器が欲しい」っていう話が出たんです。

最初は「行政で買えばいいじゃない」と思ったんです。けれど、許可が下りても2年はかかる。2年も待てないんじゃないかと思った。ちょっと引き出し開けたら家なんかいつでも建てられるくらいは余裕があったので、測定器を自分で買っちゃった。(解析ソフトや特注のシールド等を含めて)680万円もするものだから、みんなびっくりしちゃうだろうなとは思ったんだけど、実際に私が「測定器を買った」って言ったら、5分ぐらい誰も口聞いてくれないのね(笑)。

それで、当時私は出資だけして終わりっていうつもりでいたのです。ところが、色々な運動グループが測定器を自分たちのものにしたいって言い始めて、それは嫌だと。みんなが自由に使えるようにしたいと思っていたんです。そうこうしているうちに、ビデオ撮ったり学習会やったり、みんながワイワイ集まれる場所を作りましょっていうことでたんぽぽ舎を作ったのです。

共同代表のおふたり。柳田さんと鈴木さん

◆2年も経つと、みんな機械(測定器)があることすら忘れちゃう……

“2台目”について説明する鈴木さん

── 放射能測定器から始まったんですね。

鈴木 そうです。だけどチェルノブイリの事故が起きてから2年も経つと、みんな機械(微量放射能測定装置)があることすら忘れちゃう。なかなか放射能が出ないから、外部の人はみんな、測る意義がもうないんじゃないかって言うんだけれど、私たちはそうではないと思っていた。むしろ放射能が出ないことに意義がある。当時は生活クラブもパルシステムもグリーンコープも機械(測定器)をどこも持ってませんでした。だからそうした生協などと掛け合って、「(放射能が)出ていないことに測定する意義がある」という風に考えてもらって皆に測定器を使ってもらいました。

── チェルノブイリ直後の日本はどんな雰囲気でしたか?

鈴木 一般的な反応としてはフクシマとあんまり変わらないんですけど、一部の人が、フクシマよりも、敏感に反応していました。8000km離れたこちらまで汚染物質が飛んでくるということでね。

── たんぽぽ舎は、初めから現在の場所で活動していたんですか?

鈴木 ここは1994年からです。最初はたんぽぽ舎の債権を買ってもらったりして、それで西神田に事務所を借りました。原発に関心が少しでもある人や関心をもってほしいと願った人々が仕事場と自宅の途中でちょっと寄っていけるという場所に事務所を開いた。私が関わり出した頃は、文化人グループや医者とか私たちみたいな人種は、絶対に運動なんかに関わるはずがないっていわれていた時でした。だから大家さんは、うちのグループの社員さんが会社終わりに雑談する場所かなって勝手に思ってたらしい。有楽町でテナントとなり、特に厳しい審査に合格して店舗を借りるのって、すごく大変でした。でも西神田のビルの時は前の(有楽町の)テナントに合格した人であればと、簡単に借りられた。ただ、原発反対って言っちゃうと借りられない。嘘は言わなかったけれど、原発反対とは言わなかった。ところが、開設日に新聞に大きく載り、すぐに大家さんにばれました。それでも大家さんは、このビルは2部上場の会社ばかり入っているビルですと言っただけ。なんとなく許してくれました。

これは自動式の画面だが、手動式のものは数値を手動で区切る必要がある

── 別の事務所に置いてあった測定器はどれですか?

鈴木 奥にある手動のもの。私にとっては懐かしい。メンテナンスにずいぶんお金をかけてます。今でも使おうと思えば使えるんだけど、他の2台で十分だから。でも、3.11の直後は他の2台がまだ来てなかったから、こればっかり使ってましたよ。このコンピューターでしか動かせない。

── コンピューターとセットなんですね。手動というのは?

鈴木 えっと、ここに色々な情報がでてくるんですね。ウランとかトリウムっていうのは、まあ見ればわかるのだけれど、(パソコンの画面を指差し)セシウム137とかっていうのはこの辺りにピークが出てくるんですね。で、こっちがセシウム134。手動っていうのは、私が自分でラインを入れて数字を区切るんです。それから計算する。

── 他の2台は自動なので、この作業は必要ない。

鈴木 そうです。

“2台目”の放射能測定器。重さが380kgもあり輸送に苦労したとのこと

◆うっかり出会っちゃったのが運の尽き(笑)

── 次に入ってきたのはどれですか?

鈴木 緑色の測定器。3.11の前に到着しましたけれど、動き出したのは事故の1年後くらいかな。2台目のこれは重さが380kg。一体型だから、建物の下からここまで持ってくるのに5時間以上かかったんです(笑)。小さな金属の丸太でレールみたいなのを作って、4、5人で少しずつ移動して設置しました。ゲルマ(ゲルマニウム製)にしようかと思ったんだけど、1トンぐらいあって重すぎる。床が抜けちゃうでしょ。で、これ(シンチレーション検出器)だって測り方によってはゲルマに負けないぐらいの精度と感度があるし、小さな数値から大きな数値まで測れる。この床の鉄板邪魔なんだけど、これがないと床が抜けてしまうんですって。

── それじゃ、最初に見せていただいたのは3台目なんですね。

鈴木 3台目は2012年頃に来ました。これも400kgあるのですけれど、シールドは6つに分かれてるから輸送は比較的スムーズでした。これは精度が高いので、2台目とあわせて頻繁に使ってます。

※        ※        ※

総会の開始時間。下の階にある「スペースたんぽぽ」へ移動し、早速マイクを握る鈴木さんは、ピっとまっすぐな姿勢にグレートーンのファッションがとても素敵だ。総会後の懇親会では、歩き回って日本酒を振る舞いながら柔らかな表情で仲間と話している。「みんなと出会った頃は39歳でしたよ。うっかり出会っちゃたのが運の尽き」と笑う鈴木さん。魅力的に感じずにはいられなかった。

◎たんぽぽ舎 https://www.tanpoposya.com/

たんぽぽ舎オフィスにて

▼大宮 浩平(おおみや・こうへい) [撮影・文]
写真家 / ライター / 1986年 東京に生まれる。主な使用機材は Canon EOS 5D markⅡ、RICOH GR、Nikon F2。
Facebook : https://m.facebook.com/omiyakohei
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〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来
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「BLACK BOX」のその後 山口敬之反訴で新段階の「レイプ裁判」〈後編〉 「同意のない性交」だけでは刑法上罰則もない「強姦天国」

「BLACK BOX」(伊藤詩織著・文藝春秋)がふたたびスポットライトを浴びている。ほかならぬ「加害者」とされている山口敬之元TBS記者が、1億3000万円の損害賠償請求の訴訟を起こしたからだ。これに対して、伊藤詩織の支援者は「オープン・ザ・ブラックボックス」というサイトを立ち上げて、支援団体(伊藤詩織さんの民事裁判を支える会)を発足させた。

以下は本稿〈前編〉に続き、山口敬之の反訴で新段階をむかえた「レイプ裁判」の〈後編〉だ。

伊藤詩織『Black Box』(2017年10月文藝春秋)

「私の意識が戻ったことがわかり、『痛い、痛い』と何度も訴えているのに、彼は行為を止めようとしなかった」「何度も言い続けていたら、『痛いの?』と言って動きを止めた。しかし、体を離そうとはしなかった。体を動かそうとしても、のしかかられた状態で身動きが取れなかった。押しのけようと必死であったが、力では敵わなかった。私が『トイレに行きたい』と言うと、山口氏はようやく体を起こした。その時、避妊具もつけていない陰茎が目に入った」

しかし、それでもなお、山口の「行為」は終わらなかったようだ。

「抵抗できないほどの強い力で体と頭をベッドに押さえつけられ、再び犯されそうになった」「体と頭は押さえつけられ、覆い被さられていた状態だったため、息ができなくなり、窒息しそうになった私は、この瞬間、『殺される』と思った」

いわばセカンドレイプを覚悟で、血を吐くような思いで書かれたから『BLACK BOX』の記述が正しいわけではない。「下腹部に感じた裂けるような痛み」「再び犯されそうになった」と、具体的なこ事実関係を書いているから、信ぴょう性が感じられるのだ。したがって、山口がとくにおもんぱかる必要もない。

◆なぜ不起訴になったのか

上記のとおり、両者の言い分をふまえて、その後の司法手続きをたどってみよう。
2015年4月9日に伊藤は警視庁に相談し、所轄の高輪警察署が4月末に準強姦容疑で告訴状を受理した。6月初めに逮捕状が発行された。逮捕状が警察の要請にしたがい、裁判所の責任で発行されたのは言うまでもない。しかるに、山口の身柄はアメリカにあった。執行は翌2016年、山口が帰国する6月8日に、成田空港で行なわれるはずだった。

 
BBC「Japan's Secret Shame」レビュー(2018年6月28日付けガーディアン)

ところが逮捕する直前に、警視庁刑事部長の中村格が執行停止を命じたのだ(「週刊新潮」)。7月22日に、検察が不起訴処分とした。嫌疑不十分がその理由である。のちに伊藤詩織は出勤途中の中村格を直撃取材したが、中村は全速力で逃走。何らの説明もしていないという。その後、検察審査会で審議されたが、9月21日に不起訴相当となった。

安倍晋三の意を受けた警察官僚が暗躍したと、週刊誌は警察・検察の不可解な動きを批判する。だがいまや、この国の社会および司法の仕組み自体に問題があると、わたしは思う。というのも、レイプされた女には「隙がある」「性ビジネスである」などと、男性のみならず女性(たとえば杉田水脈議員)からも批判が浴びせられるジェンダーの硬い障壁があるからだ。とりわけ、性暴力をめぐる司法判断に疑問の声がひろがっている。

4月11日の夜、東京駅付近に400人以上が集まって「MeToo」「裁判官に人権教育と性教育を!」などのプラカードが並んだという(朝日新聞4月17日夕刊)。娘の同意なく性交をした父親に無罪判決が出されるなど、強姦事件の無罪判決が続いているというのだ。そもそも実の娘と「同意」があっても、やってはいけない行為ではないのか。

いや、そうではない。日本では1873年に制定された改定律例には親族相姦の規定があったが、1881年をもって廃止されているのだ。刑法に盛り込まれなかった理由は、日本近代民法の父と言われるボアソナード博士が、近親相姦概念は道徳的観念の限りにおいて有効であると反対したためだとされている。

強姦罪もきわめて緩い。日本の刑法は「同意のない性交」だけでは罰則がなく、「暴行または脅迫」が加わった場合の性交に「強制性交罪」が成立するのだ。今回、実の娘を強姦した男は、娘が「抵抗が著しく困難ではなかった」ことで、無罪とされたのだ。そして酔って抵抗できない場合にも、同意があったとされる可能性があるというのだ。伊藤詩織事件にも、これが検察の判断となった可能性がある。裁判官の資質だけではないようだ。なんと、日本は法的にも強姦天国だったのだ――。

◎「BLACK BOX」のその後 山口敬之反訴で新段階の「レイプ裁判」
〈前編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=30267
〈後編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=30272


◎[参考動画]#MeToo in Japan: The woman speaking out against rape(FRANCE 24 English 2018/06/28公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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