格闘群雄伝〈13〉玉川英俊──レフェリーから大田区議会議員へ、格闘技と共に災害に強く生きる! 堀田春樹

◆キックボクシングの衝撃

新日本キック時代の玉川英俊レフェリー(2004年5月30日)

玉川英俊(1968年12月4日東京都葛飾区出身)はプロキックボクシング試合出場の経験は無いが、空手経験が縁でキックボクシングレフェリーを長く務めた経験を持つ大田区議会公明党議員である。

玉川英俊は玩具卸売りを営む両親に育てられた三人兄弟の末っ子で、兄によくプロレス技をかけられていたという遊びから、小学生の頃は漫画タイガーマスク、あしたのジョーが大好きだった。

高校生になって、空手部に所属していたクラスメイトの教室での大人しい姿と、道場での勇ましい姿とのギャップに驚き、玉川自身も空手部に入部。そこから空手バカ一代や四角いジャングルの漫画をはじめ、格闘技雑誌の創刊ブームなど、時代の流れに乗って格闘技にどんどん夢中になっていった。

1987年5月、創価大学一年の時、友人に元・極真空手の竹山晴友の試合を観に行こうと誘われ、後楽園ホールで初めてのキックボクシング生観戦。プロの技の衝撃、興奮が収まらず、どんどんキックボクシングにハマっていく中、大学でフルコンタクト空手のサークルを創設。大丈会(=ますらおかい)として試合出場も果たし、打撃技術を求めて、大学のある八王子市在住のキックボクサーとして、日本ライト級チャンピオンとなる頃の飛鳥信也(目黒)氏に指導者として丈夫会に迎え入れ、目黒ジムに見学や体験入門を果たした。

1990年5月、大学4年の時、第1回全日本新空手道選手権大会では、師である飛鳥信也氏と同門で、後にWKBA世界スーパーライト級チャンピオンとなる新妻聡と対戦していた。結果は「もうやめてくれ!」と言わんばかりの防戦一方のTKO負け。 他にも杉山傑(治政館)に判定勝利、今井武士(治政館)に判定負けと、後のチャンピオンとの対戦は多かった。大学卒業後は目黒ジムに正式入門。1995年頃までプロデビューは目指さず練習生のまま、ミット持ちなどトレーナーも務めた。

NO KICK NO LIFEにて緑川創vsアンディー・サワー戦を裁く(2014年2月11日)

◆レフェリーに転身

1995年頃から、新空手道、学生キックボクシング連盟等でレフェリー(主審・副審)として要請され参加。その後、新日本キックボクシング協会の運営関係者からもレフェリーとしての依頼の声が何度となく掛かり、「アマとプロは違うから」と断り続けていたが、最後は目黒藤本ジムの藤本勲会長から直接お電話でお願いされたことで、それまでたくさんお世話になってきたことへの恩返しとの思いで引き受けることになった。 しかし、プロのレフェリーでは思った以上に厳しい局面に立たされ、苦労が絶えなかった。

「アマチュアの試合では“早めのストップ”が重視され、その癖がプロの試合でも出てしまい、セコンドから罵声を浴びせられることは多々ありました。早く止めてKO負けにしたとき、その選手所属のジムの会長が泣きながら主催者に抗議されていたのを覚えています。またジャッジでも、興行終了後に某ジム会長が審判控室に『この採点したのは誰だ!』と怒鳴り込んで来られたこともありました。」という威圧的な抗議は脳裏から消えないという。

また2006年には「チャンピオンの地元での日本タイトルマッチで、1-2判定で挑戦者が勝った試合がありました。判定結果が出た直後、不服とした関係者がリング上でレフェリーを平手打ちし、会場は暴動寸前となり、その後、審判団は一旦全員解雇。継続したい者は残れと言われたものの復帰の見込みは無く、その後暫くして退くことにしました。」という形で一旦、プロ興行のレフェリーから去ることになった。

その後、アマチュアのみに戻り、学生キックボクシング連盟でのレフェリーを務め、ナイスミドル(キック版オヤジファイト)から声が掛かり、ここでのレフェリーも務めていた。そして2014年2月11日、リニューアル大田区総合体育館として初めてのキックボクシング興行が開催された、小野寺力氏の「NO KICK NO LIFE 2014」で、レフェリーとして依頼され復帰をしたが、2016年6月24日、「KNOCK OUT」移行による「NO KICK NO LIFE~THE FINAL ~」を最後にレフェリーから退くことになった(主に議員活動の多忙と興行が重なる事情有)。

審判を務めた経験の中には失態もありつつ、「2005年のある日本の王座決定戦で、本戦・延長戦共に、私のみ勝者“青コーナー選手”の採点を付けましたが、結果は2-1で赤コーナー選手“の勝ち。赤コーナー陣営から罵声を浴びましたが、あの時の自分の採点は間違っていないと毅然と立ち振る舞った試合もあります。」と言い、これが採点が分かれる場合もレフェリー・ジャッジそれぞれが取るべき大事な姿勢であろう。

ザカリア・ゾウガリーvs水落洋祐戦を裁いた後の勝利者コール(2016年3月12日)
NO KICK NO LIFEでの審判団(提供:玉川英俊氏)
選挙演説に出向いてマイクを握る(提供:玉川英俊氏)

◆大田区議会議員へ挑戦

1991年、格闘技人生とは裏腹に、日常では大学卒業と共にIT関連会社に就職し、後に大田区北千束に移り住むと、26歳で大学時代の同級生と結婚し、一男一女を儲け、後々には大学卒業まで立派に育て上げていた。

2011年には19年間勤めた会社を退職し、大田区議会議員選挙に挑戦していた。在職中の総務部で防災担当として培ってきた経験を活かして、災害に強い街づくりに取り組んでいくことを志していたが、選挙の一ヶ月前に東日本大震災が起こり、その志は更に強く持ち、格闘技に関わって来た忍耐と、どこにでも足を運ぶ行動力が基盤となった活動で同年4月24日、見事当選されている。

議員としての活動は日々忙しく多岐に渡るが、この3期10年間、東北や伊豆大島の被災地支援ボランティアにも参加し、現地で学んだことを大田区の防災強化に活かす為、議会で提案・討論を続けている模様。

また小中学校との交流も重ね、防災教育にも力を注ぐことが、人の命を救うこと、いじめや差別を無くす人間教育にも繋がるという取り組みも行ない、玉川氏が格闘技を通じて身に付いた、人の痛みの分かる指導が今後も活かされるだろう。

PETER AERTS SPIRITイベント開催に際し、ピーター氏表敬訪問にて、右から2番目が松原忠義大田区長、中央がピーター・アーツ、左端は大成敦レフェリー(提供:玉川英俊氏)
選挙演説にてマイクを持って公約、抱負を語る(提供:玉川英俊氏)

◆議員として格闘技界に手助け出来ること

旧・大田区体育館は新日本プロレスが1972年(昭和47年)3月6日に旗揚げ興行を行なった会場として有名だが、2008年3月に老朽化により解体、新たに建設され2012年3月に新・大田区総合体育館として竣工。ここから大晦日にプロボクシングの世界戦が行われる年が多く、玉川英俊氏は「ここで格闘技興行を行ないたい人達が多く居る」ということを議会でも訴え、主催者や選手たちの想いを直接、大田区・松原忠義区長に届ける為に、イベント告知や結果報告などで、小野寺力会長やピーター・アーツ氏、那須川天心選手他、多くの格闘技関係者による区長・区議会への表敬訪問の場をセッティングしてきた。

玉川英俊氏は「大田区には21世紀の“格闘技の聖地”大田区総合体育館があり、この会場でプロレスや格闘技の名勝負が繰り広げられてきたという歴史、伝統を継承し、この格闘技の聖地を世界に知らしめていきたい!」と語り、敷居の低い、使い易い、観戦し易い、格闘技に優しい会場として位置付けようと活動に力を注いでいる。

ここ数年はJR大森駅前ロータリーで開催されるお祭「ウータンフェスタ」で、KICKBOXジム鴇稔之会長のもと、所属選手やチビッコ等による公開スパーリングやアトラクションマッチのレフェリーもしているという(昨年はコロナ禍で中止)。今後、またプロ興行でその姿が見られるとしたら、その玉川議員レフェリーの姿をカメラに収めたいものである。

お祭りイベントにて、女子選手不満爆発のイジメ!?に耐える玉川レフェリー(提供:玉川英俊氏)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

天皇制はどこからやって来たのか〈25〉近代の天皇たち ── 大正天皇という謎

生誕時から病弱だったのは記録にある事実だが、5人の皇子のうち唯一成人したのだから、むしろ逞しかったというべきではないか。大正天皇のことである。皇女も10人中4人しか成人できなかった。感染症が蔓延し、医療は西洋医学がようやく本格的に採り入れられた時期のことだ。

 
大正天皇

幼年期の個人授業の後、学習院初等科に途中入学するが、発達の遅れから中等科1年で中途退学となった。このあたりから、皇嗣としてはダメなのではないかという風評が世間に漏れはじめた。

それでも11歳で皇太子となる。皇太子妃選定における混乱、すなわち大正天皇婚約解消事件を経て、九条節子と結婚した。

この大正天皇婚約解消事件とは、大正天皇と皇族である伏見宮禎子(さちこ)女王との婚約がいったんは成立したものの、のちに華族の九条節子(さだこ)が結婚相手となった事件である。この婚約者の変更は、禎子女王の健康不安によるものだったが、明治天皇が皇族からの入籍を希望していたことが元の原因でもある。明治大帝は臣下からの縁嫁を望んでいなかったのだ。

いっぽう、伊藤博文らの政権中枢は、皇族間の婚姻とそれによる宮家の増加(宮廷費の増加)に反対意見だった。皇族の軍務を奨励する小松宮彰仁親王など、皇族の独断専横もあり、近代天皇制は親政論と立憲君主制、あるいは天皇機関説のあいだをゆれ動いていたのである。

◆政治向きではなかったのか?

その死後には、明治大帝との比較で政治的評価を貶めるものが少なくなかった。典型的なものでは、国会遠眼鏡事件であろう。帝国議会の開院式で勅書をくるくると丸め、遠眼鏡にして議員席を見渡したとされるものだ。

しかしこれは、丸めた状態で勅書の上下を確かめたものであって、天皇が突如として奇行に走ったというのは大げさであろう。不用意な発言を山縣有朋に窘められることはあっても、在位前半の大正天皇はきわめて健康かつ正常に役目をこなしている。その山縣を、天皇はすこぶる嫌っていた。そのいっぽうで、おもしろい話をしてくれる大隈重信を気に入っていた。

そして在世中は、大正デモクラシーと呼ばれるリベラルな時代で、とくに文芸やライフスタイルが刷新され、自由の気風に満ちていた。モダンガール、モダンボーイが闊歩し、女学校ではハイカラさんとよばれる女子たちが自転車に乗って学園生活をエンジョイしていた。

天皇はフランス語を学び、日本酒よりもワインを愛した。運動のために自転車に乗り、三菱財閥から贈られたヨットでクルージングを楽しんだ。

そして、女官制度への疑問を側室を否定することで実践した。すなわち、自身の実母が昭憲皇太后ではなく、柳原愛子だったことに衝撃を受け、女官(側室)を近づけなかったというのだ。この女官否定は、昭和天皇において制度そのものの空洞化にいたる。国家主義的な近代天皇制は大正天皇において、すでに民主化の第一歩を歩み始めていたのである。

◆詩人として

大正10年前後から、体調や言動に異変をともなうようになり、事実上公務ができない状態になった。大正15年にはいよいよ貧血状態を起こし、葉山御用邸に向う原宿駅では「イヤだイヤだ」と駄々をこね、目撃した人々は「狂人になった天皇が葉山に監禁されたと思った」といわれる。

ヘンなところがあると評されただけに、異才の持ち主でもあったようだ。古来、狂気は天賦の才につうじるという。漢詩は三島中洲の指導を受け、和歌より漢詩を好んだ。雅号は昭陽である。生涯に1367首の漢詩を創作し、その数は歴代天皇の中で突出している(宮内庁書陵部所蔵の『大正天皇御集』に収録)。

和歌は生涯で465首を詠んだとされるが、明治大帝の約9万首、昭和天皇の約1万首に比べると極めて少ない。しかし歴史学者の古川隆久は「心の鋭敏さの点では明治・大正・昭和三代の中で一番鋭い感じがする」と評価している

1926年(大正15年=昭和元年)暮れの12月25日、肺炎に伴う心臓麻痺のため、47歳で崩御。

◎[カテゴリー・リンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号
渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

有罪判決を受けた元特捜部長、81歳で直面した刑事裁判の現実 片岡 健

検察官やヤメ検の弁護士が自分の専門分野である刑事事件の捜査や裁判について、意外と知識が乏しかったり、大きな誤解をしていることがたまにある。この人もそうだったのだろうか……と、ある裁判に関する報道を見て、ふと思った。元東京地検特捜部長の石川達紘被告(81)のことである。

石川被告は2018年2月、都内で誤って車を暴走させ、通行人の男性(当時37)をはねて死亡させたとして、東京地裁で自動車運転死傷処罰法違反の罪に問われた。検察側が「被告人は誤ってアクセルを踏み続けた」と主張したのに対し、石川被告は「アクセルを踏んでおらず、車の不具合の可能性がある」と無罪を主張していたという。

しかし2月15日、石川被告は三上潤裁判長にこの主張を退けられ、禁錮3年・執行猶予5年の判決を受けた。そして即日、東京高裁に控訴したという。

石川被告の裁判の舞台は東京地裁から東京高裁へ移った

◆優秀なヤメ検弁護士ですら知らなかった刑事裁判の現実

ここで、私が10年ほど前に取材した、ある冤罪事件の話をしたい。その事件では、弁護人のヤメ検弁護士が熱心な弁護活動をしており、裁判員裁判だった一審では無罪が出そうな雰囲気もあったが、結果的に被告人は不可解な内容の判決で有罪とされた。その時は私もこのヤメ検弁護士を気の毒に思ったが、控訴審が始まる前にこの人と話した時にいささか驚いた。

こんな楽観的なことを言っていたからだ。

「控訴審の裁判官は、私が検察官になったばかりの頃に色々教えてくれた人で、私の考えもよくわかってくれている。今度は大丈夫だと思う」

日本の刑事裁判官は検察官寄りの判断をする人が大半で、被告人は裁判が始まる前から有罪と決めつけられていることも多い。日本の刑事裁判の有罪率が異様に高いのはそのためだ。そしてそれは今や素人でも知っている常識だ。それにもかかわらず、このヤメ検弁護士は、検察官だった頃の自分の考えを理解してくれた裁判官が、検察官をやめて弁護士になった自分の考えも理解してくれるものだと妄信していたのだ。

果たして控訴審は初公判で即日結審、被告人の控訴が棄却される結果になった。この被告人は明らかな冤罪だったが、その後に最高裁でも上告を棄却され、現在も東日本の某刑務所で服役している。

ちなみにこのヤメ検弁護士は、無罪判決の獲得実績もかなりある優秀な人だ。そういう人ですら、「刑事裁判官は、検察官寄りの判断をする人が大半」という現実を知らなかったわけだから、この現実を知らない検察官やヤメ検弁護士は日本全国にかなりいるはずだ。

◆公判中の態度を問題視された元特捜部長

そして再び、石川被告の話である。

週刊文春の報道によると、石川被告は公判中、自ら検察官側証人の警官に尋問を行い、元特捜部長らしくギリギリ追及し、裁判長から「冷静に」とたしなめられたりしたという。また、「私も被害者だ」「私は生かされた」などという言葉を発し、遺族を傷つけたりしたそうだ。

さらにNHKなどの報道によると、三上裁判長は判決宣告後、石川被告に「被害者遺族に対する向き合い方について、今一度考えてほしい」と述べていたとのことである。裁判長にとって、石川被告の法廷での態度は相当酷いと感じられたのだろう。

ただ、そのことから推察するに、石川被告は刑罰を免れようとして無罪を主張したわけではなく、本気で自分のことを冤罪被害者だと考えている可能性もある。そうであるなら、東京地検特捜部長を務め、最終的に名古屋高検の検事長まで出世した石川被告は、81歳にして初めて「日本の刑事裁判官は、検察官寄りの判断をする人が大半」という現実に直面したのかもしれない。

果たして、石川被告は気づくことができただろうか。検察官だった頃の自分も刑事裁判官からそのようにひいきされていたからこそ、否認事件でも当たり前のように有罪判決が取れていたのだということに。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

ロングラン上映が続く映画「ひとくず」の凄み ──「連鎖する虐待」の中に置かれた人たちが変わっていける世界を描く

「児童虐待」をテーマにした映画「ひとくず」のロングラン上映が各地で続いている。

 
映画『ひとくず』より。画像クリックすると公式HPへ

映画は、空き巣を稼業とするカネマサ(金田匡郎)が、空き巣にはいった部屋で、少女鞠(まり)に出会うところから始まる。カギをかけられ、電気も止められ、食べ物もない部屋にうずくまる鞠に、幼いころ母親にトイレに閉じ込められた自分を重ね合わせるカネマサ。鞠を救いたいとの思いは募るが、現在の行政の仕組みではなかなか救えないことを知る。鞠の胸にアイロンを押し付けたのは、鞠の母親凛の愛人。それを止めることのできない凛をカネマサは怒鳴りつける。しかし、その凛の背中にも虐待の跡をみつけてしまう。「虐待の連鎖」。

監督、脚本、編集、プロデューサー、そして主演カネマサを演じた上西雄大さん(56歳、大阪出身)も幼い頃、実父が実母に暴力をふるう場面を見て育ったという。映画を作るきっかけとなったのは、別の企画の取材で話を聞きに行った精神衛生士・楠部知子さんから、虐待の実態を知らされたことからだった。

日本における児童虐待相談の件数は、2016年度で12万2578件、26年間増え続けている。胸などにアイロンを押し付けられ火傷を負う子どもは鞠だけではないこと、性的虐待も多いことなど。「アイロンをあてるとき、熱くなるまで待つ訳じゃないですか?その時の子どもの恐怖を思うと辛くて辛くて……」と監督。その思いをどうにかしたい、鞠のように虐待された子を救ってあげたい、そうした思いから一晩で台本を書き上げたという。そして「この作品を世に出すことが、虐待をなくしていくことにつながるのであれば」との思いで映画を作った。

しかしこの作品は、虐待の実態を知ってもらったり、啓蒙するために作ったのではないという。じつは虐待の加害者もまた虐待の被害者であるケースも多く、そうした「連鎖する虐待」の中に置かれた人たちが、その中で人間の愛、良心、家族の暖かさ、優しさを知り、変わっていけることを描きたかったという。「もし映画を観て感動してもらえるなら、その先に虐待について目を向ける思いが宿ってもらえることを願っている」と、上映後には「児童相談所対応ダイヤル」189(イチハヤク)を印した缶バッチをお客さんに配っている。

映画『ひとくず』より。画像クリックすると公式HPへ

◆子どもの愛しかたがわからない親たち

 
上映後に配られた「児童相談相談所対応ダイヤル189」を印した缶バッチ。画像クリックすると公式HPへ

映画を見る前に、杉山春さんの「ネグレクト」を読んでいた。ネグレクト(育児放棄)も虐待の1つだ。10代の若さで親になった雅美と智則は、ともに幼い頃、親から育児放棄されて育ってきた。雅代や智則の母親も雅代や智則が嫌いだったり憎んでいる訳ではない、ぎりぎりに生活する中で、子どもに愛情をかけてあげることが出来なかった親たちだ。そんな親に育てられた雅代も智則もまた、子どもを育てる術をしらない。映画「ひとくず」で、凛が「どうやって子どもと接したらいいか、愛情注いだらいいか、わからないの」と泣き叫んでいたように。

雅代と智則も、子どもの育て方、愛情の注ぎ方を知らず、うまくいかない子育てに悩み、途方に暮れても、親や社会に助けを求めることもできないできた。そして段ボールに入れた3才の娘を餓死させてしまう。杉山さんは、逮捕された二人の裁判を取材する過程で、二人の親や周辺の関係者にも取材を広げ、痛ましい事件の背景を探っていく。

◆虐待が起こる背景

虐待が起こる背景は様々だろうが、カネマサ、凛、鞠、そして雅代、智則を見る限り、経済的環境(貧困)も深く関係していると思われる。以前、関西で貧困問題などに取り組む司法書士の徳武聡子さんが、家庭の経済的状況と子どもの言葉量が比例すると話されていた。経済的に余裕のある家庭では、親が子どもと会話する量も多く、子どもが覚える言葉も増える。一方で、経済的に貧しく、ダブルワークで働く親などは、家に戻っても疲れはて、子どもにかける言葉も少なくなる(もちろん経済的に貧しくても家庭で子どもに十分声をかけてやれる親もいる)。「めし」「早く、寝ろ」「うるさい」…いや、それすら発せられないかもしれない。

 
映画『ひとくず』より。画像クリックすると公式HPへ

逮捕された雅代も智則も、真奈ちゃんの言葉を教えることはなかった。幼児は「ご飯よ」と言えば「ゴハン」「いただきます」と言えば「いただきまちゅ」と言葉を覚えていくのではないか。真奈ちゃんが亡くなるまで覚えた言葉はたった1つ、智則の母親が教えた「おいちい」だった。

「ネグレクト」では、雅代と智則が裁判を通じ、徐々に変わっていく様が鮮明に描かれている。とくに智則は、獄中で様々な本を読み、言葉を覚え、自身の内面を見つめ直し、何故わが子を死なせてしまったかを考えていく。一審では、検察官の質問に「ちょっと覚えてないです」と繰り返していた智則が、判決後、どうしても控訴したいと弁護士に訴える。理由は、量刑不当ではなく、無理やり殺意があったとした判決には納得できないからだという。

「裁判上認められなくても、一人でも多くの人に当時の私たちの気持ちを理解してもらいたい」と、二審では、当時の自分の考えを必死で言葉にし、何故真奈を死なせてしまったかを証言していく。「二人にとって裁判は、おそらく生まれて初めて自分自身の心の奥をのぞき込み、考え、他者に向けて言語化していく作業だったはずだ」と杉山さんは書いている。

◆「虐待の連鎖」を断つために

「ひとくず」の主人公カネマサも、「バカやろ」と相手を口汚く罵倒するしかできない男だった。母親の愛人に虐待を受け続けてきたカネマサは、庇ってくれなかった母親に「死ぬまで憎み続けてやる」とつきつける。

「虐待の連鎖」は、どうしたら断ち切っていけるのか?映画「ひとくず」では、かつて母親の愛人を殺したカネマサが、今度は凛の愛人を殺すという、無茶な形で断ち切っていくが……。

「虐待がこんなに酷いと告発したいのではなく、そんななかにもある人間の愛、良心、家族の温かさをみつけてほしい」と監督が願っていたものは、映画でどう描かれたのか。カネマサの実母への憎しみは、鞠、凛親子と出会い、どう変わっていったのか?映画では、描かれていないが、私は、カネマサが刑務所で何を考えていたか、ぜひとも知りたいと思った。

エンドロールの後に描かれる希望、赦し、出所後のカネマサを迎えたのは鞠、凛、そして……。


◎[参考動画]映画『ひとくず』アンコール上映版予告編(2021年1月31日)

◎『ひとくず』公式HP https://hitokuzu.com/

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

3月5日発売!タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

東京オリンピックは開催できるか 強行開催で日本人大会に? 横山茂彦

◆人事問題で「変化」はあったのか

東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の会長が橋本聖子に決まり、鬱陶しかった森喜朗支配は形の上では過ぎ去った。とはいえ、その橋本聖子自身が森を「政治の父親」と呼び、森もまた橋本を「娘」と呼ぶ関係であることから、人事による組織の「変化」は鈍いものにしか感じられない。

選考過程がまたしても「密室」であったところに、組織体質の旧態然たるものを感じさせた。いま必要な「国民の共感」をえる求心力は、少なくとも獲得できなかった印象がのこる。

さらには橋本聖子にかんして、ソチ大会でのセクハラ・パワハラ事件にたいする批判がやまない(「週刊文春」最新号)。女性からのセクハラであれば、何となく酒が入ってエッチになる程度の官能小説めいた逸話で終わりそうだが、これを男性がやった場合には世論は沸騰して批判し、その当事者を追放するであろう。ひるがえって男女平等という立場に立てば、橋本聖子の過去の行為もとうてい受け入れられるものではないのだ。本人の厳しい自戒を期待したい。

ただし、マスメディアはいっさい報じないことだが、オリンピアクラスのアスリートの下半身事情は、じつはかなり放縦なものである。これは実際に冬季五輪系の競技者(チーム競技の現役)に訊いた事情である。

ながい期間、若い男女が同じ施設内(いちおう、部屋やフロアの区別はある)で監禁にちかい生活を強いられるのである。男女併設の施設であれば、そこにはおのずと「××部屋」と呼ばれる一角ができて、若い性欲を満たす。いや、食べることとそれ以外には、何も愉しみがないのだから、これはやむを得ないところなのだろう。

近年、味の素ナショナルトレーニングセンターなど、管理の行き届くトップアスリート向けの施設が完備されたのも、体育会的な野放図な男女関係を解決する策でもあるのだ。その意味で橋本聖子の世代は、スポーツ選手の性が乱れた環境にあったといえよう。

◆開催の現実性

ところで、それでは本当に東京五輪は開けるのだろうか、ということになる。

7月21日開催(開会式は23日)だとして、Goサインは3月25日の国内聖火リレー開始(福島)となる。Stopサインも同じである。

世論調査では、開催するべき・延期すべき・中止すべき、がそれぞれ30%前後と鼎立だが、再度の延期という選択肢はない。そしてIOCも大会組織委員会、そして日本政府、東京都も「絶対に開催」という方向で動かざるを得ないことから、開催を前提に「通常開催」と「無観客」が選択肢としてあるのだろう。

筆者は本来のオリンピックが個人参加(古代・近代五輪の基本精神)であり、国別参加のナショナリズム的なあり方に反対する立場だが、念仏のように「開催反対」を唱えるだけで議論が足りるとは考えない。そこで、現実的な開催条件を考えてみよう。

無観客の場合の損失は、2兆4133億円にのぼるとされている(関西大学宮本勝浩教授)。ちなみに中止の場合の経済的な損失は、4.5兆円とも7兆円ともいわれている。振れ幅があるのは、最大の出資者であるアメリカ3大放送ネットワークとそのスポンサー、および世界のメディアスポンサーの撤退ということになるからだ。つまり最大の収益源である放映権料がなければ、オリンピックは成り立たないのである。

その意味では、中止という選択肢は大会関係者にはないと断言できる。このうえ開催中止があるとしたら、日本でデイリーの感染者が数千人規模で推移し、とてもイベントを開催できるものではない。という判断があった場合だろう。たとえば、NHKで特番まで組んでもらっておきながら、チーム内のクラスター発生で開幕が延期になったラグビートップリーグのように、チームが成立しなければ開催してくても出来ない。

◆縮小大会の可能性

いっぽう、海外からの声としては、セバスチャン・コー卿が1月22日にBBCの取材に対して「大会が予定通り開催されると確信している」「騒がしくて情熱的な観客に参加してほしいが、開催できる唯一の方法が無観客ならば、全員それを受け入れるだろう」と語っている。

果たして「全員それを受け入れる」だろうか。IOCや大会組織委員会が「受け入れ」ても、参加するのは各国のNOCであり、チームや選手なのである。観客を入れなくても、選手が参加しないのであれば大会は成り立たない。日本人だけの大会では、もはやオリンピックとは言えないだろう。

もうひとつ考えられるのは、IOCおよび大会組織委員会が中止を決定できない以上、各IF(競技の国際団体)に参加か不参加を決めてもらい、全体として競技数を減らして縮小大会にする可能性だ(IOC事情に詳しい競技団体幹部)。

現在、ロックダウン下で開催中のテニスの全豪オープンをみると、選手は2週間前にPCR検査陰性のうえで入国し、入国後は毎日検査、1日の外出時間は5時間という、過酷な制限のなかでの開催となっている。これを全競技に当てはめるのは無理だから、人気のある競技、開催能力のある競技団体のみの開催で、上述の放映権料を確保するという狙いである。

◆始まった開催拒否の流れ

関係者の苦肉の策、選手たちの努力にもかかわらず、中止への流れはできてしまった。森発言を受けての大会ボランティアの参加辞退、そして聖火ランナーたちの不参加表明。あるいは島根県の丸山知事による、条件付きの聖火リレー中止発言である。

丸山知事の発言の正当性は、テレビ報道でも国民の賛意を得つつある。すなわち、濃厚接触者の追跡調査もしない東京都に、大会を開催する資格はないのではないかというものだ。全国でも感染者を最低限に抑えてきた島根県には、そう指弾する資格はあるだろう。小池東京都知事は、緊急事態宣言のさなか(1月下旬)にもかかわらず、再三にわたって千代田区長選挙の応援演説に出かけるという身勝手を行なっていたのだ。

島根県は県民の努力で感染を低減させ、緊急事態を宣言しなくても済んでいる。そのいっぽうで、感染者を膨大に出している自治体には、手厚い保証がなされている「不公平」感には同情せざるをえない。そして本来は県民の救済資金である7000万円もの税金を、島根県は聖火リレーに供出しなければならないのである。

この丸山知事の発言に、県内で対立派閥に属する竹下亘(竹下総理の異母弟)が噛みつく。大会推進派のいわば「反対する者は非国民」的な批判があからさまに行なわれ、これに世論が反発するという流れが出てきたのである。この流れに注目せざるをえない。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

3月5日発売!タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

5日に判決! 県立広島病院医師の児童買春事件、性犯罪芸能人らとの「ある共通点」

12~17歳の少女11人に対し、性的な行為をしたり、タブレット端末で性的な動画を撮影して保存したりしたとして児童買春・ポルノ禁止法違反などの罪に問われた県立広島病院の60代の男性医師の裁判で、広島地裁が3月5日、判決を言い渡す。

手術の腕は医師仲間からの評価も高く、病院では内視鏡外科グループの主任部長を務めていた男性医師。しかし、昨年6月に警察に逮捕されて仕事を失った。現在は暫定的に親しい医師の病院で働いているが、今後は医師免許を取り消され、医師ができなくなる可能性もあるという。

男性医師はなぜ、自分自身を窮地に追い込むような犯罪を繰り返したのか。裁判を傍聴した私が気になったのは、性犯罪を起こした有名芸能人たちとの「ある共通点」だ。

◆本人は犯行の動機として「仕事の重責」と「家庭の問題」を挙げたが……

「仕事の重責に押しつぶされそうになっていたことと、家庭でも妻、息子との意思疎通が十分にとれずに自分が不幸せだという感情を抱いていたことが要因として考えられると思います」

2月10日、広島地裁の第304号法廷。証言台の前に座った男性医師は、犯行の動機をそう語った。

男性医師によると、仕事の重責に苦しむようになったのは、病院で主任部長に就任してからのことだったという。

「それ以前は手術だけをしていればよかったのですが、主任部長になって全体のスケジュール管理もしないといけなくなった。それで精神的にも肉体的にも負担を感じるようになりました」

一方、家庭の問題は20年近く前からのことだったという。きっかけは、妻が多発性硬化症という難病を患ったことだった。

「息子が小1になる頃でした。妻は病気で身体が動かなくなり、私が充分にサポートできず、ぎくしゃくした関係になりました。当時の自宅は尾道市でしたが、妻は実家に戻り、私も広島市に単身赴任し、別々に暮らすようになりました」

妻は現在も闘病中で、車椅子の生活。この間、息子も高校を不登校になって中退した。男性医師はそんな生活にやり切れない思いを抱える中、仕事での負担が増えたことによるストレスも重なった。そして当初はデリヘルに癒しを求めたそうだが…。

「デリヘルでは、寂しさを紛らわせませんでした。それで、出会い系サイトで知り合った女性と交際するようになりました」

最初に交際した女性は、自分のことを「大学生」だと言っていた。しかし実際の年齢は18歳未満だったという。

「18歳未満の女性と交際したら犯罪だということはわかるので、最初からそういう女性を探したわけではありません」

男性医師は強い口調でそう言った。しかし実際には、その18歳未満の女性と交際して1年くらい経った頃から、ツイッターで「パパ活募集」している女性を探すように。そして、中高生の少女たちを相手に次々と犯行を重ねたのだという。

男性医師の裁判が行われている広島地裁

◆私が思い起こした男性芸能人のY氏とA氏

私は男性医師のそんな話を聞いていて、この人はおおむね正直に話しているように思えた。だが、事件を起こしたことの要因として、他にも指摘できることがあると思った。少し前に性犯罪を起こし、社会を騒がせた2人の男性芸能人と「ある共通点」があるからだ。

2人の男性芸能人とは、酒に酔って共演者の少女に無理やりキスをした男性アイドルグループのY氏と、派遣型マッサージ店の女性従業員に性的暴行をして服役中の俳優A氏だ。そして、この2人と男性医師の共通点とは、社会的地位が高く、金もある一方で、一緒に暮らす家族はおらず、一人で暮らしていた――ということだ。

一般的に、犯罪は社会的地位が高い人や金のある人よりも、社会的地位が低い人や金の無い人が起こしやすい。これは偏見ではなく、厳然たる事実だ。

ただ、社会的地位の高い男性や金のある男性はそうでない男性に比べると、女性と接する機会が多くなりやすい。女性にモテない男性でも金さえあれば、女性と接する機会はすぐ作れる。そういう男性が何かのきっかけで魔が差した場合、一緒に暮らす家族がいればストッパーになるだろうが、一人暮らしをしていたら…。

私は、男性医師が犯行に至った経緯を聞きながら、A氏やY氏のことを思い出し、そのように考えをめぐらせたのだった。この記事を読んでくれたあなたは、どう思われるだろうか。

なお、男性医師の裁判では、検察官が懲役3年を求刑しているのに対し、弁護人は男性医師が「被害者」11人のうち、連絡がとれた8人に各50万円の被害弁償をしたうえ、600万円の贖罪寄付もしていることなどを説明し、寛大な刑を求めている。裁判の最大の争点は執行猶予がつくか否かだが、男性医師本人は医師免許がどうなるかが一番気がかりなのではないかと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

3月5日発売!タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

《3月のことば》あの事故から十年だ 鹿砦社代表 松岡利康

《3月のことば》あの事故から十年だ 故郷 帰りたいけど帰れない 今年も桜は咲くだろか(鹿砦社カレンダー2021より/揮毫・龍一郎)

齢を重ねると望郷意識が高まってきます。

私の故郷・熊本は、5年近く前(もう5年かあ)に大地震に襲われ、小さな頃より日々眺めたり散策して過ごした熊本城も大きな損壊を受けました。以降再建工事が進行しています。どんな様子か直に一目見たいと思いますが、コロナ禍で帰りたくても帰れません。

一時は、65歳を過ぎたら、月の半分は熊本で過ごしたいと願っていましたが、現実には叶えられていません。

さて、もうすぐ〈3.11〉東日本大震災から10年を迎えます。──

特に福島第一原発爆発事故で、みずからの意志に反し故郷を離れておられる方々がおられます。私の場合と違い、帰りたくても帰れない厳しい現実があります。

今月の揮毫について、書家・龍一郎は、次のように言っています。──

「原発事故で故郷を追われた人の思いに寄り添いたいと思う。
桜の花は何も語らないが 魂が震えるのです。
静かに拳を握りしめるのです。

たくさんの人に思いがとどきますように祈ります。

                          龍一郎」

*今月の言葉は3月11日付けの『東京新聞』誌上で、同日発売の『NO NUKES voice』27号の広告にも使わせていただきました。

3月5日発売!タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

新たな時代に突入するか日本キックボクシング連盟、必勝シリーズ開幕戦!

メインイベントとなった交流戦。高橋亮は2015年12月にNKBバンタム級王座獲得。2019年6月にNKBフェザー級王座獲得した二階級制覇チャンピオン。山浦俊一は2019年9月にNJKFスーパーフェザー級王座奪取して、昨年12月に葵拳士郎(マイウェイ)からWBCムエタイ日本スーパーフェザー級王座を奪取したばかり。

山浦俊一は2019年2月9日に高橋三兄弟三男・聖人にノックダウンを奪われ判定負けしている中での次男・亮との対戦となった。

日本キックボクシング連盟興行でニュージャパンキックボクシング連盟の女子キックが基盤のミネルヴァタイトルマッチが行われるのは、2019年9月29日、大阪でのテツジム興行以来、同一カードで2度目。sasoriも喜多村美紀もテツジム所属だが、sasoriは姫路支部所属で普段の練習では顔合わせは無い。両者は2019年9月に王座決定戦で対戦しsasoriが判定勝利している。

キックボクシング界に於いてはチャンピオンが乱立しているが、NKBもNJKFも国内団体タイトルのひとつである。

◎NKB 2021 必勝シリーズ 開幕戦 / 2月20日(土)後楽園ホール17:30~20:30
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会、ミネルヴァ実行委員会

高橋亮が最初のノックダウンを奪ったボディー蹴り

◆第11試合 61.0kg契約 5回戦

髙橋亮(真門/1995.9.22大阪府出身/60.95kg)
    VS
山浦俊一(新興ムエタイ/1995.10.5神奈川県出身/61.0kg)
勝者:高橋亮 / TKO 4R 0:48 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審:前田仁

コロナ禍での観衆人数制限がある中だが、観衆が少ないだけではなく、緊迫感ある攻防を見守る観衆の静けさがあった。

主導権を奪いに行く素早さとフェイント掛けた高度な蹴り中心の攻防の中、第3ラウンド終了間近で高橋亮の前蹴り(通称・三日月蹴り)が山浦のボディーにヒットすると効いて蹲ってしまうノックダウンとなった。

山浦は懸命に立ち上がって終了ゴングに救われたが険しい表情。第4ラウンドには高橋亮がボディーに意識を持って行かせた上下打ち分けから左ハイキックをクリーンヒットさせると山浦は仰向けに倒れレフェリーストップとなった。

第4ラウンド開始後、山浦俊一を倒した左ハイキック
倒された山浦俊一は仰向けに倒れ、レフェリーがストップをかけた

◆第10試合 女子キック(ミネルヴァ)ライトフライ級タイトルマッチ 3回戦

チャンピオン.sasori(テツPRIMA GOLD/1981.3.19兵庫県出身/48.65kg)
    VS
同級1位.喜多村美紀(テツ/1986.6.27兵庫県出身/48.85kg)
引分け 三者三様
主審:宮本和俊
副審:佐藤29-30. 仲29-29. 前田30-29

蹴りも首相撲も少ない両者譲らぬパンチ中心の打ち合いが試合を盛り上げていくが、ポイントがどちらに流れるか難しい一進一退の打ち合いは、三者三様の引分けでsasoriが初防衛となった。

打ち合いが続いた喜多村美紀とsasoriの攻防
三者三様の引分けとなった女子のタイトルマッチはsasoriが初防衛

◆第9試合 ライト級3回戦

NKBライト級1位.棚橋賢二郎(拳心館/1987.11.2新潟県60.95kg)
    VS
WMC日本スーパーフェザー級2位.藤野伸哉(RIKIX/1996.5.31東京都出身/61.15kg)
勝者:棚橋賢二郎 / TKO 1R 2:59 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審:仲俊光

藤野伸哉は棚橋賢二郎の剛腕を凌げれば蹴りやヒジ打ちで勝機あり。そんな流れも棚橋が様子見の後、勢いを増して打ち合いに出て来た第1ラウンド終盤。左右フックの強打炸裂で脆くも倒れ込んだ藤野は2度のノックダウンでダメージ深く、レフェリーストップとなった。

棚橋賢二郎の剛腕炸裂。藤野伸哉は凌ぎきれず
藤野伸哉が2度目のノックダウンとなった後、レフェリーがストップした

◆第8試合 ウェルター級3回戦

NKBウェルター級3位.笹谷淳(TEAM COMRADE/1975.3.17東京都出身/66.5kg)
    VS
ちさとkiss Me!(安曇野キックの会/1983.1.8長野県出身/66.55kg)
勝者:笹谷淳 / 判定3-0
主審:鈴木義和
副審:宮本30-27. 仲30-27. 前田30-27

笹谷淳の蹴りから組み合う力が優り、ロープ際まで押し込む圧力。イジメのように顔をロープに抑え込んでヒジ打ちをゴツゴツ当てる圧倒が続くと、ちさとは眉尻をカットした上、スタミナを失うばかりで劣勢を挽回できず、笹谷が蹴りでも優りフルマーク判定勝利を掴む。

組み合う圧力からロープ際に詰めると笹谷淳のヒジ打ちや顔面押さえが続く
蹴り合っても笹谷淳の圧倒が続いた

◆第7試合 57.0kg契約3回戦

NKBバンタム級4位.海老原竜二(神武館/1991.3.6/埼玉県出身/56.65kg)
    VS
ベンツ飯田(Team Aimhigh/1997.4.17群馬県出身/56.75kg)
勝者:海老原竜二 / 判定3-0
主審:佐藤友章
副審:宮本29-28. 鈴木29-27. 前田29-28

蹴り中心の攻防が続く中、最終ラウンドは距離が詰まり、パンチ中心に移る中、海老原のファールブローが飯田に当たって中断後、更にパンチの打ち合いに入ったところで海老原の左ストレートがヒットし、飯田はノックダウンとなった。海老原の落ち着いた試合運びが判定勝利を導いた。

◆第6試合 60.0kg契約3回戦(中田ユウジ負傷欠場で矢吹翔太が代打出場)

半澤信也(トイカツ/1981.4.28長野県出身/59.9kg)
    VS
矢吹翔太(ブレイブフィスト/61.4→61.35→61.3kg 計量失格減点1)
勝者:矢吹翔太 / 判定1-2
主審:仲俊光
副審:佐藤28-29. 前田30-29. 宮本28-29. 矢吹に減点1含む

◆第5試合 バンタム級3回戦

志門(テツ/1996.4.14兵庫県出身/53.15kg)
    VS
ナカムランチャイ・ケンタ(team AKATSUKI/2000.8.18千葉県出身/53.3kg)
勝者:志門 / 判定3-0
主審:鈴木義和
副審:前田30-28. 仲30-28. 宮本30-29.

◆第4試合 59.0kg契約3回戦 

山本太一(ケーアクティブ/1995.12.28千葉県出身/58.85kg)
    VS
源樹(リバティー/1995.12.6埼玉県出身/58.3kg)
勝者:山本太一 / TKO 3R 2:35 / レフェリーストップ
主審:佐藤友章

◆第3試合 54.5kg契約3回戦

幸太(八王子FSG/1998.3.19山形県出身/54.3kg)
    VS
SHU(D-BLAZE/1999.12.16千葉県出身/54.45kg)
勝者:SHU / 判定3-0
主審:鈴木義和
副審:前田28-30. 宮本28-30. 仲28-30.

◆第2試合 ミドル級3回戦

畑澤貴士(八王子FSG/1984.9.18東京都出身/71.75 kg)
    VS
渡部貴大(渡邉/1992.11.12東京都出身/72.15kg)
勝者:渡部貴大 / TKO 3R 1:56 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審:佐藤友章

◆第1試合 アマチュア特別試合 50.0kg契約3回戦(2分制)

伊藤千飛(真門伊藤/2005.6.25兵庫県出身/49.85kg)
    VS
藤井昴(治政館江戸川/2005.12.2東京都出身/49.45kg)
勝者:伊藤千飛 / 判定3-0
主審:前田仁
副審:鈴木30-29. 佐藤30-27. 仲30-29.

ミネルヴァ実行委員長の竹越義晃氏と並ぶsasori

《取材戦記》

女子の試合というのは男子よりパワーは無いが耐える力はあると言われる。ひたすら打ち合っていると、その展開が変わらぬまま進むことは多い。判定結果が告げられる間、勝利を祈る喜多村に三者三様の引分けが告げられると落胆の表情へと変わった。引分けもタイトルマッチに於いては明暗分ける厳しい裁定である。

高橋亮は山浦俊一に対し、再戦(リベンジ)したいならWBCムエタイ日本王座を懸けることを希望した。日本キックボクシング連盟では元々は交流戦を行なわなかった時代が長かったが、近年は若い世代が興行を運営し、高橋三兄弟が他団体交流戦やビッグイベント興行のリングに上がる機会に恵まれ、他団体チャンピオンと戦えば、負けることはあっても強い三兄弟とトップクラスに居る立ち位置をアピールすることに成功してきました。

そんなNKB(日本キック連盟、K-U)に於いては未だに他団体王座に挑戦することは禁止されているが、今後、運営する若い世代が新たな展開を見せてくれるか注目したいところです。

高橋亮が山浦俊一に最初のノックダウンを奪ったのは三日月蹴りというらしい。前蹴りとミドルキックの中間の軌道で爪先辺りで蹴る感じ(厳密には他の言い回しあり)。

近年はカーフキックというのも現れました。脹脛辺りを狙った蹴り。いずれも昔からあったように思う蹴りでも、古い人間としては我儘ながら、使い難い名称の感じがします。

日本キックボクシング連盟の次回興行は、4月24日(土)後楽園ホールに於いてNKB 2021必勝シリーズvol.2が開催されます。開場と開始時間が通常より変更される可能性がありますので御注意ください。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

総理の公務を阻害する犯罪容疑者を続投させるのか 菅政権の内閣広報官・山田真貴子 「断わらない女」とは、どういう女なのか

50万円なら立件され、7万円なら犯罪ではないのか。

総務省および国会では、政治倫理規定に反するという処分、あるいは批判に終始しているが、東北新社による総務省官僚接待はれっきとした「収賄事件」なのである。そのことを慮り、すでに総務省の11人が処分された。

同じ収賄事件で何ら処分されなかったのが、元総理秘書官であり、菅内閣の広報官・山田真貴子である。そう、あの総理記者会見の仕切り人である。

まず、収賄罪を条文で確認しておこう。

刑法 第197条(収賄、受託収賄及び事前収賄)

公務員が、その職務に関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、5年以下の懲役に処する。この場合において、請託を受けたときは、7年以下の懲役に処する。

条文にある「請託」の有無は、収賄という犯罪の構成要件に関係がない(加重にすぎない)。ただ単に「ご馳走になった」だけで、構成要件は成立するのだ。
国税調査を受けた方ならご存じだろう。

国税調査官は絶対に、出されたお茶やジュースなどを口にしない。調査を受ける対象からの「収賄」に当たるからだ。

公務員、とりわけ国家公務員には、この種の教育が徹底されている。にもかかわらず、高級官僚たる彼ら彼女らは「役得」として接待に応じる。いや「役得」ではないかもしれない。相手が政治がらみのキーパーソン(今回は菅総理の息子)ならば、みずからの出世を左右する内閣人事局の力を怖れて、接待に応じざるを得ないのだ。

冒頭に書いたとおり、50万円の収賄ならば間違いなく起訴されていただろう。いや、過去の接待を累積すれば、この「断らない女」には50万といわず、数百万の収賄容疑が飛び出すかもしれない。

7万円のステーキご馳走で「お目こぼし」にされたのは、相手が総理のお気に入りの女性広報官だからにほかならない。そして総務省を退官後に特別公務員となった彼女は、上司たる総理から「反省している」「給与も返納した」として、何の処分もなしに続投を許されたのである。


◎[参考動画]7万円超接待は「心の緩み」 山田広報官 国会で追及(FNN 2021年2月26日)

◆菅義偉に抜擢された異例の出世

事件と国会での答弁をふり返ってみよう。

東北新社に務める菅義偉首相の長男らによる総務省幹部接待で、山田真貴子は同社から総務審議官時代の2019年11月に約7万4,000円に上る高額な接待を受けていた。2月25日の衆院予算委に参考人として出席し、「公務員の信用を損なったことを深く反省している。本当に申し訳なかった」と陳謝したものの、「今後、職務を続ける中で、できる限り自らを改善したい」と述べ、引き続き内閣広報官を務める意向を示したのだ。

「その場に菅正剛さんがいたかどうかは、横並びの席だったので記憶にない」「わたしにとって、菅さんは特に大きな存在ではない」

そうではないはずだ。

じつは山田真貴子のキャリアアップには、菅総理が大きくかかわっている。安倍晋三総理(当時)の秘書官となり、総務省にもどっては審議官、官房長、国際戦略局長と階段をのぼったあと、菅政権で内閣広報官(省庁でいえば、次官級)となったのだ。このキャリアアップはすべて、ほかならぬ菅義偉の推挙によるものだったのだ。したがって、その息子菅正剛が「大きな存在ではない」はずがない。

◆謝って給与の一部返納で済ますのか?

加藤勝信官房長官の25日の会見によれば、接待問題を受けて給与報酬月額の10分の6を自主返納する山田真貴子の返納額が明らかになった。70万5,000円に上るとのことだ。広報官の給与報酬は月額で117万5,000円。地域手当などを含めると、給与は月額で約140万円ほどになる。

国税庁の調査では、サラリーマンの平均月収は約35万円である。このコロナ禍で残業代も減り、給与はさらに下がっている。

サラリーマンたちが身を削る思いで必死に納めた税金で、疑惑の広報官女史には自分たちの月収の約5倍も支払われていたのだ。彼女の高額の給与は、税金で出来ているのだ。

さらに利害関係のある業者からも、賄賂性の高い飲食代を負担してもらっていたのだ。怒れ、納税者たち、である。あまりにも「官僚天国」すぎるではありませんか。

◆「断わらない女」とは、どういう女なのか

山田真貴子は広報官に抜擢される直前の昨年6月、若者への動画メッセージで「幸運を引き寄せる力」について語っている。

「イベントやプロジェクトに誘われたら絶対に断らない。飲み会も断らない。出会うチャンスを愚直に広げてほしい」と呼びかけていたのだ。

彼女自身も「飲み会を絶対に断らない女としてやってきた」のだそうだ。そうして巡り合った幸運のひとつが、菅首相の寵愛だったということなのであろう。

だが、一見女性の時代に即した官邸のこの女性官僚の抜擢は、およそ時代に逆行してはいないだろうか。

いま、社会的に活躍しようとする勤労女性にとって、上司の誘いを「断らない」ことがいかに苦痛で、仕事と子育ての阻害物になっているか、おそらくこの女史は知らないのであろう。イベントやプロジェクトはともかくとして、接待や飲み会への付き合いは、いわば男性社会の旧い慣習文化である。

総務省OBの話を聞こう。

「飲み会などで、彼女はあえて遅れて登場することがある。自己演出に長けていて、『仕事で遅れまして~』と颯爽と笑顔で入室してくると、男たちは一斉に立ち上がり、やんやの喝采で迎えるのです」

ようするに男性に媚びて、出世のための人脈やチャンスを得るために、働く女性は男性社会の風習に馴染め、と言っているに過ぎない。

女性がスキルを磨き、家事や子育てをしながら仕事を続けるのではなく、飲み会で培われる人脈や情実といった、男性社会のコネで出世をめざせと、そう説いているのだ。まさに女性の自立や社会進出に逆行する、男社会に隷属する女性像ではないか。

◆広報官の都合で、総理の記者会見が中止に

2月26日に、政府はコロナ禍の緊急事態宣言の中止(首都圏をのぞく)を宣言した。しかしその総理記者会見は中止され、総理の「ぶら下がり取材」となった。

つまり記者会見の場で、総理があらためて国民に「自粛」や「緊張感」をうながすという、メッセージの場にはならなかったのだ。ポンコツ答弁と揶揄される菅総理に必要なのは、国民への生の言葉によるメッセージではなかったのか。

いや、このうえ犯罪容疑者たる女性広報官に、会見の場を仕切らせることに無理を感じたのであろう。

山田広報官といえば、事前に報道各社(官邸記者クラブ)に質問を募り、幹事社をはじめ総理が答えやすい質問をする記者だけを指名する仕切りに終始してきた。そして質問時間が長びくと「次の予定がありますので」と質問を打ち切る役割だった。

今回、記者会見が行われていれば、以下のような事態が生起したにちがいない。

記者    「総理、山田広報官の接待問題ですが。収賄容疑にあたるような行為をした人物が、内閣広報にふさわしいとお考えですか?」
菅総理   「……」
山田広報官 「つぎの予定がありますので、ここまでにしたいと思います」
記者    「あなた、自分のことだから打ち切るんですか?」
記者B   「質問に答えろ!」
山田    「終わりにします」
記者席   「(怒号!)」

という具合だ。

広報官の犯罪容疑が、すでに総理の公務に支障をきたしているのだ。この収賄容疑者はただちに更迭せよ、と提言しておこう。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

安倍晋三までの62人を全網羅!! 総理大臣を知れば日本がわかる!!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』
タケナカシゲル『誰も書かなかったヤクザのタブー』(鹿砦社ライブラリー007)
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

生活保護費の引き下げは違法!──大阪地裁で画期的判決! 尾崎美代子

◆第2次安倍政権時の生活保護費減額は違法

大阪府内に住む生活保護者42人が、生活保護費の引き下げは生存権を保障した憲法に反するとして減額取り消しなどを求めていた訴訟で、2月22日、大阪地裁(森鍵一裁判長)は、自治体の減額決定を取り消す判決を言い渡した。

同様の裁判は、全国30ケ所で起こされており、2020年6月名古屋地裁は、引き下げは厚労相の「裁量の範囲内」と原告の訴えを棄却していた。原告側の勝訴は今回が初めてである。


◎[参考動画]【全国初の判断】生活保護費引き下げは違法 大阪地裁「整合性を欠き裁量権の逸脱があった」

2012年12月26日に発足した第2次安倍内閣は、物価の下落などを理由に、生活保護基準の見直しを行い、保護費のうち食費や光熱費など日常生活の費用である「生活扶助」を、2013年~2015年にかけ、平均で6.55%、最大で10%引き下げた。これにより、約9割の生活保護者の保護費は減額され、その削減費用は約670億円にのぼった。

この引き下げについて、今回大阪地裁は、
(1)厚労相(当時)による生活保護基準の減額改定は、客観的な数値や専門的知見との整合性を欠く。
(2)減額の判断過程や手続きに過誤や欠落があり、生活保護法に違反し、違法である。
(3)自治体の減額決定を取り消す、とした。

高齢や病気のため生活保護を受けている人たちにとっては、月数千円の減額でも命取りになりかねない。原告団の共同代表の小寺アイ子さん(76歳)は、毎日10種類以上の薬を飲む難病を抱えているが、この間生活保護費は約1万円近く引き下げられた。食費を削るしかないと考え、500円~600円の材料費で作ったおかずを冷凍しながら1週間食べ続けているという。医師から「バランスのとれた食事を採るように」と助言されているが、それも叶わない。判決後の報告集会でアヤコさんは「今の生活は苦しいんだという思いが、裁判長の心に深く刺さったのだと思う。涙が止まらない」と語った。

先週センターで野宿していた男性が亡くなった。役所が何度も生活保護を勧めていたが、頑なに拒否していた

◆まだまだハードルの高い生活保護制度

第2次安倍政権下で行われた生活保護費の減額問題については、今回の判決で初めて知った方も多いだろう。コロナ禍で失業者や生活困窮者が増大するなか、1月27日の衆院予算員会で菅首相は「政府には最終的には生活保護という仕組みがある」と得意げに答えていたが、実はこのような実態があったのだ。

そもそも日本の生活保護の「捕捉率」(制度の利用資格のある者のうち現に利用できている者が占める割合)は15.3%~29.6%と国際的にも非常に低く、本来生活保護を受けられる世帯の7割以上が受けられていない状態にある。その背景には、生活保護を受けるには「預貯金がない」「不動産、車など財産がない」などの厳しい縛りの条件があるうえ、申請者の家族などの経済的状況を調べ、申請者を援助(扶養)できるかを調べる「扶養照会」などもあるからだ。

「所持金がゼロになるくらいボロボロになったら、話を聞いてやる」くらいの高いハードルが立ちはだかっており、菅首相が得意げにいうほど、甘くはないのだ。こうしたハードルを1つ1つ取り除き、更に受けやすくしなくてはならない。

◆受給者切り捨てで肥え太る派遣会社の実態

菅総理の「最後には生活保護がある」発言から、生活保護制度に関心が高まっていた矢先の1月28日、新聞「赤旗」が、生活保護者切り捨てで超え太る派遣会社の実態を報じた。大阪市が、大手派遣会社に業務委託していた「総合就職サポート事業」で、生活保護者に仕事が見つかり保護を廃止した場合、業者に一人あたり6万1,111円の報酬を加算していたとのことだ。

この事業で就職した人の数は2019年度で2,732人、生活保護を廃止した数は146件だった。委託業者のパソナアソウ・ヒューマニーセンター(麻生太郎財務大臣の弟・麻生泰が会長をつとめる麻生グループの人材派遣会社の一つ)などに加算された報酬金額は、計1,674万9,797円、逆に就職率が低かった場合には、委託料が減額されることもあったという。

このような大手派遣業者などの外部企業に業務委託する方針は、2019年12月に国会で閣議決定された。これについては、専門外の民間への委託は違法であること、職員の専門性が低下する、プライバシー保護問題、成果主義の広がりの危険性など様々な問題点が指摘されていた。水際作戦で保護にまでたどり着くまでも困難だが、保護を受けたのちも、こうした「就労支援」で保護が切られ、一方で麻生太郎の親族が経営する派遣会社などがボロ儲けしていたとは。ケースワーカーの執拗な嫌がらせで保護の辞退に追い込まれた知人の例を紹介する。

C型肝炎が悪化し、顔がどす黒くなり、生活保護を受けることになったAさん(50代)。治療を受け顔色も良くなった頃、ケースワーカーに仕事を進められる。体調が良い日に働けたらと露店商を始めた。おもちゃ屋で仕入れたぬいぐるみや携帯ケースなどの小物を売って100円、200円稼ぐ小商いだ。

ある日、Aさんが収入の申告に行ったところ、担当のケースワーカーが「Aさん、2月4日の売り上げは2,000円と書いてありますが、あの日は2,450円売ったはず」という。「そんなことはない、2,000円ですが」と返すと「いや、絶対2,450円だ」としつこい。

「なぜか?」と聞くと、ケースワーカーが隠れてAさんを見ていたという。(俺は犯罪者なのか?)。傷ついたAさんは自ら生活保護を辞退。治療も受けられなくなり顔は再びどす黒くなり、人間不信からうつ病も発症。「もう一度役所に行こう」という仲間の助言も聞かなくなり、その後行方もわからなくなってしまった。 

◆「本当に長い裁判でした」──「釜ヶ崎医療連絡会議」の大谷隆夫さんに聞く

今回の判決について、釜ヶ崎で長く生活保護問題に携わり、裁判にも関わってきた「釜ヶ崎医療連絡会議」の大谷隆夫さんにお話を伺った。
 
── 今回の判決はどのように評価されていますか?

大谷 理屈で言うならば、負けるはずはない裁判だと思っていましたが、昨年6月の名古屋地裁では負けているので、どうなるだろうかと思っていたが、生活保護利用率が全国でも一番高い大阪で勝った意味は非常に大きいと思います。それにしても本当に長い裁判でした。(裁判提訴日は2014年12月19日)原告の1人であった、医療連メンバーの越前和夫さんは、昨年9月24日に亡くなったが、勝訴判決が出されたことについては、天国で喜んでくれていることと思います。

大谷隆夫さん(釜ケ崎医療連絡会議)

── コロナ禍で生活保護を受ける人が増えていると思いますが、医療連で関わった人はどのくらいおられますか?

大谷 コロナ禍で生活保護を受ける人が増えて来るだろうと思っていましたが、今のところ、「コロナで失業して生活保護を受けたい」という相談は、医療連には来ていません。この理由については、コロナで失業した生活困窮者に対して、今のところ、国の方が積極的にお金を貸し付けているのがその背景として考えられます。あと根が深いのが、生活保護を運用する現場ケースワーカーの資質であり姿勢の問題です。コロナ感染が始まった、昨年2月22日、大阪府八尾市のアパートの一室で、この部屋で生活保護を利用していた、57歳の母親と24歳の長男の遺体が発見されました。死因は、母親は処方薬の大量服薬、長男は餓死と判断されました。この事件を受けて、法律家・学識経験者・支援者などによって「八尾市母子餓死事件調査団」が結成されこの事件の調査が開始され、この調査で改めて明らかになったのが、八尾市のデタラメな福祉行政の実態でした。生活保護制度自体がどんなに素晴らしいものであっても、現場できちんと運用がされなければ、「絵に描いた餅」に過ぎないということを、菅首相は、是非とも、肝に命じて欲しいと思います。
 

◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

JR新今宮駅前に建つあいりん総合センターの周辺には、コロナ禍で困窮した人たちが居場所を求めてやってくる。権利である生活保護はどんどん利用されるべきだが、まだまだ高いハードルがあるようだ。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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