「新自由主義」から卒業し、「民主主義」を再生することこそ、地域医療を守る道 さとうしゅういち

3月4日、学習シンポジウム 「市民の声が地域医療を守る」が広島市内で行われました。広島県知事の湯崎英彦さんは、広島県病院、JR病院、中電病院、舟入市民病院(小児救急)などを統廃合し、病床を大幅に削減した上で、広島駅北口に集約することを一方的に発表しています。

主催者で広島民医連会長の 佐々木俊哉代表は開会あいさつで、湯崎知事の病院再編について「男性の医療サイド関係者ばかりで議論した医療機関統廃合案で住民の声が反映されていない。」と指摘しました。

続いて、府中市立北市民病院の独立行政法人化に反対する裁判を闘われた、府中市上下町(じょうげちょう)の黒木整形外科リハビリテーションクリニック院長の黒木秀尚先生から「公立公的病院再編統廃合対策-草の根住民運動による住民自治・民主主義の獲得と「医療を受ける権利の基本法」の制定」と題してご講演いただきました。ご講演からは今の広島が抱えている課題がよく見えてきました、

◆強引に地域を引き裂いて府中市に編入された上下町

 
黒木秀尚=黒木整形外科リハビリテーションクリニック院長

以下は黒木先生のお話しの概要をもとに筆者が再構成したものです。

広島県の無医地区は59あり、北海道に次いで第2位。そうした中で、府中北市民病院はなくてはならない病院です。府中市上下町は2004年4月に府中市に編入されました。

(ちなみにこの直前まで筆者は、県庁職員として、広島県備北地域保健所に勤務し、このあたりの介護や福祉の行政を担当させていただいていました。この合併で、管轄区域から上下町だけ外れたのを鮮明に覚えています。)

上下町はもともと、甲奴町、総領町とともに「甲奴郡」でした。府中市中心部とは26kmもあります。府中市は都市部であり、医療資源も豊富で上下町は90センチも積雪したこともあるくらいの中山間地で医療過疎。まったく府中市とは特性が違います。

日本人の平均寿命が延びた大きな要因としては、昭和20年代の自治体病院の設立、そして、1961年に国民皆保険制度が確立したことが挙げられます。

◆赤字と人口減少理由に府中北市民病院の縮小計画

しかし、府中市は合併後の2007年に赤字と人口減少を理由に府中北市民病院の縮小計画を発表しました。

これは、病院規模を3-4割削減し、常勤医師も7→3名に減らす、直営だったのを独立行政法人化して給料を減らす。療養病床を減らしてなんとサ高住にしてしまう。急性医療をあきらめ、慢性期医療に特化する。

このような地域特性を考えない内容です。

当時は、新自由主義で有名な伊藤吉和市長だったことも影響しています。また、上記の病院リストラは、新自由主義色が濃い2007年12月の総務省の公立病院改革ガイドラインの「突撃隊」ともいえるものです。

そして、2009年には府中地域医療提供体制計画が発表され、旧上下町と旧府中市では距離があるにもかかわらず、府中市全体をひとつの地域とみなし、民間病院に急性期を任せ北市民病院は手術や救急患者の受け入れを止めるというものでした。

これに対して、府中北市民病院の現状維持を求める運動がおこり、2010年12月にシンポジウム、2011年1月には広島県知事に陳情、となります。

そもそも、同病院は全国の同規模の自治体病院の中でも経営は健全な方だったのに伊藤市政が「病院の再生は困難」と決めつけたのは事実と異なっていました。

◆独法化強行で目を覆わんばかりの惨状

そして、伊藤市政は2012年4月に独法化を強行。これにより、救急車の受け入れは困難になり、患者も早期退院を迫られる、マムシにかまれた人も世羅町に搬送せざるを得なくなるなど患者に大きな負担がかかりました。

一方で、医師や看護師の過重労働も深刻化。職員も将来に不安を感じ、退職者も相次ぎました。そして、経営自体も改善しませんでした。むしろ、町営時代よりも医業収支比率は低下してしまいました。

そひとたび独法になってしまうと、住民の声も通らない、市長が政権交代して指導しようにも指導できない、議会の関与も難しいという有様になってしまったのです。要は、独法化とは非民主的な法人になるということです。

黒木先生は、ふるさと上下を愛しておられます。現在も病院を守るための住民運動は続いています。

一貫した要求は
・85床、常勤医師6名
・府中市の直営に戻すこと、
・協議と合意の実現です。

◆独法化取り消し訴訟も棄却

そうした中で、独法化取り消し訴訟を住民は2012年4月30日提起。しかし、2016年、最終的に最高裁でも訴えは棄却されてしまいます。この理由は、日本の医療法・医師法は医療施設や医療従事者への「取締法規」に過ぎず、国の政策に奉仕するものにすぎないからです。だから裁判官も、医療を受ける権利を求める住民の訴えを棄却するのです。

憲法25条はありますが、日本の裁判官は憲法判断を避ける傾向にあります。したがって、やはり法律を作る方が問題解決には手っ取り早いのです。したがって、リスボン宣言のような患者を擁護する立場に立った内田博文全国人権擁護委員連合会会長が提案する「医療を受ける権利に関する医療基本法」を制定しないといけないのです。そして、医療は政治であり、新自由主義から民主主義へ変えていかなければならないのです。

実際、コロナ禍では、特に2020年4月~5月に医療は瀕死状態になりました。この背景には、最近の政府による社会保障費・医療費抑制政策があります。そして13万人もの医師不足が問題です。

◆「人口が減るから整理統廃合」の落とし穴

また、国は、「人口が減るから整理統廃合」という政策を病院でも学校(特に高校)でも進めてきました。

現在は「自治体戦略2040構想」という形で進められています。ところがそれにより、余計に人口が減るということが起きているのです。広島県は、自治体を86から23に減らし、県立高校の統廃合も強力に進めています。その広島県は、人口流出全国ワーストワンです。

広島県(湯崎知事)が進める病院の再編構想も結局は「人口が減るから整理統廃合」路線なのです。

しかし、その「2040構想」の方向で進めばどうなるか? 県内の平成の大合併であったような、市議も出せずに民意も通らないで衰退する周辺地域がさらに拡大・広域化します。そして、外部委託や独立行政法人化で民意を反映する首長や議会の関与も難しくなるのです。

そして、公務員が激減し、非正規ばかりになり、サービス低下、地方自治、住民自治、住民主権が崩壊します。そして、中央集権専制国家、さらなる人口減少、パンデミックや大災害に弱い国になってしまいます。

新自由主義政治から、民主主義への転換。患者を擁護する立場に立った「医療基本法」の制定、草の根住民運動継続による住民自治・地方分権の獲得。これをしっかりやることです。

黒木先生たちの活動は「『医療は政治』 地域医療を守る広島・府中市 草の根住民運動の全記録」として記録されています。

◆新自由主義卒業で人口流出を止めよう

これまでもご紹介しているように、人口流出と新自由主義のスパイラルが起きている広島県。新自由主義から民主主義へ転換することで止めていきたいものです。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士 1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。2023年広島県議選にも立候補。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)。
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ピョンヤンから感じる時代の風〈21〉対日“核”世論工作の開始-G7広島サミット 若林盛亮

◆「日本の最大の弱点は、核に対する無知」!?

「日本の最大の弱点は、核に対する無知だ」!

これは「安全保障問題の第一人者」とされる兼原信克元内閣官房副長官補(同志社大学客員教授)が4月15日の読売新聞主催のG7広島サミット開催記念シンポジウムで語った言葉だ。

5月に開催されるG7広島サミットを前に「核に対する無知」を正すための米国による対日“核”世論工作がすでに始まっている。

「核の脅威に対する知識を深め続ける」!

フジTV「プライムニュース」に出演したブラッド・ロバーツ元米国防次官補代理(オバマ政権で核・ミサイル防衛担当)は「核に無知な」日本人にこのように「提言」した。

この「提言」を行ったブラッド氏は、自分の研究所、グローバルリサーチセンターの所長として一つの「報告書」をまとめた。この「報告書」作成に米国人以外の唯一の外国人、高橋杉雄防衛庁防衛研究所室長を参加させた。この一事をとってみてもこの「報告書」が誰のために作られたものかがわかるだろう。

 
プライムニュースの「報告書」写真

一言でいってこの「報告書」は「核に無知」な日本人に「核の脅威に対する知識を深め」させるための「啓蒙の書」だと言える。

題して「第二の核超大国、中国の台頭-アメリカの核抑止戦略への影響」がそれだ。

「報告書」の内容は題名の通り「中国の核の脅威」を説くことと、これに対応する新たな米核抑止戦略について述べたもの。

まずは「ロシアの分析」。

そこではプーチン体制が続けば、ロシアは「核挑発を繰り返す」とし「核兵器への依存を高め、早期使用に頼る可能性が高い」と分析。

要するに、ロシアによる核戦争挑発の危険が高まっていますよという日本人への「警告」だ。

次に中国の「核軍拡」への警鐘。

中国は核大国として今後10年ほどで質量的にアメリカと同等の存在となる。現在の新型ミサイルの大量導入もいまある現実の脅威であること。

核弾頭数でいえば、中ロ合わせて3,000発に対して米国1,500発という不均衡が生じる。これが現在の深刻な「核の脅威」であると「警告」。

だから核戦争挑発のロシアと第二の核超大国、中国に対抗する新たな核抑止戦略として、米国はアジアと西欧の同盟国と協力して抑止力強化の役割分担を新たに定めるべきであること。

これが「報告書」の結論だ。

「プライムニュース」出演のブラッド氏は、特にアジアにおいて日本は「ミサイル防衛」でいちばん大事な同盟国であり、米国と共同で核抑止力を高める責任を負うべきであることを強調した。

この責任を日本に負わせる上で最大のネックになるのが「核に対する無知」な日本人の非核意識だ。だから5月開催のG7サミットで広島から発せられるメッセージは「核に対する無知」な日本人を啓蒙、覚醒させるものになるであろうことは明らかだ。


◎[参考動画]核超大国・中国の脅威と抑止戦略〈前編〉2023/4/17放送

◆「葛藤から逃げずに議論」、これが「広島の声」!?

5月のサミットを前にした4月15日、読売新聞主催のG7広島サミット開催記念シンポジウムが「被爆地」広島で持たれた。

このシンポジウムへのメッセージで川野徳幸・広島大平和センター長は次のように呼びかけた。

「今後、核廃絶の理想と、米国の“核の傘”に守られている現実の隔たりが深刻化するかもしれない。それでも、その葛藤から逃げずに議論するべきだ」

この発言を受けて「葛藤から逃げずに議論」、これが「広島の声」だという形で読売新聞は伝えた。

「広島は核なき世界をかかげるシンボリックなまちで、これまで核抑止論を含む安全保障の問題を正面切って議論することは少なかった」、つまりこれまでは「核廃絶という理想と現実の葛藤となる」核抑止の議論を避けてきた、しかしいまは現実の核の脅威から「逃げずに核抑止を議論」すべきことをこの広島大平和センター長は訴えたのだ。

一言でいって、G7広島サミットを契機に、非核日本のシンボルの地からの訴え、「広島の声」として、「核抑止力強化」の議論を「葛藤から逃げずに」高めていこうということだ。

冒頭で上げた「日本の最大の弱点は、核に対する無知」なる兼原信克発言の意図するもの、それはいまや「核に対する無知」を克服すべき時、「核抑止力強化」を議論すべき時であること、これを「広島の声」として発信していこうということであろう。


◎[参考動画]G7広島サミット開催記念シンポジウム③ 被爆者の声 広島の声

◆「葛藤から逃げずに議論」すべきこととは?

「核に無知」な日本人が「葛藤から逃げずに議論」すべき課題については、すでに上述のブラッド・ロバーツ元米国務次官補代理は語っている。読売新聞の取材に答えたものだ(2月15日付け一面トップ記事)。

「岸田首相は核廃絶という長期目標に向けた現実的なステップを踏みつつ、核兵器が存在する限り核抑止力を効果的に保つというアプローチを明確にすべきだ」と、まず議論の前提を述べた。

その「核抑止力を効果的に保つアプローチ」についてブラッド氏は具体的に二つの課題を提示した。

第一は、「アジアに核兵器が配備されていない核態勢は今日では不十分」だということ。

これは日本の「非核三原則」を見直し、せめて日本への核配備、「核持ち込み」を容認しないと危険なことになりますよという警告だ。ブラッド氏にとっては非核三原則は「核に対する無知」な日本のシンボルなのだろう。

第二は、NATOのような核使用に関する協議システム、「日米核協議の枠組みが必要」だということ。

この「日米核協議の枠組み」と関連して日韓首脳会談開催決定を受けて早速、動き出したものがある。 

読売新聞(3月8日朝刊)は一面トップ記事で米政府が「“核の傘”日米韓協議体」創設を打診していることをワシントン特派員がリークした。そこでは「韓国は有事に備えた核使用の協議に関心を示している」が問題は日本政府だとして岸田首相に「有事に備えた核使用」、すなわち日米「核共有」の議論に踏み込むことを暗に求めている。

これはNATOと同様に米国と日本との「核共有」システム、有事には自衛隊も核使用を可能にする協議システムが必要だということだ。

米国の狙いは、米国の核抑止力の一端を自衛隊に担わせること、自衛隊に核攻撃能力を持たせることだ。具体的には「核共有」実現によって新設された自衛隊スタンドオフミサイル(中距離ミサイル)部隊に核搭載を可能にすることだ。

その先にあるのは米国が対中対決の最前線を担わせる日本の代理“核”戦争国化、「東のウクライナ」化だ。

これがG7広島サミットで発信される「広島の声」、「葛藤から逃げずに議論」する「核抑止力強化」論の帰結だ。


◎[参考動画]G7広島サミット開催記念シンポジウム① ブラッド・ロバーツ元米国務次官補代理の基調講演「緊迫する安全保障環境 米国の核戦略は」

◆「非核の国是」放棄か堅持か、日本の性根が問われる時

読売TV「深層ニュース」出演の兼原信克・元内閣官房副長官補は「核に対する無知」な日本人をこう脅迫した。

「非核の国是を守ることが大切か、国民の命と安全を守ることが大切か、議論すべき時が来た。答は明らかでしょう」

非核の国是を日本の安全保障と対立するものとする「安全保障問題の第一人者」。まるで非核が「核に対する無知」の象徴かのような詭弁、国是の愚弄を許してはならない。国是を愚弄することは日本という国を否定することだ。まさに日本の性根が問われている。 

「核に対する無知」な日本の象徴として被爆地・広島を愚弄するG7広島サミット、そこから開始される「葛藤から逃げずに議論」せよという対日“核”世論工作を許してはいけないと思う。

非核の国是は日本の安全保障と対立するものではない、いや「非核の国是堅持」こそが強固な日本の安全保障であることを明確にすべき時が来た。

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)
『一九七〇年 端境期の時代』

2023年の憲法記念日 ──「無憲法」状態の中で過ごしている私たち 田所敏夫

◆「原発をとめた裁判長」からの逆質問

過日、福井地裁裁判官時代に高浜原発3、4号機運転差し止めの判決を下した、樋口英明さんにインタビューしている中で、突然逆質問を受けた。

「憲法と法律の違いが分かりますか?」

樋口さんの質問に対してわたしは、「憲法は最高法規であって、国家権力を縛るもの。法律は憲法に従って行政や、国民にかかわる決まりを定めたもの……でしょうか」と歯切れ悪く答えた。

この問いは、法学部出身者にとって、至極容易な問答かもしれないが、法律を勉強したことのないわたしは、恥ずかしながら瞬時に即答できなかった。そんなわたしに、樋口さんは優しく教えて下さった。

「憲法は国が守らなければいけないことを定めたもので、法律は国民が守らなければならないことを定めたものです」

なるほど。端的にご説明頂ければ、その性質を知らないわけではなかった。いや、10年だか20年だか前には、わたしも「憲法は国が守らなければいけないことを定めたもので、法律は国民が守らなければならないことを定めたものです」と一言一句同じではなくとも、同様の回答ができたと思う。なぜ2023年の春、わたしはかつて自明であった「憲法と法律の違い」との基礎的な問いに窮したのか。自己弁護のようだけれども、その理由はわたしの個人的な劣化だけに求められはしないように思う。

◆忘れ去られた憲法順守義務

日本国憲法はまったく文言を変えることなく、泰然としてか肩身を狭い思いをしてかはわからないけれども、われわれの前に依然として鎮座している。

だが注意して観察すると、日本国憲法の鎮座しているさま(様子)は、かつてに比べて如何にも不安げで、落ち着きがなさそうだ。その理由は公務員や国会議員には憲法順守義務(憲法96条)が以下のように明確に記されている、にもかかわらず、現状は「改憲ありき」の議論に日本国憲法が取り巻かれているからではないだろうか。

「第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」

「国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」はどこに行った? 国会では堂々と改憲論議が推し進められているじゃないか。長年統一教会に支えられてきた自民党は言うに及ばず、創価学会の政治部隊、自称「平和の党」こと公明党、はやく「私たちは自民党と同じです」と本心を開示すればすっきりする、国民民主党や維新。中には少しまともそうな人がいるかもしれないけども、泉をはじめとして大方ダメな、立憲民主党。これらの政党はいずれも改憲審議を進めているじゃないか。

反原発からスタートしたはずなのにいつのまにか「積極財政推進」が政策の中心になってしまい、あろうことか古谷経衡にまでくっついた山本太郎氏がつくった政党(この党名は、反動的過ぎるのでわたしは断固として口にしたり書かない)。かつては社会党として自民党に対して一定の監視、抵抗の意義があったが、気が付いたら福島瑞穂氏以外ほとんどが立憲民主党に引っ越ししてしまった社民党。新自由主義という名の資本主義の暴走に直面しているのに、資本主義への正面から抵抗ではなく、なぜか「ジェンダーフリー」に熱心な日本共産党。どこにも現状に対する本質的な、批判、反論が見出せる国政政党はなく、「われこそは本当の保守」と、どうでもいい「保守争い」に、呆れ関心を失うのは主権の放棄だろうか。

戦前から変わらず、大マスコミはニュース、情報番組、ワイドショーで情報源になどなりようのない、コメンテーターだの御用学者、若手、古手の右翼芸人を次から次へと登場させる。

こんな環境に生れてきたら、体制迎合しか知らない若者が溢れても仕方ないだろうし、若者から現状変革の意思を感じ取るのは、至難の業だ。

◆憲法が規定する「本来の姿」

実体的に「憲法が国を縛るもの」ではなくなって久しい今日、ならば、本来の姿を再確認することから始めなければならないのかもしれない。30年前なら「馬鹿馬鹿しい」と一蹴されたであろうけれども21世紀に入る直前から自民党政治が重ねてきた諸政策、なかんずくどう考えても違憲である「自衛隊の海外派兵」をはじめとする軍事大国化を日々目にしていると、本来の「憲法」像がかすんでしまう。だから憲法が規定する「本来の姿」の再確認は無駄な作業ではない、といえまいか。

PKOに名かりたイラク派兵には名古屋高裁が違憲判決を下した。そのことが人々の記憶の中に生きているだろうか。武器輸出の解禁から集団的自衛権の容認、果ては「敵基地攻撃」という実質上の「先制攻撃」までを閣議決定してしまう今の政治は「憲法」によって最低限の監視の目を向けられているであろうか。視点を変えれば為政者は「憲法」の存在をしかるべく認識、あるいは感知しているだろうか。

わたしは、現在の政府やほとんどの野党、そして行政も「憲法」によって拘束されている、あるいは拘束されなければならない法理をほとんど忘れているか無視しているとしか思えない。

つまり、成文法としての日本国憲法は、依然われわれの前に鎮座しているけれども、シロアリに食い荒らされた美しい木造建築のように、実態は「無憲法状態化」しているのが、今日ではないだろうか。憲法が本来の機能を発揮できなければ、下位の法律も健全ではありえない。もちろん国(政府、司法、行政)も好き勝手し放題。これが今日の現実だと冷厳に凝視しよう。

違憲ではなく、「無憲法」状態の中でわれわれは短くない期間過ごしている。この認識をこそ身に刻んで、もう一度日本国憲法を前文から第百三条まで通読して頂いてはいかがだろうか。きょうは憲法記念日だ。殺伐とした現実と日本国憲法の間には、恐るべき乖離がある。それを気付くことに光明があるのかもしれない。


◎[参考動画]「日本国憲法」全文《CV:古谷徹》

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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『季節』2023年春号(NO NUKES voice改題)福島第一原発事故 12年後の想い
「よって原発の運転は許されない」……(龍一郎揮毫)

統一地方選・補選総括 政局と政党再編を占う 横山茂彦

すこし時間が経ったが、統一地方選・衆参補選の総括をしておきたい。

維新の会と参政党が大躍進。れいわ新選組も躍進。立民党はやや躍進といったところか。自民党は1割近く、公明党も2割ほど議席を減らした。共産党と国民民主党が減り、社民党は半減した。政女党(旧N国)は壊滅した。明らかに政治の流動化が起きているといえよう。

まずはこの結果から分析してみよう。N国党はその名のとおり、NHKの受信料を批判するシングルイッシュー政党として支持を得てきたが、党運営のたび重なるトラブルやガーシー議員の帰国拒否・除名・逮捕令状という流れの中で、支持層から見放されたといえる。

自民と公明の議席減は、そのまま中央政権への批判とみていいだろう。政権批判の受け皿として、維新と参政党の大躍進は右派票。左派の批判票はれいわ新選組へと流れた。

共産党と社民党は、もはや制度疲労ともいうべき退潮である。とくに共産党は19世紀の共産主義組織の旧弊を残したまま、党内闘争の否定(複数反対派幹部の除名)によって、その旧い体質が明らかになった。

シールズ世代が党の中枢において、組織を刷新できるかどうかが共産党の将来にかかっているが、もはやその萌芽すら感じられない。これは実際に古参党員から聴いた話である「若い人が党に参加しない」「運動に参加しても、続かない」「赤旗日曜版(シンパ層向けの版)も減っている」。

社民党も左派市民運動の受け皿のはずだったが、賞味期限の過ぎた福島瑞穂が党首では、将来はないだろう。

国民新党の「ゆ党」的な曖昧さ、リベラルか保守なのかわからない印象は、昔の民社党(同盟)そのものである。この党派も消えゆく運命にあると断言しておきたい。

◆カードとなった世襲批判

ひとつのキーワード、あるいは政治再編のカードともいえるものがある。政治における世襲批判である。

地方選後、自民党は区割り変更の対象のうち、114選挙区で公認候補となる支部長(予定者)を決定した。このうち、父や義父、祖父や義祖父が国会議員、あるいは選挙区内の首長や地方議員だった支部長は、じつに36人に上る(下表)。実に3分の1近くが世襲というありさまなのだ。

この世襲問題が、今後の選挙の争点になるのは必至だ。すでに補選においても、その兆候があらわれた。今回の山口二区である。

ここは早くから、岸信千世がみずからのサイトに「祖父・伯父も偉い政治家だった」とアピールし、政策はないが血筋があるというトンデモ自己紹介が批判を浴びていた。地元では、血筋しかないのだから、そこを大いにアピールしろ! と歓迎されていたものだ。そして民主党政権時代に5期当選の実績がある元法務大臣の平岡秀夫も、そこを強調して世襲批判の流れができた。おおかたの予想どおり、選挙結果は最後まで当落がわからない接戦となった。

衆院山口二区補選の開票結果
岸信千世 61,369票
平岡秀夫 55,601票

朝日新聞が30カ所で出口調査を行ない、計1206人から聴取した結果、43%が「好ましい」、51%が「好ましくない」と答えたという。同選挙区の今回の投票率は、前回から9.2ポイント減の42.41%である。投票率が低いほど力を発揮する、先祖譲りの強固な組織に救われたといえる。もしも50%超えの投票率だったら、勝敗はひっくり返っていただろう。

◆世襲議員批判は、世襲社会批判である

池袋暴走事故のさいに、元官僚で叙勲のある加害者が逮捕されなかったことで、日本には「上級国民」が存在すると批判がひろがった。かつての階級社会から、現在では階層化、貧富の格差となり、それは正規雇用と非正規という厳然たる雇用制度によって分化してきた。

東大生の約60%が世帯年収950万円以上(2018年調査)ということからも、教育原資の違いが学歴差となり、階層の違いを決定づける。閉塞した階層社会のなかで、ガチャ親(親と家庭環境は選べない)という言葉が定着している。

ましてや、地盤(支持者)看板(知名度)カバン(選挙資金)において、圧倒的なアドバンテージのある世襲政治家の存在は、わが国の民主主義を根から腐らせると言っていいだろう。

戦前においても、青雲の志のもとに地方出身の若者が政治に身を投じることはあった。天皇制国家であり、旧公家や士族身分など身分社会にもかかわらず、努力が報われる時代だったからだ。学習も高度にシステム化され、教育原資が大きく格差化された今日、立志伝的な努力はむなしくひびく。社会の代表ともいえる国会議員が世襲では、誰もがやってられないと感じるのではないか。世襲批判こそ、政治の流動化を加速すると指摘しておこう。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

最新刊! 月刊『紙の爆弾』2023年5月号

《5月のことば》欠氣一息 鹿砦社代表 松岡利康

《5月のことば》欠氣一息(鹿砦社カレンダー2023より。龍一郎揮毫)

5月に入りました。今年もあっというまに3分の1が過ぎました。年甲斐もなく全力疾走してきましたので、時の流れの感覚がなくなったようです。

思い返せば、ずっと全力疾走してきました。

コロナ前には、ようやく安定し後継に道を譲り左団扇で余生を過ごせるかな、と思っていましたが、コロナ襲来によって予想だにしなかった苦境に陥り、また全力疾走を余儀なくされました。

コロナも完全終息していないとのことで、ふたたびぶり返すことも心配です。

そんな中、今年もGWがやって来ました──。

欠氣一息(けっきいっそく)てか、このかん全力疾走し少しは業績も回復しつつあることですし、龍一郎の言うように一服しましょうか。

いやいや油断大敵、そうもいきません。

とはいえ、張りつめた気分は維持しつつ、ほんの少しだけ休ませていただき、気分一新、また全力疾走の日々に戻ります。

(松岡利康)

月刊『紙の爆弾』2023年5月号
〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2023年春号(NO NUKES voice改題)

ロックと革命 in 京都 1964-1970〈07〉“インターナショナル“ + ”True Colors”= あなたの色はきっと輝く 若林盛亮

◆どんな歌より若者の歌になった“インターナショナル”

私たちの「日本人村」では日本からの訪朝団をよく迎える。「村」の食堂や市内のレストランで歓迎宴、送別宴をやるが、当時の同世代が来るとき最後に締める歌が“インターナショナル”、これをあの頃のように皆で肩を組んで歌って「ああ~インタナショナ~ル 我~らがもの~」と終わって独特の拍子をつけた拍手で締める、あの頃のように。そうやって歌うと今も気持ちが高揚する。“インター”は我らが世代の歌なのだ。

集会やデモではインター、ワルシャワ労働歌、国際学連の歌、この三つが定番だった。

東大安田講堂死守戦の時、冬空の寒風下で機動隊の催涙弾と放水を浴びながら「砦の上に 我らが世界 築き固めよ 勇ましく」のワルシャワ労働歌の一節そのままに「砦の上に~」が実感を以て胸に迫ってきたものだ。

ロック一筋の私だったが、あの頃はもうボブ・ディランもジミ・ヘンドリックスやピンクフロイドも頭から消えていた。“インターナショナル”がどんな歌よりも若者の歌になった季節だった。いまの若い人には想像もできないことだろうと思うが……


◎[参考動画]「インターナショナル」


◎[参考動画]ワルシャワ労働歌(日本語版)


◎[参考動画]【ロシア語】国際学連の歌 (日本語字幕)

◆初めてのデモで心が震えた

ラリーズを去った後、私は集会やデモに参加するようになった。

初めてのデモはちょっと勇気が必要だった。

デモ前にやる同志社明徳館前集会でのアジテーションを遠巻きにする形で聞き入って、集会後のデモに移るとき「ノンポリ学生」が「遠巻き群衆」からデモ隊列に入るのには気恥ずかしさ、躊躇があった。でも思い切ってデモ隊列に飛び込んだ。渡された赤ヘルメットを被りタオルで覆面すれば「デモ隊一員」になった、それはとても不思議な感覚だった。

今出川通りから河原町交差点に差し掛かって京大からの隊列が合流、デモ隊はふくれあがり、突然、河原町通りを埋め尽くすフランス・デモに移った、立命付近で元のデモ隊列に戻るとき、突然、デモ指揮者は向かいの京都府立医大に逃げ込んだ。道路いっぱいに広がるフランス・デモは違法デモ、逮捕されるからだと後で知った。

同志社明徳館前での学長団交(大学当局との団体交渉)(1971年)

規制に入った機動隊員は想像以上に暴力的だった。足を蹴る、横腹をこづく……女子学生を隊列の中に入れる理由がわかった、端っこの列は暴力を甘受する覚悟が要るのだということ、反抗すれば威力業務妨害で逮捕されることも。「国家権力」への怒りを身体が感じた。

腕組み皆で声を合わせ叫ぶシュプレッヒコール、「アンポ~ フンサイ」! これを何度も唱和するにつれ芽生える仲間感、一体感、そういうものがあることを初めて知った。「ならあっちに行ってやる」以来の私が初めて実感する「仲間」、「連帯」、「団結」に心も身体も熱くなるという感覚、そんな感情が私にあったことが不思議に思えたが、素直に私は嬉しかった。

初めてのデモで私は多くのことを学んだ。ようやく「おかしいと思う現実は変えるべき」「そのためには行動すべき」、社会革命に一歩、足を踏み入れたことを実感した。

初めて角材、ゲバ棒を持ったのは社学同が組織した6・28ASPAC(アジア太平洋閣僚会議)粉砕・御堂筋闘争だった。

この日、社学同拠点校の同志社から8台のバスを連ね約800名もの同志社大生が大阪市大に結集、拍手で迎えられ市大、関大など大阪の学生と合流、そこから大挙して地下鉄で御堂筋に出て広い大通りをゲバ棒と赤ヘルが埋めた。それは壮観だった。

先頭が交番を襲撃、ガラスを砕いた、突然、ワオーッと機動隊が襲いかかってきた。私はてっきり「これからぶつかるのだ」とゲバ棒を身構えた、が、なんと先頭が崩れみんなは逃げ出した、中にはゲバ棒を捨てるものもいる。これにはちょっとがっかりだったが、闘争は深夜まで裏通りでの市街戦になって、投石戦など機動隊との小競り合いが続き、旗を燃やしたり私たちは気炎を上げた。けっこう見物の市民も参戦したりで私は「大衆暴動」というようなものを体感した。けっして学生だけの孤立した闘いじゃないということも。

「ASPAC阻止御堂筋デモに寛刑」(1971年10月8日付け読売新聞夕刊)

東大だけでなく「学生運動不毛の地」と言われていた日大でも全共闘が結成され、党派によらない新しい学生運動が生まれていた。パリではフランス5月革命が燃え盛っていた。

1968年の私は熱い政治の季節の闘いに自分が参加していることを実感できた。

8月に京都でべ平連主催のベトナム反戦国際会議があって、会議後の反戦デモが四条通りの祇園付近に来たとき何ものかが投げた硝酸瓶が私のヘルメットに当たって私の右頬と鼻先が硝酸で焼け、皮膚を焼く異臭と鋭い痛みがあった。付近にいたある学生は背中が焼けただれる重傷を負って病院に運ばれたと後で聞いた。ひりひりする痛みがあったけれど私はデモを続行した。初めてのデモ隊への右翼テロ、初めての負傷を経験した。

その後も秋に伊丹の軍事空港化阻止現地闘争、大阪での大規模な10・21国際反戦デー闘争、また東大闘争支援のため11・22-23安田講堂前全国学生総決起集会に参加、そして翌年1・18-19安田講堂死守戦参加に至る。これは後に触れる。

◆人生に 無駄な ものなど なにひとつない

17歳の無謀な決心「ならあっちに行ってやる」に始まり、二十歳の「跳んでみたいな共同行動」から「裸のラリーズ」結成へ、そして21歳の私がたどり着いたのは社会革命、学生運動。

それはロックと長髪による自分自身の革命、自分を知るための革命を経て「山﨑博昭の死-ジュッパチの衝撃」から社会革命へと連続する私の革命遍歴。それはまるでLike A-Rolling Stone、転がる石ころのような青春遍歴、ある意味「あっちに転がりこっちにぶつかり」の勢い任せ、暗中模索の人生、その当時は自分でもなぜこうなるのかよくわからなかった。

でもボブ・ディラン初恋の人スーズの言う「年齢を経て若い頃の感情や意味、その内容を穏やかに振り返ることができる」年齢になったいま、それは一本の赤い糸でつながるものがあったことがわかる。それは敗戦という急激な変化渦中の日本に生まれた戦後世代特有の体験に基づくものだと、そう思えるようになった

 
『一九七〇年 端境期の時代』(鹿砦社)

私たち「よど号グループ」はここ十年ほどの間に必要に迫られて様々な形で手記を書いてきた。動機は自分たちにかけられた「北朝鮮の工作員」「拉致」疑惑を解く必要性があったからだ。それは自分自身を知る過程でもあった。『拉致疑惑と帰国』(河出書房新社)、『追想にあらず』(講談社エディトリアル)、『一九七〇年-端境期の時代』(鹿砦社)がそれだ。これら手記を書く過程で、これまで記憶の引き出しにしまって置いた個々バラバラの様々な事象、「若い頃の感情や意味、その内容」が自分の人生の中で必然の糸でつながっている、そう思えるようになった。この連載手記、「京都の青春記」もそのようなもの。様々な出来事、出会いがあって今日の私がある、だから残りの人生を自分はどう生きるべきか? それを自己確認する作業でもある。

鹿砦社「今月の言葉」に「人生に 無駄な ものなど なにひとつない」と書に記した龍一郎さんの言葉にはうなづけるものがある。

生まれてこの方、順風満帆の人生だったという人はほぼいないだろう。人生には逸脱も曲折も失敗もある、けれどそれらに「無駄なものなど何ひとつない」、それらがあって現在の自分があるのだから。「失敗は成功の元」-むしろ曲折や失敗は自分の問題点がわかり教訓を得る絶好のチャンスだとさえ言える。もしもそれらが無駄なものと思えるようなら、それは何の更生力もないまま今も漫然と人生を無駄に過ごしていると自ら認めることではないだろうか? でも人間とはそんなもんじゃないと私は信じたい。

龍一郎さんの書「人生に 無駄な ものなど なにひとつない」

◆「人の目を欺いてはいけない」! 戦後日本は「おかしい」から革命すべき対象へ

森羅万象の生起、変化には必ず原因があり、人間の考えや行動、その生起、変化発展には動機、契機、理由が必ずある。

「時空を越える“黒”」で有名なファッション・デザイナー山本耀司、彼の“黒”へのこだわりの原点は、彼の5歳の頃の強烈な体験にあったという。

山本耀司の父親は戦争中、出征途上の輸送船が米軍に撃沈されて戦場に着く前に「戦死」、遺骨も遺品も残らなかった。敗戦後、「元司令官」が「父の戦死」を彼の母親に伝えに来たという。この時、「ケッ!」と5歳の耀司は心の中でツバを吐いた。この時から大人への強烈な怒り、不信感が芽生えたという。戦後、洋裁店経営で家計を支える母を手伝う中、山本耀司はファッション・デザイナーを志した。戦後の日本には欧米から華やかなファッションが流入してきた。そんな時代にデザイナーを志した自分の心構えを彼はこう語った。

「飾り立てるのがファッションかもしれないが、人の目を欺いてはいけない」

軍国主義日本から民主主義日本へと華やかな「転換」を遂げた戦後日本、でも「人の目を欺いてはいけない」-これが“黒”へのこだわり、「時空を越える“黒”」ファッション、山本耀司の立ち位置なのだろう。


◎[参考動画]YOHJI YAMAMOTO pour homme S/S2023

私には山本耀司のような強烈な体験はないが、「人の目を欺いてはいけない」という彼の言葉は、同じ戦後世代としてストンと胸に落ちる。

日本の敗戦から2年、1947年2月生まれの私は、米軍占領下で軍国主義日本から民主主義日本に急転換する混沌とした時期に生まれ少年期を過ごした世代だ。大人たちの頭も時勢の急激な変化についていけなかった時代だった。

私が物心のついた頃、いまも鮮明な記憶に残っている出来事があった。たしか小学5年の頃だ。

授業の合間にある教師が自分の軍隊体験を語り出した。それは中国人捕虜を使って刺殺訓練をやった話だった。

「いいか、刺した銃剣を抜くときはくるっと回転させて抜くんだ」とその教師は「銃剣刺殺要領」を私たち小学生に何の悪気もなく語った。

子供心にも何か違和感を覚えた。でも小学5年生にそれが何かはわかるはずもなかった。いまも鮮明に覚えているということはかなり「衝撃的な体験」だったのだろう。

その教師はといえば、自主的に壁新聞を作るように生徒たちを指導した「戦後民主主義教育のリーダー」的存在だった人だ。私もクラスの壁新聞に家で購読していた毎日小学生新聞を参考にソ連のライカ犬搭載の人工衛星、ガガーリン少佐の有人衛星の世界初成功などの記事を書いた。生徒任せの壁新聞作りは自由でとても面白かった。私にとって「いい先生」だった教師だけに、あの日の授業中に覚えた違和感はいつまでも心に残る衝撃的な体験だったのだと思う。

教師にしてみれば、当時の中国人捕虜は「反日分子=犯罪者」であり、「刺殺」対象として何の呵責も感じない「日本の敵」、刺殺は日本軍兵士として当然の行為だったのだろう。だから生徒たちにも悪びれもせず話せたのだと思う。

中学の社会科で日本史を教えた教師はただただ黒板に年表を書き連ねるだけ、そんな授業をやった。いま思えば、おそらく皇国史観から戦後民主主義史観への激変についていけなかったのだろう、あるいはそれへの「抵抗運動」? おかげで日本史は私のつまらない、嫌いな科目になった。 

大人達の頭の中でも軍国主義の脱却も民主主義の消化も不十分なまま両者が何の矛盾もなく混在していた。

私の父は実直な勤王家で軍服姿の昭和天皇夫妻の写真が戦後も客間に飾ってあったし、戦後すぐの昭和天皇の全国行幸時も「お召し列車」が通過するというので幼い私を連れて線路脇で最敬礼をした。明治生まれの父は戦争末期に徴兵検査を受け丙種不合格、それで徴用工としてコンデンサー工場に動員されあの戦争を生き延びた。戦場から帰れなかった同世代へのひけめ、罪悪感のようなものがあったのだろう。父は息子に何も語らなかった。

一方、母は私に「日本はアメリカに負けてよかったんだよ」と話した。母の兄、醤油醸造業の実家の跡取り息子はビルマ(現在のミュンマー)で戦死、結果として母は自分の長女、私の姉を「将来、婿養子をとって家業を継ぐ」養女として母の実家に差し出さざるをえなかった。そんな母の二重の悲しみがそんな言葉を吐き出させたのだろう。

一家庭の中にも軍国主義日本と民主主義日本が混在、併存する、これが戦後日本のおかしな実相だった。

私自身も記録映画に出てくる特攻隊出撃シーンに「海ゆかば」のメロディが流れると感動で涙がにじんだ。他方で私は姉の聴いていたアメリカン・ポップスの世界に惹かれていた。戦後世代の私の頭の中も混沌としていた。

60年代に入ると世は高度経済成長時代、東京オリンピックで高速道路や新幹線ができ、次は大阪万博へ、テレビ+洗濯機+冷蔵庫の「三種の神器」が家庭の夢となり、一戸建てマイホームを持つことがサラリーマンの夢になった。昼間の日本は「アメリカに追いつき追い越せ」に浮かれていた。

小学校のすぐ横に「忠魂碑」という出征兵士を祀る石塔を囲む小さな森があった。でもそこはアベックが変なことをやるところだから子供は近寄ってはいけないと言われた。「忠魂碑+男女アベック=近寄ってはいけない忠魂碑」-みんな敗戦など忘れてしまったかのような「明るい日本」の象徴??

高校生の頃、ケネディ暗殺があってその暗殺犯がまた警察署内でピストル射殺されて大統領暗殺事件は闇の中に。米国南部の黒人は白人専用の食堂やバスは利用できず、その掟を破れば暴力を受けたたき出されていた。黒人公民権運動の活動家が南部で殺される事件もあった。

少年期に憧れたアメリカは「追いつき追い越す」ほどのものじゃなくなった。

羨ましかったアメリカ中産階級のホームドラマや甘いアメリカンポップ音楽は色あせて、英国の港町リヴァプール労働者階級の息子たちの不良っぽいロックバンド、ビートルズへと私の関心は移った。

ベトナム戦争の激化は「戦後日本はおかしい」をさらに深く考えさせるものだった。憲法9条平和国家の日本は戦争をしない国になったと学校で教わった、でも在日米軍基地はこの戦争の基地になっている、日本は戦争加担国家になった、日米安保のために……。

「ならあっちに行ってやる」と進学校、受験勉強からドロップアウトを決めた17歳の無謀な決心、それは昼間の日本への違和感、「戦後日本はどこかおかしい」── 私の無意識の意識の爆発だったのだろうと思う。

そして「ジュッパチの衝撃」で「戦後日本」は革命すべき対象になった、漠然とだがそう私に意識されたのは確かだ。

◆“True Colors”── あなたの色はきっと輝く

熱い政治の季節の渦中に飛び込んだ私ではあるが、1968年の私はまだ五里霧中にあった。

集会やデモもいつも個人参加、まだ政治を知らず組織に属さない人間が政治活動を続けるのはやはり不自然なことだった。政治を議論する仲間、政治活動を教え、次の集会やデモの意義を教えてくれる組織を持たない人間は「野次馬」以上にはなれない。『朝日ジャーナル』や『現代の眼』といった政治雑誌を読むくらいの私はそんなものだった。

4回生にもなった学生は活動家の政治オルグの対象にならない、ましてやヒッピー風の長髪人間は対象外だろう。かといって自分で訪ねていくことも気が引けた、社学同に入る理由も話せない、まだ「敷居は高い」まま。

ある時、前日のデモで使用したヘルメットを返しに学友会・自治会室を訪ねたことがある。活動家たちはあっけにとられたことだろう。ぽかんとした顔を向けただけ、ヘルメットを返しに自治会室を訪ねる学生なんてやはり「変な奴」なのだ。たぶん私は「声をかけられる」ことを内心、期待したのかもしれない。

当時の私は中途半端な位置にいる自分に焦れていた。一言でいって志と孤独の間を揺れていた。どうしようもない非力さを痛感する日々、依拠すべき同志も組織もないというのは致命的だった。

そんな苦闘中のある日、バイト帰りの河原町正面・市電停留所で「あら~Bちゃん! 久しぶり~」と声をかけられた。見ると以前、私の常連バイト先で事務員をやっていた菫(すみれ)ちゃん(仮名)だった。

「Bちゃん」というのは「ビートルズ」を略した愛称、バイト職場で職人のおっちゃんたちが親愛を込めて呼んだ私のニックネーム、菫ちゃんは昼食時間にバイトの私にもお茶を煎れてくれたりしてた、たった一輪の「職場の花」だった子。一緒に市電に乗ってお互いの近況を話した。一年ほど前に職場を辞めた菫ちゃん、いまは木屋町にある喫茶店で働いているのだとかで「一度来てみて~」と私に言った。

それからはデモ帰りなどに彼女の喫茶店に立ち寄るようになった。デモが終われば所属組織毎に集まって総括したり集団で帰路に就いたりしたが、私には行くところがなかった。そんな孤独を抱える私には恰好の「帰る所」になった彼女の喫茶店、顔馴染みがいるというだけで癒された。

仕事中のウェートレス、菫ちゃんとはそれほど話はできなかったが、ある時、彼女が演劇をやっていることを知った。

京都のある劇団に所属し、いまは若手研究生の菫ちゃんは演劇女優をめざす「俳優の卵」。劇団に通う時間を得るために喫茶店のバイトに切り替え事務員定職を捨てた菫ちゃん、いまは厳しいけど絶対、舞台女優になるんだと楽しそうに意気込みを語ってくれた。地味な事務員服姿からはうかがい知れなかった彼女のアナザーサイド、「へ~え、そうなんや」! ちょっとした驚き、彼女がまぶしく見えた。

菫ちゃんにそんな大きな夢があったんや! なんか感動した。

年末には大きな演劇イベントがあってその舞台でいい役に抜擢されることがいまの彼女の目標らしかった。彼女は「俳優の卵」、なら私はさしずめ「革命家の卵」、なにか急に二人の距離感がぐっと縮まった。まだ何ものでもない「卵」たち、けれど懸命に孵化をめざす「卵」同士、お互い頑張ろうね! そんな感じの二つの魂の接近。

「Bちゃんはアホやなあ」! 

これは菫ちゃんのお言葉。

4回生にもなって就職活動もしない長髪大学生、組織にも属さないのにデモや集会に参加するという私を菫ちゃんは、「Bちゃんはアホやなあ」と言った。同志社大卒男子なら就職先は選り取りみどり、高卒女子の彼女からすれば羨ましい身分、でもそれに背を向けて自分がどうなるかもわからない政治活動をやってる私は「ほんまアホやなあ」ということ。

でもそれは菫ちゃん式の誉め言葉。

長髪人間の私だが、遊び人だとかいい加減な大学生でないことは職場での私の働きぶりで彼女は知っている。彼女もいた私のバイト先は矢野洋行、「貸し物屋」という京都特有のイベント業者、京都三大祭り行事準備や和装展示会、生け花展示会ほか様々なイベント用資材を貸し出し設営もする仕事、私は古都独特のそんな仕事が好きだった。だから学生バイトとはいえ仕事は真面目にやって一応精通した。だから社長の父親、会長の爺ちゃんからは「いつでも来てエエで」と重宝がられ、会社は準社員並みに扱ってくれた。職場での「Bちゃん」の愛称はその賜物、会長も私をそう呼んだ、そのことを菫ちゃんは知っている。

そして「俳優の卵」苦闘中の彼女は夢や志に向かう青春がなめる苦も味わう楽も知っている菫ちゃん。

“TRUE COLORS”というシンディ・ローパーのヒット曲がある。

 悲しそうな目ね

 弱気にならないでほしいの

 難しいよね

 自分らしく生きるって

 …………

 true colors /あなたの本当の色は

 are beautiful /美しい

 like a rainbow / 虹のよう

まるで菫ちゃんが歌ってくれてるような言葉の並ぶ“TRUE COLORS”!

彼女の「アホやなあ」、それは「あなたの本当の色は美しい」-“that’s why I love you”「私の大好きな色」という有り難いお言葉。

もしおかしくなって 耐えられなかったら 私を呼んで すぐ行くから

おかしくなりそうなとき、“you call me up”-いつでも“私を呼んで”、Bちゃんがいつでも訪ねられる人、”because you know I’ll be there”-“すぐ行くから”と私に安心、自信をくれる菫ちゃん。

「アホやなあ」と言いながら、いつしかデモで破れたジーンズを繕ってくれたりするようになった。私は菫ちゃんが次の大舞台でいい役がとれますようにと祈った。

「革命家の卵」と「俳優の卵」、まだ何ものでもない孵化を競い合う「卵」同士、その大きな夢と志はこの先どうなるのかはわからない。でもかまわない、とにかく前に進もう!

「あなたの色はきっと輝く」、そのことを互いに信じて……(つづく)


◎[参考動画]Cyndi Lauper – True Colors (from Live…At Last)

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)
『一九七〇年 端境期の時代』

岩浪悠弥がWBCムエタイ日本王座三階級目を制覇! 堀田春樹

岩浪悠弥が志賀将大を倒してフライ級、スーパーバンタム級に次ぐ三階級目を制覇。
IBFムエタイ世界王座奪還目指す波賀宙也は、不運なダメージで判定負け。
前田浩喜があっけなく倒される誤算。勝者・鎌田政興はNKBの存在感を示した。
東京町田金子ジムが閉鎖で金子修会長に功労顕彰の表彰。昭和から続いた名門がまた一つ消える。

◎NJKF 2023 2nd / 4月16日(日)後楽園ホール17:30~20:15
主催:ニュージャパンキックボクシング連盟 / NJKF、WBCムエタイ日本協会

※試合レポートは岩上哲明記者

◆第8試合 第8代WBCムエタイ日本バンタム級王座決定戦 5回戦

志賀将大(エス/53.35kg/1993.2.20福島県出身)19戦14勝(4KO)4敗1分
         VS
岩浪悠弥(橋本/ 53.5kg/1998.1.6東京都出身)34戦22勝(4KO)10敗2分
勝者:岩浪悠弥(王座獲得) / KO 2R 2:59
主審:竹村光一 / チェアマン:中山宏美

(志賀将大はNJKFバンタム級とWKBA日本バンタム級チャンピオン)
(岩浪悠弥は元・WBCムエタイ日本フライ級とスーパーバンタム級二階級制覇)

前日計量で志賀将大選手から「2月のタイトルマッチ(WKBA日本)は相手がノラリクラリ躱(かわ)したこともあり不完全燃焼だった。今回は下馬評では橋本選手と言われているようですが団体の対抗戦ということもありスッキリ勝ちたい。」とコメント。

一方の岩浪悠弥選手は「三階級制覇が懸っており気合いが入っています。団体(JKイノベーション)の代表選手ということもあり、勝ちに拘ります。」とコメント。

初回は両者ともローキック中心の牽制で探り合いの展開。

第2ラウンド、志賀将大は前に出ながら蹴りから首相撲を仕掛ける。岩波悠弥も応戦し互角の展開で進んだところ、岩波悠弥の左ハイキックが志賀の顎にヒットし、志賀は動きが止まってしまう。そのダメージから回復させないように岩波はパンチ連打し、右フックでノックダウンを奪う。

勝負の運命を分けた岩浪悠弥の左ハイキックが志賀将大の顎にヒット

志賀は立ち上がるも、岩波のパンチ連打にロープ際に追い込まれ、腰が落ちたところに岩浪の右ミドルキックを顔面に貰い2度目のノックダウン。懸命に立ち上がろうとするも、カウント中にファイティングポーズがとれず、岩波悠弥のKO勝利となった。

ダメージ大きい志賀将大を追って攻める岩浪悠弥

試合後、岩浪悠弥選手は三階級制覇達成の興奮のせいか試合中の緊張感を残したまま、祝福の声に「有難うございます。」とコメント。敗れた志賀選手はセコンド陣と話をしながら、「纏まりが無く雑になった。ダウンを取られるとは思わなかった。」とコメントしながらも敗戦を分析し、「次回に繋げます。」と前向きなコメントだった。

三階級制覇した岩浪悠弥が挨拶、陣営が見守る

◆第7試合 57.0kg契約3回戦

波賀宙也(立川KBA/ 57.05→57.0kg/1989.11.20東京都出身)45戦27勝(4KO)14敗4分
      VS
コンコム・レンジャージム(タイ/ 56.9kg/1988.6.29イサーン地方出身)
勝者:コンコム・レンジャージム / 判定0-3
主審:少白竜
副審:椎名27-29. 竹村27-29. 多賀谷28-29

(波賀宙也は前・IBFムエタイ世界Jrフェザー級チャンピオン)

初回、波賀宙也はミドルキック主体でペースを掴もうとするが、コンコムは組むことで体格差を無くしながら躱(かわ)していく展開。

第2ラウンド、波賀はローキックを中心に切り替えていくが、コンコムは首相撲に持ち込み、上手く波賀の攻撃を躱していく。会場から「上手いなあ!」とコンコムの躱す技術を褒める声が上がった。波賀は逃れようと右ボディーにパンチを決めるが続かず、逆に転ばされてしまう。

第3ラウンド、コンコムの上手さに翻弄されている波賀はカウンターのヒジ打ちを決めるも単発で終わる。流れで組んでしまった際に、コンコムはブレイクしようと半ば投げ捨てるように離したが、波賀はマットで頭を打ち、立ち上がるも足が痙攣していた。コンコムは逃さず右ストレートを決めノックダウンを奪う。波賀は立ち上がり反撃をするも試合終了。コンコムが判定勝利を飾った。

試合後、波賀宙也選手は「サイズは関係ないですし、カードが決まる期間が短かったのは相手も一緒です。最後の第3ラウンドだけでしたね。そのラウンドだけは忘れてください。次回に繋げて頑張ります。」と前向きなコメントをしていた。

首相撲からの崩しで転ばされた波賀宙也は立ち上がるにも足がふらつく
ダメージ負った波賀宙也に攻勢に出るコンコム、惜しいラウンドとなった

◆第6試合 57.5kg契約3回戦

NJKFフェザー級チャンピオン.前田浩喜(CORE/57.45kg/1981.3.21東京都出身)
48戦29勝(17KO)16敗3分
        VS
NKBフェザー級5位.鎌田政興(ケーアクティブ/57.3kg/1990.5.6香川県出身)
18戦8勝(3KO)8敗2分
勝者:鎌田政興 / TKO 1R 2:04
主審:中山宏美

試合前、前田浩喜選手から「王者としてNJKFを盛り上げる為に熱い試合をした上で勝ちます。」とコメントがあった。それ以外にも、入場時や大会場での開催など、NJKFを試合以外で盛り上げたいと熱く語っていた。一方の鎌田政興選手は「団体(NKB)の代表選手として、そしてフェザー級を盛り上げるために勝ちにいきます。」と緊張気味にコメントをしていた。

試合当日もリラックスをして談笑していた前田浩喜だったが、開始早々、鎌田政興の左右のストレートを貰い動きが止まる。その後、自分のペースに持ち込もうと首相撲などで攻めていくが、鎌田はパンチを中心にコーナーに前田を追い込み、左右のストレートを決め、ノックダウンを奪う。前田はすぐに立ち上がれず、目の焦点が合わないことでレフェリーはストップをかけ鎌田政興がTKO勝利。

鎌田政興の連打で劣勢に追い込まれた前田浩喜、この後、連打で倒される

◆第5試合 64.0kg契約3回戦

健太(E.S.G/ 63.6kg/1987.6.26群馬県出身)109戦63勝(17KO)39敗7分 
        VS
NJKFスーパーライト級2位.吉田凛汰朗(VERTEX/63.9kg/2000.1.31栃木県出身)
21戦9勝8敗4分 
勝者:健太 / 判定3-0
主審:椎名利一
副審:少白竜30-28. 竹村30-28. 中山30-28

(健太は元・WBCムエタイ日本ウェルター級チャンピオン)

10ヶ月ぶりのホームリングでの試合になる健太選手。「大会場で何度も試合をしていますが、久しぶりの後楽園ホールで勝利を得ます。」とコメント。

初回、健太はオーソドックスなローキックを中心に隙を突いてパンチを入れていく。吉田凛汰朗はミドルキックからパンチを決めていくが、健太の距離で戦ってしまい攻めきれない。第2ラウンド、健太の圧力が大きくなり、吉田は前に行けず手数が少なくなる。健太は的確にパンチやキックを決めていき優勢になった。
第3ラウンド、吉田は終盤にバックハンドブローを仕掛けるも健太のガードで決まらず。優勢を維持している健太はパンチを中心に自分の距離で戦い、吉田の勢いを潰しながらパンチを決めていった。吉田は力を出し切れなかったようで、健太が判定勝利となった。

109戦目の健太は試合運びの上手さで攻勢を維持して判定勝利

◆第4試合 フライ級3回戦

NJKFフライ級2位.悠斗(東京町田金子/50.8kg/1993.2.24東京都出身)
37戦20勝(9KO)13敗4分
      VS
同級3位.TOMO(K-CRONY/50.7kg/1982.10.30茨城県出身)21戦7勝(5KO)12敗2分
勝者:悠斗 / 判定3-0
主審:多賀谷敏朗
副審:少白竜30-29. 竹村30-29. 中山30-29

所属ジムの金子修会長がジム閉鎖の決意と創設51周年の功労顕彰賞を授与されたことを受け、負けられない状況になった悠斗。初回、ローキックから隙をついて重いパンチを決めていく。TOMOはミドルキックと左右のパンチで対抗。

第2ラウンド、悠斗の重いパンチは衰えることなく、的確にTOMOにヒットしていく。TOMOも反撃するが悠斗の圧力が強く、TOMOの勢いを削っていく。

第3ラウンド、悠斗のパンチ中心の攻撃にTOMOは耐えていき、起死回生のバックハンドブローを決めるが、ガードの上でダメージを与えることが出来ず、悠斗のジャブのヒットを許してしまう。最後は打ち合いになるがそのまま終了し、悠斗が判定勝利。

悠斗が重いパンチで主導権を奪った展開の中、ハイキックも繰り出していく

◆第3試合 スーパーライト級(当初)3回戦

NJKFスーパーライト級4位.宗方888(キング)欠場によりTAKUYA戦は中止。

ガン・エスジム(タイ)が代打出場
      VS
NJKF ライト級3位.TAKUYA(K-CRONY/63.3kg/1993.12.31茨城県出身)
13戦7勝5敗1分
勝者:ガン・エスジム
主審:椎名利一
副審:少白竜29-28. 竹村30-28. 中山29-28

出場予定だった宗方888が減量失敗で脱水状態になり、救急車で運ばれる事態だった様子で前日計量には現れず。電話では謝罪を述べていた様子。

TAKUYA選手は「今回はキレイに勝ちますよ。」と意気込みを語っていたが、代打出場となったガンエスジムとの対戦が決まった。

初回、TAKUYAがガン・エスジムに仕掛けるが、ガンのパンチや的確な右ヒジ打ちが入り、一瞬ぐらつく。ガンは右フックを初め的確で手数多いパンチを繰り出し、TAKUYAはローキックで反撃をする。

第2ラウンド、TAKUYAは右ストレートをヒットさせるも、ガンが前に出て来て組みながらのヒジ攻撃にペースが掴めず苦戦する。ガン選手は急遽試合が決まったとは言え、果敢に攻めていく姿勢は変わらず。

第3ラウンド、TAKUYAはセコンドからの「ヒジで行け!」との指示でヒジ打ちを決めていくが、ガンはポイントで優勢になっていることを意識し、付き合わずに躱したり組んだりして時間を稼いでいるようだった。TAKUYAは攻めきれず終了。ガン・エスジムの判定勝利。

試合後、TAKUYA選手は「すみませんでした」と悔しそうにコメント。「次に繋げましょう。」という声に「有難うございます。頑張ります。」と前向きな返事だった。

急遽決まったムエタイ実力者との対戦、TAKUYAは苦戦を強いられた

◆第2試合 スーパーフェザー級3回戦

NJKFスーパーフェザー級10位.コウキ・バーテックス(VERTEX/58.8kg/1997.9.20栃木県出身)9戦4勝4敗1分
      VS
颯也(新興ムエタイ/58.8kg/2002.5.4神奈川県出身)6戦2勝4敗
勝者:颯也 / TKO 3R 1:51 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審:多賀谷敏朗

◆プロ第1試合 ヘビー級3回戦

レオ(K-CRONY/100kg超・秤の都合/1998.9.3ブラジル出身)1戦1勝(1KO)
      VS
長里清(サンライズ/93.7kg/1969.7.29埼玉県出身)1戦1敗
勝者:レオ / TKO 1R 2:04

◆アマチュア第2試合 (over40) 68.0kg契約2回戦(90秒制)

河野友信(A-sk/ 67.2kg)vsカズshooter(テツ/ 66.2kg)
勝者:河野友信 / 判定3-0 (19-18. 19-18. 19-18)

◆アマチュア第1試合 (over40) 60.0kg契約2回戦(90秒制)
シュンスケ・ムアンチャイ・ピラーノ(ゼウス西船橋/ 59.9kg)
      VS
まさる(Labore spes/ 59.55kg)
引分け 1-0 (19-19. 20-19. 19-19)

《取材観戦記》(岩上哲明)

キックボクシングで観客が満足できる興行は、やはり“KO決着が多い興行”でしょう。今回のNJKFの興行ではKO決着が半分あり、それぞれ内容が違うもので、観衆にとって満足したものと思います。判定決着になった試合も勝者のテクニックの巧さに満足出来たことでしょう。そして、最初のアマチュア2試合が会場を盛り上げる為にいい仕事をしてくれたと思います。

メインイベントは「三階級制覇」と「三団体制覇」や「WBCムエタイとWKBA」といった隠れたテーマがあり、それを事前に知ることでより試合の楽しみ方のレベルが上がると思います。NJKFの今後の課題としては、キックボクシングに無縁、無関心な人を振り向かせること。これはキックボクシングに関わる人達共通の課題にもなるでしょう。

《取材戦記》(堀田春樹)

東京町田金子ジム閉鎖と創設51周年セレモニーが第2試合後に行われ、NJKFより金子修会長には長年の功労を顕彰する表彰をされました。金子修氏の御挨拶の中では観衆に対し、「今後もNJKFに足を運んでくださいますように、そして赤コーナーや青コーナーへ声援合戦をお願いします!」と観衆にメッセージを残されました。これもキックボクシングを大いに盛り上げたい表れの、ファンへのお願いだったでしょう。

東京町田金子ジムの前身は昭和のキックボクシング隆盛期に創設された萩原ジム。ここからデビューした現・レフェリーの少白竜氏も花束贈呈に並びました。金子修氏も早々にジムを引き継いだ元・所属選手で数戦しているようです。細かくはジムの歴史を改めて聞いてみたいものです。

次回興行は5月7日(日)にGENスポーツパレスにて「DUEL.28」が開催予定。6月4日(日)には後楽園ホールで本興行「NJKF 2023.3rd」が開催予定です。

東京町田金子ジム閉鎖する金子修会長がファンにキックへの想いを熱く語る

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

月刊『紙の爆弾』2023年5月号

サミット翼賛体制の広島政治 市民の力でリニューアルできるのか? さとうしゅういち

「深呼吸して、今の「政治」を語り合う 広島の政治を良くするつどい」が統一地方選挙を前にした3月12日、「新しい広島市長を誕生させる会」の主催でありました。「誕生させる会」は、広島の政治、とくに松井市長による暴走を憂慮した市民が、対抗馬を擁立するために集まった団体です。しかし、手を上げる人がおらず、結局、団体独自の候補擁立は断念しました。

しかしそれでも、目前に迫った統一地方選挙を前に、広島の政治を少しでもよくしなければならない。そのために集まって市民の声を市長選、県議選、市議選候補らにぶつけていく。そういう方向で進むことになったものです。その第一段階として、今回、市政や県政のいろいろな課題に取り組む方が意見を述べ合うことになりました。

◆「図書館のあり方」に反する「にぎわい」重視の松井市長

 

松井市長の暴走が続くエールエールA館への広島市中央図書館移設問題に取り組む学校の先生は「図書館は1地方図書館ではなく世界のヒロシマの図書館だ」。「中央図書館は現在地にあるからこそ平和の発信力がある」と強調。

この問題に取り組むもうひと方もエールエール館移転について情報公開を求めたら真っ黒の文書が出てきた、と呆れました。またそもそも、「にぎわい」を市長は強調するがこれは図書館のあり方と違うと指摘しました。

◆「はだしのゲン」削除問題

ついで、教科書ネットワークの岸直人さんからは、市教委の暴走が続く、「はだしのゲン」問題について、議事録に「誤解を懸念する」意見は出ているが「はだしのゲンを止めて他に変えたほうがいい」という結論は出ていないことが明らかにされました。「議論されないまま削除するのはおかしい。」と岸さんは怒ります。

その後も、中学校教材の第五福竜丸が削除されたり、高校教材での中沢啓治さんの被爆体験の核心部分はごっそり削除されたりするなどの市教委の暴走が続いています。

そして、中学校では第五福竜丸の代わりにオバマ来広時の写真、被爆二世のインタビューが取り上げられていています。

「原爆被害の悲惨さを伝える内容から、アメリカと一緒にすすむことが大事というメッセージに変わった」「戦争の加害や差別性を批判する力を育てない平和教育になっている。

◆法改正背景に教育長独裁進む

官製談合事件を中心に広島の教育行政について今谷賢ニさんが報告。既報の通り、平川教育長は自分自身については、給料の3割2ヶ月自主返納、現部長の課長級職員に処分をしました。

1.教育長が親密なNPO法人に事業丸投げしたこと。
2.調査費用に三千万円をかけたこと。
3.タクシー費用を一年間100万円以上も使っていたこと。

これらについて、今谷さんは監査請求を行いました。

また、広島市立中央図書館に関する議論は、文教委員会でされていたのが総務委員会でされています。これは法律改正によるもので、首長の意向がストレートに図書館行政にも反映されるようになりました。

そもそも、教育長も昔は教育委員長の部下でした。ところが、安倍晋三さんによる地方教育行政法改正により、教育長がすべての権限を持っており、教育長に対しては首長しか処分ができないようになっています。

そして、教育大綱は首長がつくることになっており教育基本法の理念を活かす余地はなくなっているそうです。

「はだしのゲン」の削除についても実は教育委員会が平和教材を押し付けるのが問題、と今谷さんは指摘します。平和教育というのは、本来は教育実践をしながら改訂するものであり、それを一方的にやるのが大きな問題である。知事や市長言いなりの教育行政が問題だと力を込めました。

また、広島市では、プールも壊れたら修理せずバスで麓の学校に入りに行くが、ほとんど水に入る時間がないそうです。「市教委はこれまで指導要領を守れと言ってきたがあれは何だったのか」と今谷さんは呆れました。

◆センター方式給食強行で暴走、シングルマザーにも冷たい広島市

学校給食の無償化に取り組む新日本婦人の会からは、「広島市は10年後に5ブロックでセンター方式にしたい意向だ」と嘆きます。その上で、「給食無償化は41億円あればできる。」と自校式での無料給食の実現を訴えました。

◆住まい失った親子に冷たすぎる広島市政

子どもの貧困化については反貧困ネットワーク広島から報告がありました。同ネットワークではシェルター支援をされています。今日まで、2000人の利用者がおられます。これまでは二十代~四十代男性が解雇と同時に住まいを失ったケースが多かったのです。しかし、ここのところ、DVから逃げた母子や高齢者も増えています。労働政策の見直しや社会保障の充実が必要、と担当者は強調します。

シェルター利用者の中には中学生が親代わりに手続きなどしている家庭があります。しかし、住所が定まらないと広島市の場合は行政サービスにつながらないのです。「広島市はシングルマザーに冷たすぎる。」と担当者は憤ります。

◆広島の都市づくりは「わや」

「広島の都市づくりは「わや」(広島弁で無茶苦茶、という意味)じゃ」。

二葉山トンネルを考える市民の会の越智俊二さんは断じます。二葉山トンネルは現在、工事が中断し、2020年完成予定がのびのびになりました。費用も爆増しています。トンネル掘るカッターが故障しまくりです。そして不可解な事業費増額も相次ぎました。当初の87億どころか345億円まで工事費は増額しています。

そして、大林組主導のJVも壊れやすいカッターをわざわざ使っており、施工管理委員会で誰も問題にしない状況です。その委員は、陥没事故を起こした外環道の委員と同じでした。

シールドマシンは騒音規制の対象ではないため、住民は迷惑しています。そして、団地で異常隆起しても委員会は上のことに感知しないという、無責任な状態です。そして有料道路は本来40年間で無料化のはずが92年後に無料化先延ばしになっており、踏んだり蹴ったりです。

一方、安佐南区の上安産廃処分場では盛り土崩落しました。汚染水も出ています。この盛り土は2021年7月に崩壊して多数の犠牲者を出した熱海の盛り土よりも大きな盛り土で、段切せず滑りやすいものです。

しかも、耐震基準は水平振動のみ対象でたったの140ガルです。しかも地震動は山地形では増幅されやすく盛り土上部ではよく揺れます。豪雨にも弱いのです。

◆野党内でも「自民幕府」に阿る人たちを打倒する「高杉晋作」を!筆者強調

筆者も、手を上げて発言を求めました。

筆者は「高杉晋作は、どうやって幕府を倒したか?まず、長州藩の中で、幕府に阿る人たち、すなわち俗論派を絵堂・大田の戦いで打倒し、その上で討幕に向かった。」

「広島においては、自民、公明は言うに及ばず、立憲民主党も知事や市長に阿っている。野党の中でも自民党幕府に阿る人たちを打倒する高杉晋作のような人間が必要だ。自民、公明、立憲を打倒する高杉晋作のような人の登場を一人でも多く望む」と、檄を飛ばしました。

うなずく出席者も多くおられましたが、シーンとなってしまいました。それでもあとから何人かから「よく言ってくれた」というおほめをいただきました。

◆サミット翼賛体制だ!

田村和之・広島大学名誉教授からはまとめのコメントをいただきました。

今の広島の政治は「G7広島サミット翼賛体制になっている。法的な根拠もなく、市民の行動を制限している。」と指摘しています。実際に、サミット期間中は、宮島の観光を制限するなど、市民生活には多くの影響が出ます。

田村名誉教授は、このサミットに伴う行動規制について、「ねらい・効果は現在の体制を肯定し、無批判に従う風潮を拡大するもの。」と憤ります。

そして、広島の政治の特徴としては中央官僚出身の首長ばかりがトップを占めていることです。

湯崎県知事 通産省、自公民推薦
松井広島市長 厚労省 自公民推薦
枝広福山市長 財務省 自立公民推薦。

中央政府の政策を忠実に実施し、県民・市民福祉を軽視しているという点で共通しています。そのうち、湯崎知事は四期目でやりたい放題であり、松井市長は開発行政に邁進しています。そして、議会が全く機能しておらず、知事・市長の翼賛機関だ、と糾弾しました。

平和行政についても、2021年6月、日本国憲法が登場しない【平和推進基本条例】ができてしまいました。この条例では、核兵器禁止条約の締結・批准も求めません。

「県民・市民は各分野ではよく取り組んでいるがそれらの力が一つになっていない。各課題についての認識が共有できていない。また、労働運動も生活課題に取り組むべき。」などと指摘しました。

◆リニューアルできるか? 広島の政治

今回の集いでも、また、筆者が政治活動で接する自民党支持者含む多くの広島県民・市民が広島の政治に不満を持っていることは実感しています。

問題は、それが、4月9日執行の広島市長選挙、広島県議会議員選挙、広島市議会議員選挙の結果に反映されるかどうかでした。

広島市長選挙については無投票の雰囲気もありましたが、共産党新人の高見あつみさん、そして無所属の大山ひろしさんが相次ぎ立候補を表明しました。正直、松井市長を打倒するところまではいかずとも、論戦が盛り上がり、過去は圧勝しまくりだった現職の松井さんを少しでも追い上げられれば、少しは市政も引き締まると思われました。ただ、結果は松井さんが8割近い得票で再選されました。

また、市長の暴走に待ったをかけられなかった市議会の自民多数派、公明、立憲の現職議員。

また知事や教育長をここまで増長させた県議会の同じく自民、公明、立憲の現職議員。

そうした人たちを市民・県民が一人でも多く打倒できるか? も焦点でした。自民党は後退したものの、県議会では河井陣営からお金をもらった方も当選されていますし、組織をバックにした人の強さが目立ちました。筆者自身も県議選に参加し、終盤では、組織の力に跳ね返されてしまいました。組織中心、お金中心の広島の政治の在り方をリニューアルする先頭にあきらめずに立ち続けます。

市議会では、中央では自民よりも新自由主義寄りの維新が3議席を新たに獲得しました。実は維新でも個々人では筆者の知人でリベラルな本音をよく存じている方も多いのですが、松井市政に対してどういう動きをされるのか? 一市民として注視してまいります。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士 1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。2023年広島県議選にも立候補。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)。
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月刊『紙の爆弾』2023年5月号

読売新聞「押し紙」裁判〈1〉元店主が敗訴、不可解な裁判官の交代劇、東京地裁から大阪地裁へ野村武範裁判官が異動 黒薮哲哉

4月20日、読売新聞の元店主・濱中勇さんが読売新聞社に対して大阪地裁に提起した「押し紙」裁判の判決があった。

判決内容の評価については、日を改めてわたしなりの見解を公開する。本稿では判決の結論とこの裁判を通じてわたしが抱いた違和感を記録に留めておく。ここで言う違和感とは、判決の直前にわたしが想像した最高裁事務総局の司法官僚らの黒幕のイメージである。

まず判決の結論は、濱中さんの敗訴だった。濱中さんは、「押し紙」による被害として約1億3000万円の損害賠償を請求していたが、大阪地裁はこの請求を棄却した。その一方で、濱中さんに対して読売への約1000万円の支払を命じた。補助金を返済するように求めた読売の主張をほぼ全面的に認めたのである。

つまり大阪地裁は、「押し紙」の被害を訴えた濱中さんを全面的に敗訴させ、逆に約1000万円の支払を命じたのである。

◆権力構造の歯車としての新聞業界

判決は20日の午後1時10分に大阪地裁の1007号法廷で言い渡される予定になっていた。わたしは新幹線で東京から大阪へ向かった。新大阪駅で、濱中さんの代理人・江上武幸弁護士に同行させてもらい大阪地裁へ到着した。判決の言い渡しまで時間があったので、1階のロビーで時間をつぶした。そして1時が過ぎたころに、エレベーターで10階へ上がった。

注目されている裁判ということもあって、1007号法廷の出入口付近には、すでに傍聴希望者らが集まっていた。ジャンバーを着た販売店主ふうのひとの姿もあった。

わたしは濱中さんが読売を提訴した2020年から、この裁判を取材してきた。そして読売も他社と同様に「押し紙」政策を取ってきたという確信を深めた。少なくとも販売店に過剰な新聞が溢れていたこと事実は確認した。それ自体が問題なのである。

濱中さんが「押し紙」を断ったことを示すショートメールも裁判所へ提出されている。搬入部数のロック(読者数の増減とは無関係に搬入部数を固定する行為)も確認できた。従って、裁判所が「政治的判断」をしなければ、濱中さんの勝訴だと予想していた。

ここで言う「政治判断」とは、司法官僚による裁判への介入である。日本で最大の新聞社である読売が敗訴した場合、新聞業界が崩壊する可能性が高い。それを避けるために司法官僚が介入して、濱中さんの訴えを退ける判決を下すように指導する行為のことである。

こうした適用を受ける裁判は、俗に「報告事件」と呼ばれる。生田暉夫弁護士あら、幾人かの裁判官経験者らが、それを問題視している。わたしは最高裁事務総局に対する情報公開請求により、「報告事件」の存在そのものは確認している。

ただ、報告事件の可能性に言及するためには、判決文そのものに論理の破綻がないかを見極める必要がある。よほど頭が切れる裁判官が判決の方向性を「修正」しないかぎり、論理が破綻しておかしな文章になってしまう。今回の読売裁判の判決は、達意と正確な論理という作文の最低条件すら備えていない。(これについては、別稿で検証する)。それゆえに判決文を公開して、「報告事件」の可能性を検証する必要があるのだ。

ここ数年に提起された「押し紙」裁判では、判決の直前に不可解なことが立て続けに起きている。結審の直前に裁判官が交代したり、判決の言い渡しが延期になったりしたあげく、販売店が敗訴する例が続いている。もちろんそれだけを理由に「報告事件」と決めつけることはできないが、社会通念からして同じパターンが繰り返される不自然さは免れない。

たとえば日経新聞の「押し紙」裁判では、店主が書面で20回以上も「押し紙」を断っていながら、裁判所は日経による「押し紙」行為を認定しなかった。産経新聞の「押し紙」裁判では、「減紙要求」を産経が拒否した行為について、「いわゆる押し紙に当たり得る」と認定していながら、「原告が顧客名簿の開示に応じないなどの対応をしていた」ことを理由に、損害賠償を認めなかった。この産経「押し紙」裁判の判決を書いたのは、野村武範という裁判官だった。

野村裁判官は、産経の「押し紙」裁判が結審する直前に、東京高裁から東京地裁へ異動して、同裁判の新しい裁判長になった。なぜ司法官僚が裁判官を交代させたのかは不明だが、取材者のわたしから見れば、原告の元店主が圧倒的に優位に裁判を進めていたからではないかと推測される。司法官僚が新聞社を守りたかったというのが、わたしの推測だ。

わたしは念のために野村裁判官の経歴を調べてみた。その結果、不自然な足跡を発見した。次に示すように野村裁判官が名古屋地裁から東京高裁に赴任したのは、2020年4月である。そして同年の5月に東京地裁へ異動した。東京高裁での在籍日数は40日である。不自然きわまりない。

2020年 5.11 東京地裁判事・東京簡裁判事
2020年 4. 1 東京高裁判事・東京簡裁判事
2017年 4. 1 名古屋地裁判事・名古屋簡裁判事

わたしは野村裁判官を自分の頭の中のブラックリストに登録した。このブラックリストは、他にも裁判官や悪徳弁護士が登録されている。いずれも要注意の人物である。わたしから見れば、日本の司法制度を機能不全に陥れている人々である。

◆要注意の裁判官

判決言渡しの時間が近づくにつれて、緊張が増した。仮に読売が敗訴すれば、「押し紙」を柱とした新聞のビジネスモデルは、一気に崩壊へ向かう。メディアの革命となる。地方紙のレベルでは、佐賀新聞のケースのように「押し紙」を認定して、新聞社に損害賠償を命じた裁判もある。従って一抹の希望を持って、わざわざ来阪したのである。

わたしは廊下のベンチから立ち上がり、法廷の出入口に張り出してある告知に目を向けた。次の瞬間、自分の目を疑った。これまでこの裁判を担当してきた3人の裁判官の名前が見当たらなかった。その代わりに次の3名の裁判官の名前があった。その中のひとりは、ブラックリストの筆頭の人物だった。野村武範が急遽裁判長になっていたのだ。

野村武範
山中耕一
田崎里歩

わたしはベンチに座っている江上弁護士に、

「敗訴です」

と、言って苦笑した。それから事情を説明した。

◆鹿砦社の裁判を担当した池上尚子裁判官も関与

判決は、濱中さんの敗訴だった。野村裁判長が判決文を読み上げた。既に述べたように判決は、濱中さんを敗訴させただけではなく、濱中さんに約1000万円の支払いを命じていた。

しかし、判決文には新任の野村裁判長らの名前はなかった。前任の3人の裁判官が判決を下したことになっていた。つまり法的に見れば、これの裁判は「報告事件」ではない。前任の3人の裁判官が判決を下したのである。

ただ、司法官僚が野村裁判長を大阪地裁へ送り込んだのは4月1日で、判決日が20日なので、この間の引き継で内容の調整が行われた可能性は否定できない。このあたりの事情については、今後、前任の池上尚子裁判官を取材したいと考えている。池上尚子は鹿砦社とカウンター運動の裁判でも裁判長を務め、不可解な判決を書いた人である。

判決直前の数週間に何があったのかは、当事者しか知りえないが、判決文そのものを検証することは誰にでもできる。論理の破綻や矛盾がないか、今後、慎重に検討して、判決の評価を定めなければならない。(つづく)

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

4月25日発売!黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』
黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

伊方原発運転差し止め広島裁判 ── 南海トラフ地震とリンクせぬ杜撰な避難計画 被告の四国電力は反論できず さとうしゅういち

4月19日(水)、伊方原発運転差し止め広島裁判の第32回口頭弁論が広島地裁で行われました。

 
広島地裁

この裁判は、あの東電福島原発事故から5年に当たる2016年3月11日に広島市民らが、四国電力を相手取って伊方原発3号機の運転差し止めを求めて提訴しました。現在では広島県内だけでなく、伊方原発に近い愛媛県八幡浜市を含む全国各地から原告が加わっています。

この伊方原発運転差し止め裁判の「人証調べ」が始まりました。この人証調べとは、生身の人間が証言し、それが証拠となることです。虚偽答弁をすれば偽証罪に問われます。

この日は、原告でもある哲野イサクさん(戸籍名:伊奈道明さん)が避難計画について研究するwebジャーナリストとしての立場で証言しました。まずは、原告側弁護人による主尋問に答える形で哲野さんが伊方原発による避難計画について述べました。その内容は、避難計画の杜撰さを暴露するものでした。

◆広島市は国の指示待ち、県は指示要望も国はなしのつぶて

南海トラフ地震についての防災計画はもちろん、広島県も広島市もあります。ところが、伊方原発事故が発生した場合の避難計画は広島県も広島市もありません。もし伊方原発が過酷事故を起こせば、原子力規制庁の楽観的なシナリオでも広島市も4ミリシーベルト以上のヒバクを1週間ですることが読み取れます。

 
 

※また、瀬戸内海、太田川を伝って、汚染水が原爆ドームなど中心部はもちろん、安佐南区の長束・西原あたりまでさかのぼることが予想されます。実際に、このあたりまで海水が遡上しているので、当然、放射能も遡上するのは明らかです(筆者注)。

南海トラフ地震では広島市内は多くの場所で震度6弱と想定されますが、中区の全域や西区、南区などでは液状化が予想されます。液状化により道路なども寸断される可能性が高く、放射能(や放射能を含む海水)が襲ってきても避難は極めて困難です。

そうした中で、広島市は、哲野さんの問い合わせに対して避難計画はない、国の指示がなければ作成しない、というのです。

筆者の元職場である広島県は、市よりは少しマシだそうです。県は国に対して避難計画作成の指示をするように文書で要望をしているそうですがなしのつぶてのようです。

広島県の担当者は「県独自で避難計画を立てられないのか?」と問うた哲野さんに対して、「原発事故の避難計画を作成できるだけの人材も予算もノウハウもない」と回答しているそうです。

◆伊方周辺の原発事故避難計画、南海トラフ地震は全くリンクせず

では、原発事故が想定される地元の愛媛県はどうか?哲野さんは、愛媛県内と山口県上関町(上関原発計画があるが、実は伊方原発に近い)が対象となっている避難計画についても全く機能しない、と指摘します。

原発事故の避難計画は地元の伊方町のいわゆるPAZ地域、そしていわゆるUPZの伊方町、八幡浜市、大洲市、西予市、宇和島市、伊予市、内子町については策定されています。

しかし、この避難計画も南海トラフ地震とは全くリンクさせていません。他方で、南海トラフ地震の防災計画には伊方原発事故は想定されていない。要は、南海トラフ地震に続いて伊方原発事故が起きるというシナリオは想定外なのです。

さて、この避難計画によると、クルマ(自家用車)での避難を基本としつつ、クルマでの避難が困難な人については愛媛県バス協会がバスを提供して避難してもらうことになっています。

原子力防災対策 広域避難計画(愛媛県原子力情報)

名目上は、避難に必要な輸送力は確保しているように思えます。しかし、実際には、バスはいろいろなところで通常運行されています。原発事故が起きたからといって、すぐに路線バスや観光バスとして運行されているバスを避難用に回すのは机上の空論です。

そして、致命的なのは、時間軸がこの避難計画にはないことです。原発事故における避難は時間との戦いです。しかし、この避難計画には、その時間軸がない。これではもたもたしているうちに人々はヒバクしてしまいます。

そして、さらに致命的なのは、南海トラフ地震でインフラが壊滅することを想定していないことです。伊方町の国道197号線は、多くの区間で、斜面が片側または両側から迫っていたり、脇が崖だったりします。震度6強程度の揺れに見舞われれば多くの区間で土砂崩れ、がけ崩れによりずたずたになり、避難どころではなくなります。

また、佐田岬半島西部(三崎町)の人たちは、東側に原発がある以上、西へ向けて海経由で避難するしかありません。しかし、南海トラフ地震では、多くの港の設備が崩壊すると予想されています。そんな中で、船で避難するどころではありません。

また、南海トラフ地震が起きれば、避難計画で避難先とされている松山市でも家屋の倒壊などで8万人以上が避難を強いられる予測です。そういう中で原発による避難民を受け入れる余裕があるのでしょうか?

また、地震で負傷した伊方町民らを避難させるのにはどうすればいいのでしょうか? これも想定されていません。

この避難計画は、一応、国の原子力防災会議で承認はされていますが、ほとんど会議では審議されていません。

他方、アメリカでは、事故発生時の天候や時刻など様々な条件をきちんとシミュレーションして避難計画を立てることが義務付けられています。そうしたことを背景にニューヨーク州のロードアイランド電灯会社によるショアハム原発が避難計画をまともに立てられず、住民の反対運動もあって、いったん完成したものの、営業運転することなく廃炉に追い込まれています。

◆被告・四国電力弁護士の反対尋問、避難計画そのものの矛盾に言及できず

被告・四国電力の弁護士が、この後、哲野さんに反対尋問を行いました。しかし、その内容は、「哲野さんの著書に避難計画についてのものがあるのか?」とか「イギリスやフランスの避難計画はどうなっているのか?」などでした。

哲野さんの主張の根幹である避難計画が南海トラフ地震とリンクしておらず、全く機能しないことへの反論は全く聞くことができませんでした。

次回の口頭弁論は5月31日(水)11時からです。被告・四国電力社員への人証調べが行われます。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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