《殺人現場探訪11》 本庄保険金殺人「人間養豚場」と「宝の山」に浮上する疑問

1999年の夏から翌2000年にかけてマスコミで大々的に報道され、世間の耳目を集めた本庄保険金殺人事件。2件の保険金殺人と1件の保険金殺人未遂の罪に問われ、2008年に死刑確定した元金融業者の八木茂死刑囚(67)は一貫して無実を訴え、さいたま地裁に再審請求中だ。冤罪の疑いを指摘する声がまださほど多くない事件だが、実は事件現場を訪ねだけでも八木死刑囚に対する死刑判決の有罪認定に疑問を抱かせる事実が散見される――。

◆「人間養豚場」から逃げ出さなかったというストーリーの違和感

確定判決によると、八木死刑囚は95年6月、保険をかけていた元工員の男性(当時45)にトリカブトを摂取させて殺害し、保険金3億円をだまし取った。さらに98年から99年にかけて、やはり保険をかけていた元パチンコ店従業員の男性(同61)と元塗装工の男性(同38)を連日、大量の風邪薬と酒を飲ませ続ける手口で殺害したとされた。八木死刑囚は逮捕以来、一貫して無実を訴えていたが、共犯者とされた愛人女性3人がこれらの容疑をいずれも認めていたことが決め手となり、有罪、死刑とされたのだ。

では、現場で散見される有罪認定に疑問を抱かせる事実とは何か。第一の疑問は、被害者とされる男性たちが暮らしていた家から浮上した。

というのも、この事件が話題になった当初、週刊誌では、八木死刑囚が債務者の男性たちに「人間養豚場」と称するプレハブ建築のような劣悪な住居をあてがい、愛人女性と偽装結婚させて保険に加入させると、まるで真綿を締めるようにアルコール漬けにし、身体を徐々に蝕ませていたように報道されていた。だが、その「人間養豚場」の建物を確認するために現地を訪ねたところ、それが八木死刑囚の愛人女性が営んでいたパブと同じ敷地内にあったのだが、本当に何の変哲もない普通のプレハブ小屋なのだ。

八木死刑囚の裁判でも「被害者」とされる男性たちは生命の危機に瀕するまで八木死刑囚の愛人の営むパブや小料理屋で飲食していたとされるが、彼らは別に「人間養豚場」と呼ばれるプレハブ小屋に閉じ込められていたわけではない。建物を見る限り、男性たちは身の危険を感じればいくらでも逃げれたように思え、裁判で認定されたストーリーはどうもしっくりこないのだ。

「人間養豚場」と呼ばれたプレハブ小屋

◆トリカブト採取現場界隈の人たちの不可解な反応

第二の疑問は、八木死刑囚が凶器のトリカブトを採取した現場とされる長野県・八ヶ岳の美濃戸という場所を訪ねた時に浮上した。共犯者とされる愛人女性の1人によると、八木死刑囚と一緒にトリカブトを採取するために美濃戸を訪ねた際、大量のトリカブトを見つけた八木死刑囚は「俺は美濃戸が気に入った。美濃戸は宝の山だ」などと発言していたそうだ。そしてたしかにこのあたりはトリカブトが多く自生していた。

だが、このあたりで聞き込みをしてみても、八木死刑囚が美濃戸にトリカブトを採取に来たという話を知っている人が誰もいないのだ。八木死刑囚がトリカブトを採取している場面を目撃したという人物が誰もいないとしても、警察が捜査に来ていれば、そういう話は広まりそうなものである。このことには、何とも不可解な思いにさせられた。

ちなみに八木死刑囚が逮捕された当時の報道では、八木死刑囚の「関係各所」からトリカブトが発見されたという報道もあったが、裁判ではデマだったことが明らかになっている。犯行を自白した3人の愛人女性についても、自白内容は過酷な取り調べで植えつけられた「偽りの記憶」であるとする心理学鑑定の結果もあり、八木死刑囚がクロだと示す証拠は意外に乏しい。

再審請求の行く末を注目する価値はあると思う。

八木死刑囚のトリカブトの採取現場とされる美濃戸

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』9月号!さよなら安倍政権【保存版】不祥事まとめ25
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

信頼ガタつくTBS 『マツコの知らない世界』貴重資料紛失事件のその後

TBS系バラエティー番組『マツコの知らない世界』(毎週火曜 後8:57)の公式サイトは、番組出演者から預かった資料を紛失したことを報告するとともに、資料の情報提供を呼びかけている。サイトに7月9日までに掲載された「お知らせ」では「2016年10月18日放送の『号外の世界』で、出演者の小林宗之氏からお預かりしていた貴重な資料の一部を、番組の不注意で紛失してしまいました」と報告。

小林近現代資料文庫HPより

すでに、小林氏とは和解しているといい「番組では引き続き、紛失した号外を捜しています」とし、紛失した資料として「明治17年8月30日付東京日日新聞号外(葉書号外)裏表1点ずつ『清佛要件の電報を特に御報申上候』」「昭和16年12月8日付 大阪毎日新聞号外 『ハワイ等奇襲奏功』」「昭和16年12月8日付 名古屋新聞第2号外『ホノルルを大空襲』」など計8点の資料写真を添え、捜索への協力を呼びかけている。

小林氏も自身のサイトで「TBS側に貸出した資料のうち、8点を紛失されるという事件が発生しました」と記し「TBS側により警視庁赤坂署に16年12月5日付で紛失届を提出済ですが、現在に至るまで、資料の返還を受けられておらず、資料も発見されておりません。もし、どこかで発見された場合は、是非ともご一報くださいますようお願いいたします」と呼びかけている。

小林氏とは5月頃に別件で情報提供をも求め、電話をかけた際に上記事件が発生したことは知らされていた。当時はまだ和解には至っておらず、TBSはずいぶんいい加減なことをするものだなと、しばし話し込んだ。

小林氏はこれまでも関西テレビの「ウラマヨ」や、CBCテレビの「ノブナガ」 に出演したことがあり、新聞や雑誌にも多数掲載されている。小林氏の所有する三陸沖地震の新聞資料は極めて貴重で、京都新聞の一面、社会面、28面に一挙に掲載されたこともある。新聞研究家あり、とりわけ号外研究・収集にかける小林氏の熱意は凄まじいいの一言に尽きる。小林氏に電話をかけて「また、珍しいもんを見つけましてねー」と嬉しそうな声が聞こえるときは、新しいコレクションが加わった時だ。国内新聞の資料・号外だけでなく、世界中の新聞の号外を時には人的繋がりで、あるいはオークションで落札することにより、地道に所蔵物を増やしている。

今回貴重な資料を紛失された事件については、TBS側と和解が成立しているものの、感想を聞くと「和解はしましたが、そりゃあ腹が立ちますよ。お金でいくらというものではないですから」と腹の虫がおさまらない様子だ。

それにしても、新聞資料収集・号外収集特集で番組に出演させておいて、その資料を失ってしまうなどということは、全国ネットのテレビ局としては、断じてあってはならないことだ。しかも、8点も行方不明にしてしまったというのだから、番組制作は下請け会社に丸投げしているのだろうが、TBSの信用の根本にかかわる問題だ。研究者・収集家にとってコレクションは何にも代えがたい貴重な分身のようなもので、「失くしてしまってごめんなさい」で済む話ではない。

TBSのガタツキぶりが感じられる事件でもある。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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『ガンを越え、めざせ地平線!!』著者、エミコさんが元気で良かった!

『ガンを越え、めざせ地平線!!』(鹿砦社2001年)

久し振りにいい話です――。

ちょっと前、長年書類置き場兼倉庫にしていたマンションが建て替えられるということになり立ち退きました。その整理の際、すっかり失くなっていたと思っていたスクラップが出てきました。実際、12年前の「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧での家宅捜索や、私不在の中での事務所撤去の際に失くなった資料類は数多あります。

スクラップの中に、『ガンを越え、めざせ地平線!!』の記事が出てきました。朝日新聞全国版はじめ多くのメディアに紹介していただき絶賛された本です。本も増刷を重ねました。「鹿砦社らしくない本ですね」などと冗談半分に揶揄されましたが、最も鹿砦社らしい本じゃないか(苦笑)。

著者はエミコ・シール(旧姓・阪口恵美子さん。2001年の記事では旧姓で表記)さん。もう15年余りの前のことで忘れていましたが、8月20日の朝日新聞を開いたら彼女の記事が目に止まりました。

記事を読めば、彼女も生死の境を乗り越え、ずいぶんと苦労されたようです。懐かしい! 生きてられたんだ。さらに挑戦されようとしています。

長いこと所在不明だったスクラップが出てきたのもなにかの因縁だろうか……。
(『ガンを越え、めざせ地平線!!』は品切れです。電子書籍など復刊を検討したいと思います。)

(松岡利康 鹿砦社代表)

朝日新聞2017年8月20日付け朝刊
朝日新聞2001年1月31日付け夕刊
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多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

山谷夏祭りと慰安婦映画 ── 「現場」とそこにいる人に「触れる」

毎年恒例の山谷夏祭りと、戦後72年が経過して観る慰安婦映画について、お伝えする。

◆運動現場に起こりがちな問題に対し、丁寧に対処する姿勢を山谷にみる

2017年の山谷夏祭りは8月5日(土)と6日(日)、「日雇労働者の権利を奪うな! 白手帳取り上げ反対!」をテーマに開催された。山谷夏祭りでは、「この社会でもっとも貧しい人々、社会の中で搾取抑圧を受け厳しい立場におかれている人々である野宿の仲間たちが中心となって楽しめる祭り」を目指している。

わたしは越年闘争や夏祭り、集会などで幾度か山谷を訪れているが、特にこの夏祭りの笑顔や踊りは印象的だ。5日、あまり長時間の参加がかなわなかったが、スケジュールを確認すると、アルミ缶交換、めし作り、よりあい、めし(ひつまぶし風どんぶり/カレー)、追悼、乾杯、屋台、ステージ演奏(ジンタらムータ・Swing MASA・中川五郎・蟹座・岡大介)、カラオケ、盆踊り(炭坑節・東京音頭・大東京音頭・ドンパン節)など、やはり盛りだくさんの充実した内容となっている。

山谷は労働運動、貧困・格差解消のための運動に携わるわたしたちにとって、現場の1つではあるものの、象徴のような場だ。

白手帳とは日雇労働被保険者手帳のことで、雇用保険法が規定する日雇いや30日以内の短期間の仕事をする人は、まず居住区のハローワークでこの手帳の交付を受けられる(ことになっている)。しかし、建設労働以外の職種では白手帳はほとんど知られていない。建設労働者は本来、全国の現場を渡り歩いているので、大阪・名古屋・横浜などの日雇職安で白手帳を作ることができ、東京・山谷地区での管轄は玉姫および河原町労働出張所である。労働者は賃金の支払いを受ける際、この手帳を提出して会社に印紙を貼ってもらう(日雇労働者を雇用する事業主は印紙の貼付を義務づけられているにもかかわらず、貼らない業者が増えている)。2カ月間で26枚以上印紙が貼られている手帳を持参すれば、ハローワークで求職申し込みをしたうえで仕事が見つからなければ、翌月13日分以上の給付金が受けられる。この給付金は「あぶれ手当」と呼ばれ、仕事を得られなければ、前月の賃金に応じて日に4,100~7,500円が支給される。

全国のハローワークと日雇職安を統括する厚生労働省は、近年、わずかな不正行為を口実に「あぶれ手当」の支給を厳しくしただけでなく、日雇労働者から白手帳を取り上げるという締め付けを強行しようとしている。印紙の枚数が少なくアブレ受給の可能性が低いという理由で日雇雇用保険そのものから脱退させようというのだ。日雇労働者を雇っても印紙を貼らない業者が大多数であるという実態は問題にせず、逆に労働者に印紙を貼れないなら無保険になれと手帳を取り上げる。ただでさえ不安定な日雇労働者の権利を根こそぎ奪おうとする国のこの動きに反対運動が行われている。

また山谷の活動では、撮影や差別・抑圧の問題等にも真正面から取り組んでいる。あらゆる運動において、さまざまな問題がみられるが、それを継続や権力保持のために誰かが握りつぶそうとするさまを10年あまりで数えきれないほど目撃し、耳にもしてきた。そのためにわたしが距離を置いた運動も多くあるが、山谷では、そのような問題に真摯に向かっているという印象をもっている。活動のはじめにハラスメントの問題に対してセーファースペースがあることを伝えたりする習慣があり、今回も撮影や差別・抑圧の問題に関する資料をきちんと配布しているのだ。民主主義を現場から実現しなければ、社会を変えることなどできるはずがない。

9月30日土曜日には、1984年12月22日、天皇主義右翼・金町一家に殺された佐藤満夫監督の遺志を引き継ぎ、日雇全協・山谷争議団の山岡強一さん(87年1月13日に同様に殺された)が完成させた「山谷(やま)──やられたらやりかえせ」がplan-Bにて上映される。これを観ると、山谷の原点や、社会の差別・抑圧・支配構造がよくわかるかもしれない。

◆貴重な「最後の記録」に、1人ひとりの怒り・痛み・哀しみをみる

万愛花さん © 2015 ドキュメンタリー映画舎 人間の手

その前には専修大学にて、「班忠義監督作品特集──日・中・韓を結ぶ25年の記録」の中の「太陽がほしい──『慰安婦』とよばれた中国女性たちの人生の記録」を観ていた。本作は、「チョンおばさんのクニ」「ガイサンシーとその姉妹たち」と戦時性暴力被害を受けた女性たちを取り上げたドキュメンタリー2作を経た班監督が、750名余りの支援を受けて製作した120分の作品だ。

共産党員として拷問を受け、性暴力を受けたうえ、脇毛を抜かれたり銃床で殴られたり軍靴で蹴られたりして全身を骨折した万愛花さん。隊長や日本兵からの性暴力を毎日受け、無理矢理自宅から連行される際に銃床で殴られて左肩に後遺症が残った劉面換さん。隊長や日本兵・清郷隊という傀儡軍隊員などからの性暴力を受け、陰部を切り裂かれたりして精神状態にも悪影響が及んだ郭喜翠さん。ほか、計6?7名を中心とし、当時の具体的な話やエピソードを語ってもらい、その後から現在にいたるまでの苦悩も描いている。彼女たちはその後、心身の健康被害が残っただけでなく、日本兵に協力したものとして差別を受け、貧困に陥り、現在、病院に行くことすらままならない。長い月日を経たものの当時の記憶はみな鮮明で、振り返りながら涙が止まらなくなる。告発しながら舞台で卒倒してしまう人もいた。

▼班忠義(Ban Zhongyi)監督 1958年、撫順市に生まれる。95年、中国人元「慰安婦」を支援する会を発足。99年、ドキュメンタリー映画『チョンおばさんのクニ』(シグロ製作)を監督。07年、ドキュメンタリー映画『ガイサンシーとその姉妹たち』(シグロ製作)を監督。10年、ドキュメンタリー映画『亡命』(シグロ製作)を監督

作品の途中、小さな希望を抱かされるものの、ラストでは多くの女性がすでに亡くなってしまったことが告げられる。わたしは「間に合わなかった」という絶望感を抱かざるをえなかったが、現在の日本に生きる者として、何度でもそこからまた始めなければならない。上映後のトークでも班忠義監督は、「被害者として知っている女性の生存者は、中国全土で8人前後。完全に歴史になった。取材はもうできない。記憶の伝達が難しく、限界がある」と語った。

本作では、戦中戦後の中国の歴史も大変わかりやすく綴られ、37?43年に華北方面で活動した共産党軍(紅軍)である八路軍(はちろぐん)についても触れられる。班監督は現在、日本に住んでいるが、『亡命』という作品も手がけており、トークでも習近平以降の監視が厳しく、撮影や上映もままならない状況についても語った。ゲストの専修大学教授で中国文学・思想史を専門とする土屋昌明先生も、「日本では沖縄以外でありえないほど、中国は厳しい状況。これが法律で決まっている。2016年、映画祭をやろうとしたら、電線を切られ、フィルムを没収され、映画学校が取り潰しになった」という。そして監督は最後に、「大事なのは、歴史をどう残すかということと、関係を築いて他国や人間を理解すること。わたしのようなバカなヤツがたくさん、本当に必要」と締めくくった。

「太陽がほしい」は、1人ひとりの女性の思いがストレートに伝わってきて、胸に突き刺さる。このようなドキュメンタリーは、多くはない。わたしは「チョンおばさんのクニ」「ガイサンシーとその姉妹たち」のDVDを購入した。

この時期、足を運んだり映像によって現場・当時を「生々しく」知ることで、労働者の仲間のこと、戦争のことなど、改めて考えたい。

「太陽がほしい──『慰安婦』とよばれた中国女性たちの人生の記録」

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年、千葉県生まれ。フリーライター、エディター。『紙の爆弾』『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』などに寄稿。労働や女性などに関する社会運動に携わる。映画評・監督インタビュー執筆、映画パンフレット制作・寄稿、イベント司会なども手がける。

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#安寧通信解析〈2〉李信恵を「深い沼」へ導いた研究者とジャーナリストたち

 
 

 

前回(7月27日掲載)に引き続き、2014年10月7日に発行された『#安寧通信』vol.0の解析を続ける。関西学院大学教授金明秀に続いての登場は、南ソウル大学日本語科助教授の桜井信栄だ。

◆南ソウル大学日本語科助教授の桜井信栄

「皆さんこんにちは。私は2013年から東京の路上でデモ隊に直接抗議をしてきたほか、ソウル光化門(クァンファムン)で日本の反韓でデモに反対するプラカードデモを続けてきました」
から始まる桜井の文章は、「私自身も『がんばります』という精神で信恵さんの支援を続けていきたいと思います」で結ばれている。桜井信栄といっても、それほどの著名人ではないので、取材班も桜井の名前と人となりについては全く知識がなかったが、取材を進めるうちに、「M君リンチ事件」のあと、ツイッターに「M君」の実名を明かし、誹謗する書き込みを行っていた人物であることが判明した。しかも桜井はこの書きこみの中で、神戸大学木村幹教授を皮肉り、鹿砦社の名前まで持ち出している(桜井のこの書き込みは南ソウル大学で問題化し、南ソウル大学の担当者が神戸大学まで謝罪に訪れたという噂もある)。桜井はいわば、「しばき隊」ソウル支局長といったところか。このように二重加害は国境を越えて行われていたのだ。

桜井信栄=南ソウル大学日本語科助教授のツイッターより

◆龍谷大学法科大学院教授の金尚均(キムサンギュン)

そして「京都朝鮮学校襲撃事件」の原告であり、龍谷大学法科大学院教授の金尚均(キムサンギュン)がコメントを寄せている。ここではっきりと断っておかなければならないが、金尚均は「M君リンチ事件」の隠蔽や二次加害には一切加担していない人物である。自身の子息が通っていた「京都朝鮮学校」が在特会などの、質の悪い団体に襲撃された事件では原告となり、堂々とした闘いの末に勝利(民事訴訟で1200万円を超える損害賠償金)を勝ち取っている人物である。業績も多く学者としての評価も高い。

「京都朝鮮学校襲撃事件」原告である金尚均は原則に立ち返れば、「救援」8月10日号に東京造形大学教授の前田朗が論じたような立場を明確にできる人物ではないか、との期待を込めて紹介したまでである。

 
 

ちなみに、金尚均の文章のあとに「京都朝鮮学校襲撃事件」の解説文が掲載されている。この文章には「あらま」と署名がある。「あらま」は「M君リンチ事件」前はM君と交流があったものの、事件後は一転して加害者側に転じた人物である。

◆李信恵を「パイオニア」と評する野間易通(C.R.A.C)

次頁は本年逝去した泥憲和の「李さん泣くな、一緒に生きよう」が登場。次いで登場の野間易通(C.R.A.C)は、
「この裁判を起こすのに、どれだけの労力と勇気、そして何よりも精神的なタフさが必要だったか。李信恵さんの気持ちを日本人支援者は簡単に「わか」ってはいけない。我々は、裁かれる側でもある。だから、パイオニアを孤立させない」
と殊勝なメッセージを送っているが、野間の人間性を知る取材班としては、この言葉を額面通りには受け止めることはできない。事実、野間はその後「M君」の実名や所属大学をツイッターで晒し、「M君」から民事訴訟を起こされ1審で敗訴。9月から大阪高裁で控訴審が始まる人物である。

野間の寄せた短文の結び「パイオニアは孤立させない」は、これまで在日コリアンとして、様々な生活防衛あるいは、差別に対する攻撃と闘ってきた先人に対して失礼ではないだろうか。李信恵がこの裁判を起こすにあたって、相当な覚悟や嫌がらせを覚悟したことは想像できる。しかし李信恵を「パイオニア」と評するのは、例えば入管闘争、日韓条約反対闘争(日・韓両国における)、指紋押捺拒否の闘い、朝鮮高校卒業生への大学資格を認めさせる闘いなど、緒戦線を闘ってきた先人が眼中にない表現だ。

◆「M君リンチ事件」実行犯の一人「凡」

そして同じ頁の下段には「ぼんさん 凡ドドラジオ」、つまり「M君リンチ事件」実行犯の一人「凡」が登場する。「凡」の文章は短い。
「俺の友達がまた勇気を振り絞った。その隣に立つ以外の選択肢はない」
コリアNGOセンターの金光敏による詩的文章にも通ずるこの一文。注目すべきは主語がないことだ。「俺の友達がまた勇気を振り絞った」、いいだろう。これはだれが読んでも李信恵のことだ。だが、「その隣に立つ以外選択肢はない」のは誰だ?李信恵の友人全員か? それとも、「凡」個人か? そしてなぜ「隣に立つ以外選択肢はない」のだ?

このような細部にこだわるのは、この短い文章が「M君リンチ事件」現場における、「凡」が果たした役回りとそっくりだからである。「凡」の言葉はこう書き換えることができる。
「エル金がMに暴力を振るった。その隣に立つ以外の選択肢はない」

事実事件はそのように進行し、「凡」は長時間にわたる「エル金」が「M君」に振るう暴力をいくらでも制止できたにもかかわらず、積極的制止を行っていない。それどころか「凡」自身も「M君」の顔を殴っている。
これらは、『#安寧通信』vol.1が発行された2カ月ほど後に「M君リンチ事件」が起きたがゆえに、遡り解読を試みているのである。もし事件が起こらければ、単なる「言いがかり」と切り捨てられるかもしれないが、残念ながら事件は起きてしまったのだ。「闇の奥には何があったのか」解き明かす作業は奇異であろうか。

◆安田浩一と西岡研介の態度と行動

続いて登場は安田浩一だ。14行にわたる文章の中で安田は、
「差別と偏見の最前線で、もっとも激しく傷ついてきた信恵さんに、もっともつらい選択肢を強いてしまったんじゃないかという思いが僕にはある。だから僕は、ありったけの支援をしたい。いや、一緒に闘いたい」
と、非常に強いトーンで李信恵への共感と共闘を宣言している。それは結構だ。何度も繰り返すが、相手は在特会などの差別確信犯なのだから。

しかし、だからといって、この裁判を李信恵が闘うことが、ほかの生活や発信、なかんずく「M君リンチ事件」への関与を免罪するものでは全くない。この裁判で李信恵は原告であり、被害者だ。しかし、2か月後には「言葉」だけでなく、「暴力」も伴った長時間の「M君リンチ事件」に李信恵は「加害者」として関与した。そのことは李信恵が「M君」に送った「謝罪文」で明らかだ。あの「謝罪文」は嘘、虚構というなら話は別だが。

安田は取材班田所の電話取材に対して「どうしてこんなことに興味をもつのか」、「運動に分断を持ち込むもの」、「誰が喜ぶか顔が見える」などと「李信恵無謬論」を展開したが、事実の前では無茶が過ぎるのだ。事実に忠実に価値判断ができなければジャーナリストとして(それ以前に人間として)誤った道を選択してしまう。いまそれを体現しているのが安田浩一だ。

 
 

そして、同頁下段に登場は、やはりジャーナリストにして「M君リンチ事件」隠蔽において大きな役割を果たす西岡研介だ。西岡は9行の文章の最後をこう結んでいる。

「だから私は李信恵の闘いを率先して、そして最後まで支援する。これまでにも十分すぎるほど傷ついた彼女を最前線に立たせる――ということに忸怩たる思いを抱えながら」

読者の皆さんはお気づきであろうか。西岡の文末と安田の文章。相談などしたわけではなかろうが、訴えようとしている内容が非常に似通っている。好意的に判断すれば、彼らの立場で李信恵を裁判闘争に向かわせることへの、呵責(かしゃく)を同じ立場の人が感じた、ただそれだけのことかもしれない(たぶんそうだろう)。

問題は、李信恵の裁判支援だけならば結構であった二人の類似性と行動が、「M君リンチ事件」に対する態度でも同様に表出したことだ。そして「ジャーナリスト」として一定以上の知名度のある安田と西岡の行動は、取り返しのつかない「深い沼」へと結果として李信恵を導いてしまう。 (つづく)

(鹿砦社特別取材班)

 

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《殺人現場探訪10》 飯塚事件 現場に行けば誰でもわかる目撃証言の嘘

1992年に福岡県飯塚市で女児2人が殺害された「飯塚事件」では、一貫して無実を訴えながら2008年に死刑執行された久間三千年氏(享年70)について、足利事件同様のDNA型鑑定のミスによる冤罪だった疑いが根強く指摘されている。現在は福岡高裁(岡田信裁判長)で再審請求即時抗告審が行われているが、その実質的な審理も終わり、福岡高裁が再審の可否をどのように判断するのかに注目が集まっている。

私は過去、この飯塚事件の関係現場を何度か訪ねて回ったが、中でも印象深かったのは、被害者の女児たちのランドセルや衣服など遺留品が遺棄されていた現場だった。久間氏の裁判では、ある人物がこのあたりで久間氏やその車を目撃したかのような証言をしており、有罪の根拠の1つにされている。しかし、現場を一度でも訪ねてみれば、この目撃証言には微塵の信用性も認められないことがすぐわかるのだ。

このカーブの脇の山中に女児2人の遺留品が遺棄されていた

◆不自然なほど詳細な証言

その目撃証言は一体どんなものなのかを見る前に、まずは事実関係を整理しておこう。

福岡地裁が宣告した確定死刑判決によると、久間氏は1992年2月20日朝、登校中の小1の女児2人を車で連れ去って殺害し、2人の遺体を「八丁峠」と呼ばれる峠道脇の山中に遺棄したとされた。そして遺体遺棄現場から八丁峠を数キロ上方に進んだあたりで、女児2人のランドセルや衣服、下着をやはり道路脇の山中に遺棄したとされている。問題の目撃証人は地元の森林組合で働いていた男性だが、その男性は事件当日の午前11時頃、このあたりを車で通過した際に目撃した人物とその車について、次のような証言をしている(長いので、読み飛ばして頂いても構わない)。

〈軽四輪貨物自動車を運転して国道三二二号線を通って八丁峠を下りながら組合事務所に戻る途中、八丁苑キャンプ場事務所の手前約二〇〇メートル付近の反対車線の道路上に紺色ワンボックスタイプの自動車が対向して停車しており、その助手席横付近の路肩から車の前の方に中年の男が歩いてくるのをその約61.3メートル手前で発見した。その瞬間、男は路肩で足を滑らせたように前のめりに倒れて両手を前についた。右自動車の停車していた場所がカーブであったことや、男の様子を見て、「何をしているのだろう、変だな。」という気持ちで、停車している車の方を見ながらその横を通り過ぎ、更に振り返って見たところ、車の前に出ようとしていたはずの男が車の左後ろ付近の路肩で道路側に背を向けて立っているのが見えた。男は、四〇代の中年位で、カッターシャツに茶色のベストを着ており、髪の毛は長めで前の方が禿げているようだった。また、停車していた自動車は、紺色ワンボックスタイプで、後輪は、前輪よりも小さく、ダブルタイヤだった。後輪の車軸部分は、中の方にへこんでおり、車軸の周囲(円周)は黒かった。リアウインドー(バックドアのガラス)及びサイドリアウインドーには色付きのフィルムが貼ってあった。車体の横の部分にカラーのラインはなかったが、サイドモールはあったように思う。型式は古いと思う。ダブルタイヤだったので、マツダの車だと思っていた〉(確定死刑判決より引用。原文ママ)

おそらく多くの人が読み飛ばしただろうが、この目撃証人の証言内容が驚くほど詳細だったことは十分にわかったろう。しかし実際には、この目撃証人は急カーブが相次ぐ八丁峠の山道を車で下りながら、すれ違う際にせいぜい10秒程度、問題の人物や車を見ただけだった。それでいながら、これだけ詳細な証言ができたというのはあまりにも不自然だ。

遺体遺棄現場には小さな地蔵が祀られている

◆現場を車で走ってみたところ……

私は2015年3月、弁護団が現場で行った一般参加OKの実験に参加し、自分も目撃証人と同じように現場を車で走り、視認状況を確認したことがある。その際、遺留品遺棄現場あたりに停車していた車やそのかたわらにいた人物の存在こそ確認できたが、あまりに一瞬のことで、車や人物の特徴などほとんど覚えられなかった。そして私以外の多くの参加者たちも同様の感想だった。それゆえに私は、現場を一度でも訪ねてみれば、この目撃証言には微塵の信用性も認められないことがすぐわかる――と言ったのだ。

この目撃証人については、裁判中から捜査官の誘導により、久間さんの車を目撃したかのような証言をするようになった疑いが指摘されてきた。再審請求即時抗告審では、弁護側が捜査記録を再検証したことにより、捜査員があらかじめ久間さんの家を訪ねて車の特徴を確認したうえで目撃証人に事情聴取していた疑いも浮上している。ぜひとも再審が始まり、この目撃証言に関する警察、検察の捜査も再検証されて欲しいものである。

なお、私が目撃証人と同じように現場を車で走り、視認状況を確認した際の動画をここに紹介した。


◎[参考動画]飯塚事件 目撃証人の視認状況の実験(片岡健2015年03月07日公開)

3分10秒過ぎに出てくるのが「仮想の久間氏とその車」だが、読者の方々もこの動画を観れば、目撃証人の証言内容の詳細さがいかに不自然かが改めてよくわかるはずだ。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』9月号!さよなら安倍政権【保存版】不祥事まとめ25
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

私の内なるタイとムエタイ〈5〉 国境の街ノンカイと忘れじのミーチャイター寺

フアランポーン駅からこの列車に乗ってノンカイへ向かいます
二等列車の雰囲気、まあまあいい席です

得度式を見届けた後、その日のうちにバンコクに戻ると、早速の渋滞に巻き込まれました。バンコクでタクシーに乗れば昔と違いメーターが使われますが、それを使わず、値段交渉で高値を言ってくる運転手もいます。それはボッタクリと狙いがちょっとだけ違い、渋滞に巻き込まれたら時間のロスのみでメーターはさほど上がらず、利益に繋がらない様子です。それでやたら高速道路を使いたがり、当然、高速料金は乗客持ちですが、その方が利益率が上がるようです。

◆ラオス国境の街、ノンカイへ

ノンカイ行き列車で注文した弁当カオパット(焼飯)

そんな鬱陶しいバンコクを離れ、この翌日からタイ東北部のラオス国境の街、ノンカイに向かいました。シンガポールに行っていた友人も合流しました。

前日のうちにバンコクのフアランポーン駅近くのホテルに泊まり、翌朝には友人が近くの寺を見に散歩に出掛けた様子です。

「大勢の托鉢僧が歩いていましたよ」という戻って来た友人の言葉。「しまった、俺も行けばよかった」と思ってもすでに遅し。早起きが苦手は損です。

ノンカイは私が比丘の時、ラオスへビザ申請に行くため、「オモロイ坊主」藤川清弘さんと立ち寄った街でした。その時泊めてもらったのがノンカイ駅近くのメコン河沿いにあるミーチャイター寺でした。

そこの和尚さんは藤川さんと私がラオスに渡る際に、ビエンチャンにある知人僧の寺に行って泊まれるよう紹介してくれて少々のお金を持たせてくれた和尚さんでした。そこが懐かしく、今回はただ立ち寄るだけですが、いろいろ想いが過ぎります。

ガイヤーン(焼鳥=鶏の炭火焼)を売りに来たちょっとオカマっぽい兄さん

◆快適な二等列車でノンカイへ

時間も迫り、8時20分発のノンカイ行き列車に乗るため、早めに駅に入りました。駅に着いてしばらくするとタイ国歌が流れました。毎朝8時の国家行事、歩いている人は立ち止まり、座っている人は起立し皆、直立不動になります。

比丘として藤川さんと一緒にノンカイに向かった日も、夕方6時に国歌が流れたことを思い出しました。比丘と俗人では立場違う、緊張感も異なる瞬間でもありました。

以前は夜行寝台一等列車で行きましたが、今回は二等列車。乗り込んだ車内を見ると、総武線快速のような粗末な座席の並び。「これは違うぞ」と察知し隣の車両へ、するとありました旅行者向きリクライニングシートの座席。さっきの“総武線”は3等車、ここは快適な二等車と納得。

やがて昼飯の注文を取りに来る列車乗務員かわからない立ち振舞いのお兄さん。終点ノンカイ到着は夕方5時30分頃の予定。長旅をのんびり風景を楽しみながら行くには快適な列車の旅でした。

外の風景はバンコクのドンムアン空港を過ぎると、この辺から都心を離れた田んぼや畑に山や川の自然が続きます。地域毎に物売りも乗って来て、賑やかに勧めてくるも、鳥の炭火焼やもち米御飯、あまり欲しいとは思えないものばかり。注文した弁当はチャーハンでしたが、作り置きらしさはあっても旅の中で食べれば美味しいものでした。

タイの車窓から、コーンケーンを過ぎた辺りでしょうか
ホントに誰とも出会わない新ノンカイ駅周辺

◆寺が見当たらない

午後を回ると、そろそろ到着後の事を想定しました。

「18時から読経があると思うので、荷物持ったまま寺に行きましょう」と友人に断り、予定より若干の遅れて17時50分頃ノンカイ到着。この終着駅近くにミーチャイター寺が“あるはず”でした。

列車を降りると小綺麗な駅の構内と駅前風景。建て替えられたと思うも、駅前通りも広くて綺麗な道。とりあえず寺のあるはずの方向へ向かいました。

「人通りが全く無く、車も少ないぞ」と思ってもまだ「こっちだ」と固定観念から覚めぬ愚かさ。

少々歩くと団地の前で、赤ちゃんを抱いた主婦と幼い子を連れた主婦が、どこの国でもあるような井戸端会議をしている姿を発見。「こんな佇まいっていいなあ」と思う光景でした。

早速道を聞き、「ミーチャイター寺はどこにありますか?」と聞いてもわからない様子で、「寺はこの辺には無いよ……」と言う不可解そうな表情。

「メコン河沿いにあるんですが……」と付け加えると、「ああ、あの寺ね!」と気付いてくれ、「方向が違うよ、もっとあっちの大通り……」と指差し表情豊かに、説明が気さくで私らを旅行者と思っていないような振舞い。

「地元民らしさが滲み出ている、いい奥さんだなあ」と思いつつ、御礼を行ってその場を去りました。

◆寺はちゃんとあった

「ここに住んでどれぐらいですか」とか「日本人に会ったことありますか」と聞いてみたいところ、人通りの少ない道で、どこの馬の骨かわからないオッサン二人が長居するところではない。それより私らは寺に行きたいのだ。すると、道端に止めた休憩中のトゥクトゥクの運ちゃんに声掛けられ、ミーチャイター寺を交渉。今度はすぐにわかってくれました。

乗ってみればスイカが幾つも雑に置かれた足のやり場の無い荷台席。運ちゃんは「マイペンライ(大丈夫、気にするな)」と言われても、これが何とも勝手気ままなタイらしさが出ている運ちゃんでした。

寺の方向が違う時点でやっと気付いた、“ノンカイ駅は移動した”ことである。なんて愚かな私。来る前にyahooで調べておけば済むことでした。トゥクトゥクが寺の方向に向かうとやがて脳裏に記憶が蘇りました。旧ノンカイ駅があってその前の道が人通り多い活気ある“ケーウ・ウォラウット通り”で、少々街中側に歩けばミーチャイター寺があります。そのとおりにトゥクトゥクは寺の門をくぐってクティ(僧宿舎)の前で止まりました。

「寺はちゃんとあった」と言うまでもない安堵感。やはりこの寺も20年も建てば改築され、綺麗なクティとなっていました。メコン河沿いにあるので、寺のすぐ横は川幅1kmほどあると言われる泥水の大きなメコン河です。そこは元は船着場となっていて、“ター”はそれを意味し“ミーチャイター”と呼ばれる寺なのです。以前は土手だった川沿いも、今やコンクリート敷きの歩道と柵があり綺麗になった分、自然が減った感じがしました。

ノンカイのミーチャイター寺本堂、私にとってだけ思い出深い寺

◆比丘として訪れた懐かしい寺

外に居たネーン(少年僧)に「和尚さんは居ますか? 和尚さんはこの僧ですか?」と22年前に撮った和尚さんの写真を見せると「ハイ、この僧です。でも和尚はインドネシアに行っているので今は留守です。6月1日に帰って来ます」と言われてガッカリ。

われわれは帰国日が迫っているのでひとつの箇所で長居は出来ない。恩返しもあってぜひ会いたかった和尚さんでしたが、和尚さんが以前と変わりないことだけ分かっただけでも次に繋がったと喜べるのでした。以前居た他の比丘は誰も居ない様子で、挨拶をメモ書きしたその写真をネーンに渡し、「22年前の日本人が尋ねて来たことを伝えてください」と伝言しました。

ホテルに行ってチェックイン後、夜の街を散策。市場が幾つかあるようで、そのひとつに導いてくれたトゥクトゥクの運ちゃん。賑やかな屋台が並ぶ街中でしたが、その日の晩飯をそこで摂りました。

寺巡りは単に私が比丘として訪れた懐かしい寺でしかありませんが、観光地では行かない土地巡りという視点も重要な目的でやって来たノンカイの街。翌日には、当初は予定になかった対岸のラオスに向かうことになります。

ノンカイ側から見たメコン河

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』9月号!さよなら安倍政権【保存版】不祥事まとめ25
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

ムエローク2017.3rd 伊藤紗弥、天才少女から伝説の女王への飛躍!

ワイクルーも綺麗だった両者の舞い
崩れないファチャンライに蹴り負けない展開を見せた伊藤紗弥
後半はロープに詰める攻めが目立った伊藤紗弥

伊藤紗弥(尚武会)がミニフライ級で世界統一を目指す第一歩、WMC世界ミニフライ級王座奪取。今後同級でWPMF世界王座、WBCムエタイ世界王座を狙い、ムエタイとして世界主要3団体となる王座統一を目指しています。

試合はやや体格差が影響したか、蹴り返してくるファランチャイに突破口が見い出せない印象も、次第に追う展開に導きスタミナ豊富にポイントで優った勝利で世界王座奪取。

久世秀樹(レンジャー)はムエタイの壁に阻まれる展開。2ラウンド後半からコチャサーンが始動開始、主導権を奪われジワジワと攻められていく。久世がパンチで攻めるところは優位に見えてもゴチャサーンは体幹がブレず冷静。久世はヒジ打ちを貰って口の中を切ったと思われる中、攻めてもバランスの悪い体勢。内容的にも大差が付いた世界挑戦でした。

山田航暉(キングムエ)は、スピーディーな展開で挑戦者.鳩(=あつむ/TSKJapan)に判定勝利。鳩は蹴り負けず追い上げるも一歩及ばず、テクニックを酷使した見応えある攻防の末、山田航暉が王座初防衛。

翔センチャイジムは首相撲に持ち込めば独壇場、DAIJUに何もさせない展開で左ヒジ打ちで倒す。離れた展開ならDAIJUも蹴り技があるが、そうさせない翔センチャイのムエタイ技が優り王座復帰に成功。

◎ムエローク2017.3rd / 8月11日(祝)
八王子市富士森体育館14:30~18:25
主催:尚武会 / 認定:WMC

◆WMC女子世界ミニフライ級(105LBS/47.627kg)王座決定戦 5回戦(2分制/両者計量はパス)

伊藤紗弥(元・WPMF世界ピン級(45.359kg)C /尚武会)
VS
ファチャンライ・ソー・サンチャイ(タイ)
勝者:伊藤紗弥 / 判定3-0
主審:テーチャカリン・チューワタナ
副審:ナルンチョン49-48. ノッパデーソン49-48. ソンマイ49-48

世界統一への第一歩を果たした伊藤紗弥、WMC立会人(左)と尚武会・今井勝義会長に囲まれて撮影
日本で王座奪取のコチャサーンの今後はどう展開するか

◆WMC世界フェザー級王座決定戦 5回戦(両者計量はパス)

ルンピニー系フェザー級2位.コチャサーン・ウォー・ウィワッタナーン(タイ)
VS
久世秀樹(前・WPMF日本同級C/レンジャー)
勝者:コチャサーン・ウォー・ウィワッタナーン / 判定3-0
主審:ナルンチョン・ギャットニワット
副審:テーチャカリン、ノッパデーソン、ソンマイ / 49-48. 50-47. 50-47. 担当三者の該当採点は不明

パンチ、前蹴りのヒットもあったテクニシャンの久世、しかし体幹いいコチャサーンは怯まず上手かった

◆WMC日本スーパーフライ級タイトルマッチ 5回戦(両者計量はパス)

チャンピオン.山田航暉(キングムエ)vs挑戦者.鳩(=あつむ/TSKJapan)
勝者:山田航暉 / 判定3-0
主審:ノッパデーソン・チューワタナ
副審:テーチャカリン49-48. ナルンチョン50-47. ヌンポントーン49-48

山田航暉の蹴りが優っていき、好ファイトとなる激闘を制す
左から2人目はキングムエジム佐藤孝也会長
組み合ったらムエタイ技活きる翔センチャイの独壇場、ヒジ打ちが勝負の決め手となる
最後はヒジ打ちを放ったところで崩れ落ちたDAIJU
初代から3代目へ王座復帰した翔センチャイジム(=佐藤翔太)

◆WMC日本ライト級王座決定戦 5回戦(両者計量はパス)

翔センチャイジム(=佐藤翔太/初代C/センチャイ)vsDAIJU(尚武会)
勝者:翔センチャイジム / TKO 3R 0:37 / 左ヒジ打ちでノックダウン、カウント中のレフェリーストップ
主審:ソンマーイ・ケーウセーン

◆ピン級(100LBS)3回戦(2分制)

小宮山怜虎(尚武会)vs石渡悠真(エイワスポーツ)
引分け / 0-1
主審:ヌンポントーン・バンコクストアー
副審:ノッパデーソン29-29. ソンマイ28-29. ナルンチョン29-29

◆ウェルター級3回戦

柿沼慶(ボゴナクラブ)vs J(TSK Japan)
勝者:J=ジェイ / TKO 3R 0:20 / 右ハイキックでノックダウン、カウント中のレフェリーストップ
主審:テーチャナリン・チューワタナ

◆ウェルター級3回戦

千里KissMe(安曇野の会)vs 誠(レンジャー)
勝者:誠 / TKO 2R 2:26 / 左ストレートでノックダウン、カウント中のレフェリーストップ
主審:ナルンチョン・ギャットニワット

◆68.0kg契約3回戦

駒形けんた(レンジャー)vs 引間羅普(尚武会)
勝者:駒形けんた / TKO 2R 1:17 / パンチのラッシュでスタンディングダウン、カウント中のレフェリーストップ
主審:ソンマイ・ケーウセーン

他、アマチュアカード5試合は割愛します。

《取材戦記》

計量結果は入手出来ず、ウェイト競技として不完全な記録掲載となってしまいました。前日計量では全員正式にリミット内パスしています。

当初、アトム級(102LBS/-46.266kg)で世界統一を目指すとされた伊藤紗弥の世界戦が、前日になってミニフライ級(105LBS/-47.627kg)に変更されました。前日計量で、WMC側との契約の解釈違いがあった模様。プロボクシング世界戦ではこんな解釈違いが起こったことはありません。

試合後に今井会長が「伊藤紗弥は今後もこの階級(ミニフライ級=-105LBS)で世界統一狙います」と言ってくれましたので、そう捉えましたが、今後の成り行きによって狙う階級は流動的と感じました。

公表されている限りにおいて、元々ムエタイ世界主要3団体にアトム級は無いものの、今後新設される可能性があり、その場合はアトム級で世界統一を目指し、無ければミニフライ級で世界統一を目指すことになるでしょう。

体格差というのは軽量級に於いては、1ポンドの差でも大きな差になるといいます。
今回の試合もファチャンライはミニフライ級リミットを大きく下回るも、アトム級を少し超えた状態で来たので、若干の体格差が出たようでした。しかし伊藤紗弥の実力から言って、ライトフライ級(108LBS=-48.987kg)でもいける可能性があり、実力発揮して今後はミニフライ級統一成れば、上位階級も狙って欲しいものです。

日本のキックボクシング・ムエタイで、多くの興行プロモーションが存在すること自体は、プロボクシングと同じで何も間違ったことではありません。ただ協会(団体)がひとつではないこと、団体加盟しないフリーの興行でも充分成り立つことで、多くのタイトル組織認定化が進んでしまいました。

そんな中、本場タイ国で発祥したタイトル組織の傘下で位置付けされる権威の下、活動されているのが、WPMF、WMC及びWBCムエタイの傘下となる日本3団体で、この中でも生き残りが展開されている現在、尚武会の今井勝義会長が期待を掛ける伊藤紗弥は、女子軽量級に於いて主要3団体制覇を狙うのは最も価値ある頂点でしょう。

次は11月にNJKF興行に於いて、WBCムエタイ・インターナショナル・ミニフライ級王座を狙うことになります。WBCムエタイは、いきなり世界挑戦は出来ないので段階的に中間のインター王座を狙うことになります。

更に来年4月にはタイ国でのWPMF認定のビッグマッチ興行出場と、戦う路線は決定済。那須川天心と対戦したこともある “天才少女”と言われたジュニアムエタイ時代からプロデビュー後、順調に成長しテレビで扱われることも増え、シュートボクシングのRENA以上の注目を集めたり、3団体世界王座統一に成功すれば、“伝説の女王”の称号に相応しい存在となることでしょう。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

デジ鹿再開3周年!深まる危機に日々抗し、〈タブーなき言論〉をこれからも!

自己撞着的ではなはだ恐縮であるが本日8月18日は、お読みいただいている「デジタル鹿砦社通信」がリニューアルをして3周年にあたる。読者の皆様にはあまり関係のないことだけれども、日ごろよりご愛読いただいている皆様に、執筆者一同、まずは深く感謝を申し上げたい。
3年前の2014年をかえりみると、たった3年の間に社会、とりわけこの島国ではずいぶん急速な変化生じていた。本コラムの再出発は3年前の8月18日だが、2014年1年間にスパンを広げると、以下のことが起きている。以下2014年からこれまでの主だった出来事をふりかえってみる。

▼2014年
・2月 舛添要一が東京と知事に当選
・3月 自ら辞職した橋下徹が大阪市長に再当選
・3月 48年前に逮捕され死刑が確定していた袴田さんに再審の開始を認め刑の執行停止釈放
・4月 消費税が5%から8%に引き上げられる
・5月 福井地裁大飯原発3・4号機の運転差し止めを命じる判決
・6月 日本維新の会、分党を正式決定、2012年9月の結党から1年9カ月で解散
・7月 集団的自衛権を認める解釈改憲を閣議決定
・11月 沖縄知事選で翁長雄志が現職の仲井眞弘多を破り当選
・12月 特定秘密保護法施行
・12月 総選挙、自公が326議席を獲得し与党勝利
▼2015年
・1月 岡田克也が民主党代表に選ばれる
・4月 高浜原発3、4号機の再稼働差し止めの仮処分命令を福井地裁が関西電力に下す
・5月 SEALDs発足
・5月 大阪都構想を問う住民投票。反対多数で否決。橋下徹は政治家引退を宣言
・7月 安保法案成立
・8月 川内原発1号機が再稼働
・10月 防衛装備庁設置
・10月 維新の党を離党した大阪市の橋下市長・大阪府の松井知事らは、大阪市で国会議員19人が参加する新党「おおさか維新の会」の結党大会を開催
▼2016年
・3月 民主・維新の両党などが合併した新党『民進党』結党大会が行われる
・4月 熊本地震
・6月 沖縄県議会議員選挙。県政与党が改選前の24議席から27議席に伸ばし、過半数を獲得
・6月 舛添要一知事が辞表を議長に提出
・6月 18歳選挙権に関連する改正公職選挙法が施行
・7月 参議院選挙、自民・公明の連立与党は合計70議席を獲得し勝利
・7月 都知事選で小池百合子当選
・9月 民進党代表に蓮舫選出
・12月 統合型リゾート推進法案修正案(カジノ法)成立
▼2017年
・1月 ドナルド・トランプ米国大統領就任
・1月 森友学園問題報道が始まる
・3月 韓国大統領朴槿恵罷免
・7月 都議選で自民史上最低の獲得議席23で惨敗
・7月 安倍内閣の支持率低下、報道機関によっては20%台を記録
自然災害や、国際ニュースを織り交ぜればこれほど単純な抽出では収まらないが、この3年間の初頭は2013年に強行採決された特定秘密保護法をはじめとし、安倍政権のやりたい放題からはじまった印象が強い。マスメディアは安倍政権と並走した。今年の6月まで、一部の新聞を除いて大手新聞、テレビは安倍政権への「忖度」にいそしみ、「権力監視」などほったらかしにしていた。
でも、もう遠い昔の人のように感じられる舛添要一が都知事に当選したのはわずか3年前、失脚したのは昨年のことだ。消費税が5%から8%に引き上げられ、直前には「駆け込みみ需要」で業種を問わず大わらわであったようだが、その後1年すると中小企業は軒並み減収減益を記録する。
逆に株式市場や大手企業の業績は好調維持し、労働組合ではなく首相安倍が「給与の引き上げ」を企業に求める、という非常に不健全なやり取りが行われた。「TPP絶対反対」を掲げていた自民党は政権に戻ると、一転して「TPP積極推進」に180度態度を翻したが、米国大統領にドナルド・トランプ就任し「TPPなんかやらないよ」と言い出すと、急いで安倍はトランプに会いに行き「TPPやりましょうよ……」と依頼するという、予想外の展開となった。
もう新聞紙面で「TPP」の文字を見ることすらほとんどなくなったが、自民党のあの馬鹿げた熱中はいったい何に依拠していたものなのだろうか。甘利経産大臣のあの暗躍はいったいどこに収斂されたのだろう。
この3年間で私たちは「特定秘密保護法」-「集団的自衛権容認」(解釈改憲)-「安保法制」(戦争推進法)-「共謀罪」と川上から川下へ水が流れるように、治安立法と戦争準備の法制を許してきた。この先には水平線の見えない治安弾圧と、戦争の大海が待ち受けている。もう河口が見えて、いよいよ河川から海洋へと流れが解け行く、段階が現在、2017年8月18日だろう。
「多勢に無勢」、「時代という強迫」、「信じるに値するのか、そうでないのかが不明な市民」……。そういった悲観的な言葉に支配されがちであるが、どの時代でも人間は生きてきたのであり、飢えのひどい飢餓の国で、きょうも新生児は生まれている。いい加減濁った河川を何十年も眺めていると、諦めや絶望、疲れた気持ちに支配されがちの日々、それでも私たちはこれからも「ごまめの歯ぎしり」を続けていこうと思う。
デジタル鹿砦社通信はこの時代にあって、真に自由で闊達、タブーのない言論をさらに志向し実践してゆきたいと、自省しながら、再度思いを引き締めようと思う。「希望がなければ、私たちが造り出す」くらいの身の丈を超えた気持ちで。
今後もデジタル鹿砦社通信をよろしくお願いいたします。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』9月号!さよなら安倍政権【保存版】不祥事まとめ25
多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

影書房よ、人の話を遮らずに聞きなさい

 
 

  
「ちなみに『♯鶴橋安寧』、昨日手に入ったので読みました。……。これを出してしまった、編集者の罪深さについて考えてしまいました……。褒めそやしている皆さんも、本当に残酷だなあと思います。でも私も性格悪いので、本人に会ったらおそらく褒めそやすと思います。とはいえもう、彼女に会う機会もそうそうない気がします」(フリーライター朴順梨から、元鹿砦社社員藤井正美へのメール2015年1月21日のメールより抜粋)。

「男前のネットストーカーなら歓迎しますが、粘着ブス女なら見つけ次第、しばき倒します。で、昨日やっと『♯鶴橋安寧』を購入しました。レジに行くまでに数ページめくって立ち読みしましたが、『これで出すか』と。数ページだけでも目に付くのはtwitterと同じようなイラつく文体、全体の構成の散漫さと、雑誌のコラムならまだしも、書籍としてはチラ見しただけで厳しいものがありました」(元鹿砦社社員藤井正美からフリーライター朴順梨への2015年1月22日のメールより抜粋)

オイオイ君たちは仲間じゃなかったのかい、と両氏に再度確認したくなるようなひどい表現だ。取材班はこれまで何度も述べてきたように、「M君リンチ事件」を追っている。重ね重ね強調するが李信恵の「M君リンチ事件」への態度には大いなる不信感を抱いているが、それと『♯鶴橋安寧』は別である(もっとも薄給で超多忙な取材班には『♯鶴橋安寧』を読んでいる暇はなく、また李信恵著作の揚げ足をとるような姑息なことをするつもりは毛頭ない)。

しかし、先日来、鹿砦社代表松岡がお伝えしてきているように(ここ数日は止まっているが)李信恵のTwitterでの書き込みには看過できない虚偽と名誉毀損が山積していた。そして朴順梨と藤井正美から罵倒された「影書房」も李信恵の書き込みに、リツイート並びに「いいね」をしている。

鹿砦社は「ややこしい出版社」と思われるかもしれないが、出版物ほか、ネット上の発信も自らが原則とする域を出ることがないように、最大限の努力をしている。しかし下記をご覧いただこう。

李信恵ツイッターより

  
下段の右端にははっきりと丸い枠で「影」の文字が確認できる。さらに
  

李信恵ツイッターより
 
 

 
李信恵が書き込んだ「鹿砦社はクソ」とまで罵倒された書き込みにも丸い「影」のマークが確認できる。小なりとはいえ出版業を営む同業者として、同業者への誹謗中傷に加担する場合、それなりの覚悟があってのことだろうと思慮し、その本意を確かめたく、7月28日影書房に電話で見解を聞いた。

  影書房です。

佐野 おじゃまいたします。私鹿砦社取材班の佐野と申します。お世話になります。そちらのツイッターを担当していらっしゃる方はいらっしゃいますでしょうか。

  ツイッターを担当……どういうことですか。

佐野 影書房様のツイッターのアカウントがあろうかと思うのですが、それをご担当なさっている方はいらっしゃいますでしょうか。

  こちら2人しか会社におりませんので、そのたんびに適当にやってるだけなんですけれど。

佐野 なるほど。恐れ入ります、ちょっと教えていただきたいのですけれども。昨夜に李信恵さんが書き込みをされまして、私共鹿砦社の誹謗中傷、事実無根のことを書かれたものにリツイートをされているのですが。

  誰がですか?

佐野 影書房様がです。

  何のツイートですか?

佐野 李信恵さんが昨夜いくつか書き込みをなさってるのをご覧いただいたらわかると思うのですが(取材班注:上記を中心とする李信恵が書き込んだものを指す)。

  そんな、うちしてます?

佐野 例えば、「鹿砦社と名乗らずに自宅に電話を掛けてきた田所敏夫は、辛淑玉オンニの友人だと最初に云った。そして、知り合いの名前を出してきたけどなんかこいつおかしいよなあと思って聞いたら、信用させようとしたのか共通の知人の」云云かんぬんというものにリツイートされてますね。

  してないでしょう、もう一度見てください、うちのを(取材班注:再度ここに示す通り明確に影書房のアイコンが確認できる)。

李信恵ツイッターより

佐野 いや今、私見ています。

  そんなものはしてないです。

佐野 出てますよ。画面上に。

  してないです。映ってないです、そんなもの。

佐野 映ってない。「いいね」もされてませんか?

  してないでしょう。

佐野 影書房様のアイコンは丸くて影という字で、プロフィールは東京豊島区の出版社・(株)影書房(かげしょぼう)の公式アカウントです。新刊・重版案内、既刊書情報(たまにbot)など、云云かんぬん、でフォロワーが2,085名いらっしゃるのがアカウントですよね。

 
 

  
  してないと思いますよ、どう考えても(取材班注:ここで「していない」から「していないと思いますよ」とトーンダウンする)。

佐野 おふたりしかいらっしゃらないのに、ではどうしてここに出てるんですか?

  ええ、どこに? 見た限りはないですよ、そういうものは。

佐野 ではなぜ私に見えるのですか?

  いや、わかんないですけど、真面目にないです。ほんとに。

佐野 ではですね、もう一つ別のことをお尋ねしますね。

  すみません、なんでそういうことをおっしゃるんですか? 何のためにそういうことをお電話されてきてるのか。

佐野 事実無根のこと李信恵さんが書かれてるからです。

  それは李信恵さんに追及されればいいだけで、我々のことではないでしょう。そして我々はリツイートしてません(取材班注:明確な虚偽だ。「鹿砦社はクソ」と李信恵が書き込んだものにも、リツイートもしくは「いいね」をしていることが画面上から確認できる)。

佐野 リツイートしてないけど名前が出てるんですね。

  名前が出てるってどういう意味ですか?

佐野 リツイートしたところに何人いて、そこをクリックするとリツイートした人のアカウントが出てくるわけですよね。

  ああ。とにかく映ってないですよ。今見てますけれども。すみませんもう一度お名前をおっしゃっていただけます?

佐野 鹿砦社の佐野と申します。

  佐野さんですね。

佐野 それからごめんなさい、ちょっと前の話になるのですが(取材班注:佐野の話を遮って)。

  すみません、その前にリツイートしてません。リツイートしてなくって、なおかつ何だか言われてる意味がよく分からないんですけれども。

佐野 これ、他の人からも指摘があって、皆さんが見れるところでそうなってるんですけれども。

  私たちがそれをリツイートしてないですし。

佐野 他の方に乗っ取られたというか、アカウント利用された、勝手にやられたということでしょうか。

  今自分のアカウントで何をリツイートしたり何をツイートしたかというのを見てますけれども、リツイートしてないです。「オイラも寄稿しました。みんな読んでね。」というのが最近の李信恵さんのツイートのリツイートであって、その鹿砦社について李信恵さんがツイートしたことをリツイートもしてませんし、その内容について承知もしてないです。

佐野 影書房さんのマークは丸ですか、四角ですか?

  丸ですけれども

佐野 四角の時もあります?

  昔は四角でしたけどツイッター社が丸にしちゃったんじゃないですか? 今現在私も見てますけど、してないです。そして何か事実無根のこと、自分に対して何か事実じゃないことをどなたかがされているのであれば、いろいろ言われてるのであれば、言ってる相手にきちんと追及したりとかしていただきたいんですけど。

佐野 もちろんします。ただし影書房さんは本年5月28日に野間易通氏が敗訴をした時に書き込んだツイート、これ被害者の本名が晒されてますけれども、そのツイートにリツイートかけてますよね。

  それもちょっとわかんないです。そんなこと言われても。してないと思います(取材班注:多数の書き込みの中から誠実に過去のリツイートや「いいね」を探すのであれば、相応の時間と手間がかかろうに、この女性は一切検証をせずに「していないと思います」と断言している)。

佐野 思うじゃなくて、こちらスクリーンショット取ってありますよ。動かぬ証拠ありますよ。
 

 
 

  
  ですから、何ですか? 覚えはないです。申し訳ないですが覚えはないですし、それをしたかどうかわかんないですけど、一つ一つについて事実じゃないっていうことについて何か問題があるのであれば、それはやった人に対して言うべきでしょ。

佐野 もちろん言いますよ。言いますけれども、あなた方こういう前科があるからお尋ねしている。

  前科って何ですか。今すぐ5月何日の自分たちが何をリツイートしたかなんてすぐちょっとわかんないですけれども(取材班注:分からなければ調べて再度連絡をさせればよいだけのことだ)、申し訳ないですけど、しかもリツイートしてるっていうことが全部それに対して、学術研究書じゃないんですから、それについて「その通りだー」っていうふうに我々がコメントしてるんですか? 我々がそれを支持するようなコメントしてるんですか?

佐野 野間易通氏が書いている内容の中に書かれてはならない(取材班注:影は佐野に全てを言わさずに遮り)

  それを全面的に支持していつも賛同してるからリツイートしてるとも限らないんですよ、申し訳ないですけどツイッターの場合は。なんか論文を書いたりとか何か意見書を書いてるっていうのであればそういうことはあるかもしれないですけど、しかも自分の言葉で書いてるわけじゃないんですから。

佐野 「いいね」をしてますよ、しかもこれを。「いいね」ってことは。

  読んだってことでしょう。そういうことを読んだっていうこととリツイートしてそれに賛同してそれを承認しているっていうこととは意味が違いますし(取材班注:確かに批判的にリツイートで書き込みを取り上げることはあろう。しかし、影書房は李信恵の『♯鶴橋安寧』を出版し、そのツイッターを見ても、李信恵やそれに連なる人びとを批判的には「リツイート」あるはい「いいね」していないので、この「読んだってことでしょう」は全く説得力を持たない)。

佐野 「いいね」というのは賛同じゃないんですか。

  ツイートについてはそこまでは、ごめんなさい悪いんですけれども、こちらもその……。

佐野 書き込み自体が名誉毀損のものに、あなた方は「いいね」としいてるからお尋ねしてるんですよ。書き込みの中に本来書かれてはならない被害者の氏名が書かれてるにも関わらず、それに「いいね」をなさっているんです。四角い影の時に。

  誤解されていて、それを読んだということについて読んだこと自体も何か犯罪だってことなんですか?(取材班注:そんな質問は全くしていない)

佐野 違います。さっきおっしゃたようにリツイートにはいろいろ解釈があるかもしれませんね。だけどこれはリツイートじゃない。「いいね」をしてるんです。

  「いいね」という時には、私なんかもそうですけども、誰がそれをリツイートしたのか「いいね」を押したのか覚えがないんで申し訳ないんですけれども、「いいね」という時にはそれに賛同をという意味ではなくて、「読んだ」とか「そういうこともあるんだね」というぐらいのことで、軽い形で押してることは多々あります(取材班注:そんな話を聞いたことがあるだろうか)。

佐野 出版社としてはそんな(取材班注:またも佐野をさえぎって)

  ですから何かしらの我々の見解を求めるのであれば、これについてどう思うのかってことを言っていたのと、リツイートしただろう、「いいね」押しただろうということだけで我々がその内容について犯罪に加担してるみたいなことを言われるのもちょっと腑に落ちないんですけど。しかも電話でいきなり。

佐野 具体的に申し上げてますよね、リンチ被害者が野間易通氏を訴えて(取材班注:またも佐野をさえぎって)

  電話でそういうことを言ってくるのはちょっとおかしいと思います、はっきり言って。

佐野 なぜおかしいんですか。

  何がおかしいんですかではなくて。

佐野 あなたさっき明確におっしゃいましたね、リツイートしてないと。

  なんで我々に電話してくるんですか? なぜ我々に対してそういうことを求めてくるんですか?
  

 
 

  
佐野 あなた方は我々と同じ社会的使命を持った出版社だからです。個人じゃないからですよ。

  電話で、しかもあなたが今電話されてきたのは、まず最初に昨夜李信恵さんが書いたツイートをリツイートしたかどうかということを確認されてきましたよね。してません。今確認する限りはしてないです。

佐野 してないけど出てくると。

  してないっていうことと、もうしたとかしてないとかいうことと、それと何かいろいろと関連付けていろんなことを言われても困ります。話が。何ですかその、最終的に何が言いたくて言われてるのか。小出しにいろんなことを言われても困ります、ほんとに(取材班注:論理が破綻すると相当に興奮してこちらの話をほとんど聞かなくなった)。

佐野 小出しに言ってるんじゃなくて、あなた方が「いいね」とかリツイートとかしている内容には多く名誉毀損とか事実無根のことが含まれるものをリツイートしたり「いいね」されているので。

  そういうことについては、じゃあそれはあるかもしれないですねということで認めておきます。

佐野 1回2回だったら、別にわざわざお電話差し上げませんが

  それは名誉毀損であるかどうかってことについてももっと確認しなきゃいけないですよね。

佐野 明らかに名誉毀損ですよ、「クソ」って言われてるんですから。

  なぜ電話でそんなことを言われなくちゃいけないんですか?

佐野 我々西宮ですから。わざわざ出かけて行かれない。東京でしょ、影書房さんって。

  何ですか、あなたが今電話してきた目的っていうのは、何かあなたに対して名誉毀損を起こされていることがあって……。
 
佐野 鹿砦社に対してです。

  それについて我々が何か名誉毀損について加担したりとか承認してるんじゃないかってことを問いただしたいってことで電話してきてるんですか?

佐野 そういうことです。

  そしたら最初からそういうふうにおっしゃればいいじゃないですか。全然全体像が見えなくてわかんないですよ。こんな電話でそんなこと言われて。

佐野 それは一つ一つ具体的に確認をしていかなければわからないじゃないですか。

  なんで急にそんな取り調べみたいなことされなきゃいけないんですか、電話で。

佐野 あなた方がリツイートなさってるからですよ。

  リツイートしただけではそういう内容にならないでしょってことを申し上げてます。そんな大きなことを言うんであれば、きちんともっとちゃんと全体像について論理的に一つ一つちゃんとやってくださいよ。電話でそういうことを言ってくるのはおかしいんじゃないですか、いきなり。

佐野 おかしくないです。全くおかしくないです。取材ですから、これは。

  取材! 取材なら取材としてきちんとしてくださいよ、申し込みを。

佐野 申し込みをするしないじゃない、あなた(取材班注:またしても遮り)

  これ取材なんですね、取材ならちゃんと申し込みをしてくださって、ちゃんとこういうことがあってこういう前提でそれについて聞きたいってことをちゃんと説明されるのが筋ってもんじゃないですか? 電話の仕方がおかしいんじゃないですか? 取材の申し込みの仕方がおかしいんじゃないですか?

佐野 あなた方の勝手な理屈です、それは。

  いやいや、おかしいです。そんななんかそういうふうな言い方するなんて。

佐野 被害者側が被害を問いただして(取材班注:またしても遮り)

  被害者! その事件の全体像についてもきちんとおっしゃってくださらないのに誰が被害者なのか。今鹿砦社がっていうふうにおっしゃいましたよね。

 
 

    
佐野 そうですよ。

  鹿砦社が被害者の話なんでしょ。

佐野 そうですよ。

  それについて全然分かんないですよ。

佐野 分からないじゃないじゃない。

  いったい誰が何をしたのかっていうことが全然分からないんですから。

佐野 少なくも影書房さんの(取材班注:とにかく佐野に話す間隙を与えない)

  そういう説明を何にもしてないじゃないですか、電話の中で。

佐野 あなた黙って聞きなさい、人の言うことを、いい加減に。

  すみませんけど一方的に取材だとか言いつつ、きちんと全体の説明もして下さらないのにお答えしようがないでしょう。

佐野 あなた聞かないからじゃない。

  聞かないからじゃなくて、あなたの説明の仕方がおかしいって言ってるんですよ。

佐野 違います、あなたが聞かないからです。私の言葉を遮るばかりで。

  違いますよ。なんか騙し討ちみたいな感じでいろいろ引っ掛けようとしてるように聞こえたので、あなたの言い分には乗らない方がいいなと途中で判断したんですよ。

佐野 言い分に乗らない方がいいんじゃ、じゃあこの今出ている(取材班注:重ねて遮られ)

  悪いんですけど、取材なら取材だっていうことできちんと申し込みをしてください。こんなふうに電話で最初にリツイートしただろうしてないだろうみたいな言い方とか、「いいね」をしただろうしてないだろうという言い方されるような形で話を引っ張ろうとするのは非常に不愉快ですし、正確に答えられません! 失礼します!

威勢よく電話を切った女性社員であった。上記に掲載した通り取材時点では確かに紹介した李信恵の最初の書き込みの末尾に「影」の文字が確認できる。ところが(事前に複数の証拠は確保していたが)取材後にさらにその様子を保存しようとツイッタ―を覗きこんだら、「影」の印が消えているではないか!

李信恵ツイッターより

電話取材終了後、半時間もたたずに、影書房はリツイートを削除したのだ。そうでなければ電話対応した女性が述べた通り、「リツイート」もしていないのだから、これもアカウント乗っ取りで「削除」されたのだろうか。

影書房の電話での回答が全く的外れであり、かつ猛烈な興奮状態でいい加減なことを発言しているのは、多くの読者にもご理解いただけるであろう。われわれは「クソ」と言われようが、それが市井の方であればいちいちこのように見解を糾しはしない。影書房はわれわれ同様、社会的存在の出版社ではないのか。あまりにも理不尽な回答にわれわれは、決して納得していない。何よりも李信恵の「鹿砦社はクソ」発言へのリツイートを8月11日現在まで残す出版社。それなりの覚悟ありと受け取める。
 

(鹿砦社特別取材班)
 
 

 
◎[参考記事]私はなぜ「カウンター」-「しばき隊」による大学院生リンチ事件の真相究明に関わり、被害者M君を支援するのか[松岡利康=鹿砦社代表]
 

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