福島第一原発事故で全町避難を強いられた福島県双葉郡浪江町で7月31日、仮設商店街「まち・なみ・まるしぇ」が幕を閉じた。まだ避難指示部分解除前の2016年10月にオープン。避難指示部分解除後の2017年4月には、安倍晋三首相が訪れて「なみえ焼きそば」を食べてみせた。翌8月1日には「道の駅なみえ」が華々しく開業したが、仮設商店街から道の駅に出店する店舗はゼロ。切り捨てられた格好の店舗からは「道の駅に優先的に入れてやるという話だったのに……」と怒りの声があがっている。

8月1日、華々しくオープンした「道の駅なみえ」。しかし、仮設商店街から移った店はゼロだった

◆町長「大いに貢献された」

7月31日夕、浪江町役場横の「まち・なみ・まるしぇ」で、感謝状の贈呈式が行われた。吉田数博町長が10店舗の代表者一人一人に手渡した。

「皆さんが先駆者として仮設商店街に出店いただき、町民の帰還意欲につなげていただいた。大変な御苦労が多かったと思うが、おかげさまで今は160を超える飲食店や工場が町内で再開している。皆様方のご尽力の賜物だ」と吉田町長。休憩ずる場所も無く、食事も買い物も満足に出来なかった浪江町内で、一時帰宅した町民のために営業を続けてきた仮設商店街。関係者のみの小さなセレモニーを経て、ひっそりと幕を閉じた。感謝状には次のように綴られていた。

「あなたは東日本大震災および福島第一原子力発電所の事故により甚大な被害を受けた町の商業機能回復にご協力を賜り、町民の生活環境の向上に大いに貢献されました。よって、その御厚意に対し、心より感謝の意を表します」

2016年10月に盛大にオープンした時とは異なり、取材に訪れた記者は筆者の他に地元紙の2人だけ。テレビカメラは1台も無かった。仮設商店街の目の前にはイオンも出来た。

贈呈式後、取材に応じた吉田町長は「一応、今日を節目にしたい。そうでないとけじめがつかない。道の駅に入りますか、という話もしたが、町内に店を構える人もいるし、高齢だからもう良いよという人もいた。場所代を納める体力が無いという話もあった。運営会社を維持するために売り上げの20から25%を納めていただく必要がある。こういう田舎では高いなという気もするが、全国の道の駅の状況を考慮して率を決めたようだ。仮設商店街から一つのお店も道の駅に入らないのは寂しいですけどね」と話した。

そう、仮設商店街から道の駅に引っ越して営業を続ける店舗はゼロなのだ。「感謝」の言葉が飛び交う一方で、道の駅に受け皿は用意されていなかったのだ。

吉田町長から各店舗に贈られた感謝状。3年半の〝功績〟を称えているが、切り捨てられた格好の店側からは怒りの声もあがっている

◆店舗「切り捨てられた」

浪江町商工会の関係者が怒りをこめて話す。

「道の駅に移って営業を続ける店はゼロ。誰も行きません。『いいたて村の道の駅までい館』と全く同じですね。まあ、同じコンサルタント会社が担当したようですから、そうなるのでしょう。しかし誰がこうしてしまったのだろう。町長なのか議会なのかコンサルタント会社なのか……。様々な利権が絡み合っているのでしょうね。こうなる事で得をしている連中がいるのでしょう。前の町長と今の町長をうまく操った奴がいるんですよ。始める時は『道の駅に優先的に移れる』というふれこみだったが、途中から変わってしまった。だから皆、怒っているんです。感謝状なんか要らねえよって」

ある店舗の関係者は「道の駅を地元の人みんなで作り上げていくという感じじゃ無いですね。なぜ道の駅に出店しなかったのか? 手数料? 場所代? 運営会社に納めるお金が高くて払えないからですよ。いずれは道の駅に入れるという事で、赤字覚悟で営業を始めたのにね…。結局は切り捨てられたんですよ。そういう社会なのだから仕方ないですね」と肩を落とした。「切り捨てられた」という言葉が重い。

別の店舗は「お役御免」という表現を使った。

「そっくりそのまま道の駅に移る事になるのだろうって、私たちもそう思っていたんです。だから赤字でも皆で3年半、一生懸命頑張ってきた。でも、道の駅の説明会に行ってみたら全く話が変わっていた。7月いっぱいで出て行ってください、もう役目は終わったから、と。新しい場所が見つかるまではお貸ししますけどなるべく早く出て行ってください、という事になっていたんです」

「役場も完全に道の駅にシフトしちゃったんですね。結局、道の駅が出来るまでの体の良い〝つなぎ〟だったんだね。だから私たちは〝お役御免〟なんです。本当は今日で出て行かなければいけないんだけど準備が間に合わなかった、ここでしばらく営業を続けます。明日からは家賃と光熱費が発生します。家賃は3万円だったかな。確かに安いけど3万円売り上げるって大変なんですよ。人件費もありますしね」

◆町議「いつまでも甘えるな」

「皆さん、町内の生活環境が全く不十分な時期に創業いただきました。まだイオンも何も無い時期でした」

浪江町産業振興課の担当者は10店舗に感謝しつつ、当初からの予定通りだと繰り返した。

「元々、仮設の商業施設という事で、期限を区切っているという事は承知の上で入居していただいているはずです。未来永劫あそこで営業出来るという事ではありません。『なるべく早く出て行ってください』と、そこまで強烈な言い方をしているかどうかは分かりませんが、7月末をもって機能を終了するという事は以前から伝えています。道の駅と併存する事はありません」

「様々な事情があってしばらく残る場合には、いつまでも家賃無償というわけにもいきません。町内で事業を再開している方々が増えてきている中で、公平性を確保しなければいけないという観点もあります。一つのターニングポイントとして、8月1日以降は一定程度の負担をしていただきます。具体的に終了の時期が迫ると様々なご意見が出るのでしょう。いずれにしても、初めから期限を区切ってのスタートだったのです」

ある町議はさらに厳しい言葉でこう語った。

「今までタダでしょ。いつまでも甘えるなって事ですよ。当たり前じゃないですか。町内で事業を再開した人たちは全員、お金を払ってやってるわけですから。今まで家賃がタダだっただけでも……。これ以上、まだ甘えるの?いつまでも甘えるなって。仮設商店街に町は年間5000万円かけてたんだよ。ここで全員、店を閉めて退去するべきだと思いますよ」

別の町議は「悔し紛れにいろいろと言ってるんでしょ」と相手にしていない。原発避難者の住宅問題と似た構図がここにもあった。

仮設商店街の一角でカフェ「コスモス」を営んできた高野洋子さんは、馬場有前町長(故人)とは保育所からの同級生だという。

「『仮設商店街を始める事になったんだけど、やってくれる人が全然いない。誰かいないかな』って有(たもつ)に相談されてね。それで手を挙げたのよ」

役場近くには立派なホテルが出来た。道の駅の営業も始まった。一方で家屋解体が進み、さら地は増える一方。町立5校も年内には取り壊される。そして仮設商店街も。これが馬場前町長の描いた「町残し」のあるべき姿なのだろうか。

「まち・なみ・まるしぇ」のリーフレット。故・馬場町長は「町にとっての復興のシンボル」と綴っていた

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政

誰もがいくばくの不安や、気持ち悪さを共有しているであろう、珍しい光景。それもこの国だけではなく、ほぼ世界すべての国を覆いつくしているCOVID-19(新型コロナウイルス)。

「緊急事態宣言」と、大仰な「戒厳令」もどきが発せられたとき、報道機関は一色に染まり、この疫病への恐怖と備えを煽り立てたのではなかったか。あれは、たった数か月前の光景だった。為政者の愚は使い物にならないマスクの配布に象徴的であった。安倍が「無能」あるいは「有害」であることを、ようやくひとびとが理解したことだけが、この惨禍の副産物か。

いま、ふたたび(いや、あの頃をはるかに凌ぐ)感染者が日々激増している。「接触する人の数を8割減らしてください」と連呼していた声は、どこからも聞こえない。それどころか、国は感染対策をきょう時点で、まったくといってよいほどおこなっていない。毎日感染者は激増するだろう。そして都市部から順に医療は崩壊する。COVID-19(新型コロナウイルス)による死者は春先に比べて、少ないようではあるが、医療機関内の混乱とひっ迫に変わりはない。

たった数か月前の「緊急事態」すら発した人間も、発せられた人間も、あの時のことを忘れてしまったのか。そこまで人間の頭脳は、「記憶」機能を失なったのか。

数か月前を想起できないのであれば、75年前を肉感的な事実として、想像したり、それについて思索を巡らすことなど、望むべくもないのだろうか。

残念ながらわたしの体は、それを許さない。

あの日、広島市内で直撃を受けながら生き永らえ、50歳過ぎに癌で急逝した叔父から聞いた、あまたの逸話。その叔父だけではなく同様にあらかじめ寿命が決まっていたかのように、50過ぎに次々と急逝していった叔父たち。そして高齢とはいえ、100万人に1人の確率でしか発症しない、といわれている珍しい癌に昨年罹患した母。担当医に「被爆との関係が考えられますか?」と聞いたが、「それはわかりません」とのお答えだった。それはそうだろう。お医者さんが簡単に因果関係を断言できるわけではない。

不可思議なのだ。長寿の家系……

ついにその足音はわたし自身に向かっても聞こえてきた。

長寿の家系であったはずの、母方でどうして「癌」が多発するのか。科学的因果関係などこの際関係ないのだ。わたしの記憶には生まれるはるか昔、経験はしていないものの、広島の空に沸き上がった巨大なキノコ雲と、その下で燃え上がった町や、焼かれたたんぱく質の匂いが現実に経験したかのようにように刻み込まれている。

人間はどんどん愚かになってはいないだろうか。記憶や想像力を失ってはいないか。

8月の空は悲しい。

▼田所敏夫(たどころ としお)

兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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◆横浜「馬車道駅」周辺──再開発とホームレス

「駅構内で新聞紙や段ボール、私物等を置いて居座ることは、駅をご利用されるお客さまへのご迷惑となるのでおやめください」。このような張り紙が、横浜市みなとみらい線「馬車道駅」構内に野宿する人たちの周辺に貼られたという。

駅周辺には昨今、地下2階、地上32階の超高層の横浜市役所新庁舎が移転したり、タワーマンションが開業したりし、急速に再開発が進んでいるとのこと。そうしたなか「駅にいるホームレスをすぐに追い出してほしい」「ホームレスがいるだけで不安」などの苦情が、6月頃から相次いでよせられていたという。

横浜といえば、82年~83年にかけて地下街、公園などで連続しておきた野宿者襲撃殺人事件が思い起こされる。当時は野宿者、ホームレスではなく「浮浪者」とよばれていた。逮捕された少年たちは、警察の取り調べに「浮浪者のせいで横浜が汚くなる」「横浜をきれいにするためごみを掃除した」などと供述したという。

彼らが、野宿者を「働かない怠け者」から「汚い」「社会のごみ」、更に「虐めていい人」と考え、襲撃のターゲットにしたのは、決して彼ら独自の判断ではないはずだ。彼らを取り巻く大人社会に溢れる「野宿者は社会のゴミ」とみる強烈な差別と偏見を、少年たちが敏感に感じ取り、襲撃行為に及んだのであろう。

◆大阪・釜ヶ崎でも進む弱者排除の動き

「野宿者は社会のゴミ」「町を綺麗にしたい」。こうした誤った見方をする傾向は、大阪維新の「西成特区構想」が進む釜ヶ崎でも確実に進行している。橋下徹元市長の「西成をえこひいきする」発言から始まった西成特区構想は、一方で「(再開発のために、釜ヶ崎の)労働者には遠慮してもらう」との発言でわかるように、この町に長く住む日雇い働者らを排除することを目的としている。そのため真っ先に狙われたのが、長年労働者の唯一の寄り所になっていた「あいりん総合センター」(以下センター)の解体だ。「耐震性に問題がある」として昨年3月末に閉鎖予定だったが、多くの労働者、支援者らの反対で閉鎖されず、その後労働者、支援者らで始めた自主管理は、4月24日、大阪府警と府・市の職員らが暴力的に排除するまで続けられた。

センター東側にも野宿する多数の人が……

西成特区構想は、労働者の寄り場を解体し、労働者・野宿者を暴力的に排除し、そこに出来た広大な跡地を使って新たな「まちづくり」をしようというものだ。

しかし、それは誰のためのまちづくりなのか? 昨今全国で流行する「まちづくり」は誰が主導するかが問題になると、釜ヶ崎に長く関わる島和博氏(大阪市立大人権問題研究センター)は語る。「『まちづくり運動』というとき、市民の『まちづくり運動』なんてありえません。誰が主導権を持って『まちづくり』を行うのかを考えないと、センター撤去で『みんなにとっていいまちづくりをやろうね』とやると、『西成特区構想』みたいなロジックに巻き込まれてしまう」(2019年1月5日シンポジウム「日本一人情のある街、釜ヶ崎が消える?!」)

パレード後、警官(後ろで手を組む作業着姿の男性)指揮のもと、配給物資を待つ労働者

前述したように、釜ヶ崎で進む「まちづくり」は、この町の主人公・日雇い労働者らを排除して進んでいることは明らかだ。時には強制排除など権力による暴力で、時には「町をキレイにしよう」という庶民の「善意」の掛け声で。

後者の一例が、西成特区構想ー「まちづくり」運動と軌を一にして、2014年から始まった「あいりんクリーンロードキャンペーン」である。同年「まちづくり会議」に参画を表明した大阪府警・西成警察署が、監視カメラ増設、官民連携による不法投棄の摘発、露店の摘発、覚せい剤事犯の摘発強化などを含む「5ケ円計画」の一環で始めたものだ。

警察主導のパレードは、町内会や「まちづくり会議」に参加する市民団体、NPOなどが一緒になり、「街をきれいにしよう」と地区内のごみを拾いながら歩き回る。最後に戻った三角公園では、パレードに参加した労働者にペットボトルのお茶の、下着やタオルなど日常用品が配られる。そのため多くの労働者、生活保護する受給者らも多く参加する。私は何度かその場面を直接見ているが、3人づつ並んで労働者を、若い警官が棒で区切って「よし、次の9人(3人3列)!」と号令をかける。間違って飛び出す労働者に「9人いうたやろ!」と怒鳴りつける。生活保護費も年々削られ、下着などなかなか買えなくなった労働者は、怒鳴られながらもじっと耐えるのだ。
 

釜ケ崎の中に出来たおしゃれなホテルが周囲の雰囲気をガラリと変えた。ロビーには若者たちが……

◆「街をきれいに!」と、野宿者を排除するジェントリフィケーション

ドヤのゴミ置き場が不十分だったり、外から車でゴミ捨てにくる人たちがあとをたたなかったり、ゴミ問題は労働者だけの責任ではなかった

「町をきれいにしよう」。異議を唱えようもない、きわめて一般的なスローガン。でもそれを、同じ地域に住み、かつては同じ飯場に寝泊まりし、一緒に働いたかもしれぬ労働者らに叫ばれるとき、道端でうずくまる野宿者らはどんな思いがするであろうか?

「叫びの都市 寄せ場、釜ヶ崎、流動的下層労働者」(洛北出版)の著者・原口剛氏(神戸大学准教授)は「反ジェントリフィケーション情報センター」の記事で以下のように解説する。

「ある地域がジェントリファイされ『安全で、清潔で、明るい』空間がつくりだされるとき、単に空間だけではなく、人びとの感性も変容する。つまり、資本によって組織された空間からの影響を受け、(資本の立場から見て)『安全で、清潔で、明るい』という感性を内面化してしまう。こうした感性の変容を下地に、地域の再開発を推し進める運動は組織される。釜ヶ崎におけるその例の一つは、『あいりんクリーンロードキャンペーン』という事業であろう。この事業は警察と推進協議会によって主催されており、地元住民、ボランティア、関係団体などが多数参加しているが、参加者は熱心に地区内のゴミを拾っている。おそらく、その根底にあるのは街をキレイにしたいという人びとの『善意』なのであろう。こうした『善意』が動員されつつ、地域全体が消費空間への志向性を高め、不快とされるふるまいは規律、排除されることによってジェントリフィケーションは推し進められていく」。

◆彼らがいかに野宿者を人間扱いしていないか

センターで休む野宿者を、大勢で取り囲み、退去を促す府と市と西成区役所職員(7月31日、稲垣氏撮影の動画より)

釜ヶ崎のセンター周辺の野宿者に対して、大阪府が「立ち退きせよ」と訴えた裁判が9月から始まろうとしている。2月5日、大阪地裁の執行官が、府や市の職員、西成警察を引き連れやってきて、野宿者から氏名などを聞き出し、今回23名を訴えてきた。聞き取りは、訴えるという目的も伝えない姑息なやり方で、しかもわずか1時間たらずで終わったという。野宿者の生死も含め、将来を決めかねない判断にわずか1時間たらず……彼らがいかに野宿者を人間扱いしていないかがわかる。

7月31日午前、市、府、西成区役所職員6人が再び野宿者の調査に来たという。現場に偶然居合わせ、その様子を撮影した釜ケ崎地域合同労組の稲垣氏によれば、府職員が「ここ危ないよ。どいて」と大袈裟に怒鳴って回り、それを受けた区役所職員が「今なら生活保護受けれます」と勧誘していたという。裁判前に一人でも多くの野宿者を減らしたいためだ。

最後に、釜ヶ崎同様、野宿者を強制排除して進められ、先日開業した渋谷「ミヤシタパーク」について、釜ヶ崎の「まちづくり会議」の委員を務める白波瀬達也(桃谷大学准教授)氏がこうつぶやいていた。「新今宮駅周辺も賑わい創出が議論されているけど、この記事のような帰結にならぬよう留意しなければならない。賑わいが悪いわけではない。誰にとっての賑わいなのか、その質が問われている。社会的排除を生まないと都市政策、まちづくりが展開されるべき」。

何を呑気なことを呟いているのだ。あなたも理事を勧める「まちづくり会議」で、センター周辺の野宿者が強制排除されようとしているではないか。足元で火事が起こっているのに「火事を起こさないように気をつけよう」などと言ってないで、一緒に消火活動をやってくれ。「野宿者排除を許すな」と一緒に声をあげてくれ!

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政

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私の人生にとっても、われわれの会社・鹿砦社にとっても最大の事件となった、「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧事件は、15年前の2005年7月12日に起きました。これを神戸地検特別刑事部からリークされ(いや、密通してと言ったほうがいいでしょう)、一面トップで“官製スクープ”の大きな記事を書いたのが、現在朝日新聞大阪本社司法担当キャップ・平賀拓哉記者でした。同日夕刊にも続編記事があり、ここに「平賀拓哉」の署名がありますが、すべて平賀記者が書いたものです。

朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊

朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日夕刊 「解説」に「平賀拓哉」の署名あり

本年はその事件から15年周年となります。地獄も見ました。そのかん、私や鹿砦社は筆舌に尽くし難いほどの困難な目に遭い、しかし、多くの心ある皆様方のご支援で再起し、出版活動を持続しています。このことについては、節目の年でもあり、『紙の爆弾』5月号(創刊15周年記念号)に「『紙の爆弾』が創刊された2005年に何が起きたのか」という長文の総括文を執筆し、またこの通信においてもたびたび述べてきました。

そうして、神戸地検と密通し15年前の“官製スクープ”記事を書いた平賀拓哉記者が今や大阪本社司法担当キャップを務めていることが、偶然にも4月1日付けの署名記事で判明し、これも何かの因縁、ぜひとも面談し15年目の気持ちや想いなど聞かねばなるまい、と考えた次第です。その総括文が掲載された『紙の爆弾』5月号を同封して手紙を郵送したのが4月5日でした。なんの音沙汰もありませんでしたが、これは緊急事態宣言が出た直後ということもあり、この対応で慌しいのかと思っていました。

朝日新聞(大阪本社版)2020年4月1日朝刊 「司法担当キャップ平賀拓哉」の署名あり

2020年4月5日付けの手紙

実は10周年の際にも平賀記者に話を聞きたいと思っていたところ、聞いていた携帯の番号は使われておらず、また海外に赴任しているとの情報もあったりで面談できませんでした。

しかし、今は大阪本社で司法担当キャップとして活動されている──私から書籍や資料を入手しインタビューを行い署名記事まで書いたぐらいですから、気安く会って面談してくれると信じていました。

ところが、2度目の「面談申込書」を因縁の7月12日に出し(回答締め切り7月20日)、これも回答ナシ。ようやく3度目の7月21日の「催告書」にて届いたのが責任者名なしのメールでした(別掲画像)。

私たち素人考えでは、署名記事というのは書いた本人が責任を持つということでしょう。みなさん、そうですよね? 私は、当該記事の当事者中の当事者で、書いた本人に面談する権利も資格もあると思いますし、また、当日の朝刊一面トップ、夕刊にも連続して大きく採り上げ署名記事まで書いた本人=平賀記者には私と面談する義務があります。そうではないですか?

同年7月12日付けの「面談申込書」

同年7月21日付けの「催告書」

朝日新聞大阪本社(広報)からの発信責任者不明の非礼なメール

朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日夕刊 平賀記者に渡した書籍の画像あり

その記事と関係のない私以外の者が面談を申し込むのを断るのは理解できますが、平賀記者は、あたかも私たちの理解者顔をし、持っていない書籍や資料を求め、私は、彼が私たちの出版活動を理解して記事にしてくれるものと誤認しタダでそれらを渡しました。それは当該記事(2005年7月12日夕刊)に画像で出ています。私も本当にお人好しですよね(苦笑)。

そうして、運命の2005年7月12日早朝、当日付けの朝日朝刊を見て自分の逮捕を知るという笑い話にもならない物語が始まりました。

その後、192日間もの長期勾留(独居房。うち約3カ月の接見禁止)、勾留中の事務所撤去と事業活動停止、ただ一人踏み止まった編集長の中川以外の全員解雇、第1回公判に神戸地裁の大法廷を埋め尽くしてくれた多くの皆様方、大晦日・正月を酷寒の神戸拘置所で過ごしたこと……走馬灯のように甦ります。こら、平賀さん、少しは私の身にもなってみよ! 私が記事を書かれた当事者中の当事者なら、あなたは私にインタビューし書籍・資料を入手し同日の朝刊、夕刊と連続して大きく採り上げ署名記事まで書いた当事者中の当事者、あなたは私の求めに応じるべきです。そうではないですか? そうでないと、ジャーナリストとして、いや人間として無責任ということになります。「釈迦に説法」かもしれませんが、署名記事というものは、いろんな意味で(無署名記事に比して格段に)重いものです。

平賀記者は、このまま逃げおおせるものと思っているかもしれませんが、そうは問屋が卸しません。私が『ゆきゆきて神軍』の奥崎謙三(故人。生前は神戸市在住)のように厳しく責任を追及するものとビビッているのでしょうか? 私は平賀記者に私怨・私恨などありませんので、責任を追及するつもりはありません。ただ、15年経った現在の気持ちや想い、疑問点などを訊ねたいだけです。特に幾つか疑問点がありますが、これを解明しないと死んでも死に切れません。

平賀さん、あなたは私と面談し、私の疑問や質問に答える義務があります。あれだけ朝刊・夕刊と連続して大きく採り上げ、署名記事まで書いたのですから当然です。

平賀記者と朝日新聞の非礼な対応を弾劾します。平賀記者は即刻私と面談すべきです。平賀さん、逃げないでください!

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政

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◆このままでは、民族滅亡の危機か

全国の感染者がデイリー1000人を越え、とくにウイルス感染の「密集・密接」が顕著な大都市東京において、いよいよ460人越えの感染者数となった(7月31日)。医療崩壊を怖れるあまり、PCR検査にハードルを課してきた厚労省官僚(医系技官)および国立感染研のテリトリー主義の結果、日本はいよいよウイルス禍のなかで滅亡のきざしを経験しつつある。

このまま加速度的に感染者数が増加するようだと、太平洋戦争のような万骨枯れる事態にもなりかねない。4月の超過死亡率は例年通りだったが、法医学学会のアンケートで保健所と感染研が死後のPCR検査を拒否している実態で触れたとおり、厚労省官僚はウイルス禍による死因を隠している可能性が高いのだ。いずれにしても東京のみならず、大都市圏および沖縄のような観光地においても感染者数は増加の一途である。

◆なぜ観光キャンペーンを中止できないのか

にもかかわらず、わが安倍総理は国会審議および記者会見から逃亡し、半休出勤というチキンハートぶりを顕わにしている。それだけならば、危機管理にからっきし弱い宰相のみじめな姿を見るだけですむのに、余計なことをしでかす。

無為無策をかこちながら、安倍政権は反対意見を押し切って「Go To トラベルキャンペーン」を強行したのである。そして政府の新型コロナウイルス対策分科会では、キャンペーンへの疑義が出されたにもかかわらず、政府は議題にもしなかったという(7月31日)。

いったん決めてしまった政策を変更できない。それは日本が戦前にたどった道を彷彿とさせる。戦争への道を変更できなかった戦前の日本を支配したのは、統帥権を梃子にした軍部の政治支配であり、それをささえる国民の愛国心の熱狂であった。

しかし今日、日本の政界を支配してしまったのはカネによる業界利権、そのもとでの政策の捻じ曲げ。すなわち利権による政治の私物化にほかならない。きわめて私的な理由で、政策変更ができなくなっているのだ。

◆観光業界のドン

「週刊文春」によると、この「Go To トラベルキャンペーン」の推進者である二階俊博自民党幹事長をはじめとする自民党の観光立国調査会の役職者37人が、旅行関連業者(ツーリズム産業共同提案体)から4200万円もの政治献金を受け取っていることがわかっている。

つまり、こういうことだ。国民をウイルス禍にさらす旅行キャンペーン(旅行費の35%補助、15%のクーポン支給)は、旅行業界からの政治献金(限りなく賄賂に近い)への見返りだということなのである。

この「観光立国調査会」という組織は、二階幹事長が最高顧問を務め、会長は二階氏の最側近で知られる林幹雄幹事長代理、事務局長は二階氏と同じ和歌山県選出の鶴保庸介参院議員である。

そして実際に「Go To トラベルキャンペーン」の事業を1895億円で受託したのが、上述の「ツーリズム産業共同提案体」なる団体である。自民党議員に4200万円を寄付したのも、じつはこの団体を構成する観光関連の14団体なのだ。

そもそも二階幹事長は観光立国調査会の最高顧問を務めるばかりか、全国旅行業協会(ANTA)の会長でもある。この全国旅行業協会が、上述した観光関連14団体の中枢を構成するのはいうまでもない。二階幹事長はいわば、旅行業界のドンなのである。またもや利権政治、国民の生命を危機に晒しながら利権を追及するという、超の付く政商ぶりを発揮していると言わざるをえない。

週刊文春の記事から引用しておこう。

「(ツーリズム産業共同提案体)は全国5500社の旅行業者を傘下に収める組織で、そこのトップである二階氏はいわば、”観光族議員”のドン。3月2日にANTAをはじめとする業界関係者が自民党の『観光立国調査会』で、観光業者の経営支援や観光需要の喚起策などを要望したのですが、これに調査会の最高顧問を務める二階氏が『政府に対して、ほとんど命令に近い形で要望したい』と応じた。ここからGo To構想が始まったのです」(自民党関係者)

これこそ、政治の私物化にほかならない。

◆即刻「Go To トラベルキャンペーン」をやめ、全国の旅館とホテルをコロナ待機施設に転用せよ

わたしは政権批判のために、二階幹事長の政治の私物化をやり玉に挙げているのではない。感染者が増加しているさなか、1兆7000万円の使い方を間違っていると、そう言わざるをえないではないか。

現在、入院および療養中の感染者は8000人を超えているのだ。このまま毎日1000人を超える感染者が出るとしたら、数千単位で準備しているという病床は足りなくなる。病院への入院調整が、医療現場にたいへんな煩雑をもたらしているという(東京都医師会会長の会見)。心ある自民党員は、党の統制を怖れずに意見を言うべきである。1兆7000万円もの「Go To トラベルキャンペーン」費用を、政府はただちに待機用宿泊費に転用し、第二波パンデミックに備えるべきであると。


◎[参考動画]GoToトラベル「一旦中止を」野党と専門家が論戦 尾身氏は人の動きを見直す提言の可能性に言及

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政 河合夫妻逮捕も“他人のせい”安倍晋三が退陣する日

『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

女性史研究において、女性差別の原典とされるのが「古事記」の国生み神話である。しょせんは神話だが、簡単におさらいしておこう。

天地開闢(てんちかいびゃく)のころの高天原の神々には、じつは性別がなかった。男女が生まれるのは、イザナギ(伊耶那岐)とイザナミ(伊耶那美)をふくむ神代七代(かみよななよ)の神々である。

さて、淤能碁呂島(おのごろじま)に宮殿を建てたイザナギとイザナミは、男女の交わりをして、ふたりで国を造ろうとする。ところが、水蛭子(ひるこ)が生まれてしまった。二神が別天津神(最初に生まれた造化の神)に訊いてみると、女のほうから誘ったからだという。

そこで、イザナギが先に声をかけてまぐあい、大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま 本州)をはじめとする八つの島が生まれた。イザナギとイザナミは多くの神々を生み出したが、火の神カグツチを出産したときにイザナミが火傷で死んでしまう。

妻の死を悲しんだイザナギは、黄泉の国にイザナミをたずねる。古代の神々の、なんと感情ゆたかで人間臭いことだろう。しかし訪ねてみると、イザナミは変わり果てた姿になっていた。イザナギは雷鳴や風雨に追われて日向の阿波岐原(あわぎはら)まで逃げて、そこで禊ぎを行ない、祓え戸の大神たちが生まれ給う。

神道の基本的な祝詞である「祓詞(はらえことば)」は、その顛末を簡略に記したものだ。

掛けまくも畏き 伊邪那岐大神
(かけまくもかしこき いざなぎのおほかみ)
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
(つくしのひむかのたちばなのをどのあはぎはらに)
禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等
(みそぎはらへたまひしときに なりませるはらへどのおほかみたち)
諸々の禍事・罪・穢 有らむをば
(もろもろのまがごとつみけがれ あらむをば)
祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと
(はらへたまひきよめたまへと まをすことをきこしめせと)
恐み恐みも白す
(かしこみかしこみもまをす)

またこのときに、天照大御神(アマテラスオオミカミ)・月夜見尊(ツキヨミノミコト)・素戔鳴尊(スサノオノミコト)の三貴子も生まれている。

ニニギノミコト(邇邇芸命)は天照大御神の孫にあたり、天孫降臨のヒーローである。この男性神が地上に降り、木花之開姫(コノハナノサクヤヒメ)をめとって海幸彦・山幸彦らをなす。天孫は男性神であり、したがって地上の神話は男の物語になる。女性は太陽であることをやめたのだろうか──そうではない。

◆元明天皇と元正天皇

元明天皇は天智天皇の皇女で、持統天皇の異母妹である。

草壁皇子と結婚して皇子(のちに文武天皇)を成したが、皇太子となった草壁が即位しないまま亡くなってしまう。

やがて息子の文武天皇が亡くなると、元明は中継ぎの女帝として即位した。そして平城京への遷都を行なう。執政をたすける右大臣藤原不比等が、最高権力者になった時期である。彼女に中継ぎを強いたのは、大政治家・不比等にほかならないが、彼女が操り人形だったかどうかはわからない。

この時期、国司のもとに郷里制が実施され、律令政治が地方の末端まで行きとどく。徴税と兵役が容易になったのである。元明天皇も各地の国司に詔を発し、荷役に従事する民びとを気遣うよう命じた記録が残っているのだ。

やがて元明天皇が譲位して、娘の元正帝が即位する。元正は結婚経験がなく、独身で即位した初めての女帝である。文武天皇の遺児・首皇子(のちに聖武天皇)がまだ幼かったので、ある意味では母とおなじく「中継ぎ」ということになる。藤原氏の血を引く帝が即位するまで、まだ時間が足りなかったのである。じつはこの連載の核心部分が、この「中継ぎ」とされる二人の女帝なのである。

よく言われることに、古代の女性天皇は中継ぎだったとの評価がある。しかし、すでに見てきたとおり、推古帝おける厩戸皇子(聖徳太子)が即位しなかったのはなぜか? 皇極帝においても、孝徳天皇は難波宮に孤立させられた。あるいは持統帝の後継者と目される草壁皇太子はすぐに即位しようとせず、あるいはなぜか即位しないまま亡くなっている。これらはおそらく、女帝たちの意志と無関係ではないだろう。

そして、保守系の歴史家が無視するか、直視したがらない史実がある。中継ぎの女帝(元正)は、女性天皇(元明)の実の娘なのだ。

元明天皇の夫である草壁皇子が即位しないまま、元明天皇の娘・元正天皇(女系)が即位した史実は、女系天皇反対論者には思いもよらないことであろう。草壁が天皇ではなかったかぎりにおいて、元正帝こそ女系女性天皇なのである。

元明・元正母娘はかならずしも実力派の女帝ではなかったが、古代女帝王朝は花盛りとなる。というのも、つぎの孝謙帝にいたっては立太子ののちに帝位に就き、貴族たちを相手に政争をかまえては、ことごとく勝利のうちに天皇親政を実現するかにみえるのだから──。

◎[カテゴリーリンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など多数。

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政 河合夫妻逮捕も“他人のせい”安倍晋三が退陣する日

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

《8月のことば》八月の空は悲しい(鹿砦社カレンダー2020より/龍一郎・揮毫)

まずは、稀にみる豪雨被害に遭われた皆様方に心よりお見舞い申し上げます。同時に、本年はじめからの新型コロナに感染された皆様にも、一日も早いご回復をお祈り申し上げます。

8月、私も龍一郎と同じ想いです。

ちょうど50年前の1970年8月6日、大学生として初めての夏、帰省の途中、ヒロシマに降り立ち、広島大学の寮に泊めていただき、慰霊のアクションを行ったことが甦ってきます。戦後25年の夏でした。

それから50年── 本年2020年は戦後75年を迎えます。このまま戦後100年を迎えたいものです。生きて迎えられるかはわかりませんが……。

龍一郎も私も、ささやかながら反戦の声を挙げ、多くの人たちの声が大きくなり、憲法改悪を阻止してきましたし社会の反動化に抗して来ました。

老いてますます盛んとはいきませんが、反戦の志を持続していきたいと、あらためて決意するものです。

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政

『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

◆現役時代──1980年のデビュー以来、ノックアウト勝利を重ねた元ストリートファイター

元・日本ライト級1位.元木浩二(もとき・こうじ/1963年1月19日生)は、魅せられるノックアウト勝利を心掛け、その強面とは正反対の、社会貢献に人生を懸けたキックボクサーだった。

幼ない頃から自由奔放の腕白坊主で育ち、十代半ば頃までストリートファイトに明け暮れたが、元木浩二の場合は単なる荒くれ者とはその存在感が違っていた。

1978年(昭和53年)3月、中学を卒業すると、幼ない頃からテレビでキックボクシングを観て、強い憧れを抱いていた名門・目黒ジムの門を叩いた。

1980年1月、元木浩二は17歳になるまでに筋力トレーニングで鍛えた筋金入りの身体でバンタム級でデビューするとノックアウト勝利を重ね、ライト級まで階級を上げていったが、将来を嘱望されながら業界はテレビ放映が終わった低迷期に入り興行は激減。

各々の団体やジムがあらゆる手段で浮上を試みる中、1983年4月、ジムの先輩だった伊原信一氏が新たにジムを興すと、その伊原ジムへ移籍。同年9月、伊原氏が新日本キックボクシング協会を設立すると元木浩二は10月22日、設立記念興行にて、新日本ライト級1位、砂田克彦(東海)にノックアウト必至の一進一退の末、3ラウンドKO勝利。ランキング上位へ浮上した。

砂田克彦戦、攻められながら逆転に導いた(1983.10.22)

1984年11月には、統合団体となって設立された日本キックボクシング連盟に吸収された後、翌年6月7日、なおも分裂騒動が起こった後だったが、タイガー岡内(岡内)に速攻の1ラウンドKO勝利。王座に手を掛けるトップ戦線に浮上した試合となった。

同年11月9日、日本キック連盟ライト級王座決定戦としてタイガー岡内と再戦することになったが、互いのノックアウト狙った激戦の末、疑念が残る僅差の判定で敗れ王座獲得は成らず。再挑戦のチャンスは訪れず、その後は世界大戦シリーズに於いて国際戦に出場、強力多彩な攻めで勝っても負けてもノックアウト必至の激闘を繰り返していた。

王座決定戦でタイガー岡内と再戦 (1985.11.9)

デビッド・トーマスとは激戦の末、敗れ去った(1986.10.18)

引退式でかつて対戦した佐藤正男から花束を贈られる(1990.10.19)

1989年、平成に入ると新たなライバルが出現。新格闘術連盟黒崎道場から移籍して来た佐藤正男(渡辺)がライト級上位に浮上してきた。年齢は同じでも、互いのデビュー時期は業界低迷期を跨いだ時代差があったが、佐藤正男とライト級トップ戦線を争い、元木浩二はコンディション調整失敗から意外にもノックアウトで敗れてしまう。

「佐藤は上位に挑む必死さがあった。俺は気持ちで負けていた。」と反省。これが時代の変わり目でもあった。

この時代は他団体の躍進もあって、元木浩二はあまりスポットライトを浴びる存在ではなかったが、KO率が高く、一つ一つの試合が信念を貫ぬくノックアウト狙いで、他団体チャンピオンとも戦わせてみたい存在だった。

◆父の教え

元木浩二はデビュー戦からファイトマネーの半分を交通遺児施設、老人ホーム、難病患者施設等へ寄付し、災害被災地への救援物資等の支援活動を行ない、現役引退後も1995年1月の阪神大震災、2011年3月の東日本大震災等にも、これらの活動を継続してきた。

デビュー当時はファイトマネーの半分といっても1万円にも満たなかったが、このボランティア活動は当時の目黒ジム会長やトレーナー、後の伊原ジムでも誰も知らないことだった。その元木浩二の強面に似合わぬボランティア精神は、幼い頃から自由奔放に育てられた中にも文武両道で厳しい教育方針の父親の存在があった。

「弱い者、困った者を見て見ぬふりするな、男たるもの常に弱者の見方を心掛けろ、持つ者が持たざる者に分け与える心を持て!」など、これらを当たり前のように叩き込まれて来た元木浩二は、その教えが本能から身に付いた人生。

血気盛んな十代は荒くれ者だったが、弱い者イジメだけはしなかった。そんな心優しい元木浩二は、街での通りすがりに遭遇した、不良が弱者を脅すトラブルを目撃し、見て見ぬフリは出来ず仲裁に入ったことが幾度かあった。その一つでは乱闘に巻き込まれ、首の頸椎を損傷する重症を負ってしまった。救急車で運ばれ、潰れた頸椎に人工骨を入れる手術も受けるも神経障害が残り、杖を突いて歩く身体障害者となってしまい、それが原因で引退に導かれてしまうのだった。

昭和のキック同志会のステッカーデザイン

◆昭和のキック同志会発足

元木浩二は現役当時から世代を問わず、リングに上がった仲間達を飲み会に誘っていた。そこでは昭和の良き時代のキックボクシングの語らいから、自身がやりたいことへの話が進み、自然災害が多い日本の被災地への救援物資協力、義援金送付等の支援活動の想いを語り続けると賛同する仲間が増えていき、2009年に「昭和のキック同志会」を発足。

その後も昭和のキックボクシングに携わった者が中心に集って会食し、この参加費の一部を物資を送る資金として、その後も各被災地の救済に活動を継続している。

飲み会に集まる主なメンバーは、藤原敏男氏、渡嘉敷勝男氏、佐竹雅昭氏といった、そうそうたるチャンピオンクラスや、元木浩二と親交深いスポーツ選手と一般社会人含む大勢が参加している。

昭和のキック同志会パーティーでYAMATO氏のミニライブで盛り上がる (2017.11.18)

かつてのライバル佐藤正男と再会(2017.11.18)

◆続くボランティア

元木浩二は現在、かつて父親が興した建設とリフォーム業の後を継ぎ、株式会社ケーアップジャパンを立ち上げ代表取締役を務める日々。ボランティアではいろいろな現場を訪れたが、昨年の千葉県での台風15号に続き19号と災害をもたらした際は、詐欺業者が横行し、お年寄りが頼みもしないのに勝手に屋根に上がり破損した箇所の補修工事に掛かり、中には手抜き工事をしながら高額な修理費を要求、お年寄りは手に負えず従うままという事件が多発していた。

元木浩二は同志スタッフを引き連れ、無償で十数軒の屋根の修理に掛かったという。お年寄りからは感謝され、御礼金を差し出されても誠意を持って受け取らず、お年寄りを励まし、元気を与えて去って来るボランティアを貫いた。正に父親が教えた弱者への味方を心掛けた精神を受け継いだ行ないだった。

今年もすでに熊本豪雨災害が発生しているが、現地から「救援物資は足りているが、かなりの人手が必要になるかもしれない」と連絡を受けて、救援体制を準備しているという(7月6日時点)。また今後も被災各地へ物資を送る活動も続けていくという。

この昭和のキック同志会では、忘年会や花見の時期など、ある節目ごとに集う会を開いており、今年はコロナウイルス蔓延の影響で暫く遠ざかっているが、コロナ騒動が落ち着いた頃に再開予定。

こんな心優しい荒くれ者が居たのかと思うほど、強面で近づき難かった元木浩二の十代の荒くれ時代から取材を始めていればよかったと筆者は思う次第である。

昭和のキック同志会創始者、元木浩二の語り (2017.11.18)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政 河合夫妻逮捕も“他人のせい”安倍晋三が退陣する日

一水会代表 木村三浩 編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

◆従軍慰安婦像と土下座彫像

コロナ禍のなかで、世界が閉ざされようとしている。

水際防疫である検疫・入国禁止措置だけではない、政治的な相互鎖国が始まっているのだ。米中は「スパイの拠点」として、相互に領事館(テキサス州ヒューストン・四川省成都)の閉鎖を命じ、事実上の準交戦体制に入った。

韓国・平昌(ピョンチャン)市につくられた「永遠の贖罪」像

いっぽう、米朝対話・朝鮮南北対話は遠のき、日韓関係もまた「決定的な影響を受ける」(菅義偉官房長官)事態となっている。この「決定的な」事態を生起させようとしているのは、平昌(ピョンチャン)市の韓国自生植物園につくられた「永遠の贖罪」像である。従軍慰安婦を象徴する少女像に、ひざまずいているのが安倍晋三総理であるという。

植物園は「安倍首相が植民地支配と慰安婦問題について謝罪を避けていることを刻印し、反省を求める作品」としている。

そのいっぽうで、個人的にこれを作った園長のキム氏は、一部メディアの取材に「安倍首相を特定してつくったものではなく、謝罪する立場にある全ての男性を象徴したものだ。少女の父親である可能性もある」と話しているという。このコメントはおそらく、内外からの議論噴出・賛否の声が大きくなったことへの対応であろう。土下座像の近影をみると、どう見ても安倍総理の面影・姿勢であることは印象は否定できない。デフォルメされたものではない、きわめて写実的につくられた彫刻なのである。

◆日本政府の無策が泥沼化をまねいた

いずれにしても、冷え込んだ日韓関係がさらに深刻な状態になるのは必至だ。

というのも、この8月4日には徴用工裁判で凍結された日本企業資産が公示を終えて「現金化」されるからだ。これが実施されれば、韓国における日本企業のまともな企業活動は不可能となる。さらには軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の契約更新も控えている。

ところが、もはや泥沼と化した日韓関係にもかかわらず、日本政府は「(土下座像は)国際儀礼上、許されるものではない」(菅官房長官)とコメントするだけで、何ら手を打とうとしない。

そもそも慰安婦少女像は民間で作られたものであり、韓国政府に「国際儀礼」をもとめても始まらない。民間人の政治表現であるがゆえにこそ、特使を派遣して韓国社会に直接うったえ、日本の立場を理解させる外交上の努力が必要なのだ。外交当局・韓国政府のみならず、韓国市民との対話を通じて「日本の謝罪の真意」あるいは「日本の誠意」を表明することこそ、日本政府が責任をもって行なうのでなければならない。

にもかかわらず、安倍政権は「不快感」を表明するだけで、何ら行動を起こそうとしないのだ。元来、きわめて政治的な韓国の司法において、世論に働きかけるより他に方法はない。司法判断を文政権にせまることで、三権分立を掘り崩そうとする安倍政権の対応が滑稽に見えてしまう。

文政権になって、初めて首脳会談が行なわれたのは一昨年の5月、日中韓サミットの付随的な会談だった。50分の首脳会談ののち、ワーキングランチが約1時間、形式的な「日韓関係を未来志向で発展させていくことを確認し」たにすぎなかった。

昨年12月の会談も安倍総理の訪中のさいに行なわれた付随的なもので、わずか45分という短さだった。通訳を通しての会談であれば、実質的な会話は半分以下、それぞれが10分程度の発言となる。事前の事務方協議がある会談とはいえ、じつに無内容な会談となったのである。

しかも「日韓両国はお互いに重要な隣国同士であり、北朝鮮問題をはじめとする安全保障にかかわる問題について、日韓、日米韓の連携は極めて重要だ」「この重要な日韓関係を改善したい」(安倍総理)。これにたいして「直接会い、正直な対話を交わすことが重要だ。両国がひざを交えて知恵を出し、解決方法を早く導き出すことを望む」(文大統領)という聞こえの良い共同記者会見の中身が、継続されることはなかった。

◆不可逆的なモニュメント

2015年8月、韓国・西大門刑務所の跡地で頭を垂れる鳩山友紀夫元総理

それにしても、従軍慰安婦問題は「不可逆的に解決」したはずである。その結果、新たに完成したのは、安倍総理をかたどった「非可逆的なモニュメント」だった。

前政権を訴追ないしは殺す韓国を相手にした交渉において、そもそも「解決」など望むべくもなかったのだ。

それがたとい国際条約法上あるいは国際慣習上、不思議な事態であっても、韓国の世論が日本の謝罪をみとめないかぎり、けっして歴史観の一致はありえないのだ。

したがって、今後は金色の安倍晋三像にひたすら謝罪してもらい、足りない分は安倍総理自身が韓国の国民との対話をつうじて、その真意を理解してもらうほかない。安倍総理に「謝罪の真意」があれば、という仮定になるとしても、元総理・鳩山友紀夫氏がかつて中国、韓国において、頭を垂れたように。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政 河合夫妻逮捕も“他人のせい”安倍晋三が退陣する日

『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

2004年10月5日、自暴自棄になって会社を辞めた鹿嶋学は原付で東京に向かう途中、歩く女子高生たちを見たのをきっかけに「レイプをしたい」と考えるようになった。そして広島県廿日市市の路上で見かけた高校2年生の北口聡美さんの自宅に侵入したが、抵抗されたために持参したナイフで刺殺してしまう。この際、聡美さんの当時72歳の祖母ミチヨさんと当時小学6年生の妹A子さんも現場に居合わせ、それぞれ深刻な被害を受けている。

今年の3月3日、広島地裁で開かれた鹿嶋学の初公判。この2人の供述調書が検察官により朗読され、事件の凄惨な様子がつまびらかになった。

◆キャーキャーという女の人の凄い悲鳴が聞こえてきて……

「13年半前の出来事なので、記憶があいまいになっているところもありますが、現時点で思い出せることを話します」

聡美さんの妹A子さんの調書はそんな一文から始まった。事件のことを「13年半前の出来事」と言っているのは、この調書が2018年4月、鹿嶋が逮捕されてから作成されたものだからだ。

「私はその日、少し体調が悪かったので、学校を休んでおり、祖母のミチヨと母屋にいました。布団を敷いて、横になっていたところ、外から、自転車のスタンドが立てられ、ガチャガチャさせる音が聞こえてきたので、お姉ちゃんが学校から帰ってきたことがわかりました。お姉ちゃんは自転車を止めると、母屋の中に入ってきました」

それは午後2時前のことで、その後しばらく聡美さんは母屋にいたという。

「お姉ちゃんは高校の制服から、上が黒、下がオレンジっぽい色の部屋着に着替え、台所のテーブルに座り、何かをしていました。おそらくお昼ご飯を食べていたのだと思います。その後、お姉ちゃんは『4時に起こしてね』と言って、母屋の勝手口から出ていきました。離れに行ったのだと思います」

聡美さんが離れに行ったのは、自分の部屋が母屋ではなく、離れにあるためだ。そして午後3時頃、異変が起きる――。

「私が母屋で横になってテレビを観ていたところ、離れのほうから、キャーキャーという女の人の凄い悲鳴が聞こえてきたのです。そしてすぐあと、ゴトゴトゴトッという大きな音が聞こえてきました。後から考えると、あれは何かが階段を転がり落ちる音だったと思います。おかしいと思い、勝手口のドアを少し開け、離れの出入り口のほうを見ました。すると、ギャーギャーと泣くような大きな声や、ドンドンと出入り口の扉を内側から叩くような音が聞こえました」

すでにおわかりだろうが、この時、離れの出入り口の内側で、聡美さんが鹿嶋にナイフで刺され、殺害されていたのだ。

「あまりに異様な光景で、怖くて仕方ありませんでした。そのまま離れの出入り口のほうを見ていると、ほどなくして悲鳴や音がやみ、シーンとしました。その時、お祖母ちゃんがトイレから出てきたので、離れから叫び声が聞こえてきたことを告げ、一緒に離れのほうに向かったのです」

そしてA子さんは祖母ミチヨさんと一緒に離れに向かい、犯行直後の鹿嶋と遭遇してしまうのだ。

◆知らない男が仁王立ちのような体勢で立っていた

事件が未解決だった頃の警察の情報募集のポスター。犯人の似顔絵は、A子さんの目撃証言をもとに描かれた

「離れに向かったあとのことについては、今となっては記憶が曖昧で、はっきりとお話できません。記憶に残っているのは、離れの扉の前で、私か、お祖母ちゃんのどちらかが、扉を開けようとドアノブをつかみ、ガチャガチャと回したのですが、鍵がかかっていて開かなかったことと、お祖母ちゃんが『さっちゃん。さっちゃん』と呼びかけたのに、何の返事もなかったことです」

A子さんの記憶が曖昧なのは、離れに向かったあとに体験したことがあまりにショッキングで、パニック状態になったためではないかと思われる。A子さんの供述はこう続く。

「記憶では、最終的には私が扉を開けました。すると、ドアを開けたと同時に、白目をむいたお姉ちゃんがその場に崩れ落ちるようにして倒れてきたのです。そして、私はお姉ちゃんが崩れ落ちるのを見たのとほぼ同時のタイミングで、そこに立っていた知らない男と思いっきり目が合ったのです。その男は、仁王立ちのような体勢でした」

つまり、A子さんがドアを開けた途端、「ナイフで刺され、殺害された実の姉」と「実の姉を殺害した犯人の男」が目の前に同時に現れたわけである。想像を絶する衝撃だったろう。

「お姉ちゃんが倒れたのとほぼ同時に、お祖母ちゃんがキャーという高い悲鳴をあげましたが、私はその間、ずっとお祖母ちゃんと目が合い続けていました。そして、お祖母ちゃんの長い悲鳴がやんだのを合図のようにして、その場から走って逃げ出したのです。ただ、私は気が動転してパニックになっていたのか、離れの周りを一周するようにして逃げました。その途中、後ろを振り向いてみたわけではないですが、その見知らぬ男が追いかけてきたと思った覚えがあります」

鹿嶋が被告人質問で明かしたところでは、鹿嶋はこの時、実際にA子さんを追いかけていたという。A子さんは近くの花屋に逃げ込み、助けを求めて難を逃れたが、鹿嶋は「追いつけていたら、ナイフで刺していたと思います」と言っている。A子さんはまさしく「九死に一生を得た」という状況だったのだ。

◆自分がなぜ入院しているのかもわからなかった

この時、A子さんと一緒に現場に居合わせた祖母ミチヨさんの記憶は、もっと曖昧だ。事件のショックにより「解離性健忘」に陥ってしまったためだ。

解離性健忘とは、受入れがたい困難な体験をした時などにその情報が思い出せなくなるというものだ。ミチヨさんは、A子さんと一緒に離れに向かい、ドアが開いた時に「知らない男の人」が立っている姿を見たところまでは憶えているが、それより先のことがどうしても思い出せないという。

ミチヨさんは、鹿嶋が逮捕された2018年4月、検察官に対し、次のように供述している。

「意識を取り戻した時、私は病院に入院していましたが、なぜ入院しているのか、まったくわかりませんでした。とにかく背中が痛くて、仕方ありませんでした。家族も何も説明してくれないので、高いところから落ちたのだろうか…と一人で考えていました。数日後、病院の先生から『背中を刺されているから、気をつけて動いてください』と言われ、初めて誰かに刺されたことを知り、大変なことが起きたとわかったのです」

そしてその頃、ミチヨさんは聡美さんの父・忠さんから、「さっちゃんが死んだ」と聞かされ、初めて聡美さんが亡くなったことを知った。しかし、頭が混乱し、まったく信じられず、現実のこととして受け入れられなかったという。

一方、事件のことを記憶しているA子さんは、「事件のことや犯人の顔を憶えているのは自分一人だけ」という状況にずっと苦しみ続けたという。

「2度と思い出したくない、すぐにも忘れたい辛い出来事でしたが、犯人を見たのは私だけです。『犯人が捕まるまで忘れてはいけない』というプレッシャーと、『時間の経過と共に見たことを忘れてしまうかもしれない。そうなったら、犯人が捕まらないかもしれない』という恐怖心がないまぜになり、この13年半の間、心が折れそうなのをなんとか耐えてきました。それが正直な気持ちです」

このように鹿嶋は聡美さんの生命を奪ったうえ、祖母のミチヨさんと妹のA子さんにも深刻な被害を与え、現場から逃走した。被告人質問では、逃走後のことも詳細に語っている――。(次回につづく)

ミチヨさんが救急搬送された広島市民病院。当初は生命が危ぶまれる状態だったという

《関連過去記事カテゴリー》
 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第9話・西口宗宏編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政 河合夫妻逮捕も“他人のせい”安倍晋三が退陣する日

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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