◆森本敏・元防衛大臣の「予言」的中

昨年、12月16日、「安保3文書」閣議決定の夜の番組「プライムニュース」(フジ系)に出演した森本敏・元防衛大臣はこう断言した。

「米国が中距離ミサイルを日本に配備することはほぼありえない」

その約1ヶ月後の今年、1月23日の新聞は大見出しにこう伝えた。

「日本に中距離弾、米見送り」(読売朝刊)と。

その記事はこう続く。

「米政府が日本列島からフィリッピンにつながる“第一列島線”上への配備を計画している地上発射型中距離ミサイルについて、在日米軍への配備を見送る方針を固めたことが分かった」

森本氏の「予言」はまさに的中したが、これが意味することは、日本にとってまことに危険なものだ。この番組で森本氏は出演前日に「米国大使館でインド太平洋軍の陸軍司令官に会った」ことを明らかにしているが、彼の「予言」は米大使館でのインド太平洋軍司令官の意向を反映したものであろうことは容易に想像できる。

「日本に中距離弾、米見送り」に隠された米国の真意図は何なのか? このことについて真剣に考えてみる必要があると思う。

[左]1月23日付け読売新聞の記事見出し「日本に中距離弾、米見送り」/[右]「安保3文書」閣議決定夜のプライムニュースに出演中の森本敏・元防衛大臣

◆米軍の肩代わり部隊、「陸自にスタンドオフミサイル部隊の新設」

「日本に中距離弾、米見送り」、その理由はこうなっている。

「日本が“反撃能力”導入で長射程ミサイルを保有すれば、中国の中距離ミサイルに対する抑止力は強化されるため不要と判断した」と。

「安保3文書」で「反撃能力の保有」を決めた日本が米軍の肩代わりをしてくれるなら「在日米軍への中距離ミサイル配備は不要」ということを米国は言っているのだ。

「安保3文書」では「反撃能力保有」の具体化として「陸自にスタンドオフ(長射程)ミサイル部隊の新設」を決めた。「日本に中距離弾、米見送り」決定後は、この陸上自衛隊の新設部隊が「中国の中距離ミサイルに対する抑止力」として米軍の肩代わりをする役目を帯びることになるということだ。

 なんのことはない、「日本に中距離弾、米見送り」の真意は米軍に代わって自衛隊が対中ミサイル攻撃をやれ! ということだ。

◆さらに「厳しい宿題が待っている」日本

森本氏は同番組の最後にこう述べた。

「来年以降、(日本には)厳しい宿題が待っている」

その「厳しい宿題」とは何か?

これと関連して、河野克俊・自衛隊前統合幕僚長の発言がある。

昨年、バイデン訪日時の日米首脳会談で米国が日本への核による「拡大抑止」提供を保証したが、この時、河野克俊・前統合幕僚長は「米国から核抑止100%の保証を得るべき」だが、「それはただですみませんよ」と日本の見返り措置、その内容を示した。

「いずれ核弾頭搭載可能な中距離ミサイル配備を米国は求めてくる、これを受け入れることです」と。

この河野発言からすれば、対中・中距離ミサイル攻撃を自衛隊が米軍の肩代わりすることになった以上、次なる「米国の求め」が陸自のスタンドオフミサイル部隊のミサイルを「核搭載可能」なものにすべきという結論になるのは明確だ。

「安保3文書」実行の日本に待ち受ける「厳しい宿題」、それは自衛隊のスタンドオフミサイル部隊が対中「“核”ミサイル部隊」になることに他ならない。

“核”について言えば、安倍元首相の提唱したNATO並みに「米国の核共有」が実現すれば、自衛隊ミサイルへの「核搭載」は可能になる。それが米国の要求である以上、この実現にはなんの問題もないだろう。この実現で問題は日本側にある。

「核搭載」については「安保3文書」には書かれなかった、いや書けなかったものだ。日本の国是は非核であり、その具現である「非核三原則」に照らせば「核搭載」ミサイル保有は国是に反するからだ。これを可能にするためには非核の国是の変更、少なくとも「核持ち込みを容認する」ことが必須条件だ。

だがこれは非核を国是とする日本国民感情への挑戦となる、だから「厳しい宿題」と米国も見ている。

だがこの「厳しい宿題」解決のためにすでにこんな議論が今後の課題として打ち出されている。

兼原信克・同志社大学特別客員教授(元内閣官房副長官補、元国家安全保障局次長)は「被爆国として非核の国是を守ることが大事なのか、それとも国民の生命を守ることが大事なのか、国民が真剣に議論すべき時に来た」との二者択一論で国民に覚悟を迫った。

今後、日本政府に待ち受ける「厳しい宿題」はこの兼原氏の迫る二者択一を国民に迫ること、非核の国是の放棄、非核三原則の見直し、少なくとも「核持ち込みの容認」の選択を国民に迫ることになることはほぼ間違いない。

◆「米国の代理“核”戦争国化」という「新しい戦前」

米軍を肩代わりする自衛隊の中距離ミサイル部隊が「核搭載」実現で米軍の代理“核”戦争部隊になる。それは日本が米国の代理“核”戦争国になるということだ。これこそが米中対決の最前線を担うことを「同盟義務」としてわが国に強要する米国の核心的要求だと見て間違いはないだろう。

「日本に中距離弾、米見送り」、これを肩代わりする陸自スタンドオフミサイル部隊新設も決まった、残る「宿題」は自衛隊ミサイルへの「核搭載」を可能にすること、日本が非核の国是を放棄することだけとなった。

いま「新しい戦前」が言われるようになっている。今日の「新しい戦前」の特徴は、上記のように「代理“核”戦争国となる戦前」という点にある。かつての「戦前」とはまったく様相を異にする「新しい戦前」であること、ここに注目すべきだと思う。

それは米国も岸田政権も「厳しい宿題」と認識している「戦前」であり、逆に言えば日本国民が簡単には受け入れないであろう「戦前」だということでもある。いまは一方的に既定事実を押しつけられているのが不甲斐ない現実ではあるが、けっして悲観する必要はないと思う。

非戦非核を永らく国是としてきた日本国民を相手に「代理“核”戦争国」化を強要することを米国も「厳しい宿題」と見ている。だから国民に正しい議論が提供されればこの「新しい戦前」を「新しい平和日本」への勝機に転換することも可能だという積極的で主導的な対応も可能になると思う。

「日本の代理“核”戦争国化」という「新しい戦前」を「新しい平和日本」への転機に換える力は、ひとへに戦後日本が堅持してきた「非戦非核の国是」を日本人の魂として固守し、米国による理不尽な「代理“核”戦争国化」という新しい情況に対処し「非戦非核」を闘いの武器として発展させていく努力にかかっている。

このことを今後、国内の皆様と共に遠くピョンヤンの地にいる私たちも考えていきたいと思う。

若林盛亮さん

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

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『一九七〇年 端境期の時代』

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

今月号では、私たちの個人情報に関する問題をテーマのひとつに置きました。マイナンバーカードは「令和4年度末までに、ほぼ全国民に行き渡ることを目指す」と閣議決定(2021年6月)されています。国民の利便性を高めるためならば、取得したい人が取得すればいいのであり、この目標自体に、政府の側にメリットがあることが見えてきます。国家が国民の個人情報を一元化し、独占すること。その先にあるのが「超監視社会」ですが、それがどのようなものなのかに、私たちの想像力が試されているようです。

 

本日発売! 月刊『紙の爆弾』2023年3月号

これまで連続して本誌で採り上げてきたコロナワクチン薬害の問題は、昨年暮れごろから週刊誌でも次々と報じられるようになっています。接種開始から日を追うごとに被害者が増加するなか当然ともいえますが、時期を同じくして、テレビではファイザー社のCMがバンバンと流されています。本誌今月号では初代ワクチン担当大臣として日本国内の接種拡大を牽引、その手腕をマイナンバーカード普及に活かすことを期待されて、現在はデジタル大臣を務める河野太郎氏の手法に注目しました。

「安保3文書」改訂をめぐる問題も、このところ本誌で重点的に論じてきたひとつです。東京新聞が情報開示した防衛省内の検討過程の議事録は黒塗り。それでも、その内容は、「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言い換えた程度の生易しいものではなく、自衛隊が他国の領土内を攻撃できるということ。そのための体制づくりが今、猛スピードで進められています。これについて、岸田政権は安倍政権よりひどい、という言い方が聞かれますが、安倍政権の解釈改憲が、いまの流れの前提にあります。まさに「戦争法」だったわけで、私たちはその先を考える必要があります。

その自衛隊では人材確保がかねてからの課題とされており、アニメ作品とコラボしたポスターを制作するなどして、隊員募集に勤しんできました。その際には災害支援が前面に押し出されてきましたが、米軍の下請けとして海外の戦地へ派遣される機会が増加するのは確実です。そんな自衛隊の隊員募集においてもっとも重要なのが、募集対象者の個人情報を集めること。今月号では福岡市民の若者の個人情報が、実質的に無断で自衛隊に提供されている事実をレポートしました。マイナンバー制度においても、銀行口座等の紐づけは、個別に意志を確認することなく行なわれる方針とされています。マイナンバーカードの普及では、税金を原資としたポイント還元で国民を釣る手法が成功を収めているようですが、私たちは警戒し、拒否の意思を示していかなければなりません。

広島拘置所から本誌で連載してきた上田美由紀さんが、1月14日に亡くなりました。死因について「誤嚥による窒息」と発表されているものの、拘置所内の体制に不備がなかったか、厳密な調査が行なわれるべきでしょう。今月号では刑務所・留置場等で相次ぐ死亡事件について、検証を行なっています。いわゆる「ルフィ」事件でフィリピンの刑務所が「悪人の楽園」などと流布されていますが、一方で日本の刑事施設が収容者の人権をどのように扱っているかも、この機会にこそ問われるべきだと考えています。「紙の爆弾」は全国書店で発売中です。ご一読をよろしくお願いいたします。

「紙の爆弾」編集長 中川志大

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東京都江東区にある高層マンションに楽天モバイルが通信基地局を設置する計画が浮上して、住民の一部から健康被害に対する不安の声があがっている。問題になっているマンションが立地しているコミュニティーは東京湾に近く、海の輝きが空に反射して白光を放っているかのような、明るく近代的なイメージがある。何棟もの高層ビルがそびえている。都心にも近く、住環境としては申し分がない。その生活圏へ楽天モバイルが事業を拡大してきたのである。

同じような問題が全国各地で起きている。電磁波問題は化学物質による汚染とならぶ新世代公害の代表格にほかならない。正体が透明で認識が難しい。

さまざまな形状の携帯電話基地局

筆者は2005年から通信基地局からの電磁波問題を取材しているが、今回、楽天が設置を計画している基地局は、マンションのエントランスの「天井内」に設置するタイプのものである。従って外部からは目視できない。

同じようなタイプの基地局設置は、大阪市浪速区など他の地域にある高層マンションでも問題になったことがある。浪速区のケースでは理事会の総会で却下された。電磁波による人体影響を懸念する住民の声が強かったからである。理事会が住民の安全を賃料収入に優先した結果にほかならない。

ちなみに浪速区の件では、楽天モバイルは建物の屋上にも基地局を設置する計画を打診していた。

楽天モバイルは2023年度のうちに基地局の数を全国で6万基超にする計画を立てている。それにともない筆者のところに、「トラブル相談」が殺到している。大半のケースは解決しているが、和歌山県や千葉県の市川市では、一部住民の反対を押し切って基地局設置を強行した経緯がある。

他の電話会社も各地でトラブルを起こしており、KDDIのケースでは、住民が裁判所へ調停を申し立てる事態にもなっている。

◆電磁波による人体影響の何が問題なのか

携帯電話やスマホには、おもにマイクロ波(ミリ波を含む)と呼ばれる帯域の電磁波が使われる。マイクロ波による人体影響をどう評価するのかという問題の答えは、専門家により、あるいは筆者のような取材者によりかなり異なる。

かつて電磁波・放射線はエネルギーが高いガンマ線やエックス線などには遺伝子毒性があるが、エネルギーが低い電線などから漏れるものは安全だと考えられていた。しかし、現在では、電磁波・放射線のエネルギーの大小にはかかわりなく人体影響があるとする説が欧米で有力になっている。

筆者が最も懸念しているのは、マイクロ波の持つ遺伝子毒性である。遺伝子を傷つけて癌を発症させる要因のひとつになる可能性である。「電磁波過敏症」の人が一定の割合で存在することは紛れない事実だが、その中に心因性のものがかなり含まれている可能性も否定できない。基地局の直近に住んでも、頭痛や吐き気など知覚できる症状が現れていない人も多いからだ。

従ってマイクロ波の危険性を評価するためには、心因的な要素を排除した客観的な動物実験や疫学調査の結果を検討する必要がある。とりわけ疫学調査は、人間を対象としたデータの科学的な分析であるから信頼度が高い。医学的な根拠よりも優先するのが世界の常識となっている。

◆ブラジルの疫学調査、基地局に近いほど癌による死亡率が高い

2011年、ブラジルのミナス・メソディスト大学のドーテ教授らは、携帯基地局から住居までの距離と発癌リスクの関係を検証する大規模な疫学調査の結果を公表した。調査対象は、ベロオリゾンテ市。この地域で1996年から2006年の間に癌で死亡した7191人を対象として、それぞれの自宅と直近の基地局の距離を測定し統計としてまとめたのである。(一部、癌死亡者の統計が若干欠落している年がある)その結果、基地局に近い住居に住んでいた人ほど癌による死亡率が高いことが分かった。

次の図は、癌による死亡者の住居から基地局までの距離を示したものである。

ブラジルの疫学調査をまとめた図表

7191人の癌死亡者のうち、3569人が基地局から100メートル以内に集中している。基地局から離れれば、離れるほど癌による死亡率は下がる。

ドイツには、医師たちが1993年から2004年までナイラ市で行った疫学調査のデータがある。調査を公平に実施するために特定の団体から資金提供は受けなかった。調査対象は、調査期間中に住所を変更しなかった約1000人の医療機関への通院患者である。基地局は93年に最初のものが設置され、その後、97年に他社の局が加わった。合計で2局である。

実験の対象患者を基地局から400メートル以内に住むグループ(仮にA地区)と、400メートルより外に住むグループ(仮にB地区)に分けた。そして2つの地区における発癌の情況を比較した。

最初の5年については、癌の発症率に大きな差がなかった。しかし、99年から04年の5年間でA地区の住民の発癌率が、B地区に比べて3.38倍になった。しかも、発癌の年齢もA地区の方が低年齢になった。たとえば乳癌の平均発症率は、A地区が50.8歳で、B地区は69.9歳だった。

さらにイスラエルでも、類似した疫学調査が行われ、同じような傾向が示された。これらの疫学調査が行われたのは、5Gよりもはるかにエネルギーの低い電磁波が使われていた時代である。電磁波のエネルギーが高くなれば、それに連動して人体影響も顕著になるという確証はないが、紫外線よりもエックス線が、エックス線よりもガンマ線の方がより危険度を増す事実から察すると、5Gの電磁波は旧世代の携帯電話に使われた電磁波よりもはるかに高いリスクをはらんでいる。

ちなみに現在では、基地局の数が増えすぎて、この種の疫学調査は実施そのものが困難になっている。

◆心臓に悪性腫瘍が増えたことを示す「明確な証拠」

ラットを使った動物実験でも、マイクロ波による発がん性は裏付けられている。たとえば2018年、アメリカの国立環境衛生科学研究所は、NTP(米国国家毒性プログラム)の最終報告を行い、動物実験でマイクロ波と癌の関係が明白になったと発表した。

最終報告によると、動物実験の期間である2年間に、オスのラットの心臓に悪性腫瘍が増えたことを示す「明確な証拠」が得られたという。一方、マイクロ波を放射しなかった実験群のラットに心臓の腫瘍は発生しなかった。

NTPは10年に渡る長期プロジェクトで、予算も3000万ドル。最大級の国家プロジェクトである。

同じ年に、イタリアでも同じような動物実験の結果が発表されている。米国の実験は、おもに携帯電話末端からのマイクロ波を想定したもので、イタリアの実験は、基地局からのマイクロ波を想定した実験である。いずれも人体への影響(発癌性)があると結論付けた。

◆規制値の国際比較

こうした欧米の動きを反映しているかのように、たとえば欧州評議会はマイクロ波の安全基準を厳しく設定している。日本の総務省が定めている規制値よりも、1万倍も厳しい数値になっている。次に示すのが数値の国際比較である。

・日本: 1000 μW/c㎡
・スイス: 9.5μW/c㎡
・欧州評議会: 0.1μW/c㎡、(勧告値)

総務省の規制値は1990年に制定されたもので、その後の疫学調査や動物実験を正しく反映していない。検証は行ったが、「安全」として改訂していない。現時点で医学的な根拠が解明されていないから、欧米なみに厳しく規制する必要はないという考えに立っている。その背景にどのような力が働いているのかは分からない。

◆「予防原則」が最優先

東京都江東区で浮上している楽天モバイルの基地局問題を放置することは、住民を人間モルモットにすることに等しい。5Gのマイクロ波による人体影響があるかどうかを判断するためには、少なくとも10年の観察を要する。長期にわたり5Gマイクロ波を浴び続けたとき、人体がどうなるかを示すデータはまだ十分に存在していない。

と、なれば過去の疫学調査や動物実験の結果を尊重して、リスクを回避するのが正しい選択肢なのである。個々の住民がその権利を持っている。「予防原則」を優先すべきなのである。楽天モバイルは、それを尊重しなければならない。

◆楽天モバイルへ質問状

筆者は、楽天モバイルの広報部へ次の質問状を送付した。また、電話で真摯に回答するように求めた。

質問項目は次の5点。

1,基地局の設置に反対者がいるのに工事を進めるのか?

2,健康被害が出た場合、貴社は補償するのか?

3,今後、新しい入居者に対して電磁波のリスクを説明するのか?

4,電磁波の「非熱作用」についての楽天の見解

5,楽天から政界関係者に対して、過去に政治献金の類いを贈ったことはあるか。

◆楽天からの回答

楽天モバイルからの回答は次の通りである。

お世話になっております。楽天モバイル広報部でございます。
ご質問の件、以下の通り回答申し上げます。

1,基地局の設置に反対者がいるのに工事を進めるのか?
2,健康被害が出た場合は貴社は補償するのか?
3,今後、新しい入居者に対して電磁波のリスクを説明するのか?
4,電磁波の「非熱作用」についての楽天の見解

1~4への回答:
個別の基地局に関する回答は差し控えます。

5,楽天から政界関係者に対して、過去に政治献金の類いを贈ったことはあるか。

5への回答:
回答は差し控えます。

以上、ご確認の程、よろしくお願いいたします。

楽天モバイル広報部

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年2月号

モトヤスックはノックアウトを逃すも長丁場5回戦の上手い戦いを見せた。
ダイチが同門対決を1ラウンドKOで制する劇的な王座獲得。
藤原乃愛は高校卒業前の試合を判定勝利。春からは大学生。

◎CHALLENGER.7 / 1月29日(日)後楽園ホール17:30~21:30
主催:Yashio ジム / 認定:ジャパンキックボクシング協会(JKA)

◆第10試合 70.0kg契約 5回戦

モトヤスック(岡本基康/治政館/ 70.0kg)
       VS
ネートパヤック・ピークマイレストラン(タイ/ 68.9kg)
勝者:モトヤスック / 判定3-0
主審:和田良覚      
副審:椎名49-44. 中山50-44. 松田50-44

モトヤスックは現・WMOインターナショナル・スーパーウェルター級チャンピオン。ネートパヤックは元・タイ国ムエスポーツ協会スーパーライト級チャンピオン。

初回、探りのミドルキック中心で牽制をしていくネートパヤックに対し、モトスヤックも応戦し、優る体格とパンチ蹴りの圧力で、徐々に表情に余裕が無くなっていくネートパヤック。

第4ラウンドにはモトスヤックは左右のパンチを中心に攻め、ネートパヤックはガードはしているが徐々にダメージが蓄積。更にモトスヤックのジワジワ攻めたローキックの効果が表れ、右ローキックでノックダウンを奪う。立ち上がったネートパヤックはサウスポーにスイッチしたり、距離を取って凌ぐ。

最終第5ラウンド、モトスヤックの右ローキックがネートパヤックの左足に決まる度に、ネートパヤックはスイッチし、モトスヤックはやや攻め倦むが、右ローキックを避ける為に身体を回転させたネートパヤックはダメージの蓄積があり、この試合2度目のノックダウンを喫してしまう。

モトヤスックのローキックに呻きながらこの後崩れ落ちるネートパヤック

攻勢を維持して追い詰める中のモトヤスックの右ミドルキックがヒット

モトスヤックは攻め続けるも、ネートパヤックのブロックなどのテクニックでノックアウトを拒まれてしまった展開で終了。

判定勝利したものの納得がいっていない表情をしていたモトスヤック。リングを下りた後、車椅子で来場していた長江国政会長のアドバイスを正座して真摯に聞いていた。

モトヤスックと対戦するネートパヤックにも叱咤激励する武田幸三プロモーター

◆第9試合 ジャパンキック協会ウェルター級王座決定戦 5回戦

2位.ダイチ(誠真/ 66.45kg)vs3位.正哉(誠真/ 66.5kg)
勝者:ダイチ / KO 1R 2:53
主審:少白竜

初回、両者ともにパンチを主体に主導権争いを仕掛ける。ラウンド中盤に正哉の左ストレートがダイチの顔を捉えてグラつかせたが、残り20秒を切った頃にダイチの左右のストレートがクリーンヒット。

右ストレートを顎に貰った正哉は立ち上がろうと意識は働くが身体は思うように動かずカウントアウト。ダイチが同・協会王座戴冠。

試合後、ダイチは「誠真ジムにとって2つ目のベルトですが、もっと強くなっていきたい!」と意気込みを語り、同門の正哉選手を称えていた。

ダイチのクロス気味右ストレートヒットでこの後、正哉が崩れ落ちる

ダイチとの打ち合いでは正哉にも左ストレートでチャンスがあった

◆第8試合 女子45.5kg契約3回戦

女子(ミネルヴァ)ピン級チャンピオン.藤原乃愛(ROCK ON/ 45.15kg)
      VS
タイ・イサーン地区女子ピン級チャンピオン.ペットルークオン・サーリージム(タイ/ 45.1kg)
勝者:藤原乃愛 / 判定3-0
主審:椎名利一
副審:少白竜 30-29. 中山30-28. 和田29-28

この試合がJK(女子高生)ファイターとして最後の試合となる藤原乃愛。試合前に「前回と比べられてしまいますが、KOは狙っていきます!」と意気込みを語っていた。

藤原乃愛は得意の蹴り、ペットルークオンはパンチを主体に主導権を争う展開。
第2ラウンド、藤原乃愛のハイキックからミドルキックのコンビネーションは会場を沸かせ、ペットルークオンの重いパンチも同様に沸かせた。中盤あたりに藤原乃愛の前蹴りがペットルークオンの顔面を捉えると優位に立つが、ペットルークオンも左ストレートを返すも藤原乃愛のガードで届かず。

第3ラウンド、藤原乃愛の左のパンチ、左前蹴り、左ミドルキックが要所要所で決まるが、ノックダウンまで至らず。ペットルークオンも藤原乃愛の攻撃に対して返していくも、自分のペースに持ち込めず試合終了。

両者ともに2005年生まれで今年18歳になる。ペットルークオンは、ムエタイで四つの王座獲得の肩書きを持ち、RISE興行で2戦こなしている選手。この日が日本での試合が3戦目で日本での試合に慣れてきた様子が窺えた。

試合後 藤原乃愛は、「相手は強かったです。元・ムエタイの四冠王者ですね。逃げるテクニックは上手かったですし、戦いに慣れている選手でした。ノックアウトが出来なかったのは悔しかったです。次に活かしてがんばります!」と応えた。

藤原乃愛がしなやかなハイキックと顔面前蹴りが幾度かヒット

◆第7試合 61.5kg契約3回戦

ジャパンキック協会ライト級2位.内田雅之(KICKBOX/ 61.15kg)
      VS
岩橋伸太郎(前・NJKFライト級C/エス/ 61.15kg)
勝者:内田雅之 / 判定2-0
主審:松田利彦
副審:椎名 29-29. 少白竜30-29. 和田30-28

前日の計量で岩橋伸太郎は「前回の試合でボコボコにされてしまったので、今回は自分のペースを掴み勝ちに行きます!」と語っていた。

初回、岩橋伸太郎は開始から仕掛けていくが、内田雅之はパンチ主体で岩橋の攻撃をかわしていく展開。

第2ラウンド、内田の重いストレートパンチが決まり始める。岩橋もミドルキックとストレートパンチのコンビネーションで攻めていくが、内田のテクニックで攻め倦む。

最終ラウンド、内田の右のバックハンドブローが決まり動きが止まる岩橋。2分過ぎに内田は岩橋のボディーに右ストレートを決めるがノックダウンは奪えず。岩橋も攻撃をしていくが、内田の的確なパンチで阻まれてしまった。僅差ながら内田の判定勝利。

試合後、内田雅之は「岩橋選手は、頑丈で倒すことは出来ませんでしたが良い選手でした。次回も頑張ります!」と笑顔でコメント。岩橋伸太郎は、「前回の反省を活かしオーソドックススタイルでいきましたが、勝てませんでした。内田選手は上手かったです!」と両選手共にお互いを称えていたコメントだった。

内田雅之の後ろ蹴り。格好良かったがヒットは浅かった

◆第6試合 フェザー級3回戦

ジャパンキック協会バンタム級2位.義由亜JSK(治政館/ 56.3kg)
      VS
HAYATO(CRAZY WOLF/ 56.85kg)
勝者:義由亜JSK / 判定3-0
主審:中山宏美
副審:椎名30-28. 少白竜30-27. 松田30-28

初回、蹴りの応酬の中、義由亜はHAYATOのミドルキックでグラつくも、すぐに立て直し首相撲を仕掛けて自分のペースを作っていく。第2ラウンド、義由亜はパンチの数を増やし始め、HAYATOは左目尻付近をカットするが大きな影響は無く、義由亜は首相撲からのヒザ蹴りの連打でHAYATOはやや劣勢に陥る。

第3ラウンド、義由亜の首相撲からのヒザ蹴りでHAYATOは動きが止まってしまい、余裕が無くなっていく。ラスト30秒頃、セコンドの指示が聞こえたHAYATOはローキックで攻めていくが試合終了。義由亜が判定勝利となった。

試合前は明るく関係者と会話をしていた義由亜は、試合後には「変な試合をしてすみませんでした!」と反省していた。

いきなり飛ばれるとカメラのフレーミングが間に合わない義由亜の飛びヒザ蹴り

◆第5試合 ライト級3回戦

ジャパンキック協会ライト級3位.興之介(治政館/ 61.1kg)vs村田将一(誠真/ 61.0kg)
勝者:村田将一 / TKO 3R 1:38
主審:和田良覚

開始早々から村田将一が飛び前蹴りで牽制。興之介のリズムを狂わす変則気味の展開を見せ、第2ラウンドには右ハイキックと左右のパンチ連打で2度のノックダウンを奪い、第3ラウンドには隙を突いた右ストレートで興之介を倒し、カウント中のレフェリーストップとなった。

タイミングを計った村田将一が右ストレートで興之介を倒す

◆第4試合 55.0kg契約3回戦

ジャパンキック協会バンタム級4位.樹(治政館/ 55.0kg)vs前田大尊(マイウェイ/ 54.85kg)
勝者:前田大尊 / 判定0-3 (28-30. 28-30. 28-29)

◆第3試合 フライ級3回戦

ジャパンキック協会フライ級2位.西原茉生(治政館/ 50.6kg)
      VS
滑飛レオン(テツジム滑飛一家/ 50.65kg)
勝者:西原茉生 / 判定3-0 (29-28. 30-29. 29-28)

◆第2試合 フェザー級3回戦

隼也JSK(治政館/ 56.95kg)vs勇成(Formed/ 56.8kg)
勝者:勇成 / TKO 3R 1:01 / ヒジ打ちによる右目尻カット、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップ

◆第1試合 バンタム級3回戦

小野拳大(KICK BOX/ 53.15kg)vs紫希士(Formed/ 53.3kg)
勝者:紫希士 / 判定0-3 (27-30. 27-30. 27-30)

10年掛けて王座に到達したダイチ。まだ日本の頂点ではない真の挑戦はこれから

《取材戦記》

今回の興行はKO決着は少なかったものの、クリンチなどで試合が膠着することがなかったこと、適度なパフォーマンスで勝利を得た義由亜JSKや村田将一、キックのテクニックを披露し、会場を魅了した藤原乃愛と、“重量級ではパンチが決まるとすぐにKOに繋がる”という凄みをみせてくれたダイチによって、新年のスタートとしては成功した興行でした。

第1試合と第2試合には今年から加入したFormed ジムから出場した高校生の二人が勝利をしたことで幸先のスタートを飾り、前評判が高かったテツジムの滑飛レオンに判定勝利をした西原茉生や、前・NJKFライト級チャンピオン、岩橋伸太郎に勝利した内田雅之によって、他団体へのアピールにもなったでしょう。(第6~10試合のレポートと取材戦記は岩上哲明記者の記述を引用)

※       ※       ※    

WBCムエタイ日本ライト級チャンピオン、永澤サムエル聖光が2月2日(木)にタイ国ラジャダムナンスタジアムで試合出場しましたが、好戦的展開も判定負けを喫しました(堀田春樹)。

138LBS 5回戦 
永澤サムエル聖光(ビクトリー)vsクンスック・シップーヤイテープ

次回のジャパンキックボクシング協会興行は「KICK Insist.15」を3月19日(日)に新宿フェースで開催予定です。

◎堀田春樹の格闘群雄伝 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=88

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

2023年を展望という大上段な気分ではなく、現状確認とこれからの方向性を探るために、一度黒薮哲哉さんとじっくり時間をかけて直接お話がしたい、と昨年後半から感じていた。1月20日私の希望は実現した。3時間半にわたって休憩をはさむことなく、「横浜副流煙事件裁判」、「押し紙」、「中南米情勢」など各論から「ジャーナリズム」の課題や新自由主義の諸問題まで話題は広がった。3時間半あれば深くはないにせよ一応語り尽くすことはできるだろう、との計算はわたしのミスだった。時間が圧倒的に足りなかったのだ。だぶん黒薮さんも同様にお感じではないだろうか。

いずれにせよ、以下は黒薮さんにわたしが伺う形を基本とした、2023年1月における「現状確認」と「方向性」の模索である。お忙しい中時間を割いていただき、原稿の校正にも快く応じてくださった黒薮さんに感謝するとともに、この対談(インタビュー?)が、読者のみなさんにとって何らかの示唆となれば、幸いである。(田所敏夫)

◆横浜副流煙事件裁判 ── なぜ原告の訴えは棄却されたのか?

田所 藤井さんの事件についてあらためてお伺いいたします。横浜副流煙事件裁判は、藤井さんが提訴されて一年目くらいから黒薮さんは取材を始められ、藤井さんが元の代理人を解任された後、黒薮さんも加わっての本人訴訟に切り替わったのですね。

黒薮 厳密にいえば藤井さんがご自分の判断で元の弁護士を解任し、ご自分で書証の準備をされていました。それをチェックしてほしいと要請があったので読んでいる中で、これは支援しようと私も思い立ち支援に加わりました。最初に取材した時は、支援に加わるつもりはなかったのですが。

田所 そうですか。そして結論は地裁判決で完全勝利のうえ、診断書を書いたとされる作田学医師の行為が医師法20条違反との判断を得られました。高裁でも原告の訴えが完全に棄却され、藤井さんが勝訴が確定したわけですね。

 

黒薮哲哉さん

黒薮 そうです。

田所 事件についての裁判所の判断は、極めて妥当だと思いますが、この事件は多様な問題を含んでいるように思います。「禁煙ファシズム」や「スラップ訴訟」の側面もありますし、映画化で焦点化された「化学物質過敏症」の問題にも関わります。

黒薮 この事件について知った時、最初に感じたのは訴訟自体がおかしいということです。約4500万円を藤井さんは請求されていたわけで、これは一般に言われている「スラップ訴訟」だと感じました。厳密にいえば「スラップ訴訟」は住民運動などに対する大企業による訴訟を指しますが、日本では広く「不当な訴訟」と理解されています。それが問題だと思ったのが藤井さんを支援した理由の一つです。また禁煙ファシズムの問題も感じました。

田所 その時点でこの事件が映画化されることは予想されましたか。

黒薮 映画になることは予想はしなかったです。ただ、最初藤井さんにお会いした時に書籍にまとめるべき重いテーマだと思いました。藤井さんにも、書籍にすれば広く訴えることができますよ、と伝えました。


◎[参考動画]映画 [窓] MADO 予告篇

 

田所敏夫さん

◆スラップ訴訟の後ろに宗教団体?

田所 この事件で原告を支えたのは日本禁煙学会とその理事長である作田学氏ですか。

黒薮 日本禁煙学会は、原告を組織的に支援したということは否定していますが、作田氏は5本も意見書を裁判に書面を出しています。意見書などですね。一般的に専門家に意見書を書いてもらうには1通につき30万円位かかると言われています。そうすると常識的には個人が負担するには過重ですよね。ですから何らかの組織が原告支援に関わった可能性は高いと思います。

田所 聞き及ぶところによると何某教の方々と仲のいいかたがただと伺いました。

黒薮 そうですね。

田所 藤井さんも、田所の認識と同じだ、とおっしゃっています。

黒薮 私もそうだと思います。本当のところはね。

田所 「宗教と政治」が昨年大きな問題になりました。もしも宗教がスラップ訴訟の後ろにいることが事実であれば、大変なことですね。

黒薮 宗教団体、とくに新興宗教の人たちは自制心なしに感情に任せて行動してしまう人が多いです。そのような流れが背景のひとつにはあったと思います。(つづく)

▼黒薮哲哉(くろやぶ てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学 消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY007)

1月26日、大阪・十三のライブハウス「GABU」で、高橋樺子(はなこ)さん(UTADAMA MUSIC)の新曲「さっちゃんの聴診器」の発売を記念したライブが行われた。満員の会場に現れた高橋樺子さんは、大好きだという真っ赤なドレスで「さっちゃんの聴診器」を歌い上げた。

高橋樺子さん

 

高橋樺子シングルCD「さっちゃんの聴診器」2023年01月26日発売 ¥1,000(税込)レーベル:UTADAMA MUSIC

高橋さんは、2007年、関西歌謡大賞でグランプリを受賞したことから、その後、審査委員長を務めた作詞家・もず唱平さんに弟子入り、2011年3月11日の東北大震災と原発事故の翌年、被災地復興支援ソング「がんばれ援歌」(作詞:もず唱平 作曲:岡千秋、三山敏)でデビュー。

もず唱平さんには、実は、一昨年、鹿砦社発行の反原発雑誌『NO NUKES voice』(現『季節』/28号=2021年6月発行)でインタビューさせて頂いた。

もずさんの父親・潔さんは、広島の「旧陸軍被服支廠(ししょう)」の現場監督で働いていたが、8月6日の原爆投下で二次被害にあい、その後原爆症を患われた。

しかし、父親が一生原爆手帳を受けなかったため、治療費などが嵩み、生活が苦しい時期もあったという。そうしたことから、次第に父親とは疎遠になっていく一方で、もずさんは反戦・平和への思いを強くしていった。そんな思いが高橋さんの熱心な復興支援活動などにつながっているのだろう。

もずさんにインタビューした際には、高橋さん、マネージャーの保田ゆうこさんから、震災後、何度も支援物資を被災地に運んだり、被災地で歌った思い出、広島に原爆を投下したB29の出撃地であるテニアン島、サイパン、グアムなど戦跡巡りなどに行かせて貰ったという貴重なお話もお聞きした。

そんな高橋さんは2015年、戦後70年の年に、もずさんが父親から聞いた原爆の体験をもとにした「母さん生きて」(作詞・もず唱平 作曲・鈴木潔)を、平和を訴える祈念歌としてリリースした。

それから7年ぶりの新曲となる「さっちゃんの聴診器」、高橋さんは、新曲にかける思いをこう語った。

さっちゃんとは、大阪の西成区でお医者さんをやっておりまして、いろいろ調べていきますと、研修時代は沖縄にいて、その後、大阪の西成にきて、路上生活者も多い釜ヶ崎という地域で、医師として、労働者の身体だけではなく、心にも寄り添う、献身的に社会貢献活動をされておりました。その矢島祥子さんのことを、私の師匠である、作詞家のもず唱平先生がドキュメンタリーとして、この作品に書きあげ、曲は、矢島祥子さんのお兄さんである敏さんに付けて頂きました。高橋樺子は、これまで『平和』をテーマに歌ってきましたが、今回、新たなスタイルの平和を、この『さっちゃんの聴診器』で沢山の方に聞いて頂き応援して頂きたいと思う曲です。

高橋樺子さん

◆「釜ヶ崎人情」が繋げた縁

もず唱平さんが「さっちゃんの聴診器」を書くきっかけとなったのが、もずさんが作った「釜ヶ崎人情」だった。もずさんの「釜ヶ崎人情」は、釜ヶ崎のカラオケのある居酒屋では「カマニン入れてや」といわれるほど、労働者に親しまれ良く歌われる曲だ。もずさんは、作詞家としてこの曲を初めて作るとき、何度も何度も釜ヶ崎に通い、飲み屋で労働者に話を聞いたという。その「釜ヶ崎人情」が、矢島敏さんともずさんを繋げていった。

「さっちゃんの聴診器」のモデルとなったのは、矢島敏さんの妹・祥子さんで、2007年4月から、西成区の鶴見橋商店街にある診療所で内科医として勤務しはじめた。その傍ら、ボランティアで野宿者支援活動に非常に熱心に取り組んでいた。給料、ボーナスを惜しみなく、野宿者らへの寝袋の購入費などに費やしたという。

しかし、2009年11月16日、西成区内の木津川の千本松渡船場で遺体で発見された。まだ34歳の若さだった。西成警察署は、当初「過労による自死」と断定した。

しかし、共に医師である群馬県の両親が、祥子さんの遺体の状態、痕跡などから、何者かに殺害されたのではないかと疑い、「事件として捜査してほしい」と訴え続け、その後ようやく自殺、事件の両面で捜査すると約束してくれた。ただ残念なことにその後捜査は進んでいない。

両親、敏ちゃんら兄弟は、毎月祥子さんが行方不明になった14日、祥子さんが勤務していた診療所のある鶴見橋商店街で、情報提供を求めるチラシ配りを支援者らと続けている。その前後、釜ヶ崎の居酒屋・難波屋や社会福祉法人「ピースクラブ」でライブを行ってきた。ライブの冒頭、支援者らと必ず歌う曲が「釜ヶ崎人情」だった。

2018年8月7日、NHKが、そうした情宣活動やライブ活動など、遺族や支援者らの活動を取材し、ドキュメンタリー「さっちゃんは生きたかった~大阪釜ヶ崎 女性医師変死事件~」が制作され、放映された、その番組を偶然自宅で見ておられたもずさん、「自分の作った曲が歌われている……」と驚かれると同時に、何かできないかと、遺族に連絡を取り、敏ちゃんらのライブにやってこられた。

初めてもずさんがライブに訪れた日のことを、敏ちゃんはこう話している。

「今日会場にもずさんという方が来られていると聞き、すぐにネットでググり、びっくりしました」。

その後もずさんは、祥子さんの故郷・群馬県で行われた偲ぶ会などにも参加し、遺族のために、何かできることはないかと考え、祥子さんのための歌を作ろうと考えた。

「曲を作るのはあなたしかいないんだ」と作曲を頼まれた兄・敏さん。こうして、もず唱平作詞、矢島敏作曲の「さっちゃんの聴診器」が生まれた。

矢島祥子さんの兄、敏さん(左から二番目)率いる「夜明けのさっちゃんズ」と高橋樺子さん

もずさんは、昨年11月に行われた偲ぶ会でこう話されていた。

昔、新谷のり子さんが歌った『フランシーヌの場合』(1969年)という曲が流行りました。『フランシーヌの場合は、あまりもお馬鹿さん……」と始まる歌を聞いて、多くの人が「フランシーヌって誰?」と思ったと思います。『さっちゃんの聴診器』も同じように『さっちゃんて誰?』と関心を持ってもらえるきっかけになればとの思いで作りました」。『もっと生きたかった この町に もっと生きたかった 誰かのために」。曲のはじめに繰り返されるこのフレーズ、ぜひ多くの皆さんに聞いていただきたい。一緒に口ずさんで頂きたい。そして若くして亡くなった矢島祥子さんに思いをはせて頂きたい。

「さっちゃんの聴診器」を作詞されたもず唱平さん(右)が、歌に込めた思いを語る

◆沖縄に移住し、新たな音楽活動、そしてラブ&ピースの活動を!

今回の新曲発表ライブのサブタイトルに「私、沖縄に移住しました」とある。そうです。もずさんが温かい場所で作詞活動を行いたいと、昨年事務所を沖縄に移したことをきっかけに、高橋さん、マネージャーの保田さんらも沖縄に移住し、新たなレーベル「UTADAMAMUSIC」を立ちあげた。

「言霊」にかけた「UTADAMA」(歌霊)では、沖縄の島唄と本土のやまとうたの「混血」ソングを目指したいという。その第一弾の「さっちゃんの聴診器」。

「もっと生きたかった この町に もっと生きたかった 誰かの為に……。」

曲のはじめに繰り返されるこのフレーズ、ぜひ多くの皆さんに聞いていただきたい。一緒に口ずさんで頂きたい。

そして34歳の若さで無念の死を遂げた矢島祥子さんのことを少しでも知って欲しい!

「さっちゃんの聴診器」(作詞=もも唱平/作曲=矢島敏/編曲=竜宮嵐)


◎[参考動画]高橋樺子 ”さっちゃんの聴診器” ~short ver~

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

◆核実験場廃止、世界のヒバクシャと連帯で座り込み

1月27日はネバダ・デーです。1951年1月27日、アメリカのネバダ州で核実験場が「オープン」してしまいました。その後、1992年までに928回もの核実験が行われたとされています。アメリカでも実は多くの方がヒバクされているのです。ある意味、アメリカこそが世界最初で最大の被爆国(自国の核実験による)といってもいいでしょう。

33周年にあたる1984年1月27日、 実験場の偏西風の風下(東側)に当たるユタ州シーダー市の「シティズンズ・コール」(ジャネットゴードン代表)の呼びかけで、全米各地で反核集会が開催されました。

この運動がイギリス・カナダ・マーシャル諸島などへも広がり、 広島県原水禁もこの日、核実験全面禁止を求める国際連帯行動として、 原爆慰霊碑前で座り込みを行いました。

 

広島県原水禁代表委員で元衆院議員の金子哲夫さん

その後、この日は「ネバダ・デー・国際共同行動日」として世界で取り組まれるようになり、以降、広島では毎年のように座り込み行動を続けています。

この日も12時15分から筆者も含む広島県原水禁のメンバーが原爆慰霊碑前で座り込みを開始しました。

広島県原水禁代表委員で元衆院議員の金子哲夫さんから、上記のようなネバダ・デーについての説明をいただきました。

昨年2022年は、新型コロナ・オミクロン株の感染爆発で中止になった座り込みですが、2年ぶりに復活しました。

参加者は
・ネバダを始めすべての核実験場の閉鎖
・核兵器保有国と核の傘の下の国の核兵器禁止条約参加
・北東アジアの非核地帯化・非核三原則の法制化
を求め、
・ロシアによる核使用・威嚇は絶対に許さず
・世界のヒバクシャと連帯するとともに、岸田政権の原発再稼働・新増設も許さない、
趣旨のアピールを採択しました。

◆伊方原発運転差し止め仮処分 パワポのプレゼン競争で結審

筆者はこの後、伊方原発運転差し止めを求める裁判の原告として、広島高裁に移動しました。伊方原発広島裁判は、2016年3月11日に提訴。その後、筆者(当初は応援団)も含む原告312人に膨れ上がりました。本裁判の方はまだ広島地裁で続いています。「裁判中に原発事故が起きてはいけない」ので、運転差し止めの仮処分を住民側はこの間、何度も申し立てています。

広島高裁では、原告側が、運転差し止めの仮処分を求めて抗告中です。2017年12月13日に広島高裁で一度、運転差し止めの仮処分が下されています。しかし、四国電力が異議を申し立てし、2018年9月25日に四国電力の異議を認めた高裁が運転差し止め却下を決定してしまいました。

2020年3月11日に原告側は新たな仮処分を申し立て。しかし、2021年11月4日に産廃処分場裁判などでも権力寄りで悪名高い吉岡裁判長により仮処分は却下されてしまいました。そこで18日に原告側は即時抗告を高裁にしていました。そして、2023年1月27日に第一回審尋でそのまま結審、ということになりました。

この日の審尋では、抗告人(我々原告)側弁護人→相手方(四国電力)側弁護人の順にパワーポイントで主張を展開しました。脇由紀裁判長と陪席の男性裁判官2名も、高い場所から平場?に降りて、スクリーンに映った両者の主張を我々原告、被告=四国電力の「えらい人」たちと一緒に見ておられました。

原告側は、伊方原発訴訟最高裁判決を根拠として、被告=相手方の四電に審査基準が安全かどうかの立証責任があるという主張を展開しました。

「原子炉施設の安全性に関する判断の適否が争われる原子炉設置許可処分の取消訴訟においては、判断に不合理な点があることの主張、立証責任は、本来、原告が負うべきものであるが、行政庁の側において、まず、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の調査審議において用いられた具体的審査基準並びに調査審議及び科断の過程等、被告行政庁の判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づき主張、立証する必要があり、行政庁が右主張、立証を尽くさない場合には、行政庁がした右判断に不合理な点があることが事実上推認される。」

これが、1992年の最高裁判決の要旨です。
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=54276

他方、被告=相手方の四国電力側は、地震動の危険性は加速度だけではない、また、伊方原発の下の地盤は周辺のそれより硬い、ということを必死で主張されていました。ただ、南海トラフ地震でも181ガルしか揺れない、という四国電力側の想定は素人目に見てもあまりにも楽観的なように思えました。そもそも、普通の工場などよりもさらに厳しく「絶対に事故を起こさない」ことを求められている原発にしてはあまり楽観的な態度に見えました。ただ一方で、「普通の工場並みでも良いじゃない?」と思ってしまっている人にはそれなりに説得性があるようにも思えました。

 

伊方原発運転差し止めを求める裁判の報告会

筆者は原発関係の裁判はもちろん、労働裁判も含めて裁判の傍聴経験は多数あります。しかし、今日は、はじめて、「パワポでプレゼン」という裁判を傍聴しました。非常に新鮮でした。ただ、裁判長の反応があっさりしすぎてちょっと不安になりました。ただし、判決内容と裁判長の裁判中の対応は必ずしも比例しないということもプレゼンした河合弘之弁護人から伺いました。

この日、応援にかけつけた原発を止めた「あの」樋口英明元裁判官(写真左端)も実は、「あの」裁判の訴訟指揮では原告に対してもかなり素っ気なかったそうです。そのことをうかがって、少し安心しました。

伊方原発広島裁判の運転差し止めの仮処分の可否は3月24日、言い渡されます。ご承知の通り、地元広島の岸田総理がフクシマの処理もめどが立たぬ中、原発推進へと暴走し、全国の皆様には大変ご迷惑をおかけしております。総理の選挙区の有権者の一人として、吉報を3月24日にお届けすることで、多少の「罪滅ぼし」ができることを願っております。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

《2月のことば》Power to the People(鹿砦社カレンダー2023より。龍一郎揮毫)

 
年が明け、あっというまに2月になりました。
「1月は去(い)ぬ、2月は逃げる、3月は去る」といいますが、これから月日が経つのは、あっというまです。
心して一日一日を悔いのないように過ごしましょう。

「Power to the People」はジョン・レノンがベトナム戦争末期の1972年に発表した曲名です。
私たちの時代には「人民に権力を」と訳しましたが「人々に力を」と訳す人もいました。
いずれにしろ、世界中の「人民」や「人々」が力を結集しベトナム戦争の終結に至らしめたというのは歴史的事実です。

今、ウクライナ戦争が始まり1年が経とうとしています。
これが戦争の末期なのか、さらに継続する節目なのか分かりませんが、世界中の人々の力によってウクライナ戦争の終結が一日も速く来ることを心から祈りたいと思います。
平和への「種を蒔いたら いつか芽を出す花が咲く」ことを祈りたい。

さて、私事ながら、2月1日という日は、51年前の1972年2月1日、まだ20歳になったばかりの私は、志を同じくする学友と共に学費値上げに抗し、これを実力で阻止せんと闘い逮捕された日です。
100名以上の学友が検挙され43名が逮捕、10名が起訴されました。
「春秋に富む若者」(判決文より)であった私(たち)の志とは何だったのか、以後51年間、反芻しながら生きてきました。
私にとっては、誕生日、「名誉毀損」の名の下に逮捕された7月12日と共に、三大記念日の一つです。

あの酷寒の日のピュアな志を想起しつつ、残り少なくなった人生を生きていきたい──。

(松岡利康)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年2月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

◆「一週一善」

ほんの思いつきから始まった自作詩集「仁奈詩手帖」、それはいつしか真剣勝負の共同作業になって結果は思った以上の「価値ある」成功、それは私たちにとても勇気を与えるものだった。

二人でやれば怖いものはない。「思案に暮れていた」ジェロさんと「簡単じゃないからいいんじゃないですか?」の仁奈さん、二つの魂は確実に接近した。

「案ずるより産むが易し」! 「跳んでみたいな」運命共同体、次なる共同行動は”Smoke gets in your eyes”の夜からすでに温めていた「一週一善」構想。

精神ハイに乗ったあの夜決めたのは「一日一善」の故事にならって私たち式の「一善」、世間の常識を覆す「一つの善行」を「週一」でやろうという企画(実際は、月に2、3回)。おかしいと思う常識を覆すのが私たちの「善行」! 


◎[参考動画]Miles Davis – Smoke gets in your eyes

最初の企画の発案、シナリオは仁奈さん、それは「お嬢さん」脱皮中の彼女らしいユニークな「一善」。

当時の京都でひときわ華やかな四条河原町・高島屋デパート、なかでも高級感あふれる資生堂化粧品売り場が二人の「善行」舞台。

まず「お嬢さん」風のいでたちの「上客」、仁奈さんが資生堂の化粧指導員相手にショウケースから各種カラーの口紅をあれこれ出させ、いちいち説明をさせながら、さてどれにしようかと思案のふりをする。横に付きそうこれもちょっと小綺麗にした私に「迷っちゃうなあ、どれがいい?」と恋人に甘えるかのように意見を求める。ここからがジェロさんの大芝居-「僕には“素(す)のまま“の君がサイコー」! と彼女の唇に優しく「3センチ距離感覚」を実践、ゆっくりとこれ見よがしにやる、彼女もそれを甘く受ける。目の前の資生堂派遣の一級のプロ化粧指導員をして目のやり場に困らせるのが目的。そして挙げ句の果てに「すみませ~ん、やめときます。ごめんなさいね」と二人で売り場を去る。

気合いを入れこれをシナリオ通りにやって、ほぼ想定通りの展開にした。

高島屋から四条通りに出るや二人でにんまりうなずき合った、「してやったり」! おなかの中では大笑い。「あの“3センチ”、ちょっとしつこかったよ」の仁奈さんに「いやあ、あれは演技やない本気」とジェロさん、「バッカ~」と仁奈さんのお叱り受けて初「善行」はめでたしめでたし。

世間的には単なる資生堂の販売員イジメ、でも舞台は天下の高島屋、資生堂ブース、精神ハイとはいえ私たちにはちょっと勇気が必要だった「善行」。

いま思えばこの「善行」は、「アメリカに追いつけ追い越せ」高度経済成長に向かう「昼間の明るい日本」に対するカウンターパンチ。「時空を越える“黒”」ファッションで有名なデザイナー、山本耀司式に言えば、「飾り立てるのがファッションかもしれないが、人の眼を欺いてはいけない」! そんな意味合いだったのだと思う。仁奈さんは「善行」センスも「高品質」!

この頃、新宿花園神社赤テント状況劇場や天井桟敷で唐十郎、寺山修二らも常識を覆す実験劇をやっていた。仁奈さんの「実験劇」はその零細企業版!?

次にやった「善行」は「乞食のおっちゃん二人組」との三条大橋下での夜の酒宴。これは私の発案。

以前、バイト帰りの薄汚れた格好、ぼさぼさ長髪の私が鴨川縁を歩いていたら、「よ~っ、同志!」と呼び止められた。声をかけたのは三条大橋下をねぐらにしている乞食のおっちゃん二人組、誘われるままに彼らと一夜を過ごし友達になった。おっちゃんたちは二人とも「満州引き揚げ者」で戦後の日本になじめなかったのか、何らかの理由で自由気ままな乞食生活をやっている人、犬も一匹飼うという優しさの「余裕」もあるお乞食さん。

富裕家庭子女の「詩人」をこのおっちゃんら「無産階級」が酒宴に招待するという逆転の発想の「善行」。

三条大橋。車の止まってる辺り

お酒はおっちゃんらが木屋町飲食街からポリタンクに集めた「残り物」の「ごちゃまぜビール」、それまでの仁奈さんには縁の遠い人間たちとお酒。「素敵じゃない? よしやろう」と仁奈さんも同意。

若い女性とお酒を呑む機会のないおっちゃんらは「詩人」を大歓迎。コップは使い古したお茶碗のようなものだったが、かまわず仁奈さんはおっちゃんらと「茶碗酒」をガブ呑み、まるで酒豪比べのような酒宴になった。おっちゃんらは「呑みっぷりがエエなあ」と仁奈さんを褒めそやした。ポリタンクいっぱいのビールは飲み放題、「おつまみ」まであって一晩中、酒宴は続いた。

「ここはお国の何百里~ 離れて遠~き 満州の~~」を酔いに任せておっちゃんらと大声で合唱した。軍歌ではあるが彼らには格別の想い入れがある歌なのだろう。ニーナ・シモンを愛する私たちだったが違和感なく一緒に歌えた。戦前世代と戦後世代が一体になった、そんな瞬間だった。

したたかに呑んだあと仁奈さんも段ボールか何かの寝床で寝た、トイレも野外、ちょっと心配だったけれど「お嬢さん詩人」はけろりとしたもの。「気持ちよかったあ~、久々の開放感」! 屈託のないのがこの人のいいところ。

双方満足のとても気持ちのよい「善行」、京都のシンボル、三条大橋下という舞台設定も最高。

翌朝、目覚めて比叡山方向から昇る朝日をみんなで眺めた。その時、おっちゃんの一人が叫んだ。「満州の太陽はもっとでっかいぞ」! 

その一言にさまざまな思いが込められていたのだろう。おっちゃんらが満州で、また引き揚げ時やその後の日本で、どんな思いをしたのか、もっと聞いておけばよかった。なんか自分たちが盛り上がっただけで終わったなあと、ちょっと後悔が残った。

「昼間の日本」にはカウンターパンチ、「夜の日本」にはカンパ~イの「一善」、この頃までが仁奈さんとジェロさん共同行動の「蜜月」時期……だったかもしれない。

三条大橋下。おっちゃんらとの夜の酒宴の場、ギターを弾いてる若者らのように

◆「10・8-山﨑博昭の死」の衝撃

その後も日本海サイクリング野宿放浪、鈍行列車東京遠征で新宿ヒッピー観察……etc.「一善」は続いたがハプニング的な「善行」はそうそう長続きするものじゃない、惰性は免れなかった。

日本海放浪は、夜に蚊の大群に悩まされて野宿は中途挫折で民宿に、新宿で会ったヒッピーはインド哲学や禅など神がかっていたり単なる自由恋愛主義者だったりで「なんかついていけないよね」。

でもこうした日々にも仁奈さんは詩作を続けたし、新しい「文学的発見」をノートに記したり、何であれ新しい体験を自分のものにしていってるようだった。「新しい時代の作家」になる栄養素にしていたのだろう。

他方、私はというと「常識打破の善行」もやってる瞬間は意気軒昂、でも終わってみれば自分に残るものは何もない。まるでハイミナールが切れた後のよう……。刹那主義的行動だけではやはり人間には何か虚しい。

仁奈さんは強くて温かい「同伴者」だった。ときに落ち込む私を気遣って夏のある夜、「ホタル見に行かない?」と鴨川に誘った。舞い上がる無数の蛍火を「きれいだね」とか言いながら「あのホタルだって昼間は誰にも見えないのよねえ」とボソッと私につぶやいたが、あれは「詩人」式の励ましの言葉だったのだろう。

仁奈さんにはめざすものがあって、ジェロさんにはない。これからどこに行くのか? 具体的な目標、志が私にはない、それを痛感させられる日々でもあった。いま思えば、それ自体が私の進歩を促す過程、自分の不足を感じる過程だったとは言えるが、二十歳の私には自分を客観視するそんな心の余裕はなかった。

いつしか季節は秋になった。

そんな時に私の一大転機を促す「事件」が起こった。

忘れもしない1967年10月8日、佐藤首相の南ベトナム訪問阻止の闘い、世に言う「ジュッパチ」羽田闘争が起こった。学生運動で初めてヘルメットとゲバ棒が登場、学生たちは警察機動隊と激しくぶつかった。機動隊の警棒に追われ弁天橋から川に転落する学生たち……。

そして激闘さなかに機動隊装甲車に轢かれ一人の学生が命を落とした。

彼の名は京大生・山﨑博昭、まだ18歳だった。

新聞や固い週刊誌など見向きもしなかった私がそれらをむさぼり読んだ。

大学のキャンパスでは活動家を囲んであちこちで議論の輪ができていた。活動家は必死に闘争の意義を訴えていた、だが多数意見は「暴力はよくない! 民主主義の日本なんだから」だった。私はこれに何か納得できなかった。でもそれを口に表すことはできなかった。

一人の学生が死んだということ、ただこのことが私に重くのしかかっていた。

あの日から私の頭と心を占めるのはこのことだった。


◎[参考動画]映画『きみが死んだあとで』予告編

17歳の時のビートルズ「抱きしめたい」はまさに脳天直撃だった。でも「ジュッパチ」はじわじわと心に迫ってくる「衝撃」とでも言うか、何かが私をぐぐ~っと締め上げて来る、そんな感じだった。

私は学生運動にはこれまで冷淡だった。ビラを受け取ってもゴミ箱に捨てた。小中高と同窓だった友人が社学同(社会主義学生同盟)、ブンドの活動家で一回生の頃、オルグらしいことを受けたが心は動かなかった。どうせ学生時代の左翼インテリのイデオロギー行動、大学を卒業すれば就職してそれで終わり、そんなものだろう。とても醒めた目で見ていたと思う。

だが「山﨑博昭の死」はそれを180度、覆すものだった。

学生達は命がけで闘っている! おかしいと思うこと、おかしな社会に真っ向から向き合い、これに正面からぶつかっていった一人の学生が死んだ! 志に殉じる自己犠牲! そんな学生運動家が神々しく思えた。

それに比べ「ならあっちに行ってやる」以降の私のドロップアウト人生、社会に背を向け、顔を背けてきた私、「社会常識」をただあざ笑うだけの私、それは安全地帯からする単なる自己満足? 考えれば考えるほどそんな自分がとても恥ずかしく思えた。

私が初めて意識した良心というようなもの、初めて感じた良心、その鈍痛みたいなもの。うまく言えないが、そんなものだったと思う。

「ジュッパチ」で私の何かが変わった。

まだ何をやるべきかは定かではなかったけれど、はっきりしているのは社会と真っ向から向き合うこと、おかしいと思う現実は変えること、そのために行動すべきこと-めざすのは何らかの社会革命!

「跳んでみたいな」共同行動の季節はとっくに過ぎた。仁奈さんとの「運命共同体」は宙に浮いたものになった。彼女は文学、「作家になる」という目標に邁進する、私は目標、志を立てなければならない。それぞれが自分の道に向かうべき時が来たのだ。

私を観念の世界から行動へと突き動かしてくれた恩人、仁奈さん-「簡単じゃないからいいんじゃないですか?」-この一言をいまも私は忘れない。

新しい出発のためには必要な別れ。現実はそう簡単に割り切れるものではないけれど……

そんな頃、私の前に現れた二人の同志社大生、水谷孝と中村武志、彼らも「ジュッパチの衝撃」体験者だった。この出会いが私の新しい出発の開始になるとは……(つづく)


◎[参考動画]裸のラリーズ Les Rallizes Denudes 1

《若林盛亮》ロックと革命 in 京都 1964-1970
〈01〉ビートルズ「抱きしめたい」17歳の革命
〈02〉「しあんくれ~る」-ニーナ・シモンの取り持つ奇妙な出会い
〈03〉仁奈(にな)詩手帖 ─「跳んでみたいな」共同行動
〈04〉10・8羽田闘争「山﨑博昭の死」の衝撃

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『一九七〇年 端境期の時代』

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

昨年、映画界や芸能界を舞台に相次いだ性被害の告発には、1つの傾向が見て取れた。それは、性加害を告発された男性たちが、人間的に立派だと評価されるような活動をしていた最中にあったことである。

たとえば、『蜜月』という映画の監督は、性被害をテーマにしたこの作品の公開に先立ち、制作に真摯に取り組んだかのようなメッセージを公に向けて発信していた。ところが、この作品の公開直前、女優たちから次々に性加害を告発され、作品も上映中止に追い込まれた。

また、「名脇役」と呼ばれた俳優は近年、献血や骨髄バンクの啓発に関わるような公的な仕事をして、人間的な評価が高まっていた。そんな中、相次いで女優たちから性加害を告発され、活動を休止せざるをえなくなった。

さらに12月には、福島第一原発事故を題材にした新作を公演するはずだった劇作家が、公演直前に劇団の女優から性加害を告発されたうえ、裁判も起こされ、公演は中止となった。この劇作家もこの少し前、福島の双葉町に移住するなど原発問題への意識の高さをアピールしていた。

さて、これらの事例を挙げ、私が何を言いたいかというと、性被害者にとって、性加害者が人間的に立派だと評価を受けているのを見聞きすることは、セカンドレイプ的な言葉を浴びせられる以上に苦痛であり、憎悪や怒りの感情を抑え切れないのだろうということだ。だからこそ、そういうタイミングで彼女たちは沈黙を破り、性加害の告発に踏み切ったのではないかと思うのだ。

これはおそらく、性被害に遭ったことが無い人でも共有できる感覚だと思う。人間誰しも生きていれば、いじめやパワハラ、セクハラなど、特定の人物から何らかの理不尽な被害に遭うことはあるからだ。かくいう私も以前、ある人物から凄まじいパワハラに遭ったことがあるが、その人物が今もたまに人前で自分が立派な人間であるかのようなことを臆面もなく話しているのを見ると、怒りがぶり返してくるのを禁じ得ない。

こう考えてみると、公の場で特定の人物を立派な人間であるかのように褒めたり、好意的に評価するようなことを言ったりしただけでも、セカンドレイプ的な過ちを犯している可能性があるわけだ。褒めたり、好意的な評価をしたりした人物から理不尽な目に遭わされた被害者がどこかで見ているかもしれないからだ。

さらに突き詰めると、特定の誰かの幸せを祝福したり、特定の誰かと冗談を言って笑い合ったりしただけでも、セカンドレイプにあたる恐れはあるだろう。その「特定の誰か」から何らかのハラスメントに遭った被害者が存在すれば、その被害者はその「特定の誰か」が幸せそうにしていたり、楽しそうにしていたりする光景を目にしただけで苦痛を覚えることもありえるからだ。

結局、セカンドレイプ的な過ちを犯したくなければ、公の場で何も発言せず、誰とも関わらないくらいしか方法はおそらく無い。それがつまり、他者のセカンドレイプ的な言動について、何の迷いもなくセカンドレイプだと批判するような正義感の強い人たちこそ自戒する必要があると私が考える理由である。

◎[過去記事リンク]片岡健の「言論」論 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=111

※著者のメールアドレスはkataken@able.ocn.ne.jpです。本記事に異論・反論がある方は著者まで直接ご連絡ください。

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(電子書籍版 鹿砦社)。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―」[電子書籍版](片岡健編/鹿砦社)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年2月号

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