1・17阪神大震災から25年に思う ──  鹿砦社代表 松岡利康

本日、かの阪神・淡路大震災(以下、阪神大震災と記す)から25年を迎えました。「もう四半世紀か」──当地に居て震災を経験し、また以後の復旧・復興を当地に住みながら見てきた者として感慨深いものがあります。阪神大震災後、東日本大震災、熊本地震などを経験し、東日本大震災では原発事故を惹き起こし、私の故郷・熊本自身では100人以上の死者を出し少年時代から馴染んできた熊本城が壊れました。相次ぐ大地震発生を想起すると、地震はこの国の宿命であり、日頃から対策を怠っては成らないと思います。

誰が言ったのか、ここ阪神地方には地震は発生しない、あるいは熊本でも大きな地震はないという“神話”がありました。例えば熊本地震を見ても、近くに阿蘇山があり、雲仙があり、霧島など大きな活火山があるのに地震が発生しないと考えるほうがおかしいでしょう。

阪神大震災は、1995年1月17日早朝に起きました。午後から新刊書籍の東京で記者会見の予定でしたが、当然中止。この頃、いわゆる芸能暴露本がブレイクしようとしていた時期で、誰もが「松岡ももうアカンやろ」と、特に東京方面では囁かれていたとのことでした。「松岡ももうアカンやろ」という台詞は、10年後の2005年にも言われましたが、ははは、自分で言うのも僭越ですが、我ながら悪運が強いと感じます。

「鹿砦社通信」1998年8月10日号。この頃の「鹿砦社通信」は、ほぼ週刊でファックス通信だった
「鹿砦社通信」1998年8月17日号
「鹿砦社通信」1998年8月24日号
 
『FMラルース999日の奇跡』※画像クリックするとアマゾンへリンクされます

ところで、ここ西宮という都市(まち)は地味で、甲子園球場がありながら、それもなかなか知られていません。

同様に、阪神大震災で、西宮で1100人余りの死者が出たことは、これまた全く知られていません。1100人といえば、熊本地震の10倍以上です。阪神大震災は神戸のイメージが強く、西宮や芦屋で多くの死者が出たことは等閑視されているようです。ためしに阪神大震災の死者数を都市別に挙げておくと(兵庫県発表)、

総6,402人
〔内訳〕
神戸市 4,564人
西宮市 1,126人
芦屋市  443人
宝塚市  117人
淡路島   62人
尼崎市   49人
その他  103人

神戸は広いので死者が多いのは当然といえば当然でしょうが、区毎に見ていくと、
東灘区 1,469人
灘区   933人
中央区  243人
兵庫区  554人
長田区  919人
須磨区  399人
垂水区   25人
西区    9人
北区    13人

 
『心の糸』※画像をクリックするとyoutube動画にリンクされます

となっています。

つまり、1つの行政区で比較すると、西宮市は東灘区に次いで2番目となっています。

西宮にしろ芦屋、宝塚にしろ狭い都市(まち)なのに犠牲者が多いことがわかりますが、実際に震災直後、車で見て回ると、芦屋、宝塚の被害の密度が濃いことが感じられました。

いまだに思い出すのは、甲子園球場の周囲の公園には数年間仮設住宅がありましたが、華やかな高校野球が報じられながらも近くの仮設で猛暑のさなか暮らす方々のことは、さほど報じられることはありませんでした。

いや、この年の高校野球の開会式で、犠牲者に黙祷することはありませんでした。私の記憶に間違いがあるのなら指摘していただきたいと思います。

もう一つ忘れられていることがあります。

「阪神・淡路災AID SONG」として、長山洋子、藤あや子、坂本冬美、香西かおり、伍代夏子といった、当代きっての5人の歌手がレコード会社の壁を越えた「共同企画」として歌った曲で、今聴いても名曲です。彼女らがテレビで歌っているのを視たのは、たった2回で、地元で誰に聞いても全く知られていません。これだけ5人の人気女性歌手が歌っていながら、さほど話題にならず、この25年間知られることなく忘れ去られようとしています。

みなさん、今一度この曲をお聴きください。そうして、25年前の震災直後の情況を想起しましょう。そしてこの25年の、私たち一人ひとりの歩みを──。


◎[参考動画]心の糸 演歌五人組

現在、当地・阪神地方において、仮設住宅一掃を急くあまり高齢者をコンクリートの塊(いわゆる復興団地)に押し込め孤独死が報じられることはあるものの、全般的には復旧・復興は、かなり進んだと見ていいでしょう。

熊本も復旧は順調に進んでいるようです。

福島はじめ東北はどうでしょうか?──この問いに答えるに私は躊躇せざるをえません。早9年が経とうとしているのに、です。阪神地方や熊本と違うのはなぜでしょうか? ハッキリ申し上げさせていただくと、やはり放射能の影響が大きいと思います。放射能防御服を着て復旧作業に専念できるわけがありません。阪神地方や熊本では、それも必要なく、Tシャツ1枚で復旧作業をやっています。福島ではいつになったらTシャツ1枚で復旧作業ができる日が来るのでしょうか?

震災のみならず、この国は、台風、大雨など自然災害に襲われ、その地では壊滅的打撃を蒙った地域も数多くあります。近年では、本当に自然災害が多い国です。こんな国に原発ははなから設置してはなりません。

私は、へたな右翼・民族派よりも遙かにこの国を愛しています。原発は決して「アンダーコントロール」されていませんし、この国にたびたび訪れる大きな台風や大雨などの自然災害も「アンダーコントロール」できていません。

私はここ甲子園で25年の月日を過ごし震災復興を見てきました。遠くからではありますが、福島の復旧・復興を、少なくとも同じ年月(あと16年)は見ていきたいと思っています。3年前の熊本地震で崩れた、少年時代に何度となく行った故郷・熊本城の再建も──。

「風よ吹け吹け 雲よ飛べ 越すに越されぬ田原坂
 仰げば光る天守閣 涙を拭いて 振り返る振り返る故郷よ」(『火の国旅情』)
 
 

2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号
『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて
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政治家・山本太郎に危険性を感じる理由を再び ── 横山茂彦さんの反論への反論

本通信らしい、議論が展開されはじめた。山本太郎氏の評価をめぐり、わたしが複数回展開した山本太郎評に対する、横山茂彦さんからの異なった角度からの問題提起である。横山さんはわたしの山本太郎評に対して、全否定ではなくかなり近い認識を持ちながら、それに対する評価が異なるようだ。

 
『NO NUKES voice』Vol.22 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

横山さんは、わたしが表明した山本太郎氏が「ある種アジテーターとして優れた能力を持っている」「それは下手をすると結果的に『独裁』と紙一重の危険性を孕むことと大きく違いはない」との見たてには、同意を示された上で、

《そもそも、政治家が個人の言説を前面に押し立てて、どこか支配的(独裁的)な言説を振りかざすのは、選挙運動においてはふつうのことである。そして政治の本質は「強制力(ゲバルト)」なのだ。演説においては、打倒対象への憤激を組織するのが目標とされる。》と述べたうえで、《したがって、あらゆる政治家は大衆の前において、独裁者のごとく振る舞うのだ。なぜならば、彼の前にしかマイクがないからである。目の前の大衆が拍手喝采しているのに、黙り込んでしまうアジテーターは政治家として、およそ不適格であろう。それは政治の死滅を標榜する革命運動、あるいは反独裁・反ファシズムの大衆運動においても同様である。大衆の熱狂を前にして沈黙するような政治家(扇動者)は、そもそも演壇に登場するべきではないというべきであろう。いや、彼はもはや政治家ではないのだ。》

と政治家の本質を解説されている。

このテーゼの大部分にわたしも異議はない。わたしが危険性を感じるのは、むしろこのテーゼが無効化された現在の状況を前提とした議論である。《目の前の大衆が拍手喝采しているのに、黙り込んでしまうアジテーターは政治家として、およそ不適格であろう》はその通りであるし、《大衆の熱狂を前にして沈黙するような政治家(扇動者)は、そもそも演壇に登場するべきではないというべきであろう。いや、彼はもはや政治家ではないのだ》も同様だ。

◆凡庸な安倍の演説ではなく、むしろ小泉純一郎や橋下徹との比較を

しかし現在の日本で、大衆の拍手をあるいは熱狂を得ている政治家とはどのようなひとびとだろうか。組織動員の力を借りた与党連中の演説の中で、内容の如何によらず聴衆が騒いでいるのは、女癖と金に汚い本質がばれかかっている「環境問題はセクシー」な小泉の息子ぐらいではないか。

横山さんは、安倍晋三の演説もなかなかのもの(サイコパスとも評されているので揶揄ともとれるが)と書かれているが、わたしには安倍の演説は凡庸なものにしか思えない。選挙であろうが、国会での答弁であろうが、原稿なしに安倍が一定時間以上、聴衆引き付けた場面をわたしは見たことがない(わたしが見ていないだけでそういう場面がないとは言えない)。

安倍を引き合いに出されるのであれば、小泉純一郎をその代わりに提示していただければ、まだ納得できる。親(おや)小泉のアジテーション能力は、子小泉の比ではなかった(それが災いし郵便局が民営化され、新自由主義が進展したことについても横山さんは異論がないだろう)。

そのほかに聴衆を煽り立てる能力にたけた人物といえば、橋下徹くらいしかわたしには思いつかない(橋下もまた大阪ファシズム形成に甚大な役割を果たしただけの人物であり、災禍以外のなにものでもないとわたしは考える)。横山さんは《安倍総理に対抗できる政治家が山本太郎なのである》という。安倍が長期政権を維持できたのは、野党の分裂や小選挙区制により自民党内の派閥力学が衰えたなど複数の理由が挙げられようが、なによりも国民の非政治化(無関心)と庶民の右傾化も考慮に入れる必要がある。

◆わたしは山本太郎氏を「左翼」とは見做さない

日本共産党はしきりに「政権交代をしても自衛隊は存知する。皇室を廃止しない」をメインに据えたチラシの配布に余念がないし、民主なんとか党たちは「わたしたちが本当の保守」と「保守度合い」争いに重大な興味があるらしい。そしてこの点が横山さんと私の決定的な違いであるが、わたしは山本太郎氏を「左翼」とは見做さない。左翼の定義は様々あろうし、個々人で定義が異なっても構わないだろう。

だが「左翼」の原則的定義はウィキペディア(ウィキペディアなどを根拠にしたら怒られるかもしれないが)による《左翼とは、政治においては通常、「より平等な社会を目指すための社会変革を支持する層」を指すとされる。「左翼」は急進的、革新的、また、革命的な政治勢力や人を指し、社会主義的、共産主義的、進歩主義、急進的な自由主義、無政府主義傾向の人や団体を指す》といったところであろう。

そうであれば、山本太郎氏が立ち上げた、あの新党の名称のどこに「左翼」のエッセンスがみられるのだろうか。既成政党のなかで、もっとも反動的な名称ではないのか。政党にあっては「名が体を現さない」のが実態だとは理解している。それにしても、いくらなんでも、あの党名はないだろうが!

あの党名と横山さんも述べておられるように、《すでに山本太郎は、昨年初めのたんぽぽ舎における講演で、原発廃止を選挙公約の前面に立てないと広言している。当然のことながら、参加者たちの批判を浴びたものだ》という転身は、軽視できない。たしかに横山さんが論じるように政治家には必要な資質があるだろうし、それを山本太郎氏は充分に備えていることをわたしは再度認める。であるから、危険なのだというのがわたしの危惧である。

彼は、原発爆発に敏感に反応し、高円寺のデモに参加し、テレビに出るタレントの99%が沈黙する中、やむにやまれず反原発活動に立ち上がった。わかる。立派だと思う。そして議員として活動する中で、数の力=権力の本質を短期間に熟知する。街頭での「公開記者会見」は彼にとってのスパーリングである。あれほどのスパーリングをこなしている政治家はほかにいないだろう。しかし、注意してみていると、山本太郎氏の「独裁体質」は既に表出し始めている。質問者が言うことを聞かないと「それなら俺に権力をくれよ!」と叫ぶ姿を最近何度かネットで目にした(もっともその質問者がかなり的外れで、丁寧な回答にも屁理屈を続けていた、という状態ではあったが)。

MMTを柱とする経済政策について、最近山本太郎氏はさすがに危険に気がついたようで、いわゆる「リフレ」一本であった主張から、税制の組み換え(消費税廃止、累進税率、法人税の上昇)にシフトしているようだ。

横山さんはかつての赤字国債が機能した例を挙げておられるが、その当時と現在では決定的な違いがある。高度成長期(経済成長による税収の増加を見込むことができる時代)と、低成長期(ほぼ経済成長しないので税収増も期待できない)では状況がまるきり違う。それに日本における国債発行の原則は《「建設国債」に限り、赤字国債は例外的なもの》というのが中学校の社会の時間にわたしたちの世代が学んだ原則だ。だから鈴木善幸が総理大臣になった時の公約は「増税なき財政再建」だったのではないだろうか。

そしてわたしが疑問に思う新たな点をもう一つあげておく。どうして削減が可能な防衛費(軍事費)の削減について、山本太郎氏はひとことも言及しないのか? 現在の防衛費は単純に数字を見ていても解らない。防衛装備庁が設立されるなど、勘定項目で「防衛費」にカウントされない仕組みがつくりあげられているからである。いくらでも削れる防衛費と日米安保に「左翼」であれば言及するのではないかと考えるが、横山さんのご意見はいかがであろうか。

横山さんからの新たなご回答とご反論をお待ちしております。


◎[参考動画]日本記者クラブ 山本太郎 記者会見 2019年12月4日

[関連記事]
◎田所敏夫-私の山本太郎観──優れた能力を有するからこそ、山本太郎は「独裁」と紙一重の危険性を孕んでいる政治家である
◎横山茂彦-ポピュリズムの必要 ── 政治家・山本太郎をめぐって
◎横山茂彦-天皇制(皇室と政治の結合)は如何にして終わらせられるか

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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天皇制(皇室と政治の結合)は如何にして終わらせられるか

◆「令和」という文言について

田所敏夫さんは、れいわ新撰組について「わたしはその党名を書くことができない」と言う。(2019年12月17日本欄「私の山本太郎観」)なるほど、天皇制および元号を是認する政治観に同調できないというのは、言論人としては清廉潔癖であるかのように感じられる。しかし、清廉潔癖であることはオピニオンとはおよそ別ものであろう。

山本太郎は現代の田中正造よろしく、天皇主催の園遊会で反原発を直訴しよう(手紙を渡そう)として批判を浴びた。不敬であるという右翼からの攻撃とともに、左派からも天皇主義者なるレッテルを貼られたものだ。これは山本太郎の直訴に足尾銅山見学で応じた平成天皇を評価する、白井聡らにも向けられた批判でもある。天皇制を前提にした、戦後民主主義の護持者としての天皇の評価が「天皇制の容認」として批判されているのだ。これは社会ファシズム論(社民主要打撃論=コミンテルン6大会)によく似た主張で、却って運動の孤立化を招きかねない。じっさいに反天皇制運動のデモは警備によって隔離され、国民的な議論のステージを作れていないのが現状だ。これは反天皇制デモに参加している立場からの実感である。

田所さんの元号への嫌悪感とはまた、別の立論になるのでここから先は読み流してほしい。

山本太郎や白井聡らに対して、天皇制を容認するのかという批判は、論者たちの「天皇制廃絶」を前提にしている。そうであれば、天皇制廃絶論者は天皇制を廃止するロードマップを提起しなければならない。天皇と元号について議論する、国民的な議論を経ない天皇制廃絶(憲法第一条改正)はありえないとわたしは思うが、そうではない道すじが果たしてあるのだろうか? 

夢想的な左派活動家は、プロレタリア(暴力)革命の過程で廃絶されると、しばしば熱心に云う。ではそのプロレタリア革命に現実性はあるのかを問うと、単に思想信条の問題になってしまうのだ。それはもはや思想信条、いや政治的信仰であって、現実の政治を語る言論人としての態度ではない。言論人ではなく革命家なのだったら、いますぐ「天皇制を廃絶するために武装蜂起せよ!」をスローガンにしてみればよい。その主張のあまりの現実性のなさに、立ち止まるしかないはずだ。

◆国民大衆の手でこそ、天皇制は廃絶されなければならない

あるいは、かつての東アジア反日武装戦線のように、天皇爆殺を計画するとか、船本洲治のような闘い方もあるのではないかと思う。だが、いずれの闘い方も国民大衆が自ら参加しないテロリズムであり、イデオロギー装置としての側面を持つ天皇制を廃棄できるものではないのだ。そしてそれすらもしないのであれば、けっきょく「天皇について国民的な議論をしない人びと」と言うべきであろう。もとより、国民的な議論を抜きに「戦犯天皇を処刑する」などという「死刑容認」の思想に与するわけにはいかない。

わたしはこの欄でもっぱら、皇室および天皇制の民主化・自由化によって政治と皇室の結びつき(天皇制)はかならず矛盾をきたし、崩壊する(政治と分離される)としてきた。たとえば、自由恋愛のために王冠を捨てた英国王・エドワード8世、今回、高位王室から自由の身を希望したヘンリー王子とメーガン妃による、王室自由化。日本では「紀元節」に反対して赤い宮様と呼ばれた三笠宮崇仁親王、あるいは皇室離脱を希望した三笠宮寬仁親王らの行動。そして現在進行形では眞子内親王と小室圭さんの恋愛が、その現実性を教えてくれる。矛盾をきたした文化としての天皇および皇室はやがて、京都において逼塞する(禁裏となる)のが正しいあり方だと思う。皇室を好きだとか、天皇が居てほしいというアイドル感情(これは当代だけではなく、歴代の天皇および宗教的タレントがそうであったように)を強制的に好き嫌いを否定することはできないのだから、強制的に皇室崇拝を廃絶することも困難だろう。40年以上も天皇制反対(かつては廃止)を唱えてきた、これはわたしの実感である。

ついでに、天皇制があるから差別があるという、一見して当為を得ているかのような議論で、禁裏と被差別民の関係をじゅうぶんに論証しているものは、管見のかぎり存在しない。貴種の対極に卑賎があるとする図式的なロジックは成立しても、史実的な立証には無理があるのだ。禁裏と神人(被差別民の源流と考えられる)の関係は一体化しているところに特権性と差別性の理由があり、封建時代の神人の被差別性は政治権力(江戸政権)によってもたらされたものなのだ。朝廷につながる禁裏供御人はことごとく、江戸政権の身分制によって差別的な立場に追い込まれてきた。封建制における差別は、いわば身分制の分断政策だったのである。これが文献史学に基づいた史実である(網野善彦ほか)。

いま天皇の存在をもって、被差別(部落)大衆を再生産せしめているものが、実際にあるのだろうか。資本主義的生産関係下の相対的過剰人口の停滞的形態という、経済の景気循環における過剰人口として再生産される「理論的な根拠」はあっても、実態は排他的な感情によるレイシズムである。前述したとおり、レイシズムと象徴天皇制との関連性を説明できる有為な研究はない。戦後憲法が身分制と天皇制の矛盾を抱えつつも、その矛盾がそれ自体として差別性を否定しているところにあるからだ。レイシズムの思想的な基盤は、閉鎖的な民族主義および排外主義である。それは多様な文化、民族性を容認しない否定の思想(言論の放棄であり、しばしばなされる事実の捏造)である。その逆転した地点(言説の排除)に、天皇制廃絶を標榜するあまり言論を放棄する「天皇について国民的な議論をしない人々」もいるのではないだろうか。「令和」という語彙を批判することにこそ言説は用いられなければならず、その言葉を語らないことは元号を批判する論説になりえないのだ。


◎[参考動画]Japanese Emperor Naruhito’s coronation ceremony at the Imperial Palace | FULL(Global News 2019/10/22)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

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ポピュリズムの必要 ── 政治家・山本太郎をめぐって

田所敏夫さんの「私の山本太郎観」(2019年12月17日本欄)を読んで、つまり山本太郎の評価をめぐって、誌上論争ともいうべき議論が必要だと感じました。わたしの名前も出されたことだし。しかるに、これを論争とするには大げさな、基本的な理解の問題ではないかと思う。そこで、拙い論考を記してみます。

◆政治運動は「独裁者」によって成立する

 
『NO NUKES voice』Vol.22 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

田所さんは「(山本太郎が)ある種アジテーターとして優れた能力を持っている」「それは下手をすると結果的に『独裁』と紙一重の危険性を孕むことと大きく違いはない」と言う。そのとおりだと思う。

そもそも、政治家が個人の言説を前面に押し立てて、どこか支配的(独裁的)な言説を振りかざすのは、選挙運動においてはふつうのことである。そして政治の本質は「強制力(ゲバルト)」なのだ。演説においては、打倒対象への憤激を組織するのが目標とされる。街頭行動(デモ)や集会においても、スローガンを唱和して大衆的な憤激を一点の主張に絞り込む。これは政治的な大衆運動の基本であって、アジテーター(政治的主催者)が扇動するのを否定してしまえば、もはや運動として成立しないのは自明だ。

したがって、あらゆる政治家は大衆の前において、独裁者のごとく振る舞うのだ。なぜならば、彼の前にしかマイクがないからである。目の前の大衆が拍手喝采しているのに、黙り込んでしまうアジテーターは政治家として、およそ不適格であろう。それは政治の死滅を標榜する革命運動、あるいは反独裁・反ファシズムの大衆運動においても同様である。大衆の熱狂を前にして沈黙するような政治家(扇動者)は、そもそも演壇に登場するべきではないというべきであろう。いや、彼はもはや政治家ではないのだ。

それは経営者が社員たちを前にして、あるいはその対極にいる労働組合の指導者が組合員大衆を前に扇動するのと、ひとつも変わらない風景なのである。もしもこの、基本的なアジテーターと政治的大衆運動の関係いがいに、田所氏が山本太郎に危険なものを感じるとしたら、おそらくアジテーターとして傑出した能力にほかならないと、わたしは直感的に思う。事実、田所氏はそう述べている。いいではないか。日本の左派にもようやく、大衆を扇動できる政治家(ポピュリスト)が登場したと、山本太郎の登場を歓迎することはあっても、危険な爪を隠す必要はないと思う。

演説の天才はフランス革命のダントンやナチスのアドルフ・ヒトラー、ゲッベルスなどを想起するが、わが安倍総理もなかなかのものだ。内容を本人がわかっていなくても、何の迷いもなく扇動するアジテーター(おそらく深層心理はサイコパス)である。政治的な手腕や学際的な中身において、安倍総理を凌駕するはずの、たとえば小沢一郎(政治的工作手腕)や石破茂(法律家的なセンス)がまるでポピュリストとして安倍の敵ではないのは、ひとえに安倍の演説力によるものだ。もうおわかりだろう。安倍総理に対抗できる政治家が山本太郎なのである。

そしてそもそも、独裁一般が悪いわけではない。金融資本のテロリズム独裁(=コミンテルン7大会、デミトロフのファシズム論報告)なのかプロレタリア独裁なのかという、古典的なシェーマを持ち出すまでもない。政治運動とは、一定の「独裁力」を必要とするのだ。※参考図書『左派ポピュリズムのために』(シャンタル・ムフ、明石書店)。

 
『NO NUKES voice』Vol.22より

◆政策は戦術である

田所さんは「山本氏が100人単位の議員を抱える政党の党首に就任したら」「必ず『現実路線』の名のもとに、原発廃止などの政策は『2030年に廃止を目標とする』などといった後退を強いられるだろう」と言う。けだし当然である。すでに山本太郎は、昨年初めのたんぽぽ舎における講演で、原発廃止を選挙公約の前面に立てないと広言している。当然のことながら、参加者たちの批判を浴びたものだ。

そして票をとりにくい反原発の代わりに、選挙で戦いやすい「消費税廃止」「若年層への教育支援」「時給1500円」をマニフェストにし、その財源は日銀の買いオペによるリフレだと明言した。田所さんはリフレに批判的なので再論しておこう。リフレの主柱である赤字国債は、現実に日本の戦後復興から高度成長までこれでやってきたのだから、現実性はあっても懐疑が生じるほうが不思議というものだ。富の源泉(価値)が原理的には労働であっても、現実の貨幣の実体性は造幣局が握っているのだ。労働ではなく、貨幣をもって価値が交換されるのは言うまでもない。

問題は富の配分なのである。安倍総理は大企業が収益を上げることによって、社員の所得が向上し、傘下の企業も潤うはずだとしてきた。したがって国民全体が豊かになる、としてきた。結果はしかし、そうではなかった。年間40兆円という内部留保に企業は安住し、社員はもとより下請け企業に利潤は還元されなかったのだ。ピケティが云うとおり、富の独占者は富を手放さないのである。じっさいに平均賃金・実質賃金の落ち込みは、日本経済を後進国なみに陥らせたではないか。格差たるや昨年の大企業の一時金が90万円台(経団連集計)で、中小零細をふくめたそれが30万円台という事実に顕われている。

とりわけロストゼネレーション(40~50歳代)において、時給1000円(年収200万円未満)の派遣労働が強いられているのだ。せめて年収300万円(時給1500円)という山本太郎の公約は、それを保障するものが同じくMMTによる経済政策でありながら、それこそ安倍政権とは「180度ちがう」結果をもたらすはずだ。消費税廃止、最低賃金アップ、若年層支援と、いかにも大衆受けする政策こそ、その延長にある多数派形成によって、原発廃止などの政策を可能にすると、山本太郎に代わって断言しておこう。※参考図書『そろそろ左翼は〈経済〉を語ろう』(松尾匡ほか、亜紀書房)。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

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海上自衛隊の中東海域派兵のどこに国益を見出すことができるのか?

◆P3Cが中東の上空で、いったい何を「調査研究」するというのだ?

中東海域で、日本関係船舶の航行の安全を確保するために派遣される海上自衛隊のP3C哨戒機部隊が1月11日、海自那覇航空基地を出発・派兵された。ソマリア沖アデン湾で従来の海賊対処を継続しながら、20日に新たな情報収集任務をはじめるそうだ。

この自衛隊派兵に際して、防衛大臣河野太郎は「中東地域の平和と安定は我が国を含む国際社会にとって極めて重要。勇気と誇りを持って任務に精励してください」と訓示をしたそうだ。「一見何かを言っているようだけれども、実は何をを言いたいのか、さっぱりわからない」はなしが世の中にはよくある。河野の訓示が、まさにそれである。


◎[参考動画]自衛隊に中東派遣を命令 河野防衛大臣(ANNnewsCH 20/01/10)

「海賊を見張る」任務と、「調査研究」を実行するにあたり、「勇気と誇りを持って任務に精励する」とはどのような行為を指すのか? 海賊を見つけたらミサイルを飛ばして破壊しろということではあるまい。

「調査研究」と命じられているが、航空機であるP3Cが中東の上空で、いったい何を「調査研究」するというのだ? 中東地域の政情や、地域の情勢は、上空からはわかりはしない。いや正確には航空機のような「中途半端」な上空から掌握できる程度の情報は、人工衛星でもっと細密に収集分析できる。本当のところいったい、この時期にどうして自衛隊が中東に出かけてゆく必要があるのか。わたしには皆目理解できない。


◎[参考動画]自衛隊哨戒機が中東へ出発 約1年の情報収集活動(ANNnewsCH 20/01/11)

◆個としての自立が果たせていない烏合の種の集合体

イランと米国の関係が、微妙な時期であろうと思う。日本はイランから敵視されていない(これは極めて貴重な財産である)。いっぽう、米国に対しては何を求められても、抵抗せずに「謙譲の美徳」ならぬ「献上の美徳」を長年続けてきた。原爆を落とされようが、沖縄戦で非戦闘員がほぼ壊滅しようが、本土決戦では「1億総火の玉」となって竹槍で最後まで闘う!と狂気の沙汰を繰り広げていた、相手の国はどこだったのだろうか。

「生きて虜囚の辱めを受けず」と、戦中に帝国軍人が捕虜になることを「恥」と教えた、大元帥は敗戦後「辱め」を受けず、その範を生きざま(死にざま)で、しめしただろうか。1945年8月、日本に「神風」は吹いたのか? 吹き抜けたのは「神風」ではなく鉄を溶かす、熱風と、空から落ちてきた「黒い雨」だったのではないのか。それらを思うとき、なによりわたしが問いたいのは「あなたたちは、どうして、こうもやすやすと、きのうまで、『言っていた』、ことの逆がいえるのだ?」である。

これが民族性というものなのだろうか。そうであれば、この島国の住人の多数は、ずいぶん「無節操」な性格の持ち主か、個としての自立が果たせていない(何歳になろうが)烏合の種の集合体といわねばならない。

どうして、憲法違反の自衛隊を、この時期、中東に「調査研究」のために派遣しなければならないのか。あるいは、その行動が世界的には誰の利益になるのだ。誰によって賞賛され、この国にどのような果実をもたらすのか。はっきり説明できるかたがおられたら、本文の下にわたしのメールアドレスを示しているので、是非ご教示いただきたい。

◆自衛隊中東派兵のどこに国益を見出すことができるのか?

わたしは、頭の中がおかしいのだろう。大新聞も大マスコミも大して話題にもしないし、問題視することはない。そのこと(今般の自衛隊中東派兵)に、わたしは、どのような意義も言い訳も、視点を変えるとすれば、いわゆる「国益」も見出すことができない。どうしてこういうバカげた資源と人的エネルギー、そして金の無駄遣いをして、最初からややこしい地域に足を突っ込みに行くのか(せっかく足を突っ込まなくてもい立場にいるのに)ぜんぜん意味が解らない。

世の人の多くは、いつの頃からか忘れたけれども、すぐに「経済にとって」という、どうでもいい尺度がこの世の中で最上の価値であるかのように、勘違いをはじめた。企業経営者に質問するのであれば、わからないこともない。でも、商店街に買い物きているおばちゃんや、世の中のことなど20数年生きてきて、一度として本気で考えたことのないような、「馬鹿者」失礼、若者に「経済がどうなるか」の質問をぶつけてなんの意味があるのか。

二言目には「経済、経済」と世界で一番の価値が「経済!」との印象操作に、熱心な報道関係の方々にとって、自衛隊の中東派遣が「経済に悪影響を及ぼす」懸念はないのか?

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』
『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

ジャパンキックボクシング協会の新たな年、今後を占う3階級王座決定戦!

新団体の正月興行メインイベントは石川直樹がヒジ打ちで勝利を飾る。
MVPとなる武田幸三賞はモトヤスックが受賞。
新人戦から選出、ヤングライオン賞は西原茉生が受賞。
3階級でチャンピオン決定。これで6階級のチャンピオンが揃ったが、今後どこまで他団体と渡り合えるか。

◎KICK ORIGIN 2020 1st. 2020新春三階級王座決定戦!

1月5日(日)後楽園ホール
17:00~20:55 / 主催:ジャパンキックボクシング協会(JKA)

◆第10試合 メインイベント 52.0kg契約 5回戦

JKAフライ級チャンピオン.石川直樹(治政館/33歳/51.7kg)
    VS
松崎公則(STRUGGLE/44歳/51.9kg)
勝者:石川直樹 / TKO 4R 3:00(発表は4R終了) / 主審:仲俊光

組んでも離れても石川直樹のヒザ蹴りが襲い掛かっていく
前蹴りで松崎公則を突き放す石川直樹

新団体正月興行メインイベントの看板を背負う石川直樹のプレッシャーは如何程か。初回は静かな立ち上がり、首相撲からのヒザ蹴りが得意な両者だが、組み合う場面が少なく、離れてのローキックからパンチ主体の攻防が続くが、次第に石川が距離を詰め、第3ラウンドから石川の首相撲からヒザ蹴りのしつこさが出始め、松崎は劣勢に陥っていく。

第4ラウンドの終了寸前には石川直樹のヒジ打ちが松崎の右眉上辺りにヒットすると、大きくカットし流血。流れでゴングは鳴るが、レフェリーがラウンド内のタイムストップとしてインターバルには入らずドクターチェックに移るも、そのまま試合続行不可能の勧告を受入れ、ここでレフェリーストップとなった。

石川のヒジ打ちが松崎にヒット直後、レフェリーはタイムストップをかける
正月興行をヒジ打ちで締めた石川直樹とKO賞を贈るユーエルシー三瓶輝明営業部長

◆第9試合 第2代JKAライト級王座決定戦 5回戦

リズム掴んだ永澤がラッシュして仕留めにかかる

1位.永澤サムエル聖光(ビクトリー/30歳/61.23kg)vs3位.興之介(治政館/31歳/61.0kg)
勝者:永澤サムエル聖光 / TKO 3R 1:49 / 主審:椎名利一

新団体移行から王座決定戦が流れ、いきなり認定された初代チャンピオンの直闘が王座返上の為、改めて王座決定戦となった。

興之介が蹴り主体に出て来るが、永澤が冷静に対処。第2ラウンドに永澤が距離を掴むとパンチ連打による2度のノックダウンを奪い、ラウンド終了間際にはヒジ打ちで興之介の頭頂部をカットする。第3ラウンドも勢い付いた永澤のパンチで興之介から2度目のノックダウンを奪うと、ダメージ深い興之介をノーカウントでのレフェリーストップとなった。

一瞬の油断で興之介のパンチを貰う危ない場面も見せた永澤ではあったが、経験値から順当な勝利を掴んだ。「まずはジャパンキック協会王座」と目標を立てていた第一段階を突破した永澤。更なる真の日本上位では勝ち上がれるだろうか。

永澤サムエル聖光と興之介のパンチの交錯
永澤の連打で興之介からノックダウンを奪う

◆第8試合 初代JKAウェルター級王座決定戦 5回戦

怖い顔で話かけられなかった政斗先輩にモトヤスックの右ミドルキックがヒット

1位.政斗(治政館/27歳/66.3kg)vs2位.モトヤスック(治政館/18歳/66.67kg)
勝者:モトヤスック / TKO 5R 0:37 /主審:少白竜

同門対決での王座を懸けた試合。初回はパンチとローキックで様子見の両者。徐々にモトヤスックがパンチの圧力を掛ける。

第2ラウンドにモトヤスックがパンチで2度ノックダウンを奪うも倒しきれず。第3ラウンドはモトヤスックの圧力が落ち、やや持ち直した政斗。そのまま第5ラウンドまで政斗が逆転の兆しを見せる踏ん張りを見せるも、モトヤスックのカウンターの左ヒジ打ちで政斗の右眉上をカット、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップとなった。

モトヤスックの右ストレートが政斗にヒット、先輩も後輩も関係ない熾烈な戦い
モトヤスックの左ヒジ打ちが政斗の額をカットさせた

◆第7試合 第2代JKAフェザー級王座決定戦 5回戦

2位.渡辺航己(JMN/23歳/56.7kg)vs3位.櫓木淳平(ビクトリー/28歳/56.9kg)
勝者:渡辺航己 / 判定3-0 / 主審:松田利彦
副審:仲50-46. 少白竜50-46. 椎名50-47

互いに前に出る積極性が攻防を盛り上げる。第4ラウンドには渡辺がヒジ打ちで櫓木の左目尻辺りをカット、渡辺の勢いが増し、やや遅れ気味の櫓木の攻め。各ラウンドの差は小さいが、トータルでは大差となって渡辺が判定勝利した。

渡辺航己と櫓木淳平のヒジ打ちの交錯
渡辺航己の前蹴りが櫓木淳平の胸板にヒット
渡辺航己の右フックがヒット櫓木は苦しい戦いに陥る
第2代JKAフェザー級チャンピオンとなった渡辺航己

◆第6試合 55.5kg契約3回戦

馬渡亮太(治政館/19歳/55.5kg)
    VS
チャモアペット・ソー・ウィラデット(元・ルンピニー系スーパーフライ級4位/タイ/19歳/55.2kg)
勝者:馬渡亮太 / TKO 2R 1:32 / 主審:桜井一秀

昨年8月4日にジャパンキック協会バンタム級王座決定戦で、阿部泰彦(JMN)を2ラウンドKOで破り、王座獲得したばかりの馬渡亮太は、その後、ニュ^ジャパンキック連盟(NJKF)でのS-1.55kgトーナメント(4名参加)で11月30日に決勝戦で大田拓真(新興ムエタイ)に2-0の判定負けを喫した。その自覚が影響か、その後王座を返上。

初回から慎重に進める馬渡。不用意に出ず、リズムを掴んでいく。一度パンチでノックダウンを奪うと、チャモアペットが効いたダメージか、バランスを崩し易くなる。第2ラウンドにもパンチでノックダウンを奪うとカウント中のレフェリーストップとなる勝利を収めた。

◆第5試合 59.0kg契約3回戦

瀧澤博人(元・日本フェザー級C/28歳/59.0 kg)
    VS
ペットワンチャイ・ラジャサクレックムエタイジム(タイ/29歳/58.75kg)
勝者:ペットワンチャイ / TKO 3R 1:43 / 主審:仲俊光

第1ラウンドから蹴りに勢いがあった瀧澤だが、ペットワンチャイのパンチが強く、当て勘鋭く厄介そう。第3ラウンドにはパンチ連打を食らった瀧澤が完全にリズムを崩し、ノックダウンを喫した瀧澤。口を開きっぱなしの瀧澤は顎を骨折した疑いもあり、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップとなった。

第2代JKAライト級チャンピオンとなった永澤サムエル聖光、本来は初代となる

◆第4試合 54.0kg契約3回戦

JKAバンタム級1位.幸太(ビクトリー/29歳/53.9kg)
    VS
同級3位.阿部泰彦(JMN/41歳/53.9kg)
勝者:幸太 / TKO 1R 2:58 / 主審:仲俊光

ベテランの阿部、幸太のパンチとヒジ打ちを貰うと脆くも崩れ落ちる。立ち上がろうとするが足下ふらつきストップは止むを得ない。「まだやれるよ!」と叫ぶもカウント中のレフェリーストップとなった。

◆第3試合 ライト級3回戦

JKAライト級4位.野崎元気(誠真/61.1kg)vs同級7位.睦雅(ビクトリー/61.1kg)
勝者:野崎元気 / 判定2-1 / 主審:少白竜
副審:椎名28-29. 仲29-28. 桜井29-28

◆第2試合 フェザー級3回戦

西原茉生(チームチトク/56.8kg)vs財辺恭輔(REON Fighting Sports/56.45kg)
勝者:西原茉生 / KO 1R 2:41 / 主審:桜井一秀

◆第1試合 バンタム級3回戦

義由亜(治政館/53.2kg)vsナカムランチャイ・ケンタ(team AKATSUKI/53.1kg)
勝者:義由亜 / 判定3-0 / 主審:椎名利一
副審:松田30-24. 桜井30-24. 少白竜30-24.(第2Rにナカムランチャイに1点減点含む)

※前座、フェザー級3回戦、又吉淳哉(市原/58.0kg)vs龍聖(TRY HARD/56.9kg)は試合中止。又吉淳哉が計量850グラムオーバーで失格し、体調不良で緊急入院した模様。

初代JKAウェルター級チャンピオンとなった18歳高校3年生モトヤスック

《取材戦記》

大晦日のRIZINに於いて、那須川天心vs江幡塁戦が地上波で生放送される一方で、あまり世間に知られること少ない通常のキックボクシング興行。小さな団体でチャンピオンになっても、各団体各階級で数多いチャンピオンの中では、プロボクシングに例えれば、まだ日本ランキングに入ったに過ぎない真の日本上位からの序列。

そのジャパンキック協会のフライ級からミドル級まで6階級のチャンピオンが揃ったが、戦わずに昇格する認定チャンピオンが居たり、すぐに王座を返上したり、王座の価値が感じられない動きもあった。チャンピオンベルトそのものは他団体に負けないほどカッコいいデザインだが、王座の在り方も権威を保つ努力が必要だろう。

同門対決で後輩の高校3年生、モトヤスックに敗れ去った政斗。リング上で泣き崩れ、控室でも泣いていた。リング上では泣かぬも、控室へ帰ってから泣き崩れる選手も多い。一方で歓喜に沸く騒ぎも起こる。そんなリング上では見せない控室の喜怒哀楽も多く存在するのでしょう。

同門対決は通常は行なわない競技だが、トーナメント戦では当たらざるを得ない場合があり、タイトルマッチでもやらざるを得ないランキング上位定着の場合があります。

昭和のキックでは、亀谷長保(目黒)vs松本聖(目黒)戦は1位に長く留まる松本にチャンスを与えたタイトルマッチで2度、後の500万円争奪オープントーナメント戦を含む、亀谷長保の3勝(2KO)。伊原信一(目黒)vs千葉昌要(目黒)戦はタイトルマッチと500万円争奪オープントーナメント戦で1戦ずつ対戦があり、伊原信一の2勝。須田康徳(市原)vs長浜勇(市原)戦は1000円争奪オープントーナメント戦と引退試合で1戦ずつは1勝1敗、いずれもノックアウト。藤原敏男(黒崎)vs斉藤京二(黒崎)戦は、特に戦い導かれる因縁は無いマッチメイクでの実現で斉藤京二のKO勝利。

武田幸三賞(MVP)はモトヤスック、ユーエルシー・三瓶営業部長より贈られる

それぞれが伝説となった試合ばかり。政斗vsモトヤスック戦は、どれほどのインパクトを与えられただろうか。

ジャパンキックボクシング協会、2020年興行は、
3月15日(日)後楽園ホール
5月10日(日)後楽園ホール
6月21日(日)市原臨海体育館
8月16日(日)後楽園ホール
11月22日(日)後楽園ホール
以上が予定されています。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号

「反社会勢力」という虚構〈7〉Vシネマとヤクザ

ヤクザのシノギのひとつに、実録系Vシネマの製作があった。あった、というのは現在ではほとんど製作されなくなっているからだ。実録系ではなく、フィクションのヤクザVシネマ(北野たけし・小沢仁志などが製作)ならば、いまなお盛んに作られているが、作品に登場する俳優が好きでないかぎり、わたしは観たいと思わない。「仁義なき戦い」いらい、ヤクザ映画はリアリティこそ命だと感じるからだ。

実録・広島四代目 第一次抗争編 (販売元: 株式会社GPミュージアムソフト)

わたしの好みはさておき、広島ヤクザ抗争、山口組全国制覇抗争、四国・松山ヤクザ抗争、九州・沖縄ヤクザ抗争など、名だたる抗争事件を素材にしたVシネマはよく売れた。そんな実録系のVシネマがヤクザのシノギである理由は、いうまでもなくモデルとなった当事者からのクレーム対応が、ふつうの製作プロダクションでは不可能だからだ。

わたしが知っているクレーム事件では、ドル箱の広島抗争をあつかったミュージアム(現GPミュージアム)の作品中、抗争事件で撃たれたヤクザの親分が「痛い!」と叫ぶシーンがあった。作品が貸しビデオ店の店頭をかざった頃合いで、当事者(「痛い!」の親分の組織)からクレームが入った。

「うちの親分は、あのとき『痛い!』とは言うてへんで!」
「いや、あれはその。撃たれたわけですから、痛いだろうと」
「おまえら、親分が痛いと言うたん、聞いてたんかい?!」と、猛抗議。

けっきょく、その作品は全国の貸しビデオ店から回収となった。製作費1500万円は露と消えたのである。当時、9000本とも8000本とも言われていた売り上げ、約3000万円もお釈迦……。いらい、ミュージアムはヤクザ系の製作会社に製作を投げるようになったのだ。


◎[参考動画]仁義なき戦い 予告編集(田島次郎2017年7月30日公開)

◆遺族は映画化にNG

実録ものである以上、たとえば本多会(のちに大日本平和会)などの場合は、消滅してしまった団体の元幹部に取材することになる。そこではわりと率直に、最後の組長の人となりが語られたり、組織の弱点を忌憚なく話してくれたものだ。関わっている事業は港湾業務とか水商売であったり、現役時代と変わらない人が多かった。

ただし、派手な抗争歴やかつては羽振りの良かった話をする人でも、いまや食い詰めた老人という風情の方もおられた。どうして大きなクラブを経営していたのに、どの時点で覇気がなくなったのか。まったく不思議な零落を感じさせられたものだ。過去が重みなのか「わし、ヤクザをやっとったですからねぇ」と、昨今の反社キャンペーンに煽られたかのごとく、自嘲的な人も少なくなかった。

遺族はことごとく、父親(逝去した組長)の話を嫌ったものだ。「できれば、そういうの(評伝映画)は、つくらないで欲しい」「いま、うちは堅気をやっていますから」などと。奥さんから勝手に名前を使ったと、抗議が来ることもあった。

組の意向で、元親分(故人)のものは書いたりしないでくれ、というケースもすくなくない。その組織には、その元親分と現役親分をめぐる過去の因縁が隠されていたのだ。かつて、骨肉相食む内部抗争があった時に、亡き親分が当代の親を撃った、と。

今野敏の小説『任侠学園』

◆警察と銀行による、製作会社への圧力

冒頭に、現在ではほとんど製作されなくなっている、とわたしは書いた。登場人物の名前を変えていてもそれとわかる、いわゆる実録ヤクザ系のVシネマは皆無といっていいだろう。

流れを追って、説明しておこう。60~70年代の抗争、90年代の暴対法(みかじめ料の禁止など、ヤクザの小商いが排除される)とパチンコプリペイドカード(北朝鮮への仕送り資金の排除)を通じて、ヤクザ組織は小組織から大組織へと統合されてきた。みかじめ料などの小商いは断たれたが、巨大プロジェクトへの参入という経済ヤクザへの転身、あるいは下請け業者としての生き残りである。そして大組織への統合とは、山口組という一強支配の完成である。したがってまた、その過程は地元の独立系有力組織との抗争の拡大でもあった(福岡県における道仁会と山口組が典型)。

そして2011年の暴排条例を境に、Vシネマへの締め付けが厳しくなったのだ。暴排条例の骨格は、徹底的にヤクザの利権を断つこと。すなわち取り引き先から締め上げていくことにある。ヤクザ系の製作プロダクションへの銀行融資の停止、そして販路の締め付けである。このあたりは、任侠業界誌である「実話時代」が休刊に追い込まれたのと同じ構造である。

八尾河内音頭まつり

かくして実録ヤクザ系Vシネマは息の根を止められ、代替わりや親子の固めの盃事、年末の事始めの儀式を記録する映像会社・カメラマンも締め出されるようになった。ヤクザの盃事に関わっていると警察に知れたら、公共行事や行政の仕事から締め出されるというわけだ。

そのいっぽうで、今野敏の小説『任侠学園』(シリーズに「任侠書房」「任侠病院」「任侠浴場」)が人気を博し、映画化されるという。指定暴力団ではない、古きよき時代の阿岐本組は、組長が文化的な素養が高く、地域のピンチになった病院や風呂屋を立て直すというストーリーだ。

『任侠学園』では、愛と厳しさにあふれる教育で学校が再建される。もともと、任侠道は「強気をくじき、弱気を助ける」人の道である。河内音頭がその大半の素材を、ヤクザの股旅物に採っているように、日本人の心の故郷でもあるのだ。抗争事件とバブル経済で暴力団と化したヤクザを、原点に復帰させることで社会に融合させる方途こそ、じつは本来の取り締まり手法とは言えないか。

【横山茂彦の不定期連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号
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「ホリエモン」堀江貴文氏のネット発言が露呈する90年代以降の「知性」の浅底

◆日本の「人質司法」問題が論じられるきっかけとなったゴーン被告の日本逃亡

堀江貴文(ホリエモン)氏がカルロス・ゴーン被告の日本脱出劇について、元刑事被告人であり、有罪を受け、刑務所にも収監された立場からコメントを連撃している。わたしは、堀江氏には生理的な嫌悪感を覚え、これまで彼の発言や発信を真剣に聞いたことがなかった。「新自由主義」を体現している人間。簡単すぎるが、これがわたしの堀江氏に対する人物評価だった。

Youtubeは視聴者を多数得たYoutuberにとって、よほど収益性が良いようで、お手軽な料理のレシピ紹介から、現役を退いた(とくにプロ野球選手が目立つ)ひとたちの「暴露話」、バックパッカーとして世界を旅しながら自分の旅行を伝える人など、実に幅広い動画がアップロードされている。時間潰しにはありがたいリソースでもある。そこにいまでも商魂逞しい堀江氏も参戦しているのであるから、「宇宙開発」同様に充分に収益性のある「ビジネス」の場所なのでもあろう。

さて、本通信でわたしは私見を述べたが、わたしと同様あるいは反対の見解も含め、カルロス・ゴーン被告の日本からの逃亡劇には各界の専門家も、素早く反応している。その結果、日本の「人質司法」が一般の日本人に突きつけられることになった。カルロス・ゴーン被告の日本からの逃亡が、日本の「人質司法」問題が論じられるきっかけとなったことは、副産物ではあるが望ましい傾向だ。一般人にとって「刑事司法」は、犯罪に手を染めるか、冤罪被害者に仕立て上げるか、裁判員裁判としてお声がかかりでもしない限り、関心の対象としては薄いものであろうから。

◆堀江氏の刑事司法や刑務所体験や知識には説得力のあるものが多いのだが……

その観点から堀江氏が、どのようなことを発信しているのか、初めて彼の発信する動画をいくつか真面目に見た。自身が逮捕・長期勾留・収監の経験があるだけに、堀江氏の刑事司法や、刑務所内における体験や知識には、説得力のあるものが多く、頭が良いだけに「旧監獄法」とそれ以降の変化や、カルロス・ゴーン被告が受けてきた容疑事実についての分析もレベルが高い。


◎[参考動画]カルロス・ゴーンが見た日本の腐った司法システムについてお話します【ゴーン第4弾】

堀江氏が東京大学に入学した1991年わたしは、企業から転職して京都の小さな私立大学に事務職員として着任した。あの年の入学生はわたしにとっては、大学職員として、初めて接する入学生であったから、いわば「同級生」のような感覚がある。彼が動画の中で「1991年に東大に入ったあと」と語ったので、本筋と関係はないが、私的な経験と堀江氏の年齢が交錯した。

◆新自由主義の寵児が露呈する「知性」の浅底

カルロス・ゴーン被告についての堀江氏の発信を一通り確認したあと、その件とは無関係な動画も何件か視聴してみた。その結果判明したことは、やはりわたしの堀江貴文人物評価は、間違っていなかったということである。その証拠示す動画(もしくは音声)にいくつも出くわした。

筆頭は地球温暖化を論じた、以下の動画である。


◎[参考動画]ホリエモン、グレタ氏を批判!日本の温暖化対策はどうすべき?【NewsPicksコラボ】

この動画の中で堀江氏は、同じ番組に出演しているお馬鹿さんと一緒に、地球温暖化への対策が「原発」だと言い切っている。もっともその前段となる、世界的に情報商品として過剰に取り上げられているスウェーデンのグレタ・エルンマン・トゥーンベリさんへの評価には部分的にわたしも同意する部分はある。どうして同様の主張を多くのひとびとが何年も前から、続けているにもかかわらず、突然スウェーデンの高校生(?)がこのように、脚光を浴びるようになったのか。

グレタさんの主張すべてをわたしは否定、しないけれども、どうして「彼女だけが」世界中の同様の意見主張者の中から注視されているのかについては、落ち着いて考える必要があろう。地球温暖化に人類の営為が影響を与えていることは事実だろう。だが、「二酸化炭素が地球温暖化を進めている」とする説に、わたしは全く納得がゆかない。フロンガスをはじめ、名称通り「温室効果」をもたらすガスや人工物はあるあろう。しかし二酸化炭素がなければ、植物はどのようにして光合成をするのだ。植物の光合成なしに、どのように新たな酸素が生まれ出るのか?

地球は温暖化しているだろう。人為的な原因もあろうが、その主たる理由は地球がこれまで繰り返してきた「温暖期」を迎えているからだとの説に、わたしはもっとも合理性を感じる。

地球温暖化はいずれ別の場所で論んじよう。グレタさんを持ち上げる勢力の腹黒さについても。きょうの原稿はホリエモンを斬るのが主眼であった。堀江氏は、紹介した動画の中で「第4世代の原子炉開発も進んでいる」などと述べているが、たぶん彼の頭のなかには基礎的な、放射線防御学の知識もないのだろう。市場分析や、商品開発の将来性について(わたしはまったく興味はないが)堀江氏は自身が発信する動画の中で、実に多角的な分析と見立てを表明している。しかし、堀江氏が断言する将来像や分析は、いずれも経験則や自身が勉強した知識に基づいている。

このことは、堀江氏が「イカサマ師」ではないことを示す証拠にもなろう。彼の見解や、見立てにわたしは相当程度、異議がある。だが自分で商品開発や、商品の将来性を見定めた(その負の結果も負った)堀江氏の発言には、ある種の一貫性がある。

それは、「知っていること(経験したこと)を強く主張するが、知らない世界でドツボにはまる」ということだ。新自由主義の寵児のような堀江氏と東浩紀氏が語り合った音声がある。


◎[参考動画]【天才】東浩紀の頭がよすぎてホリエモンが言い返せない状況に…!

この中で堀江氏は「一生懸命会社で働いているあいだ、忙しくて『ベーシックインカム』なんて知りませんでしたよ。知ったのはこの1年くらいですよ」と述べている。わたしは東浩紀氏の支持者ではない。堀江氏からこの一言(彼の限界)を引き出した人物として紹介するまでである。1年前まで「ベーシックインカム」すら知らなかった人物が論じる世界観など、信用に値するか?

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号
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鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

官邸の指示はあったのか? 伊藤詩織さんレイプ事件裁判・勝訴後の闘いは続く

◆居直る山口敬之

伊藤詩織氏の著書『Black Box』

すでにマスコミで既報のとおり、安倍総理の随伴ジャーナリスト・山口敬之に対する損害賠償裁判において、伊藤詩織さんの全面勝訴判決がくだった。賠償金は1,100万円の請求額に対して、330万円だった。額はともかく、判決はほぼ全面的に詩織さんの言い分を「信用できる」とし、山口被告の主張を「重要な部分において不合理な変遷がみられる」と退けた。

この山口の主張の曖昧さは、2019年7月19日の本欄でも明らかにしてきたとおりだ。やはり山口被告の嘘には一貫性がなく、伊藤詩織さんの主張(望まない性交を強いられた=レイプ)には、その裏付けとなるアフターピルの施療や友人への相談など、主張を裏付ける傍証が認められたのである。

いっぽうで、これも既報のとおりスラップ裁判ともいうべき山口側の1億3,000万円の名誉棄損の損害賠償反訴については棄却という判決であった。

レイプされた若い女性が素顔をさらして、一国の総理大臣につながる御用ジャーナリストを告発した。しかも被害者は美人、というだけでも一時的にマスコミを賑わせるだけの価値がある。とはいえ、眉をひそめたくなるレイプ事件である。加害者被告のいかにも胡散臭いひげ面を見るだけでも、気分が良いものではない。したがって忘れ去られがちな事件だといえよう。

ぎゃくにいえば何度でもこのテーマはくり返し報道され、権力と結託した加害者の傲岸なありようが指弾されなければならない。今回の判決を受けてなお、山口敬之は「詩織さんは虚言壁がある」「ウソをついている」と開き直っているのだから。
そして年末年始のこの時期に、あえてくり返さなければならない理由は、刑事事件としての不成立の謎のゆえである。いったんこの件で逮捕状が出ていたにもかかわらず、総理の番犬ともいわれる中村格(なかむらいたる)警視庁刑事部長(現警察庁官房長)の鶴の一声で、山口被告の逮捕が見送られたのである。

伊藤詩織さんの著書『Black Box』(文芸春秋)によると、彼女が直接取材を二度試みたところ、中村格は一切の説明をせずに逃げたのだという。「出勤途中の中村氏に対し、『お話をさせて下さい』と声をかけようとしたところ、彼はすごい勢いで逃げた。人生で警察を追いかけることがあるとは思わなかった」というのだ。なんとも無様な警視幹部である。答えられずに逃げたのは、やましさの表現であるはずだ。

◆官邸の指示はあったのか?

そもそも、裁判所が発行した逮捕令状を握りつぶす判断が、刑事部長レベルの判断で行なわれるはずがない。そこに官邸の意向が働いていたのは、誰の目にも明らかではないか。自著『総理』によれば、菅義偉官房長官とともに第二次安倍政権成立の功労者である山口敬之は、こうして恥ずかしい犯罪の被告にならずに済んだのである。

今回の裁判(民事)で明らかになったのは、タクシー運転手やベルボーイの証言である。山口が詩織さんを引きずるようにホテルに連れ込んだこと、山口が「パンツぐらいお土産にくれよ」などと発言したこと。つまり、詩織さんは自分の意志に反して脱がされ、レイプが終わってからも屈辱的な立場に置かれていたのである。

ここまで犯行の態様が明らかになった以上、捜査当局においても訴追の再検討がなされるべきであろう。いまも山口は「わたしは法律に触れるような行為はしていない」とマスコミに主張しているのだから、今回認定された事実(不法行為)および新証拠をもとに山口を立件すべきである。かれは「法に触れる行為をしていない」のではない。法をゆがめる人々によって、山口は法の外に置かれているにすぎないのである。

◆セカンドレイパーを許すな!

それにしても、今回の判決をめぐるマスコミ報道において、女性の性犯罪について掘り下げて言及するものは少なかった。ぎゃくにいえば、詩織さんがここまで頑張って闘ってきたのも、日本社会に厳然としてある女性差別のゆえである。ほかならぬ女性たちから「彼女には落ち度があった」という「批判」すら上がったのだ。またこの事件が継続的にテーマとして追われないところに、わが国の報道環境の低劣さがあるといえよう。

たとえば今回の判決をうけても山口被告を擁護する小川榮太郎は、山口と同席した記者会見において、アシスタント女性にこう語らせている。

「性被害にあった女性の方々に話を聞いたのですが、記者会見や海外メディアのインタビューでしゃべる伊藤さんの姿に強い違和感をおぼえたということでした。人前であんなに堂々と、ときに笑顔も交えながらご自身の体験について語るということが信じられないということでした」

「(伊藤さんには)虚言癖がある…性犯罪被害者に会うと、本当の被害者は笑ったりしないと証言してくださった」

ようするに、性的被害を告発・発言できない女性たちの証言を、アシスタントの女性の口で伝聞させることによって、詩織さんの告発には「違和感」があり、「虚言癖」によるものだと決めつけたいのだ。こうした卑劣なセカンドレイパーには、存在賠償民事訴訟の被告になっていただく以外にないだろう。

被害者女性が告発・発言できない理由はほかならぬ日本社会にある。男女平等度ランキングで、日本は121位である。120位がアラブ首長国連邦、122位がクウェート、中国が106位、韓国は108位である。先進国では、ドイツが10位、フランス15位、イギリス21位、アメリカは53位だ。※出典はWEF – The Global Gender Gap Report

こうした日本社会の後進性を突き破るためにも、伊藤詩織さんには頑張って欲しいと思う。外国人記者クラブでの会見で、詩織さんはこれまでセカンドレイプ的にバッシングしてきた言論人に対して、法的な態度を示すと明らかにした。女性が声を上げられない社会の変革のために、それもやむを得ない措置と言えよう、ひきつづき、この事件を追っていきたい。

◎[参考動画]【報ステ】“性暴力被害”伊藤詩織さん勝訴(ANNnewsCH 2019年12月18日)
 https://www.youtube.com/watch?v=9XwVm28xEOw
◎[参考動画]性暴力被害訴訟で勝訴 ジャーナリストの伊藤詩織氏が外国特派員協会で会見(THE PAGE 2019年12月19日)
 https://www.youtube.com/watch?v=NiMbFDb1BAQ

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号
『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

密室で決められる「まちづくり」で釜ヶ崎の労働者はどうなるか? 

2019年12月23日、西成区役所で開催された第46回目の「まちづくり会議」で、あいりん総合センターの跡地に、労働施設をどう配置するかの話し合いが行われ、現在南海電鉄高架下に仮移転する「あいりん職安」と「西成労働福祉センター」が、跡地南側に建設されることが決まった。

駅前の北側には、屋台村を作る構想が4日後明らかにされた。かつて大阪市長だった橋下徹氏が「労働者には遠慮してもらう」といった通りの案が決まったというわけだ。「これまでの46回の会議は何だったのか?」。会議に参加する釜ヶ崎地域合同労組の稲垣氏は、呆れ顔でそう話す。まちづくり会議が発足する際、地区内で活動する様々な市民団体、労組らに声がかかったが、稲垣氏には事前に役所の職員が、会議の座長・鈴木亘氏(学習院大学教授)に面談させていた。「検討会議に入れるかどうかの『面接』やったと思う」と稲垣氏。

昨年4月1日から始まったセンター1階の自主管理は機動隊や府の職員に強制排除される4月24日まで続けられた
広々したセンター1、3階では、昼間段ボール敷いて横になる人たちが約80~100人ほどいた

一方、釜ヶ崎医療連絡会議の大谷隆夫氏は、誘いを断った理由を、シンポジウム「日本一人情のある西成がなくなる?!」(2019年1月5日)でこう語った。

「大阪市が釜ヶ崎の労働者の住民票を2007年に一斉に台帳から消し、住民票をなくしました。それまで野宿の人は、基本的には稲垣さんの組合の住所で住民登録ができた。それ以降、そうした場を認めなくて、結果として選挙権など当たり前の権利がない状態が続いていた。私たちは『それはおかしいやろ』「野宿者も選挙できるような対応をとれ」と選挙のたびに(投票所前で)訴えてきた。それが『威力業務妨害』にあたると大阪市が告発して、2年後の2011年4月5日、私たちが逮捕されました。起訴された4人は4ケ月程拘束され、裁判で有罪になりました。そんなことをやる大阪市と同じ机で話をするからといわれても、立場が違うわけです。それで私はお断わりしました」。

また同シンポで、稲垣氏は、非公開の会議について「司会は福原宏幸という大阪市大の教授だが、全体は大阪市、大阪府、国が青写真を作って、それに基づいて話が進められているという感じ。何言うてもアカンと感じました。私は当初から『センターつぶすな、そのまま使え』と言い続けたが、そういう委員は1人もいない。多数決取ったら35対1で負ける。それでもおかしいと言い続けなくてはならないと思います」と話していた。23日の会議でも、稲垣氏の「センター解体そのものに反対」意見のほか、「南側でなく北側へ」などの意見も出たが、最終的には福原氏がむりやり「労働施設をセンター跡地の南側につくる」とまとめたという。

◆野宿者たちは社会の「病理」なのか?

私が野宿者の存在を知ったのは、新潟から東京に上京してからだ。1982年暮れから83年にかけ、横浜の駅や公園などで野宿者が次々に襲撃され殺傷される事件が発生したが、「浮浪者殺傷事件」よばれるように、当時彼らは野宿者と呼ばれてはいなかった。逮捕された少年らは警察の取り調べに「横浜をきれいにするため、ごみ掃除した」などと供述した。野宿者=浮浪者=社会のごみという極めて差別的な表現が社会全体に蔓延していたのだ。

一方、彼らの多くが「ヤンマー」「イセキ」という、田舎の農家の人たちも良く被る農機具メーカーのロゴ入りの帽子を被っていたことに気づいた私は、「何か関係あるのか?」と考え、古本屋を回り、江口英一氏「山谷―失業の現代的意味」(専修大学社会科学研究叢書)をみつけた。そこには彼らの多くが地方から出稼ぎで都会に出てきたのち、様々な理由から困窮し、故郷へ帰れなくなり、山谷など寄せ場へ、そして野宿生活に転落していく経緯などが分析されていた。

バイトに明け暮れ、授業にほとんど出席していなかった私だが、急きょこれをレポートにまとめ、ゼミで発表した。しかし教授からは「それは社会病理の問題だから」のひとことで片付けられてしまった。「社会病理」? それは、かれらを襲撃し、ぼろ雑巾のように公園のゴミ箱へ放った少年らの発想と同じではないか?

谷町四丁目にある大阪労働局(国)に何度も押し掛け「シャッター開けろ」と訴えてきた

◆釜ヶ崎の労働者と、その運動の蓄積を否定する学者たち

大阪全域に貼ってある大阪維新のポスター

大阪維新の特別顧問となり、「西成特区構想」-まちづくり会議の座長を務めた鈴木亘氏は、インタビューで「どん底でしたね。ホームレスがあふれ、不法投棄ゴミが散乱し、昼から酒飲んで立ち小便してる。町全体が臭気のドームでした。すべての社会問題を放り込んで、フタしてグツグツ煮えたまま放置されてる、まさに闇鍋状態。衰退しきったスラムでした。」と話している。「生活保護者や野宿者のいる町は汚い」「危険」だから、警察とともに「クリーンキャンペーン」をやろう、監視カメラも増設しようという、これもまた非常に差別的な「社会病理学」に基づくものではないか。

一方、大阪府立大教授の酒井隆史氏は、冊子「ジェントリフィケーションへの抵抗を解体しようとする者たち」で、同じく釜ヶ崎にかかわりながら、労働者を「病理」とみなすような、岸政彦氏(立命館大学院教授)と白波瀬達也氏(桃山学院大准教授)の対談(「中央公論」2017年7月)をこう批判している。

「この対談では、すでに退けられたと思われていた『社会病理学』視点が復活していることがあると思われます。『社会病理学』視点とは、釜ヶ崎の貧困や労働者の生活様式、日常的ふるまいなどを『病理』とみなし、それを『正常化する』ことで対応をすすめる言説です。このような知的様式は、戦後のある時期までは強かったのですが、やがて差別的であるとして後景に退けられました。そこにはもちろん、自分たちは『治療すべき病理』ではないと主張してきた釜ヶ崎の労働者と、その運動の蓄積があります。さらにそれを受けて、釜ヶ崎の労働者を(対処すべき客体ではなく)主体とみなし、そしてその提起を、むしろ主流社会がみずからの「病理」のきづくきっかけとして受け止めるといった、研究者や活動家の態度の転換があったと思います。彼らの言説は、そのような歴史を逆行させるものであるようにもみえます」。

原口剛・神戸大准教授も同様にこう批判する。

「青木秀男らにより切り開かれた寄せ場学は、社会病理学の知が、労働者に対する差別や抑圧と表裏一体のものであることを告発した。そうしてそれらの土地やそこに生きる労働者を差別的にまなざす市民社会にこそ、『病理』を見出す視座を獲得したのである。またそれらの知は、市民社会の代理人たる研究者のまなざしをも厳しく批判し、研究者とはいかなる存在なのかを問うた。このような問いは、決して過ぎ去ったこととして片づけられるものではない。いやむしろ、3・11を経て研究者の『御用化』がなし崩し的に進行する現在であればこそ、ますます問われなければならない。にもかかわらず白波瀬は、社会病理学の差別的まなざしに『違和感がある』と申し添えるのみで、その知見を大々的に採用してしまう。『貧困と地域』を依り代として、かつての社会病理学は傷を負うことなく現在へと回帰してしまう。その代償はあまりに大きい。かつて『発見』されたはずの労働者の像が、かき消されてしまうのだ」。

◆使えなくなったら、「どこかへ消えろ」というのか?

令和に年号が変わったとき、おっちゃんが書いた「この国は冷和(つめたいわ)」

岸氏は、以前SNSで「釜ヶ崎のおっちゃんたちは高齢化して生活保護をもらいマンションに。ドヤにはかわって中国人と就活中の若者が宿泊する。いまの日本でだれが一番貧しいか、釜ヶ崎に来るとよくわかるな(笑)」とつぶやいていた。

現実を知っているのだろうか。生活保護を受ける人の多くは、未だドヤを少し改造した程度の安アパートに居住しているし、月末ともなれば、激安スーパー玉出のひと玉19円のうどんを炊いて凌ぐ人も多い。しかも大阪維新は、保護費を削減したり、難癖つけて生活保護を辞退させている。「生活保護受けて畳に上がれたから幸せ」だけでもない。「働かない怠け者」「税金泥棒」という根強い偏見や不安に晒される現状は変わらず、生活保護費の支給日に自殺した人も知っている。

そうした人たちのささやかな楽しみの一つが、センターで安いワンカップを飲み、仲間と談笑することなのに……。そんな憩いの場を奪うのが、大阪維新の「西成特区構想」──センター解体攻撃なのだ。

「センターつぶすな!」「シャッター開けろ!」。私たちは今年も諦めない。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。月刊『紙の爆弾』2020年1月号には「日本の冤罪 和歌山カレー事件 林眞須美を死刑囚に仕立てたのは誰か?」を、『NO NUKES voice』22号には高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」を寄稿
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

7日発売! 2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号
『NO NUKES voice』22号 尾崎美代子の高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」他