福島第一原発事故で全町避難を強いられた福島県双葉郡浪江町で7月31日、仮設商店街「まち・なみ・まるしぇ」が幕を閉じた。まだ避難指示部分解除前の2016年10月にオープン。避難指示部分解除後の2017年4月には、安倍晋三首相が訪れて「なみえ焼きそば」を食べてみせた。翌8月1日には「道の駅なみえ」が華々しく開業したが、仮設商店街から道の駅に出店する店舗はゼロ。切り捨てられた格好の店舗からは「道の駅に優先的に入れてやるという話だったのに……」と怒りの声があがっている。

8月1日、華々しくオープンした「道の駅なみえ」。しかし、仮設商店街から移った店はゼロだった

◆町長「大いに貢献された」

7月31日夕、浪江町役場横の「まち・なみ・まるしぇ」で、感謝状の贈呈式が行われた。吉田数博町長が10店舗の代表者一人一人に手渡した。

「皆さんが先駆者として仮設商店街に出店いただき、町民の帰還意欲につなげていただいた。大変な御苦労が多かったと思うが、おかげさまで今は160を超える飲食店や工場が町内で再開している。皆様方のご尽力の賜物だ」と吉田町長。休憩ずる場所も無く、食事も買い物も満足に出来なかった浪江町内で、一時帰宅した町民のために営業を続けてきた仮設商店街。関係者のみの小さなセレモニーを経て、ひっそりと幕を閉じた。感謝状には次のように綴られていた。

「あなたは東日本大震災および福島第一原子力発電所の事故により甚大な被害を受けた町の商業機能回復にご協力を賜り、町民の生活環境の向上に大いに貢献されました。よって、その御厚意に対し、心より感謝の意を表します」

2016年10月に盛大にオープンした時とは異なり、取材に訪れた記者は筆者の他に地元紙の2人だけ。テレビカメラは1台も無かった。仮設商店街の目の前にはイオンも出来た。

贈呈式後、取材に応じた吉田町長は「一応、今日を節目にしたい。そうでないとけじめがつかない。道の駅に入りますか、という話もしたが、町内に店を構える人もいるし、高齢だからもう良いよという人もいた。場所代を納める体力が無いという話もあった。運営会社を維持するために売り上げの20から25%を納めていただく必要がある。こういう田舎では高いなという気もするが、全国の道の駅の状況を考慮して率を決めたようだ。仮設商店街から一つのお店も道の駅に入らないのは寂しいですけどね」と話した。

そう、仮設商店街から道の駅に引っ越して営業を続ける店舗はゼロなのだ。「感謝」の言葉が飛び交う一方で、道の駅に受け皿は用意されていなかったのだ。

吉田町長から各店舗に贈られた感謝状。3年半の〝功績〟を称えているが、切り捨てられた格好の店側からは怒りの声もあがっている

◆店舗「切り捨てられた」

浪江町商工会の関係者が怒りをこめて話す。

「道の駅に移って営業を続ける店はゼロ。誰も行きません。『いいたて村の道の駅までい館』と全く同じですね。まあ、同じコンサルタント会社が担当したようですから、そうなるのでしょう。しかし誰がこうしてしまったのだろう。町長なのか議会なのかコンサルタント会社なのか……。様々な利権が絡み合っているのでしょうね。こうなる事で得をしている連中がいるのでしょう。前の町長と今の町長をうまく操った奴がいるんですよ。始める時は『道の駅に優先的に移れる』というふれこみだったが、途中から変わってしまった。だから皆、怒っているんです。感謝状なんか要らねえよって」

ある店舗の関係者は「道の駅を地元の人みんなで作り上げていくという感じじゃ無いですね。なぜ道の駅に出店しなかったのか? 手数料? 場所代? 運営会社に納めるお金が高くて払えないからですよ。いずれは道の駅に入れるという事で、赤字覚悟で営業を始めたのにね…。結局は切り捨てられたんですよ。そういう社会なのだから仕方ないですね」と肩を落とした。「切り捨てられた」という言葉が重い。

別の店舗は「お役御免」という表現を使った。

「そっくりそのまま道の駅に移る事になるのだろうって、私たちもそう思っていたんです。だから赤字でも皆で3年半、一生懸命頑張ってきた。でも、道の駅の説明会に行ってみたら全く話が変わっていた。7月いっぱいで出て行ってください、もう役目は終わったから、と。新しい場所が見つかるまではお貸ししますけどなるべく早く出て行ってください、という事になっていたんです」

「役場も完全に道の駅にシフトしちゃったんですね。結局、道の駅が出来るまでの体の良い〝つなぎ〟だったんだね。だから私たちは〝お役御免〟なんです。本当は今日で出て行かなければいけないんだけど準備が間に合わなかった、ここでしばらく営業を続けます。明日からは家賃と光熱費が発生します。家賃は3万円だったかな。確かに安いけど3万円売り上げるって大変なんですよ。人件費もありますしね」

◆町議「いつまでも甘えるな」

「皆さん、町内の生活環境が全く不十分な時期に創業いただきました。まだイオンも何も無い時期でした」

浪江町産業振興課の担当者は10店舗に感謝しつつ、当初からの予定通りだと繰り返した。

「元々、仮設の商業施設という事で、期限を区切っているという事は承知の上で入居していただいているはずです。未来永劫あそこで営業出来るという事ではありません。『なるべく早く出て行ってください』と、そこまで強烈な言い方をしているかどうかは分かりませんが、7月末をもって機能を終了するという事は以前から伝えています。道の駅と併存する事はありません」

「様々な事情があってしばらく残る場合には、いつまでも家賃無償というわけにもいきません。町内で事業を再開している方々が増えてきている中で、公平性を確保しなければいけないという観点もあります。一つのターニングポイントとして、8月1日以降は一定程度の負担をしていただきます。具体的に終了の時期が迫ると様々なご意見が出るのでしょう。いずれにしても、初めから期限を区切ってのスタートだったのです」

ある町議はさらに厳しい言葉でこう語った。

「今までタダでしょ。いつまでも甘えるなって事ですよ。当たり前じゃないですか。町内で事業を再開した人たちは全員、お金を払ってやってるわけですから。今まで家賃がタダだっただけでも……。これ以上、まだ甘えるの?いつまでも甘えるなって。仮設商店街に町は年間5000万円かけてたんだよ。ここで全員、店を閉めて退去するべきだと思いますよ」

別の町議は「悔し紛れにいろいろと言ってるんでしょ」と相手にしていない。原発避難者の住宅問題と似た構図がここにもあった。

仮設商店街の一角でカフェ「コスモス」を営んできた高野洋子さんは、馬場有前町長(故人)とは保育所からの同級生だという。

「『仮設商店街を始める事になったんだけど、やってくれる人が全然いない。誰かいないかな』って有(たもつ)に相談されてね。それで手を挙げたのよ」

役場近くには立派なホテルが出来た。道の駅の営業も始まった。一方で家屋解体が進み、さら地は増える一方。町立5校も年内には取り壊される。そして仮設商店街も。これが馬場前町長の描いた「町残し」のあるべき姿なのだろうか。

「まち・なみ・まるしぇ」のリーフレット。故・馬場町長は「町にとっての復興のシンボル」と綴っていた

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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