今年2月1日の本コラムで「イスラム国人質『国策』疑惑―湯川さんは政府の捨て石だったのか」を書いた。イスラム国に「戦犯」(War Criminal)として囚われた湯川遥菜さんと「人質」(Hostage)とされ身柄を拘束された後藤健二さんが共に殺害されたのは1月31日だと推測される。イスラム国は「武器販売」を目的としていた湯川さんを2014年8月に拘束し「戦争犯罪人」として当初より処刑の意向を示したが、「人質」とされた後藤さんの身柄拘束は14年10月中旬と考えられ、身柄解放に関しては10億円の身代金がご家族に要求されている。

14年8月16日に湯川さんの身柄が拘束されていることを知った政府は、名ばかりの「現地対策本部」をヨルダン大使館内におく。国会で野党議員の「現地対策本部は具体的にどういう人員で何をしていたのか」の問いに、通常大使館駐在する人間の数と同等で「情報収集などにあたった」と岸田外相は答弁していたけれども、この時点で「現地対策本部」は何もしていなかったことが明らかになった。

2015年1月17日安倍首相はエジプトで、
(1)ここで私は再び、お約束します。日本政府は、中東全体を視野に入れ、人道支援、インフラ整備など非軍事の分野で、25億ドル相当の支援を、新たに実施いたします。
(2)エジプトが安定すれば、中東は大きく発展し、繁栄するでしょう。私は日本からご一緒いただいたビジネス・リーダーの皆様に、ぜひこの精神にたって、エジプトへの関わりを増やしていただきたいと願っています。 日本政府は、その下支えに力を惜しみません。 E-Just(イー・ジャスト)にとって便利で、有望な産業立地とも近いボルグ・エル・アラブ(Borg El-Arab)国際空港の拡張を、お手伝いします。電力網の整備とあわせ、3億6000万ドルの円借款を提供します。
(3)その目的のため、私が明日からしようとしていることをお聞き下さい。
まず私はアンマンで、激動する情勢の最前線に立つヨルダン政府に対し、変わらぬ支援を表明します。国王アブドゥッラー二世には、宗教間の融和に対するご努力に、心から敬意を表すつもりです。
(4)イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。
などと述べた(文中の数字は筆者が挿入したものである)。

この演説を受けてISからの後藤さん解放の条件とされた身代金の金額が当初の10億円から20億円に引き上げられる。その直接原因となったのは(4)の安倍首相の言及である。身代金が20億へ引き上げられたのはここで対ISへ日本が20億円(2億ドル)支出すると公言したのにあわせてのことだ。そして副次的な要因として(3)も作用している。2014年9月11日にヨルダンを含む中東諸国の外相が米国のケリー国務長官と会談し「米国の軍事作戦に協力する」ことを約束していたからだ。ケリーと会談した国の中にはトルコも含まれるが当時トルコはまだ、ISと決定的な対決には至っておらず、日本の「対策本部」をヨルダンではなくなぜトルコにおかなかったのかと指摘する専門家も多かった。実際トルコ政府は英国人ジャーナリストなどが人質として捉えられた事件で仲介役を引き受け、解決した実績もあった。そして(1)、(2)のような「ばら撒きによる懐柔」政策も敵意を掻き立てた可能性は否定できない。


◎[参考動画]Japan condemns ISIS beheading of journalist Kenji Goto Headlines Today 2015/01/31 に公開

◆歴史の文脈が導く物語の一断面としての「テロ」「人質」事件

さて、早いもので湯川さん後藤さんの惨事からもうすぐ1年を迎える。あの惨事からこの島国の政府は何を学んだだろうか。答えは「皆無」だ。

報道機関は沈黙しているが後藤さんと実に似た状況で現在も身柄を拘束されている日本人ジャーナリストが少なくとも1人いる。その人は今年の6月頃ISではない組織に拘束されたが、日本政府は解放交渉を当初から放棄し、民間の有志が解放交渉にあたっている。消息筋によると後藤さんのケースのように緊急の危険性は少ないようだが、拘束も半年に及ぶことから早期の解決が望まれる。

この拘束事件については数か月前から解放交渉にあたっている方より情報を得たものの「解放交渉は事件が大っぴらになると向こう側が態度を硬化させる。だからできれば触れないで欲しい」との要請があり紹介するのを控えていた。が、既に関心のある方々の間ではある程度この事件が知られることになったので敢えて紹介をしておく。

「テロ」、「人質」事件はある日発作的に起こるものではない。それは可視、不可視な歴史の文脈が導く物語の一断面だ。現象のみを切り取りその残虐性や非人道性をあげつらっても物語は読み解けない。物語は牧歌的童話のような単純なストーリーから、誰が正義でどいつが悪人か読後まで謎が解けないミステリーもある。

世界は善悪2分法で解釈できるほど単純ではない。そもそも「善悪」など状況が判断を下す暫定・相対的なものだ。勇ましく「テロとの戦いに参加する」などと宣言することは、どんなストーリーが展開されているかわからない、しかも異国語で綴られた書物を手に取り、その完璧な読解を「可能だ」と宣言するようなものだ。私にはそんな蛮勇はない。


◎[参考動画]Calls for Japanese government to secure release of IS hostage News First 2015/01/30 に公開

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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