弁護士であり、ジャーナリストでもある日隅一雄氏が遺した魂である「日隅一雄・情報流通促進基金設立準備会共済」の講演会が10月3日に開催された。テーマは「福島・沖縄の犠牲はなぜ伝えられないのか~メディアを問う~」というもので、福島県生まれで『犠牲のシステム 福島・沖縄』の著者である哲学者の高橋哲哉氏と福島の人々に寄り添い報道を続けている市民メディア「OurPlanet-TV共同代表」の白石草氏、「沖縄密約訴訟」や普天間基地問題等日米同盟の問題点を鋭く論じる政治学者の我部政明氏の3人をゲストに迎えて論を展開。

「原発と報道」「審議会制度」「内部告発と秘密保全法」「情報公開」などをテーマとして民主主義のあり方を追求してきたNPJ編集長であり、東電の責任も追及してきた日隅一雄氏の「遺言」を具現化して実現した企画である。

メディアは、何を伝えて何を伝えていないのか。
たとえば9月29日から30日にかけて、沖縄の普天間基地では、車が米軍基地の出入り口を塞いで警官が女子どもも容赦なく引き剥がすという暴挙があったが、中央のテレビではほとんど報じられていない。メディアは、本当に死んだのだろうか。

哲学者である高橋氏は「福島の子どもたちのうち、浪江町や南相馬市の子どもらが検診を受けたが、47.7%が血栓、嚢胞(のうほう)が発見された」として問題を指摘する。これは、きわめて高い数値なのだ。歴史を振り返れば、チェルノブイリの事故のよる発症は4年目から激増した。山下俊一という教授は放射線被爆について「くよくよしている人は放射能の影響を受ける。ニコニコしている人は放射能の影響を受けない」という暴言を吐いたが、このデータをなんと見るのか。

また、国立琉球大学国際沖縄研究所の所長でもある我部政明氏は「沖縄米軍基地の問題は『知っているが知りたくない』というムードがある。2、3日観光に来ただけでも米軍が居座っている光景を見れば、米軍の存在の大きさが嫌が応でもわかるはずです」と本土のマスコミにも危機意識を持つように叱咤する。また、アジアの中でも「日本は性能が高いもの、質が高い商品を生産してきたが、これからは『最低限、必要なもの』を生産しないといけない」と鋭く指摘した。

白石氏は、福島県の中通りを緻密に取材し、「福島では今『分断』が起きている。チェルノブイリ周辺では、1ミリシーベルトを超えると避難する権利があり、5ミリシーベルトを超えると避難する義務がある。政府の基準は20ミリシーベルトであり、これはおかしい。また、除染作業も市の職員と学者が共同で行っているが「除染しないでくださいという地域がある」と指摘した。除染しないでいるほうが補助金をもらえるからである。東京新聞をはじめとする報道で、「放射線観測地点」だけが放射線量が低くなっているのは、中学生でも知る事実であり、いったい行政は何を隠したいのだろうかという気がしてくる。

「福島の問題を矮小化してはならない」と白石氏は言った。
その通りである。沖縄と福島には、実は目に見えない差別が潜んでいる。

日隅一雄氏は、6月に鹿砦社の『タブーなき原発事故調書 超A級戦犯リスト』において、私のインタビューに応じてくれ、それがラストメッセージとなった。6月12日は日隅氏が急逝したと同時に、私のジャーナリストとして再出発の日でもある。

福島第一原発の事故について「政府や東電は情報を公開しなければいけない」と日隅一雄は力強く言い放った。また、沖縄の密約問題でも裁判を闘っていた日隅さんの「遺訓」というべき講演は、その意思を十分に受けて継いでなおかつ光を放つ。自分もジャーナリストの端くれとして、権力側の隠蔽を追及していきたいと思う。

(TK)

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▲左から白石草氏、我部政明氏、高橋哲哉氏。